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【みんなで】中国愚将百選【決めよう】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 00:47:16 ID:vPNjU+Lz0
 中国の長い歴史の中で登場した数多くの武将たちの中から、特筆に値するであろうアホ将軍百名を選ぼうというスレです。
・推挙する武将については、その理由を述べること。
・対象となる武将は、近世以前の武将とし、近代以降の軍人は含めない。
・対象となる武将は、特定の時代に偏らないように配慮する。

 以上の三点に留意して、中国愚将百選を決めましょう。

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 00:51:25 ID:5Dsg3xlRO
項羽

国家経営や戦略では全くといっていいほど良い点がなく、
まだ再起の可能性もあり支持者もいたのに自滅を選ぶ

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 01:43:28 ID:v0DxTpZDO
魏豹を是非!



4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 09:15:31 ID:vmGpwu3U0
武将とは言えないかも知れないが、朱祁鎮

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 11:57:09 ID:Zlw+bqGd0
曹豹に一票!

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 12:27:44 ID:0fAs8WoL0
つまり、勝利を痛みわけにし、痛みわけを敗北にし、敗北を総崩れにする男か……
そこまで酷い奴、て本当にいるのか?

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 13:44:16 ID:P4aTO7sf0
生兵法さん

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 16:29:52 ID:Jqh2LJF90
趙括
長平な戦いの敗将

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 17:53:08 ID:67ZQ/iow0
ここ1500年間の中華豚全て。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 20:00:01 ID:ze0s9IqP0
とりあえず
・大軍を擁しながら為す術もなく大敗、挽回もできていない
・戦略的に著しい欠陥がある
・異常に敗北が多い
このあたりが条件だろうか

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 20:15:52 ID:ze0s9IqP0
三国志でいうと
馬ショク(山頂布陣)
キョウ維(無謀な出兵を繰り返し、黄皓と並んで蜀滅亡の元凶)
袁タン(政治、戦略、戦争全てにおいてダメダメ、袁家滅亡の遠因)
張勲(大将軍に任命され、10万の軍を率いながら大敗)
呂布(酒色に溺れて人徳もないバカ)
夏候ボウ(帝族でありながら蜀に大敗、後に解雇)
蔡帽(孫堅相手に意気込むも大敗、後には荊州を混乱に引き込んだうえ降伏)
董卓(黄巾相手に大敗し政界を牛耳ってからは洛陽を焼いて人望失う)
何進(将軍になったのが間違いの肉屋)
袁紹(官僚時代にも戦略眼のなさを露呈、連合軍をまとめられず、後には世紀の大敗)
とりあえずあげてみた。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 22:41:01 ID:Z9l2ZeQa0
おお、麻秋のためにあるようなスレだ!

麻秋(太原出身、?〜350年、後趙の将軍)
対前燕戦:大軍(30,000)擁して慕容恪(7,000)らに惨敗、降格処分
対前涼戦:大軍(80,000)擁して、白面書生の謝艾(30,000)に翻弄される
     大軍(120,000+20,000)を擁して、またもや劣勢の謝艾(20,000)に撃破される
苻洪を毒殺して、勢力を乗っ取ろうとして失敗、配下の兵達に殺される

戦略決めてたのは主君の石虎ではあるが、余りにも駄目すぎるぜ!>>麻秋

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 09:47:53 ID:KkC8AczgO
その負けっぷりは萌えるな
そんな奴に3回も兵を与える石虎もアレだな

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 10:46:53 ID:+Jh6L+C80
とりあえず 〜戦国時代であげていこうか

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 10:50:22 ID:In06JqE90
宋襄が最高に馬鹿じゃないの?
いらん聖人気取りで勝てる戦を捨ててボロ負けした
宋襄の仁なんていう諺になるぐらいだから
もっとも君主だから将ではないかも

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 11:02:00 ID:mf4tQQpg0
テンプレ
【名前】
【時代】
【理由】

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 12:04:56 ID:UH1qFMkP0
【名前】 殷浩
【時代】 南北朝
【理由】 政変ラッシュで乱れていた北に進軍して勝ち進むものの、配下の名将姚襄が裏切るとさっぱり勝てなくなって、すぐに失脚しました。何をしに出てきたのでしょ?


18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 12:28:24 ID:2q8ivaO30
【名前】王衍
【時代】西晋
【理由】名家のボンボンが、容貌の良さと弁舌の巧みさ、一見すると素晴らしい機転の利き方だけで
    政府首脳に取り立てられた結果、西晋の軍事主力を壊滅させる大敗を演じてしまった
    あろうことか、敵方である異民族奴隷将軍石勒に媚び諂い命乞いまでする始末
    「天下を滅ぼせしは、君にあらずして誰ぞや!」と叱責された上、壁につぶされて殺害される
    合衆国国防長官が、一介のアフガンゲリラあたりに処刑されるぐらいショッキングな事件

血統の良さや、口先三寸、人気といったものだけで人物を要職につけてはいけないという良い見本

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 16:03:26 ID:SbBVSCJQ0
たとえ名将でも、最後に無様な敗戦をして、
みっともない死に方をしたら、それで歴史上の評価は定まっちゃうな。

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 00:39:44 ID:LuhIAfxV0
麻秋の宿敵の謝艾が名将100選候補に入ってるね。
これは相手が凄かったのか、それとも…

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 13:19:05 ID:pPK2fjDY0
【名前】呉王・夫差
【時代】史記
【理由】伍子胥と孫子を得ながら、アホ宰相を重用して国を滅ぼした。
しかし後の故事に残るのだから、案外凄いのかもしれない

【名前】馬謖
【時代】三国志
【理由】街亭で命令違反し、蜀の最後の命綱を断った。
しかし後の故事に残るのだから、案外凄いのかもしれない

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 19:39:07 ID:NB6YgISF0
【名前】 袁紹
【時代】 後漢
【理由】 名門出身であるため旗揚げ当時から大勢力になり、
配下に曹操にも負けない多数の能臣をそろえながら、
見事なまでの決断力の無さと傲慢で徹底的に機を逃し続け官渡でサヨナラ。
スタート地点が有利だっただけで三国屈指のバカ君主だと思ってる。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 22:08:09 ID:ktsPnyIh0
>配下に曹操にも負けない多数の能臣をそろえながら、
んなことはないのでは

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 22:29:28 ID:ywrnTUuGO
曹操の配下にも負けない将がいたの間違いじゃ?
まぁ袁紹ヘボってのは同意だが、下を探せばかなり凄いのいそう。

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 22:37:49 ID:jdM69yp20
なんていうか、いつの間に君主を語るスレになったんだよ

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 22:38:28 ID:ktsPnyIh0
荀ケか郭嘉あたりに奸臣ばかりとか酷評されてた気が
袁紹自身に問題があるのは確かだが、家柄に惹かれてきた人物が多かっただろうから、
人材面で曹操の負の部分を負わされた、という見方も出来るかもしれない

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 22:38:26 ID:4OSmrqW30
【名前】ケ禹
【時代】後漢
【理由】光武帝の功臣二十八将の筆頭だが、関中の攻略を任された時、主君の命令を無視して戦略的に無意味な行動をとる。
結果、30万という大軍を壊滅させてしまう。もし光武帝が天下を取れず滅亡していた場合、こいつの責任になっていたはず。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 15:43:25 ID:l0aaeB/B0
百人も出すのって大変だな。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 21:37:13 ID:VFOvXAvv0



30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 21:39:11 ID:BVFFJ2i30
出ると負け軍師

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 22:00:26 ID:jIr9o3L20
ホウケンは愚将に入るんでしょうか?

32 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/12/14(木) 22:16:59 ID:dzWY32ne0
愚将が一国の将軍にまで登りつめられないかと。

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 00:38:45 ID:KQqBUci80
将軍ではなく宦官だが
【名前】王振
【時代】明。
【理由】皇帝英宗の教師だった宦官。皇帝から「王先生」と呼ばれ絶大な権力をふるった。
廷臣の反対を押し切って皇帝親征を強行、五十万の兵と皇帝と廷臣を引き連れオイラート討伐に向うが、
敵に会わずに帰還。帰路、自分の故郷に皇帝を迎えるつもりだったが、故郷の田畑が荒れるのを心配しコースを変更。
そのため明軍は危険地帯を休憩なしで通過する事になり、オイラートの奇襲をうける。
さらに王振は、輜重隊を待つという理由で土木という砦に軍を留めた。土木には水が無く、オイラートに包囲された明軍は
玉砕、王振は殺され英宗は捕虜となった。これが史上有名な「土木の変」である。
この戦いで明軍は恭順候呉克忠、弟の呉克勤、成国公朱勇、永順伯薛授、兵部尚書鄺埜、戸部尚書王佐、英国公張輔ら重要人物が多数戦死した。

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 17:30:58 ID:4zUpJAyjO
>>23
人材面ではほぼ互角でしょう。負けた陣営にいたから評価がひくいだけで。
官渡はどっちに転んでもおかしくない戦いだったし、
逆の結果になっていれば曹操側にロクな人材がいなかったからという評価になったはず。
それに本人もそれほど無能とは思えないな。

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 17:41:35 ID:gocmwCzWO
人生最大の好機をアホな理由で見逃し→一大決戦き大敗し転落→失意の中アボン→袁家滅亡は

これまでの全てを無に帰す、いやマイナス

まぁ袁紹より愚将は探せば沢山いそーだけどな

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 20:05:35 ID:ElXf7rNg0
【名前】童貫
【時代】北宋
【理由】金に圧迫される遼を見て大群を擁し失地回復を図るも失敗
     金に泣きつき、密かに賄賂を送って攻めて貰い、金軍によって略奪された後の空城に
     入城、「建国以来の大功」と主張する。宋と金が戦端を開くとあっさり逃亡
     北宋の六賊の一人。宦官


37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 20:09:02 ID:ElXf7rNg0
>>20
相手が凄かったと思うよ
慕容恪はあの時代でも一、二を争う名将だし、
ただ段遼にも負けてる>麻秋・・・

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 22:38:25 ID:6vbUcOgp0
符堅だって1回の大敗で滅んだけどそれまでは名将だった
袁紹だって河北を制したんだし愚将とは思えない。



39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 23:19:31 ID:idDP65Hq0
ちょっと長いけど、テンプレに沿って>>8を書き直してみた。

【名前】趙括
【時代】春秋戦国
【理由】
秦は紀元前262年、遠征軍を趙に差し向け、上党を占領した。
上党の人々は長平に逃げ込み、王?軍はこれを追い趙にそのまま
攻め入る。
これに対し趙は廉頗を総大将とし持久戦に持ち込み、そのまま2年
の歳月が過ぎた。
秦の宰相・范雎は趙の国内にスパイを送り、「秦は趙括が趙軍の指
揮を取るのを恐れている。廉頗であれば組しやすい」というデマを流した。
これを信用した孝成王は、、趙括に総大将に交代させる。
趙括は趙の名将趙奢の子だが、彼は机上の兵法家に過ぎなかった。
それを父親である趙奢も見抜いていた。
着任した趙括は大軍を頼んで、秦の本陣に向かって突撃した。
白起は趙軍を誘い出し、伏兵をもって趙軍を分断、趙括を戦死させる。
残る趙兵四十万はそれにより降伏した。
白起は兵糧が足らず捕虜が反乱を起こすことを恐れ、生き埋めにした。
この戦いでの趙の戦死者・処刑者は四十五万に登るという。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 23:36:00 ID:dFqev0/00
父、趙奢は王から貰った褒美を家臣に与え、存分にねぎらった
子、趙括は王から貰った前金?で自分の欲を満たした
母はこれを嘆き、国王に「うちの子は必ず失敗しますが、その際の責任は取りません」と王に願い出た

こんな感じのエピソードもあった気が
しかしこの母もなんか投げやりだなぁ…「自分の子は無能だから将軍になどなるわけがない」と思ってたんだろうか

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 23:43:58 ID:idDP65Hq0
母は、旦那=趙奢から息子を国の存亡を握るような職につくことの
無いように遺言されていたのかと。
息子の失敗で一族に累が及ばないようにということでしょうね。


42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 00:30:37 ID:+xrZH3t7O
でも愚母だよな、息子を御する為に何か必死にしたのかい?って感じ。
この母にしてこの息子あり

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 00:47:44 ID:JKDF8Iag0
藺相如が孝成王を諫めても駄目だったのだから、仕方なく
息子を切り捨てて、せめて一族には被害が出ないようにした
のが愚かだと?

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 11:47:08 ID:Ssuou7gw0
そこは一族総出で馬鹿息子を止めるくらいの気概が欲しい
国より自分たちが大事ですってのをあからさまにやられると萎える

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 12:07:16 ID:jOr26FOM0
趙括・馬ショクは確定でいいと思う

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 13:14:55 ID:VnMVLD6m0
本人の資質の問題もあるが、
使う側が人を誤ったという事でしょうかね。

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 15:46:11 ID:OXdeiF4b0
名将百選だと絞るのが大変だけど、
愚将百選だと、まず百人の名前出すのが大変だなあw

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 17:07:12 ID:K8KwUC3n0
でもさ、大敗した奴って結構いるんじゃない?

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 17:29:48 ID:EOtOo77T0
>>44
本人が自信もやる気も満々だし、一族の中には趙括支持派もいるだろうから難しいでそ。
人事権握ってるトップが無能だしね。

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 19:03:59 ID:JKDF8Iag0
【名前】騎却
【時代】春秋戦国
【理由】 燕は、楽毅は総大将とした五国連合軍を率いて斉軍を
打ち破った。
その後、楽毅は燕軍を率いて斉の首都臨?を占領する。
続いて、楽毅は斉の70余の都市を次々と落とし、残るは即墨と
?の二つとなった。
しかし、斉の存亡を賭けて抵抗したため数年間も落とせなかった。
そんな最中に燕で昭王が死に、太子の恵王が即位した。斉の田
単は離間策を用いた。
恵王は楽毅を解任し、騎却を代わりの将軍として送った。
騎却が総大将となると田単は反攻に転じ、騎却を破り奪われた
都市を全て取り返した。

51 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/12/16(土) 20:54:27 ID:ANOflRf20
騎劫のこと?

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 21:15:29 ID:JKDF8Iag0
>>51
うん
字探すのめんどくさかったから手抜きした

53 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/12/16(土) 21:31:36 ID:ANOflRf20
オレは「おっくう」を変換して劫の字を出した。

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 23:20:22 ID:3CBQI8030
【名前】杜松
【時代】明
【理由】サルフの戦いで抜け駆けするが、ヌルハチの作戦によって部隊は全滅、
自身も戦死する。この敗北が引き金になり明軍は敗走した。
杜松はなにかあると裸になり、体についている無数の傷を自慢したがる男で、
自らの武勇のみで戦争に勝てると考えていた一騎駆けの武将に過ぎず、
指揮官として失格といえる人物だった。

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 02:24:16 ID:n4ROtm+c0
アヘン戦争で、英軍の砲撃が正確なのは魔法のせいで
それを防ぐには女性の尿だとかなんとか占い師にアドバイスされて
着任早々尿桶を集めさせた人がいるらしいじゃないかw

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 11:34:59 ID:PnKMZmIa0
>>54
明の武官登用試験はかなりいい加減だったらしいからなあ

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/21(木) 23:26:44 ID:WpAqaIO50
>>楊芳だね。
この人の若いころのエピソードも一発の矢で敵の小船を転覆させたとか、
一撃で十数人殺したとか胡散臭い話ばっかりだよ。

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/22(金) 09:01:24 ID:UvZhjBhx0
1本の矢で2匹のトラを殺したとかいうヤシ

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 00:18:20 ID:6zWpIXfh0
【名前】王邑
【時代】新
【理由】王莽の従兄弟で大司空の地位にあった人物。
更始帝を討つため、大司徒・王尋と共に四十二万の大軍を率いるて出陣。
二人は同格だが実戦経験のある王邑が事実上の司令官である。
宛を目指し進軍の途中、八千ほどの敵が立てこもる昆陽を囲む。
「昆陽は小城だが、防御が堅いので無視するか、包囲を緩めて敗残兵として
本隊と合流させ士気を下げるのが良い」という参謀の意見も、城からの降服の申し出も
無視して完全包囲する。
昆陽を脱出した劉秀(光武帝)が兵を集め救援に来ると、
みずから迎撃に出て敗れ、味方の士気を大いに下げる。
結局三千の劉秀軍に本陣に攻め込まれ、昆陽の兵も呼応し王尋は戦死、王邑は洛陽へ逃げ込み、
将兵は四散した。
四散した兵は故郷へ逃げ帰り敗戦の模様を伝えたため新の威信は地に落ち、
王莽は側近にまで背かれる有様となったが、そのため頼れるのは王邑のみという状況になり、
大敗の責任を取ることも無く大司馬となり、さらに王莽の後継者の地位まで約束された。
そのためか王邑は最後まで王莽に忠節を尽くし、最後は王莽を守って戦死している。
王邑はかつて翟義の反乱の鎮圧に従軍し、将軍としての能力があると思われていたが、
戦略・戦術共に稚拙で部下の将兵の心理にも無頓着なことから、それはただの勘違いで
実は将としての能力は低かった。

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 01:18:15 ID:KTQAUn6A0
王邑は勿論のことだが、王尋も愚将と言えるんじゃなかろうか

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 09:41:03 ID:ufBkxvL90
【名前】呂布
【時代】後漢
189年、霊帝死亡後の混乱の中で丁原とともに首都洛陽に入るが、中央の権力獲得を図る董卓の誘いに乗って主君丁原を殺害し、董卓に仕えた。
呂布は腕力が常人よりもはるかに強く、弓術・馬術にも秀でていたために飛将と呼ばれた。
呂布は董卓の侍女と密通し、その露顕を恐れていた。
192年、呂布はその手で董卓を殺害した。しかし董卓の軍事力の基礎であった郭、李?ら涼州の軍勢が復讐の名の下に首都長安(董卓によって洛陽から遷都)に侵入、呂布はしばらく応戦するものの支えきれず、数百騎とともに武関から逃亡した。
その後呂布は袁術を頼ろうとするが、拒否された。さらに張燕ら黒山賊と戦う河北の袁紹に助太刀した。呂布の軍は強く、精強を誇った黒山賊を撃破した。しかし呂布はその後袁紹に兵力の補充を要求し、彼の引き連れる兵も略奪などを行った。
これが袁紹の忌むところとなり、呂布もそれを察して彼の下を離れた。


62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 13:02:51 ID:vY8czgJ60
麻秋は愚将というか、ちょっと頭の足りない猛将じゃないか?
載記ではなく太平広記には、麻秋が「麻胡」と呼ばれて涼州の人々に
恐れられていたと書かれてあるし。
麻秋が本当に愚将なら、そこまで恐れられはしないでしょう。

一方面の司令官を任される器量はあるが、相手がよりにもよって国を
代表する名将ばかりだったのが不運というか…。

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 20:44:13 ID:KTQAUn6A0
呂布は愚将という割には、戦に強すぎる気がしないでもない。

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 21:59:28 ID:zXsFI65F0
戦争で勝ってもそれ以外の部分で害出まくってる
間違っても配下にはしたくないし

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 00:05:29 ID:6zWpIXfh0
趙奢の子孫が馬姓を名乗ったのは、長平の敗戦が原因なのかな?

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 00:42:51 ID:3e1JCyr30
まさか趙括に子孫が馬ショ(ry

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 01:02:42 ID:4EocBG+E0
趙奢は閼与の戦いの後に馬服君に封ぜられる。
将軍馬援の馬氏は趙奢の末裔であり、その称号である
馬服君の馬をとって氏としたと言われる。

まあ、長平の敗戦が契機であってもおかしくないけど。

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 08:18:45 ID:KLY2h81k0
>>66
馬ショクでなく馬超の先祖になる。

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 12:07:16 ID:XuFF7nHI0
まあ、劉備のように
勝手に馬氏の子孫を名乗ってるだけかもしれんがな

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 12:23:08 ID:e4KZ9erN0
待て
何進と袁紹は過小評価されすぎだろ

何進本人の実力は無能だったかもしれんが宦官の言いなりにならんだけマシ
そして黄巾の乱での大将軍としての人物起用も的確だったし人を見る目は悪くない
董卓を持ち出したのは大失敗だったが、元が肉屋だった割にはよくやっただろ

袁紹は三国終わって晋の時代になっても冀州じゃ袁紹時代の統治を惜しまれてたっていうし
まあ生まれてくる時代が悪かったな、もう100年ぐらい前だったら名官僚だったと思う

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 13:55:31 ID:DPwdBYfF0
三国志の時代はそこまで無能って奴はいないんじゃないか?

72 ::2006/12/24(日) 17:42:24 ID:c1W6YyXn0
【名前】劉礼・徐
【時代】前漢
【理由】匈奴の攻撃の際、周亜夫と共に将軍となったが、
    ろくろく警備もせず、皇帝がねぎらいに来ると
    すぐに出迎えて中へ入れるというヘタレっぷり。
    彼いわく「あんなものはガキの遊び。こっちが
    攻撃して捕虜にしてやりたい!」と。

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 00:51:16 ID:Msa4QbkDO
彼って周亜夫?

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 03:53:55 ID:8UXpqDS2O
劉備の愚息の劉禅は入りませんかね?
武将じゃないからダメかもですけど。
ダメっぷりは、なかなかのものだと思うんですが。


75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 04:53:03 ID:6LKcl4Xp0
アイツは平凡なだけだろ

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 09:07:46 ID:F0P4MDxRO
劉ぜんは有能 傾いた会社を綺麗にたたんだじゃないか。あんなボロ会社を長年維持したしなかなかだと思う

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 17:43:29 ID:QBiTdf6z0
超マイナーだが、朱元璋の同僚だった
郭子興配下の任(名は不詳)って武将はどうだ?

郭子興がジョ州に本拠を置いて、元軍の攻撃を受けた際、
元軍を迎え撃つために迎撃するも、
矢を射られた事に驚いて十歩も進まないうちに逃亡したってへたれだ。

更に情けないことに、
こいつは朱元璋の事を力を尽くして戦おうとしない
卑怯者と常々謗っていたそうだから、
本当に救いようがない。

任が逃亡した後、朱元璋が変わって出撃し、
元軍を退けたため、
郭子興は今まで任の讒言を信じ、
朱元璋を冷遇していた事を恥じたという。

でも、これは明実録からの引用だから、
任って武将は朱元璋を持ち上げるために作り出された
架空の(もしくは貧乏くじを引かされた)人物である可能性もある。

78 :77:2006/12/25(月) 17:45:08 ID:QBiTdf6z0
すまん、テンプレ貼り忘れてた。

【名前】任某
【時代】元末
【理由】>>77

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 20:51:45 ID:fnE0CQba0
>>73
文帝

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 23:03:42 ID:OgrjFagK0
実際どういった人物が将軍として定義されるの?
文官・宦官肌の高級官僚でも兵を動かしたことがあれば将軍?

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 00:11:25 ID:5A/9M/460
名将っぽく見せかけて実は軍人としては?の賈似道などはいかがでしょうか?
撤退中のモンゴル軍を破ったと報告して栄達したり、自分の身分を守るために
援軍を送らないとか色々ありますが。

82 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/12/28(木) 00:12:25 ID:mlOO4O9J0
それは政治家であって軍人じゃないと思うんだけど。

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 00:25:52 ID:5A/9M/460
でもモンケの侵攻時は前線の責任者として出てるでしょ?

84 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/12/28(木) 00:36:20 ID:mlOO4O9J0
責任者というには貴族的なポジションかと。

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 04:33:43 ID:Jz8i0czs0
アヘン戦争でイギリスの軍艦に
おまるで突撃した武将

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 07:31:51 ID:JLEugHZl0
乱期になると、武人に地方政治権力も与えて、前線に追いやることがおおいので、政治家肌のひとでも武将となりえる場合がある。
実際に役職としての将軍(あるいは招討使とか都統とか)を将ととるか、実戦時武器を振るって陣頭指揮した人を将とするか。
広義おいて、前者とすべきだと思う。
だから、楊国忠も、将としてはおもくそ「愚将」とする。

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 07:38:09 ID:IYUcJr5q0
従軍して采配を取っていれば対象としていい。

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 11:07:21 ID:v2c2/xy60
水滸伝とかの人物もあり?

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 16:27:19 ID:8o/600XDO
泣いて斬られた奴

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 21:17:55 ID:rShEEBXT0
>>88
水滸伝も実在の人物なら良いでしょ。

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 23:56:37 ID:WuCaULJS0
【名前】李元吉
【時代】唐
【理由】唐の高祖の四男、つまり太宗李世民の弟。乱暴で有名な人物。
武勇は優れていたようだが、将として活躍した記録は無い。
唐初の記録は太宗によって改竄されているが、よく調べると兄である建成は
地味ながら世民に劣らぬ武功があることがわかる。しかし元吉の功績はわからない。
これは彼が将として無能だった証拠だと考えられる。
彼は挙兵の地である大原を任されていたが、敵に攻められて逃走し、その責任を補佐役に擦り付けた。
また自分の罪を父親に知らせた人物を殺そうとして少数の兵で大軍に向かわせたり、
召使を使って模擬戦をやって死傷者を出し、それを諌めた乳母を殺している。
李世民に敗れた劉黒闥にとどめをさす役割をあたえられたが、弱体化している劉軍に苦戦した。

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 22:54:27 ID:eyhqux1B0
【名前】李広利
【時代】前漢
【理由】武帝に寵愛された李夫人の兄だったため将軍として登用された。
大宛遠征で司令官を務めたが敗れ退却、このとき敦煌まで戻れた兵は1〜2割だったという。
再度の遠征で大宛を下したが、匈奴との戦いでも敗れ単于に降服するも殺された。

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 15:23:12 ID:VVCSPpBe0
あーダメだ
専門の時代以外も知っておかんときつい

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 19:29:43 ID:w38d1I+O0
【名前】范文虎
【時代】南宋
【理由】元との戦いにおいて出兵拒否や消極的な姿勢が目立つ。度重なる出兵命令によって水陸両軍を率いてしぶしぶ出撃したが明けえなく破れた。
襄陽の呂文煥はこれに絶望して元に降伏。南宋崩壊の原因を作った。
その後元に降伏し、弘安の役の時江南軍副将として博多に侵攻するも鎌倉幕府に破れる。

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 21:19:15 ID:NXvtkkc00
楚の将軍の嚢瓦と子常って、どっちが貪欲で人望がない方なんだっけ?

96 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/01/03(水) 21:21:31 ID:ccOWJxPT0
オレは嚢瓦だと思う。

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 21:36:27 ID:NXvtkkc00
>>96
そうなのか?
本によって片方の名前だけしか出てない物もあるから、
ひょっとして同一人物なのか?って、思ってたけど。
どっちも貪欲って書いてあるし。

98 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/01/03(水) 21:39:02 ID:ccOWJxPT0
嚢瓦って字は子嚢じゃなかったっけ。読みが一緒だから同一?

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 21:41:25 ID:hzmG0o490
>>95
同一人物やん。

100 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/01/03(水) 21:46:17 ID:ccOWJxPT0
左氏伝読み直したら両方書いてあった・・・orz
出直してくる。

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 23:27:17 ID:ne0XULCqO
【名前】奇矯屋onぷらっと◆O.K.H.I.T.
【時代】2Ch
【理由】あちこち出没しては野次を飛ばすコテ。智は有れど礼無し。
同一人物なのに思い込みでツッコミ入れた為にみごと玉砕orz

出直さなくていいからもっと謙虚になれ。
左伝じゃなく老子を嫁!!

102 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/01/05(金) 23:35:08 ID:Kx3+SCol0
>>101
思想に興味ないもん。

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 06:20:47 ID:Q1MwBttw0
【名前】郭図
【時代】後漢
【理由】讒言で袁家の優秀な武将を多数殺し、張コウ、高覧を曹陣営に下らせる。
袁タンをそそのかして、袁家を内部分裂を追い込んで滅亡させる。
出ると負け軍師。

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 18:43:32 ID:rcnYJgph0
赤壁のモデルになった戦いの負けた側の指揮官ってどうなの?普通?

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 21:41:02 ID:yHBOBRjd0
>>104
名将と謳われていた。

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 01:06:28 ID:p2Zj9vB00
>>104
陳友諒? 名将スレでは候補どまりだな。
まぁ、愚将とまではいえないだろ。

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 10:44:32 ID:B5/enrzB0
【名前】李景隆
【時代】明
【理由】勇将李文忠の息子で、靖難の役で建文帝側の司令官となる。
しかし、父と違って将才も軍事知識もない人物で、60万の兵を率いながら
5万の燕王朱棣(永楽帝)に敗れる。彼の兵は新型の火器を装備していたが、戦闘中使用せず
放り出して敗走したため、永楽帝側にすべて奪われてしまった。
大敗によって司令官を解任されるも、建文帝の信任は厚く処罰されなかった。
にもかかわらず建文帝を裏切り、南京の城門を開き永楽帝に降伏した。
同僚の将軍の徐輝祖(徐達の子で永楽帝の義弟)が屈服せず獄に繋がれた事と比較され、評判が悪かった。
晩年はしばしば弾劾され、屋敷に幽閉されていた。死後、爵位を剥奪され、財産も没収された。

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 17:34:17 ID:nju2aFCh0
孫晧

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 01:57:09 ID:GuE2qcPN0
将?

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 12:39:59 ID:3BgL8BGT0
【名前】李係
【時代】唐
【理由】名将と云われた李晟の曾孫。
黄巣の乱のおリ、五万の兵を率いて潭州(長沙)を守っていたが、
彼が真っ先に逃亡したため城は一日で落ちた。
この時代他にも「賊がいるから、われらは富貴になれる」といって黄巣を追撃しなかった劉巨容や、
戦功を独り占めするため他の軍を引かせ、解散しかけた黄巣軍を復活させた高駢など、
強いが愚かな将軍がいた。

111 :野次屋 ON ウザット:2007/01/08(月) 22:59:56 ID:/mQ1WrzGO
>「賊がいるから、われらは富貴になれる」といって黄巣を追撃しなかった劉巨容
しかし前半の「今ここで賊軍を撃破してしまうと、武勲が巨大なため、今度は我らが朝廷から狙われる。」
という言葉を見ると劉巨容は正しい判断を下したと思うけど。


112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 06:45:08 ID:nDeTjcn00
まあ愚将とはちょっと違うのかな。組織全体が駄目になってるわけで。

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/12(金) 22:09:41 ID:HKyF2Zi40
【名前】蕭宏(臨川王)
【時代】南北朝
【理由】梁の武帝の異母弟。
怯惰貪欲な人物だが北伐の司令官に任命される。
洛陽近郊まで兵を進めたが、落雷に驚いて遁走したため、
北伐軍は北魏軍によって壊滅された。
この敗戦で梁は再度の北伐は不可能となり、また勢いづいた北魏に侵攻され、
「鍾離の戦い」が起こった。
しかし臨川王が罰せられることは無く、その後も賄賂や横領で財産と悪評を増やしていった。
晩年は武帝殺逆を謀ったが武帝はこれを赦した。
子の臨賀王蕭正徳は候景と結んで帝位を狙ったが、候景が丞相に任ずるという条件で梁と和議を結んだため、
用済みとなり縊り殺された。



114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 20:04:19 ID:4iYX7Aso0
落雷に驚いたってのが劉備を思い出すなw

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/25(木) 13:47:39 ID:A6//Ceye0
夏候あつし

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/01(木) 13:28:19 ID:3A/THEPZ0

>>18
>口先三寸、人気といったものだけで人物を要職につけてはいけない
民主主義・・

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/01(木) 16:27:38 ID:QxxmlU/P0
だから今の日本はガタガタさ!

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/12(月) 21:03:44 ID:wLIunOXR0
【名前】蒋介石
【時代】中華民国
【理由】
策士策に溺れて国を失う。

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/24(土) 22:39:57 ID:AnTNcKKc0
明末の楊鎬はどうよ。

慶長の役で失敗やらかした後、サルフの戦いでも負けているだろう。

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/10(土) 15:50:01 ID:YRiHeE1N0
明朝はサルフの敗戦の責任を負わせて楊鎬を処刑したけど、
もう手遅れだったな。

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 22:39:39 ID:5RShgnZK0
【名前】陳余
【時代】楚漢
【理由】正攻法にこだわるあまり李左車の奇策を退け、正面から韓信と戦った。
結果、『背水の陣』によって敗北し、かつての友にも見捨てられ斬られた。

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 09:26:56 ID:pOag7Fkq0
>>110
清の時代にも、太平天国軍を前に単身逃げた将軍がいなかったっけ?

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 23:10:58 ID:7tx5njgQ0
清は長沙を守り抜いたけどな。
いま陳舜臣「太平天国」読んでるけど、
逃亡するとき役者を使って奮戦したという芝居をさせた湖北総督博勤恭武(ポチンコンウ)、
敵が迫ってきたとき、仮病を使って脱出し、危機が去ると何食わぬ顔で戻ってきた湖広総督程矞采、
神仏の加護があると信じて戦って敗れ、南京に逃げ戻ってからは職務を放棄して味方の足を引っ張り、
偶然にも敵が侵入した城壁のそばにいたため真っ先に殺された欽差大臣江南総督陸建瀛なんかがひどいな。
身分からして愚将というより愚相というべきかもしれんが。

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 23:24:53 ID:KPrdjtKd0
【名前】崇綸(満州族)
【時代】清
【理由】太平天国との戦いのとき湖北巡撫として武昌にいた。
城外に出て戦うことを主張したが、湖広総督呉文鎔は彼の脱走を疑い、
白刃をもって脅し篭城を強行した。
これを恨んだ崇綸は敵が退却すると呉文鎔を「敵を逃した」と弾劾し、
北京からの出撃命令を受けた呉文鎔は7千の兵をもって4万の太平天国軍と戦って敗れた。
崇綸は呉文鎔が入水自殺したとの報告を受けていたにもかかわらず、北京へ行方不明と報告した。
また、死んだ呉文鎔の名を騙り、曽国藩に救援要請を行った(呉文鎔は曽国藩が進士になった時の試験官で、
この場合曽国藩は呉文鎔を師と仰がねばならぬ関係)。
武昌陥落後、崇綸は陝西省に逃がれたが、曽国藩は彼を卑劣と怒り弾劾した。
崇綸は逮捕されることになったが、その前に病で死んだ。
彼は不運だったかもしれないが、私怨を晴らすため国家の利益を損なうことを省みなかったのは愚かと云われても仕方が無いだろう。

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 13:02:38 ID:Oys38Xtn0
>>123
博勤恭武(ポチンコンウ)

名前からしてふざけてる

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 20:56:23 ID:yRHJ8rz20
語感で判断するなよw

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 21:21:08 ID:K94RWRDz0
陳茂(ちんぼう或はちんも)って武将もいる
愚将ではないけど

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/23(水) 22:58:35 ID:GhLq0EE90
【名前】呂産
【時代】前漢
【理由】呂后の甥で彼女の死後、梁王にして相国兼南軍(常備軍の半数)の将軍という地位にあって権力を握った。
斉王が反呂氏の兵を挙げると、クーデターにより呂氏の皇帝を立てようとして南軍を率いて宮殿に攻め入る。
しかし北軍を率いる上将軍・趙王呂禄が陳平の策によって帰国し、北軍は周勃の指揮下にあることに気が付かなかった。
しかも南軍のほとんどの部隊に連絡が行き届いておらず、彼の率いた兵は少なくわずかの護衛と共にいる所を、
偵察にきた朱虚候劉章によって襲われ、便所に隠れている所を斬られた。

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/24(木) 21:42:49 ID:1hLeDDGu0
清では、阿片戦争の時に、敗北した満州人の武将たちを罰しなかったので、
批判が集まり、その反省から、
太平天国の乱の時には、満州人の武将でも敗北すれば容赦なく罰したみたいだね。

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/27(日) 16:08:41 ID:bU4O0CGf0
【名前】蒋介石
【時代】支那民國
【理由】史上一の無能で腐化で個人獨裁な、共慘黨の敗將・蒋介石

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 06:42:32 ID:6IliRqz30
中国共産党員乙

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 16:41:35 ID:u73/ihsZ0
いやあれは共産党員じゃなくても酷いと思うだろ。米ソ独の支援を受け、あれだけ有利な条件の上海戦で負けた上、八路に追い出されたんだから。
しかし1曰く近代以降は無しだそうだ。

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 15:57:55 ID:Y79sjolO0
【名前】 蕭摩訶
【時代】 南北朝(陳)・隋
【理由】 個人の武勇は関・張並と恐れられるも…。
上官がいた時には北朝相手に善戦。しかし、呉明徹死後陳の軍事第一人者となってからの数度の北伐は功無し。
徒に国を疲弊させて陳滅亡の一因を作り、隋の南下にも抵抗できずに賀若弼に捕らえられ陳滅亡。
陳滅亡後に隋の漢王・楊諒に仕えるも、楊諒謀反時にも楊素に敗れて処刑される。

自分の仕えた国(主君)を2度滅亡させるのは愚将候補になるとして推挙。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 00:44:46 ID:cCVKdtPX0
基本的に愚将ってのは、戦えば敗戦となって、
功績として残らないから、
史書に名が記されることも少ないんだよねえ。

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 15:42:39 ID:PUT7A9MY0
北宋初期のハンビとかはどうなんだろう?
物語とか逸話だとあまりいい話は聞かないが

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 16:56:43 ID:VuSvq2qd0
>>135
潘美は人柄はダメダメだが、武将としては優秀だった。
たぶん、曹彬との対比で良く言われていないのだろう。

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 19:17:14 ID:2Z9PY6lu0
>>136
潘美が楊令公に対して悪役視されるのは、陳家谷口で楊軍を見捨てて逃げたことがすべてでしょう。
遼軍の追撃を後退しながら叩き、陳家谷口という隘路(?)で挟撃する予定だったのを
潘美が遼軍の勢いすさまじく、楊家軍はすでに潰走している、と恐れさっさと逃げ出した。
実際には楊軍は必死に敵軍を誘引してきており、さぁ反撃だ、というところなのに、誰もいないという…
孤立状態で力戦したがついに擒えられ、絶食の後3日でお亡くなりに。
宋史よりも遼史のほうが詳しく書いてあったと記憶。

味方に見捨てられて死ななくていい場面で死んだ人は基本的に英雄視される。
五代中期の後晋期、契丹の来襲を要衝で防いでいた呉巒という人も、部下の裏切りで負け戦になり死んだ。
部下の掌握がなっていないと思うかもしれないが、実は赴任して早々の難事だったこともあるし、
その部下は前任の城主と折り合いが悪く、契丹に寝返る算段を立てていたからだった。
日本では知られないが、中国では五代期の英雄の一人となっている。
(裏切られた、ただそれだけの理由という気がするのは内緒だ)

ああ、その部下の名前は邵珂(しょうか)。愚将に入るか?

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/25(月) 23:20:20 ID:3iV3bFd/0
【名前】楊国忠
【時代】唐
【理由】将軍ではない彼を選んだ理由は、
白居易の詩「新豊の臂を折し翁」にも詠われた雲南での敗戦の責任者だから。
この戦いは唐の属国であった南詔国の王閣羅鳳が、唐の都督張虔陀に辱められた事に怒り、
殺害したのが原因。
閣羅鳳は謝罪したが、玄宗は楊国忠に武功を与えるため出兵、楊国忠は長安に留まり、
派閥の子分である節度使鮮干仲通が八万の兵を率いて濾水に戦い、六万を失う大敗を喫した。
楊国忠はこの敗戦を隠し、有りもしない戦功を報告したが、政敵李林甫は彼を雲南に派遣するよう要請した。
楊国忠は戦死を恐れて玄宗に涙ながらに懇願、楊貴妃もとりなしたのですぐに呼び戻され宰相に任命された。
しかし戦争自体は継続中で、強引な徴兵によって軍隊を雲南に送り込んだがことごとく敗れた。
戦没者は病死も含めて二十万ともいわれる。これは同時期に起こったタラスの敗戦の比ではない。
前述の白居易の詩は、十中八九死ぬといわれた戦争に徴兵された若者が、自らの腕を折って徴兵を逃れ、
年老いた現在まで、腕は動かず、雨が降ると痛みで眠れなかったが少しも後悔してはおらず、
命があったことを喜んでいる姿を詠ったものである。

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 21:30:58 ID:vPYH9DSE0
【名前】丁公
【時代】秦漢
【理由】『季布の一諾』で知られた季布の異父弟、兄と共に項羽の元で将軍となった。
雎水の戦いで劉邦は破れ、彭城の西で丁公に追いつかれ、丁公は剣を振るって劉邦に迫った。
だが、劉邦の「二人の賢人同士で、どうして苦しめあうことがあろう」
という言葉を聞き、劉邦を殺すより恩を売っておいた方が良いと考え、兵を引いたので劉邦は命拾いした。
項羽が滅びると丁公は劉邦に謁見したが、劉邦は「丁公は項羽の臣下として不忠だった」
として軍中を引き回した後、斬首して主君を裏切るものに対する見せしめとした。
皮肉なことに異父兄季布はお尋ね者となったが後に許され、漢に仕えて出世している。
丁公は劉邦を躊躇せず殺すか、さもなくばそのときに項羽に背いて劉邦の臣下となるべきであったと思う。

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 00:15:29 ID:XoNQhTpj0
【名前】李景達
【時代】五代十国
【理由】南唐の2代皇帝李mの弟。
後周との戦いに二万の兵を率いて出陣したが、
二千程度の趙匡胤に大敗した。

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/11(土) 16:12:08 ID:d3ob8NEc0
このスレの象徴ともいうべき愚将・趙括が漫画に登場
ヤングジャンプ連載中「キングダム」
登場してすぐ殺されました・・・

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 02:34:57 ID:Tgm7FhD50
【名前】孫儒
【時代】唐末
【理由】黄巣の乱以後の大混乱期を代表する巨盗。
特定の根拠地をもたず、城市を次々襲撃しては掠奪放火し立ち去って行くイナゴ野郎。
東都(洛陽)、揚州、蘇州、常州をはじめ被害に遭った街は数知れず。
揚州(当時中国最大の経済都市)では、街を燃やした後、
壮丁婦女をすべて連行し、病人や老人を殺して食料にした。
戦はめっぽう強く、朱全忠と楊行密を同時に敵に回しても一歩もひけをとらないタフネスぶり。
最後は楊行密の兵糧攻めで撃破され、斬られる。
ちなみに五代十国楚の建国者馬殷は孫儒の部下。

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 23:14:04 ID:HAw6cEQe0
>>142
愚将というにはちと厳しい気がする。
孫儒の軍は、呉に呉越にと吸収され威力を発揮しているから、負けたとはいえ
将としての力量はそこそこではないかと。

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 00:24:57 ID:5vm8cWPd0
【名前】廉丹・王匡
【時代】新
【理由】廉丹は廉頗の後裔で、新の更始将軍(漢の大将軍に相当する)として太師王匡と共に赤眉軍討伐に出陣。
彼らの率いた十余万の兵は兵糧不足のため、行く先々で略奪を行い「赤眉に逢うとも、
太師に逢う無かれ」と云われた。特に廉丹が率いた兵は殺戮を欲しいままにしたので、最も恐れられた。
こんな軍が沿道の住民の協力を得られるはずも無く、はたして無塩城の索盧が叛き、
それを討ってから赤眉の董憲と対峙した。兵は疲れ廉丹は休息を主張したが、王匡は聞かず戦い、大敗を喫した。
王匡は逃れたが、後に緑林軍の将で同姓同名の王匡に敗れて斬られた、廉丹は逃げた王匡を罵り、
踏みとどまって奮戦し、戦死した。
王匡は将としては無能で、廉丹も勇猛で人望はあったが、司令官より先陣をきって戦うタイプの将であった。

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