5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【太祖】清王朝の英雄達【李鴻章・左宝貴etc】

1 :小魔玉  ◆N10JLQ90IM :2006/10/24(火) 22:46:38 ID:OoIrwPEP0
才覚一つで王朝を樹立した太祖・ヌルハチを筆頭に、八旗制を充実させ
国の基礎を固めた太宗・ホンタイジや遠征に遠征を重ね、清の領土を
広げ清王朝の最盛期を築き上げた乾隆帝などの英雄と呼べる皇帝たち。
清王朝の末期、軍事・外交に挑み続けた李鴻章。日清戦争で最後の輝きを
放った左宝貴や黄海海戦で海軍提督となり奮戦した丁汝昌、そして
中華帝国洪憲皇帝と称した袁世凱などなど…日本にも大きな影響を及ぼした
清王朝のあまり知られていない英雄達について語っていきましょう!!

と、清王朝に最後の最後まで抵抗を続けた国姓爺・鄭成功についても
語っていきたいと思ってますw

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 22:53:31 ID:vDcehqPW0
糞コテが立てたスレで語ることなんぞ何もないわ、ボケ

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 23:04:47 ID:1mQzRoWo0
まずは、清朝にとって、開国の戦いとも言うべき、
サルフの戦いについて、語りましょうか。

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 12:45:32 ID:MlMU1vxQ0
むしろ張廷玉について語ろう。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 16:21:39 ID:+Orvf47M0
とりあえず
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E5%BB%B7%E7%8E%89
 張廷玉(ちょうていぎょく、1672年(康熙11年) - 1755年(乾隆20年))は字が衡臣、号が研齋の安徽桐城出身の政治家。保
和殿大学士、軍機大臣、太保の位を得て、三等伯に封ぜられ、三朝に渡って五十年仕えた。

 康熙十一年生まれで、父は康熙朝の大学士・張英。康熙三十九年に進士(科挙の最終合格者)となる。康熙朝の検討、直南
書房、洗馬、侍講学士、内閣学士、刑部侍郎、吏部侍郎等の職を歴任。
 雍正元年礼部尚書に昇進、次年に戸部尚書、翰林院掌院学士、国史館総裁、太子太保へ転任。
 三年、大學士の仕事に配属される。四年、文淵閣大学士、戸部尚書、翰林院掌院学士へ進み,康熙實録總裁官を兼任。
 六年(1728年)、保和殿大学士兼吏部尚書へ転任。
 七年,少保の階級を得る。同年、西北での戦争により、軍機房を隆宗門内に設け、怡親王允祥より、その仕事を大学士の蔣廷
錫が取締った。雍正帝の臨終で、オルタイ(鄂爾泰)と共に 勅命をうけて大臣となった。乾隆帝の時代に、両朝の元老となった事
を朝廷が重くみて、死後太廟へ祭られた。清の時代を通して、漢民族の大臣で太廟へ祭られた者は張廷玉ただ一人である。
 張廷玉の在任期間での主な仕事は皇帝の秘書であり、清の朝廷の政治へ上奏文の制度と軍機処の運用規則の改善で貢献し
た。他の直接政務を処理した大臣と違い、歴史上張廷玉の具体的な功績はあまり多く残されていない。

 張廷玉の人となりは小心翼々として、「萬言萬當、不如一默」(清:黄山谷の言)謹んで守った。そのため雍正帝は彼を「器量純
全、抒誠供職」と讃え「大臣中第一宣力者」と称した。

 相前後して『康熙字典』、『雍正実録』、そして『明史』、『國史館』、『清会典』を編纂した。

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 07:58:24 ID:0ZZNTNDE0
清朝に反抗した英雄は?

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 09:03:05 ID:o3xkLot+0
>>6
台湾に拠った鄭成功が、その代表格だろうね。
清代初期には、鄭成功とその他の明の残党勢力。

続いて三藩の乱時における、呉三桂を初めとした、明から清に降った武将たち。

康熙年間後期以降は、反清勢力は地下に潜伏した。
天地会などの伝説が残っている。

乾隆年間末期には、白蓮教の教徒の蜂起があった。


8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 00:29:08 ID:X6f4Dp+60
白蓮教の蜂起には、明朝滅亡以来ずっと続いてきた反清運動組織は、
関わっていたんだろうか?

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 10:00:23 ID:BavDBui30
乾隆帝の十全武功

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 17:20:52 ID:0CnKDMPQ0
>>8
それなりに関わったと思う。

11 :小魔玉  ◆N10JLQ90IM :2006/10/28(土) 20:10:12 ID:NXlP7CEu0
アヘン戦争の発端を引き起こしたとされる林則徐、彼は英雄の類に入りますか?

>>3
サルフの戦いで、明王朝軍側に劉挺と李如柏の名前が見えますが、この2人は
文禄・慶長の役で小西行長と戦ったみたいですね?

と、清王朝(後金)VS明王朝の山場といえる“寧遠の戦い”で、常勝・ヌルハチに
敗北を与え、一人孤軍奮闘した袁崇煥!!彼がもう少し早く生まれていれば、明王朝の
滅亡は遅くなっていた…かもしれませんw

>>6
英雄かどうかは分かりませんが、ヤーウェ(ヤハウェ?)の第二子を名乗り、太平天国を興し
清王朝に反旗を翻した洪秀全はどうなんでしょうか?

と、その太平天国の乱で、王朝の自慢の正規軍(八旗)は太平軍に連戦連敗を喫していましたが、
(この頃の八旗は正規軍としての機能を全くしていなかったらしいです)唯一、曽国藩が編成した
義勇軍だけは勝利し続けたとあります!!
あと、オイラは知らなかったのですが、5年ぐらい前に中国で曽国藩ブームがあったみたいですw

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 12:36:07 ID:26deI4230
>>11
林則徐は、文官だけど、英雄と呼んでいいと思うよ。
英雄とは、何も武将に限らないから。

サルフの戦いに参加した李如柏は、遼東安定に功績のあった李成梁の子で、
朝鮮の役で碧蹄館の戦いで明軍を率いた李如松の弟。
明では、部門の名門と言える。ちなみに、この李氏は朝鮮出身らしい。

袁崇煥はもう少し早く生まれていればと言うより、冤罪で処刑されちゃったから、
微妙だね。

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 14:39:30 ID:A+oh1Jup0
洪秀全も英雄といや英雄か

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 17:16:00 ID:nk1jxttHO
愛新覚羅て何か意味があるの?

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 08:36:03 ID:iPA4/w9T0
金朝の覚羅氏と言うような意味

愛新は金 という意味の満語の発音を漢字表記したもの

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 22:37:36 ID:Si35iFYC0
カックラキンを思い出した。

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 13:23:26 ID:fe4/0Bfj0
ふるー

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 14:20:20 ID:V8MlL4X+0
ジュンガルのガルダン

19 :専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/06(月) 21:16:24 ID:AaFdn4fS0
この時代あたりの小説教えて下さい。
特に李鴻章が活躍するやつ。

「清朝大官の幻影」
「曽国藩」
はよんだ。

20 :小魔玉  ◆N10JLQ90IM :2006/11/06(月) 22:38:54 ID:1tiaz1Zk0
太祖・ヌルハチは金王朝の始祖・完顔阿骨打(昔、こんな名前の漫画家さんが居たようなw)
の子孫になるのでしょうか?
と、久しぶりに映画「ラスト・エンペラー」を観ようか思案中ですw

>>12
おぉ〜!!李如柏は朝鮮・李氏の出身だったんですね?
(12さんのおかげで、勉強になりますw)
と、アヘン戦争以後の清の“グダグダ”に(アヘン戦争→太平天国の乱→日清戦争→
義和団→辛亥革命)涙が出てきます つ∀T)

>>14
15さんと同意見で、姓名だと思います。
と、宣統帝・溥儀の弟(溥傑)に嫁いだ公家出身の嵯峨浩は、結婚後“愛新覚羅浩”と
名乗っています。

>>19
オイラのオススメは陳先生の「江は流れず」です!!
と、日清戦争の話で、李鴻章が死ぬ直前の下関条約までが詳しく描かれています!!

あと漫画ですが、江川達也の「日露戦争物語」も面白くてオススメですw

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 07:56:36 ID:3Thn7Qq9O
>>20
ヌルハチは完顔氏とは氏族的には無関係。
完顔阿骨打さんはロリエロ漫画家さんでいますよ。

愛親覚羅は「金(王朝)の」「金の貴族の」という意味。
ただ実際に金の末裔だったかは未詳。

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 23:26:27 ID:LgbViBId0
清代じゃないけど、李成梁の影響は大きいな。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 23:45:54 ID:YBw/bV9U0
李成梁は朝鮮系らしいけど、朝鮮の王朝の李氏とは関係があったのだろうか?

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 15:03:09 ID:ITguuZLR0
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%88%90%E6%A2%81
 李成梁(りせいりょう、1526年 - 1615年)は、明代の武官。遼東総兵として遼東一帯を統括し、女真族の鎮撫に当たった。

 字は如契。かつて朝鮮から亡命した女真族(朝鮮族との説もあり)李英の子孫で、遼東鉄嶺衛(遼寧省鉄嶺)の指揮僉事の職
を代々世襲していたが、隆慶4年(1570年)に遼東総兵となり、当時侵入の激しかった女真族に対する防御に当たることとなった。

 李成梁は、軍備を拡充しつつ、建州女真、海西女真などに分かれていた女真族が明との交易権を巡って争っていることに付け
込んで内部分裂を図ることにより、遼東の安定に多大な功績を上げた。この時期、李成梁の後援を得て勢力拡大に成功したのが
後の清の太祖ヌルハチである。

 長年に渡って遼東を統括し、地方の実力者として割拠した李成梁は、一方で軍費の流用などの汚職や専断が多く、万暦19年
(1591年)に弾劾されて失職、一旦は復職したものの、万暦36年(1608年)に罷免された。

 息子に文禄・慶長の役で日本軍と戦った李如松、サルフの戦いに参加した李如柏らがいる。

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 19:55:07 ID:F8OeYS/+0
清朝なんて馬鹿揃いのカスばっか。
今のちうごくは歴史上最低レヴェルの野蛮人ばっかだし、終わってる。
あそこがすごかったのはせいぜい唐まで。
以降は悲惨すぎる惨めな歴史wシナ猿は世界で最も多いゴキブリ民族というのがとりえwwwwwwwwww

26 :専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/19(日) 19:50:00 ID:e05zy3Rh0
尊敬できる人物、李鴻章。

27 :専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/19(日) 20:48:32 ID:e05zy3Rh0
り・ホンチャン最高

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 23:43:51 ID:R9h/KX1G0
>>25
中国の最盛期は宋代だよ。
軍事的にはぼろぼろだったけど。

29 :専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/21(火) 20:15:56 ID:lTDc7fIl0
>>28
宋代は文人がもっとも尊重された文化の時代。
明代は文人が暗黒の時代。
清代には文人がそれなりに活躍してるし、文化も発達しているぞ。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 21:03:11 ID:1v/odRrT0
明が文人暗黒の時代とは笑わせてくれるな

31 :専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/21(火) 21:06:04 ID:lTDc7fIl0
>>30
文人と言っても読書人層ではなくて科挙官僚のこと。
やはり、洪武帝、永楽帝の粛清の影響かな。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 21:11:21 ID:1v/odRrT0
ならちゃんとそう判るように書くか、日本語勉強しろよ

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 11:08:05 ID:Mfg438L+0
>>19
浅田次郎の「蒼穹の昴」は?
かなり娯楽色の強いやつだけど
李鴻章えらくカッコ良く描かれているよ。
狼狽した汚職高官の前に鎧をまとってドーンと現れるシーンなんか
江田島平八のようだったw

「江は流れず」は袁世凱がなぜか憎めない可愛いキャラになってるw

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 17:48:15 ID:gFzOsHWO0
袁世凱って姉さん女房なんだね。

35 :専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/22(水) 18:45:00 ID:ZIa1LVZG0
>>33
「蒼穹の昴」もよんだ。
リ・ホンチャン最高にかっこいい。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 23:35:16 ID:AZAp2Au20
>>34
妾には朝鮮人も
いろいろと朝鮮に関わっていた人だし

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 14:36:14 ID:LLssZ0AR0
清の太祖はヌルハチだけど、その前の李成梁の存在が大きいよな。

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 11:02:35 ID:PnKMZmIa0
 ヌルハチが生まれた頃の女真族は建州女真五部、海西女真四部、野人女真四部に分かれており、互いに激しい抗争を
繰り広げていた。その抗争の主たる原因は、明に対する朝貢の権限を求めてのことである。朝貢によりこの地方の特産物
である高麗人参や動物の毛皮を売買することで巨利を得ることができた。これを利用して明は朝貢の権利を分散させること
で飛び抜けて勢力の強い部族を出さないようにし、また互いに権利を巡って争うように仕向けた。
 しかし女真の抗争があまりにも激しすぎると思った明の遼東総兵李成梁は、一つ明が制御できる程度の大きな勢力を作
り、その後ろ盾となることで女真族を治めようとした。これに選ばれたのが、建州女真のヌルハチである。ヌルハチが選ばれ
たことの理由としては、ヌルハチの部族は祖父の代から明に対して友好的であったからであろう。ヌルハチの祖父と父はあ
る戦闘中に明軍に協力していたにも拘わらず、誤って明軍に殺されたということがあり、これが李成梁の負い目となってヌル
ハチに助力したとも考えられる。
 事態は李成梁の思惑通りに進み、ヌルハチは女真族の中の大勢力となり、1589年(万暦17年)には建州女真五部を統一
した。それと同時に李成梁の懐に入る賄賂の量も大幅に増えた。これに気をよくしたのかヌルハチの統御の事を忘れてしま
っていた。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 16:11:05 ID:N5AfSxer0
そのまま争わせておけばよかったのに。

外敵がいなくても明の内乱は避けられなかっただろうけど。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 18:17:59 ID:03aWhca90
そうしたかったのかも知れんが、日本(秀吉)が攻めて来て女真を相手にする余裕が無くなっちゃったてのもある。
その文禄・慶長の役による明国内の軍費などの消耗も大きかったが、それに対処する政治的な動きが何も無かった。
(「何も無かった」は言い過ぎかも知れんが。)

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 20:11:21 ID:h8+xsO/m0
【ヌルハチ】サルフの戦い【開国の決戦】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1170039651/

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 23:20:48 ID:+lYRig7F0
ドルゴン未出?

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/20(火) 23:59:55 ID:RgHqYmkc0
摂政王

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/22(木) 16:09:12 ID:eOP6+K7E0
 ドルゴン(多爾袞 1612年11月17日 - 1650年12月31日)は清朝初期の皇族。ヌルハチの第14子。順
治帝の摂政となり、清朝が中華帝国となるに当たって指導力を発揮した。

 ドルゴンの母はヌルハチの4番目の正妃であるウラ・ナラ氏出身の孝烈恭皇后で、ヌルハチが死ぬ際
に殉死を命じられている。
 ドルゴンは、ホンタイジの下で、モンゴルのチャハル部討伐に功績を上げ、一族内での実力者となる。

 1643年、ホンタイジが死ぬと、ドルゴンとその同腹の弟であるアジゲ、ドドの勢力と、ドルゴンに反対す
る勢力に分かれて、権力闘争が始まった。
 ドルゴンの実力は群を抜いていたが、部族連合制の名残を色濃く残していたこの時期の満州族は、独
裁的な手法を嫌ってドルゴンが皇帝になることに激しく反対した。
 結局、ドルゴンも反対を押し切ることはできず、ホンタイジの第9子であるフリン(順治帝)を皇帝とし、ドル
ゴンがその摂政となることで妥協した。
 その後、ドルゴンは一族内の反対派を粛清し、幼い皇帝に代わって独裁的な権力を手に入れた。


45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/22(木) 16:09:43 ID:eOP6+K7E0
 翌1644年、明朝が李自成によって滅ぼされると、対清の最前線となっていた山海関の守将呉三桂は、
清朝に対して、明朝の仇である李自成を討つための援軍を求めた。
 ドルゴンはこれに応えて、自分と弟たちの支配下にある軍と、皇帝直属の軍を率いて中原に入り、李
自成軍を破った。
 李自成逃亡の後、清軍はそのまま北京に入ると、明朝最後の皇帝である崇禎帝を手厚く弔い、減税と
特赦を行うなどして明朝の遺民の心を慰める一方で、満州族の風習である弁髪を漢族に対しても強制し、
「髪を留める(頭を剃らない)者は首を留めず」と言われるほどの苛烈な政策で支配を固めていった。

 1648年、その多大な功績から皇父摂政王と呼ばれるようにまでなったが、1650年に狩猟中に急死した。
 追尊して義皇帝と称され、成宗の廟号を与えられた。

 しかし、ドルゴンの死後、それまでドルゴンによって押さえつけられていた反ドルゴン威力が一気に巻き
返し、ドルゴンに大逆などの罪状が被せられ、爵位を剥奪、宗室からの除名が行われた。
 ずっと後の乾隆帝の治世になってから、ドルゴンは名誉を回復されて、忠の諡を贈られた。


46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/22(木) 16:10:27 ID:eOP6+K7E0
 ドルゴン死後の厳しい処置については、ドルゴンは兄ホンタイジの妻であり、順治帝の母である女性(聖
母皇太后)を娶っていたからだとも考えられている。
 ドルゴンが実際に順治帝の母を妻としていたかどうかについてははっきりとはしないが、皇父と言うドル
ゴンの称号は、その事実を窺わせる。
 兄嫁を娶る行為は、満州族のような非漢民族にとっては、さして問題のあることではなかったが、漢族が
奉じる儒教の感覚からでは非常な不義に当たる。幼い頃から漢文化に傾倒していた順治帝にとって、母と
叔父の行動が許せなかったゆえに、死後のドルゴンに対して辛く当たったとも考えられる。


47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/10(土) 15:33:30 ID:YRiHeE1N0
【ラストエンペラー】愛新覚羅【華麗なる一族】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1173442919/

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/26(月) 23:50:30 ID:1aOMKual0
中原進出前の瀋陽の宮殿ってどんな規模だったのかな。


49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/27(火) 00:31:43 ID:nowa3BIa0
清朝歴代皇帝のクオリティは歴代最高だろうな。
暗君らしい暗君なんていないんじゃない?
普通衰退期の皇帝は暗愚(若しくはそう見なされる)が殆どなのに、光緒帝や同治帝、宣統帝も無能ではなかった。

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/27(火) 01:10:11 ID:MYU6zSe40
クォリティはともかくブランドイメージは漢人のエンペラー達に比べ大分落ちる。
有能でなければならない必然が彼らには存在した。
まあそれでも雍正帝は神だけど。

51 :名無しんぼ@お腹いっぱい :2007/03/27(火) 20:09:53 ID:ThxP97j20
ただ、惜しむらくは、清王朝も乾隆帝以降は中華思想にとらわれて、
康熙帝の頃まで持っていた対外的柔軟性を失ってしまった事かな。

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/02(水) 22:38:43 ID:P4E6hWHY0
少数の満州族による多数の漢族支配という、
苦しい構造を抱えていたから、
前半に暗君が出ていれば、それだけで滅亡に直結する可能性があっただろうね。


53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 20:33:29 ID:LXxzI9QX0
太祖ヌルハチから康熙帝まで、複数の創業者が連なった感じ

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 13:40:39 ID:xZy8KFpL0
ttp://www.kiken.nu/laugh/real/log/20070515221758/img/img9498.jpg
チン王朝の英雄

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/02(土) 22:49:46 ID:CWSjM3Pv0
>暗君らしい暗君なんていないんじゃない?
普通衰退期の皇帝は暗愚(若しくはそう見なされる)が殆どなのに、光緒帝や同治帝、宣統帝も無能ではなかった。

確かにそうとは思いますが咸豊帝には良い印象がないのですが
あと睡簾聴政を跳ね返せないというのは……

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 19:45:22 ID:u4Lg8KA9O
其ノ四 【誰だ!?】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1176597949/       
↑ここに清に詳しい方の援護求む。

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 05:27:36 ID:CfPLqFgF0
>暗君らしい暗君なんていないんじゃない?

それに比べて同じ異民族王朝でも元朝と来たら・・・・・・
清朝は皇位継承を巡る内紛も表面化するほど激しいものは少なかった。

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 04:00:56 ID:9NxrXYSw0
【碧血】明末清初動乱【英雄】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1183041274/

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/28(土) 23:19:36 ID:mQRrQUjJ0
元の場合は暗君というより情けないぐらい権力ないよな
モンゴルと女真の構造の違いかもしれないが

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 13:53:42 ID:3USqmbRw0
【金庸の】書剣恩仇録【処女作】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1183091552/

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 16:13:56 ID:xae5YiZf0
李鴻章って英雄かい?
うまく西太后にごますって直隷総督に居座り続けただけじゃないか!!
英雄じゃなく政治家だけど個人的には反省マニア&自殺未遂マニアの曽国藩の方が…
その部下だった胡林翼、左宗棠、劉坤一、彭玉麟、史○○(ど忘れ!!)の方が…


62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 19:54:42 ID:j0ZxSBg80
英雄だといわれたらきっと本人が必死で否定するだろう
おもしろい人だよね曾国藩

この人くらいまでが士大夫で、李鴻章になるともうそういう雰囲気はなくて
近代の政治家という感じ

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 22:24:07 ID:AuLbay7k0
同治帝が暗君ではないなどと誰が思う?とんだバカ皇帝だろうが。
いや、そもそも君主として政治手腕を評価される資格すら無い。

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 15:12:57 ID:Tue1MnJ00
清朝は全般的に名君が多いから、相対的に評価基準が厳しくなるね。

65 :愛妃:2007/09/27(木) 02:48:57 ID:cXuvUynbO
雍正帝はある意味英雄。父・康熙帝の後を立派に継ぎ、四男・乾隆帝の時代を全盛期へと導いた。国民のための政治だったと思える。雍正帝大好き!

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 15:25:41 ID:t0exzr9p0
嘉慶帝と道光帝って個人として話題に上らないね


67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 23:29:50 ID:cXuvUynbO
嘉慶帝はあまりにも皇父の存在が大きかった。道光帝はアヘンや乱など努力をしたのに今でいう官史による「政治と金」で手の打ちどころがなかったんでしょうね。康熙→雍正→乾隆→雍正→雍正→光緒→嘉慶→道光なら今も清朝は続いていたかな?

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 15:43:17 ID:HPhli2pK0
>>67
やっぱり少数派の満州族による多数派の漢族支配という構図は厳しいものがあるんじゃないかな?
続くとしたら、満州族側が、自ら漢族に同化する道を選ぶとか。

69 :愛妃:2007/10/03(水) 02:44:29 ID:V9v3UFLZO
68≫関東軍の支那支配なんてもってのほかよね。ましてや日本人だし、満州国が順調に支配できたとしても全土は無理だったと思う。今の主席は紫禁城に住み続ければいいのにね。清朝が中華人民共和国に変わっただけみたいなもんなんだから。

22 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.00 2017/10/04 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)