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【王莽】新〜後漢初【光武帝】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 18:59:59 ID:kPKUGExN0
呂母の乱から天下統一まで語ってください

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 19:12:41 ID:Toffl0jP0
2

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 19:29:40 ID:KENND1UvO
お、後漢スレが

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 20:58:59 ID:UGCmZhxn0
三戦で、ようわからんのが沸いて出て面白かったが、こっちはどうだろうか…

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 03:03:25 ID:/C8v3riaO
スレタイ通りだと後漢の初期までしか語れないということか

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 11:15:14 ID:3brh4kkB0
光武二十八将って誰がいたっけ?
ケ禹、馮異、岑彭、呉漢…
馬援は入ってなかった希ガス

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 11:54:56 ID:Ys3lDyyvO
携帯からなので一部使えない漢字があるので申し訳無いけども
雲台二十八将は順位ごとに挙げて行くと

トウ禹、呉漢、賈復、耿エン、寇恂、岑彭、馮異、朱祐、祭遵、景丹、
蓋延、銚期、耿純、藏宮、馬武、劉隆、馬成、王梁、陳俊、杜茂
傅俊、堅鐔、王覇、任光、李忠、万修、ヒトウ、劉植の二十八人です
さらにこれに王常、李通、竇融、卓茂の四人を加えて三十二将とすることもあります

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 00:22:40 ID:Pki4I+tpO
光武帝は地味だけど中国史上の中でも屈指の名君だね

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 20:46:46 ID:v057zx5z0
禍の芽をたくさん残していったけどね。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 14:56:40 ID:YS7sdrJHO
>>9
禍の芽とは例えばどんなもの?
劉秀は歴代創業の皇帝の中では後世に禍根を残さなかった方だと思うけどね


11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 15:43:01 ID:CiRyURVV0
関連

王莽 樊崇 劉秀 公孫術 
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1152092661/

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 15:51:08 ID:io3NFqnX0
>>10
粛清を嫌ったために、豪族が力を保持したままで後年の動乱につながったとかはいわれている
ただ、これは全てのことは長短が表裏一体というクチで、なら粛清しまくればよかったのか?というとノーだな

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 16:13:59 ID:nrXcAcAA0
功臣の粛清を行わずに、後にそれら豪族が外戚となった事と
死刑囚を一律、死一等を減じて宦官にした事が非難されてるが
本人としては善政のつもりだったのがな。

後、子孫が短命が多くて、それで皇帝権が著しく損なわれたのもあるが
これを光武帝のせいにするのは酷だ。

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 16:22:07 ID:+5mbtggQ0
光武帝にまつわる諺とか慣用句でいろいろ残ってるよね
向うところ敵なし、とか矍鑠とか烏合の衆とか
曹操も光武帝の行為(有力な敵を倒した時、内通文書があるかもしれない文箱を見ずに焼き払った)を真似ている

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 22:15:10 ID:Y098VP7W0
隴を得て蜀を望む

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 22:37:07 ID:i5NbPt+/0
前漢が外戚に乗っ取られて滅亡したため、外戚の専横には
相当に苦慮したはずだよ。その代わりに用いた宦官が問題
だったわけだが。

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 23:23:51 ID:gKo4z4RJ0
東漢も結局は外戚がかなり跋扈したようだけどね

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 23:49:38 ID:0aTQ9DxL0
あえて東漢ですか。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 23:58:58 ID:9hQ2AxGn0
だって後漢だと五代の劉知遠とかぶるから

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 00:05:46 ID:eo4CPdb8O
光武帝は統一後、功臣達の軍権を奪い重要な役職も与えないようにして豪族の影響力をできる限り排除しようとしてるけどね

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 00:06:49 ID:0aTQ9DxL0
節度使を無力化した趙匡胤みたいなものか。

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 00:34:37 ID:rHDi+Vh10
後漢は能力主義ではなく、人物重視で官僚を採用したのがダメだったとか。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 22:03:30 ID:CfrBlHat0
たとえ能力があっても権力者の顔色をうかがい簒奪に対し抵抗しない人物より、
能力は平凡でも人格的に優れ気骨のある人物が官僚ならば王朝に尽くしてくれる
と考えたんだろう。
しかし官僚登用の基準で親孝行を重視したため、猫も杓子も孝行息子を装うよう
になり結局似非人格者が官僚になる例が多かった。
幼帝が続いたので建国期の方針がそのまま続いたのがいけなかったんだろうな。

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 23:58:25 ID:2oZUK+PUO
一般的に後漢朝は、皇帝権が弱く豪族連合政権としての性格が強かったと思われがちだが
章帝期まではかなり豪族の力を押さえ込むことが出来ていた。
まあこれは豪族の側も中央政府に対してかなり遠慮してたってこともあるんだろうけど。やはり章帝以降長命の皇帝が出現しなかったのが惜しまれる。



25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 14:09:00 ID:rV22lpDs0
小説十八史略だと、初期は聡明な皇后が続いてて外戚に専横させなかったから良かったとしている

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 04:37:05 ID:jedoNW/Q0
それも一因だろう
それに後漢の衰退は外戚の専横に始まるから
対比でそう見えるってのもあるか

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 07:04:58 ID:xIahw+RG0
後漢は幼少で即位したうえ短命な皇帝が多かったのに王朝の寿命は長いね。
よほど基礎がしっかりしていたのかそれとも中級クラスの官僚はまじめだったのか。
前漢はあっさり新に乗っ取られた印象があるのに、後漢は実際は魏であっても
一応続いてはいたね。
そういえば献帝は長命だったね、本人は早く死にたいとか思っていたかもしれないけど。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 18:56:49 ID:OT08H9C50
献帝は孔明と同年生まれの同年死亡。
決して長寿じゃない。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 22:20:44 ID:K2olZbxQ0
後漢皇帝の死亡年齢
光武帝 63歳(一位) 明帝 48歳(三位) 章帝 33歳 和帝 27歳 殤帝 1歳 

安帝 32歳 順帝 30歳 沖帝 3歳 質帝 9歳(毒殺) 桓帝 36歳(四位) 

霊帝 34歳(五位) 少帝 15歳(毒殺) 献帝 54歳(二位) 


30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 23:14:30 ID:x3eLmSkQ0
洪武帝が結局一番の長寿か

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 23:15:16 ID:x3eLmSkQ0
変換間違えた。光武帝だ。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 23:32:43 ID:vdUOFeEe0
在位期間で計ると献帝の方が長そうだな。

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 23:51:03 ID:K2olZbxQ0
東漢皇帝の在位期間の長さ
光武帝33年(第一位) 明帝18年 章帝13年 和帝17年
殤帝1年 安帝19年 順帝19年 沖帝1年 質帝1年
桓帝21年(第四位) 霊帝22年(第三位) 少帝1年 献帝32年(第二位)

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 04:11:53 ID:aAMTbK+b0
光武28将ってかっこいいな、どっかのサイトで説明してたよ
中国の星座28宿に当て嵌めて28人だってよ

{東方蒼竜7宿}−角宿、亢宿、てい(低から人偏を引いた字)宿、房宿、心宿、尾宿、其(+竹冠)宿

{北方玄武7宿}−斗宿、牛宿、女宿、虚宿、危宿、室宿、壁宿

{西方白虎7宿}−奎宿、螻(から虫偏を除く)宿、胃宿、昴宿、畢宿、觜宿、参宿

{南方朱雀7宿}−井宿、鬼宿、柳宿、星宿、張宿、翼宿、診(言偏じゃなくて車偏)宿

本当は凡庸な人間もいるんだろうな



35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 08:06:21 ID:kpkMyFV/0
戦乱の世で生き抜いて高位に昇っただけでもそれなりだと思うけど
普通なら名も無い犠牲者その一万人目、ぐらいで死んでるだろ

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 09:25:04 ID:AKj75wogO
雲台二十八将と言ってもピンからキリまでいる。
ほんと少ししか記述がないやつもいるし。

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 23:20:12 ID:FJ8E+6/D0
ケ禹みたいにどこがすごいのかわからんのが首席だしね。
馮異や耿弇のほうが功があるのになんでだろ?。

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 00:33:46 ID:PZU+Kc9zO
確かにトウ禹って何が凄いのかよく分からないとこがあるね。
正直名将とは言い難いし、名軍師かというとなんか違和感あるし。
じゃあ彼が貢献した一番の功績は何かというとやはり人材推挙だと思う。
呉漢、寇恂、賈復、銚期等彼が見出だした人物はいずれも後に光武帝にとって欠かすことの出来ない名将となっており、
トウ禹の人物鑑識眼が非常に確かなものだったことを証明してる。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 01:23:02 ID:sczrkyRy0
>>37
まあ劉秀の学生時代からの親友だから。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 21:35:36 ID:sn+YMboi0
光武帝に赤眉が降伏したとき玉璽・玉壁・更始帝の剣を献上したけど、
この更始帝の剣ってもともと劉縯の物だったのかもしれないね。
更始帝は劉縯の剣を借りてながめてたことがあるから、粛清した後自分の物にした可能性あるし。

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 00:53:53 ID:T4ruAg3pO
朝飯前の語源ってやはり賈復の故事なのかな?

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 19:45:58 ID:XfNdpy+10
「烏合の衆」は
始めて使った人    酈食其
現在の意味で使った人 邳彤
それを広めた人    耿弇

ということなのかな?

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 23:59:29 ID:Ujv9SlfE0
この時代光武帝以外で目立つのは王莽と馬援ぐらいだね。
少し後だが班兄弟もいたか。

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 01:30:40 ID:Ki586nPRO
光武帝が目立ち過ぎて他の人物が霞んじゃうんだよね
更始帝とかカイゴウ、公孫述はそこそこ有名な方かもしれない

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 11:10:43 ID:VMqaZFwA0
だからあんまり人気ないのかなこの時代。
調べると結構おもしろいのに。

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 11:21:46 ID:0DIPoqbK0
それもあるけど英雄らしくない英雄である光武帝は
小説の主人公としては書きづらい存在だからメジャーになれないんだろう。
駄洒落好きの光武帝は歴史小説よりラノベ向きだし、ラノベで仮に出ても
変な話になるだろうしね。

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 11:29:48 ID:+Bl/h7Mh0
皇帝になっても毎日政治に熱心に取り組んで苦労しまくりの劉秀
見かねてみんなが休んでと頼んだら
「私は仕事を楽しんでいるのさ(意訳)」と答えて平然としていた
やっぱり農民的だよな、業を楽しむとか

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 11:36:26 ID:0DIPoqbK0
劉秀っていかなるときも緊張感のない人間のような印象を受けるな。
なんか綿のような柔らかさの持ち主というか、その言葉も生き方も。

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 12:25:27 ID:/m0nm0ym0
目立つ人物が光武帝の配下に集中しまくってるのも地味な要員かも知れない

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 12:38:36 ID:0DIPoqbK0
また相手側の目立ちそうな連中が簡単にやられてるからよけいにね。
(厳尤とか延岑とか。)

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 20:57:49 ID:lwp9gOS/O
延岑はかなり根性あるけどね
何度敗れても挫ける事無く反光武帝の姿勢を最後まで貫き通した
赤眉やトウ禹・呉漢等の名将を破ったこともある


52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 21:02:47 ID:Ih3aQjV20
王朗って詐欺師みたいな印象だけど意外と有能かも。
劉秀の首に十万戸の価値つけてるし、時代が違うけど項羽の十倍。
あと劉秀一行が昆陽の戦友任光のいる信都に向かわずあちこちうろうろしていたのは、
王朗が劉秀は必ず信都に向かうと予想して網を張っていたためかもしれない。

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 21:51:08 ID:lYP8weru0
この時期を舞台に、三国演義みたいな物語って作れるかな。


54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 22:12:27 ID:Ih3aQjV20
天下分け目の戦いがないから難しいだろ
昆陽は見せ場だけど天下わ賭けた戦いじゃないし、
宜陽は赤眉ガ戦わず下ったから完勝だけど戦いじゃないし
公孫述と隗ゴウが連合して長安あたりで戦いが起これば最終決戦になっていたけど・・・

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 23:13:04 ID:lwp9gOS/O
カイゴウがもう少し早い段階ではっきりと反光武の方針を取ってたらねぇ…
光武帝との戦いでは諸戦に呉漢や耿エン等を退ける等なかなか光武帝を苦しめていただけに
優柔不断な態度がなんとも悔やまれる

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 23:22:04 ID:Ih3aQjV20
まあ隗ゴウは天下とる野心なかったしね
問題は公孫述、皇帝名乗っていながら蜀に引き篭って・・・

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 10:48:42 ID:fuUi1iovO
公孫述もそうだけど、基本的に蜀に基盤を置いた政権は専守防衛に徹する事が多くてあまり外に撃って出ようとしない
守り易い地形ではあるけれど逆に言えば外に攻めて行きづらい
そう考えると毎年の如く北伐を敢行していた蜀漢は特異な存在だと思う

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 12:54:22 ID:N25AkjPD0
>>54
やっぱ盛り上がりに欠けるか・・・

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 13:28:42 ID:2YXlBVbs0
蜀漢の歴史40年で、諸葛亮と姜維を合わせても10年ほどですよ遠征なんて。

まあ蜀の政権がそのまま閉じこもってしまいがちになるというのは同意。
このあたりは意識の違いなんだろうね。蜀漢や唐の戦乱から逃げ出してきた皇帝
たちには、「ここは亡命地、仮の土地」という認識が強く残っていたと。

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 16:36:47 ID:cJLOjJ4M0
かといって、華南が征服されるときは、たいがい四川方面が先に併呑され、江南はそのあとだよね。

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 17:00:22 ID:Veef+XQ+0
そりゃ川の流れを考えれば当然のこと

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 20:14:26 ID:AS8l8Mp50
蜀の土着勢力にしてみれば、治安維持さえできればどんな勢力でも
かまわないって考えなんだろう。だから外征に積極的に協力しない。
外から来た政権は自分達を守る警察力と考えている節がある。

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 22:47:59 ID:uT7wtS330
独立の気風はあんまりなかったのかな?

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 22:57:47 ID:fuUi1iovO
少なくとも公孫述は独立しようとする意思は持ってたよ
実際独自の国号を定めたり貨幣を発行したりしてる

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 23:24:40 ID:sWSVS9ub0
蜀から出発した劉邦ってやっぱ凄いな。

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 23:25:21 ID:AS8l8Mp50
当時の豪族にとって最も重要なことは自分達一族の財産を守ること。
そのため多くの豪族が武装して自衛し、「真主」が天下を治めるのを待った。
特に蜀のように比較的平和な土地ではその傾向が強いと思う。
自分達の損になる事はしたくないから、公孫述が外征を望んでも反対する。
蜀漢と異なり公孫述には、それら豪族を抑えるだけの軍事力(自分の軍隊)
がなかったんじゃないか。その軍隊をつくっているうちに滅亡したのでは。

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 23:32:58 ID:cJLOjJ4M0
>>65 根本的な勘違いをしている。 蜀ではないのだぞ。

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 00:56:42 ID:ysqCzEDR0
>67
巴・蜀を含む漢中。って事だから良いんじゃない?
俺も>>59の書き込みを見て、劉邦を褒め様と思ってたから
言う訳じゃ無いけど…

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 05:39:32 ID:qKCgO7DbO
光武帝って二人の兄貴に対して、顕彰するような諡号とか贈ってますか?

孫権と孫策の関係において前例として影響がないのか気になりましたんで。

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 11:33:18 ID:ajltY8zY0
劉エンは斉王に劉仲は魯王に封じられています。諡号はエンは武王、仲は哀王です。
仲には子供がいないので名前だけですが、斉王家はエンの子孫が代々受け継いでいます。

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 13:47:07 ID:hdTBs7lO0
>>70
少し違う。劉縯には章・興という子供がいたので、建武二年に劉章を太原王
として劉縯を継がせ、劉興を魯王として劉仲を継がせる。
建武十一年に、劉章を斉王に遷し、十五年に劉縯を斉武王に諡し、劉仲を魯
哀王に諡す。
(蛇足であるが、少しややこしいのは途中、古に王に封じるは無しと、王を
全て侯に替えることがあり、その後、劉氏の侯を再び王に替えている。その
侯時代が紛らわしいので、ここでは省いて全て王とした)

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 14:21:56 ID:qKCgO7DbO
なるほど、単純に劉兄弟と孫兄弟を一緒には出来ませんが、王号は贈って子孫に継がせてたわけですね。

ところで、塚本青史の小説では劉秀と兄達の仲が悪く書かれていて意外な感じがしたのですが、劉秀の兄弟関係は悪かったんですかね。

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 16:31:11 ID:68ZKo3dL0
兄弟仲は良かったと思う。
兄が死んだ後、涙を流して馮異に諌められているし。

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 23:55:56 ID:OE/Lc3tCO
ただあんまり生前仲が良かったようなエピソードが無いんだよねぇ…
性格も全然違うし

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 00:12:23 ID:BwSjLbX30
特にエピソードを残すようなこともない
普通の兄弟だったんじゃない?

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 08:26:22 ID:iRsa70g60
妹とは仲良かったんじゃない?
逃げる時わざわざ一頭の馬に乗せて一緒に逃げてる
劉邦なら息子でも蹴落とした場面だ

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 20:37:03 ID:UL6SOU4/0
妹の名前(伯姫)って姉達の名前(黄・元)とくらべると浮いてるよな。
兄弟姉妹とも母親同じだっけ?。

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 00:15:22 ID:is5Ss6W10
>>77
そうだよ。
劉欽(父・南頓君)、樊嫺都(母・樊重の娘)
後漢書・北海靖王興伝に見える

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 00:36:51 ID:18jojZQb0
劉秀の家族は三男三女。男は縯、仲、秀、女は黄、元、伯姫の順。
劉秀から見て、黄、元は姉、伯姫は妹。ここまでは良い。
では、縯と黄ではどっちが年上だろうか?
誰か分かる史料とか誰か知ってる?
というのは、縯、仲、黄、元、秀、伯姫の順だと、劉縯は劉秀の4つ
以上年上で、劉秀にとって十分目上の落ち着いた兄という感じがする。
もし、黄、元、縯、仲、秀、伯姫の順だと、2つ、少し年長なだけな
兄ということになるかも知れないから。

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 08:26:18 ID:CBFmcldw0
長女・劉黄、次女・劉元、長男・劉糸寅、次男・劉仲、三男・劉秀、末女・劉伯姫
とあるところではなってるね

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 22:10:52 ID:cr1MbnGy0
劉黄・湖陽公主、劉元・新野公主、劉伯姫・寧平公主になってるけど、
小長安で劉元と一緒に死んだ彼女の娘たちも公主になったの?

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 23:33:51 ID:QbnNdMNI0
>>81
公主が嫁ぎ先で生んだ娘が公主になるということになる。
これはありえない。元の子は房子侯ケ晨の娘、それだけ。

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 23:54:35 ID:ey5SslPaO
湖陽公主からの結婚の申し出を「糟糠の妻は堂より下さず」と言って断ったのは誰だったっけ?

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 00:34:35 ID:PCXTx78v0
宋弘の妻の話?

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 08:36:13 ID:NYIq79nX0
そうだね

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 11:31:46 ID:SalJAk9+O
宋弘だけに糟糠の妻という訳か

87 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/11/30(木) 23:09:19 ID:EKe9v2/40
オチが・・・

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 23:31:49 ID:SalJAk9+O
ごめん…

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 23:38:43 ID:DdmkQtlU0
湖陽公主(劉黄)が夫である騎都尉胡珍を亡くして、劉秀が湖陽公主の意中の人
が誰かを探らせれば、宋弘らしいので、公主を屏風の後ろに隠して、宋弘を呼
んで「裕福となれば妻を替えると言うのは人情かのう」と尋ねた。
で、宋弘、件の名言を吐く。その結果、光武帝は「駄目だった」と公主に言っ
た。

この話、続きが無くもない。寇恂が汝南太守であったころ(建武三年から七年)、
孝簾に挙げられて尚書侍郎となった周嘉の、王莽末の頃の太守を守った逸話を
聞いて、「これは長者だ」と、公主を娶らせようとした。しかし、周嘉は病気
が重いのでと断った。
 公主としか書かれていないが、この年代で対象となるのは湖陽公主しかいな
い。よって光武帝は、湖陽公主の婿探しを続けていたと分かる。

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 23:48:36 ID:SalJAk9+O
>>89
湖陽公主ってよっぽど醜女だったのかな
それにしても劉秀は結構シスコンっぽいよね

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 00:16:27 ID:LSn8paIk0
>>90
湖陽公主の出てくる逸話には、白昼、奴隷が人を殺したが、それを主人である湖陽公主
が匿ったというものがあり(酷吏列伝の「強項の令」董宣伝、(蔡茂伝にも同じことが記載))、
権威を笠に着る性格のようです。
夫がいなくて、暇だから都度都度光武帝に会いに来て、光武帝も持て余し気味だったの
かも。


92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 17:18:37 ID:0KHz2KBHO
二十八将の中で最強の武将って誰なの?

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 20:55:00 ID:fv4DGrdS0
>>92
もっと具体的に書かないと。
例えば、二十八将が個別に一騎打ちしたら最強は?
例えば、二十八将に同質同数の軍を率いさせて戦えば最強は?
この場合も、単純な戦いで計略不可と最大限計略を許す2通り
で変わってくる。状況によって最強は異なる。
一騎打ちのことを言うなら、賈復、蓋延、銚期、馬武に絞れる
かな。その中では賈復かな。異議有りの人はコメントして。

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 23:22:29 ID:YI6/pxCa0
個人の戦闘力は賈復か馬武、指揮官としては耿エンか岑彭、
知略は馮異かコウ準、軍団の攻撃力だと呉漢だと思う。

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 23:29:21 ID:YI6/pxCa0
>>94
間違えた寇恂ね。

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 00:38:39 ID:PMzNdt7zO
個人的な武勇なら銚期が一番じゃないかな?
銚期伝には「手づから(自らの手で)〜人を殺した」って記述がよく出て来るし。
他にまだ挙がってない候補としては陳俊とゾウ宮とかかな。

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 11:08:28 ID:QFRY3/ZqO
二十八将ではないけど馬援はどうだろうか?

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 11:25:22 ID:vPcY27d50
関羽

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 15:54:27 ID:/eOXbFBb0
↑98は見なかったことにして、塗り込んでしまおう。

馬援は、確かに隗囂と本格的に戦うときには活躍している。しかし、馬援
の功績が強調されるのは、武陵蛮が反し、呉漢の副将であった武威将軍劉
尚(或いは劉向)を遣りてこれを討たしめるも敗北し、次に送られた馬成
も功無く、最後に馬援が送られて、武陵蛮を討ち果たして以降。この時、
建武二十四年で、二十八将で馬成以外に残っていたのは、ケ禹、賈復、耿
弇、この三人は兵権を返し、王覇は匈奴と対峙し、残るは臧宮、馬武、劉
隆である。この状態だから、馬援も活躍の場ができたとも言える。


100 :99:2006/12/03(日) 16:37:41 ID:Aqj5EQrb0
建武二十四年が、光武帝の名言「矍鑠たるかな是の翁(勇ましいかな、こ
の爺さん)」の年。馬援六十二才。率いる将には中郎将馬武、耿舒(耿弇
の弟)、劉匡、孫永ら。

ちなみに交阯の姉妹徴側・徴弐の叛乱を伏波将軍馬援が平定しに行くのは
建武十八年のこと。この時、副将扶楽侯劉隆、他に楼船将軍段志。

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 20:47:06 ID:AN4ZW8UM0
コミック三国志マガジンに徴姉妹の漫画が載ってた。当然馬援も登場する。
前に「隴を得て蜀を望む」の話のときは光武帝は完全に無視されてたので、
三国志以外は書かれないと思っていた。
なんかうれしい。

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 21:14:37 ID:QFRY3/ZqO
馬援は悪役なんだろうなぁ…

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 21:28:39 ID:AN4ZW8UM0
>>102
そうでもない。
悪役は太守の蘇定で圧政に抗議した徴側の夫詩策を殺してる。

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/04(月) 23:17:50 ID:3T/d/mI+0
厨臭くて無理を承知で聞くけど、光武帝の能力を光栄三国志式にあらわすとどうなる?
武力、統率、知力、政治、魅力で

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 01:13:11 ID:Ff8LrAZa0
折角馬援の話が続いているのだから、馬援に光武帝の採点をして貰おう。
馬援は隗囂の使いで、劉秀に会い、その人物像を隗囂に報告している。
馬援が隗囂に語るに「(劉秀は、)聡明で勇気と才略があり、人の敵う所では
御座いません。且つ心を開きて誠を示し、隠し事無く、闊達にして大節多き
ことあらまし、高帝(劉邦)と同じ。経学は博覧、政治は明解敏速、前の世
に類なし」
隗囂が劉邦に比べてどうかと尋ねれば、馬援は「比較になりません。高帝は
可も無く不可も無し。今上帝(劉秀)は実務を好み、常に節度を保ち、また
飲酒を好まず」と言う。
隗囂、心喜ばずして「きみの言の如くであれば、返って(劉邦)に勝れると」
と息子を人質に出すのを承諾する。

よって、劉邦を基礎点に上乗せして下さい。

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 20:17:00 ID:IxkjTJf/0
>>104
武力 53 基本ヘタレだが昆陽の戦いなどの戦果を考慮して
統率 71 兄貴や義父の強力な後ろ盾があったとはいえ皇帝になってる
知力 58 特筆すべきエピソードなし。太学出てるんで馬鹿ではない 
政治 80 一応統一後を無難に統治した
魅力 30 殆ど小説化されない原因はこの点か


107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 20:42:12 ID:pqBOFSFC0
陣頭指揮して兵たちに「神のような人だ」と言われたことは加味されませんか、そうですか。

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 21:51:29 ID:OBJxhWMf0
他のスレでの能力評価
劉秀
統率90      統率94
武力77      武力85
知力82 もしくは 知力95
政治87      政治98
魅力94      魅力99

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 22:57:56 ID:ZL3VZmzY0
>>106
兄貴は分かるが、義父って誰?
蓋延、ケ隆、呉漢の兵の配置を聞いて、その配置は危ない、或いは使者に
お前が前線に戻る頃には破れているだろうと言い、その通りになったのは
劉秀の知力を示すエピソードじゃない?

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 23:19:51 ID:OBJxhWMf0
>>109
劉楊を郭聖通の父親だと勘違いしてるんだろ。
光武帝にかぎらず人物の能力を数値にした場合、
納得できないってことってあるよな。
もともと数値で測れない要素が多いんだろ。

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 23:52:43 ID:pqBOFSFC0
そりゃそうだ。 だがそれを言っちゃ…
配下の能力を上げると同時に、勢力固有のなにか特別な項目がいるね。

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 02:07:19 ID:r6UtzZEL0
>>104
確実に俺等より凄い奴。
それで良いじゃないか。

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 16:38:42 ID:lkHDyMJ7O
>>112
臆病者乙

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 19:52:19 ID:l5UWMYr20
光栄式評価スレで魅力100候補に挙げられてるお!

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 21:01:20 ID:DVkEWrEmO
さすがに魅力100は高過ぎ。
光武帝って人によって評価の差が激しいよね。

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 21:08:27 ID:l2Y3YhW+0
評価低い人は、たぶん知らないからなんとなく、横光劉邦ふうプラスアルファくらいになってるだけじゃまいか?

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 21:48:16 ID:cIM5h2BB0
>>105
「可も無く不可も無し」って一応ほめ言葉なんだよな。
闊達自在の境地って意味で、仙人みたいな感じかな?
劉邦は行き当たりばったりって意味で言ってる気もするけど・・・。
>>116
よく知らない人は、光武帝は豪族達に神輿として、祭り上げられた皇族って思ってたりするし。

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 23:06:07 ID:l2Y3YhW+0
>>117 こうしてみると、劉秀やその政治背景の知名度がどういうものかってよくわかるね。
中国では、最近ブレイクの予兆があるけど、日本人受けしそうにない、あまりの完璧成功人生…
かえって妬まれはせんかとガクブル

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 19:19:45 ID:conRNdMT0
少なくとも腐女子受けはする模様

ttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/5079/
ttp://sagaplanets.product.co.jp/works/kouki/kouki.htm#to

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 23:29:09 ID:xAhoegnW0
>>118
完璧人生だけど、俺は嫉妬は感じないな。
成功が鼻につかないというか、嫌味が無い。
人徳と云うやつかな。

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 23:32:46 ID:9EuCRPSV0
↑119 腐女子受けというより、ラノベな素材だな。

腐女子なら、男×男の関係をアレコレ想像して楽しむらしい。
光武帝がちゃんと世に知られると、そういう真性腐女子に絶対
に標的にされるのが一名いる。後漢書読んでる人なら直ぐ分か
る。分かった人は名前を言わずにエピソードでコメントしてね。

例えば、子供が出来ないので、兄貴が気を利かせて妾を遣った
が、追い返したという、あの人。

122 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/12/07(木) 23:33:35 ID:EwDIM/Do0
妻を娶らば使い古して殺す。

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 00:01:24 ID:vNqFLmaT0
>>121
劉秀に容貌を気に入られた人ね。
従兄弟が遼東太守で、日本からの使者を都につれてきたんだっけ。

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 20:39:08 ID:b5WQVrOs0
>>123
そうそう、従兄弟は30年くらいずっと遼東太守で、明帝の時もその座にいた。
もし、倭からの使者が朝鮮半島経由で後漢に入朝したなら、彼が何らかの指
示をしたでしょう。それ以上のことは後漢書東夷伝読んでも書いていません。

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 21:11:14 ID:sM7Mc7LI0
牛に乗って闘う王

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 21:33:52 ID:vNqFLmaT0
>>121
馬援×隗囂とかやりそうだな。

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 22:29:39 ID:+Wkw/1i60
>>126
想像すんな。

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 23:15:33 ID:iFfrKRC9O
なんで李軼って更始帝側に寝返ったんだろうか
元々李通に劉秀兄弟に協力することを薦めたのは彼だったのに
なんで後に劉エンの暗殺に関わったのか…


129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 23:22:57 ID:d8aNFbA3O
城陽景王バンザイ

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 09:27:05 ID:vNtRkI6T0
>>128
昆陽が、王邑の軍に包囲された時、劉秀は夜半十三騎で脱出に成功する。
この十三騎の一人が李軼。

(劉縯は宛を降し、それを知らぬまま劉秀は昆陽にて実勢力四十二万の
軍勢を数千の兵で破る)

次に李軼が登場するのは、朱鮪と共に更始帝に劉縯の殺害を勧める時。

これ全て更始元年六月のことである。妙だと感じない人はいないと思う。

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 10:00:31 ID:jL3O992w0
>>130
昆陽戦で意見が対立し、感情的にこじれてしまったのかな?
兄の仇の片割れである朱鮪が降伏後、登用され出世しているのも奇妙だ。

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 11:04:22 ID:bJ//zeyM0
>>128
劉縯兄弟にしろ、李通、李軼、劉玄も、
みんなバラバラで主従関係なんてなかったから、
そもそも寝返るなんて感覚もなかったんじゃない?
主従関係になるのは、劉玄が更始帝に即位してからでしょう。

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 12:22:51 ID:jL3O992w0
劉兄弟は李通・李軼を義兄弟のように思ってっていたが、
李軼にはそんな考えは無かったのかもな。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 13:07:09 ID:aFuZjiOJ0
>>117
「可も無く不可も無し」は『論語』微子編で孔子が言った言葉で、孔子が七人の
賢隠者を評した後に、それに比べて自分は「可も無く不可も無し」の平凡たるも
のだと自らを謙遜して言ったもの。しかし孟子や朱子学では別の解釈がされて
いる。
馬援が口にしたのは、平凡の意味で「可も無く不可も無し」でしょう。

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 11:41:57 ID:MrF8iOjn0
李軼が劉縯・劉秀に反目したのは自明だからそのまま置いておくが、
従兄弟・李通の立場はどうだったんだろ。つまり、劉縯の暗殺にど
れだけ関与していたか。また、劉秀・李軼どちらに肩入れしていた
のか。

そう考えると、李通の動き方も面白い。
長安まで更始帝に同行し、西平王に封じられ、荊州に赴任する時に
は劉秀の妹の伯姫を娶る。劉秀が皇帝に立った時は、召されて洛陽
に往き、臣下となっている。世渡りが上手いといえばそうだが、ど
うしてそういう芸当ができたのか。

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 14:26:11 ID:XL7bbA22O
劉秀の妹を娶ったぐらいだから相当信頼されてたんだろうね。
図讖に通じていたらしけど、劉秀が図讖に拘るようになったのは李通の影響だったのだろうか。

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 15:23:07 ID:XexgBJPX0
> 荊州に赴任する時には劉秀の妹の伯姫を娶る
もっと前に娶っていた可能性はない?
通因娶光武女弟伯姫
"因"は、普通は理由を示す言葉だから、
後に光武帝に召し出された理由を示してるってことないかな?

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 17:08:04 ID:4L0h5FLQ0
>>136
図讖は当時の流行だったから、
劉秀の図讖好きも単なるミーハーだったと思われ。

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 00:01:36 ID:2P+SzEdL0
>>137 後漢書で、前後の文は
更始使通持節還鎮荊州,通因娶光武女弟伯姬,是為寧平公主.

更始(帝)、(李)通をして節を持ちて還って荊州を鎮ぜしむ。
(李)通因って光武帝の妹伯姫を娶る。これ寧平公主と為す。

因ってが掛かる文は直前の「更始(帝)、(李)通をして節を
持ちて還って荊州を鎮ぜしむ」しか無いと思いますが。

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 00:21:10 ID:SjGXGfmj0
馬鹿だから文字だけじゃ解からなかったん!
悪いか!

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 12:22:18 ID:eCGBfkQ0O
劉秀の図讖へのこだわりようは単にミーハーだからっていう域を越えてる感じがするけどね。
普段絶対に部下を粛清しなかった劉秀が、図讖を否定した儒者を死刑にしようとしたこともあったし。

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 00:22:56 ID:4OSmrqW30
それほど当時は図讖に影響力があったんじゃないか。
いくら否定しても図讖を信じるものはいるだろうし、
それなら自分達に都合の良い解読をして流布させたほうが良い。

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 06:59:43 ID:4IBLo/GE0
図讖は西漢末期に頻出する。王莽等はそれを操り、また逆に振り回された。
哀章の「金匱策書」なんかそう。劉秀の時代も影響が残っている。公孫述
も図讖で自分の正統性を主張する、或いは臣下を納得させるのに使ってい
る。蛮中山の賊の張満というのが、劉秀の部下に敗れた時に「讖文、我を
誤てり」と言っている。それほど世の中に流布していたということになる。
その後、図讖の類、讖緯節は西晋の武帝が禁止してから、各王朝では禁止
されることになった。よって以降は図讖の影響は少ない。

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 21:01:24 ID:ls6P91RE0
李通の図讖は元がある。『漢書』「王莽伝下」に魏成(魏郡)の大尹(太守)李焉が卜者
王況と謀り、王況が李焉のために讖書を作ったとある。王況が言うに「(中略)漢家當
復興、君姓李、李音徵、徵火也、當為漢輔」つまり「漢は当に復興すべし、君の姓は李、
これは徴調(ちちょう)の音で、(五行では)火、当に漢の補佐となるべし」これが由来
である。
『後漢書』「李通伝」では、王莽の世、李通の父李守は王莽の宗卿師であり、その集め
たる讖文に「劉氏復興、李氏為輔」とあるのを李通は胸に留めていた。李通は巫県の丞
となり能名あり。しかるに李通の家は富たるが故に、李通は役人でいて面白くもないと
辞めて帰る。

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 22:53:01 ID:r0u3seO10
>>129
赤眉の方でしょうか?
劉盆子も城陽景王の血筋なんだよね?

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 10:04:09 ID:e5S3BZ4sO
城陽景王信仰を弾圧したのが曹操なんだよね

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 20:37:13 ID:rQQEy8eM0
城陽景王ってどういう人? 何故、信仰されてるの?
教えてくんですまん。

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 21:00:10 ID:3CBQI8030
>>147
高祖劉邦の長男の斉王劉肥の次男劉章。呂氏討伐時に兄の斉王劉襄を挙兵させ、
みずからは呂産を斬った。
兄が皇帝なっていれば斉王になっていただろうが、結局帝位は叔父の代王劉恒(文帝)
が継いだ。文帝は劉章を趙王にという意見を退けたため、彼は城陽という小国の王となり二年後に死んだ。
恨みを抱いて死んだとされ同情が集まり神として祭られた。


149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/18(月) 00:47:45 ID:Han0yFqw0
赤眉は、長安を一度出て隴に向った時、帝陵を荒らしたらしい。
呂后の墓荒しは分かるけど、他を荒らせば、城陽景王の親族を
汚すことになる。そこまで知恵回らなかったのかな。


150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/18(月) 00:57:56 ID:YuOb2Qy3O
城陽景王が怨んでいたであろう相手は文帝だったろうから、文帝以降の皇帝たちはむしろ報復すべきだったのかもしれん

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/22(金) 12:14:31 ID:YEdYqf4UO
王莽の二名の禁は何故新朝が倒れた後も守られたのかな?

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 00:43:32 ID:6zWpIXfh0
朱虚候だった劉章は呂后存命中、酒宴の司会を勤めたとき「将軍の家系だから」
という理由で軍法をもって司会を勤め、無断で中座した呂氏の男を斬り、また呂后
の前で「農作業の歌」と称して呂氏は除かれねばならぬという意味に取れる歌を歌ったが
どちらも呂后の許しを得てやったことなので罰せられなかった。
また未央宮の便所で呂産を斬った後、勅使の馬車に同乗して長楽宮に赴いたため近衛兵の長官
呂更始は勅命と信じ抵抗せず斬られた。
知勇を兼ね備え、気骨もあるこの人物を大国の王にすれば兄と共に反乱を起こすかもしれないと
文帝は考えたんだろう。

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 17:59:19 ID:TQebedHP0
赤眉は景王を祀って巫(かんなぎ)を連れていた。その巫がトランス状態に
入って言うに「景王大いに怒って曰く、まさに天子と為るべし、何故に賊に
為ると」。この巫を笑う者、病めば、軍中驚き騒ぐ。
 というわけで天子を立てる一助となる。

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 23:35:53 ID:mcNwhQFiO
>>151
秦や隋のように、政権自体短命でも後の王朝が前王朝の遺産を引き継ぎ発展・定着させることは多々あるので、それも一例じゃないかな?

諱が一文字でもよく使う字の方が二文字になれば、直ぐには困らないんじゃない?

まぁ、諱でもって語ってる後世の人間よりも、当時の人は同姓同名に困ってなかったかもね。


155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 23:41:44 ID:xcijv007O
二字名の禁は王莽が勝手に考え出したのではなく、当時の儒教的な価値観から出てるものだからな
王莽に関係なく納得して従う奴が多かったということだ

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 08:52:57 ID:pbwq5MUJ0
>>150
遅まきながらダウト。
『漢書』王莽伝下巻末に「宗廟園陵がみな発かれ、ただ覇陵と杜陵のみが
完全であった」とある。覇陵は文帝の墓、杜陵は宣帝の墓で、これらは長
安の南東にある。他の園陵は全て長安の北、渭水を渡った所。長陵、高祖
の墓もこちらにある。よって赤眉は何も考えずに宗廟園陵を発いたと言え
る。

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 11:18:00 ID:VEv2J9eVO
斉王ではなく恵帝を後継にした高祖をも怨んでいたんだよ

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 22:46:08 ID:c6Wwweh/0
廉丹って廉頗の子孫だったんだ。

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 20:52:58 ID:A41Cy64XO
>>158
それは初耳だね。この時代に廉頗の子孫が生き残ってたなんて驚きだな。

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 20:58:27 ID:nxvCkIQ60
>>159
後漢書には、廉丹の孫の伝記がある。

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 00:12:28 ID:eyhqux1B0
>>159
趙奢の子孫(馬援)も生き残ってるよ。

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 04:02:05 ID:cbkCawco0
>>160
廉范伝。楚王英の謀反の時に、連座し誅せられた薛漢の遺体を独り収めて、
明帝の怒りを買い詰問される。そのとき廉范が答えるに「自分はわきまえも
知らぬ愚か者でございます。思いますに薛漢は既に誅せられ、(これに教え
を受ける身とすれば、)師への情に耐えず。罪は計り知れませぬ」
怒りが解けた明帝の言葉が面白い。「そちは廉頗の後裔か。右将軍褒、大司
馬丹と親属であるか」と尋ね、廉范が「褒は曽祖父、丹は祖父なり」と答え
ると、明帝は「(道理で)そちの肝が据わって妙だと思った」と赦す。これ
によって名を現す。

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 19:55:13 ID:OSzAPwHo0
陰家の美少女を嫁にするとは劉秀くんはお目が高い!それも小さな頃
からねらってたんだから。恋愛の師と呼ばせていただきたい。

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 23:14:02 ID:eyhqux1B0
>>141
光武帝が処士で旧友の厳光と同じ部屋で寝たとき、
厳光は寝返りを打って光武帝の腹に何度も足を乗せた。
翌朝「昨夜、客星が御座(北極星)をしばしば犯したので異変が起こるのでは」と
報告を受けたが、光武帝は「厳子陵とともに寝ただけだ」と答えた。
このエピソードから考えるに、光武帝は本当は予言の類を本気で信じてはいなくて、
ただ自分の都合によって上手く利用していただけじゃないか?

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 23:23:14 ID:wsvnStHHO
>>164
それを見る限りでは光武帝は天人相関を信じていないようには感じないが

ただ、客星の侵犯→天下や帝の身に何か大事が!と思ったら帝の身体に足が乗っかったという徴だった、というオチなだけで
「身体に足が乗っかった」であれ、天子の身に何かあるときには天文に徴があるということは否定されてない

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 23:46:42 ID:eyhqux1B0
>>165
でもそれほど深刻には考えていないようだけど?
予言を信じて致命的なミスを犯したって話は聞かないし、
良い予言は信じ、悪い予言は別の解釈をしたんじゃなかろうか?
清の時代に崇厚という人物がいたが、イリ地方返還を求めるためロシアへ行った時、
占い師に「期日までに帰国しなければ死ぬ」と言われ、
それを信じて本国に無断でイリ地方を割譲してしまった。
崇厚は帰国後、死刑を宣告された。こいつは結局命は助かったが、
光武帝は崇厚のように予言の内容について他人の解釈を無条件で信じるような人間じゃなかったんだろう。
予言に関しては当時の人間として普通といえるぐらいしか信じていなかったのでは?

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 21:26:59 ID:NXvtkkc00
春秋左氏伝は劉歆の捏造なのか?

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 08:19:48 ID:sHHlCynZO
>>167
その説が有力らしいと聞いたけど、本当かな。

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 16:32:03 ID:W/VV0iUw0
>>166
図讖によって、皇帝になった劉秀が、その同じ図讖で大司馬を選ぼうとして、
臣下がブーイング。皇帝劉秀、だったら誰なら良いんだと言えば、名前が上
がったのが呉漢と景丹。で呉漢を大司馬、景丹をある意味同等な驃騎大将軍
にした。図讖で名前が上がった男は、それっきり歴史から消えた。
と、全面的に予言に託す人物ではない。
もし、朝に「今日の占い」が読めるなら、それを見てから仕事する人みたい
なものかも。

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 21:04:53 ID:B5/enrzB0
>>169
しかし、同じ図讖に名前があった王梁は二十八将に入ってるな。
ひょっとしたら図讖を理由に孫カンを大司馬に選んだのは、
王梁の県令から大司空の異例の抜擢のブーイングをかわす目的で、
わざと評判の悪い人間の名を一緒に入れたのかも。

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 01:01:40 ID:VlAnFFAp0
>>170
面白いけど『後漢書』の「本紀一上」によれば
六月己未 皇帝に即位
七月辛未 ケ禹を大司徒と為す (上記の12日後)
七月丁丑 王梁を大司空と為す (上記の6日後)
七月壬午 呉漢を大司馬と為す (上記の5日後)
と、三公の選定は日がずれている。王梁がブーイングされれば、その日一日
で、呉漢と同様に、では誰が大司空に相応しいかと諮問したと思われる。

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 07:19:01 ID:DXfOL84EO
王梁って二度も勝手に兵を動かしたり、治水事業に失敗したりしてるのになんで28将に選ばれてるんだろ?

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 11:24:41 ID:3BgL8BGT0
>>171
それって、任命した日じゃないの?
三公を発表したその日に任命するなんてあるのかな。
もしそうだとすると、王梁がブーイングされなかったのは何故だ。
皆が図讖を信じたからか、あるいは三公にふさわしい人格と容貌をもっていた為か?

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 15:22:41 ID:ffvaBcN10
王梁がブーイング受けなかったとすれば、孫咸ってのはよっぽど仲間内
で評判悪かったんだろうね。

また王梁が失敗するのは、大司空になって焦った故かも。死罪を免じら
れてから後は、治水工事の失敗で責められるまで、賊討伐など戦線で活
躍している。


175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/14(日) 10:16:46 ID:aoLaXa5Z0
王莽の軍事知識は大軍を派遣すれば勝てるという程度のもので、
補給や将兵の事をまったく考えていないよな。
指摘すると厳尤(荘尤)や田況のように懼れられて兵権を奪われるし。

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 00:36:55 ID:HqgbfZLJO
王莽マンセーage

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 19:55:40 ID:pK1VrREA0
そういえば、後醍醐天皇の年号も建武だったな。
光武帝にあやかろうとしたのかな?

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 15:36:19 ID:ZBgMw7sW0
ゴダイゴ部下使い捨てにし過ぎ。どうも好きになれん。
その点やっぱ光武帝はいいな。

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 16:26:46 ID:jbLfZKQeO
漢朝の復興にあやかって、天皇親政を復活させたかったんでしょ。

醍醐天皇の「延喜の治」に対するオマージュから「後醍醐」と呼ばれたがってたみたいだし。
結構、過去の偉人や故事に自分を投影するタイプかもね。

しかし、中興を意味する「光」の諡号(当然、光武帝もこの意味)は北朝の天皇に贈られてるのは、歴史の皮肉なのかな。

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 20:43:21 ID:ZBgMw7sW0
なるほど・・・
ていうかあの時代の北朝の天皇ってすごいよな。
武士の集団自決に居合わせたり流れ矢で負傷したり南朝勢力に拉致られたり・・・


181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 21:08:36 ID:U+5x+ObUO
>>179
劉備の諡号である昭烈帝の「昭」も、光武帝の「光」と同じ意味なのかな?

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 22:45:45 ID:jbLfZKQeO
>>181
「昭」は「功績を譲る徳を持つこと」
関羽・張飛・諸葛亮ら臣下の功績で大事をなしたことを意味するんじゃないかな。

楽毅が仕えた燕の昭王も広く人材を集め、燕を復興させたわけだしね。

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 23:11:42 ID:U+5x+ObUO
>>182
ふーむなるほど

自分は劉備の諡号である「昭烈帝」は、「光武帝」を意識して付けられたのかと思ってたけど違うみたいですね

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 23:13:15 ID:fDIR9QHIO
諡法に書いてあることだけが諡の意味ではない場合もある
むしろ諡法は表の意味で、裏の意味を持つ場合があると言うべきだろう
昭烈帝は昭→光、烈→武と意図的に光武帝を連想させる諡を選んだのだろうし、献帝も献上の意味も込めて魏が贈ったと思われる

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/27(土) 01:13:39 ID:0JwtOrU7O
漢代の皇帝は全員諡号の最初に「孝」が付くけど
光武帝には「孝」は付かないよね?

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/27(土) 01:18:26 ID:Da4NyyxXO
>>185
「先代を引き継いで祭祀を継承した」=「孝」なので初代には付かない
だから高皇帝と昭烈帝にもない

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/27(土) 02:41:42 ID:dmYidef0O
廟号でいうところの高祖・太祖・世祖など「祖」がつくような人には、諡号に「孝」は付かないってことかな。

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/28(日) 12:12:37 ID:NM2pkJKaO
諡号にもいろいろ決まりがあるんだな

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/30(火) 23:34:43 ID:taSYQYUd0
オール読物に田中芳樹の短編が載ってた。
妖怪退治の話で、主人公は長安遊学時代の劉秀。
別に劉秀を主人公にする必要のない話だけど、
ひょっとして長編を書くための布石なのかな?

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/31(水) 19:40:30 ID:IDQnZLZx0
【中々】 中国名将百選 其ノ弐 【決まらんね】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1167560946/

後漢時代に詳しい諸兄らの参加を心からお待ちしております

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/02(金) 00:29:57 ID:NT9K+D4vO
>>189
いつか芳樹は光武帝関連の話書くんじゃないかなと思ってた

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/02(金) 23:15:11 ID:IZtifpwf0
かなり光武帝好きそうだからね。

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 01:19:48 ID:0WRf6H3iO
塚本だっけ?光武帝書いてたの
あれ面白ければよみたいんだよなぁ

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 11:31:50 ID:74slseESO
>>193
塚本光武帝は正直オススメ出来ない
なんか光武帝が嫌な奴なんだよな

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 12:19:27 ID:PrJjQG5vO
塚本版『光武帝』は上・中・下3巻の大作だったから、読む前は赤眉から統一まで詳しく描かれてると期待してたんだが、劉秀即位までで拍子抜けしちゃった。

なんか、塚本自身が途中で燃え尽きた感じだった。
やっぱ、劉秀を主人公にすると小説として書きにくいのかなぁ。

一概に、塚本の力量不足といい切れない気もするんだよね。


196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 13:42:21 ID:0WRf6H3iO
光武帝って完璧すぎてつまらないなんて聞いたこともあるけどそういうもんなの?

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 14:28:54 ID:WC3Co8vZ0
牛に乗って戦に出る人間が完璧なわけがない

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 14:59:47 ID:74slseESO
光武帝は結構情けないエピソード多いよ


199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 15:14:02 ID:zzI2Diy4O
情けないエピソード≠完璧ではない≠魅力的

どんな人物のどこを気に入るかは最後は好みだからねぇ
情けないエピソードと言われるものを含めて鼻につく人もいるだろうし、好きになる人もいる

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 15:34:34 ID:74slseESO
ああごめん、「情けないとこもあるから魅力的」って意味で言ったんじゃなくて
「光武帝といえども完璧な人間じゃないよ」って意味で言ったつもりでした

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/05(月) 15:50:24 ID:GO2bIgpO0
光武帝小説よりも少年漫画の主人公が向いてる気がするね

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/05(月) 20:43:24 ID:9qXibB7s0
それも学園ラブコメのw

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/05(月) 20:55:44 ID:Qroz/e/Y0
光武帝ってジャンプ好きの中学生女子が考えたみたいなキャラしてんな

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/06(火) 00:42:37 ID:d+GgwL/rO
腐女子サイトがあるぐらいだしね

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/06(火) 19:39:24 ID:BnbC+3e00
>>204
どこ?

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/07(水) 02:15:06 ID:Ou6gNASC0
>>204 あのサイトは好きだな。
わかっていてパロディ化しているから、余計にツボるんだよ。
4コマは完成させてもらいたいものがある。

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/10(土) 16:47:10 ID:J58PmaAN0
最近、この人の事をWIKIで詳しく知ったが
凄い英雄だったんだね。

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/10(土) 16:52:48 ID:Ek1oUKaaO
皇帝の外戚とはいえ傍流から一代で禅譲を受けて皇帝になったんだから偉大な英雄には違いないよな

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/10(土) 17:27:50 ID:ZDGrm4b1O
>>207は王莽のこと?それとも劉秀?

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/10(土) 17:31:35 ID:mcDku+Xz0
>>209のレスで、このスレが光武帝のスレじゃなくて
後漢初期までの歴史全体のスレということを思い出した。

211 :207:2007/02/11(日) 00:50:49 ID:7yo2Nko70
>>209

光武帝の事です。

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/11(日) 23:47:33 ID:S5DHnzvg0
王莽か?劉秀か?と聞かれて
光武帝とはこれいかに。

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/12(月) 03:44:26 ID:OqwKlX060
>>208のGJ!が無視されてる件について

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/14(水) 04:58:13 ID:+JEMP33i0
横山光輝には死ぬ前に光武帝伝を描いて欲しかったな。

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/14(水) 12:39:15 ID:c87tDxIqO
確かに横光光武帝を読んでみたかったな

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/15(木) 00:14:13 ID:VAT1tDQj0
島本和彦のも見てみたい気が…

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/15(木) 21:40:01 ID:yqZEfS88O
ゴンタ書かないかな

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/15(木) 21:56:22 ID:4lnUXgea0
原作・武論尊 
作画・池上遼一

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/15(木) 22:35:03 ID:+Zp/EBEcO
>>218
劉秀が悪人で倭人に殺されちゃうのか

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/17(土) 19:37:39 ID:EfpZs+Hv0
画・園田光慶 
作・久保田千太郎

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/17(土) 22:19:13 ID:3KnCQlNW0
>>220
隈取りが入った劉秀が「この野郎!」と叫びながら
陰麗華を寝取った更始帝を真っ二つにするわけだな。


222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/17(土) 22:32:44 ID:dVsCaa1S0
江口寿史著 光武帝(未完)

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/17(土) 22:39:14 ID:vFu5uJllO
来歙とか白いワニに食われちまうのか

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/17(土) 23:45:49 ID:tASOL6J+0
荒木飛呂彦著 劉秀の奇妙な冒険

「劉兄弟は世界一イィィィィィー!」


ちなみに『ジョジョの奇妙な冒険』は横山光輝の『バビル2世』に強い影響を受けたという。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/18(日) 00:47:56 ID:UnzZAVIJ0
つまらん流れだな。

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/24(土) 23:13:38 ID:L0csj7IZ0
>>204がどこか気になって調べてみたら、
なんつーか、すごいのが出てきた。
目がキラキラしてる…。
好きなんだな〜というのがよく伝わって、微笑ましかったよ。

塚本光武帝は陰麗華もダメすぎる。
郭聖通くらいだな、面白いのは。

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/01(木) 23:09:17 ID:GaZaTwSs0
塚本の王莽は、光武帝より面白い?

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/02(金) 10:40:27 ID:c/5cj4Td0
塚本には才能がある。
面白い話を腐らせる才能だ。

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/02(金) 23:31:26 ID:OXu1sboU0
醗酵させるなら救いがあったんだが…

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/02(金) 23:58:30 ID:scz/XHN9O
やっぱ芳樹が書くしかないな

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/06(火) 22:09:17 ID:GScXGPAp0
芳樹が書くと女装の麗人がもれなくついてくるぞ

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/06(火) 22:10:09 ID:GScXGPAp0
女装じゃなかった、男装の麗人だった

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/06(火) 23:05:21 ID:jj31+fY/0
女装の二枚目

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/07(水) 12:02:00 ID:z96snJzO0
みんなが言うようにライトノベル、
特に芳樹向けだよね、劉秀。
普通の小説家さんが書こうとすると、
実物より陰気になったり、ギラギラしすぎたりしそう。

なんか良い意味で学生気質を持ったまま皇帝になった人って感じがする。

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/08(木) 19:08:46 ID:C/CgKbDZ0

劉秀は、一昔前の歴史小説なら主人公としてこれ以上の人物はいないだろ
読者の感情移入と阻害するような史実も少ないし。
今どき単純な英雄史観で歴史を書きたい奴は、劉秀をこそ書くべし。

逆に朱元璋とかを小説の主人公にしちゃうような単細胞には
元末は書いてほしくないな

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/08(木) 20:43:37 ID:fqyBKi3v0
いや、面白いと思うぞ。
最初は信頼しあっていた家臣団を見る目がどんどん変わっていき、最後には……ていう展開
どこが英雄物だ、て説もあるが。

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/08(木) 21:13:52 ID:FEueH56+0
朱元璋は
最悪の幼少時代、心が荒む
友と過ごす幼年時代、荒んだ時代に自分の居場所
天下争乱の青年時代、サクセスストーリー
李善長らとの出会い。彼らが教える儒教に統治者として夢ヒロガリング
理想と現実。腐りきった地方官。士太夫の裏切りに怒る朱元璋
最愛の息子の死。他人を信じられなくなったかっての英雄

これはこれで一本の筋が通ってて
それでいてバッチリ典型的な英雄記だと思うぞ

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/13(火) 20:07:03 ID:gEgYkbtT0
王莽って、何であんなに情けなくなったんだろう?

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/13(火) 23:41:12 ID:veo65chW0
得意なのは権力争いだけじゃない?
実力が有ったと思わせるようなことあったっけ?


240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/14(水) 09:39:35 ID:m0q7dT6I0
>>235
でも塚本はアレなんだよなあ…。
初恋の人への想いが実ったとか、色々あるのにな。
麗華より兄貴とかそれどころかキッツイ嫁の方がインパクトあるとかどうなんだ…。
そして何より本人のキャラが悲しいほど薄い。

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/14(水) 09:45:39 ID:5aLm1lsQ0
このスレ見て興味もったのだが
あんまりこれはという小説ないな
みんな何読んでるの?

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/14(水) 18:44:08 ID:0uz3sfEM0
則天武后は傑物だろ

243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/14(水) 19:31:02 ID:rM0tvSDM0
どこの誤爆だよ。

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/15(木) 08:36:09 ID:nfbhAu4O0
これ漫画とかにしたら面白いだろうな
そして一気にメジャー化にならないかな

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/15(木) 11:01:25 ID:ufaiqqAA0
陳瞬臣は十八史略で軽く触れてる程度でメジャーな作家の作品が無いのが痛いな。
もし吉川栄治か司馬遼太郎あたりが小説に書いてたら横山光輝が漫画化してメジャーになってたな。
最近は始皇帝や墨家や孔子などが漫画家されてメジャーになりつつあるのに
宋、清、明、後漢の創始者の伝説がメジャーになってないのは残念な事だ。
とりわけ後漢(東漢)成立までの時代背景や人間模様はすっごい面白いのにね。
また、唐は楊貴妃や阿倍仲麻呂にからんで多くの小説が書かれ
小説を読む人や歴史好きな人にはメジャーだが人気漫画家に漫画化してもらえなかったために
若い人への認知が少ないのは少し残念かもね。

246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/15(木) 11:08:12 ID:Dm12eARa0
お前らが書けばいいじゃん。

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/15(木) 11:27:00 ID:b1KbNZ8x0

銅馬軍て、どういう集団なの?

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/15(木) 20:41:41 ID:B9RPcSVj0
原作:田中芳樹
作画:小畑権
でよろんだ

249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/15(木) 22:30:56 ID:+Jvgw+hE0
>>241
小説じゃないけど、人物中国の歴史5「三国志の世界」がお奨め。
あとは陳舜臣「続・中国任侠伝」かな。

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/15(木) 23:46:31 ID:7gjEYvmj0
守屋洋の中国皇帝列伝にも取り上げられてる。

251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/16(金) 08:57:39 ID:uJIi7Fgi0
ありがとう図書館で索してみるよ

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/21(水) 00:57:13 ID:HR3HSsrc0
>>247
河北最大の流賊集団。
劉秀が他の流賊を撃破していったため、
それらの残党を受け入れ兵力を増やしていった。
結局、劉秀と戦って敗北し降伏した。
おそらく寄り合い所帯で組織としてのまとまりがなく、
緑林・赤眉のような天下を狙える集団になれなかったのだろうと思う。

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/25(日) 02:37:12 ID:8nKXhK800
銅馬軍って、首領と言うか、指揮して居た人物の史書での記述って無かったですよね?

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/25(日) 21:38:59 ID:AVKhtEa50
>>253
首領の名前として、曹武・郭謙・申屠礼・程威らの名前があがっている。
漢に降伏して、みな列侯に封じられたそうな。

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/25(日) 22:01:36 ID:ApeUFeFW0
>>254
出典は何?
『後漢書』で調べたら銅馬の頭目は、註に東山荒禿に上淮況とあるだけなので

256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/26(月) 01:31:29 ID:rp498KJm0
>252
サンクス
国を建てるつもりもないようだし、宗教団体でもないし
梁山泊みたいなものだったのかねえ?

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 17:54:21 ID:pnZOpVvX0
>>171
この日付って、どうやって数えるの?
西暦になおせる? 教えて!教えて!

258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 18:58:56 ID:3CY9ORIA0
ググりなさいよ。

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 21:33:52 ID:pnZOpVvX0
>>258
キーワードがわからん orz

光武帝は建平元年十二月甲子の夜に生まれたとあるが、
もしかして、西暦での誕生日まではっきりわかるのか?

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 23:28:32 ID:u4GY6LtS0
ヒント
ttp://www.asahi-net.or.jp/~EZ3K-MSYM/koyomi/koyomi2.txt

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 19:22:08 ID:qARL0frG0
死んだ日が中元二年二月戊戌。
2000年前の人物で、生没日が両方はっきりしてるって、すごくね?

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 14:08:35 ID:AYoMs4DO0
雲台二十八将って後世の人が勝手に選定したもの?
それともちゃんとした公式のものなんですか?

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 16:46:09 ID:GCY4QLbR0
劉秀が中2の時に考案した。

264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 17:13:42 ID:2/goJBJE0
まぁ、たしかにキモオタ的発想だわな…

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 17:17:49 ID:wEsKK0do0
後漢書より
永平中、顕宗追感前世功臣、乃図画二十八将於南宮雲台

永平年間に、顕宗(明帝)は前世代の功臣に感じ、
すなわち南宮雲台に二十八将の図を画かせる。

266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 17:24:20 ID:8ch11Iki0
正直間に合わせで選ばれた奴もいるだろうな

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 18:16:53 ID:7T0mRFyiO
二十八宿に合わせたんだろうから微妙なのもいるだろさ

268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 21:54:19 ID:rhxo50rq0
萬脩、劉植あたりは間に合わせだろうな。

269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 00:31:18 ID:VlCo/nPc0
間に合わせでも入らないやヤツがウダウダ言うな。

270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 20:10:14 ID:P+L70xaP0
こんどBSフジで「朱蒙」って高句麗の建国者のドラマが始まるけど、
こいつの息子が荘尤に斬られた高句麗候スウらしいな。
もっとも向こうの歴史では、高句麗の将軍を斬って高句麗王の首とした
ってことになってるみたいだが。

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 13:37:58 ID:KW5filkU0
>>270
中国では、反中ドラマだと批判されて放送できなくなったらしい、そのドラマ。



272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 20:47:03 ID:+N39LNeU0
>>268
劉植は劉揚を説き伏せた実績があるから選ばれるのも何となく分かるけど、
万修は何で選ばれたのかほんと分からないね。
記述が少なすぎて逆に印象に残る人物ではあるけど。


273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/12(木) 22:10:09 ID:TLedbTnk0
二十八将に選ばれても良かった人。

劉秀が皇帝に就く前に配下となり、劉秀を裏切らなかった人物。もちろん劉秀と血縁関
係無し。万修と較べると微妙〜。

河南太守丁?・・・河南郡の十三県及び諸々屯郷を下し、劉秀の下、最初の河南太守となる。
覇虜大将軍叔寿・・・馮異に推挙され、劉秀の幕僚となる。五校との戦いで戦没。
代郡中部都尉蘇竟・・・代郡を全うする。後に代郡太守。

274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 19:06:08 ID:RFzrizZd0
来キュウは選ばれててもおかしくない功績があるけど、何で選ばれなかったんだろうね

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 19:43:56 ID:H5dC65zb0
>>274
劉秀の親族だから。ケ晨も同じ。

276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 21:54:07 ID:1Kw8eHKT0
妹婿の李通はのちに二十八将から三十二将になったとき追加されてるけどね。

277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 13:13:03 ID:PUJBkvJ00
なんだかんだでやっぱり目立たないな、この時代

278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/23(月) 21:45:37 ID:pa/JinZC0
二十八将は王朗と戦った時、配下にいた連中を選んだんじゃない?

279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/23(月) 22:26:01 ID:WHDeLivM0
>>278
二十八将が、王郎と戦った時の劉秀の臣下とすれば
岑彭、馬武、劉隆が外れることになる。

280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 00:15:32 ID:9h+eXx+b0
二十八将の選定にも疑問点が多いけど、三十二将の中に全く軍事的功績の無い儒学者である
卓茂が選ばれてるのも謎だ

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 00:26:02 ID:Mr8V9DZPO
子孫の政治的な発言力とか皇帝との縁戚とかが優先されてるんじゃね?

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/25(水) 00:49:27 ID:/qUS0tEP0
二十八将選定理由の推測
 『後漢書』「光武帝紀上」に幽州の賊を撃つ際に「呉漢を遣わして耿?、陳俊、馬武等十二将を
率いて」に記述され、注釈に「耿?伝」の通り十四将とあるべきと記されている。その「耿?伝」
では、「光武は薊に還り、また耿?と呉漢、景丹、蓋延、朱佑、??、耿純、劉植、岑彭、祭遵、
堅鐔、王覇、陳俊、馬武の十三将(計十四将)を遣わし」とある。ここでは二十八将の半数が集
っている。
 この後、「光武帝紀上」では、河内の寇恂・馮異が洛陽から攻めた朱鮪らを破ると報告を受け、
諸将が尊号を奉らんことを議すとあり、馬武が帝位に就くことを進言し、劉秀が驚いて「何れの
将軍かこのことを言い出せる。斬るべし」と言えば、馬武は「諸将尽く然り」と応える。つまり
先の十四将が光武帝の即位に関っていることになる。よって東漢王朝としては、まず皇帝を立て
た十四将は功臣として扱おうとするであろう。
 ちなみに、この頃、ケ禹は河東郡に入り、河内郡に寇恂・馮異、野王県令の王梁、騎都尉劉隆
が守りについて劉秀から離れ、賈復は丁度重傷を負って戦線を離れている。彼らも劉秀を即位に
導いた功臣と見なすべきであろう。これで十四将+六将で二十将。
 ここで、雲台二十八将を見れば、残る八将の銚期、臧宮、馬成、杜茂、傅俊、任光、李忠、万
修も、馬武が劉秀に即位を進言した時には、劉秀の配下にある。
 よって、雲台二十八将は劉秀を皇帝となした忠臣あるいは建国の功臣として選んでいると考え
るのが妥当と思われる。

283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/25(水) 21:50:45 ID:wpLTKgl90
まあ選んだのは明帝だしな

284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/25(水) 22:38:13 ID:KVWwEGdn0
>>282
つまり光武帝即位時に配下にいたものが選ばれてるってことかな?
李通や王常も即位時には配下だったはずだけど、二十八人の中には選ばれずに
後から付け足される形で選ばれてるのはなんでだろ

285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/25(水) 23:54:43 ID:CJcVDZns0
>>284
 『後漢書』の「李通伝」によれば「更始、李通をして還って荊州に鎮ぜしむ。(中略)
光武即位するや、李通を徴して(召して)衛尉と為す」とある。つまり、李通は更始帝
の配下で、(更始帝の敗亡後に、)皇帝となった劉秀が配下にならんかと呼び掛けて、
それに応じたと分かる。
 同じく「王常伝」によれば「建武二年の夏に妻子を率いて洛陽に到り、自ら帰す」と
ある。劉秀が即位したのは建武元年だから、帰順はその後。
 ちなみに卓茂も竇融も劉秀の即位後に帰順している。

286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/26(木) 00:45:11 ID:lRMmAckT0
>>285
なるほど、李通・王常は即位前に光武帝陣営に参加してた思ってたけど自分の勘違いでした・・・
やっぱり選定理由は>>282であってるみたいですね

もういっぺんちゃんと後漢書読み直してきます・・・


287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/28(土) 02:02:21 ID:Gip8Wzty0
しかし景帝の息子の中で、母親の身分が低くて
もっとも冷遇された長沙王の子孫が皇帝になるとは
日本だと御三家飛び越えて会津松平家から将軍が出るようなもんか

288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/28(土) 08:02:00 ID:MvlP5RSw0
天皇も既に皇籍から外され北陸地方に居た皇子が即位した例があったはず。


289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 00:45:49 ID:DWTSJYdx0
文帝の例もあるし、意外と珍しくないのかもな。

290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/30(月) 09:59:18 ID:lGwawojG0
名将スレで樊崇が名将に確定しているけど、
器量はともかくとして、名将といえるエピソードってあったっけ?

291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/30(月) 17:11:39 ID:pHBZ/P+e0
ムシャクシャしてやった。今は(ry

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 00:32:36 ID:z/ZdyGZ30
樊崇はあんまり名将って感じじゃないね。
なんで名将スレで確定にはいったんだろ?

293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 00:46:08 ID:9NIl6Q1k0
光武贔屓すぎるから
という側面もなきにしもあらず。
名将というよりは、偉大なる雄という感じだけど。
一時なりとも、自己の裁量で最大勢力になりおおせたことが、まぁ評価されたのじゃないかな。



294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 21:50:55 ID:XREijinx0
この時代、光武帝陣営以外での名将って誰?
荘尤ぐらいしか思いつかないけど

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 00:12:20 ID:be9JpWGV0
>>294
延岑、賈覧、尹由、隗囂、董憲

296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 18:10:09 ID:yrnv1eLv0
>>295
知らない名前がいるな。
図書館で後漢書読み直してくるか。

297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 19:08:08 ID:D/SQo6Dy0
>>295
盧芳の配下を出してくるか、渋いな。まあ、光武帝の部下を苦しませたのは、そいつらか
呉漢を破ったケ奉くらいだからなあ。董憲は名将というより蓋延がアホだったからだし。
隗囂は将というより群雄、将の上に立つからなあ。(劉秀は将の上に立つけど、劉玄の
将として昆陽の戦いや王郎との戦いで勝っているから、将でも良いでしょう)。
ちなみに延岑については樊崇よりも名将にしたいと個人的には思うから異議なし。

298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/05(土) 12:01:00 ID:Uh8l/s7m0
自分も新末の群雄の中では延岑が一番好きだな。
劉秀軍の主だった将達に悉く負けてるけど、最後まで降ろうとしなかったあの根性が凄い。
最後に公孫述に対して言った「死中に活を見出すべし」のセリフもかっこいい。

あと隗囂は群雄としてよりも将としての才能のほうがあると思う。
あの耿弇や呉漢を苦戦させてるからね。

299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/05(土) 20:35:17 ID:8B9CiSR10
何で世界史板のスレを使わないの?

300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/05(土) 22:33:46 ID:I+kyuZ120
世界史スレから中国史ヲタは追い出されたんだよお壌ちゃん

301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/05(土) 22:49:46 ID:IkOqzX190
>>300
ちょww 土扁かいw

302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/06(日) 00:31:09 ID:ILHa5FnV0
academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1023555806/l50
追い出されてなくね?

303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 02:33:14 ID:fgIrXLpy0
延岑ってあれだけ活躍してて、独立した列伝が無いってのも凄いよな。

304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 22:25:55 ID:OWQlJh260
群雄の中では小さい勢力だし、公孫述の部下として見られたのかも
公孫述と延岑の立場が逆だったら面白かったかな

305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 22:46:46 ID:GTbfQkcv0
立伝されていない光武帝の武将の中にも
「お前、二十八将の末席よりよっぽど活躍してるだろ」って奴がいるので、
無問題

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 23:58:43 ID:d1LH84Yt0
侯進とかね

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 19:34:06 ID:UqdTSmwU0
>>290
2スレ目からのコピペ

858 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/31(水) 20:29:13 ID:BNI4Ofp30
ポイント
・まだ、有力な山賊に過ぎなかった頃、新の官軍を精鋭をうち破っている。新に与えた打撃は光武帝にも匹敵する。
・武将としては弱くはなかった(一応、天下はとった) 更始帝陣営の武将たちを破り、更始帝を降伏させている。
更始帝陣営に内紛を起きていたが、その原因を作ったのは赤眉軍自身の勝利である。
・内政では失敗しているが、『名将』としてなら大きな減点にはならないはず。
それより、光武帝二十八将の筆頭・ケ禹を三度も破っているのは大きい。
ケ禹はこのせいで名将としての評価は低いが、
凡庸ならば、光武帝がここまで重任を担わせるはずはないと思える。
ケ禹は馮異たちに劣らぬ武将であった可能性もありえる。
少ないとも良将ではあったのではないか。
それを不利な状況で三度も破ったのは賞賛に値する。
・部隊が寄せ集めの雑軍である。これを数十万を統率し、戦いにおいては勝利に導いているのは評価できる。

この後、ケ禹の評価でもめたが、ケ禹伝の記述からこの人の意見が通ったみたいだね
延岑も候補に挙がっていたが、影響力から樊崇の方が選ばれていた

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 20:05:35 ID:K94RWRDz0
なら延岑は闘将ってことで

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/13(日) 01:15:35 ID:Dh7IxZo80
延岑は、弁髪でもなければおでこに中の字もない一般人だし
惑星開発用巨大トレーラー・トランザーが変形するスーパーロボットでもないので
闘将は却下いたします。

310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/13(日) 10:02:34 ID:UlAxyoB60
それじゃ、梟雄かな
公孫述という男に惚れ込んで忠誠を誓っていたのか、
それとも利用しようとしていたのかで変わってくるけど
>>303
呉漢を殺していたら列伝が書かれていたかも


311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/13(日) 11:04:53 ID:OOEVnzHe0
延岑の星取り表(戦いが数日に渡るものは、その結果のみに集約)
 冠軍 劉嘉戦 ●
 南鄭 劉嘉戦 ○
 下弁 李宝戦 ●
 河池・下弁 劉嘉・李宝戦 引き分け
 陳倉 劉嘉・李宝戦 ●
 茂陵 赤眉逄安戦 ○ (李宝とタッグ)
 藍田 ケ禹戦 ○
 上林苑 馮異戦 ● (張邯・任良とタッグ)
 析県 ケ曄・于匡戦 ●
 穣県 耿弇戦 ●
 東陽聚 朱佑・祭遵戦 ● (張成とタッグ)
 ケ県・武当県 ケ禹・ケ曄・于匡戦 ●
 西城 李通・侯進・王覇戦 ●
 平曲 臧宮戦 ●
 成都 呉漢・臧宮・劉尚戦 ● (公孫述とタッグ)
 15戦3勝11敗1分け 勝率0.214

312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/13(日) 15:41:36 ID:2Dz9K71L0
最後の呉漢・臧宮・劉尚戦は最初の内はかなり押してたんだけど、結局勢いの差で負けちゃったんだよねえ…
それにしてもこんだけ多くの劉秀配下の武将達と直接戦った人物ってあんまいないだろうなあ

313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/13(日) 17:28:49 ID:xEw7v/RQ0
>>309
ダイモス思い出すあなたはおれと同世代。

314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/14(月) 22:10:47 ID:K2N9io6H0
公孫述が負傷するまでは有利だったんだよな。
延岑は三回戦って、三回とも勝ってるし。

315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/14(月) 22:29:59 ID:OxhNeQ3e0
最終戦の時はもう既に天下の趨勢はあらかた決まっちゃってたからな…
いくら延岑が局地的に奮戦してみても大勢は覆しようが無かったろうな。

316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/14(月) 22:53:32 ID:K2N9io6H0
死に花を咲かせるつもりだったのかな?
漢の将を誰かを道連れにして。

317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/16(水) 22:41:09 ID:B0/ZBaIu0
延岑は常に全力投球してるイメージがあるな
倒れるときは、どぶの中でも前のめりに倒れる男だよ

318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/18(金) 07:07:25 ID:gbyY7VCF0
>>311
いつ死んでてもおかしくないな
本当に、しぶといな

319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 23:53:05 ID:tVUfALYB0
三国志11で劉秀勢力でも作ろうかと思うんだけど
二十八将達の能力はどんなもんがいいかな

320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/22(火) 22:08:55 ID:gvo+iInb0
能力評価スレに呉漢の能力値があったはず

321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/24(木) 23:29:27 ID:fBoSLHVv0
こないだ児童用の「まんが中国の歴史」を見る機会があったんだが、
子供のころ読んだ物より光武帝関係のページは増えてはいたけど、
威斗をかまえた王莽を劉秀が「ふざけるな!」と言って斬った所は
ふざけてんのはどっちだって思ったよ。

322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/25(金) 11:22:24 ID:v/3Vaq8e0
一般の新末後漢初に対する認知度なんてそんなもんだよ…
中国史の概説書とか読んでも前漢に関してはすごい分量割いてるのに、
後漢初期〜中期なんてほんの少ししか触れてないのが多いし。
後漢末期になると三国志との関係で結構詳しく触れてたりするけど…

323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/25(金) 11:44:00 ID:Xt2EtLL00
王莽の死に様まで描写すべき

324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/25(金) 11:51:05 ID:B37vlq0q0
河北の脱出劇とか洛陽の包囲戦とか関中の大敗とかを
事細かに書いた児童向け図書があったら絶対買うわ

325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/25(金) 18:21:45 ID:6NME0tKL0
学習まんがだったら日本史でもその程度でしょ。
後漢だからって訳じゃない。

326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/25(金) 20:31:40 ID:Lurxkn0p0
王莽→(群盗→更始→赤眉→)劉秀を端折っただけでしょ。
それより、威斗が出ていた点に驚きだ。

327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/26(土) 22:58:02 ID:vHQfc8Zp0
>>326
それがこの漫画、更始帝も劉縯もトウ禹も陰麗華も、馬援や公孫述や隗ゴウも一応登場してるんだよ。
これ書いた漫画家はたぶん、編集者が持ってきた資料を見て書いたけど、
この時代のことをよく知らないので間違った内容になって、
しかも編集者もよく知らないのでそのまま出版されたんだと思う。
主な間違いは、
1・昆陽の戦いで劉秀が篭城したように描かれている
(別働隊が城外から攻撃とは書いてあるが、劉秀は城内にいたように描いてある)
2・昆陽の戦いで敗れた王莽軍の多くが劉秀に降伏したことになっている。
3・劉秀が長安を落としたと勘違いしている。
4・劉縯殺害は王莽の死後になっている。
立ち読みで外の部分は班超のとこぐらいしか読んでないけど、
こんなに間違ってるのは光武帝関係のとこぐらいじゃないかな?
ちなみに集英社の学習漫画。

328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/26(土) 23:55:07 ID:fCZHijUR0
なんかいつの間にかウィキペディアの雲台二十八将の記事が増えてるね。


329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/27(日) 00:10:29 ID:oJSevrvcO
>>328
作者がこの板にいるよ

330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 00:18:50 ID:NPmyRfa40
陳舜臣「中国の歴史・近現代篇」読んでて、
譚嗣同と袁世凱の会話の中に
「王莽・曹操のような才能を持つ、絶世の雄」
とあったのには笑ってしまった。


331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 01:01:50 ID:Z8i77lSm0
それは褒めてるのか?

332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 23:24:25 ID:NPmyRfa40
褒めてる訳ではないが、侮辱してるのでもない。
清朝の変法(維新)を目指す変法派がクーデターのために、
袁世凱の新建陸軍の協力を得ようとしたときの密談で、
譚嗣同が袁世凱に、西大后の腹心の栄禄を殺せるかと問うた時に出た言葉。
栄禄を評して「切れ者で腹黒の奸物」って意味で言ったんだと思う。

333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 21:48:47 ID:/Fk95T3G0
陳先生といえば美人に関するエッセイで、
楊貴妃の対抗馬に陰麗華を押しているな、第二候補だけど。
第一候補の西施は時代が古過ぎて伝説上の人物といえるから除外なんだと。
それなら陰麗華主人公の小説を書いてくれれば良いのに。

334 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 22:07:00 ID:N0IbhicU0
陰麗華って名前がいいよね

335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 20:10:47 ID:UhUst3kZ0
某所からコピペ

>「紅姫」
>ttp://sagaplanets.product.co.jp/works/kouki/kouki.htm

>主人公が陰麗華のゲームがあったとはw


336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 23:30:00 ID:wcU5SxCh0
>>334
麗華って、どこにでも居そうな平凡な名前じゃない
もっとも、そのどこにでも居そうな名前の人間は意外といないものだけど

337 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 08:55:27 ID:V0jFpQ700
>>335
うはw
やっぱり劉秀はこういうの向きだな。

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 14:53:55 ID:tdxK/9+I0
>>335
こんなゲームがあったとは・・・
その手の人にはこの時代は結構人気あるのかな?

ところでもう一人の劉秀の嫁さんである郭聖通はここであんまり話題にならないけど、
実際どんな人物だったんでしょう?
やっぱり陰麗華との陰湿な女のバトルがあったりしたんでしょうか・・・

339 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 18:29:25 ID:CEUvo1Jt0
お嬢様育ちで、かなり気の強い女だったみたいだな
そういうタイプは劉秀の好みでなかったみたいだけど、
五人も息子を産んでるから愛されていなかったわけではないようだ
ひょっとしたらツンデレというやつだったのかも

340 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 20:13:02 ID:G/pXkZHU0
後漢書では郭聖通の男子5人しか書かれていないけれど、公主つまり女子
も産んでいる。単純に同じだけ産んでいるとすれば計10人前後。陰麗華の
男子も5人だから、陰麗華も計10人前後を産んでいることになる。

(それにしても女性一人が十人も生む時代だったんだねえ)

劉秀が手を出しているのが分かっているのは男子1人を産んだ許美人(美
人は官職名)である。更に許美人は寵が薄かったとある。
劉秀は猟色家ではないとするか、陰麗華同様に郭聖通も好みであって、
他に手を出す必要は無かったかもしれない。ということは、郭聖通も劉秀
好みの美女だったのかも。

郭聖通が皇后を降ろされた建武十七年(劉秀47歳)に頃には、寵が衰えて
(夜伽に呼ばれなくなって)、しばしば怨みを懐くと言う。

郭聖通の容色が落ちたのか、劉秀の精力が落ちたのか、前者なら若い時
は劉秀好みの美女だったと理由が付けられるし、後者でも分からないでも
無い。後者なのに怨みを懐くなら、郭聖通は男の生理を知らないお嬢さん
育ちと言える。



341 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 23:49:24 ID:5uGElpJC0
郭聖通とは政略結婚だよね。
初めからそれほど仲は良くなかったんじゃないかなとか思うけど。
あと郭聖通を皇后から下ろしたのは、彼女が大豪族の出身で、
外戚が権力を専横するのを恐れたっていうのもあるんだろうね。


342 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 23:54:35 ID:g2QgHYyd0
政略結婚で他に好きな女が居るのに子供を五人も十人も産んでおいて、五月蠅いから棄てた


とかくと、なんか劉秀の所行じゃないように見えるから不思議w
逆を言えば、こんな行為も劉秀がすればなんか色々妄想できるというかw

343 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 21:35:45 ID:hhezeMG+0
皇后の地位から降ろし、お前のかあさんだ面倒を頼む後は宜しくと、息子の劉輔に任せたのが、
棄てたと言うのなら棄てたことになるが、その後、劉秀自身、洛陽の沛王劉輔の屋敷にに出入り
し、あそこは金蔵だと都中に言われて、郭聖通も不自由無く暮らせたんだから、そんなに悪くも
ない・・・他の皇帝なら、濡れ衣着せて斬殺してるかも。

344 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 00:34:02 ID:cCVKdtPX0
なんだかんだで劉秀って爽やかイメージだな。
そんなに暗さを感じない。

345 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 02:34:24 ID:plh6jlMy0
>>344
イメージだけなら劉備にはかなうまい。

346 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 07:19:29 ID:3sE5SLI30
>>341
劉秀が恐れるとすれば、彼女の一族より叔父の劉楊の方だろ
それもすでに粛清しているから、政治的な理由ではなく
個人的な理由による別居じゃないか?

347 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 14:11:43 ID:0ki/U3050
>>345
いやいや劉秀様にはかなうまい

348 :これkwsk:2007/06/24(日) 12:57:01 ID:oU/wTdjD0
--------------------------------------------------------------------------------
475:05/03(木) 19:54 [sage]
宮城谷さんは光武帝は余り好きではないんじゃないかな?
後漢帝国の腐敗ぶりは、建国者である光武帝の人格的遺伝子の影響もある、
という風に三国志で書いていたような気がする。
--------------------------------------------------------------------------------
476:05/03(木) 22:08 [sage]
氏が光武帝を好きか嫌いかは別にして
「宦官をのさばらせた原因を作ったのは光武帝」みたいな記述をどこかで見た記憶が
無きにしも非ず

349 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 15:33:30 ID:Fnzjy44D0
陳御大もひかり武帝は好きじゃないっぽいにゃ

350 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 17:12:47 ID:Q0SO0UyW0
前後が漢楚と三国志というのも不幸
実際近世近代の中国でも漢楚や三国志が講談とかになってたのに劉秀の時代が無視されてたってことはあまり人気なかったんだろうな

351 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 19:15:55 ID:/vGpETdJ0
曹操、諸葛亮、司馬光は大の光武帝ファンなんだがなぁ。

352 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 19:16:46 ID:MLKVZ/9I0
李世民もね

353 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 20:14:54 ID:LUTdVUYy0
宇都宮清吉という東洋史の先生は、

「表側の完成・優美・平和・穏健・繁栄・・・と、
裏側の沈滞・形式主義・矛盾・無力・絶望・・・という
後漢帝国の性質は、中興した光武帝の人柄による」

ていう意味の話をしてる

あと光武帝の軍談ものなら東漢演義てのがある

354 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 20:42:00 ID:7V7CKbQ2O
劉邦に対する項羽、劉備に対する曹操みたいに魅力ある敵役がいないから物語としてつまらなくなってしまうんじゃないかな。

逆に、その辺りを上手く脚色を交えて表現出来ればいいんだけど。

漫画だけど、蒼天航路の董卓や袁紹みたいに王莽や樊崇、更始帝などカッコイイ敵役に出来たら面白くなると思うんだがなぁ。

オイラに文才があったら書いてみたいんだけど。

355 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 20:53:48 ID:LUTdVUYy0
あと、劉秀の爽やかインテリのイメージは、
当時の叛乱群が「真王」の出現を期待していた、という
范曄が作った筋書きから出来上がった、て説もある

そういえば28人の伝もそんな筋書きに沿った感じがある
例えば「人を見る目がある」トウ禹が劉玄じゃなく劉秀を選んだ事とか、
王覇が「河が凍ってて渡れます」とウソついたら、劉秀が通る頃には
本当に凍ってたという瑞兆の事とかかな
銚期の「下がれ!」なんか、劉秀の即位が運命付けられてたことを
笑い話で示唆してる訳で、話が巧いというか・・・

356 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 22:30:02 ID:MLKVZ/9I0
>>354
延岑やケ奉、賈覧なんかも結面白い存在だと思う

357 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 23:37:12 ID:vaOx2Eie0
>>356
彼らは物語的には強敵にはなっても、宿敵にはなれないと思う。
むしろ劉秀のほうがが敵役としてふさわしいかも。

358 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/25(月) 01:29:59 ID:OAv15pUE0
>>349
好きだろ?文章みてると。
ただ、氏は同級生の司馬遼太郎とは違って常に批判精神をもって人を見るから
奴隷解放したけど、それは戦後の混乱で小作人が増えたから。しかし、リンカーンの奴隷解放宣言だって政治的なもんさ
その解放自体はやはり誉められるものだと、その文章からは十分に伝わる

359 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/25(月) 21:33:14 ID:3iV3bFd/0
陳先生が嫌いなのは光武帝個人ではなく、
「灰色の時代」と評した後漢という時代では。

360 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 03:22:03 ID:3I1JmcWb0
陳氏は後漢のことを前漢と比べるとスケールの小さい時代ってまとめてなかったっけ
嫌いというより華々しさにかけて盛り上げずらいと思ってるのかも

361 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 14:27:39 ID:QbRw9JE9O
やっぱ、創始者が「質実剛健」で華が足りないからかな?

362 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 16:46:21 ID:Cmq0dz+s0
たしかに後漢時代は創始以外では、漢武帝のような(足元はお留守な)華やかさはないなぁ。
しかし陳先生自身は、個人敵にはスケールが比較的小さいと思われる王朝の創始者を好いている。
劉秀、趙匡胤がそう。


363 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 17:39:17 ID:FZzyaQza0
武帝嫌いっぽいしなw>陳御大
劉秀は人物は好きなんだけど、なんで儒学で失敗したのに儒学を強化するねん!とツッコミを入れてる

364 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 17:58:48 ID:019QgXvk0
何でもかんでも古を理想とするとか王莽が失敗したとこは改めてるけどね
あと光武帝の政策は儒教一辺倒ではなく法家や道家の影響も見られる

365 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 00:27:32 ID:43BzvSm80
そういえば随分前に光武帝をKOEI風の能力で表すとどのくらいってあったけど
信長の野望烈風伝のPKにゲスト出演してますよ
能力は政治96戦闘89采配98智謀95

366 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 01:00:02 ID:yJICHAzV0
なんで「信長の野望」にw「三国志」のほうにはまだ出演したことないのに
しかもかなりの高評価なんだな

367 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 01:00:32 ID:urbHoaMv0
部下に曹豹がいるやつねw

368 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 10:53:53 ID:WscqITCS0
>>366
本編には出てないな。11(回収前)には糞芸爪覧やら毛沢東と一緒に隠れてたらしいけど。

369 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 19:49:17 ID:XS0mIF300
攻略本の新武将の作例に劉秀がいた記憶が
6以降だったはず

370 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 21:12:14 ID:x0qBgHdU0
劉臭はイメージ的にオール80台な気がする

371 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 19:35:51 ID:kr6aF5uF0
日本の戦国時代に混ざったなら>>364ぐらいでもいいだろう
伊達政宗や長宗我部元親に劣る劉秀を見たいか?

372 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 20:48:44 ID:pnXqYp//0
おまえら、陣頭指揮する皇帝なめんなよ。
門番に締め出しくらう皇帝なめんなよ。
笑ってくれない奥さんにラブラブな皇帝なめんなよ。
牛戦車で匈奴の度肝抜いた皇帝なめんなよ。


373 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 21:35:21 ID:8WmMdrth0
>>369
kwsk

374 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 22:55:02 ID:M7TZ6mcy0
ちなみに烈風伝の曹操の能力は政治98戦闘80采配100智謀95だった

375 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 23:12:22 ID:8WmMdrth0
曹操で采配100なら韓信や李靖は150くらいだな

376 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 23:23:12 ID:M7TZ6mcy0
よく探してみたら朱元璋もいた
政治86戦闘69采配88智謀92と劉秀や曹操と比べると低めの設定

377 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 23:43:41 ID:8WmMdrth0
曹操と朱元璋の能力逆にするとしっくりくる

378 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 02:12:40 ID:32B1+SBf0
>>375
怒った項羽は300くらいか?

379 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 03:09:00 ID:BNT+5hWY0
日本の戦国時代の中に放り込んだら全員95以上の能力者になるよ
腐っても中華のそれぞれの時代の英雄だぜ

380 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 05:07:45 ID:/mDl1gRc0
逆にチンギスに入れれば・・・
そういや朱元璋は出てたっけ。戦闘以外は蝶優秀なパラで
しかし徐達も常遇春もいねーからな・・・

381 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 00:25:26 ID:6lwTkR8I0
>>379
日本語を喋れないので使いものにならない。

382 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 16:30:58 ID:zc9GQ8Wt0
>>381
流石に烈風伝じゃあっさり言語の問題はスルーされてるな
というかあったらそれこそ問題だが

チンギスやカエサルとかも全然違うだろうし。
といかユリウス家って家臣がヴラドツェペシュとジャンヌダルクとロビンフッド
なんだが全員言語違うくね?

まぁ劉秀の軍師は張良というカオスっぷりなわけですが。
「もしやあなたは漢室の血を引くお方ででは?」っておい

383 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 13:39:15 ID:Y2OxiXN/O
後漢は前漢や新の組織をどこまで引き継いだの?
五代みたいにどの王朝でも高官だったのっている?

384 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 20:37:59 ID:fLRT6VGa0
>どの王朝でも高官だったのっている?
三十二将の一人、竇融とか
王莽の司馬、更始帝の太守、隗囂の重臣、光武帝の大司空
文帝の竇皇后の弟を祖とする名門豪族出身ゆえだが

385 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 16:22:08 ID:R11uvbxe0
竇融ってかなり光武帝に厚遇されてるよね。
南陽組や河北組以外でここまで優遇されたのって竇融ぐらいだろうな。

386 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 17:08:24 ID:LX3xXu140
俺、王莽嫌いじゃない。
むしろ、自分と照らし合わせてる。

387 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 01:42:50 ID:3NckviT80
形式や理想に殉じたいのか?

388 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 21:32:29 ID:YZUWL+Cx0
>>321の学習まんがを見た。
劉秀は威厳のあるイケメン風で、いかにもって感じ
王莽が威斗を「ほれほれ」と劉秀の鼻先に突き付けて
「ん?何をふざけているのだ」と返される場面がツボった
ある意味「むむむ」「何がむむむだ」に通じる

389 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/12(木) 23:22:38 ID:mwnCUCkp0
王莽には笑いの神が降臨してる

390 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 01:49:48 ID:OrsRdViY0
確かに王莽の政治ってコントやってるようなもんだもんな

391 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 20:39:33 ID:xWi+Xqfa0
ノムヒョンとタメを張れる歴史上のお笑い芸人だな

392 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 22:52:47 ID:/zAhP4+D0
劉秀様にはかなうまい!

393 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/14(土) 00:28:26 ID:hKJcOdwX0
劉秀のギャグセンスが、兄貴や親戚の子を失った辛さを
紛らせるために磨かれたとしたら悲しいな
奥さんが冗談嫌いだったのは「痛ましいからやめて」ということかと妄想

394 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/14(土) 09:18:03 ID:8EM4vNqw0
>>393
子供の頃からおちゃめさんだったと思うが…

395 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/14(土) 20:34:24 ID:6Ea/HzDo0
遅昭平・・・・

396 :黄帝:2007/07/15(日) 15:17:47 ID:dsSCprSt0
王莽の時代にそわない政治が短命に終わったのかも知れない。

397 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 22:07:44 ID:bKxZrFlW0
王莽と並ぶ中華お笑い英雄は王衍だと思う
この二人がコンビを組んだらある意味最強

398 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 00:13:56 ID:6iv6D1c+0
候景は?

399 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 22:56:19 ID:pm0WAUTQ0
宇宙大将軍は名前負けしてるだけでお笑いってほどでもないだろ。
皇帝王莽・丞相王衍、これに宦官王振を加えればどんな王朝でも滅ぼせそうだ。

400 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 15:30:48 ID:5dlKcIpD0
三王

401 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 01:52:33 ID:ll/XZXRL0
むしろどんな王朝が相手でも自分が滅びそうだ

402 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 06:49:29 ID:cx4iZfrk0
絶妙な情けなさだなw

403 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/21(土) 16:28:47 ID:yYSpkkCb0
陰麗華って冗談が嫌いだったらしいけど、劉秀との夫婦仲は実際のところうまくいってたのかね?
ホントは郭聖通との方がうまくいってたのかも。
勝手な想像だけど郭聖通ってなんかツンデレの様な気がする。

404 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 00:05:57 ID:XoNQhTpj0
冗談が嫌いと云うより、冗談がわからなかったんじゃない?

405 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 17:09:42 ID:/PwmwdZ5O
>>399
将軍は誰だ?

406 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 17:33:42 ID:Tor4z+oV0
>>405
王衍か王振が兼任で。
一応軍を指揮したことがあるし。

407 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 22:04:54 ID:eRV3LHKo0
>>402
王莽が叛乱鎮圧のために王衍を司令官とする大軍を派遣
            ↓
王衍は何もせず、すべてを王振にまかせる
            ↓
王振が自分勝手な理由で行軍のコースを変更したため将兵が疲労し敗北、王振は殺され王衍は捕虜に
            ↓
王衍、叛乱軍の首領に「政治に関心がない」と言い訳して怒らせ、土壁の下敷きになる
            ↓
王莽、天に向かって泣いたり、結婚したり、威斗を造ったりして叛乱軍に備える

こんなかんじかな?

408 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/02(木) 00:02:02 ID:ByXj3Y4n0
>>287
孔融が曹操の禁酒令を皮肉った文章にあったけど、
景帝が程姫の所にいった時、程姫が生理痛で侍女の唐姫を代理にした。
しかし景帝は酔っていたので気が付かず、唐姫は妊娠し、長沙王発を生んだ。
その子孫が劉秀だから酒がなかったら漢の中興はなかったと酒好きの孔融は言ってる。

409 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/02(木) 00:20:15 ID:JX9Uak5E0
つまり酒がなければ後漢朝も存在せず三国時代も無かったって訳か…
酒って偉大だな

410 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/02(木) 23:22:23 ID:ByXj3Y4n0
まあ結局は酒飲みの屁理屈だけどな。
王莽の「酒は百薬の長」がよく使われるように、
酒は素晴しいと理屈つけても本当は飲みたいだけだろって話だ。

しかし、もし劉秀がいなければあの時代どうなっていたのかは興味深いな。

411 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/07(火) 01:01:02 ID:37WSGdvx0
wikiの雲台28将の記事が何時の間にコンプリートされてるね

412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 01:52:49 ID:kfJwCo+e0
後漢書の訳本って二種類出てるみたいですけど、どっちの方が評判いいんですかね?

413 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 16:24:52 ID:52eX9ICP0
1冊がハンドバッグに入るのが岩波後漢書、1冊をバックパックで運ぶのが汲古後漢書
二十八将を1冊で読めるのが岩波後漢書、逐語訳が付いてるのが汲古後漢書

414 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 20:26:21 ID:kCsRPK600
岩波のも汲古書院のも高いんだろうなあ…

415 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 21:16:42 ID:LNz9Eb8g0
岩波のが文庫版で出ればいいのに

416 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 23:19:18 ID:cyytxyJc0
図書館に置いてないのかい?

417 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 23:32:40 ID:LNz9Eb8g0
田舎の図書館には置いてないよ
うちらの県内で後漢書が置いてあるのはは2箇所だけ、
遠いほうが岩波で、近いほうが姉妹都市から寄贈された中国語の本
資治通鑑もあるけど読めなくちゃ意味ないし…

418 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 09:54:49 ID:7pu4N7ej0
【国際】「@」「奥斯鋭娜王」・・・子供に極めて個性的な名前をつける親が出現 - 中国
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1187268730/

王莽がいれば・・・

419 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 21:29:49 ID:0WWZSk8F0
>>168
最近の研究では、左氏伝自体の成立はは秦以前という説が有力。
ただし、その内容に王莽、劉歆による捏造、修正がないとは言い切れない。

420 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/29(水) 23:55:58 ID:pBjr/M190
>340
 Doubt!
光武帝の娘は五人(『後漢書』皇后紀第十下(附皇女))

 皇女義王 舞陰公主
 皇女中礼 涅陽公主
 皇女紅夫 館陶公主
 皇女礼劉 ?陽公主
 皇女綬  ?邑公主

 それぞれの母親は不明だけど

 

421 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 06:41:32 ID:HH2anTDw0
hage

422 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 19:23:40 ID:sptyWt2h0
後漢の皇帝って光武帝以外には有能な皇帝はいないの?

423 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 21:18:53 ID:pNFrH2/v0
息子の明帝はかなり有能。武帝以来の西域討伐を開始した。
孫の章帝もそれなりに有能。西域討伐を続けた。
ただし章帝は寿命が短いので評価が難しい、外戚問題も出てくるので。
後漢四代目の和帝は傀儡。後漢は以後、名君は出て来ない。

424 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 21:26:07 ID:F/lBTXEw0
霊帝は有能。
寿命が邪魔しなければ中興の祖になりえた。

425 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 22:00:10 ID:9n+KMaiN0
名相を決めようスレで、曹操が名相と言う住人が居たので、
そう言う考えで言えば、献帝も名君って事に成っちゃうな。

426 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 22:11:07 ID:VNIH+oQP0
>>424
確かに、霊帝の早世は時代の転換点だったな。
あそこで幼君が立たなかったならば、実は後漢はもっと命脈を保ち得たと思うんだが。
(西晋も司馬衷さえ立たずに、別の人物が帝位についていれば、あそこまで無様な自滅は
なかっただろうな。)

最近、夏侯淵は馬賢、皇甫規、段ケイ並みの名将だと思うようになってきた。
一応、曹魏のあの時期は、かなり諸羌を圧迫して関隴を力づくでねじ伏せていた珍しい時期だからなあ。
そういう意味では、曹操は江南・成都を落とすことはできなかったが、華北においては
後漢最盛期と言っていいくらいに勢威を張っていたと見てもいいんじゃなかろうか?

427 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 22:19:15 ID:F/lBTXEw0
>>426
漢の哀帝、霊帝と魏の明帝は死ぬのが早すぎる
能力はあっただけに惜しい

428 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 22:36:08 ID:pNFrH2/v0
霊帝の死は、自業自得って感じがするんだよな。
酒と女に溺れた人間って結構早く死ぬから、あの時代は。

429 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 00:10:29 ID:nU/8a4HO0
明帝は子供の頃に地方官の汚職を暴いた話があったな
霊帝の無上将軍就任は中央軍の強化と評価する人と
「皇帝が兵隊ごっことは世も末だ」という人といるな

430 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 00:21:59 ID:OBVMjZeG0
>>429
中央軍強化というより建て直しだね。
あともっと悪名高い売官は、皇帝が、というか中央政府がまともに使えるだけの予算がなくなってた(税収減等で)んだから、あるところから取ろうというクレバーな政策
皇帝だけ清廉になったって清流派官僚は地元で豪族として荘園経営して農奴搾取してるし、目には目をなんだろう

431 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 00:28:50 ID:dwvK7fM40
明帝は法家的な国家運営を行い、豪族等に対しても厳しく対する等、なんか前漢の武帝を彷彿とさせる皇帝だね。
あと個人的には曹魏の文帝も明帝に似たタイプの皇帝のような気がする。
まあ皇帝の資質としては明帝のほうがこの両者を上回っていたと思うけど。
息子の章帝は父の強権的な統治方針を改めて、寛容な政治を敷き儒者の評価は明帝より高いけど、
豪族に対しても妥協的になり、後に外戚問題の火種を残したのはマイナスだな。
霊帝は宦官を重用しすぎたのが痛い。

432 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 00:49:09 ID:RNtl0Y830
>>426
曹操は対北で強すぎた。

433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 01:05:02 ID:npm7qg/s0
>>426
夏侯淵は最期がアレだから評価が低いけど、曹操の部下の中では最も
勢力拡大に貢献した武将だしもっと評価されてもいいはずなんだけどな。

434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 03:56:10 ID:NMFeSnxh0
夏侯淵と岑彭って共通点があるんじゃないかな。

435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 19:58:50 ID:9EishYrR0
夏侯淵と岑彭ってそんなに似てないと思うけどな。
志半ばで戦場に斃れたことぐらいじゃない?共通点は。


436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 20:10:13 ID:v2ACrAwh0
かたや、全盛期の劉備軍閥の総攻勢を受けての壮絶な(不注意だったとは言え)戦死。
こなた、生来の寛容すぎる性格が災いして(不注意すぎることを指摘されていた中で)の暗殺。

結構、違うと思うけどねー。
公孫述と劉備では、将器、環境が若干異なるから。

437 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 20:48:23 ID:zKn49zK70
 三国志の話と絡ませるのが好きな人がいるようだから、尋ねるが、
曹操は、光武帝が岑彭に送った書の中で「隴を得て、蜀を望む」と
言うのを引いて、軍を引き返した。 なぜか?

 実は、これ、曹操が良く光武帝を研究していたからと言えるの
だけど、分かる人いるかな?
 ヒント:『後漢書』光武帝紀第一下 建武八年八月


438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 21:15:31 ID:SFmdLajt0
人苦不知足 既平隴,復望蜀。
のところ?
人は満足する事を知らず、また次を求めてしまう。隴西を獲得したが、更に蜀を望んでしまう。

隴西を得たから、それで満足すべきだ。それ以上、つまり蜀を求める事は危うい。ってこと?

後漢書読み返したが、問題が難しい…

439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 21:31:36 ID:v2ACrAwh0
>>437
お手上げ
と言うか、引き返した理由ってどっかに書いてあったっけ?
情勢的には孫権が江北に進出を図って、活動を活性化していた時期だが。
結構、政権中枢を空にしすぎてたきらいはあるが。

440 :437:2007/09/08(土) 08:14:40 ID:Vyf9gmt60
 まず望蜀の言葉が生まれた時の情勢を説明しょう。

 建武八年、岑彭は天水を破り、呉漢と共に隗囂の居る西城を囲み、耿弇と蓋延は
公孫述の将李育のいる上邽を囲む。光武帝は上邽に御幸するも、「八月、帝自上邽
晨夜東馳」と光武帝紀第一下に書かれる行動をとる。つまり昼夜にわたって上邽
から東に馳せたのである。これがキーポイント。
 光武帝はこの時、西城の岑彭に「人苦不知足、既平隴、復望蜀」の勅を送る。一方、
同じく西城の呉漢には「諸軍甲卒倶坐費糧食、(中略)、宜悉罷之」の勅、兵卒は座し
ていても食料を費やす、逃亡するようなことがあれば危険であるので、それまでに軍
を解散させよ、という書を与えている。
 既に、光武帝は涼州からやってきて隗囂討伐に力を貸してくれた竇融らを封爵し、
早々に涼州に帰している。

 なぜ、昼夜問わずに東に車を走らせたか? 理由は単純で、光武帝が遠征に出たと
いうので潁川や東郡、河東郡で寇賊が暴れ、また張歩は洛陽を脱出していたため、光
武帝は関東に引き返さなければならなかった。その情報が隴西に漏れれば隗囂らを勢
いづかせ、涼州に漏れれば竇融らを気後れさせるため、竇融らは早々と帰らせ、岑彭
や呉漢への勅でも言及していない。
 光武帝は岑彭には、既平隴、復望蜀と書きつつも、実は潁川等を心配して、車を走
らせていたのである(そのくせ、隴を降った汧県では祭遵をちゃんと見舞っている)。

 司馬懿が蜀を攻めましょうと言った時、曹操は「隴を得て、復た蜀を望む」と応じたが、
その裏には光武帝がこの言を発した時の事情を考えていた。よって光武帝が陥った様な、
遠征にかまけて足元を掬われることを恐れ、都に引き返すことを選んだのである。


441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 10:36:03 ID:BIdnJNO5O
「隴を得て、蜀を望む」にそんな深い意味合いがあったとは…
勉強になりました。

442 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 21:33:08 ID:NRJ4dU+m0
もしもその時、公孫述が北伐を行っていたら・・・

443 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 22:28:07 ID:FiJbJDDR0
公孫述は、隗囂を救うために兵を出している。よって隗囂は西城を脱出でき、
呉漢の兵は兵糧が尽きて、仕方なく呉漢、耿?、耿?は隴を下り、殿は岑彭
が勤め、軍を全う出来た。
結局、隴西・天水は隗囂に帰し、「既に隴を平らげ、復た蜀を望む」筈が、漢
軍は隴を失っている。再び、漢軍が隴を得るのは二年後である。

というわけで、隴に関する限り、公孫述は動いているのだが、妙なのは、南郡
津郷にいる筈の岑彭が隴西にいて、公孫述はこの機会に南郡に派兵してい
ないことである。遅れること一年、公孫述は南郡を攻め、岑彭らを苦しめる。
もし、この岑彭の居ない時に南郡を公孫述が襲っていたら、荊州南部は
公孫述に牛耳られるところとなっていた・・・かもしれない。

444 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 22:01:36 ID:FFoqPVv80
>>420
舞陰公主の夫は梁松だったよね。
他の公主は誰に降嫁したんだろ?

445 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 00:29:08 ID:UlfqjvEL0
皇女義王 舞陰公主 太僕梁松(酒泉太守・宣徳将軍・九江太守梁統の子)に嫁す。
皇女中礼 涅陽公主 大鴻臚竇固(涼州牧・大司空竇融の弟の奉車都尉竇友の子)に嫁す。
皇女紅夫 館陶公主 駙馬都尉韓光に嫁す。
皇女礼劉 淯陽公主 長楽少府郭潢(郭皇后の弟の大鴻臚郭況の子)に嫁す。
皇女綬  酈邑公主 新陽侯世子陰豊(陰皇后の弟の少府陰就の子)に嫁す。

涅陽公主以外は不幸な方々で、夫は誅に遭っている。酈邑公主は勝気な性格
だったようで、その為に夫に殺され、その夫はその故に誅に遭った。


446 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 19:37:54 ID:FbRriPeE0
奥さんと仲が悪いせいで父親に殺されるなんてゴッドファーザーみたいだな。

447 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 14:05:46 ID:/8nWBshiO
光武帝の行なった奴隷解放令って正式な名称ってあるんですか?
奴隷解放の詔をたびたび発したとは知ってるいるのですが。

448 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/20(木) 10:34:14 ID:707u9blP0
特に決まってはいないと思うけど、自分が読んだ概説書には奴婢解放令って書いてあった。

449 :447:2007/09/20(木) 21:39:07 ID:tETia4ylO
>>448 d

自分であれこれ調べてみたら売人法、略人法って記述があった。


450 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/20(木) 22:41:50 ID:W20B+an80
後漢書の光武帝紀によると

(建武七年五月)甲寅、吏人に詔す、饑乱に遭い及び青州徐州の賊の略す所、奴婢下妾と為り、
去るか留るかを欲する者、これを恣ゆるす。敢えて拘留抑制し還さざれば、売人法を以て事に従う。

(建武十三年)十二月甲寅、詔して、益州民で(建武)八年以来、略を被って奴婢となる者、皆な一
切を免じて庶民と為す。或いは依り託して人の下妾と為り、去らんと欲する者は、恣これをゆるす。
敢えて拘留し者、青徐二州になぞらえ、略人法を以て事に従う。

 つまり、売人法というのがあって、詔の文面から見ると人身売買に関る法律みたいで、また略人
法というのがあって、やはり詔の文面から見ると人身略奪に関る法律で、これらに違反すると処
罰すると言っているように見えます(何時、誰が制定した法かは不明ですが)。

 ということで、正式な解放令(命令)というのは無く、売人法、略人法という「刑法」を制定ように
見えるんですが、違うかしらん。(ちなみに人身売買を禁じた法律は、王莽も出しています)
 



451 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/21(金) 20:24:37 ID:bZK4d3C+0
売人法ってのは人身売買禁止法、略人法ってのは誘拐禁止法だよな、簡単に言うと。
これは最初からある法律。
建武7年と13年の詔勅は、奴婢を解放せよという主旨で合ってる。
もし解放しなければ売人法、もしくは略人法に相当するので処罰するよってこと。
ただ、この解放令は全ての奴婢を対象としたものではなく、
青徐(劉永)と益州(公孫述)の旧敵国に誘拐された光武帝の領民のみが対象。
全ての奴婢を対象としたものでは建武11年の詔勅があるね。

452 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/21(金) 20:47:39 ID:lWxVnr5CO
その十一年などの詔は、奴婢の差別待遇を改めるものであるのは確かだけど、奴婢を解放したりするようなものではないことに注意

453 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 09:13:36 ID:UawzkBWP0
光武帝の奴婢に関する詔をまとめると(抜けがあったらごめん)

(開放令)
建武二年五月癸未・・・民に妻を嫁がしめて子を売りて父母のもとに帰らんと欲する者有れば、恣にこれをゆるす。敢えて拘留すれば、
法律の如く論ず。
建武六年十一月丁卯・・・王莽の時代に財産を没収されて奴婢となり、旧の漢法に該当しないものは皆な免じ庶民と為せ。
建武七年五月甲寅・・・飢餓戦乱に遭い及び青州徐州の賊の略奪する所、奴婢下妻(=妾)と為り、去るか留るかを欲する者、これを
恣ゆるす。敢えて拘留抑制し還さざれば、売人法を以て事に従う。
建武十二年三月癸酉・・・隴・蜀の民で略奪されて奴婢となり、自ら訴える者、及び獄官の未だ報ぜる者は、一切を免じて庶民と為す。
建武十三年十二月甲寅・・・益州民で(建武)八年以来、略奪を受けて奴婢となる者、皆な一切を免じて庶民と為す。或いは依り託し
て人の下妻(=妾)と為り、去らんと欲する者は、恣これをゆるす。敢えて拘留し者、青徐二州になぞら
え、略人法を以て事に従う。
建武十四年癸卯・・・益涼二州の奴婢の(建武)八年以来、自ら所在の官に訴えしは、一切免じて庶民と為し、売られし者は値を還す
こと無かれ。

(待遇改善令)
建武十一年二月己卯・・・天地の性、人を貴と為す。奴婢を殺さば、罪を減じることを得ず。
建武十一年八月癸亥・・・奴婢を焼けば論ずること法律の如くし、焼かれる者を免じて庶民と為す。
建武十一年十月壬午・・・奴婢が人を射って傷つければ棄市(=公開処刑)とする法律を除く。

つまり奴隷制度そのものを無くそうというのではなく、国の制度の破綻や騒乱によって奴隷になった者は庶民に帰す、そういう意
味での奴隷解放令ですね。制度として奴婢は残すので、その待遇は人並みというか生存権を認めるのが、光武帝の立場のようです。


454 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 13:46:12 ID:9tUQDFr40
奴隷というかほとんどは地方豪族の小作農というか実質農奴なんだけど、
連中は戸籍を持たないから税収にならんし労役も課すことができん。
もともとは戦乱を逃れて逃げてきた農民を豪族が囲うことで生まれるのだが、
この荘園もどきが各地に点在してて悩みのタネだった、と考えるとわかりやすい。

こういうのはよほど強い君主でないと手がつけられない部分だし、
下手に手をつけようとする確実に臣下の信を失いクーデターを起こされる。

455 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 13:53:18 ID:9tUQDFr40
この売買を禁じるというのは、要するに農奴の私有財産化を抑えるためだな。
奴隷の切り売りは禁止しても豪族が世襲で受け継ぐことまでは禁止してないだろう。
そこまでやってたら命がいくらあっても足らん。

456 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 16:03:32 ID:THKwxFsD0
この時代から、平時でも奴変なんてのは度々発生していたのかな?

457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 20:59:07 ID:8FGddsL00
光武帝さんのいい小説はないものでしょうか?
塚本さんのは読みましたが、あれは力子都とにゃんにゃんの大冒険であって、光武帝の本じゃないですもんね。
ほんと3冊も買ってしまった自分がいやになります。ちゃんとした光武帝伝記みたいのが読みたいのですが・・・。
やっぱ劉秀は優等生すぎて面白くないのでしょうか。
どなたかいい小説もしくは解説本ご存知の方おられたら教えてください。

458 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 21:54:51 ID:n9C+D1uv0
俺も知りたい。 むしろなんで地味な扱いなのか不思議。
部下も多数個性的、本人も優等生かもしれんけど変な発言とかネタは
ありそうなのになぁ
桓温とか俺が好きな人物はあんまり面白い本がない・・

459 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 00:18:00 ID:5/1mtTHH0
>>457-458
自分が知る範囲では>>249とか、「新十八史略・三・人生朝露の巻」とかだな

460 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 15:38:21 ID:5DiokcO90
ありがとうございます。
やっぱ、光武帝中心の本ってないんですねー。
ちょっと文章系の仕事をしているんですが、これほど主人公にならない偉人も珍しいです。
たしかに、一人勝ちの光武帝ですから、文章にしても面白くないんですよね。
何でも出来て才能豊かな人って身近に感じられないですもんね。
むしろ王莽の方が、反響が大きくって、驚いてます。
やっぱ、失敗者や悲劇の主人公ってのは身近に感じるんでしょうね。
俺も気をつけようって気になるんでしょう。

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