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【みんなで】 中国名相百選 【決めよう】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 20:15:24 ID:CXfziSWK0
中国の長い歴史の中で登場した数多くの宰相・政治家たちの中から、
特筆に値するであろう名相百名を選ぼうというスレです。

・推挙する政治家については、その理由を述べること。
・対象となる政治家は、近世以前の武将とし、近代以降の政治家は含めない。
・対象となる政治家は、特定の時代に偏らないように配慮する。

 以上の三点に留意して、中国名相百選を決めましょう。

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 20:19:03 ID:ApxA3iCi0
スレ立て乙。
じゃあまずは春秋戦国から始めるか。

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 20:23:44 ID:oXDBTh0w0
>>1
スレ立て乙
個人的には周から選びたいんだけどしょうがないか
姫旦、姫?あぁ

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 20:29:35 ID:iCF4IRjb0
時代区分

春秋戦国(紀元前771年〜紀元前221年 550年間)
統一秦〜前漢(紀元前221年〜紀元前8年 213年間)
新・後漢(紀元前8年〜紀元220年 228年間)
三国〜両晋(220年〜439年 219年間)
南北朝(439年〜589年 150年間)
隋・唐(589年〜907年 318年間)
五代〜北宋・遼(907年〜1127年 220年間)
南宋・金〜元(1127年〜1368年 241年間)
明(1368年〜1644年 276年間)
清(1636年〜1912年 276年間)

スレ立て乙です
とりあえずコピペ

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 20:34:30 ID:iCF4IRjb0
周でも良いと思うよ

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 20:41:16 ID:sHHlCynZO
孔明は当然入るよな?

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 20:57:13 ID:oXDBTh0w0
春秋戦国・・・とりあえずこの時代の政治家を適当に挙げた

管仲、鮑叔、あん嬰、伍子しょ、華元、士い、范れい
子産、趙無じゅつ、商鞅、呉起、藺相如、戦国四君
張儀、魏ぜん、呂不韋

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 20:57:54 ID:ApxA3iCi0
取り敢えず春秋戦国から五名ほど

・管仲(名宰相の代名詞)
・商鞅(法治国家の立役者)
・范雎(遠交近攻策と保身を全うした事を評価)
・李斯(秦の天下統一の功労者)
・藺相如(趙随一の名臣)

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 21:00:14 ID:M+e0uNrrO
周だと周公旦、召公セキ
春秋だと管仲、百里ケイ、趙盾、孫叔ゴウ、子産、晏嬰、伍員、文種ぐらいかな

10 :奇矯屋onぷらっと ◆QqQquqqauQ :2007/01/04(木) 21:00:40 ID:87AFQKy30
晋の六卿は趙盾以降、宰相格としての働きが認められないと思うんだけど。

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 21:25:00 ID:oXDBTh0w0
選定方法って
足りないのを補充していくの?
適当に挙げて削っていくの?

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 21:33:52 ID:M+e0uNrrO
>>10何を理由にそう思うんだ?

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 21:38:23 ID:E57e1IaHO
前漢から
陳平 権謀術数の策士として有名だか宰相としても超一流。
文帝に丞相としての役目とは何かと質問され見事な答えで文帝を感心させた。

公孫弘 曲学阿世で有名。
武帝の信任を得て大任を全うした。

丙吉 宰相となっても尊大ぶらず、小事にこだわらぬ大人(たいじん)。
(↑何処かの誰かさん見習えよ。)

14 :奇矯屋onぷらっと ◆QqQquqqauQ :2007/01/04(木) 21:38:40 ID:87AFQKy30
>>12
・領主としての立場が強すぎる。
・公室に力がなさすぎる。

んで正卿が宰相の役割を果たしてないから。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 21:40:50 ID:eulKXP3p0
>>4
もともそうなんだが、時代区分は若干の変更があったはずだが

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 21:41:32 ID:QYnpFmYr0
名相でだったら春秋戦国でまとめず分けたほうがいい

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 21:51:11 ID:M+e0uNrrO
>>14晋の公室の力があからさまに弱くなったのは平公ぐらいからだと思う
それに何を持ってあなたが晋の正卿を宰相らしくないと言ってるのかわからない

18 :奇矯屋onぷらっと ◆QqQquqqauQ :2007/01/04(木) 21:58:42 ID:87AFQKy30
>>17
>晋の公室の力があからさまに弱くなったのは

オレは趙盾が趙括を公族大夫に仕立てたあたりだと思ってたんで>>14になる。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 22:22:45 ID:E57e1IaHO
前漢と言えば蕭何(偉大すぎて忘れてたw)
功績は言うまでもないだろう!!
オマケで曹参
蕭何の後を引き継いで何も法をいじくらなかった為に名宰相と呼ばれた。
当初、国の治め方が分からなかったが老子の徒に治め方を聞いて善政を施した。

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 22:35:36 ID:iCF4IRjb0
>11
適当に挙げて削っていく方が良さそうな気がする
全時代から挙げるだけ挙げて、足したり削ったり

得意分野が後の時代だとその時代の話題になるまで何もできない
なんていうのは自分だけか

>15 こっち?違ってたら直してもらえると助かる

神話〜春秋戦国
秦・前漢
新〜後漢
魏晋〜五胡十六国
南北朝
隋唐
五代十国宋遼金




で、春秋と戦国を分けよう

神話
春秋
戦国
秦・前漢
新〜後漢
魏晋〜五胡十六国
南北朝
隋唐
五代十国宋遼金




蕭何、賛成
管仲、蕭何、趙普、張居正あたりは確定で良いのでは?

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 23:25:03 ID:oXDBTh0w0
神話  ・伊いん・・・商の湯王に従い商王朝成立に貢献、基礎をつくる
      暦の改定、官吏の位に応じての服の色を設定
     
     ・伊ちょく・・・伊いんの息子、太戊を補佐、衰退してた商王朝を復興
      
     ・姫旦(周公旦)・・・幼い成王に代わり天子を代行
      しかも天下を個人所有する気なし
      官職制度を整理、職務分担を正確に分けた
      
     ・姫せき(召公せき)・・・文王時代からの功臣、周王朝の西を統治
      姫旦が死んだ後、成王を補佐

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 00:11:52 ID:7jfsM0F70
正直、周の東遷以前の歴史って、
正史の編纂という考えの無い時代だったことをいいことに
春秋戦国時代の学者たちに改竄されまくった時代で、
史実とは言いがたいと思うんだが・・・

やっぱ、時代区分は名将スレで散々議論して
ようやく決まった↓を用いるべきだと思う。

春秋戦国(紀元前771年〜紀元前221年 550年間)
統一秦〜前漢(紀元前221年〜紀元前8年 213年間)
新・後漢(紀元前8年〜紀元220年 228年間)
三国〜両晋(220年〜439年 219年間)
南北朝(439年〜589年 150年間)
隋・唐(589年〜907年 318年間)
五代〜北宋・遼(907年〜1127年 220年間)
南宋・金〜元(1127年〜1368年 241年間)
明(1368年〜1644年 276年間)
清(1636年〜1912年 276年間)

三皇五帝や、夏、殷、西周の相は正直いらん。
どうしても入れたいなら、姫旦だけで充分。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 01:04:39 ID:Y0NS7K3r0
元朝のイスラム系は入るんかいな?

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 01:15:46 ID:qGtnEJwf0
神話の人はよく分からないから入らないでしょ


25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 03:18:24 ID:IM/wYbko0
春秋戦国・・・管夷吾(仲) 晏嬰 伍員(子しょ) 范れい 華元 子産 趙無恤
士い 商鞅 呉起 藺相如 戦国四君 張儀 魏ぜん 呂不韋

統一秦〜前漢・・・李斯 えい政(始皇帝) 蕭何 陳平 曹参 劉恒(文帝)
劉啓(景帝) 霍光 劉病已(宣帝)

新・後漢・・・劉秀(光武帝) ケ禹 寇恂

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 10:55:17 ID:0rMYptI4O
>>25
スレタイを読み直しなさい

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 11:05:26 ID:IM/wYbko0
>>26
バーって挙げて、削ってた方がいいと思うけどね
推挙する政治家の理由を述べて、反論されて議論って流れだと
いつまでたっても決まらないと思うけど
ただでさえスレ消費遅いのに
次からテンプレの三点に注意して挙げるよ

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 11:09:01 ID:lniRLKD0O
>>23
名相なら入れない理由が無いだろ
逆に現在の定義なら幾ら名相だったとしても楚材は外れる

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 11:17:33 ID:VzPeFRyJ0
戦国四君は、ぶっちゃけ信陵君意外は割と凡のような・・・。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 11:18:04 ID:IM/wYbko0
いや、時間をかけて決めるのがいいんだな
なんども議論を重ね(ry

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 11:18:36 ID:7jfsM0F70
春秋戦国(紀元前771年〜紀元前221年 550年間)
統一秦〜前漢(紀元前221年〜紀元前8年 213年間)
新・後漢(紀元前8年〜紀元220年 228年間)
三国〜両晋(220年〜420年 200年間)
南北朝〜隋(420年〜619年 199年間)
唐(618年〜907年 289年間)
五代〜北宋(907年〜1127年 220年間)
南宋・金〜元(1127年〜1368年 241年間)
明(1368年〜1644年 276年間)
清(1636年〜1912年 276年間)

猛将スレに手直し版があったけど、こっちのがいいな。
春秋戦国の異様な長さは気になるが…端数が出るので11等分にはしたくないし…
春秋と戦国を分けたいなら、比較的それぞれ期間の短い
統一秦・前漢〜唐までの枠を何とかいじるしかないと思う。

例えば、
春秋(BC770〜BC403)333年
戦国・秦(BC403〜BC202)201年
前漢〜新(BC202〜25)227年
後漢〜西晋(25〜316)291年
南北朝(316〜589)273年
隋・唐(589年〜907年 318年間)
五代〜北宋・遼(907年〜1127年 220年間)
南宋・金〜元(1127年〜1368年 241年間)
明(1368年〜1644年 276年間)
清(1636年〜1912年 276年間)
こんな感じ


32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 11:23:29 ID:IM/wYbko0
>>31
東晋と五胡十六国は?
南朝は東晋が滅亡してから
北朝は五胡十六国を北魏が統一してからでしょ

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 12:24:50 ID:7jfsM0F70
>>32
正直、その辺りはよう知らんからフォローが足りんかった、すまん。
年代見てくれたら分かると思うが、
その時期は南北朝の枠にしっかり含まれている。

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 12:37:15 ID:7jfsM0F70
改めて、

春秋(BC770〜BC403 333年間)
戦国〜秦(BC403年〜BC202年 201年間)
前漢〜新(BC202年〜25年 227年間)
後漢〜西晋(25年〜316年 291年間)
東晋・五胡十六国〜隋(316年〜618年 302年間)
唐(618年〜907年 289年間)
五代〜北宋・遼(907年〜1127年 220年間)
南宋・金〜元(1127年〜1368年 241年間)
明(1368年〜1644年 276年間)
清(1636年〜1912年 276年間)

>>32の指摘を踏まえたうえで、更に年数の均衡が取れるように微調整を施した。
こんなんでどうでっしゃろ?

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 12:41:34 ID:ne0XULCqO
前漢より
張良 韓の宰相で有りながら高祖の軍師として活躍。
漢での身分は軍師だが漢王朝の基礎・骨組みを作ったのは彼の力に因る処が大きい。
その点を考慮たうえで彼を強く推薦したい。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 13:15:27 ID:IM/wYbko0
>>34
時代の分け方はそれでいいと思う
手直しが必要な所は
秦が滅亡したのはBC206年
BC206〜BC202までは項羽と劉邦が争ってた
新の滅亡は23年、東晋の成立は317年
清の成立は1616年から

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 14:33:53 ID:kUQs2Tdn0
【みんなで】【決めよう】がシリーズ化しているなw

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 19:03:06 ID:7jfsM0F70
>>36
分かった、それじゃ、これを完成品とする為、
矛盾が出ないように時代区分をより明確にてみますた。

春秋(周の東遷〜晋の分裂) BC770年〜BC403年 367年間
戦国・秦・楚(晋の分裂〜前漢の統一) BC403年〜BC202年 201年間
前漢・新(前漢の統一〜後漢の再統一) BC202年〜36年 238年間
後漢・三国・西晋(後漢の再統一〜西晋の滅亡) 36年〜316年 280年間
東晋・五胡十六国〜隋(西晋の滅亡〜唐の建国) 316年〜618年 302年間
唐(唐の建国〜唐の滅亡) 618年〜907年 289年間
五代・北宋(唐の滅亡〜南宋の建国) 907年〜1127年 220年間
南宋・金〜元(南宋の建国〜元の北走) 1127年〜1368年 241年間
明(元の北走〜清の入関) 1368年〜1644年 276年間
清(清の入関〜清の滅亡) 1644年〜1912年 268年間

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 20:16:11 ID:IM/wYbko0
>>38
少し訂正

春秋(周の東遷〜晋の分裂) BC770年〜BC403年 367年間
戦国・秦・楚(晋の分裂〜前漢の統一) BC403年〜BC202年 201年間
前漢・新(前漢の統一〜後漢の再統一) BC202年〜25年 227年間
後漢・三国・西晋(後漢の再統一〜西晋の滅亡) 25年〜316年 291年間
東晋・五胡十六国〜隋(東晋の建国〜隋の滅亡) 317年〜618年 301年間
唐(唐の建国〜唐の滅亡) 618年〜907年 289年間
五代・北宋・遼(唐の滅亡〜南宋の建国) 907年〜1127年 220年間

これでいいと思う
南宋・金〜元(南宋の建国〜元の北走) 1127年〜1368年 241年間
明(元の北走〜清の入関) 1368年〜1644年 276年間
清(清の入関〜清の滅亡) 1644年〜1912年 268年間

40 :39:2007/01/05(金) 20:18:03 ID:IM/wYbko0
ミスしたorz

春秋(周の東遷〜晋の分裂) BC770年〜BC403年 367年間
戦国・秦・楚(晋の分裂〜前漢の統一) BC403年〜BC202年 201年間
前漢・新(前漢の統一〜後漢の再統一) BC202年〜25年 227年間
後漢・三国・西晋(後漢の再統一〜西晋の滅亡) 25年〜316年 291年間
東晋・五胡十六国〜隋(東晋の建国〜隋の滅亡) 317年〜618年 301年間
唐(唐の建国〜唐の滅亡) 618年〜907年 289年間
五代・北宋・遼(唐の滅亡〜南宋の建国) 907年〜1127年 220年間
南宋・金〜元(南宋の建国〜元の北走) 1127年〜1368年 241年間
明(元の北走〜清の入関) 1368年〜1644年 276年間
清(清の入関〜清の滅亡) 1644年〜1912年 268年間

これが完成品でよろしく

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 20:26:59 ID:7jfsM0F70
>>38
細かい突っ込みだけど、
25年当時、劉秀はまだ中国を統一してないよ。
公孫述政権が蜀で健在だったから。
新末後漢初(恐ろしく語呂悪いな)の群雄たちも前漢枠に入れるつもりで、この括りにしたんです。

それに、この方が時代区分も比較的均等になって、良いと思う。

42 :41:2007/01/05(金) 20:28:10 ID:7jfsM0F70
>>38じゃなくて、>>39
すまんかったorz

43 :奇矯屋onぷらっと ◆QqQquqqauQ :2007/01/05(金) 20:35:44 ID:Kx3+SCol0
>>27
>>26は「名相」だから皇帝を入れるのがおかしいと言ってるんじゃないの?

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 20:41:32 ID:IM/wYbko0
>>42
統一したのは36年だけど
後漢を再建した意味で25年のほうがいいかなと思った

>新末後漢初の群雄たちも前漢枠に入れるつもり
例えばだけどケ禹(群雄ではないが)とかも前漢枠の方に入れるの?

45 :27:2007/01/05(金) 20:51:27 ID:IM/wYbko0
>>43
確かにそうなんだが
スレタイでは名臣ってなってるけど
皇帝入れないときつくないか?

46 :44:2007/01/05(金) 20:57:28 ID:7jfsM0F70
あくまで俺の個人的な意見を言わせてもらえれば、
〜末〜初(新末後漢初、隋末唐初、元末明初、明末清初)とかいわれている時代に活躍した人間は、
負け組み群雄側の人間は前王朝、新王朝側の人間は新王朝の名相として評価するべきだと思っている。

だから、ケ禹は、俺個人の意見では後漢枠に入ると思っている。

47 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/01/05(金) 20:57:46 ID:Kx3+SCol0
>>45

 ん な こ た 知 ら ん 。

流れに任せよう。

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 20:58:55 ID:7jfsM0F70
すまん、なぜか名前のところが44になっている、訳分からんな。

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 21:01:57 ID:IM/wYbko0
あと皇帝は統一して帝位についた人間のことを指すでOK?
例えば曹丕、魏の初代皇帝なわけだが、曹丕はOUT?

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 21:04:00 ID:IM/wYbko0
まぁ細かいこといいや
>>45の言うとおり意見されたら考えよう

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 21:04:31 ID:IM/wYbko0
ミスorz
>>47だった

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 21:09:57 ID:BLwobWuK0
後に帝位に就いた人物であっても、官僚あるいは宰相としての実績があったらいいんでないの?
ただし、かなり限られてるでしょ、人臣→皇帝ってケースは(魏晋南北朝期に集中しそう)

司馬炎は名宰相かと言われれば、明らかに禅譲後の政策の方が有名だし
楊堅や劉裕のあたりは、名宰相?名臣?
かなり評価に分かれそうだ、やっぱり

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 23:47:22 ID:wNNDqLdj0
春秋戦国が終わるの待ってられないので
東晋・五胡十六国〜隋(東晋の建国〜隋の滅亡)にエントリー
北魏の崔浩を推挙

某サイトからコピペ
崔浩(381〜450)
  字は伯淵。清河郡武城の人。崔宏の子。若いころから経史に通じた。はじめ直郎に任ぜられた

。天興年間に著作郎に転じた。北魏の明元帝のはじめ、博士祭酒に進み、武城子に封ぜられた。太

武帝が即位すると、東郡公に改封され、太常卿に任ぜられた。のち司徒に上った。漢人官僚の推薦

をおこない、儒教的国制の確立につとめた。仏教を憎み、寇謙之とともに太武帝に勧めて廃仏を断

行した。太平真君十一年(450)、北魏の国史を編纂しようとして、鮮卑族の民族感情を刺激してしま

い、誅殺された。

補足
拓跋珪・拓跋嗣・拓跋Z三代に信任され、拓跋Z(太武帝)期の政略・戦略(軍略を含む)のほと

んどが崔浩の献策による。
太武帝曰く「事ある毎に崔浩に諮問するが予測が外れたことがない」
九品官人制をモデルにした身分制度を導入し、異なる民族を同じ序列に置き統合を図った
ありきたりな言い回しで、北族と漢族の融合に貢献したこと。

政治には関係ないけど
容姿について「浩繊妍白ル 如美婦人」魏書
性格はやや難あり

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 23:49:54 ID:ne0XULCqO
>>52
>楊堅や劉裕のあたりは、名宰相?名臣?
どちらでも無いだろ。二人とも帝位を纂奪して訳だし。

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 23:59:12 ID:IM/wYbko0
春秋(周の東遷〜晋の分裂) BC770年〜BC403年 367年間
戦国・秦・楚(晋の分裂〜前漢の統一) BC403年〜BC202年 201年間
前漢・新(前漢の統一〜後漢の全国統一) BC202年〜36年 238年間
後漢・三国・西晋(後漢の全国統一〜西晋の滅亡) 36年〜316年 280年間
東晋・五胡十六国〜隋(東晋の建国〜隋の滅亡) 317年〜618年 301年間
唐(唐の建国〜唐の滅亡) 618年〜907年 289年間
五代・北宋・遼(唐の滅亡〜南宋の建国) 907年〜1127年 220年間
南宋・金〜元(南宋の建国〜元の北走) 1127年〜1368年 241年間
明(元の北走〜清の入関) 1368年〜1644年 276年間
清(清の入関〜清の滅亡) 1644年〜1912年 268年間

時代区分確定版です

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 00:09:56 ID:MjGsMEJj0
そのへんは、田中芳樹のように「皇帝になったやつは除外」でやっちゃった方がいっそいいのかもしれない。

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 00:24:00 ID:L8Z3YMRa0
政治家ではなく宰相なのが問題なんだろうな

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 00:53:52 ID:KZ4c4Zmu0
迷相百選の方が簡単に出来そうな気がしてきた。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 09:04:20 ID:Q+HGjlJ8O
>>57
>政治家ではなく宰相なのが問題なんだろうな
だから優れた君主や宰相の地位に無くてもある程度高位で
名臣と呼ばれる人物とかも推薦してもいいことにしないか?
細かい事はみんなで煮詰めていくと言うことで。
諸兄いかがでしょうか?

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 09:18:22 ID:MjGsMEJj0
いいと思う。宰相の定義だって時代とともに変わって、王朝によっては宰相格が
何人もいたりするし。
ただ最低条件として、国の中央政治に関わって業績を上げたことかな。地方の知事
として功績をあげた人まで挙げてたら限が無くなる。

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 10:07:32 ID:Xk2IkBWV0
>>60
という事は、全国統一政権以外の地方政権の宰相は
選考外になるのですかい?

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 10:44:21 ID:Q+HGjlJ8O
>>60
>ただ最低条件として、国の中央政治に関わって業績を上げたことかな。   
そうだね。自分もそれが良いと思います。
取り敢えずあれこれ人物を挙げていって議論するってのは如何でしょう。   
>>61の意見は分かるが時代と地方の政権の規模にも因るのでは?
例えば東晋や前秦、北魏クラスならOKとか。その件も含め議論すれば良いかと。
五代十国とかも微妙な政権があるし。

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 11:27:39 ID:Xf+eNnbn0
名宰相の定義をどうするかも問題では?
「独創的な制度の創出」だけだと百名行かないだろうし。


64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 11:36:14 ID:WX1BP0F1O
おいおい地方政権なしだと春秋戦国の名臣ほとんどいなくなってしまうぞ
孔明も選考から漏れてしまう

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 11:49:54 ID:8AY4iIHL0
名相ってのが厄介だな

中国名臣百選(政治家)にすればよかったな

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 12:15:01 ID:2QNHPg6N0
自分の頭の中では
春秋戦国・三国志・五代十国などの地方政権の宰相は
ずば抜けた影響力を持ったとか特殊事情がない限り
漢・唐・宋・明などの統一政権の宰相に比べるとランクが落ちる
地方政権の宰相もOKだけど統一政権の宰相優先って感じ

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 12:25:13 ID:NC+j6Ai60
自分の中ではむしろ逆に近い
統一政権だと相当無茶をするか、政体が腐ってない限りなんとかなる
分国期のほうが他国との比較で政策の効果が判断しやすいし

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 14:57:02 ID:D3pnbRz30
例えば張廷玉は入るのかな?

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 15:47:20 ID:bgS3rW+w0
>>66 おれは地方勢力を国家あるいは幕府として存立させ、統治機構を整備した地方政権の宰相や廷臣をこそ評価するがね。短命すぎたら話にならんが。
統一王朝の宰相って言ってもやってることは、たとえば唐律や両税法の施行とか、権門だけじゃなく、広く人材を求めたとか、そういうのだろ。
地方政権とどう違うんだろうと問いたい。

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 16:14:23 ID:X6hnm7wKO
>>67
まあ王朝の創業や中興は実力がないと話にならないだろうが、
全盛ってヘマさえしなければ何とかなったりするものだしな

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 16:20:51 ID:2QNHPg6N0
地方政権の宰相の方が有能だという意見が多数意見ならそれで進めて良いよ

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 16:23:45 ID:rd3NDjjq0
>>67
面倒みなきゃならん範囲と人口が大きいほど仕事も難しくなるんでないかい?

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 16:45:24 ID:KONkJmpP0
地方政権でも、規模の大きさで評価は変わるような気もする。

例として、十六国北燕の馮素弗とか五代後梁の敬翔とか、
「○○にこの人あり」と謳われるような人物でも、その領域を
考えると、名相と呼ぶには小粒だし…。
「当たり前だ!」と叱られるのは覚悟してますが、ご一考いただければ
有難いです。
(戦乱期の小国って、名相と名将を兼ねる人が多くありませんか?)

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 17:08:04 ID:JmIECUFtO
まず挙げられるだけ挙げてから削ろうよ
話が進まない

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 17:19:30 ID:bgS3rW+w0
>>73 敬翔は軍政官だから、オールマイティもいいところ。
朱晃の代には、よく用いられたけど末帝は彼を遠ざけたから、小粒というかあんまりパッとしないイメージがあるかも。
それでいくと、晋の張承業などは、地方藩鎮の幕職官でありながら、よく本拠を治めた名臣。
この人と、この人が抜擢した馮道がいなければ、晋が後梁を打倒するところまで、戦いぬけたかかなり疑問。
こういう人は入れるべきだと思う。
わかりやすく言うと、楚漢争覇期の蕭何に匹敵する。

>>戦乱期の小国って、名相と名将を兼ねる人が多くありませんか?
安定せず、越権しないとどうしようもないほど人が足りないからね。だから権限も増し、他の臣に妬まれて殺されたりする。
本来、軍人と政治家なんて明確に線引きはされず、文字が読めるとか計算ができるとかで人を幕下に加えるから、腕っ節が自慢でも、読み書きできると文官の役を与えられるのが戦乱時。
武人の力を押さえ込もうとするのが治政時といってもいいくらい。

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 19:44:53 ID:sl6cnp3K0
春秋戦国
【候補】
管夷吾(仲)→富国強兵策を採用し、桓公の覇業を補佐、【確定】に異存はないでしょう
伍員(子胥)
公孫僑(子産)→中国最初の成文法を制定、間違いなく【確定】
范蠡→たぶん【確定】、伝説的な後半生を除いても、越の宰相時代の功績がデカい
申不害
李?(李克?)
西門豹
藺相如
公孫鞅(商鞅)
黄歇(春申君)

個人的に、名臣だと思ってる人物を何人か
戦国四君に限って言えば、人臣として最も活躍したのは春申君ではなかろうか?
しかし、バランス悪いな

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 20:47:56 ID:lb8/y9rr0
>>76
呉起は?

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 21:40:51 ID:Q+HGjlJ8O
>>76
管仲、子産が入っていて安嬰が何故を候補に入れてないんだ。
安管と言えば斉の名宰相だろ。
霊・荘・景公の三代に仕え、政策は節倹力行を旨とし君主を諫めて国をよく治めたのが安嬰。

>>77
呉起はどちらかと言えば、軍事家・法治主義の先駆者としてのほうが強いな。

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 21:51:24 ID:sl6cnp3K0
>>77
呉起の戦績は抜群、政治家としても有能なんだが
死後にその功績が水泡に帰してしまったこと、魏には他にも有能な政治家がいたことを考慮して
あえて外した、いや普通に入っていても全然おかしくないんだけどね
別に十傑に絞る必要はないんだが、春秋戦国っていくらでも出せそうだから

>>78
晏嬰は文句無く名臣、なんだけどさ
国力を大きく伸ばしたわけでもなく、斉景公に覇を唱えさせたわけでもない
無事是名馬を地で行く名宰相なのは分かっているんだが、どうしても富国強兵した連中の方を
評価したくなってしまう
すまない、本当に自分の趣味だけで選んだ十名だから

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 22:01:42 ID:MjGsMEJj0
西門豹はそれこそ地方の名知事レベルじゃないか?

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 23:02:45 ID:Q+HGjlJ8O
>>79
いいよ、確固たる信念をもって意見を述べているみたいだし。
確かに呉起は有能なのだが魏・楚じゃなく、もし秦に仕えていたら
商鞅以上の功績を残せていただろうに・・・orz

>晏嬰は国力を大きく伸ばしたわけでもなく、斉景公に覇を唱えさせたわけでもないが・・・
分かるよでも宰相って
『上は天子を補佐し四時の推移を順調ならしめ、下は地の恵みを豊かにし、
外は四方の蛮族を鎮撫し、内は万民を治め、諸官にその職務を全うさせる』のが
本来の任務だと、陳平が漢の文帝にそう述べているし、自分もそうだと思う。
この事は是非、諸兄にも知っていてほしいな。

(別に>>79に文句言ってる訳ではないよ)

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 01:20:52 ID:p2Zj9vB00
>>76
管仲が入っていて、晋の狐偃と趙衰、
秦の百里奚、楚の孫叔敖が入ってないのは何故?

いずれも、主君を覇者に押し立てただろ。

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 06:49:50 ID:wZbPE9qNO
>>82
勝手に弁護させてもらうけど
>春秋戦国っていくらでも出せそうだから
>すまない、本当に自分の趣味だけで選んだ十名だから
って>>76は言ってるよ。

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 10:59:46 ID:B5/enrzB0
「糠糟の妻」で有名な宋弘(後漢)

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 13:12:59 ID:wZbPE9qNO
後漢
李膺 『登竜門』の故事で有名。
朝廷の綱紀がゆるんだなかにあって、高潔を保ち、
心ある人はその知遇を得ようと願った。
司隷校尉に就任後官界の綱紀粛正つとめ、宦官を震えあがらせた。
(反撃にたおれたが・・・orz)

楊震 王蜜に対し言った『天知、地知、子知、我知、何謂無知』言葉が有名。
地方長官から閣僚級(司徒)にまでなった人物。
先祖も昭帝の時に丞相を出した名門だがそれを鼻にかけず、
一門には贅沢を禁じ、清廉潔白な生き方を通した。

李膺は三公では無いけど有能さと名臣ということで推薦したい。

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 16:54:13 ID:VpW5rLiB0
>>85
最近宮城谷三国志読んだ?
そのふたりは結局腐敗した政治を立て直せなかったわけで、、
名臣であり声望は高いけど百選には入らないと思う

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 20:45:49 ID:SgDHgY+GO
両漢は皇帝自身か外戚の専権者が印象的で名相という感じの人が少なくないかな?

前漢の人
・蕭何
言うまでもない

・桑弘羊
異論もあろうが、破綻同然の財政を立て直したのは彼の手腕によるところが大であろう
武帝末期から昭帝前期において、行政面は彼が牛耳っていたとみてよいだろうし、彼が財政を立て直したお陰で前漢はあと百年隆盛を誇ったと言ってよいのではなかろうか

・テキ方進
儒学と天文に明るい大学者で辣腕の政治家
外戚王氏がはびこる成帝後期に丞相となり、王氏勢力を分断・弱体化させた
また弛緩しつつある支配体制の立て直しのため幾つかの新制度や方策を打ち出す
特に三公制は実質的に彼が推進し、後漢末に至るまで採用された



専権者を含むなら、霍光も入って然るべきだと思う

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 23:16:23 ID:wZbPE9qNO
>>86
宮城谷氏はすきですが三国志は読んでません。

前漢は比較的、宰相として有名な人物はいるのだが。
後漢は豪族の連合体の体質から脱却しきれてないのと、
尚書が実質的に政治を動かすようになり三公が実行機関に過ぎない、
しかも幼帝が続き、外戚と宦官の専横でそれを押さえることを出来ていない。
その為、名相が余り見当たらないような気がする。

一応後漢の三公の名前を挙げとくよ
袁安 厳命かつ公正な政治を行ない評価は高い。
袁紹・袁術の先祖。

呉漢・とう禹・胡広・何休・陳パン・王梁・栄弘・伏シ甚・侯覇・李通・馬成・韓?・
とう融・欧陽エイ・劉隆・蔡茂・朱浮・馮勤

詳しい人がいれば説明頼みます。

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 11:23:33 ID:/mQ1WrzGO
春秋時代から推薦
宋の襄公を補佐した目夷(子魚)はどうかな?
小国なのに殷の末裔ってプライドだけで覇者になりたい
我儘な襄公をしっかり支えた彼は凄くないか?
本来なら君主の座に就いていてもおかしくない人物。
(止む得ない事情で臣下となってる訳だし)

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 11:27:33 ID:9o5q1GWC0
>>89
アホのアホな行動を止めきれなかったのは名宰相ではない。
忠臣ではあるがね。

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 12:12:40 ID:/mQ1WrzGO
>90
そのアホを懸命に支えたから一応覇者になれたんだろ。
(最終結果だけで判断するのもどうかと思うが)
そんなこと言ったら李斯や諸葛亮、極論を言えば管仲、蕭何も名宰相じゃなくなるけど・・・
李斯は二世皇帝胡と趙高を諸葛亮は劉禅のアホな行動を止められなかったし、
管仲は自分の死後の事までをしっかり配慮できてない。
蕭何は臣下の謀反の原因である高祖の猜疑心を押さえてない。

第一、君主がアホか凡でも宰相次第でなんとかなるのが普通じゃないの?
それと反対意見も結構だか一人ぐらい推薦しろよ。

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 13:01:37 ID:PgK/z/YM0
>>91
存命中は抑えていられた事例と存命中に抑えられなくなった事例を並べるのはちょっと違うんじゃないかな?
まあ抑えきれなかった一点を持って名相でないというのは言いすぎかと思うが、多少のマイナス評価にはなるだろうね。

それと余談だが、劉禅は諸葛亮存命のころは特に変な行動はしてないよ。
むしろ諸葛亮の死を皇室にとって幸いだったと慶賀の念を表した家臣を処刑したりと人の上に立つ者としてふさわしい振る舞いもしてる。
劉禅の悪い面が出てきたのは董允が死んで抑える人がいなくなってから。
その結果、政治の腐敗は進んできたものの血なまぐさい政争にまでは発展させてない。
例えばお気に入りの黄皓らが画策した姜維降しに賛同しなかったりね。
もっとも単に決断力がなかったか、時間がなかったからかもしれないがw

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 17:07:46 ID:SheA70j10
>>92
諸葛亮はむしろ劉備の呉への出兵を止められなかったのがマイナスだな。
あれは蜀漢としてやっちゃならん行動だ。

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 17:21:45 ID:vXfaXOHi0
いや?
蜀漢が荊州豪族の政権である以上、荊州本土を奪われたままなのは不味いよ

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 17:57:00 ID:SheA70j10
>>94
そりゃマズいかマズくないかと言ったらマズいに決まってるが魏呉両方を敵に回すよりはマシだろう。

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 18:29:12 ID:vXfaXOHi0
だから戦争してある程度領土を分捕って
適当な所で呉と和議ってのが蜀漢の(劉備の)考えだったんだろう


97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 18:37:54 ID:+XwAkd+W0
>>96
その荊州人脈の中心人物であり、三分の計という戦略立てて呉との外交受け持った諸葛亮本人が
「法正が生きていれば止められたし実施しても危険は避けられた」のにっていうくらいだから失策でしょ。

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 18:52:04 ID:vXfaXOHi0
>荊州人脈の中心人物
それは非常に胡散臭いんだが。諸葛亮に関しては荊州派閥では孤立してるという説も充分成り立つ
それに「法正が生きてれば〜」は事後の発言だし、夷陵における諸葛亮は沈黙を保って中立だよ

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 18:55:09 ID:+XwAkd+W0
>>98
いや、荊州人脈に劉備が価値を見いださなければそもそも27,8の若僧を厚遇せんでしょ。
それに、事後でも悔やむほどの大失態だったわけでねえ。
それを擁護するのはちょっと無理があると思うよ。

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 18:55:58 ID:SahF1K230
つか、君らもう少し後まで待てw
その時代になったら好きなだけやり合って良いから。

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 21:41:30 ID:/mQ1WrzGO
スマン>>91だけど俺はその人物がアホを支えれなかったからダメだろに反論しただけで・・・
(俺は>>92のレスに納得してるし)
四名の名前はあくまで例えで挙げただけで、
諸葛亮の功績を議論したいのなら他へ移ったほうがいいのでは?
他なら同士もいることだし、待てと言われることもないはずw

http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1164344779/

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 01:43:31 ID:Z/fB3TW80
名将のスレでは皇帝もエントリーされてるぜ

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 06:00:44 ID:xTG4DJizO
ここでは皇帝と春秋戦国時代の王侯を推薦してもいいかな?

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 12:40:01 ID:AlKWrPWdO
前漢・皇帝

文帝
傍流から即位しながら、斉王派への扱いや済北王興居の乱平定、陳平・周勃ら大臣の統御など辣腕を見せ朝廷の支配を確立
匈奴に対しても本人は攻めたかったようだが、将来の反撃のため辞を低くしてでも和を結び、国力回復を待つ長期的展望を持つ
賈宜・晁錯といった優れた人物を抜擢したように人物眼も確か

宣帝
実質霍光の傀儡として即位しながら彼が死ぬと権力を奪い返す
王道と覇道を交えたと言われる政治方針が示すように、酷吏と呼ばれる小農民保護・豪族弾圧を旨とする太守と、循吏と呼ばれる豪族に寛容な太守を使い分ける手腕は見事
また優秀な宦官を側近に独裁体制を敷き、大臣たちを統制した
桑弘羊・霍光によって回復しつつあった漢の財政をバックに対匈奴・対西域にも積極策を取り、匈奴単于を長安に入朝させるまでに至った

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 16:26:05 ID:Z/fB3TW80
>>76
このスレは名将スレと時代区分の仕方違うからな

時代区分テンプレ
春秋(周の東遷〜晋の分裂) BC770年〜BC403年 367年間
戦国・秦・楚(晋の分裂〜前漢の統一) BC403年〜BC202年 201年間
前漢・新(前漢の統一〜後漢の全国統一) BC202年〜36年 238年間
後漢・三国・西晋(後漢の全国統一〜西晋の滅亡) 36年〜316年 280年間
東晋・五胡十六国〜隋(東晋の建国〜隋の滅亡) 317年〜618年 301年間
唐(唐の建国〜唐の滅亡) 618年〜907年 289年間
五代・北宋・遼(唐の滅亡〜南宋の建国) 907年〜1127年 220年間
南宋・金〜元(南宋の建国〜元の北走) 1127年〜1368年 241年間
明(元の北走〜清の入関) 1368年〜1644年 276年間
清(清の入関〜清の滅亡) 1644年〜1912年 268年間

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 23:06:43 ID:xTG4DJizO
陳平マニアとして言わせていただくと
周勃はともかく強かな陳平が統御されていたかは疑問。
陳平の場合は寧ろ、統御された振りをして文帝を影から支えてた感がするけど・・・

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 05:29:45 ID:Y1FHhV+CO
とりあえず春秋戦国を先に片付けようぜ

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 18:24:26 ID:96Cetdr6O
>>105
春秋は名将探すのは大変だけど、名相探すのは楽な

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 21:04:12 ID:bm2FTMCY0
ぼちぼち決めていこう

春秋
・管夷吾(仲)
 理由・・・五家の兵を制定、物価調節の法漁労製塩の利を設定、九府の設定
      士農工商の分離(住居を別にする)、三選の法の制定
      軍制の確立、結果、桓公を覇者に押し上げる

・藺相如
 理由・・・和氏の璧の時の対応(秦への対応)
       斉の討伐

この二人は確定

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/11(木) 02:23:24 ID:VIzZdKWB0
>>109
藺相如は戦国だから、別口だろ。

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/11(木) 12:22:29 ID:jUYUB4um0
そもそもどうして藺相如が確定なんだろう

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/11(木) 12:31:55 ID:YSOnuFVi0
秦に対しての功績はでかいよ
長平の戦いの時、孝成王が廉頗から趙括に変えようとしたとき
反対してたよね、結果は(ry

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/11(木) 12:49:39 ID:YSOnuFVi0
ていうかここで名が挙がってる
管仲と蕭何はとりあえず確定組でいいと思うのだが

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/11(木) 15:22:54 ID:mPmV8b7u0
質問なんだけど奇矯屋onぷらっとって何者?

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/11(木) 17:59:06 ID:pphljb6HO
どこにでも顔を突っ込むその名の通りケッタイなおっさん。

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/12(金) 12:56:55 ID:HiuphFCxO
儒教的な政策を特に評価するのか、それとも法家的な政策を評価するのかで選考がだいぶ変わりそう

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/12(金) 23:24:16 ID:Oc7TiH97O
>>116
極力結果で判断したい所ではあるが

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 12:45:59 ID:q+seYtnlO
法家的な政策を実行に移したのは商鞅が最初?

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 14:54:43 ID:exo5Bi95O
管仲じゃないか?

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 19:42:13 ID:lFZrPZFlO
その次に呉起が楚で

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 21:04:15 ID:exo5Bi95O
管仲と呉起の間に子産と李カイがいる

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 22:11:58 ID:GdKoYVba0
後世の影響考えたら断トツで商鞅だと思うが、
保身に失敗したからなぁ・・・。

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 10:33:42 ID:1RQeHvQkO
保身に失敗して下げるのは策士としての評価であって、
名宰相であることの否定とは関係ないと思うのだが。

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/18(木) 01:03:04 ID:cBxHzRkV0
やはり過疎スレになったか・・・

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/18(木) 13:37:09 ID:Bt40axh1O
周 周公旦
春秋 管仲
戦国 孟嘗君
秦 李シ
前漢 簫何
後漢 曹操
三国 諸葛亮
晋 王導
五胡十六国 王猛
南北朝 崔浩


126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 22:49:03 ID:HqgbfZLJO
隋だと高ケイ
唐初は魏徴かな

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/27(土) 14:12:47 ID:0JwtOrU7O
名相の評価基準はあくまで政治面における業績のみ?

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/28(日) 20:54:20 ID:AuIBmNcmQ
商鞅一票
この人いなかったら秦の統一はありえなかったと思う


129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/30(火) 21:17:21 ID:UT11UfLt0
既出人物を適当にまとめてみた
ある程度推そうという意思を感じたらとりあえず入れておくといういい加減さで


春秋
 管仲、鮑叔、士?、百里奚、狐偃、趙衰、目夷、趙盾、華元、孫叔敖、子産、晏嬰、伍子胥、范雎、文種、趙無恤
戦国・秦・楚
 西門豹、李克、呉起、商鞅、申不害、張儀、魏冉、田文(孟嘗君)、藺相如、
 趙勝(平原君)、魏無忌(信陵君)、黄歇(春申君) 、呂不韋、李斯、
前漢・新
 張良、蕭何、曹参、陳平、劉恒(文帝)、劉啓(恵帝)、公孫弘、桑弘羊、霍光、丙吉、劉病已(宣帝)、?方進、
後漢・三国・西晋
 劉秀、寇恂、ケ禹、宋弘、袁安、楊震、李膺、曹操、諸葛亮
東晋・五胡十六国〜隋
 王導、王猛、馮素弗、崔浩、高?

 魏徴
五代・北宋・遼
 張承業、敬翔、馮道
南宋・金〜元
 なし

 なし

 張廷玉

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 23:18:34 ID:+lYRig7F0
元 アフマド(ものすごく悪名高いが、財政分野では天才だった)
明 張居正(なんで出てないんだ)
清 李鴻章(とりあえず挙げておく)

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/05(月) 02:01:41 ID:vD14QfjcO
一応諸葛亮と曹操は強く推す。
曹操は言わずとしれた後漢の英雄。でも赤壁ではry
諸葛亮は天下三分の計により三国時代に持っていった天才。このことにより歴史を大きく変えたため。
でも荊州ではry
まぁ多少の失策もあるが、
乱世でこれだけの大業を成すのはやはり偉大だな!

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/06(火) 12:26:35 ID:FLGeSQGnO
名相の列挙になぜ漢の文帝が

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/07(水) 04:12:43 ID:EavKHSZe0
名宰相なのか、それとも政治が上手いのをあげるかで判断がつきかねるんだろ。
政治が上手ければ誰でもいいという条件なら、康熙帝や雍正帝は嫌でも入りそうだ

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/24(土) 05:47:22 ID:9VY7Un3EQ
 

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/27(火) 08:28:13 ID:BJD0ei610
魯粛を入れてください。
彼が蜀を保護する政策を出したから三国鼎立の状態になったわけだし。
劉備や諸葛亮がいかにすごくても、魯粛の保護無しでは、益州は取れなかったと思うな。
実際彼が死んでからは、蜀と呉の関係が上手くいかなくなった。

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/27(火) 13:46:17 ID:Hy/gsCp80
>>135
魯粛生存中から荊州を巡ってギクシャクしてるよ。
建安20年の荊州侵攻とかね。

> 劉備や諸葛亮がいかにすごくても、魯粛の保護無しでは、益州は取れなかったと思うな。

周瑜の方針とどちらが良かったかは仮定の域を出ないが、魯粛の方針が禍根を残したともいえる。
むしろ呉にとっては劉備が益州を取れなかった方が良かった。

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/28(水) 00:18:06 ID:HNp+nqjO0
北宋から
包ジョウ、韓リ、范仲淹
を推薦する

138 :135:2007/02/28(水) 04:38:40 ID:mnhchAyF0
>>136
確かにそうかもしれない。
魯粛としては、仲の良い政権を作って一緒に曹操と戦いたかったんだろうけど・・・
他の奴ならまだしも、劉備をやらんだのは失敗だったね。
ただ、彼が三国鼎立を作ったおかげで、三国志が面白くなったんだと思う。
魏の一人勝ちじゃつまらないしね。国を救うのに関係ないけどw


139 :135:2007/02/28(水) 04:41:00 ID:mnhchAyF0
訂正
やらんだ→選んだのことです・・・。
すいませんでした。

140 ::2007/02/28(水) 19:20:41 ID:NNRIx7bl0
>>137
彼らも優秀な政治家だけど……
やはりナンバーワンは王安石でしょ。

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/28(水) 22:25:15 ID:1wqODHDW0
>>140
王安石も、結局のところ大きな変化をもたらすには至っていない。
その契機をつくり、後の党争を呼んだけど、劇的な変化がない。
そこは、両税法の施行で民衆を塗炭の苦しみに叩き落したが、国勢の回復を為さした張説のほうが…
(王安石とは真逆だな、コレ)

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/28(水) 22:27:21 ID:BF3P+hK30
趙普は?

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/01(木) 03:10:43 ID:7xH+qvg80
三国時代

 ジュンイク、司馬イ

 諸葛亮

呉は張昭?

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 01:09:25 ID:Sn9AbPgr0
唐代からは姚崇と宋mを推薦する

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 14:02:11 ID:KDqHHSyN0
>>141
だね。
革命的な政策を打ち出したりと政治家としては有能かもしれないが、政争で失脚し点が名相にはふさわしくないと思う。

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 17:30:04 ID:xZelp5C0O
>政争で失脚し点が名相にはふさわしくない
そんなケース宋の時代なら腐るほどないか?
王安石は司馬光と遣り合ってたんだし

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 17:45:49 ID:KDqHHSyN0
>>146
腐るほどいたからなんだと言うの?
主君の信任厚く、家臣の中で圧倒的な存在であり、国の柱石たるにふさわしい功績を残した。
名相というからには、この3つの条件は満たしておいて欲しい。
もちろん名相の中にも必ずしも条件を満たせてない人物もいると思うけどね。

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 20:47:01 ID:qKnmk28C0
最終的に失脚したのなら多いし、足の引っ張りあいが日常化している状態だったから、それ自体を、そうマイナスにとる必要はない。
どっちかっていうと、足を引っ張る方の都合が悪いから、「みんなヤツの言うとおりしていると損すぞ」とけしかける。
だから、王安石などは本来、大政治家なわけですよ。
だけど、彼の改革は急進的すぎたし、皇帝(神宗)も利権にしがみつく亡者どもを一掃したいため王安石を用いたものの
彼の改革の根本が豪族をして「痛みを伴う」改革だったので、豪族出身者-当時の士大夫はほとんどがコレ-の猛反対を喰らい、なおかつ皇妃にまで恨みつらみを言われ辟易してしまった。
それでしかたなく王安石を宰相位から転出させざるを得なかったわけです。

いつの世も、一旦固定化した権力層が自ら既得権益を放棄して、損をしてまで民衆のためになるような政策を唱えるわけがない。
王安石の政治理念は建国当初にこそ必要だったのじゃないかと思います。

で、対抗馬の司馬光は現状追認路線をひた走り、王安石がやった改革のうちそれなりに成果を出しているものまで旧に復したので、混乱を招いている。
老人の保守主義もここまでくると病的。

ちなみに、王安石は人を見る目がないことも有名だった。天才にありがちなことではあるけどね…
彼の後継者で最悪を極めているのは、なんと言っても蔡京だろう。

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 20:59:47 ID:KDqHHSyN0
>>148
言いたいことはわかる。
王安石が当時にあって非常に革新的な有効な政策を打ち出したということを否定できる人はいないと思うんだよね。
ただ彼を取り巻く状況が悪すぎた。

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 21:50:28 ID:qKnmk28C0
>>149 そうそう。結局、>>141でも書いたように、当時としては名相とは言えないんだな、残念ながら。
ただ、失脚はあんまりマイナス点には入れてないんだけどね、主観としてだけど。

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 22:44:52 ID:xZelp5C0O
>>149
俺が言いたかったのは>>148に先に言われちゃったけど
足の引っ張り合いで失脚したのをマイナス要素にするのはどうかということ
>>145で君が示した理論だと同じ宋代の宰相杜衍なんかも自分は全く関係無い
婿の公金着服事件を政敵に問題にされ宰相の座を退くことになったのも
カウントされたりするのかと言いたかったんだけなんたけど


152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 22:54:47 ID:KDqHHSyN0
>>151
名相≠優秀な政治家と言うのがオレの考え。
あくまでオレだけに通じる定義なのかもしれないけどね。
例えば王安石が皇帝とやり合って自ら身を引いたという形なら名相と認めるにやぶさかではない。
しかし同僚との政争に敗れ、なおかつその政策を全てつぶされてしまったのでは悲劇の政治家とは言えても名相とはいえないと思う。
ただオレの定義で行くと果たしてそんなヤツ100人もいるのか?ということになりかねないからな〜w

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 23:06:51 ID:qKnmk28C0
実のところ、別に「革新的な」とか「斬新な」とかいう改革路線を行わなくても、名相はいると思うんだよね。
それはいわゆる「優秀な政治家」かもしれないけど。

100年も200年も安定した政治なんて存在しないけど、短い間だけでも豊かな期間はいっぱいあったわけで、そういう期間をもたらした政策こそ評価すべきことだと思う。
唐の貞観年間や、宋の慶歴年間なんかは、そういう意味で名相を選出できる土台じゃないかと。
むろん、そのあとで大いなる矛盾、格差社会などが表面化して、張説の両税法や王安石の新法などが提唱されないといけなくなったのだけど。
両税法は国家のため、新法は民衆のためと、目的は違うけど成功してるのは前者。
王安石には気の毒だし、個人的にも前者マンセーなんて冗談でも思わないけど、宰相としての治績を言うなら前者になってしまう。

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 23:06:51 ID:xZelp5C0O
>>152
宰相は策略家・軍師では無いのだから
政争を上手く切り抜け要素まで求めるのは酷だろな
そんな人物って陳平・張良などを含め何人いることやら・・・
呉起だって魏や楚じゃなく最初から秦に行ってれば
文句無く名相と讃えられただろうに

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 23:27:39 ID:xZelp5C0O
154の追記
あとね王安石の政策を皇帝がきちんとバックアップしてやらなかったのが
王安石にとっては可愛そうな点なんだよ
国家元首である皇帝の軸にブレがあったのはやぶさかではないし
旧法派たちが自分たちの既得権益を守る為に
国家を蔑ろにしていた事も忘れないでほしい
それに王安石は優秀な政治家だと俺は思うぞ

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 23:49:19 ID:KDqHHSyN0
>>155
> あとね王安石の政策を皇帝がきちんとバックアップしてやらなかったのが
> 王安石にとっては可愛そうな点なんだよ

その点こそが名相の条件にはふさわしくないと考えるんだよね。

> それに王安石は優秀な政治家だと俺は思うぞ

それは否定しないよ。
ただ優秀な政治家≠名相だと思うだけ。
優秀な政治家というのは名相の必要条件だとは思うが、十分条件ではないと思うわけだ。

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/05(月) 00:02:00 ID:E7fE0hBcO
>>155
>その点こそが名相の条件にはふさわしくないと考えるんだよね。
これは王安石の所為では無く皇帝に問題あるんじゃないのか?
そこらへん君はちゃんと理解してるんだろ?

>ただ優秀な政治家≠名相だと思うだけ。
>優秀な政治家というのは名相の必要条件だとは思うが、十分条件ではないと思うわけだ。
言ってる意味がいまいち食い違うように感じるが・・・

まあこれ以上話あっても意味無いみたいだしじゃあな

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/05(月) 00:18:23 ID:BWz8838a0
>>157
だから名相というのは個人の能力だけでなく、良き主君を得られるか?ということも問われると思うんだよ。
この場合の良き主君というのは、要するに信頼してくれて大権を与えてくれる主君のことね。
名相とはそういった関係性込みで評されるべきという考えなのね。
それがない人は優秀な政治家とは評せても名相とは評せないんじゃないかな?

> 言ってる意味がいまいち食い違うように感じるが・・・

どこが食い違ってるように思えるの?

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/06(火) 20:55:55 ID:cveWfxUt0
>>153
自分、とんでもなくどアホな間違いしてますね…
両税法は張説じゃなくて楊炎だろうが。
不思議に思った方、すみませんでした。

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/10(土) 15:39:21 ID:YRiHeE1N0
機会さえあれば名相となれる素質を持った人はたくさんいたんだろうな。

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 16:29:18 ID:8ch11Iki0
富国強兵を成し遂げたのが名宰相なのか、それとも民を慈しんだのが名宰相なのか

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 22:59:33 ID:2F/UKReaO
北宋・欧陽脩(唐宋八大家の1人で世界史の教科書にも載るレベル。 この人は学者扱いか…?)
南宋・賈似道(能力は凄いと思う。 最初の嘘が特に。 まぁ結局駄目人間だが。)



163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 23:06:24 ID:2WoJEvgb0
北宋 趙普
南宋 賈似道

だな

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 00:47:43 ID:X6cyrvg30
秦 甘羅
十二歳で宰相となり すげぇ

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 08:27:43 ID:FHvNncoN0
康熙帝 雍正帝あたりは強そうだ

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 15:16:34 ID:isOCtAs70
平時:名君>名相>酷吏、循吏
   ↓↓ ↓↓
戦時:名将≧名将>猛将、謀将

戦時と平時を比してみれば、その立場には非対称性が存在することは明らか。
宗とか帝がつくのは名君のカテゴリーだよ。

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 16:20:06 ID:4cJ59S6N0
唐:房玄齢
が入っていないのが意外。杜如晦などの優れた人物の登用を押し進めたのは彼だし、貞観の治の創業と守成での魏徴との問答は有名。魏徴を挙げるなら同時に房玄齢を挙げないとおかしい。

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 17:03:39 ID:4i3BxyEA0
>唐の房玄齢
たまたま専門でないから挙げる人がいなかっただけかもよ

既出だけど明の張居正

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/02(水) 10:50:15 ID:szWo6Srk0
曹操はこちらでも候補に入ってるのな
もし選ばれたら唯一の名将百選&名相百選両方に該当してる人物になるのか


170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 22:08:35 ID:wX1O/VUq0
他にも探せばいるんじゃない?
今は思いつかんけど。

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 05:43:57 ID:mPH/x0t2O
>>169
名君であって名相じゃない。王猛が確実じゃないか?

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 10:37:13 ID:Fhr+gDOwO
>>171
曹操が「君」と呼ばれる立場になったのは死ぬ4年前でしょ?
特に問題無いんじゃないの

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 21:31:12 ID:mPH/x0t2O
>>172
イヤイヤ、そういう意味じゃなくて、トップとして青史に名を残したけど、
いち政治家としては、どの程度の能力があるのか?と思っただけ。

配下の者の献策等ではなく、曹操自らが立案した政策とか知らないので、
政策の良し悪しを判断する聡明さ、先見の明とかかは、
優秀な君主としての評価ではないかと思ったんだよ。

隋の文帝とか政治家としても有能な人物もいるし、皇帝だからなしとは思ってない。
仮にこのスレ的には、名君も名相として扱うのであれば、
後漢の光武帝、後周の世宗あたりも入りそうだから、
曹操以外にも名将100選入りの名相は、結構いそう。

皇帝は入らないのであれば、まだ確定してないが、清のドルゴンも選ばれるかも。
あと、元の伯顔も可能性があるかもしれない。

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 00:26:12 ID:MzB8pY+i0
曹操って魏王府開いて、開国したんだっけ?

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 01:44:08 ID:cWOO/YrZ0
三国志名将二十四選
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1180016273/

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 03:04:33 ID:pgRe6LbV0
ジュンイク陳群はどんなところかね?
宇文護はちょっと方向違うかな?

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 17:19:04 ID:AaqJr06x0
王朝の簒奪をした(または意図した)人は、幾ら政治家として優れていたとしても、
名相では絶対に無いと思う。
名宰相と言うのは、仕えるべき王朝が有って、それを支えて始めて名宰相だと思うから。

最近のスレの流れ読んで、名政治家と、名宰相を混同されてそうなので、書いてみた。

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 23:48:05 ID:3EGqbRT20
名宰相には忠義も要求されるということか。

馮道みたいな、忠義が天下、民に向いているような場合はどうなるんだろう。

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 13:18:34 ID:E3bUT7AS0
>>178
馮道は民のために戦乱を最小限に食い止めようとした、という点では名宰相と言えるのでは?

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/06(金) 01:50:08 ID:9bI1hNpZ0
>>178
自分>>177を書いた者ですけど、自分的に馮道は、
当然百選には(と言うか十選でも)入ると思ってましたが、
確かに指摘された論法だと、自分が書いた基準だと、
馮道は名宰相じゃ無い。って事に成ってしまいますね…(汗)

ただ、>>179氏が言う様に、私欲では無く、民の為に行動をした。
と言う事で、忠義と言う面で問題が有ったとしても、
やはり馮道は名宰相の百選には入ると思います。

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/06(金) 17:37:59 ID:HK5srojE0
簒奪の意図なんかないんだからね
百人にはいらないのはおかしい人だと思う

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/06(月) 01:18:03 ID:D5v+h8oW0
耶律楚材

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 16:14:06 ID:pI+ieutZ0
関羽

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 13:28:52 ID:uXEiVoVZ0
范仲淹

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