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【畿内】三好氏総合スレ【四国】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 20:08:42 ID:92tE0V9x
一時は天下人とまで言われた三好氏を語るスレです。

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 21:35:33 ID:igXsOXiU
一族がそこそこ優秀だから、あそこまで行けたんだろうね。
家臣が優秀な織田氏と比較すると面白いかも。

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 21:46:15 ID:UaExLThu
とうとう戦国板にもスレが立ったか・・・

織田との違いはやっぱり一族に依存しすぎたところかな?
とはいえ松永兄弟は例外だが。

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 23:59:56 ID:rV911KYu
長慶四兄弟の最盛期なら信長といえど手は出せないだろうね。
久秀が信長に寝返りそうだけど。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 05:49:19 ID:NAAUrJLu
>>4
>四兄弟
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/sn-dos/sengoku/miyoshi.htm

そんな事よりこの系図を見てくれ。こいつを見てどう思う?

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 13:55:54 ID:LyeYeghP
冬長は知ってるのも多いと思うが
勝長は初耳。

日本史板の三好スレにも同じのがあったな。

7 :公孫参:2006/07/05(水) 14:15:03 ID:wMvsEqxL
>>5
すごく・・・大きいです
じゃなくてじっきゅうさん次男じゃね?

8 :公孫参:2006/07/05(水) 14:16:35 ID:wMvsEqxL
wikiより

  長之
 ┏┻━━┳━━━━━━━━━━┓
之長  長尚         勝時
 ┣━━━┳━━━┳━━━┓  ┣━━━┓
長秀  長光  長則  元長 勝長   政長
 ┣━━━┓   ┃   ┃      ┣━━━┓
一秀  康長  長逸   ┃      政康  政勝
     ┃       ┣━━━┳━━━━━━┳━━━━━━┳━━━┓
     康俊      長慶  義賢     冬康     一存  冬長
             ┃   ┣━━━┓  ┣━━━┓  ┣━━━┓
            義興  長治  存保 信康  清康 義継  存之

ずれる?

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 15:34:00 ID:CSLkbK7k
三好義興に子供いたっけ?

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 16:06:32 ID:YFmhXByb
>>9
義興が生まれたときの長慶の年齢と義興が死んだ年齢は非常に近い。
義興がいつ結婚したのにもよるけど
長慶は戦国武将としては結婚が遅かったはずだし
義興に子供がいてもおかしくないんじゃない?

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 10:33:00 ID:rlqL08ED
子供の年齢を考えると後継者とするのは無理があるな。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 13:17:43 ID:HPo1UOz5
三好って一応家として残っていたの?

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 15:35:27 ID:KojK1AQ9
>>12
長慶の叔父康長かな、比較的残っているのは
この人秀次を養子にしてるが、晩年どうなったか不明

一方、十河存保の方は子の存英が流浪の後、大坂の陣でさよなら

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 16:43:32 ID:CYJIaV5e
>>12
政勝の流れは徳川幕府下で旗本として残ってる

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 16:49:21 ID:KojK1AQ9
ごめんなさい、その通りです

政勝→河内国讃良・河内・錦部のうち二千二十石ですね

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 20:21:01 ID:55S2EG9B
政勝は三好宗家からすると異端だからなあ。他の人で残った人っていたの?

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 20:39:02 ID:i6k72dFq
いないと思うよ

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 20:55:47 ID:JLSuW/Ck
河内に二千三百石拝領している三好房一というのもいるけど、
どういう人物かはよくわからんな。

政勝以降の旗本三好って、同じく旗本の真田や小笠原との婚姻関係があったりして
系図を見ていて意外に面白い。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 21:22:01 ID:i6k72dFq
三好房一
父長房ー祖父長直まではわかったけど

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/07(金) 00:57:36 ID:wTnXiHq0
>>18
三好房一の家系は、三好康長の家臣。
三好康長とともに織田家に降り、三好康長−三好秀次(豊臣秀次)と代替わりして
秀次が切腹・廃絶になった後、秀吉の直臣旗本となった。
その後、家康の関ヶ原直前の東下に随伴し、家康の時代も引き続き旗本として
存続した。


21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/07(金) 15:31:36 ID:4/7hER/w
房一は朝鮮の役、関ヶ原で活躍しているみたいだね

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 12:25:09 ID:WClm7kOt
三好長治の四国での暴政は滅亡を確実に早めたな。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 14:46:47 ID:R4OwXzPq
>>22
本当に実休さんの子かと疑いたくなるくらいにね。

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 14:27:49 ID:G26lHRGI
長慶の評価ってなんでこんなにも低いんだろうな。
伊達や北条と同クラスでも何ら不思議はなさそうだが。

そのうち「何故三好長慶は人気がないのか?」
ってスレが立ちそう。

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 13:11:59 ID:PO1TbmLd
三英雄の次でもいいくらいだ。

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 13:17:20 ID:PO1TbmLd
■ 三好長慶FAQ ■

@三好長慶って誰?
 三好元長の嫡男。1522年生まれ。政治や連歌に秀でたことで知られます。
 父の戦死により、10歳で家督を相続。11歳の時合戦の調停をしたのが、最初の業績です。
 1539年、幕府御料所河内17ヶ所を要求して許されず、晴元打倒の兵を挙げた。
 その後、摂津国江口に政長を敗死させて晴元政権を倒し、将軍父子を追放して畿内を制して入京する。
 1551年、幕臣の進士賢光によって、重傷を負わされるという長慶暗殺未遂事件が発生。
 賢光はその場で切腹した。
 その後六角義賢の調停で義輝と和睦が成立し、長慶は御供衆となり、晴元が
 出家し、細川の家督は氏綱が継ぎ、将軍が入京する。
 しかし再び不和となり、洛中の霊山城で義輝・晴元と戦って勝ち、更に摂津国
 芥川城を陥して本拠とし、独自に畿内を支配する体制(三好政権)を築いた。
 後版図を拡大し,山城・摂津・丹波・和泉・淡路・阿波・讃岐及び播磨・伊予
 の一部を細川氏綱・松永久秀・同長頼・三好義賢(実休)・同(安宅)冬康・十河
 一存ら一族諸将を配して治めた。
 1558年に義輝と交戦し、やがて講和して京都を明け渡した。
 しかしその後、弟義賢の戦死、十河一存の病死、嫡男三好義興の病死と不幸が
 相次ぐ。また松永久秀の讒言によって弟安宅冬康を殺してしまう。
 そして、自身も43歳の若さで病死する。(毒殺説あり)

@長慶が死んでから三好家はどうなったの?
 長慶の甥で養子になっていた、三好義継が13歳で家督を相続。
 しかし、三好三人衆と松永久秀の対立や信長の侵攻により
 1570年、三好宗家は滅亡。阿波に三好長治がいましたが、細川真之によって
 殺害されました。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 15:27:41 ID:WyUk/f9Y
派手な勃興の割に、地味だねえ

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 15:57:29 ID:z438m1Hw
之長、元長の苦難の上に、長慶の成功がある
長慶が急に出てきたわけではない

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 21:20:41 ID:M/YBLGth
>>28
意味がわからない。
長慶は実質0からのスタートだろ。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 21:29:45 ID:BKDfU8Q/
>>28
親父殿あぼん+所領もあぼんしているんですが。

若かりし頃の長逸の懐に抱かれながら、幼い長慶兄弟は
阿波へ落ちたんだろうなあ。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 21:33:17 ID:hsZNh6SG
阿波の本領は変わらずあったし
守護の持隆は三好に友好的

ゼロだはないよ

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 21:34:06 ID:hsZNh6SG
ゼロではないだな

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 21:37:17 ID:BKDfU8Q/
確かにゼロではないけど・・・。
-10の何乗しなきゃいけないか・・・。

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 23:35:02 ID:1yMZVDZh
戦国大名の後継者としての戦国大名デビューじゃない以上
ゼロといっても過言じゃないでしょ。
一部の例外を除いて、ある程度の所領がないと戦国大名にはなれないし。
それに長慶がゼロじゃないなら北条や島津はかなりの数になる。

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 23:46:34 ID:qsRzjOSv
>>24
最後がかっこ悪いからじゃね?

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 00:11:32 ID:+ZxY1ukO
>>35
つ 猿
つ 蝙蝠

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 06:58:11 ID:MO4zOeQs
ひできちは天下取ってるからいいんでない?

宗鱗も後期は悲惨だよな
つか、部下可哀想

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 07:46:36 ID:zz/hk+P5
宗麟は自業自得っていうか、親子揃ってどいつもこいつも…な気がして
同情できない。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 09:15:01 ID:OfKWSoQ1
この時代の有力大名の跡継ぎでまともなのは早死にする件について。


武田義信・・・切腹or病死or暗殺
織田信忠・・・謀反であぼーん
松平信康・・・信長に切腹させられる
三好義興・・・病死or暗殺
毛利隆元・・・暗殺
長宗我部信親・・・戦死

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 13:46:32 ID:1IuIePTA
蘆名盛興や大内義尊も早死だよね。
大内義尊なんか7歳だし。

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 22:04:51 ID:XdbwuBLC
氏政は長生きだぞ。

42 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/07/11(火) 22:18:52 ID:MwOSj5KG
>>36
納得。

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 22:49:55 ID:MO4zOeQs
氏政は家潰したからな・・・・
とっとと早死すれば氏直も和平できたのに

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 22:50:46 ID:cUtMapZ/
家臣に実権を握られて失意のうちに病死というのはちょっとなさけない。

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 23:02:59 ID:tfebXS4k
>>44
おおながよしよ、しんでしまうとはなさけない

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 23:09:34 ID:8+AJrjAH
>>39 つ、長生きしなかったから失敗も少なくて、なんとなくまともな奴に見えるのではないか?
武田義信だって、長生きして家督を継いでいたら、武田滅亡の原因になっていそう。

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 01:19:26 ID:poPNuWlf
仙台育英高校3年の川又はこのスレに来てほしくないな。

あ、これは個人情報晒しじゃないからな。
あくまで川又本人がネット上で公開した情報だから。

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 09:13:04 ID:+lxfpRas
>>47
公開されている情報でも、本人の同意が無いうえに、明らかにその個人に害意を
もって書き込んでいるので、民事で訴えられればキミ負けるよ?
削除申請はやく出したほうがいいよ。

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 09:58:29 ID:H9TsVIBp
わけわからんネタを持ち込むな。

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 17:11:17 ID:E9KPFHiB
>>48
あんた川又?
本当に自分が被害者だと思ってるなら訴えでもするといいよ。
あれだけ周囲に迷惑かけて叩かれたのに、まだ自分は悪くないなんて思ってるのか?

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 17:20:54 ID:a0oePZNo
三好経済基盤は堺商人、特に納屋衆との結びつきと言われる

加えて、阿波からの木材や藍の産出、鳴門海峡〜紀淡海峡の掌握もあげられる

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 00:09:27 ID:i7zBlcn9
三好三人衆と美濃三人衆ってどっちが強いかな?

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 02:02:26 ID:S1rrXONC
>>52
戦国無双に出てこないので分かりません。

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 10:15:24 ID:ETosxN5M
計略やらせりゃ三好三人衆
合戦やらせりゃ美濃三人衆

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 11:04:15 ID:nkJHHXez
三好三人衆の方が圧倒的だろ。
のちの真田十勇士が入ってるじゃん。

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 11:13:57 ID:iYtDYcGt
こらこら

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 15:39:39 ID:AHjEoA4W
長逸、政康、友通は一時的にせよ、義栄を擁してたから
早々に敗れるし、二度と浮かび上がらなかったけどね

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 18:39:30 ID:TyfDpMFq
片田舎の武将の仲良しクラブと比較される三好三人衆(つД`)

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 18:50:41 ID:+3k1xuuu
片田舎て・・・出身は阿波だが、勢威を振るってたのは畿内だろうに。

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 19:03:51 ID:TyfDpMFq
>>59
美濃三人衆の事を言ったんだけど・・・。
日本語がおかしかったかな?

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 20:28:42 ID:InkKLUVq
どっちもどっちという気もしないでもない。が、団結力は三好のほうが上だな。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 21:21:38 ID:oTvoiVxO
石成友通なんかは、一人義昭・信長に降服して従っていたりするが。

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 23:15:14 ID:ETosxN5M
美濃三人衆は仲良く降伏

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 02:31:01 ID:3oksyIlb
三好三人衆の動員数や政治力は、(西)美濃三人衆よりはるかに上。
比べるのが変。

>>63
安藤伊賀は信玄に内通して追放、最後は明智光秀に呼応してほかの二人に
殺された。


65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 17:17:37 ID:B2VjxR1O
山名四天王とか
葦名四天とかと同じで、語呂が言いだけでしょ
比較しようがないと思うよ

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 19:14:28 ID:UxGhIFdY
実績も全然違うしな。

67 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/07/14(金) 21:34:36 ID:RUILMdTW
三好三人衆も、ひとりヤケにどうでもいいのが混じってるし。

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 01:35:11 ID:JrGAmHg1
>>64
安藤伊賀がほかの二人に殺されたって、
氏家ト全はとっくに死んでるだろ。

69 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/16(日) 20:26:58 ID:co23lyOZ
篠原長房>三好三人衆

でいいよな?

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 03:10:30 ID:th8t3KkK
岩成の出身は阿波なの?あんまり聞かない名前だよね

篠原が上洛した話は聞いたことあるけど合戦の話は聞かないなあー強いの?

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 12:02:22 ID:IPPJeD+l
>>71
阿波から二万の大軍を率いて堺に上陸して、
久秀をびびらせたという話ならあるけど。
まあ、文官だから武功の話は少ないと思うよ。

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 13:57:21 ID:aqaZob6i
Wikipediaの長房の項に悪評の強い人物とあるが
長房が悪評強いなら戦国武将は全員悪評じゃないか?

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 19:08:55 ID:IPPJeD+l
>>73
正直、酷い話だと思った。
四国で行政に励み、長慶の死後久秀の専横が目立つと、これを抑えるために渡海して、
暴政を敷く長治を何度も諌めて、最後には讒言で殺された悲運と忠義一筋の武将なのに、
そりゃネーヨ。

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 19:24:34 ID:N+qCds66
>>73
それが正しいのかどうかは知らんが「悪評が強い」のは別におかしくないと思うが?
世間的に悪い評価が多い、て話であって小早川秀秋が本当に裏切ったかどうかは
別としても嫌われてるのと同じような話だろ?

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 22:17:40 ID:o3wCFCAj
篠原長房に悪評があること自体知らなかった訳だが

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 14:59:00 ID:m7hwnA5l
義賢に仕えた際も最初は義賢のことを快く思っていなかった
とも聞くし長房は真面目な武将というイメージしか浮かばない

話は変わるが三好家自体は一般的には悪評が強いけど
よく考えれば父親の仇討ちをしたに過ぎない

俺から見れば足利義輝と細川晴元のが悪評イメージは遥かに上だなぁ

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 15:05:29 ID:Fio7aWUO
悪評云々はどうでも、長慶が父の仇晴元に対して、ふくむところはあったと思うよ
義輝は仇じゃないけど

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 15:22:16 ID:Dgq/g/e+
確かに仇ではないんだけど義輝って正直過大評価されすぎだと思う
弟の義昭なんかあんなに悪評が強いのに義輝ときたら剣豪将軍のイメージで
どう考えても一般的には悪評があるとは思えない
長慶暗殺未遂や遊佐長教暗殺の黒幕とも言われてるのに

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 18:29:43 ID:NsoVhrwM
>>79
ダークなイメージの武将が好きな人間としては、
義輝はむしろ過小評価だと言いたくなる。

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 18:58:57 ID:AMSzkDOb
こう思うよ

義尚〜義栄までの全ての将軍は
「哀れちゃん」のイメージが一般的は気がする
義輝も例外でないと

義政は自業自得
義昭は最後だからなんとも言えないが

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 21:17:29 ID:mNqdw0Hv
>>77
ずいぶん勝手な言い草だな。仇とっただけならなんで政権を握り続けたんだ?
将軍にでも返せばいいじゃん。まさか将軍に政権担当能力がないなんて言わないよね?
そんな言い訳は通じないよ。

下克上しといてきれい事も何もないじゃん。豊臣家を潰した家康みたいに
堂々としていればいいんだよ。誰にも遠慮する必要はない。
実力で晴元も義輝も越えたのだから評判なんて気にするのは野暮だろう。

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 21:31:52 ID:GBXflpo6
>>82
義輝は長慶と晴元が争ったときに晴元についたわけだが。
そんな奴に簡単に政権を返したらその後どうなるかどうなるかは予想つくと思うが。

実際晴元が出家した後は京都を幕府に返したわけだし、
晴元に見切りをつけるのが遅すぎた義輝も義輝だろ。

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 02:53:09 ID:nciTWlog
>>71
2万5千の兵を無難に統率してるし才能はあると思う。
下のサイトに詳しく乗ってる。
ttp://www.ikedaya.com/ikedatown/katsutime/1566.html

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 03:13:51 ID:vFJ7Dkzw
永禄元年に長慶が義輝に京都を返した時点で
長慶政権が終わったことにしてる研究者には
今谷明さんがいるけど今谷さんは
>>79
> 長慶暗殺未遂や遊佐長教暗殺の黒幕とも言われてるのに
についても黒断定

というか京都の返還は三好氏の通史では基本事項だと思った

まあ>>77の「仇討ちをしたに過ぎない」はちょっとどうかと思うけど

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 07:33:18 ID:5PXBQga5
>>82
畿内の権力抗争を終わらせて、二度と自分と同じ思いをする人が
出ないようにするためだったんだよ。

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 19:50:31 ID:k7DS/+95
晴元だって殺さず降伏させたんだし

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 20:41:56 ID:629u2Lyc
>>83
それだけ晴元が見込みがあったって事か、もしくは三好では晴元以上に
ないがしろにすると思ったんだろう。ちょっと三好の都合のいいように
考えすぎじゃない?

>>86
それでも途中で挫折して余計混迷した状況を残してくれた訳だが。

>>87
それは。殺さなくても監禁とか出来ただろう。10年以上も野放し
にするから義輝が頼りにしてしまうことになってしまう。
下克上しといて、そんな情けをかけられた晴元も嫌だろう。


89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 21:27:47 ID:riYn/gWW
>>88
>ちょっと三好の都合のいいように考えすぎじゃない?
君もちょっと足利の都合のいいように考えすぎじゃない?

>それでも途中で挫折して余計混迷した状況を残してくれた訳だが。
それは長慶死後の話で三人衆と松永久秀がしたこと。

>10年以上も野放しにするから義輝が頼りにしてしまうことになってしまう。
逆に言えば義輝が晴元の身柄を長慶に渡せば
もっと早く京都に戻れたかも知れないんじゃないのかな。
元々の長慶の目的を考えれば義輝の自業自得。

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 22:08:33 ID:5PXBQga5
>>89
>三人衆と松永久秀がしたこと
いや、久秀だけだと思う。
義継は13歳くらいだったから、三人衆と長房が後見していたのに、
久秀が色々吹き込んで義継唆して、自分の所に転がり込ませて、権力抗争やって、
家中と畿内を乱した責任は大きいと思うよ。

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 22:52:31 ID:k7DS/+95
松永の悪人ぶりも相当過大評価だと思った

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 02:04:28 ID:cioMOoD/
>>82=>>88はもうちょっと勉強しなさい
長慶が政権返したことさえ知らない程度の知識で
うだうだ言ったって意味がないよ

> 10年以上も野放しにするから

なんてのはまたわけがわからない
いつからいつの話なの

天文22年に義輝が長慶と手切れになったのは
晴元が義輝の奉公衆を取り込んだからで
義輝自身の意思は長慶との和睦
それまで義輝は長慶と結んで晴元と戦っている

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 16:01:22 ID:9OYjOJEo
10年以上ってのは天文十八年(1549)に晴元が近江に落ちてから、
永禄四年(1561)の晴元、長慶和解までのこと言っているんじゃ?
野放しかどうかは別としてね

それから義輝を長慶が迎えるのは、天文二十一年(1552)正月、
仲違いは翌年七月、この間わずか一年半だよ



94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 16:52:23 ID:YnwwzlYu
>>91
極悪人以外の何者でもないと思うが。
世間での扱いは完璧に過大だけど。

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 20:55:45 ID:zx2CsIWQ
>>89
>君もちょっと足利の都合のいいように考えすぎじゃない?
その言葉、そのままそっくりお返ししよう。

>それは長慶死後の話で三人衆と松永久秀がしたこと。
途中で死ねば全部後の連中に押し付けれるのは本当に楽だろうな。
長慶に少しも責任がないと思ってるのか?

>逆に言えば義輝が晴元の身柄を長慶に渡せば
>もっと早く京都に戻れたかも知れないんじゃないのかな。
>元々の長慶の目的を考えれば義輝の自業自得。
それだけ晴元が頼りになるって思ってたんじゃない?そしてそれが晴元
の延命に繋がった。将軍より、そう思わせた晴元を褒めるべきだね。
結局晴元は負けたわけだけど、だからと言って三好のさっさと降伏すべき
だったというのは結果論にすぎる。

>>92
知ってるよ。でもその後畿内を将軍家が支配したか?違うよね。依然細川氏綱は
傀儡で、三好が実力者であることに変わりない。たとえ室町幕府が復活して
前ほどの勢いはなくてもね。

>天文22年に義輝が長慶と手切れになったのは
>晴元が義輝の奉公衆を取り込んだからで
>義輝自身の意思は長慶との和睦
>それまで義輝は長慶と結んで晴元と戦っている
和睦していたのは少しの間だし、1558年に和睦するまで三好とは
争い続けているところをみると、基本的には反三好路線をとっていた
のは義輝の意思だろう。まさか弱体化する晴元のことを恐れていた
わけでもないだろうし。




96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 22:02:17 ID:1wzkKzN+
なんだコイツ。キモイな。

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 22:19:08 ID:Gsn9+W/b
>>95
>途中で死ねば全部後の連中に押し付けれるのは本当に楽だろうな。
途中も何もあんたの言う混迷とかいうのは足利義輝の暗殺がきっかけ。
責任と言える責任は松永久秀の重用くらいしかない。

>それだけ晴元が頼りになるって思ってたんじゃない?
だからそれが自業自得なのw

>その後畿内を将軍家が支配したか?
そんなお人よし大名何処にいるんだ?
山城を返してもらっただけでも十分甘すぎる処置。

>基本的には反三好路線をとっていたのは義輝の意思だろう。
これは同意。
足利義輝が如何に剣だけの人物というのが伺えるw

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 22:44:55 ID:HsmBNOtE
>>97
>途中も何もあんたの言う混迷とかいうのは足利義輝の暗殺がきっかけ。
>責任と言える責任は松永久秀の重用くらいしかない。
あと、弟を殺した事も、政治にやる気をなくしたことも十分な責任だな。

>だからそれが自業自得なのw
どうして?晴元を頼ることがそんなに愚かとは思えない。三好に降伏すれば
いつでも山城一国もらえたわけではないだろう。

>そんなお人よし大名何処にいるんだ?
>山城を返してもらっただけでも十分甘すぎる処置。
だからこそ、そんな中途半端なことをするべきではなかったのだろう?

>これは同意。
>足利義輝が如何に剣だけの人物というのが伺えるw
だからこそ晴元と組む必要があったのだろう。ただ和睦後は六角・畠山の
影に義輝がいたという話もあるし、そういう点は剣だけではないとも言える。



99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 00:38:44 ID:1mVb2HjS
結局KOEI史観かよ

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 03:33:37 ID:pbqqr8sB
もう何を言っても通じないのでスルー推奨。
足利厨の必死さには呆れるね。

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 04:37:57 ID:InGM8CVa
松永久秀の弁護。

三好家・幕府での専横→家内のことを差配するのは家宰として当然の仕事。
 幕府内での仕事にしても伊勢貞孝らとの協力してのこと。専横などは行っていない。
 そもそも君主・長慶が仕事しないからその分久秀にしわ寄せがきた訳で。

義興の暗殺→病魔調伏の願文か何かが残っていたはず。病死が有力。
一存の暗殺→病死が有力。そもそも暗殺ならば久秀が「馬での通行は危険」と忠告したという逸話自体出るか?
そもそもこの2人が仮に暗殺されたとして、最も疑わしきは対立陣営かつ前科持ちの足利義輝では。
冬康の讒言→「謀反の疑いで誅殺」とされる割に子の信康には何の処分らしい処分もなく、不自然。
 また長慶が勝手に疑った可能性、本当に謀反を企てていた可能性、他の誰かの讒言の可能性等も。

義輝の暗殺→義輝・三人衆まで参加している以上久秀の悪行というよりは三好家全体での行動。
 というか久秀は実行に加わっていないはず。
東大寺大仏殿焼き払い→完全な濡れ衣。当時の記録に「三人衆の軍による失火」とある。
 その「失火」も実は三人衆の軍にいたキリシタンによる放火であることが宣教師の日記に書かれている。

信長から謀反→当時の織田と三好の関係にもよるが、対等であったならばそもそも「謀反」という言葉を
 使うこと自体がおかしい。義昭と信長の関係悪化から手切れになっただけのこと。
 主従関係があったとしても、金ヶ崎の撤退戦にて退路を確保した大功に対し何ら恩賞を出さなかった
 信長にこそ非があるとも言える。

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 07:34:11 ID:09mkZY/X
>>101
長慶公がニートとは片腹痛い。

>義輝の暗殺
息子の久通が参加しているから、何もタッチしていない訳ではないはず。

>冬康の讒言
病気で判断能力無くしている時に言ったから。
後で後悔している。

>義興の暗殺
それは義興のためじゃなくて、義興が長慶のために書いたやつでは?
嫁と一緒に東大寺へ長慶の病の平伏を祈りに行ったと言う話を聞いた事が
あるけど。

>一存の暗殺
一存は日頃から久秀と対立して嫌い抜いていた。
自分の話を聞かないのを見越してわざとこけるようにしたのでは?

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 13:22:54 ID:2ZFF2Zar
話がなぜか久秀に傾いてるね

俺は之長が好きなんだけど

ハケシカリシ 嵐ノ風ハ音絶エテ 今ヲサカリノ ミヨシノノ花

花サカリ 今ハ三好ト思ウトモ ハテハ嵐ノ 風ヤ散ラサン

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 14:15:36 ID:OrN2lG0b
松永久秀は南宗寺燃やして財宝を略奪したような奴。
弁護も何もないと思うが。

>>103
俺も結構好きだよ。

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 12:52:12 ID:+Wlq7/4O
>>99
何がコーエー史観だ。煽り文句は他にないのか?

>>100
いやいや三好厨の必死さには負けるよ。お互い頑張ろうぜ!

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 13:15:37 ID:Z+9AU5M9
なんだか必死だな

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 13:29:14 ID:upCB+EWw
お前がな。

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 14:50:33 ID:7dJAmzae
お前もな。

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 16:05:43 ID:6kMPh/Fe
>>105
もう来なくていいよ。
それともわざわざ話題を吹き返すってことは反論してほしいのかい?
長いだけで内容のない文は見るだけで疲れるし俺としては早く消えてほしいんだけど。

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 17:04:54 ID:7YIJzkmm
君と余だ。

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 19:27:12 ID:ikkBdOn1
>>109
いや、消えるのはお前のほうだろ。俺も疲れるから。
長いだけで内容がないのはお前のほうだけど。

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 19:34:04 ID:PwaVOaf+
>>111
いや、
お前に賛成してた奴なんていないんだけどw

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 19:41:43 ID:ikkBdOn1
>>112
別に人の賛成なんかいらないだろ?賛意が得られないとスレにいては
いけないのか?

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 19:43:27 ID:PwaVOaf+
だから内容ないのはお前のほうだと言うことだよ。
そもそも足利マンセーしたいなら専用スレにいけよ。

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 19:49:18 ID:ikkBdOn1
どうして?内容がないのはお前のほうだろ。それに人の賛成とかと関係ないし。

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 19:54:35 ID:PwaVOaf+
>>115
そこまで言うなら百歩譲ってそういうことにしてやる。
だからもう来るなよ。
電波が常にいてスレの流れが活発なのよりは、電波がいない過疎スレのほうがいいしさ。

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 19:57:17 ID:ikkBdOn1
>>116
来るなという根拠が薄弱すぎるな。電波なのはお前のほうだと思うが。
それとも人の意見は聞きたくないのか?

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 20:05:15 ID:PwaVOaf+
>>116
言うのは勝手だがあまりにしつこい。
一度その話題が切れてるのにわざわざ君が蒸し返してきたんだろ。

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 20:06:24 ID:ikkBdOn1
切れたというはあなたの考え。切れなかったというのが俺の考え。

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 20:23:49 ID:ftXHfBSQ
何この流れ。
三好ファンなら、長慶や冬康の温厚さを見習おうよ。

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 20:48:15 ID:/6nUHP05
お互いにキチガイキチガイ言い合ってるだけだしなw

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 22:23:18 ID:Z+9AU5M9
ID:ikkBdOn1

こいつ必死だな

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 00:03:59 ID:nDra/8oQ
信憑性には多少問題があるけど、「平島記」の記述を信ずる限り
義輝暗殺は三好家主導。松永氏の当主久通はそれに従っただけ。

124 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/07/23(日) 00:35:34 ID:A3lZEOAM
三好家、というのは誰を指すのかが問題だ。

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 00:45:42 ID:nDra/8oQ
動いてるのは三人衆の長逸。ただし、長治も義輝を親の敵として
憎んでるようで、そういう意味では長治かも。
「此上は三好一家中として代を乱し(将軍を替えて)、尊公を
一度天下に居(据え)、御会稽をあらはし(恨みを晴らし)」
と書かれてる。

126 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/07/23(日) 00:49:24 ID:A3lZEOAM
会稽の恥を漱ぐ気だったんだ。

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 01:03:52 ID:nDra/8oQ
「平島記」を引用した方が早いかな。長いから要点だけね。

「永禄六癸亥年秋、三好日向守周防国へ下て義冬へ申けるは、
(中略)
さて高政・喜三両陣は将軍の御はからいにて御座候、実休儀は
尤悪逆の者にて候間、御にくしみ有も理にて候、別儀もなき
我々を御にくしみ有事以外候、然上は我々行末とても不可然候、
彼是時節到来仕候、此上は三好一家中として代を乱し、尊公を
一度天下に居、御会稽をあらはし、我々一家も身安穏置申度候、
(中略)
実休男長治阿波国ニ居候へば、曾て幼少ニ御座候、其上父実休も
尊公御事は粗略にも不奉存候、又彦次郎も今将軍を親の敵と存
候故、尊公へ少も別儀は無之儀ニ候、早や思召立候得と、其為
一家中より某御迎ニ下レ候と、色々理をつくして申ける故、義冬
満足有之・・・」

以上。事実かどうかはさておき、理由は一応納得できる。
ただ、今谷明氏の「戦国三好一族」ではこれに触れられて
ないんだよね・・・

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 01:00:17 ID:Xbjx6pNE
好き好き好き好き好き好き 愛してる
好き好き好き好き好き好き 実休さん

とんちはあざやかだよ 一級品
度胸は満点だよ  一級品
いたずらきびしく  一級品!
だけど、イクサはからっきしだよ 三級品!

あ〜!あ〜! 南無三だぁ〜!(鉄砲ズド〜ン)

とんちんかんちん とんちんかんちん
気にしない 気にしない 気にしない
望みは高く果てしなくわからんちんども とっちめちん
とんちんかんちん 実休さん

好き好き好き好き好き好き 愛してる
好き好き好き好き好き好き 実休さん 実休さん!


129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 01:46:47 ID:rY2+reTY
>>128
まぁ歌ってみたいだけなんだろうけど、
義賢は戦下手かなぁ?
確かに死に様は迂闊な感じではあるけど。

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 15:15:08 ID:250M6HAG
義賢は摂津でも阿波でも河内でも、大抵戦には勝ってるね

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 20:49:34 ID:neQC4mhJ
>>128

じっきゅう〜さん 第一話
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150384043/

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/02(水) 16:13:01 ID:CYl+4rJu
長慶は谷宗養を師とし、連歌にはそうとう長じていた

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/02(水) 18:50:49 ID:iM4GB2f1
2009年以降の大河ドラマだけど
長宗我部と島津はしばらくないだろうね。
となると次の戦国関連の大河は三好と北条の一騎打ちかな?

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/02(水) 21:12:24 ID:fEmFvtnV
ないだろうけど
三好三代がいいな
之長 元長 長慶

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/02(水) 23:44:50 ID:02vHpTPJ
国史跡指定へ追加申請 藍住町、勝瑞館跡の一部
http://www.topics.or.jp/News/news2006072904.html

>「守護町勝瑞遺跡」として遺構を生かした公園整備を計画
これは観光史跡になるということなのかね?
だとしたら三好関連の史跡は少ないし嬉しいね。

136 :PcSmAP03:2006/08/03(木) 01:08:23 ID:djGRg9l+
四国の大名というイメージが無いですね。
畿内での勢力が凄かったんで。

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/03(木) 07:06:22 ID:d1ek7Oy2
>>136
四国を取っても経済的なメリットは無いけど、
畿内にはそれがありますからな。

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/03(木) 14:50:56 ID:ZZeon/Lu
所領は阿波と讃岐

畿内は堺からの収入が主でしょ

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 19:39:47 ID:GQhiWH7c
なんで十河は跡継ぎがいたにもかかわらず改易されたのかわからん

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 22:22:28 ID:shHcycK5
24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 21:48:20 ID:UsKt6jFV
兄貴は大物だよ 一級品
弟冬康だよ  一級品
末弟一存  一級品!
だけど息子は長治だよ三級品!

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 23:09:51 ID:oN3YS5BS
>>139
若干スレ違いだけど。
戦国期の武将で、関が原以降に大名として残った
四国出身者ってなぜかほとんどいないのだよね。

阿波、讃岐の細川、三好系もいないし、
土佐の長宗我部、一条系もいない。
伊予の河野、西園寺ともに消えて唯一、来島→久留島家が
残っただけかな?


142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/07(月) 01:02:19 ID:3NBb8+yN
>>139
生駒某の陰謀

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/07(月) 06:42:49 ID:xHPtcr8D
>>142
生駒と蜂須賀は三好狩りまでやったからなあ。
何か恨みでもあったのだろうか・・・。

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/07(月) 15:07:39 ID:FggHl6Cy
生駒親正ひどいな
千松丸は哀れ

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/08(火) 14:58:57 ID:GlL63NCG
長宗我部ヲタはやたら存保を目の仇にするけど
改易されたのが生駒の所為だというのを知らないからなんだろうな。

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/08(火) 17:47:20 ID:HkMZLUTr
それだけじゃなく、長宗我部側の軍記だと
存保は戸次川で仙石の指揮を支持していることになっているからね。
信親の仇みたいに思われているフシもあるんだろうな。
三好側の軍記だと存保も元親と一緒に反対している事になっているのだけど。

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/08(火) 21:17:57 ID:Gcf/5DBw
でも戦後一時的にでも千松丸が十河を継いで生駒が後見人になったってわけじゃないんでしょ?

存保が死んですぐ改易ってことはやっぱり
>>146みたいなのが秀吉の耳に入った
のかも・・

そんで生駒が旧三好勢が家再興を考え出すと面倒だから千松丸を暗殺




148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/08(火) 22:10:37 ID:Zwt4HBZk
十河存保の子供なんて系図と地元伝承を合わせれば数人いたことになるからなぁ。
どれがどこまで事実なのやら…。

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/08(火) 23:14:26 ID:V/B+Uuuu
>>147
改易されたのは確か千松丸が暗殺された後だったと思うけど。

俺は存保ほどの武将が仙石の意見に賛同したとは思わないが(とはいっても一緒に反対したとも思えない)
仮に賛同してたとしても三好と豊臣の関係は織田政権時代からだし
長宗我部との因縁も考えるとそのぐらいで改易になるとは思えないんだよな。

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 03:09:44 ID:13puMtTU
だよな
十河はもはや秀次の一門といってもいいわけで
存英の存在もあるし改易はないよ
信長横死で四国攻めは中止
援軍として送られた仙石はあっさり敗退してまた延期
結局大坂に逃げる羽目になって
やっと長宗我部討伐できたと思ったら九州でまた仙石がry
しかも改易
散々な扱われ方をされて
それでも最後は大坂方につく十河勢(´・ω・`)

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 07:23:05 ID:aEGv5TDN
>>150
お人よしだからさ。

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 11:27:03 ID:GeWVXUIP
>>150
秀吉の強い意向かもね。
軍事的/商業的に瀬戸内海の掌握を重視してたようだから。
伊予でも西園寺公広が戸田勝隆に謀殺されてるし、
病死と言われてきた河野通直も死因に不審ありという話があったりもする。

十河自体には水軍や瀬戸内との強いゆかりはないと思うんだけど
阿波三好系の血と言うのが邪魔だったのかな。
四国征伐の時点ではずっと織田、豊臣方だったから潰せないだろうし。


153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 15:43:32 ID:t6qXdi8+
167 :日本@名無史さん :2006/07/01(土) 07:24:30
>>166
全然違う。存英は、そもそも存保の嫡子ではない。
十河民部大輔存保は、秀吉に従うことでそのほかの讃岐の諸大名が軒並み所領を失う中で
唯一存続を認められたが、与えられたのは山田郡の二万石だけだった。
仙石久秀に従って絶望的な戦いに突入する際に、家臣数名に「おまえたちは早々に国へ
帰って、千松丸を秀吉公に見参させて、私が言った事をよく伝えよ」と言い残し戦死した。
嫡子・仙千代は生駒親正が預かり、九州平定後に存保の遺言どおり秀吉に目どおりして、
同情されたり「父にも劣らない」と褒められたりした。
しかし、まだ幼いため生駒親正預かりのまま、三千石がとりあえず与えられることになった。
しかし、帰国後すぐに食物を口に入れて吐血して死亡し、家臣たちは毒殺犯を捜査したが
見つからなかった。
讃岐の人々は、十河氏の旧領と家臣団を奪いたい生駒氏の仕業だと噂したが証拠はなく、
また存英は赤子にすぎないので十河家は窮地に陥った。
十河家旧臣たちは、廃絶され帰農または他家に仕えている香川氏、羽床氏、安富氏などの
讃岐の名門の子供の中から人物を選んで十河家を継がせたいと申し出たが認められることなく
十河家は廃絶となった。
山田郡の領民・旧臣はこれを悲しんで「命捨つるも子ゆえに廃れ、けなげなれとよ千松丸」
と唄って涙を流した。
そして、存保、千松丸の位牌は、十河家の旧領である十河城の傍にある浄土寺に祭られた。

生駒雅楽(親正)は奸智に長けた人物で、十河家旧領を押領するために、甥の大塚釆女を
使って仙千代を毒殺したとされる。
また九州討伐の際に、宮部・南条の軍に撃破され遁走した島津義弘を追撃しようとした
豊臣秀長を、兵法に詳しい尾藤知宣が諌めてやめさせた事があった。
尾藤知宣の判断が正しかったかどうかは別として、島津氏は逃走するフリをして敵を
誘い込む戦法をよく使ったため、特に誤まった諫言というほどのことはなかった。
しかし、「知宣のせいで島津義弘の首をとる機会を逃すことになった」との噂が広まり、
秀吉はこれに怒って尾藤知宣の所領を取り上げ追放した。
十河存保が死亡し仙石久秀が去って、讃岐に残る唯一のライバル・尾藤知宣を秀吉に
誣告したのは、讃岐一国支配の地位を手に入れたかった生駒親正の仕業とも言われている。


日本史板の三好スレのレスだが、
やっぱり生駒の仕業でFAだと思う。
秀吉が十河家を潰すメリットなんてないだろうし。

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 21:57:12 ID:13puMtTU
生駒も意外にやることやってるんだな


155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/10(木) 07:36:57 ID:dImYbYvd
生駒って普通の人かと思ったら・・・。

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/10(木) 20:49:53 ID:8uFWOhPZ
十河存英が存保の嫡子ではないことの説明が無いのが気になる。

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/11(金) 17:02:58 ID:nnFNLocG
存保の嫡子は千松丸でしょ

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 14:17:41 ID:vfkCscDO
http://nspress.com/contents/contents-b/1155199945.html

この大西元武って武将はやはり三好家の家臣なのかな?
どうして徳島じゃなくて愛媛なのかも気になるね。

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 15:24:04 ID:ikvzIPD7
大西氏が細川氏の家臣だったのは間違いないだろうけれど
三好氏の家臣と言えるような活動をしていたかどうかは知らない。
山間部の国人なので比較的独立性は高いだろうし、従属関係よりも
同盟関係にあったとしてもおかしくはないかも。

元々伊予の東二郡は細川氏が分郡守護として支配を確立していた。
そのため阿波と伊予の国境にいた大西氏は伊予の宇摩郡あたりには
影響力を持っていた、ということはある。
本拠地の白地で抵抗して滅ぼされた後に落ち武者が来てそれを祭ったとか
そういう謂れがあるのでは?

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 16:04:42 ID:/ztd8l/G
大西系図によると、元武の母は細川勝元の妹となっているそうだ
子?の頼武の母は、三好長慶の妹と
本当なら相当の名門だ

けど、阿波志によれば、大西頼武の子頼包は長宗我部に従うとあり、
系図の頼武は討死、子の頼晴は長宗我部元親に攻められ討死と矛盾

それから長宗我部に攻められ、伊予に落ちた説もあるみたい


161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 11:57:49 ID:jqLF8V6P
>>160
妹何人居るんだ?
利休の妻くらいしか知らない。

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 21:22:40 ID:aNoCMvZE
>>161
一般論で言えば親族衆や有力家臣の娘を養女にして嫁がせる例は
いくらでもあるので妹は無限にいるとも言える。


163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 23:09:11 ID:eRL+udP+
【謙信最強は創作】
謙信が戦国最強の武将(軍神)とされたのは、江戸時代の創作ですね。
武田の甲州流兵学が幕府公認となったので、紀州徳川家(頼宣公)が
上杉流兵学(軍記書)を宇佐美定祐に作らせたというのが最新の学説です。
臼井城攻めの失敗など謙信が敗北した合戦も、複数の史料で明らかになっています。

※謙信自身が敗北を認めている書状↓
 晴信年(念)を入れ、いかにも堅固ニしらわれ候間、落居さうなくつき堅候、
併馬を為寄候上者、善悪ニ不及候間、無ニセめへきそうふんにて、当月七日より
取詰候ヘ共、(中略)佐(佐竹)・宮(宇都宮)を始、弓矢かいなくわたられ候、
房州(里見)・太田いくさにまけ(第二次国府台合戦)候時よりも、たゝいまきうくつなんきニ候、
とかくこのたひハかた〜〜にあふへき事いかんなるへく候やと、心ほそく候間、
早くはりをやるへきために一昨夜ハちゝんをやり候ヘは、めのまえの者ともはらを
たて候て、うたてしかり候、これ又よきなく候へ共、さゆうなくゆたん候へ者こと
のひ候てきうしくちおしく候(中略)
 かいほつ又ろう人のうちに一両人ておい候、さセるきなくうすてニ候、返々
いつもよりかへり(帰り)たく候間、このたひハおつと(落ち度)あるへく候やと
心ほそく候、
永禄七年三月十三日                  虎(花王)
[三洲寺社古文書]


【上杉家の歴史】
上杉謙信が小田城を攻め落とした時、小田城下がたちまちにして奴隷市場に早変わりし、上杉謙信自身から差配して人の売り買いを行った。
奴隷の値段はひとりあたり20〜30銭の安さだった。

1561年(永禄4年)、謙信は関東管領の就任式で忍城城主成田長泰の非礼に激昂し、顔面を扇子で打ちつけた。
諸将の面前で辱めを受けた成田長泰は直ちに兵を引きいて帰城してしまった。
原因は諸将が下馬拝跪する中、成田長泰のみが馬上から会釈をしたためであったが、成田氏は藤原氏の流れをくむ名家で武家棟梁の源義家にも馬上から会釈を許された家柄であった。
だが、謙信は無知でこの事を知らなかった。
この事件によって関東諸将の謙信への反感が急速に高まり、以後の関東侵出の大きな足かせとなった。

上杉謙信は臼井城の原胤貞を攻めた際、数千の死者を出して逃げ帰っている。
これを機に由良成繁が上杉謙信を見限って離反。
長野業盛が武田信玄に攻撃により滅亡。
臼井城攻撃に失敗した謙信は
信玄に箕輪城を奪われ氏康に金山城を取り込まれてしまい
とうとう厩橋城までもが謙信の手からこぼれ落ちた
上杉家重臣の北条高広も上杉家から離反。
謙信の関東経略は失敗し北条家と同盟という救いの手に助けられる。

謙信の死後、養子の景勝(謙信の姉の子)と景虎(北条氏康の子)が後継者の座を巡って内紛を起こし、越後を二分した争いは天正7年(1579年)の御館の乱で景虎が討死する事により景勝が勝利した。
しかしこの内乱によって、上杉家家臣の新発田重家は離反し、柴田勝家率いる織田勢は能登や加賀、越中に侵攻して同地を1581年までにほとんど奪ってしまった。
つまり、謙信が築き上げた勢力は、この内乱によって完全に失われるとともに、上杉氏は大きく衰退してしまったのである

本能寺の変の直前には、柴田勝家が率いる方面軍に越中の城は次々と落とされ、
信濃からは森が、三国峠からは滝川がと、三方から侵略を受けて防戦も無理な状態だった。
新発田氏の反乱で越後国内はボロボロ。 反乱を鎮圧する力さえも残っていなかった。
景勝自身も死を覚悟しており、本能寺の変が無ければ上杉家は数ヶ月後に滅亡していただろう。

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 14:12:43 ID:ZsIQ2lOL
>>161
利休の妻は お稲 でいいの?
それとも小説の中だけ?

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 19:55:56 ID:hknbIDBl
>>164
勝姫じゃないの?

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 20:03:39 ID:BcAQfRBC
>>165
ちょっとそれは違うんでは?

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 20:21:17 ID:GWIzr6Kt
稲も勝姫も小説でしか見たことがないが、
何かの史料に記述があったの?

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 01:44:20 ID:83bgWxoF
よく長慶が「ちょうけい」
って読まれるんだがなんでだろう?

信長公記を「しんちょうこうき」って読むのは半世紀以上も後のことだし




169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 06:51:48 ID:iIdr6lUy
>>168
かつて高貴な身分の方の名前は音読みで呼ばれていました。
多分、それかと。

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 09:28:40 ID:CVq/b1me
長慶天皇の影響?

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 13:42:37 ID:8An1lEcU
ぶっちゃけ単に語呂がいいからだと思う。

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 15:36:42 ID:F2YBw/H/
>>170
江戸期→大正まで、即位したorいやしてないでもめてたほどの方だから
戦国期に知名度はないでしょ

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 17:09:01 ID:9+BBhxyn
>>172
戦国期に既に「ちょうけい」読みされてたの?

江戸期にはしっかり「ちょうけい」って書かれちゃってるね。

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 20:26:27 ID:3RdidINj
長慶天皇がいたから「ちょうけい」と読みやすい

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 03:05:06 ID:ibn3YDBW
そういうのは、避けるもんじゃないの?

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 03:31:04 ID:6n4uywvo
単に「ながよし」と読めなかった…とか

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 07:59:42 ID:LxK57JJa
復刊ドットコム< http://www.fukkan.com/ >より、新着投票・投稿のおしらせです。

■「戦国三好一族」(今谷 明)

【投票情報】(現在81票 復刊交渉開始まであと19票)
昨日1票の投票がありました。
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=13502



178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 08:03:03 ID:LxK57JJa
>>173
あの頃は、人名を音読みすることは多々あった。
漢文・漢詩も普通に通用していた時代だからね。
正しい読みを知りつつやっている場合のほかに、読みを知らずにやっていることもある。
また、手紙などに自らが親しみを込めて自分の名を音読みして署名したり、
主君が親しい家臣を音読みで呼ぶこともあった。


179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 10:36:53 ID:gC+YxcWA
まぁ、中国っぽく読む事が、貴人の証なのよね。
おそらく、中国人=貴人みたいな一種のコンプレックスみたいなものだったんだろうね。
今じゃそんなものは全然無いが。

例えば、明治の伊藤博文も年配の方(80才90才ぐらいかな)なら「はくぶん」って読むよ。

ただ、なぜ戦国期の人間で長慶だけが、音読みで残ったのかはまったくわからん。

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 11:31:36 ID:pRmHEDK0
信長の野望ではかなり有利に進むんだが、
この現実とのギャップはなんだ

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 16:14:57 ID:n7caQM+F
小野道風とか源頼光ぐらいしか思いつかない

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 14:43:51 ID:MS85cFmB
政長の人物評って、みなさんどうなの?

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 20:10:07 ID:G0g3vicS
長慶派からすれば仇だから、悪い奴ってことでしょう。讒言で元長を追い詰めた。

実際には茶人でもあったし、そんなに横暴ではなかったのかも。

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 05:15:03 ID:c5AvRxc4
>>183
>実際には茶人でもあったし、そんなに横暴ではなかったのかも。

松永久秀も織田信長も茶人ですよ・・・

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 19:39:43 ID:TDqRhNfm
じゃあみんな乱暴者だ!

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 20:22:58 ID:L3CS6keJ
むしろみんな乱暴者じゃないという見方をしようよ

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 15:20:08 ID:m1Tzt+JD
細川晴元からみれば、政長ー政勝親子は、頼れる存在だろうけど、
長慶から見れば、親の仇+宿敵だなあ

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 16:17:27 ID:uhIaAmI2
「細川両家記」によれば、政長が江口の戦いで討たれたとき
「天罰自滅と世上に申候也」とある。やっぱり良くは思われて
なかったんじゃないかな。死に様も無様な部類に入るし。

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 16:26:55 ID:7QqsVhkV
両家記の筆者が三好側の人間だから、
必然的に政長の記述は辛口になってしまいがちな気がする

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 16:27:41 ID:QcME/PCS
なんか三好長慶って政治を掻き回した悪役のイメージが強いんだけど調べてみると物凄いギャップだよな。
この人結構苦労したんだな〜。

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 16:49:45 ID:uhIaAmI2
長慶は戦国武将としては中途半端なところがあるね。実際江口の戦いでも
晴元の陣に弓を引くのは忍びないと言って、ぐずぐずしてると六角の援軍が
来るという状況下でも攻撃を躊躇っていたらしい。結局は長慶の命令を待たず
十河一存が攻めかかって政長を討つことになる。
まあ軍記物の記述だけどね。

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 16:51:06 ID:m1Tzt+JD
元長って人は、阿波勢を率い実力はあったけど、ことごとく周りと対立したから
茨木長隆、柳本賢治、木沢長政とか、加えて三好政長、晴元は別にしても
柳本は高国にやられるが、あとは順繰りに・・・

長慶は大した人物だと思いますよ


193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 16:59:58 ID:DnW+ah/s
畿内と細川氏の守護国である阿波、讃岐あたりでは多くの有力な国人領主が
それぞれの利害と過去の因縁でついたり離れたりを繰り返していたようなので
政治的にも難しかったんでしょう。
長慶が晴元の陣に弓を引けなかったのではなく、弓を引くと三好陣営が崩れる
可能性があったのかもしれないですしね。
晴元(或いは政長)は気に喰わなくても、三好長慶の一人勝ちは望まない勢力がいても
おかしくはないわけで。

その点、信長は畿内に近く、経済的にも恵まれ、なおかつ畿内勢力との因縁が比較的薄い、
とこれはすごく有利な条件が揃っていたんでしょう。

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 17:35:24 ID:uhIaAmI2
いや、長慶は前年(天文十七年)八月に晴元に対して政長討伐を
願い出てるんだけど、当然却下されている。にもかかわらず
挙兵したということは、長慶も腹をくくってたはず。晴元側に
とっては謀反と同じなんだよね。
事実六角定頼は細川元常や根来衆に出陣を要請してるし、長慶も
遊佐長教に応援を求めた上に松浦興信(肥前でなく和泉のほう)も
味方にして、翌年三月には柴島城を攻めて細川晴賢と政長を追ってる。
晴元も五月に香西元成に芥川城を攻めさせてるけど、これは長逸に
阻まれてる。だから江口の戦いの時点では両者は完全に敵対交戦状態と
言って良いんじゃないかな。
その状態で「晴元の陣に弓を引くのは・・・」と言うのは何か中途半端な
感じがしてね。


195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 17:48:46 ID:DnW+ah/s
解説サンクスです。

ただ、それでも双方の内部に、雌雄を決することを望まない勢力が
少なくなかったということはないのでしょうか?
先の逸話が事実なら、逆に十河一存のような急進派も居たのでしょうし。
長慶自身、反政長であっても可能ならば反晴元としては動きたくない面もあるということですよね?
軍事的圧力をかける事で晴元に政長を見限らせる、という選択もあるのかなと。

後年、近江に追った将軍家と和解してるのも、畿内にしがらみの多い
三好氏としての政権運営の限界と言う面もあるのかと思ったのですが。


196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 19:50:25 ID:YrSh8WiG
まあ、今は味方になびいている摂津の国人衆も、また事が起きれば離反する
可能性もあるし、一気に晴元を殺す、もしくは捕らえるというのに
迷いがあったのかも。いかに氏綱を擁しているとはいえ、急に畿内の
支配者に躍り出ると反発がなくもない。

ただ、この時点で晴元を何とかしておけば畿内はより落ちついたような気もする。

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 03:27:36 ID:wCClV4+q
戦国大名であって戦国大名に非ず(=中世的)っていう感じだよな、三好長慶。


198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 09:01:08 ID:qRTjxooU

 三好長慶 = 頭のいい毛利輝元



199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 09:15:06 ID:MoMX78hE
三好長慶は細川家の家宰、もしくは幕府の相伴衆といった立場を抜きにした、
既存権力を支配の根拠にするところからは脱せなかったと。
長慶を支えた四国の軍事力も細川家の守護権力を上書きするような形で
維持していたからこそ、長治は細川真之に殺されるといった結果になるのかと思うのですが。

個人的には三好長慶は戦国期の大大名ではあるけれども、
戦国大名ではないのかなと思いますです。

>>198
何が言いたいのかよくわかんね。

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 14:12:48 ID:eoGtQWJg
>>199
細川政元が足利将軍を廃さないのと、同じ理屈かな?
将軍家があっての細川京兆、細川あっての三好って
氏綱なんて、何一つ力のない、傀儡だったけどね

>戦国大名ではないのかなと
ここの部分(戦国大名って定義)は、あまり興味がありません
それよりこの人何考えてるのかな、の方が好き



201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 18:02:13 ID:+7v+RQKt
>>199
おれは戦国大名化って処に興味がある。
是非もっと語ってほしい。四国の領国化の作業は進めていたのか、とかね。

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 19:58:12 ID:CWYGZ/wi

  `¨ − 、     __      _,. -‐' ¨´
      | `Tーて_,_` `ー<^ヽ
 長慶   |  !      `ヽ   ヽ ヽ義賢
      r /      ヽ  ヽ  _Lj
 、    /´ \     \ \_j/ヽ
  ` ー   ヽイ⌒r-、ヽ ヽ__j´   `¨´
           ̄ー┴'^´

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 21:10:45 ID:F6M0tn20
>>199
>三好長慶は細川家の家宰、もしくは幕府の相伴衆といった立場を抜きにした、
>既存権力を支配の根拠にするところからは脱せなかったと。

そうだと思う。しかし野望はあった。だから氏綱という傀儡を担いで
後から糸を引きたかったのかもね。四国でも細川持隆を殺害して真之を
担ぐというのも、同じ流れのような気がする。

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 15:55:38 ID:tFnnQq9w
持隆って、元長を終始かばった存在だったんだけどね

義賢と持隆の対立って、

持隆が平島に義冬を迎え、畿内に入り将軍に推戴することを考える、義賢が反対し挫折→

持隆が密かに義賢討伐の策を巡らす→義賢が持隆を急襲、持隆自害→真之を擁立、実際は傀儡

そこまで計画的だったかな?


205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 17:12:39 ID:FgcfzHDV
復刊ドットコム< http://www.fukkan.com/ >より、新着投票・投稿のおしらせです。

■「戦国三好一族」(今谷 明)

【投票情報】(現在82票 復刊交渉開始まであと18票)
昨日1票の投票がありました。
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=13502

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 19:49:42 ID:FFxroZey
長慶殿に実際にお会いしてみたいものだ。

207 :名無しさん:2006/09/10(日) 05:45:09 ID:2ZM9CmC8
僕の好きなものは、讃岐うどんと、トマトと、ミルクティーです。

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 15:07:23 ID:/swreevv
>>206
長慶なら現代に生まれていても普通に通用しそうだよな。
むしろ現代とはいわんがもう少し平和な時代に生まれていたほうが活躍したような。

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 22:58:17 ID:0M6YlW4D
長慶の一生は波乱万丈だな。
武田信玄よりよっぽど楽しい大河ドラマになりそう。


210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 02:01:01 ID:44pdHsoy
>>209
同意だがベストセラー小説がないのが致命的だね。
勝瑞館跡が国史跡に指定されれば幾らかマシになるんだろうけど。

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 13:43:46 ID:WuFp06o1
面白いドラマになりそうですね
敵役は政長?晴元?それとも茨木長隆?木沢か?

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 20:09:38 ID:KJAAj+d3
まあ政長、晴元でしょう。晴元政権崩壊はかなりのクライマックスに
なりそうです。

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 00:25:44 ID:ej6vJYLA
勃興と衰退を一代で全部見れるのもいいな。
最後のほうまで父の仇と戦い続けるし、見所は多いと思う。
なんで小説のネタにならんのかねえ。

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 01:29:32 ID:wZh+dYpV
三好なんて誰も知らないからな。

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 02:16:04 ID:y24fZ6HV
子孫が大名家として残らなかったからか・・・orz
これだけの大大名で知名度低いのも珍しい。

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 17:32:10 ID:8pBxaMMO
之長と元長もせめて最後の場面だけは、入れてあげてください

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 15:15:51 ID:G1So1PK7
三好って何故か人気や支持が少ないが戦国時代の中でも
キーマンであった一族といっても過言じゃない

仮に長慶がいなければ畿内はどうなっていたのか?
畿内どころか日本の歴史は大きく変わっていただろうね
そもそも久秀が武将としていないかもしれないしね

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 15:28:27 ID:QuF6xbW1
将軍を殺したり傀儡政権にしたりしてるからな。
三国志で言えば董卓軍。自業自得というか。

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 16:17:40 ID:nRemlwKN
逆に言うが将軍(幕府)が三好に何をした?
それを考えればお互い様
幕府だからって何でも正当化して
何でも三好(松永に関しては何も言えん)の悪事に仕立てるのは如何と思うが
恩人である細川持隆の暗殺は何を言われても仕方ないが

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 16:33:23 ID:nV/eYGRk
「お互い様」と「自業自得」は並立するものであって排他ではないと思うのだが。

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 19:29:20 ID:nOMRbbFr
荒れるねえ、この話題。でも敗北者である晴元のほうが恨みは将軍家より
深いかも。これも元長を殺した自業自得って奴かい?

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 19:42:11 ID:Sa/ZIBBI
自業自得というより因果応報だろ

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 19:59:57 ID:WenB63Xn
>>218
おー上手い表現ですね。
確かに三好は董卓のポジションですよね、すると松永は呂(ry

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 23:12:12 ID:2zYND4j6
>>223
董卓のような教養のない下劣な武将と何処が似てるというのか
まだ「頭のいい毛利輝元」の方がしっくりくる


225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 23:36:42 ID:TeOu2Euu
>>224
董卓が教養のない下劣な武将ですって?
もう少し勉強してこい。

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 00:04:12 ID:3A6Twup1
>>225
君こそ文化人としての三好長慶をもう少し勉強してこい
それとも董卓が長慶の他にも実休、冬康、笑岩、宗三、義弟に千利休など
戦国でも屈指の教養人揃いの三好氏と肩を並べられるほどの人物あるいは一族だったのかね?

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 00:49:25 ID:/d/fxqXj
戦国時代板で話する上で董卓の勉強する必要なんてあるのか?

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 01:01:19 ID:d5n/g2R7
知らないのに批判するなって事でしょ。董卓は宦官による政治の腐敗を一掃しただけだが、やり方がまずかった。
三好も思いっきり逆臣扱いになってるし、似てるは似てる。

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 11:24:54 ID:+8fru+nW
気持ちはわからんではないが、個人的には国が違うし、時代も違うし、
比べるのには抵抗があるなあ。まあ好きな人は好きなんだろうけど。

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 20:48:10 ID:PdN5q12G
みよしちょうけい。
名前がいいね。間違いだと思ってたら
チョウケイでもいいんだね。

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 20:54:24 ID:roAJfZQW
十河一存、落馬事故に遭わなければ…。

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 21:37:42 ID:3Lk9NKt8
義興の息子達はどうなったの?
義資とか。

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 01:08:36 ID:/Vkkcdnc
>>232
左京大夫を名乗っているけど、そこから先が見つからない。義資に関する文献は
全く無いし、ググっても列伝も何も出ないし。
そもそも、義継が若江で散った後になんで義資では無く、長治が継いだんだろう?
義資こそが三好宗家最後の生き残りじゃないの?

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 04:45:56 ID:lBzs9ie3
三好は石山本願寺とはどういう関係だったの?

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 07:17:21 ID:f0h9pcpq
>>234
信長包囲網まではかなり険悪。
長慶をはじめ、一族全員法華宗だったから。

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 08:49:09 ID:OciBGi9F
三好元長が細川高国を討つ
晴元が一向一揆に三好元長を討たせる
京の法華一揆が山科本願寺を焼き討ち(石山に移転)

という流れのようですね。
こうしてみると長慶政権と本願寺とは対立してたろうなと想像がつくし、
逆に将軍を追放しても京都を押さえられたのも納得ですな。


237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 09:07:21 ID:lBzs9ie3
後の石山10年戦争を考えれば初期の本願寺はそれほど力なかったのかね。
まあ信長の場合は敵対した大名家の残党が多く含まれて肥大化したんだろうけど。

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 11:19:19 ID:BBACWM2T
本願寺の贈答関係の資料を見てると、険悪ということはないように見えるけどね
他には長慶が若年の頃に一揆勢側について晴元に反抗していることもあったし、
篠原長房の後妻が本願寺関係者ということもあるし

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 02:00:06 ID:Pd2mLW63
長慶は禅宗だが?
何か?

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 07:33:56 ID:Yjiy4gon
>>239
法華宗でしょ?wikにあったよ。
ところで、三好三人衆が長慶を暗殺したってどこから出たんだ?
三人衆は少なくとも長慶が生きている間は忠臣の部類に入ると思うが。

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 11:38:47 ID:nj287S2j
wikiかよ。

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 07:50:53 ID:6ZdPsswD
義興って有能だったのかな?
義興が若死せず、長生きしてたら、変わってたかな。

243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 08:31:12 ID:zRSb57d3
お父ちゃんがボケんで済んだのは確かでしょうね

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 13:55:55 ID:ODK/6SPi
>>242
義興が生きていれば冬康の暗殺は防げただろうね
それに足利義輝と友好的だったから、信長に上洛の隙を与えなかったかもしれない
これだけで家にとって大きいんじゃないかな
ただいつまでもそれに甘んじていたら、やや平凡な二代目で終わりそうな気もする

あと久秀の目付け役として長頼がいればと思うんだけど
そういえば将軍暗殺の時、長頼って何をしていたんだろう?

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 15:03:31 ID:J1nlWWvq
>>237
初期っていつ頃をさしての初期?

246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 17:35:34 ID:pSvcRIAj
>>244
〜丹波黒井城in1565〜

三好軍は1558年に丹波を失ったが、失地回復とばかりに勇将松永長頼を大将に、
大軍を率いて丹波に侵入。丹波の中心八上城に迫る勢いであったが、その手前の
黒井城に三好軍は攻めかかっていた・・・。

長頼「はっはっは!丹波国人衆なぞ我ら三好の敵にあらず!勢いに乗って
   このまま敵城を陥落させよ!」
家臣A「ははあっ!」

突如、鴇の声が上がる。

家臣B「て、敵襲だーッ!ぐえっ!」
赤井直正「敵将はいずこぞーッ!」

一瞬の油断であった。そこを突いて、赤井軍は本陣めがけて突撃を敢行。
三好軍は数が仇となった。三好軍は統制を失い、総崩れとなり、退却も
ままならぬ状態となり、惨劇が起こった。

長頼「あわわ、撤退じゃあ〜」
直正「そこかッ!」
長頼「ひええ〜っ」

こうして松永長頼は49年の生涯を終えた。この数ヵ月後、兄久秀は前代未聞の
大逆を起こす事になる。そして、赤井直正は十数年後に織田の軍勢と何度も
会い見えた末に、戦死する・・・。

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 18:12:06 ID:COBTKEPD
> この数ヵ月後、兄久秀は前代未聞の
> 大逆を起こす事になる

何の事?
足利義輝のほうが長頼よりも先に死んだんじゃなかったっけ?

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 18:19:36 ID:mbw2SiaS
>>240
>三人衆は少なくとも長慶が生きている間は忠臣の部類に入ると思うが。
「足利季世記」では久秀、政康が吉成勘助という将に命じて冬康を飯盛山城中において殺害した
と書いてあるよ。

そうえいば政康って政長の子で政勝の兄って説があったね。
もしや・・・


>>247
俺もオモタ。

249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 21:29:32 ID:DTUnYNwT
三好長慶
法名:聚光院殿前匠作眠室進近大禅定門  
墓所:京都市北区の大徳寺聚光院三好宗家の菩提寺は大徳寺。
南宗寺
三好長慶(みよしながよし)が父の菩提を弔うため、弘治3年(1557年)、
大徳寺90世の大林宗套を開山として創建したものである。

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 21:48:59 ID:Fqoyiz0Y
赤井直正は病死。

251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 19:03:56 ID:bdbNu1T0
復刊ドットコム< http://www.fukkan.com/ >より、新着投票・投稿のおしらせです。

■「戦国三好一族」(今谷 明)

【投票情報】(現在83票 復刊交渉開始まであと17票)
昨日1票の投票がありました。
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=13502

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/28(木) 00:36:09 ID:yo+n/5rc
バレーボールVリーグ男子に昇格した三好EKG大分は27日、公募していた新チーム名が
「大分三好ヴァイセアドラー」に決まったと発表した。
「ヴァイセアドラー」はドイツ語で「白いワシ」の複数形。
また、選手兼任監督に、廃部した旭化成でコーチ兼任選手を務めていた増成一志氏(44)が就任した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060927-00000101-jij-spo
三好循環器科EKG
http://www.geocities.jp/volley344/
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1159366092/

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 22:45:18 ID:XYdHPRgB
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1145257647/l50

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 17:14:34 ID:3wJPbwBR
そろそろ義興について 語 ら な い か ?

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 14:50:11 ID:rK7cnoWk
いいけど、義興の具体的な活躍ってどんなことがある?

256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 17:10:07 ID:zTd5T0ge
>>255
やはり、教興寺合戦。
飯盛城を囲まれ、京を失い、長慶の命運ここに尽きたかと思われた時、
義興が六角と畠山を各個撃破して、劇的な大勝利を収める・・・。
ただ者では無いと思うけど。

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 00:43:19 ID:8dFLvkIg
超遅レスだが
>>102
ヨシオキが嫁と一緒に東大寺へ長慶の病の平伏を祈りに行ったって話、


そんな記録があったんすか?
自分は普通に山田風太郎の創作と思ってたんだが。

258 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 16:26:10 ID:3oL68KsB
三好家って
何であんなに同属内で養子縁組してるの?

259 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 17:35:02 ID:p/0xe5EK
>>258
結束を強める為じゃないの?

260 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 01:40:44 ID:aTDBwglL
三好義継の倅二人の子孫が今もどっかの(讃岐付近の)島に続いているらしい

261 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 02:30:53 ID:Tcg3DlEU
>>260
それは恐らく伊吹島のことだと思われる
その子孫の方はHPも立ち上げてるし
三好ファンなら知ってる人も多いんじゃないかな

長慶会の情報とかはあのHP以外では乏しいので貴重なHPだね

262 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 16:36:50 ID:rmF8y+lW
このスレでは既出かもしれないけど
何気に堺市のサイト見てたら、南宗寺が再開発というか文化観光再生プランとか言うやつで名前挙がってた
家康が南宗寺で実は死んでたよーとかいうアノ説で盛り上げようって…
なんでまた三好よりトンデモ風説の徳川なのか
知名度か?知名度だっていうのか?
そんな地味な地味様が好きだなんだがカナシス

263 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 19:21:11 ID:fg/2NYvr
悲しいことだが大坂には余り期待しないほうがいいのかもね
徳島で来年の秋に「戦国三好フェスティバル」というのやるらしいし
徳島に期待しようぜ

264 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 21:37:24 ID:621LFiZt
信長の最大の敵は三好だった樹ガス
武田や浅井・朝倉は後の徳川史観で過大評価されたような、三好との戦い
で東照宮は参加してました?

265 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 23:23:24 ID:WYDIaZG9
朝倉は織徳のせいで過小評価されてるんだが。
あと、信長畿内進出時の三好は統率者が居なくて豪族の寄り合い同然だろ。
義継が信長に単独で下るような難解で混乱した体制。

266 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/12/11(月) 23:36:02 ID:moxNea+u
三好という勢力は、常に一つではないという印象がある。

267 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 23:59:56 ID:HhRxqRIj
>>265
朝倉は内政面は中々だったらしいな
実際のところ大内義隆にやや劣るぐらいの評価が妥当だろうか
まあ>>264は姉川のことをいいたいのだろうけど
姉川と比べて野田・福島の戦いは地味だしね

268 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/12(火) 11:37:48 ID:6Ic150jy
最大の敵というにはあっさりやられすぎのような気がする。

>>266
三好元長VS三好政長 三好長慶VS三好政長 三好長慶VS三好政勝
三好三人衆VS三好義継VS松永久秀

・・・かな?正確には政勝はゲリラ活動がせいぜいで、対抗勢力とは
なりえなかったけど。三人衆とかは義継がついたり離れたりで、
三好勢力の一つではない印象を強めているなあ。

269 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/12(火) 20:25:07 ID:SbXXPuHO
信長の最大の敵というのはやはり本願寺が相応しいだろうね

>>268
大坂の陣も含めてもいいなら
三好政康VS三好政勝
も入るね
直接争ったわけではないけど

270 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 13:13:28 ID:XUIG9qKZ
戦国三好盛衰記がヤフオクに出てるね
自費出版で余り出回ってないから興味ある人は買ってみては

271 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/25(月) 06:23:32 ID:cevDkElz
日本初のクリスマスをやったのは長慶様って聞いたけど、本当?

272 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 18:41:47 ID:MWYaW26+
>>271
大内義長じゃないのか?

273 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/01(木) 22:53:53 ID:4RBMeuJ2
2月4日の「おーい、ニッポン」が徳島だな。
写真家の三好和義が出るらしいが関連があるのだろうか?

274 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/01(木) 22:55:02 ID:q8dOfLbu
みよし

275 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 00:42:55 ID:gb8gvCcT
>>273
「僕自身に関しては、戦国武将の三好長慶の血が
流れているかもしれないなんていう話があるみたい。
だからもしかしたら、僕自身の美意識の中には、
風流を好み、唄や茶を好んだという三好長慶の美意識が流れているのかもしれないよね」
http://www.raichosha.co.jp/mm/00011.html

本当かどうかはわからんが、そうだったら楽しい話ではある。

276 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 22:35:42 ID:uCvaU8M7
朝陽丸も子孫なのか?

277 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/03(土) 22:49:06 ID:4O4+QpId
NHKの四国スペシャル「吉野川 飛行船の旅」よかった
飛行船から見た旧三好領メッサキレイだたよ


278 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/04(日) 01:32:17 ID:IDjfSh7m
おーい、ニッポンがいよいよ今日だけど
阿波踊りの企画をやるなら存保のことも少しでいいから触れry

国民文化祭の時期に放送されれば面白かったんだけどなあ

279 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/04(日) 23:01:10 ID:B+Au0qKV
「笑岩」の名の由来が気になって、10数年。。。

280 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/06(火) 17:55:11 ID:7q6sKDV/
康長の死亡時期が気になる。
存保が戸次川で戦死して千松丸が跡を継いでその千松丸も暗殺され
改易されたことを考えるとその頃には康長も死んでいたのかな。

戦国三好盛衰記だと康長が戸次川のことを語ってるんだよな。
構成上仕方ないのかもしれないけど。

281 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/06(火) 18:31:14 ID:cjpK3C3s
>>280
千松丸は十河存英の兄になるの?

282 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/06(火) 19:09:22 ID:7q6sKDV/
>>281
多分そう。
年齢の差はよく分からないけど
存英が1575年に生まれて戸次川の戦いのときに存英が12歳前後だから
千松丸は13歳前後くらいで暗殺されたのかな。
元服目前で無念だったろうね。

283 :人間七七四年:2007/02/16(金) 03:33:04 ID:3N2F+sAp
播磨との関連のことについてだけど
1555年には長慶らが明石城と三木城を落として
明石氏と別所氏は三好家の軍門に降るというのが事実だと思う
このことは『細川両家記』にも載っている

だけど別所安治のwikiや光栄の武将ファイルだと
三好側の攻撃を撃退していることになっているんだけど
どうしてなのだろう?

284 :人間七七四年:2007/02/16(金) 07:17:09 ID:5eNgiTJa
>>283
烈風伝あたりまでは安治は三好家臣となっていたんだけど・・・。
肥は信用ならないね。コロコロ変える。

285 :人間七七四年:2007/02/16(金) 15:58:47 ID:3N2F+sAp
光栄はやはり三好を冷遇しているのだろうか?
播磨関連も勿論そうだけど
どの作品でも八上城は三好領になっていないし
能力も全体的に低いような

あとwikiも別所側が間違っているってことでいいのかな
色んなサイト見ていると三木城は落としていないってサイトもあるのが気になるけど

286 :人間七七四年:2007/02/16(金) 16:07:37 ID:5eNgiTJa
>>285
なんで三好は冷遇されるんだろ?
後領土云々なら、伊予の一部も。

287 :人間七七四年:2007/02/16(金) 16:24:15 ID:3N2F+sAp
>>286
名声も低いよね
当時知らなかった人などいないだろうに

史板のスレで拾った情報だけど
「黒田三十六計」に清康と存保が出たらしいのだけど本当?
あっちは人大杉だからなぁ

288 :人間七七四年:2007/02/16(金) 16:28:50 ID:L++V3aXV
別所は従属したって以前に本で読んだな。
wikiは・・・嘘半分だと思っといたほうがよろしいかと。
同時期に同じくらい関東で勢力をはった後北条にくらべても、
滅んだのが早いからなのか、どうも知名度低いのがね。

最近のコーエーゲームが手元にないから実際は知らないけれど
話を聞く分には、長慶の能力値はかなり良くなってるが講談補正のある人物には劣るとか。
一門を始め、家臣団がやばいくらい低いそうな。
伊予あたりについては、そこまでの城の数をコーエーが用意してないってのもあるんじゃないか。
そんな低評価から反発して一部で高評価されてる長慶だけど、
日本史板あたりではやや過大なんじゃないかとの意見も出てるよ、最近。

もうそっとしておいてほしい・・・コーエーは地味様に触るなと。

289 :人間七七四年:2007/02/16(金) 16:31:22 ID:R3gGwOa6
>>287
ああ、それ書き込んだの自分だわwあっちは今人大杉なのか。

今月の「黒田三十六計」にしっかり出てたよ。
清康は出た途端に殺された。見た目はおっさん。
存保は見た目も若々しくて好青年風。とても好意的に描かれていたよ。
でもこの作者、安宅と三好の関係をわかってないのか?という感じだった。

290 :人間七七四年:2007/02/16(金) 16:45:01 ID:3N2F+sAp
>>288
一応言っとくけど
名声って最近の信長の野望である家のパラメータのことです
実際の知名度が低いのは勿論同意

あと本当に史板のスレで過大って言われてるの?
歴ゲー板の過大過小スレでは過小の意見が大半なんだけどなぁ

>>289
情報トンクスです
出た途端に殺されるってやっぱり扱いは酷いねw

291 :人間七七四年:2007/02/16(金) 17:09:55 ID:JQS/fe0r
っていうかそもそもゲーム引き合いに出されてもなぁ。

本気でコーエーの間違いを正したいにせよ単に愚痴りたいだけにせよ
板違いじゃないかと思うのだが。

292 :人間七七四年:2007/02/16(金) 17:34:07 ID:3N2F+sAp
>>291
別にゲームは三好過小の氷山の一角の過ぎないってことでしょう
・別所関連の認識
・実際の知名度
・漫画での扱い
それに加えゲームも過小というのがここまでの流れ

そこまで硬くならなずともいいでしょう
そもそも御自分は何を語りたいの?

293 :人間七七四年:2007/02/16(金) 17:37:20 ID:3N2F+sAp
訂正

×氷山の一角の

○氷山の一角に

294 :人間七七四年:2007/02/16(金) 17:48:15 ID:L++V3aXV
>>290
そんなパラあるのか。
関西で三好は知名度そこそこ高いと言う意見も見たが、
京都在住だったこともあるけれど、そうは思えなかったなー。
それから、日本史板の評価といっても学説通説の話ではないんだ、残念ながら。
歴史ゲー絡みでの愚痴含む巷の評価が反動のせいで評価高すぎないか?と。
とはいえ、まだまだ過小とももちろん言われているよ。

今年の秋は徳島行くかな

295 :人間七七四年:2007/02/16(金) 18:34:19 ID:Retjey3L
>>294
そもそも三好氏は阿波の出だから、今の畿内で知名度はないような。


296 :人間七七四年:2007/02/16(金) 18:49:44 ID:R3gGwOa6
関西で三好の史跡を回っていると、
研究者や子孫以外でこんな所に来るのは珍しい、というような対応を何度もされた。
それを見てると、やっぱ一般的な知名度は低いと思うよ。
メジャーなら人も結構来るだろうしね。
メジャーになって人が来たら来たで、今度は変な人も来るから大変らしいけど。

297 :人間七七四年:2007/02/16(金) 21:10:26 ID:3N2F+sAp
別所のことについても一段落がついたので
久しぶりに適当にググってたらあるサイトが目についた

ttp://blogs.yahoo.co.jp/houzankai2006/27305433.html
こんなこと思ってるのが一般人だと思うと悲しくなる
そもそも幕府排除を想定して天下を狙っていた人物なんて
信長くらいしかいないだろうに

本当は個人のサイトを晒すのはよくないと思ってるが
これは酷すぎる

ttp://blogs.yahoo.co.jp/houzankai2006/27428580.html
反対に足利義輝については悲運で終わらせている
足利が三好側の和睦を何度も破ったことや幕府の権力を返したことはスルー

こういう考えの人がいる限りは知名度上昇は厳しいだろうな

298 :人間七七四年:2007/02/16(金) 21:19:52 ID:+sTNbBNg
悪い意味での知名度は上昇しそうだがな。

299 :人間七七四年:2007/02/16(金) 21:27:22 ID:5eNgiTJa
>>297
三人衆を無能とは何事よ?
ちょっと反論してきて良い?

300 :人間七七四年:2007/02/16(金) 21:34:52 ID:O/1MDOBM
>>299
やめとけって、こんなのまともに相手にしても無駄だろう
内容の下らなさ、知識のなさを鼻で笑っておけばいい

301 :人間七七四年:2007/02/16(金) 21:41:56 ID:0T+QJ/Ty
>>299
実際はどうあれあんまり有能に描かれることは無い罠。


302 :人間七七四年:2007/02/16(金) 21:51:32 ID:3N2F+sAp
三人衆は過小揃いの三好家の中でも本当に不当な評価をされていると思う(次点は長房)
織田信長がいなかったら〜のスレでも
三人衆が久秀に勝つ寸前だったことを知らない人が多かった
今川派からは上洛前提にされている始末

303 :人間七七四年:2007/02/16(金) 22:00:50 ID:5eNgiTJa
>>300
だけど、好きな武将達を散々こき下ろされるのは悲しいなあ。
捏造と脳内妄想まで入っているし。

>結局は石山本願寺や足利義昭の後ろ盾がないと、やっていけない程度の人物だったのかなぁ・・・
>とかなり厳しい目で読んでみました。

>>301
そうは言っても三人衆がいなければ、畿内を席巻するのは無理だったでしょ。

304 :人間七七四年:2007/02/17(土) 00:06:10 ID:ohA7sNuI
>>297
そのサイトはともかくとして。
三好政権は実は「将軍の存在を前提としていない」政権であったとする論文だか本だかがあるそうです。
三人衆も義輝を殺した後に将軍を立てる気は当初はなく、三人衆に敗れた松永久秀が義昭を擁立しようと
する織田と結んだため、対抗上義栄を担ぎ出したのだと。

305 :人間七七四年:2007/02/17(土) 15:32:07 ID:Y9YOCqTB
>>297
KOEIゲーしか歴史に触れない人間の認識としてはあんなモンだろうな。
そういう意味じゃ大多数のイメージはあんな感じなんでは?

306 :人間七七四年:2007/02/18(日) 06:54:32 ID:HfNrQjyF
http://www.pref.tokushima.jp/tegamiFAQ.nsf/02e3974f5f282dc149256cdb002d6e0e/81b99a31f7abeb8a4925725200051d4c?OpenDocument


三  好  始  ま  っ  た  な


国民文化祭の成功が第一条件だけど

307 :人間七七四年:2007/02/22(木) 14:05:54 ID:gF51wDqT
なんか全然国民文化祭の話題が続かないな
うまくいけば大河化に一歩近づくんだしもっと関心持ってほしいな

あと3月10日、11日に勝瑞城シンポジウムをやるみたい
http://www15.ocn.ne.jp/~shouzui/simposium.htm
赤沢氏って初耳だな

308 :人間七七四年:2007/02/22(木) 14:57:45 ID:zndSepVD
>>307
「赤沢宗伝」の話でもするのかな?

309 :人間七七四年:2007/02/22(木) 16:44:02 ID:y06KM6B7
大河なぁ・・・ガックリものに仕上がりそうだから徳島県には悪いが勘弁してほしい。
長慶主役となると、
合戦シーン多すぎ。
小説などでそこそこ人気ある将軍が敵に回る。
最終話が、めでたしめでたしとならない、むしろ次回を期待したくなる緊張度。
小説「三芳野の花」だと、松弾が美味しいところさらってく。
資料率王の信長・秀吉・家康が絡まない。
ネック大杉。

310 :人間七七四年:2007/02/22(木) 16:44:58 ID:y06KM6B7
↑資料→視聴

311 :人間七七四年:2007/02/22(木) 18:22:33 ID:gF51wDqT
>>309
だからこそ国民文化祭での成功が鍵になってくるんでしょ
幸いにも徳島には他に候補に挙がるほどの人物はいないし
徳島県民だけでも見てくれるような環境にできたら御の字

内容についてだけど
最終話は長慶の死から始まって、政康を大坂の陣で真田辺りと絡ませて締めればなんとかなりそう
信長は上洛してるし1,2話くらいは出られるでしょう
確かに将軍は三好より人気は高いが一般人に影響するほどのものでもない

逆にチャンスと考えるべき
有名にさえなれれば教科書に載れるほどの実績はあるし
ゆとり教育だって再考されている

いつまでも資料集とかで
細川→三好→松永
の扱いを受けるのは御免
そもそも久秀は三人衆に追い詰められてたんだからこの表記は捏造同然

312 :人間七七四年:2007/02/22(木) 19:03:30 ID:Kh6S/rMu
熊本には資料館などで無料で見られる
三池崇史が村おこし用に撮影した肥後国衆一揆の映画があるんだが、
(俳優は原田芳雄、布施博、遠藤憲一、北村一輝等で豪華)
そういう感じでなら作れないものかな?

313 :人間七七四年:2007/02/22(木) 19:18:07 ID:y06KM6B7
>幸いにも徳島には他に候補に挙がるほどの人物はいないし
頼之・・・

314 :人間七七四年:2007/02/22(木) 19:22:45 ID:Cb8QrobH
大河ドラマ 三好長慶

第一話:懐の幼君

元長が政長にハメ殺された時、長逸が五兄弟を連れて阿波へと落ちてゆく・・・

315 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2007/02/22(木) 19:22:56 ID:bjCdCLkb
>幸いにも徳島には他に候補に挙がるほどの人物はいないし
阿波武田・・・

316 :人間七七四年:2007/02/23(金) 13:57:24 ID:1kI3frIJ
>幸いにも徳島には他に候補に挙がるほどの人物はいないし
平島公方・・・

317 :人間七七四年:2007/02/23(金) 16:51:34 ID:0ZlEScaT
>幸いにも徳島には他に候補に挙がるほどの人物はいないし
小笠原氏・・・

318 :人間七七四年:2007/02/26(月) 12:30:13 ID:BtrDWkdr
徳島って何気に有力な歴史上の人物多いよな

319 :人間七七四年:2007/02/28(水) 00:31:00 ID:9CELv35w
邪馬台国は阿波だった。

320 :人間七七四年:2007/03/04(日) 21:41:56 ID:Ht4dvUVn
新人物往来社の「天下取り採点 戦国武将205人」
とかいう割と古めの本で長慶が酷評されてた

戦は兄弟との結束が大きかった(笑)
政治は松永久秀による依存が大きかった(苦笑)
とか滅茶苦茶すぎる

今でもこんな糞本発行するくらいなら早く戦国三好一族を復刊させろよ

321 :人間七七四年:2007/03/04(日) 22:58:33 ID:hRo2TCI+
間違ってはいない罠

322 :人間七七四年:2007/03/04(日) 23:35:57 ID:Ht4dvUVn
馬鹿馬鹿しい
それなら大名なんて評価できないね

江口では総大将として全体的な兵数では劣勢ながらも勝利
鳴滝では弟達なしに加え僅か500で細川軍に勝利

久秀なんて奉行にすぎない
段米・棟別銭の賦課、七箇条の掟、京の治安維持、裁判権、堺関連などを
全て久秀が考案したわけじゃないのに何が依存なのか
それに久秀は長慶だけでなく伊勢貞孝や今村慶満とかの功績も吸ってる気がする

323 :人間七七四年:2007/03/04(日) 23:48:03 ID:X9TSMzX4
久秀に関しては、関銭などを取り放題で私服を肥やし放題だったと書いているのも見たことがあるが、
その論理でいくなら今村慶満や十河一存にも同じ事を言えと思う
久秀伝説の尾ひれのつき具合は酷いな、悪い意味で過大評価されすぎだ

324 :人間七七四年:2007/03/05(月) 13:08:54 ID:3Z9ZzwSR
>>320
監修とかその辺も大きいけど、新人物往来社ったら史学関係では評判悪いから。
ちょっと古いっていつ頃の本よ?
今谷氏以前は、畿内は黙殺されてた地域だし

久秀に関しても史実が明らかになってきたのは極最近だしね
長江氏だって、三好家宰として相当の権限があったって著書に書いちゃうくらい
イメージ先行とか、ネタにしやすい話とか誇張されるのも仕方ないかもな

325 :人間七七四年:2007/03/06(火) 18:30:50 ID:Ay/SbfAV
>>324
その本は1998年の本のようだ

松永スレで最近発売された「松永久秀の真実」という本の情報があったが
その本でも持ち上げられているとかなんとか

326 :人間七七四年:2007/03/07(水) 23:41:08 ID:VbKlcxuM
久しぶりに三好関係について調べてみたが…徳島はなんか盛り上がってるようだな。
三好の大河はぜひみてみたい。
堺市民としても応援する。

久しぶりに南宗寺に行ってくるか。
それにしても現在の堺での三好の知名度の低さよ…(つД`)

327 :人間七七四年:2007/03/07(水) 23:58:57 ID:RZV0PUb6
>>326
堺ウラヤマシス
ついでに実休の妙国寺、政勝の善長寺にも行くといいよ

328 :信長の野望 武将風雲録より(一部):2007/03/08(木) 10:13:00 ID:lyV1Ne61
左から  政治_戦闘_教養_魅力 の順番 (興味ある人だけどうぞ。スルーしたい人はスルーで)
                 ※AA=100
三好長慶 79 65 85 84
三好長逸 69 54 71 69 → 69 70 71 69
三好政康 52 67 69 65 → 65 69 70 65 → 65 83 75 AA
三好義賢 72 71 70 75
三好義興 43 29 69 69 
三好義継 42 55 54 52 → 44 56 58 59
三好長治 28 42 58 61 → 30 42 60 61
三好康長 64 63 65 62
三好政勝 28 91 70 AA(登場1582年 恐らく三好伊三入道の扱い?)
安宅冬康 51 65 72 65
安宅信康 53 57 60 58
安宅清康 49 62 58 60
松永久秀 83 71 82 79 → 84 72 83 79 
松永久通 56 39 62 55 → 56 40 63 55
十河一存 48 78 62 69
十河存保 31 69 58 61 → 50 79 62 70

329 :信長の野望 三好長慶のみの評価(一部):2007/03/08(木) 10:20:57 ID:lyV1Ne61
将星録:政治91 戦闘66 知謀88 足C 騎C 鉄D 水D 商建外登

革新:統率91 戦闘67 知略92 政治94 義理15
   足A 騎C 弓B 鉄C 計略A 兵器A 水C 築城A 内政A

天下創世:政治84 統率65 知略82 教養77 義理15
     槍衾・2 鼓舞

引き続き興味ない人はスルーで

330 :人間七七四年:2007/03/08(木) 18:17:25 ID:eUGHPpez
風雲録って三好からすれば完全な黒歴史
信長以前に活躍した武将って大体過大と言えるほど能力が高めなのに
三好は昔から例外となっている

こうして見ると大分マシになってるがまだまだ弱いな
長慶が久秀より能力が高くなったのが唯一の救いか

331 :人間七七四年:2007/03/08(木) 21:37:28 ID:9Dp9FlR8
三好がいたからこそ信長が天下取れたと思ってみる。

332 :人間七七四年:2007/03/08(木) 21:39:01 ID:9Dp9FlR8
実際信長は天下とってないけど
と自己ツッコミ。

333 :人間七七四年:2007/03/08(木) 21:51:13 ID:gbK+oJoo
肥の三好嫌いには理由があるんだろうか?

334 :人間七七四年:2007/03/08(木) 22:02:23 ID:5YZOxxU3
>>333
結局のところ、信者が少ない大名家の能力というのは悲惨になるのかと…(つД`)
実際今川家あたりも血行悲惨だしなw

335 :人間七七四年:2007/03/08(木) 22:35:24 ID:eUGHPpez
光栄がどう思ってるかは今後の無双シリーズでの扱いで分かりそうだな
キャラ設定のあるゲームだし

>>331
一時的とはいえ将軍から頼りにされたのは大きいよね
こっちは大義名分がなかったから畿内制圧という点では長慶のが苦労していると思う

336 :人間七七四年:2007/03/09(金) 07:27:39 ID:ShdVM/zH
>>334
頑張って周囲に布教してみるか?

337 :人間七七四年:2007/03/09(金) 09:25:08 ID:BwKhu1+5
ディオゴ結城「福者」に 阿波出身、江戸初期に殉教

《パウロ三木》「日本二十六聖人」の一人。阿波の戦国大名・三好氏に従った武将三木半太夫の
子。父の影響でキリスト教に入信し、イエズス会の宣教師となる。キリスト教を危険視した豊臣秀吉
の命で捕らえられ、1597年、信徒ら25人とともに長崎で処刑される。1629年、列福され、186
2年には聖人になった。徳島市内のカトリック徳島教会はゆかりの教会として、名称に「聖パウロ三
木」の冠を付けている。
http://www.topics.or.jp/contents.html?m1=2&m2=3&NB=CORENEWS&GI=Kennai&G=&ns=news_11730583017&v=&vm=1

>>336
それはやめといたほうが・・・
逆にアンチが増えそう・・・

338 :人間七七四年:2007/03/09(金) 17:38:44 ID:HmN1odBg
国司茄子と珠光文琳のどっちか。
九十九髪茄子もあるらしいけど、少ないみたいやし。
三日月がええのやけどな、写ないんやないか。

339 :人間七七四年:2007/03/09(金) 17:42:42 ID:HmN1odBg
うわぁぁあああああああああああああああ
誤爆した

340 :人間七七四年:2007/03/13(火) 00:36:22 ID:9S6S1K33
>329
天下創世の槍衾2ってのは意外と貴重だよな。
統率80くらいの武将でも大体特技レベル1とかだし。

後覇王伝のシナリオ1ではやりようによっては6年で天下統一できるからな。
史実からみると?な設定だが。




341 :人間七七四年:2007/03/13(火) 11:26:32 ID:fk1FRLqm
■ おすすめ2ちゃんねる 開発中。。。 by FOX ★
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
信長の野望シリーズにおける北条家の扱い [歴史ゲーム]

いずこも同じ秋の夕暮れ

342 :人間七七四年:2007/03/13(火) 12:56:35 ID:76g8MiBy
>>341
良選法師様、スレとは関わり無き事でございますがお聞き下さい。
おすすめ2ちゃんねるを辿って行ったら、家具板まで行ってしまった件について。

343 :人間七七四年:2007/03/13(火) 20:28:24 ID:H6IFKeay
長慶については
将軍を意のままにしてるうちに
力をつけ損なったって印象があります。

344 :人間七七四年:2007/03/13(火) 23:27:29 ID:gk1wQz21
個人的には、嫡子義興の早死にが一番痛いと思うんだが…
(教興寺合戦でも活躍していたようだし)

ただ、ゲームの義興の能力値は早死にしても痛くない能力値なんだよなw



(つД`)

345 :人間七七四年:2007/03/14(水) 02:00:12 ID:p/vUXHOt
三好関連のお勧めの本てある?(小説除く)
案外、三好とか畿内の戦国時代を扱ったのってないんだよなぁ

346 :人間七七四年:2007/03/14(水) 02:38:27 ID:Iuln5sb2
無難に吉川弘文館の「人物叢書 三好長慶」とかどう?
昭和43年の頃の研究だから内容が古い部分は多いが、
読んでおいて損のない名著だと思うよ

347 :人間七七四年:2007/03/14(水) 08:04:08 ID:6I0Cg9VM
>>344
烈風伝では采配が高かったんだけどね。

348 :人間七七四年:2007/03/14(水) 23:47:26 ID:ZRpN2sia
戦国時代の“周辺事情”紹介 勝瑞城シンポ、愛好家80人参加
http://www.topics.or.jp/contents.html?m1=2&m2=&NB=CORENEWS&GI=Kennai&G=&ns=news_117357720172&v=&vm=all



349 :人間七七四年:2007/03/26(月) 19:28:01 ID:3EbQxblz
保守ついでに

>>161
ものっそい遅レスだけど
持ってる本では妹は5人って書いてある
芥川孫十郎室
有持道慶室
一宮成助室
大西頼武室
海部宗寿室

利休の妻は長慶の義妹ってなってるけど
ちょっと微妙な本だから信憑性は不明w

350 :人間七七四年:2007/04/06(金) 08:12:03 ID:hWHHw+K4
三好で大河やるのは最初から人物関係がぐちゃぐちゃだし、最後も悲惨、資料
も少ない
徳島でどうしてもやりたいなら小六親子だろろうな、大河の3主役を絡める
し、一応明治まで残れた。前田や山内より有名キャラ。ただ四国では当面
できないが

351 :人間七七四年:2007/04/06(金) 08:42:32 ID:4Eo3asum
三好大河の最後は大坂夏の陣が終わって、政勝が縁側で栄華盛衰をふりかえるエピローグでいいじゃん
全然悲惨じゃないよ

三好で大河つくるなら大きく三期に分けないとな
最初の半年は長慶を中心に三好の台頭・三好の絶頂・徐々に現れる衰退の兆しを描く。
次の三ヶ月は十河存保を中心に三好宗家の滅亡・長宗我部との激闘・戸次川の戦いを描く
最後の三ヶ月は政康や政勝を中心に適当にホームコメディ。最後に大坂夏の陣の政康戦死を入れてエピローグ
四ヵ月ずつ等分するより長慶にじっくり時間かけたほうがいい

352 :人間七七四年:2007/04/06(金) 08:59:08 ID:hWHHw+K4
三好だと極悪松永が嫌でもでてくるし、信長が悪役となるからやりづらい
と思われ
小六なら悪人だった人物が以前パシリで使っていた人物が出世して、親子
でそれを頼って更正して堅気になるという話の展開ができるから国営放送
敵にはやりやすいだろう、徳島では人気ないみたいだが、それは山内も同じ
だったから

353 :人間七七四年:2007/04/06(金) 09:28:22 ID:PME1YlPK
蜂須賀の時代までくると他の県でも有力候補がいっぱいいるな
藤堂高虎なんかは大河化を望んでいる会がある
その点少し時代が前の三好のが有利

354 :人間七七四年:2007/04/06(金) 14:49:04 ID:mlMFLiAi
三好を語るには、細川も語る必要がある、細川を語るには足利も。。。
壮大な大河ドラマになりそうですね。

355 :人間七七四年:2007/04/06(金) 16:38:24 ID:2oxJAweX
あ、足利語るなら南朝も・・・

356 :人間七七四年:2007/04/06(金) 23:12:09 ID:y2Ixz4S9
>>351
>政勝が縁側で栄華盛衰をふりかえるエピローグ

伊佐勝ち組だなwwwww

357 :人間七七四年:2007/04/07(土) 04:56:05 ID:BJVQFZQA
突然だが今谷明著の戦国三好一族が今日発売らしいぞ
だけど出版社が人物往来社から洋泉社に変わってる

ttp://www.yosensha.co.jp/products/9784862481351/

こんな形で復刊されるとは思わなかったけど
復刊ドットコムでは更に待つだろうし良かった
ページも243から304に増えてるっぽい

358 :人間七七四年:2007/04/07(土) 23:45:45 ID:vqlSLTEe
>>357
買ってきたよ戦国三好一族。

「私の旧著のうちで、この本だけは復刊にはならないだろうと思ってい
た。まずメジャーではなく、阿波、せいぜい讃岐つまり四国の一部で注
目されるばかりの、地方的存在である。加えて、信長の統一戦争では、
滅び行く旧勢力というそんな役回りを演じ、後世の歴史に刻印を残した
いという前向きなイメージがない。
…(中略)…(洋泉社の編集者に)『復刊ドットコム』に寄せられた三好フ
ァン、三好マニアの声を示され、また私は驚かされた次第であった」
(「新書版へのあとがき」より)
(つД`)

内容は、まるで小説のように面白いので、三好ファンならぜひ買うべし。

359 :人間七七四年:2007/04/11(水) 15:50:42 ID:VTpsNViS
教興寺の戦いで六角畠山連合になっているのに対して
江口の戦いでは六角とは戦ってないような書き方だったのが不満だな
朝妻城主の新庄直昌が戦死しているんだし教興寺よりは六角との関わりがあるだろう

360 :人間七七四年:2007/04/11(水) 20:46:07 ID:8gWtcW3N
>>350
小六親子で大河ドラマやるとなると、オリ脚本でなければ戸部新十郎ぐらいしか蜂須賀二代記って書いてないけど・・・
あれを大河化したら、たぶん功名が辻と同じぐらい大河板で叩かれるぞw

やっぱり三好だろ。

361 :人間七七四年:2007/04/12(木) 14:59:25 ID:fMONBU/F
三好がつき松永がこねし都餅
寝そべりながら食らう織田

362 :人間七七四年:2007/04/12(木) 17:00:46 ID:+dPSrKt+
細川がつき三好がこねし〜の方がいいな
松永は大してこねてないだろ

363 :人間七七四年:2007/04/13(金) 20:57:15 ID:lNu2goIG
長慶は晩年にうつ病か無気力症候群に罹患していたんだろうか?

364 :人間七七四年:2007/04/14(土) 15:48:30 ID:WcvR+FCO
弟2人と嫡男が死んじゃったからな

365 :人間七七四年:2007/04/15(日) 02:49:10 ID:TJU7upjk
久秀の陰謀で優しい性格の弟・冬康を無実なのに殺してしまい、
それを気に病んで死亡ということらしい

366 :人間七七四年:2007/04/23(月) 01:06:38 ID:RWD4qFU4
三好長慶:ラインハルト

三好義賢:キルヒアイス
松永久秀:オーベルシュタイン

十河一存:ミッターマイヤー
松永長頼:ロイエンタール

篠原長房:ミュラー
三好政康:ワーレン
岩成友通:シュタインメッツ
三好長逸:ルッツ
安宅冬康:ケスラー
三好長房:アイゼナッハ
三好康長:メックリンガー
池田長正:ケンプ
三好久介:ファーレンハイト
安見直政:レンネンカンプ

367 :長慶兄貴:2007/04/26(木) 08:20:40 ID:sCAlWAO0
この前細川家とタイマン勝負したことを書くぜ。
互いに甲冑姿でまずは威嚇、名乗り挙げ鏑矢飛ばし、
大股で筋肉と得物誇張して、野郎比べだ。
雄臭ぇポーズで挑発しあう。槍突き出し刀を振り回し、
オラオラ節で興奮に火が付く。

やわら兵糧をタップリ仕込んで、いよいよ合戦開始だ。
十七箇所、越水、榎並、江口、池田、伊丹
野郎調略責め、腰砕けの鉄砲斉射、野郎泣かせの兵糧責め。
正攻法と権謀術数の競り合いで、雄の粋と艶を比べ合う。
理世安民根性丸出しでな。

一息入れる時にゃ、奴の陣中めがけて、騎馬突撃。

ビシバシ痛ぇくらいに、突撃すりゃ、雄の征服感が全身を
快感となって駆け回る。

さらに兵糧を仕込んで2R。
今度は俺の大軍見せながらの京都攻撃さ。
騎馬隊飛ばして、ド猛将野郎に変獣し、復讐・領土・上洛の連呼。
俺達はまさに、勢力、権勢、役職を激しく比べ合う戦国武将だ。

寸止めの講和も相手を落とす神技、何度も食らう度に勢力の
一時的減退さえ新たな快感に変わる。

その時、ほんの少しの気の緩みで奴は勢力のコントロールを失い
寝返りの連発に突入。

2回に渡るファイトはいずれも俺の勝利、最後は奴の懐めがけて、
畿内制圧の快感に酔いながら隠居と捨扶持!
27年勝負は俺達幕府主従の怨念を更に深めたぜ!

368 :人間七七四年:2007/04/26(木) 08:50:06 ID:An81g09M
この手の戦国武将のファンは恨み辛みがいつもながら酷いな

369 :人間七七四年:2007/04/26(木) 10:14:18 ID:rlqm7rSA
>>368
面白くなかった?

370 :人間七七四年:2007/04/27(金) 14:13:34 ID:N2BqWX13
再来年の大河は直江兼続か…

直江クラスで大河になるなら三好の大河も夢ではないな。
とりあえず徳島県民は一致結束してガンガレ。

371 :人間七七四年:2007/04/29(日) 15:09:45 ID:+X7lPqnT
そもそも徳島県民に三好の知名度は浸透してるのか?

372 :人間七七四年:2007/04/29(日) 18:04:02 ID:ag/k/ZjV
>>371
地名になってる

373 :人間七七四年:2007/04/30(月) 13:03:47 ID:ijIGRaVr
>>351
政勝の回想シーンでエンドって最高!
業の深い人間関係が多くて最高の大河になると思う。

それに、
長慶への兄弟の協力振りは素晴らしいメッセージ。
華僑と会うと兄弟関係の良さこそ強さの源泉だとつくづく
思い知らされるよ。

374 :人間七七四年:2007/05/03(木) 03:15:32 ID:y8CUWDxs
光栄は、篠原長房、岩成友通を武田信玄や織田信長の上位家臣級に
高く評価すべきだ


375 :人間七七四年:2007/05/03(木) 14:06:28 ID:ykRHWymF
>>372
地名になってるのじゃなくて
地名を名にしたんだろ。

376 :人間七七四年:2007/05/05(土) 19:59:50 ID:CsCFLqAY
>>373
ラストは晴元との和解で、美しく締めよう!そうすれば、
父の仇との和解という感動がある上に、三好の没落を描かなくてすむ。

377 :人間七七四年:2007/05/05(土) 23:22:03 ID:U+tXjXEf
それがし今年に入って本格的に大河を見るようになった
若輩者だが、素朴な疑問。
過去の歴史ドラマ(大河でも映画でも)の中で
われらが長慶さまが映像化された事ってあるんですか?

あったとしたら、どんな感じだったのか
知ってる方教えてプリーズ。

378 :人間七七四年:2007/05/06(日) 20:10:23 ID:Bpq+K8z7
さあ?92年の信長で義輝が出たぐらいか?近いところで。
あとは国盗り物語で・・・、出ていないか。う〜ん、わからないな。

379 :人間七七四年:2007/05/07(月) 11:32:26 ID:OhOQkabA
昭和44年の「天と地と」で梅野泰靖氏が長慶役だったらしいが、
どうだったかはわからん…

380 :人間七七四年:2007/05/17(木) 21:50:32 ID:OVX73knh
三好氏の最高時の石高はどんくらいで最大動員数はどんくらいだったんですか?

381 :人間七七四年:2007/05/18(金) 07:11:42 ID:zz1lUQB+
>>380
最盛期の59年あたりで五畿内+丹波+淡路+阿波+讃岐+東播磨+東伊予だからね。
200万石オーヴァーはガチ。ただ、阿波では藍物だったかな?奨励して副収入
があったし、商業・農業先進地帯の畿内を押さえていたから石高以上に収入は
ある。ちなみに動員兵力は教興寺合戦のときに6万が記録されている。

382 :人間七七四年:2007/05/20(日) 21:34:10 ID:HfviOirN
>>381
藍は蜂須賀家政が入ってからの発展じゃなかったかな。
それ以前の阿波は塩業と木綿じゃなかったかな。ともあれ、細川宗家は阿波守護だったし、阿波は現在以上に評価が高かったと思われる。

383 :人間七七四年:2007/05/21(月) 00:09:03 ID:DmpsfVsM
ヒント:青屋四郎兵衛

384 :人間七七四年:2007/05/24(木) 03:09:21 ID:moeayQPp
>>382
戦国三好一族によると、1445年の時点で阿波から兵庫の港へ
大量の藍が荷揚げされてた記録があるんだとさ。

385 :人間七七四年:2007/05/24(木) 23:07:05 ID:8ZEixzBo
阿波藍の歴史
http://www.town.aizumi.tokushima.jp/kanko/ainoyakata/

386 :人間七七四年:2007/05/27(日) 15:34:53 ID:eC/EW1BW
堺、摂津、淡路、阿波と海上交通を押さえた三好一族。
過小評価っていうより、信長、秀吉に評価を剽窃された感じだな。

387 :人間七七四年:2007/05/27(日) 16:37:43 ID:xcicF5wx
織田と本格的にドンパチやらなかったからね

388 :人間七七四年:2007/05/27(日) 20:24:17 ID:YBVVP9+d
微妙に全盛期がずれてるからだろ。

389 :人間七七四年:2007/05/28(月) 18:56:42 ID:STMhUpY0
筒井の家来の佐味との関係は?

390 :人間七七四年:2007/05/28(月) 20:10:48 ID:aocam4je
三好元長の時の三好家重臣の情報が載ってある書籍を探しています。
ネット上のサイトは大体調べたと思いますが殆ど情報が無くて困ってるんです。

391 :人間七七四年:2007/05/28(月) 21:01:35 ID:wscAIWuN
>>389
何個のスレで佐味持ち出しているんだよ・・・

392 :人間七七四年:2007/05/29(火) 08:40:07 ID:jqJ+B+/B
近江に佐味神社ってあるけど関係あるのか?

393 :人間七七四年:2007/05/30(水) 18:14:28 ID:YNqwhK4R
ないだろ

【永禄】佐味城攻略戦【奈良】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1180488170/

394 :人間七七四年:2007/05/31(木) 14:16:50 ID:MeK1RJ99
当主一族には娘がたくさんいたんだよな。
落城したときに全部人質に差し出して強姦された

395 :人間七七四年:2007/06/14(木) 01:25:37 ID:lES47Ddi
松永久秀とはどこで知り合ったんだろ?

396 :人間七七四年:2007/06/22(金) 23:38:38 ID:ul8z2lXX
三好市文化協会総会 三好長慶に関する講演会


昨年、合併に伴い発足した三好市文化協会の本年度舷会が次ぎにより開催されます。

本年は記念講演として三好市三野町で生誕し、織田信長が入京する直前の約20年間、京の都を制覇し、天下に号令した「三好長慶」に関する興味あるお話を伺うことと致しました。

総会場所も三野公民館とし、講演終了後には生誕の「芝生城址」や三好一族の香華院滝寺を尋ね長慶の墓(五輪塔)を参拝します。

講演の入場は自由ですので、お誘い合わせの上、多数ご参加下さい。


日時◆6月21日(木)午後1時半 講演は午後2時10分過ぎから
場所◆三野公民館2階大ホール
講演◆「三好市が生んだ戦国天下人三好長慶とその遺品」
   徳島城博物館主任学芸員   須藤 茂樹先生
主催◆三好市文化協会
後援◆三好市教育委員会

ttp://www.city-miyoshi.jp/ezs/info.asp?s=10&c=20&g=040&id=1048


昨日あったようだけど行った人いる?

397 :人間七七四年:2007/06/29(金) 12:35:23 ID:QbSFjeI/
三好は荘園制を破壊できず、定期的な年貢を取れなかったので兵農分離できなかった。

398 :人間七七四年:2007/06/30(土) 03:00:13 ID:jbSjWoXP
戦国三好一族買ってみたけどもうちょっと三好長逸の事とか詳しく書いてあれば最高なのに

399 :人間七七四年:2007/07/04(水) 20:47:47 ID:pm4n5Uwc
肥ゲネタだがだが
実は信長携帯版での三好衆はガチで強い

家宝在り安宅冬康(75)は中国四国で雨天時最強(元春(95)、毛利元就(96)に辛勝
信親(82)や盛親(72)は相手にすらならない
同条件十河存保(72)はそれに続き二位確定


400 :人間七七四年:2007/07/10(火) 12:16:36 ID:0Istod90
三好の領土って結局どれくらいなんだ?
長慶時代は石高で100万石、経済力を含めるとかなりの大国だったような気もするが実際どの程度かよくわからん
四国の領土が20〜30万石程度で 畿内は摂津河内和泉・・ 全盛期はもう少し持っていたか?

すぐに潰れたからか今川家の領土みたいにわかりやすくないな

401 :人間七七四年:2007/07/10(火) 13:48:41 ID:GLxBBm4O
>>400
最盛期は五畿内・阿波・讃岐・淡路全域+丹波+播磨東部+伊予東部
石高も150万石はあっただろ

402 :人間七七四年:2007/07/15(日) 22:08:16 ID:iKQUp2/X
もっと

403 :人間七七四年 :2007/07/16(月) 16:46:45 ID:p8gKfFHW
>>381
動員力6万はすごいなあ。

404 :人間七七四年:2007/07/16(月) 22:11:37 ID:9ZPMSuP1
戦国三好一族は持隆親子に呪われてるとしか思えない。
宗家で不惑まで生きられたの長慶だけじゃね?

405 :人間七七四年:2007/07/17(火) 00:36:24 ID:b7G4oOID
ま〜三好政康政勝兄弟ははんぱなく長生きだけどな

406 :人間七七四年:2007/07/17(火) 00:37:26 ID:9cpJl9/o
そういえばそうだな。
三好之長の倅、元長も不惑まで生きてないよな、確か。
三好長慶兄弟の息子世代も悉く若死にしてる。唯一大名として
生き残れそうな雰囲気だった十河存保も思いもがけない形で死んでるし。



407 :人間七七四年:2007/07/17(火) 01:45:46 ID:SvBrO0Zy
何度挫折しても屈しないネバーギブアップ精神の三好

408 :人間七七四年:2007/07/17(火) 18:07:00 ID:fhG7rL8p
>>403
話半分 今川義元の4万並にギャグな話の可能性が高い
信長上洛の時だって6万の兵を動かしたとかいうどう考えてもウソな話もあるし

409 :人間七七四年:2007/07/17(火) 20:44:50 ID:Uwk55aDB
>>403
対する畠山も4万掻き集めたから、両軍合わせて10万の関ヶ原以前では、
戦国時代最大の合戦じゃないかなぁ?

410 :人間七七四年:2007/07/17(火) 21:18:18 ID:3IIK33lK
三好政勝は細川晴元の家臣のイメージが強いので、なんか
一族として語るのには違和感があるな。まあ一族には違いないんだけど。
俺の個人的感想。

411 :人間七七四年:2007/07/17(火) 23:46:04 ID:b7G4oOID
三好実休が天霧城攻めの時に讃岐阿波の兵だけで一万八千集めてるので
教興寺の戦いで六万もまんざらではないだろう

412 :人間七七四年:2007/07/20(金) 12:59:27 ID:5hf4/8pi
ガチで6万集めるなら240万石相当(4万で160万石)
しかも離れた四国からはあんまり根こそぎは持って来れないからな……お互い半分ずつくらいでないか

413 :人間七七四年:2007/07/21(土) 14:36:07 ID:pksQWhFV
>>412
だからさ、あの時代はお米が全てじゃないのよね。

414 :人間七七四年:2007/07/22(日) 01:01:08 ID:utsoVCKL
>>413
まあ、あくまでも目安のひとつだしね。
肥沃なイメージのある駿河だって太閤検地では15万石くらいしかない
けど、交通の要衝で港を確保していた事で経済的にはかなり強国だった
みたいだし

415 :人間七七四年:2007/07/22(日) 19:52:26 ID:Zi7A3+Sd
>>414
やっぱり、港や金山は儲かるんだろうか?

416 :人間七七四年:2007/07/22(日) 23:00:43 ID:TtXrh7J7
じゃあ堺をとってた三好はかなりのもんだね

417 :人間七七四年:2007/07/25(水) 12:40:16 ID:Rvq3Ay1z
三好長慶の戦積を教えて。若い頃晴元の元でかなり戦ってるよな

418 :人間七七四年:2007/07/27(金) 05:30:41 ID:E3IXgTNk
教興寺合戦

419 :人間七七四年:2007/07/27(金) 08:53:50 ID:ISUz3FNI
>>418
6万 VS 4万、両勢合わせて10万の大合戦と知った時、勃った。

420 :人間七七四年:2007/07/27(金) 13:27:03 ID:luqojiW0
話半分(ry

421 :人間七七四年:2007/07/27(金) 19:59:16 ID:ISUz3FNI
>>420
そういうことを言われる度にタイムマシンが欲しくなるんだ。

422 :人間七七四年:2007/07/28(土) 17:18:52 ID:LvCeIiX2
>>415
貨幣価値が物凄く高かったから、貨幣に直結する商売は基本ぼろもうけだわな。

423 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 18:05:26 ID:fKlIJubG
十河家て完全に滅びたの?

424 :人間七七四年 :2007/07/29(日) 19:21:47 ID:LkaYHjFq
>>423
存保の子の存英は大坂の陣で討ち死にしたから滅びたんじゃないかな?
      

425 :人間七七四年:2007/07/29(日) 20:36:45 ID:xyk51ITL
存保の子はほかにはなかったの?

426 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/07/29(日) 20:44:26 ID:FeNgSmoQ
存保─存継─重以─以存

427 :人間七七四年:2007/07/30(月) 06:52:14 ID:cGWEWXjo
>>426
何家の家臣として続いたの?

428 :人間七七四年:2007/08/01(水) 00:00:04 ID:7VToH1Fs
瀬戸内だかの島には三好義継の倅二人が逃れ、子孫が続いたという
サイトを見た事ある


429 :人間七七四年:2007/08/02(木) 18:10:22 ID:Hru6/WsY
大阪府に三好さんて結構いるけど子孫?



430 :人間七七四年:2007/08/03(金) 04:15:01 ID:kQUar8rK
>>429
徳島の方がそれっぽくないか?

431 :小魔玉  ◆N10JLQ90IM :2007/08/05(日) 22:08:36 ID:at7gmQ+l
先週、三好長慶・義興親子が居城にした摂津・芥川山城跡を散策してきたのですが、
三好長慶が芥川山城を居城にした理由はあるのでしょうか?

http://p.pita.st/?m=pe6hva6y http://p.pita.st/?m=ueb306tz

432 :人間七七四年:2007/08/06(月) 01:40:15 ID:5IjImpNM
>>431
恐らく丹波を攻めるための負担を減らすためじゃないかな?
あと芥川城を落とす前に高雄で細川方と戦っているし
京周辺にも近い芥川城のが小回りが利いて細川方への牽制になるというのもあるかと

何か俺も芥川城跡に行きたくなってきた

433 :人間七七四年:2007/08/06(月) 20:21:06 ID:6tIwT/eZ
 

434 :人間七七四年:2007/08/07(火) 00:29:55 ID:7CORLHmn
芥川城と芥川山城って別の城じゃね?

435 :小魔玉  ◆N10JLQ90IM :2007/08/07(火) 21:14:48 ID:YZoYk+Ec
三好義興は名将の器だったとありますが、“もし”三好義興が長生きした場合、
皆さんの予想では、三好家はどうなっていたと思いますか?

>>432
レス感謝です!!

たしかに芥川山城から少し東に行けば山城(京都)に近いですし、
南に向かえば河内・和泉(大坂・堺)、西に向かえば摂津・播磨、
北に向かえば432さんが言われたとおり丹波がありますので、
やはり利点の良さが居城にした理由なんでしょうねw

>>434
434さんの指摘されたように、芥川城と芥川山城は違いますねw
(芥川城から北へ車で30分ほど走ったところが芥川山城です!!)
と、↓は芥川城跡の石碑です
http://p.pita.st/?m=m7itpmqw

436 :人間七七四年:2007/08/07(火) 23:10:53 ID:121Uspth
>>435
三好政権は相当、長生きしたかと。
三人衆と篠原長房は義興に忠誠を誓うだろうし、義興が生きているということは久秀も
おとなしくしているという事でしょう。三好家が磐石+将軍存命で信長の上洛は無いな。

437 :人間七七四年:2007/08/07(火) 23:43:33 ID:VXrhsOxF
その場合の信長の打つ手はかなり興味深いね
浅井と結ぶ戦略が変わったとは思わないから織田六角が結ぶ事はあり得ない
すると三好はどっちについて、義輝はどうちょっかいを出しただろうか?

438 :人間七七四年:2007/08/08(水) 12:20:42 ID:0lS2l/uh
義興が存命ならば、松永兄弟も従うと思う、教興寺合戦でも義興の副将は久秀だし、
長慶没後も問題ないと思う、義興と松永兄弟が不仲とは聞かないし、
義興は実績もあるから家臣は勝手な行動は取れないだろう。
史実とはかなり違った結果が予想される。
主家の重要人物がほとんど元服してないような子供ばっかりでは家臣の統制がなくなる
のは至極当然の結果と思う。

439 :人間七七四年:2007/08/08(水) 12:58:03 ID:0lS2l/uh
細川真之、三好長治、十河存保の三人の母親は同一人物かな?
真之、長治は一緒なのは知っているが。

440 :人間七七四年:2007/08/09(木) 12:54:54 ID:ljLfscb4
三好氏のこと気になるけど、あんま知らん・・・
本でも読むか。

441 :人間七七四年:2007/08/09(木) 14:31:15 ID:/DI0X7/D
>>440
ちょっと難しいかもしれんが、お勧め。
ttp://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4862481353/503-5636895-7199964?SubscriptionId=14VGQGXBFD21B9Y94882

442 :人間七七四年:2007/08/10(金) 12:57:01 ID:q3i4CFR/
>>441
dx!

443 :人間七七四年:2007/08/10(金) 15:17:09 ID:NuXJnb8P
>>438
まるで豊臣秀長のことを話しているようだ

444 :人間七七四年:2007/08/16(木) 01:46:33 ID:1LxUhxck
伊吹島三好氏

445 :人間七七四年:2007/08/16(木) 10:09:53 ID:Qa2me2cY
>>443
秀長もそうだが、「○○が生きていれば〜」式の議論って安直だよなあ。
色々複雑な要因が重なって現実は動いているのに、たった一つの要素が違うからと言って
そう安直に歴史が軌道修正されるとも思えない。

446 :人間七七四年:2007/08/16(木) 16:35:10 ID:mpsl7+O5
>>445
夢を追いかけたいんです><
水を差さないで下さい><

447 :人間七七四年:2007/08/17(金) 00:14:50 ID:Hs8J5qP7
そういや「水を差す」って、家畜の交尾の途中に水を浴びせて交尾を中止させることが由来だったな。
全然スレと関係ないがw

448 :人間七七四年:2007/08/19(日) 13:21:50 ID:lNgFF+Pw
>>447
アッー

449 :小魔玉  ◆N10JLQ90IM :2007/08/19(日) 20:23:39 ID:oEz0pvvO
今日、若江城跡と飯盛山城跡を散策!!
これで>>431の芥川山城跡を入れて、三好長慶・義興・義継の居城を巡れましたw

○河内・若江城跡
http://p.pita.st/?m=54jpilsp

○河内・飯盛山城跡
http://p.pita.st/?m=ha74fovi

↓先月、細川氏の家臣だった頃の三好長慶が城主を務めていた、越水城跡も
散策してきたのですが、長慶は何年間、この越水城で城主をしていたのでしょうか?

○摂津・越水城跡
http://p.pita.st/?m=hxulmxv4

450 :人間七七四年:2007/08/19(日) 22:03:12 ID:ZzIpjHxh
三好家といえば魔性の女小宰相でしょう、年齢的にみれば元親の側室に
なったのは娘と思えるのですが、もし本人ならスゴス

451 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/08/19(日) 22:46:05 ID:4M1ST39X
>>449
昨日。兼山城跡を散策してきたけど、何も晒せる写真がないぞ。

452 :人間七七四年:2007/08/20(月) 02:51:49 ID:qXLHoI1M
>>450
かなりいい年だもんな。しかも、ものによっては元親五男(右近大夫)
の母なんて書いてあるのも稀に見られるし・・・

453 :人間七七四年:2007/08/20(月) 19:05:47 ID:OUHY1h2k
>>449
長慶が芥川城に入るのは、天文22年8月になります。
同月に細川昭元を越水から移動させているので、
本格的に拠点を移したものと考えられます。

長慶が畿内に上り本願寺と晴元の間の講和を仲介したのが天文2年、
この時期から越水城は三好方であったらしいので、
足かけ20年になるでしょうか。
或いは摂津半国の守護代になったといわれる天文8年からでも14年間かな。

454 :小魔玉  ◆N10JLQ90IM :2007/08/20(月) 21:38:40 ID:40HrOFMd
越水城跡の説明板には、三好長慶の在城期間が書かれていなかったので、
453さんの説明に“激しく”感謝です!!
って、約15〜20年間…凄い長期間の間、この越水の土地を治めていたんですね?
(長慶の本拠地は越水城→芥川山城→飯盛山城だと分かったのですが、越水城の前は
 どこを本拠地としていたのか気になります!!)

と、オイラは越水城跡がある西宮市の住人なので、この辺り一帯が三好長慶が
治めた&活躍した土地だと思うと、なんだか嬉しい気分になってきますw

>>451
森親子の銅像とかはなかったのですか?
(蘭丸の妖艶な銅像とかw)

455 :人間七七四年:2007/08/20(月) 23:26:25 ID:pf/46be2
>蘭丸の妖艶な銅像

ちょっとトイレに行ってきます。

456 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/08/20(月) 23:45:12 ID:HGXOXjXT
「美少年」も「蘭丸」も看板がなくなっていたのが悲しい。

457 :453:2007/08/21(火) 00:40:51 ID:5F32Zue+
>>454
三好は阿波の名族ですが、代々の当主は畿内で活動しています。
長慶はおそらく堺育ちでしょう。
天文元年に父元長が堺で自刃し、長慶(当時10歳)は阿波に逃れ
ますが、復活までの2年間阿波のどこに居たかはよくわかりません。

庇護者である阿波守護細川氏の勝瑞城、
大叔父三好康長の岩倉城、
天文2年?に修築した脇城、あたりが考えられます。

西宮なら摂津滝山城も近いですね。
松永久秀が城代に任ぜられ、弘治2年には長慶を招いて
連歌会や観世能でもてなしたとのことです。
新神戸駅の山側から登れます。

458 :人間七七四年:2007/08/21(火) 00:45:20 ID:2f6JkdDB
>>457
芝生城の可能性もあるよ、阿波だと。

>大叔父三好康長の岩倉城
細かくてスマンが康長は叔父。元長の弟だから。

459 :453:2007/08/21(火) 01:01:27 ID:5F32Zue+
確かに叔父とする系図もありましたね。
おっしゃる通りこれが有力だったかも。
他に、従兄弟とするものもあります。
あまり自信がないところです。

>芝生城の可能性
そうでした。三好発祥の地?なのにすっかり忘れていました。

460 :小魔玉  ◆N10JLQ90IM :2007/08/21(火) 23:05:29 ID:hKBbBNDu
453さん、重ね重ね感謝です!!
と、滝山城は先月攻略してきたところですw

○摂津・滝山城跡
http://p.pita.st/?m=hnlmmotc

って、滝山城跡の説明板には、荒木村重関係の事しか書かれていなかったので
453さんが言われた「松永久秀が城代に任ぜられ、弘治2年には長慶を招いて
連歌会や観世能でもてなしたとのことです。」というのは初耳だったので、
凄く参考になりました!!
(松永弾正が城代とありますが、城代とは城主と同じ意味なんでしょうか?)

てなわけで、あまりコテが長居すると、スレの方々に迷惑になりますので
そろそろロムに専念させてもいますw
(近いうちに、三好康長公が城主をしていた河内・高屋城跡に行く予定ですので
 その時にはレポートを兼ねた書き込みをさせてもらいます!!)

最後に、宣伝で申し訳ありませんが↓のブログを始めてみたので
http://blog.livedoor.jp/honobono2007/
もしよろしければ気軽に見て下さい!!
(歴史関係の書き込みもしていますのでw)

461 :人間七七四年:2007/08/23(木) 23:04:37 ID:b8Ixsd3S
>>460
関西は三好関係の城が沢山あって羨ましい。
俺は淡路島の安宅氏関係の城に行きたい。

462 :人間七七四年:2007/08/26(日) 22:59:17 ID:Fny7SADA
秀吉の淡路平定の時野口は秀吉に味方したのになんで安宅は抵抗したの?
十河を助ける四国征伐なのに

463 :人間七七四年:2007/08/28(火) 07:28:57 ID:qngQTPwr
厚遇してくれなかったから

464 :人間七七四年:2007/08/31(金) 21:58:56 ID:wKEkEnmu
徳川の時代の三好ってどうなってんの?

465 :人間七七四年:2007/08/31(金) 22:14:29 ID:p3T9sq/s
政所をやってました

466 :人間七七四年:2007/08/31(金) 23:00:55 ID:eZQlRq+B
政勝の流れは旗本やってる
奈良奉行も出してた

467 :人間七七四年:2007/08/31(金) 23:14:25 ID:VVLDL77g
三好に欠かせない細川一族。分裂しすぎて学ぶにも一苦労。
何度読み返しても混乱ばっかり。

でも学ぶに値するほどの面白い一族だとわかった。

まずは今読んでる「松永久秀の真実」を読むとこからかな。

初心者の俺でも何度か読み返し、ノートに誰と誰が戦ったかなど、書いてると
少しではあるけど分かってきた。

これは読んだ人から見るとやはり初心者向けなのか?
まあ、主役は久秀だからそこまで細川、畠山、三好(阿波などの)を掘り下げてないのかも知らんけど。


もちろんこの本で全てを分かったなどと言うつもりはないので、これよりも
もう少し難しめのお勧め本があったら誰か教えてくれないか?



468 :人間七七四年:2007/09/02(日) 13:42:33 ID:gx5+lz9G
今谷明の著作に多いね、このころの畿内のことについては。

ただ、真正面から細川の分裂をとらえた本はあったっけ?
今谷明の三好一族とかも、三好の視点だから細川のほうからの
見方はまた違ってくるんだろう。

政勝も晴元以後、具体的にくわしくどんな活動したかを知りたいけど、
難しそうだな。

469 :人間七七四年:2007/09/02(日) 17:19:49 ID:qwtS21/j
細川家は「細川両家記」など資料が残っているから、
研究者的には面白みが少ないのでしょうね。
京兆家・阿波守護家の滅亡の頃は、
もうぐだぐだ過ぎて
歴史的な影響も殆ど無いので、
これもまた研究の対象にならず、

傍流とはいえ、肥後細川家が存在していますから、
その辺への遠慮もあるのかもしれませんね。

470 :人間七七四年:2007/09/08(土) 20:08:07 ID:yQykaJvd
>細川家は「細川両家記」など資料が残っているから、
>研究者的には面白みが少ないのでしょうね。

残っているからこそ、そこからもっと研究できることもあると
思うのだが。

>京兆家・阿波守護家の滅亡の頃は、
>もうぐだぐだ過ぎて
>歴史的な影響も殆ど無いので、
>これもまた研究の対象にならず、

司馬遼太郎や、井沢元彦も似たような事言っていたな。
で、どっちも完全スルー。しかし俺は偏見に過ぎないと思っているよ。
歴史的に影響がないって、歴史は連続したものなのにここはいらない
ってすっとばすのは納得がいかない。あるいは他の時代にも見られることで、
同じところだと考えているのかもしれないけど。まあ所詮は人の好みなんだろうね。
ぐだぐだな時代だと考えているのなら興味がないのはしょうがないよ。
ただ、それを言うと、この時代の三好氏も取るに足らない存在になるのでは?
それとも細川氏は影響はなくても三好氏は別ということ?細川氏の家臣として
成長したのが三好氏なんでしょ?

>傍流とはいえ、肥後細川家が存在していますから、
>その辺への遠慮もあるのかもしれませんね。

大名家の生き残りなんてそこらにゴロゴロいるんじゃないか?その家のこと
を研究するのに配慮が必要なの?例えば彦根藩主だった井伊家とか、江戸幕府を開いた
徳川家のことを研究するのにも配慮が必要なの?
それとも肥後細川家だけが特別に政治力を持っているの?
元首相の人がいるだけなのに?


471 :人間七七四年:2007/09/08(土) 21:48:17 ID:hOz/q7Yc
>>470
>この時代の三好氏も取るに足らない存在になるのでは?

小説読んだ限りの私見でスマヌが、
少なくとも司馬遼的には、三好って取るに足らない存在なんだろな。

長慶と久秀の年齢差もぜんぜん考慮せずに
『久秀は長慶の寵童だった』とのたまったり、
長慶がかってに入道名になってたり
鬼十河が戸次川の戦いで戦死したり(←これは超有名ww)
ないことないこと書きまくりだもんなあ・・・

いま現在、イメージ的に三好一族がビミョウなのも
昔の物書きのテキト―さに、一因があるのかも知れない。


472 :人間七七四年:2007/09/08(土) 22:42:42 ID:9WCc2w2I
司馬遼の時代の作家にそこまで求めるのは酷だと思うがなあ
三好氏の研究が進んだのはここ最近だよ
あの頃は「細川両家記」だの「三好記」だの
史料価値の劣る軍記程度しか元に出来なかったし、
知名度だって今以上に低かった

473 :人間七七四年:2007/09/09(日) 01:03:30 ID:KII99yt+
三好長逸て行方不明になってるけど討ち死したとかの資料ないの?

474 :人間七七四年:2007/09/09(日) 01:22:48 ID:bTgwhA8d
>>473
あったら「行方不明」じゃなくて、「どこそこで討死」ってなってるだろ

475 :人間七七四年:2007/09/09(日) 01:37:03 ID:H7K1M7i+
後の武蔵である

476 :人間七七四年:2007/09/09(日) 02:02:33 ID:OXML4XuF
惣帰じゃないの?
http://www.asahi-net.or.jp/~JT7T-IMFK/taiandir/x194.html

477 :人間七七四年:2007/09/09(日) 10:36:07 ID:tL0icdal
>>472
「細川両家記」って史料価値低いか?「足利季世記」よりはましだと
聞いたが。

ただ、司馬遼太郎は、知名度が低かろうが間違った事を書いてはいけないだろう。


478 :人間七七四年:2007/09/09(日) 12:47:33 ID:wbJHhKwW
>>477
間違ったどころか、司馬遼太郎は意図的な資料の読み違いはいつもの事だし、ひどい時には資料捏造までしてるぞ。
あの人の小説はあくまでエンタテイメントだ。

479 :人間七七四年:2007/09/09(日) 19:51:06 ID:xuwlmBpv
司馬は小説として面白くするためなら史実だろうとウソだろうと割り切って書いちゃうからな
しかも本人確信的にそれやってるので、読者からツッコミ入ると
「なんで小説だってこと理解できねえバカが多いんだろうなあ」と本気で言っちゃうからタチ悪いw

480 :人間七七四年:2007/09/09(日) 21:12:17 ID:tqmhRrb9
>>477
それは「足利季世記」が駄目なだけ、あれはまるで小説だ
「細川両家記」は軍記の中では史料的価値は高い方なのは確かだが、
書かれた経緯や著者や年代を考えると一次史料で裏を取る必要はあるだろう
完全に駄目だというのではなく、一次史料と同列に扱うのは危険だという話

481 :人間七七四年:2007/09/09(日) 21:34:38 ID:7xG8LO6u
>>479
確かに
「こうしたほうが面白いからミ☆」ってのは
司馬の小説ではとりわけ多いし、司馬の場合、
それで面白いリズムを作れてるから、全然アリだと思うけど、
>>471みたいなデタラメはさすがに無いよなw

482 :人間七七四年:2007/09/10(月) 04:21:55 ID:W1B/+1nK
この作品はフィクションですってちゃんと書いとけばいいんだな

483 :人間七七四年:2007/09/10(月) 21:15:43 ID:QPqz7Spa
まあ司馬遼太郎が小説としていろいろ書くのは特にいいが、
「この国のかたち」だっけ?に>>469みたいなこと書いているから、
興味なかったのは間違いないんだろうね。まあしょうがないけど。


484 :人間七七四年:2007/09/19(水) 18:13:24 ID:IGucNnFi
長慶の戦歴って確か凄かった気がするけど謙信とか信長とか宗茂のみたいに戦歴まとめられてるのは無いのか?
ああいうのが一番凄さを示すだろう

485 :人間七七四年:2007/09/19(水) 19:24:22 ID:3K5k9XUv
アンチもヲタも少ないからじゃね

486 :人間七七四年:2007/09/19(水) 21:21:02 ID:qYegZM2g
>>484
吉川の人物叢書でも買えばいいよ

487 :人間七七四年:2007/09/20(木) 18:52:28 ID:ORTDL47z
尻くらえ孫一だったかな
一存が義輝襲撃に加わっててわろた

誰の指示か義輝に聞かれたら義継様が〜とか自分の息子に敬称つけてるの

488 :人間七七四年:2007/09/20(木) 20:54:02 ID:OOKEPUQA
>>487
マジで!?
あの小説は大好きなんだが
朝倉軍とのぶつかり合いのくだりで、

「あの軍を率いてる朝倉宗滴というヤツは
名門というだけで、遊びと女以外に取りえのないバカなんだ」

というような事を、猿(?)が説明してた。
どこから突っ込んでいいのかわからないような
しょっぱい気持ちになったのをよく覚えている。

489 :人間七七四年:2007/09/28(金) 14:05:02 ID:wtff/2MN
>>487
国盗り物語でも、義輝襲撃に加わっていた。その上、岩成主税助は、岩「城」主税助ときたもんだ。
(その後、勝竜寺城陥落の折は、岩成主税助になっていたが)

それはそうと、三好笑岸って誰のことじゃ?日向守長逸のことか?

>>488
国盗り物語では、宗滴は名将ということになっていたぜ。

490 :人間七七四年:2007/09/28(金) 14:09:38 ID:ClzFnxET
笑岩の誤植だろ

491 :人間七七四年:2007/09/28(金) 16:19:23 ID:Lx9EwIFe
>>489
司馬遼太郎も興味のないキャラには作品によってバラバラなキャラ作りするからなあ。

492 :人間七七四年:2007/09/28(金) 16:37:40 ID:oB5R3/UO
つーか、尻くらえ孫市で朝倉が登場するとすれば、金ヶ崎の殿戦だと思うが、
宗滴が生きていたらダメじゃないかw

493 :人間七七四年:2007/09/29(土) 01:23:31 ID:e1p+Q0oa
岩成って行動に一貫性がないよな
義輝と対立して阿波の将軍を立てて義昭と義昭支持の信長に対抗してたはずなのに
この二人が対立すると何故か義昭についてたりする
もともとアンチ近江公方なんだから信長に付くのが妥当だと思うんだがなぁ

494 :人間七七四年:2007/09/29(土) 01:35:07 ID:DJWWycKa
>>493
信長はいやだろ。好んで信長に付きたいって言う武将はそうはおらんよ。性格に問題がありすぎるし信用が無い。

495 :人間七七四年:2007/09/29(土) 09:57:28 ID:E5R8C9ib
だからそれは豊臣・徳川史観だと何度言えば(ry
まぁ直属の部下にはなりたくないわな

496 :人間七七四年:2007/09/30(日) 18:08:25 ID:ZmbCxapO
史観もなにも事実として、一端信長についたのに後から裏切るのがあれだけ多いってことはそう言うことだろ。
この御大将にはついていけない、って思わせる人物だったからとしか言い様が無い。

497 :人間七七四年:2007/09/30(日) 18:49:56 ID:0KFAMUdv
そんなに多かったっけ?

498 :人間七七四年:2007/09/30(日) 19:44:24 ID:ZmbCxapO
>>497
有名どころで浅井長政、荒木村重、松永久秀そして明智光秀、越前では旧朝倉家の富田長繁、安居景健、
朝倉景胤、北陸方面では寺島氏、石黒氏、小島職鎮、斉藤信利、土肥政繁、近畿、中国方面では三好義次、
赤井直正、波田野秀治、別所長冶、

少なくともこの辺は一端信長配下に入った後裏切った連中だな。

499 :人間七七四年:2007/09/30(日) 20:55:47 ID:EqB8kgvc
波多野、赤井、別所、小寺はもともと将軍の味方だから2人が争ったら将軍に付くのはある意味妥当
富田、松永は同僚との争いが原因だろ
旧神保家臣の土肥、斉藤が裏切ったのは信長の死後
小島なんかは完全に上杉の家臣で裏切ったとはいえない気がする

あら捜しすればどの大名も似たような結果になるよ



500 :人間七七四年:2007/10/01(月) 09:40:03 ID:P5cbbXvS
三好家が本拠の四国の足固めをしなかったのはなぜでつか?
やはーり畿内で権力闘争に忙しかったから

501 :人間七七四年:2007/10/01(月) 11:30:50 ID:bgv7/yC7
>>500
何をもって「足固めをしなかった」と定義しているのかを説明してくれないと答えようが無い。
滅亡の直前まで讃岐・阿波は三好の本拠として機能してるはずなんだがね?
足固め=分国化ってことか?

502 :人間七七四年:2007/10/01(月) 23:14:17 ID:/XVGppQL
そもそも裏切るという行為にしても、同盟者が裏切るのと臣下が裏切るのとでは
かなり意味が違ってくる。
同盟者の場合は政治的な動機がまず第一原因で、個人的な感情で同盟を破ってしかも
それで滅びたのならそれは裏切られた側の人格ではなく裏切って滅んだ側の選択の
ミスを問うべきでは?

503 :人間七七四年:2007/10/02(火) 01:28:25 ID:N1GpHlNq
三好長治が兄の細川真之とうまく折り合いつけるか、
ばっさり切り捨てるか、明確な政策がとれていれば、
もう少し何とかなった筈。
結局懐柔できず、離反されて、そこにさらに長宗我部がつけ込んだ。
結果は共倒れ。


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