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【文永】元寇の軍事分析【弘安】

1 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 03:15:57 ID:???
鎌倉武士が2度にわたってモンゴル軍を粉砕!!

2 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 03:17:38 ID:???
 〇∧〃
 / >  でもそんなの関係ねぇ!
 < \  そんなの関係ねぇ!

  〇/ はい!
 /|    オッパッピー!!
 />

3 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 03:42:33 ID:???
日本は当時世界最強。
論拠は当時世界の大部分を支配していたモンゴル軍を完膚無きまでに叩き潰したから。
日本は世界で唯一重装弓騎兵を使い人間の身長より長い弓を使っていた。
神風によって日本が勝ったと言うのは戦後の歴史家の陰謀。

反論はあるか?

4 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 07:49:53 ID:???
反論する気にもならないw

5 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 11:09:51 ID:???
あの国の法則が発動しただけだろ

6 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 11:10:04 ID:???
モンゴルにも騎槍&湾刀&合成弓を装備した重装騎兵がいたし、類似の装備の重装騎兵
はアフガニスタンに起こったトルコ系のハルジー朝にもいた。
まあビザンツ朝の重装騎兵も槍、盾、湾刀、弓で武装してた。
重装弓騎兵なんて当時じゃありきたりの兵種。>>3無教養をさらして満足したら帰れや。

7 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 11:10:45 ID:???
ベトナムが世界最強とか言ってる様なもんだろ

8 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 11:30:41 ID:???
>>7
ベトナムは1257年に僅か3000のモンゴル軍によって首都を占領された国。
文永の役で4万、弘安の役で14万のモンゴル軍を、大宰府に指1本触れさせないまま
撃退した日本より強いなんてことは、ありえない。

9 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 11:43:16 ID:???
そんな大雑把に最強だのなんだのと決めれるんだったら

日本=アメリカに負けた

ベトナム=アメリカ撤退

よってベトナム>日本とかになるだろ

10 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 12:50:10 ID:???
>>9
第二次大戦中の日米の戦いと、冷戦中のベトナム戦争とは、異なる時代に、全く違う状況下で行なわれた戦争。
それに対し、モンゴル帝国の日本とベトナムに対する侵略戦争は、フビライという同一人物のもと、同じ時代に
並行して行なわれた戦争。
その結果、ベトナムが攻め込まれる度に首都を占領され、王族を人質に差し出し、朝貢を認めたのに対し、日本は
まったく橋頭堡を築かせないまま撃退し、最後まで完全独立を維持した。
当時、ベトナムより日本の方が強かったのはあきらか。

11 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 13:19:09 ID:???
なんだネタスレか

12 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 14:14:59 ID:???
>>4
>>6
>8と>10さんに反論してみろ。
すぐにだ。

13 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 15:24:56 ID:???
>>6だけど>>8>>10に何を反論すればいいわけ?
さっぱりわからない。具体的に反論すべき文脈を教えてようw


14 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 15:27:05 ID:???
>ベトナムは1257年に僅か3000のモンゴル軍によって首都を占領された国。
>文永の役で4万、弘安の役で14万のモンゴル軍を、大宰府に指1本触れさせないまま
>撃退した日本より強いなんてことは、ありえない。
>第二次大戦中の日米の戦いと、冷戦中のベトナム戦争とは、異なる時代に、全く違う状況下で行なわれた戦争。
>それに対し、モンゴル帝国の日本とベトナムに対する侵略戦争は、フビライという同一人物のもと、同じ時代に
>並行して行なわれた戦争。
>その結果、ベトナムが攻め込まれる度に首都を占領され、王族を人質に差し出し、朝貢を認めたのに対し、日本は
>まったく橋頭堡を築かせないまま撃退し、最後まで完全独立を維持した。
>当時、ベトナムより日本の方が強かったのはあきらか。

これに反論するんだよ。
そんな事も解らないの?w

15 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 15:42:10 ID:???
>>14
>>3のおバカさんは重装弓騎兵が日本にしか存在しなかったと言ってるから重装騎兵が弓を使うのは
当時ありふれていたと>>3に指摘したまでだが。
ああ、あとモンゴル軍と日本鎌倉武士軍が同等の条件(充分な機動作戦の余地、アウェイでの補給の有無)等を
克服してモンゴル軍に勝ったならモンゴル軍最強といえるかもね。

まさか渡海侵攻軍と防御側で条件が同等とは思ってないよね。鎌倉幕府軍が渡海侵攻して大都を攻略できた?
そこまでできなくとも橋頭堡を確保できたの?

16 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 15:44:53 ID:???
おっと修正
>>15 誤)克服してモンゴル軍に勝ったならモンゴル軍最強といえるかもね。
   正)克服してモンゴル軍に勝ったなら鎌倉軍最強といえるかもね。

17 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 15:59:10 ID:???
>>15
騎兵部隊の海上輸送なんか、ウィリアム征服王や十字軍だって普通にやっている。
大モンゴル帝国にできなかったとしたら、そっちの方が問題だろ。
対馬海峡を超えて戦力投入することなんか、大昔から誰も苦労なんかしていないぞ。
391年に日本から朝鮮半島に渡った軍勢は、新羅・百済を征服。
663年の白村江の戦いでも、日本から2万7千もの大軍が朝鮮半島に渡っているし。
現実に文永の役でも弘安の役でも、普通に万単位の元軍が渡航してるじゃん。
元寇の際の防御の有利さなんて、元軍の数的有利と奇襲効果で簡単に相殺されてしまう。
文永の役でも弘安の役でも元軍は揚陸には成功している。
その後の陸戦で負けただけ。
よって日本海は関係ない。
元寇はほぼ同時期の東南アジア侵攻と比較して、一桁多い兵力によって行なわれているが、
これは船舶の輸送力を利用できたから。
さらに鎌倉幕府は長門や京都でも万単位の兵力を動員しているが、これも元軍が日本海や
瀬戸内海を利用し、大宰府以外の場所を襲撃する可能性を捨て切れなかったから。
お陰で鎌倉幕府はその兵力を九州防衛に集中させることができなかった。
つまり鎌倉武士は日本海のせいで、より厳しい条件で元軍と戦わなければならなかったと
いうこと。


18 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 15:59:57 ID:X3SPkhPB
鎌倉武士が世界最強というつもりはないが元寇の2度の戦いは鎌倉武士軍が戦闘に勝利したのは事実。
日本に負けて散々な目にあったのは事実だから。
文永の役では3万の元軍わずか5千の鎌倉武士軍に負けてたった1日で戦意喪失。
撤退したところ玄界灘の暴風雨で船が転覆。
神風でも何でもなく鎌倉武士軍の戦闘による勝利です。


19 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 16:04:29 ID:???
日本に侵略しようとしたのは元だけではない。
チョンも、連合軍として参加していた。

20 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 16:15:30 ID:???
>>17
>騎兵部隊の海上輸送なんか、ウィリアム征服王や十字軍だって普通にやっている。
>大モンゴル帝国にできなかったとしたら、そっちの方が問題だろ。
でも昭和のマレー作戦でも海上輸送による馬匹の損耗を非常に警戒している。
結果的に杞憂に終わったんだけどさ。>>17が挙げた例はあくまで「成功したエピソード」だから
適切な提示だとはいえないんじゃないだろうか。

あと問題は渡航じゃなくて補給の継続だから、百済を策源地に出来た日本側と比べても仕方ない

21 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 16:42:46 ID:???
一度目は弾薬ど持ってきてないし、二度目はやる気のない南宋兵主体だから、元軍撤退=日本最強はちょっと違う。
世界最強クラスなのは、むしろ朝鮮征伐時の日本軍。

22 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 16:51:29 ID:X3SPkhPB
>>21
戦場に出向いて、しかも海を越えてまで行ってやる気なしなら殺されるだけですよ。
っていうか南宋兵中心の南路軍が東路軍と合流したのが旧暦7月20日。7月27,28日にかけて海戦が行われこのときは鎌倉武士軍によって約千艘近くが焼かれたり破損したりしてるが、船の補修のため一旦壱岐に引き返し7月31日に台風直撃。
実際には弘安の役だって鎌倉武士はほとんどを蒙古、満人、漢人、高麗人中心の東路軍相手に費やした。

あと関係ないけど朝鮮征伐時の日本軍だが韓国人がやたら誇るイ・スンシンって明史には一行も書かれてないんだよね。

23 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 17:13:28 ID:???
>>22
やる気がないという言い方がまずかったのかな?正確には南宋兵は戦意が低い。
あと、江南軍はつかえねー奴らだけど、君も書いてるようにそいつらとの合流、上陸作戦初期の戦力集中にさえ失敗してる。
これじゃ常識的に考えても石塁まで用意して元側とほぼ同数まで兵力をかき集めてきた日本側には勝てない。
結局、元軍は負けるべくして負けた戦い。

24 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 17:31:45 ID:X3SPkhPB
当時は無論、現代的な意味での民族主義はなかった。
しかし鎌倉幕府は鎌倉殿と御家人との間で御恩奉公の関係はあった。
承久の乱などでも手柄立てた御家人には恩賞が与えられたがこれが武士たちの戦闘意欲を高めたのかな。


25 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 17:38:17 ID:???
幕府「藻前ら!元は侵略したら当然藻前らの土地分捕るつもりだYO!」
御家人「な、なんだっt(ry」
こんな感じで御家人を焚きつけまくった。

26 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 17:46:43 ID:QWm5+RRh
まあモンゴルがあれだけの大帝国となったのは全ての戦争をモンゴル人だけでやったわけでは当然ない。大帝国なんて征服した民族から新規に兵を調達し次の戦争へ使うなんてこのの繰り返し。
征服された民族だって大帝国の中で生き抜くには帝国の忠実な軍隊となることなど世界史的に珍しくもなんともないこと。
満州人の清朝だって軍事の中核は漢民族部隊の緑営だった。
別に空前の世界帝国を作ったモンゴルが日本遠征に限り愚かで戦争に無知だったとかというわけでは決してないだろう。
鎌倉幕府の御恩と奉公の関係は空前の大帝国をも撃退出来るシステムだったといっていいのでは?


27 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 18:06:22 ID:???
>>17
これって今の海上保安庁の密輸密航摘発や自衛隊の人員配置にも言えるよなあ。
長い海岸線をどうやって守るのか…。

28 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 18:18:05 ID:???
>>26
元は渡洋作戦の経験は少ないし、作戦面では不手際だらけでしょ。
なんか米帝のような世界最強の軍事国家を撃退したウリナラの政治システムは世界1!みたいな言い方はちょっと・・・。
だいたいご恩と奉公の関係って封建制度の亜種みたいなもんで当時としてはその種のシステムは大して珍しくないのでは?


29 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 18:36:33 ID:QWm5+RRh
いやそういう意味ではなくて日本を攻めて来た元という国の国力を軽視するのもどうかと思う。
鎌倉幕府のシステムを必要以上に過大評価するわけでないが当時の日本だってそれ相応の国力があり鎌倉幕府のシステムはそれを生かせるだけの
ものがあったと。
実際鎌倉幕府は承久の乱当時10万以上の兵で京に攻め上っているから弘安の役のときの
元軍14万だって決して兵力でかなわないというほどではない。
ちなみにバトゥのヨーロッパ遠征ではモンゴル12万に対しドイツ・ポーランド諸侯連合軍はわずか3万しか集められなかった。
当時の日本の人口、農業生産(米の二毛作はほぼ全国に普及。宋代の中国より早い)そしてその後の室町時代は日本刀や日本の鎧などが主要な輸出品だったことを思うと手工業なども相当に発達していた。
それだけの力はあったと思う。モンゴルに軽く征服された弱小国以上の国力があったのでは?


30 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 19:13:35 ID:???
>>29
何が言いたいのか今イチよくわからないけど、
国家のシステムとしては大して先進性があったとは思えないけれども、国力自体は当然そこらの弱小国以上はあるよ。
元が南宋問題をぬきにしてガチで掛かってきたら流石にやばいけど。

31 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 19:20:47 ID:???
>>28
元軍は渡洋作戦の経験が少ないというのは誤解。
元軍は元寇直前に三別抄相手の珍島や耽羅への渡洋作戦を経験しているから、
文永の役が3回目で弘安の役が4回目。
同じ部隊が実戦でこれだけの渡洋作戦を経験しているなんて珍しい部類だろ。

32 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 19:33:27 ID:???
>>9
ならないですぅ

元寇   元+高麗(敗)  対 日本  (勝)
大東亜  日本+朝鮮(敗) 対 連合国 (勝)
ベトナム 国連軍+韓国(敗)対 ベトナム(勝)

日本が勝ったのは運が良かっただけですがな


33 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 19:35:38 ID:POccrOoQ
>>13
このスレの前スレはこれ↓
【弓・トラップ】土人vs西洋人【機関銃・ライフル】
ttp://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1175065848/l50
土人を語るべきスレッドでなぜか日本VSモンゴルの話になり、やがて日本は世界最強と
いう厨が現れ、収集がつかなくなっている。
奴らに言わせると日本は世界最強の弓を持ち、世界最強の鎧を着、とにかく世界最強であるらしい。
傍観している分には面白い。


34 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 19:36:32 ID:???
>>32
元+高麗は、元寇後のナヤン・カダアンの乱で勝ってる

35 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 19:37:32 ID:???
>>32
敗北した側が、必ずといってある地域の国が味方についていますよね。
何故?

36 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 19:42:32 ID:???
>>31
確かに軍司令部忻都を初めとして元軍は朝鮮半島の小島への上陸作戦は行っているけど
あれは渡洋というより、むしろ渡河作戦に近いものではないかと。


37 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 19:44:45 ID:???
>>17

どうしてそんな大軍送る必要あったの
実際桁違い過ぎね?
初めから補給の見込みなしで攻めてるようにしか見えねえ
行き詰ったら即撤退するしかないんじゃね?

38 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 19:54:24 ID:???
>>36
確かに珍島は近いが、耽羅へはそれなりの距離がある。
それに耽羅遠征は文永の役の前年。
元軍にとっては、文永の役直前に手頃な距離の手頃な相手にスパーリングできたようなもの。
かなり恵まれた状況だと思うが。

39 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 19:58:46 ID:???
>>38
確かに耽羅を渡河って言うのは無理があるか・・・。
渡洋作戦の経験が少ないってのは撤回します。


40 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 20:13:09 ID:???
なぜ元軍は、九州攻撃にこだわったのか、
また、壱岐や対馬を恒久占領しなかったのは何故か、
ちょっと分からない。

41 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 20:34:58 ID:???
一回しただけで経験豊富?


42 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 20:46:15 ID:???
この時期の高麗はまだ強かった、というよりガッツがあった
中央アジアのようににあっさり崩壊した国も多い中で
この時期の高麗の粘りは特筆に値する

43 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 20:59:55 ID:???
1、日本は王権が古来から比較的強く
2、農業生産力ばかりでなく、鎌倉政権と言う軍事政権が国内統治をある程度掌握、
  軍事動員体制も含めて国力があった
3、経験があったとは言え当時の気象条件や造船技術の下では渡海上陸戦は不利
4、さらに地理的にも高麗頼みで不案内
5、何よりも蒙古襲来を予測して備えを固めていた幕府・御家人の防備が優秀

こんなところ?

>>40
日本じゃないけどサハリンにモンゴル軍が侵入してなかった?
網野善彦の本にそんなこと書いてあるよ。

44 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 21:15:01 ID:???
>>42
まったく同意だな、高麗こそ真の最強国
たかが渡河作戦数回の経験しかない状態で海を越えさせられ、
精強な蒙古兵もほとんどおらず、最初から無理矢理従軍させられた戦で士気も低い高麗兵主体の元軍に、
そんな青息吐息の高麗軍に戦闘とすら呼べない戦いでただ一方的に虐殺され、
敗走を繰り返しながら防御施設にこもり、ガタガタ震えて必死に神仏へ祈祷していた鎌倉武士……

勉強嫌いのネット右翼よ、現実を正視するがいい

45 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 21:18:49 ID:???
>>44
退却戦で大損害出してないので、「敗走」とは言えないと思う。
後半三行意外は同意できるんだが

46 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 21:22:54 ID:???
常識的に考えて、やっぱり高麗の方がはるかに鎌倉武士より強いよな。
あの悲惨な状況で、防御施設を築いて待ち受ける十万の鎌倉武士に敵前上陸を強いられ、それでもなお一方的に蹂躙してのけた高麗兵……
やはり鎌倉武士など足元にも及ばないな

47 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 21:28:21 ID:???
高麗>(好敵手の壁)>蒙古兵>>>>>>(事前築城万全、相手は渡海作戦で無理矢理連れてこられてやる気なしの壁)>>>>>>一方的に虐殺され神頼みするしかなかった雑魚鎌倉武士

48 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 21:32:59 ID:???
常識的に考えてみてさ、海で隔離されて切り離された環境のものが強い訳ないんだよね。
オーストラリアやニュージーランドの生き物だって、外敵がいないから生き延びられただけ。
鎌倉武士もそれと同じw
蒙古や高麗という苛烈な大陸から渡ってきた外来種に、手も足もでず一方的に虐殺されていたところを、
たまたまの自然災害で命拾いしただけw

もし高麗がもう少しだけ本気だったら、鎌倉武士は完全に一掃されていただろうな……

49 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 21:41:44 ID:???
鎌倉武士の弱さと高麗の精強さが語られれば語られるほど、
朝鮮半島を併合し、された近代日本の強さと李氏朝鮮の弱さが際だつということでよろしいか。

50 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 21:51:28 ID:???
>>49
ネット右翼脊髄反射乙
鎌倉武士の絶望的な弱さから目を逸らしても、君が得るものは何もないよ
こんなところで思いつきの「ぼくのかんがえた最強鎌倉武士」を疲労しているより、仕事を探しにいくことだね……


51 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 21:53:44 ID:???
>>50
いや鎌倉武士がいくら弱くてもいいんだけれども・・・

52 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 21:58:05 ID:???
>>51
勝ったのに弱いといわれるのもなんだかなw

53 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 22:05:44 ID:???
>>52
実際弱かったんだから仕方ないんだけどな……

54 :42:2007/09/09(日) 22:13:29 ID:???
>>44
そこまでは言わないけど
江華島に宮廷を移して徹底抗戦できるぐらいの気負いはまだあった
結果的には負けたが、日本だって陸続きでモンゴル軍に三十年ぐらい攻め続けられたら
どうなってたかはわからない。
後期高麗〜李朝以後は全く見るべきものなどないが

55 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 22:16:02 ID:???
>>53
つまり、モンゴル軍はもっと弱かったとw

56 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 22:20:18 ID:???
>>55
ん? モンゴル軍と高麗兵は圧倒的に強かっただろう。ただ彼らには運がなかったし、士気も低かった。
モンゴルの尖兵となって日本なぞという未開の僻地へ寄越され、厭戦気分が蔓延していた。
それでもゴミ以下の鎌倉武士は簡単に粉砕できたが、内輪の問題はそうも行かない。
そのうえ何せ、決まり手は台風だからな……


57 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 22:37:21 ID:???
>決まり手は台風だからな……

いまだにこんなことを信じているとは・・・

58 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 22:39:03 ID:???
>>57
教科書も読めない文盲ネトウヨ乙w

59 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 22:39:46 ID:???
>>58
教科書は事実というわけじゃないからw

60 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 22:40:24 ID:???
モンゴル軍と高麗兵の士気は高かったぞ。
特に高麗兵はやる気満々だった。
でも、悲しいことに鎌倉武士には全く歯が立たなかった。
蒙古襲来絵詞には血まみれになって鎌倉武士から逃げ回る、高麗兵とモンゴル騎兵が描かれている。
何より高麗自身の史書である高麗史にはっきりと「戦って負けた」と書いてあるしな。

『高麗史』87巻
「十月、金方慶與元元帥忽敦洪茶丘等征日本、至壹岐戰敗、軍不還者萬三千五百餘人」

61 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 22:44:41 ID:???
>>58
ちゅうか最近の教科書では決まり手は台風って書かれなくなりました

62 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 23:01:36 ID:???
>>56

季節風を利用した航海をようやく卒業した程度の航法で補給の当ても無く
大軍を投入してる時点で終わってるとしか思えないのだが?
帰路はいづれも遭難で・・・没

完全に日本を舐めていたとしか思えん。
自滅したも同然だよ



63 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 23:18:47 ID:???
二度目は海岸線に陣地を作って上陸を許してないのが素晴らしい

64 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 23:53:45 ID:???
決まり手ってわけじゃないけど
上陸を阻止してる間に台風来てそこを一気に叩いたってのは事実だから
神風が来たってのは間違っては無い

65 :名無し三等兵:2007/09/09(日) 23:59:56 ID:???
>>60
そういうのって絵巻なんぞがどこまで史実どおりなのか疑問だし
高麗史だって負けたといってるのは元も含めてなのか
単に朝鮮軍がボロ負けしたのかの区別も付かないし
情報収集や共有もままならなかった時代にどこまで
ただしく把握してたのか疑問なのに歯が立たなかったなんて表現して大丈夫かよ

66 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 00:25:20 ID:???
でも長篠合戦図屏風とかって、
旧通説じゃなくて最近の有力説を唱える研究者にも引用されるよね
武田軍の部隊編成なんかで
もちろん誇張はあるけど、史料批判を通過すれば使えるんじゃない?

67 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 04:43:18 ID:???
>>65
古今東西、どんな合戦でも最重要史料は、実際に戦闘に参加した兵士の残した史料。
当然元寇でも史料の重要度は、蒙古襲来絵詞>>>その他の史料。



68 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 06:08:37 ID:???
文章じゃなくて絵って誇張が相当入ると思うが

しかも国内合戦ならともかく侵略戦争で

69 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 06:39:19 ID:???
>>68
蒙古襲来絵詞って絵だけじゃなく文章もついてるの。

「・・・武房に、凶徒赤坂の陣を駆け落とされて、二手になりて大勢は麁原に向きて退く。
小勢は別府の塚原へ退く。麁原より鳥飼の汐干潟を大勢に成り合はむと退くを追駆くるに、
馬干潟に駆け走して、その敵を延ばす。兇徒は麁原に陣を取りて、色々の旗を立て並べて、
乱鉦暇無くして犇めき合ふ。・・・」

こんな感じでね。
これは赤坂で菊池武房にボロ負けした元軍が、二手に分かれて麁原まで敗走する様子。

70 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 06:58:04 ID:???
訂正
「・・・武房に、凶徒赤坂の陣を駆け落とされて、二手になりて大勢は麁原に向きて退く。
小勢は別府の塚原へ退く。塚原より鳥飼の汐干潟を大勢に成り合はむと退くを追駆くるに、
馬干潟に駆せ走して、その敵を延ばす。凶徒は麁原に陣を取りて、色々の旗を立て並べて、
乱鉦暇無くして犇めき合ふ。・・・」

71 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 07:30:37 ID:iIoRQ8TR
和弓と日本刀の性能を考えたら頷けないこともない。
当時世界最強の弓にして、世界最強の刀と言っても差し支えない。
和弓は金神頭という、置盾を砕くための矢まであった。現代のホローポイント弾
をはるかに先取りしている最強の矢だ。

盾を矢で砕くなんて発想そのものが世界的に無かった。しかし、和弓はこれを可能に
していた。日本で携帯式の持盾が発達しなかったのも、これがあるためだ。

72 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 08:30:43 ID:???
>>69
宣伝の為にかかれたんだろ?
それを文面通りに受け取ってどうする。

73 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 08:40:32 ID:???
>>72
蒙古襲来絵詞が「恩賞たため書かれた」とかいう話は嘘だから。
実際に絵巻について調べれば簡単に嘘とわかるレベルの話だし、まともな本で
そんなことを書いているものもない。
それが何でこんなに広く流布されているのか・・・

74 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 08:51:13 ID:???
そこでGHQの陰謀ってつなげるんだろ?

75 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 08:58:21 ID:???
>>73
自身の戦功を書かせたと言う時点で宣伝だろう。
なんでそんな物を聖典みたいに扱うんだ?

76 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 08:59:54 ID:RnMc5pio
いずれにせよ弘安の役のときの14万程度の軍ではとても日本征服は不可能だったろう。
フビライの誤算は日本の国力を過小評価しすぎたことか。

77 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 09:00:11 ID:???
要するに、当事者によって書かれたからガリア戦記の記述に問題は無いと言う事でいいのか?

78 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 09:06:27 ID:???
>>74
GHQの占領政策としての戦後歴史教育への介入は、公然と行なわれたんだから、
陰謀云々の話じゃないだろ。
お前は、GHQが不都合と判断した歴史教科書の記述を、戦後の子供たちが墨で
塗りつぶすように指示された話を知らないのか?

79 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 09:06:46 ID:???
史料批判って言葉が上で出てるだろうが

80 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 09:09:24 ID:???
>>77
ガリア戦記は、普通にローマのガリア征服の最重要史料じゃん

81 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 09:21:03 ID:???
>>80
その記述に問題や宣伝が無いと言う歴史家は誰一人としていない。
重要な史料である事とそれの記述に問題あると言う事は矛盾しない。
そして日本最強厨は単にその方が気持ちいいから妄信してるだけだ。

82 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 09:22:53 ID:???
>>80
同時代人の元老院議員に向けた説明なんで、あんまりあからさまな嘘が書けなかった
っていう事情があったんで信用度が高いという評価をうけているんだが。

83 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 09:26:33 ID:???
>>81
じゃあ、元寇に関して記述に問題の無い史料で何だよ?
どんな史料のどんな記述にも多かれ少なかれ問題はある。
元寇について、日本に不利な内容ならどんな怪しげな文献の荒唐無稽な記述でも
平気で受け入れるくせに、蒙古襲来絵詞だけを信用できないなどというのは、
史料に対する公平な扱いじゃ無いだろ。

84 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 09:32:55 ID:???
>じゃあ、元寇に関して記述に問題の無い史料で何だよ?
そんな物ない。
だから史料批判と言う言葉がある。
>元寇について、日本に不利な内容ならどんな怪しげな文献の荒唐無稽な記述でも
>平気で受け入れるくせに、蒙古襲来絵詞だけを信用できないなどというのは、
>史料に対する公平な扱いじゃ無いだろ。
そんな事は言っていない。
自分の武功の宣伝と言うあからさまにバイアスが入ってそうな史料を妄信するのはおかしいと言っている。


85 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 09:39:29 ID:???
>>84
蒙古襲来絵詞は、自分の武功の宣伝のために作成されたとは考えられていない。
恩賞奉行として御家人たちの戦功を査定した安達氏に対する追慕のため作成されたというのが定説。
自分の武功を誇張したりしたら、安達氏に対して追慕どころか、当て付けにしかならないだろ。

86 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 09:41:15 ID:???
問題になりそうなこと書くときは、

「☆☆については○○の記述ではこうあり、一方××ではこう記述してあって相互に矛盾がないので
☆☆は□□であったといえる」

と書けばいい、というかよそのスレじゃ航空機エンジンについて書くときでもそうしているお前らが
どうしてこういうスレだとそれが出来ないんだぜ?

87 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 10:10:07 ID:RnMc5pio
「蒙古襲来絵詞」は世界の多くの学者によって史料批判はされている。
鎌倉武士の集団騎馬武者攻撃に逃げ惑う蒙古兵の装束は中央アジアで発見された
モンゴル軍を描いたものと見事一致した。モンゴルは世界帝国だっただけに研究対象は世界中で多い。
その世界各国の学者が調べた上で価値が高い史料と判断されたもの。
しかし竹崎季長に向かって弓を引いている3人の兵だけは他の蒙古兵と比べ装束色彩が異なっている。
この3人に関しては後世の加筆であることが最近になって判明。史料的価値は全くないという結論に至った。

史料批判というものはこういうもの。史料のすべてを盲信したりもせず前面否定もせず何が真実で何が真実でないかを見極めることをいうのだ。

ちなみに学校教育においてこの蒙古襲来絵詞は騎馬武者の先頭になって突撃する竹崎季長とその前で弓を引く後世加筆の3人の兵士のみをカットして記載。
3人の兵の左側で逃げ惑う蒙古兵は記載されず。また季長の右側にいる騎馬軍団も一人も載せない。
そんなカットを教師は鎌倉武士は単騎で集団の中に突撃して元軍の集団戦術に苦戦したなどと教えている。
思えばひどい教育受けたものだ。

88 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 10:22:28 ID:RnMc5pio
高麗の忠烈王は元の南宋攻撃の際、従軍する処女500人差出せと命令されたら、
婚姻禁止令まで出して実際に高麗の女を蒙古兵に差出した。
これってあの国の伝統?
それにしても高麗の番犬ぶりはお見事。
いつの時代でもあの民族ってこういう体質であることがよくわかるよね。


89 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 10:26:54 ID:???
>>84
蒙古襲来絵詞なんて竹崎が描かせたものだ
当然都合よく「敵を追い払った」と描いている可能性がある

90 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 10:28:17 ID:???
蒙古襲来絵詞なんて後世に手が加えられている巻物だ
こんなものは資料として使えない。


91 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 10:32:59 ID:???
>>88
わが国の特殊慰安施設協会のことなど考えると東アジアの伝統ではないかと思う

92 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 10:34:30 ID:???
竹崎季長なんて一介の兵士だろ
竹崎から逃げる元軍が本当のことだったとしても
全体的にはどうだったかわからん

93 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 10:37:27 ID:???
文永の役
元軍は御家人の抵抗を排除して上陸に成功するが
矢を使いすぎて、大宰府を占領できずに撤退、
その際に博多を荒らしまわる。

弘安の役
幕府が防壁を築いていたので元軍は上陸できず海に釘付けにされる
そのご台風が来て大打撃

94 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 10:38:46 ID:???
な文永の役での御家人の数は数千人ほどで
少なかった。(援軍は次々に来ていたが)
博多占領もそうしたことが原因だろう

95 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 10:41:08 ID:???
日本は別に世界最強の国でもないし
神に選ばれた特別な国でもない。
戦いに負けることもあるし失敗だってする

ネットウヨが多い2chはそこんとこをよく認識しておくように
「日本は特別な国ではない」

96 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 10:42:08 ID:???
>>91
んなもん世界中にあったべさ
ベトナム戦争時の米軍とか

97 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 10:46:27 ID:???
文永の役は日本の史料にも高麗の史料にも「元軍が戦って負けた」とかいてある。

鎌倉年代記裏書
「十月五日、蒙古寄来、着対馬嶋、同廿四日、大宰少弐入道覚恵代藤馬允、於大宰府合戦、異賊敗北」

帝王編年記
「六日。飛脚到来。是去月廿日蒙古与武士合戦。賊船一艘取留之。於鹿嶋留抑之。其外皆以追返云々。」

高麗史87巻
「十月、金方慶與元元帥忽敦洪茶丘等征日本、至壹岐戰敗、軍不還者萬三千五百餘人」

信頼できる文献に「元軍が博多を占領した」などと書いたものは存在しない。

98 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 10:47:57 ID:RnMc5pio
やっぱり番犬の高麗は最弱だったんだ。

99 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 10:48:51 ID:???
また、『高麗史』金方慶伝にいう、
倭兵大敗、伏屍如麻、忽敦曰、『蒙人雖習戦、何以加此。』
諸軍与戦、及暮乃解。方慶、謂忽敦茶丘曰、
『兵法千里懸軍、其鋒不可当。我師雖少、已入敵境。人自為戦、即孟明焚船、准陰背水。請復戦。』
忽敦曰、『兵法小敵之堅、大敵之擒、策疲乏之兵、敵日滋之衆、非完計也、不若回軍。』
欧亨(蒙古軍の副将)中流矢、先登舟、遂引兵還。
会夜大風雨、戦艦觸岩崖多敗」

日本軍は大敗し、その屍は麻の如く散らばっていた。
それを見た忻都は、「蒙古の人間は戦に慣れているとはいえ、日本もなかなかのものだ。彼らにこれ以上付け足すものは何もない」と言って感心した。

勇者への賛辞といったところか。額面通りに受け取ってもかまないが、忻都は一種の余裕も感じながら発言したのだろう。
諸軍は終日戦い、日没になって軍を引き上げた。

http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-SanJose/4402/histo2-5.html
高麗軍は戦って勝ったとある

100 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 10:49:34 ID:???
竹崎季長が戦った敵て高麗軍だろ

101 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 10:51:13 ID:???
>>98博多から大宰府まで引いて
水城を防衛拠点にしている

102 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 10:54:02 ID:???
>>99
忻都が引用した兵法の「小敵之堅、大敵之擒」で、「小敵」に該当するのが元軍、
「大敵」に該当するのが日本軍。
その上で、撤退すなければ、元軍が日本軍の「擒」になってしまうと言っているんだから
要するに元軍がボロ負けしたと言うこと。

103 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 10:54:20 ID:???
>>100
竹崎季長がいたのは赤坂
高麗軍が攻めたのも西部から

104 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 10:55:53 ID:???
>>102
海岸から一掃されて御家人のどこが勝ったんだよ
大敵というのは敵に(幕府側)援軍が次々来て兵力が逆転したことを言っているんだろうが

105 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 10:57:12 ID:???
>>102

忻都は、思ったより戦況が進展しなかったのを見て、太宰府進撃は困難と
判断していた。だから、軍を船上に引き上げさせたのである。
「戦闘については蒙古軍が優勢であったとはいえ、今後の戦局推移という
観点から見ると蒙古軍の方が不利である」というのが彼の判断であった。
左翼の高麗軍と正面の蒙漢軍が合流することも出来なかったし、兵站を
陸揚げすることも出来なかった。これに対し、日本軍の後方基地にして
主決戦場になるであろう水城と大野城は無傷である。加えて、増援が続々と集結しつつあった。

http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-SanJose/4402/histo2-5.html

106 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 10:58:42 ID:???
>>102
日本は神国でもないぞ、
失敗する時も
他国に遅れをとる時もあるんだぞ
わかってるか?

107 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 10:58:59 ID:???
高麗史に書かれた上陸地点に居たのは松浦党。
高麗史に元軍が少弐氏率いる御家人たちに勝利したという記述は無い。

108 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 11:00:03 ID:???
「神風」の伝説が生まれたのも
当時の元軍がいかに恐ろしかったことの裏返しなんだろうな

109 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 11:02:19 ID:???
>>107
元側は壱岐対馬をおとしたあと
博多付近に上陸している
高麗部隊も博多に上陸している
高麗史はそのことをいっている
実際に兵力が少なかった御家人は
敵の上陸を許して後方の大宰府、水城に引いている

110 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 11:03:30 ID:???
>>104
「御家人が海岸から一掃された」の根拠となっている八幡愚童訓には、
「元軍もボロ負けして海岸から一掃された」と書いてあるぞ。
何で片方だけを受け入れるのさ?

111 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 11:04:04 ID:???
>>108
壱岐じゃ根切りにされてるし、普通に戦っても強敵でいつまで戦闘が続くか分からんしね。
神風自体はありがたかったと思う

112 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 11:04:53 ID:???
>>109
高麗軍が博多付近に上陸の根拠は?

113 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 11:17:28 ID:RnMc5pio
>>108
神風云々なんて江戸時代の学者だって一言もいってないんだが。
ちなみに昭和天皇が受けて教育でも神風など一言もなかったらしい。
大正時代になってから出始めたこと。

ある意味、元寇の鎌倉武士の合理的な戦い方をきちんと勉強しなかったから昭和の悲劇は起きた。

114 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 11:21:16 ID:???
八幡愚童訓に書かれた文永の役の元軍敗退
「夕過る比、白装束の人、三十人計、筥崎宮より出て、矢さきを、そろえて射ると見えしは、
神の降伏し給ひしなり、此降伏に、へきえきして、松原の陣をにけ、海に出るけるに、
あやしき火もめくり、船二艘、顕はれ出て、皆うたれ、たまたま沖に、にけたるは、
大風に吹しつけられにけり」

この八幡愚童訓をソースに「御家人が大宰府に撤退した」とか言っておきながら、
一方で元軍の敗北は認めないってのは、一体どういうことだ?

115 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 11:48:29 ID:???
初心者ですが
入手可能な日元戦争関係の必読文献、良書あったら教えて下さい
書店に行っても歴史学のコーナーで、「蒙古襲来」しか積んでません
書籍でもサイトでも
当時の政治状況とかでもいいです
史料を編纂して市販してるやつとかでも…

116 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 12:04:24 ID:???
>>115
かなり古い本だけど【本土防衛戦史元寇 陸上自衛隊福岡修親会:著】というのがある
ヤフオクや古本関連のサイトをマメに探せば、入手はそれほど難しくないです(安けりゃ千〜二千円程度)

かつては、軍事関連書籍スレで防衛戦に関する内容が評価され、一時的な中古価格高騰を招いたことも…
ただ、文体がちょっと古めかしい感じ&画像があまり多くないので、慣れない人はちょっと読みづらいかも?

117 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 12:05:49 ID:???
>>113
当時の神社勢力が言い出したんだろ。

118 :115:2007/09/10(月) 12:20:05 ID:???
>>116
有難うございます、早速書店や密林に問い合わせてみます

ちゃっかりしてますが、史料、東洋文庫とかで必読文献あったら
他のかたもぜひご教示下さい!

119 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 12:30:52 ID:???
>>118
ちょっと待った
116だけど、この本は昭和38年頃の既に絶版本なので書店に問い合わせても入手不可です
ヤフーオークションや日本の古本屋で検索しながら探すのが良いかと

120 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 12:34:15 ID:???
>>117
それは弘安の役

121 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 13:50:13 ID:???
>>119
俺はついさっきネットで売ってた最後の一冊頼んじゃった


122 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 14:36:32 ID:RnMc5pio
>>113
確かに寺社勢力は自分たちも土地ほしいから言ったが江戸時代の頼山陽の「日本外史」などには
戦闘で戦って勝ったとあり神風思想など全く影も形もない。


123 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 14:53:26 ID:???
モンゴル軍の側は舟の上で何を食ってたの?

124 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 17:31:55 ID:RnMc5pio
ところで元寇当時のモンゴルと日本の力関係は16〜17世紀のオスマン・トルコとサファビー朝ペルシアに例えるのは無理があるかな。
トルコの方がより強大であったがペルシアもそれなりに実力があったからトルコはバルカン諸国や北アフリカの国々などは次々と征服したが東への侵攻は
サファビー朝に阻まれてメソポタミアまでしか拡大できなかった。
まあ13世紀のモンゴルはオスマン朝以上に強大であったが。
どうも日本の歴史というものを明治維新まで常に世界の後進国で日本はちっぽけな国で遅れていたなんて短絡的な見方をする呪縛から未だ
抜けられない考え方の学者が多いような気がする。
鎌倉時代というのは米の二期作の普及で農業生産が随分と飛躍した時代。
また鎌倉幕府は承久の乱で10万以上動因した政権。
モンゴルとてそんなに安易に征服できるような国では無かったのではないかと思うが。

125 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 17:51:19 ID:???
まぁ平安時代なら100%負けてた

126 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 17:52:59 ID:???
江戸時代あたりだと最強のヒッキーだからな

127 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 19:24:40 ID:???
どうでしょう。
足軽がただの下級役人化した江戸時代の日本が
果たして世界一の使い手だったかどうか…

128 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 19:44:37 ID:RnMc5pio
>>125
うん。平安時代の刀伊襲来のときの貴族の対応ぶりをみると文永の役の時の3万程度でも
京都まで攻められた可能性ある。
>>126
江戸時代だともうアジアの遊牧民族の時代じゃないからねえ。


129 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 19:53:36 ID:PbMwWY+h
お互いの軍装や戦術について触れる人は誰もいんね。
1はそのことについて語りたいようだが。
>>5で早くも粉砕されたからな。

130 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 20:34:53 ID:RnMc5pio
>>129
鎌倉武士が名乗りを上げての一騎打ちを挑んで元軍の毒矢戦術や集団攻撃
に多数の死者を出したなどという教科書的な解釈はもう卒業すべきでしょう。
それが事実なら3万の元軍に対し博多に出向いた武士軍団は5千。
城に篭っての篭城戦ならともかく野外戦であるから教科書が事実とすれば午前に始まった戦闘は日没まで続くはずがない。
当時の武士の大鎧だが以前テレビでタレントが着てたがとにかく重くって歩くのも一苦労って感じだった。」
「ええーっ。武士ってこんな重いものつけ戦ってたんですかあ?」といってた。
日本の大鎧は少なくとも攻撃の機動性よりも防御に重きをおいたものであると思うが。

南北朝時代の何かの文献に護良親王が矢を体中に受けたような苦戦ぶりが書かれていたが別に親王は戦死
していない。
また日本刀は室町時代の日明貿易の主要な輸出品。中国では倭刀を剣で受ければ刃が折れると言われていた
くらい切れ味鋭いものだった。
武器や防御用具だって教科書にあるほど歴然とした差があったとは思えない。


131 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 21:03:43 ID:???
>>中国では倭刀を剣で受ければ刃が折れると言われていた
>>くらい切れ味鋭いものだった。

「折れる」のに切れ味鋭いと…?

132 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 21:18:05 ID:???
どのみち、日本刀は主要武器じゃ無いだろう。
確か鑓、長刀と弓あたりが主要武器だったようなきがする。

133 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 21:22:50 ID:???
まあ、頑丈ではあろうな
こないだ、タイの剣作成の様子を見て山田長政が活躍したか納得した
だって、タイの刀剣って二枚の鉄板を繋ぎ合わせる作業から入るんだよ。

134 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 21:26:39 ID:???
まぁ、この時代の武士の装備だと、弓矢・薙刀・長巻がメインウェポンで刀がサイドアームだろうな
長い槍はもうちょい後の時期くらい?

135 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 21:31:22 ID:???
印字打ちを忘れないでくだしあ

136 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 21:46:00 ID:???
そういや前にディスカバリーチャンネルで元寇やってたな。
元軍の難破船引き上げたりいろんな錨の方向からてあれこれ考証したあげく
台風で沈んだのを実証してた。日本人から見たらアレな内容だったが
外人が見ると面白いんだろうな。侍マンセーだったし

137 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 21:51:42 ID:RnMc5pio
>>133
タイの剣作成の様子についてもっと詳しく知りたいのですが。


138 :名無し三等兵:2007/09/10(月) 21:52:40 ID:???
>>元軍の難破船引き上げたりいろんな錨の方向からてあれこれ考証したあげく
詳しく。

139 :名無し三等兵:2007/09/11(火) 00:33:16 ID:???
>>137
NHKの「その時歴史が動いた」の前番組(松平アナではない)で、山田長政の特集中で見た。確か「堂々日本史」だったかな。
アユタヤの日本人街跡から陶器や畳、五右衛門風呂など出てきて、タイ在住の日本人の生活ぶりが興味深かった。
他国でも日本人流で住む人たちを思い起こして、望郷の念とかあったのかなあ、とか考えさせられて、非常に面白かった。

その時に刀剣の話が出てきて、二枚のパーツで刃を作るタイ方式が紹介されていた。
戦国時代崩れで戦慣れしていた当時の日本人親衛隊は当然日本刀装備で勇敢だったらしい。

140 :名無し三等兵:2007/09/11(火) 07:38:41 ID:???
>>134
弓矢がメインウェポンでしょう。馳せ違いざまに射るというのが基本。
日本刀の陰に隠れていますけど、和弓って実は凄い兵器ですよ。
ヨーロッパで戦術に革命をもたらしたロングボウは1.4m〜2mくらい。
一方、当時の和弓は7尺5寸が定寸でした。ロングボウは木材のみの単一素材弓ですが、
和弓は木材と竹を複数張り合わせた合板弓です。特に竹という素材は靱性に
優れていて弓の素材としては最適です。さらに和弓では竹に火を通して炭化させて
使用しています。竹は炭化させると性質が変化し、より弾性が強化されるんです。
一種のカーボン素材ですね。
また、大型弓なんで使用する矢も長く重くなります。矢が重いということは命中した
時の威力が高くなるということです。トルコ弓が開発されるまでは世界一の威力だった
のではないかと個人的に考えています。

141 :名無し三等兵:2007/09/11(火) 08:31:12 ID:???
>トルコ弓が開発されるまでは

トルコ弓と蒙古弓は基本的に同じものでしょう。

142 :名無し三等兵:2007/09/11(火) 10:06:59 ID:???
>>141
完全な別物

143 :名無し三等兵:2007/09/11(火) 10:17:53 ID:???
>>142
どの辺が?

144 :名無し三等兵:2007/09/11(火) 10:56:01 ID:???
>>143
19世紀のトルコ弓は、モンゴルの弓みたいな2重S字形じゃないよ

145 :名無し三等兵:2007/09/11(火) 11:06:05 ID:???
>>一種のカーボン素材ですね。
いや、他の場所でも大して珍しくないですよそれは。
なんで張力を無視してるんでしょうか。

146 :名無し三等兵:2007/09/11(火) 12:54:57 ID:Isz7hFjp
>>130
中世において10万以上の軍を動員できる国などそんなにない。
そういう意味では大帝国VS極東の弱小島国といった先入観を取っ払って
大国同士の戦いと見方かえていいかも。

大体あのチムールだってオスマン=トルコとのアンカラの戦いで動員したのは20万、
明遠征も20万、オスマン=トルコのスレイマン1世がウィーン包囲したときも20万。
元の日本遠征は海を越えてとなるわけだから弘安の役の14万は当時としては最大限といったところか。
明の永楽帝の宦官鄭和の大遠征は5万程度でそれでもセイロンその他の戦闘では無敗だったから。


147 :名無し三等兵:2007/09/11(火) 13:51:37 ID:???
前に初質スレでも世界史板でもちゃんとした回答が無かったんだけど
元軍が使ってた毒矢の毒って成分は何?
鉱物系の毒?動植物系の毒?

148 :名無し三等兵:2007/09/11(火) 13:54:03 ID:???
>>147
♪ サソリの毒はあとで効くのよ

149 :名無し三等兵:2007/09/12(水) 08:34:23 ID:euyOYZXU
>>146
そういう見方をすると鎌倉時代の日本って世界有数の大国のような感じがする。


150 :名無し三等兵:2007/09/12(水) 10:12:58 ID:???
十字軍からエルサレムを奪還したことで有名なサラディンが、1179年にエジプトで動員できた兵力は、
アミール111騎、タワーシー軍団6976騎、カラグラーム軍団1553騎の合計8640騎。

151 :名無し三等兵:2007/09/12(水) 10:58:49 ID:???
鎌倉時代の軍の表現で〜万騎って使われてるけどこれは名前通り騎兵だと取っていいの?

152 :名無し三等兵:2007/09/12(水) 11:56:20 ID:jVv6wQKJ
島国で朝夜構わず、無尽蔵な兵員で襲撃されたら
元軍に勝ち目は無い、ジリ貧になり確実に弱体化

153 :名無し三等兵:2007/09/12(水) 12:24:44 ID:???
元がある程度国土占拠しちゃったのを苦労して苦労してやっと回復って展開だったら日本人のメンタリティも変わってたかねえ

154 :名無し三等兵:2007/09/12(水) 12:54:55 ID:ei892J2J
中世の侵略では相手方,皆殺しにするか,相手国に寝返る奴がいないと難しいだろうね。
まあ,現代でも同じだけど。

155 :名無し三等兵:2007/09/12(水) 16:05:01 ID:???
そういえば、今日は筥崎宮の放生会だな。
支那・バカチョンを撃退したご先祖方に感謝したい。

156 :名無し三等兵:2007/09/12(水) 16:15:42 ID:???
平安時代なら完敗

157 :名無し三等兵:2007/09/12(水) 18:15:43 ID:???
アイヌもサハリンとかで元軍と戦っていたんだよね

158 :名無し三等兵:2007/09/12(水) 18:38:34 ID:???
>>140
>また、大型弓なんで使用する矢も長く重くなります。矢が重いということは命中した
>時の威力が高くなるということです。トルコ弓が開発されるまでは世界一の威力だった
>のではないかと個人的に考えています。

それはおかしい。矢の長さは片腕の長さ+α。
せいぜい弓の射手の体格差程度の差しかないよ、特殊な用途以外では。


159 :名無し三等兵:2007/09/12(水) 19:28:38 ID:???
日本の弓矢が史上でも最強クラスだったのは間違いないな
欧米かぶれの馬鹿がしったかぶりをするな

160 :名無し三等兵:2007/09/12(水) 20:59:09 ID:???
と、日本かぶれの馬鹿が申しております。

161 :名無し三等兵:2007/09/12(水) 21:26:44 ID:???
日本の弓は、張力は、ほぼ手で引ける限界に達してるし
弓の大きさは(長さ)は、大きな方なので、世界的にみても
威力は高い方なのは間違い無い。
ただ取りまわしとか命中精度には、疑問はあるな。

162 :名無し三等兵:2007/09/12(水) 21:56:50 ID:???
ただ和弓自体の性能はかなりのものだったとしても
それを使った戦術自体が洗練されていなかったのが日本

163 :名無し三等兵:2007/09/12(水) 22:03:16 ID:oikPJmqo
それにしてもナショナリズムがなかった時代に九州の御家人の中に元と手を結んで自分の勢力を拡大
なんてことを考えた奴がいなかったのが不思議。
大体鎌倉幕府自体が朝廷と幕府の2重権力の一つで強固な統治組織を持っていた訳ではない。
承久の乱以降も朝廷や寺社勢力はまだまだ強かったし北条氏は所詮御家人。
飾り物とはいえ宮様将軍がいたし北条専制体制の強化を謀る内管領の平頼綱と御家人代表の安達氏の対立の火種は燻っていた。
北条氏自体も名越家の反乱など一枚岩でなかったのに。
よくそんな状態で敵に内通するものも出さずに一致して当たれた。
内部分裂しない限り日本の国力を考えれば征服されることはなかったろう。
これが南北朝時代だったらどうかわからない。

164 :名無し三等兵:2007/09/12(水) 22:03:43 ID:???
>>張力は、ほぼ手で引ける限界に達してるし
何kg位?

165 :名無し三等兵:2007/09/12(水) 23:06:08 ID:oikPJmqo
>>150
サラディンのアイユーブ朝って世界史的にも有名で大国ってイメージあるけどそんなもんだったの?


166 :名無し三等兵:2007/09/12(水) 23:20:56 ID:???
人口比率考えようね


167 :名無し三等兵:2007/09/12(水) 23:25:09 ID:???
>>150
歩兵の数を?

168 :名無し三等兵:2007/09/12(水) 23:25:10 ID:???
>>163
それは逆では?
時宗政権になってからは蒙古の使者が度々国交を促しに来ていたわけで、
それを蹴った時点で来襲は予想できていたはず、だから二月騒動とかで
名越などの有力諸家を潰した一種の戒厳体制だったんじゃと。

あと日本は王権が古代から強くて、ナショナリズムはないがかなり纏まった国家
(武士同士の私戦でも朝廷の権威が絡んだので、異教徒討伐戦に近い様相を呈した)
そこに御家人の一所懸命と言う所領防衛のインセンティブが働けば、
蒙古に対抗して所領を確保するため幕府の動員令に従って決して無理はない

169 :名無し三等兵:2007/09/12(水) 23:28:10 ID:???
>>168
面白い説だけど論拠が薄いよ

170 :名無し三等兵:2007/09/12(水) 23:50:37 ID:???
>>162
戦術が洗練されていたから元軍に勝てたんだろ

171 :名無し三等兵:2007/09/13(木) 02:31:58 ID:???
元寇と同時に東北大反乱とかおきたらやばかった

172 :名無し三等兵:2007/09/13(木) 08:42:50 ID:???
>>164
現在使用されている和弓の張力なら一人で弦を張れるよな
張力70sでも二人居れば弦を貼れるだろ
とすれば三人張りの弓の張力は、それ以上ということ

173 :名無し三等兵:2007/09/13(木) 08:49:44 ID:eCk0w7un
>>150
源平合戦の頃なら木曾義仲や平家でも十字軍に優に対抗できた?

174 :名無し三等兵:2007/09/13(木) 09:03:11 ID:???
>>173
信頼できる史料とされている玉葉に、1183年4月に平家が動員したと書かれている兵力が4万余騎。
余裕で対抗可能。

175 :名無し三等兵:2007/09/13(木) 09:28:32 ID:???
純軍事的には十字軍は第一回を考察するなら兵力的にはぜんぜんすごくない。

アラブ側が分裂してた事実が大きいよ。

176 :名無し三等兵:2007/09/13(木) 12:41:11 ID:mvJQ6ZPN
現在の一般向けに作られている和弓と往時の戦闘用の和弓を比べてはいけない。
33間堂の通し矢の記録は現代の名手をもってしても再現できてない。
和弓は弓の性能もさることながら、鏃も大型のものが使われている。
狩又やら平根なんてとても鏃とは思えない。クナイ並の大きさ。盾を砕くための
鏃まで存在したらしい。凄まじい話だ。

>>172
五人張りの弓というのも聞いたことがある。

177 :名無し三等兵:2007/09/13(木) 13:52:07 ID:???
>>174
鎌倉時代の軍の表現で〜万騎って使われてるけどこれは名前通り全部騎兵だと取っていいの?

178 :名無し三等兵:2007/09/13(木) 14:04:45 ID:???
>>177
日本に限ったことでもないが騎兵というのはほとんどが徒歩兵
兵力=騎兵なのはモンゴルくらいだ

179 :名無し三等兵:2007/09/13(木) 15:58:22 ID:kTiuQvVY
>>178
無知乙

180 :名無し三等兵:2007/09/13(木) 16:31:03 ID:???
>>179
リーグニッツの戦いじゃ騎兵主体じゃなきゃあんな作戦は取れなかったぞ。
時期と戦闘によってはモンゴル軍=騎兵でも間違ってない。

181 :名無し三等兵:2007/09/13(木) 17:42:36 ID:4xXIwYdq
>>180
>兵力=騎兵なのはモンゴルくらいだ
                  ^^^^^
が無知だといっただけ。

182 :名無し三等兵:2007/09/13(木) 20:41:59 ID:TLelAulb
もしかして13世紀当時の世界で、世界最強の国がモンゴル帝国なら2番目が日本だったんじゃないのかなあ。
エジプトのマムルーク朝と日本とどっちが大国だったんだろ?

183 :名無し三等兵:2007/09/13(木) 20:52:42 ID:???
>>182
いかに元軍が強敵とはいえ、
敵さん得意の騎兵集団が、陸続きで押し込んで来た訳ではない元冦は、
直接の比較対象にはなりづらいような。

184 :名無し三等兵:2007/09/13(木) 20:54:19 ID:???
陸続きだったら3ヶ月ありゃ攻略されとるわな


185 :名無し三等兵:2007/09/13(木) 21:02:47 ID:???
動員兵力が桁違いだしな。
三ヶ月とは言わないが南宋よりは余程楽に攻略できるだろ。

186 :名無し三等兵:2007/09/13(木) 21:16:23 ID:???
>>176
> 五人張りの弓
そいつは鎮西八郎こと源為朝の強弓だな。
一矢で300人乗りの軍船を撃沈できるぞ。

187 :名無し三等兵:2007/09/13(木) 21:17:42 ID:???
兵を数でしか言えないようだが、質の方が重要だぞ。
数で言ったらモンゴルだってたいしたことなかったはず。
何で楽に攻略できるなんて言える。

188 :名無し三等兵:2007/09/13(木) 21:23:13 ID:TLelAulb
>>183
まあ確かにそうだ。
ただ日本が日本たるゆえんは島国であり陸続きの朝鮮とはその点中華文明とも
一定の距離を保つことが出来たわけだから。

話はそれるが元寇当時の鎌倉幕府はよく国内の様々な利害関係の対立を抑えて一致して
対処したと思う。
しかし元寇をきっかけに北条氏も長門探題だの鎮西探題だのと西国まで一門を派遣して
これ幸いとばかりに北条専制体制の強化を計った。
一方足達氏は結構御家人に土地の分配などで気を使ったようだが。


189 :名無し三等兵:2007/09/13(木) 21:26:40 ID:???
>>186
どう見てもただの伝説です。
本当にありがとうございました。

190 :名無し三等兵:2007/09/13(木) 21:35:40 ID:???
>>187
兵の質なんて不確かなものを持ち出すと、しまいにゃ精神論に行き着いてしまうからですよ。
練度や指揮は確かに重要な要素ですが、一回二回の戦闘ならともかく、
戦争という視点で見た場合、それで数倍〜数十倍の敵相手に勝てると思う方がちょっと・・・。

191 :名無し三等兵:2007/09/13(木) 21:39:05 ID:???
>>174
>信頼できる史料とされている玉葉に
どうでしょう
貴族の日記が軍事面に関して果たしてそれ程正確かどうか…

192 :名無し三等兵:2007/09/13(木) 21:53:19 ID:???
>>187
ちなみにモンゴル帝国の初期で最大10万程度、元では最大で100万程度は動員できたはず(うろ覚え)、
中世ヨーロッパにおける最大規模の開戦が両軍3万程度だった事を考えると、これはアジア地域以外ではかなりの大軍だと思いますが。

193 :名無し三等兵:2007/09/13(木) 21:54:51 ID:TLelAulb
>>191
そりゃ軍事というか戦闘の経緯とかはともかく実際京を埋め尽くした人間の数だから。
源平合戦の時代、頼朝、義仲の征討軍は度々集められ実際遠征に出向いているわけだし。
兵士政権というのは京にあったわけですから。
京に住んでるお公家さんが4千を4万と勘違いしたりはしないでしょう。

194 :名無し三等兵:2007/09/13(木) 22:06:20 ID:???
>>193
実際に自分で数えた訳じゃないでしょうし、この手の数は実際以上に多く認識してしまうのが常。
さすがに4万が4千と言うのは無いにしても4万が実際は1、2万だというのは十分に有りえるでしょう。

195 :名無し三等兵:2007/09/13(木) 22:14:50 ID:???
武士が大鎧姿で、元船に斬り込んでる場面が描写されてる竹崎季長絵詞。
絵巻の都合は都合として、実際の襲撃は、胴丸とか腹巻とか、いま少し身軽な武装で行ったんじゃないかって気が。


196 :名無し三等兵:2007/09/14(金) 05:25:32 ID:???
戦争はスポーツじゃねーだろ
武士がどんなに強かろうが、モンゴルの様な遠征軍とか無理
中国上陸しただけで息切れ

197 :名無し三等兵:2007/09/14(金) 06:51:04 ID:???
倭寇がこのあと復讐も兼ねて向こうの沿岸部を荒らしまくるんですけどね。

198 :名無し三等兵:2007/09/14(金) 08:17:40 ID:???
>>194
現実にこの時代の遺構には、藤原氏が築いた阿津賀志山二重掘みたいなものも存在している。
全長約3キロで建設に必要と推定される人夫はのべ20数万人。
全長約3キロの防塁が想定しているのは、当然双方が万を大きく上回る規模の合戦だろ。

199 :名無し三等兵:2007/09/14(金) 08:51:39 ID:dju2KMgX
>>199
となるとこの時代の日本は十字軍とサラディン軍との戦いより遥かに大規模な戦争が何度も行われてるんですね。
でも何で中世のヨーロッパなんてはっきり言って僻地みたいなもんなのにヨーロッパの戦争が世界史の大事件で中心的な出来事のように教わったんだろ。

いずれにせよバトゥがワールシュタットでドイツ・ポーランド諸侯連合を瞬時に壊滅させたようなことは日本では絶対に不可能だったでしょうね。
やはり当時の日本は大国のひとつであり北条政権は数々の矛盾を抱えていたとはいえ元寇の際にはそれを表面化させず一致して当たれた。
日本が内部分裂でもしない限り全土が征服されるなんてありえないことだったと思う。


200 :名無し三等兵:2007/09/14(金) 09:56:43 ID:???
教えて君で申し訳ないんだけど…
日本に近い地域には猛毒を持つサソリっていないよね?
中東辺りで大量に確保してたり、養殖してたりしたの?
だとしても毒矢の大量投入て難しいと思う
一部の部隊しか使ってなかったけど日本軍にはインパクトが大だったから広く伝わったのかな?

201 :名無し三等兵:2007/09/14(金) 10:35:52 ID:???
>>いずれにせよバトゥがワールシュタットでドイツ・ポーランド諸侯連合を瞬時に壊滅させたようなことは
壊滅?
未だに信じてるの、そんな事を?

202 :名無し三等兵:2007/09/14(金) 11:28:31 ID:???
素朴な疑問として山がちな日本の地形でモンゴル騎兵ってどうなのかしら?

203 :名無し三等兵:2007/09/14(金) 11:34:01 ID:???
>>199
ワールシュタットは戦後のドイツ騎士団の名簿から考えて予想よりずっと損害は少なかったんじゃ?

204 :名無し三等兵:2007/09/14(金) 12:08:27 ID:???
>>203
ボヘミア軍への攻撃を諦めた事から考えてモンゴル軍の被害も想像以上だったと言われているはず。

205 :名無し三等兵:2007/09/14(金) 15:44:07 ID:???
>>202
元軍と日本軍が戦ったのはオープンスペース。
騎兵を活用するには絶好の場所。
そして元軍はわずか15%の数の日本軍に完全に粉砕された。
この事から世界最強が鎌倉武士なのは明らか。

206 :名無し三等兵:2007/09/14(金) 16:10:23 ID:???
日本式の兵力表記で○○騎というけれど、あれって随伴歩兵は入れない騎兵の数だよね?

あと、〜絵詞の加筆の話で、有名な3人の蒙古兵のほかの加筆箇所ってどのへんなの?
文永の役の戦闘場面で、妙に鎧の描写が細かい蒙古兵が混じってるけど、
あれはどういう風に評価されてるの?

207 :名無し三等兵:2007/09/14(金) 16:14:45 ID:???
>>182
日本が弘安の役で勝利したモンゴル軍は、マムルーク軍がアイン・ジャールートで勝利した
モンゴル軍の10倍以上の規模。
マムルーク軍の戦いなんて日本のそれとは比較にならないスケールの小さな戦いだよ。

208 :名無し三等兵:2007/09/14(金) 16:40:32 ID:???
>>207
その通り。
当時世界最強のモンゴル軍が動員しうる最大の数を完膚なきまでに叩きのめした日本こそが最強なのは自明の理。

209 :名無し三等兵:2007/09/14(金) 16:42:51 ID:???
このスレにはバカチョンもいるようだね。

当時の日本の軍事力を無理に過大評価させようとしている。

あと「平安時代なら負けていた」とかほざいていたがバカチョンは
平安時代から対馬や九州を度々王の命令で侵略していたが尽く失敗
している。やっぱりチョンと血の穢れた雑種の意見は面白いな。


210 :名無し三等兵:2007/09/14(金) 16:49:46 ID:???
>>209
ほう、ならモンゴルが日本以外で一国に15万の大軍を送った例を見せて貰おうか。
と言うか和弓を散々貶めようとしていたチョンはお前だろ。


211 :209:2007/09/14(金) 16:52:03 ID:???
>>210
オレは和弓を辱めた事など一度も無い。人違いだ。


212 :210:2007/09/14(金) 16:54:26 ID:???
最近のチョンは自分の正体がバレそうになると先に相手の方を在日認定して難を逃れようとする噂は本当だったんだな。
だいたい無理に過大評価って何?
世界最強の元軍を文永の役では三万三千を僅か五千で叩き潰し(しかも平原)、弘安の役では上陸すら許さず殆ど一人も残さず殺した。
元軍にこれだけの損害を与えた国は歴史上日本だけ。
これでなお日本を当時世界最強だと認められない奴こそがチョン。

213 :名無し三等兵:2007/09/14(金) 17:06:01 ID:???
3 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2007/09/09(日) 03:42:33 ID:???
日本は当時世界最強。
論拠は当時世界の大部分を支配していたモンゴル軍を完膚無きまでに叩き潰したから。
日本は世界で唯一重装弓騎兵を使い人間の身長より長い弓を使っていた。
神風によって日本が勝ったと言うのは戦後の歴史家の陰謀。

反論はあるか?

214 :209:2007/09/14(金) 17:09:30 ID:???
>>210
元軍は慣れない船旅の後、博多に上陸した。弘安の役では、家畜なども連れてきていたから
伝染病が蔓延してもおかしくない。栄養も海上だと満足に補給できなかっただろう。さらに
当時は戦闘で死亡する数よりも感染症で死亡する数も方が上だった時代だ。だから、疫病で
消耗するであろう人数を含め多めに配備した。

こういったことも冷静に判断でき無いんだな。

ちなみにウチのご先祖様は弘安の役で戦った。貴様のような馬の骨にチョン呼ばわりされる覚えは無いぞ。


215 :名無し三等兵:2007/09/14(金) 17:19:25 ID:???
大兵力のモンゴル軍に勝利したのは事実なんだから、日本の軍事力の過大評価なんじゃ全くないだろ。
普通に当時の世界で日本は圧倒的な軍事大国。

216 :名無し三等兵:2007/09/14(金) 17:22:53 ID:???
>>214
対馬海峡を超えて戦力投入することなんか、大昔から誰も苦労なんかしていないぞ。
391年に日本から朝鮮半島に渡った軍勢は、新羅・百済を征服。
663年の白村江の戦いでも、日本から2万7千もの大軍が朝鮮半島に渡っているし。
現実に文永の役でも弘安の役でも、普通に万単位の元軍が渡航してるじゃん。
文永の役でも弘安の役でも元軍は揚陸には成功している。
その後の陸戦で負けただけ。
よって船旅は関係ない。
さらに鎌倉幕府は長門や京都でも万単位の兵力を動員しているが、これも元軍が日本海や
瀬戸内海を利用し、大宰府以外の場所を襲撃する可能性を捨て切れなかったから。
お陰で鎌倉幕府はその兵力を九州防衛に集中させることができなかった。
つまり鎌倉武士は日本海のせいで、より厳しい条件で元軍と戦わなければならなかったと
いうこと。



217 :210:2007/09/14(金) 17:27:47 ID:???
つまり日本は不利な状況で6倍以上の敵(しかも世界最強の元軍)と正面から戦いそれを叩き潰したわけだ。
そして弘安の役では事前に海岸線を要塞化し上陸すら許さず、元軍の艦隊は武士から逃げ回ってる内に勝手に嵐に巻き込まれて全滅。
世界最強のモンゴル騎兵も鎌倉武士の前には無力。

218 :名無し三等兵:2007/09/14(金) 17:32:46 ID:???
ここで必死になって日本最強を否定してるのは在日じゃなくて白人様が黄色いジャップ如きに劣ってたと認めたくない肉便器だろ。
日本最強を認めれば必然的に雑魚のモンゴルに滅茶苦茶にやられたロシア、ポーランド、ハンガリーなどはそれ以下のゴミになるし、モンゴルは白人様が何回やっても征服出来なかったサラセン人もあっさりと倒してるからそれも間接的に白人様の弱さを証拠づける。


219 :名無し三等兵:2007/09/14(金) 17:34:25 ID:???
日本最強論はどうでもいいんですが、元軍の上陸経過が気になります。
日本側は水際撃破に成功したと考えていいんでしょうか。

220 :209:2007/09/14(金) 17:40:26 ID:???
あんたら当時の鎌倉武士の努力を否定してないか?

民族性の優位性とかで戦争は決まらない。では、ベトナムはどうだった?
日本以上に侵略を受けているだろ。それも民族性で解決か?
そういった単純な思考だけでなく、当時の状況にあわせて判断しなくては
いけないだろう。

オレは決して日本人を卑下している訳じゃない。しかし、ナショナリズムで
戦争に勝てない事は、第二次大戦で実証済みなのだからもっと科学的に検証
すべきだろう。

221 :210:2007/09/14(金) 17:40:51 ID:???
防塁に阻まれて上陸出来ず、ようやく防塁の無い志賀島に上陸するもあっさりと海を追い落とされる。
その後武士から逃げ回ってる内に江南軍がやっと到着して合流するがすぐに嵐に巻き込まれて壊滅。


222 :名無し三等兵:2007/09/14(金) 17:41:39 ID:???
ベトナムは1257年に僅か3000のモンゴル軍によって首都を占領された国。
文永の役で4万、弘安の役で14万のモンゴル軍を、大宰府に指1本触れさせないまま
撃退した日本より強いなんてことは、ありえない。
ベトナムが攻め込まれる度に首都を占領され、王族を人質に差し出し、朝貢を認めたのに対し、日本は
まったく橋頭堡を築かせないまま撃退し、最後まで完全独立を維持した。
当時、ベトナムより日本の方が強かったのはあきらか。


223 :209:2007/09/14(金) 17:44:26 ID:???
あと>>216
対馬海流の速さを考慮しているのか?増してや当時は人力、運が良くて風が運ぶ。
当時の船旅はかなり苦労するはずだが。


224 :名無し三等兵:2007/09/14(金) 17:50:57 ID:???
>>214
>弘安の役では、家畜など

弘安の役のときは、一種の屯田兵が多かったみたいですね。
特に後発の江南軍10万は。

>ウチのご先祖様は弘安の役で戦った

下手すると余計にチョン扱いされてしまいますよw
艪をこぐの大変でしたねみたいな。

225 :名無し三等兵:2007/09/14(金) 17:52:39 ID:???
>>221
あんた、打通太郎みたいに、鎌倉太郎でも名乗ったほうがいいんじゃないか?

226 :名無し三等兵:2007/09/14(金) 17:52:49 ID:???
>>223
日本から朝鮮半島を攻めた戦いでは、「対馬海流の速さを考慮しているのか?」なんて誰も言わないのにね。
それって、単に負けたことの言い訳だろ。

227 :名無し三等兵:2007/09/14(金) 17:53:59 ID:???
>>226
百済があるうちは現地物資の活用が簡単ですから、
慶長の役かなんかと比べるべきだと思いますけれども。

228 :209:2007/09/14(金) 17:55:48 ID:???
>>226
負けた事の言い訳?何が言いたい?

229 :名無し三等兵:2007/09/14(金) 17:58:54 ID:???
>>227
慶長の役と比較すれば、ほぼ同数の兵力を投入しながら海岸から10キロちょっとの
大宰府にすら到達できなかった元軍の弱さが際立つだけ

230 :名無し三等兵:2007/09/14(金) 18:33:28 ID:???
>>186
為朝の弓は8尺5寸、矢の長さ十五束、8人張りの強弓と言われている。1矢で大鎧を着た武者3人を貫通させた
記録がある。矢継ぎ早に射るのも得意だったとか。まあ、伝説だろうが。

でも、5人張りの弓は伝説の類でなくて、実際にあったらしいです。当時の弓は7尺5寸、矢の長さ十二束が標準
とされたが、古墳などからは全長3mを越える超大型の弓も発掘されている。
サイズで言えば和弓は世界最長でしょう。

>>176さん
実際に置盾を射砕くためのヤジリ?も存在しました。カナジトウとか言う奴です。
平たく言えば、矢の先端に鉄球を付けたような矢です。貫通力よりもストッピング
パワー重視のヤジリです。

231 :名無し三等兵:2007/09/14(金) 19:48:09 ID:???
>>229
李氏朝鮮の軍隊なんて有って無い様な物だから当たり前。

232 :名無し三等兵:2007/09/14(金) 21:41:03 ID:58GXFp5G
北条時宗と河野通有と武藤景資をお札にしよう。


233 :名無し三等兵:2007/09/14(金) 21:54:54 ID:???
南朝鮮は一度も国際紛争に勝ったことがない最弱国

234 :名無し三等兵:2007/09/14(金) 22:18:13 ID:58GXFp5G
>>201
ドイツ・ポーランド諸侯連合は盟主シレジア候が首を取られた。
北条時宗は鎌倉を一歩も動かず。

235 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 00:26:41 ID:???
ワールシュタットって
ドイツ諸侯連合軍は農民も含んだ寄せ集めの4万に対して
モンゴル軍は15万いたらしいんだから
モンゴル軍が勝って当たり前じゃないの?

236 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 00:44:45 ID:???
羊あわせて15万

237 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 04:16:07 ID:???
>>234
それにしても「瞬時に壊滅」したというのは間違いだしモンゴル軍も無視出来ない損害を受けた。
そもそも本拠地を直接侵略されようとしてるんだから盟主も出陣するのがそんなにおかしいか?
仮に元軍が鎌倉付近まで侵攻して北条時宗が鎌倉から動かなかったら変だと思うが。

238 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 07:17:45 ID:+jVGSa2B
敗戦と勝利の間には天地の差。兵の動員能力も強さの証。
>仮に元軍が鎌倉付近まで侵攻して北条時宗が鎌倉から動かなかったら
鎌倉まで侵攻できたらの話でしょ。

ワールシュタットばかり有名だけど、モヒの戦いでもヨーロッパ諸侯軍は大敗くらってるよ。
国王ベーラ4世は国外逃亡。

239 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 07:27:17 ID:+jVGSa2B
WIKIより
>1240年春、バトゥはカルパチア山脈の手前で遠征軍を5つに分け、ポーランド方面と
ワラキア方面、カルパチア正面からトランシルヴァニア経由でハンガリー王国へ侵攻した。
まず西方では右翼のオルダの支軍がポーランド王国(ピャスト朝)に侵攻し、3月には
クラクフを占領。続いてバイダル率いる前衛軍が1241年4月にはワールシュタットの戦い
でポーランド軍を破ってポーランド王ヘンリク2世を処刑した。シレジア、モラヴィア地方
もペタなる人物の侵攻を受けたようだが、これはバイダルのことと考えられている。
カダアン、ブリ率いる軍はカルパティア山間に居住していたサーサーン人(恐らくザクセン人)
を破り、ボチェクの軍は山脈のワラキア人と思われる集団を撃破している。
一方同年3月にはバトゥの本隊はトランシルバニアからハンガリーに侵入し、ベーラ4世に
降伏勧告を行った。やがてモラヴィアからバイダル、カダアンおよびスブタイが合流し、
ペシュト市を陥落させている。ティサ川流域のモヒー平原でハンガリー王ベーラ4世と対峙、
宿将スブタイおよびシバンの前衛部隊が夜半にベーラ4世の幕営を急襲して破り、
ベーラ4世はオーストリア経由でアドリア海へ敗走した。続く1241年はカダアンらによる
トランシルバニア全域の征服や、クマン人、マジャール人などのハンガリー王国の残存勢力
の掃討などが行われた。夏から秋にかけてはバトゥの本隊はドナウ川河畔に幕営したのち、
冬には凍結したドナウ川を渡ってエステルゴム市を包囲攻撃した。


240 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 07:29:35 ID:+jVGSa2B
WIKIより
>しかし1241年12月21日にオゴデイが死去すると、ほどなくバトゥの本陣にもその訃報が届いた。1242年3月に
バトゥはオゴデイの死去にともなう遠征軍全軍の帰還命令を受けると、直ちにエステルゴムを陥落させ、
カダアンにベーラ4世の追撃を命じた。モンゴル軍の一部はウィーン近郊のノイシュタットまで迫ったようだが、
この地域の征服は諦めドナウ流域を経由してキプチャク草原へ撤退したようである。こうしてバトゥ指揮下の
モンゴル帝国西方遠征軍は、ハンガリー支配を放棄して帰国することを余儀なくされた。しかし、バトゥの支配
したカルパチア山脈以東のルースィ諸国を中核とする東欧の領土は、その後のジョチ・ウルスの基盤となったのである。

241 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 07:46:43 ID:AnwPFIW2
209は逃亡した様だな。
日本弱い派の例にもれず反論出来ないとすぐに逃亡したか。

242 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 07:55:46 ID:???
>>241
つーか、日本が勝ったのに弱い、ってのはハナからおかしい話w

243 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 08:07:21 ID:???
>>238
ハンガリーは当時モンゴル軍から逃げてきたクマン人の難民で混乱しており暴動も発生していた。
ヨーロッパ諸侯軍?
どこにヨーロッパの諸侯が?
オーストリア公は戦いの前に帰国している。
他には少数のテンプル騎士位な物だ。
またベーラ四世はハンガリーの諸侯から嫌われ多くの貴族は戦いに参加しておらず、参加していた人間もベーラを臆病者と呼び指揮系統は滅茶苦茶だった。
その状態でもモンゴル軍はバトゥが敗走するハンガリー軍の追撃を躊躇う程の損害を受けている。

244 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 08:08:34 ID:???
>>241
たった一晩しかたってないのに、何を急いでるんだ?

245 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 08:12:58 ID:???
>>241
209氏は鎌倉武士が弱いと言いたいんじゃなくてお前がキチガイだと言いたいんだろ。

246 :210:2007/09/15(土) 08:26:05 ID:???
>>245
俺の言う事には何一つ反論出来ていない癖にキチガイ呼ばわりね。


247 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 08:30:00 ID:???
一般論としてだがオレも既知外には反論できそうにないw

248 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 08:36:29 ID:???
>>231
明軍は?

249 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 09:26:13 ID:???
鎌倉武士(笑)
「やーやー我こそは!」 ビュッ! ビュッ! ビュッ! ぬわああ!    「やーやー我こそは!」 ビュッ! ビュッ! ビュッ! ぬわああ!
    「やーやー我こそは!」 ビュッ! ビュッ! ビュッ! ぬわああ!
      「やーやー我こそは!」 ビュッ! ビュッ! ビュッ! ぬわああ!    「やーやー我こそは!」 ビュッ! ビュッ! ビュッ! ぬわああ!
「やーやー我こそは!」 ビュッ! ビュッ! ビュッ! ぬわああ!  「やーやー我こそは!」 ビュッ! ビュッ! ビュッ! ぬわああ!
ーやー我こそは!」 ビュッ! ビュッ! ビュッ! ぬわああ!

250 :210:2007/09/15(土) 09:34:28 ID:???
>>243
単なる負けた事へのいいわけだな。
戦いは結果が全て。
そして結果は 日本>>モンゴル>>ヨーロッパ。
これは自明の理。
ヨーロッパなんて雑魚中の雑魚。
>>249
病院から脱走したのか?
それともあんまり論破されて発狂したのか?

251 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 09:55:51 ID:S/rvdhHn
いや 負けたのはあくまでも韓国海軍であって‥
モンゴルは乗った船を沈められた単なる被害者です。

教訓:勝ちたければ韓国と味方同士になるな(涙)

252 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 09:58:58 ID:???
ただ「騎射の芸」については、最近の武士論なんかでは
頼朝は熱心に御家人に奨励したけれども、
時頼の時代にはかなり廃れていたと見る論者もおられるね

吾妻鏡のそれらしい箇所を引いてみたが、
時頼が嘆いている記述が何箇所か見られる
(それに引き換え相模太郎時宗は立派、と言う意図があるにせよ、
子供に負けてるようじゃ御家人のレベルはあまり高くなさそう)

253 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 10:08:29 ID:???
韓国海軍?


254 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 10:19:54 ID:???
>>251
実際は江南製の船に乗っていた元軍より、高麗製の船に乗っていた元軍の方が、
生還率が遥かに高い

255 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 10:29:40 ID:???
>>250
その結論が成り立つのは、日本が朝鮮なり大陸なりに逆侵攻して、そこで元軍を破ったような
状況があればこそだな。
現実には自軍に不利なアウェーでの戦闘で勝利していない以上単純に戦闘能力の優劣は比較できんよ。


256 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 10:31:41 ID:???
>>255
ヨーロッパは自軍に有利なホームでもモンゴル軍に散々だったが

257 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 10:38:21 ID:???
>>250
>>256
こいつの脳内じゃ軍隊の強さは戦闘力みたいに数値化出来るんだろうな。

258 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 10:54:39 ID:???
>>257
戦国時代や第二次大戦をテーマに、この手の強さ議論は軍板や歴史板のいたるところで
行なわれているだろ。
あきらかに「日本の方が強い」という結論しかない時だけ、そうやって逃げるんだな。

259 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 11:14:49 ID:???
>>戦国時代や第二次大戦をテーマに、この手の強さ議論は軍板や歴史板のいたるところで
>>行なわれているだろ。
全部不毛な議論だ。
特に大和対アイオワなぞ笑止。
>>あきらかに「日本の方が強い」という結論しかない時だけ、そうやって逃げるんだな。
うん?
どこがどう明らかなんだ?

260 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 11:17:44 ID:???
>>ヨーロッパは自軍に有利なホームでもモンゴル軍に散々だったが
>ワールシュタットは戦後のドイツ騎士団の名簿から考えて予想よりずっと損害は少なかったんじゃ?
>ボヘミア軍への攻撃を諦めた事から考えてモンゴル軍の被害も想像以上だったと言われているはず。
>その状態でもモンゴル軍はバトゥが敗走するハンガリー軍の追撃を躊躇う程の損害を受けている。


261 :259:2007/09/15(土) 11:21:09 ID:???
まさか、「ヨーロッパに勝ったモンゴルは日本に負けたから日本がヨーロッパより強い」なんて理屈を正気で信じてるんじゃないんだろうな?


262 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 11:26:51 ID:???
>>260
損害を受けたはずのモンゴル軍が、ワールシュタットの戦後も一年近くに渡って
東欧を荒らしまわっていたのは一体どういうことだ?

263 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 11:34:45 ID:???
>>261
当然、鎌倉時代の日本はヨーロッパなんぞ話にならないくらい強いだろ。

264 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 11:38:01 ID:???
ワールシュタット:波蘭、独逸側の死傷者は言われているよりずっと少なく、モンゴル軍の損害は想像以上。
モヒ:指揮系統が滅茶苦茶な状態だが前哨戦には勝利し会戦時もバトゥを討ち取りかけ、モンゴル軍は敗走しかけ、追撃を躊躇う程の損害を受ける。
>>262
ハンガリー軍の主戦力が壊滅したから。
ついでにいうとモヒの戦いの後もハンガリーの残存勢力はモンゴル軍をドナウ川で川が冬に凍結するまでの八ヶ月に渡って防いでいおりハンガリーの諸都市の多くはモンゴル軍の包囲を撃退している。


265 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 11:41:02 ID:???
263が中世ヨーロッパの軍事制度について何を知っているのか非常に疑問ではあるが…

266 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 11:44:46 ID:???
>>250
>戦いは結果が全て。
その通りだが、ここでは別に勝ったか負けたかについて話してる訳ではない。
「バトゥがワールシュタットでドイツ・ポーランド諸侯連合を瞬時に壊滅」と言うのが間違いだと言う事だ。

267 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 11:46:11 ID:???
>>264
ワールシュタットは、戦いの規模自体が小さかったと言われているだけ。
だから「独逸側の死傷者は言われているよりずっと少なく」だっただけで、
モンゴル軍は損害なんか受けてないぞ。

268 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 11:48:06 ID:???
>>265
中世ヨーロッパの軍事制度のどこが鎌倉時代の日本より優れていたの?

269 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 11:51:02 ID:???
ボヘミア王ヴァーツラフ1世の軍への攻撃を諦めてる事から考えてある程度の損害を負ったと考えるべきだろう。

270 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 11:56:00 ID:???
>>268
異なる軍事制度どうしの何が優れていて何が劣っているかなんて簡単に決められる物じゃないし数値化出来る物でもないと言うのが理解出来んのか?

で、結局お前は中世ヨーロッパの軍事制度についてどれ程知った上で発言してるんだ?

271 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 11:59:31 ID:???
>>270
モンゴル軍が攻め込んだ時、まったく機能しなかった軍事制度だったってことを知ってるよ

272 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 12:00:37 ID:???
J.F. Verbruggen, The Art of Warfare in Western Europe During the Middle Ages: From the Eighth Century to 1340
http://www.amazon.com/Warfare-Western-Europe-During-Middle/dp/0851156304

P. Contamine, War in the Middle Ages
http://www.amazon.com/War-Middle-Ages-Philippe-Contamine/dp/0631144692

M. Prestwich, Armies and Warfare in the Middle Ages: The English Experience
http://www.amazon.com/Armies-Warfare-Middle-Ages-Experience/dp/0300076630

K. DeVries, Infantry Warfare in the Early Fourteenth Century: Discipline, Tactics, and Technology
http://www.amazon.com/Infantry-Warfare-Early-Fourteenth-Century/dp/0851155715

K. Fowler, Medieval Mercenaries: The Great Companies
http://www.amazon.com/Medieval-Mercenaries-Companies-Kenneth-Fowler/dp/0631158863

これ位の入門書は読んだ上で日本最強だと主張してるんだよなあ?
最低でもPrestwichくらいは読んでるんだろ?
まさか何も読まずに適当なイメージだけで語ってるなんて事は…

273 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 12:04:19 ID:???
>>まさか何も読まずに適当なイメージだけで語ってるなんて事は…
いや、どう見てもそうだろ。

274 :210:2007/09/15(土) 12:07:39 ID:???
>>272
そんな物はどうでも良い。
肝心な事実は白人様がモンゴルに叩き潰されモンゴルは鎌倉武士に叩き潰されたと言う事だけだ。

275 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 12:15:36 ID:???
>>274
ポルトガルの黒船を焼き討ちにした日本水軍を打ち破った亀甲船は世界最強艦隊でっか?w

276 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 12:20:57 ID:???
>>275
朝鮮水軍は漆川梁海戦で日本水軍に全滅されられてるじゃん。。。

277 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 12:22:25 ID:WvDg8gCr
パンパンパン
さぁ話題を元に戻そうw
文永・弘安そのものの話しようぜ。。。

278 :210:2007/09/15(土) 12:24:10 ID:???
とうとう尻尾を出したな、チョン。
亀甲船なんて確かな資料が全くなく、そのためチョンの妄想し放題。
実際の亀甲船は木造船の一種で衝角が張り出した手漕ぎの突撃艇似すぎないんだよ。

279 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 12:29:35 ID:???
>亀甲船なんて確かな資料が全くなく
>実際の亀甲船
お前馬鹿だろ。

280 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 12:29:42 ID:???
>>278
へぇーw
日本水軍は制海権確保できたのかよヤプーw

281 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 12:31:22 ID:???
鎌倉幕府は元だか朝鮮への上陸作戦を考えてなかったっけ?


282 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 12:32:10 ID:???
>>278
nipに質問

結局 大日本帝国海軍を2分割した余力で軽々壊滅させた合衆国海軍最強かい?

で数百年前の昔話でオナニーですかHAHAHA!

283 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 12:32:27 ID:???
>>272のどれにモンゴル軍が攻め込んだ当時の東欧の軍事制度が書いてあるの?

284 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 12:35:35 ID:???
>>280
対馬海峡の制海権が脅かされたことは無い。
更に朝鮮半島南部の制海権も戦争の進行とともに広がる一方。

285 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 12:39:53 ID:???
東欧も西欧もシステムの基本に大きな違いは無い。
軍装だって似通ってる物だし特にハンガリーはこの頃になると西ヨーロッパの影響をかなり受けている。


286 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 12:43:30 ID:???
というイメージで語っていたわけね

287 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 12:43:57 ID:???
>>248
明軍が登場したのは日本軍が平壌に到着した後だぞ。

288 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 12:45:29 ID:???
>>284
おお ではなぜ負けちゃったんですけ?

289 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 12:46:37 ID:???
>>288
秀吉が死んだからだよ。
明史にそう書いてある。

290 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 12:46:44 ID:???
>>283
「K. DeVries, Infantry Warfare in the Early Fourteenth Century: Discipline, Tactics, and Technology」
じゃないかな。ぐぐった限りでは。

291 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 12:47:23 ID:???
>>288
鎌倉太郎以下だぞお前。

292 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 12:48:36 ID:???
>>210
チョンは無視しろよ。時間の無駄だ。

293 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 12:52:22 ID:???
なぜ元寇が日本史の教科書に数行しか書かれていないんだ!

294 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 12:54:09 ID:???
>>293
GHQと在日勢力の陰謀です。

295 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 13:00:17 ID:???
せめて1ページにでも元寇を書いて欲しかったね。
やっぱり、チョンの陰謀だな。
NHKの「そのとき歴史が動いた」で元寇があったが、
当時の朝鮮が元の勢力圏外になっていた(笑)

296 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 14:32:06 ID:xngHa505
元冠はあれだしな。
高麗が反乱鎮圧をモンゴル軍に任せてたことから南宋経由で日本にいかれると困るので無理矢理朝鮮経由になったし。
モンゴル軍にまた来てほしくて三回目の元冠を頼んだら断られてるし。
だったら最初から日本に反乱鎮圧頼んどけばよかったんじゃね?

297 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 14:35:21 ID:???
>>294
チョンの陰謀はむしろ刀伊の来寇とか応永の外寇だろ
高校の教科書にすら一言しか書いてない

298 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 16:03:24 ID:???
そういえば、新しい歴史教科書の場合は元寇や、刀伊の外寇等の
チョンの侵略行為についてどう書いてるんだ?


299 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 17:28:43 ID:???
>>298
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%80%E4%BC%8A%E3%81%AE%E8%B3%8A
?

300 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 19:26:59 ID:???
朝鮮人は昔からキチガイなので味方にした時点で終わってた。


『高麗史節要』巻十九、二十五に撤退決定の軍議の様子がある。

元軍司令官「蒙人は戦に慣れてるがこれ以上は何も得られない」
内心「もう、付き合ってられねーよ。カエロ」

高麗軍将軍「我が兵少なしといえども既に敵地に入っている。船を焼き背水の陣でまた決戦したい」
内心「全滅してもかまわないニダ!、突撃ニダー(火病)!!!、ちょっと今から自分の船を焼いてくるニダ!」

元軍司令官「疲れた少ない兵では大軍の餌にしかならない。撤退するしかない」
内心「マジ、朝鮮人ってキチガイだよなぁ、つーか、死にたきゃお前らだけ残って死ね!犬の餌になって死ね!」

301 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 21:20:07 ID:???
朝鮮すら征服出来なかった日本が最強とかありえない
海を隔てて守る分には強いが遠征能力ないよ

302 :名無し三等兵:2007/09/15(土) 23:13:25 ID:???
少なくとも最弱は万年奴隷の朝鮮で決定は桶?

モンゴル制圧から逃げる旧高麗軍の日本への救援を黙殺して見殺しにしてすまんのう。
その後、すっかり傀儡政権が高麗にできたわけだが、奴隷根性が身に付きすぎwww。


303 :名無し三等兵:2007/09/16(日) 06:02:10 ID:???
>>302
三別抄についての時系列がおかしい。
三別抄が日本に救援を要請してきた10年以上前の1260年には、既に高麗にモンゴルの
傀儡政権が誕生している。

あと、日本に救援を要請する半年前の1271年5月に三別抄はモンゴル軍に大敗し、本拠地の
珍島は陥落、兵船1000隻と言われた戦力もわずか80隻にまで弱体化している。
つまり、1271年9月に日本に使者を送ってきた時点で、三別抄は既に軍事的には何も期待
できない状態だったわけ。

それに三別抄って実は日本だけでなくモンゴルに対しても「自分たちの朝鮮南部の支配を
認めてくれたらモンゴルに直接臣従する」とか要請していたんだよ。
こんな信用できない連中を抱えてモンゴルと戦うくらいなら、日本単独で戦った方がマシ。

304 :名無し三等兵:2007/09/16(日) 06:12:31 ID:???
>>272
すみません、読みたいのですがアメリカのアマゾンの本って、
代引きは効かないんですか?どうやって払ったらいいんでしょう
誰か教えて下さい

305 :名無し三等兵:2007/09/16(日) 07:42:27 ID:???
大国対超大国の戦いだったのか

306 :名無し三等兵:2007/09/16(日) 09:04:07 ID:???
普通にカード払いでいいんじゃないの?

307 :名無し三等兵:2007/09/16(日) 10:48:40 ID:???
>>304
洋書読むつもりなら英語の説明書きくらい読めよ。
どうしてもわかんなかったらメールで問い合わせすればいいだろ。

308 :名無し三等兵:2007/09/16(日) 23:41:20 ID:???
>>304
Amzon.co.jpでおなじ書名入れれば普通に買えるよ。
もちろん代引きも可

309 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 07:43:27 ID:???
>>301
モンゴルとの戦いでは朝鮮>>>>東欧

310 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 08:38:05 ID:???
ロシア以外の東欧は、曲りなりにもモンゴルに征服されて
無いのだから、それは、無いでしょう。

311 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 09:12:42 ID:???
バトゥの遠征以後は、ウクライナとモルダヴィア、ワラキアあたりまでがタタール人の直接支配下になり
ルーシ諸侯国とブルガリア帝国、ビザンツ帝国がタタールに貢納をおさめ
ポーランドとハンガリーはタタールの傘下にならずときどき戦っていた。

何がどう作用してそういう風に分かれたのかはわからない。

312 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 11:36:28 ID:???
>>309
バカチョンって本当に面白いな。受けるわ、マジで。

313 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 13:12:04 ID:???
まあ、朝鮮は地の利を生かして長期抵抗したから、
東欧は死ぬ気で対抗した感じはない。すぐに妥協して政治的傘下に収まった。

314 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 16:00:14 ID:lXQj5iPT
だけど高麗の忠烈王、モンゴルから従軍処女500人差し出せとの命令に
婚姻禁止令まで出して本当に処女500人献上した。
番犬ぶりで高麗に勝るものなし。

315 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 16:55:02 ID:???
元に媚びたのも忠烈だったな。正にバカチョンの鑑だ(笑)

316 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 17:05:11 ID:???
>>314
>>315
よく解らんのだが、他にどんな選択肢を取ればよかったんだ?

317 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 17:32:49 ID:???
農耕に適した入植地として日本は期待されてたんだろうか?

318 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 17:40:49 ID:???
>>317
当時の中国人の認識だと元寇の目的は「日本の富」だったらしいぞ。
日本は南宋に莫大な黄金を輸出していたからね。
元自身も弘安の役の前に日本の商船と金と銅銭の取引をやっているし。

319 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 18:28:54 ID:???
>>316
今の日本に対するような態度を取れは良かった

320 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 18:55:55 ID:???
謝罪と賠償を(r

321 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 19:05:25 ID:???
>>319
地続きで、軍事力に圧倒的な差が有り属国状態で忠烈王自身が元から多大な援助を受けてるのに?
その状態で元の命令に背くってどれだけのアホなんだ?
仮に献上の命令に逆らって反乱を起こしていたとしてもすぐに鎮圧されて別の人間が元に王位につけられるだけだし、
314−315みたいな手合いは「勝つ見込みも無いのにチョンは火病をおこしてあっさりと鎮圧されましたwwww」とか言い出すのは明らかだろ。


322 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 19:22:09 ID:lXQj5iPT
>>321
三別抄のような卑劣な二枚舌ではなく真に国内を統一し、その上で
日本に対し誠心誠意同盟を申し込めばよい。
自分たち王室が贅沢するのをやめてその分軍事力の強化に努めれば良いのだ。

そういう誠実さがあればモンゴルの番犬になることもなければ日韓併合もなかった。

それにしても、三別抄の信用ならない嘘つきぶり、忠烈王の番犬ぶりを思うに明治日本の脱亜論は
全くもって正しかった。
清や李氏朝鮮と同盟して欧米列強に当たるなどという愚劣なことをしてたら日本は共倒れになっていただろう。
日本のように自らの力で近代化なんて出来る能力全くない馬鹿国ども。
そして戦後の日本が長く韓国、中国と国交がなかったが、復興し高度経済成長を遂げたことを思うと
元寇の教訓は今に生きている。アジアに深入りするな。



323 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 19:36:26 ID:???
議論が斜め上の方向に向けて突進しているように思いま〜す

324 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 19:42:16 ID:???
しかし、元寇で沈没した船の残骸が未だに海底に眠っていたのには驚いた。

325 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 19:43:50 ID:???
>>322
こう言う「なんでも自分の予想通りにうまく行く筈だ」と何の根拠も策も無く言う精神から考えるに、お前在日だろ。


326 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 19:51:27 ID:???
>真に国内を統一し、
どうやって?
具体的には?
>日本に対し誠心誠意同盟を申し込めばよい。
どうやって?
大した交流も無く援助も大して期待出来ない日本になんでわざわざ元に逆らって同盟を組む必要があんの?
高麗王家にとって何のメリットがあんの?
>その分軍事力の強化に努めれば良いのだ。
どうやって?
具体的には?

327 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 20:01:51 ID:???
>>325
>>326
お前らみたいな利益さえあれば国や民族の誇りなんてどうでも良いって言うバカのおかげで今の日本は滅茶苦茶なんだよ。
死んで責任を取れ。


328 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 20:05:10 ID:???
おいおい、今の日本が滅茶苦茶だったら現在に滅茶苦茶じゃない国なんて存在しないぞ。

329 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 20:13:34 ID:lXQj5iPT
>>326
所詮朝鮮なんて根っからの番犬ってことだよ。
日本のすぐ隣の国にはこんな番犬ばかりが住んでいるということは日本人として自覚すべき。

330 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 20:19:18 ID:???
>>314
つまり特殊慰安施設協会なんてシロモノを作った我が国も朝鮮と同等ということだな。
どうするべえ

331 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 21:04:28 ID:???
>>328
在日勢力に教育とメディアをコントロールされ、政治もシナとアメ公の言いなりのこの国のどこが滅茶苦茶じゃないんだ。
こうなったのも金さえあればそれで良いと言うこいつらの様な売国奴どものせいだ。

332 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 21:07:06 ID:lXQj5iPT
>>321
仮に献上の命令に逆らって反乱を起こしていたとしてもすぐに鎮圧されて別の人間が元に王位につけられるだけだし、
314−315みたいな手合いは「勝つ見込みも無いのにチョンは火病をおこしてあっさりと鎮圧されましたwwww」とか言い出すのは明らかだろ。

そんなことは決してない。もしそんな命令に逆らって勇敢にも反乱を起こせば武家政権である鎌倉幕府は高麗人に尊敬の念を持ち、
いずれ降りかかってくる日本への防衛のため固い同盟関係を築いたはずだ。
いや、むしろ高麗にそのような高邁な精神が無かったからこそ鎌倉幕府も三別抄などというゴロツキからの援助を拒否したのであろう。




333 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 21:09:30 ID:???
渡海作戦ということを考慮しろよ、、

334 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 21:24:53 ID:/+fTg5+H
>>158
お前は弓道くらい知ってるだろう。
矢の長さは 片腕の長さ+半身の長さ+α だろ。

335 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 21:59:07 ID:???
>>331
よし分かった、日本が滅茶苦茶な国だと仮定しよう。
滅茶苦茶じゃない国ってどこだ?

336 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 22:00:22 ID:???
>>335
台湾とトルコ。

337 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 22:02:58 ID:???
受けるwwwwwwwwwwwwwwww

338 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 22:08:02 ID:???
>>336
ネタ確定。

339 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 22:11:24 ID:???
元寇ってチョンの忠烈が元をそそのかして起こしたんだろ。

340 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 22:13:03 ID:???
元の様な超大国を動かす事が出来るほどの事がチョン如きに出来るかよw

341 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 22:14:32 ID:???
>>332
お前チョンだろ。だれがバカチョンに感謝するか。虐殺された対馬・壱岐・博多
の人々に謝罪しろ。クズどもが。
バカチョンが虐殺されれば良かったんだよ。

342 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 22:17:02 ID:???
 さ あ 、 い よ い よ 盛 り 上 が っ て ま い り ま し た

343 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 22:22:16 ID:???
>>336
よし分かった、この現代に滅茶苦茶じゃない国がその2つだけだったと仮定しよう。
つまり滅茶苦茶な国が大多数でそれが普通であり日本もごく当たり前の状態にあるに過ぎん。
なにも問題はない。

344 :名無し三等兵:2007/09/17(月) 22:49:41 ID:???
バカチョンは幾度となく日本に侵略を行ってきた。
日本は利子が貯まりに貯まってるな。

345 :名無し三等兵:2007/09/18(火) 00:41:11 ID:???
なるほど、ここが噂の隔離スレですね。

346 :名無し三等兵:2007/09/18(火) 04:56:41 ID:MDpdF7r2
被害担当艦浮上ニダ

347 :名無し三等兵:2007/09/18(火) 08:39:06 ID:???
>>340
せっかく元の属国になったのに侵略戦争にも参加できず、新たな領土も獲得できない
なんてことになったら、帝国の威信が失墜しちゃうよ

348 :名無し三等兵:2007/09/18(火) 09:29:23 ID:???
李朝の扱いで大明国の威信が失墜したなんて聞かないから、元が高麗をどう扱おうが問題ない

349 :名無し三等兵:2007/09/18(火) 09:45:19 ID:???
でも高麗ってフビライにとっては即位の年に属国になった記念すべき国だよ。
フビライの娘も嫁いでるわけだし。

350 :名無し三等兵:2007/09/18(火) 10:05:04 ID:???
李氏朝鮮は、国号を明に選んでもらうほど服従していたから
強いてなにかする必要もなかったんじゃ?
高麗からすれば日本を占領すればおこぼれが貰えて、元軍駐留の負担も減るとかの思惑があったんじゃないかね
高麗系の戦意が旺盛で本国系の武将のほうが消極的だった背景はあると思う

351 :名無し三等兵:2007/09/19(水) 13:19:42 ID:???
はかたのまちがーやかれているー

352 :名無し三等兵:2007/09/19(水) 16:53:44 ID:???
兵4万、兵船900艘を投入し、1万以上の戦死者を出しながら、戦果は海岸沿いの漁村を焼き討ちにしただけ・・・
倭寇なら30艘程度で達成可能な戦果だな。

353 :名無し三等兵:2007/09/19(水) 16:58:18 ID:???
倭寇は殆どがチョンとチャンですが?

354 :名無し三等兵:2007/09/19(水) 17:08:51 ID:???
それ後期倭寇

355 :名無し三等兵:2007/09/19(水) 17:30:38 ID:???
前期も日本人は精々三割くらいだろ。

356 :名無し三等兵:2007/09/19(水) 17:41:45 ID:???
>>355
前期はほとんどが日本人だよ

357 :名無し三等兵:2007/09/19(水) 18:03:06 ID:???
倭寇は元寇の報復措置。よって倭寇は無罪
…と言うよりもっとチョンを減らせよ倭寇。

358 :名無し三等兵:2007/09/19(水) 18:16:09 ID:???
減らすどころか増やしてる。後期は知らんが前期は倭寇が朝鮮・シナ人を
連れてきて家持たせて嫁をあてがったりしてるから。

359 :名無し三等兵:2007/09/19(水) 18:32:25 ID:???
>>357
こちらへどうぞ。
http://tmp6.2ch.net/test/read.cgi/kova/1186307529/l50


360 :名無し三等兵:2007/09/19(水) 21:44:52 ID:???
>>3
>論拠は当時世界の大部分を支配していたモンゴル軍を完膚無きまでに叩き潰したから。

うそこけ!元の国力見れば完膚無きまでとか叩き潰したとかいえねだろ
百歩譲って鎌倉武士は台風の中で追撃したのか?、そんなのありえないから


361 :名無し三等兵:2007/09/20(木) 03:00:28 ID:???
>>360
台風の後も10万以上の元軍がまだ日本付近に留まっていたんだよ。
でも、この元軍10余万は日本軍の追撃で全滅し、2〜3万が捕虜となり、その他は皆殺しにされた。
「モンゴル軍を完膚無きまでに叩き潰した」という表現で何の問題もないよ。

362 :名無し三等兵:2007/09/20(木) 05:52:01 ID:guOX4WNz
なんて海戦?

363 :名無し三等兵:2007/09/20(木) 07:37:15 ID:???
なんて優しいんだ。倭寇は。

364 :名無し三等兵:2007/09/20(木) 08:28:20 ID:???
>>362
御厨の海上合戦

365 :名無し三等兵:2007/09/20(木) 10:55:18 ID:???
>>361
台風で艦隊が滅茶苦茶になった後各個撃破しただけでしょ。

366 :名無し三等兵:2007/09/20(木) 12:19:57 ID:???
>>200に答えようかと思って、ご時勢を考えて止めておく

毒関連は良い場合と悪い場合がある

367 :名無し三等兵:2007/09/20(木) 15:53:36 ID:???
倭寇はまったりしてるぞw、中国人なんかお持ち帰りされてもなんか馴染んでるしw

368 :名無し三等兵:2007/09/20(木) 16:49:08 ID:???
倭寇三百騎が、朝鮮の軍隊を蹴散らして短期間だけど都市を占領したこともあったな
これも偽倭か?

369 :名無し三等兵:2007/09/20(木) 16:53:50 ID:???
和光のトンカツ旨いなあ

370 :名無し三等兵:2007/09/20(木) 20:22:18 ID:???
つまりバイキング最強ってことですね

371 :名無し三等兵:2007/09/20(木) 20:40:51 ID:???
いや食い過ぎるとメタボが怖いし

372 :名無し三等兵:2007/09/20(木) 20:57:51 ID:???
バイキングみたいに川さかのぼって南京城門まで行ってるからな。
でもメインは絹を黄金で買う貿易だったみたいよ。日本が4倍の値で金を売り
絹を現地価格の1/20で買っていくという超不権衡貿易。でも断ればたちまち
倭寇になって暴れ出す。仕方なく明は足利義満に頼んで貿易船は公認の
勘合印章を持ってなきゃ駄目ということにしたが勘合印章を司っていた
大内氏が実は倭寇の大本締だったというオチ。

373 :名無し三等兵:2007/09/21(金) 10:13:59 ID:???
ひでぇ。
何なんだよ、トンでもキャラ大行進やんか当時の日本って。ビックリハウスか?

374 :名無し三等兵:2007/09/21(金) 11:15:54 ID:???
倭寇商法とでも名づけようw

375 :名無し三等兵:2007/09/21(金) 12:44:58 ID:???
貨幣経済になって破産して山賊になった武士が捕まり放逐されたのが九州。
倭寇は日本中から集まった悪人をひとかどの武将が指揮するイカス軍団なのだ。
上海なんか倭寇が揚子江をさかのぼるのを防ぐために小さな漁村に防壁を
築いて要塞化したのが始まりなのですよ。

376 :名無し三等兵:2007/09/21(金) 15:06:54 ID:???
倭寇が発展して大航海時代につなげれば白人にでかい顔されずにすんだものを・・・
まあ日本は自給自足が成り立ってたからなぁ

377 :名無し三等兵:2007/09/21(金) 15:20:19 ID:???
倭寇って日本人は三割だけでしょ。
普通に考えて倭寇みたいな海賊行為は大陸の発想であって日本人がする事じゃない。

378 :名無し三等兵:2007/09/21(金) 15:59:23 ID:???
>>377
それは後期倭寇の話。
前期倭寇はほとんどが日本人だよ。

379 :名無し三等兵:2007/09/21(金) 17:24:46 ID:???
>376、ヒッキーだからね、日本は。明治維新は高校デビューってとこでしょ

380 :名無し三等兵:2007/09/21(金) 18:04:36 ID:???
水軍衆に栄光あれ!

381 :名無し三等兵:2007/09/21(金) 20:11:54 ID:???
>>378
白丁が倭寇を名乗って暴れてたのが実態だとか朝鮮の役人が認めてるけど

382 :名無し三等兵:2007/09/21(金) 20:43:06 ID:???
だからそれは後期だっつーの。

383 :名無し三等兵:2007/09/21(金) 20:47:01 ID:???
「倭人不過一二而本国之民仮著倭服成党作乱」ってやつでしょ。最初の倭寇から
200年ぐらい経ってからの話だよ。倭寇自体は400年近く続いてるから中期あたりか。
もうその頃の真倭は中国がターゲットなんだよな

384 :名無し三等兵:2007/09/22(土) 15:01:58 ID:nvxYdpBY
なぜこんなにも通説と違うのか

385 :名無し三等兵:2007/09/23(日) 20:14:16 ID:???
>>384
GHQの意向

386 :名無し三等兵:2007/09/24(月) 02:19:29 ID:???
実際、元寇だけじゃなく他にも数多くのトンデモ説が終戦後のどさくさに紛れて採用され、
批判がタブー視されたまま、不良債権化してるだろうな・・・

387 :名無し三等兵:2007/09/24(月) 05:15:00 ID:???
全部GHQの陰謀です。

388 :名無し三等兵:2007/09/24(月) 05:44:23 ID:???
いん‐ぼう【陰謀/隠謀】
1 ひそかにたくらむ悪事。また、そのたくらみ。「―を企てる」「―に加担する」

終戦後、公然と行なわれたGHQの歴史教育への介入を「陰謀」と呼ぶのは正確な言葉の
使い方ではないな

389 :名無し三等兵:2007/09/24(月) 05:53:05 ID:???
じゃあ全部GHQの策謀です。

390 :名無し三等兵:2007/09/24(月) 06:25:16 ID:???
現実に終戦後半世紀以上が経過しても、「戦後レジームからの脱却」なんて発言した途端
マスコミなどから袋叩きに遭うからな。
特に歴史問題ではね。
例えそれがどんなにデタラメでも、誰も訂正しようとしないのさ。

391 :名無し三等兵:2007/09/24(月) 09:33:06 ID:???
>>386
>>390
具体的には?

392 :名無し三等兵:2007/09/24(月) 09:42:39 ID:???
>>終戦後、公然と行なわれたGHQの歴史教育への介入を「陰謀」と呼ぶのは正確な言葉の
>>使い方ではないな
皇室賛歌の為のトンデモ説が普通に教えられてたんだから介入するのは当たり前の話。
それとも日本人がずっと「日本は万世一系の天皇が中心の神の国だ」と言う認識を持ったままで良いと言いたいのか?
そもそも元寇関連の記述をGHQの支持によって変えたと言う証拠は何も無い。

393 :名無し三等兵:2007/09/24(月) 10:25:02 ID:???
>>392
 では、この平家物語はGHQによる「教育の民主化」によってどうなったのでしょう
か。
 答えは、「全文が墨で塗られた」です。
 先の答えも同様です。高松城の明渡しの場面全てが隅で塗られました。
・・・
 なぜ、平家物語も高松城の明渡しも全て墨で塗りつぶされなければならなかったか。
答えは、「武士が軍人だから」です。
 その理念が正しいかどうかは別にして、連合国が日本に日本国憲法を押し付けたのは、
日本を武装解除し長期的に(できれば未来永劫)弱小国の地位によどめておくためです。
 教育改革も目的は同様です。戦後教育に謳われた平等も平和も民主主義も素晴らしい
理念ですが、それらが日本を強国に育てるものであっては困るのです。秀吉の全国統一
によって平和がもたらせれた側面があろうと、源平の合戦に平家独裁を打ち破る側面が
あろうと、「軍人である武士」が主人公の物語はすべて学校教育にふさわしくない。こ
れが、墨を塗った側の発想でした。
 付言するなら、武士を単なる軍人と捉えるのは日本史に対する理解が浅薄な証拠です。
我が国の貴族と武士の関係は、西洋はもちろん、中国や韓国の文官と武官の関係ともま
ったく異なります。武士は有事には軍人ですが平時は文官でもあります。さらには、有
事には軍人となるが平時には文官ですらない武士(いわゆる無役の状態です)もいます。
 でも、そんなことはお構いなしでした。とにかく武士が登場する物語は、ことごとく
墨を塗られ教科書から姿を消したのです。

「戦後教育で失われたもの」森口郎・著

394 :名無し三等兵:2007/09/24(月) 10:58:49 ID:???
 ちなみに歴史タームとして「文永の役」が教科書に登場するのは、明治末年の第二期
『尋常小学日本歴史』からであった。一回目のモンゴルの襲来については、ことさらに歴
史名辞でよぶことはしていなかったようだ。
 さらにいえば、われわれの“常識”となっている文永・弘安両役がいずれも大風すなわ
ち神風との遭遇によるとの記述は、戦後の『くにのあゆみ』(第七期国定教科書)において
はじめて登場する。その意味で二度にわたるモンゴルの襲来とその撃退に、ともに大風が作
用したとの記述が教科書レベルで常識となったのは、戦後のことだった。

「神風」と文永の役

 それではその意味をどのような回路で理解したらよいのか。予想される回答としては、
明治末年の国定教科書での文永の役が、かりに大風とワンセットで表記されたとすれば、
そこに時代の息吹を感ずるはずだ。
 民族意識の高揚と神国観念の強調という場面である。そのことが、弘安の役はおろか、
文永の役でもまた大風が吹きあれ、モンゴル軍の退散に寄与したのだ、と。このことを介
し、「神風」「神国」観の醸成に役立ったに相違ない、と。このように連想するだろう。
 だがしかし、実際はそうではない。「文永の役」の登場と大風=台風が結びつく記述は、
『くにのあゆみ』以降の常識だった。この最後の国定教科書では、戦前・戦中の反動的な
色彩は消えており、「神風」「神国」そして「神兵」の記述もない。ないなかで「大風」が
二度にわたり吹きあれ、それが勝利に結果したとの記述をどう解すべきか。

「神風の武士像 蒙古合戦の真実」関幸彦・著

395 :名無し三等兵:2007/09/24(月) 13:44:21 ID:s27fYK40
日本の武士が自力で侵略を防ぎ、台風が大打撃になったのはその結果の一つ
しかし自衛力より外の力、台風(=外からきたアメリカ軍)のほうが役にたったというすり込みのため、真実は隠された


……無理矢理陰謀論化するとこんな感じ?

396 :名無し三等兵:2007/09/24(月) 14:09:39 ID:???
実際はすでに鎌倉幕府は魚形水雷(魚雷)を完成しており、元軍の船は台風
ではなく魚雷で沈められたことがわかっています。兵器開発って大切ですね。

って感じかな。

397 :名無し三等兵:2007/09/24(月) 14:17:04 ID:???
例えば戦前の昭和天皇の歴史教科書に書かれていた文永の役はこんな感じだった。

国史 昭和天皇の歴史教科書 口語訳
「元はついに武力でわが国を屈服させようと、後宇多天皇即位の年に、高麗の兵を合わせ、
数百艘の船をつらねて、朝鮮海峡を渡り、まず対馬、壱岐をおかし、さらに博多地方に迫り
ました。九州の豪族たちが奮戦してこれを防いだので、元軍は深く侵入できずに退却しました。
文永末年のことでしたので、これを文永の役といいます。」

ちゃんと武士が自力で侵略を防いだことになってるじゃん。

398 :名無し三等兵:2007/09/24(月) 21:49:44 ID:???
まぁ2000年独立を保っているわけだからどれだけ海の壁が大きいかだな
隣の半島国家なんか独立している時期がほとんど無い。
結果、ヒガミ根性丸出し、糞民度の民族になってしまうわけだから独立は大事。

399 :名無し三等兵:2007/09/24(月) 22:02:51 ID:???
日本の歴史教科書は、欧米・欧州に比べてページ数が圧倒的に少ない。
もっとページ数を増やせよ。文科省!

400 :名無し三等兵:2007/09/24(月) 22:08:02 ID:???
イギリスも日本同様に海の壁に守られているが、何度も大陸に征服されているぞ。
ローマ帝国に征服され、遠く北海を隔てたデンマークにも征服され、フランスの地方豪族に
過ぎないノルマンディーにまで征服されている。
大陸と交流を持ちながら独立を保った日本は、島国としては例外的な存在。

401 :名無し三等兵:2007/09/24(月) 22:13:03 ID:???
そのへんは統一国家のあるなしも大きいのではないかと

402 :名無し三等兵:2007/09/24(月) 22:13:53 ID:???
向こうは泳いで渡れる海峡だもんw

プサンと博多の間泳いで見やがれ

403 :名無し三等兵:2007/09/24(月) 22:16:14 ID:???
>>402
デンマークからイギリスまで泳ぐのは大変だよ

404 :名無し三等兵:2007/09/24(月) 22:18:38 ID:???
ヨーロッパ人の方が泳ぎがうまかったんだな

405 :名無し三等兵:2007/09/24(月) 22:40:36 ID:???
で、鎌倉日本が世界最強だったということで結論は良いんだな。皆の衆
モンゴルよりも強かったし、当然イスラムもヨーロッパも鎧袖一触だと。

406 :名無し三等兵:2007/09/24(月) 22:46:24 ID:???
>鎌倉日本が世界最強

だから船舶による補給の限界とか一斉上陸(というか戦力投入)
の限界量、限界速度を考えろとあれほど

407 :名無し三等兵:2007/09/24(月) 22:48:31 ID:???
補給は船舶使った方が有利だろ

408 :名無し三等兵:2007/09/24(月) 22:53:15 ID:???
このスレ内で、途中で日本の弓の威力が凄いという話が出かけていた

しかし、為朝の剛弓ならともかく
日本の弓全体で見ると射程は100m未満だったと言うのだが

・・・しかし、モンゴルの矢が射程200m、と書いた書籍を見たことがある
イングランド長弓が150mである事を考えるとちと疑わしいなw

ただ、広背筋を上手に使った時に肩関節を固定するパワーは恐ろしく強い
短いが強い弓(アーチェリーみたいな)のを使ったら、射程だけは
伸ばせるのか?
自分も55kgのブルワーカーを片腕の引きで壁に押し当てて完全に潰せるが

アーチェリーの射程最長記録が1400mと聞いた事がある

409 :名無し三等兵:2007/09/24(月) 22:55:36 ID:???
当時の低速で行き先も安定しない船でかw
内海ならともかく玄界灘をw

実際、2回目では応援部隊到着の数日後に台風が来てしまった

410 :名無し三等兵:2007/09/24(月) 23:00:14 ID:???
1回目は、高麗人主体の軍で
残虐さは本家モンゴル軍と同様だったが
ビビリというか慎重というか

晩秋のやや強い風雨で撤退した
陸上で鎌倉幕府軍が苦戦したというものの
結局は、小手調べという事で終わったのだ

(それまでの犠牲者数も意外に多く、この兵力では落とせないと判断したからだというが)

弘安では、確かに一番風の無い季節に来た
しかし5月の九州北部は暑く、得意のボルツが腐って食中毒で死んでしまった

411 :名無し三等兵:2007/09/24(月) 23:03:00 ID:???
しかし

鎌倉の幕末の楠木正成までの日本の全てのいくさが
やあやあ我こそが だったように思えないんだがなあw

義経なんかは全て無視だなw
鎌倉初期の和田の乱だって一騎打ちなんぞやってない

ただ、一応名乗りを上げるときもあった、位で無いのか?

412 :名無し三等兵:2007/09/24(月) 23:04:16 ID:???
>>409
応援部隊は6月18日に出港して7日後に到着だから、台風遭遇の一ヶ月以上前には日本に来ていたよ。

413 :名無し三等兵:2007/09/24(月) 23:07:41 ID:???
>>411
もちろん元寇の時だって、「やあやあ我こそが・・・」なんてやっていない
そんなことを書いた信頼できる文献も存在しないし

414 :名無し三等兵:2007/09/24(月) 23:12:38 ID:???
中央アジアの各都市は砂漠にある事を除けば
防御もありきたりの方式だったからな

モンゴル軍は、イルカに乗って日本に攻め込むべきだったw

415 :名無し三等兵:2007/09/24(月) 23:34:34 ID:???
1回目、高麗人主体だったというのは嘘。
元軍の主体は2万5千の蒙漢軍で、高麗軍は8千。
日本側の文献にも元側の文献にも「元軍が戦って負けた」と明記してある。

2回目、朝鮮半島を出発した東路軍が6月上旬に博多に到着するも、日本軍によって撃退される。
6月末には江南軍も合流したが日本軍には勝てず、1ヶ月後の7月末に台風に遭遇。
その後の日本軍による掃討戦で元軍10万が全滅。

416 :名無し三等兵:2007/09/24(月) 23:39:04 ID:???
現用の軍用船舶の大半は、60海里/hまでしか出ない
イルカは50km/h、普段でも30km/hが余裕(フェリーについてくるし)

イルカ飼い慣らしてイルカが魚食いながら戦場まで人乗せて送ってくれるなら最強だよなw
馬による移動と同じになる

417 :名無し三等兵:2007/09/24(月) 23:41:56 ID:???
>>408殿
三十三間堂の通し矢をお忘れか?
全長118mの長さをほぼ水平に射通さなければならないのが遠し矢競技。
和弓の射程距離は100m以上は余裕である。
後、射程距離は矢自体の重さも考慮しなければならない。重い矢を使えば、
威力は増すが、射程距離は落ちる。

世界最大と言って良いほどの大型弓(平均弓長240p)なんだから、
当時の世界では威力も相当な水準にあったと思うんだけど。
比較のために言うと、有名なイングランドのロングボウは定義上では120p以上の弓を
言います。大体が180p以下が多く、最大の物でも200p行かないでしょう。


418 :名無し三等兵:2007/09/24(月) 23:59:15 ID:???
長さだけで比較されてもなあ

三十三間堂はもちろん知っているが
あの距離をあの天井高さで通過するような
矢の初速を
どんな弓で出せるか?だな

和弓の最後の返りの意義が微妙だよなあ

419 :名無し三等兵:2007/09/25(火) 00:01:22 ID:???
和弓は返りを使って力を逃がす

アーチェリーでは振動を逃がす棒みたいなのが一杯付いている

420 :名無し三等兵:2007/09/25(火) 00:06:09 ID:???
>>416海のトリトン か!

421 :名無し三等兵:2007/09/25(火) 00:13:12 ID:???
ま、素人はパンツゴム矢でも撃って訓練するさw

422 :名無し三等兵:2007/09/25(火) 00:18:38 ID:???
和弓の返りは振動を逃がす意味では合理的だが
それゆえにただ真っ直ぐに狙うと右上に逸れる

423 :名無し三等兵:2007/09/27(木) 08:50:58 ID:???
>>409
東路軍は6月15日を過ぎた時点で、残り1ヶ月分の兵站しか持っていなかったから、
遅れて来た江南軍から補給を受けなければ、8月1日の台風遭遇まで日本近海に
留まることはできなかった。

424 :名無し三等兵:2007/09/28(金) 16:32:04 ID:UvvCJ9wr
1ヶ月後か数日後かはっきりしろや

425 :名無し三等兵:2007/09/28(金) 20:06:46 ID:???
応援部隊って言うか、江南軍って、中国の農民だったんでしょ?

426 :名無し三等兵:2007/09/28(金) 21:05:32 ID:5H/qvV6G
>>425
旧南宋兵を中心に作られた。

427 :亀レス:2007/09/28(金) 21:27:56 ID:???
>>32
君って阿呆?それともバカ?

>ベトナム 国連軍+韓国(敗)対 ベトナム(勝)
ベトナムのどこに国連軍が?
それに北ベトナム側にも北朝鮮軍が付いている罠。
防空部隊とか、パイロットとかそれなりにまとまった数が送り込まれている。

428 :名無し三等兵:2007/09/28(金) 23:49:52 ID:???
>>425
戦力として考えてなかったわけではないだろうけど、大量の農機具を装備してたのは事実みたい

429 :名無し三等兵:2007/09/29(土) 08:44:59 ID:???
>>428
江南軍は平戸に到着後すぐに野戦築城してるけど、そういう工兵作業にも鋤や鍬は使うんだよ。

430 :名無し三等兵:2007/09/29(土) 13:12:19 ID:ZzBwKnAh
しかし平戸島なんか上陸しても山ばっかでろくに大軍は展開できなさそうだよね
てゆうか城なんか本当につくったんか?

431 :名無し三等兵:2007/09/29(土) 14:52:32 ID:???
>>430
元史卷一百六十五 列傳第五十二 張禧
「至日本、禧即舍舟、築壘平湖島、約束戰艦、各相去五十歩止泊、以避風濤觸撃。」

壘 → るい【塁】
1 軍営の周囲に巡らした囲い。《ふつう深い溝を掘り、掘り出した土石を積み上げて造る》「高塁」
2 とりで。「孤塁」

432 :名無し三等兵:2007/09/29(土) 23:04:05 ID:4L67G6bs
>>418
一般的に言って弓は長い方が威力も増す。
ロングボウが画期的だったのもそれがロングだったから。それ以前のクロスボウ
全盛時代にも普通の弓はあったし、狩猟などで使用されていた。ただし、威力が
小さかったからクロスボウを凌駕するまでに至らなかっただけの話。
和弓を半分の長さにしたら、それは子供用の弓。

433 :名無し三等兵:2007/09/29(土) 23:11:27 ID:???
弓を太くしようとしても
太いと引こうにも折れてしまうからなあw

曲げ方向はカーブの内外で長さズレを産む

434 :名無し三等兵:2007/09/30(日) 14:29:17 ID:???
単素材1メートル弱のイングランド弓が150いくなら合成弓で長さも210センチほどある和弓のほうが普通に飛ぶだろうな


435 :名無し三等兵:2007/09/30(日) 19:00:33 ID:???
日本の侍の手の骨格構造が変形化してたって話は聞いたことがないが、当たり前なので
記録にのこらなかったのか、それとも最大威力の弓より大分低威力なものを大半の武士が
常用してたのか。

436 :名無し三等兵:2007/09/30(日) 19:03:22 ID:???
斜面に生えて一方に圧力が掛かったアテ材を使うべきか

437 :名無し三等兵:2007/10/01(月) 07:41:45 ID:???
>>435
ロングボウと日本の弓とでは射法が違う。
日本の場合は蒙古式射法というモンゴル軍と共通の射法を用いていた。

438 :名無し三等兵:2007/10/01(月) 11:57:23 ID:???
日本の場合引く量も独特だな
ふつう諸外国は顎までしか引かんのに馬手を右肩近くまで引く
大体25センチぐらい引き量がおおいのか

439 :名無し三等兵:2007/10/01(月) 13:01:21 ID:???
引く大きさの差か

・・・広背筋の壁を越えてしまうのかw

440 :名無し三等兵:2007/10/01(月) 18:20:22 ID:f7Ws/C6h
ロングボウの射手は腕力で無理矢理引いていた。何しろ、顔の前で矢をつがえる
ので、上腕二頭筋が頼り。
和弓が合理的なのは広背筋を使って引ける所。大型弓であることが幸いした。
腕に付いている筋肉よりも広背筋などの胴体に付いている大筋肉群の方がパワー
が出るし、安定している。
結果として、手の骨格構造が変形するなんて無茶なことは起こりません。

441 :名無し三等兵:2007/10/01(月) 18:57:58 ID:???
広背筋に関しては、パワーを出し易い可動域が存在するからなあ

442 :名無し三等兵:2007/10/01(月) 20:49:45 ID:44Xrdyno
日本の場合、矢を射るとき矢をどのように握ったのだろう?
欧州では、人差し指と中指との間で矢を挟みながら、
人差し指と中指と薬指とで弓の弦を引くんじゃなかったかな?

443 :名無し三等兵:2007/10/01(月) 22:22:44 ID:yojq5XDG
ベトナム戦争にて米国はベトナムを占領できなかったから

ベトナム>>>米国

ですか?日本最強論者の論理を使うとこうなる。

444 :名無し三等兵:2007/10/01(月) 22:26:47 ID:???
>>422
前に、神社の神事で、通常の距離とは違う的を据えてやったことがあるが、
いわゆる弓道の正しい形でやっても、絶対にあたらないのでワロタ

>>442
今の弓道だと、親指と人差し指・中指で輪を作って矢を支え、
親指の付け根に弦をひっかけて引く感じかな。

ただ右手で引くんで無く、左手で弓を押し開く感じに近いか。

445 :名無し三等兵:2007/10/01(月) 23:24:19 ID:???
>腕に付いている筋肉よりも広背筋などの胴体に付いている大筋肉群の方がパワー
が出るし、安定している。
結果として、手の骨格構造が変形するなんて無茶なことは起こりません。

そうはいっても、伸ばしている方の腕に掛かる圧力は同じ筈だ

むしろ弓が長いことにより、手を離してから
矢が弦から離れるまでの時間が長くなっている方を期待したいなあ

446 :名無し三等兵:2007/10/02(火) 08:44:58 ID:???
当初鎌倉武士は5千くらい
少なく見積もっても2万程度は居たであろう蒙古・高麗

この元連合軍に対して、防衛線を後退させながらも丸一日持ちこたえたのは、同時代
の他国と比べても驚異的に善戦していると思う。ポーランド・ドイツ騎士連合
は、蒙古軍より数で勝っていたのに数時間で壊滅的な負け方をしたのと比べれ
ば、段違いの奮戦振り。

447 :名無し三等兵:2007/10/02(火) 10:54:54 ID:???
リーグニッツ?
平野での野戦やったら鎌倉武士も偽装退却を追撃して包囲されて終わりぽいな

448 :名無し三等兵:2007/10/02(火) 11:58:55 ID:???
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%93_%28%E6%AD%A6%E5%99%A8%29
アジアでは弓は主に遊牧民族の武器であった。彼らの使用した複合弓はコンパクトでありながら威力と連射を両立しており、イギリスや日本で使用された長弓よりも遥かに優秀であった

あれ?
日本の弓って優秀じゃないの?

449 :名無し三等兵:2007/10/02(火) 12:02:03 ID:???
大きさの割に優秀って事だと思われ
っていうかWikipediaは、ソースにならないよ。

450 :名無し三等兵:2007/10/02(火) 12:45:12 ID:Zqi5WtAO
>>448
和弓は盾すら砕くぞ。これは本当。
諸国の弓でこんなことができるものは無い。

451 :名無し三等兵:2007/10/02(火) 15:25:52 ID:sFCpCUVr
>>447
>平野での野戦やったら

文永の役で野戦やったのは福岡平野

452 :名無し三等兵:2007/10/02(火) 18:18:11 ID:???
>>450
なるほど、それで日本には携帯用の持ち盾は発達しなかったのか。
アフリカの土人ですら盾を持つのに日本の武士はなんで?と思っていたら、それで納得がいく。弓矢を防げない盾なんてただの荷物だろうし、置盾は使ってもちんけな持ち盾なんて使わなくなるよね。

453 :名無し三等兵:2007/10/02(火) 18:55:36 ID:???
>>450
それ、前スレからずっと言ってるようだけど、"ソースは?"、"ソースの信憑性は?"、"盾の材質は何でできているのか?"、
"使った弓はどういったものなのか?"、"その威力は現代において実験で再現されたのか?"
って点が明確にならないと信用できないねえ。
単純に威力の点ではクロスボウのほうがずっと優れているのだし(機械的に弦を引くのだから、張力は材質の限界まで強化できる)。

454 :名無し三等兵:2007/10/02(火) 19:09:16 ID:???
つーか、なんで弓矢の話ばっかりなんだよ。もっと他の話題は無いのか?

455 :名無し三等兵:2007/10/02(火) 20:18:39 ID:???
>>446
5千騎ってことは、総兵力2万くらい?

456 :名無し三等兵:2007/10/03(水) 09:15:11 ID:???
>>454
過疎ってるんでよろしく!

弓矢の歴史
ttp://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1177935095/l50

457 :名無し三等兵:2007/10/03(水) 15:41:23 ID:???
盾を射砕く金神頭のことかな
ソースも何も射砕くって行為はそんなに珍しいかね?
置き盾の材質は木だよ空手の道場の看板みたいな木
使った弓は和弓だよ


458 :名無し三等兵:2007/10/03(水) 19:04:25 ID:???
>>440-441 >>445

image.blog.livedoor.jp/kojiburo1968/imgs/4/e/4ec0aff3.jpg
かつて、アブフレックスという腹筋を鍛える機器が通販番組でも
よく宣伝されていた
その後DIYで類似品が安価に出回って廃れたw

余りお勧め出来ないが、この機器に幅2cmくらいのゴムを追加したら
幾らでも負荷を強化できる。それを用いてどんどんパワーアップしていったのだが
自分はある負荷から、後ろに引き切れなくなってしまった
そこで引き切る、すなわちこの機器の可動域限界まで動かすのに
そのゴムの数だと何kgかな?と体重計に押し付けてみたら40kgだった

www7a.biglobe.ne.jp/~kileteru/DSCF10851.jpg
ボディビルダーの大会のポージングで、上記のように広背筋を広げる
ラットスプレッドというポージングがある
このように広背筋を広げた状態で安定させるには、肩甲骨を広げたり
肋骨に繋がる前鋸筋を使う必要もある

面白い事に、このラットスプレッド状態で腕を引ける限界、
まあ「広背筋で作った壁に、腕がぶつかるまで」引けば良いというやり方にしたら
その可動域に限定すると、70kgの負荷でも簡単に引けるようになった
ただ、そこまで来たところで、このアブフレックスがぶっ壊れてしまったw
顔面にプラ破片が刺さりかねなかった

459 :名無し三等兵:2007/10/03(水) 19:05:33 ID:???
広背筋の、体の付着点を列挙する

□起始
 棘突起(第7胸椎以下の胸椎、腰椎、仙骨)
 腸骨稜
 下位(第9〜12)肋骨
 肩甲骨下角

□停止
 小結節稜(上腕骨)

□支配神経
 胸背神経(第6〜8頸神経)

ラットスプレッド状態では、下位(第9〜12)肋骨や 肩甲骨下角 に繋がる
広背筋の筋線維がフルに使えるのである。
ラットスプレッドにせずに、それより大きな可動域で引こうとしてもパワーが急減するのは
これらの筋線維がむしろ伸びてしまう位置になってしまうためである。

アブフレックスで思い切り限界まで引こうとしても40kgまでしか引けないが
ラットスプレッドで広背筋の肉の壁にぶつかるところまででよいなら
その倍以上でも動かせる、というのはまさにこのためである。
片手での顎までの懸垂は出来ないが、腕力だけでのロープ登り(足でロープを挟まない)は
出来る人が多い

460 :名無し三等兵:2007/10/03(水) 19:07:36 ID:???
ところが、和弓の大きな可動域をフルに生かすためには
ラットスプレッドでの力を出し易い可動域を超えることになる
これでは力は十分に出せない

洋弓の半端な位置で矢を持つ構えは、実は弓を最も強い力で
引いた状態で保持できる、という点では、優れているわけである

だが、矢に与えられるエネルギーは、その位置での力だけに
因るものではない。その位置から離され、弓が戻っていく
区間全体でのエネルギーが重要である
ここで、長い弓である和弓のメリットが生きると考えられるのである

和弓で弓の返りを使っての力の与え方が上手な人なら、弾き絞った時点での張力では劣っていても
全体でのエネルギーでは上回らせる事が出来ないか?と考えられるのである

それで、伸ばした腕の肘関節への押し付け圧力の弱い日本の弓でも、
十分な射程が得られたのではないか。それで、日本の兵士では
左右の腕で長さの違いが見られなかったのだろう、と考えられるわけだ

しかし、返りを使う分、命中精度は下がる。その分の訓練が必要になるし、
標的までの距離が読めないなら当てられない

461 :名無し三等兵:2007/10/03(水) 19:19:04 ID:???
仮に、肩口まで引くと30kgが精一杯、
ラットスプレッド状態で胸骨までの引きだと70kg、という人がいたとして、

腕の長さ(左右差無いとして)は手の平から肩まで60cm、
胸幅はとりあえず40cm、弓を引いていない時にグリップから弦まで20cmなどと仮定すると、
その間がフックの法則どおりにF=-kxとなるのであれば

30kgの和弓引きなら、30kg=0.8(m)×k1
70kgの洋弓引きなら、70kg=0.6(m)×k2

ここで、グリップと弦まで20cmの長さがあるので、弦を引いた時から戻るまでの
距離がそれぞれ60cm、80cmなると考えた。肩幅の半分が弓を持った肩から
胸骨までの距離であるので、20cmとした

k1=75、k2=350/3がバネ定数となる

それで、蓄えられるエネルギーは

和弓が0.8^2*75/2=24(単位はフックの法則と違うぞw)
洋弓が0.6^2*350/6=21

おお、和弓が上回った!
なお、弓が引き絞られた状態から、引いていない状態の形状になるまで矢が弓から離れないものとする

ただし、個人的な経験で言えば
ラットスプレッド状態でのパワーはやたら伸び易いが
肩口まで引くのはパワーアップが困難であるように思われる。
30kg対70kgというのは、トレーニング次第でいつでも覆るであろう
しかし、腕の長さが変わってしまう度合いも大きくなるであろう

462 :名無し三等兵:2007/10/03(水) 19:34:13 ID:???
何か変だなあと思い訂正

k1=75/2、k2=350/3がバネ定数となる

それで、蓄えられるエネルギーは

和弓が0.8^2*75/4=12(単位はフックの法則と違うぞw)
洋弓が0.6^2*350/6=21

この時点では和弓が弱い
なお、弓が引き絞られた状態から、引いていない状態の形状になるまで矢が弓から離れないものとする

しかし、和弓は返りを使えるように上下非対称になっている
お陰で実際には手首辺りまで、弦から矢が離れない?と考えて
もう20cm伸ばすと1mの間矢が加速し続けるとして

75/4=で18.75なぞと出てくる。殆ど差がなくなった

更に大きく引き絞ってもパワーを落とさない肩関節を作り
更に返りの技を磨く事で、一方の腕を押し縮めることなく
長い射距離を得られるであろう

463 :名無し三等兵:2007/10/03(水) 21:29:13 ID:???
戦場では弓返しはしない。

464 :名無し三等兵:2007/10/03(水) 22:05:10 ID:???
ブルーワーカー系のトレマシンで紐が付いた奴

http://www.bullworker.co.jp/bullworker.html
本家にも紐が付いていて、弓と同じような動作が出来るが

で調べても、
http://images.google.co.jp/images?q=%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%BC&svnum=10&um=1&hl=ja&lr=&ndsp=20&oe=UTF-8&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi

http://images.google.co.jp/images?svnum=10&um=1&hl=ja&lr=&q=%E5%BC%93%E9%81%93

アーチェリーの顎位置に固定した方法の方が
弓道の耳辺りに弦を引っ張る方法より
強い数値が出るなあ

というか自分が持っている奴だと
顎位置固定で引くんだったら限界まで行けるなあw
肩位置だと、限界まで行くようにはとても固定出来ない。自分のパワー不足が情けない

但し、限界まで持っていく動作を数回やったら伸ばしている方の腕の肘がギシギシいって嫌な感じだな

「放った矢で何を壊したか」も重要だが
こういった筋力と体の使い方から調べたアプローチって無いのか?

465 :名無し三等兵:2007/10/04(木) 02:36:45 ID:/yTZI0fs
朝鮮半島で急遽かき集めた、農民兵に武器もたせて鎌倉武士に対抗させたのが敗因
素人が何人かかってもプロレスラ〜には勝てない。侍はプロの格闘家、朝鮮農民兵、遊牧民
が勝てるはずない。
日本刀に兜割られ、和弓は馬の尻を射抜いてさらに騎手まで射抜いたという記録がある。
どう考えても、朝鮮、蒙古、南宋人が勝てる見込みはない。
1回目、蒙古軍は昼の戦いで弓矢を使い果たし船へ退却、台風がきて全滅だった。

466 :名無し三等兵:2007/10/04(木) 07:49:31 ID:???
同じ重さの弓を引いた時、明らかに和弓のが軽かったから、
アーチェリーのが引けるって言うのは、引き方が悪いんじゃないかなぁ

467 :名無し三等兵:2007/10/04(木) 10:45:17 ID:???
和弓は単純に引っ張るんじゃなくて自分の体をゆんでとめての間に割り込ませないと引けんよ
引いて引かずやね


468 :名無し三等兵:2007/10/04(木) 13:59:21 ID:???
弓の装備率自体も大きな原因じゃないか
源氏が平家に勝った理由の一つとして「従者も弓を射掛けた」という投射量を挙げることがある
この源氏方式が全国規模になっていたのなら、当時の西国武士も従者にまで弓を持たせていたんじゃ?

469 :名無し三等兵:2007/10/04(木) 19:12:31 ID:???
中国の軍隊でよくあるのは槍兵の横隊が何列かいてその背後から
弓兵や弩兵が矢を射掛ける。
初期の明軍では槍兵の他に刀と盾を装備した兵士も何割かいるが
もしかしたら16世紀の対倭寇戦のフォーメーションのように
最前列に配置されていたのかもしれない。

470 :名無し三等兵:2007/10/05(金) 00:03:59 ID:bsEWGdCc
>>457
金神頭という種類の対物破壊用のやじりがあることは分かった。
問題は、日本以外の国でも盾をあえて破壊する戦術、またはそのような兵器は
あったのだろうか?
それが弓矢などの飛び道具で行われる場合はあったのだろうか?

471 :名無し三等兵:2007/10/05(金) 02:13:46 ID:CFtwoKYe
おまいら、ぐだぐだ議論する必要などない。現代に当てはめれば分かりやすい。
韓国製の船は粗製濫造だった。大東亜戦争で朝鮮兵はくその役にも立たなかった。
国民党軍は連戦連敗だった。共産軍は逃げまくって戦おうとはしなかった。
800年たっても民族性は変わらない。
モンゴルに支配された大陸の国々は本当に弱かった。英仏海峡わたってアングロサクソンとやり合ったら
モンゴル勝てたかどうか興味あるところだが。

472 :名無し三等兵:2007/10/05(金) 11:05:21 ID:???
この当時のアングロサクソンは大した事ない。
プランタジネット朝とかも元々は大陸系の王朝だろ。

473 :名無し三等兵:2007/10/05(金) 12:05:43 ID:???
ローマの投げ槍なんかは、盾を封じるためというのもあったぽいけどな

474 :名無し三等兵:2007/10/05(金) 12:35:31 ID:???
>>473
ピラ。
でも封じるのは片手に持って戦うようなシールドだが。

475 :名無し三等兵:2007/10/05(金) 13:06:01 ID:???
日本の盾は、手持ちじゃなくて陣地において並べるようなもの
弓が先か盾が先かはわからんけども、対抗上そうなったんだろうな

476 :名無し三等兵:2007/10/05(金) 13:46:24 ID:???
日本の盾って状況に応じていろんな使い方をされてる。
置いて使うのはあくまでその一例。
最前列の兵士が盾を持って並び、シールドウォールを形成したまま前進したり、
後退したりすることもあった。

477 :名無し三等兵:2007/10/05(金) 22:42:05 ID:???
機動隊やね

478 :名無し三等兵:2007/10/06(土) 08:42:49 ID:???
分類上「置ける盾(つまり両手を使える)」と「置けない盾(片手がふさがる)」の区別は一応あるはず。
ローマのレギオン兵なんかは機動隊みたいな全身を隠せるような盾を使ってたが
左手でもって右手で武器を使うもの。

中世の弩兵隊には前列を防御する大盾兵なんてのがいたが
あれは考えてみると人間を置き盾にしたようなものだな。

479 :名無し三等兵:2007/10/06(土) 14:51:22 ID:???
弓矢の次は盾ですか?中世武器オタクの溜まり場だな。

480 :名無し三等兵:2007/10/06(土) 16:15:50 ID:???
軍板としては、正常な姿だと思うけど。
このテーマでオタク以外の人間がどういう目的で書き込むんだ?

481 :名無し三等兵:2007/10/06(土) 16:35:29 ID:???
以降オタ以外レス禁止。非オタは邪魔せずロムってるように。

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