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【成皇帝】袁術様について語るスレ

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/03(土) 00:48:20 ID:S2U5HoWV0
何かと失策が目立つ彼ですが、
一時は袁紹と共に最大勢力の一つでした。
陛下について語ってみましょう。

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/03(土) 00:49:06 ID:l3uP2+b80
何で国号を成にしたのか問い詰めたい

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/03(土) 13:33:31 ID:KtFETgtV0
陛下ほど下種で、陰湿で、落ちぶれた男も珍しい。
でも陛下麗しいよ陛下

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/03(土) 13:51:30 ID:QqhT+slP0
一応wikiから

 袁術(生年不詳- 199年)は後漢末期の群雄。仲の初代皇帝。字は公路。父は後漢司空の袁逢。袁紹は異母兄とも
従兄ともいわれる。同母兄は袁基。袁術は袁氏を陳の宣公時代の大夫・轅濤塗の末裔(轅濤塗は帝舜の血脈)と称し
た。

御曹司から諸侯へ
 若いころは侠気をもって知られ、仲間達と遊びほうけていたが、後に行いを改め孝廉に挙げられ、順調に昇進し河南
尹、虎賁中郎将に至った。

 189年に霊帝が崩じた後、袁紹と共に政事を跋扈する宦官数千名を誅殺する。その後董卓が都に入ると、後将軍に
任じられたが、害が及ぶのを怖れて荊州の南陽へ奔った。長沙太守の孫堅が南陽太守を殺害したため、袁術はその
後任に収まり、南陽郡を支配し、孫堅を豫州刺史に任じて董卓を攻撃させた。南陽郡は人口が多く豊かであったが、
袁術が贅沢を尽くし、税を際限なく取り立てたために人々は苦しんだ。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/03(土) 13:52:19 ID:QqhT+slP0
二大勢力
 袁術は袁紹と対立しており、それぞれ群雄と手を結んで争っていた。袁紹についたのが曹操、劉表、韓馥ら、袁術に
ついたのが孫堅、公孫瓚、陶謙らである。袁紹が董卓のたてた献帝に対抗して、劉虞を擁立しようとするが、袁術は真
っ向から反対している。

 192年(初平3年)、孫堅に命じて劉表を攻撃させたが、孫堅は敗死する。

 193年(初平4年)、兗州の曹操を攻撃するも曹操と袁紹の連合軍に大敗、揚州へと逃走し、寿春に拠る。

 李カクが長安に入ると、袁術と手を結んだ。

 その後、孫堅の遺児である孫策に揚州を攻略させ、楊州刺史劉繇を撃たせるなど勢力を拡大するが、奪った領土は
袁術子飼いの武将に分け与えられた。この行為は孫策の反感を買い、後の離反へとつながった。

 ちなみに、その時に幼少であった陸績が袁術の元におり、袁術が陸績におやつとして蜜柑を与え陸績がそれを母親
に食べさせたいからと言う理由で隠し持って帰ろうとしたことが判り「とても親孝行な子供だ」と自ら褒め称えたという逸
話が二十四孝として残っている。

皇帝即位
 197年(建安2年)に彼は寿春を都として皇帝に即位した。「国号を成と称号し、元号を仲家としたものの諸群雄の同意
を得られず、また袁術本人の奢侈により人心を失った。」などという俗説が有名だが、それは誤解で、いわゆる国号が
仲である。おそらく『後漢書集解』にある「仲氏(仲家)とは劉氏の漢家や公孫述の成家のように」国号である、との文を
読み違えたものと思われる。

 しかし献帝はまだ健在であり、諸侯からは皇帝として認められず、また袁術自身が欲望のままに快楽を求めて、国内
に重税を布いて贅沢三昧の生活を送ったため、国民は大いに苦しんだ。この無茶苦茶な暴政に袁術の家臣の多くも袁
術に見切りをつけ、離反する者が相次いだ。孫策も皇帝即位を諫める手紙を送っているが、納れられず離反している。

 だがこの時に呂布と同盟をしており、諸侯が呂布討伐で苦しんでいたため他国からあまり攻められはしなかった。

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/03(土) 13:53:33 ID:QqhT+slP0
惨めな最期
 呂布滅亡後、曹操らに攻められ国を失い、部下の雷薄、陳蘭を頼って落ち延びたが受け入れてもらえず、199年(建安
4年)夏6月に袁紹の元へ逃げる途中に病死した。韋昭の『呉書』によると、蜂蜜入りの飲物を所望したが、蜂蜜も無かっ
た。そこで「袁術ともあろうものがこんなざまになったか」と怒鳴り、一斗(当時は約1.98リットル)余りの血を吐いて死ん
だという。

 袁術の妻子は、元の部下の廬江太守劉勲に身を寄せ、孫策が劉勲を破った際に孫策に保護された。袁術の娘はその
後孫権の側室となり、息子の袁燿も呉に仕官している。娘(袁夫人)は行いは正しかったが、男子は生まれなかった(女
子については不明)。また、他の夫人の産んだ子を何人か彼女に養育させたが、いつも育たなかった。実質的な正室の
歩夫人が死去すると、皇后に立てようとする動きがあったが、袁夫人は辞退した。のち、潘夫人(孫亮の母)の讒言によ
り、孫権に殺された。

 『三国志演義』では「伝国の玉璽」を得た事が皇帝僭称の直接的な動機になったとしている。また、袁術の死に関して
は、曹操から袁術攻めの協力を求められた劉備の義兄弟・張飛の配下の山賊に兵糧攻めにされて、最後は大好物の
蜂蜜が無いのに怒り、血を吐いて死んだと書かれている。三国志演義では袁術最後の話には他にも諸説が作られ、甥
の袁胤のみが生き残り飢えと苦しみの中歩き続けとある農家に辿り着き水を求めるものの、その農家の主人は昔袁術
が支配していた町の市民であり、水が入った瓶を割って飲み水が無くなったことを告げると「栄華を誇っていた俺にはも
う民心は付いてこないのか…」と落胆し、血を吐いて死亡するという話がある。

 更に、横山三国志では、憔悴しきった袁術が農民に、「帝の袁術じゃ。水を持って参れ」と命令したが、農民は客が袁
術と知ると目の前の水瓶を割って「水はさっきまであったがね、今なくなっちまった。この身体に少しは血が残ってるが、
それ以外は全部お前に吸い取られてしまった。今度はわしを殺してそれさえ持って行きなさるのかね」と吐いて捨てる
様に言われ、「俺はもう一人の民も持たぬ王だったのか。水の一杯さえ恵んでもらえない国王だったのか。そこまで人
心は離れていたのか」と慟哭、吐血して絶命しており、とことんまで民に憎まれた袁術の末路を劇的に表現している。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 23:20:07 ID:raJQyOme0
劉虞擁立に反対しておいて、自分が皇帝なるとかバカかと

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 23:29:17 ID:X6vs+Uuq0
せめて中原ぐらいは統一してから、
皇帝になって欲しかったな。

あの時点での即位は、早すぎるだろう。

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/05(月) 23:53:36 ID:fFUF7yqR0
新朝崩壊後、劉秀が群雄と闘いを繰り広げていた頃の、
自称皇帝たち(劉秀を含めて)も、必ずしも大きな勢力ではなかっただろう。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/06(火) 10:48:00 ID:Btva4Cor0
成はコーエーの嘘
仲氏と称したんだから国名は仲である可能性が高い
>>8
早過ぎない
あのタイミングで即位しなければ漢帝からの逆賊認定で名声が地に落ち勢力崩壊
むしろちょっと遅いくらいだな

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/06(火) 11:37:40 ID:nHZ+v/Yg0
やっぱ皇帝を僭称するのって周囲からは反感買うもんなん?


12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/13(火) 15:17:02 ID:0a13yIQF0
そりゃあそうでしょ。
何せ途中断絶も含めたら400年も続いた漢朝だし、
神聖不可侵とまではいかなくても、相当な権威が確立している。



13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/14(水) 15:36:56 ID:Q9v0aX9LO
皇帝を名乗るってことは漢に対する反乱なわけだから、他の群雄としては
遺憾の意を表明しなきゃならんだろ。本音はどうであれ。


14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/27(火) 22:19:06 ID:ZtyCdL9v0
創業者に相当なカリスマ性がないと、
王朝の創業は難しいわな。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 08:21:46 ID:qz8iYDJKO
曹丕ですら禅譲って方法をとったのに、儒教道徳に反したやり方で周りが付いてくるとは思えない

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 23:38:28 ID:fWYfI4Xy0
三国志二十四大英雄
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1175545567/


17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 23:50:24 ID:5a0Z0OfY0
袁術様は東漢末期、三国時代を通じて最高の英雄也

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 23:59:42 ID:/iMYcUQj0
袁術様万歳

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 11:42:39 ID:1OL+ieuW0
武勇絶倫、神算鬼謀、清廉潔白にして漢きっての名族、袁術陛下万歳

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 11:28:33 ID:w8Tsxxw+0
伸びないな。
袁術さん、人気ないのか。

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 19:53:43 ID:hh6neJUDO
ダッテこれといった魅力ないんだもん♪

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 21:05:50 ID:K94RWRDz0
「成」は光武帝劉秀と争った蜀の公孫述が皇帝を名乗ったときの国号。
ちなみに皇帝になった根拠は予言書に「代漢者当塗高」とあったことで、
袁術もこの予言を自分のことだと思ったから皇帝を名乗ったらしい。
ちなみに光武帝は「当塗高」は前漢の宣帝を指すと解釈し、
公孫述に手紙で教えている。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/15(火) 23:57:07 ID:B/sbqid20
袁氏って名門だけど、経済面での財力もやはりすごかったのかな?

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 01:53:03 ID:cWOO/YrZ0
三国志名将二十四選
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1180016273/

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 12:52:48 ID:xynYwvVv0
えんすい えんじゅつ

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 23:46:22 ID:3EGqbRT20
>>23
南陽郡はわりと豊かな地方だったようだから、そこそこじゃない。
だけど、イメージ的には、袁氏が名門としての声望なのに対して、
曹操は祖父の代からの財力って感じ。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 00:27:19 ID:dXSfeOgf0
>>26
袁氏の本拠地は汝南なので南陽とはちょっと違う。
荘園収入もあるし、高位高官に派閥の人間を送ってるから
金銭的には非常に有利な立場にあったとは思うけど。
南陽は袁術が居座っただけ。

後、袁氏自身もそれほど歴史が長くはないんだよな。
というか、新しいタイプの名門だからなんだけど。
それまでの名門ってのは古代天子・諸侯の子孫や孔子なんかの子孫、
漢の建国の功臣の末裔だけど、氏族としての実態は問わないから。
三国時代頃を境に「名門」というものが指す実態が変わってくるから
ちょっと厄介だけどね。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 11:26:25 ID:S0iVFhuR0
袁氏もなんだかんだで濁流たる宦官勢力と結んで、
力を伸ばした一族だからね。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 12:35:38 ID:99JAuAno0
ところで袁胤って最後どうなったの?

( ´w`)<袁皇帝の顛末は高低ありすぎだね、ナンチテ

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 19:12:29 ID:7xHJe31Z0
>>29
死亡

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 19:52:33 ID:f1OcXiAY0
袁氏と前漢の袁盎とのつながりは?

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/12(木) 02:55:50 ID:SgPqzkSd0
袁術って別に弱くも馬鹿でも無いよな?
相手が更に強くて賢かっただけで

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 20:17:08 ID:hDZ01Fc80
>>32
内政手腕に問題があるが、馬鹿ではないと思う

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 20:23:12 ID:Sqwy/epl0
>>33
そんなに内政手腕に問題があるようにも思えないが…。

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 20:28:56 ID:hDZ01Fc80
>>34
南陽の疲弊具合からしてあまり良い内政をしていたとは思えない。
根拠はそれくらいだから、俺の勝手な解釈だと考えてもらって構わない


36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 20:34:34 ID:Sqwy/epl0
南陽は後に曹操が重い軍役を課して、
侯音っていう南陽人が反乱起こすほど搾取されてた土地だからな。

また、南陽を圧迫する直前に同じく南陽人の豪族・婁圭が曹操に処刑されている。
南陽から搾取する際に邪魔になる存在として始末されたのかもしれない。

結論:どうも南陽を荒らしたのは曹操で、袁術は責任を押し付けられただけくさい。

まあ、これも俺の勝手な解釈だけど。

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 20:40:12 ID:hDZ01Fc80
>>36
把握した。


38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 21:55:23 ID:E8+0XpTq0
淮南も袁術に搾取されてたぞ

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 22:03:42 ID:zfzF8q2F0
淮南はもっとひでーよ。
曹操によって民衆が根こそぎ強制移住させられてる。

やっぱりコレも「曹操が荒らしたのか袁術が荒らしたのかワカンネ」。

でもって淮南が「本拠地」だった袁術と、
本拠が別にあって淮南は「地方領地」に過ぎない曹操。
どちらが遠慮なく搾取できるかというと……うーん。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/21(土) 01:59:54 ID:yhL21rvm0
陰武者でなくて、曹操本人の殺害に成功していれば・・・

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 10:39:58 ID:Qrncy8dn0
曹真の親父のことか

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 01:24:12 ID:V/+LVkqU0
袁術に負けて秦伯南を殺された時ってどういう戦況だったんだろうなー
曹操の陣営や隠れ家でも突き止めたんだろうか

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/19(日) 08:53:36 ID:5YZjLQHH0
【昏君】 中国史上最悪の皇帝は誰?
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1166273828/

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 23:08:21 ID:ksVjoIXy0
「袁術とその配下を語りましょう」がいつの間にか落ちてたな
>>42
多分呂布がカク萌にやられそうになったときと同じシチュエーションだと思う

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 10:48:41 ID:cU3mV/sm0
対曹操のために呂布を引き入れたり、
呂布が袁術と協調しないとカク萌使って殺そうとしたり、
陳宮って袁術の利益になるようなことばかりしてるよな。

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 11:30:34 ID:3FSpt1y00
各勢力に内通者を忍ばせていたって事か

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 19:31:50 ID:6Zny/P9X0
>>46
むしろ袁術に未来を期待して寝返ったってことじゃないの?

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 20:23:13 ID:umeWICCoO
曹操の虐殺に反抗した陳Qが圧政を敷く袁術にすりよるとは

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/28(火) 11:00:15 ID:8T3PfqpW0
百度百科『袁術』
http://baike.baidu.com/view/525130.htm

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/28(火) 11:23:12 ID:bfDYn5j20
呂布が袁術に同盟しなかった理由って何だっけ?

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/28(火) 20:52:00 ID:sD4SGu9i0
>>50
チンケな野郎が恩知らずの陳瑀の件を逆恨みして妨害しまくったから

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/31(金) 04:33:09 ID:21OE6XVP0
>>44
>「袁術とその配下を語りましょう」がいつの間にか落ちてたな

ほんとだ・・・しばらく見てないうちに落ちてる。
いろいろと議論できて、良いスレだったのになー

>>45
そういえば徐州攻略戦のときも袁術に味方してるよな。
陳宮も袁術も相当な曹操嫌いだったみたいだし、敵の敵は味方ってやつかな?

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 14:21:06 ID:y5LaC7/g0
半年経ったから沈んだのです。

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 18:59:58 ID:i3SBxovR0
袁術も最初は曹操嫌いだったわけじゃないよね
誤情報だけど曹操が死んだって家族に教えに行ってあげてるし

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 18:17:39 ID:T9e1uTli0
袁術は人を見る目が無かったんでしょうか?

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 00:29:28 ID:yUJeDMlc0
>>55
陳瑀とか見るとそうだね
でも魯粛とか見出しても断られてるし人望がいまいちなのもネックだね
あと孫堅とか鄭泰とか、優秀なのがさっさと死んでるのも痛い

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 08:14:26 ID:PBQqVHXY0
朱儁なんかは董卓から袁術に寝返ってるんだから、
漢室を尊重する人物からは結構人望があったんじゃないかな。

魯粛は赤壁あたりでの立ち回りを見ても解るけど、
漢室を尊重する意志はあんまりないっぽいし。

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 15:03:52 ID:Tlql9MW40
南陽近辺って、漢代には最も富裕な地域だったのかな。
江南はまだ未開の地だったわけだし。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 21:03:48 ID:r4/oouYo0
240万人いたっていうからね
http://www.weblio.jp/content/%E5%8D%97%E9%99%BD
でも黄巾が荒らしたから疲弊してるし
袁術が荊州中の兵を集めて董卓討とうとしたら劉表に後方占領されて補給止められて
南陽だけで荊州中の兵を養わなきゃならないはめになったからだいぶ苦しかったはず

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 21:14:30 ID:r4/oouYo0
南陽太守だけで賄賂数十億銭手に入るってのもすごいよね
http://www.weblio.jp/content/%E5%BE%90%E7%92%86

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 17:31:19 ID:A6OC4ylI0
袁術って、存在自体がゴミ同然だったよなw

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 23:04:02 ID:f1NWk2+J0
釣りにしても酷い。
その袁術ににしてやられた曹操や劉備や養って貰っていた孫堅はゴミ未満か?

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 23:21:22 ID:AuLbay7k0
そういう問題か?
ただ争いの種をばら撒いただけの輩という意味だろう。

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 23:28:24 ID:20HL15Lk0
争いの種を撒いたのは寧ろ袁紹でしょ。
勝手に連合解散したり劉虞擁立しようとしたり。

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 23:33:47 ID:AuLbay7k0
色々探せばどうとでも解釈できるさ。
ただ袁術様はどうしようもない馬鹿だった。
テキトーに天下を騒がせただけで哀れに死亡だ。

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 02:06:01 ID:vErSGuCd0
テキトーでもなんでも天下を騒がせられる奴はあんまりいない

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 02:58:08 ID:f5Q5dOOG0
甘寧と張遼の勝者が唯一の豪傑
呂布と関羽の勝者は その次

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 02:59:03 ID:f5Q5dOOG0
甘寧と張遼の勝者が唯一の豪傑
呂布と関羽の勝者は その次

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 04:36:56 ID:DwY5LMoO0
袁紹も反董卓のはずなのに
董卓攻撃しようとしてた孫堅を周グ使って後方撹乱したり
董卓の任命した劉表と手を結んだり
ろくなことしてない

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 04:50:00 ID:WsmSkZTC0
>董卓の任命した劉表と手を結んだり
董卓の任命した官吏は至極まともな名士ばかり。
劉表と手を結ぶのは董卓打倒の目的からすると、むしろその方法は妥当だ。


71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 10:38:13 ID:u6Ejoxdl0
袁紹と袁術はもっと仲良くするべきだったとは思う。
何かどうあっても同じ天を戴けぬ理由でもあったのだろうか?

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 11:53:36 ID:MP0hFcEy0
袁紹が大人しく嫡流の袁術に従ってりゃよかったんだよ。

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 21:34:12 ID:8zyeOCyo0
>>70
何故?
劉表と袁術&孫堅は互いに荊州の領有を主張してるんだから争いになるのは必至
劉表がいたら袁術&孫堅が董卓攻撃に専念できなくなると考えるのが妥当だと思うが

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 21:45:13 ID:HYj6Bp/x0
>>73
勘違いしてたけど、袁紹が劉表と結んだのは董卓のためじゃなくて袁術に対抗するためだった。

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 21:47:11 ID:MP0hFcEy0
曲がりなりにも連合の盟主が、
董卓と必死に戦ってる袁術・孫堅の邪魔してるんだもんな。

まあ、本当に盟主だったのかも怪しいもんだが。

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 08:53:43 ID:0wB9pyeE0
袁術の本隊は後方支援に従事して、実働は孫堅らの単独行動じゃないの?
袁術本人は戦下手というわけでもないのだから、
その後も、他人と盟約する事で楽に済まそうとしなければ良かったのに

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 21:51:55 ID:53d7ANdL0
>>75
袁隗と一族が殺されてるから盟主だったんじゃないの?
>>76
自分より出来る部下に一任するのはある意味正しい
それに南陽は裕福だけど
黄巾が荒らした後だから兵站は意外と難しいんじゃないかな

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/20(木) 00:10:20 ID:ItXR3dXr0
>>76
孫堅は南陽で前任太守張咨を殺してたからかなり恨まれていた
あとで孫堅の共犯の劉祥が住民反乱で殺されるくらい
だから袁術は命の危険のある孫堅を外に出して
直接事件とかかわりのなくて後将軍というかなり権威がある自分が
その地にとどまって住民を落ち着かせる役に回ったんじゃないかな

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/20(木) 15:54:40 ID:eHOPeQb00
南陽って後漢朝にとっては非常に重要な土地なんだよな。
光武帝も南陽の人だし、ケ禹などの建国の功臣連中にも南陽人が沢山おるし。

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/20(木) 20:05:54 ID:DAEXg1d90
前期は確かに最優先事項だったかもしれないけど、後期は頴川や汝南あたりの方が重要度が高くなってる。
穎川や汝南を敵に回すと、後が怖いからね。

(穎?頴?忘れた)

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 00:43:48 ID:eNQcca4I0
孫堅や孫策が袁術配下ってシナリオ三国志シリーズである?

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 10:55:20 ID:tco8oSY60
孫家を引き入れたのってどうなんだろう。
上手い事おだてて正当な褒章を与えても力を持ち過ぎて
結局離反しそうだし。ヘタしたら前任の荊州刺史の二の舞なような。

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 11:07:54 ID:Nw/Q6DHR0
南陽って後漢初期には李、樊、ケ、来、陰氏等の豪族の力が非常に強い地域
だったらしいけど、後漢末ではそういった豪族連中はどうしてたんだろう?
やっぱ袁術に協力してたのかな?

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 12:35:24 ID:tfZJezZ30
演義では曹操、劉備、呂布、孫策に四方で攻撃を受けることが可哀想だった

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 13:04:39 ID:QRf2JmqM0
でもその数年前には、
袁術・公孫サン・陶謙・張燕で袁紹・曹操をフクロにしようとしていたw

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 17:50:55 ID:VT8DtSdk0
そういえば傷寒雑病論のおっさんも南陽の出だな。
後漢にとってはかなり重要な意味を持つ土地だけど後漢末は
どうなんだろな。初期の豪族連中は光武帝の功臣系列が多いね。
南陽は戸籍が多かったみたいだから勢力基盤にはいいかも。

 

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 18:58:49 ID:CnIpYe+40
「河南(洛陽)は帝城にして近臣多く、南陽は帝郷にして近親多し」
と言われるぐらいだからね

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 02:33:50 ID:jmeVjRa00
何進一族も

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 21:08:14 ID:u04pqOEp0
>>85
陶謙は闕宣の件で曹操と対立したのであって
袁術とは連携してないでしょ

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 22:15:43 ID:7VYpanO90
>>88
董太后とは跡継ぎ争いもあるけど
董太后の甥に故郷を搾取されたのも対立の原因かな

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 19:55:23 ID:+tMs4fYe0
袁術は勤皇派ですよね?

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 19:57:21 ID:hVG/UiLZ0
袁術は劉備には強く曹操には弱い感じ

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 20:00:43 ID:zHXZrUXv0
>>91
当時の群雄の中ではかなり勤皇派の群雄と言える。

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 21:05:20 ID:cihYbVK9O
献帝を奉じて漢の僅かに残る威光を天下取りに利用する戦略は袁術から曹操に引き継がれたね

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 22:33:35 ID:I/slhnt40
勤皇派だと思う理由は何で?もうちょっと詳しく
俺は袁兄弟は少帝には忠誠心あったと思うけど献帝にはなかったと思う
以下俺の想像に過ぎないんだが
袁兄弟は何進と結んで宮廷改革を行おうとしてて賄賂政治の董太后や十常侍と対立
その延長線上に劉弁と劉協の後継争いがあった。
それを何進も劉弁も殺されて劉協即位で董卓の乱脈政治
ここで何進と劉弁に明るい未来を描いていた袁兄弟は漢王朝に絶望したんじゃないかな?
あとはもう劉協無視で秩序回復を狙っていた
袁術って道徳的な政治を行いたいがために簒奪を行った王莽みたいな人間だと思う

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 22:36:54 ID:LpDqyfRd0
簒奪が成ってから皇帝を宣言すればその解釈もわかるが、
まだまだ群雄が割拠してる中で1人で勝手に皇帝になっちゃったら、単なる後先考えない馬鹿としか評価されない。

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 22:46:13 ID:wBvi2C3o0
一地域で天子を名乗った前例は、すでに後漢時代には大量にあるとはいえ
漢の名家の袁術が皇帝を名のるのは流石に馬鹿というかありえなすぎw

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 22:58:53 ID:X+vlOjgi0
一地域で天子を名乗った最初の例って公孫述?

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 23:07:03 ID:wBvi2C3o0
黄帝子だの真人だの無上将軍だの天王だの黒帝だの
史料に名が残っているだけでも、.天子を名乗った賊は枚挙に暇を得ぬほどにいる。

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 23:50:41 ID:bFR7duUp0
>>95
確かに、袁紹は劉協に対する忠誠心はなかった。
だから反董卓連合にいながら真面目に戦わず、劉虞の擁立を画策し、
曹操と共に朝廷の派遣した刺史や牧を追い出して勝手に官爵を自称した。
さらに袁紹は「献帝を否定し」「新皇帝の擁立に失敗している」にも関わらず、
偽の勅命をばら撒いて自分のシンパに官爵を与えていた。
袁術が帝位僭称する前から相当な不義不忠を行なっている。それが袁紹。

対して袁術は、
手下(孫堅・張バクら)に命じたとはいえ董卓と積極的に交戦し、
献帝の奪還を考えていた(=献帝の正当性を認めていた)。
何進は死に、董卓の遷都に伴って劉弁も死んだが、
袁術は漢王朝に愛想を尽かさず、朝臣らとも連携をとっている。
また、袁術は基本的に官爵を勝手に名乗った事はない(帝位を僭称するまで)。

袁術が帝位を僭称するまで(或いは曹操が劉協を奉戴するまで)、
袁術は袁紹・曹操などよりよっぽど漢朝に忠実だったと思うんだが。

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 00:16:46 ID:ar0E8B1R0
まず逆賊認定されたから、仕方なく帝位を僭称したんじゃないの。
でもそれだとその後で袁紹や劉勲を頼った事と辻褄合わない?

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 16:21:06 ID:V6N0Dy4y0
単に袁紹と対立してたからじゃないのかな。あと袁術は勝手に官位
与えたり任命したりしてるけどな。 後漢の要地汝南に拠るとはいえ最初
から兵隊があったわけじゃない後進豪族の袁術という立場を考えると曹操と
同じスタンスというのは分からない話じゃない。

逆に"忠実"だったという過去完了で話すると僭称したことへの理由ずけが
難しい。後漢に対しては献帝擁護というスタンスは必要だったが王朝に
対しては忠誠心はなかった〜から僭称したと考えるほうが自然じゃない。

そもそも献帝否定=後漢への非忠誠心というのも違う気がする。

そもそも後漢への忠誠心なんてなんの役にもたたんしそれを利用する事は
重要でもそれ自体は生き残りには無価値だから群雄の能力への付加価値
はないな。 諸葛先生だって後漢というコンセプトに無理があると気が
付いて前漢回帰してるし。

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 22:27:33 ID:LdD9whWo0
張バクが袁術の下にいたのははじめて聞くけどどの行動からそう判断するの?
あと王允とともに董卓暗殺計画を練っていた張温が
袁術との内通の件で処刑されたのは
誣告って言われているけど本当だったってこと?

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 22:34:12 ID:I9tA0Y4s0
>>103
曹操に負けた張バクは誰を頼った?

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