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 【中国の】 公主 【お姫様】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 15:30:33 ID:vzCWcggQ0
 公主とは、中国で皇帝の娘、内親王を指す。またはその人の称号のこと。古くは化粧領として拝領した土地の地名を
取って「○○公主」と呼んだ(例:太平公主、安楽公主等)が、明代清代の称号は、多くが雅称で、これに嵌めることはで
きない。
 古くは皇帝の長女を元公主と呼んだ(例:魯元公主(漢高祖劉邦の長女))。唐代宋代以後、皇帝の姉妹は長公主、
皇帝の伯叔母や数代前の公主は大長公主(例:秦魯国賢穆明懿大長公主)と呼んで皇帝の娘と区別し、受けた待遇
も公主より上だった。清代になって、公主にも階級が分けられ、生母が皇后か妃嬪かで固倫・和碩の別がついた。
 また、宋代では徽宗によって、ごく短い一時期、公主の称号を廃し、帝姫の称号を用いた(例:嘉徳帝姫)。周王朝風
の呼び方だという。
 臣下が公主を娶る(中国や朝鮮では同姓不婚に則って、公主の結婚相手は臣下に限られて当然)ことを「尚公主」とい
い、その夫は?馬(清朝には額?)と称呼した。
 公主という称号は、本来は、天子の女の婚儀を三公が主宰したことに由来する。

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 15:57:47 ID:dl3YqAmB0
初出は魯元公主でOK?

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 16:11:30 ID:VNtD4jwa0
平陽公主が一番

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 23:48:02 ID:BeJpTZIs0
とりあえず、中国史上の十大公主を選んでみようか。

まず太平公主は当確。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 06:13:59 ID:jL3O992w0
漢代からだと
恵帝の姉で皇后の母である魯元公主
景帝の姉で館陶公主
武帝の姉で大将軍衛青の妻の平陽公主
光武帝の姉で「糟糠の妻」で有名な湖陽公主
が有名だな。

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 23:02:20 ID:KEDMqu3x0
平陽公主が有名なのが2人いるよね。
漢朝と唐朝に。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 23:27:40 ID:WVNlo4QbO
空気読まんが。
最後の公主栄安、栄寿公主ははずせまい。
特に栄安公主は同治帝の異母姉で、姉弟仲がよかった為に同治帝の死の際、夢の中に父帝が現れ
黄泉の国への供を命じられた(ほぼ同時に死んだ)とか


8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 23:51:35 ID:SbBVSCJQ0
泣ける話だ(TT)

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 23:55:07 ID:+4RDTDB80
可哀想と言えば、異民族に嫁がされた公主たち。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 06:53:27 ID:wDz3D6L00
そういうのは「公主」とは言っても皇帝の娘であることは少ない。
臣下の娘とか皇族の中でも比較的落ちぶれたあたりの娘を持ってきてたらしい。

清朝ではモンゴルの王侯に皇女が嫁ぐことが多かったけど。
いわゆる「和蛮公主」とは状況が違うし。

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 11:07:06 ID:EOThTMeo0
でも、靖康の変で、徽宗の帝姫たちは根こそぎ連れて行かれて、
奴隷にされちゃったねえ。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 22:33:20 ID:F2rEBQkr0
やっぱり漢代唐代の公主は存在感があるけど、
宋代明代清代となると、公主はいまいち存在感がないな。

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 14:43:43 ID:l0aaeB/B0
唐は女が出しゃばった時代だからね

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 23:39:02 ID:JEeyU0e40
嫁に欲しい公主

楽昌公主

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 22:53:47 ID:1crxYZKJ0
公主は、都のおとなしそうな貴族を選んで嫁がせたみたいだけど、
嫁がせられる側は、内心結構嫌がる場合が多かったみたいだね。

何しろ皇帝の娘だから、男遊びとかされても、逆らえないわけだし。
メリットもあるけど、デメリットも大きかった。

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/18(月) 01:14:26 ID:HSHYRbWS0
「馬付」馬って大変なんだね…

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/18(月) 15:44:43 ID:DS06TSR40
皇帝陛下が舅なわけだからね。
皇子はまだ謀反の疑いをかけられたりすることもあるし、
公主はある意味一番気楽な身分かもね。
時代にもよるけど。

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/18(月) 22:54:06 ID:7RmhIZHG0
中国人と喋ってた時、黒田氏のことを「天皇的附馬」て言ったら通じたよ。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 11:26:52 ID:PnKMZmIa0
吐蕃に嫁がされた唐朝文成公主

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 23:53:58 ID:XZXHt9vq0
公主 → 郡主 → 県主

県主クラスだったら、ちょっとした貴族のお嬢様ぐらいの扱いかな。

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/22(金) 02:57:55 ID:rZkQtVy90
王朝の後半になったら、県主クラスはごろごろいたと思う。


22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 23:50:56 ID:P0JO1hrE0
>>15
でも、何か罪を犯した時でも、公主の夫ということで、
罪を減じられることがあるからね。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 14:09:59 ID:Q6O7nQuv0
歴史上唯一身売りされた公主、西晋の臨海公主

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 12:49:35 ID:O9ejWnWa0
亡国の公主ってのは、結構みんな悲惨だね。


25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 17:09:07 ID:iHvd/Ai30
北宋って中央集権が完成して貴族階層が無い時代だったけど、
この時代の公主って、主にどんな人と結婚してたんですか?

やはりシダイフ?

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 23:57:09 ID:JZsaPP1x0
伝統的な意味での貴族はなくなったとは言っても、やっぱり代々高官を輩出している家とか、
建国の功臣の子孫とかで朝廷から封爵を受けている、貴族的な存在はあったからね。

靖康の変で金軍に連れ去られた徽宗の帝姫の結婚相手の付馬なんか見ると、
やっぱり大臣の子息なんかが多いみたい。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 00:43:43 ID:dZjl54EJ0
五代以降貴族は消えたといっても、南宋に入ったら微妙に復活してるからな。
韓侘冑(韓gの孫)とか趙汝愚(皇族だけど)とか。秦檜や賈似道や史弥遠
みたいな長期独裁型の宰相もウジャウジャいるし、南宋は北宋に比べて、
何だか先祖帰りしてるような気がする。岳飛や張浚の軍閥とかもそうだけど。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 02:08:42 ID:WzH4cCGx0
まあ、貴族的な存在は、どこの時代、どこの地域でもあるからね。
完全に絶やすことはできないだろう。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 23:56:07 ID:4Va40V0p0
中国では、内親王という言い方はするのかな?

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 23:58:50 ID:bAAdRy9e0
百度で検索しても、日本の皇室関係の記述ばかり出てくるから、
中国では内親王という表現は使わないようだね。

親王は使うけど。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 16:22:59 ID:5EDwP+i+0
>>22
宋の蔡京の何番目の息子なんか、蔡氏一族が流刑に処せられた時も、
徽宗の公主を娶っていたから罪を免ぜられたね。

直後に靖康の変が起こって、妻の公主ともども北方へ連行されて、
奴隷にされちゃったけど。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 23:38:27 ID:Dki/eEXM0
長平公主・・・

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/02(火) 22:52:19 ID:vFr0SExb0
>>20
宋の徽宗が公主を帝姫に改称した時は、
郡主は宗姫、県主は族姫とされた。

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 23:38:19 ID:vx7wTb160
>>15
隋の文帝のある公主が、臣下に降嫁することになった時、
嫁ぎ先の家では、どんなわがまま公主が嫁いでくるかと戦々恐々としていたけど、
意外に慎ましやかでまじめな公主だったから、ほっとしたとか。

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 23:20:46 ID:4eCPVGmN0
蘭陵公主(572〜604) 
 隋文帝楊堅の五女で字は阿五。美しく聡明で読書を好んだため、文帝は五人いた娘たちの中でも彼女を最も可愛
がった。また彼女自身も歴史上の列女や賢婦に憧れるようになり、母の独狐皇后も常々婦道を教えたために彼女は
善良な性格を養うこととなる。彼女が年頃になると、文帝は掌中の珠である彼女に良い夫をと考え、司徒の王諠の息
子である王奉孝に嫁がせた。
 しかし王奉孝は、数年も経たないうちに亡くなってしまう。僅か十代で寡婦となり、更に舅が不敬罪で処刑されたた
め、彼女は再び宮中に戻ることになる。
 年若く寡婦となった娘のために文帝は再婚相手を探した。候補として当時晋王だった楊広(後の煬帝)の推していた
蕭?(晋王妃蕭氏の弟)と、太子親衛の柳述の二人が挙がったが、結局文帝は柳述に再婚させた。
 「公主が降嫁する」ということで戦々恐々としていた(当時文帝の公主は驕慢だという噂があった)柳家の人々は、蘭
陵公主の慎み深い姿を見て、日をおかずに蘭陵公主を尊敬するようになっていった。夫となった柳述も公主の態度や
人柄に好意を抱き、また公主自身も柳述を敬愛するようになり、その仲の良さや柳家の繁栄は都中の羨望の的とな
った。
 この再婚に不満をもっていた楊広は、帝位に就くと柳述をわざと辺境へ流し、公主と無理やり別れさせ、別のところ
へ嫁がせようとした。しかし彼女は従わず、公主称号の返上と共に柳述のところへ行くことを願い出たが、逆に楊広
の怒りを買い認められなかった。この結末に打ちのめされた公主は結局失意のまま亡くなった。
 彼女の葬儀に関しても楊広は冷淡に扱い、その冷酷さが朝野の者達の同情を誘ったという。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 12:47:37 ID:qlgOQugU0
太平公主

何だか熟年セレブマダムって感じ

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 12:58:43 ID:HOIPgk4W0
太平公主にはテンテンみたいにちびっ子道士の格好をした
幼い日もあったのさ。

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/11(木) 21:46:49 ID:Ss6P+pmQ0
広平公主
唐の玄宗の娘。程昌裔に降嫁していた。
この夫婦が騎馬で外出したとき、楊氏五宅(楊国忠を除く楊貴妃の一族五人)
の行列と出会い、その従者と諍いを起こした。
このとき楊家の奴隷が鞭を振るい、その鞭が公主の衣に当たって落馬させた。
奴隷はさらに落馬した広平公主に鞭を振るおうとしたため、夫が庇って鞭を受けた。
公主は参内して泣いて玄宗にこれを訴え、玄宗は奴隷を捕え杖殺した。
しかし、玄宗は楊氏からの抗議を受けて、翌日になって程昌裔を解任し、
朝廷に参内出来ないようにした。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/11(木) 23:48:13 ID:z2Cr7Hb00
この時期の玄宗は、本当に情けなくなっているな。
若い頃の切れ者っぷりが嘘みたい。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/12(金) 23:03:09 ID:KwPV2JtC0
祖母さんの武則天も晩年はひどかったそうだから、
この一族はそういう血筋なのかもね

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/12(金) 23:35:25 ID:ARwXX2Z70
同じく武則天の孫の安楽公主なんかも相当じゃじゃ馬そう

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 15:26:01 ID:DZp+vL+i0
安楽公主、化粧をしている最中に首を刎ねられたって本当のこと?

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 17:43:15 ID:kWQhZZUv0
本当らしい。母韋后と謀って父帝を毒殺したが
後の玄宗らによって討たれた。
払暁、鏡に向かって眉を画いていた所だったので、身をかわすことも出来ず
首を落とされたそうな。

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 23:00:25 ID:qOBYbggP0
お姫様といえば我侭がチャームポイントといえる
しかし、それはドラマや漫画の世界
リアルお姫様の我侭には人死がセットで付いてくる

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 23:57:56 ID:bAr99ni90
夫の方は、本気で夫婦喧嘩できないな。
舅が怖い。

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/17(水) 21:39:17 ID:dfUMnGv60
郭子儀の息子は、公主相手に本気で夫婦喧嘩したけどな。

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/17(水) 23:57:51 ID:8L1XOCrm0
その後、公主が訴えに言った時の、皇帝の答えが面白い。

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/18(木) 00:18:48 ID:gUxbrg1f0
さらにその後の岳父の反応が面白い

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/18(木) 10:52:05 ID:Y0A3bfzP0
皇帝が岳父だろ

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/18(木) 13:17:09 ID:NaYzUQUQ0
そのおもしろい答えを教えてよ

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/18(木) 13:36:45 ID:WkRNlA9yP
これ?

 郭曖嘗與昇平公主爭言,〔永泰元年,下嫁郭曖,事見上卷。〕
曖曰:「汝倚乃父為天子邪﹖我父薄天子不為!」公主恚,奔車奏之。
上曰:「此非汝所知。彼誠如是,使彼欲為天子,天下豈汝家所有邪!」
慰諭令歸。子儀聞之,囚曖,入待罪。上曰:「鄙諺有之:
〔史炤曰:鄙諺,俚俗所傳之言也。〕『不癡不聾,不作家翁。』
兒女子閨房之言,何足聽也!」子儀歸,杖曖數十。

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 15:49:58 ID:3U9AujMN0
結局、郭子儀の息子とその妻となった公主は、
仲直りできたんだろうか。

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 21:54:51 ID:wBaZAhww0
旦那→実父に戸板で殴られる
嫁→実父に婿の言うとおりだと怒られる

まぁ仲直りできたんじゃね?

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 22:22:46 ID:v/ODXrh/0
喧嘩するほど仲がいいって言うからな。

何だか明るい雰囲気そうな夫婦喧嘩だし。

一歩間違ったら、謀反で死罪だけどw

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 17:43:18 ID:GDjKdRG70
申し訳ないが、漏れみたいなアホのために、どういうことをした人かも
書いていただけませんか

唐の時代の平陽公主や、太平公主、文成公主程度なら知ってますが

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 23:29:13 ID:3Bb/3em00
 郭子儀は、中国史上屈指の名将と言われ、安史の乱を平定するなど、唐の国難を何度も救った名臣。

 その郭子儀の息子に郭曖という者があり、皇帝である代宗の娘昇平公主を妻としていた。

 ある時、二人は夫婦喧嘩をし、その際に郭曖が、
「父親が天子だからと威張るな。俺の父親はいつでも天子になろうと思えばなれたが、天子になど頼まれてもならない」
 と言ったことに昇平公主は怒って、皇宮へ行って父親である代宗にそのことを訴えた。

 すると、代宗は、
「郭曖の言っている通りなんだぞ」
 と逆に叱って、昇平公主を家に帰した。

 郭子儀は後でこのことを知り、息子を連れて代宗を処罰するように願い出たが、代宗は、
「『痴ならず聾ならざれば、家翁とならず』と言うではないか。夫婦喧嘩などまともに取り合う必要はない」と言って咎めなかった。

 代宗の心中には、唐が復興することができたのも郭子儀のおかげだという意識があったのだろう。

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/23(火) 16:43:09 ID:e7feaU810
唐代の公主は自己主張が強そうだね。
女性が全般的に強かった時代だし。

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/28(日) 23:45:18 ID:x1RbvUlz0
宋徽宗の公主、柔福帝姫

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/29(月) 22:07:30 ID:wXNGvPXf0
湖陽公主
後漢光武帝の姉、名前は劉黄。
彼女は未亡人となり、再婚相手を探していたが、大司空の宋弘に思いを寄せていた。
それを知った光武帝は姉を屏風の後ろに座らせ、宋弘に「諺に言う、富貴になれば友を替え、
貴くなれば妻を替える、と。これは人情か?」と問うた。
宋弘は「貧しい時の友人を忘れてはいけません、糟糠の妻を追い出すことは出来ません」と答えた。
光武帝は屏風に向かって「事、成らず」といって諦めさせた。
またあるとき、湖陽公主の使用人が殺人を犯したが、公主はこれを屋敷にかくまったので逮捕できなかった。
時の洛陽の令であった董宣は、公主が外出する時その男が馬車に陪乗をするのを知って、それを待ち受けて、
犯人を馬車から引きずりおろしてその場で処刑した。
公主は光武帝に訴え、帝は董宣を杖殺しようとしたが、董宣が「殺人を許して、
どうやって天下を治めるのですか。刑を受けるまでも無く自分は自殺しましょう」と言って、
柱に頭をぶつけ、血を流した。帝は驚いて左右に命じてこれを取り押さえさせ、公主に謝罪するよう命じた。
しかし董宣は叩頭しようとせず、力ずくで頭を下げさせようと押さえつけたが、両手を床に突っ張って耐えた。
光武帝は「頸の強いやつだ、下がれ!!」と命じたが、彼に銭三十万を賜った。

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/30(火) 20:08:21 ID:uOw3Xu9i0
その逸話だけ見ると、湖陽公主って相当わがままやっていそうな感じだな。

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/30(火) 23:52:15 ID:taSYQYUd0
>>60
董宣が頭を下げないのをみて、湖陽公主は光武帝に
「文淑(光武帝の字)は民間人だったころは逃亡者を匿ったりして役人を恐れなかった、
今や天子なのに小役人に頭を下げさせることも出来ないの?」と皮肉ったが、光武帝は
「天子と民間人では立場が違います」と答えた。
思うに湖陽公主は、弟が皇帝になった事で公主となったが、自分の立場を理解せず地方豪族だった頃の
ままの考え方で行動していたのではないだろうか?
弟とはいえ皇帝を字で呼んでるし。

62 :FANS:2007/02/05(月) 23:18:44 ID:w5pq7cqW0
太平公主是最棒的
大明宮詞

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/05(月) 23:19:46 ID:GkjDKC4p0
太平公主は妖艶マダムってイメージだな。

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/06(火) 13:01:17 ID:ru5o6rh90
宋代以降になると公主の存在感があまりなくなっているような気がする。
逆に唐代の公主が目立ちすぎたのかも知れないけど。

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/07(水) 00:24:14 ID:awootDaOO
短命だが、東郷公主。
成長すれば、麗しいお顔立ちになっていたこと間違いないだろう。なんせ、あの甄氏の娘だからな。

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/11(日) 23:55:07 ID:Wp3sCcEh0
>>10
安史の乱鎮圧に手を貸してもらう見返りにウイグルの可汗に嫁がされた寧国公主は、
唐の粛宗の実の娘だったと思う。

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/12(月) 11:40:06 ID:Ml39N9j10
和蛮公主って、文成公主をはじめ、
郡主を養女を公主として嫁がせた例の方が多いぐらいらしいんだけど、
そもそも政略結婚というのは、どこの国であれ能力がないと勤まらない。

一国の王妃としての政治的手腕以外にも
嫁ぎ先と母国との間の交渉を取り持ったり、
母国の文化などを伝えて影響を与えたり、
嫁ぎ先の情報を実家へ流したり、夫の国王を裏から上手に操って、
母国に都合のいい政策をとったり、実家にもしものことがあったら援助を
してくれるようにしむける等、かなりの外交能力が要求される。

だから、和蛮公主に養女が多かったのは、
皇帝としては、実娘を異国に行かせるのは不憫というのもあったろうけど
能力の問題があった、と書いてある本を読んだ記憶あり。

政略結婚って、女性には気の毒なことではあったんだろうけど、
同時にやりがいのある仕事でもあった、って気がするなあ。

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/12(月) 11:41:24 ID:Ml39N9j10
×養女を ○養女にして

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/12(月) 18:49:41 ID:410mDf1L0
陳先生なんかはガチガチの儒教社会の更に閉鎖的な宮廷生活より
自由な騎馬民族の生活の方がどれほど自由で幸せだったことかって
王昭君を指して言ってるね

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/14(水) 06:48:52 ID:JdRvcEz70
原百代の本でちらっと見たが、唐代に
和蛮公主にされてがっくり来てめそめそしてた郡主だか県主が、
その様子を見た相手側から「そんなに嫌なら来なくてよろしい」
と断られた事があったそうだ。
公主に格上げされたものの、役目を果たせずに終わったこの
公主がどうなったか、その後は不明との事。


71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/14(水) 15:03:40 ID:fQwQyriC0
唐代に契丹に嫁がされたある公主は、
嫁いだ直後に契丹から唐に叛旗を翻し、惨殺されちゃったんだよね。

哀れ……

72 :67:2007/02/14(水) 18:08:05 ID:np1tGGxf0
勤めるじゃなくて、務める 
だった・・・

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/18(日) 23:44:59 ID:xkq6RuBe0
>>66
寧国公主は一年と経たないうちにその可汗が死んじゃって、
危うく殉葬されそうになったけど、何とか唐に帰ることができたね。

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/19(月) 22:40:57 ID:+KbJOkWe0
西晋の臨海公主は西晋崩壊の混乱時に人さらいに捕まって売り飛ばされ、
民家の下女にされて、虐待を受けた。

後に東晋が建てられると、その家から逃亡して朝廷に保護を求め、
公主の身分に復帰した。

臨海公主を虐待した家は朝廷から処罰を受けた。


75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/26(月) 23:52:34 ID:THGhnWx10
最も美しい公主と、最も醜い公主は誰?

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/06(火) 23:33:33 ID:jj31+fY/0
>>73
嫁いだ直後に死んだその可汗は、結局のところ、
寧国公主と寝たのかな?

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/07(水) 15:37:04 ID:ca1DYoIK0
鉄扇公主しか知らん

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/11(日) 10:57:34 ID:ctw56X/+0
その人は皇帝の娘じゃないじゃん

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/11(日) 23:51:02 ID:ytTibeqn0
「公主」という言葉は、
「お姫さん」ぐらいの意味で結構乱用されがち。

徽宗が考えた「帝姫」の方が、確かに風雅だな。

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/13(火) 14:45:22 ID:0a13yIQF0
 西晋の恵帝と皇后賈南風の間には四人の娘がいた。長女河東公主、次女臨海公主、三女始平公主
及び四女哀献皇女である。その中で、臨海公主がたどった運命が最も数奇であった。

 臨海公主は元々は清河公主に封じられていた。永嘉の乱によって洛陽が陥落、西晋が滅亡すると、多
くの皇族が都から逃げ延び、流亡を余儀なくされた。

 そんな中、清河公主は避難している最中に、家族とはぐれてしまう。遭難した彼女を見つけ出したのは、
一人の農夫だった。相手が高貴な公主であることなど知る由もなかった農夫は、あろうことか呉興県の銭
温という者に奴婢として売り飛ばしてしまう。

 銭温には一人の娘がいて、幼い頃から甘やかされて育ったために、わがままで、特に下男や侍女たち
に対して横暴に振る舞っていた。銭温は、清河公主を買うと、愛娘に仕える侍女にした。
 銭温の娘は、清河公主に対して冷酷で、少しでも気に入らないことがあれば、鞭を持ち出して打ったり、
何日も食事を与えないなどの激しい虐待を加えた。
 清河公主は助けを求めることもできず、ただひたすら虐待に耐えるしかなかった。

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/13(火) 14:45:53 ID:0a13yIQF0
 その頃、江南へ逃れた元帝が東晋を建て、国を復興させた。
 そのことを伝え聞いた清河公主は一縷の希望を見い出し、銭温の娘に命じられて買い物をしに外出した
際、隙を見て逃亡、多くの苦労を重ねて遠く江南の建業までたどり着き、自分が公主の身分であると名乗
り出た。

 対応に当たった東晋の役人は、最初、清河公主の身なりがあまりにみすぼらしいので、話を信じなかっ
た。ただ、彼女が必死に食い下がったために、渋々元帝に知らせた。
 元帝に面会した清河公主は、涙を流しながら、自分が味わった様々な苦難を話した。元帝は彼女の身に
起きた不幸に感嘆し、公主を虐待した銭温とその娘に激怒した。

 元帝の命で銭温とその娘は逮捕連行され、死罪に処された。
 ほどなく、元帝は清河公主を改めて臨海公主に封じ、宗正曹統に嫁がせた。

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/23(金) 21:02:15 ID:Yc46DtQR0
なんで妹の昭仁公主は斬られて死んだのに、
長平公主はケガだけで済んだんだろ?

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/23(金) 22:41:18 ID:2j1TdKg50
体の大きさの差とか、年齢による体力の差とか、
あと父親のお気に入りだったらしいから、さすがに手元が狂ったとか。

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/27(火) 22:15:36 ID:ZtyCdL9v0
愛娘を斬るとなると、さすがに手に力が入らないわな。

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 11:11:30 ID:WWh/uzzs0
始皇帝の息子達はみんな殺されたけど、
娘達はどうなったんだろう?

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 12:26:32 ID:i1aGb4zo0
始皇帝の子は男子25人、女子11人
うち一男一女が夭折、残りは二世皇帝以外全員殺されたか自害。
娘10人も兄弟達と共に杜県で刑死。

何年か前に、始皇帝の子女が殺されたと言われる土地で
大量の人骨が出土したってニュースがあったと思う。


87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 12:57:14 ID:xGzfb26L0
 胡亥が即位した後、最初に行ったことは、趙高の勧めによって競争相手となり得る十二人の兄の首を刎ねて
晒すことだった。そして、姉妹である十人の公主を杜県の監獄に入れ、死ぬまで鞭打って殺した挙句、服を剥い
で裸にし、磔にして辱めた。

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 19:14:15 ID:RFOqmJMV0
まあ、殺すのは仕方ないとしても、やり方があったろうになあ

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 20:50:59 ID:WWh/uzzs0
ひどいな皆殺しか。
大量の人骨ってことは嫁ぎ先の一族も殺されたんだろうな。

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 22:43:55 ID:n1EmC1qb0
>>35
公主なのに字が阿五って、適当なのか可愛がられたのかわからんなw
逸話からすると後者かな

ところで漢代の竇(?)玄が妻を捨てて再婚した公主の名前って伝わってるの?

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 23:58:55 ID:zAFfeCHo0
中国も女性の名前は適当な場合が多いし、
そもそも公主でも大半が名前自体伝わっていないからねえ。

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 06:54:28 ID:gl54kSXH0
日本の「捨」みたいに大事な子にはわざと変な名前で呼ぶって習慣もあった。
男児を女子の名前で読んだり。
阿五って「五ちゃん」みたいな感じでそれほど悪くないでしょ。五女だったのかも。
唐の高宗の幼名は雉奴、その妹は牝の犀って意味の兕児(ジジ)って名前だったらしい。


93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 15:54:26 ID:KW5filkU0
紅楼夢で簡単に侍女の名前を変えたりしているから、
女性の名前はそんなに重要性がなかったのかもね。

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 19:42:13 ID:3WYOWWal0
「大地」でも、子供の名前は、一、二、三じゃなかったか?
塾に行くようになってから、塾の教師に名前をつけてもらう

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 19:48:38 ID:AyRisBV50
>>94
あれは、親(主人公)がそもそも、自分の名前も書けるかどうかという
貧農だからね。
皇帝の娘と同列に論じるのはどうかと。

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 19:50:06 ID:00FJSOum0
日本と同じように「幼名(乳名)」がある。
子供の頃は兄弟(父方の従兄弟姉妹まで含めて)順に番号とか、
生まれた干支にちなんだ名前とか、あだ名に近いような感じ。
塾に行くようになって名乗るのが「学名」で大人の名前。
唐代からこうだったかどうかは知らん。

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 22:14:09 ID:sTNKXtrB0
たしかに阿瞞ちゃんとか阿斗ちゃんとか呼んでたな

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 23:11:10 ID:lHoCCgg70
>>97
どっちも知識人階級の跡取り息子だし、そういう連中でも幼名がそういう適当っぷり
なんだからやっぱみんな幼名は適当なんだろうな。

阿瞞とか悪い意味の漢字をわざと使って早死にしないような願いを込めてたのか、
そもそも漢字なんかなくてマンちゃんって呼んでただけなのかわからん(幼名を
阿瞞と書き残してるのは曹操を貶める内容の本なので、「マンちゃんってみんなは
呼んでましたね」とかいう証言を聞いてそれを漢字にあてる時に嫌な意味の漢字を
当てはめた可能性がある)が、後者だったらホントに適当な話なわけだし。

阿斗だって「北斗七星を飲む夢を見たので…」とか言ってるけど、たんに「トちゃん」
ってみんなが適当に呼んでただけなのに皇帝の幼名だからっていい意味の字を後
で当てただけの可能性がある。

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 03:22:51 ID:pJNAz1SR0
>漢字なんかなくてマンちゃんって
ありえない。そもそもあの国には日本と違って漢字以外の文字ないじゃん。
マンちゃんて呼ぶにもそれなりの意味がなきゃ、マンの音もドゥーの音もどうやって選ぶ?
名前にはある種の魔力があるし、かの国の人は文字にこめられた意味も重んじてる。
単に口からでた音でつけるわけじゃないよ。

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 06:54:07 ID:qOQ4MfJv0
>>97
つ 阿蒙ちゃん

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 07:05:19 ID:93D41E4E0
>>99
阿Q正伝ってあるだろ。
あれは「アーコイ(コイちゃん)」と呼ばれていたおっさんの話だが、みんなコイちゃんコイちゃん
と呼ぶものの、漢字で書いたらなんなのかさっぱりわからん(誰も知らない)ので、とりあえず
仮に阿Qと表記する、という都合で阿Qなんだ。
アルファベットが入ってくる前の時代にそういう男の名が記録されることがあれば、おそらくは
阿桂とか阿貴とかなんとかそれっぽい字を無理矢理適当に後づけしたことだろう。
もちろん彼は乞食同然の男だし、字の読み書きもできないから仕方ないんだが、冷静に考えた
ら幼名を文字に書く機会ってないのよな。
役所に提出するわきゃないし、「息子が産まれました」って手紙書くにしても幼名を知らせたりは
しないだろうし。

幼稚園の時の友達の名前とか思い出そうとしても「あっくん」が「あつし」だったのか「あきひろ」
だったのかわからんとか、あつしだったとしても淳か篤か敦史か、さっぱりわからないのと同じ
でさ。上履きに名前書いたり名札つけたりしないしな、昔の幼児は。

だから意味がない、というか親が何らかの意味をつけたとしても乳母をはじめ周囲の人は誰も
意味をわかってない、どんな漢字かわからない、ということは普通にあり得ると思う。
そしてそれならもう適当でいいじゃんとなってきて、どんどん適当感溢れる幼名がスタンダード
になってくんじゃないかとかね。

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 19:34:17 ID:pJNAz1SR0
何ゆえ阿QがQなのか解ってないね

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 19:54:20 ID:M97/kC5d0
そもそも、中国の最下層を描いた阿Qと、
時代は違うにしても、仮にも朝廷で官位を持ってた曹家や
群雄とはいえそれなりに勢力持ってて、読書人も陣営にいた劉備の息子と
なんで一緒くたになるんだ。

それに、ここは公主(皇帝の娘)スレのはずだけど。
皇帝の娘の周囲が全員、目に一丁字もないとでも?

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 21:00:40 ID:jneFhV8/0
宋の徽宗の公主たちの名簿があって、
そこは風流皇帝だから、それなりに洒落た感じの名前をつけているけど、
男子たちに比べると、ちょっといい加減っぽい名づけ方だな。

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/12(木) 18:54:07 ID:CcmCwHUJ0
>>104
kwsk

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/12(木) 20:21:58 ID:tvYdkasE0
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3?ukey=1506951186&path=/21.4.7.2.8.5.8783p

これで見れるかな?

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/12(木) 20:43:08 ID:lHKTN6a/0
>>106
それって封号じゃ?
「「 國 號 易 以 美 名」って書いてあるじゃん。

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/12(木) 22:39:18 ID:Lx7l30gY0
男の場合 ○○(親)王×× で○○は封号、××の方が名前
同じように公主も○○公主(帝姫)というのは封号であって本名ではない。
例えば唐代の永泰公主、永泰は封号で名は仙宦B
もっとも公主の場合は名前が残ってるほうが珍しい。

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/12(木) 23:51:43 ID:atgc4kEh0
>>105
〜帝姫と言うのとは別に、
何か、靖康の変で金軍に連行された時に照らし合わせた名簿みたいなものがあるらしくて、
それによると趙玉盤とか、趙金奴とか、趙福金、趙圓珠、趙多富、趙串珠、
趙瑚児、趙仙郎、趙香雲といった名前だったらしい。
男子は全員木偏だね。

もっとも正史とかじゃないから、どこまで信憑性があるのか分からないけど。

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 00:57:20 ID:lx3wGSkS0
靖康稗史箋証
はじめて知った

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 06:41:55 ID:rVWoa/5B0
それによると2歳とか当歳の幼児(徽宗の孫)まで連れてかれた事になってるね。
皇女達は洗衣院に入れられたって事になってる。
皇女様たちが洗濯場で何が出来るわけでもないだろうし、苦労して死んでいったのだろう。

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 10:38:40 ID:LYgoeNnc0
洗衣院が洗濯をする場所というのは名目上のことで、
実質的には、金の貴族たちが利用する妓楼、だったらしいよ。

金の皇族の妾にされた帝姫もいるみたい。

靖康の変の時の金軍は女狩りにも熱心で、開封にいた貴婦人は根こそぎ連行されたとか。 

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 16:00:01 ID:TxfIgcC70
>>109
阿五タンと違ってみんなおめでたそうな名前なのに…
漢から時代が下るとさすがに字面で女性とわかる名前になるな。

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 19:10:57 ID:rVWoa/5B0
>>113
やっぱりいい名前だと魔が入りやすいんだよ。

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/14(土) 23:40:27 ID:G8tRg0hA0
>>112
靖康稗史によれば、
靖康の変の時に金軍がやらかしたことは、それ何てエロゲ?状態だからなあ。

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 23:55:05 ID:cn4Eo3Lj0
柔福帝姫が一番有名だろう。
偽者騒動があったし。

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 01:03:55 ID:BcQ8Aocq0
姉妹の中で茂徳帝姫が一番美人だったらしい。
ちなみに蔡京の息子に嫁いでいた。

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 02:15:35 ID:QGNRsBpF0
>>102
Qing(清)の頭文字で、当時の中国社会を代表させてるとか?

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 06:29:33 ID:9VFeQG9p0
ヒント髪型

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 11:58:36 ID:93G9qhSL0
中国に公主嶺というところがあるよね。

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 21:00:48 ID:9VFeQG9p0
北京には公主墳という所もあるよ

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 23:33:26 ID:M6zDeD1J0
公主って、お姫様ぐらいの感覚で結構使う言葉になっているね。

厳密には皇帝の娘だけだけど。

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/21(土) 00:14:54 ID:8fYrEimMO
郡主や県主もいるからね

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/21(土) 13:10:10 ID:U0iaMOJG0
白雪姫は中国語の絵本では「白雪公主」
かぐや姫は「竹公主」だったなあ。
シンデレラは「灰姑娘」だった。

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/21(土) 23:23:06 ID:ouhgef9Z0
明治時代に日本で翻訳されたシンデレラ、
シンデレラの名前は“おすす”と意訳されていたらしいよw

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 12:41:28 ID:p9Q/4Y2s0
>>124
何だってかぐや姫が公主なんだろ?
原典ちゃんと読んでないけど竹取の翁ってエラい人だっけ。
白雪公主と灰姑娘は納得。つか白雪公主は字面もきれいで良いなw

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 12:53:47 ID:Pl34Nfg60
おやゆび姫も「拇指公主」だけど、あれも一般人の娘だし
「姫」の訳語としての「公主」じゃね 
実際には「小姐」ぐらいになるのかね。

日本語(古語)のヒメも色々な意味合いがあって難しいよ。
古代の皇女(ヒメミコ)とか臣籍降下した皇女の○姫以外、
後々になると大名や貴族の娘には使っても天皇の娘は姫じゃなくて
内親王になるね。

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 15:47:52 ID:PUJBkvJ00
>>126
白雪公主って、中国語でもそのままありそうな言葉だな。

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/25(水) 23:57:41 ID:H+8M2bbH0
平陽公主最強

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/26(木) 13:31:32 ID:MlaEg2fc0
南宋の最後の公主たちどうなったんだろう

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/26(木) 18:04:59 ID:7TnZhRpB0
>>130
度宗に娘はいなかったはずだよ。

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/26(木) 19:11:36 ID:LCjXLPec0
ゼルダの伝説のハイラル国が海拉爾と訳されて
いるかどうかを確かめるために検索して中国語
のサイトを見ていたんだけど。
ゼルダ姫が公主となっていたのを見て、
主(あるじ)ではないだろーと思ってたけど
そういう意味だったのか

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/27(金) 23:32:54 ID:1gUHKR9c0
>>131
その時の皇帝の娘じゃなくても、姉妹とか叔母とかでいたんじゃない?

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 14:59:10 ID:ArKIUmSp0
公主について興味深いのは、やっぱり称号のつけ方だな。
地名が多いようだけど。

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 23:43:13 ID:KViKa44E0
公主は立場が強くて再婚も自由な感じだけど、
宋代以降は基本的に再嫁することはなくなったみたいだね。

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/05(土) 04:37:40 ID:+KIQMcTU0
儒教の道徳観が完成されたのが宋代だからかね。

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/06(日) 23:54:26 ID:vvskIzLl0
纏足が広まり始めたのも宋代からだからね。

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 12:02:47 ID:l2pWOHUo0
金 蓮 歩

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/19(土) 23:50:16 ID:67T0udbi0
>>127
元々は、お嬢様を意味するはずだった小姐も、
近代以降は水商売の女たちが乱用し始めたせいで、
かなり値打ちが落ちたらしいw

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 10:24:25 ID:kY3M5z4C0
三陪小姐

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 16:24:30 ID:tPWJIL+H0
捕虜になった公主とかには三陪小姐に落ちぶれた者もいるけどな。

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 18:38:30 ID:HObPaOaD0
太平公主が最強

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/22(火) 20:56:15 ID:3rKOaivq0
日本でも姫っていうと今じゃネカマが真っ先に浮かぶし

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/24(木) 23:56:50 ID:qiwvqoeQ0
称号のつけ方に、
〜国公主という場合はいつの時代からなのかな?

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 23:44:35 ID:l9v7l/8h0
清の格格という呼び方は、清代以降での使用?

それともそれより前の非漢族国家では使われていた?

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 14:07:40 ID:CfPLqFgF0
満州族の呼称じゃないの?

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/11(月) 01:03:40 ID:zgox5zC+0
>>145
満州語だから、清以降だと思う。

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/11(月) 06:42:07 ID:KId69ITS0
女真の金代にはそういう語があったのか?って話なんじゃね

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 15:16:41 ID:h/3kgtNOO
このスレ見てて金郷公主を思い出した
そんなに目立ってた人じゃないが

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 12:23:04 ID:CDgNtBQm0
>>115
靖康稗史は、中国史ばかりか世界史上でも屈指の、












思わず○○○が立っちゃいそうな歴史逸話。

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 05:14:31 ID:maUvWN7j0
皇帝の従姉妹も公主?

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 06:10:59 ID:JFRgVBsY0
その人の父親が皇帝だったらね
祖父が皇帝だったら郡主
和親政策とか他の事情で公主に封じられることもあったけど。

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 16:33:54 ID:bZEQkMfN0
難しい。とにかくお父さんが皇帝じゃないと公主は名乗れないのね。

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 23:10:06 ID:0jXecgIe0
>>1でも出てたと思うが、
皇帝の娘が公主、皇帝の姉妹で父も皇帝だったのが長公主
皇帝の伯叔母で父親が皇帝だったら大長公主
日本のアホな小説家が武帝の伯母である館陶大長公主の称号を
ものすごい権力を持った人だから「大長公主」って呼ばれたって言ってたけど、
別にしょぼくれてたいした権力の無い人でも皇帝の伯叔母なら「大長公主」なわけで。

まあ同治帝の姉みたいに、皇帝の一人娘で「大公主」と呼ばれた例もあるけどね。




155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 15:12:36 ID:PPFiSrE60
清代の公主とか皇族女性の称号が一番ややこしいね。

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 01:12:02 ID:wee0Fqzr0
格格に固倫公主、和碩公主か。
ドラマの「康煕王朝」では公主の他に皇格格って呼び方してたけど、
どう違いがあるんだろうか

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/29(金) 11:26:05 ID:P3VNapWT0
明朝の公主が一番目立たない気がする。
思い浮かぶのは崇禎帝に斬られた娘ぐらいだし。

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 20:27:43 ID:Z9AzWPLq0
美人で有名な公主様って居ますか?

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 20:47:49 ID:T48aRrcb0
母親は言うまでも無く美人だろうし、父方にも代々美女の血が入ってるからな。
よっぽど不幸な偶然が重ならない限り、公主様って普通に美人揃いなんでね?

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 23:20:56 ID:olQBQ1eG0
>>159
その論理が成立するのなら、日本の皇族は・・・

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 23:56:08 ID:FNa9uJCv0
>>158
宋の徽宗の娘の中では茂徳帝姫が一番の美人だったとか。
隋に滅ぼされた陳の公主、楽昌公主や宣華夫人も相当な美人だったんじゃないかな。


>>160
日本の皇室の場合は、美醜云々よりも血筋だと思う。

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 15:46:11 ID:WvcsX9wf0
>>160
美醜の概念が変わっただけだ!源氏物語絵巻の顔を現代に伝えているんだ!

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 23:09:06 ID:KkzdeTt60
漢の劉氏、唐の李氏、宋の趙氏、明の朱氏、清の愛新覚羅氏など、
歴代の中国の皇帝一族、どの家系が一番の美形の家系だっただろうか?

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 23:39:03 ID:sceSAJnK0
呂后の孫で恵帝の皇后になった張氏は、
絶世の美少女だった
母親の魯元公主はおそらく若いころの呂后に似て美人で、
父親の張敖も美男子だったらしく、彼女は美男美女から生まれたスーパー美少女だった
叔父でもあった夫の恵帝は彼女が13歳のとき死んだが、最後に張皇后に
「おまえのような絶代無二の美人と夫婦になりながら男女の交わりを遂げなかったのが無念だ」
といったという

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/06(金) 01:35:02 ID:9bI1hNpZ0
>>161
遅レス無礼でしたが、レス有難う御座いました。

宣華夫人(寧遠公主)は美人で有名かも知れないですね。
煬帝が彼女に横恋慕と言うか、略奪愛を成就させようとした事が切っ掛けで、
彼の性格の仮面が文帝にばれて、親殺しにまで発展してしまったのだから。

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/06(金) 23:34:32 ID:K75crwxK0
中国の歴史上で美女とされる者は、やっぱり、
公主よりも后妃の方に多いんだよね。

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/07(土) 00:29:58 ID:vbsTS20m0
そりゃ后妃になった人たちは、美貌で名高いからこそ皇帝の寵愛を受けて名を残こした訳だし。

公主様は、まあ側近や周りからは「お可愛らしい」「お美しい」って
当たり前に言われてただろうけど、西洋の王女達と違って政略で外国に嫁に
行く事はまずないし、容姿をわざわざ外に喧伝しなくてもよかったわけだから。

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 06:45:51 ID:a82izyRX0
公主って肥満になることは多くなかったのかな?
飽食な生活を送るわけだし。

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 20:35:02 ID:/0v5vEnx0
だから当時の人々は肥満体のほうが美しいと教育されていた
漢のころは吹けば折れるような腰の女が好かれたっていうから皇室でも食い物がなかったのかも

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 22:48:28 ID:TixNb5xw0
逆じゃね?
食べ物が溢れているときはデブが多いから、痩せてると美人。
食べ物が乏しいときはガリが多いから、太ってると美人。

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 23:37:05 ID:6tmV/+nd0
肥満体が美人と言ったって限度がある。
いくら唐代とかでも、小錦みたいな女を美しいとは感じないだろうし。

今で言えば、かなりふっくらした感じの女性に対するものだっただろう。

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/12(木) 20:07:12 ID:3f8OdFeO0
ttp://www.mobaho.com/channel/401/images/536.jpg
このぐらいが最高級の美人の世界だったのかも

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/29(日) 21:32:55 ID:dAHXG7Wf0
竜吉公主…ごめん過疎ってるし言ってみたかっただけ

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/30(月) 21:14:19 ID:v+UjiFyn0
>>164
ワロタ。( ^ω^ )
お前の脳の中を見てみたい。

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/02(木) 23:23:53 ID:JgRQbD/w0
朝鮮も公主の称号は使っているみたいやね。

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/02(木) 23:46:03 ID:L8mRWnrC0
>>175
公主=正妃が産んだ娘
翁主(おうしゅ)=側室が産んだ娘
と使い分けている。

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 08:58:50 ID:aw7qm85R0
>>176
じゃあ、男の子の場合も、正室と側室で称号が違うの?

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 15:23:54 ID:leFekGGJ0
男子の王子は〜君という称号で、
そのうちの後継者が世子に定められるんじゃなかったっけ?

179 ::2007/08/08(水) 01:50:54 ID:p7oPqcju0
>>178正室は大君、側室は君

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 08:47:42 ID:Q5j9uGsX0
たしか異母兄の太子と密通して
叔父だかに斬殺された公主がいた気がするんだが、
いつの時代の誰だったかさっぱり思い出せないんだ。
知ってる人がいたら教えてくれ。

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 18:27:12 ID:P9XGSElq0
日本の允恭天皇の皇女、軽大郎女が同母兄と通じて最後には心中したって
話もあるが。

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 20:22:08 ID:5VCGdggc0
> 異母兄の太子と密通
春秋時代の斉でそんな話がなかったっけ。
斬殺されたかどうかは知らないが。

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 22:35:17 ID:wK2Wh3Se0
考えてみれば日本は異母兄妹なら正式に結婚できて当たり前なんだよな。
同姓不婚なんて無いしむしろ近親婚は望ましいものだったみたいだし。
中国に比べて女性の地位が高かったのもそれと関係があるのかもしれないな。

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 23:48:47 ID:DKmkT5Pa0
中国は同姓不婚の原則だけど、姓さえ違えば、
従兄妹同士でも結婚は全然構わなかったみたいだね。

遊牧民の方は近親婚がよくあったみたいだけど。

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 23:28:43 ID:qtSklfc00
>>180
斉の文姜のことかな?
妹だけど、異母か同母かよくわからないし、
当時は「公主」という呼び方はなかったと思うけど。

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/31(金) 23:32:00 ID:PRiP/qaE0
春秋時代のそれも初めの話だし、
どこまで本当か分からない。

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 02:04:42 ID:vuNA747p0
>>184
古代中国の婚姻制度――例え出身地がどれだけ離れていようとも
同姓ならばダメだけど、異姓であれば従兄妹同士でもOK――って、
文化人類学で言う「交差イトコ婚」の最たる例だよね、実は。

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 15:31:46 ID:Tue1MnJ00
近親関係になくとも同姓婚禁止の原則はいつ頃にできた習慣なんだろう。

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 21:59:53 ID:B91aG11Q0
>>188
魯の昭公が同姓(姫姓)である呉から夫人を娶った。
本当ならこの夫人のことは、実家の姓で「姫氏」とか呼ぶべきなんだけど、
魯も同じく姫姓であるために、これでは魯の公主たちと区別ができない。
そこで、魯ではこの夫人を「呉孟子」と呼んで、どうにか誤魔化していた。

この件について、魯に仕えていた孔子が陳国の高官に面会した際に、
「お宅んとこの殿様、ちょっと礼儀に外れてないですか?」と
問いただされたことが、『論語』の述而編に載っている。

つまり、春秋時代には既に、同姓不婚の大原則みたいなものが
確立していたと見て良さそうだ。

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