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あなたのおじい様の戦争体験を教えて その15

1 :名無し三等兵:2007/05/22(火) 21:29:19 ID:???
前スレ
あなたのおじい様の戦争体験を教えて その14
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1170643852/

2 :名無し三等兵:2007/05/22(火) 21:34:51 ID:O4bYFSl4
2

3 :名無し三等兵:2007/05/22(火) 21:45:47 ID:???
すとらま

4 :名無し三等兵:2007/05/22(火) 21:56:11 ID:???
ポートモレスビー

5 :名無し三等兵:2007/05/22(火) 21:58:12 ID:???
国体5持

6 :名無し三等兵:2007/05/23(水) 00:21:10 ID:???
1990頃に働いていた、帝国警備で一緒に働いた「K間T蔵」さん
その人の経験談をお話します。
 
戦時中
海軍の情報将校? 山本五十六に会った事があるらしい?

戦後
米軍の捕虜になり米国本土に移送される。
本人曰く、移送途中の軍艦上で殺されると思ったそうです。
ですが、船はそのままなにごともなく米国に到着しました。
米国到着後、帝国海軍の暗号について、色々聞かれたそうです。
米軍は、酷い扱いをするどころか報酬をくれたそうです。

帰国後
貰ったドルを親戚に配り、海軍時代の伝で警視庁に就職。
刑事時代には、浅間山荘事件にも出動したそうです。

追記
のら黒が大好きだった「K間」さん生きていらっしゃれば
もう一度お会いしてお話したいです。

7 :名無し三等兵:2007/05/23(水) 00:35:49 ID:???
結構昔の事なので記憶が曖昧です
詳しい方が居られましたら補足をお願いします。
帝国警備の会長の高花さんは、盾の会の会員で
在職中には、その手の本を結構貰いました。

8 :名無し三等兵:2007/05/23(水) 12:10:32 ID:???
>>1
乙牌ミサイル

>>6
?なんかよくわからないお。

9 :名無し三等兵:2007/05/24(木) 23:44:49 ID:???
うちのじーさまはスラバヤにいた。
海軍の通信兵だから戦争が終わったのを無線(モールスか?)で聞いたそうな。あと原爆とかの話も。
その際、おえらいさんが「このことは黙ってろ」とかなったらしく黙ってたというが、上のザワザワ感から漏れた。
農作業なんて苦にはならない貧乏本百姓7人兄弟の長男な上、天然で暢気な性格もあり、南方の捕虜生活も大変ながらそれなりに楽しく過ごしていた模様。
曰く、「シャツ一枚あればええんじゃから楽いのぉ。いるもんがあったら現地のからシャツとかと交換でもらやぁええんじゃから。
帰ってからのほうが食うものは無いわ大変じゃったのーた。帰りゃ生活は楽おもうて一時金みな使うたで。バナナもえらい高いしのぉた」
性格が↑な暢気さなので、徴兵にも関わらず志願と間違えられまくったらしい。
ついでに、本国での訓練時も大変だったらしいが、どう大変なのか話からはさっぱりわからんが、大変というのだから大変なのだろう。
行軍中の野営で遠方の畑から芋盗ってくるとか、ハエ集め(瓶に捕まえて捨てるらしい)の話だの、上手なギンバイの仕方だの。何気にオエライさんに気に入られてたから連れまわされたとか。
終戦のあたりの話や捕虜生活に関しては藤山一郎のNF文庫の著書を見た方が早い(同じ収容所にいた
出てくる話は、辞書忘れて帰っただの、バナナが安かっただのスターフルーツが美味しかっただのマンゴスチンは現地のが最高だだの…。



10 :名無し三等兵:2007/05/24(木) 23:46:06 ID:???
このように苦労も苦労と思うのを天然だからかすっかり忘れて人生を過ごしているわけで、先日も元気に親戚と碁を打っていた。
碁の相手の親戚の酒好きのおっちゃん(かなり駄目人間)は、山口市小鯖にあった飛行場で数時間教官の後ろに乗って終戦。
時々、そのまま特攻隊で散ってくれてたらと思わんでもない。
後、じーさんの友人は準鷹に乗ってた。後は何やら聞いたことのある船の名前がごろごろ出てきた。
タダの甘粥好きではなかったらしい(W
伊勢とか。特務艦とか色々。
トラックの鍵に紐で括ってある謎の形の笛は戦時中に教官をやってた時の笛と判明。
「鍵が無くならんようにつけちょる」というが、鍵は無くしても笛は無くさないで欲しい。

結婚から50年以上繰り広げられる夫婦喧嘩(最初に小さな事で祖母が絡む)に比べたら
スラバヤやら捕虜生活も楽なもんじゃないかと孫の自分は日々思う。

11 :名無し三等兵:2007/05/26(土) 15:31:09 ID:CGY07lnG
上げておきます

12 :名無し三等兵:2007/05/27(日) 00:28:12 ID:???
隼鷹はよく名前間違えられる可哀想な娘・・・

13 :名無し三等兵:2007/05/29(火) 18:14:45 ID:fUqFDe+w
落ちるよ。ネタ切れかい?

14 :名無し三等兵:2007/05/29(火) 19:25:18 ID:4WWbVbkU
まさか、あの準鷹の関係者か?

15 :名無し三等兵:2007/05/30(水) 07:09:43 ID:sqT7aWLO
『まぼろしの超空母・準鷹』バロスw


16 :名無し三等兵:2007/05/30(水) 12:24:56 ID:???
近所のおじいさん(81歳)から聞いたお話。

終戦間際の頃、そのおじいさんは陸軍士官学校を経て航空隊に配属されることになり
伊丹から熊本へ移送された時の事。
移送時に乗った飛行機は爆撃機(おそらく一式陸攻)で途中呉上空を通過すると
港内に停泊中の軍艦が何隻か見え「おお、さすが軍港・呉だなぁ」た思ったそうです。
ですがその中に明らかに甲板にまで白波を被った船が見えたそうです。
その時、乗り合わせた上官が一喝「今見たことは軍事機密ゆえ、口外せしものは銃殺刑もある」と言われ
びびったじいさん達は熊本につくまで外を覗かなくなったとか。

17 :16:2007/05/30(水) 12:47:15 ID:???
>>16の続き

無事、熊本に着き飛行訓練を待っていた時の事。
飛行場には対空防御用の高射砲が備え付けられていたがよく見ると『戦艦・伊勢』の文字が。
じいさんの仲間達は「きっと最新鋭の高角砲が伊勢に取り付けられ、要らなくなったのが回ってきたのだろう」
とか話していると、そこへまた上官がやってきて
「敵機が当飛行場に襲来してきても決して応射してはならん!」と、また一喝。
皆内心「えー、何故に?」と思ったそうだが上官命令は絶対だし、そもそも自分達は飛行機に乗りに来たワケだからと、その場は聞き流した。
数日して、飛行場にもいよいよ空襲の手が回ってきて爺さん達は防空壕に避難した。
対空砲火の応射もない飛行場は正に的。
米軍機はやりたい放題で飛行場を低空で機銃掃射していく様をただ見ているだけだったそうです。
ただ爆撃がないのが救いで壕に入ってさえいれば無事やり過ごせると皆は思っていました。

ですが血気盛んな兵士が一人「もう我慢ならん!!!」と飛び出していき
先の高射砲に取り付き、油断して低空を飛んでいた米軍機を撃墜してしまいました。

18 :16:2007/05/30(水) 13:03:29 ID:???
>>17の続き

翌日、米軍の爆撃機の編隊がやってきて仕返しとばかりに飛行場を完膚なきまでに爆撃していきました。
滑走路は見渡す限り穴だらけでしたが一日足らずで復旧したそうです。
「これで訓練も再開できる」と皆、喜んだのですが、訓練機を飛ばし、いざ着陸!という時に
突貫工事の滑走路のせいかタイヤが地面に引っ掛かり事故を起こしたそうです。
訓練は中止になり、皆は別の任地に送られることになり、じいさんは二俣の中野学校の分校に送られたそうです。

19 :名無し三等兵:2007/05/31(木) 01:04:54 ID:???
言うまでもないだろうが良スレ。


20 :名無し三等兵:2007/06/01(金) 13:56:26 ID:???
ポナペ島の独立混成第五十二旅団で終戦を迎えた俺の祖父の話

水や食料に困ることはなかった
海軍は島で芋の栽培をやっていた
時々陸軍の連中が盗みに来てたらしい

米軍による艦砲射撃が始まって死傷者がかなり出たらしい
それ以降はグラマンが時々やってくる程度だった
ポナペのラグーンでは大型のエビがたくさん取れて美味かったと
あと椰子が群生してたのでよく取りに行ったと

他の島嶼部に比べ米軍の上陸攻撃や空襲が続いたわけじゃなかったので
終戦まで結構平穏に過ごせてたらしい

21 :名無し三等兵:2007/06/01(金) 21:41:49 ID:6qbCcuQA
じいさんの遺品の中から恩給申請書類が出てきて
部隊経歴があった

第221設営隊配属
トラック基地飛行場設営
モートロック環礁飛行場設営
ポナペ島へ転進
終戦
昭和20年12月復員

22 :名無し三等兵:2007/06/02(土) 00:43:38 ID:TjxKLJwh
母親が入院している病院に、沖縄戦の大和と一緒に出撃した船に乗っていた人が奥さんを見舞うために来ているらしい。今度会った時に色々話を聞こうと思う。
その前のときは、天山に乗っていたというおじいさんにあったことがある。



23 :名無し三等兵:2007/06/02(土) 01:09:13 ID:???
今は亡きじいちゃんの話

中国戦線に行っていたとの事
中国軍(石かハゲかは不明)は包囲網で押し寄せてくるので急いで穴を突破しないと
囲まれてやられるとの事だった

あまりにも悲惨な状況だったらしくて詳しい事は話してくれなかったけど
生き残ったこと自体が奇跡だと言っていた

ただ、戦争体験者ながら『やられないようにしなければならない』という事で自衛隊には賛成派
終戦直後産まれの親父の方が戦後は食い物に困ったという事で自衛隊嫌いの左翼(団塊安保世代)
というのが対称的でおもしろかった










24 :名無し三等兵:2007/06/05(火) 00:36:00 ID:???
>>22
ひょっとしたら「あの」雪風元搭乗員かもな…。

父方の大叔父の話だが、甲種合格で三度中国戦線に引っ張られた。
牽引砲だかの関係で騎乗していた時には、敵軍の一斉射撃の銃声で
愛馬が後ろ足で立ち上がり、大叔父の身代わりに近い形で命拾いしたとのこと。
(その後、故郷にたてがみと尾毛を送って墓まで作って弔ったので、当時新聞にも載った)

また、銃剣戦に関しては『腹だと小麦袋みたいにズブっと刺さるが
 胸だと骨に防寒衣の綿も巻き込むから、足を掛けて引き抜かないと抜けない』と言っていた。
他にも射撃時のガク引きに関しては『闇夜に霜の降りるように引き金を絞れ』と。

あとは満州の冬があんまりも寒かったので、近所の納屋で拾ったウォッカを飲んだが
初めてだったので三杯立て続けに飲んで腰が抜けたとかw

ちなみに戦後、従兄弟や親父とスキーに行った(三浦敬三氏とも行ったことがあったらしい)際に
転倒して脚を折ってしまい、近所の医者で骨継ぎをしてもらったのだが
呻き声一つ上げずに耐え、全身から汗が蒸気のように吹き出したとかで
身体を押さえていた親父曰く「実戦経験者は違う」と思ったそうな。

25 :名無し三等兵:2007/06/05(火) 01:27:27 ID:???
うちのおじいさんは背が低い(148cm)ので徴兵検査に落ちて、
戦争に行けませんでした。


26 :22:2007/06/05(火) 01:53:03 ID:jPLTS5Ki
>>24初霜に乗っていたらしい。
今週末、話を聞いてくる。

27 :名無し三等兵:2007/06/05(火) 08:03:04 ID:???
419 :名無し三等兵:2007/05/12(土) 15:22:50 ID:???
マスコミより数倍知識豊富な全国の軍ヲタが何故、表舞台に立てないのか疑問。
所詮、匿名掲示板で愚痴るだけの臆病者が多いからか?

軍事を学んでいると劣等感(低学歴デブチビブサ低所得)が払拭されるのです

周りの連中が知らないような知識を得ることで優越感をもつことができます。

有名大学の教授だろうが大企業の社長だろうが有名大学生だろうが軍事知識では自分の足元にも及ばない。
常に正しいのは自分。当たり前だ。私は軍ヲタなのだから。

高学歴右翼も高学歴左翼も軍ヲタには敵わない。

現実主義に徹し、佐藤大輔の小説に出てくる人物のようにクールにニヒルに(低学歴デブチビブサ低所得の)自分も振舞うことができる。

ああなんてすばらしい趣味。

右翼からはサヨクと呼ばれ
左翼からはウヨク呼ばわり
そんな私はいったいだあれ?

こんな短い言葉にも軍ヲタとしてのプライド、優越性が表れています。

ヲタ趣味の頂点に立ち、愚かな一般人を啓蒙する崇高な役目を与えられた軍ヲタ。

神様ありがとう。この世に軍事という趣味のカテゴリーを作ってくれて。

28 :名無し三等兵:2007/06/05(火) 08:29:06 ID:v1cDwOjZ
しかし、軍ヲタは全くもてないと言う厳しい現実も・・(滝汗。

29 :ふちのべ12番:2007/06/05(火) 09:52:12 ID:HObAju9F
西伊豆に住む義父94歳。日華事変で南京攻略時、戦闘部隊で入場。太平洋戦争で
今度は軍属としてニューギニアの飛行場工事で送られて、急死に一生で這うように復員。
西伊豆のこの村唯一の生還者だったそうだ。ニューギニアでは兵士の横暴に相当怨んでた
食料は軍優先だからみんなとられて。仲間が次々に餓死病死。帰ってからの国から
の手当てもなく、大分たって海部政権の時の一枚の賞状と記念品のみ。笑ってたよ。建設会社を
興して苦労して退役。

30 :名無し三等兵:2007/06/05(火) 10:36:50 ID:???
母方のじーちゃん、33歳で徴兵されてエライ苦労したといってたな
でも戦後はヤミ屋で大儲け、かつての上官をあごでこき使ってたとかw

31 :名無し三等兵:2007/06/05(火) 13:13:33 ID:609nR3gg
>>30
チョン家系?

32 :名無し三等兵:2007/06/05(火) 14:22:53 ID:2bj5bi4b
闇をやってたのが全部チョソというわけでもないだろ。
引揚者や「軍隊あがり」が闇をやってたってよく聞くからな。

33 :32:2007/06/05(火) 14:29:16 ID:???
書き忘れてた。うちの爺さんも台湾で日本語を教えていたが、
引き上げてしばらくの間は闇をやってたみたいだよ。
闇の話と台湾の軍人の話は全くしたがらなかったな。
(同じ官舎に日本軍の士官がいたとは言ってたけど、
どちらも、あまり良い思いでがなかったみたいだよ。)

34 :名無し三等兵:2007/06/05(火) 15:32:40 ID:???
>>31
酷使様乙
ピザでも喰ってろ、デブw

35 :名無し三等兵:2007/06/05(火) 15:39:59 ID:sqIGAyB5
引き揚げ船で日本に着くと将校が何人か居なかったそうだ。
敗戦を苦に投身自殺した事になったそうだが、
本当は海に突き落とされたそうだ。
何処から引き揚げたかは言えないが、どの船でも何人かは居なくなったそうだ。
それも将校ばかり。

36 :30:2007/06/05(火) 15:47:29 ID:???
あらら、いよいよ漏れまでチョン指定かよ
歴史のれの字も知らんヤシがやってるようじゃ、ここの酷使様もいよいよ質が落ちたなw

37 :名無し三等兵:2007/06/05(火) 15:48:20 ID:???
くだらねー自演すんなクズ

38 :名無し三等兵:2007/06/05(火) 15:52:06 ID:t7pIcdBH
なんかレスが三つほど見えない。

池沼がウヨだのチョンだの言い出したか

39 :名無し三等兵:2007/06/05(火) 15:54:34 ID:???
>>27
いや全くだ。右とか左とか本当に宗教で何の役にもたたん。
現実見てるのは軍オタだけではないか。

とコピペにマジレスは恥ずかしいので、うちの母親のはなしをひとつ。

うちの母親は少女時代満州にいたそうだが、
ガキからみても軍人のふんぞりかえりかたは異常だったそうだ。
軍人に嫁いだ女もまたバカみたいにプライド高くて、
普通の主婦どうしの話なんかに交わってくることは
なかったとのこと。
軍政下における女の世界というのも難儀だったらしい。

40 :名無し三等兵:2007/06/05(火) 15:56:55 ID:???
>>35
胡桃沢耕史の「黒パン俘虜記」にも、引揚船から海に落とされて殺されたヤシの話が出てたね
こっちは士官じゃなくて兵士同士の諍いだったけど
せっかく戦争で生き残って、祖国を目の前にして・・・南無

41 :名無し三等兵:2007/06/05(火) 15:58:45 ID:???
>>39

こういう思いあがった軍ヲタがいるせいで世間様に白い目で見られる

42 :名無し三等兵:2007/06/05(火) 16:01:56 ID:???
>現実主義に徹し、佐藤大輔の小説に出てくる人物のようにクールにニヒルに(低学歴デブチビブサ低所得の)自分も振舞うことができる。

これは当たってるな。
このように振舞いたいと思っている椰子は多いだろう。

本屋の軍事コーナーの前にいるブサピザやブサガリがこんなこと考えてると思うと笑いが止まらん。

目の前の現実をまず見つめるべきだなw

43 :名無し三等兵:2007/06/05(火) 16:07:25 ID:???
ウヨもサヨも高学歴層は「ほとんど」現実を見ている。

ペーペーの軍ヲタなんぞよりはずっと知能も高く所得も高い。

44 :名無し三等兵:2007/06/05(火) 16:08:35 ID:???
高学歴の軍オタに、低学歴のサヨが何を言う

45 :名無し三等兵:2007/06/05(火) 16:14:16 ID:???
高学歴のウヨになる予定ですが

文章に低学歴とかウヨとかサヨとか入ってると見えなくなるので勘弁してください

46 :名無し三等兵:2007/06/05(火) 16:15:07 ID:???
>>44
>>43が軍板でレスしているところに注目するんだ

47 :名無し三等兵:2007/06/05(火) 16:17:13 ID:???
なんですか酷使様認定ですか?
それともブサヨ認定ですか?

どっちでもいいけど意味不明な優越感は抱かないほうがいいよ。

48 :名無し三等兵:2007/06/05(火) 16:24:02 ID:???
自分の文章も見えない。

うちの祖父も戦地で片目を失った。
海賊みたいな感じになってるから幼い頃は怖かったよ。

49 :名無し三等兵:2007/06/05(火) 16:52:03 ID:???
漏れのばあさん人がいいもんだから、路頭に迷ってた元台湾総督の未亡人と息子さんを引き取ってしばらく面倒見てた
戦前は総督夫人と皆にかしずかれていた人が、敗戦ですべてを失ったショックで廃人同然だったそうだ
ばあさんいわく、「戦争に負けたからってこういう人を飢え死にさせたら日本人の恥だ」
もっとも、戦争でじい様が死んで、実際に食い扶持を稼いでいたのは俺の親父だったので、二人も増えてたいへんだったといってたよ
息子さんの方はしっかりしてて、「早く母親の面倒をみられるようにならなきゃ」と中学にも行かず、奉公にいったそうだ
世が世なら華族の坊ちゃまだったのに、敗戦とは恐ろしいものだ

現在ばあさんは97歳、かくしゃくたるもので杖も使わず歩き、新聞を読んでて、日本首相どころかG8の首脳の名も憶えてる
でも相変わらず頑固で、こうと決めたらいうことを聞かないw


50 :名無し三等兵:2007/06/05(火) 17:03:46 ID:???
>>48
宇宙の海は〜俺の海〜

51 :名無し三等兵:2007/06/05(火) 20:25:49 ID:???
参謀本部で地図を作ってたって逝ってる

52 :名無し三等兵:2007/06/05(火) 23:13:34 ID:??? ?2BP(0)
>>50
はだしのゲンの看板製作会社の社長がいたよね。
あんな感じだよ。
教師だったから幾分か理知的だが。

53 :名無し三等兵:2007/06/05(火) 23:19:53 ID:???
ちょww

54 :名無し三等兵:2007/06/05(火) 23:24:09 ID:???
戦争体験とはちょっと違うかもしれんけど

広島城近くに工兵橋ってのがあるんだけど、母方の爺ちゃんがそこらへんで野砲隊の訓練してたらしい
そして研修かなんかで宇品に行って一ヶ月ほどで原爆が落ちたとか
だから原爆手帳持ってるんだけどおじいちゃん80くらいになるけど超元気
背筋もピンとしてるし明朗快活。毎日元気に犬の散歩や野良仕事に精を出してます

55 :名無し三等兵:2007/06/05(火) 23:48:00 ID:???
>>53
教職についてる人間には珍しく保守的な人だった。

俺が赤子の時に靖国神社まで行って「孫ができますた」と報告したそうな。

朝は神棚を拝んだ後は額縁に入れられた靖国神社の写真と戦死した爺さんの弟の写真を拝むように躾けられた。

俺が軍ヲタになったのもある意味爺さんのおかげだな。ついでに真性のウヨにもなった。
行儀の悪いことや嘘をついたりしたら殴る殴る。それなんて旧日本軍だった。
実に厳格な爺さんだった。

ところが最近すっかり丸くなってしまった。
今までこづかいなんてもらったことなかったんだがこの間志望大学に合格したら歴史の本を好きなだけ買ってやるとか言ってたんだよ。
いつのまにか好々爺になってしまった。急にやさしくなったから気持ち悪い。
今まで近所の子供に剣道を教えてたけどそれもやめてしまった。衰えてきてるのかね・・・。

今は自分の生きてるうちにいい大学行っていいところ就職して立派な社会人になってくれよ、と口癖のように言ってる。

56 :名無し三等兵:2007/06/06(水) 00:01:48 ID:???
どこ受けるのかは知らんけど260万の英霊がついてるんだから受験なんて楽勝じゃね?

御爺さんを労わってあげて下さい。

57 :名無し三等兵:2007/06/06(水) 01:19:31 ID:???
軍人爺怖ぇw

58 :名無し三等兵:2007/06/06(水) 01:44:13 ID:???
爺様に当時の本を買ってあげたら、色々話してくれるかも・・・
オレの爺様は機銃掃射から逃げた話をしてくれた。(小学生〜中学生?)

59 :名無し三等兵:2007/06/06(水) 01:54:18 ID:???
>>55
君が立派に育ったからじいさんもうれしいんだよ



・・・・なんてね。

60 :名無し三等兵:2007/06/06(水) 07:55:54 ID:???
なんでもうちのじい様が言うには、
「おじーちゃんは志願で海軍に入ったの。そんでパプアニューギニアで毎日遊んでたんだよ」

らしいんだが……
現地の仕事してくれる人と遊んだりね、敵機が来てもおれが見つけた川で遊んじゃうんだから。
とも言っていた。

南のあたりは忙しかろうと思ってたんだけど、実際どうだったんだろう
しんどかった事思い出したり話したくないからこう言ってんのかな……と思うとこれ以上突っ込めない。

61 :名無し三等兵:2007/06/06(水) 10:42:23 ID:???
>>60
ニューギニア戦線って、情け容赦のない米豪軍の猛攻、苛酷な自然、おそろしい伝染病、そして兵站が破綻して飢え人肉も喰ったといわれ
10人中9人が死んだ、文字通り地獄の戦場だったはず・・・

それを思い出せるのも酷、そっとしといてあげよう

62 :名無し三等兵:2007/06/06(水) 11:58:44 ID:???
それじゃあ食事中だったし、なおさらだったろうな
最後のあたりは語尾が消えてた
「そうだよ……遊んでたんだから…………」と

じい様の兄貴も志願で海軍に入ってフィリピンへ
ドイツが欲しがってたスズとゴムだか積んで潜水艦?に乗ってた(帰りに図面を貰ってくる)ら、引き潮で出てきた岩に引っ掛かり満ち潮になるまで進めない
しかもイギリスが後ろにいる……
で、よし行こう!というときに水柱が目の前にドォッと上がって攻撃を受けたそうな。
立ち向かおうと方向転換して後ろを向くと、相手も横に動いて常に横っ腹を撃たれるから水がどんどん入ってくる
ドアをちぎって投げたりして浮くものを作ってなんとか生き延びたらしい


63 :名無し三等兵:2007/06/06(水) 15:47:08 ID:???
>>15
「準鷹」
懐かしい響きだ…と、じいちゃんはよく言ってたよ。
あれに乗ってヨーロッパまで行ったことは軍機だった…って、死ぬ直前に言ってたなあ。

64 :名無し三等兵:2007/06/06(水) 18:10:29 ID:???
仮想ネタは遠慮しろ、下層

65 :名無し三等兵:2007/06/07(木) 05:28:41 ID:???
ドイツから軍用機を何機も送られて
自分たちで試験飛行に出てそのまま行方不明になってるけど
扱いきらんで落ちたと思っていいのかな?

66 :名無し三等兵:2007/06/07(木) 07:11:29 ID:???
>>65
Ju87、Ju88、Bf109、Me210、He100、Fw190、と輸入してるがどれの話だ?

67 :名無し三等兵:2007/06/07(木) 07:22:25 ID:???
評価飛行で行方不明はJu88だけでしょ

68 :名無し三等兵:2007/06/08(金) 13:37:44 ID:???
うちの爺ちゃん(故人)は戦後、長いことシベリアに抑留されていたようだけど
存命中は殆どその話題にはふれなかったそうな...
だけど、陸士の同級生の間で配布されていた会報にいくつかその時の
回想が載っていた。
初めて読んだ時には思わず絶句してしまった...これ程過酷な状況を耐え忍んだのかと。
それからは何か落ち込んだり辛い事があった時には、それを読み返しては
「このままでは爺ちゃんに申し訳ない」と自分に言い聞かせては勇気を貰ってます。
チラ裏スマソ




69 :名無し三等兵:2007/06/08(金) 13:44:57 ID:???
>>68
頼むからその内容をここに書いてくれ。
じゃないと本当にチラ裏になってしまう。

70 :名無し三等兵:2007/06/08(金) 13:59:12 ID:???
>>68-69
ワロス!!

71 :名無し三等兵:2007/06/08(金) 18:56:53 ID:UVDhCHN/
>>68
陸士卒業生の機関誌「かい(にんべんに皆)行」に連載していたのですか。
是非とも書き込んでください。
あまりにも量が多いときは、何年の何月号というだけでかまいません。


72 :68:2007/06/08(金) 20:07:59 ID:???
“戦争体験を〜”なのに何だか抽象的でしたね...
>>71
「偕行」も確かにございますが、爺ちゃんが手記を載せたのは
同期の者だけでやりとりしていた会報のようです。
連載というよりは単発的にふれている感じで、
我が家に残っているのも途切れ途切れなんです。
抑留中の事に関しては、例えば、零下何十度といった所で森林伐採作業に従事したり
夏はトロッコに石材をひたすら積んで運んだりと、ノルマを達成しなければ
たった一つのパンが貰えないという事で皆涙を流しながら歯を食いしばっていた
といった事が書かれておりました。
他にも色々とあるのですが、今手元にあるもので書き込めるのはだいたいこんな感じで
言いだしっぺなのにお役に立てずに申し訳ないでつ。


73 :名無し三等兵:2007/06/08(金) 20:39:46 ID:???
昔、警備のバイトで一緒になったじーさんがシベリア帰りで
食い物は最低だったけど飢える事はなかった、そこは収容所で
大きな差があった。
ただ、対日戦だかの勝利の記念碑を作らされた時には腹が立ったと
言ってたのを思い出した。

74 :名無し三等兵:2007/06/09(土) 01:46:48 ID:???
先日行った セクシーキャバクラ(おさわり可)で
付いた女の子
映画の話題から 男たちの大和 の話になり
「おじいちゃんが昔 大和に乗っていたんですぅ」との事。
「いろいろ話してくれたけど 難しくてよくわからない」とも言ってた。



75 :名無し三等兵:2007/06/09(土) 02:34:55 ID:???
ちょっと眠れないので書き込みを・・・
一昨日祖父が亡くなりました。87歳でした。
5人兄弟の次男でしたが、日中、太平洋戦争で上下4人を失いました。
血の気の多い人でした。
幼少の父親が近所の悪ガキに虐められると、自慢の「ブローニングの12番5連発」に空砲を詰め
父親をつれて悪ガキの家に乗り込み、玄関を開けると悪ガキ相手に全弾発射。
ちびっている子供に向かって「ウチの息子に手を出したら次は無いぞ」
と言って笑いながら帰ってきたり、私が子供の頃教師から虐めにあったときにも
単身学校に乗り込み、教師を怒鳴りつけてくれたりしました。
しかし、戦時中の事は全く話さない人でした。が、思い出話をしている父からようやく聞きました。
祖父は、戦時中は海軍で二人乗りの爆撃機の後ろに乗っていたそうです。(話を総合するとですけど)
終戦直前には、沖縄の飛行場を爆撃したそうでで、父には打ち上げ花火の様な沖縄の飛行場の話しや
帰ってくる度に減る仲間の話、その度に「敵は絶対に討ってやる」と思い続けていたら
生き残ってしまった。という様な話しをしたそうです。やっぱりこの頃から血の気が多かった様です。
一家の家長として家族を今まで面倒見てくれてありがとう。
祖父の血の気の多さに救われたり困ったりしたけど、やっぱりありがとう!


76 :名無し三等兵:2007/06/09(土) 04:13:26 ID:???
艦爆の後席かあ。話を聞くまでもなく度胸が据わってそうだぜ。
たぶん、終戦直後にグレて暴れたくちかも。。
じい様に敬礼っ!!

77 :名無し三等兵:2007/06/09(土) 11:28:01 ID:???
>>75-76
ええ話や〜(・・、

78 :名無し三等兵:2007/06/09(土) 11:33:19 ID:???
>>75
芙蓉部隊でしょうか。
沖縄への攻撃を粘り強く続けた部隊です。

79 :名無し三等兵:2007/06/09(土) 11:34:17 ID:???
>>75
>沖縄の飛行場を爆撃した
・・・それだと、芙蓉部隊で彗星艦爆の後席じゃないですか。
 『芙蓉部隊』 ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%99%E8%93%89%E9%83%A8%E9%9A%8A
 『艦上爆撃機 彗星』 ttp://military.sakura.ne.jp/ac/judy.htm
あなたの御爺様はものすごい搭乗員
(夜間飛行では前席の操縦より後席の航法の方が重要)
と言う事になります。
 
閑話
拳銃云々はおそらくコルト32オートか杉浦式が想定されますが、
空包で連発してるので(実銃では空包では連発しない)、
『日活コルト』でしょうから無問題ですw

80 :名無し三等兵:2007/06/09(土) 15:58:41 ID:???
>>79
>>75で12番の五連発って言ってるから12ゲージのポンプアクション散弾銃じゃないの?
そんなの向けられた日にゃ・・・((;゚Д゚)ガクガクブルブル

81 :79:2007/06/09(土) 18:29:39 ID:???
>>80
ああホントwだ、
都井のむっちゃんもビックリですねww

82 :名無し三等兵:2007/06/09(土) 18:58:41 ID:???
そもそも、アメリカ軍とガチで命を奪い合った芙蓉部隊の中の人にそんな物騒な用事でこっちを見てほしくないw

83 :名無し三等兵:2007/06/09(土) 19:54:11 ID:Vg+4FPnc
いま、ふと思い出した事がある。
まだ自分が小学生ぐらいの時に戦争の話をよくする祖父に純粋になぜ戦争が起こったの?と聞いた時がある。
少し祖父は考えて私に解りやすく教える為にだと思うけど、日本が満州で鉄道を爆破したからだよ。
と教えてくれた。祖母はまた違う事を言っていたが覚えてない。日露、日清、大東亜と出兵した祖父の詳しい話は長くなりすぎるので書きませんが
祖父はただの一度も日本の戦争を公定する事がなかったのが印象に強いです。

84 :名無し三等兵:2007/06/09(土) 20:06:28 ID:f33dMQtZ
たとえ空砲でも人に向けて発砲しちゃいけません
昔、訓練で64式の空砲で洗面器が木っ端みじんになってました。

85 :名無し三等兵:2007/06/09(土) 21:12:00 ID:???
>>84
まぁ、
構造上考えたら、ショットシェルの散弾&装薬を抜いた雷管だけのものでしょう

86 :名無し三等兵:2007/06/09(土) 22:48:28 ID:???
>>85
零距離ならば電話帳打ちぬけるぞ、空砲。
シェルのプラスチックが飛んだだけで大事になる。

87 :名無し三等兵:2007/06/10(日) 00:37:08 ID:q5XLkWg0
ポツダム憲兵少尉の孫はもう寝ます
お休みなさい

88 :名無し三等兵:2007/06/10(日) 00:42:42 ID:hmeJEFhH
昔、TVで観たディズニーの子供向け映画(実写)では、
畑を荒らす近所の悪ガキたちに、いつも老人が散弾銃をぶっ放して追い払うので、
心配した主人公の少年が「誰かが死ぬ前にやめて」とお願いしに行ったところ、
老人が、散弾の中身を岩塩の粒に変えてあると少年に種明かしをするシーンがあった。
少し離れて撃てば無害なのかもw


89 :名無し三等兵:2007/06/10(日) 00:49:05 ID:???
本土の工場で銀河作ってた。以上

90 :名無し三等兵:2007/06/10(日) 10:28:08 ID:???
>>89
詳しく、ドラマチックに語るんだ!!

91 :名無し三等兵:2007/06/10(日) 10:29:05 ID:???
>>87
終戦後の憲兵狩りの話を聞くんだ!!

92 :名無し三等兵:2007/06/10(日) 10:53:13 ID:???

>>91
憲兵狩りにあった話は聞いてない
終戦後短期間だけど小菅だか巣鴨だかに入っていたと

内地勤務だったのでさほど語る話は無いみたい
ネタが少なくごめん


93 :名無し三等兵:2007/06/10(日) 16:34:21 ID:???
俺の爺ちゃんは。特攻艇に乗っていたが出撃前に終戦を迎えた。
ある日、基地が米軍の空襲を受け、その後、海に沢山の魚が
浮いていたので何人かで取にいったのだが、そこへシコルスキーが
現れて機銃掃射を受けたそうだ。舟は木っ端微塵になったが爺さんは
海に飛び込んで助かった。本当に無事でよかったよ。それに魚とりにいって
死んだなんて・・・ちょっとな。
終戦直後の話だが、実家に帰る途中の列車で朝鮮人の集団がベルトで日本人を叩いていたそうな
MPが駆けつけて追い払われたそうだが、それが理由なのか爺さんは朝鮮嫌い。


94 :名無し三等兵:2007/06/10(日) 22:31:11 ID:???
>>75
芙蓉部隊か・・美濃部さんの部下とは。

95 :名無し三等兵:2007/06/11(月) 13:35:48 ID:???
>>75です。
今、ようやく葬儀が終わりました。斎場の予約が取れなかったばかりに、こんなに待たされる事になるとは・・・。
何と言いますか、祖父の発砲事件(笑)の顛末と、この間分かったことを最後に書かせてください。
発砲の経緯が、近所の悪ガキにデイジーと言う空気銃(?)で尻を撃たれた事が発端の様です。
で、歩き方がおかしい父(幼少)を問いただした結果、激怒して突入したそうです。
この頃の散弾銃の弾は毎回自分で詰め直した物で、火薬は減らして口はボール紙で蓋をした物でした。
それでも発砲炎が2メートル位出たそうですが、この時は玄関口から5m程向こうから名前を呼ばれて
出てきた悪ガキに向かって3発発砲したそうです。
「あの頃は大人も子供も手加減って物を分かってるから親父も狙いを外して撃ってたよw今の子供と一緒にするなw」
とは、父親の弁です。もしかしたら、ここに書くべきエピソードでは無かったかもしれません。ご免なさい。
で、ここからは皆様に教えて頂いた話しを父親に聞いてみました。
「芙蓉部隊」に祖父が所属していたのかどうかは結局分かりませんでした。
父にも余り当時の事は話さなかった様で分かったのは「○○ジョウヒ」と呼ばれていた事と
終戦までは九州に居たこと迄は分かりました。wikiの説明とは良く合っているように思います。
また、余談ですが祖母(故人)は藤枝の出身で訓練中に慰問に訪れた際に惚れ込んでケコーンしたそうです。
また、これも余談ですが私が子供の頃祖父と食後の散歩に出たときに
「ほれ見ろ今日は明星が綺麗だぞ〜アレに向かって飛んでいきゃぁ台湾まで行けるぞ〜♪」
等と言っていたのも今思えばそういう経験が有ったのかもしれないと今では思います。
以上、余談でした。祖父がどういう人であったか知ることが出来たのもひとえに皆様のお陰です。
本当に有り難うございました!

96 :名無し三等兵:2007/06/11(月) 14:15:15 ID:???
>>95
>「○○ジョウヒ」
「○○上飛」ですね。階級です。
ご冥福をお祈り致します。

97 :名無し三等兵:2007/06/11(月) 14:17:01 ID:???
>また、余談ですが祖母(故人)は藤枝の出身で訓練中に慰問に訪れた際に惚れ込んで
>ケコーンしたそうです。

藤枝にいたのは芙蓉部隊に間違いない。
美濃部少佐はキチンと後方基地を確保していた。
凄いね。

98 :22:2007/06/11(月) 19:37:06 ID:ckS/4jAu
駆逐艦初霜の戦友会の本を読んだ。

初霜は雪風よりも知名度は低いが、沖縄特攻作戦の時に唯一戦死者がゼロだった。
ちなみに雪風は3人。

大和が沈没する前、第一砲塔のしたあたりから水蒸気が盛んにたっていたらしい。
最後に艦首を上にして沈んでいるとき、初霜から見ると菊の紋章がひかって沈んで行ったらしい。



99 :名無し三等兵:2007/06/11(月) 19:53:52 ID:???
ガキのころ軍艦ばかり造ってた模型ヲタの俺としては全部組み立ててグレイで塗装して最後に船首に
ちょこんと必ず金で塗る菊の紋がなんともいえない美があったなー

100 :名無し三等兵:2007/06/11(月) 21:55:37 ID:???
無くなった祖父の知人でソ連抑留経験者のお話

・かなり西方に連れて行かれた。施設にはドイツの捕虜と入れ替わりに入った。
・陸軍の技術者だったので金槌などを作る技術系の収容所に入れられた。
・取り残されたドイツ軍の捕虜がまだ数人いて、彼らは靴の加工をしていた。
・ソ連式ではノルマ100%以上は絶対要求されないので速攻で仕事終わらせて勝手なもの作って町に持っていった。
・タバコ工場に行く時は外套のポケットの底を破っておいて、タバコの葉っぱを隠してザラザラーっとポケットに詰めて盗み出すw後に転売等に使った。
・冬場、空気がキラキラしていて綺麗だなーと思う現象があったが、帰国後に調べるとダイヤモンドダストだったw

まぁ総じて気楽な生活だったそうです・・・シベリアとは雲泥の差ですな


101 :名無し三等兵:2007/06/12(火) 02:18:53 ID:???
>>100
全般に製造系の技術がある者は特別扱いされたらしいですね。

> ダイヤモンドダスト
マイナス20度くらいでないと出ないんじゃなかったっけ。
それでも暖かいほう?!

102 :名無し三等兵:2007/06/12(火) 15:13:21 ID:???
たしかシベリアって、人間が人間が生活している所(観測基地は含まない)の、最低気温の世界記録保持地域で
たしか-73度くらいだったような、もっともシベリアっていってもずいぶんと広いから全部が全部-73度じゃないけどw

103 :名無し三等兵:2007/06/12(火) 19:11:52 ID:???
あまりイメージがないけど、夏はかなり気温が高かったみたいですお。
これとて地域によるだろうけど。

爺ちゃんの手記に書いてあったけど、日本人達は(暑い中での)作業の時
手拭いを腰にぶら下げるといった格好をしていたようなんだけど、
それを同じラーゲリに政治犯として収容されていたロシア人達が非常に軽蔑していたそうな。
君ら何故肉体労働者である事を誇示するのか、プライドはないのか、と。
ちょっと爺ちゃん驚いたみたい...



104 :名無し三等兵:2007/06/13(水) 02:37:53 ID:???
>>103
8〜9月のシベリア(イルクーツク周辺)に遺骨収集に行ったことがあるんですが、真夏は暑いよ。30度を平気で超えてた。
でも9月にはいると急激に寒くなる。

105 :名無し三等兵:2007/06/13(水) 10:44:33 ID:???
北海道みたいな所だな>シベリア

106 :名無し三等兵:2007/06/13(水) 20:36:09 ID:nu4b/uEq
戦争体験では無いが、終戦直後紀伊半島から上陸した最初のアメリカの兵は、黒人だったという。いつも行く喫茶店のお客さんが言っていた。













107 :沖縄:2007/06/14(木) 00:44:32 ID:???
終戦直後の事なのだが、小鍋に使おうと旧軍のヘルメットを探しに行った祖父が
(祖父は鉄兜と言っていた。旧軍のヘルメットは流線型で鍋に使いやすかったらしい。)
川でヘルメットを見つけて持ち上げて中を見たら、髪の毛がびっしりと張り付いていたらしい。
流石に気持ち悪くて捨ててしまったが、後々持って帰って供養するべきだったと思ったとか。

108 :名無し三等兵:2007/06/14(木) 01:52:23 ID:???
黒人が前線に出るようになったのはベトナムからだよね。
ってか上陸したのは補給とか設営とかそういう部隊か。降伏後だもんね。よくわからんけど

109 :名無し三等兵:2007/06/14(木) 02:06:00 ID:???
>>108
黒人で編成された米軍の第92歩兵師団「バッファローソルジャー」がイタリア戦線に出ていた。
しかし、士官が白人で士気が上がらず戦力も二流の評価。

正確に言うとWWTの時点でも黒人部隊は前線に出ているが、ドイツ軍の強襲を受けて
あっさりと後退してしまい、すぐに解隊されている。

WWU時は黒人は陸軍の補給部隊に多く配属されていたからそれじゃないか?

ちなみに当時の海兵隊は黒人が入隊できなかった。


110 :名無し三等兵:2007/06/14(木) 09:13:06 ID:???
>>107
そりゃたまげるわな、すぷらった、すぷらった

ところで旧陸軍ではヘルメットのことを「鉄帽」と呼んでいた
娑婆っ気が抜けてない新兵が「鉄兜」というと
「鉄兜」という物を見せてみろ!と、新兵イジメのネタにされたそうな



111 :名無し三等兵:2007/06/14(木) 09:28:31 ID:???
黒人部隊が半年かかっても突破できなかったのを
日系部隊が1日で突破したとか
まあ、差別され貧しい黒人達が白人のため命を懸けるなんて
馬鹿馬鹿しいと思うのはしかたないわな

でも2chのヒッキー・ニート・キモヲタが、日本社会から差別され軽蔑されているにもかかわらず
日本国万歳!なのは・・・w


112 :名無し三等兵:2007/06/14(木) 12:39:07 ID:???
>111
そこしかすがる所がないからじゃね。

中国が面倒みてくれるのならたちどころに中国ワンスェーと叫ぶだろ(w

113 :名無し三等兵:2007/06/14(木) 13:46:13 ID:???
中国だろうがアメリカだろうが、世話してくれる万歳じゃ乞食と変わらないだろうが……
俺はそこまで精神的に落ちぶれたくは無いな。

114 :名無し三等兵:2007/06/14(木) 13:57:37 ID:???
俺のばーさんは、進駐軍の黒人と付きあっていた女学校での知り合いの娘が
やたらPXの物資持ち込んで羨ましかったけど、その後に彼女が結婚してアメリカに
渡ったらすぐに逃げ出して戻ってきたと言ってた。
当然に浜松の田舎では村八分状態で、しばらくしてどこかに消えたそうだけど。

当時は白人と黒人での生活格差が酷く、おまけに黒人社会でも黄色人種は
バカにされたそうで。



115 :名無し三等兵:2007/06/14(木) 20:07:21 ID:???
>>114
そんな事を書き込むと某コピペが貼られそうな悪寒。
まぁ、実話は実話でそれ以上でも以下でも無いけど、この場合、村八分の理由がヨコシマな様な気がしないでも無い。

116 :名無し三等兵:2007/06/15(金) 03:22:47 ID:???
>>111
黒人だって自分たちの地位向上のため、立派に戦って
認めてもらおうとたくさん志願したんだよ。

もちろん国全体が戦争に協力しようで盛り上がってたから、
自分もお国の役に立ちたいと思った若い黒人もいっぱいいたし。

でも行ってみたら食事係とか単純作業の後方支援で
やっぱり奴隷みたいな扱いで、ショックを受けたと。

そういう経験が60年代の民権運動になるわけで。

117 :名無し三等兵:2007/06/15(金) 06:50:42 ID:on376Wp7
ウチの爺さんは台湾で通信兵をしておりました。もともと体が弱く歩兵に慣れなかったと言っていました。体弱いのに今だに生きています。本当は元気・・・なんじゃ・・・。モールス信号を今でも教えてくれます。ちなみに81歳です

118 :名無し三等兵:2007/06/15(金) 14:27:35 ID:???
物故した祖父は、医大を卒業したらすぐに陸軍にとられた。半年ほど衛生曹長やったら軍醫少尉任官。

大陸にいたとき、連隊軍醫長だったころ、大休止のち朝食、行軍用意の号令がでた。みんな飯盒飯たいて食べた。
軍醫長は司令部に所属、馬もあるので馬の鞍準備していたら、

「軍醫長どのっ、第×中隊◎◎小隊が全員ひどいゲリしておりますっ」
現場に行ったら本当にゲリしている。
「なに食った?」
「飯盒飯と乾燥味噌をお湯で溶いて、近所の農家から菜っ葉もらって煮たものでありますッ」
「??」

とにかく応急手当して、原因を調べた。場合によっては連隊全員が病気になる可能性もでたので司令部ガクブル

飯も乾燥味噌にも問題ない。菜っ葉は煮込んであるし… それでもと思い、菜っ葉くれた農家を見に行ったら、

菜っ葉、とはタバコの葉っぱでしたとさ。そりゃゲリにもなる。司令部はホッとしたが、その日の行軍はとりやめ。

119 :名無し三等兵:2007/06/15(金) 17:29:20 ID:ghF+NRPU
父方の祖父は5,6人いた兄弟の末っ子だったそうで戦場に行ったことは無い
そうだが、一番上の兄が海軍に入り南西諸島方面で戦死したらしい。祖父の言う
には遺骨は無く戦死したのが昭和20年6月12日であるということ以外何も
わからないらしい。ちなみに祖父はその頃は天草に住んでおり、長崎の原爆の
キノコ雲を見たそうで、何故かはわからないが周りの大人たちがあの中には毒
ガスが入っているのでは、と騒ぎ出しその日は防空壕に隠れていたそうな。

120 :名無し三等兵:2007/06/15(金) 22:30:03 ID:???
うちの祖父は自分が産まれる前に亡くなったので祖母から聞いた話になります
農家の長男だったが戦局が悪化したので赤紙徴集され
横浜か横須賀から台湾へ転属になり最後はフィリピンで終戦を迎えたそうです
祖母は仙台空襲も間一髪で助かったと言ってます
なんでも仙台まで米を運び、運び先の人に帰りは夜中になるから泊まって行けと言われたが
子供を待たせているからと断り帰宅途中の山の辺りから空襲されてる仙台を見たそうです


121 :名無し三等兵:2007/06/16(土) 09:42:53 ID:???
フィリピンの山岳地帯に住んでいたという、人喰い人種に喰われないで済んだんだ、良かったね

122 :名無し三等兵:2007/06/16(土) 10:01:10 ID:???
フィリピンで終戦か・・。地獄を見てこられたと思われ・・。
フィリピンは本当に悲惨だったらしいからな・・。

123 :名無し三等兵:2007/06/16(土) 10:03:06 ID:???
ニューギニアでも黒い人食い人種と黄色い人食い人種が居ましたが何か?

124 :名無し三等兵:2007/06/16(土) 15:05:38 ID:???
フィリピンといえば・・・アキノ元大統領の娘はけっこう美人だったけど、どうなったやら

125 :名無し三等兵:2007/06/16(土) 16:36:48 ID:???
120です
人食いって本当にいたんですか?
祖母の話を追加します
各家々で密造酒を作るのが禁じられていたそうですが密かに作っていたそうです
ある日憲兵が家々を調べに来たのでみんな一斉に隠したそうです
隠す場所は家々で異なり、うちでは飼い馬に水をやる桶に隠したそうです
無事憲兵が帰り酒を移動しようとしたら馬が酒を全部飲んでしまい酔っぱらってしまったそうです。

126 :名無し三等兵:2007/06/16(土) 18:40:50 ID:???
憲兵隊の馬が酔っ払ったんじゃなくてよかったよ。(爆

127 :名無し三等兵:2007/06/16(土) 21:25:19 ID:???
人喰いっつったら近隣に世界有数の国があるじゃないの。

128 :名無し三等兵:2007/06/16(土) 21:31:49 ID:???
他には田舎なので特に食糧には困らなかったそうです
戦後は闇市に食糧を流してたと言ってました
戦後に隣家に引越して来た家のお祖父さんは横須賀所属の軍艦の館長をしていたそうです
自分はこちらのお祖父さんに本当の孫のように可愛がられていました
今は亡くなられてしまいましたが自分が幼い頃に
よく膝の上でミルククッキーを、カンパン食えと言って食べさせられました
艦が沈没した時に片目を失ったそうです
自分の記憶では終戦の年に艦が沈み、軍刀を回収される位ならと自分で折ったと聞いてます
後輩に招待されたと横須賀?の観艦式?に自分も連れられて行った記憶もあるのですが
残念ながらハッキリ覚えてません、他には昭和天皇がTVに映ると敬礼してたのを覚えてます。

129 :名無し三等兵:2007/06/17(日) 02:50:15 ID:FTitjVV8
以前、関西の朝日放送の深夜番組で、太平洋戦争の記録フィルムを三ヶ月くらい放送していたと記憶しているが、千葉の海岸で砂浜の人を銃撃していたり、湾内に潜水艦が入り込んで浮上して砲撃していたりとか写されていた。
もう一度再放送されないかなぁとおもう。

あと、鳥飼行博研究室って言うホームページは色々詳しく載っているね。
すれ違いでごめんなさい。


130 :右翼撲滅隊:2007/06/17(日) 04:52:53 ID:???
111 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2007/06/14(木) 09:28:31 ID:???
黒人部隊が半年かかっても突破できなかったのを
日系部隊が1日で突破したとか
まあ、差別され貧しい黒人達が白人のため命を懸けるなんて
馬鹿馬鹿しいと思うのはしかたないわな

でも2chのヒッキー・ニート・キモヲタが、日本社会から差別され軽蔑されているにもかかわらず
日本国万歳!なのは・・・w

112 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2007/06/14(木) 12:39:07 ID:???
>111
そこしかすがる所がないからじゃね。

中国が面倒みてくれるのならたちどころに中国ワンスェーと叫ぶだろ(w

wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

131 :名無し三等兵:2007/06/17(日) 05:01:26 ID:???
父方の祖母の親戚の人が、菊水作戦時の戦艦大和に乗っていた。階級は大尉。
有賀艦長の最後の姿を見た人物の一人らしい。
脱出を勧めたが「俺はここに残る!」と逃げることを頑なに拒んだんだそうな。
大和沈没後は何時間も海上を漂った末に救出されたとか。

132 :名無し三等兵:2007/06/17(日) 05:07:59 ID:???
あ、親戚の人のことね<何時間も漂って救出
ちなみに戦犯として捕まるのを恐れて、終戦後はしばらく隠れて暮らしてたらしい。
実際には洋上勤務の大尉くらいで捕まるわけはないのだが、当時は現実味があったそうな。

133 :名無し三等兵:2007/06/17(日) 06:15:18 ID:???
うちの爺ちゃんの弟も大尉で大和の艦橋勤務だった。
残念ながら大和と運命を共にしてしまったけど。
友達だったかもしれないね・・。

134 :名無し三等兵:2007/06/17(日) 10:20:02 ID:???
戦後の連合軍専用列車の話もかなりヒドかったらしく
田舎の単線で、駅で入れ替え作業中に、専用列車のアメリカ兵が大挙して
集団で乗り込んできて、「略奪行為」で、スゴイ状態になったが、
全然お手上げ状態で、アメリカ兵にモノ獲られたり
女性のレイプも日常茶飯事
田舎の無人駅のような駅にもチビクロサンボのような黒人兵が銃を持って警戒
連合軍専用列車には、所謂「パンパン」とか云う日本人の売春婦も多数乗って
たいがいの日本人の女性がまだモンペだったが、ド派手な格好の「お水系」
とにかく専用列車の運行が、優先だったから、戦後の反米の労働組合で
鉄道関係の労組が凄かったのもその反動らしい

135 :名無し三等兵:2007/06/17(日) 10:34:35 ID:???
鉄道に関しては戦争中は24時間運行して輸送能力の限界まで運用していた関係で
徴兵のがれを含めて国鉄の人員が異常に多かった。
戦後はそれに旧満鉄の社員を引き取ったんだから、現場は余剰人員で大変。
仕事の無い暇人は当然に首が危ないので労働運動にのめり込んだから、当時の鉄道の
労組は最大最強だったと戦争中は国鉄で駅員やっていた俺のじーさんが言ってた。


136 :名無し三等兵:2007/06/17(日) 12:12:17 ID:???
俺の父方の祖父は、兵士としてビルマ方面に行ってたそうだ。ただ、戦争の話は2回しかしなかったらしい。
それも、家に元戦友が遊びに来て、その元戦友が祖父に対して言った話を、周囲が聞いていたという形式。
祖父がビルマ方面で何をしていたのかと言うと、「『戦場に架ける橋』みたいな事」だそうだ。

で、2回だけした話というのが
「寝て朝起きたら、隣の戦友が虎に食われて死んでいた」
「終戦になって英軍の捕虜になったら、捕虜の日本兵数百人が横一列に並ばされ、列の前を英軍将校が
部下その他を引き連れて歩いた。そして、たまに立ち止まったかと思えば、列から日本兵が引き出され、
射殺された」

特に勇ましい話は何も無かったようだ。

母方の祖父は、年齢の関係かどうか徴兵されなかった。樺太で家族と住み、事務系の仕事をしていたそうだ。
戦前にしては結構、裕福な生活だったらしい。だが、終戦になって本土に引き揚げることになった。その時、
5人の子供のうち、息子と娘の2人を病気(栄養失調だか何だか)で亡くした。戦後の騒乱で満足に葬式も挙げ
られず、埋めるのがやっとだったらしい。
俺の母の兄弟2人は、今も樺太の土の中で眠っている。

このスレで、祖父や親戚が大和勤務だったり情報将校として活躍した…なんて方の話を見ると、少しだけ羨
ましくなる事もある。けれど、一方で激戦地に行って骨すら帰ってこなかったって方も居る。
だから、生きて帰ってきただけ俺の祖父達は恵まれてたんだ、って考えてる。

137 :133:2007/06/17(日) 12:42:28 ID:???
>>136 本当にそうだと思う。オレも大和の話を直接聞きたかったけど、
死んでしまったのでは聞く事すらできないもんな。
うちの爺ちゃんは自信過剰で頑固な人だったけど「なんで自分が生きていて
出来の良かった弟が死んだんだ」と口癖のように言ってたよ・・。


138 :名無し三等兵:2007/06/17(日) 14:29:29 ID:???
>>93
>>そこへシコルスキーが

なんか怖いwwww

139 :名無し三等兵:2007/06/17(日) 14:33:39 ID:???
>>137
たぶん、出来が悪かったんじゃないかと思われ

140 :名無し三等兵:2007/06/17(日) 16:14:21 ID:???
おれのじいさんは住んでいたカラフトで兵隊には行かず終戦。
戦後乗り込んできたソ連兵により収容所へ。荷役みたいな労働を
させられていた。ある日ばあさんと赤ん坊だった親父の様子見と
薪集めの為に収容所を夜こっそり抜け出してきた。
夜中中かかって薪を集めて一服し、世が明ける前に収容所に
戻ろうとした時に村長が来家。「○○いるか。居てもいいけど隠れろよ。」
と、同行してきたソ連兵にわからぬよう、そっとドアごしに
教えてくれたらしい。ばあさんが対応してる間に真冬の早朝
極寒の中、井戸の中に隠れてやり過ごしたと言っていた。
で、その時はバレなかったけど、同じ収容所にいる仲間に
迷惑がかかるのではと、結局その日の昼に自首。
赤子を抱えた女だけでは、冬の燃料集めは無理だ。
近所中で助け合おうにも、男手は皆此処に集められている。
と言った事を切々と、尋問にあたったソ連人に訴えたと言っていた。
結果特に懲罰を受ける事もなく、2年後に無事引き上げてこれた。

自身も己の事より家族や仲間の事を考えて行動したのに
ソ連兵にバレる危険性をかえりみず、危機を伝えてくれた村長に
終生感謝の意をあらわしていたよ。

141 :名無し三等兵:2007/06/17(日) 17:27:12 ID:???
戦時中の話じゃないけど以前某軍港での出来事
宴会が終わったあと、家に帰る前に少し頭を冷まそうと公園で休んでたら七〜八十歳位のお婆ちゃんが話し掛けてきた。
時間は十時前位、今は法律が厳しくなって無くなったけど戦時中は赤線地帯として栄えた場所。
エッチな店は無くなったけど所謂‘たちんぼ’や‘呼び込み’の類はいると聞いていた。
普段は相手にしないことにしてるんだけど、話題のネタにとお婆ちゃんの話を聞いてみた。
最初はお婆ちゃんは呼び込みで、別に若い女の子がいるんだと思っていたら
「じゃあそこのホテルに入ろうか〜w」と普通に言われ、俺が焦りながら「若い娘いるんだよね?」と念を押すと
「私が相手をするんだよ〜w」って笑顔で答えられた orz
さすがに無理!
必死で断る俺、
「お兄ちゃん自衛隊さんやろ〜?昔から兵隊さんの相手しとるけん大丈夫よ〜w」とお婆ちゃん
いや、確かに海自だけど無理!兵隊さんの相手してたっていったい幾つですか〜!
ダッシュで逃げましたともw
なんとも言えない微妙な経験でしたorz

142 :名無し三等兵:2007/06/17(日) 22:00:41 ID:???
>>141
山口県のI市あたりだったら、俺も偉い目にあったことがある・・・
店に入ったら、「今日は誰それがいない。」「いたらよかったのに」と
齢60くらいの婆さんが出てきた。一応呼び込みとは別だったが。

143 :137:2007/06/17(日) 22:29:09 ID:???
>>139 じいさん本人もそういってたよ。(苦笑


144 :名無し三等兵:2007/06/18(月) 01:55:49 ID:???
長崎で被爆

145 :名無し三等兵:2007/06/18(月) 12:09:28 ID:???
父方のじい様はまだ徴兵される年齢じゃなかったが、勤労動員され工場で戦闘機(ゼロ戦か?)の尾部を作っていた
工場の技師の命令で系列の工場に使いにいったら、その工場がB-29の空襲に会った
なにしろ初めての場所なので、どこに防空壕があるかも分からず途方にくれていたとき
親切な人が防空壕の中から飛び出してきて、防空壕に引っ張り込んでくれたので助かったそうだ
しかもじい様の逃げ込んだ防空壕はどうにか無事だったが、となりに作られていた防空壕は爆弾の直撃で
中にいた工員達は全滅してしまったとか、人の生き死には何で決まるか分からないといってたよ

146 :名無し三等兵:2007/06/18(月) 20:34:30 ID:vYPKgS9o
うちの爺さんは今年88歳なんだが、まだまだ元気。
酒を飲むといつも戦争の話をするんだけど、中国で捕虜を30人は斬ったとか
他の兵が根性が無いから、自分が率先して処刑担当をしていたらしい。

その後、南方へ飛ばされたらしくて、南方では相当飢餓に苦しんだらしい。
そして、部隊が飢餓で全滅する位なら原住民を食おうという話になり
部落へ行ってある一家を捕まえてきたらしい。
そこの子供が片言の日本語で『ヘイタイサンユルシテ』と言っていたのを
流石の祖父も不憫に思ったらしく、子供と母親は開放してあげて
老人と父親を部隊の皆で涙を流して食べたらしい。

147 :名無し三等兵:2007/06/18(月) 20:38:51 ID:???
>>146
なんていうか、日本人は犯罪者なんだなと思うね。朝日新聞を取ることにした。

148 :名無し三等兵:2007/06/18(月) 20:44:58 ID:???
進駐軍が居る間は静かに暮らし 占領期間が過ぎると戦時中の武勇伝を始める小日本人
恥ずかしい民族. とても民度が低くて

149 :名無し三等兵:2007/06/18(月) 20:50:20 ID:???
>761 :名無し三等兵 :2006/09/28(木) 16:56:26 ID:0b58l3Xj
>うちの爺さんは、中国で人を殺しまくったって言ってたな。
>三光作戦って言って、焼きつくす、殺しつくす、盗みつくす。とかやってたみたい。
>中国は寒い場所で、村狩りをして住居を燃やして暖をとるのが一番の楽しみだったとか。
>女性の腟に酒の瓶突っ込んだとか笑いながら言ってた、変なジジイだった。

たくさんのお爺さん達が戦時中のことを話してくださいました。日本人民は真摯に歴史と向かい合わねばなりません

150 :名無し三等兵:2007/06/18(月) 21:06:35 ID:???
そうだな。
こういう戦争犯罪者の爺は戦争犯罪には
時効がないのだから、今からでも裁判をやって処刑すべきだね。
その子孫も同罪として財産没収、処刑すべきだね。
事後法でもいいだろ、韓国を見習うのはいいことだろ。
そのためにも必要なので、何時どこでどういう所属のだれが
犯した犯罪で、被害者は誰かなどをはっきり書いたらどうだろう。

151 :名無し三等兵:2007/06/18(月) 21:09:49 ID:???
>>149
何か見た事あるなと思ったら、俺が書いた文じゃんw

152 :名無し三等兵:2007/06/18(月) 21:12:54 ID:???
>>149
まあ、日本人だからな

153 :名無し三等兵:2007/06/18(月) 21:19:30 ID:???
日本人の民度の低さが判ります.全員死ねばいいのに.

154 :名無し三等兵:2007/06/18(月) 21:20:31 ID:???
>>151
なんだ、戦犯糞爺の子孫か、賠償として全財産を中国に
寄付し、謝罪をしろ。人間ズラして書き込みなんかするな。
汚らわしい。
俺は戦犯の子孫だと首から看板をつるして歩け。
ついでに首も吊れ。 

155 :名無し三等兵:2007/06/18(月) 21:38:21 ID:???
151さんを責めても中日友好に意味はありません。
偉大なる毛沢東主席はおっしゃいました。
「一部の軍国主義者の過ちを日本人民に被せてはならない」
すべての日本人民は永遠に中国への大恩を忘れてはいけません。

156 :名無し三等兵:2007/06/18(月) 21:48:08 ID:???
処刑法は民度の高い中国をみならって
公開の凌遅刑で一寸刻みにするか、
よってたかって石で打って、骨だけ残すようにして、
肉は薬として売ればいいんじゃないか。

>>155
153 は
>日本人の民度の低さが判ります.全員死ねばいいのに.
って日本人民を対象ににしているだろ。それが正解だろ。
民度という言葉を使うのは悪いのは軍国主義者だけじゃない証拠だよ。
きれい事は間違い。戦犯は民度の高い中国人民を
見習って上の方法で子孫もろとも処刑すべきだ。

157 :名無し三等兵:2007/06/18(月) 21:49:40 ID:???
なに 熱くなってんのw

158 :名無し三等兵:2007/06/18(月) 21:52:38 ID:???
つったのか
つられたのかな?w

159 :名無し三等兵:2007/06/18(月) 22:11:25 ID:Mb+detq2
じいさん東大法学部出身だったんだけど憲兵かな?
高校とか大学の同級生はみんな死んだみたいだ…
帝大生大量に殺されてよく日本復興できたな…


160 :名無し三等兵:2007/06/18(月) 22:21:25 ID:???
ここに書いてあるような話や、いい話ってのは生きてるから語られるんだよね。
すなわち楽な戦場な訳。

>>146>>149みたいな話があまり語られないのは
過酷な戦場で本人が戦死してるからなんだよね。

日本軍のそういう話は腐る程あると思うよ。
南方の原地人は日本兵を見ると乳飲み子ですら恐怖で泣き出したと言うしね。

流れついた島で丸腰の日本兵が原地人に全員殺されたって話もあるけど
それは裏を見れば、そういう理由があるんだよね。

161 :名無し三等兵:2007/06/18(月) 22:47:42 ID:???
食料が尽きて人を喰ったとか、捕虜を片っ端から殺したとか
そんな話は古今東西歴史をほじくればいくらでも出てくる
別に日本人だけが特別じゃない、人類なんてそんな程度の生物だ
もちろん、そんなことで蛮行のいいわけにもならんことは重々承知だが

戦時中の蛮行を持ち出して、日本人だけを「悪魔の民」に仕立て上げたがるヤシは
ネットウヨと同じくらいのクズだなw


162 :名無し三等兵:2007/06/18(月) 22:59:16 ID:???
>>161
近代の話ですが。

163 :名無し三等兵:2007/06/18(月) 23:29:28 ID:???
現在進行形でピグミー族は食われてたりしてるのよ。

164 :名無し三等兵:2007/06/18(月) 23:37:37 ID:???
補給なき軍隊だしなw
現地の兵隊さんには責任はないんジャマイカ

165 :名無し三等兵:2007/06/19(火) 00:04:05 ID:???
>>160
>過酷な戦場で本人が戦死

>>149の話は本人には過酷な戦場とも思えんが

166 :名無し三等兵:2007/06/19(火) 00:13:41 ID:???
戦後すぐに連続強姦殺人犯がカミングアウトしているんだよね。
日中国交回復前は押し売りだかヤクザだかの凄みの文句に「俺は中国大陸で何人も...」ってのが
多かったと俺の母親(70過ぎ)が言っていたが。

ttp://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/kodaira.htm

167 :名無し三等兵:2007/06/19(火) 00:19:37 ID:???
日本人がDQN民族である証左

168 :名無し三等兵:2007/06/19(火) 00:52:37 ID:???
人間
どういう調理をしたのかな?
まさか生のまま丸かぶり?

169 :名無し三等兵:2007/06/19(火) 00:56:34 ID:???
日本人だから生で食べたに決まってるだろう。

170 :名無し三等兵:2007/06/19(火) 01:21:57 ID:???
カニバリズムは中国が本場

171 :名無し三等兵:2007/06/19(火) 02:19:26 ID:???
で、釣れますか?
見たところ、ボウズのようですが。

172 :名無し三等兵:2007/06/19(火) 02:43:52 ID:???
かなり前にアンデス山中に墜落した旅客機の乗客が
事故死した人の肉で生き延びた事件があって、マスコミから非難轟々だったけど、
戦争の場合は、その上に敵襲があるからな・・。
複雑な心境だが、彼らを責める気が起きないよ・・。

173 :名無し三等兵:2007/06/19(火) 05:27:48 ID:???
頭の悪い釣りだな…。

174 :名無し三等兵:2007/06/19(火) 08:46:56 ID:???
敵食えば、鐘が鳴るなり、法隆寺。

175 :名無し三等兵:2007/06/19(火) 08:57:10 ID:???
>>168
日本・・・干し肉にしてちびりちびりと、某参謀は肝臓をソティーにして・・・
中国・・・@巨大な臼で挽いて肉団子
     Aスープ
     B蒸し焼き
     C燻製・塩漬け・塩辛・干し肉
     D生きのいいところをその場で切り取ってぱくぱくと・・・

さすが中国様のカニバリズムは「きれいな」カニバリズムでしょ、サヨ諸君

176 :名無し三等兵:2007/06/19(火) 09:31:46 ID:???
うちのひいじいさんは次男だったが
分家して長男になって日清戦争を逃れた。

父の姉は、終戦直後の疎開先でホッカホカにふかしたジャガイモを食べた際に
めったにないご馳走を目の当たりにしたせいか、のどに詰まらせてしまった。
当地の医者は軍に徴兵されていたので、周辺に医療の心得があるものはおらず、
叔母は一週間ほど苦しみぬいた挙句死んだ。
涙と鼻水を流しながら、昼も夜も狭い気道をヒューヒュー鳴らしてもがきつつ死んだ。
父はあまりにも苦しそうな様子を見て、よほど楽にしてやろうか、とさえ思ったそうだ。
15年ほど前に、酒が入ったときに一回だけ話してくれた。
父が泣いたのを見たのは後にも先にもそれだけしかない。

177 :名無し三等兵:2007/06/19(火) 09:44:32 ID:???
戦争は勝っても負けても、一般市民がツケを払うんだよな・。
銃後の工場で亡くなった方も多いよ・・・。
敗戦ショックで、こういう、一般市民の話が語りつがれないのが悲しい。

178 :名無し三等兵:2007/06/19(火) 10:08:42 ID:???
俺のオヤジは昭和20年に徴兵された18歳の陸軍二等兵。
劣悪な兵舎に山ほどの人数と共に閉じ込められ、不潔な環境ですぐに疫痢にかかって死にかけた。
当時の治療は絶食が主で、基から体力の無かった戦友は垂れ流し状態ですぐに死んでしまったとも。
当時は病兵が病兵を看護する有様で、若かったオヤジにはこれはかなり衝撃的な出来事だったらしい。
部隊は銃も砲も無く、古参兵も教育を投げた状態で新兵だけが右往左往している間に終戦。

ちなみに別にオヤジは左翼では無いが、戦争に関して面白半分の発言をすると、
「お前みたいな体力の無い奴はなんか軍隊入ったらすぐに死んでしまう」
と怒られた。
また、軍隊生活の話を聞くと「銃すら無く、敵からはやられるばかりで、こちらは何も良い事は無かった」と言って
悔しがっていた。

こんなオヤジの話を聞くとこのスレのじーさん達は死線くぐっても敵と戦えただけマシだった気がする。

179 :藤村:2007/06/19(火) 10:34:09 ID:???
頭の悪い釣りしてますね

180 :名無し三等兵:2007/06/19(火) 10:41:23 ID:???
昭和20年の貼り付け師団に居た兵隊の実体はこんなもん。

181 :名無し三等兵:2007/06/19(火) 10:54:51 ID:???
スレの空気がちょっと沈滞気味なので景気の良い話を。。。。

俺のじーさんは中国大陸でチンピラころつき相手に連戦連勝。
住民達にも妊婦のお腹を銃剣で裂いて子供を取り出してあげたり
美人のクーニャンを輪姦して少子化対策に貢献したり、土下座して
許しを乞う老婆を射殺して老人問題も解決してきた。

そんなやんちゃなじーさんももう90歳。久しぶりにじーさんの所に行って
クーニャンを輪姦した時の話でも真面目に聞いてみたいと思う。



182 :名無し三等兵:2007/06/19(火) 11:44:44 ID:???
>>181
郷土料理のホンタク(エイの人糞漬け)はおいしいですか?

183 :名無し三等兵:2007/06/19(火) 11:46:36 ID:???
また朝鮮人軍属シリーズか、ほんと進歩がねーな

184 :名無し三等兵:2007/06/19(火) 12:50:15 ID:???
>このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
>【一般】予備自衛官補のお部屋パート16【技能】 [自衛隊]
>アラブ諸国は本当に親日か? [イスラム情勢]
>構造改革を知らない経済学者たち by 池田信夫 3 [経済]
>★  日本こそ   地上の楽園   ★17 [ハングル]
>Wiiは玩具の皮を被ったSTB 10 [ハード・業界]

185 :名無し三等兵:2007/06/19(火) 14:55:30 ID:???
>>135
なんかすげー勉強になった。

186 :名無し三等兵:2007/06/20(水) 07:19:44 ID:???
ここが自分のじい様を貶めて喜ぶ者たちのスレですか?

187 :名無し三等兵:2007/06/20(水) 12:11:12 ID:???
小日本人は全て戦争犯罪者

188 :名無し三等兵:2007/06/20(水) 12:26:47 ID:???
>>187
怪電波キャーーーーーッチ!!

189 :名無し三等兵:2007/06/20(水) 16:31:44 ID:0o+Ef3Ra
あのー!すみませんが此処は糞chonと糞chunが来るとこでは有りません!

190 :名無し三等兵:2007/06/20(水) 19:32:49 ID:???
俺の死んだ爺ちゃんは、
チャンコロの陣地に突撃して、恐怖で逃げ回る中国兵達を軍刀でぶった切った話を、武勇伝として色んな人に話してたよ


そんな祖父を、家族や近所の人達もみんな尊敬してた

191 :名無し三等兵:2007/06/20(水) 19:43:23 ID:???
朝鮮人は自らの嘘に酔う。

192 :名無し三等兵:2007/06/20(水) 21:33:09 ID:???
荒れてるなぁ…。

こうなっちゃうかも、って思ったんで>>136ではしなかったんだけど、俺の父の話をします。
戦地ではなく、銃後の話だから飛ばして頂いても構いません。

俺の父が育ったのは、炭鉱町です。当時の田舎だけに、父が育った家もそうだったんだけ
ど、周囲の家も全部貧乏。だから、子供も働いて家計を助けてました。
そんな戦中のある日。炭鉱で働いていた中国人が集団脱走しました。当時の一般家庭は、
働き盛りの男達は全員兵隊に出ており、家には老人や女子供だけ。
脱走した中国人は、そうした家々を襲撃し、女子供を片っ端から殺したそうです。

当時、まだ小学生だった父ですが、長男ということもあり、中国人が襲って来たら自分が死
ぬ事になっても戦ってやろう、と覚悟決めていたそうです。
結局、父の家は襲撃されずに脱走した中国人は捕まりました。

戦後数十年経って、その脱走事件が表に出た事がありました。ですが、残酷な日本、可哀
相な中国、といった感じの書き方一辺倒で、襲撃されて殺された女子供の事は一切出てい
ませんでした。
父は大変怒り、その事件を扱った会社へ電話を掛けて「俺は、その時その場所に居た人間
だ、お前等知った風な事抜かすな!俺の知り合いが何人も殺されたんだぞ!」と言ってい
ました。

どちらが良い、悪いと言うつもりはありjません。ですが、どちらかに偏らず「ありのままを伝
える」のは最も重要な事ではないか、と思う訳です。

ところで、上の方で進駐軍の横暴が書かれていますが、私の父が住む街へ来た進駐軍は
結構礼儀正しかったそうで、女子供にも優しかったそうです。
「鬼のような米兵がやって来る」と言われて、必死こいて空手の練習をしていた父は、拍子
抜けした、との事。
最後には、東洋の武術に惹かれたアメリカ兵達が、柔道や空手を習っていたそうです。



193 :136:2007/06/20(水) 21:34:39 ID:???
>>192は、私の書き込みです。
名前入れるのを忘れてしまいました…。

194 :名無し三等兵:2007/06/20(水) 21:49:09 ID:???
なんか、真面目な人だな・・。

自分は学生時代の北海道旅行で石北線の長大トンネルを通った時に
地元の人から本当にひどい話を聞いたよ。日本人も半島人も関係ない罠。
今では普通列車が1日に2便しか通らない線路だよ。


195 :名無し三等兵:2007/06/21(木) 01:49:34 ID:obJ1tMA1
レイテ戦記とか、野火とか読んでいると、勇ましい話と言うよりも戦地での"人"が描かれいてる。

196 :名無し三等兵:2007/06/21(木) 03:03:34 ID:???
戦地の沙汰も人次第か…

197 :名無し三等兵:2007/06/21(木) 04:43:36 ID:???
いい加減、手間をかけさせるな。

198 :名無し三等兵:2007/06/21(木) 07:18:48 ID:???
何か頭が沸いている臭いチョンと臭いゴミクズチャンコロが居るなw

199 :名無し三等兵:2007/06/21(木) 07:36:56 ID:???
自分達の食料もろくに無い時代に、近くの鉱山に働きに来ていた朝鮮半島の人達に、
畑で採れた作物と、味噌をこっそり分けてあげていた祖母は、まさにネ申だと思った。

200 :名無し三等兵:2007/06/21(木) 10:43:58 ID:???
嫁の祖父は、指物師の技術を買われて、新明和(当時は川西だよね)で、
大勢の部下を従えて木の飛行機を作ってたんだと。
残念ながら、嫁が小学校に上がる前に亡くなっているので、嫁の両親からの
又聞きなんだがね。
で、川西の木製機ってなんでしょ?
ちょっとググって見たんだけど、良くわからんのよ。

201 :名無し三等兵:2007/06/21(木) 12:43:43 ID:???
今でも飛行機製作のための治具に木型を使う事が多いな。
モックアップ(試作用実物大模型)も木を多用するし。
たぶん、安価に微調整の必要な型が作れることや、
廃棄する場合に処理が簡単なのが原因と思われ。
MCナイロンなんか使ったらコストは20倍以上になるしね。

202 :名無し三等兵:2007/06/21(木) 14:39:08 ID:???
>>200
晴空(二式大艇の輸送型)を木製にする計画(蒼空)があったから、それなのでは?

203 :名無し三等兵:2007/06/21(木) 20:16:45 ID:???
>>200
川西のが何かは知らないけど、将来的なアルミの不足を見越して、どこでもかなり早くから木製化を
「研究させられ」ていて、中島で疾風の試作機がようやく飛び始めた18年に、既に立川飛行機に
木製のものの試作の指示が出ていて、1年ほどで練習機としての試作機が飛ぶに到っていたそうです。

>>201
ひたすら材料不足対策。

>>202
やはり飛行艇でしょうね。

204 :名無し三等兵:2007/06/22(金) 03:06:31 ID:???
友人の爺さんにリア消の頃聴いた話。
米軍機がよく飛来してきていたのに団地(高台になっていて当時は高射砲陣地だったらしい)
の高射砲が一発も撃たずにいた事が歯痒かったって言ってた。
弾薬不足だったのだろうか。それとも戦術的な意図があったのだろうか。

205 :名無し三等兵:2007/06/22(金) 21:31:00 ID:???
零戦のエースパイロット(単独撃墜8機)だった爺様から、
本屋で「今、会いにいきます」と「そのときは彼によろしく」を買ってこいと電話で言われた。
一体何が起こってるんだ…

206 :名無し三等兵:2007/06/22(金) 21:39:27 ID:1WovEFT7
俺の爺さんは特攻隊に志願したけど身長制限で落とされた

そのおかげで今俺はここで生きてる

207 :名無し三等兵:2007/06/22(金) 22:36:46 ID:???
俺の爺さんは水兵だった。八幡丸という日本郵船の船を改造した雲鷹(うんよう)という航空母艦に載っていた。
雲鷹は航空母艦といっても元が客船だから大して艦載機も積めず、速度も遅かったせいで輸送や護衛任務に
使われていたらしい。昭和19年の初めに米の潜水艦にやられたが、その時は何とか持ちこたえて爺さんは
命拾いした。そのあと雲鷹は横須賀に帰港、修理して再び任務についてたんだが、19年も終わらないうちにまた
潜水艦の攻撃を食らって今度は撃沈された。その時に助かった人の話だと、海に飛び込んでから他の船に
拾い上げてもらうまでに6時間も7時間もかかったらしい。俺の爺さんはそこまで体力が持たなかったのか、
それとも攻撃を受けたときには既に生きてはいなかったのか。今となってはもう分からない話だ。家には一応
爺さんの墓石はあるが、家族はみんな爺さんの本当の墓は東シナ海のどこか海の底にあると思っている。


208 :名無し三等兵:2007/06/22(金) 22:54:46 ID:???
訂正、東シナじゃなくて南シナ海だ

209 :名無し三等兵:2007/06/22(金) 23:53:28 ID:???
じいちゃんの戦争手記に、『小笠原兵団長が変更された様である』ってあった。最近流行った映画の閣下だわ。まさしくあの時代を生きていたんだなぁ…


210 :司令長官:2007/06/23(土) 00:05:08 ID:???
俺のじいちゃんはB−29を撃墜しようとする陸軍戦闘機の高度がなかなか上がらずにいて
その戦闘機がB−29に向け撃った弾とB−29が撃った弾のミックスがじいちゃんの周り
に落ちてきたそうだ。結局B−29は宮崎の都城に墜落したそうです。
ついでに宮崎の高原町に来ていた
大阪の陸軍を知っている人はいますか?

211 :名無し三等兵:2007/06/23(土) 01:21:27 ID:???
>>204
どこの辺の話?
明らかに届かないなら無駄だから撃たないし、迎撃機が上がっているなら同士討ちを避けるために地上砲火は停止させられるけど。

212 :名無し三等兵:2007/06/23(土) 02:22:23 ID:qKW4wfQ3
うちの婆ちゃんの兄は南方で死んだらしい。
婆ちゃんとヒイ婆ちゃんで、千葉まで会いに行ったとか。

婆ちゃん80歳、ヒイ婆ちゃん104歳。
まだ生きてる・・・。

今年のお盆はヒイ婆ちゃん連れて靖国神社行こうかな。
確実にテレビや雑誌に出れると思う。
新潟〜東京の旅に耐えられるかどうか。

213 :名無し三等兵:2007/06/23(土) 05:38:51 ID:kpWHNjuZ
曽祖父が「ラバウルではメシに困ることは無かった。芋や野菜を
たくさん作ることに成功したからだ。しかしほんの千キロも離れてない
ガ島やニューギニアは悲惨で気の毒よ」だって。

214 :名無し三等兵:2007/06/23(土) 06:48:33 ID:???
戦争にはあまり関係無い話かもしれないけど、大正生まれの祖父が幼い頃、
村の上空に、見た事が無い巨大な物体が飛んで来て、大騒ぎになったんだって。

結構低空を飛んでいたので、突き落とそうと思ったのか、竹竿を持って追い掛けた人もいたとか…w


大人になって、その事を調べてみたら、
当時、日本まで飛んで来たドイツの飛行船「ツェッペリン号」だったんだってさ。

215 :名無し三等兵:2007/06/23(土) 07:49:24 ID:TGVVJVuL
知り合いの印刷屋のおじいさんもラバウルに居た。
米と乾燥醤油だけはたくさん在庫があったと。
「太平洋汁」と揶揄した醤油に現地野菜だけの飲み物が定番とか。

216 :名無し三等兵:2007/06/23(土) 08:35:58 ID:???
>212
遺族会の武道館参列枠ちれると思うよ。
最高齢遺族、戦没者の母てんで話題になりし・・。
県庁の援護課に相談して身。

217 :名無し三等兵:2007/06/23(土) 14:15:36 ID:???
俺の親戚のじいちゃんは翔鶴に乗っていたらしい
マリアナ沖海戦で撃沈されたときは駆逐艦に助けられて、
沖縄に帰ったって言ってた
レイテ沖海戦にも参加したらしいけど何に乗ってたかは不明
その人はいまだ健在で、家には重巡熊野の絵が飾ってあった

218 :名無し三等兵:2007/06/23(土) 18:12:35 ID:???
>>211
沖縄県浦添市前田、現・前田公務員宿舎
当時は前田高地と呼ばれていたとか。

219 :名無し三等兵:2007/06/23(土) 18:42:31 ID:???
俺の曾祖父は、東北からニューギニアに送られ戦死したんだが、
戦後作られた「南の島に雪がふる」って映画の、題材になった芝居を見て、
故郷の雪景色を思い出し、部隊の皆と泣いてたんだろな…きっと。

220 :名無し三等兵:2007/06/24(日) 02:01:36 ID:uWSZi8sH
加藤大介の著作の「南の島に雪が降る」を読んだが、
読みやすく、一気に読めた。薦める。

ところで、知り合いの医者のお父さんが上官で、
その演芸会の理解者で、推進役で
恩にきた加藤は、その医者が上京するたびに
必ず、上野駅に直立不動で迎えに来ていたらしい
加藤は律儀だったんだな。


221 :名無し三等兵:2007/06/24(日) 02:41:00 ID:???
俺の親父は南京生まれ
じいさんが満州で軍人をやっていた関係らしい

子供の頃はテレビで中国残留日本人孤児の番組があると
親父が「一つ間違えたら俺もあそこに並んでいた」とテレビを占領していた。

しかし超絶に運がいいことに
親父の兄弟(つまりじいさんの子供)3人、全員が無事帰国。

まあ公職追放とかのリストには載っちゃったみたいだが・・・

222 :名無し三等兵:2007/06/24(日) 05:29:04 ID:???
私の祖父は殆ど戦争体験について話してくれる事はありませんでしたが、
一度だけ幼い私にお菓子を食べさせながら、話してくれた事がありました。
祖父はビルマで戦っていたそうで、食べる物が無くて本当に辛い思いをしたそうです。
敵のイギリス軍は飛行機を用い、上空から陣地内へ落下傘で食料を落としていたのが見えたそうです。
ある時、その落下傘が敵と味方の陣地の中間点に落ち、
祖父は戦友3〜4名と共に決死の覚悟で奪いに行き、その食料を貪り食べたそうです。
祖父は中にあったキャンディをなめ、自分は特別な存在だと思ったと
しみじみ語っていたのを覚えています。
その時なめてたキャンディーはもちろんヴェルタースオリジナル。
なぜなら彼もまた、特別な存在だからです。

223 :名無し三等兵:2007/06/24(日) 06:31:31 ID:???
こらー!真面目に読んでたけど最後にズッコケたぞ。

224 :名無し三等兵:2007/06/24(日) 11:36:03 ID:???
>>220
あの人の軍人の演技は上手かったな
陸軍で南方に送られたってことしか知らんが。

225 :名無し三等兵:2007/06/24(日) 11:43:11 ID:???
>>224
マノクワリ島


226 :名無し三等兵:2007/06/24(日) 14:51:56 ID:???
うちの父方の祖父は末期に召集され土木の学校(旧制中学校?)に
いたので陣地建設などが任務の工兵の部隊にいたそうです。
部隊名などは分かりませんが島根か鳥取の部隊にいたといってました。
召集から終戦まで内地で訓練し終戦時の階級は二等兵。
祖母から聞いた話ですが当時祖父の上官の班長が鬼のような
班長だったらしく部下からうらまれていたそうで
祖父を含む数人が班長殺害計画を立てていたそうです。
しかし奇跡的に班長が異動になったため祖父は班長を殺さず
すんだらしい。
部隊内には朝鮮人もいたようでの数人の朝鮮人に
「指導員!指導員!」と呼ばれながら過ごしたそうで祖父よりも
おそらく年上で体も大きかったし恐かったと言ってました。
この朝鮮人の役割は不明。最初は部下かなんかかと思ったが
二等兵の祖父に朝鮮人とはいえ部下がつくのか疑問。
陣地建設などに従事する作業員と勝手に推測。
祖父は存命でわたしのことはよく思ってないようで普段何も
話さないが酒に酔っ払うとこの朝鮮人の話をなんどもする。

227 :名無し三等兵:2007/06/24(日) 16:46:46 ID:???
うちの祖父は激戦の末玉砕した部隊だったそうです。
確かランゲルハンス島だそうです。

228 :名無し三等兵:2007/06/24(日) 19:49:29 ID:???
>>227
随分と狭そうな島だな

229 :名無し三等兵:2007/06/24(日) 20:05:34 ID:???
>>227
糖尿病かw

230 ::2007/06/24(日) 21:45:56 ID:yQOoQmEK
父方祖父……当時貿易商。若い頃英国に留学経験、親英派。開戦時に日本の敗北を予見。戦時中は質の悪い憲兵に随分嫌がらせされたらしい。空襲時に「爆弾の着弾した跡に逃げ込め。確率的に二度同じ場所に着弾することはほとんどない」と近所の住民を避難させたエピソード。

母方祖父……学徒徴兵。理系の大学生のため徴兵が遅れ命拾い。先に徴兵された文系の友人達は全員フィリピン方面で戦死。専攻科目が生死まで分けた戦争の悲惨な一例。


大伯父……ソ満国境警備隊。厳寒期は鼻毛が凍る過酷な土地だった。サイダーの空き瓶で造った火炎瓶でソ連戦車に対抗した話は事実だとか。ノモンハンで壊滅した味方の救援に向かう途中で病気に罹り後送された。




231 :名無し三等兵:2007/06/25(月) 01:11:24 ID:???
>>224
上手いも何も、演技じゃなくて本物なんだから。
「南の島・・・」は必読。

232 :名無し三等兵:2007/06/25(月) 04:09:09 ID:???
うちのジジイ、近くの戦友と酒を飲むたびに一緒に同期の桜を歌ってる。
本人から戦争の話を聞いた事は無い。
陸軍にいたらしいけど、招集兵だし惨めなもんだったんだろうなと思う。

祖母の兄は中野学校を出てそこそこのエリートだったらしいが(実家も地主だし)
詐欺で逮捕されて刑務所で病死。

お前らの誇れるジジイが羨ましい。

233 :名無し三等兵:2007/06/25(月) 14:48:25 ID:???
>232
あの時代を生き抜いて孫の顔まで見れて、今なお元気なお爺さんになんてことぬかす

234 :名無し三等兵:2007/06/25(月) 17:07:50 ID:???
俺のじい様は、家族を捨て大陸浪人になって満州に渡り、
いろいろ波乱万丈な「危ないこと」をやって巨富を得たが、
敗戦ですべてを失い、逃避行のさなか匪賊と相打ちになって、
愛人の膝の上で死んだそうだ

リアルで「ペール・ギュント」やって死んだじい様は満足だったかもしれんが
残された家族はたまったもんじゃないよw

235 :名無し三等兵:2007/06/25(月) 18:00:26 ID:???
俺んちの爺さん陸軍のパイロットだったんだが
すごく気性が激しかったらしく、飲み屋で仲間と一緒に
ヤクザ数人と喧嘩してボコボコにしたらしい。
身長178センチで76キロなんて当時としてはかなり大柄だと思う。
俺にはめちゃくちゃ甘かったので俄かに信じられなかった
戦争で指一本無くしてるからよく勘違いされたとかw




236 :名無し三等兵:2007/06/25(月) 22:38:32 ID:???
>>234
浪漫小説ならいいが、リアルで身内にやられるとキツいものがあるなw

You本書いちゃいなよ。

237 :名無し三等兵:2007/06/25(月) 22:49:47 ID:???
>>207
郵船の『八幡丸』といえば、↓このポスターが有名ですが、
ttp://www.shipboard.info/blog/archives/2006/08/post_726.html
三姉妹が三人とも今は海の底ですね、沢山の乗員と一緒に・・・合掌。

238 :名無し三等兵:2007/06/25(月) 22:53:15 ID:???
>>232 うちの爺さん、海軍で戦争中はそこそこだったらしいけど、
戦後は長い間グレて仕事しなかった。(はっきり言ってニートだよ。
戦争中の勇ましい話は何度も聞かされるけど、
ほとんど戦後の話は聞かない。
はっきり言って、爺さんは戦後の社会に馴染めなかった落伍者なんだ。

自分はガキの頃は爺さんの生き方が嫌いだったけど、
社会で辛い目に遭って、はじめて爺さんの気持ちが解るようになってきたよ。
久しぶりに墓参りに行こうと思ってる。

239 :名無し三等兵:2007/06/26(火) 00:56:03 ID:???
俺のじっちゃん、フィリピンの、かなりの激戦地で戦ったらしく、片腕が無かったし、歩く時は足をひきずってた。
手榴弾の投げ方とか、三八式と九九式小銃の違いとか兵器や戦場の話を、沢山教えてくれたりしたけど、
まだ小学生だった俺は戦争の話とか興味なくて、ほとんど聞き流してた。

じっちゃんは死ぬまで、軍隊手帳と戦友達の写真を大切に持ってたから、火葬の時、棺桶に一緒に入れてあげました。

240 :名無し三等兵:2007/06/26(火) 01:04:38 ID:???
自転車日本1周:80歳が事故死、自宅まで20キロ 長野

25日午後1時50分ごろ、長野県小谷(おたり)村北小谷の国道148号・外沢トンネルで、
自転車に乗っていた同県小川村瀬戸川、無職、原野亀三郎さん(80)が後ろから来た
小谷村中土、トラック運転手、田原登さん(22)のダンプカーにはねられ死亡した。
原野さんは自転車での日本一周を終えて自宅に戻る途中だった。事故に遭ったのは
直線距離であと20キロ余りの地点だった。県警大町署の調べによると、現場は片側1車線
の緩い右カーブ。トンネル内には照明があり、見通しは良かった。原因を調べている。
原野さんは06年4月に長野県を自転車で出発。日本海側から時計回りに列島を一周し、
30日に帰宅予定だったという。原野さんが宿泊した福島県新地町の旅館の女将、
村上美保子さん(58)は「原野さんは『鎮魂』と大きく書かれたTシャツを着ていた。
『青春がなかった戦友のために回っている』と言っていた」と話した。

ttp://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070626k0000m040090000c.html

ここの人じゃないことを切に願う。無念じゃないことを祈る。合掌。

241 :名無し三等兵 :2007/06/26(火) 01:52:07 ID:???
合掌

この爺様の戦争は、やっと終わったのだな


242 :名無し三等兵:2007/06/26(火) 01:57:32 ID:???
交通戦争で戦死のオチ?

243 :名無し三等兵:2007/06/26(火) 11:46:28 ID:???
じいさん気の毒になぁ・・・
・・・合掌

244 :名無し三等兵:2007/06/27(水) 00:36:22 ID:hLD+AEuN
1967年冬の深夜、爺さんが大声で戦車だ!と叫んで外に飛び出した
子供だった俺も外にでてみると
明治通り三ノ輪を戦車隊が地響きをあげ通過中であった
敬礼をして見送る爺さん
俺は寒さと恐さで震えが止まらなかった。

245 :名無し三等兵:2007/06/27(水) 00:39:44 ID:???
怪獣でも出たのか?

246 :名無し三等兵:2007/06/27(水) 00:47:00 ID:???
近所のおじいさん(81歳)に聞いお話。その2

陸軍幼年学校も卒業が迫り、教官に進路の希望を聞かれた時の事。
鉄道オタだったおじいさん、「鉄道連隊に行きたいです!!!」と大まじめに答えたら
鉄拳一発「この馬鹿モンがっ!んなのはなぁ、落ちこぼれが行くところぞ!!!」
「お国の為に最前線に行きますと何故言わんかぁ!!!」更にもう一発。
それでも渋い顔をしていたおじいさんだが、
教官の説教と鉄拳も嫌だったので『もうどこでもいいや・・・・』
という気分になり教官のすすめで陸軍航空士官学校に行くことになったとか。

247 :名無し三等兵:2007/06/27(水) 00:59:59 ID:hLD+AEuN
怪獣じゃ無い!戦車隊だ!
上から上半身を乗り出した隊員が、赤い懐中電灯を振り
後続の戦車に合図を送りながら通過して行った。

戦車=人殺しの機械

248 :246:2007/06/27(水) 01:12:11 ID:???
近所のおじいさん(81歳)に聞いたお話 その3

飛行訓練で大津(かどうか忘れた)から大分まで飛んだ時のこと。
飛行機の種類は忘れてたけど単座の飛行機で
本来ならシートの座席部分にパラシュートが納まり
そこの上に座り操縦するハズなのだがパラシュートは物資不足で無いとのこと。
当然そのままでは座れるハズもなく代わりに渡されたのが藁で編んだ座布団。
なんとも尻心地の悪い道中、先導の教官機から手の合図で「高度6000まで上昇」の指示。
だが皆ビビって「出来ません」の合図で返す始末。
飛行服の電熱線がイマイチだったじいさんも「寒いからヤだ」と合図。
教官は呆れて笑ってたそうだ。

249 :246:2007/06/27(水) 01:32:29 ID:???
>>248の続き
大津から直線で大分には向かわず日本海側を迂回して向かうとのことで
飛行時間がえらく長くなってしまったらしい。
で、道中尿意を我慢していたじいさん、着いた頃にはもう漏れる寸前。
だが到着した際には何よりも先に到着報告をしなければならないのが軍紀。
到着先の士官に報告をしたいじいさんだったが押し迫る尿意の為
呂律も上手くまわらず何度も言葉を詰まらせてしまう。
士官殿も面白がって「あアン?ハッキリ聞こえんなぁ〜?」と繰り返しを要求する始末。
なんとか報告しおえたじいさん、慌てて滑走路の端でようやく一息。
皆の笑い声を背に悔しいやら開放された快感やらでなんとも複雑な気分だったとか。

250 :名無し三等兵:2007/06/27(水) 01:49:43 ID:T9rgh3XV
15年位前にバイトしていた喫茶店のマスターは戦時中整備兵として九州の基地(基地名は失念)にいたのだけれど、ある日撃墜されたB29を検分した時に仲間と工具箱を持ってきて日本製の
飛行機のボルトを締めたらボルトが壊れたそうです。マスター曰く戦争は負けたと思ったそうです。

251 :名無し三等兵:2007/06/27(水) 02:39:57 ID:???
>>250
B29に搭載されていた工具箱の工具を使って、日本機のボルトを
締めようとしたら、そのボルトが折れたっていうことだよね?

252 :名無し三等兵:2007/06/27(水) 02:56:47 ID:???
>>232
> 祖母の兄は中野学校を出て
「中野の憲兵学校」のことが「中野学校」と伝わっていた例が多いそうなので、憲兵だったのかもしれない。

> 近くの戦友と酒を飲むたびに
・・・って、80過ぎというのに、すごいお元気だね。戦友が健在というのも珍しいんじゃない。

253 :名無し三等兵:2007/06/27(水) 08:56:19 ID:zSB971SS
ジイさんのところにある日電話がかかってきて、ジイさんが珍しく絶句
電話の相手は、どうも戦死したものだと思っていた人だったらしく
戦友会のことでの問い合わせだったようだ ほんのわずか部隊にいて異動でフィリピン
異動先の部隊も全滅とかで、激戦地だったし、生存者も少数とか
戦後も家族とかも音信不通で
戦友会にも全然情報なく たしかそういう人がいて、異動先で戦死だろうのレベル
散々恐縮して、てっきり亡くなったと思ってとか謝っていた
異動先の激戦地の戦友会に何度か出ていたらしいが、高齢化で、戦友会も自然消滅で解散
淋しいから、異動前の部隊の戦友会に出たいとのことだったらしい

254 :名無し三等兵:2007/06/27(水) 10:03:00 ID:???
俺の母親の話だが、女学生の時に隣組で落ちたB-29の前で米英撃滅の気勢を上げる
集まりに出たら、機体があまりにも大きく、威圧的に光っていたので、みんながあっけに取られて
気合もあんまり上がらずにそうそうに解散したそうな。
本人は落ちた場所は丸ごと焼け野原でびっくりしたそう。

255 :名無し三等兵:2007/06/27(水) 14:48:36 ID:???
漏れのお客さんで「飛燕」の元飛行士という方がいて、戦時中の話を聞いたというより聞かされたことがあった
B-29迎撃に出撃したが、1回目と2回目の出撃のときはまともに追いつけず失敗、
3回目のときは1発も当てられず失敗し、4回目のとき肉迫したらあっさり返り討ちにあい
撃墜されてしまったそうだ
そのときに重傷を負って飛行士を続けられなくなって、輸送部隊に配属されることになり、
「やれやれ命拾いしたな」と喜んだら、配属先が沖縄だったw
沖縄戦では、集団自決するといきり立つ連中をなだめ、英文科出で英語が話せたので、米軍と交渉して
降伏したが、そのときに米軍将校に「話の通じるやつは殺しづらいから、命拾いしたな」といわれたとか


256 :名無し三等兵:2007/06/27(水) 22:30:25 ID:???
>>255
>話の通じるやつは殺しづらい
それ何てバゥアーズ司令長官?


置いておいて、
このスレの影響で、数年前に遠い親戚のおじいさんが自費出版?した自伝戦記
をはじめて読んだ(送り付けられたまま投げていたw)んだけど、
衛生兵の知識と召集解除時にゲフンゲフンしてきた機材を元に、
戦後は家族や近隣住民に投薬や注射(!)までしてたらしいんだが、
コレってもっとゲフンゲフンだよね?

257 :名無し三等兵:2007/06/27(水) 22:35:08 ID:???
>>255 これ、かなりスゴイ話だな・・・。


258 :名無し三等兵:2007/06/28(木) 00:34:29 ID:???
最近は、流石に戦友会とかも高齢化して、ジイサンの戦友会も数年前に
一応解散して、あとは、個人レベルで付き合いましょうとかになったが
戦友会とかでも以前から、戦死した遺族も少数参加していたが
最近は、生き残りも少なくなって、集合すると存命者と遺族も同数とかの状況
それでもやっぱり戦死者の「遺族」参加だと、
遺族の前では、話題に出来ないような戦時中のヤバイ話もあるらしい
戦死者の悪口も多少あるらしいが、生き残り仲間同士も多少は配慮してるようだ
遺族が、自宅に帰って、今日の話を位牌に報告されたらヤバイ話も多いとか


259 :名無し三等兵:2007/06/28(木) 12:18:16 ID:???
>>255
話の通じる奴は殺しづらい
     ↓
英語の話せない日本将兵が降伏してきても捕虜とせず、殺していたということか。

260 :255:2007/06/28(木) 15:51:49 ID:???
>>259
>英語の話せない日本将兵が降伏してきても捕虜とせず、殺していたということか。

それについては話を聞かなかったが、あれだけの激戦では何でも有りかも
ただ、捕虜になった後は、殺されなかったのは確実w
殺されちまった方が・・・・とはお客様に対して口が裂けても言えないけどwww







261 :名無し三等兵:2007/06/28(木) 18:30:10 ID:???
>>250
インチ規格とミリ規格で、微妙にサイズが違うけどなんとなく使えそうな工具を使うと、
工具もボルトもいためるからやめた方がよいよ。

262 :名無し三等兵:2007/06/28(木) 20:17:34 ID:???
こないだうちの父親が漬け物(瓜の浅漬けみたいなやつ)を買ってきたんですが、冷蔵庫の奥に入れっぱなしで親父も俺も忘れてたんですよ。
それでひさしぶりに引っ張り出したんですが、俺、一切れ食べて口中に違和感を感じて吐き出しました。

「お父さん…これ傷んでるんじゃない?」
「そうか?」

よくみると、瓜の表面にうっすらと、どんよりした白い膜みたいなものがかかっています。味も明らかにおかしい。腐っているか、腐りかけにちがいありません。

「父さん。やっぱおかしいよ。捨てた方がいい」
「買ってからほとんど食べとらんぞ。もったいない」
「腹壊したら元も子もないだろ」

それで翌日になったんですが、また、あの浅漬けがテーブルに乗っている。

「お父さん、捨ててないの?」
「ああ。あれから水で洗ったら、白い膜がとれて綺麗になった。もう大丈夫だ」

…ミートホープの社長みたいなことを言うなあ、と思いました。あの社長がいくつか知りませんけど、俺の親父は昭和7年生まれで、
バリバリの戦中世代。農家の三男坊だから食いっぱぐれはなかったようですが、世代病というか、もったいなくてどんなものもなかなか捨てられないようです。しかし買うときはよけいなものをいろいろ買っちゃったりするんだよなあ。まあ、そこは俺もそうなんですが。

263 :名無し三等兵:2007/06/29(金) 08:15:52 ID:rh23ZTY4
食物を大切する世代のお父さんですね。
うちの親父も同じでしたよ。昭和4年生まれですがC型肝炎で逝ってしまったが。

一緒にお酒でも飲んであげてください!俺の分も!


264 :名無し三等兵:2007/06/29(金) 11:19:21 ID:???
>>262
あと、背中も流してやれ。
おれはそれをやらなかったのをずっと引きずっている。

265 :名無し三等兵:2007/06/29(金) 22:00:25 ID:???
>>264
>背中も流して
ああ、それオレもした事ないわ。
だから、じいちゃんの体に12.7mmの破片が刺さっていた事を最近まで知らなかった・・・

266 :名無し三等兵:2007/06/30(土) 00:41:35 ID:???
戦時中 所謂「軍属」と云う種類の人間は扱いづらかったらしく
民間人ではないが、軍隊の所属の人間
特務曹長とか 技術中佐とか 特技や資格のある人間
防衛技官とか防衛事務官 医官とかいまでも似たようのもあるが
土木工事の現場監督やメーカーからの出向社員のような限りなく民間人のような「軍属」
曹長とか 中佐とか呼称はあるが 戦闘経験やら銃も撃ったことないような「軍人」
イラクあたりだと、米軍の「軍属」とかの警備保障会社などが、後方業務を請負業務

267 :toshi-MK:2007/06/30(土) 00:50:11 ID:???
戦艦大和の小説、新刊発見!7月5日発売で
『群光〜父と子の戦艦大和〜』(新風舎文庫)
大和特攻を指揮した第二艦隊司令長官
伊藤整一中将と、息子の叡中尉を扱った作品らしい。
詳細入り次第また載せます。


268 :名無し三等兵:2007/06/30(土) 08:26:24 ID:???
親子で特攻てよほど上層部に嫌われてたんじゃまいか?
海軍常識で考えた普通ならそれなりの配慮するよ。



269 :名無し三等兵:2007/06/30(土) 10:32:10 ID:???
三陸海岸に住んでる祖母から聞いた話だけど、
太平洋戦争が始まる少し前、祖母が海で仕事をしていると、沖合を今まで見た事もない大きな艦が、沢山北上して行くのを見たそうだ。

その時はうっすらと霧がかかっていた為に、「ボーッ、ボーッ」っと汽笛を鳴らし合いながら航行してたらしい。

多分、そのとき祖母が見たという艦隊は、真珠湾攻撃の準備の為、
択捉島の単冠湾に集結しに向かう、海軍機動部隊だったのではないかなと思う。

270 :名無し三等兵:2007/06/30(土) 12:19:37 ID:???
父の叔父(?)新潟県越路町の人。満州で軍属をしていた。機械(兵器?)
のメンテをしていたらしい。
敗戦のとき、軍に同行した結果、軍人ではないのにソ連軍の捕虜になった。
しかし、そういった事情は伝わらずに、ソ連軍に殺されたと思われていた。
妻と娘は命からがら逃げ出したが、大変な苦労をして妻のほうは途中で死ん
でしまった。娘は(同行していた?)同郷の人が自分の子供にするつもりで
日本に連れ帰った。

父の叔父の父親、つまり娘の父方の祖父、は娘を養子にやることに同意した
が、母方の祖父が反対し、結局、母方の祖父に引き取られた。
母方の祖父は娘に、お前の父親はお前と母親を見捨てて逃げて死んだ、と
教えて育てた。娘は父親を憎んだ。

父の叔父は生きていた。シベリア送りになっていたのだ。
数年後、日本に帰ってきてから父の叔父は娘を引き取りに母方の祖父のもと
へ行った。しかし、母方の祖父は娘の母親、つまり祖父にとってみれば娘、
を父の叔父に殺されたと思っており、娘も懐いてくれなかった。
娘を引き取ることはできなかった。

爾後60年。何度か父の叔父は娘に会いに行ったが、その都度拒絶にあって
きた。父の叔父はまだ生きている。娘のほうももはや老境である。
しかし、まだわだかまりがあるらしい。


よくあることなんだろうが、自分の親戚にそういった話があったとは知らな
かったよ。父とか祖父とか、関係が紛らわしくてスマソ。

271 :名無し三等兵:2007/06/30(土) 23:48:12 ID:ifgzIZ21
「もはや戦後ではない」を合言葉に高度経済成長を続けた日本
そこに時代の波に乗り遅れた?者達がいた「傷痍軍人」
初詣で賑う神社の境内でアコーディオンを弾き
義手義足で募金活動をする白衣の傷痍軍人

それを見て戦争体験者のじいさんと子供だった俺とで
考え方が180度違うのには驚いた。


272 :名無し三等兵:2007/07/01(日) 00:27:06 ID:???
俺の知っている人のお父さんが瑞鶴の電探担当だったんだってさ
エンガノで沈没したけど無事日本に戻り今度は信濃に乗る予定で
呉で待機してたら来なくてそれ以降船に乗らず終戦だったらしいよ
うちの爺さんは陸軍で満州から中国、そしてビルマと転戦し、
ビルマで背中に何発かくらい傷痍兵となり日本に戻ってきたらしい



273 :名無し三等兵:2007/07/01(日) 01:18:14 ID:???
うちのじいさんは話し好きな人で良く戦時中の話しをしてくれたが、
これがまた面白おかしく話してくれるのよ。

曰く
・甲種合格に感動
 「徴兵検査でケツの穴まで調べられんだぞ。だけど賞状に甲種合格って
  でっかいハンコ押して貰ったら嬉しくってな。家に帰ったらお父ちゃんが
 『これでお前も御国の為に役立てる』って泣いたなぁ。

・屋根の上に虎
 「なに?海外旅行に行く? なら中国はやめとけ虎に喰われちまうぞ。
  行軍中にな脇に納屋があって、その屋根から虎が狙ってるんだ。
  間抜けが近づいたとたんにパクリだぞ。」

・中国兵と日本兵の見分け方
 「偵察で遠くに兵隊見つけても敵かどうかわかんねーんだ。
  だけどよ双眼鏡で手を見んだよ。手。日本兵は前後に振る、
  敵さんは左右に振る。これで見分けられる」

・三八式歩兵銃の引き金の引き方
 「ヘタクソはガク引きして当りゃーしねー。鉄砲はな、人と握手する様に
  握んだ。そして、五本の指全部を絞る様に引き金を引くんだぞ。人差し指
  だけで引き金ひくな。」

274 :273:2007/07/01(日) 01:19:35 ID:???
・最前線での排便方法
 「土のう積んで、塹壕掘って敵さんと睨み合ってる時でも、出すもんは
  出したくなる。新兵は恥ずかしがって脇の草むらとかでしちまう。
  そーすっと、狙撃兵にやられてケツ丸出しで死んじまうんだ。
  そんな時は『ちょっとごめんよっ』つってその場でペロッっとケツ出してすんだよ。
  んで、糞はスコップで土嚢の向こうに『あらよっ』って捨てんだよ。
  
・目の前の稲穂で弾道が変わり指先に被弾
 「世の中なにがあるか解かんねーぞ。目の前にあった2mmくらいの稲穂でな、
  弾が跳ねんだよ。そしたらこの指にパーンって。指先に当たっただけなのに、
  衝撃でよ腕ごと後ろに持ってかれちまって、もうそのときは腕が取れたと思ったぞ。」

・野戦病院での軍医の診断に激怒(指先被弾その後)
 「野戦病院で軍医に診せたらよ。『こりゃばい菌が入ってるから手首から切断しないとダメだ』
  とかぬかすんだ。あったまきたから、その場で軍医ぶんなぐって適当な薬盗んで帰ってきてやった。
  おかげで、まだ左手があんだぞ。」
 (たしかに、じーさんの左人差し指は爪が歪んでいて、第一関節から先だけ妙に細かった)

・軍刀での介錯の仕方
 (ちょいグロ注意)





 「匪賊討伐で処刑ん時な。将校が介錯するんだ。だけど若い将校さんだと軍刀使ったことねーから、
  こーして構え(右肩上の上段に構えてた)た時に左足が出んだよ。そーすっと首を跳ねた勢いで
  地面まで叩きつけちまうから、自分の足の親指も跳ねちまうんだ。
  うまいヤツだと首の皮一枚残して切んだよ。そうやると切られたヤツが抱く様にスポッと納まるんだ。」

 (言わなかったが、どうもこのうまいヤツとは自分の事のようだ。軍刀見せて貰った時に
 「5人以上の首跳ねた。切った人数は覚えてねぇ」とか言ってたし・・・。)

275 :273:2007/07/01(日) 01:21:16 ID:???
そんなじーさんが亡くなってから数年経つが、形見で貰った軍隊手帳見て愕いた。
中国へ行ったのは知ってたが、静岡34連隊として呉松(ウースン)上陸から参戦してる。

ここは1ヶ月で部隊が1/3になった程の激戦地。夏に上陸した部隊が転戦を続け
冬が近づく季節になるころには大半は補充兵に入れ替わった。上陸当初からの古参兵は
夏装備のままなので、「夏服組」と呼ばれ一目置かれた様だ。

じーさんもこの「夏服組」だったのな。
この激戦地で二等兵から叩き上げ、最終階級は軍曹
いつも楽しそうに戦時の話しをしてたけど、辛い思いもたくさんあっただろうに・・・。
どうりで戦友の具体的な名前が出てこない訳だ;;

276 :名無し三等兵:2007/07/01(日) 01:40:37 ID:???
>>269
三陸海岸といえば、大規模な鉄の鉱山があった釜石が、米軍の艦砲射撃を受けて壊滅したよね


その時、米軍が撮影したカラーの記録映像を見た事あるけど、
かなり陸地に接近して砲撃してたよ。ナメられたもんだよね。
その頃にはもう、日本軍には迎撃する艦も航空機も無くて、一方的にやられ、犠牲者ばっか増加していったと思うと悲しくなる

277 :名無し三等兵:2007/07/01(日) 10:13:34 ID:???
>273

静岡34連隊なら運が悪かったら、そのままガダル送りだせぞい。

278 :273:2007/07/01(日) 21:59:26 ID:???
中国戦線で除隊になったが、危うく再度徴兵されて南方送りになるとこだったらしい。

除隊後に某大手電気屋で全国の変電所を作ってたんだが、会社の上層部から
軍に話が行って徴兵されなかったとか。

連隊が南方に移動になってからは地元で留守番隊?とやらだったらしいが、
次々と送られてくる遺骨を遺族に渡す係をやったと言ってた。

 「遺骨を受け取りに来たのが娘さん1人でなぁ・・・。
  まだ、4才だぞ。小さい手に遺骨抱かせてやっても
  なんて声かけりゃ良いんだ・・・。
  その子は気丈にも涙ひとつ見せないのに。
  精一杯の敬礼をすることしか出来なかった。
  ありゃぁなぁ・・・・っっ」
 
 ここで、じーさんの言葉が詰まった。黙ってボロボロ泣き出すじーさんを
 この時、初めて見た・・・。

279 :名無し三等兵:2007/07/02(月) 01:07:35 ID:???
>>276
その時の様子を釜石から60`離れた場所に
住んでいた親族を持つ人の話が過去スレにあった。

280 :名無し三等兵:2007/07/02(月) 01:57:49 ID:???
祖父から聞いた話だけど、近所の海岸に、撃墜されて海に墜落したB29の搭乗員の遺体が数体流れ着いたらしい。
その中にとても綺麗な女性兵士もいて驚いたって言ってた。


あと、終戦の数日後、日本軍の戦闘機が、米軍の戦闘機に追い掛けられて飛んで行くのを見たそうだ。

しばらくたって、海岸に飛行服姿の腐乱死体が上がったんだと。

281 :名無し三等兵:2007/07/02(月) 02:36:41 ID:???
戦争体験といえば戦争体験の話だが、祖父は徴兵にとられる寸前の年だったから、
信太山の部隊と大阪の葛城山周辺で陣地構築してたらしい。

聞いて本気で本土決戦する気だったんだなと実感したよ・・・。
本人は木切るのめんどうやったけど、そこで食べる飯うまかったと笑顔で話してたけどw

282 :名無し三等兵:2007/07/02(月) 12:42:00 ID:???
>271
親父曰く祭りや正月に神社の廻りで物乞いしていた傷痍軍人の殆どは偽者だそうだ。
ちゃんと物乞いの中に「兵隊乞食」と云うジャンルが確立していたそうだ。

なお、大阪の天満商店街では今世紀の初めに中年の兵隊乞食が目撃されている。

283 :名無し三等兵:2007/07/02(月) 13:06:15 ID:???
将校商売
下士官道楽
兵隊乞食

284 :名無し三等兵:2007/07/02(月) 13:47:43 ID:oe5VS0hf
>>282

同意!実は10年前に立川駅周辺で白い服の傷痍軍人の姿した奴を見かけた。
歳は30〜40歳代!年齢的に変だなと思う人は居ないのか?

285 :名無し三等兵:2007/07/02(月) 14:47:27 ID:???
282
巣鴨にも十三年前位に、アコーディオンを奏でる明らかに六十前の二人組がいたよ

286 :名無し三等兵:2007/07/02(月) 14:54:31 ID:???
旧軍コスプレ好きが昂じて……

287 :名無し三等兵:2007/07/02(月) 15:19:55 ID:???
>>280
女性兵士・・・ひょっとしてWASPじゃね?

288 :名無し三等兵:2007/07/02(月) 15:33:37 ID:NTXIkKHU
うちの爺さんは中国に行ってたんだけど、昼飯の時に飯ごうを取りに行ったらそこで5、6人が犬をさばいてたらしい。 
爺さん肉っていうか犬なんか食う気にもならなかったから、別の場所で飯食おうとその場を50メートル位離れた時に、敵の砲弾が肉さばいてる所付近に落ちてきて、そいつら全員即死したらしい。
もし、爺さんが犬なんか食ってたら俺も今ここには居ないんだなぁ。

289 :名無し三等兵:2007/07/02(月) 17:55:28 ID:???
うちのじいさん、ニューギニアに戦中はいた。
恩給かなんかの資料を見ても、出てくる地名なんか
から想像するにかなりやばい経験をしたはずなんだ。
だから、戦争中の話はめったに口にすることは無かった。

でも、たまに酔ったときなんかに、繰り返して話していたのは
自分が実際に見たという巨大生物のこと。
くちばしを持っていて人を襲うコウモリだとか、まれに海岸近くに
現れて、産卵しようとする亀を狙う足が鰭状になっているワニとか。

たぶん、そういう話をすることで自分の嫌な記憶を押し隠していた
んだと思うんだけどね。
子供の頃は何も知らないから、単に楽しく聞いていたけど、本当は
じいさん、つらかったんだろうなと大人になってから思う……。

290 :246:2007/07/02(月) 19:40:50 ID:???
近所のおじいさん(81→82歳になった)に聞いた話 その4

大分からの帰り、帰りは飛行機ではなく陸路で帰ることになりホッとしたじいさん
そしてなにより大好きな鉄道で帰れるワケだから大喜び。
その道中、門司港駅で待ち合わせで二時間ほど停車していた時の事。
じいさん、近くに見えた機関区にどーしても見たかった機関車があったので見に行くことにした。
だが、機関区には見回りの兵がいて「この先は許可がいりますんで・・・・」と咎められた。
しかし、じいさんの鉄オタ魂はそんなもんでは止まらず
士官の特権、襟章と腕章をその兵にグイと見せつけ無理矢理に入ってしまった。
「ホント、勘弁して下さいよぅ・・・・」と追い縋る当直兵を尻目に
お目当ての機関車、C52(なんでもアメリカ製で日本に六両しかなかったとか)に対面し
存分に堪能して帰路についたそうだ。

291 :名無し三等兵:2007/07/02(月) 21:49:40 ID:???
>284
ガンボジアPKO帰りの自営隊さんだろ。
エイズやらなんやらで死屍累々だそうな。

292 :名無し三等兵:2007/07/02(月) 22:37:15 ID:1cQKrHVM
医学の進歩により、
エイズは薬さえ飲めば(薬代、月3万から4万程度)
発病は防げるようになりました。

293 :名無し三等兵:2007/07/02(月) 23:13:00 ID:???
>>292
でも感染するよね

294 :名無し三等兵:2007/07/03(火) 00:29:18 ID:???
次男で上海に渡り綿花などの貿易で多少の財を成し若くして個人商店を経営してた我が祖父
通訳兼住民宣撫員の軍属として桂林作戦、重慶作戦などに参加
「この村は今から日本軍の占領下に入ります、もう戦闘はありません危害も加えません
どうかみなさん安心してください」と新しい村に入るたびに中国語でアナウンスしたという
地元民は日本軍が来た、と喜びおおむね友好的な雰囲気だったという
南京大虐殺について聞いてみると
「南京であげん人を殺すとかしたくてもできんばい(笑)、でもスパイとか馬賊とか一杯おったけんね
そういうの処刑しよるのは見たことあるぱってん、中国ん人たちはみんなのんびりしとる
あんな国と戦争したらいかんばい、大陸は広いっちゃけん日本のごとは(日本のようには)いかん
戦争で友達がいっぱい死んだけんね、中国人のも、戦争はしたらいけん、人間は戦争なんかしたらいけん」
今年88歳になる祖父の言葉を中国嫌いな孫が書いてみた

295 :名無し三等兵:2007/07/03(火) 00:37:14 ID:???
>>294
いいお爺さんだね

おいらの爺様は落下傘だったらしいけど、詳しく話を聞く前にな・・・
子供の頃は軍事なんて微塵も興味なかったしな

むしろ( ゚д゚)、ペッ と思ってたから

296 :名無し三等兵:2007/07/03(火) 06:48:17 ID:???
祖父は中国大陸で戦っていたんだけど、
当時、部隊にとても可愛がってた軍馬がいたらしい。まつげが長くて、穏やかな性格の馬だったみたい。

ある日、いきなり敵の砲弾が近くに落ちて、腹を負傷し内臓が飛び出したんだと。
痛くて泣き叫ぶ馬がとても可哀相で、早く楽にしてあげようと、隊長の命令で射殺し、丁重に弔ったそうだ。
普段は怖い隊長も、部隊のみんなもその日は全員泣いていたそうだ。

297 :名無し三等兵:2007/07/03(火) 10:39:01 ID:R4His+OL
馬は大事にしていたようだけど、何処の中隊も1人や2人は
馬に蹴られて死んだ兵隊がいたんだよなw
カッコ悪いけどこれも名誉の戦死なんだな。
中隊長は遺族への手紙には何て書いたのだろうか。

298 :名無し三等兵:2007/07/03(火) 14:57:16 ID:???
終戦後米軍が、大量にトラックとかジープ持ち込んで移動したきたが
日本とアメリカでは全然ちがう、右側通行と左側通行の違い
占領していた沖縄は、アメリカ式
結構 戦後の米軍占領中の日本では、米軍車両と日本車の
正面衝突事故も多く 死人も続出
頑丈なアメ車に正面衝突された日本車などは、見事に「玉砕全員戦死」の状況
当時も今も「日本とアメリカの地位協定」もあるが、ザル法で日本人の泣き寝入りも多く
だいたい当時でも運転免許とか取っていたのは、旧軍関係やら警察 救急消防関係
公務中での米軍車両との交通事故なら、まだ政府などから補償金とか出たらしいが
民間人だと、当てられ損で、補償も無い生活だったらしい


299 :名無し三等兵:2007/07/03(火) 17:51:05 ID:???
占領期の進駐軍のひどい話は挙げたらきりがないね。

ちなみにうちの県では公務執行中の警察官が進駐軍兵士に殴り殺されて一人殉職してる。
お上からの補償は出ただろうが、進駐軍からは無かったろうな。

300 :名無し三等兵:2007/07/04(水) 00:10:55 ID:???
>>297
ごめん。うちの爺さん馬番で、馬の検査のときに自分の受け持ちの馬を暴れさせてしまって後ろに並んでた兵隊を蹴り上げてしまい
「目玉飛び出して死んでしもた・・ありゃ悪いことしたなぁ・・・」
と嘆いてたよ。今頃あの世で謝ってるだろうか

301 :名無し三等兵:2007/07/04(水) 00:18:34 ID:???
馬ってけっこう危ないんだな・・・
戦車とかに乗ってた人はいるかな

302 :名無し三等兵:2007/07/04(水) 03:17:05 ID:6rsvjNJW
>>301
隣に住んでたサイパンの生き残りの佐藤軍曹(?)
もう死んだけど3年前まで隣にいた、
戦車部隊の生き残りらしい
寡黙な爺さんなので何も聞けずじまい
聞いておけば良かったなー

303 :名無し三等兵:2007/07/04(水) 03:26:08 ID:???
>>301
俺のじいちゃん(故人)はフィリピンで乗ってたらしいが詳しいことは聞けなかったな。
狭くて暑かったことと、覗き窓が小さかったことだけは小学生の頃聞いたんだが。

304 :名無し三等兵:2007/07/04(水) 07:01:42 ID:???
スレチかもですがお馬さんは見えない所に気配があるのを嫌う。
うちの祖父は戦争の話してくれなかったな。

305 :名無し三等兵:2007/07/04(水) 08:19:53 ID:kqzkftUj
うちの曾祖父は陸軍将校で満州にいた。
ソ連侵攻前に内地に戻ってきたらしい。マッカーサーが厚木に着いた時の写真にちょこっと写ってるらしい

306 :名無し三等兵:2007/07/04(水) 09:58:26 ID:lBoRcmvn
俺のジイサン沖縄戦で山に隠れてたんだってwwww
ちょw戦えやwwwwww

307 :名無し三等兵:2007/07/04(水) 10:28:14 ID:YQKfYZrh
戦後まもなく米軍の射撃練習場に忍び込んで
鉄屑を盗みに行っただろ
忍び込んで来る奴を的にして撃つのだが
兵隊上がりの爺さんたちは用心深く的にならない
そんでもって鉄屑まいて盗みに来た婆さんを的にして撃ってたな進駐軍!

308 :名無し三等兵:2007/07/04(水) 16:34:17 ID:???
先日仕事であった爺様が北朝鮮で訓練してたと聞いた。
平城(地名は本人談)の建物はここら(出兵前の居住地)より良い建物で、わが国は何やってるんだと思ったそうだ。
ただ田舎は囲いに屋根葺いて藁敷いて寝てるような状態だったと。

んで訓練場での話。
一人朝鮮人の嫌な上官(階級は聞いたけど忘れた)がいて、部隊に1丁しかない重機関銃のキャップ(といってた)を隠して
「なくすとは何事だ!」と毎日毎日やられてたらしい。
で、その話を聞いた爺様が「ようし任せろ。」と、「自分が何とかします!」と名乗り出たんだと。
その上司が「何とかするとはどうするんだ!」と確認したら、「隣の部隊からインズウを合わせて来ます!(字は不明。隣の部隊からかっぱらってくるってことらしい)ただ、見つかったらば私は銃殺となりますのでその際はよろしくお願いします!」
と、言外に「俺が捕まったときは洗いざらい喋る」と匂わせたらしい。
その後、「いやそれは困る。」「困るといわれても総出で探して見つからないのでほかに手はありません。行きます。」「いやそれは…」と押し問答になったらしい。
どうやってその押し問答が終わったかは聞けなかったけど、2〜3日たったらキャップが重機関銃についてたからヤツがやってたのに間違いない。と笑ってた。
「んで、ほんとに盗りに行く気だったんですか?」と聞いてみたんだが「そんなことできるわけないだろう」と笑われますた。

80にもなって新たに商売始めた爺様だから長生きしてほしいわ。

309 :名無し三等兵:2007/07/04(水) 21:13:30 ID:???
員数合わせだな。

310 :名無し三等兵:2007/07/04(水) 22:01:57 ID:???
又聞きの話になってしまうが。
うちの爺ちゃんは2、3年満州で、その後ソ連兵に捕まって、
10年くらい捕虜生活だったらしい。
日本の機関銃は砂が入るとすぐ壊れるとか言ってたそうな。
てことは爺ちゃんも誰か撃ったかもしれないんだよなあ。
爺ちゃんの弟は戦争に出て死んでしまって、
死んだ弟が誇りで、生きて帰った爺ちゃんは恥さらしみたいな事を
ひい婆ちゃんが言ってた。と母が言ってた。
国のために死ぬのがカッコいい時代だったのかと思うと辛いな。

311 :名無し三等兵:2007/07/04(水) 22:58:40 ID:???
>>310
生きて帰って「恥さらし」ってのはひどいよな
自分>294だけど実は自分の本当の祖父は長男のほう
空母「翔鶴」の99艦爆で真珠湾攻撃に参加、珊瑚海海戦で戦死
わが祖母は戦後その弟と再婚したのだが義母(自分の曾祖母にあたる)にかなり苛められたのだそうだ
そして次男の帰ってきた自分の子を「この恥さらし」とののしったのだと、長男は本当にできた子だったと
わが祖母は誰にでも自慢したくなるほど素晴らしい人だった、本当に
今小さいながらも貿易会社を経営してるがガラにもなく毎年収入の一割ほどを慈善事業などに寄付させていただいてるのも
この祖母の影響、俺の父親は自分の父親の顔を知らない
俺の母親と結婚して俺が生まれるときには一時失踪し、愛想をつかしたわが母は俺を一度捨てたそうだ
その俺を引き取って2才まで育ててくれたのがこの祖母と祖父
祖母が亡くなったとき初めてその話を知り、一部始終を理解した


312 :名無し三等兵:2007/07/05(木) 01:38:10 ID:???
うちの祖母の叔父は陸奥に乗ってて沈没した時泳いで生還したらしい。
けど当時陸奥沈没は内密みたいでその後すぐ何処かに送られたけど
そこからも帰ってきて陸奥の事を話したらしい。
まぁ俺が生まれる数年前に亡くなって祖母から聞いた話だから嘘か本当かはわからないけど

あと父方の祖父母は別々に満州に行っててそこで知り合って結婚したらしい。


で、この前中国に行って当時満鉄で働いてたり日本軍の駐留地になってた村とかの
人の話を聞いたけど結構友日的な人が多くて驚いたな
今まで中国の事嫌ってたけど少し考え直そうと思ったよ

嫌韓は直りそうにないけど

313 :名無し三等兵:2007/07/05(木) 01:50:56 ID:???
>>312
反日支那人の大半は江沢民以後の教育を受けた連中。

314 :名無し三等兵:2007/07/05(木) 09:56:54 ID:???
>>312
祖父が張作霖の列車が爆発したときの事後処理にあたったという人に聞いたことがあるが
瀋陽とか大連、長春のあたりはもともと親日らしい
日本によるインフラ整備でとにかく素晴らしい建物、施設がたくさんでき生活も豊かになったし
溥儀を擁立して一時的ではあれ満州国をつくってくれたことで日本を好む人が多いのだと
「満州国の発展を目の当たりにしたのもアメリカが日本を叩かなくてはならないと思った原因のひとつ」だそうだ
日教組に洗脳されてたので、そんなのはたわごとだろうと思っていたのだが
たまたま旧満州に行く機会があり、地元の人と接してみると意外にも親日が多くて驚いた
ただ若い人たちには反日が多いらしい、あと瀋陽は朝鮮人が多く彼らの拠点にもなっているということで
あいつらは日本人を忌み嫌ってるから注意しろ、と言ってくれる人もいた



315 :名無し三等兵:2007/07/05(木) 09:59:33 ID:???
>>312
当時、陸奥爆沈は軍事機密でしたね。
爆沈の原因は対空三式弾の自然発火説や兵の自殺説等が有るが何だろう?

316 :名無し三等兵:2007/07/05(木) 10:50:30 ID:???
弾薬庫でたき火たとか。

317 :名無し三等兵:2007/07/05(木) 11:28:45 ID:???
オラが産まれる前に亡くなったうちの爺ちゃん、戦時中の一時期
参謀本部に勤務してたらしく、そこに先輩として辻政信が居ったみたい。
伝え聞いた話によると、辻さんは軍人としての個々の功罪はともかく
人柄的には面倒見が良くて気さくな人だったそうな。

ちなみに爺ちゃんは陸大の選科というところを卒業してるんだけど
これは当世風に言えば社会人枠みたいな感じだろうか。

318 :名無し三等兵:2007/07/05(木) 12:23:28 ID:???
うちの爺ちゃんは3回も徴兵されたそうだ。
日中と第二次と、あとは何だろう?今、生きていたら90歳超えるはず。
補給部隊に所属で、一兵卒も3回の徴兵で軍曹に。

うちの爺さんは根っからの商人だったので、そういう意味では
中国人のことは余り信用していなかったみたい。
でも、一番忌み嫌っていたのは露。野蛮だ嘘つきだ、と。

ちなみに、軍人恩給は「そんなモン貰わなくても、食い扶持ぐらいは稼げるわ!!」
と貰わなかった。戦後でも生きる要領は得ていたようで。

戦後も猛烈な天皇陛下マンセーだったらしい。
親父が小学校で「将来の夢は?」という質問に「天皇になりたい」と答えて
こっぴどく叱られ、その上「ちゃんと天皇陛下と言え!!!」と怒られた、と笑ってた。

319 :名無し三等兵:2007/07/05(木) 12:31:37 ID:???
>>318
>3回の徴兵
日露戦争?

320 :名無し三等兵:2007/07/05(木) 12:34:20 ID:???
うちのジジイ、
中国の屋台で食った肉まんが美味かったとか、中国人の子供に柿を貰って食ったとか、
戦争行ったはずなのに、食い物とか、のほほんとした話しかしなかったぞw

321 :名無し三等兵:2007/07/05(木) 12:41:49 ID:???
うちの母方のじいちゃんは鉱山技師
大戦中は一兵卒として満州に駐留してたんだが
子供が大勢いたもんで絶対生きて帰る、と決心しいつも一番後ろにいたそうだ
自分などはむしろそっちのほうが危険だったのではないかとも思うのだが
技術者が足りなくなったとかで19年頃内地に召還
おまえひとり帰りやがって、みたいな感じで部隊の人たちからボコボコに殴られたそうだ
その後その部隊がどうなったのかを自分は知らないが気持ちはわかるような気がする
じいちゃんは殴られても帰れると思ったら何ともなかったよ、と
所属は久留米の連隊だったらしいんだが

322 :名無し三等兵:2007/07/05(木) 14:43:31 ID:???
>>319
15年も戦争していれば3回徴兵される事もあるだろう。

323 :名無し三等兵:2007/07/05(木) 16:37:58 ID:???
うちの爺さんは衛生兵として中国大陸にいっとったらしい。
前線ではなく、後方での治療が主だったんで
ほとんど戦闘は体験してないらしいんだが、
負傷者の輸送中に襲撃されて、そのとき初めて小銃を撃ったとか。

まぁ、そんなこんなで戦線を後ろから追いかける形で
本人曰く、「のほほんとやってた」らしいんだが、
終戦後には日本兵じゃなくて中国兵の治療とかをさせられて、
引き揚げがかなり遅れて、日本に帰ってきたころにはそれなりに復興してる
日本の光景をみてびびったとか。

324 :名無し三等兵:2007/07/05(木) 18:39:44 ID:???
俺のじいちゃん東南アジア行く途中で終戦

325 :名無し三等兵:2007/07/05(木) 21:13:31 ID:???
うちの爺様も3回、現役入れると4回入隊したらしい。
現役で満州警備、2回目で南京、3回目が徐州、4回目が桂林。
最終階級は軍曹。
こんなことなら将校志願しときゃ少佐殿だったとぼやいてたけど・・。

326 :名無し三等兵:2007/07/06(金) 10:08:04 ID:d0c9rMu7
亡くなった義母は満州で看護婦をしてた。そこで軍人と結婚したが戦死、再婚するも
またも戦死。子供もできる間も無かったらしい。引き上げ後、舞鶴で知り合った人と再婚するが
その人も病気で亡くなった。
色々な事があり、祖母を頼って北海道で俺の親父と一緒になった。親父も先に逝ってしまったが
一昨年、亡くなったが晩年は幸せだったらしい。ロシア語、中国語、朝鮮語も会話出来た人でした。
生きてるうちに満州へ旅行させてあげたかった。


327 :名無し三等兵:2007/07/06(金) 14:25:41 ID:???
父方の祖父は広島で教師をやっていて被爆。
でも平成元年まで生きてた。
母方の祖父はやはり広島で学生だったが、8月6日に限って
作業が中止になり、助かったらしい。
考えてみると親戚全員広島にいたのに誰も死んでないな。

328 :名無し三等兵:2007/07/06(金) 15:21:29 ID:???
>>327
それは凄い。

329 :名無し三等兵:2007/07/06(金) 22:41:45 ID:pXn69h7i
スレチで悪いんだが、俺アメリカ留学するんだが
俺がいく予定地はホームレスが異常に多くて、土地柄か男性ホームレスの
六割が従軍経験者でその四割がベトナム帰還兵
らしくて「俺はベトナム帰還兵だ」って言いながら物乞いしてるらしい
思い切って金払って戦争体験聞いてみるべきだろうか…
身よりもないだろうし、このまま貴重な戦争体験をだれにも
語らないまま孤独に死んで忘れられるんだろうから…


330 :名無し三等兵:2007/07/06(金) 22:58:14 ID:???
>>329
アメリカ人の事は、アメリカ人に任せておけ。

そうでなくても、オマエのアナルは狭そうだから。

331 :名無し三等兵:2007/07/06(金) 23:38:57 ID:???
マジレス
インタビューを行うにしても、語学力を磨いて現地で友人や人間関係を作って、
それから、絶対ベトナム帰還兵支援とか反戦系の「団体」があると思うので、
信頼できそうなところを探してインタビューの仲立ちを頼むのがいいんじゃないかと思う

332 :名無し三等兵 :2007/07/07(土) 00:44:01 ID:???
>>329
平和な国育ちの見ず知らずの若者に、ダイレクトに心の傷に
触られるようなこと興味本位で聞かれて、相手が心穏やかで
いられると思うか?



333 :名無し三等兵:2007/07/07(土) 00:58:49 ID:???
>>329
危険だから止めたほうが良かろう。

334 :名無し三等兵:2007/07/07(土) 02:01:02 ID:???
聞いてどうするの?
米軍にでも入隊するのか?

335 :名無し三等兵:2007/07/07(土) 18:18:37 ID:??? ?2BP(0)
>>334
貴重な話は聞けるだろう。
っていうか、キミなんでここにいるの?w

>>329
好奇心より保身を優先したほうがいいと思うよ。

336 :名無し三等兵:2007/07/07(土) 19:14:26 ID:???
>>335
>っていうか、キミなんでここにいるの?w
自分らの先輩に話を聞くって訳じゃないだろう。
動機は好奇心しか見えなかったからさ。

337 :名無し三等兵:2007/07/07(土) 19:21:21 ID:???
>>336
トラヴィス・ビックルさん↓
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/8/84/Taxi_Driver_still_5.jpg
みたいな人に話を聞くのは難しそうだしな


338 :名無し三等兵:2007/07/07(土) 23:56:52 ID:???
「健太郎。Vマークは止めろ」
「Vマーク? なんだよそれ」
「知らんのか。ほらあるだろう、写真撮るときに、指立てて“V”と」
「ああ、Vサインのことね」
「写真撮るのはいいが、おまえ、あれだけは止めとけよ」
「なんでだよ」
「こないだテレビ見ていたんだが、ニュースで出た殺人犯が、写真で“V”をやっていてな」
「ああ、犯人の写真がなかったんで、家族や友人から写真を入手して報道に使ったんだな。たまたまVサインの記念写真しかなかったんだろう。よくある話だよ」
「あの“V”は、みっともない。おまえが万一、殺人事件の犯人になって…」
「なんで俺が犯人なんだよ!」
「いや、被害者になったとして…」
「なんで殺されなきゃならないんだよ。誰が殺すんだよ!」
「いやいや。とにかくだ。そういう事件に巻き込まれて、ニュースになったときに、おまえが“Vマーク”してる写真で紹介されたら、とんでもない恥さらしだぞ」
「だってそのときは、逮捕されるか死んでいるんだろ。そういう段階を過ぎてるじゃないか」
「俺がいいたいのは、Vマークは、とても恥ずかしいということだ」
「どうだっていいじゃないかそんなの」
「どうでもよくない!」
「父さんは、最初にVサインをやったのが誰だか知ってる?」
「知らん」
「チャーチルだよ。イギリスの。第二次大戦中、ヒトラーに勝つために、ヴィクトリーの意味でVサインをやってあれが有名になったんだよ」
「チャーチルは、立派な男だったな」
「だから別に、恥ずかしいサインというわけでもないんだよ」
「いや、恥ずかしい。とにかくおまえ、止めておいたほうがいいぞ。あんな間抜けな写真はないからな」
以上は夕食時に交わされた父子の会話です。親父に関してはほかにもネタがあるんですけど、また今度にします。

339 :名無し三等兵:2007/07/07(土) 23:58:38 ID:???
>>329
ベトナム帰還兵のホームレスはほとんど偽物。
浅草寺で傷病兵のかっこした乞食に金やるのとかわんねえぞ。

340 :名無し三等兵:2007/07/08(日) 00:20:37 ID:???
>>329
バカな好奇心は身を滅ぼしますよ。異国の若造に傷口
ほじくられて、むかつかない人間がいるかな?殴られる
だけですめばいいけどなあ

341 :名無し三等兵:2007/07/08(日) 01:25:17 ID:???
>>329
それはお前のオナニーなんだよ

342 :名無し三等兵:2007/07/08(日) 02:05:38 ID:HpsPr9IX
>>339 反論する気は無いのだが…
白蛇を見せる!毒蛇に腕を噛ませると言って人を集め
自分の腕を切り万能薬だと言ってワセリンを売る者!。
高級ベルトだと売り付け長さを切ってから「バックルは別売りだよ!」と凄む者!。
狼が育てた美女狼娘を観て行け!と呼び込む見世物小屋の親父!。

そんなインチキがまかり通った時代の傷痍軍人
子供心に同情をかっての募金活動か?嘘っぽくて格好悪いね爺ちゃん?
と元兵隊の爺ちゃんに同意を求めたら

奴らは自分の為にやってるんじゃ無いよ
兵隊は惨めで格好悪くていい
格好よく見えたらまた戦争が始まるから
馬鹿な戦争だった… (彼たちを見て)戦争だけはもう懲り懲りだよ…

子供だった俺とで考え方が180度違うのには驚いた。


343 :名無し三等兵:2007/07/08(日) 08:08:08 ID:???
!。
って何なんだろう?
初めて見た

344 :名無し三等兵:2007/07/08(日) 09:58:47 ID:HpsPr9IX
!。
インチキ、イカサマ、何でも在り

345 :名無し三等兵:2007/07/08(日) 15:56:40 ID:???
兵隊乞食てまだあるんだな。


もまえら最後に見たのは何時?

346 :名無し三等兵:2007/07/08(日) 16:12:01 ID:HpsPr9IX
最後に見たのは40年位前だったかな〜


347 :名無し三等兵:2007/07/08(日) 16:44:22 ID:???
子供の頃、ライフルの実弾を見せてもらった
弾丸て丸いものだと思っていたから、禍々しいデザインと重量感に半泣き

348 :名無し三等兵:2007/07/08(日) 18:02:58 ID:???
今日、目黒の御不動さまでみたよ。>>345

349 :名無し三等兵:2007/07/08(日) 18:11:28 ID:???
何歳位?

350 :名無し三等兵:2007/07/08(日) 18:37:22 ID:???
50くらいじゃね

351 :名無し三等兵:2007/07/08(日) 18:38:00 ID:???
戦後生まれか?

352 :名無し三等兵:2007/07/08(日) 19:17:20 ID:HpsPr9IX
正統派は募金箱に簡単な経歴が書いてある
アッツ島玉砕最後の生き残りとか

353 :350:2007/07/08(日) 19:41:21 ID:???
竜兵団にいたって箱に書いてあったけど聞いたこともない。

354 :名無し三等兵:2007/07/08(日) 20:03:38 ID:???
いくら正統派と言ったって、前後生まれでは?…

355 :名無し三等兵:2007/07/08(日) 20:10:51 ID:???
1970年代に一人の片手片足失くした人が箱置いて下をむいてうつむいて座ってるの、よく見た
場所は北九州の小倉

356 :名無し三等兵:2007/07/08(日) 20:41:42 ID:HiNt39Rf
>>345
中学の修学旅行で奈良行ったとき見たな
いまから17年前

357 :329:2007/07/08(日) 20:59:34 ID:0xbeGv+n
従軍した人は興味本位で若造に聞かれたくないものだったのかぁ…
昔、英語の先生が朝鮮戦争とベトナム戦争に従軍して死にそうになったって聞いて
くわしく話聞こうとしたら「コリアは寒かった。ヴェトナムは暑かった。二度と行きたくない。それだけだ。」
って言われたなぁ…
家には当時のフィルムとかあるらしいが…

358 :名無し三等兵:2007/07/08(日) 21:04:26 ID:???
さっきやってた欽ちゃんが利尻島でウニ食う番組見ながら、

「兵隊にとられた時は房総にいたんだが、北海道出身の奴が山のようにウニとってきて、
こっちは海無し県出身だからうまいもんがあるんだなあと喜んで食ったもんだよ。
あまりにいっぱいとれるもんだからウニが高級なもんだと聞くとつい驚くね」

359 :名無し三等兵:2007/07/08(日) 22:35:36 ID:???
>>340
ベトコンに急襲されたときにオレはこうしたんだ!と叫びながら・・・

360 :名無し三等兵:2007/07/09(月) 01:21:03 ID:??? ?2BP(0)
>>357
日本以外の国にもおじい様の戦争体験を聞く掲示板とかあるのかな?
匿名じゃないと話づらいと思うけど。
2ちゃんねるのある日本はいい国だ。

361 :名無し三等兵:2007/07/09(月) 07:13:39 ID:P6fICyhy
激しく同意。
なにかと悪者にされる2ちゃんだが、一部を除けば、こんなに素晴らしい媒体は他にないよね(´∀`)


362 :名無し三等兵:2007/07/09(月) 11:53:11 ID:???
なんだすっかり良スレじゃん

昔は爺の徴兵忌避を自慢げに書き込む馬鹿と
それを批判すると『俺たちの自慰様たちを批判するな!』
なんて喚く厨房ばっかりだったんだけど。。。

363 :名無し三等兵:2007/07/09(月) 12:05:37 ID:???
>>362
良スレだからこそ厨な書き込みをするでない。

364 :名無し三等兵:2007/07/09(月) 13:10:32 ID:???
>>363
事実だろうがw

僕のおじいさんは裏から手を回して戦争に行きませんでした

を絶賛する厨の群。。。だったんだぞw

365 :名無し三等兵:2007/07/09(月) 13:14:04 ID:???
>>362
書きこむ本人の体験じゃないからしょうがないじゃん。 >爺の徴兵忌避
むしろ、それだから今の自分が居るかも知れないし。



366 :名無し三等兵:2007/07/09(月) 13:16:34 ID:???
>>365
前レスで過酷な体験が並んでるのに か?
それこそ恥を知るべきだな 恥を自覚した上での書き込みなら
まだいいけどな

367 :名無し三等兵:2007/07/09(月) 13:30:49 ID:???
>>365
もっともらしく戦争体験を捏造した書き込みも多いけどねw

368 :名無し三等兵:2007/07/09(月) 16:35:28 ID:???
>>366
過酷な体験>>>>徴兵忌避
としか考えられないゆとりは死んでいいよ。そりゃ面白いつまらないが
あるから徴兵忌避の話ばかりではなんだが、おまえも「恥を知るべき」
なんて言う権利ない。>>332をよく考えろ

369 :名無し三等兵:2007/07/09(月) 17:16:48 ID:???
一番つまらんのは、説教モードのカキコだな

370 :名無し三等兵:2007/07/09(月) 17:44:20 ID:???
空気を読まず祖父の体験談をレス
(俺自信かなり前に聞いた話しだから変なとこもあるかもしれない)

戦時中、祖父は中学生〜高校生くらいだったしいが、特攻隊に入れられたそうだ。
遂に自分にも順番が回って来て、新潟から九州だかそっちの方の基地へ移動することになったらしい。
丁度長崎の手前まで来たところで長崎に原爆投下。
きのこ雲を近くで見たらしい。
空が真っ赤に燃えて、この世の物とは思えないほどで気持ち悪かったそうだ。
爆心地にも行ったらしいが詳しい話しはしてくれなかった。
その後戦争は終わり、祖父は特攻する必要が無くなり帰って来た。

戦後祖父は結核や心筋梗塞や脳梗塞やら数多くの病に掛かったが、もしかしたら被爆したのかも知れないらしい。

そんな祖父も6年前に亡くなった。
厳しい人だったけど、とても優しい人だったよ。

長文スマソ

371 :名無し三等兵:2007/07/09(月) 19:07:52 ID:???
>>368
あほらしw

卑劣な爺の犯罪行為を得意げに書き込む馬鹿孫
それをおまいのように感動に打ち震えて読む奴
とことん腐ってるよなw

どっちがゆとりだかw

372 :名無し三等兵:2007/07/09(月) 19:11:21 ID:???
二番目につまらんのが「何が何でも反論モード」のカキコだな

373 :名無し三等兵:2007/07/09(月) 19:25:14 ID:???
うちの爺ちゃんは戦前呉服屋だった。
戦中も呉服屋だった。
戦後も呉服屋だった。
そのうち呉服で食えなくなって店を畳んだ。

374 :名無し三等兵:2007/07/09(月) 23:49:35 ID:P6fICyhy
一番つまらんのはなんでもゆとりゆとりって言う低学歴の学歴コンプオサーンだけどな。

375 :名無し三等兵:2007/07/10(火) 02:47:33 ID:???
>>370
いやいや、長文乙です。
自分の爺様はまだ健在なのだが、
ちゃんと腰をすえて体験談を聞く機会がなかなか無くてな。


376 :名無し三等兵 :2007/07/10(火) 02:50:13 ID:???
陸軍にいた父方の爺様に聞いて、泣かれた

爺さん、心底スマン

377 :名無し三等兵:2007/07/10(火) 11:19:01 ID:???
何か上手い聞き出しかたってないものか?

378 :名無し三等兵:2007/07/10(火) 12:51:04 ID:???
>>377
自分ももらい泣きする

379 :名無し三等兵:2007/07/10(火) 19:51:12 ID:???
>>378
親しくなったら高額な布団の契約書を取り出す。

380 :名無し三等兵:2007/07/10(火) 19:51:17 ID:???
>>377
「分かる分かる!懐かしいなぁ」
って言いながら盛り上げる

381 :名無し三等兵:2007/07/10(火) 20:41:02 ID:/hAY0Slp
おじいちゃんや、おばあちゃんから今聞いておかないと、歴史が消滅するから体験談を聞こうという集まりがあるので教えて....って聞いたり、おじいちゃんが生きてなかったら僕は生まれていないから、教えてって言うとか。
実際、その世代の人の話は重みがある。

お客さんの話だけど、第一回目の学徒出陣した人だったんだけど、身近な人が特攻隊で死んだりとか、
電信を担当した知りあいの人は、その人の電信はリズムが良く、聞き取りやすかったから
電信の担当を外されなかったらしいが、他の人は次々と出兵して戦死したそうだ。
あの時代は、今の当たり前が当たり前でない時代だと思う。


382 :名無し三等兵 :2007/07/11(水) 03:53:24 ID:???
関係ないが、特攻機からの最後の電信を受信する通信室の状況、という話を思い出した。

> “Y中尉、宮中席次……番ただいまより中城湾内にある重巡に突入する”
> そして数秒後ピ――という連続発信音が続く。
> それは最後の特攻ダイビング姿勢に入ったことを示すもので、搭乗員が突入開始から目標に
> 激突するまで電鍵を押し続ける音で>ある。機上から送り続ける生存の終焉までの
> 基地員とのきずななのだ。やがて連続音はフッと消える。通信員はその時刻を紙に記入する。
> Y中尉のもの静かな顔が目に浮かぶ。
> また別の通信が入る。
> 「○〇一飛曹、兵籍番号、横鎮第……号。ただいまより突入。ピ――」
> もう聞くに堪えない。通信員がきょろきょろ左右を見回しはじめた。涙があふれている。
> 「交代してください」
> と通信科分隊士に哀願する。
・・・
(「八月十五日の天気図」)

耐え切れなくなった通信員の心情を思いやると、堪らないものがある。

383 :名無し三等兵:2007/07/11(水) 07:40:57 ID:???
亡くなった英霊達の御霊は俺が必ず引き継ぐ!

384 :名無し三等兵:2007/07/11(水) 08:18:23 ID:???
>382

それ、大嘘だよ。
モールス信号打っことしかできんよ。
携帯で電話するように名乗ってなんてできしません。

385 :名無し三等兵:2007/07/11(水) 08:47:16 ID:3+TJmMmj
>>384
モールスはいろは〜ABC、数字まで総て符合があるのだが

386 :名無し三等兵:2007/07/11(水) 11:13:55 ID:3+TJmMmj
トラだと
ト・・−・ ラ・・・


387 :名無し三等兵:2007/07/11(水) 12:27:04 ID:???
まさかモールスでSOSが打てるのを知らない世代?

388 :sage:2007/07/11(水) 13:06:01 ID:???
地上でも機上でも略語を打っていた
和文平文を打つより短縮され
簡潔に伝える事ができる

キカイコショウス=キコ

御年84歳
乙飛18期、藤本重作ニ飛曹
元一陸攻電信員より聞きました

389 :名無し三等兵:2007/07/11(水) 13:07:35 ID:???
トントントンツーツーツーぐらいは誰でも知ってるものだと思っていたが。

今でも陸自の野戦ではモールス信号使ってるらしいね。

390 :388:2007/07/11(水) 13:53:56 ID:???
>>389
確か国内電信級陸上無線通信士
の資格だと思った
和文電信オンリーの資格だっけ?

俺っち喰えない3総通もってるが




まあこれ以降は無線板でやるべ

391 :名無し三等兵:2007/07/11(水) 13:57:57 ID:???

隊長機よりト連送
「ゼングントツゲキセヨ」



392 :名無し三等兵:2007/07/11(水) 14:34:41 ID:BzsYPINn
ウチの親父と伯父は、軍隊経験有り。
今日は、伯父(親父の兄貴)について。

伯父貴は長男なので、そうれはもう優遇されていた。
貧乏なのに、中学卒 → 満鉄勤務
でも、支那事変が激しくなってきたので、
「マズ〜、軍隊に取られたら、二等兵だよ〜」
って、士官学校(自費)へ行かせてもらった。
(↑について、中学に行かせてもらえなかった親父は、未だにスネている)

最初は関東軍だったけど、戦局の悪化で運良く早めに内地へ帰れたが、部隊ごと市谷に呼び出し。
「あ〜、こりゃ南方だな」
「エエイ、ヤケクソじゃ、官給路銀と溜まった給料で、京都で部隊ごとドンチャン騒ぎじゃ!」

で、部隊召集に一日遅たので、
上官「藻前、敵前逃亡で軍法会議な。逝ってヨシ!」
  「もう、南方逝く船が無いから、北海道で謹慎な」

そんなこんなで終戦のドサクサで、軍法会議どころではなくなったので、命拾い。
当時の部下の方から、よくお礼状が届いていた。
「○○大尉のおかげで、還暦を迎えることができました」
って。

393 :名無し三等兵:2007/07/11(水) 14:54:35 ID:???
北海道で謹慎も
展開によっては結構きわどいけどなー。

394 :sage:2007/07/11(水) 15:58:57 ID:???
>>391
ト連送の意味知ってるよね

単に「へ」を連打する事なんだが

395 :sage:2007/07/11(水) 18:58:32 ID:???
>>393
多分末期編成の第百一混成旅団だろ?
末期編成のため、戦闘らしい事は皆無だから

396 :名無し三等兵:2007/07/11(水) 19:26:28 ID:3+TJmMmj
>>394
そうだったのか
短音連打なのか、かなのト符合連打なのかずっと疑問だったよ


397 :名無し三等兵:2007/07/11(水) 19:50:02 ID:???
>>394
言ってる意味がよくわかんないんですが

ト連送=全軍突撃セヨ
テ連送=敵見ユ
ヒ連送=敵飛行機見ユ
ツ連送=各隊突撃セヨ
ア連送=集マレ

じゃなかったでしたっけ?

398 :名無し三等兵:2007/07/11(水) 21:07:46 ID:???
母方の祖父は、大戦前はソ連と戦って、大戦中はルソンだかミンダナオだかで終戦迎えたらしい
詳細はよく知らないけど、家に国境事変従軍記章と賞状があったからノモンハンか張鼓峰に従軍したのは確実

399 :sage:2007/07/11(水) 21:21:16 ID:???
>>395
独立混成百一旅団
北海道防備のため終戦間際に全国から集められた連隊や大隊やらの寄せ集め
結局これといった戦闘は全くなく
終戦で解体


おれ爺さんがこの旅団の
苫小牧憲兵分遣隊の憲兵軍曹だった
兵隊たちにもこれといった諍いも無く
平和だったと話てたな
爺さん戦後公職追放にはなったが

400 :名無し三等兵:2007/07/11(水) 21:28:52 ID:???
>>397
横レスというか横コメントですが、
多分、ト連送はト、ツーのトの連送、つまり、ヘ(短点 ・)の連送の意味でしょうか。
しかし、ヒ連送=敵飛行機見ユ 或いは、我敵飛行機ノ追躡ヲ受クが 
”信室に響く「ヒ連送」が「兵糧缺乏、兵糧缺乏、兵糧缺乏」の搭乘員の悲痛な叫びに聞え”る
などという記述もあり、これはヒ(ーー・・ー ツーツートトツー)がそのように、
合調法でヘーリョーケツボーと聞こえたという意味ですから、
実際、ト連送も トトツートト(・・−・・)と打ったのだと思います。
合調法というのは、例えばイをイトー (・−)、ロをロジョーホコー(・−・−)等というように口調をあわせて覚える方法です。

401 :名無し三等兵:2007/07/11(水) 22:03:25 ID:???
訂正
誤 ヘーリョーケツボー
正 ヒョーローケツボー
orz

402 :名無し三等兵:2007/07/11(水) 22:18:00 ID:???
>>396>>397>>400
明日クラブの集まりで
藤本重作ニ飛曹に会うから
そのあたり詳しく聞いてみる
結果書き込みするね

クラブの例会で話が手持ち無沙汰になり
隣同士の時はペンのノック側で机をたたき
和文モールスでよた話をする仲だから

あっ、おれまだ30台

403 :392連隊:2007/07/12(木) 00:28:24 ID:???
>>395 >>399
>独立混成百一旅団

アリガd
もう伯父貴は、他界しているので、確かめるすべは無い。
なんせ、イイカゲンな伯父貴というか、ウチの家系の男子は全部イイカゲン。

後日譚があって、軍法会議は逃れた伯父貴だが、戦後B級戦犯として、GHQからお呼び出しがかかった。
しかし伯父貴は、北海道駐屯時代から付き合っていた伯母と結婚し、そのまま伯母の実家で、スルメを作っていた。
実家に呼び出し状が来たのだが、完全にシカト。

極東軍事裁判といっても、B、C級に対しては、そんなに追求が厳しくなかったみたい。
(出頭された方は、死刑になった方も多いが)
伯父貴のことはキライじゃなかったが、なんつ〜か、非国民な伯父貴だわな。

404 :名無し三等兵:2007/07/12(木) 01:10:53 ID:???
>>391のセリフは映画「連合艦隊」の真珠湾攻撃時の一節ですな

405 :392連隊:2007/07/12(木) 01:17:33 ID:???
次は、我が親父のこと。

伯父貴(親父の兄)が士官学校へ行くので、親父は中学に進学させてもらえなかった。
それでスネて、尋常小学校卒業とともに、海軍少年飛行兵に応募。
そのまま予科練(甲飛16期)→ 鹿屋基地配属

鹿屋は、言わずと知れた特攻基地。
親父は昭和3年生まれだから、数えで18歳、満年齢だと16歳!
今で言うと、高校1年生を飛行機に乗せて戦争させているんだから、旧海軍もDQN組織だわな。

当然、オイラは子供のときから、親父の来歴は聞いていたので、幼少のころ聞いてみた。

オイラ「父ちゃん、飛行機乗っていたんでしょ?零戦?」
父ちゃん「ちがう。偵察機(彩雲)」

オイラ(ちぇ、カッコ悪りぃ〜)「でも、アメ公、撃ち落したんでしょ?」
父ちゃん「全然。だけど2回ばかし、撃ち落されたぞ」

オイラ(全然ダメじゃん_| ̄|○)
 (半泣きで)「でも、戦争は勝ったんでしょ?」
父ちゃん「わはは〜、ボロ負けじゃあ〜」
 「おっちゃん(伯父貴のこと)なんか、アメ公に死刑にされそうだったから、逃げまわってたし〜」
 「そういやオレも、アメ公から呼び出しが掛かってたけど、キンタマ抜かれると思ったから、シカトしたし」

オイラ(ワンワン泣いて)「オマエら、負け犬じゃあ〜」「根性無し〜」

その話しをした後、幼少ながら悔しくて悔しくてしようが無かった。

406 :名無し三等兵:2007/07/12(木) 10:35:58 ID:???
小林よしのり著『平成攘夷論』はおもしろいぞ
コヴァは嫌いでも、とりあえず読め!
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4093890587/


407 :名無し三等兵:2007/07/12(木) 15:02:48 ID:???
>>405
喪舞、物凄く面白く感謝だが、書くのにもっと良い場所があるような・・
文句言ってんじゃないよ。ちと惜しい気がしたので。

408 :名無し三等兵:2007/07/13(金) 00:29:56 ID:???
>405

甲飛なら中学か実業学校の在学資格無いと無理でっせ。

409 :sage:2007/07/13(金) 04:15:51 ID:???
>>408
その前に陸軍に少飛はあったが
海軍にあったっけか?

410 :名無し三等兵:2007/07/13(金) 07:46:47 ID:aUrXzVmz
我が家の墓に中身ない骨壺だけ
入ってて過去帳に〇〇ニテ戦死とだけ書いてあって
苗字が違う人がいるんだが国に問い合わせたらどういう関係かわかるかな?
ちなみに子孫は俺一人だけなのでこのままニートすると
江戸から続いた家が途絶えて都内一等地の墓が無縁仏に…\(^_^)/オワタ

411 :名無し三等兵:2007/07/13(金) 10:45:29 ID:???
おれの祖父は、上海特別陸戦隊で二回の上海事変を戦った。
太平洋戦争の時も、どっかの鎮守府の特別陸戦隊で下士官(分隊長)だった。
すごいだろ。

412 :392連隊:2007/07/13(金) 11:54:40 ID:???
>>407 読んでくれてアリガd

>>408 >>409
さすが、軍板!ツッ込んできますね。

親父は、尋常小学校 → 尋常高等小学校 → なにやら、学校制度が変わって混乱
 → 途中でアヤシげな学校に編入 → 卒業していない

海軍少年飛行兵は、ご指摘のとおり間違い。
正しくは、海軍少年航空兵に応募 → 合格 → 予科練習生

応募資格は、べつに中学などに行って無くても、相当の学力があれば良い。
なんで、同期も年齢はバラバラ。
もちろん、親父の年齢(数え16歳)が最低で、2級上が一番多かったらしい。
でも、カリキュラムはみんな一緒で、付いていくのがしんどかったとのこと。

自慢になるが、ウチの家系の男子は、イイカゲンだが知能指数だけは高い。
ただ、代々劣化しているのは、ヒミツだ。

413 :三式戦飛燕:2007/07/13(金) 13:43:29 ID:???
四一〇! おまいには失望した!!(笑) ブスでもいい不細工でもいい!誰でもいい♀を見つけて嫁とせよ!貴様それでも男か,歯ァくいしばれェ! という訳で探しなさいハ。 俺?俺はブサイク嫌だモン,ブス貰う位なら独身でいるよマ(笑)

414 :名無し三等兵:2007/07/13(金) 20:34:39 ID:O6wC3o33
平和だな!日本!

415 :名無し三等兵:2007/07/13(金) 20:40:59 ID:M+Ey+DsX
誰のおかげかな?

416 :名無し三等兵:2007/07/13(金) 20:46:11 ID:o8hEpm9Q
靖国神社に一度は逝けよ!

417 :三式戦飛燕:2007/07/13(金) 21:00:24 ID:???
やはりお祖父さま世代が闘って勝ちえた物でしょう
靖国は3回行きました!!
まだ少ないですが又行きたいと思います。
ワタクシ連合国側の人が戦勝国と言うのは仕方ないと思いますがシナ人が勝国づらするのが許せません。自分日本は中国に負けたと思ってませんから( ̄人 ̄)ノ

418 :409:2007/07/13(金) 21:09:23 ID:???
毎年一度四月に
うちのクラブ主催の
千鳥ヶ淵戦没者墓苑の慰霊祭には行ってる
帰りは必ず靖国参拝
漏れはウヨじゃないよ

ただただ純粋に
今の繁栄の礎となった御霊を弔うため

419 :名無し三等兵:2007/07/13(金) 21:16:03 ID:???
年に一度の 靖国詣 集まる仲間は 少ないが

420 :名無し三等兵:2007/07/13(金) 21:38:59 ID:Q56s3iWh
8月に神社、寺の周辺でサンバカーニバルやる馬鹿どもに何か一言!

421 :名無し三等兵:2007/07/13(金) 21:50:49 ID:o+LrK/1X
なんかひい爺さんが近衛兵だったとか聞いた。
本当かどうか判らないけど…

422 :418:2007/07/13(金) 22:04:08 ID:0GwzOQ3E
>>419
確かに生存組の靖国参拝は少なくなったみたいだね

うちのクラブの慰霊祭には
生存組は関係なく毎年300人以上は来る
千鳥ヶ淵だけどね

423 :名無し三等兵:2007/07/13(金) 22:22:12 ID:Q56s3iWh
よぼよぼ爺さんの靖国参拝泣けるな〜

424 :名無し三等兵:2007/07/13(金) 23:17:48 ID:???
>>411
何の、ワシの爺さんは日露戦争で活躍したのだぞ(嘘ではありません)

425 :名無し三等兵:2007/07/13(金) 23:25:07 ID:???
>371
んじゃ祖国の英雄の爺を持ったおまえは
イラクでも池

426 :名無し三等兵:2007/07/13(金) 23:52:41 ID:???
俺なんか川中島の合戦で大活躍したんだぜ。

427 :名無し三等兵:2007/07/14(土) 00:39:32 ID:ldR4XS2B
>>422既出かもしれんが貴殿のクラブ名教えてくり


428 :名無し三等兵:2007/07/14(土) 00:41:43 ID:???
チンポニカイ

429 :422:2007/07/14(土) 09:34:36 ID:???
>>427
四月の第一木曜日に慰霊祭
でわかるでしょ

430 :名無し三等兵:2007/07/14(土) 20:08:11 ID:???
樺太でソ連の捕虜になったけど、無事に帰国出来たって言ってた。

431 :名無し三等兵:2007/07/14(土) 21:22:31 ID:???
こう見てると、ご存命の方が多いですね
いろいろなお話が聞けるのはうらやましいです

432 :名無し三等兵:2007/07/14(土) 21:47:31 ID:XeyoM2FY
日本人のシベリア抑留1000000人
説ってどうなんだ?
実際大陸には余裕でそんくらいの兵力いただろうし…

433 :名無し三等兵:2007/07/14(土) 22:53:05 ID:???
関東軍の根こそぎ動員と巻き添え組でそれくらいは・・。

軍人軍属の数は60万で良いとして地方人+第三国人がどれくらいあるかによる。





434 :名無し三等兵:2007/07/15(日) 11:57:00 ID:???
うちのひいじいさんは二・二六事件に参加してたが
何も語らず死んでしまったな。

435 :名無し三等兵:2007/07/15(日) 15:23:08 ID:???
ここは誰かまとめサイト作らないのかな?

436 :名無し三等兵:2007/07/15(日) 20:43:25 ID:???
なにをまとめるんだ?

437 :名無し三等兵:2007/07/16(月) 13:10:52 ID:???
体験談をじゃね?

438 :名無し三等兵:2007/07/16(月) 14:25:40 ID:???
>>435
確かに、流れていくには惜しい話が満載だしな。
誰か過去ログ持ってないかな・・・

439 :名無し三等兵:2007/07/16(月) 15:47:13 ID:???
5からならある

440 :名無し三等兵:2007/07/16(月) 20:25:18 ID:VIeSgSnl
・祖父の話
祖父の父は日進日露戦争に従軍した歴戦の兵隊だったが、祖父が志願兵として兵役に服そうとすると
「軍隊は自分から行くところではない。」と、反対された。
しかし若さと情熱を抑えきれずに入隊。関東軍として満州で電信の軍務をこなしていた。モールス信号
も完璧だ。他にも、電線などの修繕もやった。上官からの制裁は毎日のようにあったが、どういう訳か
金曜日(土曜日だったかも)だけは殴られることはなかった。元来からだが弱く、半年の間寝てしまった
せいで同期に遅れを取るも無事兵長に。現地ではとにかく憲兵の横暴が癪にさわり同僚共々良く思っ
てなかった。しかし兵長になると、さしもの憲兵もでかい面はできなくなった。世間では一億火の玉だの
なんだの言ってるが、この戦争は負けるのは確実だ。同僚達とはそんな話もできた。

満州の冬は特別寒い。−30〜40℃は驚くことではない。常に手足をこすっていないとすぐ凍傷にかかって
しまう(この極寒での経験が将来身を助けるとは思いもしなかったが…)。そんな厳しい環境ではあるが、
なんだかんだで良いこともある。食料は豊富で、ぶくぶくと太ってしまって80kgにまで。タバコも好きなだけ
吸える。給料は全部タバコに消えていったけどな。

441 :名無し三等兵:2007/07/16(月) 20:44:35 ID:NGUuC1/B
特攻兵器「震洋」隊の慰霊祭に潜り込み、聞き取り調査した時の話より。

【高知県における海軍の本土決戦準備の日々】
高知県高知市の浦戸地区(桂浜の近く)の浦戸湾付近の、太平洋からの艦砲射撃をうけない
角度の海岸線に迫る山や入り江に、13本の地下トンネルを掘り、そこに
回天8機と魚雷艇5隻、震洋50隻を格納、隠匿した。(現在は跡形もない。)
浦戸トンネル(100m)は海軍弾薬庫として接収し使用した。(浦戸トンネルは往時の姿のまま現存)
浦戸大橋の東の山の上(現アスレチック広場)には、燃料がなくて予備艦になった戦艦榛名から下ろされた
機銃群がおかれ、機銃陣地を構築した。(現在コンクリ製台座とみられるもの以外跡形もない。)
連日、夜間に浦戸湾にて訓練を行った。士気は旺盛であった。
本土決戦時は、須崎市の海軍23突撃隊の指令の下、回天が出動、次に、高知県夜須町
(現香南市)や須崎市、宿毛市にあった震洋隊、回天隊と協同歩調をとりつつ、魚雷艇の援護下で震洋隊が
敵に突っ込んでいく作戦だった。その後は海軍は陸戦に移行、四国山地でゲリラ戦闘することになっていた。

442 :名無し三等兵:2007/07/16(月) 20:52:29 ID:???
・つづき

不安はありつつもそういう毎日、直接敵と銃火を交えることもない平和な日々が過ぎていった。

しかしその不安が現実となる。負ける負けるとは思っていたが、本当にその日はやってきた。
これからどうなるのだろうか、殺されるのだろうか。いや、このまま日本へ帰れるかも?

復員の夢は脆くも断たれ、連れて行かれた土地はシベリアだった。どうやらここで労働に従事
するらしい。大勢が連れて来られている。満州だけでなく、いろんな所から集められたようだ。

作業内容は石炭の採掘だった。つるはしでとにかく掘りまくった。単純に労働だけならまだよかった
が、ここはシベリア極寒の地。満州時代でやってた要領で、手足をこすって凍傷にならないように
気をつけないといけない。事実、満州組のように寒さに慣れていない人たちは、次から次へと手足
を切断する不運の身となっていった。

食料事情も最悪で、これで生きてゆけるのか心配になる。あの巨漢はどこへやら、みるみる痩せて
ゆき骨が浮かんできた。

443 :名無し三等兵:2007/07/16(月) 21:12:48 ID:???
>>441
須崎の二十三突は、悲劇的な最後を迎えています。
ttp://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/sinyo-yasu.htm

444 :名無し三等兵:2007/07/16(月) 21:13:36 ID:???
・つづき

鉱山での作業とは別に、共産主義教育の時間があった。作業もせずに済むので楽だ。
話の内容はまったくバカバカしいが。中には感化される者も出てきて、それを皆に説き
始めてうざいことしょうがない。

ロシア兵も一緒になって石炭を掘るのだが、若いロシア兵の横柄な態度には腹が立つ。
こちらの持ち物もめぼしいものは全部取られた。両の腕に日本兵から奪った腕時計を
いくつもつけて自慢し合っている。しかし歳をとったロシア兵はまったく別で、日本兵にも
優しく接してくれた。言葉は何も通じないが手の動きや顔の表情で何でも伝わる。

そんなある日、ロシア側の偉い人たちに呼び出された。
「君は真面目に善く働いてくれるから、特別に外出許可をやる。給料も支給する。」
給料は数百ルーヴル(失念)?だった。自分が第一号かどうだかわからないが、月日が
たつと、自分以外にも同じような待遇を受ける者がいたようだった。

町へ出てみると、当然ながらロシア人だらけだ。ふらふらと歩く日本人を、皆が好奇の
目で見ている。お金があって外へでられる、といえばまず食料だ。だが当時は店にいって
もどこもなにも置いてないという感じだった。食料だけでなく物品も。唯一あるのは黒パン
だけで、もらったお金でそれが1個買えた。といってもかなり大きく、腹は膨れた。みんな
にも分けてやった。

445 :名無し三等兵:2007/07/16(月) 21:21:46 ID:???
>443

この見張所のボンクラは何してるんだと・・。

つ「見張所は「敵機動部隊、高知平野東部手結岬方面を砲撃中。目下付近の海軍特攻部隊は

続々出撃、戦果拡大中」と打電」

446 :名無し三等兵:2007/07/16(月) 21:27:30 ID:???
・つづき

現場の老齢らしき(日本人の祖父にはそう見えただけかも)ロシア兵と仲良くなり、
彼の家に招待された。足を踏み入れて最初に感じたのは、とても暑い。巨大な
ストーブで家の中をガンガン暖めていたようだ。シャツ一枚で十分だ。スープと
パンで、豪華な食事とはとても言えないものだったが、その優しさに触れることが
できて嬉しかった。

祖父の戦争の話はここまでです。復員までの経緯とか所属部隊とか、もっともっと
色々と聞いておけばよかったと後悔しきりです。余談ですが、復員後は、満州〜シ
ベリアの数年間の寒冷下の生活のせいで冬でもシャツ一枚で丁度良いくらいだった
そうで、近所の人から「気がふれた」と噂されたとか。

じいちゃんありがとう。

447 :名無し三等兵:2007/07/16(月) 23:53:27 ID:???
>>446
乙です
よいお話を聞かせていただきました。

こういう貴重な話が聞けるこのスレは、ホントに良スレだね
もったいないから、やっぱりまとめスレ欲しいね

448 :392連隊:2007/07/17(火) 11:08:54 ID:???
親父話しのつづき。

親父は、前述のとおり、昭和20年に鹿屋にいた。
特攻作戦の参加者は、直前ではなく一週間程度前に決められる。

オイラ「特攻って、強制だった?」
親父「他はどうか知らんけど、鹿屋は志願だった。ただし、」
・搭乗員は一列に並ばされて、「次の作戦への参加希望者は、一歩前へ!」とやられる
・たいてい、全員、前へ出てしまう
・出なかったからといって、イジメも罰直も無かった
・でも、出なかったことによる、同僚の蔑みの目が怖いので、出てしまう

オイラ「親父は?」
親父「おう、毎回前へ出ていたぞ」
 「ただし、いっぺんも選ばれなかったから、オマイがいるわけだ」

 「選ばれなかったときの感触は、なんとも言えんぞ〜。
『貴様と、貴様と、…貴様、後のものは、次の機会に期待せよ!解散』
となるんだが、選ばれなかった連中は、みんなうつむいて立ち尽くしている」
 「半分は命が助かった安堵感だけど、半分は悔しさだった」

 「特攻に選ばれる=名誉 だったから、バカな話しだが本当に悔しかった」
 「特に、自分より技量未熟な学徒の連中が選ばれて、自分が選ばれなかったときは、司令官に直訴しようと思った」

 「あと(終戦後)でよく考えると、海軍も計算していたみたいだ」
 「オレみたいに、正規の訓練受けている連中は、残したかったんだろうな」
 「その上、クソガキ過ぎて、かわいそうとも思ったんじゃね〜か」

(↓つづく)

449 :392連隊:2007/07/17(火) 11:55:01 ID:???
(↑つづき)

オイラ「でも、特攻なんて絶対死んでしまう作戦に、なんで志願するの?」

親父「まあ、ワシの場合は、普段の作戦がイヤだったからな」
 「地上と高空の気温差があるだろ?一日に2〜3回飛ばされてみろ。腹のなかグチョグチョや」
 「当然、クソを漏らしてしまうし、後ろに乗っている士官にモロバレ」
 「色気盛りの、18〜9歳(数え)だぞ。死んだほうがマシって思うわい」

 「オマケにな〜、特攻に選ばれると、軍服新調してくれるし、それを着た特攻要員のカッコいいこと!」
 「また、ヤツら生死をすでに超越しちゃってるから、立ち居振る舞いもカッコイイ」
 「ワシもそうなりたい!って思っちゃうんだわ」

オイラ「ふ〜ん。親父もいろいろ悩んだんだ」
親父「悩み?そんなもん持つ教育なんぞ、受けとらんわ」
 「そのころについて、いろいろ考えるようになったのは、終戦後」
 「マスコミで騒がれているように、生死について悩んでいたヤシは、皆無とは言わんけどごく一部」
 「少なくとも、ワシら予科練上がりは、『イケイケ、ドンドン』じゃ」
 「海兵出身の将校のなかには、悩み抜いたヤシも居るやろうけど」

 「戦後、まことしやかに『特攻は強制やった』とか、『風防をボルト止めしていた』とか言うヤシが
出てきたけど、チャンチャラおかしい戯言や」
 「そんなことせんでも、希望者はワシを含めていくらでも居た」
 「また、そんな根性なしに飛行機乗せるんは、もったいないわい」

オイラ「玉音放送聴いたときは?」
親父「『チッ、エラいさんも、たいしたこと無いの〜。チョッとやられたら降参かい』というのと、
『やれやれ、今日から飛行機乗らんで済むわい』というのが、正直なところやった」
 「だけど、なんか人生の張りが無くなったいうか、アホ臭くなったわい」

 「ということで、オマエはワシの人生にとって、オマケで出来た子ということや」
…_| ̄|○

450 :名無し三等兵:2007/07/17(火) 12:18:57 ID:/Jh4L5Zc
七三一部隊の話しも聞きたいな〜
無理だと思うが

451 :名無し三等兵:2007/07/17(火) 14:26:48 ID:rWh/nNqc
じいさんの話じゃなくて父の話。戦争末期、二十歳そこそこの父は
特攻に志願。飛行機に乗れると思ったが回天、つまり人間魚雷だっ
たんだって。 今も軍からの菊水の印のついた封筒が家にあるよ。

452 :名無し三等兵:2007/07/17(火) 14:30:24 ID:rWh/nNqc
直前に終戦をむかえて助かったんだけどね。

453 :名無し三等兵:2007/07/17(火) 16:09:30 ID:i8bp6GYs
60年くらい前に某県の山奥に
住んでいた曾じいさん夫妻が
ある真夜中真っ暗な山道で人なんかいるはずない道を懐中電灯だけで歩いていたら
道の端っこでそんきょしながら首を横に激しくグルグル回している
人間がいたらしい。このシチュエーションだけで全く有り得ないんだが
「貴様!何をやっとるかぁぁ!」と怒鳴ったら消えたらしい。
戦時中は何が起こるかわからないね。
それにしても何なんだろうか…

454 :名無し三等兵:2007/07/17(火) 16:16:36 ID:???
@レインボーマンの修行
Aムジナ
B幽霊
Cケムール人
Dどっきりカメラ

455 :名無し三等兵:2007/07/17(火) 17:02:01 ID:???
>>444
なんか当時のシベリアの民間人たちも抑留者なみの状況だったらしいですね
私がうかがった話によると。。。
だから 地元のロシア人たちを恨む気持ちにはならなかったと聞きました

456 :名無し三等兵:2007/07/17(火) 17:53:58 ID:???
>>455
政府にとって都合の悪い人たちを、シベリアに強制移住させたとかいわれてるから
そういう人たちだったのかも、まさに「国内抑留者」だよね
それでもそういう人達は、「ラーゲリ(強制収容所)に入れられなかっただけ良かった」と
自分を慰めるしかなかったとか、酷い話だよね

457 :名無し三等兵:2007/07/17(火) 17:54:53 ID:???
うちの近所に、坂井三郎氏と同じ部隊だった爺さんが住んでたよ。

昭和20年8月18日の最後の空中戦にも参加したとか言ってた。

458 :名無し三等兵:2007/07/17(火) 19:17:48 ID:bV2TvWH/
じいさんは「三船敏郎と同じ部隊だった。あいつは嫌いだ」
とだけしか言わずに死んでしまった。
どの部隊でしょうか?

459 :名無し三等兵:2007/07/17(火) 19:18:00 ID:???
これはじいさんではなく伯父さん(母方の伯母の夫)の話なんだが
伯父は戦車隊に配属されることを望んでいたそうだが
トラックの運転が出来るというので、あっさり不人気な輸送部隊行きになってしまったw
輸送部隊の隊長は一般大卒のさばけた人で、あまり将校らしくない御仁だったそうだが
あたまの回転が速く、要領の良い人で、部隊はそつなく任務をこなしていた。
終戦の日、部隊は朝鮮半島にいたが、終戦を知ると隊長は
「我々は軍の指揮下を離脱する」と脱走を宣言して、終戦の混乱の中、港町までたどり着くと
軍用トラックをオンボロ漁船と交換して日本に帰還した
おかげで部隊全員抑留されないで帰国できたが、脱走がばれるとまずいというので
半年くらい故郷には帰らなかったそうだ
結局脱走の件はうやむやになって誰もとがめられることもなく、今でも隊長は命の恩人と感謝しているそうだ

460 :名無し三等兵:2007/07/17(火) 20:34:46 ID:???
>458
満州国空軍か

461 :名無し三等兵:2007/07/17(火) 20:56:15 ID:???
>>459
世渡り上手な上官でよかったね。

462 :名無し三等兵:2007/07/17(火) 21:24:35 ID:???
祖父は当時の支那へ行っていたそうです。
荒野を進み進めばどこからともなく発砲され、祖父にとっては
逃げるばかりの戦だったそうです。

ある村では歓待され食事をご馳走になり、言葉を教わった事もあったそうですが
誰も居ない村に辿りついた時にはそこに残された林檎に仕込まれていた毒に
やられて大変な思いをしたそうです。
奇跡的に助かったのち、本国へ戻ってからも林檎を口にする事はありませんでした。

支那で殺された日本兵の死体はそれは惨いもので耳や鼻が削がれ眼が繰り抜かれ
手足が除かれたりしていた為、捕まる事だけは避けたいと必死だったそうです。

関連する伯母からの話では、ニュースで日本兵がしたと言われる殺戮方法を
聞いた時、同じく支那へ行った祖父の友人が「何を言っているんだ。
それは中国人のやり方ではないか」と憤っていたそうです。

現在80歳前後の方の戦争体験を聞かされる事もありますがその方は見張り塔に立ち
敵機が現れた時に必死で空砲を撃って威嚇していたそう。

463 :名無し三等兵 :2007/07/18(水) 01:17:14 ID:???
処罰の見せしめのために首を落とす伝統はあるが・・・
敵の身体をこれ見よがしに加工する習慣って、江戸期以降の
日本にあったかねえ・・・



464 :名無し三等兵:2007/07/18(水) 01:53:14 ID:???
リア厨の頃に通っていた塾の塾長の話、
塾長が子供の頃、壕に放棄されていた震洋の爆薬持ち出して
爆弾の様な物を作って原っぱで爆発させて遊んだって言ってた。

465 :名無し三等兵:2007/07/18(水) 02:30:57 ID:???
>>459
その隊長は、先が見えるし度胸もある、というべきですね。
早くから英語放送とかで正確な状況を知ってたんじゃないかな。

466 :名無し三等兵:2007/07/18(水) 10:21:17 ID:???
>>465
兵たちはこの隊長の言うことを聞けば必ずうまくいく、生きて故郷の土が踏めると確信していたそうなので、
やっぱり並みの将校じゃないんでしょう

ちなみにこの隊長さん、戦後は自分で会社興して羽振りがよかったそうです、さもありなん
伯父は戦後も運転手を続け、けっして模範的な運転手じゃなかったのに「無事故・無違反」だったから
運気が人一倍強いのでしょう、元気で長生きしてるし、私の顔を見れば説教したがるしw

467 :uaa:2007/07/18(水) 13:20:53 ID:TwbSAuz6
>>459
うちの祖父さんは自動車部隊の中隊長だった。
歩兵少尉任官→予備役→日産自動車入社・運転免許取得→輜重兵に転科→応集
当時は運転免許を持ってる奴が少なかったから、免許を持ってると輜重兵にされたそうだ。
歩兵よりも死亡率は低い。特に、歩兵の下級将校は死亡率が高かったらしい。

「運転免許持って無ければ生きて帰れなかった」と言ってた。

468 :名無し三等兵:2007/07/18(水) 14:40:49 ID:0dfRaHez
>>463
仙台藩士が斬首した人間の首をウンコ漬けにしたことがあるよ。

469 :名無し三等兵:2007/07/18(水) 14:55:42 ID:???
うちの家系は男女問わず目に遺伝性の欠陥持ってるから赤紙来た事ないって話は聞いた事あったな

その代わり、今苦労してるが

470 :名無し三等兵:2007/07/18(水) 16:40:55 ID:???
>>466
いや
最後まで踏みとどまってれば物資を山分け。。。だったんじゃない?

>>469
銃後で大変だったんでは?防空班長とかにされて

471 :名無し三等兵:2007/07/18(水) 17:35:22 ID:???
>>469
kwsk

472 :名無し三等兵:2007/07/19(木) 19:17:29 ID:???
もう40年も前の話だが、近所の爺さんから三重県のとある山中
に日本軍の戦闘機が落ちた話を聞いた。この爺さん有名な偏屈で、
1人暮らしだったけど近所の人ともまったく会話しなかったが、
なぜかオレには、なんだかんだと話しかけてきた。一度話してる
とこを親に見られて、えらく叱られた事もあった。

数年後、中学くらいになって、戦艦とか戦闘機とかに興味がわいて
きたので、もう一度詳しい場所を聞いてみた。自転車と徒歩でなん
とか日帰りできそうな所だったので1人行ってみたよ。 
たしかにありましたよ、でも機種とかは、わからずっていうか飛行機
と言われても、わからないような状態でエンジンらしきカタマリが
2発あるような感じだった。
おまけに、今思えば部品とかに英語が書いてあるわけないし日本機
なのかも不明だった。アルファベットのUの上に・・があったのを
なぜか覚えてる・・・ドイツ語? 戦前のドイツの部品使ったこと
もあったのかな? 

あたりを掘り返したりしてたら機銃弾が数発出てきた。
弾頭の直径が8mmくらいだったので、7.7mm機銃用かな?
もう、無くしてしまったけどね。探せば、まだあるかな?

見に行ったことが親とかにバレると、叱られるので爺さんにも
誰にも言った事がない。 
その爺さんも、10年以上前に逝ってしまった。

もう一度、あの場所に行ってみるかな。


473 :名無し三等兵:2007/07/19(木) 19:33:39 ID:???
まるで小説かなんかのプロローグじゃないか

474 :名無し三等兵:2007/07/19(木) 20:50:37 ID:???
つ花の子ルンルン

475 :名無し三等兵:2007/07/19(木) 21:21:38 ID:???
>>472
ああ良かった、行方不明のJu86がやっと見付かった。

え?違う?

476 :名無し三等兵 :2007/07/19(木) 23:44:19 ID:???
輸入エンジンそのまま使った機体ってあったっけ?

477 :名無し三等兵:2007/07/20(金) 03:01:14 ID:WvsuP6e1
んー、無いなそんな自殺行為は
いくらなんでもやらなかつタ

478 :名無し三等兵:2007/07/20(金) 03:33:14 ID:???
まとめサイトないのもったない

479 :名無し三等兵:2007/07/20(金) 05:01:28 ID:???
自衛隊の試験を受けた時、私の地域を管轄してた出張所の所長
の父親が、陸軍中野学校の第一期生でした。
当時ビルマで活動してたらしく、戦後も現地に残ってそれを続けた
とのことで、首相とも知り合いに。日本に帰っても首相一家とは
関係が続き、息子の世代、つまり所長もまだ彼らと交流をしているとか。

所長の父親が当時の首相と握手してる写真なども見せてもらいました。

480 :名無し三等兵:2007/07/20(金) 10:48:41 ID:???
オイラのジッサンは南京だ・・南京の攻防は予想より早く占領できたが。その後の治安維持が
大変だったらしい(いま近い状態はイラクのバクダット周辺か?)銃殺刑の犯罪者(強盗殺人者
いまならテロリリストというかもね)を塀に囲まれた所にあつめて塀から刑を執行したらしい(あま
りにも犯罪者が多いので射手は塀の上に移動したらしい)

南京市内では日本軍がきてから平和になったと喜んでいたらしいね。攻城戦の時は中華軍の
物資の奪取、人員の借り出しがひどく。店や市民は生活がひどかったらしい・・・

休日の時ジッサンは南京豆を駐屯近く通る露天商の人から買って食べるのが楽しみだったらしい
そのとき露天商の人から「日本がきてくれた、おかげで商売できます。ありがとう。」とたどだしい
日本語でいわれたそうだ。

占領してすぐ日本語でしゃべりそして商売する南京の露天商にジッサンはびっくりしたそうだ。

その後、徐州戦に参加したらしい。(思い出したら書くつもりです。)

481 :名無し三等兵:2007/07/20(金) 17:01:02 ID:???
>>478
分類が大変だからやだ。

482 :名無し三等兵:2007/07/20(金) 21:34:11 ID:l3uEtS5i
硫黄島の石ころが家にあるんだが
どうしたらよい?


483 :名無し三等兵:2007/07/20(金) 21:38:04 ID:???
1930年代に三井安太郎という人によって作られたロボット
http://www.gizmodo.jp/img/070719mitsuiBot.jpg
http://www.gizmodo.jp/2007/07/post_1892.html


484 :名無し三等兵:2007/07/20(金) 22:16:36 ID:IUOdGjG/
じいさん、海軍士官だったらしい。
死んじゃったけど。
士官学校で優秀な卒業生に贈られる短刀(?)を大事にしてました。
なんでも沖縄に向かう大和を護衛する船に乗っていたとか…。
一度しか話してくれなかったから、よくわからない。
もっと話しを聞いておけばよかった…。
(´;ω;`)じぃちゃん…

485 :名無し三等兵:2007/07/20(金) 22:21:11 ID:???
>>480
南京大虐殺をネタにしてる左派に読ましたい。

486 :名無し三等兵:2007/07/20(金) 23:02:04 ID:GR1FFGZI
俺の爺さんは
五歳の時に死んだから記憶にないんだ

お前ら羨ましいぜ






俺が五歳のときな

487 :名無し三等兵:2007/07/21(土) 00:26:47 ID:???
オレもじいちゃんの話聞きたかった・・・・(´・ω・)
オヤジが5才の時に死んじゃったからオヤジも話は聞いてないし。
叔父から聞いた話だと曾祖父からの軍人の家だったので
曾祖父が日清・日露戦争に参加して台湾併合の際に
家族ごと台湾に行き、祖父も台湾で入隊、高砂族反乱鎮圧に参加し
その後、曾祖父が台湾警護の任を解かれ家族は帰国。
祖父は軍務で北支へ、昭和16年に内地勤務に。篠山の連隊で教官をしてたとか。
最終の階級は大尉か大佐かのどっちか忘れてた><

話を聞いた叔父は18才で志願入隊して
昭和20年から南京に半年いて海南島で終戦を迎えたとか。
叔父のすぐ上の兄は北支からニューギニア戦線に引っこ抜かれてウェワクで戦死したらしい。
九人兄弟で六人いた男兄弟も末弟のオヤジと叔父だけになっちまった。
今年の盆に叔父にもう一度話を聞きに行こう。

488 :名無し三等兵:2007/07/21(土) 00:46:18 ID:???
>>487
菩提寺やお墓を調べるとイイヨ
佐官クラスなら従何位とかあるかもしれない

489 :名無し三等兵:2007/07/21(土) 01:17:40 ID:???
掃射して来る戦闘機は何故か全部グラマン。

浜松郊外の自宅敷地内に陸軍の兵士を泊めていた時期があったと言っていた。
馬に乗せてもらったり爆撃が始まると裏山に登って一緒に見物したそうな。
宿泊していた兵士で一番偉いのが上等兵で、そいつだけは屋内で寝泊り、
残りは外で天幕生活。たまに軍曹が来ると慌てて外に出て行ったと言っていた。
終戦後、兵士達が食事を出してもらっていたお礼を言いに来たとの事だが、
結局上等兵だけは来なかったと言っていた。

その他、近くに米軍機が墜ちたとの通報で行ってみたら日本軍機だったなんて話も。

490 :名無し三等兵:2007/07/21(土) 08:34:25 ID:???
>>481
とりあえず過去スレあげるだけでもいいんじゃないかなあ。

491 :名無し三等兵:2007/07/21(土) 08:38:54 ID:???
直接祖父から話をうかがったわけではなく、母から聞いただけなのが残念だけど

祖父は陸士を出て、南方に。河をさかのぼって来る米軍のボートを襲っていたらしい。
でも米軍も日本兵がどこかに隠れていると知ってるので、草陰木陰めがけて機関銃を
乱射しながら上ってくるせいで、結局出るに出られず中々襲えなかったと。
しかも集合をかけると、たまに被弾してる者がいてそれは難しい任務だったそうな。

陸士時代か何か不明ですが、整列して列から少しはみ出た者がいて、
それを理由に罰として醤油を一升ラッパ飲みさせられたという話も。
彼は後日腎臓を悪くして亡くなったそうです。

492 :名無し三等兵:2007/07/21(土) 09:17:48 ID:???
士官生徒が醤油ギンパイとわ・・。

493 :名無し三等兵:2007/07/21(土) 11:36:20 ID:k+h3PZaR
この前、公園でボケじーさんに昔軍人だった頃の話5回も
繰り返されてまいったよ。色んな武器の開発に携わって
たらしいが。トンカチ状の爆弾(手榴弾みたいな)とか。

494 :名無し三等兵:2007/07/21(土) 11:49:58 ID:???
そりゃ手榴弾だ

495 :名無し三等兵:2007/07/21(土) 17:22:47 ID:???
母親から聞いたじいちゃんの話。とにかく真面目
小さい頃、両親が事故死。親戚の家で子守や仕事を頑張りながらも
学業も良かった(通信簿俺より遙かに上、時代は違うが)。結婚してから
5年間は子供を作らず夫婦で頑張りコツコツと働きお金を貯める。給料は
安かったけど、休みの日には片道5〜6キロ祖母の実家の農家で野菜を貰って
リアカーに積んで持ってきたりと、とにかく働いて子供たちに苦しい思いは
させなかった。

そんなじいさんも第4連隊として戦争に参加。だけど何も話さなかったな〜
最後まで・・・


496 :名無し三等兵:2007/07/21(土) 17:44:54 ID:???
俺が話を聞いた爺さん達もたいがい戦争の話をし出すと家族に
「いい加減にしてよ!」と怒られるのでできないと言ってたよ。

497 :名無し三等兵:2007/07/21(土) 19:32:48 ID:???
爺さんの弟は日米開戦の刻長門艦上で『われ真珠湾に突入す〇一三○』なる電報を受取り、司令長官に届けさせたそうだ。その後艦橋で皇居、靖国方向に脱帽最敬礼をしていた長官を見たようだ。

498 :uaa:2007/07/22(日) 03:12:45 ID:28im8kOL
戦争中、親父は軍オタの厨房だった。

ドーリットル爆撃隊が東京に来た時、友人達が「日本の飛行機だ」と言ったのに対して、
親父は「あれは米軍機だ」と言った。
その直後、その飛行機が爆弾を落とし始めて、一人で得意なってたそうだ。
(フクロにされなかったのか?)
テレビでドーリットル空襲の事が出た時自慢してた。

499 :名無し三等兵:2007/07/22(日) 03:19:28 ID:ljlSkEQv
ブロードキャスターで放映されたのだが、フィリピンで旧日本兵の亡霊が現れて大騒ぎになった事件があったとよ
女子生徒など失神したのが何人も出たとよ
何とか静めたいから、日本から神道の宮司でも僧侶でも来てくれないかと
村長みずからが言っていたな

500 :uaa:2007/07/22(日) 03:27:51 ID:28im8kOL
フィリピンで旧日本軍コスプレオフ会やる?

501 :名無し三等兵:2007/07/22(日) 03:35:09 ID:???
巫女さんのコスプレを用意して可愛い子にでも着せた方が良いと思う
それなら俺が宮司をやる

502 :名無し三等兵:2007/07/22(日) 08:12:46 ID:???
それじゃあ俺は巫女さんに退治される亡霊やりますね。

503 :名無し三等兵:2007/07/22(日) 09:04:11 ID:???
それじゃあ俺は諸星あたるをやりますね。

504 :名無し三等兵:2007/07/22(日) 12:19:10 ID:???
うるせい!

505 :面堂終太郎:2007/07/22(日) 22:48:15 ID:???
>>504〜ッ!そこに直れ〜ッ!

506 :名無し三等兵:2007/07/22(日) 23:54:29 ID:e2y9LUyZ
墓参り行ったら軍用犬の形した可愛いお墓と
佐官クラスの将校の墓が無縁仏になって撤去されてコンクリートで固められてた。
無造作に打ち捨てられた無縁仏墓石軍の中には軍人墓がいっぱいあった。
こうして戦争が風化していくんだね。
みんな戦争体験聞けるうちに聞きまくれ。


507 :名無し三等兵:2007/07/23(月) 00:26:39 ID:???
家の裏手の山の方に○○少尉戦死の地っていう小さな碑が立ってるのだが

508 :名無し三等兵:2007/07/23(月) 01:49:10 ID:WAw1eS6j
 近所のご隠居さんの爺様は日露戦争で出征したが、乗船したのが「常陸丸」
だった。朝鮮半島を目にすることなく「水漬く屍」となり、靖国に祭られて
いるそうな。

509 :名無し三等兵:2007/07/23(月) 07:27:09 ID:???
>>507
防空戦で撃墜されその場所に墜死した
防空戦で敵機に体当たりを敢行、その場所で遺体が発見された

510 :名無し三等兵:2007/07/23(月) 13:54:15 ID:???
曽曽祖父(ひいひい爺さん)
直系 陸軍士官(40歳大佐で病死)
母方 西南戦争 田原坂の戦いで戦死

曽祖父
海軍工廠技師

祖父
民間(大戦時 すでに病死)


大戦時は幼かったので戦争にはいかなかったが
地元 呉の海洋少年団のようなところに入っていて
大和の真横をカッターで通った事があると聞いている。
とにかく真上に見上げる高さが印象的だったそうだ。
日向にも乗った事があるとの事だったが
艦船で一番印象的なのはなにか聞いたところ
意外やイ号潜水艦で戦艦は大きいのが当たり前だが本来小さいはずの潜水艦でもイ号がとにかく大きく感じたとの事

大叔父
海軍士官 終戦時呉海軍工廠付け
広島に原爆が落ちたときに海軍工廠でも大騒ぎになったが
たった一人ある技術士官が即座に
「原子力爆弾だ!」と明言したとの事
技術系は原爆の概念をすでに持っていた。

511 :名無し三等兵:2007/07/23(月) 15:06:44 ID:???
>>510
チンタオの海軍航空隊にいた、80歳のうちのおじーちゃんは、
小学生(旧制?)のとき先生から原子爆弾ってのが可能だってのを聞いたって言ってた。

512 :名無し三等兵:2007/07/23(月) 15:38:35 ID:???
祖父の話。
終戦を迎えた後、友達とこれからどうしようかという話をしていたのだが
結論として何故か「こうなったら山賊になるしかない」という話になって
二人で武器を手に入れるためにわざわざ自転車で海軍の飛行場まで行って
偵察機から後方機銃取っ払って持って帰ろうとしたそうだ、
もっともめちゃくちゃ重かった上に見つかったらヤバイという事
で途中で捨ててしまったらしいが……山賊は無いだろ爺さん…

513 :名無し三等兵:2007/07/23(月) 21:12:57 ID:???
>>511
戦前の少年少女向けの科学雑誌をバカにしてはいけません
ものすごく(ノアよりも)ガチです
 “ 日本のSFの父 ” こと海野十三↓は、
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E9%87%8E%E5%8D%81%E4%B8%89
昭和2年においてすでに原爆の可能性を作品中で論じています



514 :名無し三等兵:2007/07/24(火) 09:41:56 ID:???
H・G・ウェルズは1914年の「開放された世界」で核戦争を描いているし
それ以前にもジュール・ベルヌか誰か忘れたけど核兵器のような物を登場させてるし
一部の科学者やSFマニアの間では、「核兵器の登場」はすでに常識だったのではないのかな
だから1926年に原爆に言及しても別に驚異的なことじゃないと思うが

515 :名無し三等兵:2007/07/24(火) 11:13:40 ID:???
十数年前の話だけど
床屋でたまたま隣り合わせた爺さんが戦時中に放射性物質を
扱っていたと話したくれたよ。
何でも当時は放射線なんて、どの様な害があるか分からず、
鉱泉の成分に似てるからと兵用の大浴場に入れたらインキン
完治者続出で喜ばれたとか。  オソロシ。

516 :名無し三等兵:2007/07/24(火) 11:46:41 ID:???
朝鮮戦争時、イケイケなマッカーサーは参戦してきた中国にも原爆を落とす気でいた。
危機感をもった大統領はマッカーサーを解任した。

その後、アメリカは冷戦時に莫大な軍事費をかける事になる。

当時のICBMなど無い次期に中ソ叩き潰しておけば…



517 :名無し三等兵:2007/07/24(火) 11:57:37 ID:???
だめです
虫国は核では無くなりません、地球規模で核物質による汚染が
発生するくらいの核を打ち込まないといけないでしょう。
しかも、国外にさらに膨大な虫国人が繁殖しています。
彼らの繁殖力は異常です。
国内で6000万人も殺しあっても、人口が減りません。
地球が滅亡するのなら、虫国人が原因でしょう。

518 :名無し三等兵:2007/07/24(火) 12:11:34 ID:8KSPISy9
強烈な細菌兵器教えてください。仕入れ次第ばら撒いてきます。

519 :名無し三等兵:2007/07/24(火) 13:05:24 ID:???
中狂の侵略方法
まず侵略先に移民、労働者、不法入国など手段を問わず入国させる。
さらに侵略先で大繁殖をする。(子供の同級生とかに虫国人がいたり)
知らないうちに中華街が方々に出来始める。
田舎のスーパーなんかでも、虫国人が目に付くようになる。
ある日突然、侵略先は歴史的に中狂の領土だと言い出す。
軍事的挑発を繰り返す。
ささいなきっかけで軍事衝突。
人民軍という名の獣の群れが押しかける。
そして国内の虫国人が・・・あなたを・・・



信じなくともいいけど、
うそじゃないよ。 
チベット見てごらん!

520 :名無し三等兵:2007/07/24(火) 13:06:33 ID:???
>>518
お前の玉袋の裏で飼ってるのがあるだろ

521 :名無し三等兵:2007/07/24(火) 13:22:47 ID:???
お〜!!
それそれ

522 :名無し三等兵:2007/07/24(火) 14:02:36 ID:ebMfvTm6
>>518
金あんのか?2万くらいなら出すぞ?

523 :名無し三等兵:2007/07/24(火) 18:32:01 ID:84KNDjuI
戦争体験【丸一日の機銃掃射で市民48人死亡】
祖父の話(70歳)
8歳の夏、朝から晩まで猛烈な掃射があった。小さなうちの集落にも20機位来襲。
奇襲だ。いきなり来た。落とす術は無い。一方的にやられっぱなし。
アメリカは動くもの全部というか、家とか手当たり次第に撃ちまくった。
小型爆弾もボンボン煙を出しながら飛んできて地面に大きな穴がいくつも
出来た。県下全域を180機の艦載機が襲い、市民48人が死んだ。
それと、日本の飛行機や船を見たことは一度も無い。戦争末期でも日本は戦闘機を
結構な数を出撃させて頑張っていたことを戦後に知ったが、見たことは無い。
兄は予科練に志願して出て行ったが、訓練期間中に終戦を迎えて無事帰って来た。

524 :名無し三等兵:2007/07/24(火) 20:27:42 ID:???
シナ人は命乞いばかりする弱虫だった言う話
えいや!って銃剣刺突でやっつけたってさ。
死ぬまで中国人嫌いだったな、俺の祖父。
終戦間際に左腕吹っ飛ばされたせいかもしれんが。

525 :名無し三等兵:2007/07/24(火) 20:35:23 ID:???
父方は消防(警察)だったから召集なし
母方は若い頃に大怪我をやったので内地で主計
で両方とも生き残った

526 :名無し三等兵:2007/07/24(火) 21:02:14 ID:ZOAcaKT8
うちのじーさんは召集で陸軍に入って試験?みたいなのに受かったから
軍曹になって満州にいったらしい。 
司令部にいたので戦場には出たことがなかったみたい。
でも終戦時?同胞がソ連に捕まって捕虜になっていると聞いた司令官が
かえしてもらえるようにソ連軍に交渉にいくからついてこいと、飛行機で連れられて
いったらしい。 行き先は今の平城らしい。
結局交渉はダメだったらしいが移動用に飛行機を一機とパイロットともう一人残せと
ソ連の将校?に言われてうちのじーちゃんが残る羽目になったらしい。
じーちゃん曰く「えらいことになったな・・・」とかなりへこんだらしい。
それからソ連の将校に満州の延吉まで飛んでくれと言われしぶしぶ飛行機に乗り
一緒に行ったらしいが延吉の飛行場に着く前にソ連の将校から身振り素振りで「飛行場に降りたら
すぐに逃げろ。」と言われたらしい。
選別に何故か双眼鏡をくれたそうだ。
延吉の飛行場に着いたらエンジンも止めずに一緒に乗ってたパイロットと走って
逃げたそうだ。

その後、なんとか日本に帰ってこれて今も健在だけどその時のソ連の将校は生きているんだろうか・・・
生きているならうちのじーちゃんが生きている間に会わせてあげたいけどね・・・

一緒に逃げたパイロットも日本に帰ってからは連絡取れなくなったそうだ。

ずっと語らなかったけど最近、話してくれました。

いつも言うのが「一緒に召集された仲間は南方に方へ輸送船で行く途中に潜水艦に
沈められてしまったよ・・」

ドラマみたいな話だけど尊敬する祖父の話でした。

527 :名無し三等兵:2007/07/24(火) 21:05:50 ID:???
>>524
ウチのジーサマも中国兵は
弱かったっていってた

528 :名無し三等兵:2007/07/24(火) 21:35:52 ID:???
じいちゃん言うには仙台歩兵第2連隊でガトウなんて南の島に行ったらしい
なんでも死地同然の戦地なので急いで結婚させられてから盛大に見送ってもらったそうだ
行きの船では何とかなるさ、大丈夫とか皆で言ってたそうだが島に着いてからは言葉を失ったそうだ
島のジャングルを歩いてると同じ日本人と出くわしたがみんなガリガリに痩せて痛々しかった
動ける者は合流して一緒にアメリカ軍の基地を攻撃したが失敗
その後はジャングルに逃げて帰りの船を待ったと言ってた
ジャングルなのに食べ物が無いのが一番苦しかったと言ってたのを覚えてる
自分が幼少時に病院のベットに横たわる祖父から聞いたお話なので不確定記憶を元に投稿しました。

529 :名無し三等兵:2007/07/24(火) 22:04:07 ID:???
>>528
畜生、揚げ立てのてんぷらが食いてぇ

530 :名無し三等兵:2007/07/24(火) 23:59:22 ID:Vyg3ST3e
いま何かと話題のゆとり教育世代(もう成人)の者だが
小学校時代にゆとり教育の総合学習で
地域のお年寄りに戦争体験を聞いて回る
ってやつがあってかなり聞いて回ったんだけど、生々しい話の連続で小学生の俺はどん引きしてた
それを察してか、「おじいちゃんは恐ろしい人でも化け物でも無いからね。こわがらないでね。…そうだ。南の島にはキレイな魚がいるんだよ。
バナナもとても美味しいんだよ。」とか泣きながら語ってくれたなぁ…
今思うと…ゆとり教育の成功例の地域だったんだなぁ。
総合学習の時間に英語教育とかしてた地域もあるみたいだけど…。
こうして今でも心に残ってる書ききれないような話
の数々はプライスレスだと思う。
小学生で英語やらなかったけど今英語ペラペラだしねwwww

531 :名無し三等兵:2007/07/25(水) 02:00:22 ID:???
>>528
軍事板で釈迦に説法で恥ずかしいのだが
ガトウ=餓島=ガダルカナル島ですな

532 :名無し三等兵:2007/07/25(水) 02:08:10 ID:???
>>531
ありがとうございました
最近硫黄島からの手紙を観て、祖父の話を思いだし何もわからず投稿したので。

533 :名無し三等兵:2007/07/25(水) 04:01:17 ID:???
祖父が国民学校の生徒だった時、友達十数人と海岸で泳いでいると、
上空に日本の戦闘機が飛んで来て、高度を落としながら旋回を始めたそうだ。
パイロットの顔が見えるくらいになると、しきりに沖の方向を指差して何か叫んでる。

何だろうと思って見ると、編隊を組んだ数十機の米軍機がやってくるのが見えて、急いで逃げたらしい。

祖父達が逃げるのを見届けた日本の戦闘機は、敵に向かって飛んで行ったらしいが、沖の上空で火だるまになって落ちていく一機の戦闘機の黒煙が見えたそうだ。

祖父は今でも、あの時のパイロットに感謝してるって言ってた。

534 :名無し三等兵:2007/07/25(水) 12:46:33 ID:???
その、パイロットに敬礼!

535 :ラプター ◆muRbTeyo.o :2007/07/25(水) 14:25:56 ID:???
>>533
なるほど、そのパイロットがいなかったら>>533は生まれてこなかったわけだな

536 :名無し三等兵:2007/07/25(水) 15:02:50 ID:???
父方の祖父(故人)は、戦争の思い出といったら、訓練中に上官に殴られまくったことくらいだそうで、
ゲートルの巻き方がなっていないと言われれば殴られ、
匍匐前進の訓練中、銃剣に刻印された菊の御紋に傷をつけてしまい、それを咎められては殴られ、
なんで自分より若い野郎に殴られなきゃいけないんだと、かなり憤慨していたのをこのスレ見てたら思い出した。確か「俺はポツダム上等兵」って言っていた。要は終戦まで二等兵だって解釈でいいのかな?

もう一つこのスレ見て思い出したこと。

母方の祖父(こっちも故人)は長男かつ国鉄職員だったから徴兵されなかった。
戦争の思いでは、勤務する駅(東北地方の某駅)に焼夷弾が落とされて消火活動が大変だったくらいとしか話してなかったなぁ。
焼夷弾が落とされた様子は祖父の家からもよく見えたらしく、留守を預かっていた祖母(故人)曰く
「花火みたいで綺麗だったよ」とのこと。

「花火みたいで……」の話は、夏休みに遊びに行ったとき、駅の近くを散歩していた時に聞かされた話。
一緒に散歩していたメンバーは、祖母、私、従姉妹そしてその旦那(当時、横須賀の米軍基地勤務、海兵隊員)
「おばあちゃん、花火みたいで綺麗だなんて言っちゃ駄目だよ。亡くなった人がいるんでしょう」
口を開いたのは従姉妹の旦那。そう言って駅舎に向かって手を合わせていた。

537 :名無し三等兵:2007/07/25(水) 16:59:45 ID:???
母方の祖父、現在は大工だが戦時中は呉で一式陸攻を作ってたらしい
去年の夏に帰省したら部屋中に一式陸攻のプラモがあって驚いた。
本人曰く「昔の写真見てたら急に作りたくなった」らしく、プラモ屋で買い占めたらしい

538 :名無し三等兵:2007/07/25(水) 17:08:03 ID:???
>>537
呉でプラモ作ってたのか?

539 :名無し三等兵:2007/07/25(水) 17:10:02 ID:???
(呉の隣の)広の海軍航空工廠

540 :名無し三等兵:2007/07/25(水) 17:51:17 ID:???
>>536
自分自身も何処かでその『花火』の下に居た事があるんだろう

541 :名無し三等兵:2007/07/25(水) 22:05:58 ID:???
うちの父方のは三式戦の整備をしてたらしいけどエンジンがすごくムズかったらしい。

542 :名無し三等兵:2007/07/25(水) 22:15:37 ID:???
三八式やら九九式やらのエアガンが出るor出てるというので、
一族に縁のありそうなのを買ってみるか。と思い立ち、
祖父曽祖父の軍歴を調べてみた。
日記もしくは上手くいけば写真があるかも。と思ったのだが
結果は・・・

父方の祖母の父
満州事変、ノモンハン事変、志那事変に従軍。
砲兵。高射砲を扱っていたらしい。最終階級軍曹。

父方の祖父
よく分からないが、多分戦車兵。
終戦まで本土にいたので、勿論実戦には参加していない。
階級は不明だが、多分兵。

母方の祖父
陸軍航空工廠で働いていたところ召集。
満州の山奥で備蓄・・・というか保管?されていた戦車やら自動車やらの修繕をしていた。
ということは工兵?なんだろうか。
ソ連軍につかまり強制連行・・・
最終階級二等兵。

見事に歩兵がいない。三八式も九九式も縁なかった。
母方の祖父はまだ存命なので、色々面白い話(Bf109を出した話とか、ソ連兵の話とか・・・)
を聞けたのだが、ここまで書いて自分の文才の無さが分かってしまったので割愛。
無念・・・


543 :名無し三等兵:2007/07/25(水) 22:47:35 ID:???
俺の爺さんの家にあった物で、終戦後に作られた、兵隊の名簿を
見たことがある。おそらく同県出身者の一覧だと思う。
横に一行ずつ名前と出身地がずらっと並んでいるだけなんだが、どのページも
ほとんどの行の右端に「戦死」と書かれていたのを見るとすごく悲しくなった。
爺さんの名前を見つけたときはよく帰ってきてくれたと感謝したよ。




544 :名無し三等兵:2007/07/25(水) 23:11:46 ID:???
>>542
三八式を切り詰めて騎兵銃にすれば問題なし
(三八式騎銃の銃床は実銃の物も高価だが手に入るよ

545 :名無し三等兵:2007/07/25(水) 23:26:51 ID:HJxzHeVk
>>543
うちにあるのなんか全部写真付きだ
だいぶ戦死してる
生き残った人のその後の経歴がそれぞれ全く違うのがしみじみとする

546 :uaa:2007/07/25(水) 23:37:58 ID:UyBapIQP
>>536
俺が厨房の頃、親父(戦争中は軍ヲタ飛行機マニアの厨房)と近所のおじさん(同消防)が戦争中の飛行機の話で盛り上がってた。
B29が炎上して落ちる光景は花火よりきれいだということで意見が一致してた。
機体に色々な材料を使っているから、燃えるとカラフルな炎が上がるそうだ。
二人とも理系だから、こういう時の分析も化学的だwww


547 :名無し三等兵:2007/07/26(木) 09:33:07 ID:???
ガ島の生き残りイター!
と思ったらもう亡くなられたのか。

ご冥福を

548 :名無し三等兵:2007/07/26(木) 20:16:06 ID:???
ブナで防空壕手前30米から戦車4両、陸兵約300人から8時間程攻撃を受け、自決を決意。
二尺三寸の軍刀ではうまく切腹できるか自信なく、拳銃での自決に。
いずれ無力な防空壕に攻め入る敵さんも一人道連れにしようと待ち構えてたら、敵さん何故か撤退。
その時間午後五時、無性に腹がたったと

549 :名無し三等兵:2007/07/26(木) 21:25:38 ID:???
祖父の軍歴がわかって

広島幼年学校を卒業してから
昭和7年7月 陸軍士官学校卒業 昭和7年10月25日 陸軍少尉
昭和14年12月 陸軍大学校入校
昭和16年12月 陸軍大学校卒業 (輜重兵少佐)
昭和18年3月1日 第25軍参謀 昭和19年5月 第7方面軍参謀
昭和20年6月10日 陸軍中佐

って所まではわかったんだけど、どんなことをしてたのか、
実際にどんな歴史的な出来事の中にいたのか、わからないです。

陸大卒業時に太平洋戦争が始まってるということは、
すぐに25軍に配属されたのかなあ。
マレー作戦とか、参加したのだろうか・・・。
知りたいけど、わからないです。

知ってることといえば、祖父の義父にあたる曽祖父(代々の資産家)が
シンガポールからゴムを輸送する事業に突然手を出して、
(敗戦色濃いのに)大金使いまくってしまったってこと。
おかげで子孫の私たちは貧乏ですが。
子供たちが医者だったので、
戦後も何とか暮らしには困らなかったみたいだけど、
祖父の仕事のからみもあるのかなあと思う。

生前も戦争のことどころか、会話した記憶がない寡黙な祖父でした。

550 :名無し三等兵:2007/07/26(木) 22:50:19 ID:???
>>528
仙台なら第二師団かな・・・。
ガダルカナル戦記の一読をおすすめします。


551 :名無し三等兵:2007/07/26(木) 23:46:52 ID:???
>>549
>昭和7年7月 陸軍士官学校卒業
ご存命の有名な方と同期ですね

552 :549:2007/07/27(金) 00:11:53 ID:???
>>551
ご存命の有名な方ってどなたですか?
ごめんなさい。全然こういうのに詳しくなくて、わかりません。
三笠宮様と大学は同期だったようですが・・・。
あと、士候44期、陸大55期とあったのですが、
士候って士官学校ってことでいいんですよね?


553 :551:2007/07/27(金) 00:44:56 ID:???
>>552
そんなに書くと特定されちゃうよw

陸軍士官学校 (日本)出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』では
「44期(昭和7年(1932年)7月11日卒業、昭和7年(1932年)10月25日任官、315名)
中佐:岩越紳六・浦茂・国武輝人・白石通教・瀬島龍三・橋詰勇・原四郎・神直道
少佐:宇木素道・三橋泰夫」の方が書かれてます。

瀬島龍三氏が特に有名ですな。


554 :551:2007/07/27(金) 00:50:10 ID:???
>>552
ゴメン。書き漏らした

>三笠宮様と大学は同期だったようですが・・・。
その通りです。
同じくwikiでは「55期 (昭和17年卒)昭和14年12月13日入学、昭和17年11月30日卒業、70名
三笠宮崇仁親王 皇族、少佐、航空総軍参謀、歴史学者
井田正孝 中佐、優等
浜谷政男 中佐、優等
山本信市 中佐、優等
緒方景俊 少佐、首席
衣笠駿雄 少佐、優等
久納清之助 少佐、優等

井田氏も有名な方ですが・・・・。


555 :名無し三等兵:2007/07/27(金) 01:49:27 ID:???
日本は補給の意識が低くなり手も少ないし
難関の陸大に行くのも他の兵科にくらべれば難しいかったんでは
その中で陸大卒業→軍参謀→方面軍参謀とかなり優秀なおじい様だったんだろね
(アメリカはアイクがそうだったように意識が高く優秀な参謀か普通になったりしてるけど)

556 :名無し三等兵:2007/07/27(金) 06:12:18 ID:???
>>548
オーストラリア軍は米軍よりも士気旺盛で交戦的だったらしいけど
よく生き残れたなぁ

557 :名無し三等兵:2007/07/28(土) 02:30:46 ID:j/YFloLH
オーストラリア軍て強いんか?
ロンメルの話しでは
イギリス連邦では
ニュージーランドが最強らしいけど

558 :名無し三等兵:2007/07/28(土) 07:31:47 ID:???
>>557
豪軍はアンザックと呼ばれていて、マレー戦から活躍していた。
大戦後期はニューギニア、ブルネイ、タラカン島攻略に従事してる。

559 :名無し三等兵:2007/07/28(土) 09:36:05 ID:mXwgGIdp
団塊世代の軍オタから聞いたんだが
父親が野戦から持ち帰った国民党軍とか日本軍の
ヘルメットを着色して学生運動してた人結構いたらしい。
ヘルメット買う金すらなかったとか。
鳶職人が怖くて工事現場から盗もうとはしなかったとか。
どうでもいいけど団塊世代って本当に勝手な世代だね。

560 :名無し三等兵:2007/07/28(土) 09:37:23 ID:???
オーストラリアって、たしか日本軍の爆撃受けたよね?ダーウィンだっけ??

561 :名無し三等兵:2007/07/28(土) 10:40:00 ID:???
>>560
ですな

>>557
ココダで南海支隊の横山先遣隊がオーストラリア軍と遭遇したが
その時に南海支隊本部に宛てた報告で
士気、射撃能力や身を隠しながらの手榴弾攻撃の能力いずれも米軍よりも優る、
と報告している。

ブナということは歩兵第四十一連隊であろうか。

562 :名無し三等兵:2007/07/28(土) 12:03:17 ID:???
>>559
交番に備え付けの警官のヘルメットがww2の日本軍のヘルメットそのまま
だったというのは60年台末まであった。

ソースは「交番の裏はヤミ」

563 :名無し三等兵:2007/07/28(土) 17:34:20 ID:???
旧軍の鉄帽は意外にも、まっとうな出来だったとか


564 :名無し三等兵:2007/07/28(土) 21:08:24 ID:???
>>563
『戦場まんがシリーズ』読んでたから判る

565 :名無し三等兵:2007/07/28(土) 22:26:03 ID:???
>>557
カンガルーハンターの連中なんかが結構居たので
普通の歩兵ですら200〜300mの距離からアイアンサイト狙撃してきたらしい。

なので正規狙撃兵の連中は鬼のようなスコア。

566 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 01:26:39 ID:???
うちのじーさん、既に鬼籍の人だけど
明治生まれの職業軍人で、日清日露〜太平洋戦争まで全て経験した人だった
アジアへ出兵して、食料がないからトラとっ捕まえて食ったり
(これは実際の写真を見た事があるので、マジな話)
ロシア出兵の際、周りをロシア軍に囲まれて絶体絶命って時に
援軍が来てくれて助かったとか、銃弾がヘルメット貫通して
周囲の戦友が「○○が死んだー!!」みたいに大騒ぎしたけど
実際は頭のスレスレを通り抜けて無傷だったとか、色んな話をしてくれた
よくそんなんで日本に無事帰ってきたもんだと、子供ながらに感心した

でも、そんなじーさんも寄る年波には勝てなかった
最期は病院で息を引き取ったんだが、実は結構重い肺炎を患っていたのに
苦しいとか辛いとか、回りの人間に一言も漏らさなかったらしい
大人はみんな「じーさんは(良い意味で)昔の人だから、例え痛くても辛くても
決してそれを口にしない人だった、最期まで徹底してたね」と言っていた
「言ってくれればもっとちゃんと対処できたのに」と
葬式の時に泣きに泣く親父やおじさんを、子供の自分は複雑な思いで見てた

その後、靖国神社に頻繁に行ける機会があり、桜の時期には弁当もって
鳩ににじり寄られつつベンチでまったりしてたりした(今考えると衛生的に・・・)
かつてのじーさんの話を思い出したりしつつ、満開になった薄紅色の
桜を見ながら、今はあっちで戦友と盃交わしているのかなと思いを馳せた。

567 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 14:26:10 ID:1ZfKD9zJ
ゼロ戦の整備士

568 :名無し三等兵:2007/07/30(月) 12:28:24 ID:???
>>559
自分の父親達の勇敢な姿に目を向けず、戦後の外交をおろそかにして、大陸国達の不当な要求にほいほい謝罪して、
国の為に戦った英霊達に感謝の念を持たず、ただただ自分達の事のみ考えて父親達の作った経済基盤にのり経済の発展のみ考え
色々な問題を後世に残してくれた団塊の世代。あなた達の意見なんてもういりません。本当に糞です。

569 :名無し三等兵:2007/07/30(月) 13:46:31 ID:lNgWkZ64
>>566 いいお話だったよ!(^^)

570 :名無し三等兵:2007/07/30(月) 13:55:54 ID:3lUddgTT
どういう流れか知らんが、国士舘を出た後、しばらく大陸に行って戦中に広島へ異動
そこで士官の剣道の先生をやってたそうだ。
まあ、ボケる前は八段の腕前だからうなずけなくもない。
で、原爆の落ちるギリギリまで広島に居て、今度は教員免許があるから、軍事教練で小学校を教導。

でもね、異動先は長崎だったんですよ。

571 :名無し三等兵:2007/07/30(月) 16:38:05 ID:???
うちの祖母の戦争体験

祖母は生まれ故郷の広島から広の飛行機工場に徴用されていたそうです。
そして米軍の戦闘機が襲撃してきた時機銃掃射され、辛くも逃げ延びたとのこと。
その時、祖母が徴用されていた工場に高射砲の不発弾が落ちてきて大穴があいていた事、
別の場所に徴用されてたとき工場と防空壕との距離が長くて全力疾走しなければならずそれが辛かった事などを聞きました。
そして原爆投下の際の体験。
爆風が家に大穴を開けたそうです。(うちは比治山の陰に隠れていたから焼けずにすんだ)
また、祖母の父(私の曽祖父)が窓のあたりまで吹き飛ばされたが蚊帳に入っていたから助かった事、
なぜか避難経路として近道な台所方面を通らなかったために助かった事(爆風で包丁挿しの包丁が飛び出して反対側の壁に突き刺さっていた)なども聞きました。
また、中国でたくさんの日本人が殺された事(通州事件か?)、
朝鮮に行っていた知人から「朝鮮の山肌は土が剥き出しで(木を切らなければならないほど)貧しい」
と聞いたそうです。そのため朝鮮人の親が娘を従軍慰安婦として売ったのではないかとも言っていました。

最後に「今はなぜ何でもかんでも日本が悪かったように言われるのか」とも言っていました。

572 :名無し三等兵:2007/07/30(月) 17:47:00 ID:???
>>568
ゆとり乙

573 :名無し三等兵:2007/07/30(月) 18:40:58 ID:???
80過ぎのお客さんから聞いた話ですけど、
その人は太平洋戦争中海軍の一式陸上攻撃機のパイロットをしていたそうです。

昭和17年、ドゥリットル隊が本土初空襲したとき、すぐさまその方は米機動部隊を攻撃するために
基地から発進したそうです。

遠距離のため護衛戦闘機なしで20数機の一式陸攻に魚雷を積んで行ったのこと。

撃沈された監視船の通報からそのあたりの海域で攻撃隊が手分けして捜索したのですが
悪天候に阻まれたせいもあり、燃料も限界になって結局米空母を発見できずに帰還したそうです。

当時そのような攻撃隊が発進したか 後で調べてみましたけど見つけられません。
実際そのような記録が残っているのでしょうか?

もしその方たちの攻撃隊が米機動部隊を発見して何らかの損害を与えたら
戦争の分岐点となったミッドウェーもまた違ったものになったかもと
想像してしまいます。

574 :566:2007/07/30(月) 21:03:56 ID:???
>>569
dクス。子供の時にもっとちゃんと聞いておけば良かったと後悔
でも、記憶が風化する前にここに書けて良かった


思い出したのでついで。
じーさん、ある程度若かった頃、天皇家の親類か何かの子供の勉強みてたらしい
そんで、ある時その親が見ている前で(理由が何かは分からないけど)その子に
往復ビンタをかましてしまい、軍法会議にかけられたんだそうだ
その時この世の最期を覚悟したらしいんだけど、
「これはあくまでも教育で、戦争(軍事)とは関係が無い」
って事で無罪になったらしい
何というか、強運の持ち主だった事だけは子供の自分でもわかった

怒らすとすげぇ怖いおじさんとかが、絶対にじーさんには反抗したりせず
素直に従っているのを見て、昔はどんだけ怖いひとだったんだろうと
思わずにはいられなかった
孫の自分達には優しくて、よく笑うじーさんだった

そんなじーさんが息を引き取ったのはほぼ年末に近いときだったんだけど
年が変わった時、じーさんの名前でお年玉を貰った事があった
驚いて親父にどうしてか聞いたら、じーさんが
「もし自分が来年まで生きていなかったら代わりに渡せ」
と言って親父達に託したんだと聞かされた時は、嬉しいを通り越して泣いた

575 :名無し三等兵:2007/07/30(月) 21:43:06 ID:???
>>574
目、目が汗かいてらぁ!

576 :名無し三等兵:2007/07/30(月) 23:11:07 ID:/j7+Qox6
家族など身近な存在には、照れくささも先行してしまうが・・・
元気なうちに色んな事を聞いたり、感謝の気持ちを伝えておくべきだ。

亡くなった時、後悔の念に苦しみたくなければ



577 :名無し三等兵:2007/07/31(火) 00:31:11 ID:???
>>573
そのときに、鹿島だったかな、出撃の命令を待っていて、結局出撃しなかった零戦乗り(当然海軍)の人の話は、光人社文庫で先日に読んでます。
千葉のほうの陸軍機は出たらしいと聞いた、というようなことが書いてあったと思うけど、ちょっと定かでないです。

578 :名無し三等兵:2007/07/31(火) 13:59:23 ID:???
このスレでも、みなさんのおじい様の軍隊生活での楽しかった思い出を募集しています。

【軍隊は天国】拝啓天皇陛下様【上官は神様】 
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1185856801/

579 :名無し三等兵:2007/07/31(火) 17:12:32 ID:???
>>578
はスレタイと中身が異なる最悪の釣りスレです。
絶対に開いちゃ駄目。

580 :名無し三等兵:2007/07/31(火) 22:17:51 ID:???
※戦争で守るべき事
 ・味方は殺しちゃいけません
 ・レイプはなるべくしない

581 :名無し三等兵:2007/08/01(水) 12:55:44 ID:???
>>580
・盗みを働いてはいけません
・なるべく敵勢力地域では非戦闘員と思われる人々に攻撃してはいけません。
 (ゲリラ、危険が予想される時はその限りではない)

*レイプは「なるべく」??


582 :名無し三等兵:2007/08/01(水) 13:05:46 ID:7L1vkeB6
>>512
そんな昔からDQNはいたんだな。

583 :名無し三等兵:2007/08/01(水) 16:06:33 ID:???
>>580
アフリカバージョン
※戦争で守るべき事
 ・味方は食べちゃいけません
 ・子供はなるべくレイプしない(子供をレイプしてもエイズは治りません )

584 :名無し三等兵:2007/08/01(水) 20:24:10 ID:???
お前らは、今日の朝刊に広告が入ってた太平洋戦争のDVD買いますか?

585 :名無し三等兵:2007/08/01(水) 20:56:37 ID:KFThWnV0
>>584
正直まよってる
金なくてw

586 :名無し三等兵:2007/08/01(水) 20:58:16 ID:???
>>584
YOUTUBEで十分じゃね?
新発見のフィルムが有るなら別だが。

587 :名無し三等兵:2007/08/01(水) 21:23:45 ID:???
>584
俺も迷ってる。うちのおじいさんが映ってるんなら、当然買うんだけど

588 :名無し三等兵 :2007/08/01(水) 21:46:00 ID:???
なぜか全編どこかに映ってる587の爺さん

589 :587:2007/08/01(水) 22:27:53 ID:???
>>588
うちのじいさんは出たがりかよw


590 :名無し三等兵:2007/08/01(水) 23:05:02 ID:q9jgIr8O
朝日には出てなかったorz

591 :名無し三等兵:2007/08/01(水) 23:09:52 ID:???
>>588
なんかそんな爺さんいそうw

>>589
だといいなw

592 :sage:2007/08/02(木) 00:02:27 ID:???
俺の爺さん内地勤務
それも憲兵だから映っているはす゛無いな、
だけど写真しか見てないから
万が一映っていたらと思うんだよ

593 :名無し三等兵:2007/08/02(木) 01:17:28 ID:???
赤紙って何歳ぐらいまでの人に来たんだろう?うちの爺さん開戦時40ぐらいだったから
徴兵はされなかったらしい。

594 :名無し三等兵:2007/08/02(木) 01:19:13 ID:???
最後の方は中年まで来た

595 :sage:2007/08/02(木) 01:50:12 ID:???
>>594
大戦末期徴集の中年(大体35歳以上)は
あくまでも昔で言う中年だよ

現役からは「ロートル」と言う蔑称で呼ばれていた

予備役を除くほとんどが全国各地で穴掘りをやって終戦
めでたしめでたし

596 :名無し三等兵:2007/08/02(木) 02:16:28 ID:???
>>593
そういや、何歳までなんだろう? 知らんけど、年齢に関する法的な制限がなかったとしても、統計がありそうなものだけど。

597 :名無し三等兵:2007/08/02(木) 02:19:12 ID:???
>>595
ウチの爺さんはそうだったわw
日露戦争前に生まれた狭間世代。徴兵検査受けただけで一度も兵隊に行ったことナシ。
百姓だもんで戦中ずっと畑を耕してた。
で、ある日、いつもどおり、野良仕事やってたら、いきなり戦が終わってビックリしたとか。

598 :名無し三等兵:2007/08/02(木) 02:41:43 ID:???
>>596
最終的には兵役法と関係の命令等の改正で、45歳未満、というところまで対象になったはず。

599 :名無し三等兵:2007/08/02(木) 02:47:00 ID:???
竹槍事件のとばっちりで硫黄島に多数のロートル兵が送られました。

600 :名無し三等兵:2007/08/02(木) 08:03:31 ID:???
先日他界した祖父。シンガポール、中国、ジャワ、スマトラ、ラバウルと
周ったそうです。運良くガ島から帰還することができたのですが、潜水艦に
引き上げられたと言っていました。ガ島ではカタツムリがご馳走だったそうで、
酒好きの連隊長は酒が切れると死んでしまったとのこと。

601 :名無し三等兵:2007/08/02(木) 08:15:39 ID:???
>>599
トロール兵に見えた

602 :名無し三等兵:2007/08/02(木) 09:13:37 ID:3UM8JQN9
末期にはかつて中国戦線とかノモンハンで活躍して退役した人たちは
あんまり召集されなかったみたい。


603 :sage:2007/08/02(木) 09:59:55 ID:???
ウチの祖父は、当時満州駐在の陸軍中佐で、
ワシが小学生のころ一緒にファーストガンダム見ながら
「クソ、シャアに階級抜かれた」などと言うフランクなオジジだった。
そんな祖父の一番のネタが、野生化した豚軍団との戦争。
なんでも、満州では開拓団から逃げ出した豚が、凶暴化して群れをなし、
人里を襲って、挙句に人死にまで出る始末。んで、祖父の部隊に豚退治の命令が出たそうな。
野生化した凶暴豚、その数500あまり。正直、シナ兵より怖かったそうな。

もうすぐお盆なので、祖父の思い出などを少々。

604 :uaa:2007/08/02(木) 11:16:29 ID:d+q+6sjP
>>603
                      ''';;';';;'';;;,.,                  ザッ
                       ''';;';'';';''';;'';;;,.,   ザッ
          ザッ            ;;''';;';'';';';;;'';;'';;;
                        ;;'';';';;'';;';'';';';;;'';;'';;;
                        vymyvwymyvymyvy     ザッ
               ザッ     MVvvMvyvMVvvMvyvMVvv
                  ヘ⌒ヽフ ヘ⌒ヽフ ヘ⌒ヽフ  ヘ⌒ヽフ ヘ⌒ヽフ
            ヘ⌒ヽフ ヘ⌒ヽフ ヘ⌒ヽフ ヘ⌒ヽフ ヘ⌒ヽフ ヘ⌒ヽフ ヘ⌒ヽフ
            (・ω  ヘ⌒ヽフ ヘ⌒ヽフ ヘ⌒ヽフ  ヘ⌒ヽフ ヘ⌒ヽフ ヘ⌒ヽフ・)
               ( ・ω・ )( ・ω・ ) ( ・ω・ ) ( ・ω・ ) ( ・ω・ )( ・ω・ )
            ヘ⌒ヽフヘ⌒ヽフ ヘ⌒ヽフ ヘ⌒ヽフ ヘ⌒ヽフ ヘ⌒ヽフ ヘ⌒ヽフヘ⌒ヽフ
           ( ・ω・ )( ・ω・ )( ・ω・ )( ・ω・ )( ・ω・ )( ・ω・ )( ・ω・ )( ・ω・ )



605 :名無し三等兵:2007/08/02(木) 11:43:25 ID:???
初心者質問スレで流れてしまったのでこちらに書かせて頂きます。

当方夏休み中の学生ですが、入院している旧海軍の祖父に何か良いプレゼントは無いかと
品物を探していたところ、東急ハンズで「海軍航空隊時計」という腕時計と海中時計と、
「日本海軍時計」といった腕時計を見つけました。
案内文には「完全復刻」とありましたが、腕時計だけで枠が金と銀、盤面が黒、セピア、白の計5種、
懐中時計も盤面が黒と白の2種と、こんなに種類があるものなのでしょうか?
ちなみにクォーツ製らしく下のサイトの物とは似ても似つきません。
本物に一番近い「海軍航空兵時計」か「帝国海軍時計」はどんな物なのでしょうか?
(出来れば祖父を喜ばせたいので史実に一番近い物を差し上げたいので腕時計でも懐中時計でも構いません)
ttp://www.e-904.com/fu21koukuutokei.htm

祖父は昭和16年時美幌空の爆撃手、昭和19年転化で艦戦乗りへ。
昭和20年土浦教導から8月23日厚木で武装解除を受けた航空兵です。

販売されている「海軍航空隊時計」シリーズの画像は以下の様なものです。
ttp://airspex.hp.infoseek.co.jp/

606 :名無し三等兵:2007/08/02(木) 12:28:11 ID:???
>>584
あの敬礼してたパイロットの中の一人は、うちの爺さんの兄貴。
これマジで。

607 :名無し三等兵:2007/08/02(木) 13:49:24 ID:???
>>606
すげーーーーーーーーー

608 :名無し三等兵:2007/08/02(木) 14:34:35 ID:???
>>605
一番下の
ttp://airspex.hp.infoseek.co.jp/
は、予算がないとき用かな、飽くまで。

ttp://www.e-904.com/fu21koukuutokei.htm
かなあ、やっぱり。ちょっと値は貼るけどな。
宣伝の謳い文句に、セイコー時計資料館に協力を得て、
とあるけれど、どこまで本気の協力があったかはさておいて、
少なくとも自分が行ったときに展示されていた海軍航空隊用の時計のテイストは出てると思う。
ただ、中身の機械は現代のものだからね。
値段的にもややお安めの機械式ムーブメントになるのはしょうがないことだ。

本物は手に入らないと思っていい。
多分、現在、アンティーク時計店で、国産の戦前モデルを見かけること自体が、すごく希なことだ。
(戦後の機械式時計は、店によってはストックを多く抱えたりもするけど)
それだけ生き残ってる数が少ない。ましてや官品だったら、ほとんど市場には出回らないと思う。
出回ったとして、海外の有名ブランドのアンティーク品並の値段がついちゃうかもだ(ウン十万円とか)。

であれば、中学生の小遣いのプレゼント……ため込むなり、バイトするなり……
とは言っても、5000円代とかのクォーツはちょっとパチッぽい過ぎるしなあ。
割とそれらしいレプリカで2、3万てっところで手を打っちゃう方がいいんじゃないかな。

多分、孫のプレゼントなんだから、5000円台のクォーツでも爺さんは喜んでくれると思うけどね。

609 :名無し三等兵:2007/08/02(木) 16:46:33 ID:+Ss1TGMe
自決しなかった戦犯と呼ばれる者!
靖国でボコボコに殴られてるんだろうな?きっと!



610 :名無し三等兵:2007/08/02(木) 17:08:50 ID:6so4q20S
中国でレイプしまくりだって言ってた
結構エンジョイしてたみたいだよ

611 :名無し三等兵:2007/08/02(木) 18:44:31 ID:???
>610
日本語がお上手ですね。

人質、早く解放されるといいですね。

612 :名無し三等兵:2007/08/02(木) 19:49:43 ID:KEY37F/Z
うちの祖父さん日本郵船かなんかの船員だった。
戦時に輸送船員として徴収された。
あんまり戦争の事話さないけど
自分は5回くらい死にそうになった,うち2回は戦争でと言う。
一個目はアリューシャンへの輸送に行く時,択捉当たりで停泊したら機関が故障して
どうしても動かなくて船団と一緒にいけず本当に引き換えした。
行った船団は全滅したらしい。

もう1個は南方輸送中夜間に敵襲にあった時らしい。


まだうちの祖父様は生きてる(御年92)
ぼけも物忘れ程度だから聞ける機会があれば聞いて見る



613 :名無し三等兵:2007/08/02(木) 20:17:05 ID:???
わが祖父は門司で掃海作業にあたる部隊にいたらしい
あるとき一隻の新鋭駆逐艦が触雷し、その艦の若い士官が怒鳴り込んできて殴られたと
「貴様たちは何をしとるか!」と怒鳴られながら
後日その駆逐艦の艦長が件の若い士官を連れて謝りに来たのに驚いたと言ってた
「自分も掃海をしたことがある、難しさはよくわかっている
今回のことは若気のいたりと許してもらえないだろうか、これでやる気を失わないでほしい」
と深々と頭を下げる艦長に恐縮したという、話をもとに調べたら
この駆逐艦は「夏月」、艦長は佐世保の「時雨」に乗ってた西野艦長らしい

614 :名無し三等兵:2007/08/02(木) 20:41:20 ID:???
>>612
徴用船員さんの戦死率は50%に迫ります。
(軍人で20%くらいだったと思う)

生きて戻ってこられた事は素晴らしいです。

615 :名無し三等兵:2007/08/02(木) 20:57:15 ID:???
満州に居てシベリア行ったじいちゃんに話聞いたことがあるけど
ハバロフスク、ナホトカから福岡へ、という単語しか覚えてない。

616 :名無し三等兵:2007/08/02(木) 21:53:46 ID:???
>>612
商船隊の生き残りの方ですか。
尊敬と感謝を致しております。

617 :名無し三等兵:2007/08/02(木) 22:36:52 ID:???
>>597
そんなラッキーあり得たのか?
俺の祖父もあんたの爺さんと同世代だが
戦地にこそ行かなかったが(ちょうど戦争がなかったから)
入営はしたって言ってたぞ。

618 :605:2007/08/02(木) 23:30:44 ID:???
>>608
亀レスですがサンクスです。
ttp://www.e-904.com/fu21koukuutokei.htmは限定数で完了ですたorz

ttp://airspex.hp.infoseek.co.jp/のなか中だったらどれが一番喜んでくれるだろう?

619 :名無し三等兵:2007/08/03(金) 01:42:05 ID:???
>>598
なるほど、そうですか。45未満。
当時のフケ具合で行くと今の50以上という感覚かな?

620 :名無し三等兵:2007/08/03(金) 05:30:22 ID:???
ついこの間の事なんだが、祖父の遺品を整理してたら戦地?の写真が約60枚ほどでてきた。
どうすればいいか、意見ください

621 :名無し三等兵:2007/08/03(金) 07:12:54 ID:???
>>620
つ【 時々取り出して眺めて感慨に耽る 】

貴方だけではなく、
貴方の子孫にまで伝えようと思うなら、
写真の裏書や軍歴に照らし合わせて、
撮影年代順に並べてアルバムなどに整理しましょう。

622 :名無し三等兵:2007/08/03(金) 10:42:07 ID:???
>>620
うp

623 :名無し三等兵:2007/08/03(金) 12:17:58 ID:???
>>621
子孫に残したいなら虫食いや湿気に注意して保存。
いらねえやと思うのなら、防衛省か靖国に寄贈。

624 :名無し三等兵:2007/08/03(金) 13:16:18 ID:???
火事、水害などの万が一の時の為にデータ化して置くのも手だろう。
そしてCD-R等の記憶メディア複数枚に保存して、それぞれ別の場所に保管すれば完璧だ。


625 :名無し三等兵:2007/08/03(金) 18:25:34 ID:???
>>624
データー化はオヌヌメできない
CD-Rなどあまり耐久性がない
CD-Rが残っても読める機械がなくなる事もある
(例:ZipディスクやVHDなど
現在の地球文明が滅んでしまった後、
地球に来たE,Tが文明の記録を探したが、
新しい順から読めず、
ハッキリ読めたのは岩に刻まれた壁画だけだった、というジョークさえある

といわけで>>620さん、
保存の為に複製を焼き増ししておくと良いですよ
(印刷はダメだからね、印刷は/印画紙に焼いて定着しなきゃ

626 :名無し三等兵:2007/08/03(金) 18:40:21 ID:???
>>625
単純な耐久性で言えば光磁気ディスクでしょ。
あれなら野ざらしになろうが放射線に叩かれようが焼かれない限りはデータは保存される。
しかも読み取り装置は当分製造されるだろうし。

627 :620:2007/08/03(金) 19:20:46 ID:???
レスありがとうございます
保存をする方向で家族と話し合いをしてみます

628 :名無し三等兵:2007/08/03(金) 21:44:11 ID:???
>>626
8インチフロッピーや5,25インチフロッピーの時代でも、
>読み取り装置は当分製造される
とか言われてたよなw

時の流れは、残酷だ。

629 :名無し三等兵:2007/08/03(金) 22:12:42 ID:???
父が親戚のおじさんから聞いた話です。
東南アジアの玉砕した島での戦争体験話。
ボコボコに攻撃した後アメリカ軍が島の小学校に構えた。そこでおじさんたちは偵察に行ったそうです。
学校をの周りの土手の外から覗くと地図を見ながら南の山の方を指していたので、
”あそこを捜索する気だな”と判断して北側の山に逃げました。
そして翌日同じように偵察に行ったら今度は東側を指していたので反対側と逃げるとしていたら、
仕舞いには全ての山が焼かれて逃げ場がなくなったそうです。
そこで、アメリカ軍の居る学校の床下にみんなで隠れたそうです。
そうしたら、どうやら仲間の一人が下痢して、その臭いにアメリカ軍の犬が気がついて
吠え掛かり、ばれて、慌てて逃げ出したそうです。その時仲間が足を撃たれたりして
引きずりながら走って命からがら走って逃げたそうです。

630 :名無し三等兵:2007/08/03(金) 22:24:59 ID:???
>>629(続き)
で、海岸の近づきにくい所にひょうたん型の穴を作って隠れました。
アメリカ軍が火炎放射機で攻撃した時奥に隠れていた人たちは焼かれてしまい、人の焼ける臭いがしたそうです。
周りから近づきにくいところなので、軍艦から大砲を撃ってきたりもしたそうです。
夜になると大砲の衝撃で魚が浮かんいたので、それを取って海岸で焼いていたら、
ジープの音が近付いて来たので慌てて逃げて、日が明けて見に行ったらオイルがかけてあって食べらなくしていたそうです。

時には椰子の木の上に登って居る真下をアメリカ兵が通り過ぎたりしたこともあったそうです。

631 :名無し三等兵:2007/08/03(金) 22:35:06 ID:???
>>630
そうこうしているうちに終戦になったようで、島のあちこちの木に
「戦争が終わったので出てきなさい」ということが書いてある紙がナイフとかで貼り付けるようになったそうです。
最初は敵の罠だと思って応じなかったのですが、攻撃してこないので、思案していたら
仲間の一人の日ごろ頭がちょっとおかしい奴と言われてた人が、
「俺が、ちょっと行って来る」といってアメリカ軍が駐屯している方へ行ったそうです。(一応丸腰で)
一日待って居たそうですが、帰ってこないので、「やっぱり罠だったんだ」と隠れ家に帰りました。

そうしたら、次の朝隠れ家にアメリカ軍の服を着た人が”ザッ”と現れたので、銃を構えたら
「俺だ、俺だ!」手を振ったので良く見たら、投降した人で「どうやら本当に戦争終わったらしいぞ」
という話になり、別に乱暴もされないしとみんなで投降したそうです。

632 :名無し三等兵:2007/08/03(金) 22:44:49 ID:???
>>631(続き)
投降すると一人づつ尋問がありました。
「Can you speak English?」と聞かれたので、大学までいっていたおじさんは少しは知っていたので
「Yes,I can.」と言ったら、ベラベラベラベラと突然言われてびっくりして「ストップ、ストップ」と
慌てて静止してほとんどしゃべれないよとジェスチャーしたそうです。
とはいえ、他に出来る人も居なかったので少しづつ通訳の役目をしたそうです。

食事を与えられたそうですが、スプーンが使いづらかったので、木を切って箸を作って食べていたら
アメリカ軍が珍しがって写真とか取られたそうです。

捕虜になって、暇なので、アメリカ対日本の運動会や野球大会とかしたそうです。
その時仲間の器用な人が高下駄を作ったのでそれを履いて応援団長のように応援していたら、
アメリカ軍の上官から、それは危険だから使用禁止と注意されたそうです。

633 :名無し三等兵:2007/08/03(金) 22:56:59 ID:???
>>632(続き)
そうして日本に帰ることになりました。その時はアメリカ兵と涙を流しながら別れを惜しんだそうです。

日本に帰って地元の駅に着くと、どのバスに乗ればいいのか分からなかったので、近くに居た女の人に尋ねました。
そうしてやっと実家に帰ると実は先ほどバスを尋ねた女の人は妹で、先に帰っていて、お母さんと
「お兄ちゃんに良く似た人に駅で声を掛けられた。」と話していたら戸を明けて入って来て、
二人ともびっくりしたそうです。


玉砕地の島だということでとっくに死亡したことになっていたので墓まで作ってあったそうです。

少しバツが悪かったのか1ヶ月ぐらい家に引きこもって居たそうですが、その後墓を掘り起こして、
普通の生活に戻ったそうです。


                                               (終了)

634 :名無し三等兵 :2007/08/04(土) 00:00:28 ID:???
もしDVD系メディアに大切な思い出を保存する場合には、
カネをケチってはならないようだ。

DVD系保存メディアの寿命比較記事
ttp://pc.nikkeibp.co.jp/article/NPC/20070724/278136/?P=1

そもそも計測不能とか、これだけ露骨に差があるとね...


635 :名無し三等兵:2007/08/04(土) 02:15:33 ID:???
うちの96歳になる祖父からいろいろ話聞いておかないとな。
あと10年は大丈夫に思えるほど頑丈だけど。

636 :名無し三等兵:2007/08/04(土) 05:48:25 ID:???
>>629->>633 (・∀・) イイ!

637 :名無し三等兵:2007/08/04(土) 13:57:21 ID:???
うちの婆さんは、戦後の満州引き揚げ組み。
当時の話は殆ど聞いた事が無かったけど、いくつか話してくれたのもある。
ソ連軍が侵攻してきたときの事、何やらDQNソ連兵が女性や子供に銃口を付き付けて
怯える姿を見てからかってたそうなんだけど、それを見かねたうちのひい爺さんが
老体ながらソ連兵の前に立ちはだかり睨み付けたそうな。
その剣幕に圧倒されてか、ソ連兵はそのまま何もしないで立ち去ったと。
ひい爺さん自身若かりし頃、日露戦争に従軍して黒溝台、奉天と転戦。
金鵄勲章の授与歴があるとの事。満州では会社の役員をしていたみたい。
そんなひい爺さんも引き揚げの途上で病没...

婆さんも随分前に亡くなったので、今や当時の話を聞ける人が誰もいない。

638 :名無し三等兵:2007/08/04(土) 14:25:01 ID:jdq8sgNu
みんなすごいなぁ
俺はひいじいさんとかひいばあさんの存在すら知らんw
つか俺先祖とかいたのかなぁ
自然発生したんじゃないかなぁ


639 :名無し三等兵:2007/08/04(土) 15:52:52 ID:???
>>638
そんな悲しい事を言うなよ。
どんな人でも御先祖様がいて勇ましかったりかっこよかったり、逆だったりしたかもしれない。
だが、子供を作り養い、一家を存続させた方々が貴方にもいて、だから貴方か居る。
卑下する事なく、あなたが戦果を挙げて子孫に語られる存在になれる事を祈ってるよ。

640 :名無し三等兵:2007/08/04(土) 16:56:47 ID:???
おれの爺ちゃん召集されて九州から船で東南アジアの方に移動する事になったらしいけど
直前にひまし油大量に飲みまくったら具合悪くなって外されたんだって。
すぐ出港したその船、撃沈されたらしい((((;゚Д゚)))
爺ちゃんは運がよかった。


641 :名無し三等兵:2007/08/04(土) 17:57:59 ID:???
>>640
卑怯者だろうが

642 :名無し三等兵:2007/08/04(土) 18:25:04 ID:???
君子危うきに近寄らず!

643 :名無し三等兵:2007/08/04(土) 18:49:26 ID:???
誰かこのスレまとめたサイト作ってくれないかな?
これだけの貴重な体験談を無駄にするには惜しいと思うのだが

644 :名無し三等兵:2007/08/04(土) 18:59:31 ID:???
>>643
さっそく、立ち上げてみました。

【語り継ごう】あなたのおじい様の戦争体験を教えて まとめサイト【戦争の記憶】 
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1185856801/

645 :名無し三等兵:2007/08/04(土) 19:49:43 ID:???
おじいちゃん達じゃなくて、昭和19年生まれのうちの母の話。

村の小学校時代の話を聞いた時、21年生まれからの団塊の世代とは、たかだか数年だが
ある一点で非常に大きな差があったということだ。

「戦争終わったから食べ物が良くなった?」「みんな貧乏に決まってるでしょ」
「団塊だから人数多い?」「それは大した違いじゃない」

何よりもの違いは、戦中生まれ世代は父親がいないのだった。

646 :名無し三等兵:2007/08/04(土) 20:32:03 ID:???
>>645
発言にルーデル臭を感じる

647 :名無し三等兵:2007/08/04(土) 21:00:05 ID:???
>>491
ひどいね‥。そういう理不尽なことたくさんあったんだろうね。

648 :246:2007/08/04(土) 21:06:23 ID:???
近所のおじいさん(82歳)に聞いた話 その5

飛行隊での訓練が「本土決戦に備え、戦力温存」 とのことで中止になり
士官候補だったじいさんは陸軍中野学校二俣分校に転科になった。
その着任時の事。まず身長順に整列し、背の高い順番から
「お前はドイツ語、次のお前はフランス語、その次はロシア語!」と
暗号解読班の担当言語を割り振ったそうです。
適性や経験なんぞお構いなし、ロシア語の担当になったじいさん、
「どないせいちゅーねん・・・・」と不安になった。
案の定、三ヶ月も経たないうちにじいさんは中野をクビになり
今度は登戸の研究所に転科、そこで終戦まで毒ガスの解毒剤の研究をしてたそうです。
終戦後、米軍に研究の内容等を片っ端から聞かれ、実家に帰れたのは翌年になってからだったそうだ。

649 :名無し三等兵:2007/08/04(土) 21:08:54 ID:???
このスレまとめサイトとかないのか

650 :名無し三等兵:2007/08/04(土) 21:43:02 ID:???
まとめサイトはなさそうですね?

651 :名無し三等兵:2007/08/04(土) 22:14:48 ID:???
>>644がまとめサイトっぽいね

652 :名無し三等兵:2007/08/04(土) 22:49:57 ID:???
ne-yo

653 :名無し三等兵:2007/08/04(土) 23:20:08 ID:jdq8sgNu
東条に投票したヤシよりねぇよ

654 :名無し三等兵:2007/08/04(土) 23:48:20 ID:???
うちの爺さんは横須賀で高射砲部隊に配属されてた。南方にいった連中よりは天国だったろうけど、
本土でも食糧が不足していて甘い物なんて食べれなかった。結局、部隊内で甘い物の取り合いになって
捕まれば半殺しだけど、捕まらなければお咎めなしが常態化していた。爺さんは一等兵だか、伍長だか
で実際に盗む担当ではなかったが、自分も甘い物食べたかったし、他の連中もやってる事だからと同郷
の2等兵に命じてやらせたがそいつが捕まった。結局、隊長の元に連れていかれて説教された後、半殺し
かと覚悟していたら。隊長は気の毒そうな顔をして黙ってこっちの顔を観てるだけ。やがて「○○、そん
なに甘い物が食いたいか?」と訊いてきた。爺ちゃんはどうせ後でしこたま殴られるんだからと意を決して
「はい。食べたいであります。」と答えた。そうすると隊長は少し涙ぐんで実家から送られてきた物なんだろうけど、
羊羹と上等の煙草をくれてお咎めもなかった。その時の煙草と羊羹はこの世の物とも思えない程美味かった
そうで、班員全員で貪り喰ったそうだ。

655 :名無し三等兵:2007/08/05(日) 01:37:01 ID:???
このスレ。Part1からまとめて、出版してくれないかなぁ。

656 :名無し三等兵:2007/08/05(日) 01:41:14 ID:DNM4QREP
東条? 酒がまずくなるからその名前は出すなよ!

657 :uaa:2007/08/05(日) 01:44:35 ID:gR4dj0c3
>>606
よく分かるな。
俺は自分の祖父さんが写ってても分からんと思う。
若い頃の祖父さんは別人にしか思えん。髪の毛生えてるし・・・・

658 :名無し三等兵:2007/08/05(日) 03:20:39 ID:???
うちのお祖父さんの従兄弟が軍医で山本五十六の検死をブ島で行ったそうです。

その知られざる脅威の検死結果
顎のキズ…死後付けられたもの(探索隊が生死判定で付けたもの?)
銃創…無し(本に良く載ってるのと違う)
*死亡原因*
内臓破裂(実は墜落時生きていて、機体から這い出て探索隊を待つうちに意識を失い椅子に腰掛けた格好で死亡→死後硬直→探索隊が遺体を発見)

ちなみにその従兄弟は憲兵隊に連れて行かれたまま行方不明になったそうです。
最近になって遺品とも言える日記で判明しました。
墓碑には「昭和十九年殉職」の7文字が。

659 :名無し三等兵:2007/08/05(日) 03:32:22 ID:enYpus6c
うちの曾じいちゃんは支那から帰ってこれなかったから分かんないや・・・

660 :名無し三等兵:2007/08/05(日) 04:33:47 ID:???
将校だっただの、軍医だっただの、将校待遇技師だっただの
何かウチの先祖は平家で世が世なら云々なスレだなぁ。
もっと二等兵物語な話も出てこんものかね。

661 :名無し三等兵:2007/08/05(日) 04:45:47 ID:???
「うちのお爺ちゃんは憲兵だった」って話を聞いたことがない
本土ならほとんど生き残ってたはずなんだが

662 :名無し三等兵:2007/08/05(日) 06:22:28 ID:???
戦場体験放映保存の会は結構体験がすごいよ
一度ご覧あれ

うちの祖父ちゃんは駿河湾から上陸してくる米軍を迎撃任務だった
長距離砲で山の上からズドン
しかし満州に行くことになったが福井か新潟あたりで終戦になった

663 :名無し三等兵:2007/08/05(日) 08:57:38 ID:???
>>661
憲兵は威張り腐ってて皆から嫌われてたから裏歴史として誰もカミングアウトしないんじゃないか
恨まれたりとかもされてるだろうし

ウチの母方の祖父は内地で小学校の校長先生してたとか
途中で辞めたとか言ってたから尋常小学校の時も校長だったかはしらないけど

664 :sage:2007/08/05(日) 10:20:49 ID:???
>>658
ついに遺体が見つかったか
良かった良かった、これで閣下も
ようやく昇天できるなー

665 :名無し三等兵:2007/08/05(日) 10:25:15 ID:???
うちんお爺ちゃんは赤城に乗ってたとね。「流石無敵皇軍、次はハワイ、米国本土攻略じゃ」と陽気な方だったらしいがミッドウェー海戦で帰らぬ人に。
新聞に「味方空母1隻沈没2隻損傷」とされてその後実家に手紙が着いたんで、実家でも「ケン坊は生きてるんじゃ」と当然の様に思ってたら、その後同郷のミッドウェーに参加されてた生き残りの方から実家に戦死を告げられたらしい。
戦時中の映画で赤城の艦上運動会の集合映像に前列で笑いながらこづかれてるんがうちの爺ちゃんです。
たまにNHKのその時歴史が動いた等にも出てきます。

666 :名無し三等兵:2007/08/05(日) 10:42:31 ID:???
>>664
すでに山本元帥の遺骨は戦時中に本土に戻ってきているのだが。
ただし通説での戦死内容は「ブーゲンビル島上空一式陸攻機内で機銃掃射による戦死」とされている。

667 :名無し三等兵:2007/08/05(日) 10:47:24 ID:???
うちの爺さんはうくるだかくるっくだかという艦に乗っていたらしい。
海軍のフネだけど軍艦ではなかったらしい。

668 :名無し三等兵:2007/08/05(日) 11:42:43 ID:???
うちの爺さんは南方行きで昭和23年復員。「モロタイ島にはまだ仲間が終戦を信じずゲリラ戦を続けている」が最期の言葉でした。
去年の比島の桜井・渡辺事件のように、まだ知られざる「旧日本兵生存」があるんじゃあるまいか?

669 :608:2007/08/05(日) 11:49:18 ID:???
>>605
>>618
>ttp://airspex.hp.infoseek.co.jp/のなか中だったらどれが一番喜んでくれるだろう?

シルバーや下手な色つきの文字盤は、現物を見ないと厳しいね。
レトロっぽくしてあるといっても、ただ変な色になっているだけという可能性もないわけじゃない。
それに、古いミリタリーウォッチでは黒が一般的。
結局、文字盤色を黒にしておいたほうが無難だと思う。

とすれば、海軍航空隊の一番左か、一番右。
一番左はちょっとケース形状が半端なクッション型なのが気に入らない
(あの当時の洋モノには少なくないけど。まあオレの意見なので済まないけど)。
完全復刻モデルのテイストにいちばん近いし、一番右がいいんじゃないかな。
海軍時計にするなら、一番左(リューズのキャップ付きがあったか定かではないけど)。
懐中なら一番右かな。

670 :名無し三等兵:2007/08/05(日) 13:21:39 ID:UWns8QC6
家の爺さんはペリュリュー島で戦死した。残ってるのは長久針と日章旗のみ。

671 :名無し三等兵:2007/08/05(日) 14:18:00 ID:???
>>667
おそらく海防艦鵜来だと思われる。
日本海軍の制定内では駆逐艦や海防艦といった小艦艇は、
軍艦として見なされないので、お爺さんは軍艦じゃないと言ったのではないかな?

672 :名無し三等兵:2007/08/05(日) 15:01:28 ID:XCcTB/NK
母の伯父が海軍のベテラン水兵?
休暇には、随分母を可愛がってくれたらしいが
昭和20年初頭、戦死公報の紙切れ一枚…
遺品も無し、戦死場所、戦死日時、状況、階級、不明…
大半はこんな理不尽な現実を受け入れたんだと思います。


673 :名無し三等兵:2007/08/05(日) 15:28:38 ID:???
戦死した祖父の軍歴を調べて貰ったのですが、

昭和19年に独立速射砲第22大隊に編入、
昭和20年に沖縄本島南風原で戦死とありました。

軍事には詳しく無いのでウィキペディアで調べたら、
第22大隊は嘉数の戦いに参戦しているみたいです。

南風原で死亡と言う事は陸軍病院豪に収容されていたんでしょうか?

祖父の死亡日が南部撤退開始後なので、南風原置いていかれ、
最悪自決や刺殺などで死亡したのかと推測しています。


祖父の供養も兼ねて、独立速射砲第22大隊や南風原の事を
調べたいのですが、お勧めの文献などありますでしょうか。
スレ違いでしたら申し訳ありません。

674 :名無し三等兵:2007/08/05(日) 15:41:20 ID:Pq4suXFH
>>673
沖縄県民だけど
南風原陸軍病院については特に今、沖縄県が保存や調査について力をいれてるから那覇市や南風原町に問い合わせてみるのがいいと思うよ


675 :名無し三等兵:2007/08/05(日) 15:47:04 ID:???
>>673
Wikiで済まんが…
一式機動四十七耗速射砲
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%BC%8F%E6%A9%9F%E5%8B%95%E5%9B%9B%E5%8D%81%E4%B8%83%E7%B2%8D%E9%80%9F%E5%B0%84%E7%A0%B2

同ページより転載…
戦史
沖縄戦に於ける嘉数の戦いで独立速射砲第22大隊は、昭和20年4月5−7日にかけて
八五高地付近で真正面から米軍戦車を迎え撃った結果、戦車5輌を破壊するも12門中
10門の速射砲を失ってしまった。
そのため同隊隊長武田少尉は残存2門を道路を挟んで配置し、砲口を嘉数に向けた。
これは嘉数へ向かう戦車を後ろから撃つためであり、速射砲の貫徹力不足から来る苦肉の策であった。
また戦車が近づくと恐怖のため早撃ちする傾向にあるため2つの陣地を有線電話で結び、
隊長の指示で発砲することにした。
この策は見事あたり、4月19日のいわゆる嘉数の対戦車戦において、米軍M4中戦車5輌を撃破した。
またこの日、日本側は歩兵の肉薄攻撃、野砲や山砲、地雷などにより米軍戦車22輌を撃破している。


676 :名無し三等兵:2007/08/05(日) 18:05:38 ID:???
祖父の兄は帝大の学生だったが、学徒兵として海軍のパイロットになったそうだ。

戦闘機に乗っているという話を聞いて、当時国民学校の生徒だった祖父は、とても尊敬し、誇りにしてたみたい。

終戦の年の7月、突然休暇で帰ってきた兄は、キャッチボールや海釣りをしたり、寝るまでずっと兄弟一緒にいて、可愛がってくれたそうだ。

休暇が終わり、駅のホームで家族と別れる時、清々しい笑顔で敬礼する兄だったが、どこか寂しげな目が忘れられないって言ってた。

それから数週間後、突然戦死の知らせを受けた時は、かなりのショックで毎晩布団の中でこっそり泣いたんだと。

兄が神風特攻隊員だった事を知ったのは、戦後、
兄と仲が良く、出撃も見送ったという元整備兵だった人が訪ねて来た時だそうです。

677 :名無し三等兵:2007/08/05(日) 18:18:47 ID:???
>>676
それなんて映画?

678 :名無し三等兵:2007/08/05(日) 18:25:37 ID:???
>>676
たしか特攻作戦って、家族にも秘密だったんだよね

何だかせつねぇなぁ…

679 :名無し三等兵:2007/08/05(日) 18:47:05 ID:???
>>844 ゲス
本当のタイトルは

 あなたのおじい様のレイプ体験を教えて

680 :673:2007/08/05(日) 19:33:09 ID:???
レスありがとうございます

>>674
直接問い合せてみます!

>>675
激戦だったんですね・・・。
自力でもうちょっと探して見ます!


681 :名無し三等兵:2007/08/05(日) 19:41:33 ID:???
>>678
出水基地で特攻で散った祖父は「国の為じゃなくお前のためだから」と言って祖母に特攻を打ち明けて泣く祖母を置いて数時間後に沖縄に突っ込みました。
昭和20年7月の事だそうです。@2ヶ月あれば…

682 :名無し三等兵:2007/08/05(日) 19:46:16 ID:???
>>673
近所の爺さんは山形歩兵第33連隊の生き残り。沖縄で雪部隊という名称で戦っていたそうです。
最後は連隊旗を焼いて投降。今でも年に何回か沖縄に県人会で仲間の遺骨を捜しに行っているそうです。

683 :名無し三等兵:2007/08/05(日) 19:47:38 ID:???
>>679
チョソやチャソはお国にお帰りください。

684 :名無し三等兵:2007/08/05(日) 19:49:46 ID:???
特務船石廊(いろう)とかいうコンクリート船に乗っていたらすぃ

685 :名無し三等兵 :2007/08/05(日) 21:04:58 ID:???
パラオで沈んでる給油艦じゃなくて?

686 :uaa:2007/08/05(日) 22:55:16 ID:lrsz1YWu
>>668
うちの祖父さんビルマで終戦を迎えたんだが、”ビルマの竪琴”の話をしたら”水島上等兵”は大量にいたと言ってた。
中には部隊単位で残る連中もいたそうだ。
輸送部隊の中隊長だった祖父さんは彼らに、持っていた連合軍に接収される予定の物資を渡したそうだ。

>>682
32連隊だね
祖父さん輜重兵に転科してなかったら沖縄で死んでたんだな。
山形歩兵第32連隊の予備役少尉→商売で失敗して日産自動車へ就職→運転免許取得→輜重兵に転科

倒産が命を救った・・・・塞翁が馬の諺を思い出した

687 :名無し三等兵:2007/08/05(日) 23:07:48 ID:???
>>676
心にジーンと来る悲しい話ですね

てか、帝大とかの優秀な学生まで特攻させるなんて、ほんと軍部は糞だったんだな

688 :名無し三等兵:2007/08/05(日) 23:28:41 ID:KXr75MGc
>>687
爺さんが東京帝大出身で今でいう
卒業アルバムのような物(戦後に作られたものだが)
見せてもらったら恐ろしいくらいみんな戦死してたよ。
東条某が参議院選の演説で「国に殉じた英霊の方々のためにも国を変えなくてはいけない
これでは英霊の方々に申し訳ない」
って感じの事を言ってるのをテレビで見て
「その英霊を大量増産したのは誰だったかな。」
と愚痴ってたw


689 :名無し三等兵:2007/08/05(日) 23:32:00 ID:???

パイロットとしては糞だからな


690 :名無し三等兵:2007/08/06(月) 00:30:23 ID:???
ミッドウェーとレイテで神業級の熟練パイロットと整備兵失ったからな…

691 :名無し三等兵:2007/08/06(月) 10:28:55 ID:zYE3GgDs
>>686
うちの祖父もビルマで捕虜になり終戦した。竪琴の話はかなりしていたし当事者だったみたい。
しかし、そんな事より象に乗せられて帰国した時の話ばかりしていたなぁ。

692 :名無し三等兵:2007/08/06(月) 11:17:13 ID:6/0on9PQ
うちの祖父はミッドウェー海戦で空母に搭乗してたが善戦するも
集中攻撃にあってやっとの思いで帰還。たしか空母飛龍。

役割では通信兵だったらしい。

693 :名無し三等兵:2007/08/06(月) 11:22:55 ID:guyRgAL0
家の婆さんの兄は、赤紙で満州行って、マラリアだかの伝染病で死にました。



694 :名無し三等兵:2007/08/06(月) 11:44:50 ID:???
>>689
糞を喰うウジ虫乙!

695 :名無し三等兵:2007/08/06(月) 12:46:30 ID:???
俺はドイツと日本のハーフだけど、ウチの父方のジーサン、
レニングラード市街戦で戦死したから
2歳だったオヤジは父親の顔を写真でしか見たこと無い。
母方のジーサンは日本でエンジニアだったので横須賀基地づとめに
回され戦地にいかず。戦後ギャンブルに狂って一家離散。


696 :名無し三等兵:2007/08/06(月) 12:51:43 ID:6/0on9PQ
祖母の兄は台湾に輸送される途中で攻撃され戦死してる。
26歳で今の自分よりも年下で死んでしまった。

697 :名無し三等兵:2007/08/06(月) 14:11:54 ID:pSAOULXL
>>655
遅レスで申し訳ない。
私も同じ事を思った、「このスレをまとめて、出版すればいいのに」と。



698 :名無し三等兵:2007/08/06(月) 15:22:44 ID:7gFSbF3E
初めて覗いたけど、なんかここ凄いスレだね

699 :名無し三等兵:2007/08/06(月) 17:48:02 ID:???
俺の曾祖父は陸軍工兵部隊の兵長として、ニューギニア島のラエって場所に出征し、戦死した。
地図でどの辺りか調べてみたら、オーストラリアに近くて驚いた。

あんな遠くまで、はるばる進出した日本軍てすげぇなと感じた。

700 :名無し三等兵:2007/08/06(月) 18:05:45 ID:???
俺の父方の祖父の弟:陸軍軍曹だったけどダンピール海峡で戦死
俺の父方の祖父の末弟:現役兵で招集されて第二次上海事変で戦死
俺の母方の祖父:大正期に現役で近衛師団、関東大震災に災害派遣で出動。

>>699
盛岡の人?
もしや独立工兵第36連隊ですか?



701 :名無し三等兵:2007/08/06(月) 18:23:20 ID:QTuy//aK
母方の祖父が亡くなって8年目。
このスレを見てたら、里帰りの時に焼酎を飲みながら、語ってくれてた
話を思い出したよ。とりあえず語ってみたいと思います。

鹿児島の農業高校を卒業した祖父は、陸軍の学校に入って
訓練していたらしい。2年ぐらいたつと日中戦争が起こって
中国に行って従軍していたみたい。
それから、第2次大戦が始まりラバウルに転進して
陸軍ラバウル守備隊山砲隊?(うろ覚えですまない)に所属して
終戦まで居たらしい。
ラバウルでの話をよくしてくれたけど
現地の住民と仲良くなって、そこの娘さんと恋仲になったとか
殴られまくった上官や仲が良かった同僚が病気で
バタバタと倒れていったのは、悲しかったと言っていた。
そのせいで、繰り上がりで伍長になり終戦時には、軍曹になっていた。
長男だった為、終戦後引き上げ時にラバウルで、恋仲になった娘さんと
別れるのがとてもつらかったらしい。残留しようか直前まで悩んだらしい。

ラバウル生活してたときの話がほとんどで、戦闘で苦しかった
などの話は、無かったね。
     

702 :名無し三等兵:2007/08/06(月) 22:41:18 ID:???
ウチの爺さんの親戚が雪風に乗っていた。
幸運艦と言われてるが雪風に乗ってて機銃掃射で戦死した。
戦死公報もあるが誰も「雪風に乗ってて戦死だなんて」と信じてくれない。

703 :名無し三等兵 :2007/08/06(月) 22:43:52 ID:???
ラバウルの食糧事情が終戦まで飢餓ライン以上を維持できたのは、
連合軍に海上補給路を絶たれることを見越して、本土から農業技術者
を呼び、耕作地を開墾するなどして備えた今村大将の先見の明

704 :名無し三等兵:2007/08/06(月) 23:07:24 ID:???
>>695
スゲー。
その父方の爺様は、軍隊内で、どんな階級だったんですか?

705 :名無し三等兵:2007/08/06(月) 23:10:17 ID:???
>レニングラード市街戦で戦死したから
ここは釣りに突っ込む所ですかw

706 :名無し三等兵:2007/08/06(月) 23:27:26 ID:???
>>705
何だか知らんが、嘘なら、釣りがどうのなど生ぬるいことをいっていないで、嘘と明確に断定すれば良かろう。

707 :名無し三等兵:2007/08/06(月) 23:36:03 ID:???
拝啓

時下春暖の候益々御清栄段奉賀候。
陳者小生儀今般不?進級の恩命に浴し候ては偏に皆様の御指導御厚情の賜と深く感銘厚く御?申候。
今後益々奮戦奮起戦陣の訓を?し職域奉公の誠を?し?て御厚恩に...
昭和十六年三月五日
北支派遣××部隊××(捨)部隊

陸軍衛生中尉 ××××
こんな葉書が家に眠っていた。漢字が難しい。

708 :名無し三等兵:2007/08/07(火) 00:04:11 ID:9cZNruHR
まぁハーフならいくらでもいるしおかしくないでしょ。
知りあいに太平洋で日本機落としまくった人と
特攻隊員の姉の夫婦の孫がいる。
ところでおまいらってじいさんが軍人だったから軍ヲタになった?関係なし?
一部に明らかに[軍ヲタだからじいさんが軍人]なヤシもいるなw

709 :名無し三等兵:2007/08/07(火) 06:30:15 ID:m19leF8z
>>705
父方ドイツ人なら、爺さんがドイツ兵でレニングラードで
戦死してもおかしくないわけで・・・・



710 :名無し三等兵:2007/08/07(火) 07:21:41 ID:rZ+vsY+J
>>700
レスありがとうございます
そうです。曾祖父は盛岡の工兵部隊でした。

711 :名無し三等兵:2007/08/07(火) 07:37:50 ID:+VoiGaT/
父方のじいさんが、銃声が聞こえるくらいじゃ映画みたいに慌てないと言ってました。
音がキュンキュンとなってからが勝負だとか。

母方のじいさんは天皇陛下直属の近衛兵で、内地高射砲をやってて、映画やアニメで戦闘機が出ると「あんな機影は見たことないなあ」「あんな羽のヤツあったかなあ」「忘れちまったのかなあ」と嘆いてました。

二人とも故人です。


農閥の父方と軍閥の母方に生まれたはずなのになぜ私がワーキングプアなのかと小一時間(ry


712 :名無し三等兵:2007/08/07(火) 09:44:58 ID:???
うちのひい爺さんは日露戦役で乃木将軍隷下の師団で203高地に出征
3回の突貫攻撃にも関らず生還
でも炊事兵だったんだよね
明治天皇から金杯貰ってたけど
以後、親威に満州で戦車兵とか海軍の駆逐艦乗りの人とかいるけど、
いずれも生還。戦死者のいない武運長久な家系です。
父親も幼少の頃グラマンの機銃掃射を受けましたが、
寸でのところでかわしました。


713 :名無し三等兵:2007/08/07(火) 11:03:00 ID:???
>>663
そうでもないみたいだよ。
以前職場が一緒だった爺さんに、化学戦部隊から同郷の上官の
取り計らいで中野の憲兵学校に入り、憲兵になった人が居たけど
モテてモテて仕方なかったそうだ。軍服着た当時の写真見せて
もらったけど、男のオイラも嫉妬するくらいw ええ男だったわ。
それで3つ股かけて、逢引のローテーションに苦労したとか、
那須御用邸の警備していて人魂が出て腰を抜かしたとかいろいろ
面白い話が聞けた。
で、戦争に負けた途端付き合っていた女性全員から振られ、故郷に
帰って結婚したけど尻に敷かれっぱなしで、「わしは、あいつとは
結婚したくなかったんだ」「負ける前に、付き合っていた女性の中で
一番美人と結婚しとけばよかった、金持ちだったし」と酒が入るたびに
ぼやいてた。

思想取り締まりはやったこと無いとか言ってたので、憲兵も部署に
よっていろいろなのかもね。




714 :名無し三等兵:2007/08/07(火) 11:39:36 ID:???
>>712
私のひい爺さんも乃木第三軍で軍医してた
ひょっとしたら、あなたのひい爺さんが作った飯をたべたり
あなたのひい爺さんを治療したことがあったかもねw

715 :名無し三等兵:2007/08/07(火) 12:06:11 ID:???
>>682
うちの爺さんも歩兵32連隊だったよ。
遺品を見るかぎり、一等兵だったみたいなんけども出征せずに終戦迎えたみたい。
こういうことってあるのかな?

716 :714:2007/08/07(火) 12:09:58 ID:???
そのひい爺さんなんだが、少佐で退役して田舎に帰って開業医をやってたのだが
その田舎町に住んでる退役軍人の中で最高位だったため、亡くなる直前まで
在郷軍人会の支部長をやってた
退役した後、役場に入ってでかい顔をしていた元下士官連中が、ひい爺さんの前では
「借りてきた猫」状態なるのは笑えたと爺さんが言っていた

結局終戦まで、その田舎町出身の軍人の中では、ひい爺さんの「少佐」が最高位だったとか
ほんと田舎だもんなー、わが町はw

717 :名無し三等兵:2007/08/07(火) 12:28:33 ID:???
実家に、日の丸が描かれた賞状?だか感謝状?みたいなのが、戦死した祖父の遺影の隣に飾ってあるんだけど、
先祖が戦死した家にはあるのかな??
戦後に、国から送られてきたみたいなんだけど。

718 :712:2007/08/07(火) 14:45:58 ID:???
おお、そうですか。
>>714
日露戦役当時の炊事兵というだけで、どんなものだったのか知りませんが、
本部付なら面識が有ったかもです。
残念ながら、ひい爺さんは、私が生まれた時には既に鬼籍の人ですから
詳しくは解りません。徴兵前も除隊後も只の百姓でした。


719 :名無し三等兵:2007/08/07(火) 15:20:13 ID:d6qaaVmF
昨日テレ朝で深夜放送してた山口さんっておじいさんの話、見た方いますか?
広島と長崎両方で原爆被害に合われたとか…

720 :名無し三等兵:2007/08/07(火) 15:41:20 ID:???
>>705
スターリングラードとごっちゃにしてんじゃね?

721 :714:2007/08/07(火) 15:50:22 ID:???
>>718
私の親父がまだ小学生だった頃、ひい爺さんに日露戦争の話を聞いたらしいのだけど
「地獄を見た」としかいわず、普段は多弁すぎるほど多弁な人が、日露戦争の旅順攻略戦、
奉天会戦のことを何も話さなくて、武勇伝を聞ける(軍医に武勇伝なんか期待されても困るけどねw)と
思っていた親父はがっかりしたが、大人になって考えてみると余程の修羅場だったのだろうといっていた。
実際ひい爺さんは「軍医はもうこりごり」といって、まだまだ出世の見込みがあったのに日露戦争後まもなく退役しちまった

そのかわり、森鴎外(森林太郎軍医総監)のことを話してくれたけど、あまり興味がなかったので
「総監は変わった頭の形をしていた」、「けっこう部下に優しい人だった」ぐらいしか憶えていないといっていた。
「優しい人だった」は、鴎外は頑迷に脚気病原菌説にこだわり、多数の兵士を死なせたトンデモ軍事官僚と批判されてるから
ちょっと意外かな、まあ公人と私人は別の性格の人は珍しくはないけど
そういうわけで、個人的には森鴎外の話を聞きたかったけど、残念ながらすでに鬼籍に入ってるので無理

ちなみにひい爺さんは鴎外全集の中の書簡か何かに「陽気な部下」として名前がでてくるらしい


722 :uaa:2007/08/07(火) 17:25:50 ID:gFzjW9tq
>>715
予備役だけど召集されなかったのかな?それとも応集したけど戦地に行かなかったの?

何らかの理由で召集されないことはあるよ。
特技があって軍需工場で必要な人材とか、健康上の理由とか。

応集しても、留守部隊で終戦を迎えたと言うこともある。
一等兵だと補充要員として教育を受けていた可能性が高いと思う。
補充兵を集めたけど、前線に送る手段が既になくなっていたとか・・・

うちの祖父さんが満州事変で応集した時は、歩兵32連隊で留守番だった。
その時の従軍記章と勲章(瑞六)は形見分けの時俺がもらった。



723 :名無し三等兵:2007/08/07(火) 20:10:18 ID:???
>>709
史実ではレニングラードは包囲戦でありスターリングラードと違い市街戦は発生しなかったと言う点だよ...

724 :名無し三等兵:2007/08/07(火) 20:22:46 ID:lqqsS3Py
>>721
>>718
> 私の親父がまだ小学生だった頃、ひい爺さんに日露戦争の話を聞いたらしいのだけど
> 「地獄を見た」としかいわず、普段は多弁すぎるほど多弁な人が、日露戦争の旅順攻略戦、
> 奉天会戦のことを何も話さなくて、武勇伝を聞ける(軍医に武勇伝なんか期待されても困るけどねw)と
> 思っていた親父はがっかりしたが、大人になって考えてみると余程の修羅場だったのだろうといっていた。
> 実際ひい爺さんは「軍医はもうこりごり」といって、まだまだ出世の見込みがあったのに日露戦争後まもなく退役しちまった

> そのかわり、森鴎外(森林太郎軍医総監)のことを話してくれたけど、あまり興味がなかったので
> 「総監は変わった頭の形をしていた」、「けっこう部下に優しい人だった」ぐらいしか憶えていないといっていた。
> 「優しい人だった」は、鴎外は頑迷に脚気病原菌説にこだわり、多数の兵士を死なせたトンデモ軍事官僚と批判されてるから
> ちょっと意外かな、まあ公人と私人は別の性格の人は珍しくはないけど
> そういうわけで、個人的には森鴎外の話を聞きたかったけど、残念ながらすでに鬼籍に入ってるので無理

> ちなみにひい爺さんは鴎

725 :名無し三等兵:2007/08/07(火) 20:28:28 ID:???
>>721
鴎外が脚気病原菌説にこだわった理由として、兵士に白米食わせてやりたいというのがあったから優しい人ではあったんだよ
まぁ気に食わない奴に対する反抗でもあったんだがね

あと>>724は途中送信をしてしまったレスですので

726 :uaa:2007/08/07(火) 20:47:21 ID:8bWuE6gF
>>725
理由になってねーよwww
白米食の提供は陸軍の徴募の都合。
いくら徴兵で引っ張って来れると言っても、ある程度待遇も考えなければならないし、残る奴がいなくなる。
陸軍の都合と細菌馬鹿鴎外の面子のために起きた悲劇。
鴎外が優しいんじゃない。

鴎外は欧米の学者の言う事を鵜呑みにして鈴木梅太郎先生の足を引っ張った屑野郎だ。

727 :名無し三等兵:2007/08/07(火) 20:54:22 ID:RvZTnmfC
>>702 雪風では確か3人無くなっていたと思う。

戦死者が出ていたなのは初霜だったと思う。


728 :名無し三等兵:2007/08/07(火) 20:59:39 ID:AyU/gDIw
コネで憲兵になれて、ウマーのはずだったのが、長崎原爆で半身を焼かれたうちの祖父
幸い治療レベルが高いところに入院したのでケロイド跡は残らなかったが、結局その半身から一生汗がでなくなった

729 :名無し三等兵:2007/08/07(火) 21:11:28 ID:WKs3CWsd
まもなくNHK総合テレビで放映!!

8月7日 22:00〜 NHKスペシャル
■「アメリカ秘密尋問所・日本人捕虜2000人が語った機密情報」

暗号解読・爆撃目標の詳細・艦船の図解
太平洋戦争当時、日本人捕虜から情報を集めるために整備されたアメリカの秘密尋問所
「トレイシー」の真実を探る。
1943年に捕虜収容所として整備されたトレイシーでは2千人以上の日本兵が尋問を受け、
潜水艦や戦艦の図面、本土爆撃のための軍港や工業地帯の地図、暗号表など
日本側の情報が次々とアメリカ側にもたらされた。
収容所内では盗聴装置を使い、捕虜同士の会話も収録され分析されていた。
45年になると聴取内容は天皇や政治経済に及び、
それらは戦後のGHQの占領政策に生かされていった。
トレイシーでアメリカ側尋問官は何を聴き、日本兵は何をしゃべったのか。
国立公文書館に眠る膨大な尋問調書と、生き残った日米関係者へのインタビューを通し、
太平洋戦争下の人的情報戦を検証する。

730 :名無し三等兵:2007/08/07(火) 21:59:22 ID:???
>>729
トレイシー・ローズみたいな姐ちゃんに尋問されたら堪らんのう。
乳なんぞ見せられたら堪らんのう。
何でもゲロしてしまうのう。
あわわ、売国奴になってしまうのう。


731 :名無し三等兵:2007/08/07(火) 22:00:24 ID:???
ハニートラップ化

732 :673:2007/08/07(火) 23:17:03 ID:???
>>682
遅レスですが、お爺様生き残れて良かったですね。

自分の祖父の遺骨は無く、遺骨変わりに沖縄の砂を渡されたと祖母が申しておりました。
まだ捜索して下さっている方々がいるということは、祖父の遺骨も見つかる可能性も
あるかもしれないってことですよね。色々がんばってみます。


ちなみに祖父は一度、臨時召集で留守隊入り、歩兵98連隊に転属した後
召集解除を受けています。4ヶ月程しかいなったようです。
その後、二ヵ月後に再召集を受けています。何でそうなったか不思議です。

祖母は子供を妊娠したから、上官が一度帰してくれたと言ってました。
生めよ増やせよの時代だから、そういう気遣いをしてくれたが事実なら
最後の情けだったのかと思うと上官さんにお礼を言いたいです。


733 :名無し三等兵:2007/08/07(火) 23:52:02 ID:???
どこに書けばいいか分からなかっからここに書きます(すいません)
実は元帝國海軍通信兵長の祖父が明日、胃の手術をするんです。
祖父を私はずっと尊敬していましたし、私自身ずっと祖父のお世話になっていました。
私としては何も出来ず、ただ神社に回復を祈願したりしてました。
祖母は「明日は来なくていいよ。大丈夫だから」と言いましたが私としてはせめて一目でも会いたい所存であります。
仕事がありましたが休みました。
私は行きたいと思うのですが、行かない方がでしょうか?
多分、祖母は私と仲が悪い母の姉も来ることを危惧していると思うのですが・・・。

734 :名無し三等兵:2007/08/08(水) 00:14:57 ID:uPVOtVKC
もし、おなじ後悔することになったにしても、
行った方が、行かなかったよりも…

735 :名無し三等兵:2007/08/08(水) 00:18:19 ID:juYpoKGr
>>730

トレシ―ロ―ズに絡んだ男優は全員エイズで死んだ。

736 :名無し三等兵:2007/08/08(水) 00:18:38 ID:???
>>723
ならその旨をすぐに書け。他はともかく、軍板でグズグズするな。

737 :名無し三等兵:2007/08/08(水) 00:26:49 ID:???
激戦地にひた人ほど
もうコリゴリなんだろなー

戦後いさましいこと言ってる中央にいた参謀
には怒りが込み上げる

738 :名無し三等兵:2007/08/08(水) 01:54:24 ID:???
こないだうちの九州の実家のアルバム見たんだけど祖父方の曾祖母のご兄弟たちが海軍にいた頃の写真があったよ。
一人は帽子に『大日本軍艦霧島』とかかれた帽子かぶってたから多分開戦前に霧島に乗ってたんだと思う
もう一人の方は航空屋で仲間(同期生?)と一緒に飛行服着て並んでる写真がすごく格好良かった!
ちなみにその人は偵察機乗りで昭和十九年に特攻隊で戦死したそうです…。/Д`)゚。

739 :名無し三等兵:2007/08/08(水) 01:58:40 ID:???
>>737
爆笑問題の大田の番組に登場した硫黄島帰還兵は、それでも
「日本は国防のために再軍備をすべき。そのために子や孫が戦地へいくことになったとしても」
という趣旨の発言をしてた。
さすが、昔の独立精神のある人は気骨があってしっかりしていると思った。

740 :名無し三等兵:2007/08/08(水) 02:01:35 ID:???
>>733
行け。

これは俺の勝手な推測だが、「大丈夫だから」は逆に手術がかなりヤバいものだからではないか。

俺も数年前の夏に、幼い頃大好きだった母方の祖母を亡くした。
だが、母は仕事でテンパってた俺に危篤を知らせず、祖母の死を知ったのは
初七日も過ぎた頃だった。母方と言う事で遠慮もあったのだとも思うが、君は自分のために行け。

741 :名無し三等兵:2007/08/08(水) 02:09:12 ID:???
>>733
やらないで、後で後悔したくないだろ?
できる時にできる事をやるんだ!
GO GO GO!!

742 :sage:2007/08/08(水) 02:36:51 ID:???
>>733
何が何でも行くべきだ
親戚のいざこざとは別の事だろ?
爺さんがいなかったらお前は存在していなかったんだろ?!

743 :名無し三等兵:2007/08/08(水) 02:43:44 ID:???
>>733
行け。仲の悪い親類が何だ。
爺様を尊敬しているんだろ?

爺様の為に、そして自分の為に行け。

744 :名無し三等兵:2007/08/08(水) 03:13:38 ID:???
>>733
とにかく行け。
何が何でも行け。

お前さんが爺さんを思う気持ちよりも、親戚とのいざこざが重いわけでもあるまい。

745 :692:2007/08/08(水) 03:18:29 ID:V66hoWSR
>>738
それは、さぞお辛いことだったでしょう。その勇気には感服いたします。
このことは無駄にしてはいけませんね。

知覧の特攻平和会館に行ったことがありますが、なんとも言えない感慨がありました。


ところで私も九州出身(熊本)でして、実は祖父が空母の飛龍に乗る前、
戦争初期には巡洋戦艦の霧島に乗り転戦していたんです。第五分隊(左舷副砲)。

もしかしたら、あなたのご曾祖母のご兄弟と一緒に搭乗していたことが
あったのかもしれませんね。

746 :名無し三等兵:2007/08/08(水) 03:50:16 ID:???
行け!また一人、帝國軍人がいなくなるかもしれないのだ

747 :名無し三等兵:2007/08/08(水) 04:33:34 ID:???
>>728
本当に悪いが、コネだとしたら
恐らく終戦間際に誰でもなれた「補助憲兵」

ググッて下さい、わかりますから

終戦間際でも憲兵だけは絶対にコネではなれなかった

兵科にかかわらず大隊規模の中で一人でも合格者が出れば
その隊では大騒ぎになったのは確か

事情で陸士や中学に進めなかった
尋常小学校、高等科出の秀才・神童が
軍籍に入り、その中での最難関試験が陸軍下士憲兵試験

合格すると、兵卒の二等兵でも中野の憲兵練習所を出たら
襟に憲兵記章の座金を付けて即上等兵、兵長。数か月後には伍長勤務。
貧乏人と言っては失礼たが、地方のそのまた田舎の出身が多かった
倍率は知らないが合格率はコンマ数%

旅団単位に憲兵は50人程度しかいなかったのは事実と言う事を踏まえたら
わかってもらえたかな?



憲兵オタクの戯れ言でした

748 :733:2007/08/08(水) 06:50:23 ID:???
みなさんレスありがとうございます。
実は最初から問答無用で行く気でありました(笑)
これなら何も気にせず行けそうです。ありがとうございました。

749 :名無し三等兵:2007/08/08(水) 08:39:02 ID:???
>>747
睦月影郎センセイですか?

750 :名無し三等兵:2007/08/08(水) 09:26:29 ID:???
>739
家族や国民より国体の護持が大事なんだろ>帰還兵

751 :名無し三等兵:2007/08/08(水) 09:29:59 ID:???
アパートに中国人が… 即メールしましょう!

入国管理局 http://www.immi-moj.go.jp/zyouhou/index.html

752 :名無し三等兵:2007/08/08(水) 10:45:49 ID:???
715です。
遺品の写真を見るかぎり昭五式の軍服を着てたので、間違いなく当時は応集を受けたと思います。
また、戦友とおぼしき人が寒冷地装備を付けた写真もあったので時期的にも満州事変辺りじゃないかと思われます。


でも実家の婆さんから話を聞いても行かなかったの一点張りなんで……よくわからんのです。
ただ隣近所の人が中国戦線で戦死したり出征したりしてたので、もしかしたら隣組の関係で出征しなかったんでしょうか?

753 :uaa:2007/08/08(水) 12:55:27 ID:OiIrkeGc
>>752
昭五式を着ていたということは、十三年以前に一度入営したということですね(切り替えのタイムラグがあるかも知れないけど)。
太平洋戦争中は何らかの理由で召集されなかったんでしょうね。
・強力なコネがある
・特別な職業
・特殊な技能を持っている
・理系の学生、科学者、技術者
・年齢超過
・病気
・服役中
等が考えられます。

寒冷地装備の件ですが、32連隊は昭和十二年〜十九年にかけても満州にいたので、十二年頃の可能性もありますね。


754 :名無し三等兵:2007/08/08(水) 13:26:32 ID:???
スレ違いですみません。
知り合いが戦艦、榛名、霧島に乗ってた(別々な人)らしいけど、全名簿とか存在しますか?
あれば調べてみたいです。分かる方、教えて下さい!

755 :名無し三等兵:2007/08/08(水) 15:40:12 ID:7ym5sZ0L
おいオカルト板にも似たようなスレがあるぞ、343空の紫電改が命令違反までして、沖縄への特攻隊を護衛して海兵隊のF6Fを蹴散らしたとかね、物凄いオカルトな話し。

756 :名無し三等兵:2007/08/08(水) 16:09:52 ID:2p23JjeL
>>747
そうみたいですね。
私はマニアではないんですが、「憲兵→悪」みたいな図式が定着したのは戦後みたいですね。
戦前では憲兵ってのはヒーローみたいな存在で、家族に憲兵がいるというと鼻が高かったとか。
軍刀を引っさげ、軍馬にまたがってパトロールする憲兵はあこがれの的で、見物人が集まってきたとか。
なんか今と真逆な評価みたいですね。
ところでウィキには憲兵上等兵の月給は100円(昭和12年)みたいな記述があったんですが、ソースはどこにあるんでしょうか?



757 :名無し三等兵:2007/08/08(水) 16:17:20 ID:???
兵隊には嫌われてたんだろ

758 :名無し三等兵:2007/08/08(水) 16:37:49 ID:GqQIY4Sk
じいちゃんじゃなくて父だけど、亡くなる2〜3年前にそれまで誰にも言わなかったという
南方の前線に行った話をしてくれた。

父は飛行機の技術者だったせいで、ギリギリまで兵隊にとられず、
終戦時はいわゆるポツダム少尉だったと思う。
戦争中期には艦爆の生産に携わっていたが、あるときラバウルにろ獲機の調査に派遣された。
当時はニューブリテン島の基地は孤立していて補給船もなかなか行けず、
本土で話しちゃいけないことを山ほど見聞きしたので、
ラバウルに行ったことも誰にも言わないように命令されたと。

ラバウルへの行き来も簡単ではなく、行きは飛行艇、帰りはトラックまで潜水艦に便乗して
そこから飛行機で帰ったと。

759 :名無し三等兵:2007/08/08(水) 18:59:00 ID:IMLn+snQ
憲兵は搭乗員よりも難しいからな、搭乗員ー頭脳明晰、運動神経抜群
憲兵ー頭脳明晰、上官の覚えがいい、武道が強い、字が上手い。

760 :名無し三等兵:2007/08/08(水) 21:11:13 ID:???
うちの爺ちゃん、習志野にあった騎兵学校出身との事。
歩兵に比べると傍流のような言われ方をされるけど、
それでも微妙に騎兵閥みたいなものはあったみたい。
爺ちゃん自身は、戦時中の話を自分からする事は一切無かったようだけど
戦後も同兵科の集いには参加したりして、割と結束は強かったそうな。
オトンが言うに、かろうじて聞いた事があるのは、習志野に少し勤務していた頃
先輩にバロン西が居たという事、それに(ちょっとマニアックだけど)山田乙三、
土居明夫という人に色々と世話になったらしい。

オトンももうちょっと聞いておけば良かったのに...

761 :名無し三等兵:2007/08/08(水) 21:35:42 ID:???
 搭乗員(電信)1:「隊長機が “ 紫電隊帰れ ” と言ってます。」
 機長:「後続距離の短い紫電は、ここらで引き返さんと基地に戻れない・・・」
 搭乗員2:「紫電隊、増槽捨てました!」
 桜花搭乗員:「引き返すんですよね?」
 機長:「・・・いや、カラになったんで捨てただけだ...」

>>755
国内で唯一の実機の紫電改を展示している施設に行きました。
場内放映のビデオで、あいかわらず『松山上空で戦/爆連合50機以上撃墜』とか言ってました。
当時子供だったと思われるオバチャンが「海軍さんに貰った羊羹が美味しかった。」とかも言ってました。

762 :名無し三等兵:2007/08/08(水) 21:44:17 ID:???
戦後国内で「憲兵=悪」と思われたのは
特高とゴッチャに解釈されたから

憲兵に一般国民への逮捕権なんか無かったんだから(予備役を除く)
あくまでも帝国陸海軍の将兵に対する警察権だけ
馬上本分だから、サーベル(軍刀)をさげて馬で町を移動してる姿だけで、
当時の国民には地元の警官より遥かに頼りに見えた
権限は下士で少佐まで、尉官で少将までの逮捕権が与えられていた
田舎の町から憲兵が出たら、その町の英雄
それこそ故郷に錦を飾った以上の眼差しで見られた

ごめんなさい俸給100円は知りませんでした
調べてわかったら書き込みますね

763 :名無し三等兵:2007/08/08(水) 21:53:10 ID:???
憲兵は私服で調査する事もあるから調髪が許されていたという事実。

764 :名無し三等兵:2007/08/08(水) 22:29:11 ID:???
床屋に行っても良いの?

765 :名無し三等兵:2007/08/08(水) 22:40:42 ID:2p23JjeL
>>762氏へ
756を書いた者です。
ちょっと反論する形になりますが、気分を害されないでください。

<憲兵に一般国民への逮捕権なんか無かったんだから(予備役を除く)
<あくまでも帝国陸海軍の将兵に対する警察権だけ

とありますが、私が読んだ本によると使うことはほとんどないがあったそうです。
憲兵(勅令)は陸軍大臣の指揮を受ける、と憲兵令で定められていますが、同時に検事総長の指揮もうける、とあります。
これはなんでも普通の警察官では手に余る、太刀打ちできないような政・財・官の大物を身分も保障され、腕っ節の強い憲兵が捜査・逮捕できるようになっていたそうです。
今の特捜部みたいな役割をになっていたのですかね。
生意気かもしれませんが、私は事実を確認したいだけですのでご容赦ください。



766 :名無し三等兵:2007/08/08(水) 22:45:36 ID:???
>>763
色々とありますが
確かに大陸では校衣対策として平服捜査はされていた、
あくまでも校衣に対する捜査・警戒・警備に限り

もし憲兵の徴発が摘発立件されたら
当該者だけではなく上官の分駐所長、分検隊長も即刻軍法会議で処分
上官は1階級降格、当該は重営の後2階級降格
その後現隊へ戻される

暴走を防ぐ為の連座制が当時から憲兵隊にはありました
現隊に戻されると扱いがどうなるかはわかりますよね

767 :名無し三等兵:2007/08/08(水) 22:56:08 ID:???
>>763
軍隊よもやま話シリーズで国内で主人公が公用外出中にカフェでサボっていたら
私服捜査中の憲兵に名刺を見せられて注意される話があったぞ。




768 :名無し三等兵:2007/08/08(水) 23:15:07 ID:aeb1XtFE
>>765
警察が国家反逆・騒乱と認めた場合に限り
大戦前や当初は地元警察からの要請があれば鎮圧に行きました
昔のフィルムで演説会などで憲兵がいるのは警察から要請があったからです
内地の演説会で「待て!」をかけるのは在郷軍人か地元の警官、連行する力仕事は憲兵

769 :名無し三等兵:2007/08/08(水) 23:25:44 ID:aeb1XtFE
>>767
あの海軍大尉は憲兵に揶揄されても仕方がない状況を自分で作ったんだから
東南アジアでは平服で街に遊びに出た軍人の風紀を取り締まるのも憲兵仕事の一つ

770 :名無し三等兵:2007/08/08(水) 23:30:28 ID:WIsk5PRA
>>760
>それに(ちょっとマニアックだけど)山田乙三

最後の関東軍司令官でないの?

771 :名無し三等兵:2007/08/09(木) 00:09:28 ID:wnlf+Dqg
>>765
失礼しました
答えになっていませんよね
佐官については書きませんでしたね
必要無いと思い書きませんでした

確かに政治家や地方知事への逮捕権はありました
但し、憲兵隊が独自で判断し逮捕状を行使しする事でなく
大本営の令において、「佐官」が逮捕に赴くと言う事です。
尉官、ましてや下士官が大物を逮捕するのは
事情がどうあれ失礼千万ですからね

772 :名無し三等兵:2007/08/09(木) 03:09:37 ID:???
>>761
野上少尉ですか?

773 :名無し三等兵:2007/08/09(木) 08:48:42 ID:Sjw4XP3G
実は現在の警察にも逮捕権はなかったりする


774 :名無し三等兵:2007/08/09(木) 09:30:42 ID:???
>>719
信じられないが本当だスレで広島で被爆した人が長崎に逃げて・・・
という話を聞いたが、その人か?

775 :名無し三等兵:2007/08/09(木) 18:23:37 ID:AeBfNsCP
家の婆さんは(大火傷している)旦那のさんをを探しに、長崎原爆特集を見ながら地獄と化した焼け野原を歩いた経験がありながら
「負けたもんは何されてもしょうがない」、と言い切ったのをしみじみ聞いた

こういうのは経験者のみに許される発言だなあと思いながらな

776 :名無し三等兵:2007/08/09(木) 18:34:12 ID:FRJZdYED
>>775
読みにくいな。
言いたい事はわかるがよ。


777 :名無し三等兵:2007/08/09(木) 18:46:34 ID:AeBfNsCP
>>776
すまんのう
要するに自分も入市被爆者で祖父が被爆者遭となったのに、あっさり婆に核肯定みたい事を言われたってことだ

778 :名無し三等兵:2007/08/09(木) 19:06:18 ID:???
世間でよく聞くフィリピン戦の話の通りだったな。
舞鶴に復員船で帰ってきた時、誰一人として『ごくろうさま』と声を掛けてくれなかったことを怒っていた。
そんな話があるかっ!とね。死ぬほど苦労してきたのに労いの言葉一つ掛けないのかと。
そのせいで俺も日本社会のそういう所は嫌いだね。
その頃やっていた富野監督のザンボット3を見た時は『よくぞ言ってくれました』と思ったな。
こんな奴らを助ける意味があるのかよ、と。

779 :名無し三等兵:2007/08/09(木) 19:18:40 ID:rTg1UccV
うーん憲兵隊の中に保安課と特高課があったと聞くよ。 特高課はスパイ的
要素が強く、平素は私服でいろいろな場所に潜入している。
当然、情婦をかかえ諜報網を張り巡らせている。
憲兵伍長あたりでも、軍規に間違いがあれば佐官にでも注意を促すから
恨まれやすい。 占領地の「ちょっとこれぐらいいいだろう」を注意するのが
憲兵隊の役目でもあるからね。 

780 :名無し三等兵:2007/08/09(木) 20:41:22 ID:qxXO2bJ3
CATVヒストリーで戦争特集をやるぞ、二重被爆も放映される
NHK衛星第2 でも戦争映画特集もやる
CATV契約しなくても24時間ショップチャンネルやってるテレビなら
契約して・・・
デジタル放送は無理だが

781 :名無し三等兵:2007/08/09(木) 21:57:10 ID:???
ひい爺さんは、青年将校どもに襲撃されて暗殺された

782 :名無し三等兵:2007/08/09(木) 21:58:41 ID:???
>>781
お名前はひょっとして犬養さんですか?

783 :名無し三等兵:2007/08/09(木) 23:02:41 ID:???
齋藤、渡邊、高橋、松尾かも知れん。

784 :名無し三等兵:2007/08/09(木) 23:56:03 ID:???
ウチのお爺ちゃんは試製烈風で松島から戻る途中不時着し、付近の農民に米兵と間違われて殺されるところだったと言ってますが…

785 :名無し三等兵:2007/08/10(金) 00:02:01 ID:???
「そういうことがあったから、飛行服の肩に日の丸をつけるようになったと聞くな

786 :名無し三等兵:2007/08/10(金) 01:07:03 ID:IMVzWkUC
>>779
全くその通りです、ではその理由です
開戦以降の外地の占領地域では警察そのものが置かれなかった
と言うか置けるだけの時間的、人的問題から絶対に無理
(大戦以前からの占領地では必ず警察がありましたよね、韓国・台湾・グアム・サイパン等)
従って大戦以降の占領地では憲兵隊が警察の役目を兼務するしか無く。
反日分子の取り締まりは内地では警察・特高の役目ですが
それが無いわけですから、自ずと憲兵に委ねるしか手段が無かったわけです
軍団単位では軍団によっては占領した地域の広さは
今の日本の広さより広かった軍団もあり
占領維持の一環として警察と同じような組織で捜査・取り締まり・摘発を行っていました。
内地では警察・特高の仕事が外地では全てが憲兵の仕事でした
内通指導や女性を使った言論取り締まりまでやらざるを得ない状況下だったわけです。
大日本帝国憲法が及ばない占領地の治安維持には
欠くことができない存在だったと言う事です。
長文失礼致しました。

787 :名無し三等兵:2007/08/10(金) 01:10:17 ID:???
>>785
だね。濃い顔をした人が率先して日の丸を付けるようにしたとか。

788 :名無し三等兵:2007/08/10(金) 01:19:27 ID:???
>>779 >>786
なるほど、戦後に「中野学校」が世上で取りざたされるようになったとき、「憲兵学校」出身者が、
「自分の出たのが中野学校である」と勘違いして、そう自称することもあったそうですが、
そういった活動も行っていたからなんでしょうね。

789 :名無し三等兵:2007/08/10(金) 02:00:46 ID:???
>>788
戦後憲兵あがりの中には自分を誇張したくて
陸軍中野学校出と吹聴したおばかさんもいたのは確かです
勘違いして言うはずはありません

中野学校は特務ですから、大学卒のスーパーエリート集団の育成校
そしてなによりスパイですから入校時に戸籍を抹消されています
書類が焼け残った町の役所の人間にはバレバレなのにね

余談
正式名称
憲兵学校=×
憲兵練習所=○

失礼致しました。

790 :名無し三等兵:2007/08/10(金) 02:04:20 ID:???
ちなみにその中野学校跡地はついに売却されます
跡地に出来た警察学校の人もなんか忙しいみたい
すでに囲町公園は立ち入り禁止になってます

791 :名無し三等兵:2007/08/10(金) 02:40:03 ID:???
祖父母の家の仏壇に祖母の2人の兄の遺影が飾ってあり、
2人とも海軍の軍服を着ており戦死されたらしい。
だが、今まで祖母に詳しい話など何一つ聞いてない、
いずれ詳しい話を聞こうと思っていたが上手く切り出せずに居る。
こういう時ってどういうふうに切り出したら良いのだろうか。

792 :名無し三等兵:2007/08/10(金) 03:28:27 ID:???
>>791
まずは、お祖母さん自身の戦時体験から聞いていくことだと思うぞ。
ともあれ、まずはご本人の過去に関心を持ってやれよ。

年齢が判らないから一概には言えないが、それに付随するように反戦的意見を聞かされても、議論はするな。
戦中体験ありで、それが辛いものだったら、戦争反対になるに決まってるんだからな。

穏当に話を聞く機会が重なれば、大伯父さん2人の話にも繋がる切っ掛けが見つかるだろう。

だからといって、例えば「○○に乗ってた」みたいな話が正確に聞けるとは期待しないこっちゃよ。
軍オタが期待するようなwktkな話を又聞きでも聞いているとは限らんしな。
結局は、肉親の死に繋がることだから、あんまり踏み込みすぎるなよ。

例え「大和に乗っていた」みたいなことでも、目をらんらんとさせないように。
戦死なんてのは悲劇性の強い死なんだし、場合によってはさらに悲劇性を強めることだってある。

例えば、うちも親父と祖母さんに大伯父の思い出話を聞いてて、
不意に聞いちまったわけよ。どこで亡くなったのか。
すると、それまで自分の兄の思い出を懐かしげに話してた親父が、吐き捨てるように、
「インパールで戦病死……」
で、親父は不機嫌そうに口をつぐむし、祖母さんは手を合わせて「なまんだぶ、なまんだぶ……」。
気まずすぎるだろ。
しかも、オレにもその地名が意味することが判ってるんだから。

ともあれ、「詳しい話」を期待するなよ。祖母さんが話したい範囲の話を聞く。
そういう機会をもつことに価値があるんだと思いなよ。
銃後とは言え、祖母さんも戦争体験者に違いないんだからな。

793 :名無し三等兵:2007/08/10(金) 04:03:28 ID:???
本物の軍服って凄いな
祖父の友人のを見せてもらったけどボロボロであちこちに血糊がついてて見るだけで生き地獄に居た事がわかる
よく生きて帰ってこれたもんだ

794 :名無し三等兵:2007/08/10(金) 06:34:47 ID:???
>>699
ラエからサワラケットに退却する途中でかなり死んだはずだ。
合掌。

795 :名無し三等兵:2007/08/10(金) 07:21:21 ID:???
>>707
時下春暖の候、益々御清栄の段奉賀につき候。
のぶれば(さて、)小生今般の儀、不?(?)につきまして
進級の恩命に浴し候ては、ひとえに皆様の御指導御厚情の賜と深く感銘厚く御?(礼)申しあげ候。
今後益々奮戦奮起戦陣の訓を?(効or尽?)し職域奉公の誠を?(効or尽)し?(奉)て御厚恩に...
昭和十六年三月五日
北支派遣××部隊××(捨)部隊

勝手に手紙の内容を想像してみた。
だめだわかんねぇ

796 :名無し三等兵:2007/08/10(金) 14:48:39 ID:???
うちのもう亡くなった爺さんの弟が憲兵だった。中国で終戦を迎えたけどその後
現地で裁判うけて?銃殺刑になったらしい。
なんでも執行数時間前の手紙が届いたが字が震えちゃってて最後のあたりは
読めなかったそうです。俺はその手紙見たことないけど親父が言ってた。

今でも実家にはピシッと立ってるサーベルも携えた軍服姿の写真が額に入れら
れて残ってます。

797 :名無し三等兵:2007/08/10(金) 14:54:49 ID:???
主人の父(故人)は、シベリヤ抑留経験者。昭和34年に帰国。
満州で妻子を亡くしていて、主人の母と再婚した。
関東軍の元憲兵だったらしく、普通に「露西亜の電波間者」を引っ立てた話をしてくれた。
この憲兵になった経緯の話が真偽不明なんですが、これはありなんでしょうか?

東京で丁稚奉公していた。−>徴兵検査を現地で受けた−>
がたいと頭の良さをみこまれて、つまりスカウトされた。

中国に行けば中国人に、旧ソ連ではロシア人だと思われるほど語学が堪能でした。
葬儀には同じく抑留されていたある戦友の方が弔辞を読んでくださりましたが、
「この方は「陸中」出身の本物のエリートだよ」と他の戦友の方がいっていました。
主人いわく、戦中の中国の話は良く聞いたらしいですが、
さすがに抑留体験は、亡くなる1年くらい前からやっと話してくれる程度だったらしいです。
お義父上、あなたは何者だったのですか?

798 :名無し三等兵:2007/08/10(金) 15:06:37 ID:???
>関東軍の元憲兵だったらしく、普通に「露西亜の電波間者」を引っ立てた話をしてくれた。

なんだろ。
露探は日露戦争の時だしねぇ。露西亜の電波患者?

799 :名無し三等兵:2007/08/10(金) 15:13:34 ID:???
>>798
普通に「ロシアの送受電担当のスパイを摘発した」の意味だろ。

800 :名無し三等兵:2007/08/10(金) 15:53:47 ID:???
家の死んだ爺さんは大和に乗ってた。
第三艦橋勤務だった。

801 :名無し三等兵:2007/08/10(金) 16:34:02 ID:???
宇宙戦艦乙

802 :名無し三等兵:2007/08/10(金) 16:53:41 ID:???
うちの死んだ爺さんはイ401に乗ってた。戦闘を経験せず終戦を迎え、無事?に米軍に捕まって生還。
海軍機関学校出の少尉だったのだが、「将校だったんだね」と聞くと「機関科は将校に入らないんだよ」と言ってた。

803 :名無し三等兵:2007/08/10(金) 18:47:51 ID:+y+L6T02
満州にいた白系ロシア人じゃない。 でもスパイもそうとういたらしいね。
巨人にいたスタルヒンなんて白系ロシア人でしょ。

804 :名無し三等兵:2007/08/10(金) 21:50:46 ID:???
>>802
士官ではあるけれども

805 :738:2007/08/10(金) 21:51:12 ID:???
>>745

亀ながらレスありがとうございますm(_ _)m
そうだったんですか…そうかも知れませんね…もしかすると知っていたかも知れません。
そういえば何時だったか父方の祖父は『僕は学徒勤労動員で海軍さんのゲタ履きの爆撃機、彗星を作ってたんだよ』と言ってた。
多分瑞雲の間違いだと思うけど敢えて直すような野暮な真似はしなかったよ流石に…
あと九州の実家で祖母方の曾祖父が使っていた鉄兜(決してコンドームのことではありません)が見つかったらしい
写真で見た限りだとかなり錆びてた

806 :名無し三等兵:2007/08/10(金) 23:39:38 ID:???
爺ちゃんは海軍経理学校に合格して入学したがその年に戦争終わった。
結局、大学へはいかず稼業をついで今日に至る。
難易度は海軍経理学校>>>海兵だと今でも自慢してまつ。
ほんまかいな。



807 :名無し三等兵:2007/08/11(土) 00:27:39 ID:???
>>802, >>804
以下のような記述もあるが?

明治初期は、直接戦闘に従事する高等武官(海軍兵学校出身者が中心)のみを将校として、
それ以外(機関官を含む)は乗組文官であった。1872年(明治5年)に機関官などが武官に
転換して士官となる。明治39年1月26日勅令第9号により、機関官の階級呼称を兵科のそれに
ならう(機関総監・機関大監・機関中監・機関少監・大機関士・中機関士・少機関士を、
機関中将・機関少将・機関大佐・機関中佐・機関少佐・機関大尉・機関中尉・機関少尉と
改める。)。
1915年(大正4年)大正4年12月2日勅令第216号により、機関官が機関将校(将校とは
異なる区分)と改められる(この時点では将校・機関将校の2種が置かれる)。
1920年(大正9年)に大正8年9月22日勅令第427号により「機関将校」及び「予備機関将校」
が、「将校」に統合されて、「将校」(機関科)及び「予備将校」(機関科)となる
(機関科将校)。1924年(大正13年)に少将以上の兵科・機関科の区別を廃止する。
1942年(昭和17年)に将校の兵科・機関科の区別を廃止する。



808 :名無し三等兵:2007/08/11(土) 00:36:50 ID:???
>>806
海軍経理学校(かいぐんけいりがっこう)とは、1874年に海軍会計学舎として創設され、
第二次世界大戦終結後、日本海軍が解体されるまで置かれた海軍主計科要員の養成学校で、
旧海軍三校の一つである。海経(かいけい)と略すこともある。
卒業後は主計少尉(学士入学者は中尉)に任官され、武器、弾薬、食糧の補給や海軍予算
の編成などを担当した。
一説には、東京帝国大学より入学することが難しく、日本中の秀才が試験に集まったと
言われている。



809 :名無し三等兵:2007/08/11(土) 00:36:53 ID:???
うちのおじいさんは、海軍特別陸戦隊だったが、乗ってた船が撃沈、戦死した。
最後は、陸ではなくて海で亡くなった・・・・・
軽機関銃を構えてる写真が残ってる

810 :名無し三等兵:2007/08/11(土) 00:50:35 ID:???
父方のジイちゃんは沖縄生まれ、沖縄育ち。
自分が生まれる前に既に亡くなっているが、昔TVでやってた沖縄戦の映像を見てたとき、ふとバアちゃんに「ジイちゃんたちってどうやって助かったの?」と聞いた。
バアちゃん曰く、ジイちゃんは戦争が始まる前に家族揃って名古屋に移って働いていた。
その後、ジイちゃんと弟以外沖縄に戻った。その直後、沖縄戦勃発。
沖縄があんな惨状だから、皆死んでしまったとしばらくは荒れた生活を送っていたが、その後連絡があり、全員無事。
なんでも、当時住んでたところが丁度米軍が北と南に部隊を分けた分岐点にあたるところで、村のみんなが逃げ出す中、何故か逃げ遅れたらしい。
ようやく逃げようとしたら、すでに村は米軍に包囲されていて、どうにもならない状態。
こうなっては仕方ないと、家の中でおとなしくしてたらしい。それで一家全員無事だったとのこと。
ジイちゃんも内地で空襲にあったと思うけど、そこらへんはわからない。
バアちゃんも10年前に亡くなったし。今思うと、もうちょっといろいろ戦時中の話聞けばよかったなぁ。

811 :名無し三等兵:2007/08/11(土) 01:07:36 ID:tolzX44P
 東京下町の小学校
アメリカがくれた家畜の餌を食わされて育った少年時代
一本の針で4〜5人は打った予防注射
そんな俺達にもやっと近代化の波が訪れた
校庭に25mのプールが出来るんだ、学校上げての大喜び、万歳!万歳!

授業中も楽しみに穴堀を見ていると、出て来るんだな〜人骨が! 
穴の横に一つ二つ三つと頭蓋骨が並ぶ、シェ〜ッ!

爺さん、空襲で亡くなった人を何処に埋めたか話してから逝ってくれョ





812 :uaa:2007/08/11(土) 01:31:10 ID:sv9qJug1
>>806
戦争中は軍の学校の難易度が高かった。(大正・昭和初期は行く奴いなかった)
海兵は視力の基準が厳しかったので、目が悪い奴は陸士や海経に流れた。

>>783
護衛の警官かも知れん。
暗殺とは言わないが・・・・

813 :名無し三等兵:2007/08/11(土) 02:30:42 ID:???
>>789
勘違いの余地がないというのは、あくまで、中野学校の実態が知られている現在の話でしょ?
実態が知られていなかった頃に、勘違いした人もいたとかいう話じゃなかったかな?

> 中野学校は特務ですから
そんなことは、戦時中はもちろん、戦後もすぐに広く公表されたりしてないですよね?
かなり遅くまで実態が知られてなくて、勘違いの余地があったんじゃないですかね?
まあ、勘違いした例が絶無であるという根拠など提示できる可能性はないわけですが。

814 :名無し三等兵:2007/08/11(土) 02:37:39 ID:???
>>809
陸軍の機関銃の専門で海でやられそうになった春風亭柳昇「与太郎戦記」を読んでみると良いかも。

815 :名無し三等兵:2007/08/11(土) 02:40:24 ID:???
>>814
タミヤの箱絵描いてる人も陸軍船舶砲兵で負傷しながらも生還だったような・・・
(名前失念)

816 :名無し三等兵:2007/08/11(土) 04:22:45 ID:???
上田毅八郎じゃないか?
金華丸に乗ってて負傷した。

817 :名無し三等兵:2007/08/11(土) 04:27:42 ID:FpxcYooW
うちのじいちゃんは大正生まれにも関わらず約185センチ90キロくらいあったから当然のように召集されて、かなり辛かったらしいです。


818 :名無し三等兵:2007/08/11(土) 05:25:07 ID:???
>>815
近い体験をしたと思われる人の体験記を読んでみたら、という話なんだけど、その人も体験記書いてる?

819 :名無し三等兵:2007/08/11(土) 06:10:53 ID:???
数年前、図書館で読んだ憲兵隊の本には
世間一般で言われている憲兵による悪質な行為と言うのは
全て予備憲兵がやった事で奴等は我々の名誉を貶めた、甚だ遺憾!
みたいな事が書いてあった

820 :名無し三等兵:2007/08/11(土) 07:35:45 ID:???
>>819
そういえば戦争体験集で元特高警察関係者の手記を読んだことがあるが、特高の
悪行は誇張されたものだし、共産化の脅威があったから特高は必要だったんだと
書いていた。
ただ善し悪しは抜きにして、何か自分の人生を否定されたくないとの必死の思いが
ひしひしと伝わる内容だったな。
自分の人生を位置づける行為というのは、立場を越えて誰にでもあることなんだよな。

821 :809:2007/08/11(土) 07:53:45 ID:???
>>814
ありがとう。ぜひ読んでみるよ

822 :名無し三等兵:2007/08/11(土) 12:05:34 ID:tolzX44P
08/11(土) 後09:00→後10:54 妖怪・水木しげるのゲゲゲ幸福論 BSジャパン
スレチガイでスマンがこれも面白いョ

823 :名無し三等兵:2007/08/11(土) 16:34:38 ID:???
>>816
そうそう上田さん上田さん。
地元で作品展に行ったけど絵がすごかったw

824 :名無し三等兵:2007/08/11(土) 21:55:53 ID:???
家が町の郊外の農家だったんだが、
涼む時は男女共に上半身裸になってたんだが

巡査や憲兵が巡回にくると慌てて着物を着たみたい。
今は気がね無く、自由に上半身裸になれるわいってばあちゃんが言ってたな。

825 :名無し三等兵:2007/08/11(土) 22:57:36 ID:???
俺の行きつけのスナックは若い中国の娘さんが一人いるだけで他はオバちゃんばかり、当然客層も高齢者が多く俺が行くとかなり浮いてるw
でも職業を言うと皆お疲れさまですとか頑張って下さいとか言われて悪い気はしない。
そこで知り合ったとあるお爺ちゃんは見た目九十歳くらい、言葉も歳のせいか聞き取りにくく正直何を言ってるのか分からなかった。
しかし口元に耳を寄せてよ〜く聞いてみると日本語、英語、中国語がゴッチャになってるんだ、聞き取れるはずねえよ!ww
店のママがお爺ちゃんに「この人(俺)も兵隊さんよ〜」って紹介すると手をプルプル震わせながら俺の手をとってまたお爺ちゃんは何かを喋りかけてくる。
階級がどうのと言った気がしたので俺の階級を教えてあげるといまいち分からない様子、英語で「ペティ・オフィサー(下士官、スペルとか正しい発音は知らん)」と言ってみると士官と勘違いされてしまったw
その後、○○(店の中国の娘さん)と結婚しろとか突拍子も無いこと言われたw
何度か同店で話す機会があったけどどうやらこのお爺ちゃん、戦時中は中隊か何かを率いていたらしく末期の戦場(どこなのかは分からなかった)で食料が無く、多くの部下が餓死した事をとても気にしているようだった。
涙ながらに途切れ途切れに語ってくれたよ。

826 :692:2007/08/12(日) 00:46:47 ID:iqPmdmxo
>>805
霧島には配備時期から瑞雲ではないと思いますが、4機の水上飛行機が搭載されていて大きな下駄を履いていたとのことです。
そして真偽は分からないですが写真を撮るなどの作戦を実行していたそうです。

彗星の話なんですが、ミッドウェー海戦に向かう途中の四国沖で空母蒼龍に二機だけ搭載され、水冷式エンジンであり、
これまで見たことがない航空機が離発着訓練で蒼龍から祖父の乗っていた飛龍に何度も行き来していたそうです。
あとで佐世保の海軍病院で一緒になったこの時のパイロットである染屋さんに祖父が聞いた話によるとこの航空機は
「一・三試式艦爆」だったということでした。
これは偵察機に改装された十三試艦上爆撃機であり後に彗星となる二式艦上偵察機のことだと思います。しかし、
その時は残念ながら自由に整備できる人間が育っていなかったとのことでした。

ご実家で鉄兜を発見されたとのことですが、リアルに戦争をしていたんだなと感じました。


827 :246:2007/08/12(日) 01:00:08 ID:???
近所のおじいさん(82歳)に聞いた話 その6

明野飛行場で飛行訓練をしていた時のお話。
訓練機だった三式戦は複座に改造されていてすごく狭苦しかったとのこと。
しかもそれまで訓練してきた他の機体と違って
発動機のスロットルレバーの操作が逆だったので慣れるのに苦労したとか。
(他の機体はレバーを手前に引けば増速するが飛燕は逆だった)
あと前席と後席を交代で乗ることになっていてじいさんが後席に乗った時のこと。
後席にも操縦桿がついていて前席の操縦桿よりも軽い力で操縦出来るようになっていて
簡単に操縦の主導権を奪えたとか。(後席は教官用だったかも?とのこと)

828 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 01:08:59 ID:???
>>826
>自由に整備できる人間が育っていなかった
他部隊で稼動率4〜50%代の四式戦を、
8〜90%の稼動率で運用させた男・刈谷正意さんによると、
そもそも陸・海軍共に『整備マニュアル』がなかったそうです。

今の時代、『マニュアル的な対応』はむしろ疎んじられる方向ですが、
経験も勘も無い行き当たりバッタリ的な対応よりは、まちがいなく高効率ですよね。
(本当に経験から来る勘が生きるのは、刈谷さんトコでも動かない残りのわずか2〜10%分のみ)

829 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 02:51:59 ID:???
>827
複座飛燕て・・・・・・・。
すごい発見だな。

830 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 02:58:19 ID:???
>>828
銀河の整備やってた知り合いのじーさんの話だと、集団研修が無く、付いた上官からワンツーマンで
整備を叩き込まれるから、付いた人によってレベルの上達はまちまち。

何の知識もないのに航空士官から壊れたレーダーを直せと言われ、結局、直らなかったので殴られたと言っていた。





831 :692:2007/08/12(日) 04:57:39 ID:iqPmdmxo
>>828
本当にそうですね。私はマニュアルには分析から導き出された根拠ある行動方式の側面があると思います。
(統計上のマニュアルのようなもの?)。基本的には設計上のプロセスからマニュアルはできると思いますが、
数多くのパターンの中から行動を決定をすることが成功確率を上げるのは必然でしょう。
そもそも、行動方法が分からなかったら不自由以外のなにものでもないでしょうね。
また、試験飛行段階の航空機ならば実験データが少ないので、なおさらマニュアルは大事でしょう。
もちろん行動決定の目的をはっきりさせることは当然ですが。
そして、一瞬で移り変わる場面ごとの対応の仕方がわからず効率性がなければ
過去の経験や勘を生かす場面自体もほとんどないのではないかと考えます。

ところで、整備マニュアルがなかったとは驚きですね。どうやっていたんでしょうね?

ミッドウェー海戦でも、十三試艦上爆撃機(調べたところ蒼龍搭載時には、新しくカメラを付けたはいたが
燃料タンクが増設されていないもので、正式な二式艦上偵察機ではなかったようです。彗星試作機)
がアメリカ空母部隊を発見していたにも関わらず無線機が壊れており報告が遅れることになったのですが、
その一因として機体の整備不良の可能性も考えられます。
この戦いで沈んでしまった2機の十三試艦上爆撃機は、零戦とは比較にならないほど速かったそうです。
この試作機の損失により、彗星の開発がだいぶ遅れてしまったということが一般の見解になっているようです。

一般の会社や組織において、教育や研修がなされず、せっかくいい素材があっても使い方が分からなければ、
非効率的で結果は出ず、競争に負ける可能性が高いでしょうね。

832 :692:2007/08/12(日) 05:11:31 ID:iqPmdmxo
831の訂正
×新しくカメラを付けたはいたが
○新しくカメラを付けてはいたが

>>830
そのおじいさんは大変でしたね。
個人指導は一長一短で、当たり外れがありますね。


833 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 07:14:11 ID:???
だいぶ前に亡くなったジーサンの話。カーチャンから聞いた。
ジーサンは千葉の片田舎から満州へ出征。エライ寒い。ションベンが凍る。
嫌な上官と喧嘩して営倉にぶっこまれた事あり。
炊飯関係の人と仲良しだったので色々貰った。
戦果や戦況に関して、カーチャンも知らん。

漏れはカーチャンから聞いた、この程度の話しかしらん・・・orz

満州のほかにも台湾・高雄にもいったそうな。
実家に、竹本隊・○○(←ジーチャンの名前)が裏に書かれた写真が一枚残ってた。
台湾でのものなのか満州でのものなのかは判らん。

しかし、其の写真にジーチャン写ってないんだけど・・・w

おまけで、ジーサンの兄弟は南洋群島方面へ出征して昭和19年2月24日戦死・海軍軍属
と過去帖に有りました。
南洋群島というと、パラオやペリリュー島辺りだと思われますが・・・。
何処の部隊で何してたのかはサッパリ判らんです・・・。
頼みの綱、バーさんも痴呆で何も判りません・・・orz



834 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 07:59:02 ID:???
さんざん過去スレにもあるのだが・・・。

軍歴照会しろや。

835 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 08:30:28 ID:???
>>834
軍歴照会しようと思ったんだけど、請求書に書く「わかる範囲での軍歴」が
ジーチャン「満州と高雄に居ますた(しかも何時居たのか不明)」とジーチャンの兄弟
「南洋群島で戦死」しか判らないので迷ってた・・・。

今週、夏休みなので実家の市役所やら厚生労働省に問い合わせてみるわ。

過去スレで「軍歴照会」なるものが有るのは知ってたけど、
ずっとこの程度でええんかね・・・?と迷っていたし、日々の仕事で後回しになってた。

>>834、後押ししてくれてアリガト。

836 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 09:14:27 ID:???
へー 軍歴紹介なんてものがあるんだー 
初めて知った。

837 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 09:46:01 ID:???
>>830

俺が会社でお世話になった上司もそうだったと言っていた
ただ付いた上司ではなく部下本人の程度で区々になると言っていた
仕事はとにかく見て覚える、毎日親方の一挙手一投足一言一句を疎かにせず
仕事が如何に真剣必死であるかの理解と覚悟ができない奴は
殴られて当然と言っていた
俺が殴られたときになw orz

>>833

各都道府県の県庁に行けば兵籍簿と言う物を見せてもらえるぞ!
ただし、都道府県によっては閲覧内容に極端に差が出る
所属部隊位しか教えてもらえない地域もあるし
細かい転戦内容まで閲覧できる地域もある。

838 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 09:58:48 ID:ebyGyi/d
【ファン】ayumi hamasaki part.48【限定】
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1186704201/

839 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 10:09:37 ID:???
軍歴照会するとき、照会する理由を書かなきゃいけないみたいだが、どう書けばいいんだ?
ただ「祖父のことを知りたいから」って書くわけにはいかんだろうし。

840 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 10:57:40 ID:???
>>831
>どうやっていたんでしょうね?
まさに、>>837さんご紹介の様に『見て覚える(=行き当たりバッタリを積み重ねる)』しかなかった様です。
そこで、刈谷正意さんは自分や自分の部下各員や、少飛の同期生を尋ねまわって、
各自の行き当たりバッタリを矛盾点など整理して一冊に纏めて『整備マニュアル』作ったそうです

ところで、当時の零戦の整備風景の写真(やってるのは動員の女学生・・・)を見た事がありますが、
写り込んでる工具箱に『栄』の文字が書いてありました。
つまり、あまり切羽詰ってない時期に設計された比較的余裕のある栄系(ハ-25系)でさえ、
整備にはいわゆる『専用特殊工具』が箱いっぱい程度必要だったのでしょう。
ましてや余裕の無いハ-45とかになると、どうだった事やら・・・
DBエンジンやロールスロイスエンジンにも特工は必要でしょうが、
数点であり他は通常工具で済むと思います。

841 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 11:10:03 ID:???
>>839

故人の遺徳を偲び顕彰する目的で先人(祖父)の事蹟を編纂したい
とか尤もらしい事を書いておけばいいのでは?


842 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 11:25:53 ID:80BDlpUu
08/12(日) 後09:00 >> 後10:30 NHK総合
ドラマ・鬼太郎が見た玉砕“兵士たちは何のために死んだのか…
スレチガイでスマンスマンが☆☆☆!




843 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 14:46:11 ID:???
じいちゃんは終戦時は和歌山の友ヶ島とかいうところの砲台に居て暇でしょうがないから
魚つったり猿捕まえたりの気楽な生活だったらしい。
兵隊さんも赴任する場所によってはずいぶん違うもんなんだね。

844 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 16:23:31 ID:???
我が家じゃ未だに御先祖様の肖像画とか祖父さん祖母さんとかの遺影に混じって御真影が飾ってあるんだけど…

845 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 16:53:01 ID:???
>>844
そりゃ、至徳なことだよ。これからも、続けるべし

846 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 17:15:37 ID:???
実家じゃ未だに御真影に陰膳してますわ

陰膳なんて風習、今じゃ都会では見かけないな

847 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 17:21:16 ID:???
陰膳してないorz

御真影はうちにもあるかなあ・・・

848 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 17:35:42 ID:???
写真に陰膳か
いろんな慣習がごっちゃになってるな

849 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 19:47:41 ID:???
先帝陛下?まさか明治大帝とかじゃないだろうな・・。
うちの神棚の下にはあるんだが・・。


でも平成天皇のは中々見かけないな。


850 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 19:49:27 ID:???
>>898
陰膳っていない人の所に(旅行中)飯をーってやつだよね。

851 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 19:54:07 ID:???
>>849
「平成天皇」って藻前・・・(絶句)

852 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 21:05:19 ID:???
>>849
当代さまに対してその様な表現を使うのは、
不敬にあたりますので止めましょうね。

853 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 21:07:12 ID:???
現天皇っていわねえか普通

854 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 21:10:40 ID:???
今上陛下

855 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 22:20:49 ID:???
慰安婦とやりまくったらしい おいらは韓国人風俗行きまくり(*´Д`)ハァハァ

856 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 22:23:15 ID:???
うちの死んだ爺さんが言っていたけど、終戦間際の戦場で、無茶苦茶な命令を出したアホな本部上官を山で撃ち殺したんだってさ。
それを実行した部隊長のお陰で、60数名が帰国できたんだとさ。

だから、今の自分が居る。

NHK実況板から誘導されてきました。

857 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 22:37:47 ID:???
○戦争体験
◎敗戦体験

858 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 22:41:36 ID:ZpBj93y0
>>29 そんな状態で戦争した日本のアホ&欧米の糞

859 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 22:43:25 ID:???
戦争体験というのかどうか分からんが寝たきりのじいちゃんの枕元に
今も時々戦死した戦友が立つらしい。
うちの親は「あれ?おかしいな靖国の御霊になってるはずなのに」って笑ってるが…
俺は実際立ってるんだと思うなあ。

860 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 22:52:05 ID:???
そういや旧盆だな・・・
昔、親戚の葬式で坊さんがこんなこと言ってたな。
もし戦場を死んだ人の墓にお参りする時は、「戦争は終わってるよ」って念じてやれって。
霊がまだ戦場でさまよってたり、自力で日本に帰ってきたはいいけど
ウロウロしたりしてるかもしれないからって。

861 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 23:05:13 ID:???
更にその仏壇には潜水艦が飾ってあってちゃんと曾祖父の字で『伊号第五十八潜水艦』って札が張られてる。
祖母の話だと何でも曾祖父は佐世保で潜水艦の造船員をやっていたらしく伊号四十八潜などの建造に携わったりしたらしい。
尚この曾祖父には徴兵で海軍にいた頃のエピソードがある。

862 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 23:23:39 ID:???
>魚つったり猿捕まえたりの気楽な生活

猿を捕まえて何するんだろうってのが気になる……

>更にその仏壇には潜水艦が飾ってあって

それは自作の模型? プラモデル? 写真? 実物?

863 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 23:23:54 ID:???
空母瑞鶴の最期伝えたい 瀬戸内の那須さん、従軍の記憶まとめる


 太平洋戦争中、空母瑞鶴などに乗り組んでいた瀬戸内市邑久町東谷、元海軍一等兵曹那須勉さん(82)が戦後62年目の終戦記念日を前に、瑞鶴沈没の様子など従軍中の記憶を1冊のノートにまとめた。

波間に漂う戦友を見捨てなくてはならなかったことなど生き残った者の苦悩をつづり、

「どんな戦争も弱い者はみじめ。二度としてはいけない」と訴えている。

 那須さんは1942年、志願して大竹海兵団に入隊。横須賀航海学校などを経て、43年から瑞鶴に消火などを担当する運用科員として配属された。

 ノートには、海軍の厳しい規律や夜ごとの制裁など新兵時代の苦労をはじめ、トラック諸島で戦艦大和へ消火訓練の指導に行きあまりの大きさに驚いたことなど、率直な思いと出撃の様子を記している。

 初めての実戦となったのはマリアナ沖海戦。米軍の攻撃で隣にいた空母飛鷹が一瞬で海の中に消え、開戦以来初めて被弾した瑞鶴も多数の犠牲を出した。

「お母さーん」と叫んで死んでいった戦友を水葬するときのラッパの悲しげな音色は今も耳から離れないという。

 そしてフィリピン沖へ最後の出撃。レイテ湾突入を目指す栗田艦隊のための“おとり艦隊”だった。戦闘機を搭載しないがらんどうの格納庫に艦の運命を悟り、複雑な気持ちのまま出港。相次ぐ米軍機の攻撃に、

懸命の消火活動もむなしく退艦命令が出され、

誰もいないはずの艦首の機銃が別れを告げるように一連射して、瑞鶴は沈んだ。

 那須さんは「話せるうちに真実を伝えたい。戦友の遺族がいれば墓に参り直接語りたい」と話している。


今日の山陽新聞よりコピペ。

864 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 23:30:29 ID:ZpBj93y0
>>863 家族よりも銃が好きだったのか、糸でひっぱって撃ったのか・・・
あーかっこつけ・・・と言いたいのが本音・・・です。

865 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 23:47:25 ID:???
>>864
映画『男たちの大和/YAMATO』をご覧になったことはないでしょうか?
実は、あの映画は『男たちの三連装機銃/Type96』なのです。
(個人的には『ほとんど期待していなかったのに面白かった映画No,1』です)
瑞鶴の艦首銃座のものと同じなので、この映画をご覧になれば判りますが、
この機銃の撃発はペダルを踏む事によって行われます。
沈み行く瑞鶴、主の居なくなった艦首機銃もその振動で勝手に旋回、
そこに何かが転がってきて、撃発ペダルに乗っかったら・・・
後は判りますね?

866 :名無し三等兵:2007/08/12(日) 23:57:59 ID:???
>>840
戦前の日本は工業二流国ですからね。
ちゃんと動くようにするのに加えて、作るときにひどく困難にならないようにするだけで精一杯で、
整備のときの都合まで勘案する余裕などない。


867 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 00:07:28 ID:???
死んだ祖父が開戦時、陸軍中佐だったんだが
生意気な米英なんて、兎に角やっちまえ!
ってノリだったらしい。

868 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 00:20:11 ID:???
親父のほうの爺ちゃんは一度も軍隊にいったことが無い。
昔は徴兵でみんな軍隊に行かなければならないんじゃないのかな?
爺ちゃんは当時としては体も大きく柔道をやっていて力も強かったのに・・



869 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 00:21:44 ID:???
>>856

「一殺多生」といったところかな。
殺さないと生き残れないという戦場の業は、相手が友軍であってもあるんだな・・・

870 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 00:47:44 ID:???
>>862>>864
いやいや夏休みだなー、小学生かな?
それ以下かも知れないかな
良い子だったらオムツ忘れないで寝なさいよ

あと20年したら書きなさい

871 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 01:03:43 ID:wlrrdSnY
>>870 すいません、私は不勉強でした。

872 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 01:09:47 ID:???
無知とはすごいものだなあと感じた

873 :名無し三等兵 :2007/08/13(月) 01:14:46 ID:???
無知のままでいることほど
楽なことは無い

他人からどう見られるかさえ
気にしなければもう無敵モード


874 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 01:36:20 ID:???
母方の祖父 位は軍医の隊長
山口県錦町の住職だったので戦地でも説法したり、明日突撃する隊長さんに
御浄土の話や浄土真宗の話を聞かせたそうだ。
他にも死んだ兵隊さんの葬儀を行ったりした、
おかげで結構兵隊さんたちは安心できたそうです。
しかし、中国からの復員後に「天皇陛下に騙された」と母に漏らしてました。

独立愚連隊のような痛快劇も多くあったそうだが、私が幼い時に死んでしまい、
話を知る母も多くを覚えていない{そりゃ、女の子だもんね}
ちなみに広兼と言う苗字です。

父方の祖父
龍谷大学から学徒動員、プリンス・オブ・ウェールズを沈めた龍谷三羽烏のメンバーにも
会った事があった。
将校になろうと試験を受けるが没、2等兵からスタートし、最後には試験で伍長(?)
に成れたそうだ、ついでに気象兵(通信兵?)でした。
何度かマスタングの機銃掃射やB29の空襲を四日市の基地で受けるも無傷に終わる、
国内で過ごし、海外には派遣されなく、本土防衛の部隊だったそうだ、
復員して、山口の法栄寺に戻る途中に列車の窓から荒れ果てた広島を見てショックを受ける
今回のドラマを見ながら一言「これが、私達が体験した戦争だと」

祖母方のひいおじいさん
中国で各地の戦線を命かながら生き残り、終戦後の復員の時にソ連や八路軍が襲ってこないか、
襲ってこないか不安で列車で港まで送られた。
復員後、正現寺で住職を継ぐ
93才まで生きた。

875 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 01:39:15 ID:???
遠い親戚で同じ苗字の者がいたが、南方の激戦地で38銃撃ちまくりながら、トンプソンで蜂の巣にされ亡くなった。


876 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 01:43:34 ID:???
>>874
今回のドラマを見ながら一言「これが、私達が体験した戦争だと」

訂正=今回のドラマを見ながら一言「これが、私達が体験した戦争だ」と言ってました。

しかし、国内組の兵士だったんだから、他の元兵士の聞き伝えだろうな、
じいさんの考えや戦争論は。。。

877 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 01:45:53 ID:???
やっぱり国内組は生存率が高いんだよ。内地だから
一番声を聞きたい(取材・継いでいきたい)体験は満州やニューギニアとかの激戦地の人だよなあ・・・

878 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 02:04:20 ID:Io9v17jM
旅行した時に食べに行った、上海のレストランのオーナーの婆さんの若い時の話
日中戦争が始まって、租界の外国人が収容所に収容されると聞いて、租界を見に行ったら、外国人の屋敷におびただしい中国人が群がっていたそうです。
日本の兵隊が「おまえら!止めろ!!止めるんだ!!」と言ったが全員無視。
その婆さんも参加。部屋をあさったらドレスが出てきたので貰おうとしたが、その部屋に持ち主の娘さんの写真があり、良心がとがめて返したそうです。
しばらくして屋敷を出たところで、日本軍が検問をしていて、盗品を持っていた人は全員逮捕されたそうです。
またその婆さんは四川料理の店だったのだが、日本兵には評判が悪く、日本人の好きそうな広東料理のコックを雇ったら大繁盛したそうです。
学校卒業後は看板娘として日本兵に人気で、甘くて柔らかい餅(多分、羊羹だと思う。)とか綺麗だが形の悪い飴(多分、金平糖だと思う。)を山ほど貰ったそうです。
しかし、文化大革命の時、店は営業停止させられ、配給食を食わせる人民食堂にさせられたそうです。
またコックは、人民公社に下放させられて、乏しい食材で食堂のコックをさせられたそうです。
その婆さんは反日感情が無いのですが、理由が、少し多めに請求しても日本兵は素直に金を払ったからだそうです。
中国でぼられるのは、日本の伝統だな!と思った!

879 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 02:32:11 ID:???
いつの世も中国人(今まで中国と呼ばれた国はないがあえて)に
日本人的道徳心は全く無い
見たら泥棒と思えと言われ一世紀以上
これからも変わらないだろう
中国四千年の不道徳

880 :862:2007/08/13(月) 02:33:59 ID:???
そんな煽られるようなとこだろうか…
山暮らしなんだが、食糧として獲るなら猿よりずっと向いてるものが
他に沢山あるし、仏壇に潜水艦の何が飾られているか
書かれていなかったから、素朴に一行質問レスしただけなのだが

881 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 02:44:58 ID:jM69Vb3r
>>880
わかったからもう書くな
少しは従軍記本を読んでからにしろ
この板には最低100冊は読んでから書け

882 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 02:49:09 ID:DU+IA23o
俺の爺ちゃんはジャワに戦車部隊として突入
大戦末期、上陸してきた連合軍の黒人兵を捕虜にしたそうな
その黒人兵は連合軍の奪還を間違いなく確信していた様で口笛すら吹いていたそうだ


883 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 03:03:28 ID:???
>>868
日露戦争前後生まれには結構そういう幸運な人もいた。
大東亜戦争前までは選抜徴兵制だったから、
徴兵検査を受けて合格してもクジ引きで外れて入営すらせずに済み、
大東亜戦争勃発時点では、もう中年で兵隊に引っ張られる年ではなくなってた。
オレの爺さんは、父方、母方両方ともそうだったよ。

884 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 04:32:04 ID:???
国鉄職員だと兵隊に取られにくいとかあるのかな

885 :844:2007/08/13(月) 07:08:40 ID:???
すまん。書き忘れたが>>861は俺だ。
ちなみに飾られているのはプラモデル

886 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 07:16:27 ID:???
今日は、昭和20年に神風特攻隊として出撃し、21歳の若さで戦死した祖父の弟さんの命日です。

早朝に出撃したらしいから、きっと、もうそろそろ突入した時間だと思います。
合掌

887 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 08:34:45 ID:???
>>881
そういうこと言うなよ。誰だって書き込む権利はあるんだよ
そんなだから、オタクは嫌われるんだよ

888 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 09:33:29 ID:???
>>886
あと二日で…

合掌。

889 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 09:34:53 ID:lkC6+Fc6
旅先にて見た外国人だと
中国人…海外旅行チップは払わない態度がでかい
韓国人…外人にキレる
日本人…言葉わからないのにただ笑顔

俺の顔嫌韓流の韓国人みたいな顔してるから韓国人と間違われる

890 :868:2007/08/13(月) 11:03:14 ID:???
>>883
有難う。
何故、軍隊に行かなかったのか
なにか危険思想だとか、そんな事で外されたのかと思っていた。。
(つい最近知ったのだが先祖は某部落の出身だった)
爺ちゃんは戦前に移民で南米に行き、戦中に日本に戻ってきた
戦中の話は知らないが、戦後すぐに親父が近所の朝鮮人と喧嘩して
相手をボコボコに殴ってしまい、その朝鮮人が一族20人位で家に押しかけてきた。
爺ちゃんは親父を裏口から逃がしてから、爺ちゃんが斧を振り上げて凄んだら
その勢いに圧倒されて戻っていったらしい。
爺ちゃんは俺が幼いころに死んでしまい、あまりよく憶えていないが
もう少し長生きしてれば、戦前、戦中、戦後、移民の苦労とか聞きたかった。




891 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 11:46:20 ID:Vpd8RZQF
朝鮮人は戦後そうとうヒドイ事したらしいな。
そして今は月20万の特別待遇?

892 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 12:23:01 ID:dLDTvjIs
百聞は一見に如かず!
子供の時、弁当持って戦艦三笠を見に行った
自転車漕ぐこと上野から数時間、日本海海戦で活躍した旗艦三笠その第一印象は
 「ちいせぇ〜… 」

893 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 13:01:46 ID:???
↑なんてジジイだ!!

894 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 16:37:34 ID:???
というか>>892は北野武


895 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 17:49:25 ID:???
今年は爺ちゃんの新盆なんで盆堤燈をネットで頼んだけどまだつかないらしい。
盆堤燈をネットなんかで頼むからだ、この罰当たりがとおやじに怒られてしまった。
明日にはつくらしいから爺ちゃんかんべんな。
そんかわり、突撃ラッパの音で爺ちゃんを迎えるよ。
これもネットで仕入れたんだけどね。

896 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 20:30:08 ID:???
じいちゃん、腹減ってて死んだ戦友の尻の肉を食ったって言ってた。

897 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 20:32:56 ID:???
人肉は固いらしい。
おじいさんがどうかって言われて遠慮したみたいだけどね

898 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 21:37:10 ID:???
>884

鉄道隊てのがあるからなぁ・・・。
中支、北支、南支に内地のは楽だったそうだが・・・
ビルマは地獄の上に戦犯だからなぁ。
満州はシベリア鉄道で・・・・。

899 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 21:40:12 ID:2aX/GPEG
↓この話は何度読んでもなぜか感動しますね。↓

泣ける話ではないかもしれませんが… 私がホテル勤めをしていた頃の話。

ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。
披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。
一通りの祝いの言葉の後に、

自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。
自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には苦労を
掛けていると思う事。
たとたどしくですが話されました。
同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが、段々背筋が伸びていき
神妙に聞き入っていました。挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」
と尋ねると、新郎は小声で「大和です」
それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり直立不動で敬礼を送りました。
おじいさんも見事な答礼を返されました。

私はその後は仕事になりませんでした。
ウェイトレスの女の子達は不思議そうな顔をしておりましたが。

900 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 21:52:33 ID:???
また コピペか

901 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 21:53:22 ID:???
これの陸軍バージョンが嫌い

902 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 22:06:31 ID:???
↓この話は何度読んでもなぜか感動しますね。↓

泣ける話ではないかもしれませんが… 私がホテル勤めをしていた頃の話。
ある披露宴、新郎が陸自の方でした。
同僚上司達は制服で出席。
披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。

自分が軍隊で南京にいた事。
孫が陸自にいる事を誇りに思う事。
自分達の世代の不甲斐なさのせいで
今の陸上勤務の方達には苦労を掛けていると思う事。

たとたどしくですが話されました。

同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが
段々背筋が伸びていき神妙に聞き入っていました。

挨拶が終わり高砂の席の一人が

「何にやっておられたのだ」

と尋ねると、新郎は小声で

「レイプです」

それを聞いた陸自組一同すっ転ぶような
勢いで立ち上がり直立不動で敬礼を送りました。

おじいさんも見事な答礼を返されました。

私はその後は仕事になりませんでした。


903 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 22:06:54 ID:???
わしゃぁ、

     「間宮です。」

の方が好きじゃなぁ。



904 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 22:26:55 ID:gMqGH983
じーさんは戦時中樺太にいた。

子供の頃の怪我が元で右手人差し指が無かったから、徴兵はされずモールス通信士みたいなことをしていた。

明治生まれにしては珍しく六尺あった大男が戦地に赴かないことを非難され
息子を失った近所のおばさんには
「うちの息子も指の1本くらい切り落とせば戦地に行かずに済んだのに」と言われたらしい。


空襲か何かで最初の奥さんと3歳になったばかりの娘を失い
終戦後同じように連れ合いと娘を亡くして捨て鉢になっていたばーさんと一緒になった。

その後じーさんは引き揚げて北海道の山に移り住み、マタギの仕事をして家族を養った。
産婆もいない山奥で4人の子供を自分で取り上げて立派に育てた。

兵役に就いてないから恩給も無し、今聞いたら信じられないくらいの貧乏だったけど
亡くした娘、妻を思いながら貧乏人の子沢山を地で行く赤貧生活だったらしい。


戦争は何も生まない。

俺が兵隊になって戦地で死んでたら妻と子は死ななかったのかな。

誰が死ぬヤツと生きるヤツを決めるんだろうな。

と生前よく言ってた。



905 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 23:11:31 ID:???
うちの爺さんも日清の頃の生まれだから、この前の戦争のときは中年で戦争には行っていない。

ただ爺さんの弟は、戦争に行ったんだか、てっきり中国戦線ばかりと思っていた。
ところがつい最近、墓参りに行き、周りの方の墓にニューギニアの文字が多くあり・・・。
まだ田舎に住んでる親戚に確認すると、爺さんの弟もニューギニアに行っていたらしく驚いた。
ニューギニアから生還したのか・・・・。

漏れが子供の頃、よく可愛がってくれんだよなー。戦争のことは全く話はしなかった。
戦争のことを聞いてよければと思う反面、聞かなかった方が良かったと複雑な思いがある、
ちなみに奈良県出身。




906 :名無し三等兵:2007/08/13(月) 23:37:50 ID:???
実家から戻ったので一筆。

過去に何回か書き込んだのだけれど、実家の蔵に「烈風のペラ」と呼ばれる物がある。
ひん曲がっているものの長さが1m80cm足らず。他にスピナー(ペラ頭)がある。
以下箇条書きで解っている事を記入
・色はペラ、ペラ頭とも濃茶(だみちゃ)。やや赤茶っぽくもあり。
・ペラ頭には四つ溝があり、握りこぶしが軽く入る。
・四つ溝とペラ頂の間で溝側に平行に一本ライン(窪み)が入っている。
・写真で見る紫電改のペラよりややスマート。彗星のペラ頭に似ているカンジ?
・ペラ頭は子供の頭が楽に入る大きさ。(消防の半鐘くらい?)
・ペラ頭の高さ約71、7cm、直径61、3cm。
・このペラの付いていた元の機は「2号機」や「マルゴウ」と呼ばれていたらしい。
・昭和20年5月頭、疎開途中で不時着。
・東北の某海軍飛行場に事故検証の為一部が搬入される。
・終戦のドサクサで海軍にいた爺さんがリヤカーで毛布と一緒に持って帰る。
・その時にはペラは複数(2本くらいは)あったらしい。
・今に至る。

爺さんは余り表に出したくないようなんだけど、なんでも鑑定団に出したらどうなるだろう?
ただ、以前相談した旧海軍の整備兵だった方の話だと「月光や爆撃機のものじゃないか?」(雷電ではないらしい)
との事なんだが、真相は如何に?

907 :名無し三等兵:2007/08/14(火) 00:00:10 ID:???
>>906
>なんでも鑑定団に出したら
は、面白そうだから野次馬根性でおkだと思うけど、
鑑定そのものは写真をうpれば済むのでは?
(ペラよりもスピンナーの中身をより沢山写してね)

908 :名無し三等兵:2007/08/14(火) 01:12:13 ID:???
>>899
毎年この時期にコピペ乙です
「高砂」席は新郎・新婦の席、なんだから声がかかるわけ無いじゃん
毎年同じ事を書かせるなよ爺さん

909 :名無し三等兵:2007/08/14(火) 01:22:37 ID:???
906さん、本当なら、なんとかペラを検証してみたいのですが。
きわめて価値の高いものと思われます。写真は無理なんでしょ
うなー。

910 :名無し三等兵:2007/08/14(火) 03:11:30 ID:???
なんというコピペwww

大和のは好きだwでも陸軍は苦手

911 :名無し三等兵:2007/08/14(火) 09:02:47 ID:???
いや〜何かホロリと来たね…

 ・  ・
 大  和  の  が




陸軍版は少し笑えたけどもあまり好きじゃないつーか嫌い

912 :名無し三等兵:2007/08/14(火) 09:21:44 ID:???
>>906
スピンナーが戦闘機にしてはデカ過ぎると思われる。
色付き写真の烈風だと、四号機の烈風のスピンナーは緑でペラは黄色に染色されてるのだが。

・ペラ頭の高さ約71、7cm、直径61、3cm。
・このペラの付いていた元の機は「2号機」や「マルゴウ」と呼ばれていたらしい。
・昭和20年5月頭、疎開途中で不時着。
・東北の某海軍飛行場に事故検証の為一部が搬入される。
・終戦のドサクサで海軍にいた爺さんがリヤカーで毛布と一緒に持って帰る。

ここらで特定出来る?
烈風て確か四機くらいで、東海、東北、松本、横浜にあったんだっけ?

913 :名無し三等兵:2007/08/14(火) 11:00:05 ID:853b6pmZ
「ウーヤータ〜」の叫び声一発で悪人どもはひっくり返る
テレビで人気の少年ジェット!
路地裏では子供達が「ウーヤータ〜」と対決をし、声の大きい者が勝者となる
夏休みに入り、三角山にてジェットと悪人が宝石を取り合う名場面
ついつい力も入り早朝より「ウーヤータ〜」
するとガラガラっと木戸が開き爺さんが出てきて

「赤ん坊が寝てるから静かにしてくれんかのう
 ビルマじゃウヤタは起きろってことなんだよ、宝石が欲しけりゃビルマに行け
  北の山には漬物石よりでかい宝石がゴロゴロ転がってるから本当だぞ!」
 

914 :名無し三等兵:2007/08/14(火) 13:59:11 ID:???
うちの死んだじーちゃんは、衛生兵で、肺炎になって
帰ってきたらしい。子供のころに聞いたとき「戦ってないんだ。ツマンネ。」
って思ってた。一回だけしか聞いたことないけど、旧軍の衛生兵って
どんな感じだったんだろう。プライベートライアンとかバンドオブブラザーズ
見たいだったらすごいな。あんまり、日本軍の衛生兵の話って聞いたことない。

ばあちゃんは、焼夷弾が落ちてくる中、リヤカーをひぱって山の方に逃げたって
いってた。夢中で逃げてたら、積んでたご飯が入ったおひつが、無くなってたって。
あと、昨日話をした人が今日になって真っ黒になって死んでたのが悲しかった、
B29の機銃掃射が怖かったって話してくれた。
(敵の飛行機は全部B29って呼んでたみたい。)

915 :名無し三等兵:2007/08/14(火) 15:24:13 ID:HMH57jSj
戦争体験ではないが、爺さんが東京で浪人していた時の親友が周恩来
お互い貧乏だったので、爺さんが材料費を出し、周恩来が料理して飢えをしのいでいたそうです。
その後爺さんは、立命館に進学、周恩来も中国に帰国
戦中を除き、毎年年賀状が来た。
家の家宝です。

916 :名無し三等兵:2007/08/14(火) 15:49:45 ID:ij0PXq58
おれの爺さんはテストパイロットで新型機のテスト飛行中の急降下で空中分解して死んだ。
その時、音が後から来て、音速超えたと噂になったらしい。


917 :名無し三等兵:2007/08/14(火) 15:51:30 ID:???
このスレに松本零士の戦場漫画シリーズを書く奴、たまに居るけど意図は?

918 :名無し三等兵:2007/08/14(火) 15:59:45 ID:???
高校時代の恩師と出征した親戚の話になった。
彼の親戚(故人)は芙蓉隊の操縦士で、生還。
どうも沖縄周辺の作戦図なども持ち帰ってきたらしい。
侵入ルートなども書き込まれていたという。
・・・激しく見たいぞ。遺品処理で燃やされてないか心配。

俺のじいさまの時は物の価値がわからん本家筋が第1次上海事変の写真などをことごとく廃棄しやがったからな。


919 :名無し三等兵:2007/08/14(火) 16:03:57 ID:???
>>916
その飛行機俺の爺さんが整備したんだよ。
音速になると分解する様に整備したって言ってた。
パイロットが男おいどんよろしく不細工で殺意が湧いたからだそうな。

920 :名無し三等兵:2007/08/14(火) 16:47:41 ID:???
うちの爺さんが下宿していたとき、押し入れに保管していたパンツにキノコが生えたそうな。

921 :名無し三等兵:2007/08/14(火) 16:59:09 ID:???
>>920
クソツマンネ

922 :名無し三等兵:2007/08/14(火) 18:31:59 ID:???
スレ違いで申し訳ありませんが、特攻隊員って、一応脱出用のパラシュートを付けて出撃したの?

この前見た特攻隊の映像で、激しい対空砲火で飛行機はバラバラになって海に墜落したんだけど、
パラシュートで脱出して、空を漂ってるパイロットが映ってたよ

923 :名無し三等兵:2007/08/14(火) 19:45:48 ID:???
>>922
・・・それは、画像流用していただけで、
特攻のパイロットではないのかもしれませんよ。

ちなみに小型機の場合、
ほとんどの国の航空機で、折り畳んで袋に入った状態のパラシュートが座席クッションを兼ねる様になってました。

924 :名無し三等兵:2007/08/14(火) 21:56:52 ID:???
>>899
業界で働いてるなら「ウェイトレス」はねーだらpg
男も女もなく「ホール」が通称だww

925 :名無し三等兵:2007/08/14(火) 22:12:16 ID:853b6pmZ
同僚に結婚するまで隠さないだろう

926 :名無し三等兵:2007/08/14(火) 22:44:16 ID:???
>>915
それこそ鑑定団・・・

927 :名無し三等兵:2007/08/14(火) 23:14:12 ID:???
>>915
周恩来『十九歳の東京日記』―1918.1.1~12.23 (小学館文庫)
にお祖父様の事が出ているかもしれません。立ち読みしてみたらいかが。

928 :名無し三等兵:2007/08/15(水) 00:04:36 ID:???
俺のじいさんは船に乗っててグラマンに機銃掃射されたとかよく言ってた。
海軍じゃなく陸軍の召集兵だったんで、輸送船だったんだと思うが、その頃は
こうした戦史にあまり興味がなかったんで、今思うとよく話を聞いておけば
よかったのにと後悔している。ちなみに船はなんとか撃沈を免れたみたいだ。

929 :名無し三等兵:2007/08/15(水) 00:26:18 ID:FJCLwENl
俺のばあちゃんの弟は、陸軍に志願し、ガダルカナルで戦死したらしい。
どこの師団・連隊なんでしょうか。ちなみに、大分在住ですが。

930 :名無し三等兵:2007/08/15(水) 00:37:16 ID:???
>>929

ゆとり世代め!糞レスを垂れる前と後にスレを読み返せ!
陸軍省に志願した事が判っているなら
県庁に行けば兵籍簿と言うのがあって所属やら色々と見れるんだ!
戦死した方の近い親族(親兄弟や子供)に取って来てもらえ!

931 :名無し三等兵:2007/08/15(水) 00:53:15 ID:???
>>929
大分だと 第47歩兵連隊になるが、 この部隊は、シンガポール防衛していて
ガダルカナルには行ってないだが。 志願という事は職業軍人だから
下士官以上なので、移動で 行ったのかも。

932 :名無し三等兵:2007/08/15(水) 00:53:22 ID:???
>>930
まともな人間扱いされたいならそれにふさわしい言葉づかいを憶えろ、馬鹿者が。

933 :名無し三等兵:2007/08/15(水) 01:06:10 ID:???
>>932

Sir N O Sir !

934 :名無し三等兵:2007/08/15(水) 01:36:45 ID:???
>>929
在住ってだけではわからんよ。あくまで本籍だから。
北九州で歩兵第124連隊が編成されて行ってるけど、
931氏の大分編成の歩兵第47連隊とは別だから。

930氏は言葉遣いは荒いけど、
言ってることは正しいのだよ。
ちゃんと調べたかったら、そうするしかない。

935 :名無し三等兵:2007/08/15(水) 01:56:12 ID:???
うちの曽祖父は大尉を辞めてから満州に行って事業をやってたそうだ
祖母が言うには、その時戦艦陸奥が来て、見物した記憶があるとのこと

結局、曽祖父がスペイン風邪で亡くなってから、満州から引き揚げて結果的には良かったんだけどね

936 :名無し三等兵:2007/08/15(水) 02:48:43 ID:ZgNCpgys
じいさんは特高だったってよく言ってた。結構なことやったらしい。

937 :名無し三等兵:2007/08/15(水) 02:52:08 ID:???
都道府県庁に「必ず」兵籍簿がある、って言い方もどうかと思うんですけどね。
戦後のどさくさで処分しちゃった、とか、火事で燃えました、ってところが結構あるのよ。

938 :名無し三等兵:2007/08/15(水) 06:12:52 ID:gbuuvYcb
>>918そういった品はもう歴史資料的価値が出てきているので絶対に保存したほうがいいですよ!廃棄される前に。

上海事変の写真とか本当にもったいないですね。写真も立派な証拠資料です。大戦時の資料や物品はもう二度と生みだされないというのに……


自分も物置から見つけた第3次ソロモン海海戦の新聞記事を保管してます。

939 :名無し三等兵:2007/08/15(水) 07:03:34 ID:???
>>916
マジレスするけど零戦(12試艦戦)かな?
殉職されたの昭和何年頃か分かる?

940 :名無し三等兵:2007/08/15(水) 11:13:12 ID:NODKNQG3
>>939
昭和50年代の松本零士作品の引写しぢゃ。

941 :名無し三等兵:2007/08/15(水) 12:05:08 ID:NuS23p7k
衝撃効果90℃

942 :名無し三等兵:2007/08/15(水) 12:11:11 ID:???
俺の祖父は飯の事とか枝葉末節的な不満なんかの話をよくしてくれます

祖父「俺らは麦飯なのに海軍は白米だからな」
俺「まあまあ、健康に良いって事で得したって思えば」
祖父「ははは、健康には良いとは言うな」

健康に良いと言ったら笑っていたが当然納得はしてません
食物の恨みってのは深いものです

943 :名無し三等兵:2007/08/15(水) 12:41:15 ID:???
>>941
温度かよ!

944 :930:2007/08/15(水) 13:08:35 ID:???
>>937
「必ず」って俺、どこに書いた?
わざわざ強調してまで・・・熱中症に気をつけろよ。

>>929
あと俺の地元の場合なんだが
県内の全戦死者を纏めた「菊花録」って言うのがあって
地元の連隊は元より陸海問わず収録されている。
其のほか市町村でも戦死&戦没者を纏めた本を出していたりする
「もしかしたら」>>929の地元でもそう言う物が「あるかも」しれん
各都道府県および其の市町村の図書館の郷土資料コーナーも狙い目


945 :名無し三等兵:2007/08/15(水) 13:19:16 ID:???
じっちゃの双子の弟の履歴表というやつを生前いただいたんで書き記してみる
自分は詳しくないんで間違い等あったら指摘ヨロ

946 :名無し三等兵:2007/08/15(水) 13:44:51 ID:???
うちの父方の祖父は大戦中、台湾の高射砲(対空機関砲?)陣地に居たらしい。
グラマンの飛行機の模型を作っていた時に、「こいつに爆撃された」って笑いな
がら話してくれたなぁ。死ぬ直前に記憶がフラッシュバックしたらしく「敵機が来
る!田中(戦友?)は無事か!?」って叫んで「無事だ」って応えたら安心して
眠りについた…。かの宮崎繁三郎も、病床を訪れたかつての部下に「敵中突破で
分離した部隊を間違いなく掌握したか?」とうわ言を言ったそうだけど、死ぬ前
は凄惨な記憶が蘇るものなのだろか…。

947 :名無し三等兵:2007/08/15(水) 13:57:00 ID:???
かなり長いんで艦船部隊内配置竝ニ潜水技倆ニ對スル経歴のみ

16.4〜17.1
横空 九七式艦攻飛行機員

17.1〜17.12
聖川丸 零式水偵飛行機員

17.12〜18.4
國川丸 零偵飛行機整備員

18.5〜19.12
台南空 99式艦爆飛行機班員

19.12〜20.6
台湾空 整備科倉庫員

20.6〜20.11
台南空 同右

聖川丸に乗ってた時撃沈されて救助はきてくれないし生き残るには泳ぐしかなくて
暗闇の向こうがぱぱっと光ってて花火のようだったと言ってた
台南沖航空戦で感状ももらったけど出撃してった機がほとんど戻ってこなかったのは悲しかったとも言ってた
ラバウルで一時的に零偵の整備してたときに新型の32型のクソみたいな評価を聞いて大丈夫なのかと思ったとも言ってた
もっと話しきいときゃうよかったぜ・・・
知識がにわか程度にしかない俺にはよくわからないところもあるんだけどね

948 :名無し三等兵:2007/08/15(水) 14:15:56 ID:???
>>947
横空にいたなら うちの実家に宿泊したかも

949 :名無し三等兵:2007/08/15(水) 14:45:36 ID:???
>>944
「県庁に行けば兵籍簿と言うのがあって所属やら色々と見れるんだ!」
という記述に、現物が存在しない可能性がある、という配慮はありますか?

950 :名無し三等兵:2007/08/15(水) 14:59:37 ID:???
>>928
陸軍の船舶工兵さんですね、
私の中学時代の社会科の先生も船舶工兵さんで、
広島配属だったので、'45年の8/7あたりから毎日忙しくて大変だったと言ってました。

>>947
空中勤務から地上勤務になってますが、
聖川丸の時に負傷でもされたんでしょうか?


>>ALL
無粋なツッコミと知識自慢は止めい。

951 :名無し三等兵:2007/08/15(水) 16:40:37 ID:???
>>950
経歴表にはそう書いてあるんだけど履歴を見ると
整備兵になってから聖川丸に乗ってるんだよね
じっちゃの弟も怪我をして空はあきらめたとも言ってなかったし実際健康だったし。
本人が話してるニュアンスとしてはもともと組立工だったんで整備兵で徴用って感じなんだよ

知識不足なので一部だが実際に見てもらえると助かる
ttp://www.vipper.org/vip588535.jpg.html

パス0000

952 :951:2007/08/15(水) 16:46:29 ID:???
すまん、あまりにもサイズがでかすぎた。
こっちでたのむ
ttp://www.vipper.org/vip588538.jpg.html

953 :951:2007/08/15(水) 16:47:33 ID:???
パスrireki

954 :名無し三等兵:2007/08/15(水) 18:00:39 ID:REg2lNz0
うちの爺ちゃんはスミ入れてたんで徴兵検査で殴られたけど兵隊には取られなかった。
みんなスミ入れれば死なずにすんだのにね。





955 :名無し三等兵:2007/08/15(水) 18:07:08 ID:???
モンモンあると兵役免除なのか?

956 :名無し三等兵:2007/08/15(水) 18:34:30 ID:???
地方都市なんだけど、
ここ2年ばっか、式の最中ずっと社殿入口の石段に座り込んでたじじい。
今年は、とうとう来てなかった。

別の忠霊公園では、去年から見なくなったばばあがいるけど、
今年はとうとう下草も刈ってなかったし、日の丸も揚がってなかった。

式にばばあ乗っけてきても、車で待機してる息子とかいるもんなあ。





957 :名無し三等兵:2007/08/15(水) 18:37:41 ID:???
随分前に死んだが大和の最後の出撃のとき
駆逐艦乗りで随行したそうだ

958 :名無し三等兵:2007/08/15(水) 22:58:15 ID:???
うちの爺さんは南太平洋海戦で筑摩に配属され、そのまま比島沖海戦へ。
艦が沈んで野分に救助されたものの野分も米艦隊に襲われ海上を漂流。
近海の島に流れ着き陸軍に合流したものの武器や食料は無く、水上偵察隊に助けられてダバオへ運ばれたものの9ヶ月後に敗戦。
日本に戻ってこられたのは昭和23年らしいけどすでに鬼籍に入っている。
兵籍簿で確認取れたけど、生きてる間は何もしゃべらんかった(´・ω:;.:...

959 :名無し三等兵:2007/08/15(水) 23:55:13 ID:???
>>949

そこまで配慮しなきゃならないってどんだけゆとりなんだよwww
探して無かったら無いで仕方ねージャンよ
ここはオメーの親族の軍歴照会所じゃネーんだ


960 :名無し三等兵:2007/08/16(木) 00:15:06 ID:F+rqE/PV
親父だけど良いかな?
千葉大から学徒で飛行第19戦隊の整備になり
キ-61の地上滑走はしたとのこと 何かやたら機械に強く
ウチ地方の印刷屋なんだけど メーカーより詳しかった
最後の方はゲリラになり 投降したあとは
マージャンを覚えたとか 東條と握手したとも言ってた
今 介護施設です

961 :名無し三等兵:2007/08/16(木) 00:24:30 ID:F+rqE/PV
スマソ東条でした 
復員した時は 毛布と飯盒だけ持ってきたとの事

962 :uaa:2007/08/16(木) 00:56:50 ID:8lxn/br7
昨日はおふくろが母校から頼まれた、女学生時代の写真を探してた。
戦争中で、セーラ服の女学生が軍事教練している写真や、賀陽宮の閲兵を受ける写真が出てきた。

あまり萌えなかった。

963 :名無し三等兵:2007/08/16(木) 01:04:16 ID:???
>>962
航空巡洋艦最上の艦尾から撮られた写真でうちの爺ちゃんと知らない女学生が敬礼してる写真あるけどやっぱり萌えんがな

964 :名無し三等兵:2007/08/16(木) 01:24:24 ID:???
初カキコなんだが、亡くなったうちのじいさんは海軍アッツ方面に赴任、
あんまり戦時中の話は教えてくれんかったが、食料調達や調理、偵察とかしてたようだ。

爺さんより先に亡くなったばあさんの棺おけに軍刀?短刀?(刃渡り20cmくらい)を詰めて一言

 「散るは桜の花と散れ」

とキタもんだ。
言葉どうりの軍刀で、柄の桜の紋を外すと刀身がはずれバラバラになった。
今思うとちとホスィ・・・



965 :名無し三等兵:2007/08/16(木) 01:40:47 ID:???

ごめんなさい親父に聞いた伯父さん
(親父の兄で生きてたら84才)の話です
北海道のど田舎から北大に行き
三年の時に学徒で甲幹に合格
見習い士官(将校?)で旭川の機関銃隊へ
その後体を壊し転科して憲兵に
ここまでは親父(72才)の話しなんだが

先月軍籍調べたら最後は独立混成101旅団での憲兵少尉


でまた、親父の話に戻ると、一度だけ部下を連れて馬に乗って田舎に来た
その時は小さな田舎町は町中が大変な騒ぎになったと
当時まだ小学生の親父はカッコイい兄がうらやましく
近所の大人から「あんたも兄さんみたくなるんだよ」
と言われ、かなりのプレッシャーだったと

30年前に伯父さんが死んだ時は小学生(私は遅い子供なんで)でしたが
遺影に敬礼する人がたくさんいたのを覚えてます


調べたら独立混成101旅団は本土決戦北海道防備のためにい
全国からの寄せ集められた集団みたいです
結局海沿いの穴掘りが終わったあたりで終戦
これといった戦禍も無く平和だったみたいですが。

966 :名無し三等兵:2007/08/16(木) 02:52:31 ID:P6QuqwTF
>>959
ら抜き言葉を使うところを見ると、今どきの餓鬼か、どこぞの田舎者だろう。
誤魔化さずに自分の間違いを認めて以後改めろ、大馬鹿者。
なお、愚にもつかない口答えを禁ずる。

967 :名無し三等兵:2007/08/16(木) 03:04:56 ID:???
【韓国・写真】太極旗の前で謝罪する日本天皇[08/15]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1187163496/1

1 名前:ちょーはにはにちゃんwφ ★[] 投稿日:2007/08/15(水) 16:38:16 ID:???
(写真)
http://imgnews.naver.com/image/003/2007/08/15/NISI20070815_0004980770_web.jpg
http://imgnews.naver.com/image/003/2007/08/15/NISI20070815_0004980655_web.jpg
http://imgnews.naver.com/image/003/2007/08/15/NISI20070815_0004980653_web.jpg

62周年の光復節を迎えた15日の午前、ソウル・日本大使館の前で、大韓民国
特殊任務遂行者の会(HID)の所属会員達が、日本の過去の蛮行を糾弾する
パフォーマンスをしながら、集会を行っている。

ソース:NAVER/ソウル=ニューシース(韓国語)
http://news.naver.com/news/read.php?mode=LSD&office_id=003&article_id=0000528510




968 :名無し三等兵:2007/08/16(木) 03:13:59 ID:???
>>954
刺青が入っていても関係ないだろ

969 :名無し三等兵:2007/08/16(木) 03:15:33 ID:???
>>967
朝鮮朝鮮パカにするな
同じメシ食ってヌクいクソ出す
日本人と何処が違う
クツの先が一寸違う
ってな事でー失せろ

970 :名無し三等兵:2007/08/16(木) 03:22:45 ID:oVuksQWa
>>966

勝利宣言乙であります
余りスレ汚しを続けると御自身が大馬鹿者になりますぞ?
なお、愚にもつかない口答えを禁ずる。

971 :名無し三等兵:2007/08/16(木) 05:37:13 ID:HZR+Bcgc
陸軍幼年学校砲兵科を卒業した44年、じいちゃんはビルマに転属された
そこでであったおいしい果物、バナナやパパイヤにマンゴー、特にドリアンが最高だったらしい
じいちゃんはインパール作戦に参加したのか所属していた隊が自分を除いて全員戦死したと言っていた
じいちゃん自身も胸に弾を受けて気絶したが、そこにあった成田様のお守りがじいちゃんの
命を救ったらしい
成田様はぱっかり割れてたらしい
靖国神社に参拝した時は、必ず成田様にも参拝してたらしい
こんなかっこいいじいちゃんを持つのに俺は何をやっているんだろう
すんませんじいちゃん


972 :名無し三等兵:2007/08/16(木) 08:04:13 ID:7QLK7+r8
母方の爺さまは信濃と共に眠ってます。父方の爺さまは沖縄の海に散りました

973 :名無し三等兵:2007/08/16(木) 13:29:42 ID:???
>971
まだまだ、これから!
ガンガレ!!

974 :名無し三等兵:2007/08/16(木) 14:56:52 ID:pndAFUOJ
>>971
現地でレイプや強盗した爺さんよりお前の方がましだよw

975 :名無し三等兵:2007/08/16(木) 15:05:30 ID:???
こりゃ面白いっ!
ちょーウケるっ!

……とでも思って書き込んだのか?

976 :名無し三等兵:2007/08/16(木) 15:27:39 ID:/iENRU1D
昨日祖母から話聞いた。
祖父が生きてるうちに話聞いとけばよかったなぁって思った。

満州→フィリピン→ニューギニアにいってニューギニアで終戦を迎えた。
島にたどり着く前に船が沈んで、島まで泳いだらしい。
手帳?とかは海水に浸かったから真っ赤になったが、今でも持ち物は保管してあると祖母が言ってました。
戦時中の写真たくさんあったからざっと見たけど、偉い人達の顔は険しい顔していて威圧感があって怖い。


威張っていたり虐めをしていた兵隊さんたちを部下?達が組んで、戦争が終わって日本に戻る途中船から落としてたらしい

977 :名無し三等兵:2007/08/16(木) 15:44:48 ID:/iENRU1D
祖父は落としてないみたいだけど。

私が小さい頃祖父は、ニューギニアには人食いがいると言っていました。
小さい頃は意味もわからなく怖がっていたけど、ニューギニア戦線を知った今は胸が締め付けられます。

祖父は脳梗塞になり、晩年痴呆になったのですが、ひどい時は一日中門の前に立って、
「中隊長?がくる」
と言って、家族が家に入るよう促しても待ち続けていました。

978 :名無し三等兵:2007/08/16(木) 17:11:30 ID:???
十年くらい前の話だが、陸軍大尉だった祖父の葬式の時、
武装SSの元中尉と米陸軍退役大佐が来て敬礼していった。
彼らに聞いた話によると、祖父は特務機関の人間として活動していたらしい。
それ以来、生前に祖父がしていた
「中野学校にいた。欧州の語学を仕込まれた」
「ヒトラーと握手したことがある。意外と小男で笑った」
「爆撃の名手(ルーデルらしい)を見かけたことがある」
「米軍と一緒に機密書類の処分をした」
という話を与太話だと思って聞き流していたことを後悔する日々を送っている。

979 :名無し三等兵:2007/08/16(木) 17:48:23 ID:???
>>978
爺ちゃんの遺品、日記とかないの?

980 :名無し三等兵:2007/08/16(木) 18:06:16 ID:???
>>978
そういうのって記録とっときゃ良かったと後悔するよな…。
中野学校出身ってことは、本人はあんま記録残してないだろうしな。
しかしルーデル見たとは凄ぇなw

知り合いにも満映関係で甘粕正彦や李香蘭とも親しかった人がいたんだが、録音でもさせて貰っとけば…。

981 :名無し三等兵:2007/08/16(木) 18:14:05 ID:???
>>979
「機密関係のことは書き残すな。書き残したら持ち出すな」って
指導を受けていたとかで、日記とか写真は残っていない。
機密に関係しない部分も戦犯になるのを避けるために
敗戦確定時に急いで焼き捨てるか、米軍に引き渡すかしたらしい。
泣きながら戦友との記念写真まで焼いたらしい。
情報将校ってのは徹底していると思う。

>>980
ルーデルのことは「もしかしたらそうかも」っていう程度だから、実は違うかもしれない。
「官邸で爆撃機のパイロットを見かけたぞ。ヒトラーに気に入られている様子だった」
とか言っていたから、ルーデルの写真見せて「この人?」と聞いたんだ。
で、そうしたら祖父は「ああ、こいつこいつ」と頷いた。
だから記憶違いの可能性もある。

982 :名無し三等兵:2007/08/16(木) 20:34:59 ID:NOJ1ptw8
延々と下手な作り話ばかりご苦労さんw

983 :名無し三等兵:2007/08/16(木) 20:55:14 ID:L4RHTCSi
うちの爺さんは幼少の頃より絶対音感の持ち主で音楽家
大阪城天守閣で14歳の時、人間レーダーをしてたそうだ

984 :名無し三等兵:2007/08/16(木) 21:00:15 ID:???
>>982
もうちょっとホラ話を楽しむ余裕を持とうやw

985 :名無し三等兵:2007/08/16(木) 21:56:18 ID:???
実家で俺のじいさんがもらった勲章を見せてもらった
かっこよかった

986 :名無し三等兵:2007/08/16(木) 22:09:12 ID:???
家のじいちゃんは銀杯くらいだな

987 :uaa:2007/08/17(金) 05:41:55 ID:e3CAOz30
叙勲は戦前から軍人が圧倒的に優遇されてたようだね。

父方の祖父:予備役少尉時代、原隊が出征した時に留守番しただけで瑞六。
母方の祖父:帝大出のエリート官僚。数十年努めて、勅任官(少将〜中将相当)まで出世して瑞四+銀杯。

ちなみに、銀杯は叙勲基準に少し足りない場合に贈られる。

988 :名無し三等兵:2007/08/17(金) 07:51:01 ID:???
うちの祖父は旭七

989 :名無し三等兵:2007/08/17(金) 13:32:31 ID:???
>>987
恩欠の銀杯じゃないの?

990 :名無し三等兵:2007/08/17(金) 14:00:08 ID:???
うちのひいじいさんは上等兵でシベリア出兵して、瑞八
勲記は残ってるけど、勲章は残ってない。
戦利品も大量に持ち帰ったみたいだけど、大東亜戦後みんな庭に埋めた。

991 :名無し三等兵:2007/08/17(金) 14:36:59 ID:???
>>990
掘り起こせ

992 :名無し三等兵:2007/08/17(金) 15:48:57 ID:???
>990
漏れも手伝うぞ

993 :名無し三等兵:2007/08/17(金) 15:51:00 ID:???
じゃあみんなで手伝ってニヤニヤしたらまた埋めよう

994 :uaa:2007/08/17(金) 15:54:59 ID:CjnU2A/r
>>989
恩欠は平成になってから、何かの財団がやってる事業。
国の栄典じゃない。

995 :名無し三等兵:2007/08/17(金) 17:01:29 ID:???
>>994
事務を独法・平和祈念事業特別基金が行ってるだけで
法に基づいて国費をもって国が行っている事業ですが。

996 :uaa:2007/08/17(金) 17:03:14 ID:PH5dT2a2
次スレたてたぉ

あなたのおじい様の戦争体験を教えて その16
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1187337705/l50


997 :uaa:2007/08/17(金) 17:04:41 ID:PH5dT2a2
>>995
事業であって、栄典ではないでしょ。

998 :名無し三等兵:2007/08/17(金) 17:21:06 ID:???
>>996
GJ

999 :名無し三等兵:2007/08/17(金) 18:29:58 ID:???
999

1000 :名無し三等兵:2007/08/17(金) 18:30:36 ID:???
1000なら次もがんばる!!

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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