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家康は本当に野戦の達人?

1 :人間七七四年:2007/03/11(日) 00:04:50 ID:jgwWrmey
野戦の天才と呼ばれる徳川家康ですが、
本当にそれほどの戦上手なのでしょうか?

2 :人間七七四年:2007/03/11(日) 00:08:23 ID:r5MhQJhN
2?

3 :人間七七四年:2007/03/11(日) 00:13:23 ID:c+PUNbst
結果論でいうなら
8万の敵と野戦して一日で完全勝利したのは家康だけということになる
普通の将はそもそもああいう戦をすること自体がないけど

4 :人間七七四年:2007/03/11(日) 00:23:39 ID:8gfIiuQO
家康が活躍した野戦って、姉川と小牧長久手くらいしか
ないからな。
信長が方面軍制を取って勢力拡大していた時期も、対武田の
防波堤って感じだったし。
信玄や謙信みたいに百戦百勝みたいなイメージはないな。

5 :人間七七四年:2007/03/11(日) 00:24:15 ID:8gfIiuQO
姉川も徳川の活躍に関しては捏造らしいし
長久手くらいしかないな

6 :人間七七四年:2007/03/11(日) 00:35:07 ID:cKofcqFL
家康信長も秀吉も野戦、攻城戦共、そりゃ強かった部類に入るだろうな
ただ、天下を取った理由がそれかと言うと、全く違うと思うし
単に戦だけなら謙信や義弘、信玄と言った武将の方が文句なしで強かっただろう


7 :音楽奴隷 ◆5c/UstWSY. :2007/03/11(日) 01:11:31 ID:QZJQBi+B
まぁ、石田三成よりは野戦の達人であることは間違いない。

8 :人間七七四年:2007/03/11(日) 01:20:54 ID:2b7KvnTf
( ´゚ω゚` )

9 :人間七七四年:2007/03/11(日) 01:28:56 ID:0PQHP3rD
三方ヶ原も武田の方が倍くらい多かったとは言え負け方が悪い
突撃陣形を布いて待ち伏せしてる武田に向かって包囲戦術なんて愚の骨頂
カンネーの戦いの日本版でもやろうとしたのかね

10 :人間七七四年:2007/03/11(日) 02:59:59 ID:DLLR1HYa
>>6
>単に戦だけなら謙信や義弘、信玄と言った武将の方が文句なしで強かった

それも微妙じゃね?どちらが強いにせよ大差は無かったと思うが

11 :人間七七四年:2007/03/11(日) 10:28:51 ID:K4svnxfP
小牧長久手の部隊機動の妙技はさすがと思うが

名人戦

12 :人間七七四年:2007/03/11(日) 22:54:44 ID:8gfIiuQO
家康の印象は、野戦の達人っちゅーのとはやっぱ違うな。
若い頃は家臣団に支えられていた部分も大きいだろうし、
中年以降は戦術家ではなく戦略家だべ。
大将としてはすげーと思うけど、前線指揮官としての才
能はよくわからん。

13 :人間七七四年:2007/03/11(日) 23:18:56 ID:HEBmG4Cx
>>9 武田軍が敷いていた魚燐の陣は、敵から見れば少数にしか
見えなかったんじゃ内科医?
三角形に陣取る姿は、正面から見たとするならば、三角形の中央
付近にしか兵が集まってないように思えたんじゃないかな

14 :人間七七四年:2007/03/12(月) 01:48:23 ID:0lxJyQPt
× 魚燐の陣
○ 魚鱗の陣

15 :人間七七四年:2007/03/12(月) 06:41:46 ID:rNhvjHwq
関が原での家康の勝利は稀に見る幸運。
兵数は西軍の方が上回り、陣形も東軍を包囲した西軍必勝の配置。
事前に西軍内部に裏切り工作をしておいたおかげで、
西軍が不統一だったとはいえ、
小早川秀秋や吉川広家の動向はあくまで不確定要因。
特に性惰弱な小早川秀秋はどちらに転ぶか全くの不明で、
こんな頼りにならない連中を戦力に見込んで戦をした家康は凡将とさえいえる。

開戦当初から東軍は西軍に押されっぱなしで、
小早川秀秋がトチ狂って東軍に攻めかかっていたなら、
東軍の負けは明らか。

そもそも家康の戦歴で特筆すべき戦は、
姉川での浅井軍への横入れと小牧長久手での局地戦の勝利くらい。
将才はたいしたことはない。


16 :人間七七四年:2007/03/12(月) 08:20:54 ID:LgdeM8Ti
まあ自分も関ヶ原における家康の戦術は全く評価して無いけどさ、
姉川の奮戦と小牧・長久手における中入り潰しはそれなりに評価していいと思うよ
例え相手が義景や秀次だろうと

17 :人間七七四年:2007/03/12(月) 10:36:42 ID:TwZZHwGt
>>13
ボウリングやったことある?

18 :人間七七四年:2007/03/12(月) 10:49:52 ID:mkkDTRNR
>>13
お前滅茶苦茶頭いいな!
天才だよ!
「クラウゼヴィッツを越えた>>13様が語る三方ヶ原援交白書」で論文一本書けるよ。

19 :仙台藩百姓:2007/03/12(月) 11:32:52 ID:NC8LHG0o
家康の前半生の実績は三方ヶ原でのボロ負けと火事場泥棒ぐらいだお( ^ω^)
本能寺以後も小牧長久手で豊臣の一部隊撃破しただけ
家康もこんなもんしか自慢するものがなかった
関ヶ原や大坂の陣はぐだぐだ
大軍の指揮ができない事が露見したお

20 :人間七七四年:2007/03/12(月) 12:23:37 ID:sY2hVv58
少なくとも関が原は指揮能力じゃなくて政治力の勝利

21 :人間七七四年:2007/03/12(月) 12:53:26 ID:3Ryiib7q
>>13
冗談抜きに三方ヶ原で数の少ない家康が一枚布でしかない鶴翼の陣を
ひいたのは、まんまと釣り出されてしまったため、にらみあった状態の
ままジリジリと退いて行くために、数だけは多く見せようと幅だけ
広げたという説が濃厚とされていた。

関ヶ原も策略によって西軍をまんまとはめた一戦のように言われて
きたけれど、最近では退くに退けなくて野戦に持ち込んだけど、
これで負けたら後が全くと言っていいほどなかった東軍が、大坂を
拠点に数年がかりの長期戦に持ち込めると信じていた西軍の油断に
乗じただけのビギナーズラックみたいなもんだったと言われてるし。

22 :人間七七四年:2007/03/12(月) 13:19:46 ID:TwZZHwGt
終業式はまだのはずだが

だれが言ってるの?
あと、beginnerを和訳してみて

23 :人間七七四年:2007/03/12(月) 13:26:30 ID:L0VhsIcu
家康は合戦前の地均しは入念だが、作戦はアドリブを好む。これを行き当たりばったりというか状況に応じた判断を即座に下せるかと評すかは人によるかと。
後、大坂夏の陣天王寺合戦は家康は中央に敵を誘因して両翼で包囲を狙った配陣をしそれに成功している。

24 :仙台藩百姓:2007/03/12(月) 13:43:04 ID:NC8LHG0o
それが作戦なら本陣まで抜かれた時点でどう見ても失敗してます(失笑

25 :人間七七四年:2007/03/12(月) 14:05:02 ID:L0VhsIcu
死なず、敵も孅滅したなら成功でしょう

26 :人間七七四年:2007/03/12(月) 14:10:16 ID:sY2hVv58
本当に本陣まで抜かれたんだったら単に運が良かっただけじゃないのか。
実際、大阪の冬、夏の子細については知らないけど。

27 :人間七七四年:2007/03/12(月) 14:18:42 ID:L0VhsIcu
やばかったら逃げればいい
どうせ豊臣方が突っ込んでも、後がいないのなら孤立は避けられない。
それに逃げる事に関しては家康は戦国一ですし。

28 :人間七七四年:2007/03/12(月) 14:49:48 ID:LgdeM8Ti
天王寺合戦で家康は自らを囮にして豊臣の主力を釣り出し、
撃破に成功した、なんてまことしやかに言われてるけどさ、
あの状況でなんでそんなオール・オア・ナッシングな戦術取らなきゃいけなかったか理解に苦しむね
もし万一大坂の陣で家康が死んでたら家康が十年掛けて地固めした徳川幕府が瓦解する可能性もあったのに
普通に油断してただけじゃないの?

29 :仙台藩百姓:2007/03/12(月) 14:57:52 ID:NC8LHG0o
ハードMだったんだお( ^ω^)
有利な状況でわざわざ初めから命からがら逃げ回る予定だったのなら
それ以外に考えられません
やはり三方ヶ原で糞漏らしながら逃げ回った事で目覚めてしまったのでしょう
大坂でも糞撒き散らしてた可能性大

30 :人間七七四年:2007/03/12(月) 14:59:51 ID:L0VhsIcu
一日で合戦を終わらせるため。
相手は堀を埋め立てられたとはいえ、野戦築城は当然行っているだろうから、そこに閉じこもったら小牧・長久手みたいに長期戦にでもなったら意味がない上、財政的にも厳しい。
となるといかに相手を陣地から誘い出すかが重要になる。

31 :人間七七四年:2007/03/12(月) 15:03:10 ID:EdO7yAQe
三方ヶ原でボロ負けして名声上がったのが面白い
「海道一の弓取り」と言われて、「俺がかよ」とか思ったんじゃないか?
結果天下取れたから「狸もおだてりゃ木に登る」ということだろ

32 :人間七七四年:2007/03/12(月) 15:10:50 ID:LgdeM8Ti
総大将の命を危険に晒しても一日でも早く合戦を終わらせたかったのか
随分当時の幕府財政は逼塞してたんだなあw
自分には如何にも後付の話のように聞こえるけどね
まあ夏の陣の前に三日分の兵糧だけ用意するように伝えたという逸話も有るからね
自ら覚悟して囮になったというならそれはそれで大したものだろう
自分がイメージする名将とはちょっと違うけどね

33 :人間七七四年:2007/03/12(月) 15:43:26 ID:3Ryiib7q
名声上がったなんて書いてるのは江戸期に入ってからのお追従に満ちた
読み物ばかりだろ。「甲陽軍鑑」にしても江戸期に入って編纂された
部分で徳川の強さを喧伝している部分は笑いものになっていて、お陰で
現在では「明らかに甲斐の現状を知っていた人間しか書けない」とされて
いる部分まで長く不審の目で見られていたわけで。

関ヶ原にしろ夏の陣にしろ、あと付けの弁明になっていない弁明が過ぎる。
さすがに三方ヶ原は言い訳のしようがなかったのに、昭和に入ってからも
「男の意地を貫くために横一文字になって信玄の行く手に立ち塞がった」
なんていう卒倒モノの擁護を形にしちゃう人がいるんだから。(それを
信じていた人間って相当たくさんいたんだろうな)

ほんとマグレでも勝ってしまえば、他人が後から勝手に理屈付けして
くれるっていうのは実感できる現実だな。

34 :人間七七四年:2007/03/12(月) 15:59:15 ID:1jZMo37Y
家康が野戦の達人だったか否か?
くだらねえ。どうでも良い事だろうよ。
最終的に天下を獲ったのは家康なのだから。

35 :人間七七四年:2007/03/12(月) 16:12:44 ID:cU9WCxfj
このスレにおいては天下の事なんて道の糞程どうでもいい話。
通説通りに野戦が強かったのかどうかが問題なんだよ。

36 :人間七七四年:2007/03/12(月) 16:35:36 ID:3zgZ0wlH
野糞の達人。


37 :人間七七四年:2007/03/12(月) 20:24:34 ID:pc9IFvF/
>>33
太平洋戦争でアメリカが勝ったのはマグレだと同じレベルだね

38 :人間七七四年:2007/03/12(月) 23:15:41 ID:mD1qw9Ya
そもそも達人というのは
大軍を操り敵の大軍を撃破できることを指すのか
少数でもゲリラで撹乱して敵を苦しめられることを指すのか

前者なら関ヶ原という家康の実績を超える人間は日本には存在しない
後者なら真田あたりの方が上だろうが

39 :人間七七四年:2007/03/13(火) 00:01:29 ID:8v1KL4uH
>>38
関が原の布陣はどう見ても負け戦の布陣だそうですが。
勝ったのは政治力の力だから「野戦」の達人とは言えない。

40 :人間七七四年:2007/03/13(火) 00:10:25 ID:HT0oG7Ge
凡人が見たら負け戦の布陣なのに勝ったから達人という評価にはならないの?
布陣もなにもすべて誰が見ても必勝状態でやらなければ達人ではない?
それは達人というより虐めじゃないか?

41 :人間七七四年:2007/03/13(火) 00:16:04 ID:9yr6ExHc
実際に関ヶ原本戦の家康は何にもしてないからな
本陣で小早川の裏切りを待って爪噛んでただけ

42 :人間七七四年:2007/03/13(火) 00:49:22 ID:G6w8Qb3X
政治力を駆使せず誰が見ても勝利を確信できる布陣で戦ってこそ達人
勝敗を度外視すれば石田三成が達人ということになるが?

43 :人間七七四年:2007/03/13(火) 00:59:49 ID:rJTlfMg+
そもそも三成が大軍を集結させて有利な陣をしくことができたのも、三成自身の政治力なのだが。

44 :人間七七四年:2007/03/13(火) 01:15:28 ID:vk30VZgH
誰がどう見ても勝算が無いなら三成といえども仕掛けるはずがない
関ヶ原が起こらなければ家康の天下は実現しなかったかもしれない
つまり家康は強すぎてもいけないし、弱すぎてももちろんダメ
三成としては勝てそうだったので挙兵したが、やはり勝てなかった
家康の微妙な強さは達人というか、名人芸の域だろw

45 :仙台藩百姓:2007/03/13(火) 01:17:41 ID:rms9JIhu
>>38
両方に決まってんじゃん
むしろ全てと言うべきか
大軍同士でも小数同士でも
大軍に寡兵で挑んでも
寡兵に大軍で挑んでも
全てに於いて負けないのが達人

つまり政宗公は達人だお( ^ω^)
むしろ神かな

46 :人間七七四年:2007/03/13(火) 02:10:41 ID:VL84fukV
>>42、43
同意。
関ヶ原は結果的に小早川の裏切りと毛利が動かなかったのが勝敗を分けた。
実際関ヶ原では裏切りと傍観が出るまではどちらかというと西軍が押してたしな。
もし西軍が東軍を圧倒するようなことになってたら、いくら家康が事前に調略してても
小早川も西軍側で戦うことだって十分あった。吉川広家だっていつまでも毛利を
止めておけるわけない。
家康は関ヶ原では運に助けられた部分が大きいと思うよ。



47 :人間七七四年:2007/03/13(火) 03:10:29 ID:4pBmQ+02
>家康は関ヶ原では運に助けられた部分が大きいと思うよ。

こやつの人生全てが運。
実力ではない。

48 :人間七七四年:2007/03/13(火) 06:59:23 ID:rJTlfMg+
>実際関ヶ原では裏切りと傍観が出るまではどちらかというと西軍が押してたしな。

傍観は開戦時からずっと始まっていたのだが。
家康自身も勝算があるとみたから、徳川本隊が到着していないという最悪の事態にも関わらずあえて開戦に踏み切ったわけで。

49 :人間七七四年:2007/03/13(火) 08:19:06 ID:e2OXDcnu
そもそも金吾が東軍についた事が東西両軍に明確に認識されたのは松尾山城を強引に占拠した時点というのは
もう定説だと思ってたんだが。合戦中に鉄砲打ちかけられて裏切りなんて講談話をいまだに信じてる奴が
この板にまだこんなにいるとは。

50 :人間七七四年:2007/03/13(火) 09:35:37 ID:iRKYNi2+
今川(三河・遠江)や武田(三方が原の危機)、織田(駿河・信濃・甲斐)、秀吉、前田利家とライバルが次々死ぬ。

北条滅亡後の関東と支配者になると牽制役の堀や蒲生が都合良く死ぬ。
その後も有力者となった結城秀康、加藤清正、浅野、小早川など邪魔者も次々とことごとく若くして死ぬ(毒殺?)
こんな都合のよい展開はなかなかないよ。

51 :人間七七四年:2007/03/13(火) 09:54:10 ID:TNmiymrs
>>21
エリマキトカゲみたいだな。ワロタw

52 :人間七七四年:2007/03/13(火) 10:36:02 ID:8fZ16ozw
関ヶ原をその時点で徳川と豊臣の争いだなんて思ってた奴は日本に
ほとんど存在していなかったはずだが。参戦していた奴も含めて
ほぼ全員が「豊臣政権内部の主導権争い」と思っていたはずだ。
で、この野戦一つで天下の趨勢が決まる(もしくは決まった)と
思っていた奴もほとんどいなかったろう。大坂を中心にむこう
数年は内乱が続くと信じていた人間が日本中にゴロゴロしていた。

結果的に「ここで負けたら関東のボロ城を枕に、ジリ貧どころか
一気に掃討されてしまう運命しかない」と危機感の固まりになって
いた徳川勢が必死に攻め、「まあ退いて次に備えっか」とやる気の
なさ全開だった西軍諸将を追い散らしたあとに、うまい具合に
(世の中そんなに変わらないんじゃないのと甘く見ていた)周囲が
バタバタ試合放棄を繰り返して、「結 果 的 に」関ヶ原だけが
大規模な合戦になって「これが勝敗を決めた」形になった。

今で言えば日本シリーズの第1戦、強いはずのチームが先発に
様子見を立てて試合を落としたあと、本社の事情やらで以後の
試合ができなくなり、結果的に1勝した相手チームが「日本一」に
なったようなもの。しかしその第一戦に勝った投手や監督が
日本一の名選手・名監督って呼ぶのは普通ハァ?って思うだろ。

53 :人間七七四年:2007/03/13(火) 11:01:09 ID:G6w8Qb3X
アホ?
西軍がバラバラなのは三成の統率が下手だったのと家康と直接刃を交えるのにビビったからだろ
その躊躇を利用して一気に勝負を決めて長期化の予想を覆したのが凄いんだろ
野球でいうなら九回まであると相手が油断してる隙に20点取ってコールドゲームにしたということ
当然名将に決まっている

54 :人間七七四年:2007/03/13(火) 11:02:15 ID:WPdDWTkv
少なくとも西軍諸将は勝負所すら読めない凡将だったということ
勝負所を読むのは達人の条件

55 :人間七七四年:2007/03/13(火) 14:08:45 ID:exXFEynL
馬鹿の例え話はピントがズレてて理解が困難

56 :人間七七四年:2007/03/13(火) 15:26:04 ID:jX2Rkd4h
原則的な話だが、野戦で合戦の動員は多いほど大将の能力は発揮されにくいし勝負の決め手とはならないよ
関ケ原は参考外でいいと思うよ

57 :人間七七四年:2007/03/13(火) 18:59:23 ID:G6w8Qb3X
逆だよ
大軍であればある程それを管理し操る大将の能力が問われる
大将の能力が悪ければ大軍はすぐに崩壊してしまう
少数のゲリラやテロ戦術なら大将の能力はそれ程影響しない

58 :人間七七四年:2007/03/13(火) 19:26:46 ID:jX2Rkd4h
>>57
それは野戦だからこそ必要な能力じゃないでしょ

59 :人間七七四年:2007/03/13(火) 19:54:52 ID:+s+yt/Nq
>>52

そう。後になって「あぁあの時、時代が動いた!」という時ってのは
その中にいる人にはわからないもの
当代きっての軍師、黒田と真田が長期戦になると踏んでたのがその証拠

彼らが呆れ果てていたくらい毛利の対処がバカ丸出しだったのはあるが
少なくとも家康の野戦の能力が決め手だなんて考える奴はバカ
安部が首相になれば日本は安泰と考える奴と同じ


60 :人間七七四年:2007/03/13(火) 20:24:40 ID:9yr6ExHc
安倍の話はスレ違いだがw
戦前の多数派工作はともかく、関ヶ原本戦で家康が何やってたかというとまあ何もやってないわな
秀忠の別働隊が間に合わなかったせいで戦争で功績を挙げたのは
譜代じゃなくて福島・黒田・細川といった豊臣恩顧の大名たち、
そのせいで彼らに大封を割り当てざるを得なくなったわけで
松尾山の小早川に鉄砲撃ちかけて秀秋の去就を決定付けた、というのも与太話だしな
精々前線で激しく戦ってる黒田長政の陣に何度も
「何時になったら小早川は裏切るのか?」って使者出してうざがられたくらいか

61 :人間七七四年:2007/03/13(火) 21:20:17 ID:WPdDWTkv
>>59
軍師の読みなんてそんなレベル
本物の将がここを決戦地と決めてその気になれば軍師の読みなんか消し飛ぶという話
いずれにしても家康を侮りすぎた

62 :人間七七四年:2007/03/13(火) 22:28:38 ID:HT0oG7Ge
>>60
戦闘中にあちこち動くのは下っ端のすること
大将とは事前の準備を済ませたら戦闘中は手下どもが必死に仕事するよう睨みを利かせるのが役目
総大将の仕事というものを根本的に勘違いしていないか?

63 :人間七七四年:2007/03/13(火) 22:37:22 ID:9yr6ExHc
別に家康とその旗本が率先して西軍に突撃して戦果を挙げなきゃ駄目だと逝ってるわけではないぞw
関ヶ原における家康は本多や井伊みたいな一部の譜代武将を除いて、
東軍の総司令官というよりはあくまで反三成派の盟主といったような立場
福島・黒田・細川といった東軍主力の豊臣恩顧の大名達は
家康を一応の代表と仰ぎながらも家康の直接的な指揮は受けない立場だった
実際のところ上記の連中は関ヶ原本戦で家康の指揮なんて受けずに勝手気侭に西軍と戦ってただけ、
彼らの働きで東軍が西軍を破ったとしてもそれ即ち東軍代表である家康の功績とはならないというだけの話
もし秀忠の別働隊が関ヶ原に到着して、彼らの活躍で東軍大勝となってたらそれは家康の功績だと言えるだろうが

64 :人間七七四年:2007/03/13(火) 22:50:16 ID:HT0oG7Ge
>関ヶ原本戦で家康の指揮なんて受けずに勝手気侭に西軍と戦ってただけ、

勝手気侭だったらそもそもあんな包囲される布陣で戦うこと自体を拒否するだろ
前哨戦の岐阜攻めだって家康が攻めろと命令してから攻撃が開始されているわけだし
関ヶ原の時点ではまだ直接的な主従関係がないというのは確かだが
それを盾にかなり悪意的な解釈をしていると言わざるをえないよ

65 :人間七七四年:2007/03/13(火) 22:56:48 ID:0WY2kuU0
戦うこと自体拒否ってw
どうやって拒否するんだ

66 :人間七七四年:2007/03/13(火) 23:01:59 ID:HT0oG7Ge
>>63によると豊臣恩顧は一切家康の指揮を受けていない立場らしいので
>>63の脳内基準なら拒否できるんじゃないかw

67 :人間七七四年:2007/03/13(火) 23:04:43 ID:9yr6ExHc
関ヶ原の東軍大名たちはいずれも朝鮮出兵や豊臣政権内での主導権争いで三成のことが憎くて憎くて仕方なかった連中、
三成に多少不利な陣構えを布かれててもそれを気にせず戦ったというだけのことだろ
福島正則が先鋒の座を譲らず家康相手にかなり揉めたという話も有名だし、
実際に関ヶ原が始まってからは黒田・細川なんかが三成隊に殺到しちゃったせいで
ほぼ一隊で三倍近い宇喜多勢と戦ってた福島隊が危うく潰走しそうになる始末w
どう考えても一人の総司令官の下に組織的な戦闘行為が有ったとは思えない
もし家康がこういう筋書きを書いてたとしたらアホだ

68 :人間七七四年:2007/03/13(火) 23:04:51 ID:oL9LKgCN
合戦前ならいざ知らずいざ合戦が始まって、大将が決まってれば
上の言う事を聞かずに戦う事はあまりに危険で、
結果的に上下関係が強くなる。

既に政権内でもトップの実力だった家康が
あえてこの時期に乱を求めていたのはそういう側面も強い。
その中で見事に動かしているのは間違いなく家康の実力。

69 :人間七七四年:2007/03/13(火) 23:19:41 ID:WPdDWTkv
西軍に包囲されているような不利な陣形であえて戦ったのは、
孫子の兵法でいう自らを死地に追い込んで、
東軍は結束して戦うしかない状況を作り出したのかもね
まあ家康の深慮遠謀だろ

70 :人間七七四年:2007/03/13(火) 23:21:06 ID:9yr6ExHc
>>66
家康を派閥の盟主として仰ぎ、その与党として家康の軍事作戦に従軍するのと
実際の戦闘で家康の下知に従って整然と動くというのは全然別だろ
それがわからないなら君はアホだし、
意図的に混同してるなら救いようが無いな

71 :人間七七四年:2007/03/13(火) 23:51:28 ID:HT0oG7Ge
派閥の盟主として仰ぎ軍事作戦に従軍するが実際の戦闘になれば下知には従わない

これって西軍に対する評価だろ
家康は恩顧に城も領地も差し出させており東軍はそんな悠長な戦闘をしていられる立場じゃないぞ
それと宇喜多には福島一隊ではなく井伊と松平忠吉を含めて戦い、大谷には藤堂隊が戦っている
三成に対して全員走ってしまい他はすっからかんなんて考えているのは君だけだよ

72 :人間七七四年:2007/03/14(水) 00:10:54 ID:8Iiaofod
誰も「三成に対して全員走ってしまい他はすっからかん」なんて言ってないと思うけど?
松平忠吉&井伊直政の軍勢は宇喜多勢にかかりきりになってたわけじゃないし、
彼らの兵力と福島隊の人数を合計しても13000で宇喜多隊17000に比べてまだ兵力差が大きい
対して6000前後の石田隊に黒田・細川・田中・筒井・加藤ら20000弱の兵が殺到してる
(数字は参謀本部編纂の推測値だからあんまり突っ込まないでほしい)
前線の福島隊が潰走すれば戦線が崩壊する危険があったわけで、
そういう状況でこんな無茶苦茶な兵力配分になってしまったということは
家康の下知が東軍全軍に行き渡ってなかった証拠だろう
西軍が指揮系統に異常があったっつーかそもそも一部の大名を除いて戦意自体無かったというのは事実、
だが東軍も家康をトップにした完全な一枚岩だったというわけじゃない
まあきちんと西軍相手に戦ったというだけで西軍よりは遙かにマシだとは思うけどね

73 :人間七七四年:2007/03/14(水) 00:42:44 ID:bqwRFcb9
完全な一枚岩じゃないからこそ、それを見事に連動させたことが実力なのでは?

74 :人間七七四年:2007/03/14(水) 00:49:23 ID:8Iiaofod
自分はむしろそれは家康の政治力として評価すべき事柄だと考える
豊臣恩顧の大名達を反三成の機運を作って纏め上げ、豊臣政権内で自分に反対する連中を討つ、
関ヶ原戦前における家康の多数派工作は文句のつけようが無い
ただ関ヶ原本戦ではその調略で自分の味方にした大名たちが頑張って西軍を倒してくれたわけで、
家康自身はただ見てるだけだったわけよ
この一戦を持って家康の野戦指揮官としての才能を評価できるかというと微妙
まだ姉川とか小牧・長久手の方が評価できる

75 :人間七七四年:2007/03/14(水) 00:53:21 ID:VzyluoNz
戦場で如何なく発揮され勝利に導いたのだから、野戦の能力としてこれ以上のものはないだろう。
無理に政治力と切り離す方が不自然。密接に絡み合っているのだから。特に関ヶ原という戦さでは。

76 :人間七七四年:2007/03/14(水) 00:58:50 ID:8Iiaofod
戦争の事前準備と、実際に戦端が開かれ敵味方入り混じって
ゴチャゴチャになって戦ってる最中における部隊指揮はやはり分けて考えるのが自然だと思うぞ
ていうかそういうのを分けて評価しようとするスレだと思うんだが
そうでないなら「家康は戦に強かった」で終わりだろう
これなら殆どの人間に異論は有るまい

77 :人間七七四年:2007/03/14(水) 01:12:38 ID:VzyluoNz
そうか?
攻城戦よりは野戦の方を得意としていたというのはよく聞くが。
その点秀吉とは対照的に。

78 :人間七七四年:2007/03/14(水) 01:22:48 ID:8Iiaofod
実は自分は家康はあんまり攻城戦が苦手だという感じがしないけどねえ
多分今川氏真&朝比奈泰朝主従が籠る遠江掛川城攻略に手間取ったり、
犬居城を攻めてる最中天野景貫に痛撃喰らった印象が強いのかもしれないけど、
どっちも最終的には開城させて戦略目標を達成してるわけだからそんなにとやかく言うような内容でもない
小田原の役での北条の支城群を落とした手腕は秀吉にも劣らないっつーか
この戦いに関しては豊臣軍以上に頑張ったと言ってもいい
秀吉が精魂掛けて作った日本史上最大の大要塞大坂城も最終的には陥落させてるし、
家康に落とせなかった城なんて生涯で一つも無いんじゃないかな

79 :人間七七四年:2007/03/14(水) 01:56:00 ID:p/vUXHOt
>>78
同意 
城攻めなんてのは古今問わず厄介なもんだしな
別に家康が野戦が得意で攻城戦が不得手ってわけじゃないな

80 :人間七七四年:2007/03/14(水) 10:38:06 ID:8QCdEWww
野戦の名手というのは当時一緒に戦った人達が感じたイメージだろ
家康は戦になるとまるで人が変わったように大音声で号令を発したそうだ
城攻めはあの手この手の調略が得意な秀吉の方が向いていると思われた
家康は不器用なイメージがあったので苦手と言われたんだろう

81 :人間七七四年:2007/03/14(水) 15:25:37 ID:9kwB/+Ni
>>60
ホントそうだなw
関ヶ原一つとっても家康にとっては計画違い、計算違いのオンパレード。

これでちょっとした事で負けていたら、関ヶ原までの積み上げがまったく
同じでも「勝てっこない戦いに追い込まれたバカ大名」「愚将」として
勝った戦いの話も封印され、三方ヶ原の惨敗や一向門徒に振り回されて
いたことばかりが本やテレビで強調されて「太りすぎて馬にも乗れない
デブ」とか悪いイメージまで捏造されていたんだろうな。

勝ってしまえば、おべっかを使うことが生きがいみたいな蛆虫どもが
どんな事実にも目をつぶり「勝負所を読む達人」「家康に落とせなかった
城なんて一つも無い」という発狂した発言を並べてくれる。楽なもんだw

82 :人間七七四年:2007/03/14(水) 18:52:27 ID:VRz9gHJv
関が原がスレタイに沿った議論をするために適当な材料とは思えんのだが。


83 :人間七七四年:2007/03/14(水) 19:24:56 ID:qR2AduDy
>>81
同意

84 :仙台藩百姓:2007/03/14(水) 19:47:22 ID:KQt5pn6C
つうか家康の野戦戦歴てどの程度あるの?
家康が総大将つとめた大規模な野戦と言えば三方ヶ原のボロ負けと
長久手で秀次、池田親子らに勝ったのぐらいしか思いつかん
さあ、徳川厨よ出番だ

85 :人間七七四年:2007/03/14(水) 20:33:47 ID:x/mThNUZ
>>84
オーソドックスに関が原。


86 :人間七七四年:2007/03/14(水) 20:47:53 ID:unHmYNIk
>>85
>>82

87 :人間七七四年:2007/03/14(水) 21:26:40 ID:/ua99SNN
>>84
大規模な合戦はしないのが基本なんだが

88 :仙台藩百姓:2007/03/14(水) 21:55:22 ID:KQt5pn6C
後付け伝説の臭いがプンプンしますお( ^ω^)

89 :人間七七四年:2007/03/14(水) 22:09:18 ID:8Iiaofod
関ヶ原の戦いが家康の野戦指揮能力を評価するのに値しないということは上で散々説明したけどな

90 :人間七七四年:2007/03/14(水) 22:10:50 ID:nsBI89ca
関が原の家康は、これでもか、つうぐらい諸侯を篩いにかけ裏切りを見極めている
だからいざ戦の時には福島を始め、死にもの狂いだわな、日和見なんてとんでもない
野戦だが、あの信玄に寡兵でもって三方が原だ、自信があったつうより過信だろ
長篠の戦では右翼の柵のない所で勝頼を破っているし

91 :人間七七四年:2007/03/15(木) 00:04:59 ID:eZuYkETq
すぐれた野戦司令官なら、戦場での采配のみならず戦場に出る前の準備も当然重視するわけで。
その結果、周到に張り巡らした準備のおかげで実際の戦場ではほとんどなにもしなくて勝利をおさめてしまう場合もある。
ある意味、最高の成果なのだが、それをもって「あれは政治力による勝利だから、野戦の能力とは別」という評価をしては
本末転倒な気もするな。

92 :人間七七四年:2007/03/15(木) 00:17:43 ID:lWbpFoGU
秀吉の天下統一後に、大名として野戦指揮経験が
たくさんあった香具師は、かなり少ない
だから、家康は野戦の達人だって話になってるんだろ
政宗にも共通する話だな

93 :人間七七四年:2007/03/15(木) 01:00:52 ID:fkZC/MsF
まぁ前田利家とかでさえ持ち上げられてるからわからんでもない。

94 :人間七七四年:2007/03/15(木) 01:01:28 ID:gGOaQnmc
>>91
いいたいことは判るんだが>戦場に出る前の準備も これはまさに政治や謀略、戦略の
話であって野戦能力とは別だろう。

95 :仙台藩百姓:2007/03/15(木) 01:26:29 ID:RvcohfXj
今更だがよくよく考えれば、皆が家康の武威を恐れていたとか
いかにも取って付けたような話しだお(;^ω^)
家康の戦国大名としての実績はたかが知れてるお
名の響いた大名に比べれば遥かに劣るお
家康の名声は結局長久手の一戦で秀吉に引き分けたと言う一点のみ
秀吉の武威にあやかったものだお
生涯に二回も本陣が潰滅し逃げ回ったとか
名が知れた大名の中では珍しいお
戦下手とは言わないまでもトップクラスに入る人物とは到底思えないお

96 :人間七七四年:2007/03/15(木) 01:56:14 ID:RcKKxNDc
お前ら家康を馬鹿にしてるが、
じゃあ訊くが家康より野戦が
得意なやつは誰だよ。

97 :人間七七四年:2007/03/15(木) 02:13:30 ID:ZtjUicNO
>>96
それはひょっとして釣りで言っているのか?

98 :人間七七四年:2007/03/15(木) 02:15:37 ID:MpQjlezE
実際、「野戦」として勝利を収めたのなんて小牧長久手くらいだろ?
一度や二度の成功で、家康よりも得意なやつは誰だと言われても・・・
それくらいの成功なら結構多くのの大名が成し遂げてると思う。
関ヶ原は野戦っていうより謀略の発揮場所だったもんな。
明治時代に陸軍の指導にきたドイツ軍の参謀が、関ヶ原の東軍西軍の配置を見て西軍が勝つって断言したエピソードもある。
軍事の専門家から見て、東軍の布陣はそれほどお粗末なものだったそうな。


99 :人間七七四年:2007/03/15(木) 02:20:46 ID:fkZC/MsF
>>98
軍事の専門家ですら負けると判断するような情勢で勝ったんなら間違いなく優秀じゃないか。

あと1度や2度の成功というけど、人生の中でんな大合戦の大将を何度も勤めてそのたびに勝ちを収めてる
大将なんてなかなかいない、かといって細かいのならば家康だってある。

100 :96:2007/03/15(木) 02:23:05 ID:RcKKxNDc
だから誰なんだよ。
どんどん名前を挙げれば家康は野戦の
達人じゃないと証明できると思うが。
逆に一人も名前を挙げられないのなら
やっぱり家康は野戦の達人だろ。

101 :人間七七四年:2007/03/15(木) 02:30:10 ID:cLyQq1ZT
ご、ごめん。やっぱり野戦の達人です。

102 :人間七七四年:2007/03/15(木) 02:58:26 ID:ZixpWA4G
じゃあ無難に信長・謙信・信玄・氏康・元康あたりと比較してどーよ?

103 :人間七七四年:2007/03/15(木) 02:58:46 ID:iP8oQkE5
武田信玄?ボコボコにしてやんよ
  ∧_∧
  ( ・ω・)=つ≡つ
  (っ  ≡つ=つ
  / 狸 ) ババババ
 (_/ ̄∪

104 :仙台藩百姓:2007/03/15(木) 03:12:03 ID:RvcohfXj
政宗公はもちろんのこと
信長、秀吉を始め北条、武田、上杉、毛利、島津あたりの方が遥かに実績はあるお
家康の前半生は結局武田との戦のみ
武田と共同で今川攻撃
信玄にボロ負け
勝頼と小競り合い
織田と武田征伐
勝頼は無能扱いされるが徳川単独ではどうにもならなかった
そして信長の死により独り立ち
北条と対峙し引き分ける
秀吉と対峙し引き分ける
あとは豊臣家臣としての活動で戦国時代は終了する
三方ヶ原以外は無難と言えば無難だが
名を広めるほどの名勝負と言うものもない
特別戦上手とする根拠は見当たらないお(;^ω^)
やはり名を上げたものがあるとしたら長久手のみだお
それにしたって普通の戦いだし

105 :人間七七四年:2007/03/15(木) 03:31:20 ID:S/hGsVYo
>>99
いやだから関ヶ原は謀略が活きたんだって。
東軍の勝ちの経緯を説明されたドイツ軍人が
「戦は情報と云々が大切だ」
って悟ったのって有名な話しじゃね?


106 :人間七七四年:2007/03/15(木) 03:49:15 ID:S/hGsVYo
長久手長久手っというが俺は長久手での家康の勝利もどうかと思うが。

長期的に秀吉対信雄家康をみれば秀吉の圧勝だろ?
家康は長い戦の一戦で勝利したにすぎない。
信雄と組んでる割りには信雄のフォローもまるでできず犬山まででてこられてるし。

長久手の戦いについては
当時の秀吉が尾張閥出身者の意見を何度も撥ね付けるのは
内部崩壊を引き起こしかねない危険な行為。
意にそぐわぬ作戦でもやらせるしかないといった感じ
この局地的大敗北で尾張閥の意見を多少スルー出来るようになって
少し好都合なんじゃね?

佐々は前田に負けるし長曽我部も陽動の役にたたない
毛利は動かない
上杉は親秀吉
関ヶ原とまではいかないが日本の大名そこそこ動かしてるが
家康状況悪すぎ。


107 :仙台藩百姓:2007/03/15(木) 04:07:11 ID:RvcohfXj
よく徳川厨が上田合戦は家康と戦ってないからたいしたことないって言うが
長久手も秀吉を直接破ったわけじゃないし似たようなもんだお( ^ω^)

108 :人間七七四年:2007/03/15(木) 04:59:51 ID:t2TBLNfN
>>107
「仙台藩百姓」って名前から、伊達政宗厨の臭いがプンプンするんだが・・・

109 :人間七七四年:2007/03/15(木) 06:48:27 ID:eZuYkETq
たんに寡兵で大軍を破ったような戦さだけが野戦の達人かね。
達人になればなるほど、確実に勝てる戦さしかしなくなるものだが。

逆にいえば、一見優勢そうにみえてもまずいと思えば潔く引く見極めも達人の証。
信雄が絡め取られたとみるや、あっさり和議に応じた判断も非凡。

110 :人間七七四年:2007/03/15(木) 10:40:37 ID:ntKt2F6/
「戦の達人」じゃなくて「野戦の達人」だからなあ…

111 :人間七七四年:2007/03/15(木) 10:48:08 ID:39u4+XPZ
とりあえず直接指揮能力くらいの範囲に絞らないと話が散漫になるな。

112 :人間七七四年:2007/03/15(木) 11:02:41 ID:ntKt2F6/
確実に勝てる戦、優勢な戦、であっても勝ち方というものは有るよなあ。
例えば長篠なんかだと信長、家康側の指揮能力はまあ評価に値すると思うけど。
達人と言えるかどうかはともかく。

113 :人間七七四年:2007/03/15(木) 13:47:02 ID:gRFiNrrF
>>112
小牧、長久手の戦の戦力比調べているか?
同時期に伊勢方面でも滝川と戦っているわけだが

114 :人間七七四年:2007/03/15(木) 13:56:14 ID:ZixpWA4G
秀次はともかく長久手の戦いで破った池田勝入と森長可は織田家で戦歴を重ねた一流の武将、
例え秀吉本人を破ったわけではないとはいえこの二人を打ち倒したのはそれなりに評価できると思うぞ
勝入の中入りの案自体は決して悪くないし
(途中本拠地強襲であることを忘れて岩崎城みたいなどうでもいい城攻めてたのは擁護できないが)、
だからこそ秀吉も作戦に許可を出したわけで

115 :人間七七四年:2007/03/15(木) 14:11:29 ID:ZixpWA4G
長久手で三次秀次・池田勝入・森長可の別働隊を破ったのは4月9日、
家康&信雄の連合軍が滝川一益の籠る蟹江城を攻めだしたのは6月以降(落城は7月3日)のことだから
微妙に時期は被ってないな
まあそういうことを言ったなら家康だけじゃなく同盟者の信雄、
紀州の雑賀衆・根来衆や四国の長宗我部元親、
北陸の佐々成政と対峙しなくちゃいけなかった
秀吉はどうなるのって話だがw

116 :仙台藩百姓:2007/03/15(木) 14:14:13 ID:RvcohfXj
長久手(野戦)で秀吉相手に引き分けたから野戦が上手いみたいなイメージになったんだお( ^ω^)
後の戦い、関ヶ原や大坂の役でも野戦が得意だから野戦に持ち込んだとかいう
眉唾ものの噂が誠しやかに流布されてるけど
わざわざ城攻め好む武将なんているわけないお(;^ω^)

117 :人間七七四年:2007/03/15(木) 14:39:09 ID:9eMd1xAI
蟹江攻めた頃秀吉は
押さえの兵残して本隊は大坂城に戻ってるよ
一ヶ月ぐらい前にね

118 :人間七七四年:2007/03/15(木) 15:02:07 ID:gRFiNrrF
>>117
その結果蟹江合戦は、家康の大勝利
5倍も兵力保持していた秀吉って馬鹿なのか?

119 :人間七七四年:2007/03/15(木) 15:07:37 ID:gRFiNrrF
>>116
戦術的には、家康の勝ち戦
戦略的に引き分けだよ

120 :人間七七四年:2007/03/15(木) 15:13:20 ID:gRFiNrrF
>>115
秀吉に積極的に敵対したのは、佐々だけ前田に任せれば充分

121 :仙台藩百姓:2007/03/15(木) 15:20:40 ID:RvcohfXj
確かに中入り許可したのは秀吉だから戦術的失敗だお( ^ω^)
でも、混成軍の大戦だとどこまで本人の采配と見るべきか難しいお
大坂の陣などで豊臣側に撃破された諸藩の評価も家康が負う事となるのと一緒だお

122 :人間七七四年:2007/03/15(木) 15:24:56 ID:ZixpWA4G
中村一氏の治める岸和田城が雑賀・根来衆に攻められ落城寸前になったのもこの頃なんだが
紀州勢の圧迫に加えて長期間京を留守にすることは、
既に天下人として地盤を固めつつあった
秀吉にとって望ましいことではなかったということ
戦のことだけ考えていればいいこの頃の家康とは違う

123 :人間七七四年:2007/03/15(木) 16:04:32 ID:gRFiNrrF
野戦の達人家康には、蟹江城を取られてもしかたがないわな
秀吉の故郷中村まで蟹江からなら、歩いて40分ぐらいか

124 :人間七七四年:2007/03/15(木) 20:17:13 ID:S/hGsVYo
佐々は数で劣る前田の末森城を落とせず敗退
その後上杉前田に睨まれ動けない。
長曽我部は毛利、宇喜多に睨まれた上に四国完全統一も出来てない。
信雄はやる気なし。
北条は関東から出る気概を感じない。
伊達は地方で暴れてるだけ。

結局こんな状況で得するのは島津くらいか。

125 :人間七七四年:2007/03/15(木) 23:24:32 ID:UpWvi3+D
あのな、家康が野戦の達人と言われだしたのは武田旧臣を配下に加えてからの話だぜ。
つまり最強武田軍団のおかげだよ。

126 :人間七七四年:2007/03/15(木) 23:29:19 ID:vPcYrede
最強なのになぜ滅びたの?

127 :人間七七四年:2007/03/16(金) 00:08:10 ID:UlKv3oSa
>>126
戦が強くても滅びてしまうのはよくある話。ハンニバルも最終的に負けたし。

128 :人間七七四年:2007/03/16(金) 00:20:41 ID:93jtF8D/
長久手で勝ったと言っても秀吉に勝ったわけじゃない
これで秀吉が家康に負けたととらえるなら関ヶ原や大坂の陣での
外様大名などの苦戦も家康は○○に負けたとしないとならなくなる

無論長久手で少数の兵力で秀吉の一部隊に勝ったと言うのは評価すべきだと思うけど
例え、伊勢など他の戦線では負けていても

あと家康の野戦の評価なら
吉田城の攻防戦で今川の援軍の武田信虎を小兵力で破ったことや
天正壬午の乱で北条の大軍と小兵力で引き分けたことがある

129 :仙台藩百姓:2007/03/16(金) 01:06:26 ID:7mlKzq9b
そういやそんなのもあったお
一宮で信虎と戦ったかどうかは分からんが
相手が氏真である以上評価されにくいお(;^ω^)
自分達で今川を貶たわけだし皮肉だお

天正壬午の一連の動きも
戦術的には評価対象になる程のものとは思えないお
政治的には家康が多少優位に立った感があるが
戦い自体は小競り合い程度しかなく本隊同士も動かず
対北条なら北関東のヘッポコ大名ですら正面からぶつかって勝利してるお
それ相手に睨み合って講和したのが野戦上手に繋がるとは思えないお(;^ω^)

130 :人間七七四年:2007/03/16(金) 07:11:20 ID:Xu4pqfme
ハンニバルは、自分より戦さが強い相手に敗れて滅びたのだが

131 :人間七七四年:2007/03/16(金) 09:22:47 ID:4B+JQXv8
普通に考えてハンニバル>スキピオだお
項羽やナポレオンとかも強くても負けたパターンか

132 :人間七七四年:2007/03/16(金) 12:02:50 ID:cMihzzKu
スキピオも韓信もウェリントンも間違いなく優れた軍事指揮官だったが、
一般的にはハンニバルや項羽、ナポレオンの方が名将だと言われてるな
敗れるまでの実績が違うから


133 :人間七七四年:2007/03/16(金) 12:54:59 ID:Vp4wu53D
>>131
スピキオ>ハンニバルとか無意味な不等号をつける気はないが、
スピキオとの直接対決でカンネーの再現されてんのに、
何を根拠にハンニバル>スピキオとか言ってるわけ?
ただの池沼?

134 :人間七七四年:2007/03/16(金) 14:27:37 ID:DDlVJpwS
三方が原で傍観
後から来る織田本隊と挟み撃ち

どうして考えなかったんだろ

135 :人間七七四年:2007/03/16(金) 14:31:15 ID:a587fV5T
>>126
最後は戦わずして崩壊してたじゃない

136 :人間七七四年:2007/03/16(金) 18:36:19 ID:02RAb5ax
>>134
領地が荒らされるのを放置していたら領民から見放されるから
特に武田の乱取りは過酷なのにそれを防ごうともしない殿様に誰も年貢など納めてくれない

137 :人間七七四年:2007/03/16(金) 18:51:31 ID:cQyXEIB3
>>136
それが事実だとしたら
何で三方ヶ原以降長篠までは決戦を避けて武田軍が荒らすのを放置していたのに
領民から見放されなかったのか

138 :人間七七四年:2007/03/16(金) 21:50:19 ID:Um4QmC7R
見放されていた時期もあったんじゃない?
現にバタバタ離反されそうになってて、半分発狂して大賀弥四郎を
鋸引きで惨殺して周辺に見せつけたりしていたわけで。

江戸期になって史実の記録は捏造の限りを尽くして改竄していても
そうなんだから、当時の実態なんて怪しいもんだよ。

139 :人間七七四年:2007/03/16(金) 22:06:17 ID:cMihzzKu
謙信の大軍にさんざ領土が蹂躙されても手をこまねいて見てるしかなかった小田原北条氏も、
その後領民に見放されたという話は聞かない
むしろ家康にとって心配だったのは家康に表向きは臣従してる遠江や三河の豪族達の離反だろう



140 :人間七七四年:2007/03/17(土) 00:57:20 ID:pHt/f6QL
>>139
北条の場合しっかり城で守ってくれるし、
実際謙信は、北条と上杉の間をうろちょろしてる豪族の城は落とせても、
北条家の支城に関しては全然落とせてない。

そりゃ信頼感が違うだろう。

141 :人間七七四年:2007/03/18(日) 13:20:06 ID:365BMVTf
謙信はちょっと頭を下げていればすぐ越後に引き返して何の統治も
していないからすぐ北条に帰服できるし、北条もそれを分かってるから
とやかく言わずに旧に復せるしなあ。

繰り返していれば習慣になるけど、三河駿河の境界線上の土豪たちの
去就はそう簡単じゃなかったろうしなあ。武田もヘタクソな統治を
してたから何とかなってたけど、もう五十年くらい時代が違ってたら
家康もとてもじゃないが持たなかった可能性もあるわな。

142 :人間七七四年:2007/03/20(火) 12:10:24 ID:Clu/0zK+
家康が野戦の達人と言われたのは妥当な評価だろうね。
野戦の達人と言われたのは家康の晩年だったはず、
周りの大名は代替わりして2代目だったり、
元部隊指揮官が秀吉のコネで出世したりで
一国の大名として戦歴を重ねてきた指揮官が少なくなっていた時代だったはず。
だからその当時で野戦の達人と言えば太閤にも対抗した家康しか残っていない。
(まあ島津は匹敵する力はあったろうが知名度で劣っていた)
そんな状況での評価なわけだから野戦の達人と呼ばれたことは妥当だと思う。
実際に家康が野戦の達人ではなかったとしてもね。
俺も達人と言うより普通に良将くらいだとは思う。

143 :人間七七四年:2007/03/26(月) 13:33:06 ID:/hGGXIH+
日本で唯一秀吉の大軍勢に野戦で敗北しなかった戦功を持つ武将が家康だ。
島津が家康に匹敵といっているが、島津は秀吉にバンザイしちゃっているだろ。
家康の手腕は島津を上回っているだろうが。役者が違う。

144 :人間七七四年:2007/03/26(月) 14:11:50 ID:lY5v7j8F
長久手って三河兵が精強なのはわかるけど家康の采配がすげぇって
感はないよね。

中入り成功しちゃたまらんから全力であたったら敵が小城にかまったおかげも
あって捕捉&撃破、秀吉本軍に会戦はまずいので小牧にとって返した。という
訳で、水準以上の将ならだれでも同じ事をしたんじゃね?強行軍や遭遇戦勝利
を可能にする兵質があれば。

強行軍といえば秀吉の賤ヶ岳の合戦もそうなんだけど、こちらは機動戦を
予測して美濃に行くときに既に戻ることを準備している。自由自在の城攻めも
含め、秀吉の戦いには知略を感じるが、家康にはそれが感じられない。
陣形だけをとっても三方が原、関が原といちゃもんしかつけられてないし。

145 :人間七七四年:2007/03/26(月) 18:52:00 ID:0Do5TauV
戦術指揮官としては島津義弘とかはかなり良いところまで行くと思うけどね。
ただし、政治家としては圧倒的に家康だし、太閤に勝っている実績もかなり派手だと思う。
ただ、家康の実績の内、どれだけが家康の野戦指揮官としての実力ゆえかって言うと判断が難しい気がする。

しかも家康の凄さって言うのは戦に関しては部下を上手く使いこなすって言う才というより
器的な凄さじゃないかって言う気もしている。







146 :人間七七四年:2007/03/26(月) 22:44:50 ID:eewZTdYw
家康が「偉大なる東照大神君は完璧なる才能を持った偉人」
というような評価には違和感があるが、
逆に「家康が運だけ」といいたがるのは鈴木眞哉のうけうり
運をモノにするだけの才能はあるし、
運が巡るべく手は打っている

関ヶ原にしても鈴木や信者は「運がよかっただけ」と貶しまくるが、
家康の内応策が生きて勝利しているわけで、
少なくとも家康が手を打たなかったら、
こういう形での勝利がなかったことは間違いない

もっとも家康の才能は合戦の指揮能力より
保身に長けた政治能力の高さだと思うが

147 :人間七七四年:2007/03/26(月) 22:51:11 ID:i3XeJFtu
鈴木某の本を読まなくても、運で天下が転がりこんできたのはよくわかる

148 :人間七七四年:2007/03/26(月) 22:56:22 ID:GHYRSw41
運だけは言い過ぎだと思うが運の部分が大きかったのは事実

149 :人間七七四年:2007/03/26(月) 23:00:35 ID:eewZTdYw
>>147
だからその考え方が鈴木ともろ一緒なんだってw
運という要素を無視しろとは言わんが、
それだけで思考停止してすべてを見ようとするのは、愚の骨頂

そんな事言い出したら、
例えば信玄だって幸運の限り

親父が甲斐の地ならしをしてくれて、
しかも家臣団や領民の不信を買っていたために、
クーデターを起しやすい環境にあったし、
信玄が得意とする策略の数々だってたまたま当たっただけで、
それは実際成功するかどうなるかわからない

高く評価される「信長包囲網」にしたって、
現実には朝倉の脱落という形で失敗しているしね

家康を「運だけ」と否定したいなら、
他にも当てはまる例は少なくないよ

150 :人間七七四年:2007/03/26(月) 23:03:42 ID:eewZTdYw
>>148
運がめぐっても朝倉義景のようにわけわからんことするやつもいる
信玄西上にともなう信長包囲網で信長が窮地に陥り、
反信長勢最大のチャンスが到来するも、これをみすみす逃すのだから

少なくとも運がめぐってきたらこれを逃すことなく、
自身の糧にするだけの才能はある

もっとも信長とかと違って、そういう「運」が巡らなかったら家康の場合、
今川の有力家臣の一人でも満足だったろうね

151 :人間七七四年:2007/03/26(月) 23:04:30 ID:eewZTdYw
>>150補足

>少なくとも運がめぐってきたらこれを逃すことなく、
>自身の糧にするだけの才能はある

これは家康のことね

152 :人間七七四年:2007/03/26(月) 23:14:46 ID:/hGGXIH+
実力がなくては運はつかめない。
家康は相当の実力の持ち主だわな。

153 :人間七七四年:2007/03/26(月) 23:25:33 ID:eewZTdYw
>>152
信長や秀吉、信玄、元就とかと比べると派手さがないし面白くないけどね

基本的に弱いものいじめが上手くて、
強いものには「律義者」を装いながら、ちゃっかりそれなりの地位を確保して、
隙あらばその強いものから全てを奪い去ろうとするような男だから

実際そうやってのし上がったのが家康だから、
「家康公は偉大英雄なのだ」と評価する気にはなれん

ただ、「運」というだけで思考停止するのには違和感があるだけ

154 :人間七七四年:2007/03/26(月) 23:29:22 ID:/hGGXIH+
>>153
ほう、小牧長久手も武田との合戦も弱いものいじめだったのか。
家康よりも弱かった秀吉信玄像の持ち主か。珍しいねチミw
俺はむしろ、家康は常に自分よりも大きく強い敵と戦い続けてたイメージがあるな。

155 :人間七七四年:2007/03/26(月) 23:43:55 ID:eewZTdYw
>>154
上に書き忘れたが、あと家康の大きな特徴の一つに、
「一度手に入れたものは誰にも渡したくない」というケチな部分があって、
その特徴から考えれば、武田との12年戦争は簡単に理解できる。

武田との合戦は相手が自身の領土に大侵略してきたから、
これを守るために迎撃しているだけのことであって、
武田領を侵略しようと積極果敢に好き好んでやっているものではないよ。
もし武田が何もしてこなかったら、友好関係を維持してたろう。
基本的にそんな大冒険するような男ではない。

そして設楽が原合戦の勝利の後、
武田が不利になるや途端に積極的に攻勢に出ていき、
最終的に武田滅亡に大きな役割を果たしているところから見て、
「強いものに積極的にいどむ」というイメージとは異なると思うが?

武田との抗争にしぶとく勝ち抜いたことは評価するべきだと思うし、
家康を無能者と見るのには違和感があるが、
かと言って「強いものに自ら積極果敢に挑んだ家康」というのは異なると思う。

156 :人間七七四年:2007/03/26(月) 23:47:50 ID:/hGGXIH+
家康の対戦相手、今川、武田、浅井朝倉、北条(小田原役じゃなくて徳川8千で北条4万を破った甲州入りのときのな)、秀吉、関ヶ原西軍
こいつらと戦うのが弱いものいじめなら、家康どんだけ強かったんだ?
そりゃ野戦の達人といわれるわけだ。

157 :人間七七四年:2007/03/26(月) 23:49:55 ID:eewZTdYw
小牧長久手についてもそう。

あの合戦が起こったときは秀吉の「天下」もまだ定まったわけでなく、
混乱状況にあったからこそ「勝てるかもしれない」と戦いを挑んだわけで、
もし秀吉が小田原攻めのような状況にあったら、戦いは挑んでいないだろう。

ただ、この小牧長久手の時の家康の最大の特徴は、
戦争としては秀吉に敗れるけれども、
小牧長久手の局地戦の勝利や秀吉が西国攻めなどもあって、
家康ら東国勢との戦争を嫌がっていると見るや、
わざわざ秀吉から人質までとって最終的に臣従し、、
豊臣政権の中でNo2的な独特の存在感を発揮するような立場に収まるところ。

こういう抜け目のない政治的駆け引きの才能が家康はズバ抜けて高いと思うよ。

158 :人間七七四年:2007/03/26(月) 23:55:50 ID:/hGGXIH+
>>157
小牧長久手の何処が弱いものいじめだよ。
明らかに戦力的劣勢の中で秀吉の大群と対峙しているだろ。
自分よりも大身の敵と積極的にっ戦ったことに間違いはない。
甲州入りのとき北条の大軍と戦ったのも同じだ。
関ヶ原まで家康は自分の身よりも大きな敵と戦い続けていただろう。

159 :人間七七四年:2007/03/26(月) 23:57:31 ID:eewZTdYw
>>156
今川攻めに参加するのは義元亡き後の、
混乱状況の今川家に対してであって、
駿河公方と呼ばれた当時の今川家ではない

武田については>>154のとおり

浅井・朝倉は織田との戦争に同盟国として参加しただけ
自ら挑んだものではありません

北条との戦いも北条家との全面戦争を行おうとしたものではなく、
あくまで旧武田領争奪戦として、いわば局地戦として争っただけ

秀吉との戦いについては>>157のとおり

関ヶ原については天下人秀吉に挑むのではなく、
秀吉亡き後の混乱状況下で、政治工作をフルに生かしながら、
抜け目なく天下を狙い、単独での勢力がはるかに劣る三成と全面戦争になっただけ
西軍があそこまで大きくなるのは家康にとって最悪のケースだったろう


合戦指揮能力とは別として、
家康が自ら戦いを挑むのは基本的に同等もしくは弱い相手だけです
ケンカ売られたら自分の土地を守るために戦いに臨むがね

160 :人間七七四年:2007/03/27(火) 00:00:12 ID:qlehXNjn
>>159
今川も北条も小牧のときの秀吉も家康よりも大身であったことに変わりはない。
家康は関ヶ原まで自分よりも”大きな”大名と”積極的に”戦っていた。
弱いものいじめなどという表現は明らかにまちがっている。

161 :人間七七四年:2007/03/27(火) 00:00:19 ID:SBoN7Xv6
信長の言うとおり岡崎に移って籠城すべきだったんだよ>信玄の侵攻
なんで浜松から突撃かました家康は戦略眼に疑問符が残る
ケチだから。みたいな馬鹿な説は言わないけど

162 :人間七七四年:2007/03/27(火) 00:04:25 ID:DiF5STMY
>>158
家康の全てが弱いものいじめとは言ってないが?
「基本的に」家康の戦略姿勢はそういう「弱いものいじめ」にある、と言ってる

義元の在世中に義元に謀反を企てたか?
信長の健在中に信長に反旗を翻したか?
自分から積極的に信玄健在の武田領に攻め入ったか?
臣従後、生前の秀吉に反旗を翻したか?

小牧長久手については合戦そのものを評価することもいいが、
むしろそのあとの簡単に秀吉に屈しなかった、
政治的駆け引きを高く評価するべきだよ
あの政治駆け引きの妙が「五大老筆頭」の背景に大きく残っているんだから

163 :人間七七四年:2007/03/27(火) 00:05:22 ID:DiF5STMY
>>160
大身であっても明らかに弱体化してるのよね
ここが大事

164 :人間七七四年:2007/03/27(火) 00:08:52 ID:DiF5STMY
>>161
積極的に突撃かましたってか、
篭城してたら武田の先遣隊と小競り合いになって、
そのまま信玄に誘い出されたっぽいけどね<三方ヶ原

ただ領主としての地位を守るためには、
あそこで武田に戦いを挑まないと、全てが崩れかねない危機的状況だった

武田との遠江三河争奪戦で評価するべきなのは、
武田に戦いを挑んだ事もそうだけど、
それよりも浜松からの徳川支配体制を根本的に崩さなかったことだと思うよ
これは見事だと思う

165 :人間七七四年:2007/03/27(火) 00:10:11 ID:7D/gh1nx
家康が弱いものイジメだというイメージは、
旧主である今川や豊臣をネチネチと痛めつけたをからそういう印象が有るだけで、
こと戦に関しては壮年の頃はむしろ無鉄砲といってもいいくらい
冒険家だったと思うが

166 :人間七七四年:2007/03/27(火) 00:11:31 ID:DiF5STMY
誤解されては困るが、
家康が「弱いものいじめ」を得意とするから魅力的ではないと思うけれど、
才能がないとか運だけの凡将とかいうつもりはないからな

167 :人間七七四年:2007/03/27(火) 00:14:09 ID:DiF5STMY
>>165
>壮年の頃はむしろ無鉄砲といってもいいくらい
>冒険家だったと思うが

例えばどんな戦いをもって?

武田との遠江・三河争奪戦の場合は、
自身の領主としての地位を守るためには絶対避けられないものだから、
これをもって冒険家とはいえないと思うよ

168 :人間七七四年:2007/03/27(火) 00:14:37 ID:ltFOYC9V
>>162
戦略的に戦うのが間違ってる相手に攻めるのはただの馬鹿。
大国で名将が相手では三方ヶ原がいい例。
大国だけど凡将。でなければ逆転なんてできるわけないだろ。

169 :人間七七四年:2007/03/27(火) 00:19:22 ID:7D/gh1nx
その三方ヶ原が家康にとってどうしても避けれない戦いだったという認識がそもそも誤り
神君家康公が勝つ可能性の極めて薄い戦いを自分から仕掛けて叩きのめされたのを、
民のことを考えて、とか止むを得ない事情が有ったから仕方が無いというのは典型的な徳川史観
大軍相手に城に籠って防備を固め、援軍や相手の包囲が緩むまで待つというのは戦国時代によく見られた当たり前の戦法
それをしたからといって武士の名が廃ったり、配下が全員家康を見捨てて離反するなんてそもそも有りえない
単なる判断ミスかそうでないなら若気の至りだろう

170 :人間七七四年:2007/03/27(火) 00:22:27 ID:DiF5STMY
>>168
「積極果敢に強いものに挑んだ」というのに違和感があるだけ

あなたのおっしゃるとおり、家康の場合、
「勝てそうな相手とのみ戦をする。しかし止むを得ない場合は例外もある」
と手堅く戦略を立てて最終的に勝利を収めていったということ

ただこのケースは信長や特に元就なんかと比べると、
保守的であるし派手さがなく、あまり魅力的ではないと思う。
実際家康を批判する連中の多くは、こういうところを嫌うからね。
で、あげく「運がよかっただけ」と堂々と貶めることを言うやつも出てくる始末。

魅力的ではないとおもうから「弱いものいじめを得意」とかいたけれども、
しかしそれをもって無能とか運がよかっただけなどというつもりはない

171 :人間七七四年:2007/03/27(火) 00:27:42 ID:DiF5STMY
>>169
誰も家康が篭城するつもりはなかったなどと言ってはおりませんが?

基本的に篭城策を推進したかったが、武田の圧倒的な侵攻を前に、
武田との国境周辺の「国人領主」を中心にどんどん武田方に下る始末で、
このままでは徳川家の支配体制が崩壊する危険性があるから、
いずれは出陣せざるを得ないという背景もあったと言ってる。

もっともおっしゃるように徳川の国人層や岡崎衆はともかくとして、
浜松の政権中枢は一致団結してて、
この武田侵攻で崩壊する事はなかったんだけどね

三方ヶ原そのものについては信玄の策が成功しただけで、
家康自ら積極果敢に打って出た彼本意の戦いとは言ってない

172 :人間七七四年:2007/03/27(火) 00:28:53 ID:XgwDmN5i
野戦の達人はピンチになってでも一か八かの賭けで勝負することはあっても
特にそこまで切羽詰ってるわけでもないのにピンチになることはありません

173 :人間七七四年:2007/03/27(火) 01:30:53 ID:U7ZxwuhP
>>15>>33>>41>>46>>47>>81
鈴木眞哉の影響をまともに受けているのがよくわかるレスだ

特に>>15>>33>>46>>47あたりは鈴木の著書のまんまだね

174 :人間七七四年:2007/03/27(火) 01:42:21 ID:SPW7sRy1
>>172
誰か通訳頼むもちろん、100回声に出して読みました

175 :人間七七四年:2007/03/27(火) 01:44:18 ID:U7ZxwuhP
>>174
わけわからんのでスルーした
しばらく雑談付き合ってもらえるかね?

176 :人間七七四年:2007/03/27(火) 01:46:06 ID:l3ppT+JX
>>172は声に出して読みたくない日本語

177 :人間七七四年:2007/03/27(火) 01:48:53 ID:U7ZxwuhP
>>172推測
>野戦の達人はピンチになってでも一か八かの賭けで勝負することはあっても

野戦の達人はピンチになったら一か八かの大勝負をする事はあっても

>特にそこまで切羽詰ってるわけでもないのにピンチになることはありません

特に大勝負をしなければならないほど切羽詰まっているわけでもない時に、
ピンチに追い込まれる事はありません


こういうことかね?

178 :人間七七四年:2007/03/27(火) 02:09:34 ID:c48Ga2G7
>基本的に篭城策を推進したかったが
これソースよろしくね

179 :仙台藩百姓:2007/03/27(火) 02:26:44 ID:cvm4Z/cl
篭城してればあんなに犠牲出さなくて済んだのに家康が阿保のお陰で酷い目にあったおね(;^ω^)
後詰めがあるのにわざわざ不利な戦い仕掛けるなんて
家康は信玄にビビって気が狂ったのかお( ^ω^)

180 :人間七七四年:2007/03/27(火) 03:02:00 ID:hztCconM
信長、秀吉は天才だが家康は運が良い凡人のイメージがある。
失敗した経験を血肉にしていって天才タイプと渡り合った。

タイプとしては謙信に対する信玄に似てるのかな。
敵とはいえ絶好のお手本が近くにいたのも運が良いといえる。

181 :人間七七四年:2007/03/27(火) 04:24:13 ID:9e2GE2Zu
長久手って分からないんだよなあ。
あれ、ただでさえより多くの人数抱えてた秀吉が間抜けに懐手して見てないで、本隊が消えて少なくなった家康陣を
落としにかかれば、家康は平地で腹背に敵受けて、一気に窮地に陥るよね。
秀吉に気付かれないような策打ったんだとしたら、神君の神謀とかで史書にかかれてても良さそうなもんだけど、そんな
のも見た事ないし、ただ秀吉が抜けてただけじゃないのかな。
目をつぶって突進したら勝っちゃったレベルの、ただの僥倖な気がする。



182 :人間七七四年:2007/03/27(火) 05:17:16 ID:HwHyUNsO
>>180
同意

183 :人間七七四年:2007/03/27(火) 06:18:14 ID:mqFqhMf1
>>170
馬鹿馬鹿しい。勢力を築いた歴史上の人物は
常に勝てそうで、実入りの期待できる相手から戦うわ
派手さがないとか、小説に影響されすぎだ
>>180
運が良いだけで、天下が取れるわけないでしょ
信長にしても秀吉にしても、幸運に恵まれているわけだし
その点を無視して、家康のみ運が良いってのは不公平だと思うぞ
運を活かせるのも、実力のうちだわ
信長・秀吉が天才肌で、家康が凡人ってイメージは確かにあると思う


184 :人間七七四年:2007/03/27(火) 06:50:50 ID:0iOhgAT3
関ヶ原の不利な状況からの逆転劇は本多正信の知略のおかげ
姉川や小牧の奮闘は本多忠勝の武勇のおかげ
本多兄弟がいなかったら田舎侍に過ぎない

185 :人間七七四年:2007/03/27(火) 07:34:50 ID:Fs87cChg
でも、家康って人生の節目の戦いで、ちょんぼってるよね。
しかも、野戦で・・・。

186 :人間七七四年:2007/03/27(火) 08:23:11 ID:jmVuqfZi
海戦ってしたことあるのか?

187 :仙台藩百姓:2007/03/27(火) 09:50:14 ID:cvm4Z/cl
長久手も同数同士が正面からぶつかっただけの
珍しくも何ともない戦だお
あれぐらいの活躍で野戦上手になるなら
何十人も野戦上手がいるお(;^ω^)
家康は晩年になっても全然成長してないお
大坂なんかじゃ目茶苦茶で指揮も糞もないお

188 :人間七七四年:2007/03/27(火) 10:22:19 ID:SPW7sRy1
>>187
政宗に比べれば誰でも達人に見えるはずなのだが
政宗が土下座の達人なのはみとめているお

189 :人間七七四年:2007/03/27(火) 12:06:30 ID:Th454Q0V
家康の才能は現代の政治家の成り上がり方の見本。
織田配下でも別格の地位を持ち、秀吉の義弟となり派閥を広げ天下を取った。
政宗は小型家康だな。

190 :人間七七四年:2007/03/27(火) 15:12:48 ID:HWE7ydeu
「家康は幸運だっただけ」と主張する意見を持つ人間の特徴

1:家康は今川義元、武田信玄、織田信長、豊臣秀吉と、
 強大なライバルが次々と死んでくれた。だから勢力拡大・天下取りができるの当たり前。

→幸運な状況が転がり込んだ事は否定できない。
 しかし問題はその状況下でどう行動するべきか。この主張にはそういう視点が抜けている。
 
 例えば朝倉義景は足利義昭に頼られるのだが、
 義昭を推戴し、将軍に押し上げれば、
 当時の朝倉の勢力から見て、織田信長のような地位につくことも出来ないわけではなかった。
 が、現実は義昭を擁護するだけで行動をしようともしなかった。

 さらに織田包囲網に参加し、信玄西上の際には反織田勢最大のチャンスが到来するも、
 義景は「冬になったら越前に戻りづらい」ことを理由にさっさと兵を引き上げてしまい、
 信長討伐のチャンスを逃した。

 同じような事は元就亡き後の毛利家にも言える。
 例えば本能寺の変が起こり、毛利勢の反撃のチャンスが訪れるも、
 のちに五大老の一人となる小早川隆景らは大きな反撃をする事もなく見過ごしてしまい、
 「関ヶ原」の際も西軍総大将に祭り上げられ、天下取りのチャンスが巡って来るも、
 積極的な動きを起こすことはなく、逆に「西軍の総大将であった」ことを理由に大幅に領地を縮小されてしまった。
 

 運が巡ってもその当人がどのように行動するかによって、そこで飛躍できるかどうかは決まる。

191 :人間七七四年:2007/03/27(火) 15:20:39 ID:Ei10+U3w
頭悪そうな子だな
1しかないのに番号振る意味がわからん

192 :人間七七四年:2007/03/27(火) 15:30:16 ID:HWE7ydeu
2:関ヶ原の勝利は家康が仕組んでいた西軍の裏切りによるものだが、
 それが成功したのは運がよかっただけ。

→関ヶ原に際し、西軍の健闘により家康の内応策が崩壊する危険が皆無であったとはいえない。
 「政治能力も野戦能力も圧倒的に高い家康が勝つべくして勝った」
 などとはいえない。西軍が十分すぎるほどに健闘したことは事実である。
 また、家康の事前工作が100%成功する保証があるものではないことは当然の事である。
 
 しかし、関ヶ原の際の「幸運」は家康の事前の工作があって、
 はじめて生まれるものであることをこの主張は見過ごしている。
 「工作が成功するかどうかはその時になるまではっきり分からないのだから何もやらない方がいい」
 と無謀に戦いを挑んだらただの愚将として評価されて終わるだろう。

 関ヶ原については西軍の活躍により、
 家康の事前工作の不確定要素が増し、それを崩壊させかけない状況にあった。
 が、結局突き崩すには至らなかった、と見るのが妥当だろう。
 
 また、この「関ヶ原の家康は運がよかっただけ」と批判をするものは、
 西軍三成方の、
 「総大将毛利家の分裂」「西軍の不統一性」「東軍西上の見誤り」などといった失点に目をつぶっている。
 家康の失点ばかりをあげつらうが、三成方にも失点はあったのである。 
 
 あと、「策がたまたま当たっただけで幸運」という批判もあるが、
 そんなことを言い出したら、
 「戦前の事前工作の成功により勝利したものは皆、幸運に救われただけ」
 と見るべきであり、例えば武田信玄などは僥倖の連続と批判するべきである。
 家康にだけこの例を当てはめて批判しようとするのはおかしい。

193 :人間七七四年:2007/03/27(火) 15:30:40 ID:HWE7ydeu
>>191
最後まで読めないお前が馬鹿

194 :人間七七四年:2007/03/27(火) 15:32:38 ID:HWE7ydeu
>>184
姉川で活躍したのは小笠原など高天神衆
あと本多正信と忠勝は兄弟でもなんでもない

195 :人間七七四年:2007/03/27(火) 15:42:04 ID:fLp/gOF0
野戦の達人というのなら、織田信長や毛利元就みたいに数や勢力で劣ってるのを野戦手腕で逆転したことが一回は欲しいよな

196 :人間七七四年:2007/03/27(火) 15:47:27 ID:HWE7ydeu
>>195
武田との抗争でも三方ヶ原は別にしてもそれなりに戦い抜いたり、
小牧・長久手の勝利とかを見ると、家康の指揮能力はともかくとして、
すくなくとも彼の率いる三河勢には一定の強さがあったとみるべきなのだろうね。

家康の才能はその三河勢の強さを背景に政治的な工作を展開するところじゃないか?
>>189の評価は妥当だと思う

197 :人間七七四年:2007/03/27(火) 15:52:05 ID:fLp/gOF0
小牧長久手の場合、織田信雄も直率して参戦しているのにそっちは完全にスルーされる場合が多いのはかわいそうだ

198 :人間七七四年:2007/03/27(火) 15:52:29 ID:DO+eDs8N
「家康は幸運だっただけ」というのがどういう主張の為であるかによって変わってきそうだな
家康が無能であったか、という主張なら運を物にするのも実力とするのが正しいだろうし
家康が人傑の内でも抜けた存在、という主張なら少なからず絡む運の要素を無視して
天下人である事を最重要視するのが正しいとは思えない
まあ、どれにせよ直接野戦上手であるかどうかに絡んでくる会話では無さそうだ

で、そもそも「野戦の達人」というのが何を指してるのか誰か知らんか?
俺はぶっちゃけ話は聞いたことはあるが出展は聞いたことない
前後の話があれば指揮能力の事なのかお膳立てが得意なのか
話を絞る事くらいは出来るかも知れんよ

199 :人間七七四年:2007/03/27(火) 16:01:02 ID:HWE7ydeu
>>198
「家康は運だけの凡君」というのに反論しているだけで、
「神君家康最強」などというつもりはないので誤解しないでほしい。
運をモノにするだけの才能と勢力は持っていたと考えているので。

「野戦の達人」の評価は小牧長久手あたりを論拠にしたものが多いのでは?
家康で評価するのは合戦指揮能力よりもそれ以前の工作や、
家中の統制などいわゆる政治能力を評価するべきだと思うのだけど。

200 :人間七七四年:2007/03/27(火) 16:04:04 ID:mqFqhMf1
少数・武装等が劣る状況で撃破することが、野戦の達人と指してるのかね
政治・戦略家を兼ねてる人物程、そんな状態にならないわけだし
信長は桶狭間以降は、大抵の戦場で相手より有利な状況を敷いてるはず

>>198
ここで、家康を幸運だっただけっての大半は家康が無能って主張だが
家康が人傑の中でも抜けた存在って主張のやつは、運の良さを否定してないと思うぞ
まあ、どのみち「野戦の達人」とやらには関係ない話だ

201 :人間七七四年:2007/03/27(火) 16:04:52 ID:SSlkxNM+
政治・外交・謀略は上手で野戦・攻城もある程度の水準って考えると
旧来の手堅く忍耐&律儀で野戦上手の家康像とは違って
意外にオールマイティな家康像になるね。

202 :人間七七四年:2007/03/27(火) 16:07:40 ID:mqFqhMf1
>>201
信長・秀吉・家康も実像とイメージの差は激しいほう
小説の主人公になる人物は、大抵そんな感じかね

203 :人間七七四年:2007/03/27(火) 16:10:01 ID:HWE7ydeu
>>200
「家康は弱いものいじめが得意」なんてカキコあるけど、
信長が好き好んで包囲網敷かれたわけでもないし、
信玄が喜んで謙信に戦いを挑んだわけでもないしね

少数で多数に挑むのは傍から見る分にはかっこよくていいけど、
その当事者としてはそんな危険な博打にいつまでも参加したくないと思うだろうね

204 :人間七七四年:2007/03/27(火) 16:11:04 ID:fLp/gOF0
>>200
個別の戦をみると、森部合戦では千六百で六千の斎藤軍を迎え撃ったり
天王寺合戦では一万五千の本願寺勢に三千で突撃したり
無茶をけっこうしてるぞ信長は
そして勝利している
毛利元就も、有田中井手合戦では後年有名になる謀略抜きで五千の武田元繁軍を千五百ほどで撃破してるし

205 :人間七七四年:2007/03/27(火) 16:13:52 ID:HWE7ydeu
>>201
戦国時代って、
「軍神武田信玄」とか「闘将上杉謙信」とかいったように、
過剰な評価が多すぎるように思うよね。

自国を維持し、勢力を拡大していくことができる大将ってのは、
それだけの才能を持っていると見るのは当然だけど、
「偉大なる○○公は〜」というように過剰評価するのもどうかと思う。

206 :人間七七四年:2007/03/27(火) 16:15:28 ID:fLp/gOF0
豊臣秀吉も箕浦合戦では五百の兵で三千ほどの浅井・一向宗連合軍を撃破している
全体的な才幹はともかく、家康の野戦能力という点では実績について激しく疑問なんだな……

207 :人間七七四年:2007/03/27(火) 16:21:26 ID:mqFqhMf1
>>205
それは、小説とかゲームとかの評価だから
それを、実像の評価に持ち込んでしまう人がいることが問題なわけで
>>206
つまり、野戦の達人の定義は、少数で大軍に勝利しているか否かってこと?
まあ、野戦の達人という能力は、大名に求められる才能でないのは確か


208 :人間七七四年:2007/03/27(火) 16:23:51 ID:HWE7ydeu
武田との抗争なんかはこれを耐え抜いたことに評価があっていいと思うんだけど、
これは織田との同盟を背景に武田と互角に渡り合おうとしてたわけで、
その証拠に高天神城なんかの場合勝頼の大軍を前に単独で後詰しようとはしてないし、
確かに家康は類稀なる指揮能力で戦いに勝利したっていう印象はないね

209 :人間七七四年:2007/03/27(火) 16:28:37 ID:HWE7ydeu
>>207
家康を「運の人」と批判する人はいても、
信玄は強い偉大な人と主張する人は少なくなかったりするのな
上のほうにある鈴木眞哉とかまさにその典型だから

必要以上に褒め上げる必要はないと思うけど、
かと言って逆に貶めまくる必要もないわけで

自国を維持するような大名ってのは皆一定の能力は備えていて、
それぞれに例えば外交の事前工作など政略を重視するタイプとか、
合戦でずば抜けた才能を発揮するタイプとかに分かれると思うのだけど

210 :人間七七四年:2007/03/27(火) 16:34:34 ID:HWE7ydeu
>>206
合戦指揮能力を自身の政治力の高さでカバーしてるって感じじゃないの
家康の場合は

211 :人間七七四年:2007/03/27(火) 19:19:27 ID:nbRGX6i6
本多忠勝や榊原康政、井伊直政といった、
家康の直属の旗本衆が合戦上手だった影響もあって、
「それらを指揮する家康もすごい」というイメージになっちゃってるんじゃないの?

212 :人間七七四年:2007/03/27(火) 19:40:11 ID:0iOhgAT3
>>211
だな
特に本多忠勝なんて戦場にほっぽり出しとけば
何十人も殺して自分は傷一つなしに帰ってくるからな
それを家康の頭脳として評価するのはおかしい
あと戦略的な頭脳なら本多正信が補佐してるし

213 :人間七七四年:2007/03/27(火) 19:42:36 ID:nbRGX6i6
>>212
家康無能論を唱えるつもりはないんだが、
合戦指揮能力について言えば、家臣団の影響が否めないんじゃないのかと
家康の場合その家臣団を背景にした政治能力の高さが特徴だな
しかも本多親子みたいなのがこれを補佐する仕組みという鬼仕様

214 :人間七七四年:2007/03/27(火) 21:54:24 ID:WFSrh/WY
先代が築き上げてくれた家臣団とでも言うならともかく、
自身に能力がないのに家臣団だけ出来上がっていくわけ無い。

215 :人間七七四年:2007/03/27(火) 22:46:14 ID:RrU+m3WL
家臣が十分実力を発揮できるような環境を作り上げるのが武将の器というもの
一対一で戦うわけじゃあるまいし、当然そういうことも含めて強い弱いという話になる

216 :人間七七四年:2007/03/27(火) 23:02:20 ID:qBDunKyw
合戦に際して家臣団の能力を見極め使い切るには、
それ相応の才能がなければならないので、
家康にそれなりの指揮能力はあったと見るのが妥当
もっともそれらをふだんから統制するのは政治力の方が大きいと思うが


217 :人間七七四年:2007/03/28(水) 00:29:48 ID:vICdXGTF
ゲームじゃあるまいし、本来政治だの戦闘だのと切り分けられるもんじゃない。

218 :人間七七四年:2007/03/28(水) 00:35:20 ID:lVUsFf+K
関が原の家康の事前調略を
戦略と戦術って分け方するなら戦略かな?

野戦の達人が意味するところが、戦術の達人であれば
否となるかもしれないが、この場合の達人って
戦略、戦術まで含めて考えていいと思うから、
関が原に関して言えば達人と言っても差し支えないと思うな。

三方ヶ原に関しては相手のほうが上手だったんじゃね?
ってところだけど・・・。

219 :人間七七四年:2007/03/28(水) 00:39:51 ID:3XhxQsrU
>>218
負けた時に自画像書かせて反省してるだろ

220 :人間七七四年:2007/03/28(水) 00:53:55 ID:7D7SQ6ax
関ヶ原は相手がやる気なしの総大将の毛利は大坂城&実質の指揮官がたった19万石の石田三成ってのがね、
むしろ関ヶ原なんていう決戦の場の持ち込まれてる時点で微妙な気がするけど。

221 :人間七七四年:2007/03/28(水) 01:03:52 ID:TTQddaZK
>>220
家康嫌いだというのがよくわかるレスですね

222 :人間七七四年:2007/03/28(水) 01:11:13 ID:lyaNV2Zu
関ヶ原に持ち込まなければ豊臣政権を一気に簒奪することはできなかっただろう
家康にとっては単に三成との戦いではなく、
豊臣政権の基盤を壊滅させる戦いだったので大規模なほど効果的であり、
文学的表現すれば秀吉の影との戦いだった

223 :人間七七四年:2007/03/28(水) 01:17:58 ID:lVUsFf+K
>>222
山岡荘八に言わせれば、
秀吉とやった小牧長久手の後半戦だっていうんだから、
秀吉の影との戦いだったってのはうまく言い当てていると思う。

224 :人間七七四年:2007/03/28(水) 01:24:18 ID:sXtJSJxB
>>220
関が原の決戦に持ちこむことに意味があったし
その布石も、家康は打ち続けていたわけだが
ここでの家康嫌いの人は、偏見が激しすぎるな
小説の影響受けすぎなんじゃないの?

野戦の天才の定義は解らないけれど、天才ってイメージはないな。家康は


225 :人間七七四年:2007/03/28(水) 01:24:46 ID:EMPQT0Zz
信長、秀吉などの天才タイプというのは、自ら物事を学ぼうとしない欠点があったりする。
凡才タイプだと、人のやることを真似しようとするし、
秀才タイプだと、悪いことも良いことも観察し、欠点がないように努めようとする。
家康の場合、天才ではないが、得てして秀才とも取れないところがあるよね。
だからこそ努力家だったと思うし、それだけ長生き出来たからこそ天下を取れたとも言える。

226 :人間七七四年:2007/03/28(水) 01:26:07 ID:OVRph+97
山岡荘八アホだなw
小牧・長久手と関ヶ原は全然状況が違うのに
まあ小説だからわかりやすい表現使っただけかもしれないが

227 :人間七七四年:2007/03/28(水) 01:31:42 ID:7D7SQ6ax
>>221
家康が全肯定されないと気がすまない方ですか。

>>222
関ヶ原は家康が持ち込んだんじゃなくて完全に持ち込まれた側だろ、
家康の戦略は大大名を順々に潰していくはずだったのに
上杉討伐の最中に三成に蜂起を許した結果決戦せざるを得なくなった。
また織田秀信のポカによる岐阜城開場や、三成の掌握力不足、
毛利輝元が消極的な為に毛利家の意思統一の乱れと相手側のミスが大きく、
一気に勝負が着けられたのは運が良かった事は否定できないので、
戦略面でも「達人」と言われるほどの冴えを見せたかと言えば微妙でしょ。

228 :人間七七四年:2007/03/28(水) 01:41:56 ID:7D7SQ6ax
>>224
家康が関ヶ原の決戦に持ち込んだっていうのが小説だと思うけど...
んで家康を達人と呼ばないと「家康嫌い」っていうレッテルを貼るの奴も
偏見が激しいだと思うけどねぇ...。

229 :人間七七四年:2007/03/28(水) 01:54:00 ID:mTkz+mdv
>>227
誰も家康が達人だとはいっとらん。
ただあんたは家康嫌いなんだね、と言ってるだけ。

まず、家康の戦略が「有力大名の各個撃破だった」と言うのは、
確か外山淳あたりの説だったかな。
家康がどういう目的で関ヶ原に際して戦略を立てていたかは、
推測の域を出ないと思うのだが、それを断言できるあなたはよほど信頼にたる資料を持ちなのだろう。
是非御提示願いたい。

次に三成の掌握力不足などがあって、
一気に決戦に及んで勝利が出来たのは運がいいだけ、という説。

なるほど調略好きの家康にとって西軍に格好の隙があったのは事実ですが、
この隙を突かないことには、勝利を得られんのですよ。
そうすることで勝利への道を得た家康への評価は無しですか?
好条件があってもそれを生かせるかどうかが大事なのですよ。

そういう点を無視して、「家康は運がいいだけ」みたいなことしか言わないから、
家康嫌いなのだね、と言ってるのです。

230 :人間七七四年:2007/03/28(水) 01:55:01 ID:vICdXGTF
>>227
関ヶ原の構図まで全部読んでたとは思わんけど、
かと言って何らかの形での西の蜂起は想定していたと思うぞ。
じゃなければああも簡単に方針転換は普通出来ないし、
西軍への根回しも周到すぎる。

231 :人間七七四年:2007/03/28(水) 01:56:44 ID:sXtJSJxB
>>228
話にならん
家康を達人と呼ばないと、家康嫌いってレッテルを誰が貼ったよ
そういうのを「偏見」って言うんだよ


232 :人間七七四年:2007/03/28(水) 02:06:15 ID:mTkz+mdv
さんざん書かれてる事だけど、
要はその状況その状況に応じてどう動くことができるかが大事なのよな。

いかに筋書きを書いていても、予想外の出来事というのは起こるもので、
はじめから全て自分の筋書き通りに行くような事なんてまずない。

「予想通りに進まなかった。だから戦略的才能はない」
なんて実に幼稚な意見だよ。

233 :人間七七四年:2007/03/28(水) 02:06:51 ID:sXtJSJxB
上の「弱いものいじめ」関連にしてもそうだけど
弱くて実利が得られるほうから攻めるのは当たり前のことなのに
家康は弱いものいじめの戦略をとってたとか、偏見の極地という他はない


234 :人間七七四年:2007/03/28(水) 02:08:34 ID:mTkz+mdv
>>233
信玄が最初に侵攻したのは混乱状態の信濃だし、
信長もいきなり信長包囲網と戦おうとしてたわけじゃないしな

235 :人間七七四年:2007/03/28(水) 02:21:55 ID:mTkz+mdv
>>227にきついことばっか書かれてるからあえて擁護的なこと書けば、
確かに家康にとって誤算はあった。

家康が西軍の蜂起を予想していなかったとは思えないが、

(家康が会津遠征をして上方を留守にする事は、政権中枢の空白を意味し、
三成ら反家康勢にとっては格好の機会であるため。
もしこれを想定していなかったとすればただの馬鹿)

ただ、西軍の蜂起で二大老三奉行が参加する事は家康にとって最悪の事態で、
小山評定のあとの江戸滞在は、下手すれば上杉・佐竹からの攻撃もありうる状況で、
事実上動く事ができなかった。

三成らもこれを読んでいたようで、真田への手紙などでは、
「家康はなかなか動く事が出来ないだろう」
みたいなことを書いている。

ただ三成にとっての大きな誤算は、
227の言うとおり、毛利勢が安国寺や毛利元康らのように積極派もいる反面、
総大将の輝元がいまいちはっきりしない事、
西軍の参加者が基本的に京・大阪で足止めして、
強制に参加させたような寄せ集めで統率性が悪かった事、
また豊臣家が資金の提供を拒んでいたため資金面で逼迫してきた事、
そしてなにより家康が想像以上に早く西上してきたことを読んでいなかったこと。

このあたりから三成の計算に狂いが生じた。

それでもなお、関ヶ原に際しては東軍を招き入れる形で迎撃しようと試みたが、
統率せいのなさに加え東軍の内応策が生きて、積極的な攻勢に出る事が出来ず、
小早川の西軍攻撃をきっかけに壊滅的な敗北をしてしまった。

戦略面では三成は十分家康に対抗しうる策を立てたけれど、
上に書いたような隙を家康につかれ、家康得意の政略に敗れてしまった。

だから227の言う双方誤算だらけだったと言うのは否定しないよ。

236 :人間七七四年:2007/03/28(水) 02:30:50 ID:7D7SQ6ax
>>229
218で>関が原に関して言えば達人と言っても差し支えないと思うな。
と書いてるから、微妙といった訳で。
それに対して反論しといて>誰も家康が達人だとはいっとらん。
とか訳わからん反論すんなよ。

まずは言いだしっぺのあんたが>>222の家康が関ヶ原に持ち込んだ説を確たる史料を下に語ってくださいな。
俺はそこまで学がないから本の受け売りしか語れんけどね。

>一気に決戦に及んで勝利が出来たのは運がいいだけ、という説。
運がいいだけなんぞ言ってないけど、運が良かった事は否定できないと言ってるだけだが。
それを含めて考えれば「達人」と評されるほどの冴えを見せたかは微妙といってるわけで、
評価してない・家康嫌いとか論が飛躍し過ぎ。

>>230
ああも簡単って言うほど簡単に反転してないと思うけど、
小山評定をやったり家康出陣まで一ヶ月ほど江戸に滞在してるしね。

>>231
お前さんかな、「関ヶ原での家康は達人」というのに微妙と返せば
>ここでの家康嫌いの人は、偏見が激しすぎるな
>小説の影響受けすぎなんじゃないの?
って言ってる時点で君の偏見だと思うけど。

237 :人間七七四年:2007/03/28(水) 02:43:58 ID:sXtJSJxB
>>236
>>218=>>231ってこと?そういう色眼鏡でみてるから偏見だって指摘してるの。わかる?
偏見持ちは、強大な武田より
富める弱体化した今川を標的としたことを「弱いものいじめ」と表記する

関が原にしても、長期戦になってもおかしくないところ
戦場では1日で雌雄を決してるわけだし、充分に冴えを発揮してると思うが?


238 :人間七七四年:2007/03/28(水) 02:44:13 ID:lVUsFf+K
家康は西軍の蜂起を予想していたんじゃないの?

西軍が蜂起する前に100以上の書状をあちこちに出して、
勝ったらたくさん加増してやるぞい。って送りまくっていたんでしょ。
その加増してやるって言った石高が、当時の総石高より多かったってのは
一つの笑い話だったとはずだが。

239 :人間七七四年:2007/03/28(水) 02:46:41 ID:mTkz+mdv
>>236
あんたが俺を誰だと思ってるのか知らんが、
少なくとも俺は「関ヶ原の家康を見て彼を達人だと思うな」と言った覚えはない

ただあんたのレスが極論に走ってると思ったから「家康嫌いなんだね」とかいただけ

>家康が関ヶ原に持ち込んだ説を確たる史料を下に語ってくださいな
あんたの「家康は大名を各個撃破するつもりだった」説の史料提示を求めるに際し、
何でこっちの根拠を出さないといけないの? それとこれとは関係ないよ。

少なくとも俺は「各論とも推測の域を出ない」として、
家康の戦略を断言した覚えはないんだが?
けどあんたは「各個撃破が目的」と断言した。だからその論拠を教えてくれと言ってる。

>運がいいだけなんぞ言ってないけど、運が良かった事は否定できないと言ってるだけだが。
>それを含めて考えれば「達人」と評されるほどの冴えを見せたかは微妙といってるわけで、
>評価してない・家康嫌いとか論が飛躍し過ぎ。

けどあなた、>>227のレスでは、
「運がよかった事は否定できない」で論を止め、
その後の家康の行動については無視してるよね。
だからそれは変じゃないの、と批判をしてるんだけど?

あと>>235読んでくれてるかね?
俺は何もあんたの意見を全否定しているわけではないんだよ。

240 :人間七七四年:2007/03/28(水) 02:49:37 ID:mTkz+mdv
>>238
けど書状攻撃の多くは、西軍蜂起後の江戸滞在時じゃなかったかな?
有名な伊達への100万石のお墨付きとかね
吉川広家の内応提示も西軍蜂起後だったはずだし

241 :人間七七四年:2007/03/28(水) 02:52:29 ID:lVUsFf+K
>>236

おいおい、ちゃんとIDぐらい確認してから発言しろよ。
>>218は俺だ。
>>229とは別人。


で、>>218は、あくまでも関が原の家康に限定してお話。
だから、三方ヶ原では・・・。という言い方になっている。

242 :人間七七四年:2007/03/28(水) 02:54:43 ID:lVUsFf+K
>>240
あれ?そうだっけ?
たしかに、西軍蜂起後なら意味ないな。
それはスマソ。

243 :人間七七四年:2007/03/28(水) 02:56:40 ID:sXtJSJxB
参考にしてる本が偏見に満ちた本で
本人がそれに気づいてないだけだと思うんだが



244 :人間七七四年:2007/03/28(水) 02:56:52 ID:mTkz+mdv
ちょっととりあえず落ち着いて話そうか
俺も>>227に「運だけというのか」と噛み付いたのは謝る

多分227と俺の関ヶ原の一連の流れの状況認識って基本的に大きな差はないと思う
ただその状況下での双方の動きをどう評価するかが異なってるだけで

245 :人間七七四年:2007/03/28(水) 03:00:54 ID:mTkz+mdv
>>242
三成らが動くだろうな、とは読んでいただろうけど、
あそこまで大きなるのは最悪のケースだったんじゃないか、と

もっとも会津討伐時には、毛利輝元と兄弟の契りを交わしたり、
宇喜多家の内紛に関与したりして、大勢力を押さえ込もうとしていた節はあるんだけどね

>>243
鈴木眞哉あたり読んでるだけだと、
「運がよかっただけじゃん」という結論になりかねない

けど227の場合はそうじゃないと思うけどね
多分「家康の目的は各個撃破」とかいう所を見ると、
外山淳の本あたりじゃないか、と思うんだけど

ちなみに外山の本は東軍、西軍双方の参加兵数を、
独自に科学的に調べてるところは評価していいと思う

246 :人間七七四年:2007/03/28(水) 03:08:34 ID:lVUsFf+K
>>245
まー書状云々はちとアレだったが、
同じく、事前にそうなることは予想していたのだと思う。

伊達のいろは姫との忠直(だったっけ?)との婚姻というか、
婚約したりとか、あの辺りから手を打っていたんじゃないかと。
後、大坂から江戸に向かう途中、えらくのんびりと移動していたあたりとか。

>あそこまで大きなるのは最悪のケースだったんじゃないか、と
これも同意かな。あんな上手い具合に一大決戦になることまで、
予測していたとは、思えない。なんの根拠もないけどね。

247 :人間七七四年:2007/03/28(水) 03:08:45 ID:7D7SQ6ax
>>239
おいおい「微妙」って答えるのが極論なのかよ、
そういう218からの文脈を読まないで横から訳分からん事を言うのが、
訳分からん反論だと言ってるんだが。

論拠ねぇ・・・上杉討伐時の家康は西軍蜂起に対して備えてた事実はないというのが論拠。
西軍の蜂起を予測してたんならばもっと前から内応策を出してても良い筈だからね。
んで前田→上杉と順番に大大名を潰しに掛かってるのに各個撃破じゃないっていう
根拠の方が知りたいわい。

>「運がよかった事は否定できない」で論を止め、 その後の家康の行動については無視してるよね。
だからそういう論理の飛躍を止めろって言ってる、だいたいその後の家康の行動を含めて
「戦略面でも「達人」と言われるほどの冴えを見せたかと言えば微妙」と評価を下してるのに、
無視してるってなんじゃそりゃ。

235は読む前に書いたが、別に235に関して言いたい事は無いし、
俺を全否定がどうこうよりも、>「家康は運がいいだけ」
とかいうの脳内で論理を飛躍させて人をレッテル張りするのを止めろっていってるんだが。

248 :人間七七四年:2007/03/28(水) 03:08:58 ID:sXtJSJxB
上のレスにしても、家康が勝てば、三河勢の強さ・本田がいたからでは?
になるのに、負ければ、家康が弱いから。になってるわけだし
ちょっと、極端すぎやしないかなって思う
野戦の達人とかどうかは不明だけど、少なくとも天才のイメージは全くない


249 :人間七七四年:2007/03/28(水) 03:11:44 ID:lVUsFf+K
>>224
>>248

おいおい、おまいスレタイよく読め!!
「家康は本当に野戦の達人か?」
がスレタイであって
「家康は野戦の天才か?」がスレタイなのではない。

誰も天才のイメージがあるかどうかの話なぞしてはおらぬぞ。

250 :人間七七四年:2007/03/28(水) 03:15:56 ID:sXtJSJxB
>>247
つまり、上杉討伐時点では、西軍の蜂起は予測してなかった
そこから、西軍蜂起という予測外の事態から
西軍に調略をしかけ、戦略を決定し、
あの規模の合戦を1日で雌雄を決したってこと?
とんでもない化け物じゃん


251 :人間七七四年:2007/03/28(水) 03:18:34 ID:sXtJSJxB
>>249
失礼しました。
そもそも野戦の達人っていうのの、定義はなんなんでしょうかね
不利な状況で勝利を積み重ねるのが「野戦の達人」の定義とは
ちょっと思えないし


252 :人間七七四年:2007/03/28(水) 03:21:28 ID:lVUsFf+K
>>251
とりあえず貼っとく。

たつじん 0 【達人】

豊富な経験と長年の鍛練により、その道の真髄を体得した人。
「―の境地に入る」「剣道の―」
――は大観す
〔「冠子(世兵)」、賈誼「鳥賦」〕達人は一部分にとらわれず全体を見通すので判断を誤らない。

三省堂提供「大辞林 第二版」より

http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%C3%A3%BF%CD&search_history=&kind=&kwassist=0&mode=0&jn.x=30&jn.y=5

253 :人間七七四年:2007/03/28(水) 03:25:03 ID:mTkz+mdv
>>247
>論拠ねぇ・・・上杉討伐時の家康は西軍蜂起に対して備えてた事実はないというのが論拠。
>西軍の蜂起を予測してたんならばもっと前から内応策を出してても良い筈だからね

西軍総大将となった毛利輝元とは会津出征前に、
義兄弟の契り交わしてたことは知ってるよね?

宇喜多についても家中の騒動に仲裁に入って、
自身の影響力のこそうとしてるし、前田については言うまでもないよね。

「三成が挙兵して西軍は挑んでくる」
ことをどれほど具体的な想像をしていたかわからんが、
反攻勢力を少しでも少なくしようと手を打っていたというのは事実だよ。

それに少なくともそれじゃ、
「家康は大名の各個撃破が目的だった」と断言できないよね。
そういうのは推測だよね。

>「戦略面でも「達人」と言われるほどの冴えを見せたかと言えば微妙」
家康の戦略を推測するしかない状況では、評価の仕様がないんじゃない?
それよりもその状況その状況でどう動いたかを見るしかないわけで。

「家康はこう動こうと戦略を立てていたがそれは出来なかった。
だからその才能は微妙だった」
このようにあなたの論拠は自分の推測を元にしているだけだよ。

>だいたいその後の家康の行動を含めて
その後の家康の行動について227のどこに書いてるんだい?
それにあなたの言うさえない家康の行動である内応策が生きて西軍は敗れるんだが?

そこを無視するのが変だと言ってるんだよ。

254 :人間七七四年:2007/03/28(水) 03:33:55 ID:mTkz+mdv
>>246
227のいうように家康の思い通り進んだ戦いじゃないのは確かだよ
235に書いたように関ヶ原の合戦当日も東軍にとっては最悪の形で迎撃されたわけで

ただそういう不利な状況下で、家康の政略が働いて勝利しているから、
(これも敗れるかもしれないものだったんだが)
俺はそういう手を打った家康については評価するんだが、
227にすればそれは「微妙」に見える、と

このあたりは解釈の違いだから、
おそらくは永遠に決着つかないんだろうけどね

255 :人間七七四年:2007/03/28(水) 03:41:47 ID:mTkz+mdv
つか夜も遅いしもう寝ようぜ
だんだんイライラしてくるし、いい議論ができるとは思えん

「神君家康公は偉大で関ヶ原にも勝利するべくして勝利した」
みたいなのに異議を唱える意味で、
要は「なんでもお見通しの戦略の達人」に比べたら、
「それは微妙」というなら別に227に異論はないよ

256 :人間七七四年:2007/03/28(水) 08:10:59 ID:EMPQT0Zz
家康は実は海道一の馬乗りとも言われてたらしい。
小田原陣中のさなか、馬に乗って太閤(秀吉)の先手となって馬乗りをしてたところ、
谷川に人が一人やっと通れるくらいの橋が掛かってる場所に出くわしたんだな。
この時実は丹羽、長谷川、堀などの諸大名も居合わせていたんだけれども、
この三人は、家康は見事に橋を渡りきるかと思ってたら、当人は馬から下りて、
近習の物におんぶされて川を渡ったそうな。
それを見た将兵は笑い転げてたらしいけれども、この三人は
「さすがに海道一の馬乗りだ」と褒めちぎったそうな。
三人に言わせれば、馬上の巧者は決して危ないことはやらないのだそうな。

つまり、この馬の達人にしても、野戦の達人にしても、江戸時代になって
こういうエピソードなんかで誇張されたもんじゃないかな、て思うんだけどね。

257 :人間七七四年:2007/03/28(水) 08:11:15 ID:jbfFCUUS
若いころ、独立当初とか三河一向一揆とかの頃は、野戦がうまかったといってよいだろうけど、
年月が立つに連れて下手になってる気がするの気のせいか?

少なくとも大軍率いての戦って実は、小田原と関が原と大坂の陣位で
あとはせいぜい一万チョイ程度しか動員できなかったし。それも武田氏滅亡当時位。

小牧・長久手の頃も大軍率いての同等の決戦じゃなくて、
緒戦の挑発と迎撃に成功してあとは逃げ回ったというのが現実だからな。
戦上手という評価は正しくても野戦の達人という評価ではないと思う。

つまり家康は、小勢での野戦統率能力はあるとしても、大軍率いての能力は疑問符がある。
ただ、純粋に将としてみれば、小牧・長久手とか関が原合戦の状況を作った様に能力が高いと見受けられる。

つまり、普通の戦術家にして実態は戦略家だったという当たり前の評価。

258 :仙台藩百姓:2007/03/28(水) 09:33:20 ID:fgCrZNBw
三方ヶ原だって色々後付けされてるけど
結局のこのこ出て行って潰走しただけの話しだお
何とかなるだろぐらいの考えで出て行ったのは間違いないお
戦略的にも戦術的にも完全に失敗だお

259 :人間七七四年:2007/03/28(水) 10:47:37 ID://Kt1vR1
三河時代って掛川攻城戦とか高天神奪還戦とかは有名だけど、野戦のイメージはないよ。

260 :人間七七四年:2007/03/28(水) 12:02:53 ID:vo5n6uvd
家康は野人

261 :人間七七四年:2007/03/28(水) 12:15:05 ID:aL2+/YvY
アンチ家康アンチが必死なスレ

262 :仙台藩百姓:2007/03/28(水) 12:30:06 ID:fgCrZNBw
え?ウンチ家康ウンチに必死?(≧ω≦)

263 :人間七七四年:2007/03/28(水) 12:38:46 ID:nvAMsi5i
戦は相手があってやることで、関ヶ原に持ち込んだか持ち込まれたかはどうでもいいような話。
家康としては上杉討伐の際に、ここで三成が挙兵してくれないかな、とは思っただろう。
ちまちま各個撃破やっていくより、一気に決着つけたほうがどれほど効率良いことか。
それは後年の、三成のおかげで天下を取れた、という述懐にも表れている。

関ヶ原の東軍の布陣に難癖をつける人もいるが、
あれは死地に飛び込む形で、やはり一気に決着をつけるための陣形。
持久戦に持ち込まれたりしたらたまったもんじゃないからのう。

家康はいわれるほど安全主義の堅実な人間ではなく、危険な賭けに賭けるタイプだったように思う。
主家簒奪も秀吉のようにちまちま既成事実を作っていってやるというよりは、
一気に主従をひっくり返す革命的なやり方だった。
面白味がないとか派手さがないというのはそれを理解していないだけ。

264 :人間七七四年:2007/03/28(水) 13:20:10 ID:zeUWaDT2
関ヶ原に関しては一世一代の大博打て感じだな

265 :仙台藩百姓:2007/03/28(水) 14:47:37 ID:fgCrZNBw
とりあえず野戦の達人ではないと言う事だね
野戦と言うか戦術一般に関して凡庸であると言う事だおね( ^ω^)

266 :人間七七四年:2007/03/28(水) 14:59:28 ID:MkLaT4on
そうだな。
摺上原を勝利だというくらい見苦しいってこった。
野戦での勝利が皆無じゃないだけ神君はすごい。

267 :人間七七四年:2007/03/28(水) 18:29:11 ID:XfMIVXTM
そもそもピザ康に戦上手のイメージが無い

268 :人間七七四年:2007/03/28(水) 18:44:14 ID:qCTTsVzs
戦術に凡庸で天下が取れるのか?
それでは三河の一向一揆で死んでるわな

269 :人間七七四年:2007/03/28(水) 18:47:28 ID:rdQxeoIi
関が原は、秀忠率いる本隊を温存で戦ったわけで、第一戦は豊臣家臣内での潰し合いと
考えてたんでない?一応、秀忠のスペアーの忠吉は参戦させてるけど。

270 :人間七七四年:2007/03/28(水) 19:20:07 ID:28Vr9+a9
それで加藤や福島に大封与えてりゃ世話ないな

271 :人間七七四年:2007/03/28(水) 21:14:45 ID://Kt1vR1
>>267
三河一向一揆ではだれもまともに家康を相手にしなかったんじゃなかったっけ?

272 :人間七七四年:2007/03/28(水) 21:52:13 ID:jbfFCUUS
>関ヶ原の東軍の布陣に難癖をつける人もいるが、
>あれは死地に飛び込む形で、やはり一気に決着をつけるための陣形。
>持久戦に持ち込まれたりしたらたまったもんじゃないからのう。

えーと、東軍より西軍の方が陣敷くの遅かったはずじゃなかったっけ?
相手の布陣も知らずにどうして陣形云々と言えるのか不思議だ。

無論防御固めた西軍を崩す為の戦略機動ああなったのであり。
(もし西軍が動かなかったら、兵站線を守っていた大谷隊がやられる)
その結果不利な状態で戦端を開いたというのが、戦略的常識から導き出される公式であり。
それ以上でもそれ以下でもない。



273 :人間七七四年:2007/03/28(水) 21:52:36 ID:1OmQfzMz
>>271
鎧を脱いだら鉄砲玉が転がり落ちたというから前線指揮は行ってたんでしょうな

274 :人間七七四年:2007/03/28(水) 22:05:13 ID:qCTTsVzs
>271
家康が姿を見せたら逃げ出した家臣もいたつう…
つうことは自ら前線に出たつう証であり
各個撃破できたのは戦術に明るい証明、、にはならんのか?

275 :仙台藩百姓:2007/03/28(水) 22:23:15 ID:fgCrZNBw
今度は一揆ですかお
家康はろくな戦歴がないお(≧ω≦)

276 :人間七七四年:2007/03/28(水) 22:29:23 ID:5dsEDlZq
政宗もねえ……
過剰評価されてるのは否めんな

277 :人間七七四年:2007/03/28(水) 22:47:34 ID:qCTTsVzs
関が原と大阪の陣があれば十分だろう? 戦歴
あれだけの大軍を指揮できるのは何人もいないぞ

278 :人間七七四年:2007/03/28(水) 23:47:43 ID:28Vr9+a9
指揮……出来てたの?
福島勝手に突っ込むわ、本多息子は酒飲んで崩れるわ
歴難でも疑問符が付けられてたぞ?家康の大軍指揮能力

279 :人間七七四年:2007/03/29(木) 00:00:46 ID:qCTTsVzs
ん? 勝ち戦に文句があるのか?

280 :人間七七四年:2007/03/29(木) 00:02:33 ID:d92z/65z
>>272
>えーと、東軍より西軍の方が陣敷くの遅かったはずじゃなかったっけ?

初めて聞く説
家康が佐和山、大坂を攻めるという情報を流したら
西軍が関ヶ原に移動したので、東軍もそれに追随したということだと思ったが

281 :人間七七四年:2007/03/29(木) 00:11:04 ID:/aWdxWkv
>>279
出たよ、結果論主義者

282 :人間七七四年:2007/03/29(木) 00:15:10 ID:fzp/J8mk
家康以外で関が原に勝利する武将がいるか?

283 :人間七七四年:2007/03/29(木) 00:18:54 ID:8aBhgUFe
>>280
実際のところあのような陣敷きになったのはなぜかわかんないんだよね
今までは「家康が三成をおびき出した」とされてたけど、
近年では西軍は備えを用意しており、予定通りの行動だったのではないか、ともされるし


ところで家康の野戦能力を語るのはいいが、
とりあえず野戦能力を評価する上での基準と、
その基準に基づいて、家康の能力やその他諸将との能力を比較すればいいんじゃないの?

個人的には一国を守り、他国を奪うくらいの、
標準的な合戦指揮能力は具えていたと思うのだけど

けど上でもあるように家康で評価すべきは、
合戦能力より政治能力だと思うんだけどね。

関ヶ原も戦略上の不利を政略でカバーしようとしてた節あるし。

284 :人間七七四年:2007/03/29(木) 00:23:06 ID:fzp/J8mk
野戦とは? 平地の遭遇戦を言うのだろう?
だったら関が原も野戦じゃないか
それに勝利したんだ、野戦上手で間違いないだろう?
大一番の野戦、関が原に勝利して野戦上手と言っていかんのか?

285 :人間七七四年:2007/03/29(木) 00:23:28 ID:8aBhgUFe
>>282
三成が西軍諸将を統率し、
家康の調略の入り込む隙を与えずにおけば、
十分西軍に勝利の目はあったと思うよ。

結局家康の政略が生きて、
合戦当日有利に駒を進めたつもりの西軍が、
石田・大谷・宇喜多・小西以外ほとんど傍観してろくに働くことなく、
そして小早川の攻撃で大敗しちゃうんだから。

総大将家が分裂、諸将もバラバラでは、
家康得意の政略が入り込みやす過ぎたんだよね。

286 :人間七七四年:2007/03/29(木) 00:28:45 ID:8aBhgUFe
>>284
東軍にすれば実に不利な展開だったのを、
政略でカバーして勝った戦いなので、
これをもって家康の政治能力はともかくとして合戦能力が高いとみるべきかどうか…

まあ西軍蜂起後東軍をまとめつつ、
背後の上杉を動けないようにしながら、
西軍諸将切り崩しに務めて、弱体化させることを念頭に策を進めていった事は、
家康が決して無能ではなく才能を持っていることを示すものだとは思うがね

287 :人間七七四年:2007/03/29(木) 00:36:03 ID:fzp/J8mk
本陣に家康が座っていたから勝ったんだよ
不利でも何でも家康が負けるなんて思って戦った奴はいないと思うよ?
ちがう?

288 :人間七七四年:2007/03/29(木) 00:41:58 ID:8aBhgUFe
>>287
家康の施した政略が関ヶ原でも西軍有利の状況下でも崩れなかったのは、
運という点はもちろんあるけれども同時に、
「五大老筆頭の江戸内府様」という家康の地位と名声を無視できないだろうね

しかし残念ながら一方の三成には家康ほどの地位と名声がなかった
この点も家康の政略を有利に作用させたというのは否めないだろうね

289 :人間七七四年:2007/03/29(木) 00:42:32 ID:VDID+pNZ
将の将の役割と、兵の将の役割は違うからな
ここでは、主に兵の将としての能力の議論になるんだろうけど
水準以上能力はあったとみるのが自然でしょう
でなかったら、武田との抗争に生き残ることも出来ないだろう



290 :人間七七四年:2007/03/29(木) 00:47:03 ID:fzp/J8mk
それもこれも寡兵で信玄に挑み小牧で秀吉に勝った経験がものを言った結果だろう?
つまり野戦上手な家康様のイメージの勝利だな



291 :人間七七四年:2007/03/29(木) 00:47:43 ID:8aBhgUFe
大体これは家康も含めてそうなんだけど、
「全て我が意のままに戦略と作戦を成功させ勝利しつづけた偉大なる大名」
なんているんかいな?

信玄は信濃侵攻の際に村上にてこずって、
結局これが上杉との大戦争の原因になって苦しむ事になるし、
毛利元就だって、有田中井手合戦で「全て我が意のまま」というほどに快勝したわけじゃない
伊達政宗の摺上原だって最初は押されてて、
「最初から圧勝した」というようなものじゃないしね

292 :人間七七四年:2007/03/29(木) 00:50:56 ID:8aBhgUFe
>>290
秀吉が家康に難渋している、というイメージを与える意味では、
小牧長久手は家康にとって大成功
戦争としては徳川方は不利だったんだが、
家康との長期戦を嫌がる秀吉が対話重視路線に転向するや、
なかなか臣従せず、きっちり自分の存在感を世間にPRする事に成功してるわな

けどこれは「野戦上手」じゃなくて、
秀吉の状況を見極めた上で展開してきた外交策であり、
れっきとした政治能力の問題でしょ


293 :人間七七四年:2007/03/29(木) 00:54:06 ID:VDID+pNZ
>>291
存在しないでしょう
どのレベルを指して野戦の達人とするのかが不明だけど
家康は、戦国時代を代表する野戦の達人だと思うけどな
同数で野戦をさせれば、家康に勝てる武将は、そりゃ存在したろうが


294 :人間七七四年:2007/03/29(木) 00:54:34 ID:fzp/J8mk
秀次の中入りを見破って蹴散らしたのが政治か?
野戦能力だろう?

295 :人間七七四年:2007/03/29(木) 00:57:25 ID:VDID+pNZ
逆に、どの武将を持って、野戦の達人とするのかを聞きたいところ
島津義弘みたいな、戦国でもトップクラスを持ってきて
それに劣るから、野戦の達人じゃないとは言えないでしょ。さすがに

296 :人間七七四年:2007/03/29(木) 00:59:40 ID:bUCguwfI
政治が一切介入しない野戦の例を挙げてくれ。

297 :人間七七四年:2007/03/29(木) 01:01:12 ID:VDID+pNZ
というか、政治の一つの手段が戦争だからな


298 :人間七七四年:2007/03/29(木) 01:01:24 ID:8aBhgUFe
>>293
「野戦の達人」の定義もはっきりしない状況では、
家康がそれに当てはまるかどうかなんて論評の仕様がないと思うんだがな

仮に
「すべて我が意のままに戦略を展開させさらに戦術も成功させることができる人」を、
「野戦の達人」とするならそんなのは家康含めて存在しないと思うよ

家康についていえば、三河統一戦や今川領侵攻、
その後の武田との抗争、対秀吉戦、関ヶ原、大阪の陣とみる限り、
国主として持つべき標準的な合戦能力はあった、と見るのが妥当じゃないの?

天才でもないが愚将でもないということで

299 :人間七七四年:2007/03/29(木) 01:03:03 ID:IoHIy8+H
秀次の中入りなんてどうみても愚策だからな。達人じゃなくても防げるだろ。

300 :人間七七四年:2007/03/29(木) 01:04:41 ID:8aBhgUFe
>>295
多分真田親子や島津義弘あたりが候補に上がるんじゃないのかな?

>>296
政治の介入しない戦争などあるわけないわなw
ただ家康の戦争の勝利をみると、
「類稀なる戦術で華麗に勝利を収めた」というよりも、
政治的な策略を背景に勝利を収める場面が少なくないように思うよ

301 :人間七七四年:2007/03/29(木) 01:05:43 ID:fzp/J8mk
家康に正面から戦っても勝てないから奇策(中入り)に出たんだよ
それだけ強いってことさ

302 :人間七七四年:2007/03/29(木) 01:06:53 ID:VDID+pNZ
>>299
さすがにそれは言いがかり


303 :人間七七四年:2007/03/29(木) 01:10:17 ID:IoHIy8+H
野戦の達人といえば秀吉を挙げるべき。
中国大返し・賤ヶ岳で見せた機動力は世界の名将に共通の能力。

は?小牧長久手?ザコを2・3匹たおしたら勝ちなの?

304 :人間七七四年:2007/03/29(木) 01:13:34 ID:fzp/J8mk
じゃあ秀吉八千、家康八千で秀吉は勝てるのか?

305 :人間七七四年:2007/03/29(木) 01:14:27 ID:8aBhgUFe
>>303
誰も秀吉を家康に比べて愚かなどと言ってないんだからそう興奮しなさんな
とりあえずあなたの「野戦の達人」の基準は機動力なのかい?

基準があったら教えておくれ

306 :人間七七四年:2007/03/29(木) 01:15:18 ID:8aBhgUFe
>>304
それは所詮ifであり永遠に答えの出るものじゃないから、
論じるだけ無駄だと思うよ

307 :人間七七四年:2007/03/29(木) 01:24:46 ID:IoHIy8+H
名戦術家というのは神がかり的な所があって、何が良い戦術なのかは説明が難しいものだ。
しかしいくらかは基本的な法則があって、機動力はそのひとつ。




308 :人間七七四年:2007/03/29(木) 01:26:17 ID:IoHIy8+H
それを局地戦じゃなくって、万単位の決戦で行使してるのは名将の証明ってこったな。

309 :人間七七四年:2007/03/29(木) 01:26:54 ID:fzp/J8mk
あれ? 当然、秀吉のボロ負けつう答えを期待していたんだが…

310 :人間七七四年:2007/03/29(木) 01:28:58 ID:IoHIy8+H
まあ決戦のつもりなら秀吉が勝つな。

311 :人間七七四年:2007/03/29(木) 01:30:49 ID:fzp/J8mk
小牧で負けてるだろうが…

312 :人間七七四年:2007/03/29(木) 01:36:29 ID:IoHIy8+H
あれだけ大規模な混成軍だと総大将個人の優劣なんぞわからんだろ。
大阪冬の陣で損害を受けたから秀頼>家康とか言ってるようなもんだ。

313 :人間七七四年:2007/03/29(木) 01:40:00 ID:fzp/J8mk
勝ち負けで優劣が判らないならどうやって判ろうと言うのか
ジャンケンでもするか?

314 :人間七七四年:2007/03/29(木) 01:41:11 ID:v/MNnPeW
>>312
関ヶ原での家康を「総大将」として評価すべきなのは、
合戦当日の現場指揮よりも、
西軍に比べ、合戦まではるかに東軍の統一性を保持させた事だろうね

家康が合戦までに西軍諸将に政略を働いたように、
逆に三成らにもそのチャンスがあったのに、
(つか「豊臣家御為の旗印で諸侯を統一させようとしたっぽいが)
東軍から西軍への調略というのは大きく成功していないからね

この点の評価はあっていいと思うよ

315 :人間七七四年:2007/03/29(木) 01:41:35 ID:IoHIy8+H
じゃあ秀頼>家康確定なw

316 :人間七七四年:2007/03/29(木) 01:42:50 ID:VDID+pNZ
さすがにレベルが低くなりすぎだろ


317 :人間七七四年:2007/03/29(木) 01:44:37 ID:v/MNnPeW
>>315
それは幼稚すぎるレスだなw

318 :人間七七四年:2007/03/29(木) 01:48:46 ID:v/MNnPeW
>>314
ごめん間違えたw

>東軍から西軍への調略というのは大きく成功していないからね
lこれは「東軍から西軍に寝返らせようとした調略」の事ね。スマソ

319 :人間七七四年:2007/03/29(木) 01:51:53 ID:IoHIy8+H
小牧長久手は決戦じゃないんだよ。
どちらかが滅びるまで戦うなんて秀吉も家康も思っていない。
特に秀吉は仕掛けられた側で、勝算なんてない状態なんだから
講和できれば十分なわけ。

320 :人間七七四年:2007/03/29(木) 01:53:26 ID:IoHIy8+H
関が原に関しては・・
西軍は最初から無理としか言えんなww

321 :人間七七四年:2007/03/29(木) 01:54:03 ID:bUCguwfI
なんで倍以上の勢力持ってるのに勝算無いんだ?

322 :人間七七四年:2007/03/29(木) 01:55:20 ID:v/MNnPeW
>>319
いつ小牧長久手の話題になったんだw

あれについては最初家康の敷いた秀吉包囲網によって、
秀吉はピンチの状況になるし、
その後の小牧長久手の長対陣、局地戦の敗北などから、
秀吉が家康との戦争を嫌っちゃって、
家康には対話路線、信雄とは講和、そして秀吉包囲網の瓦解を働いて成功させたって話で、
天下分け目というような戦いではないわな

323 :人間七七四年:2007/03/29(木) 01:59:37 ID:IoHIy8+H
大名家なんてそんな簡単に滅びるものじゃない。
劣勢が長く続いて、大名と家臣の間の関係が崩れていって
最後に軍事的圧力をうけて潰れる。
武田だって長篠のあと7年ももってるだろ。

324 :人間七七四年:2007/03/29(木) 02:13:28 ID:TukBAZH1
>>280
>家康が佐和山、大坂を攻めるという情報を流したら
>西軍が関ヶ原に移動したので、東軍もそれに追随したということだと思ったが

移動時間として、東軍は3時間程度、西軍は7時間程度。

殿の宇喜田勢と先鋒の福島勢が軍勢移動中に接触している。
西軍はそれほど移動に難渋した。
おまけに移動は夜間。陣形とか分かるのか?

決戦となっているが、実際は緒戦は遭遇戦の様相だったわけだ。
家康が関が原で非難されるべき要素はそこらへんにある。

つまり、索敵進撃するところを無造作に前に出すぎて、
小勢の西軍にあっさり叩きだされたわけだ。


325 :人間七七四年:2007/03/29(木) 02:18:55 ID:bUCguwfI
逆に考えてみた場合、関ヶ原で三成が家康に勝利していた場合、
三成は野戦の達人と言われただろうか?

326 :人間七七四年:2007/03/29(木) 02:23:09 ID:ZpoUESAj
実際に先頭に立って戦ってたし、言われてもいいんじゃない?

327 :人間七七四年:2007/03/29(木) 02:27:44 ID:ST7Xh63h
関が原で戦術の巧拙なんて論じる余地はあんまりないと思われる・・

328 :人間七七四年:2007/03/29(木) 02:27:45 ID:VDID+pNZ
>>IoHIy8+H
君はいったい何が言いたいの?誰も家康>秀吉なんて書いてないし
秀吉が、野戦の達人じゃないとすら書いてないわけで


329 :人間七七四年:2007/03/29(木) 02:32:20 ID:kFX+JyT7
もう寝たら?

330 :人間七七四年:2007/03/29(木) 02:36:59 ID:HcsFkxnz
>>324
そのあたりも結局真相不明なわけでな

なぜ三成は関ヶ原にでたのか、
なぜ家康もこれを追う形で関ヶ原に出たのか

決定的な史料がないんだよな
三成のほうが行動は先だったのは確かみたいだけど

ただ家康としては関ヶ原ではなく菩提山だったかを本陣に、
もう少し東のほうで野戦をしたかった、みたいな話があるね

こうすれば吉川は西軍を裏切ってさっさと東軍に味方する、と言ってたために
逆に関ヶ原が決戦場になった事で吉川は、
「これじゃ裏切りは出来ない。傍観する」
と黒田あたりに返事してたはず

331 :人間七七四年:2007/03/29(木) 02:38:15 ID:bUCguwfI
>>327
いくさなんてそんなもんだ。
関ヶ原は資料が多く残ってるから多角的に見れてるだけに過ぎない。

332 :人間七七四年:2007/03/29(木) 02:39:53 ID:HcsFkxnz
>>331
伊達など東北地方の合戦なんて真相が実にわかりづらいからな

333 :人間七七四年:2007/03/29(木) 06:53:58 ID:EXr4kDYc
家康は信長秀吉のような奇抜で柔軟な発想ができる天才ではない。
だから生き残るために自分より優れたやつの真似をする必要があった。

その点、家康・三河武士団と同タイプの信玄・甲州武士団が近くにいたのは
家康にとって幸運だったといえる。
強敵だったとはいえ、絶好のお手本とすることができた。

戦にしても、時折常人には思いつかない奇想天外な作戦を敢行する信長・秀吉や
戦闘時の駆け引きに抜群の冴えを見せた謙信などの天才肌の武将より
戦闘行為に移る前の駆け引きを入念に行う生真面目秀才肌の信玄のやり口の方が
凡人家康にとっては真似しやすい。
後年、敵だった武田家臣を多く召抱え、徳川軍団を甲州流に一変させたのも
家康が異常なくらい信玄に傾倒していたという証左だろう。

家康自身も自分の器の程をよく知っていたと思われる。

334 :人間七七四年:2007/03/29(木) 09:02:19 ID:VDID+pNZ
>>333
奇抜かは別としても、家康も充分柔軟なタイプだと思うが
>生き残るために自分より優れたやつの真似をする必要があった
>強敵だったとはいえ、絶好のお手本とすることができた。
この時点で充分柔軟じゃん

信長にしても、奇想天外な作戦等なく
外交等も駆使し兵力をやりくりして、最重要な戦線に常に相手より
大兵力を揃えるというのが根幹にあるわけで。だから凄いんだけども
だいたい、信長だって、他人の優れた政策は模倣して
自分なりにアレンジを加えて使用してるよね?
信長が天才、家康が凡人っていうのは否定しないけども
>>333のような「イメージ」があるのは間違いないけども
信長の実像にしても、家康の実像にしても、偏ってるのだけは確か





335 :仙台藩百姓:2007/03/29(木) 10:26:58 ID:/FGXgWhU
武田や織田をパクったにしても
戦に関しては完全に劣化版だおね(≧ω≦)
明らかにオリジナルより落ちるお

336 :人間七七四年:2007/03/29(木) 10:39:24 ID:pQf45IfX
>>334
それは部分的に取り上げるだけで普遍的には言えないので反論になってないね。

信長は以前の古い中世的なものを、戦術に関しても、城作りや
街づくりに伴う戦略に関しても一新してきたけど、家康には
目新しい功績はあんまり聞かないしね。
ただ、ドラスティックな改革が成功すれば、後はそれを忠実に実行
する堅実さが必要になってくるので、それが悪いっていうんじゃなくて
時代の流れが家康の性格にうまくあっていたんだと思うね。

337 :人間七七四年:2007/03/29(木) 13:01:13 ID:nruq5C5T
信長の鉄甲船なんかは、より造船術が進んだヨーロッパの宣教師からさえ「こんな凄い船はヨーロッパにもない」と驚かせた代物
楽市楽座だって、後世規制緩和政策をそう統一して呼んでいるから「アレンジ」と見なせるわけで個々の条文や実施状況を見れば例えば六角氏のそれとはかなり違うよ

338 :人間七七四年:2007/03/29(木) 13:13:39 ID:aKLkdrRd
鉄鋼船なんてないよ

339 :人間七七四年:2007/03/29(木) 13:20:00 ID:nruq5C5T
>>338
そりゃ『鉄鋼』の船はなw
だが宣教師の記録や、多聞院日記(「鉄の船也」)という一級史料に記載があるから鉄甲船は存在したよ
もっとも木津川で毛利水軍を撃退した後どうなったかは不明
朝鮮出兵時の日本最大の船「日本丸」がその後身という説もあるがこれについての証拠は無い

340 :人間七七四年:2007/03/29(木) 16:12:12 ID:KompaEyG
信玄=ハンニバル
家康=スキピオ
みたいなもんでしょ。
敵であり、師弟みたいな。

341 :人間七七四年:2007/03/29(木) 16:16:20 ID:0XlangSK
姉川は徳川の捏造誇張

これはガチ

342 :人間七七四年:2007/03/29(木) 18:38:14 ID:eC0ieAZo
>>324
何を言いたいのかよくわからんが、
陣形図からいって東軍が先に関ヶ原に到着したということはありえない
西軍が通過するのを全員指をくわえて眺めていたことになる
http://www.ginet.or.jp/sekigahara/rekishi/reki1_1.htm

343 :人間七七四年:2007/03/30(金) 00:59:41 ID:fhA4ae0e
>>339
そもそも何を持って鉄甲船と呼んでるのかわからんが、ほぼ全面鉄装甲化した
ような船は無いよ。
まあ部分装甲程度のものならあったかも知れないけど。
水軍を率いた九鬼家の資料にも鉄甲船の話なんて全くでてこないし、宣教師の記録って
オルガンティノのことだろうが(違ったらすまんが)、オルガンティノは船に備え付けてあった
大砲や鉄砲と言った武装と船の大きさに驚きはしたがやっぱり装甲に関しては何もいってない。
多聞院日記は英俊が聞いた噂の話で英俊は実見してないから一概には信用できない。



344 :人間七七四年:2007/03/30(金) 01:09:29 ID:XstLZy2W
少なくとも、革新的な発明の船だった可能性は薄いでしょう
>>337の宣教師の驚きも「こんな大きさの船はみたことがない」
って驚きともとれるよね
それを持って、信長が革新的な天才の一例とするには無理があるのでは?
信長の政策とか作戦とかには、革新的な部分は、少ないと思うんだが
むしろ、イデオロギー的な部分にこそ、革新的な面があったと思うよ


345 :人間七七四年:2007/03/30(金) 02:07:58 ID:DS+rHbr9
>>344
それは>>337の言葉による説明で、
詳しくは
「王国(ポルトガル)の船にも似ており、このような船が日本で造られていることは驚きだ」
っていうことらしい。
信長が天才だといわれる由縁は、イデオロギーという部分もあるけど、それだけではなくて
戦で勝てる段階まで整える戦略面にあると思うね。
武田や上杉など力で勝てない段階にあるときは貢ぎまくって機嫌をとったり、
鉄砲の導入や安土城の築城などもあるし、鉄鋼船の例もある。
人材登用にしてもそれまでは家柄が良くなければ家老クラスまで出世なんて出来なかったのに、
信長の場合は極端に能力重視で登用していたしね。

使えるものは重用し、使えないものはアッサリ切り捨てる。
それを選ぶ目にしても実行するにしても信長ほど極端だった人は他にいないんじゃないかな?
信長が登場しなければ、戦国時代はもっと長引いて、日本の文化はもっと停滞してたんじゃないかと思う。

346 :人間七七四年:2007/03/30(金) 05:33:48 ID:HioPhrpB
力で勝てないというか、戦略的に後ろから噛みつかれて面倒だから機嫌とってたんだと思う>上杉・武田
後、文化停滞はどうかな?
まあ秀吉の朝鮮出兵で陶磁器なんかの技術は飛躍的に上がったけど
(秀吉は信長が居なければ〜だから、信長の功績にしてもいいけど)
戦国時代は京文化が地方に流れていった時期だし、江戸時代は国内で爛熟していった時期だし
どっちがいいとは一慨に言えないし、長かったからどうなるとも言えない

347 :人間七七四年:2007/03/30(金) 07:56:10 ID:Gur5gyya
〜らしい、とか憶測をさも史料で断定されたように語る奴とかが沢山いるから何を信頼していいのやらw

348 :人間七七四年:2007/03/30(金) 10:21:09 ID:7wdCfhUU
>>347
憶測ではなくてちゃんとしたソースがあるのですよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E7%94%B2%E8%88%B9

〜らしいとしたのはどの文献からの引用か不明だから。

信頼できるかどうかはどれだけ核心を突いているように思えるかどうかで
判断すればいいでしょ。
そもそも歴史の通説なんてころころ変わるし、その時代に生きた当事者でしか
真実はわからないわけだからな。

349 :人間七七四年:2007/03/30(金) 12:57:37 ID:1zpsWloS
全然ソースじゃないじゃんwww

350 :人間七七四年:2007/03/30(金) 13:00:55 ID:PWbEBRbE
>部分装甲程度
朝鮮の役のとき秀吉が船の防護用として鉄板を出せ、と各地に指示したから、
そのころには船に鉄の防護版を張るのは普通な方法だったぽいし、
鉄を防御に使う障害は、たぶん技術的な問題じゃなくて予算的問題じゃないかと思うから、
「信長が鉄板張った船を発注した」というのはありそうなことじゃないかなぁ…
効果があったかどうかは別にして。

351 :人間七七四年:2007/03/30(金) 13:20:58 ID:7qJvNQHA
wikiをソースっていうのは流石に・・・・。

352 :仙台藩百姓:2007/03/30(金) 13:34:41 ID:iJ6ZH6lD
家康の話しでないどころかもはや野戦の話しですらないお( ^ω^)

353 :人間七七四年:2007/03/30(金) 14:09:18 ID:7wdCfhUU
wikiだけじゃないんだってw

この船は信長が伊勢国において建造せしめたる、
日本国中で最も大きく、また最も華麗なるものにて、
(ポルトガル)国王の船に似たり。余は行きてこれを見たるが、
日本においてかくの如きものを造ることに驚きたり、
…これによりて大坂の市は滅亡すべしと思われる。
船には大砲三門を載せたる…。

ろくに調べもせずに否定だけするならまったく知識がなくても、小学生にでもできる。
「それは違う」っていうだけでいいわけだからね。
それにwikiは誰でも閲覧、書き換えができることから、少なくとも独りよがりの
極論にはなりにくい点、妥当性という点から参考材料にはなるよ。
ソースとして不十分なら、少なくともwiki以上の説得力をもつ論を提示してから批判してください。



354 :人間七七四年:2007/03/30(金) 14:41:34 ID:1zpsWloS
ソースとしてwikiを紹介するくらいなら
>この船は信長が伊勢国において建造せしめたる、(ry
の出典を出せばいい

ソースについての認識を指摘されてるのに、逆切れされても

355 :人間七七四年:2007/03/30(金) 15:03:55 ID:7wdCfhUU
いや切れてないしw

指摘に対しても感情ではなくちゃんと説明してますよ。
これを指摘と呼べるかどうかは別としてね。
>>349 >>351

356 :人間七七四年:2007/03/30(金) 16:04:56 ID:PWbEBRbE
>>355
>>353>>343で「宣教師の記録には鉄についての記述はない」って指摘されてるよ。
ソレを覆す資料持ってこないと…傍から見るとキレてるっぽく見えてるよ。

357 :人間七七四年:2007/03/30(金) 16:08:59 ID:7qJvNQHA
>それにwikiは誰でも閲覧、書き換えができることから、少なくとも独りよがりの
>極論にはなりにくい点、妥当性という点から参考材料にはなるよ。

ってのと

>>347
>憶測ではなくてちゃんとしたソースがあるのですよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E7%94%B2%E8%88%B9

ってレスが繋がらないんだが。
ちゃんとしたソースって事でwikiを挙げてる事に対して疑問を投げかけただけで、
鉄甲船がどうこうとかはどうでもいい。



358 :人間七七四年:2007/03/30(金) 16:14:40 ID:7qJvNQHA
大体、今wikiで本能寺の変の項目を見てたら

>また、信長は精神異常者で、自殺を図るも、単に自殺しては格好がつかないので、
>最も信頼を置いていた光秀に、自分を攻め込むように命じ、
>光秀は単にその命令に従っただけ、という説もある。

こんなんも記載されてるぞ。
どこの学者の出した学説だよ。
まだ京子ちゃん説の方がマシだわ。

359 :人間七七四年:2007/03/30(金) 16:26:01 ID:SjZpc7E2
そんな説が有りなら

俺の説もwikiにいれてちょ

実は本能寺の変は存在せず
きっかけは秀吉の謀反で
それを征伐しにいった山崎の戦い
羽柴vs信長明智連合の戦いで信長が戦死したという説

360 :人間七七四年:2007/03/30(金) 16:30:45 ID:7wdCfhUU
いや、>>343に関しては別に異論はないよ。
詳しい史料があったら私も知りたい。

>>357
もちろんwikiはちゃんとしたソースですよ。
「憶測がない」わけじゃないことをちゃんと証明してくれてる訳でもあるし。

むしろ、少しも調べもせずに否定する姿勢が俺としては問題だと思うね。
ちゃんと調べていればwikiの記述だって頭ごなしに否定するようなことはないはず。
それにwikiで不十分なところをちゃんと論で指摘も出来るはずだからね。



361 :人間七七四年:2007/03/30(金) 16:37:38 ID:tpQI3aAM
もうスレ違いてんこ盛り甚だしいな
他にいくらでも該当スレあるだろうに
関ケ原とか明らかに違うんだからそっちでやれよ

362 :人間七七四年:2007/03/30(金) 17:08:41 ID:7qJvNQHA
ID:7wdCfhUUは今後もwikiをソースとして議論してくのか。
まぁ頑張ってくれ。

一級資料を基にした学会でも認められてる説から眉唾な説まで
玉石混合のwikiをちゃんとしたソースです!って胸を張る恥ずかしいマネは俺にはできんわ。

俺だってwikiを引用する場合もあるが、同様の史料でも同じ説を採ってて、
wikiの文体の方がわかりやすいかなって思った場合とか、wikiで記述されている
説の裏づけが取れる場合でしか引用しない。

363 :人間七七四年:2007/03/30(金) 17:56:04 ID:7wdCfhUU
>>362
wikiそのものじゃなくて、この場合wikiに記載されていた記述に関してね。
鉄甲船についてよく知らなかった者に対してはwikiぐらいがちょうどいいし、
それで十分だと思ったからつかっただけで。
それにwiki自体の記載に間違いは無いと思ったからね。
wikiの記述の内容に異論があるなら別だけど、繰り返していうがそういう場合
はwiki以上の説得力のある論を代わりに提示してくれ。

なんで情報においての摂取選択が出来ない人がおおいんだろう・・・w

364 :人間七七四年:2007/03/30(金) 18:02:50 ID:7qJvNQHA
>>363
何いってんの?

ソースの提示を要求されて、そのまま「ちゃんとしたソース」と前置きして
wikiのURLだけを引っ張って来た事に関して疑問を投げかけてるのであって、
鉄甲船がどうとか俺はどうでもいいと思ってるし、関係ない。

「wikiをちゃんとしたソース」
と言い切ってることがおかしいと俺は一貫して言ってるわけで

ID:7wdCfhUUが
「wiki(の間違った記述などを理解できる知識が前提としてあれば)ちゃんとしたソース」

後から言い換えてる時点で後出しだろ。

摂取選択ってわけわかめな新語を出してる時点でもう頭悪い春厨なんだろうけど。
取捨選択だろ。

365 :人間七七四年:2007/03/30(金) 18:10:15 ID:XstLZy2W
wikiは便利だけど、>>358のような記述があるので
ソースとなるかは、疑問である
ID:7wdCfhUUは、この程度のことも読み取れないのか?

366 :人間七七四年:2007/03/30(金) 18:19:09 ID:7wdCfhUU
>>364
どうでもいいのにこんなに躍起になるなよw
wikiだって記述さえ間違いなければ信頼できるでしょ。
逆に史料にしたって万能ではない。

ちゃんと取捨選択しないとね。って言ってるのw


367 :人間七七四年:2007/03/30(金) 18:21:46 ID:7wdCfhUU
それにこの場合はwikiよりもさらにいろんなところにも書いてあったからね。
だからこそ、wikiの記述が信頼できると判断して載せたわけで。

内容も良く知らないで批判しているから、その記述が信頼できるかどうかが
判断できない=信憑性がないって単純に決め付けちゃんでしょ。

368 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2007/03/30(金) 19:16:00 ID:d8f1gWj/
これはひどい・・・2007年、春

369 :人間七七四年:2007/03/30(金) 19:19:49 ID:8PlqLjff
単純に一次史料を示せばいいのにwikiなんかをソースとして示すから叩かれる

370 :人間七七四年:2007/03/30(金) 19:37:15 ID:7wdCfhUU
一次史料を示しても同じ結果だろw
こんな一般論でこの調子じゃ・・・・w

371 :人間七七四年:2007/03/30(金) 20:11:38 ID:8PlqLjff
そうかね?
多聞院日記だけじゃなく、当時の史料にこういう記述がある
だから鉄甲船はあったんだろう

これで良かったんじゃない?

372 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2007/03/30(金) 20:15:23 ID:d8f1gWj/
鉄張りの船の記録は続史料大成40「多聞院日記」第三にある
一ヵ月分の小遣い貯めて買え

373 :人間七七四年:2007/03/30(金) 20:21:04 ID:8PlqLjff
つかこの多聞院の記述だけだろ
鉄張りの記述があるのって
信長がでかい船作ったのは確かだろうが、
直接確かめたわけじゃない多聞院の記述だけ信じるのもねえ

374 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2007/03/30(金) 20:25:06 ID:d8f1gWj/
多聞院日記は
本能寺で細川藤孝を殺し
丹羽長秀を発狂させ
誠仁親王を切腹させ
秀吉に将軍職を断らせてる

すばらしい一級史料

375 :人間七七四年:2007/03/30(金) 21:17:29 ID:MCn2DJXi
鉄甲船って南蛮船を検分して作ったというわりには、
本当に高度な技術を必要とする外洋航海能力は真似できずに、
鉄を張っただけなところがそこはかとなくテキュン臭い・・・

376 :人間七七四年:2007/03/30(金) 21:43:35 ID:YifgDL/w
>摂取選択ってわけわかめな新語を出してる時点でもう頭悪い春厨なんだろうけど。
これでFA
ソース出せ!っていわれてwikiのURL張っちゃう程度の頭なんだから相手にするなよ。

377 :人間七七四年:2007/03/30(金) 21:56:31 ID:Sq4o32r2
そろそろ史実厨がうざいんですが

378 :人間七七四年:2007/03/30(金) 21:57:43 ID:fiaLeYIN
史実厨(笑
何スかそれ?w

379 :人間七七四年:2007/03/30(金) 22:07:31 ID:YifgDL/w
wikiってさ、なんとなく眺める程度なら問題無いんだろうけど、
議論するときの参考には使えんよな。

例を挙げると
>秀吉は「豊臣幕府」を開くために足利義昭へ自分を養子にするよう頼んだが断られた、という説もある

今時学会でこんな説掲げてる学者は3人くらいしかおらんだろ。
何百年新井白石ら御用学者に踊らされてるんだよ。


380 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2007/03/30(金) 22:10:56 ID:d8f1gWj/
>>379
ま、その説のソースを2ちゃんで最初に紹介したのは俺様なんだけどな
その後その史料名のグーグル検索数が倍増したのはいうまでもない

381 :人間七七四年:2007/03/30(金) 22:50:40 ID:Ezs79xQ9
>>342
>陣形図からいって東軍が先に関ヶ原に到着したということはありえない

わかりやすく書くます。

1:東軍:じゃ大坂攻めるから
2:西軍:やべぇ、松尾山あたりで迎撃しよう
3:西軍移動開始
4:東軍移動開始(5時間以上後)
5:殿の宇喜田隊と先鋒の福島隊の接触があるも戦闘せず
6:それぞれが陣を敷く。

東軍は西軍の移動距離の1/2でおまけに街道道だった。
陣を敷いたのは西軍も東軍も午前4時〜6時の間。
おまけに夜、雨が降っていたし、朝は霧が出ていた。
どうやっても東軍が西軍の詳しい布陣を知ることができません。

ちなみに、家康がわけわかんない状態で切れて旗切りつけたのが6時半。

>西軍が通過するのを全員指をくわえて眺めていたことになる
西軍は移動をばらさせない為にいろいろ制限した。
松明を使わない。私語の禁止。馬の口も縄で括った。
実際諜報が、西軍の移動を検知したのは5時間以上後。

分かったとしても当時の軍隊に夜戦が可能じゃないので、
指くわえて見守るしかない。夜間行軍ですら冒険な時代です。

追記:
>えーと、東軍より西軍の方が陣敷くの遅かったはずじゃなかったっけ?
これ自分の発言だが訂正しよう。大体同時間だ。

>関ヶ原の東軍の布陣に難癖をつける人もいるが、
>あれは死地に飛び込む形で、やはり一気に決着をつけるための陣形。
>持久戦に持ち込まれたりしたらたまったもんじゃないからのう。

相手は、冷たい雨の中を間道を7時間程歩いて、
ついたら、一時間ほどで戦闘しなきゃいけない軍勢

こっちは3時間ほど街道道歩けてそのまま軍勢整える程度でよい状態。
おまけに、なんか敵の半分が主戦場から2時間程離れた山でやる気なさそうにいる状態。

こんな好条件なので、突っ込むのもひとつの手だと思います。

382 :人間七七四年:2007/03/30(金) 23:01:28 ID:XzSOcxws
>>303
同意

383 :人間七七四年:2007/03/30(金) 23:31:16 ID:GbZhKZ+j
そろそろ野戦の話に戻そうか

家康の野戦で有名どころは姉川、三方が原、長久手、関ヶ原って所だが、以前も出たように
姉川は後世の誇張だし、関ヶ原は別段鮮やかに勝ってるわけでもない。
残るは三方が原、長久手だが三方が原は徳川、織田連合軍は武田の半分以下という兵力差が
あったので(しかも織田軍は家康指揮下じゃないし)勝てなかったとはいえ家康を責める
ことは出来ない。
鮮やかに勝ったのって長久手しかないわけだが、まず秀吉軍は秀吉の直接指揮下にない秀次
を総大将とする軍だったし、この時の徳川・織田軍は一万一千、秀次軍は約二万四千だが、その
二万四千を一度に相手にしたわけではない。この二万五千は池田恒興・森長可・堀秀政の第一軍(約一万)、
羽柴(この頃はまだ三好か)秀次・木下祐久、利匡・長谷川秀一・長浜州の第二軍(約八千)、
中川秀正・木下利久・尾藤知宣・徳永寿昌・小川祐忠・瀬田正忠の第三軍(約六千)に分散して
いた(この分散は家康が意図的に行わせたものではなく、秀次軍が独自に行ったもの)。
家康はこのうちまず第二軍を叩き、第二軍の危機を知って引き返してきた一軍(第一軍の池田隊は引き
返す前は岩崎城攻めの最中で疲弊)を叩いた。
第三軍は第一軍、第二軍の敗走を知って逃げてしまったのでそもそも戦闘に不参加。

よって家康は野戦は下手糞ではないが飛び抜けて優秀なわけでもない中の上くらいの上手さだと思う。

384 :人間七七四年:2007/03/30(金) 23:35:26 ID:GbZhKZ+j
スマン一部二万五千になってた。

× この二万五千は池田恒興〜

○ この二万四千は池田恒興〜

385 :人間七七四年:2007/03/30(金) 23:41:32 ID:xWGkivuf
信玄相手に戦ってきた家康だぜ?
秀次なんて赤ん坊同然じゃないの?

386 :人間七七四年:2007/03/30(金) 23:50:50 ID:XstLZy2W
>>383
各個撃破は当然すぎることじゃないの?
>383の野戦の達人の定義は、寡兵で大軍に勝つことなのかね
自分は、家康はトータル的にみて、野戦の達人と言えると思うけど
戦国時代通して、トップクラスには入らないと思う
ただ、秀吉みたくボケもせず、長生きしたので、経験もあって
関が原以降は、野戦のトップクラスの達人になったと言えるかもしれない
動員できる兵力の関係もあるしな
関が原にはいる時期に、家康より野戦が強そうな実績もある武将って
島津義弘くらいでしょ?


387 :人間七七四年:2007/03/30(金) 23:57:00 ID:3KYDAr8O
三河統一での吉田城攻防戦とか
本能寺後の天正壬午の乱とかは

ただ小牧長久手後は軍制を甲州流に変えたせいか
旧武田家臣が弱いせいか
家康が大軍指揮になれていないせいか
野戦での直接的な戦闘力は落ちたような気もする

388 :人間七七四年:2007/03/31(土) 00:15:56 ID:z96lGNHL
>>387
具体的に戦闘力が落ちた例を教えてくれ。

389 :人間七七四年:2007/03/31(土) 00:40:14 ID:UVRZWrWg
>各個撃破は当然すぎることじゃないの?
>>383の野戦の達人の定義は、寡兵で大軍に勝つことなのかね
寡兵で大軍撃破が唯一の野戦の達人の条件とは言えないが、野戦でそれが何度もできたら
文句無しで達人だろ。
普通、自軍が寡兵の場合は城に立てこもるとか決戦を避けるのが常識だし。
ほぼ同数の兵力で大勝と言うほどではなく単に勝った、ということで寡兵で大軍撃破を何度も
している者と同列に扱うことは出来ない。
また圧倒的多数で少数を難なく撃破するのは野戦能力と言うより戦略とかの面のほうが強くなる。
それに各個撃破というが、長久手の家康の場合各個撃破しようとはじめから考えてたとは
言えない。
あらかじめ分散して行動していた秀次軍を結果的に各個に戦うようになり、勝った。
だから中の上と評したわけ。
まあ中の上が低すぎなら上の下くらいでもいいけど。

390 :人間七七四年:2007/03/31(土) 00:49:28 ID:73hXRIm1
>>389
言わんとしてることは、解るのだが
ようは、どのラインで「野戦の達人」とするかの違いくさいな
自分も、家康は上の下くらいだと思うけども
その上の下は充分野戦の達人に値すると思ってるかあね


391 :人間七七四年:2007/03/31(土) 00:50:11 ID:IUXasId5
>>389
中の上とは他の大名で言うと誰が相当するの?

あと寡兵で大軍に勝つ事は確かにすごい事だが、
この点ばかりを重視し始めると、
真田とか長野以外ほとんどは野戦の達人とはいえなくなるんじゃないか?

392 :人間七七四年:2007/03/31(土) 00:52:30 ID:IUXasId5
>>389
あとあなたの考える野戦の達人の基準とそれに該当する人物を上げてくれない?
そうしないと判断基準がわからないから評論の仕様がない

393 :人間七七四年:2007/03/31(土) 00:54:43 ID:IUXasId5
>>383
>姉川は後世の誇張

「神君家康公が信長公を救われた」というような活躍も疑問だが、
かと言ってだったら何が行われていたのかもよくわからない戦い
どこまでが実態でどこからが誇張かわからない

姉川については判断保留が妥当じゃないか?

394 :人間七七四年:2007/03/31(土) 00:59:58 ID:H4VngCHj
>>388
2回の上田城攻めと関ヶ原
大坂冬夏の陣と
小田原攻めに参加、葛西大崎一揆鎮圧
九戸鎮圧にも参加していたか?

大局的にはともかく
戦場での能力を考えるならどれもあまり誇れるものじゃないとは思う

>>389
つまり
上の上が正面から野戦で寡兵で大軍撃破を何度もしている者
と言うことか?
そんな無謀なやつなんて信長島津立花ぐらいしかいないんじゃないか

395 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:03:02 ID:IUXasId5
>>394
戦術については自分の国を守り他国にも侵略する事ができる、
標準的軍事指揮能力を備えていた、
これが妥当なのかな?

それを事前準備の政略で補うという

396 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:10:06 ID:73hXRIm1
つうか、政略・戦略的なことで「補う」って発想がおかしい


397 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:14:50 ID:nMZqVN4O
するとなんだな、標準的(たいした才じゃない)軍事指揮能力の家康が
天下を取った、つうことなのか?
他の軍事的指揮能力に優れた武将は何をしていたんだい?

398 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:14:53 ID:IUXasId5
>>396
野戦の達人の基準がわからないわけ

例えば純粋に合戦当日の合戦指揮能力だけを見て判断するのならば、
ここに政略とかは関係ないじゃない
単純に兵の動かし方にどれだけ長けているかを判断すればいいわけで

逆にその合戦の起こる原因から、
合戦当日に至るまでの全プロセスを見た上で能力を問うのならば、
政略・戦略を無視する事は変

で、前者のイメージがこのスレでは強いようだから、
政略・戦略の能力についてはわけてみているんだがね

399 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:17:00 ID:IUXasId5
>>397
単純な話

1:天下取りに臨むような地域に住んでいなかった

2:天下取りを望めるほどの地位と実力がなかった

3:合戦能力はあったが、政治的才能がないために不利益を被ってしまった

このあたりじゃない?

400 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:19:52 ID:IUXasId5
>>397
つかなんで、

標準的=たいした事ない

になるんだ?

標準的というのは良くもないが悪くもないものであり、
特別に貶めて考える必要ないだろ

家康の場合の「標準的」と言うのは、
他の領土拡張に成功した大名と同様、
自分の国を守れて他国に侵略するだけの能力を持っているということなんだから、
これは十分高い評価になるんじゃないの?

もっとも上のレスじゃ自分の言葉も足りなかったのでそこは詫びるが

401 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:21:30 ID:73hXRIm1
>>397
天下人に求められる才能は、軍事的才能以外のことだからでしょ
>>398
政略・戦略に長けてる人物程、結局戦術的に楽ができるわけだしな
家康が寡兵で勝利した例が少ないってのは、むしろ褒め言葉じゃないのかね
実際に家康も勝利のが敗北より多いし、達人で良いと思うけども
これは所詮自分の定義だからね




402 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:23:30 ID:nMZqVN4O
つまりは家康が標準的な大名だと言っているのだろう?
違うのか? 標準的な大名が天下を取れるなら、、どうなるんだ?

403 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:24:21 ID:+J048fXa
戦争は政治の一形態だし
戦争が強くて天下とれるのはゲームの中だけ

404 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:26:16 ID:nMZqVN4O
軍事的才能を欠いた天下人なんたら、いるのか?

405 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:26:45 ID:IUXasId5
>>401
総合的な判断をするなら家康には合戦の才能は十分あると思うよ
関ヶ原でも西軍蜂起で不利な状況下、
西軍の基盤の脆弱性をついてここから西軍を崩そうとして結果成功してるし

それに「筋書き通りに全て進まなかったから、戦略的才能はない」なんてのは変な話で、
最初から最後まで全て思い通りに行くことのほうが少ないだろ
予想外の出来事を前にどのように対処できるかも大事な才能なわけで

とりあえずそれらを含めて、
「野戦の達人」の基準がはっきりしないから、評論の仕様がないと思うのだが

406 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:27:19 ID:nMZqVN4O
戦争が弱くて天下を取った人物がいる?

407 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:29:38 ID:H4VngCHj
>>404
劉邦とか中国なら結構いそう
日本でも源頼朝とか

408 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:30:47 ID:IUXasId5
>>402
標準=天才より劣る

と考えるお前が変

戦国大名で生き延びる事が出来た連中というのは、
それこそ多かれ少なかれ修羅場を経験して生き延びてきているのだから、
それなりの才能は持っていたとみるのが普通だろ

409 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:31:27 ID:nMZqVN4O
野戦の達人、野戦に持ち込んで負けない、つうことじゃない?
城攻めなんて下策だと孫子も言っているようだし

410 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:31:44 ID:73hXRIm1
>>406
少なくとも、歴代の天下人よりも戦争が強い人物は沢山いる
項羽と劉邦が一番わかりやすいんじゃないの?
戦争の強さだけなら項羽だけど、天下取ったのは劉邦でしょ
あと、誰も家康が戦争弱いとは書いてない

411 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:32:24 ID:IUXasId5
>>406
標準=戦争が弱いなんて誰もいってないんだがな

412 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:33:00 ID:73hXRIm1
>>409
中国と日本じゃ状況が違うんだから、話にならない


413 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:33:28 ID:nMZqVN4O
標準が天才より勝るのか? おかしなことを言う奴だな
それより家康が天才だと認めた方が理にかなってないかい?

414 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:35:25 ID:73hXRIm1
>>413
島津義弘の戦歴のが、よほど天才に値すると思うぞ
こっちは、しばしば寡兵で大軍を破ってる


415 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:35:50 ID:IUXasId5
>>413
だからよく読めよ
この場合の標準というのは、
才能がないものの集まり、を意味するんじゃなく、
才能あるものの集まりを見て標準としているんだから


つかお前春厨か?
前から短レスで下らんこと書いてるよな

416 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:36:21 ID:nMZqVN4O
ほんとうにオカシイと思わないのか?
標準的は軍事指揮能力の家康が勝ち残り
天才が滅び、天下はおむすびころりんと家康の元に転がりこんだ…
んなばかな

417 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:36:53 ID:73hXRIm1
劉邦よりも項羽のが天才性を感じさせるけど
実際に勝利したのは劉邦でしょ


418 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:37:21 ID:YRn6SxHJ
軍事指揮能力だけで天下が決まると思う君は2chの達人

419 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:38:22 ID:nMZqVN4O
標準とは上下を見比べて真ん中のことだわな、偏差値五十のことじゃないのか?
妙な理屈で誤魔化すなよ

420 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:39:43 ID:IUXasId5
>>416
だからそれを補う政治能力が家康にはあると言ってるだろが

戦略的にみたら西軍から挟み撃ちの形になった関ヶ原でも、
自身の地位と権威を背景にした政略を駆使して、
東軍をまとめながら、西軍を瓦解させる事に成功するんだから

もしただの平凡人なら、三成が蜂起した時点で終わってる

421 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:40:00 ID:73hXRIm1
>>419
標準のところを、優秀に置きかえれば満足ですか?


422 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:41:41 ID:nMZqVN4O
家康の軍事的才能は標準、最初はこう言った
次に標準でも、才能のあるものの中での標準つう意味だと…
お前が春厨だよ、標準は標準だよ、標準でないなら標準とは言わないでくれよ

423 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:42:00 ID:+J048fXa
頼朝は戦で負けてるが鎌倉幕府を作った
尊氏は戦で負けてるが室町幕府を作った

同時代で戦で天下人に勝った人間は日本史でもいる訳で

424 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:44:08 ID:nMZqVN4O
優秀なら最初から優秀と家よな
家康は軍事指揮能力が優秀だった、だから天下を取れた
なんの矛盾もない文章だ、最初からそう言えよ

425 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:44:13 ID:IUXasId5
軍事指揮能力だけで天下取れるなら、
真田や長野、島津あたりはとっくに天下取れてるわなw

しかしそれだけで国が治まらないから政治的な才能とかも必要になる
要は自国を守りながら領土拡張に成功するような大名ってのは、
オールマイティープレイヤーである事がもとめられるわけだ
どれか一つ飛びぬけて優秀なだけじゃダメなんだよ
全てにおいて優秀でなければ

その中でみれば家康の場合合戦能力は標準的なものを具えていて、
それ以上に政治能力の方が高い、ってなる。

426 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:45:12 ID:IUXasId5
>>424
だから言葉がたりなかったのは詫びると言ってるだろうが

427 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:45:46 ID:UVRZWrWg
>>391
>中の上とは他の大名で言うと誰が相当するの?
異論はあるかもしれないが、伊達政宗。
伊達政宗は対佐竹・東北勢連合軍に対して劣る兵力で奮戦している。
これが家康の三方が原に似ていると思う。
摺上原はほぼ同数の兵力(伊達がやや多い)だが芦名は内部分裂状態。
序盤苦戦で最終的に伊達勝利。
規模も経過も違うけど、関ヶ原と似ていると思う。
また政宗は大崎義隆を攻めた際、大崎軍よりずっと多い兵力で攻めながら撃退されている。
ここが上田城攻めを連想させる。

>野戦の達人の基準とそれに該当する人物
達人の基準 上ほど良い。
・敵より劣る兵力で大軍を撃退、より良いのは壊滅。もちろんより少ない兵力でより
 多い敵を倒すほど良い。(奇襲、強襲は問わない)
・大体同数兵力だが味方の犠牲を少なく、敵の犠牲を多くする。
・これらを一度ではなく複数回こなす。また敵にこれらをさせない。何度もこれらを敵に許した
 場合、以前に自分が上記を行ったとしても達人には含めない。
・なお敵対した者があまりにも経済力・石高などで乖離していた場合、いくら撃退しても戦略、政略面で
 押し切られるのは仕方ないので、戦略、政略面が原因の敗北と見られる場合は戦略、政略面で評価する。
 

自分が達人と考える人物
毛利元就 長野業正 鈴木重秀 吉川元春 立花宗茂

真田は昌幸だと思うが、上田城攻めは野戦よりも篭城戦の面が強いので入れなかった。
また自分が戦歴をよく知らない人物は入れていない。



428 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:48:57 ID:IUXasId5
>>427
中の上とかいうと一見悪評価に見えるけど、
これは雑魚を意味するのではなく、
十分すぎるほどの能力を意味するよな

429 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:48:58 ID:nMZqVN4O
家康の政治力ったって、最初は無きに等しいぞ?
後になっても軍事力が無ければ政治力なんて無きに等しい
どっちが先かと言えば軍事力だろう?
その軍事力を蓄えるのに、軍事指揮能力が標準で、周りに圧するものが
蓄えられるのか? 

430 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:53:39 ID:IUXasId5
>・なお敵対した者があまりにも経済力・石高などで乖離していた場合、いくら撃退しても戦略、政略面で
> 押し切られるのは仕方ないので、戦略、政略面が原因の敗北と見られる場合は戦略、政略面で評価する。

関ヶ原なんかその典型だよね
五奉行の一人である三成と五大老筆頭の家康とでは、
政略を進めるに当たってどちらが有利かと言うと、目に見えているわけで

前田や毛利などを立てないといけない三成が東軍に政治工作を施すよりも、
家康のほうがはるかに有利
だからこそ政略を駆使して東軍の危機を乗り切る事も出来たのだし

そういう状況下であれほど家康を苦戦させた三成は評価があっていいと思うけどね

431 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:56:45 ID:IUXasId5
>>429
三河一向一揆の鎮圧方法をわかって言っているのか?
「元に戻す」と一向寺院と和解しながら寺院を更地にして、
「元に戻すとは元の野原にするということだ」と捨て台詞

そしてそのあとの徳川家の軍政を知った上で言っているのか?
この当時から家康は石川・酒井両家老とは、
別に本多忠勝や榊原康政など家康直轄の旗本衆を自軍の主力の一つにして、
徳川の専制体制を築こうとしているのだが?

432 :383:2007/03/31(土) 01:58:23 ID:UVRZWrWg
>>428
中の上とかいったのがあいまいでいけなかったみたいだ。
中の上とか上の下とか書いたのは普通より良いけれども文句なしで達人とはいえないよ
位の意味で書いたのよ。
はじめからこう書けばよかったな・・・。

433 :人間七七四年:2007/03/31(土) 02:00:12 ID:IUXasId5
>>432
政治は天才、合戦指揮も天才
こんなやつはそうそういまいてw

434 :人間七七四年:2007/03/31(土) 02:00:12 ID:nMZqVN4O
光成には軍事的才能が無かったんだよ
そんなのが大将で勝てるわけがないよ

435 :人間七七四年:2007/03/31(土) 02:01:22 ID:IUXasId5
>>434
石田三成は知っているが
光成って誰?

436 :人間七七四年:2007/03/31(土) 02:03:32 ID:nMZqVN4O
三河の人間だから、一向一揆の地元なんで、地理的なものも解ってるよ
吉良と今川の関係から、清康のはっちゃけぶりまで知ってるよ

437 :人間七七四年:2007/03/31(土) 02:04:51 ID:H4VngCHj
家康の寡兵で大軍破ったもう一つの例として吉田城の攻防は?

>>427
政宗は野戦で勝ちは
摺上原で勝ったぐらいしか無いような気もするが

長野業正は兵力で劣っているけど武田や北条に負けているとされている
また武田に勝ったと言うのも・・・野戦かって気がするけど?
あと鈴木重秀は謎過ぎるので入れるのは変

438 :人間七七四年:2007/03/31(土) 02:05:10 ID:IUXasId5
>>436
だとしたらお前は神君神話を持ってしか家康を評価できないただの馬鹿
家康の魅力は神君神話が破られたところから発見できる

439 :人間七七四年:2007/03/31(土) 02:05:20 ID:73hXRIm1
合戦の才能は大将に求められる才能ではないからな
合戦の才能がある人物を見出し、合戦をさせるのが大将に必要な才能なわけで
ID:nMZqVN4O
家康に「軍事才能」がない。と記述してるわけじゃないからな
自分は家康は野戦の達人に値すると思ってるし
そのラインが>>427より、低めだとは思うがね

440 :人間七七四年:2007/03/31(土) 02:06:21 ID:IUXasId5
>>437
政宗だとミラクル人取橋なんかも勝利になるのかな?
あんなの普通全滅してもおかしくないよな

441 :人間七七四年:2007/03/31(土) 02:08:46 ID:nMZqVN4O
地元で神君家康なんて思ってる奴はいないよ
一向一揆じゃ敵対してたんだぜ、その後も改宗した訳じゃない
相変わらず真宗だぞ、因みに家康は浄土
近所に浄土の寺があるが、住職はいない

442 :人間七七四年:2007/03/31(土) 02:11:25 ID:IUXasId5
>>441
その癖家康の理解が神君史観と同じとはこれいかに?

443 :383:2007/03/31(土) 02:17:15 ID:UVRZWrWg
>>437
>家康の寡兵で大軍破ったもう一つの例として吉田城の攻防
前にも書いたが有名どころしか挙げてないので入れてない。
また自身が良く知らないと言うのもある。

>長野業正は兵力で劣っているけど武田や北条に負けているとされている
自分が調べた限りではそういう内容のものは見つけられなかった。

>また武田に勝ったと言うのも・・・野戦かって気がするけど?
>あと鈴木重秀は謎過ぎるので入れるのは変
これらは不適切だったと思うので外すよ。
重秀は織田軍と野戦で戦って引き分けたこともあるみたいだが、篭城戦の面の方が強いし。
業正も同様。

444 :人間七七四年:2007/03/31(土) 02:24:43 ID:j86id7tM
家康の野戦の能力に疑問がもたれるのは、
まず、関が原と大坂の陣なわけだが。
双方とも勝ったが、極めて不味い状況に陥ったのは確か。

小牧・長久手から関が原まで10年以上も、合戦を家康は経験
していない。その間の戦術理論の発達に家康が追いついていなかった
のではと考える。

最近のトレンドだと、野戦築城が発達したっぽいけど。
その手の経験を学び損ねて関が原以降、戦機を感じることができなくなった
ではないかと思う。

445 :人間七七四年:2007/03/31(土) 02:33:58 ID:ccLjsI5K
>>444
信長の本願寺より早く決着している、大阪の陣
堀を埋めて野戦状態にしたからではないのか

446 :人間七七四年:2007/03/31(土) 02:38:10 ID:H4VngCHj
>>443
吉田城というか東三河の争奪戦の一つだが
一宮の後詰とかでぐぐれば見つかるかもしれないが
史料によってまちまちだが
だいたい
松平勢2000〜3000が今川勢8000〜2万が包囲する一宮かどこかの包囲を突破して
中の兵と合流し、今川勢を撤退させるという話し
その結果今川は東三河を喪失することに

氏真が兵を率いたとも武田信虎が兵を率いてたとも言われている
他に武田信虎が駿河で不穏な動きをしたため今川は兵を退いたとも

長野業正は確か
志賀城救援で武田に敗れたという話しのほか
河越夜戦後、戦場に出ない憲政に代わって北条氏と戦って負けたという話し

447 :人間七七四年:2007/03/31(土) 02:41:56 ID:323m4ooz
>>445
外堀を埋めると約束させたうえに内堀まで埋めるという
手段に出ることで城の防御力を著しく低下させたのは
家康の政治家という面の能力かと愚考
家康は相手に付け込むの本当に上手いよね
小牧といい大坂の陣といいね

448 :383:2007/03/31(土) 02:54:23 ID:UVRZWrWg
>>446
>一宮の後詰
ググッてみたところ数件でてきた。
が、複数の資料が言ってる事がまちまちの部分が多い気がする。
氏真が傍観とか信虎が謀反を起こしそうだから引き返したとか言ってるのもあるし。
それと後詰軍が包囲を破ったみたいだけど、包囲軍のうちのどれくらいの数と
戦ったのかわからない。
これではちょっと評価し辛いな。

>志賀城救援
「志賀城 業正」でググッたが自分が調べた限り上杉憲政の援軍としか出てこないんだが・・・。

449 :人間七七四年:2007/03/31(土) 03:09:23 ID:H4VngCHj
>>448
まあ分かるのは家康が大軍を破ったってことぐらいだな

>包囲軍のうちのどれくらいの数と戦ったのかわからない
これはほとんどの場合分からないだろ
むしろわかる方が怪しい

でもこれで評価しづらいなら長野業正 鈴木重秀 吉川元春 立花宗茂
の評価はもっと難しいと思う

450 :383:2007/03/31(土) 03:30:38 ID:UVRZWrWg
>>449
立花宗茂は朝鮮の役などで十分評価できないか?
まあ元春は良くわからん部分も多いが、一応山陰方面軍で活躍してるし無敗。
九州の大友戦でも下手撃ったわけじゃないし。

一宮の後詰の話は包囲軍の数があまりにも乖離しすぎててどの数字で評価していいか困る。
仮に徳川三千、今川一万として包囲を破って城に入った。で、今川は何らかの理由
で引いた。
破ったこと自体は評価できるが、城に入ってしまえば篭城戦になるし、今川は
なぜ徳川を攻めなかったのかわからない。
元春を達人とする評価は異論ありかもしれないが、俺の家康評は下手糞や並ではないけど
達人と文句なしで言えるレベルとはいえないから変わらない。

451 :人間七七四年:2007/03/31(土) 04:17:45 ID:+J048fXa
宗茂はマジ達人の域だと思う
二人の親父より評価高くていいぐらい
朝鮮役だけじゃなくて、肥後の一揆の時の進退の巧みさも評価出来る
ただまぁ、万単位の将ではない
万単位の兵を率いなければならなかった家康と純粋には比べられない
けど、そういう運用は秀吉、秀長の方が家康より優れてた

452 :人間七七四年:2007/03/31(土) 05:13:50 ID:vuf4KVVX
>>444
同意
同単位なら朝鮮派遣軍のが強いと思う

453 :人間七七四年:2007/03/31(土) 09:13:26 ID:3ZRnNP0V
>>444
野戦築城に対する攻撃は、敗北もしくは出血を強いられた勝利となっています。
嚆矢といわれる長篠の合戦は周知のとおり、小牧の対陣は双方手を出せず、
関ヶ原は裏切りで(これの異論は今回は置いといてください)、大阪夏の陣に
おける天王寺合戦は東軍の大苦戦。

これは家康がいない他の戦でも同様の結果になります。
つまり、野戦築城の構築はことそれに攻めかかる将の戦術能力を無効化する
事ができるという事になるのでしょう。

おそらくそれを圧倒する手段はただ一つ、それを飽和する戦力を叩き込む。
そういう意味では安土・桃山時代以降の戦は戦術など勝敗に左右されない
時代に達していたのでしょう。

454 :人間七七四年:2007/03/31(土) 09:37:39 ID:DP5v8hy2
>>453
論旨がつかみにくいけど、大阪夏の陣は、
”それを飽和する戦力を叩き込む”戦だったゆえに苦労したのでは??

移動力が徒歩に頼る場合(第一次世界大戦まで)、
局地的に不必要な人数を集めて失敗した例は多いよ。

455 :人間七七四年:2007/03/31(土) 09:45:06 ID:VmOgNBCx
>>453
確かに個人の戦略が戦を左右する時代から、
総合的な権力政治力がものをいう時代に変わってきてるな。

家康は個人の戦略はそこそこ、総合的な権力は他を圧倒しているから
やっぱり達人だわw

456 :人間七七四年:2007/03/31(土) 09:56:20 ID:j86id7tM
>>453
であるなら、余計な評価低くなる。
なぜなら、関が原の合戦は必然的な決戦ではなくて、
家康が主導して作り上げた決戦。

つまり、自ら不味い設定で戦った事になる。

最低限の物見出すこと位すりゃ敵の野戦築城の仕上がりが理解できるし、
そもそも各将の調整の取った様子も無い。
合戦初期は霧が出ているんだから、厄介な接敵が比較的楽にだったわけだし。

家康が陣場野に出た理由って東軍が押されて、陣地から西軍が
出撃して東軍がかき乱されたからじゃなかったっけ?
この状態で野戦築城も糞もないと思うんだけど。

ここでも一つ評価が下がる。
家康、予備隊投入下手糞。

大垣城から敵兵力を引き剥がすという事に成功したわけだし。
そもそも、強いて戦を強要せずとも良い状態だったわけだが。

家康の為に弁護すると、関が原は政治が足かせになった戦かもね。
黒田長政にちょっと下がりなされって命令だしても、
空気読めよって素で返されそうだ。

457 :人間七七四年:2007/03/31(土) 09:57:25 ID:3ZRnNP0V
>>454
あれは攻撃一波の破砕に乗じて突撃していった結果として生じたものですから
防戦に専念していたら三倍の兵力は常識的かと
家康も大阪方は今回も篭城を主として考えていたのか、戦間期にも大鉄砲を大量
生産させています。

458 :人間七七四年:2007/03/31(土) 10:14:34 ID:3ZRnNP0V
>>456
家康としては関ヶ原において陣場野に前進したのは状況を見定めようとした為でしょう。
霧が晴れたといっても合戦後、土砂降りになったというから視界は依然悪いでしょうし、
後、西軍の反撃は東軍の攻勢を破砕した後とも考えられます。

そして、西軍も反撃に失敗してそこの小早川が裏切りをという流れではないのでしょうか
ちなみにあそこで小早川が動かず、千十手になった場合、双方は兵を引き(東軍は菩提寺
山城、西軍は佐和山城か?)再び、対峙になるかと。

その点では家康にとっては大敗をしない限り、西軍を後退させることができるという事ですから
家康は統率が取れていない西軍に大敗することはないと判断し前進したのでしょう。

459 :人間七七四年:2007/03/31(土) 10:21:25 ID:73hXRIm1
>>456
後世で事情を知ってるから書ける事が混ざりすぎてない?
その時の家康の視点からみてやらないと、減点はいくらでもできちゃうだろ


460 :人間七七四年:2007/03/31(土) 10:43:12 ID:DP5v8hy2
>>457
さすがに篭城は考えてないと思うけど。「堀を埋める」という政略的成功を収めた後で、
家康も「兵糧は3日分でいい」とかいってたというし伊達政宗も鉄砲騎馬隊を披露してるし
夏の陣の攻め手は野戦前提の用意してたのでは?

本筋から外れるけど17,18世紀に野戦では戦術で2,3倍の敵を追い散らした例はあるよ。
(ナルヴァの戦い、ロスバッハの戦いetc..)
戦場に多量の兵士を送り込むのは必勝法だけど、その質の確保ができるのは、
国民軍が成立してからじゃないかなぁ…それまで戦術を無視できるほどの大軍、
というのは現実的考えだとは思えないとおもうなぁ…

461 :人間七七四年:2007/03/31(土) 10:45:24 ID:j86id7tM
>>459
>後世で事情を知ってるから書ける事が混ざりすぎてない?

どこらへんが?

462 :人間七七四年:2007/03/31(土) 11:26:45 ID:VmOgNBCx
>>459
というか、減点できる部分を探してかいてるんだろ
あの一戦で天下の趨勢を決したんだからポイントでかい

463 :人間七七四年:2007/03/31(土) 15:03:31 ID:3ZRnNP0V
>>460
正確には篭城というより、小牧の陣みたいな対峙戦を警戒していたのではないかと
家康としては短期間で終わる野戦が望む所でしょうが、対峙戦も警戒していたかと

兵の質に関しては戦国期日本は侍・足軽がどの程度の存在であったかから始めない
といけないでしょう。
欧州基準の封建兵ではないし、傭兵とも言い切れない、徴集兵では断じてない。
これらの存在がどの程度の組織力を有すかはそう簡単には結論は出ないかと

464 :人間七七四年:2007/03/31(土) 19:24:22 ID:iwdmAPdO
半日の一戦で決めてしまったというのは政治力の高さを示すものだけど
野戦の達人かと言われると言葉のイメージからすると難しい。

野戦の達人と言えば、馬上戦況を見ながら自在に兵隊の出し入れをするイメージかな。
姉川の戦いではこのイメージに合ってる。

465 :人間七七四年:2007/03/31(土) 19:34:35 ID:weE/wF3O
ちとスレチになるかもだが、
家康が師と崇めた信玄は野戦能力はどう思う?

466 :人間七七四年:2007/03/31(土) 20:11:50 ID:s9USCrTB
姉川合戦での活躍は後世の軍記物によるものだから、本当の家康の能力かどうかは不明
そもそも横槍入れたのが榊原康政だったり本多忠勝だったり果ては信長から援軍に寄越された稲葉一鉄だったり書によりバラバラ
信玄も言われているほど野戦能力ないよね。上田原合戦では五千で二千の村上勢に大敗しているし、川中島合戦でも劣勢の上杉勢に大打撃喰らってる
三方ヶ原合戦は二倍以上の兵力で押し潰しただけ(いわゆるおびき出し作戦説は、江戸期初期以前のものは信玄贔屓の軍鑑すら取っていない)

467 :人間七七四年:2007/03/31(土) 21:43:15 ID:nMZqVN4O
三方が原については疑問がある
あれだけの負け戦なのに、家康側の重臣に死者がいない
本多や榊原、酒井・大久保に一人くらい死者がいても良い筈なのに、いる?
家康が馬上、大便を漏らすくらいの負け戦に、有名どころの討ち死にがいない
少し腑に落ちない、いや大いに疑問がある、これは家康の宣伝ではないのか?
織田殿の三千くらいの応援では信玄は討てません、つう泣きじゃないのか?

468 :人間七七四年:2007/03/31(土) 21:45:57 ID:nMZqVN4O
それに負け戦で逃走中なのに途中で粥を食べたとか小豆餅を食い逃げしたとか
ふざけんな! って言いたい、食ってる暇があったら逃げろと・・・

469 :人間七七四年:2007/03/31(土) 22:00:58 ID:nMZqVN4O
三河の一向一揆にも疑問がある
ふつう一揆と言えば住民が領主に謀反することなんだが
三河一向一揆の場合、寺に課せられた税に対して寺が怒り
それに吉良や家臣が加担して一揆になった
疑問とは、寺に課税して一揆の元をつくったのが
他ならぬ家康ではないかと思えるのだが…狙いは三河再統一だ

470 :人間七七四年:2007/03/31(土) 22:15:39 ID:nMZqVN4O
なぜそう思うのかと言えば
家康の松平は主流ではなく傍流だ、だから親戚筋の松平には不満な連中がいたし
当然、吉良は復権を狙っている、その不満分子を誘い出して再統一しなければ
先々の禍根となる、よって一向一揆なのだが、その実、シャッフルして
内閣改造したんだと考えたい、関が原の前に裏切り者が出ないようにしたみたいに…

471 :人間七七四年:2007/03/31(土) 22:19:23 ID:nMZqVN4O
三方が原の負け戦にしたって
あれがあったから長篠の戦には信長自ら出陣しなければならなくなり
それが武田を滅ぼした要因なんだと思う
つまり家康の負け戦っぷりが宣伝効果満点だったと・・・

472 :人間七七四年:2007/03/31(土) 22:23:34 ID:weE/wF3O
一揆についてはともかく三方が原については考えすぎ
武田が快勝するも家康らを仕留め損ね、大きな戦果がなかったのは同意だが

473 :人間七七四年:2007/03/31(土) 22:37:11 ID:nMZqVN4O
おいおい、教科書にも載ってるような三方が原の戦いに
家康側の重臣が討ち死にしてないんだぞ? おかしいと思わないのか?
川中島にしても長篠の戦にしても、重臣たちの死屍累々だぞ?
家康が討ち死に寸前な戦いで、それを庇って重臣の二人や三人
討ち死にするのが当り前じゃないのか?

474 :人間七七四年:2007/03/31(土) 22:59:48 ID:3ZRnNP0V
>>473
ttp://s-mizoe.hp.infoseek.co.jp/m215.html
これを見ると国人領主級が3人ほど死んでるな

475 :人間七七四年:2007/03/31(土) 23:13:14 ID:BdtLKJwv
>>473
お前はとりあえず読解力を身につけろ
話はそれからだ

476 :人間七七四年:2007/03/31(土) 23:16:09 ID:nW1M6RjS

本多忠真、鳥居忠広、鳥居信元、成瀬正義、
松平康純、米津政信、中根正照、夏目正吉

忠勝の叔父とか鳥居一門とか二俣城城代の中根とか死んでるな。

477 :人間七七四年:2007/03/31(土) 23:18:41 ID:BdtLKJwv
>>456
関ヶ原で家康が苦戦したことは同意だが一つ質問

>なぜなら、関が原の合戦は必然的な決戦ではなくて、
>家康が主導して作り上げた決戦。

これはどういう意味かな?

1:家康は天下取りの為一大決戦を望んで色々と策謀してきた

2:赤坂まででてきた家康は三成と野戦で決着をつけようと関ヶ原におびき出した

1なら同意だが、もし2の場合だと、
関ヶ原での合戦は家康が誘ったのではないとする意見も強く、
いまだあの関ヶ原の決戦がどのようにして起こったかをはっきりと示す史料はなく、
断言は出来ないと思うのだけど、どういう意味で書かれたのだろう?

478 :人間七七四年:2007/03/31(土) 23:28:47 ID:PKpUhUfN
少なくとも、家康にとって天下獲りのために関ヶ原は必要だったとする評価は多いな。
三成以上に、家康にとってより必要だったと。
三成は極端な話、家康が死ぬのを待てるなら待ちたかったわけで。

479 :人間七七四年:2007/03/31(土) 23:41:50 ID:nMZqVN4O
大久保忠世が死んでるんだな
千人も死んで、これなら大っぴらに信長の御出馬を願えるな
でも与力の信長家臣に犠牲者が少ないのは、さすが三河人だな

480 :人間七七四年:2007/03/31(土) 23:49:30 ID:+J048fXa
三方が原の戦いなんてマイナーな戦、教科書には載らんだろ

481 :人間七七四年:2007/03/31(土) 23:51:35 ID:nMZqVN4O
んあことないだろう? 載ってるだろう?
馬上ウンコとか、お粥とか小豆餅の食い逃げとか、エピ盛り沢山だろ?
家康自ら負け戦を吹聴してるんだから・・・

482 :人間七七四年:2007/03/31(土) 23:57:54 ID:Ka1jeT0w
9割載る
関ヶ原 大阪 長篠 桶狭間

7割載る
姉川 山崎 賤ヶ岳 延暦寺

4〜5割載る
小牧長久手 本願寺

2割載る
高松 小田原 刀根坂

1割載る
川中島

三方ヶ原はこの次くらいだな

483 :人間七七四年:2007/04/01(日) 00:05:56 ID:BJfRPzYE
>>479
三方ヶ原で大久保忠世が死亡?
お前馬鹿じゃねえの?

484 :人間七七四年:2007/04/01(日) 00:06:43 ID:2tQGrZPN
俺は三河、家康の地元だが、あんたらと同じように家康なんて嫌いだったさ
でも一向一揆を調べて逝くうちに考え方が変わった
石橋を叩いて渡らない、なんてイメージは家康ではないぞ
一向一揆の元、寺に課税するなんてのは、今も昔もない
それをした家康は喧嘩を売ったんだ、従わない家臣を炙りだしたんだよ
三方が原でも負け戦を敢えてしたんだよ、落合ドラゴンズが負け試合を創るようにな
家康は並じゃないどころか、天才だったんだよ、だから天下を取れた、間違いない

485 :人間七七四年:2007/04/01(日) 00:08:27 ID:BJfRPzYE
>>484
安心しろ、誰もお前の意見など聞いてない

486 :人間七七四年:2007/04/01(日) 00:10:45 ID:2tQGrZPN
おうおう、忠世も死んでないんだな、ほんと重臣は死んでない負け戦だよな
千人も死んで重臣が死んでない? んなばかなだよな

487 :人間七七四年:2007/04/01(日) 00:14:10 ID:BJfRPzYE
三河統一のためあえて一向一揆をあえて引き起こすように、
家康が仕向けたってのは煎元増夫あたりの説だったな
それ鵜呑みにして興奮してるのか?

一向一揆もどういう経緯で起こったかよくわからんし、仮にこれが家康主導だったとして、
そこからなぜ三方ヶ原はわざと負けた、だから天才だに至るのかがわからん

お前とりあえず黙ってろ

488 :人間七七四年:2007/04/01(日) 00:15:32 ID:2tQGrZPN
関が原にしたって、直江と三成の関係を知っていて伊達と縁組をし
三成に口実を与えている、挙兵を促しているんだ
さらに福島らの裏切りを最後まで用心しているし
三河一向一揆の経験が生きているよな
兎に角、家康は受身のようにみえて実は攻めているんだな、これが

489 :人間七七四年:2007/04/01(日) 00:19:00 ID:2tQGrZPN
そうだな、もう逝くよ
最後に、もっと珍説を披露しようかな
桶狭間、実は家康が信長を手引きしたんだと考えていると言ったら
またバカにするだろうなぁ…
大高城攻めをしていた家康なら、その前を信長を通せば
桶狭間に出ることができるんだがな、、珍説だよな
逝ってよしって? もう逝くよ、怒るなよな  w

490 :人間七七四年:2007/04/01(日) 01:13:23 ID:bs87hsCQ
>>489
ばいばい

491 :人間七七四年:2007/04/01(日) 01:50:48 ID:kb9d4fRD
>>477
>断言は出来ないと思うのだけど、どういう意味で書かれたのだろう?

家康が決戦を決意したって意味合い程度。
状況からみて、双方の思惑の流れから関が原がおこったのであり。
どっちがどっちを誘ったのも判断しにくい。

でも、最終的には家康が関が原に出ることを決意したからこそ
決戦が生起したわけで。

攻勢に出た東軍イニシアティブもあった。

論理的帰結で”家康が主導して作り上げた決戦 ”となる。

・・・いやさ、あんたの言いたい事も分かるよ。
関が原合戦の舞台図描いたやつがわからんちんっつー事でしょ。

でも、それって意味あるの?

492 :人間七七四年:2007/04/01(日) 02:00:47 ID:BJfRPzYE
>>491
誤読だったら申し分けないのだけど、
>>456を読んで感じたのは、
「家康は自らこの決戦を画策しながら、
肝心のところで失敗しているから野戦は下手だ」と読めたのね

要は関ヶ原での決戦を望んだ首謀者でありながら本番でダメじゃないか、と
だから家康は戦下手だぜ、と

「家康が主導して作り上げた決戦」
とあったからそのように理解していたのだけどね

けど、その意味で行けば、
関ヶ原に主導的に誘い込んだのはいずれだったのかわからないのだから、
「関ヶ原に誘いながら合戦に苦しむ家康は野戦下手」
という批判はありえないと思ったわけよ

493 :人間七七四年:2007/04/01(日) 02:05:55 ID:BJfRPzYE
>>491

>論理的帰結で”家康が主導して作り上げた決戦 ”となる。

けどそれは「家康が主導的に画策して関ヶ原決戦に成った」って意味じゃないじゃん
「家康が主導的に作り上げた」のではなく、
「家康と三成の双方が関ヶ原で決戦に臨むことを決意した」というのが正しいんじゃない?

494 :人間七七四年:2007/04/01(日) 02:11:47 ID:BJfRPzYE
と誤解されては困るが、
なにも>>456の見解全てを否定したいわけではないのであしからず

「家康が関ヶ原に三成をおびき出しながら、
合戦に苦しんだのは野戦下手」というのに疑問があっただけだから

「家康は関ヶ原で勝つべくして勝った」などというつもりはない
あんなの戦術としては負けていながら、
政治力で戦争に勝利したようなものだからね

495 :人間七七四年:2007/04/01(日) 02:31:29 ID:kb9d4fRD
>>493
だんだん言葉遊びじみてきたな・・・。

あっさり、言っちまう。
西軍にすでにイニシアティブなんてものはなかったんだよ。
関が原にあの日いかなきゃ、後方遮断されておしまい。

詰んでいた。以上。

496 :人間七七四年:2007/04/01(日) 02:45:10 ID:fP1rFGZQ
それでなおあれだけ抵抗した西軍を評価すべきでは?
で戦上手ならあそこではどんな手が打てたと思う?

497 :仙台藩百姓:2007/04/01(日) 02:55:07 ID:d7PdRpAF
なんにしろ関ヶ原め戦自体はお世辞にも上手いとは言えないお
秀秋の気分一つで戦況を左右されるようじゃ

498 :人間七七四年:2007/04/01(日) 03:33:38 ID:R6zFpEIb
>>495
別に言葉遊びをするつもりはないよ

疑問だったのは、
「関ヶ原での野戦はすべて家康の思惑通り」
ということだけでこの点をはっきりさせたかっただけだから

499 :人間七七四年:2007/04/01(日) 03:47:51 ID:tRTmfZDP
「概ね家康の思惑通り」というならその通りだと思うが。

500 :人間七七四年:2007/04/01(日) 03:54:30 ID:R6zFpEIb
>>499
それなら異論なし

自分がいうのは、あの関ヶ原での合戦は、
「関ヶ原の地で合戦をするべく家康が仕組んで、
家康の思惑通りに運んだ結果、起こったものである」
というような狭義の意味でだから

501 :人間七七四年:2007/04/01(日) 07:37:20 ID:IJxyWYlf
498-500
だが結局は西軍に包囲される絶対不利の布陣を取られ、
毛利の傍観と、愚鈍の小早川秀秋の気まぐれ頼みの勝利だろ。
関が原での家康はただそれだけを気にかけていた。
野戦の才などこれっぽっちも示していない。
たまたま秀秋が臆病風を吹かせて西軍を攻めてくれたから勝てたものの、
朝鮮での戦場の時のような躁な精神状態だったならキレて家康に攻めかかり、東軍は負けていた。

502 :人間七七四年:2007/04/01(日) 08:05:25 ID:vKvti1a3
たまたまとか臆病風とか何を根拠に言ってるんだろ。

503 :人間七七四年:2007/04/01(日) 08:13:57 ID:IJxyWYlf
>臆病風とか何を根拠

秀秋は戦闘が開始した後も日和見を続け、どっちを攻めればいいのか逡巡していた。
つまり東軍か西軍のどっちに転んでもおかしくは無かったわけだ。
お前レベルが低すぎる。

504 :人間七七四年:2007/04/01(日) 08:29:16 ID:akcNsTGW
戦前に高台院に家康に加担するよう諭されたり(この通説も最近はちょっと怪しいが)
軍に家康の配下を目付として従軍させたりと明らかに東軍派だったけど、
関ヶ原本戦で意外と東軍の旗色が悪かったから去就に迷ってたのは事実だよな
家康はもう少しで戦前に緻密に積み重ねた調略をフイにするところだった


505 :人間七七四年:2007/04/01(日) 08:36:03 ID:tRTmfZDP
日和見は単なる優柔不断で、臆病風とはまた違うが。

鉄砲を撃ってけしかけた説は真偽が怪しいし。

506 :人間七七四年:2007/04/01(日) 09:01:31 ID:IJxyWYlf
>>505
話を混同している。
秀秋が戦の形勢を傍観し攻撃目標を決めかねていたのが優柔不断であり、
家康からの西軍攻撃を催促する砲撃に怯えたのが臆病だ。

>鉄砲を撃ってけしかけた説は真偽が怪しい
なら秀秋は何を契機に西軍攻撃を決意し実行したのか。
つまらん茶化しはシラける。



507 :人間七七四年:2007/04/01(日) 09:09:19 ID:tRTmfZDP
なぜ真偽が怪しいといわれているか、それを知った上で書いているのか?
家康の陣と小早川の陣の、位置と距離を調べてみ。

だから根拠は何かと>>502も書いたのだろう。
自分も聞きたいな。

508 :人間七七四年:2007/04/01(日) 09:26:07 ID:IJxyWYlf
>家康の陣と小早川の陣の、位置と距離を調べてみ。

砲撃の射程距離など問題ではない。
家康が秀秋を砲撃した「行為」こそが秀秋を西軍攻撃に踏み切らせた引き金になったと言っている。
攻撃してきた相手に憤慨もせずに、それに腰を抜かして怯え裏切りを敢行した愚行は、まさに「臆病風」そのものだろう。

君の言う所の
>鉄砲を撃ってけしかけた説は真偽が怪しい
の根拠は何か。明確に示してみろ。
それさえ出来ずに反論するな。

509 :人間七七四年:2007/04/01(日) 09:32:54 ID:tRTmfZDP
調べてないだろ。

関ヶ原の陣形図みてみ。探そうと思えばそう難しくないから。
その上で書き込むように。

510 :人間七七四年:2007/04/01(日) 09:51:07 ID:akcNsTGW
家康の本陣から松尾山に陣取ってる小早川に鉄砲を射掛けても弾が届くどころか音も聞こえないぞ
だから怪しい与太話だと言われてる
関ヶ原の戦いで家康が何もせずに爪を噛んで小早川の裏切りを待ってるだけだった、
というのが江戸時代如何にも都合が悪かったから考え出された逸話だと思われ

511 :人間七七四年:2007/04/01(日) 09:55:11 ID:IJxyWYlf
>関ヶ原の陣形図みてみ。探そうと思えばそう難しくないから。
だから、砲撃の射程距離など関係ないって言ってんだろ。
どうでもいい事に話をすり替えて、己の論拠の無さを誤魔化そうとすんな。
君の薄っぺらさにはウンザリだ。

512 :人間七七四年:2007/04/01(日) 10:00:52 ID:IJxyWYlf
>家康の本陣から松尾山に陣取ってる小早川に鉄砲を射掛けても弾が届くどころか音も聞こえないぞ
東西両軍どちらが優勢なのか戦局を注視していた秀秋が、
自軍が布陣している松尾山に砲撃された事に気付かないわけねーだろ。
「怪しい与太話」はそっちの主張だろうに。

513 :人間七七四年:2007/04/01(日) 10:18:57 ID:akcNsTGW
当日の関ヶ原の様子はその場に居た太田牛一の描写が詳しい
「敵味方押し合い、鉄砲放ち矢さけびの声、天を響かし、地を動かし、
黒煙立ち、日中も暗夜と成り、敵も味方も入り合い、錣をかたむけ、
干戈を抜き持ち、おつつまくりつ攻め戦う。切っ先より火炎をふらし、
日本国二つに分てここを詮度とおびただしく戦い、数ケ度の働きこの節なり」

多少文学的な誇張は混じってるだろうが、東西十万を超える大軍が鉄砲を撃ちあい、
怒声を挙げその硝煙の為に関ヶ原が暗くなってしまうほどの大激戦だったわけよ
そんな状況で比高300メートルにも達するかという松尾山の山頂に陣取ってた秀秋が、
数キロ離れた桃配山に居た家康の本陣からの威嚇射撃に気付くのは不可能だと言われてるわけ
よしんば家康の陣から鉄砲が撃ちかけられてるのが見えてもまさか自分の陣に撃ってるとは思わないだろう
普通に盆地中央で戦ってる東軍の援護射撃をしてると思うだけ

514 :人間七七四年:2007/04/01(日) 10:28:35 ID:K/yJW8NL
何で家康本陣からなの?
普通に鉄砲隊が押し出して行って松尾山の麓から撃ったんじゃないの?
普通敵の玉が届く距離にお互い陣張らないだろ…

515 :人間七七四年:2007/04/01(日) 10:37:41 ID:IJxyWYlf
>>513
関が原での戦闘中、家康は自軍を鼓舞するため、
本陣を桃配山から前進させたことを知らんのか。
小早川が陣取る松尾山に裏切りの催促の砲撃をしたのはその後だ。

実際に関が原古戦場を訪れた人の感想はこうだ。
「私の当初のイメージでは、この関が原の古戦場は広大な土地での各陣ゆとりを持った戦いという感がありましたが、
実際現場に行くと、私のイメージとはかなり違い、各武将の陣地はひしめき合っていました」

つまり机上の布陣図と実際の距離感は全然違うということだ。

家康がこちらに砲撃してきたことくらい、
朝鮮の地でそれなりに戦の場数を踏んできた秀秋が気付かないわけがないだろ。
しかも布陣している所は見晴らしの良い高地だ。
戯れ言もいい加減にしてもらいたいもんだ。


これは

516 :人間七七四年:2007/04/01(日) 10:38:36 ID:vKvti1a3
俺のレスの意図を正確に読んだのは>>507だけらしい。
鉄砲で威嚇だの講談話は嫌いじゃないが、今は俺はそんなこた聞いて無い。

これで理解できないなら土台、俺の聞きたい所もわかろうはずも無いんで気にせんでいいわ。

517 :人間七七四年:2007/04/01(日) 10:50:39 ID:IJxyWYlf
>>516
何の意味もない的外れな妄言。
有効な反論ができないため、どうでもいい事を持ち出し、
議論の本質を不明確にしようとする姑息な作為。

518 :人間七七四年:2007/04/01(日) 11:22:23 ID:tRTmfZDP
陣形図を見て、しばらくにらめっこしてればすぐにわかることばかり話題にしてるな。
とりあえず、図を見てない議論は話にならない。
だからコメントしようがないわ。

519 :人間七七四年:2007/04/01(日) 11:26:19 ID:Sp7O0926
裏切りの過程はID:IJxyWYlfに同意だが、
小早川を弁護すると、別に砲撃に怯えたわけじゃなく
単に家康の催促に応じて裏切りを決意しただけだろ

520 :人間七七四年:2007/04/01(日) 11:27:35 ID:IJxyWYlf
>図を見てない議論は話にならない。
関が原での東西両軍の配置くらい頭に入ってるつーの。
そもそも、こんな事本筋からすれば枝葉末節なことだろ。
自身の知恵足らずを隠蔽しようとする姑息な詭弁か。

521 :人間七七四年:2007/04/01(日) 11:35:37 ID:IJxyWYlf
>>519
松尾山への砲撃=家康からの裏切りの催促
両者をわざわざ切り離して考える事自体愚劣

522 :人間七七四年:2007/04/01(日) 11:39:38 ID:tRTmfZDP
>関が原での東西両軍の配置くらい頭に入ってるつーの。

なら再度みてみ。
自分のレスのおかしいところに気づくまで。
まずはそれからだね。

523 :人間七七四年:2007/04/01(日) 11:44:30 ID:Sp7O0926
>松尾山への砲撃=家康からの裏切りの催促

だからそう言ってるんだってw

524 :人間七七四年:2007/04/01(日) 11:44:40 ID:IJxyWYlf
>自分のレスのおかしいところに気づくまで

どこよ?指摘してみろ。ま、できないだろうけど。
俺の主張に不自然不合理な点などない。

525 :人間七七四年:2007/04/01(日) 11:46:20 ID:tRTmfZDP
まず陣形図をみてみ。
まだみてないだろうどうせ。

巨大なヒントを提示しているんだけどねこっちは。

526 :人間七七四年:2007/04/01(日) 12:00:24 ID:IJxyWYlf
>まず陣形図をみてみ。
だから、そんな事どうでもいいって言ってんだろ!
見たからどうだって言うんだ?
何の意味もねーだろ。

>巨大なヒントを提示
何だ?そりゃ。
そんなもんねーよ。
戯れ言ほざいて論点を不明瞭にしようとする姑息。
恥を知れ!

だから
>レスのおかしいところ
が、どこなのか示せよ。
そんな箇所は存在しねーから無理なんだよ。
つまり、お前の主張は初めから破綻してんだ。



527 :人間七七四年:2007/04/01(日) 12:05:06 ID:tRTmfZDP
自分のレスが、北朝鮮の主張っぽくなってると思わないか?

別にこっちはまじめに話しているからキミがどういう態度だろうと対応は変えないけどさ。
陣形図みて、本当に何も思わないのか?
意味がないと決めつけて、まだ見ていないのなら見てみよう。
見た上で、それでもわからないというなら話を進めるがね。

528 :仙台藩百姓:2007/04/01(日) 12:16:29 ID:d7PdRpAF
なにこれ
オモシロスw

529 :人間七七四年:2007/04/01(日) 12:17:21 ID:IJxyWYlf
>陣形図みて、本当に何も思わないのか?

勿体付けないで陣形図にどんな意味があるのか、さっさと明示しろや。
どーせ意味なんてねーから、しょーもない引き伸ばし工作カマしてんだろ。
ミエミエだっつーの。

530 :人間七七四年:2007/04/01(日) 12:19:46 ID:tRTmfZDP
で、どっちなんだ?

531 :人間七七四年:2007/04/01(日) 12:26:16 ID:IJxyWYlf
>で、どっちなんだ?
おい、爆笑させるな。

>陣形図みて、本当に何も思わないのか?
お前は何を思ったのか記せよ。
この俺を低次元な議論に引き込むな。

532 :人間七七四年:2007/04/01(日) 12:28:44 ID:tRTmfZDP
陣形図を見てなくて語っているのか
陣形図を見たけどなにもわからなかったのか

どっちなんだと聞いているんだ。

533 :人間七七四年:2007/04/01(日) 12:38:48 ID:IJxyWYlf
>陣形図を見てなくて語っているのか
 陣形図を見たけどなにもわからなかったのか

アホらしい。
俺が陣形図を見たかどうかなど、どーでもいいだろ。その点は既に述べた。どこ見てんだ?
論点は、お前の言うところの「陣形図が示唆する巨大なヒント」が何なのか、
ただ、それだけ。

とっとと言え。
ま、そんなもんはねーから、毎度の姑息な詭弁を繰り返すだけなんだろ−けど。

次に書き込むなら、
「陣形図が示唆する巨大なヒント」
とやらを明示しろ。

もしできないなら、
お前は口先だけのインチキペテン野郎ってことだ。




534 :人間七七四年:2007/04/01(日) 12:38:52 ID:akcNsTGW
>>514
その時松尾山の麓では大谷隊と藤堂隊が激戦を繰り広げてたろ
そんなとこまで鉄砲隊が前に出て松尾山の山頂目掛けて届かない鉄砲の弾を撃ったというのは不自然
大谷隊にとってはいいカモだし藤堂隊にとっても邪魔なだけでしょ

>>515
家康が戦況不利を悟って途中で陣馬野まで本陣を前進させたのは事実、
だがそれによって三成隊とは肉薄するくらい近くなったが
松尾山の小早川の陣とは桃配山に居た時と大して距離は変わってない
以前として数キロの距離は開いてる

535 :人間七七四年:2007/04/01(日) 12:43:35 ID:IJxyWYlf
>>534
>松尾山の小早川の陣とは桃配山に居た時と大して距離は変わってない
大いなる事実誤認。距離が近づいたのは明白。

実際に関が原古戦場を訪れた人の感想はこうだ。
「私の当初のイメージでは、この関が原の古戦場は広大な土地での各陣ゆとりを持った戦いという感がありましたが、
実際現場に行くと、私のイメージとはかなり違い、各武将の陣地はひしめき合っていました」

つまり机上の布陣図と実際の距離感は全然違うということだ。





536 :人間七七四年:2007/04/01(日) 12:44:41 ID:tRTmfZDP
見てるか見てないか、それすらも答えられないのか。
なんだ答えると何か都合の悪いことでもあるのかい?

それじゃこちらも答えようがないな。そっちが答えないのだから仕方がない。

537 :人間七七四年:2007/04/01(日) 12:46:10 ID:tRTmfZDP
>>535
その古戦場を訪れた人とやらは誰だ?
ちなみに当時と現代で、地形が変わっているのは当然わかった上で語っているよな。

538 :人間七七四年:2007/04/01(日) 12:48:43 ID:akcNsTGW
>>535
いや、多少近くなったのは事実だが、
陣場野の家康本陣と山頂の小早川の陣とは
少なく見積もっても依然として2-3キロは離れてるでしょ
じゃあ君はどのくらいの距離だったと見積もってるわけ?


539 :人間七七四年:2007/04/01(日) 12:58:52 ID:IJxyWYlf
>>536
根拠のない嘘を垂れ流す小泉純一郎も真っ青のインチキペテン師

陣形図くらい何度も見てるぞ。
どうだ、満足したか。
「陣形図が示唆する巨大なヒント」とやらを明示してみろ。
もう逃げ場はねーぞ。

540 :人間七七四年:2007/04/01(日) 13:03:00 ID:tRTmfZDP
>>539
なるほど、つまり「陣形図は何度も見たけれどなにひとつわからなかった」ということだな。
それを確認できたなら、次へ進もうか。

541 :人間七七四年:2007/04/01(日) 13:12:00 ID:IJxyWYlf
>>537
どこの誰かなんて知らんよ。
古戦場を訪れた人の感想を引用しただけ。

>当時と現代で、地形が変わっている
とは笑わせる。
変わったのは風景であって地形じゃねーだろ。
頭大丈夫か?


>>538
>どのくらいの距離
さあな。
小早川秀秋が肉眼で家康の本陣がどこなのかを認識できる距離なんだから、
それで充分だろ。

インチキ野郎の姑息なすり替え論法によって、
散々話が枝葉末節な方へと外れたが、
論点を単純化すれば、
小早川秀秋の寝返りのよる西軍への攻撃の誘因は、
家康の裏切りを催促する砲撃だって事。

この歴史認識に異議があるなら論拠を示せ。
それさえできずに反論する資格なし。



542 :人間七七四年:2007/04/01(日) 13:16:59 ID:IJxyWYlf
>>540
>つまり「陣形図は何度も見たけれどなにひとつわからなかった」ということだな

当たり前だ。
隠されたヒントなんて存在しないのだから。
もうお前の薄っぺらな正体はすっかり見透かされてるっつーの。
消えな。



543 :人間七七四年:2007/04/01(日) 13:17:12 ID:Pa+BHmvA
    |┃三 ガラッ! ┌───┐ミ 
    |┃       | どっきり|  
    |┃ ≡ 〆⌒└─┬─┘ミ
____.|┃   ( ___)│    サッ 
    |┃=  (_》 ^ω^)E)   
    |┃ ≡⊂     ノ


544 :人間七七四年:2007/04/01(日) 13:19:55 ID:tRTmfZDP
>>541
現代の関ヶ原がどういうところか、それすらも本当に知らないんだな。
自分が古戦場にいったのならまだしも、どこの誰すらもわからないでっちあげの意見を元に語られてもな。

で、陣形図は何度も何度も見たけど何もわかりません、もう降参ですから教えてください、ということでいいんだっけ?
それさえ確認できたら先に進むんだが。

545 :人間七七四年:2007/04/01(日) 13:22:58 ID:akcNsTGW
おいおい、家康の本陣がどこかなんて桃配山に居たときからわかってることだろ>秀秋
問題は家康が山頂の小早川に威嚇射撃をしたとして、
秀秋がそれを威嚇射撃だと気付くことが出来たかどうか、でしょ
2-3キロ以上離れてる家康本陣から自分の方向に
鉄砲を射掛けられても普通それが自分に対しての威嚇だとは思わない
この時代の鉄砲の最大射程は多めに見積もっても500メートルくらいなんだからな
家康が松尾山の方に向かって射撃しても麓の大谷隊を撃ってるとしか思わないだろ
小早川本陣に弾が届くどころかその半分も届いて無いんだから


546 :人間七七四年:2007/04/01(日) 13:23:51 ID:IJxyWYlf
>>544
シカト

以後も同様

547 :人間七七四年:2007/04/01(日) 13:26:10 ID:tRTmfZDP
降参しません、強がりは続けます、でも答えは教えてください。
てわけね。

そりゃちょっと虫がよすぎやしないかい?

548 :人間七七四年:2007/04/01(日) 13:30:11 ID:qp6OWRmJ
別に秀秋自身が鉄砲隊を見たり射撃音を聞いたりする必要はない
物見が山を降りて偵察し、どうも大谷隊ではなくこちらに威嚇しているようだと報告すれば
それで秀秋は家康が怒っていると理解できる

549 :人間七七四年:2007/04/01(日) 13:35:36 ID:akcNsTGW
その物見がどうやってそれを判断するかだな
そもそも陣場野から松尾山に向かって鉄砲を撃つ掛けても、
麓の大谷隊に届くかさえも微妙なんだから
まだ家康からの使者が来て「今すぐ西軍を攻撃しなければこちらから攻撃する」と言ったとかの方が理解できる

550 :人間七七四年:2007/04/01(日) 13:39:27 ID:IJxyWYlf
>>545
威嚇射撃なんだから弾丸が届かなくっても別にいいんだよ。
家康が秀秋を射殺してもしょうがねーだろ。

それに家康が砲撃を支持した松尾山の位置は、
戦闘真っ只中の方角とは明らかに異なる。
昨日今日戦場に出たド素人じゃあるまいし、
家康が自分に向けて砲撃したことを秀秋が分からないはずなどなかろう。

俺の主張に異を唱えるのなら、
戦局を日和見していた秀秋が、
裏切りを決意し、大谷隊攻撃を実行に移した心理的誘因は何なのか明示しろよ。



551 :人間七七四年:2007/04/01(日) 13:42:22 ID:lYqs2FSi
tRTmfZDPは暇人か池沼
論と論拠書けば2往復もレスし合えば終わる事を延々と無駄レス

552 :人間七七四年:2007/04/01(日) 13:52:09 ID:tRTmfZDP
なんだID変えたのか?
はっきり宣言しとかないと、苦し紛れに自演始めたかとみな思ってしまうじゃないか。

553 :人間七七四年:2007/04/01(日) 13:54:22 ID:akcNsTGW
>>550
最大射程距離の遙か彼方でパチュンパチュンやっても威嚇射撃になるわけないだろ
相手がその気になればいつでも自分を攻撃できるとわかって初めて「威嚇」になるんだからな
ちなみに家康が秀秋を本気で射殺するなら最低でも200メートルくらいまで肉薄しないといけない
戦況を傍観してた秀秋が何故急遽大谷隊攻撃を決意したかどうかなんて秀秋以外の人間にわかるわけがない
数に劣る西軍の疲れを見た秀秋が東軍勝利を確信したとか、
戦後最も自分の価値が高くなるように裏切る最高のタイミングを見計らってたとか、
或いは何度目かの黒田からの使者にとうとう説得されたのかもしれん
むしろ有ったかどうかわからない家康の威嚇射撃みたいなものが直接の引き金になったと決め付ける方がどうかと

554 :人間七七四年:2007/04/01(日) 14:04:09 ID:aaReqcX+
ID:IJxyWYlfは「ソースはwiki」と胸張って言える春厨
御用学者に400年踊らされてるおばかさん

555 :人間七七四年:2007/04/01(日) 14:08:06 ID:9SfQLv+O
>>553
威嚇射撃っても裏切りの催促だから「いつでも攻撃できるぞ」って類の威嚇射撃じゃないと思うけど。
「そろそろ裏切らないとお前も敵とみなすぞ」っていう
意味を込めた、伝えるための威嚇射撃だったらならば実際に弾が届く必要は無く、
意思表示さえ出来れば十分だから射程外であろうとも問題ないのでは?

556 :人間七七四年:2007/04/01(日) 14:11:11 ID:tRTmfZDP
そもそも弾も届かず、音も聞こえない距離でどうやって意思表示できたというんだろう。
周囲が静まり返っていたというならまだしも、戦場でねぇ。

557 :人間七七四年:2007/04/01(日) 14:13:10 ID:IJxyWYlf
>>553
>相手がその気になればいつでも自分を攻撃できるとわかって初めて「威嚇」になる
秀秋は自分を砲撃してきた家康が、
いままで経っても松尾山で傍観している自分に対して怒ってると思い、
その家康の怒りに恐れ慄いたからこそ西軍を攻撃したんだ。

>家康が秀秋を本気で射殺
戦の最大のキーパーソンの秀秋を家康が射殺するわけがない。
上記で述べた。

>数に劣る西軍の疲れを見た秀秋が東軍勝利を確信
戦局は西軍優勢東軍劣勢だった。歴史認識の誤り。

>戦後最も自分の価値が高くなる
それは三成から内示されていた関白に決まってんだろ。
そんな事も分からないで西軍を攻撃するから秀秋は阿呆と言われている。

>何度目かの黒田からの使者にとうとう説得された
秀秋の傍には裏切りの指南役が常駐していた。
それでも秀秋は家康からの裏切りの催促があるまで傍観している。

>有ったかどうかわからない家康の威嚇射撃
どの専門家も、そして万人が認めている歴史的事実。
単に俺の主張を認めたくないが為の虚勢かい。
お前の論法だと、信長暗殺の実行犯は光秀かどうかも怪しいことになるぞ。


558 :人間七七四年:2007/04/01(日) 14:14:30 ID:akcNsTGW
>>555
例えば家康と秀秋が見晴らしのいい平原で二人きりで立って、
それで家康が手に持った鉄砲で秀秋の方を目掛けて撃ったというなら、
秀秋が射程距離の遙か外でも家康の秀秋への「警告」の意思表示は十分可能かもしれない
ただ現実は東西合わせて10万を超える大軍が狭い関ヶ原でひしめきあってる状態、
更に秀秋と家康の間には大谷隊と藤堂隊が激戦を繰り広げてたわけで・・・
こういう状況で家康配下の鉄砲隊が松尾山の方へ向けて射撃を開始したら、
普通は大谷隊へ攻撃してると判断するんじゃないかと自分は思う


559 :人間七七四年:2007/04/01(日) 14:16:54 ID:aaReqcX+
だからさ、真下で大谷隊と藤堂隊がばんばんやりあってるのに
さらに離れた位置からの銃声も届かないような威嚇がほんとに意味あんのかと。


まぁ最近は、家康配下の鉄砲の名人数名を藤堂隊に出して
家康の命でその家康旗下の数名の鉄砲隊と藤堂の一部の鉄砲隊に
威嚇をさせに行ったっていう独自の解釈をしてる連中もいるが。

でも冷静に考えると、秀秋側からしてみれば、急に鉄砲を射掛けられたら
大谷隊か藤堂隊のどちらかだと普通に思うだろ。
家康の旗印を持った鉄砲隊が至近にいないかぎり。

ただでさえ戦場はピークを迎えてて銃声、怒号なんかが激しいだろうし、
離れてるところからの銃声なんてまったく意味無いだろ。

560 :人間七七四年:2007/04/01(日) 14:19:06 ID:tRTmfZDP
結局は、当時の銃砲の性能及び、両陣営の位置及び距離を考慮して、聞こえるはずも見えるはずもない徳川家の射撃が
小早川側に確認できたという無理を通すことによって辛くも成り立っているあやふやな論理だな。
察知できなければすべての前提が崩れ去るわけで。

小早川がどういう手段によって、知りようがない狙撃を認識できたか、新説の披露を期待するとしよう。

561 :人間七七四年:2007/04/01(日) 14:24:05 ID:9SfQLv+O
>>556
見晴らしの利く山の上に陣取り、また物見が周囲を見張ってるだろうから
一つの部隊(何百人単位か千人単位かは分からないが)が
自分の方向を向いて鉄砲を撃ちかけてたら気づくと思うけど。

そもそも遠いと感じたなら撃ち掛ける部隊を近づけたら良いだけだし。

562 :人間七七四年:2007/04/01(日) 14:26:48 ID:akcNsTGW
その家康配下の鉄砲隊が松尾山麓に近づくことすら至難でしょ

563 :人間七七四年:2007/04/01(日) 14:27:50 ID:tRTmfZDP
>>561
その間に他の陣があってもかい?
届かない距離で、方向だけこちらを向いていることが、仮に千里眼のような観察力で見極めることができたとしても、その手前にある
部隊への射撃と思うのが関の山。

近づけたら良いだけって‥‥‥だから陣形図を見ろっていったんだ。

564 :人間七七四年:2007/04/01(日) 14:35:34 ID:IJxyWYlf
>>558
>現実は東西合わせて10万を超える大軍が狭い関ヶ原でひしめきあってる状態
家康の本陣は激戦の場所の後方にあり、それなりに距離がある。
どこから射撃を受けたのか容易に認識できる。

>>558 >>559
>秀秋と家康の間には大谷隊と藤堂隊が激戦を繰り広げてたわけで・・・
 こういう状況で家康配下の鉄砲隊が松尾山の方へ向けて射撃を開始したら、
 普通は大谷隊へ攻撃してると判断するんじゃないか
>真下で大谷隊と藤堂隊がばんばんやりあってるのに
 大谷隊か藤堂隊のどちらかだと普通に思うだろ

秀秋は盲目じゃねーんだよ。
しかも朝鮮でも実戦を積んでいる。
射撃の方向さえ分からないだなんて有り得ねぇっつーの。
現代人の見地を当時の武将に当てはめようとする愚劣。



565 :人間七七四年:2007/04/01(日) 14:37:52 ID:akcNsTGW
朝鮮で実戦積んでるわりには阿呆で臆病で優柔不断なんだなw>秀秋
随分複雑な秀秋像だな


566 :人間七七四年:2007/04/01(日) 14:38:46 ID:JrRYiAi2
小早川側は必死に見ようとしてただろうし、
必死に聞こうとしてたはずだよ。
ぼーっと眺めてたわけじゃないと思う。
とりわけ家康の動きは注視してただろうし、分からなければ斥候を出す。

仮に下の様子が煙や怒号で分からなかったとした場合、
下の様子が分からずに突然東軍に寝返ったなんて事の方が理解できない。

567 :人間七七四年:2007/04/01(日) 14:41:38 ID:GK3FFgBz
>ちなみに家康が秀秋を本気で射殺するなら最低でも200メートルくらいまで肉薄しないといけない

それでも”伍流後十三”に頼んだんだろうな…当時の実用射程は20mくらいだよ…
雑賀孫一は10mぐらいまでひきつけたらしいけど。

568 :人間七七四年:2007/04/01(日) 14:43:21 ID:tRTmfZDP
東軍に寝返るのはそもそもからの作戦事項。
ただ、戦場ではっきりと裏切り行為を行うのはやはり勇気がいるし、逡巡するのも当然。

それでも、大軍を擁しながら傍観したままで戦さが終わればどちらが勝っても非難されるのは明白で
いずれにせよどちらかに決断しなければならない時期であった。それだけのこと。

569 :人間七七四年:2007/04/01(日) 14:43:36 ID:9SfQLv+O
>>558 559
大谷隊と藤堂隊が戦ってる場所から秀秋の陣はわりと離れてるし、
両者が戦ってる場所よりも後方を回り込んで松尾山の西側から回り込み、
交戦地からちょっと離れた場所に位置し、そこから撃たれれば
交戦地とは別方向からの射撃になるんで気づくと思うけど。
ましてや徳川家の部隊(と馬印や旗印で判断できる)が鉄砲を構えて、
松尾山を撃ってる所を物見にでも見せれば間違いようがないんじゃないの。

>>563
西側から回り込んで近づけば他の陣と接触しなくても良いと思う。

570 :人間七七四年:2007/04/01(日) 14:46:47 ID:9SfQLv+O
>西側から回り込んで
西じゃない、東だね。訂正。

571 :人間七七四年:2007/04/01(日) 14:47:39 ID:akcNsTGW
松尾山の西側に回りこんで威嚇射撃する、となると
今度は宇喜多隊と福島隊の間を突っ切ることになるんじゃないか?

572 :人間七七四年:2007/04/01(日) 14:52:23 ID:lYqs2FSi
脊椎反射する前にリロードしなさい

573 :人間七七四年:2007/04/01(日) 14:55:03 ID:lYqs2FSi
秋秀の裏切りのきっかけと、家康の野戦指揮能力との因果関係がわかりません

574 :人間七七四年:2007/04/01(日) 14:57:18 ID:akcNsTGW
あ、訂正が入ってたか
これは失礼
松尾山は東西に長いから大谷&藤堂隊の激戦地を避けて
東側から威嚇射撃しようとするなら尚更距離が遠くなるな
家康配下の鉄砲隊がいきなり戦列を離れて松尾山東方へ大迂回し、
松尾山の山頂に陣取った小早川隊へ遙か彼方から鉄砲を撃ちかける・・・
これは随分不自然な動きに思えるぞ
家康本隊から離れてこれだけ遠くに逝っちゃったらむしろ秀秋の注意も逝かなくなるんじゃないか

575 :人間七七四年:2007/04/01(日) 15:33:11 ID:JrRYiAi2
要は松尾山から見える位置で鉄砲撃ち掛けれるかどうかで
人数は100人ぐらい?200人ぐらい?
これぐらいなら狭い関ヶ原でもスペースはあるんじゃないかな。
小早川はこっちを見てるんだから、家康の意図さえ気付かせればいいんだし。

576 :人間七七四年:2007/04/01(日) 15:50:20 ID:KKyl8eRm
皆、落ち着け。
こういう時は順序立てて考えるんだ。

Q、家康が秀秋に何度も寝返りの催促の使者を送っているのに、秀秋が寝返らなかったのは何故か?
A、当初西軍が優勢だったから。

Q、西軍優勢なら寝返らないだろ普通、なのにどうして寝返ったのか?
A、秀秋に寝返りを決心させる強い働きかけがあったからです。

Q、それは何か?
A、秀秋隊に威嚇発砲をすることです。

Q、秀秋の陣に鉄砲の弾なんか届かないし、音だって聞こえないだろ。意味ないじゃないか?
A、確かに弾も届かないし、音も聞こえません。ただし、鉄砲から上がる硝煙は見えます。煙はのろし等、昔から
遠くの者に対し、サインや合図として使われてきました。山の上に陣取った秀秋からも確認出来たはずです。

Q、煙見たぐらいで、寝返るかよ? 
A、家康から秀秋に何度も使者を送っているので、秀秋がこれが家康からの寝返りの合図だと理解していたのでは。
おそらく、これが最後通達で「これでも動かなければこのまま攻め上がる」とでも脅したものと思われます。

Q、大体、戦闘が始まってるんだから鉄砲だってあっちこっちで撃ってたし、煙の見分けなんかついたのか?
A、先方の井伊隊を別にすれば、家康本陣は戦闘を開始していません。敵との距離が離れ鉄砲を撃っても意味の無い
場所で発砲した分けです、秀秋にもそれが誰へのものなのか、十分理解出来たはずです。

Q、なら、秀秋が鉄砲で寝返ったてのは合ってるのか?
A、これ以外に、兵数、地形、陣形、戦術、戦況、全てに優勢な西軍を寝返る切っ掛けがありません。

577 :人間七七四年:2007/04/01(日) 16:14:10 ID:fP1rFGZQ
単純に迷ってたところ徳川と黒田の軍監に説得されただけじゃないの?
西軍はその機会がなかったんだし、東は説得しほうだい

578 :人間七七四年:2007/04/01(日) 17:17:44 ID:K/yJW8NL
西軍の軍監もいなかったっけ?

579 :人間七七四年:2007/04/01(日) 17:34:32 ID:vKvti1a3
想像はしてたが、俺が何気なく聞きたかった事とは全く別の方向で凄い事になってる・・・。

580 :人間七七四年:2007/04/01(日) 17:44:27 ID:fP1rFGZQ
西方の軍監はいなかったはず

581 :人間七七四年:2007/04/01(日) 17:49:50 ID:zslAmVJp
寝返るも何も、はじめから東軍側→成り行きで西軍についてしまう→関が原で東軍に戻る
とういうだけの話。

582 :人間七七四年:2007/04/01(日) 18:36:38 ID:9SfQLv+O
>>574
東側から川に沿って西進すれば交戦してる場所を避けて、
問題無い距離まで到達できると思うよ。
また不自然な行動程秀秋の注意を引けるし、徳川の分隊が
移動してるのを物見も発見するだろうから威嚇射撃を見せ付けるには
そっちの方が良いんじゃないの?
まさか松尾山に接近する徳川家の部隊を無視するってのはないだろうし。

583 :人間七七四年:2007/04/01(日) 19:34:53 ID:tRTmfZDP
不自然な行動程、他の舞台の注意もひくんだって‥‥‥。
まして東軍の総大将たる徳川の鉄砲隊がそんな怪しい動きで長距離移動してりゃ、狙われるのがオチ。
山中のゲリラ戦やってるんじゃないんだから。

それがなにかの合図で、それにより確実に小早川隊が動くという確証があるならともかく、効果のほどの怪しい威嚇射撃を
わざわざ戦場で貴重な火力を遠くにやってまでするのは戦術上リスクが多すぎる。
機動力を活かした騎馬隊ならまだしも、徒歩なら移動しているだけで戦況が変わるというのに。

最初から射撃があったという、結論を先にもってきて無理矢理後付で理屈をつけるより、なかったんじゃないかと考えた方がよほど
自然じゃないかね。

584 :人間七七四年:2007/04/01(日) 20:31:26 ID:bs87hsCQ
南京虐殺はあったかどうかという話を思い出した。

否定派の論法は
具体的状況を想定して、「だから無理だった」と言うこと。

しかしお前は見てきたのかと。
しょせん想定に過ぎない具体的状況をもとに断定するのは無理がある。

実際にその時代を過ごした人たちがそう言ってる。
それを否定したければ同じ時代の人でその見解を否定している人を見つけてくること。
そうしないと議論のレベルがかみあわない。

585 :人間七七四年:2007/04/01(日) 21:07:59 ID:EZwGfQFd
ID:tRTmfZDP
コイツ馬鹿丸出しだな

586 :人間七七四年:2007/04/01(日) 21:21:21 ID:tRTmfZDP
>実際にその時代を過ごした人たちがそう言ってる。

それって誰のこと?
威嚇射撃説の出典を知ってるならどうぞ。

587 :人間七七四年:2007/04/01(日) 21:32:37 ID:akcNsTGW
実証論的なやり方が水掛け論になるなら
今度は文献的に検証してみようか>関ヶ原における家康の松尾山への威嚇射撃
一般的な関ヶ原の通説といっても良い小早川隊への威嚇射撃だが、
誰かこの話の初出を知ってる人居る?
出来れば関ヶ原に居た人間による一次資料が望ましいが、そうでなくても構わない
慶長年中ト斎記なんかには無かった記事だと思うが

588 :人間七七四年:2007/04/01(日) 21:35:23 ID:Dn3+gjvM
>>583
狙われるっても松尾山付近の西軍の前線は藤堂・京極の部隊と交戦中だし、
それらを突破しない限りは攻撃を仕掛けることも出来ないんだから
他の部隊の注意を引いたって別段問題と思うけど、また長距離って程長距離でもないし。

効果は実際に秀秋が裏切ってるから何とも言えないけど、
最後通告を態度で示す恫喝って考えれば威嚇射撃も意味が無い訳では無いと思うよ、
戦術上のリスクも秀秋が切れて襲い掛かってくるのならともかく、距離も離れてないし
前線に藤堂等、付近に徳川3万の軍勢が控えてる状況では孤立の可能性も低いので
高くない、むしろ低いんじゃないかな。

俺には無かったとする方が「無かった」という結論を先に持ってきて論を展開してるように見えるから
あったと主張してる訳でして・・・なので無かったとするのが自然とは思えないんだよ。

589 :人間七七四年:2007/04/01(日) 22:54:49 ID:vUgmFEDd
なんかえらく話が逸れてきているが、要は、
「家康にとっての希望であった野戦を関ヶ原で実現しながら、
小早川の裏切りに頼らなければならないほど苦戦した家康に、
野戦の才能はない」と言いたいんだろ?

関ヶ原の勝利は巧みな戦術で勝利したのではなく、
政治工作がモノを言って得られた勝利だから、
そういう意見が出てくるのも納得できるが、
その政治工作で野戦の失敗を補っているのだから、その点の評価はあっていいと思うがね
まあこれを「合戦上手」というのが妥当なのか分からないが

有能な部下を巧みに動かすなど、
兵の駆け引きを知っていたのは確かだろうし、決して下手くそとは思わないが、
「天才武将」と言えるほどの合戦上手とは異なると思う

関ヶ原や大阪の陣の場合、
自身の強大な権力を背景にした政治力で戦争に勝利する、
そんな感じだものな

590 :人間七七四年:2007/04/01(日) 23:12:03 ID:vKvti1a3
本来政治と戦争は切り離して評価など出来ない。
関ヶ原はとりわけ規模が大きく、それでいて入り組んだ部分があったから
色々と資料が残っていて、そういう観点から考査がしやすいだけに過ぎない。

591 :人間七七四年:2007/04/01(日) 23:16:44 ID:vUgmFEDd
>>590
家康は戦争には強いよ
武田との戦争さえ危機的状況に追い込まれてなお最後は勝利を収めるし、
秀吉との戦争でも簡単に講和することなく、その後もなかなか服従しないし、
関ヶ原・大阪の陣なども説明するまでもない
合戦指揮能力だけじゃなく政治力があるからこういう結果がもたらされているわけで

ただ純粋に合戦時の兵の駆け引きについて言えば、
「天才」と言えるレベルなのか疑問、ということだろ

個人的には信玄とかと変わらないと思うのだが
信玄もそんなむちゃくちゃ合戦指揮が上手い、というわけじゃないからね

592 :人間七七四年:2007/04/01(日) 23:27:34 ID:bs87hsCQ
うん。家康は合戦強いほう。それも相当強い方。

でも達人クラスかというとちょっと。ってことですな。

593 :人間七七四年:2007/04/01(日) 23:59:01 ID:lYqs2FSi
>実際にその時代を過ごした人たちがそう言ってる。
>それを否定したければ同じ時代の人でその見解を否定している人を見つけてくること。
>そうしないと議論のレベルがかみあわない。
低いレベルに合わせるべきだ!という斬新な発想のID:bs87hsCQに乾杯

594 :人間七七四年:2007/04/02(月) 00:03:15 ID:sWepw8bi
>>593
しかし熱いね君

595 :人間七七四年:2007/04/02(月) 00:20:04 ID:NQ8Bfx9A
家康は寝技の達人の方がしっくりくる

稀に戦術でひっくり返すやつがいるが、野戦の達人とはそういうやつにこそ相応しい

まぁ評価は順当勝ちした指導者>>>>>戦術でひっくり返した達人だが

596 :人間七七四年:2007/04/02(月) 00:21:15 ID:0XqPFTpQ
本人登場

597 :人間七七四年:2007/04/02(月) 00:24:45 ID:sWepw8bi
>>595
上手いな

598 :人間七七四年:2007/04/02(月) 00:40:15 ID:WlWkQtfm
野戦とは遭遇戦を言うのだろう?
真正面から打ち破ったのでは勝っても被害が大きい
関が原で小早川に裏切らせて横槍を入れさせて勝つ
これほど野戦上手はいまい、どうだ

599 :人間七七四年:2007/04/02(月) 00:59:04 ID:sWepw8bi
>>595
>稀に戦術でひっくり返すやつがいるが
氏康の河越夜戦とかの事か?

600 :人間七七四年:2007/04/02(月) 01:22:49 ID:eYuVF/ku
>>584
話違うもの持って来るな

南京は、無かったって言ってるのは少数だ
あれは
「あんな多数の虐殺は物理的に無理」
って話だ
秀吉がすごい火力を使って朝鮮の書物を全て灰にした
とかと同レベルの話だ

民間人が見た戦争による被害者がどれだけ誇大して伝えられるかなんて
第二次世界大戦に限った事じゃねえよ
情報網発達した今の戦争だって正確な情報なんて出てこないのが戦場

601 :人間七七四年:2007/04/02(月) 02:41:09 ID:YdQ0xnTE
こんな例えは何だが、
第二次大戦で勝利したアメリカは確かに強かったし、
当時の指導者ルーズベルトは有能な大統領だったが、
しかし戦争の指揮そのものが天才的にうまかったのかというとまた別の話で

家康も同じようなものじゃないの?

602 :人間七七四年:2007/04/02(月) 03:12:38 ID:GFc3noWU
ハンニバルの例はすごいな

敵地で補給が絶たれているにもかかわらず、手勢の10倍の動員力を持つローマに10年居座って攻撃を続けるハンニバル
しかも手勢の半分は言葉も通じないガリアとヌミディアの傭兵部隊だった
ローマは毎年のように討伐軍を繰り出すがすべて敗北し、毎年のように重臣が死んでいく、お世辞にもローマの戦術がよかったとはいえない
食料調達をほぼ100%略奪に頼るハンニバルをまったく妨害できなかった
が、ローマはハンニバルにいる方面では篭城策を取り、ハンニバルのいない方面の城を奪うという戦略で見事逆襲
ハンニバルがローマでグダグダやっている間に本国を脅かして、ハンニバルを撤退に追い込む
ハンニバルはローマの制海圏を突っ切る羽目に陥って手勢を1万にまで減らしてしまい、ザマの敗退を招いた

日本で言えば、いろいろあって徳川が織田と敵対した神君イエヤスは五千の兵で織田を攻撃した
自国民が不足していたため兵の半分は中国人と朝鮮人
あえなく補給線は絶たれ、食料は略奪に頼らなければならなくなった
しかし、そこは神君イエヤス
毎年のように派遣される柴田・羽柴・滝川・明智等をすべて撃退し、安土に迫る
安土を攻めあぐねるも周辺地域を徹底的に略奪して、ほぼ100%自給自足で10年間攻撃を続ける
しかし、その10年で遠江が落とされ三河も占領寸前に追い込まれる
神君イエヤスといえどこれには撤退するしかなかった

603 :人間七七四年:2007/04/02(月) 03:20:20 ID:vybUi3hg
戦国時代の日本はもう常に弾と火薬を消費する時代だったから、
飛び道具が投槍だったハンニバルの時代とはぜんぜん状況が違うと思う…
あとハンニバルは自占領地では略奪してないよ。

604 :人間七七四年:2007/04/02(月) 09:18:19 ID:Y5jimeng
そもそも、当初松尾山に先に陣取っていた西軍の将兵を追い出して
強引に築陣したんだから、秀秋を西軍と見るのはおかしい。

あきらかに東軍よりで、西軍の優勢を見て迷ってたに過ぎない。
東軍の軍艦やら稲葉にそそのかされて西軍攻撃を開始しただけ。


605 :人間七七四年:2007/04/02(月) 13:04:25 ID:yle/kMsM
まあそんなところだろう

606 :退屈@親父:2007/04/02(月) 15:09:46 ID:+7f6TVp6






age





607 :人間七七四年:2007/04/02(月) 19:12:25 ID:TuB/h/os
威嚇射撃は今まで普通に言われていたから特に疑ったことなかったけど、
なかったという説は誰が主張してるの?
ここを見るまで不覚にも聞いたことがなかったよ。

608 :人間七七四年:2007/04/02(月) 19:26:40 ID:EYO5GcFo
名前は忘れたが歴史読本の関ヶ原本でも検証されて否定的な論者は居た

609 :人間七七四年:2007/04/02(月) 20:44:01 ID:h0h+9con
家康の活躍を徳川史観とやらの捏造にしてしまいたがっている人はどこにでもいるってことだろ
このスレもそういう意図で立てられたようだし

610 :人間七七四年:2007/04/02(月) 21:26:13 ID:BE728ZtB
家康が野戦の達人だったから天下を取れたというのではなく
政治外交能力の高さ故に天下を取れたっていう流れになってるだけだろ?
もちろん家康が戦争に弱いなんて言うつもりは無いよ
ただ、戦国大名の活躍の場ってのは戦場だけじゃないし
戦場において家康以上の輝きを示した武将はいるってだけの話

611 :人間七七四年:2007/04/02(月) 21:46:29 ID:WlWkQtfm
だから軍事力がなけりゃ政治も外交もないぞ
今の日本をみろよ

612 :人間七七四年:2007/04/02(月) 21:54:15 ID:yACFwM6P
>>611
日本は、隣りの家の住人が銃持ち歩いてるのに
扉に鍵もかけずに、仲良くしましょ。でやってきたから仕方ない

戦場において、家康より輝いた武将は確かに存在するし
家康がトップだというつもりは、毛頭ないんだが
人によって達人の基準が違うからなんとも
少なくとも、水準以上の戦術能力があったのは間違いない
まあ>609の言い分もわかるよ。
このスレ、最初の方は家康のやりかたはよわいものいじめだ
とか電波がぶんぶん流れてたし


613 :人間七七四年:2007/04/02(月) 21:54:19 ID:EYO5GcFo
今の日本と家康の野戦能力に何の関係が有るんだか

614 :人間七七四年:2007/04/02(月) 22:01:24 ID:WlWkQtfm
家康の政治力に対する反論だろうが
政治力は軍事力に比例してる、つうことだ
軍事力のない政治力なんてないんだよ
外交も同じ、家康には軍事力があったから政治力も外交力もあった
その軍事力はどうやって獲得したんだと言いたい

615 :人間七七四年:2007/04/02(月) 22:06:21 ID:EYO5GcFo
だれも家康の軍事的才能が水準未満とは言ってないしな
豊臣政権で最大の石高の持ち主だったが、単純な野戦指揮能力では
もっと上が他に居ると指摘されてるだけだろう

616 :人間七七四年:2007/04/02(月) 22:10:18 ID:BE728ZtB
>>614
君の言う軍事力・政治力は大名家としてのものだろ?
ここで問題になっているのは家康個人の指揮官としての能力のことだと思うんだが

617 :人間七七四年:2007/04/02(月) 22:18:44 ID:UFfJmTX3
家康の戦術能力は決戦型の戦いでは
なく運動戦型の戦いなんじゃないかって思う。

苦戦・敗北した戦いって決戦型ばかりだし。

たとえば、関が原なんかも関が原合戦に持っていくまで、
濃尾を中心とした運動戦といってよいけど、それが非常にうまい。

でも決戦の形式になった関が原合戦はどうしてというほど
指揮に疑問がある。

つまり、戦域レベルの作戦能力は高いが、戦術レベルの指揮能力は低いのではと。
個人的意見を言えば、徳川家の戦術レベル強さは家康ではなく武将が肩代わりしたのではと。


618 :人間七七四年:2007/04/02(月) 22:19:21 ID:WlWkQtfm
だから人質の時代に軍事力なんてあるのか?
信長の犬の時代だって、力がなければ同盟なんてしてくれないぞ?
信長が指揮能力もない男と同盟するか?

619 :人間七七四年:2007/04/02(月) 22:23:00 ID:WlWkQtfm
三河は、ある意味、特殊なのかも知れない
学問とか礼儀とか躾とか、んなものは一文の価値もない
戦に強いこと、これが男の価値の全てだ
んな作戦指揮能力のない領主など、直ぐに殺してしまうわな

620 :人間七七四年:2007/04/02(月) 22:26:25 ID:BE728ZtB
>>618
織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part5
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1174052463/317
●桶狭間直前の今川家臣の知行高一覧(>>216補完)
●国衆(計42.4万石)
松平10万
朝比奈A2.5万
三浦A1万
井伊A2.5万
朝比奈B2.6万
由比2.3万
小笠原2.4万
松井2.3万
由比B1.8万
飯尾2.6万
安部1.5万
富永1.3万
葛山1.5万
三浦B1.6万
園部1.8万
井伊C1.5万
井伊D1.2万
宮城1万
石橋屋形1万
「今川家家臣分限帳 天正三年正月」より
とのことなんで松平家は十分大きい家ですね

621 :人間七七四年:2007/04/02(月) 22:27:23 ID:yACFwM6P
ぶっちゃけ、戦場の指揮なんて、部下にまかせればいい能力
政戦両略の能力が高いのは勿論、当時の信長の状況等から
家康と同盟したんでしょ
勿論、家康の部隊指揮能力も、優秀なものだったのは疑いないわけだし


622 :人間七七四年:2007/04/02(月) 22:30:02 ID:yACFwM6P
ああ、上の方の愛知だか静岡県民さんか
レスするだけ無駄だったな

623 :人間七七四年:2007/04/02(月) 22:31:05 ID:BE728ZtB
みたいだね
文体が似てる

624 :人間七七四年:2007/04/02(月) 22:33:28 ID:EYO5GcFo
文体っつうか主張してる内容も全く一緒だな

625 :人間七七四年:2007/04/02(月) 22:39:00 ID:WlWkQtfm
今ね、中日新聞で「新三河物語」を連載してるんだけど(宮城谷)
三河一向一揆で、なぜに家康が宗教に勝って部下の信を得たのかつうことだが
家康の人質時代、三河の現世に希望はなかった、ゆえに来世で救われたいと
宗教に走ったのだが、家康が戻ってみると、現世にも希望が見えてきた
だから家康についたんだとの解釈だ、面白い
つまり家康の存在そのものに希望があったんだな、それほどの才だ
これが西洋だとカノッサの屈辱じゃないが、宗教にひれ伏してしまうのだ

626 :人間七七四年:2007/04/02(月) 22:53:32 ID:SzLuSGua
>>614
戦場での戦果を生かせる奴と無駄にする奴がいる。
家康は前者のタイプで、戦果を最大限政治に生かせた人だと思う。

で、最終的に戦国最高の政治力を発揮することができた。
けど、戦場での戦果に限って言えば、戦国最強、達人というには物足りないという話。


627 :人間七七四年:2007/04/02(月) 22:56:27 ID:yACFwM6P
>>626
達人じゃないならなんで天下とれたんだ?
達人なら天下とれるはずだろ?
なんてレスがつくと予想してみとく

628 :人間七七四年:2007/04/02(月) 22:59:03 ID:WlWkQtfm
>>626
例えば島津の釣り伏せなんかは、伏兵を潜ませておいて誘いこむ
この一手なんだが、それで達人なのか? 天下分け目では通用しないぞ?

629 :人間七七四年:2007/04/02(月) 22:59:30 ID:SzLuSGua
>>626
それは全く俺のレスを読めてないというか、
そんなレスする人はちょっと頭が(ry

630 :人間七七四年:2007/04/02(月) 23:03:03 ID:SzLuSGua
>>628
釣り野伏せもできない人にそんなこと言う資格はないな。

631 :人間七七四年:2007/04/02(月) 23:05:41 ID:WlWkQtfm
>>630
地理的な条件が違うだろう?
矢作川の川原で待ち伏せるのか? 平野だぞ? w

632 :人間七七四年:2007/04/02(月) 23:05:49 ID:SzLuSGua
てゆーかさ、関ヶ原で家康って何かしたの?
何もしてねーだろ。
関ヶ原クラスの大戦だと、重要ならのは戦場での指揮能力ではなく
各武将を自分のために戦わせる政治力。

633 :人間七七四年:2007/04/02(月) 23:06:24 ID:SzLuSGua
>>631
そもそも的外れなレスしてることに気づけよ。

634 :人間七七四年:2007/04/02(月) 23:07:01 ID:0XqPFTpQ
上泉信綱にしろ、宮本武蔵にしろ、剣の達人になればなるほど実際にチャンバラすることは少なくなっていくわけで。

達人の定義もひとそれぞれだろうが、究めてしまった者は、なんつ〜か闘わずして勝つみたいなイメージがあるな。
その分、周囲からみれば物足りないだろうが。

635 :人間七七四年:2007/04/02(月) 23:22:31 ID:WlWkQtfm
>>632
敵を大垣城から関が原へ誘い出し、一日で決着をつけた
こいつは凄いことだぜ?

636 :人間七七四年:2007/04/02(月) 23:27:22 ID:yACFwM6P
>>634
上だと、政宗も達人と呼べないという人もいたし
達人と呼ぶラインが人によって、かなり上下するから難しいかもな


637 :人間七七四年:2007/04/02(月) 23:49:05 ID:U/Pe5JCU
>>632
確かに関ヶ原何かの場合その点が大きく左右したわな

家康が西軍蜂起後の東西から挟撃される恐れがある危機的状況下で、
東軍の団結を維持させながら、西軍の切り崩しに成功し、
勝利への布石を打つ事に成功したのに対し、
三成は総大将に毛利輝元を担ぎ出す事に成功するも、
毛利家の最高顧問的地位の吉川広家はじめ、
筆頭家老の福原らが西軍加担を嫌がり東軍に内応してて、
西軍の統率が根本から崩れてしまい、
戦術・戦略的には最後まで抵抗を示すも、
結局西軍の多くは傍観・そして寝返り、あの惨敗につながってしまった。

もっとも三成と家康とでは地位に格差がありすぎて、
自分の軍団を団結させたり、相手を寝返らせるには、
家康が有利な環境だったのは否めないんだがね

638 :人間七七四年:2007/04/03(火) 00:01:57 ID:9d68Vwfp
家康が有利な環境じゃなくて
まんまと釣り出された三成がアホなだけだよ
三成と直江の関係を知っていていろは姫との縁談をし
愚弄してるんだよ

639 :人間七七四年:2007/04/03(火) 00:34:37 ID:yt/auqM2
>>635
一応言っておくけどな。
逆に西軍に一日で負ける可能性もあったんだ。
勝負はみずもの。特にあんなコントロール効かない大戦なんて。

そして西軍も短期の決着を狙っていたはず。

短期間で勝負をつけたい両軍の思惑が合致して決戦となった。
別に家康だけの手腕ってわけじゃないよ。

640 :人間七七四年:2007/04/03(火) 00:47:08 ID:SVY9OLmk
西軍で赤信号だったのは、吉川と小早川と鍋島の3将。
関が原にこのうち2将がいたのは不運だったと思う。


641 :人間七七四年:2007/04/03(火) 00:58:07 ID:9d68Vwfp
小早川は手の内だったんだよ
だから福島らの裏切りを最後まで心配していた
自分がそうだから相手もそうじゃないかと…
勝算がなくして相手の懐へ飛び込むかよ

642 :人間七七四年:2007/04/03(火) 02:46:03 ID:SmHh7vjm
東軍を完全把握してたなら
味方が崩れそうになったときや押した時にすかさず本体の徳川から遊軍が出る筈だし
最初から東軍だった小早川がギリギリまで様子見しない
家康が所詮東軍の盟主に過ぎなかったからこそ、戦闘指揮権は参軍した諸将に委ねられ
西軍が意外や健闘したからこそ小早川は出撃を躊躇った

643 :人間七七四年:2007/04/03(火) 06:53:00 ID:82Qtjx2Z
まぁ実際、このスレの人間が期待してる合戦能力なんて言う胡散臭いもんが通用するのは
数千〜1万未満ぐらいだろうね、上杉謙信も似たようなこといってた気がするが。

3万5万と兵が増えれば増えるほど、単純に兵を動かす事そのものが難しくなっていくので、
細かい動きなど出来るはずもなくなっていく。

644 :人間七七四年:2007/04/03(火) 08:13:01 ID:SmHh7vjm
つ 秀吉・秀長

645 :人間七七四年:2007/04/03(火) 08:20:21 ID:82/Hny9I
戦国時代の指揮統制システムはお粗末だから、大軍の運用は容易じゃないよ
家臣が軍役に応じたことを示す着到状(出席確認書程度の意味しかない)ぐらいしかなくて、大まかな指示は口頭で行っていたようだ
信長あたりから万単位の軍勢を幾つも動かすようになるが、基本的に個人の能力に頼ったもの
秀吉が陣立書(行軍順や配置も明記している書状)を整備してようやくまともな作戦指令書が出るようになった

646 :退屈@親父:2007/04/03(火) 12:05:08 ID:V4Wqev64






age










647 :人間七七四年:2007/04/03(火) 16:27:41 ID:Ky03rv0+
日本史でも最大級の野戦で勝利した家康が、野戦の達人で確定。
そもそも相対的な基準なのだから、戦国最大野戦の関ヶ原の極大勝利という結果を出した事は評価と直結するだろう。
内容も完璧じゃね?

648 :人間七七四年:2007/04/03(火) 16:31:22 ID:7eGsnt5c
レベル低い書き込みはするなよ

649 :人間七七四年:2007/04/03(火) 16:34:02 ID:OkeL+e9b
大将ってのは、気配りができて配下の武将に恨まれないように、まとめるのが仕事じゃないか?

作戦は軍師が考えて指揮は武将が取ると
だから野戦が得意な人間が多く配下にいたか、そういう作戦が徳川家で主流だったんじゃね

650 :人間七七四年:2007/04/03(火) 21:40:23 ID:9d68Vwfp
本多の指揮で榊原とか大久保とかが動くのか?
それとも大久保の命令で本多や榊原が動くのか?
ばか言ってんじゃねえよ、ぼけ

651 :人間七七四年:2007/04/03(火) 22:50:17 ID:SmHh7vjm
>>647
日本史で最大級って
10万単位の動員同士の戦いって南北朝期にはざらにあったんだが

652 :人間七七四年:2007/04/03(火) 23:02:28 ID:yt/auqM2
>>651
あれ、本当かなあ?
情勢から言って各2,3万が妥当だと思うんだけど。
まあスレ違いなので。とりあえず10万ってことで。

653 :人間七七四年:2007/04/04(水) 06:24:57 ID:VxbQxBB4
関ヶ原が日本史で最大級の野戦というのは事実だろ。
近代の海外戦を別にすれば。

654 :人間七七四年:2007/04/04(水) 14:06:52 ID:dEQiTK72
>>653
そういう基本的な認識からズレている奴がいるから怖い。

655 :人間七七四年:2007/04/04(水) 14:18:58 ID:3Gk2cwjx
やはり日本戦史上は重要だと思うよ
過去の日本でもそれだけの兵数を揃えた戦いはあったといわれるが、水増しされていないという証拠は無い
関ヶ原合戦は太閤検地後で、正確な動員可能数が把握された後の合戦
つまり「本当に20万級の兵力がぶつかったと保証できる初の合戦」

656 :人間七七四年:2007/04/04(水) 15:14:33 ID:W2MhxHir
関ヶ原なんて野戦と呼べる代物か?
権謀術策をつくした下地づくりばっかりで言わば政治力合戦だろ。
周りは自分より年下ばっかを相手にあわやというところまで奮戦されて
慌てふためいて一か八かの裏切り催促。
これが野戦の達人て片腹痛いわ。

657 :人間七七四年:2007/04/04(水) 15:41:32 ID:NCCF8nP7
戦争は過程よりも結果が全てだからな。
負けた結果すら計算に入れる様な家康の思慮深謀は現代の人間にすら計れないほど
>>656
別に当事者でも無いのに、負け犬の遠吠え見たいな事言ってる奴大いスレ

658 :人間七七四年:2007/04/04(水) 16:32:56 ID:dCygOxbH
>>657
日本語でおk

659 :人間七七四年:2007/04/04(水) 16:44:38 ID:Ar4s0LOU
数だけは立派だけど
西軍で戦ったのって宇喜多、石田、大谷(とその支隊)だけだかからなぁ
実際は4万対10万さな

660 :人間七七四年:2007/04/04(水) 16:48:59 ID:W2MhxHir
>>656
野戦というテーマに基づいて論じているのに
>>戦争は過程よりも結果が全てだからな。
なんてズレたこと言われると
秀吉も野戦の達人ということになるが。

661 :人間七七四年:2007/04/04(水) 17:02:11 ID:HPYLtC5N
>>659
小西小西!!

それに東軍も池田輝政や山内一豊らの南宮山を睨んでた1万5千も戦ってないな。


662 :人間七七四年:2007/04/04(水) 17:05:43 ID:QOxZoSj0
>>656
>慌てふためいて一か八かの裏切り催促。
これは何のことをさしているんだ?もっと勉強したほうがいいんじゃね?

663 :人間七七四年:2007/04/04(水) 17:24:56 ID:N8MWJsqv
ていうか家康本隊3万も殆ど交戦してないだろ

664 :人間七七四年:2007/04/04(水) 17:31:17 ID:QOxZoSj0
兵を使わずに野戦で勝利する。まさに達人の域だろ。

665 :人間七七四年:2007/04/04(水) 17:31:35 ID:W2MhxHir
>>662
おまえいろんな史料ちゃんと読んだことあるか?

666 :人間七七四年:2007/04/04(水) 17:42:39 ID:QOxZoSj0
>慌てふためいて一か八かの裏切り催促。
で、これは何のことさしてんだ?いってみ。

667 :人間七七四年:2007/04/04(水) 19:33:09 ID:ohJmOCWV
また鉄砲厨かよ

668 :人間七七四年:2007/04/04(水) 20:20:35 ID:zRpBF6z7
なんて史料?花の慶二?

669 :人間七七四年:2007/04/04(水) 20:35:43 ID:N8MWJsqv
花の慶次というより影武者徳川家康じゃないか
あれは秀秋の身体付近にも弾丸が飛んできて凄かったなw
さすがにあれは創作

670 :人間七七四年:2007/04/04(水) 20:52:22 ID:VxbQxBB4
だからこそおもしろいんだろ漫画もドラマも講談も。

671 :人間七七四年:2007/04/04(水) 23:16:20 ID:qiU/lGo+
家康には、上の方で出てたハンニバルのカンネ会戦のようなパーフェクトゲームも
戦史研究の対象となる合戦もないんじゃない。

672 :人間七七四年:2007/04/05(木) 00:31:02 ID:wQ6Q8Ea1
関ヶ原の戦いはまるで自民党の総裁選挙をみるような派閥抗争だからねえ
戦いそのものも結局はこの派閥抗争の影響がモロに影響したわけで、
類稀なる素晴らしい戦術が生かされた戦いとかとは言い難い

673 :人間七七四年:2007/04/05(木) 01:36:23 ID:dVIdavgH
小牧・長久手や関ヶ原は後年参謀本部が詳細な研究書を出してたけどな
後年司馬遼太郎の「関ヶ原」なんかの種本になったやつ
けど内容自体は講談・軍記をソースにしてて手放しで信頼できるものではない

674 :人間七七四年:2007/04/05(木) 01:50:38 ID:WUu/wThc
つーか戦ってのは本来どれもそういうもんだっつーの。
記録が曖昧なものほど尾ひれがつくもんだが。

675 :人間七七四年:2007/04/05(木) 01:55:50 ID:dVIdavgH
一体どこの世界に戦前に総大将が敵方に調略されて
まともに戦わず負けた戦があるというのかw
どう考えても関ヶ原は特殊な事例

676 :人間七七四年:2007/04/05(木) 02:13:13 ID:TfYWnMkr
輝元って調略されたっけ?


677 :人間七七四年:2007/04/05(木) 07:04:38 ID:5yWlZsgm
戦略抜きで戦術だけを論じても意味が無い。
戦略のない戦争なんてありえないのだから。

678 :人間七七四年:2007/04/05(木) 07:11:59 ID:WDaYLEbM
戦術に通じているものほど、少しでも戦場で有利になるよう開戦前から周到な準備をするもの。

だとしても、関ヶ原がかなり特殊な例であることは異論ない。

679 :人間七七四年:2007/04/05(木) 08:14:02 ID:TfYWnMkr
少なくとも西軍は城から出たし、かなり無茶な戦略機動をした。
つまり、西軍にあった戦術的な優位は減っていている。

表面上の兵力的にほぼ互角だし(実質優位)、
家康が関ヶ原に出た判断は妥当。


680 :人間七七四年:2007/04/05(木) 12:33:18 ID:KX39WcY5
布陣図だけを見れば西軍圧勝
何しろ片翼包囲を喰らった体勢で戦闘が開始されてるんだから
しかし西軍の内実は不和でグダグダ

681 :人間七七四年:2007/04/05(木) 13:34:59 ID:iAcjBKKH
ぐだぐだつう前に総大将が山の上じゃ包囲もくそもないぞ

682 :人間七七四年:2007/04/05(木) 16:26:51 ID:vvdUfjW6
お互い想定外の結果、西軍有利の陣形になったなら
それは三成らを誉めなくてはならない
しかし、調略済みだからと西軍有利の陣形を許すというのでアレば
家康の神経を疑う
戦は水物、何が起こるか判らないのに相手に脇腹を晒すのは誉められない
関ケ原の布陣すら家康の支配下だったのなら、陣形だって西軍に勝てる配置にする訳で
実際に関ケ原に陣取った時に家康はキモを冷やした筈だ

683 :人間七七四年:2007/04/05(木) 17:59:01 ID:1t4qcOgk
>>682
同意

684 :人間七七四年:2007/04/05(木) 18:25:33 ID:iAcjBKKH
だから扇の要に総大将が居ない布陣ってどうなのよ

685 :人間七七四年:2007/04/05(木) 20:38:16 ID:WDaYLEbM
>関ケ原の布陣すら家康の支配下だったのなら、陣形だって西軍に勝てる配置にする訳で

それには、最初から小早川たちを東軍として旗色を明確にさせとくことになり、せっかくの調略が効果半減だろ。
西軍側とみなされていたからこそ、三成たちも安心して松尾山に大軍で布陣させたわけだし。

686 :人間七七四年:2007/04/05(木) 20:53:20 ID:WUu/wThc
>>685
三成は安心などして無い。無理やり陣取ったんだよ小早川は。

またそこまで調略にこだわる意味も無い、最初から味方ならそれに越した事は無い。

687 :人間七七四年:2007/04/05(木) 21:03:53 ID:+QOVvCsR
>旗色を明確にさせとくことになり、せっかくの調略が効果半減
>三成たちも安心して松尾山に大軍で布陣させた
これは酷いwwww

>>386
これだけ認識に差があると、そのレスは無駄になると思うけどwwww

688 :人間七七四年:2007/04/05(木) 22:25:13 ID:g0V6me1R
東軍大勝で一気に決着つけるためには、史実以外のやり方はそうない
最初から東軍優勢が明白であれば正面衝突避けただろうし
もしかして神業ともいえる攻略法?
偶然が積み重なってそうなっただけだとしたら、家康はとんでもない強運

689 :人間七七四年:2007/04/05(木) 22:39:23 ID:dVIdavgH
家康がラッキーマンだということは常識だろ
まあラッキーマンみたいに運だけじゃないけど

690 :人間七七四年:2007/04/05(木) 22:54:13 ID:WUu/wThc
>>688
正面衝突避けてたら、家康の不戦勝で終わってしまうよ。

もともと三成は既に政治的には中央から退かされてしまってるし、秀頼を引き出すことも出来てないから
基本的に大義名分は余り無い、ゲリラ的な挙兵だった訳で。

それも家康不在だったからこその芸当なのに、家康が迫ってる状況で下手に二の足を踏むようなら
もともと家康とつながりがあった連中が家康の方へ走るのが目に見えてる。

691 :人間七七四年:2007/04/05(木) 23:16:00 ID:iAcjBKKH
三成さん、良く挙兵してくれました、ありがとう、だろう。

692 :人間七七四年:2007/04/05(木) 23:28:50 ID:WUu/wThc
何事も無く上杉を血祭りに上げたほうが楽に決まってる、
本来ならそれに越した事は無いし、そういう流れも想定していただろう。

ただまず確実に何らかの形でそうはさせてはもらえないだろうと既に読んでいただろうし、
そうなっても大丈夫なように事前に動いていたと言うだけの事。

693 :人間七七四年:2007/04/05(木) 23:46:03 ID:TfYWnMkr
>>690
正面衝突を避けたら、輝元の部隊・大津城攻めの部隊その他各地の西軍
部隊が関ヶ原に来たでしょうけど・・・。
東軍は、秀忠以外は強いて言えば前田以外はくるあてがないので、
より戦力的に不利になるわけで。

外線的な東軍に対して内線的な西軍は兵力集中が容易なわけで。
普通に東軍の勝ち目が落ちていきます。

>それも家康不在だったからこその芸当なのに、家康が迫ってる状況で下手に二の足を踏むようなら
>もともと家康とつながりがあった連中が家康の方へ走るのが目に見えてる。

基本的に、小早川・吉川・鍋島・長宗我部以外は家康とつながりがあった連中はすでに東軍ですが?
以外に家康は人望ありません。寝返りそうな人間を上げていただくとうれしいのですが。
個人的に、前田玄以と増田あたりが寝返りそうだと思いますが(w。


694 :人間七七四年:2007/04/06(金) 01:21:13 ID:WKe9DZG3
自分であげてるじゃないか

更には小早川・吉川が家康に来てるのに毛利本家だけ頑なに西軍とかありえん
史実でも前半であれだけ西軍が優勢に進めてても動かなかったのに
衝突すら避けてるような状況の西軍に何で輝元がそこまで義理立てしなけりゃいかんのか。
プラス鍋島・長宗我部がつくだけで充分すぎる。奉行連中もつくというのであれば余計に。

だいたい3万8千の家康直属軍、前田軍2万5千の大きさも舐めすぎではないか。
石高の桁が違うのに一緒の数で計算する意味がわからんのだが。
大津城攻めてる連中など徳川はおろか前田軍の半分強程度、しかもその兵力は小早川・毛利の
兵も多く混ざってるのでこれらは上記の理由で東軍に寝返るだろう。
まともに信用できるのは立花宗茂ぐらいのもんだ。

島津もそうだが九州の連中はみんな怪しいもんだし。

695 :人間七七四年:2007/04/06(金) 02:29:20 ID:WWr4lhBt
>>694
>更には小早川・吉川が家康に来てるのに毛利本家だけ頑なに西軍とかありえん
毛利を小早川・吉川を基準に考えている理由を教えてください。
そもそも、小早川・吉川が寝返った理由わかってますか?

>だいたい3万8千の家康直属軍、前田軍2万5千の大きさも舐めすぎではないか。

大坂城にいる。毛利本隊と豊臣直轄軍の5万の軍勢を舐めすぎではと返しておきましょう
前田よりは関ヶ原に近い位置にいますし。
前田も本土防衛用に一万残さなきゃならんでしょ。
そもそも利政の件はスルーですか?

>石高の桁が違うのに一緒の数で計算する意味がわからんのだが。

言っている意味は分からないのですが。
基本的に関ヶ原に追加で来るのは東軍は秀忠隊と前田隊で5万〜6万
西軍は大津城と伊勢と丹後総計の3万と大坂城にいる4万。

数値で言えば西軍の方が投入できる兵力は大きいとさえ言えます。
無論それぞれ時間的なズレがありますが、大津城や伊勢は数日あれば
関ヶ原にこれますし、基本的に西軍の方が投入できる兵力が多いですね。

>島津もそうだが九州の連中はみんな怪しいもんだし。

その論拠は?島津はまあそれはそれとして九州勢は基本的に親石田なんですが。



696 :人間七七四年:2007/04/06(金) 09:13:32 ID:w2wy5olv
無知でごめんなさい

697 :人間七七四年:2007/04/06(金) 14:54:34 ID:vtNccxiQ
戦争は結果がすべてじゃ 何が起こるかわからんし
事前調略も戦のうちじゃー
よって野戦に優れてる

698 :人間七七四年:2007/04/06(金) 15:37:57 ID:hz+VvztE
関ヶ原は一日で方を付いたのが、かなり異常
もうちょい小競り合い続いたりして、長引いてたら、秀忠の大活躍が見られたのに・・・

699 :人間七七四年:2007/04/06(金) 15:51:01 ID:hz+VvztE
>>695
三成が指折り数えて兵を計算した姿が思い浮かんでくる・・・・
自分に都合良く、兵を集めたつもりになって勝てると思ったんだろうな

三成の思考がそんな感じだったと思えて、悲しくなる。

700 :人間七七四年:2007/04/06(金) 17:13:32 ID:l0M86C8B
三成厨は、三成がやったことで家康を大幅に利することになったと認めたがらないだろうな
三成が工作しなければ家康はもっと容易に天下を取ったと・・・
しかしそれは家康を過大評価しすぎ

701 :人間七七四年:2007/04/06(金) 18:32:44 ID:O8fV6pG3
秀吉の唐入りの根拠になったのが築城能力、ロジステクスの発達だが
その使い道がもはや日本にないので唐入りしたのだと言う説まである
その要にいたのが三成で、こんな能力を持った指導者つうと
アイゼンハワーを思い浮かべるが、彼もまた大統領にはなったが
何をしたのかと疑問になる、まるで三成の実戦能力のようだ…。

702 :人間七七四年:2007/04/06(金) 22:45:26 ID:WKe9DZG3
>>695
大阪城と毛利本軍がちゃんと味方で、そのぐらい積極的に動くなら
関ヶ原は問題なく西軍は勝てたろう。だが史実では一切動かなかった。

なのになんでなんの脈絡も無く、関ヶ原を避けて時間稼ぎしただけで完全な味方になってんだ?

703 :人間七七四年:2007/04/07(土) 00:06:39 ID:hAU/x1NA
>>702
>だが史実では一切動かなかった。

出陣の準備をしていたが、
家康が密書の公開に踏み切り、その性で
疑心暗鬼になって動けなかった。

ええと、もしかして毛利の関ヶ原の動き知らないの?

704 :人間七七四年:2007/04/07(土) 00:52:58 ID:rVn2tMuB
>>703
>>出陣の準備をしていたが、
>>家康が密書の公開に踏み切り、その性で
>>疑心暗鬼になって動けなかった。

↑こんなこと言ってる奴が信用できるなら、松尾山にいる小倅も
弁当食ってる宰相殿も信用できるんでは無いか?

705 :人間七七四年:2007/04/07(土) 01:00:55 ID:FupR7WzV
ところで輝元って実戦の経験があるのか?

706 :人間七七四年:2007/04/07(土) 01:27:53 ID:QaLXgFLA
輝元なんて両川の叔父たちに支えられてなんぼの無能人間だから
自分で出陣して戦うなんて不可能だよ

707 :人間七七四年:2007/04/07(土) 02:55:02 ID:KKzgFCyi
関が原当時限定でいうと家康が単に場数だけは踏んでいるだけだろ。
あえて言うなら、義弘の方が実績あるんじゃないの。
達人という言葉が合うのは信玄・謙信・氏康だろう。

708 :人間七七四年:2007/04/07(土) 03:12:01 ID:jPbkNIrM
またまたご冗談を

709 :人間七七四年:2007/04/07(土) 09:49:04 ID:Tcb71wby
家康は初めから複数の戦闘集団を束ねる総大将の地位にいた。
ならば、自身が戦術的な采配を振るう時は余程の苦戦というより敗戦時
であろうし、それ以上は常に戦略的な指示に終始していた。

彼が自らの主導において戦術指揮を執ったのは長久手の戦い時における
池田・森勢との戦闘のみであろう。

710 :人間七七四年:2007/04/07(土) 09:58:38 ID:1zhxK9Wf
上田攻めや三方が原はスルーですかwww

711 :人間七七四年:2007/04/07(土) 10:29:04 ID:T/GVmoTV
上田攻めなら明らかに違うだろう
なんでも煽ればよいってものでもw

712 :人間七七四年:2007/04/07(土) 11:13:14 ID:DxUvJ5Dr
家康の武功、実力は、その実態より過大評価されていた。
その理由は、
1)長年、織田信長の忠実な同盟者だったという経歴
2)小牧長久手での局地戦の勝利により、秀吉に負けなかったという実績
3)秀吉から封ぜられた過分の250万石という巨封の威圧

中でも2)の影響が最も大きい。

関が原の勝利は事前の政治工作が功を奏したためだが、
計算通りだったのは吉川広家だけ。
実態は不透明な小早川秀秋の裏切り頼みという他力本願。

戦場で家康がやった事は、
なかなか裏切りを実行しない小早川秀秋に焦れて、
奮戦中の黒田長政にその旨を再確認した事と、
本陣をやや前進させた事、
そして一か八かの小早川秀秋への裏切りを催促する威嚇射撃という博打だけ。
お粗末極まりない。

所詮家康などこの程度。
戦の駆け引きは豊臣秀長の方が上だろう。

713 :人間七七四年:2007/04/07(土) 12:15:15 ID:Tcb71wby
>>712
それら1)〜3)総てに家康の戦略・政略判断という要因が介在している。
家康はまずそれらを土台にして成り上がり、最後の詰めとして戦術能力
を発揮した。

714 :人間七七四年:2007/04/07(土) 13:00:24 ID:1zhxK9Wf
戦歴はホントたいしたものが無い。
要は巧く泳いだというだけ。
信長の同盟者になったことが儲けものだった。
実質信長に守られていたようなもの。
その信長が死ぬと火事場泥棒のように甲斐・信濃を奪っただけ。
ホントついてるよ。

715 :人間七七四年:2007/04/07(土) 13:05:25 ID:QaLXgFLA
浅井みたいに信長の同盟者になれて儲けものだったのに
耐えられなくて滅亡した輩もいる
信長の同盟者を続けられただけでも凄いことだよ

716 :人間七七四年:2007/04/07(土) 13:13:50 ID:z1neuE/j
自分で火を付けておいて泥棒するのを火事場泥棒とは言わない
河尻秀隆あわれ

717 :人間七七四年:2007/04/07(土) 13:21:33 ID:on0l6tXz
家康が大した事ないなら、他はもっと大した事なかったことになるだろうな

718 :人間七七四年:2007/04/07(土) 13:24:09 ID:UIqorB/v
>>715
浅井は信長殺せるチャンスだと思って自分から寝返ったんだろ
長政が家康みたいに従順な犬と化していれば
徳川より優遇されたろうけど

719 :人間七七四年:2007/04/07(土) 13:31:20 ID:1zhxK9Wf
>>718 goodjob


家康 = 犬 dog 狸 → 犬

家康 = ポチ

720 :仙台藩百姓:2007/04/07(土) 13:46:21 ID:KUFWBef1
家康の実績は長宗我部元親や大友宗麟以下だおね( ^ω^)
長久手で局地的勝利して臣従(≧ω≦)した事以前にやった事と言えば
織田の庇護下、武田と共同で斜陽の今川家を潰した事
これだけだお…(TωT)ショボス
敢えて加えるなら織田にくっついて行って勝頼倒した事
氏政と引き分けた事
…(^ω^)
…(^ω^;)
…以上(TωT)

721 :人間七七四年:2007/04/07(土) 13:56:04 ID:o8x1kjUF
一向一揆に手こずったあげく、後世もやるペテン講和で
お茶を濁した経歴もお忘れなく

722 :仙台藩百姓:2007/04/07(土) 14:14:36 ID:KUFWBef1
そういや三河一揆でもセコいインチキ講和やってたね
戦上手…
律義者…
あまりにバレバレの捏造だお(;^ω^)
まさしく大きな嘘ほどバレないって奴だお( ^ω^)

723 :人間七七四年:2007/04/07(土) 14:30:05 ID:rVn2tMuB
政宗のファンなら、家康をそう悪く言う奴はいねーよ
コテ変えろメガ豚。

724 :人間七七四年:2007/04/07(土) 15:08:54 ID:Tcb71wby
戦術的才能のみを云々される様な状況下に陥った事は殆どない家康だから
勝っても負けても戦術より上が要因となる
スタートラインからそういう立場なんだから戦術的才能のみを抽出しようとしても
しょうがないんですよ

第一、野戦なんというものは双方がやる気がないと発生しないものだから、
そこへどうやって持っていくかが、最も重要なんですよ

725 :人間七七四年:2007/04/07(土) 15:34:09 ID:IWhiIUhc
また「家康は運だけ」という鈴木信者が現れ始めたか

大事なのは「運が巡ってきた時にどう行動するか」であり、
「運が巡るべくどう手を打つか」なのだが、彼らはそういう点が見えないらしい。


>>712

1)
隣接する強大な武田に臣従する手もあったが、
最後まで織田との同盟を維持して武田との抗争を続け勝利している。
信玄亡き後も積極的な攻勢を維持しつづけた武田との敵対関係を続ける事が、
容易な道でないことくらいは想像がつくだろう。

2)
小牧長久手で大きいのは局地戦の勝利もそうだが、
それ以上に秀吉は家康を武力制圧する事が出来ず、
この後家康を臣従させるのに2年も時間をかけてしまっていること。
しかもこのとき秀吉の方から妹や母親まで人質に差し出すような始末だった。
「運」しか便りに出来ないような男ならば、
小牧長久手直後に「秀吉にはかなわない」とさっさと臣従していたことだろう。

3)
関八州を得る前から三河・遠江・駿河・甲州・信濃の5カ国の大領主ですが何か?


あと関ヶ原の小早川について言えば、
挙動不審な秀秋に対して奥平を軍監として送り込んで監視している。
対する西軍はこれを行っておらず、
よって行動に迷う小早川に対し説得を行うには非常に有利な立場に東軍は最初からいた。
家康は何も「運だより」で彼の裏切りに期待していたわけではない。

726 :人間七七四年:2007/04/07(土) 15:42:10 ID:IWhiIUhc
>>714
信長との同盟を維持した事が儲けものとは、結果をみているから言えるだけ。
当時の情勢からいえば徳川が武田につくという手も十分ありえた。

その当時の家康が信長に守られていたようなものというのは間違いではないが、
しかし対武田戦では長篠及び最後の甲州攻めを除くと、
徳川が単独で武田と事に当たっている。

信玄の死の直後長篠を奪還し、
長篠後も攻勢を続ける武田から、
高天神城・二俣城など主要拠点を奪還するのに成功している。

信長死後甲斐などを火事場泥棒のように得た、というが、
ここでは北条と構えることとなったのであり、
容易に奪い去れたものではない。

要するに「運だけで救われた」というような単純な話ではない。

逆に、
「偉大なる東照大神君は全ての戦に勝つべくして勝った」
というのが間違いなのも言うまでもない。

727 :人間七七四年:2007/04/07(土) 15:55:03 ID:IWhiIUhc
あと家康を運だけ、と言うなら、
ほかにもいくらでもそういう例はあげられる。

信玄について言えば、
父親の信虎が既に甲斐一国を束ねてくれて、
しかも家臣団から反発を買っているような状況があったからこそ、
すぐにクーデターを起こして当主に立つ事が出来た。
しかも隣接する信濃が強大な大名がいない混戦地帯であった事も幸いして、
すぐに侵攻を開始できて領地拡大に成功した。
仮に信虎への信望が高かったら、
クーデターに成功したとしても信濃に大大名が居座っていたら、
信玄がどのような道を歩んだかわかったものではない。
大勢力であった北条や今川とは同盟を結んだ信玄だから、
信濃攻めを行う可能性は低いだろう。

毛利元就なんかもそう。
有田中井手合戦で勝利したと言うが、
あの勝利はすべて元就の作戦どおりに事が進んで勝利した、
というようなものではなく、現実は敗走寸前の状況下、
敵の総大将が討ち死にした為に勝利した奇跡的なもの。

伊達政宗の手取橋合戦や摺上原合戦なんかも同様。

あと信玄や元就は策略が巧みだったが、
そんなのは成功する保証などどこにもないのだから、
これらが成功したのは運がよかっただけといわねばならない。


「運」という要素で全てを切り捨てるのならば、
上のように他にもいくらでも例はあるので、彼らについても同様の批判をすべき。
それをしないで家康だけを批判するのはおかしい。

728 :人間七七四年:2007/04/07(土) 15:57:39 ID:bBocriD+
まあ小牧・長久手に関して言えば先に人質を差し出してきたのは家康のほうなんだけどな

729 :人間七七四年:2007/04/07(土) 16:00:01 ID:IWhiIUhc
>>728
結城秀康でしょ。
あれは小牧長久手で和議が整ったからそうしたまでで、
それをもって「秀吉様に従います」と臣従したわけじゃない。

730 :人間七七四年:2007/04/07(土) 16:18:38 ID:OYZOPAZp
小牧役は秀吉にタフな外交をおこなって譲歩を引き出した
家康の政治力の勝利ということなら、小牧役を家康の武功に
みなさないという712のいうこともわからんではないなあ。

731 :人間七七四年:2007/04/07(土) 16:22:01 ID:UcdjGn1Z
自分としては、むしろ外交で勝利したのは秀吉の方だと思うが。
戦場で勝って、戦さそのものに負けた感じ。

732 :人間七七四年:2007/04/07(土) 16:36:32 ID:IWhiIUhc
>>730
>>712は「家康は過大評価されている」と批判を展開したが、
その批判に問題があると判断した為反論したまで。

「家康公は天才なんだから欠陥なんかあるわけがない」
などと上のほうにあるような三河者のようなことをいうつもりはない。

>>731
小牧・長久手での家康・信雄連合との戦争には秀吉は間違いなく勝利。
家康は窮地に立たされ始めていたから。

ただし、家康を臣従させたのはどうかと言うと、
この小牧長久手の時点では失敗。
ここではあくまで和議を結んだだけであり、家康を臣従させられなかった。
これにはその後2年の時間がかかった。

その間に秀吉が家康に人質を送ると同時に、
家康の敷いた秀吉包囲網を瓦解させ、
臣従させるような空気を作ったことは言うまでもない。
ただそこに至るまで家康は実にしぶとかったということ。

「小牧長久手の局地戦で勝利しただけで運がよかった」
というような簡単な話じゃないということ。

733 :人間七七四年:2007/04/07(土) 17:00:19 ID:NTYXR2e6
結局、信長というバックボーンがあったからこそ全力で武田にあたることができたわけだし、
同盟締結時の情勢を考えれば、今川領を狙っている武田と組む選択はできないだろう。
四方に敵の多い当時の武田と組んでも、後押しの期待はできず、口八丁の信玄は信頼できない。
隙あらば今川のように同盟を反古にされて滅ぼされてしまう。
それに一向一揆で三河一国維持するのがせいいっぱいだった家康など
信長がその気になればすぐに滅ぼせた規模だし、
家康にしたら敵対したのに従属ではなく同盟者と扱ってくれた信長に
感謝していたんじゃないの。
武田なら従属でしょ。
遠江を分割できたのも家康の後ろに信長がいたからで
織田・武田のクッションになったことも運がいいというべき。
なにより長生きが最大の武器ですな。
スレタイ変えるべきだな。
積極的にアクション自体を起こしたのって三方原の大敗と甲信を盗み取る時と秀吉・利家という
実力者が亡くなって、やりたい放題できるようになった関ヶ原ぐらいだろ。


734 :人間七七四年:2007/04/07(土) 17:14:16 ID:RN3JnXiO
勝てるときにしか動かないってのも将才

735 :人間七七四年:2007/04/07(土) 17:18:25 ID:IWhiIUhc
>>733
今川からの独立直後の織田との同盟締結時はともかく、
その後の武田の攻勢を考えたら十分武田と組む可能性もあり得た。
四方八方が敵だらけだったのは信長だって同じ。

あと三河一向一揆が起こったころの信長はまだ畿内を制圧したわけでもなく、
背後の三河まで敵に回したら最悪の状況だったことをお忘れなく。

対武田抗争で織田の後ろ盾が大きかったのは言うまでもないし、
家康はもちろんこのことに感謝もしていただろうが、
その後ろ盾を持っていただけで戦に勝利できるほど甘いものではない。

織田武田のクッションになりえたのは運がいいというが、
逆にいえば強者二つにはさまれ、非常に際どい立場にあったともいえるわけで、
「幸運」の一言ですむようなものではない。

現実に武田はそのクッションを潰しにかかってきた。
運がいいだけのような男ならここであっさりやられているだろう。

関ヶ原とかについては何度も繰り返すが、
幸運が巡ってきても問題はそこでどう行動を起こすかであり、
運があったから成功するというような簡単なものじゃない。

それでもなお運ということで切り捨てたいのならば、
他にもいくらでも例はあるのでこれらについても批判をするように。

長生きをしただけで成功するわけでもないことは言うまでもない。

736 :人間七七四年:2007/04/07(土) 17:33:00 ID:Tcb71wby
小牧・長久手の家康優位を否定するのなら上田合戦の真田も否定しなければなるまい

737 :人間七七四年:2007/04/07(土) 17:37:14 ID:IWhiIUhc
>>733の論理に従えば、
少なくとも同盟を背景にして敵と戦い勝利した人間は、
「同盟を持っていた事が幸運」ということで、
例えば武田・北条・今川も幸運だっただけということになる。
この同盟があるからこそおのおの背後を気にせず動けたのだから。

特に武田なんかこの同盟に救われ領地拡大に成功するのだから、
実に幸運だったというべき。

738 :人間七七四年:2007/04/07(土) 19:12:14 ID:NTYXR2e6
>>737
そのとおりだよ。裏切・離反なんて当たり前の時代に律儀に同盟者として働きとおした家康は
信長からみても希有な存在だったろうし、最期まで守られた同盟としてはこの時代
驚くべきことだった。こういう関係が結べたことは両者が幸運というべきで、
後破られる武田・北条・今川の三国同盟にしても、かなりの成果をあげることができた点
幸運なパターンだったというべきだろう。
同盟なんていっても当時は一種の謀のようなものというニュアンスのほうが合ってたと思うしね。
ただ、運というのはひとつのファクターに過ぎないし、
運ではなく、戦略、もしくは大局観と評価する人もいるだろう。
よってテーマの野戦に限ればそれほど評価できるものは無いのではないか。
しいて言うなら家康は「駆け引き」「交渉」が巧かったという印象が強い。
ある時は泣き落とし、あるときは黙殺し、あるときは恫喝し、
強国の狭間で苦労しながら立ち回ったからこそ身に付いた
処世術とでもいうべきか。だから現代人の参考になるのは家康であり、
信長、秀吉のような天才肌は人気こそあれ、参考にはならないのでは・・・
決して無能という訳ではないが達人という表現は適切ではない。

739 :仙台藩百姓:2007/04/07(土) 19:26:17 ID:KUFWBef1
家康は運だけだお( ^ω^)
あんな糞デブに計画性なんてあるわけないお
毎日食う飯の適量もはかれずに
食いたいだけ食ってブクブク太ってる家康は汁かけ氏政より酷い話しだお
70過ぎて食い過ぎで寝込むなんて意地汚いもうろく爺だお(;^ω^)
デブ爺が糞垂れ流して寝込んでるんだから介護するのも大変だったおうね( ´ω`)
最後まで迷惑な糞豚だお

740 :人間七七四年:2007/04/07(土) 19:38:58 ID:xhCpx658
一番運が良いのは、伊達政宗かな
秀吉に首切られなくてよかったよな


741 :人間七七四年:2007/04/07(土) 19:52:36 ID:rVn2tMuB
>>740
コイツは伊達厨騙ってるだけだから政宗で煽ってもムダだよ。

742 :人間七七四年:2007/04/07(土) 19:52:43 ID:Tcb71wby
戦術のみをもってその優越を語れるのは独立勢力より下の侍大将あたり
で、家康は義元敗死以降は常に独立勢力の長であり続けた。
よって、家康を戦術能力のみで判断することは不可能。

そこで、戦略・政略まで広げると凄い高評価となり、達人となる。
野戦という枠には収まりきらない意味で

743 :人間七七四年:2007/04/07(土) 20:14:30 ID:jPbkNIrM
野戦の達人というとやっぱり織田信長でしょう
劣勢を覆したり、陣頭で戦ったり、実績は一番あるだろ

744 :人間七七四年:2007/04/07(土) 20:31:01 ID:xhCpx658
>>741
ありがとう
本物の伊達厨かと思ったよ

745 :人間七七四年:2007/04/07(土) 21:02:45 ID:hAU/x1NA
>>742
つまり、野戦の達人じゃないと。

746 :人間七七四年:2007/04/07(土) 21:33:54 ID:9iPdPZVr
君らのいう野戦の達人っていうのは、例えば槍で3人の首を取ったとか、数人の敵に包囲されながらも
逃げ切ったとかなんでしょ?

やっぱりそういう勇猛な武将にはかなわないよね。

747 :人間七七四年:2007/04/07(土) 21:34:16 ID:QaLXgFLA
>>718
信長を殺せるチャンスだと思って自分から寝返って背後から奇襲を掛けておきながら
信長を取り逃がし返り討ちにあって滅亡
まさに愚将の代名詞といっていい

748 :仙台藩百姓:2007/04/07(土) 22:00:42 ID:KUFWBef1
あらゆる状況で勝てるのが達人だお( ^ω^)
つまり生涯無敗の政宗公は達人に相応しい
野戦に限らず無敗だけどね
達人と言うより軍神というべきかな

749 :人間七七四年:2007/04/07(土) 22:08:46 ID:rVn2tMuB
>>748
そうだね、政宗は上杉謙信なんかより遥かに強いと思うよ

750 :人間七七四年:2007/04/07(土) 22:58:40 ID:bBocriD+
逃げの実績で言うなら家康に勝る奴はなかなか居ないなw

751 :人間七七四年:2007/04/07(土) 23:23:47 ID:dtL/5sKQ
信長の方が金ヶ崎みたいに逃げ能力は上だよ

752 :人間七七四年:2007/04/07(土) 23:24:44 ID:hVV62M6E
信長の立ち直りの早さは神懸かり

753 :人間七七四年:2007/04/08(日) 01:21:32 ID:RCNyVTsV
陣頭指揮が大好きなのに討ち死にしなかったのはスゴイ>信長

754 :人間七七四年:2007/04/08(日) 01:23:02 ID:xWKbj7Nf
いわゆる馬廻衆が優秀だったんだろうなぁ

755 :人間七七四年:2007/04/08(日) 03:33:14 ID:SCeMFe5Y
>>733
よほど家康嫌いなんだろうね
甲信盗み取るって表現からそれが見て取れる
最初の方で家康のやりかたは「弱いものいじめ」だって書いてた奴と
同一人物じゃないの?


756 :人間七七四年:2007/04/08(日) 03:39:06 ID:GBFrWaww
本能寺の変後の甲信略取は誉められたものじゃないだろ
河尻秀長を謀殺した疑いすら有るからな

757 :人間七七四年:2007/04/08(日) 04:11:58 ID:SCeMFe5Y
>>757
戦国時代なのに何を言ってるんだ?
謀殺をした疑いがある事例なんて、他にも腐るほどあるし
どういう領土獲得なら誉められたものになるんだ?


758 :人間七七四年:2007/04/08(日) 04:13:26 ID:SCeMFe5Y
アンカーミスった。>757は>756宛てね



759 :人間七七四年:2007/04/08(日) 05:22:00 ID:GBFrWaww
だったら>>733の「盗み取る」という表現にも一々突っ込まず鷹揚に構えてればいいのにw


760 :人間七七四年:2007/04/08(日) 06:19:17 ID:Hzu9JHqd
またまた何の脈絡もありません

761 :人間七七四年:2007/04/08(日) 07:49:41 ID:rhURMYdH
事後処理が悪質だから嫌われるんだろ

762 :人間七七四年:2007/04/08(日) 09:47:48 ID:xOrMSUxg
>>751
信長は本能寺のとき逃げれなかった。
家康は最後まで逃げおおせた。

>>756
どう誉められないのか教えてほしい。
あのまま指くわえて北条領になるのを眺めていろとでも

どうも筋道を重視して、現状を省みない、観念主義者のようですな

763 :人間七七四年:2007/04/08(日) 10:29:38 ID:MUj33N+V
筋道というか、「弱い方から叩く」「実利が得られる方を優先」
など、当たり前のことを、家康がやる場合に限っては貶めるからなあ
>733は積極的なアクションっていうが
動くべき時期・動かない時期を見極めた家康の力量は無視だし
従属同盟になるほどの差がある武田と抗争しつつ領土を広げてる点も無視してるよね
天下を取った3人や、他の領土を広げた大名にしても確かに幸運なんだが、それだけじゃないでしょう



764 :人間七七四年:2007/04/08(日) 12:27:13 ID:o0pJLTDw
同じような領土拡大でも、

好きな武将がやれば「鮮やかな手際」
嫌いな武将がやれば「盗み取る」

このくらいの印象の違いは当然でしょw

765 :人間七七四年:2007/04/08(日) 12:32:57 ID:DkX6bHVi
まぁ、現代でさえ「○○(贔屓の国)の核兵器は綺麗な核兵器」という迷言があるぐらいだしなw

766 :人間七七四年:2007/04/08(日) 12:40:54 ID:xA/UncWl
盗み取るも何も家康の甲斐・信濃領有は清洲会議で認められている
数年前に柴田勝家の手紙が発見されてそれが事実であることが証明された

767 :人間七七四年:2007/04/08(日) 15:00:58 ID:MUj33N+V
問題は、評価を下すに当たって、好き嫌いの先入観をもってんのに
いかにも公平なのを装う書き方だと思うよ


768 :人間七七四年:2007/04/08(日) 15:22:29 ID:Zd1fGKX1
>>767
どっちかって言うと混ぜっ返す時の方がはるかに酷いからな。
主題と関係ない所をつっついて、カオスるのが常だからな。



769 :人間七七四年:2007/04/09(月) 01:45:01 ID:ZNtmiKud
>>763
武田信玄なんかもっとえげつないよな<弱い方からたたく

770 :人間七七四年:2007/04/09(月) 04:11:16 ID:6EVI/4uv
家康厨はホントたちが悪いし、頭も悪い。
だから!
周知が知る如く、
長生きして餅を食っただけなんだよ!
たいした戦歴自体ないのにスレタイの評価なんかできないって言ってんだよ。
それを贔屓目とか先入観で公平ではないとか言うからね。
まあ、そんなところしか言えないこと自体、認めてるみたいなもんでしょ。
そうだね。野戦の達人じゃなく、世渡りの達人だね。
あと健康ヲタ。
と語れ。馬鹿


771 :人間七七四年:2007/04/09(月) 10:52:00 ID:YhedZS8u
餅を食べたんなら腹もふくれようが
武田なんて信玄が死んで泡を食っただけじゃん、腹もふくれねえぜ

772 :人間七七四年:2007/04/09(月) 11:43:29 ID:bI0Ist4x
この健康ヲタwwwは本当に凄いよね。
豊臣を滅ぼすまでキッチリ生きながらえるんだから。
そう思うと決して運だけじゃないだろ。
質素倹約を旨とし、健康管理に気を配り、
それってロハスじゃん。
ロハスのハシリは家康だった?ってスレにすればよかったのに。
でも、野戦に限れば最後も散々だったね。
真田勢に本陣まで突入されて、源氏の白旗なんか田んぼの中に投げ捨て状態。
本陣が壊滅していた様子がよくわかるね。地元じゃ家康はこの時戦死したと
今でも伝えられているというから、余程ヒドイ有様だったんだろ。
これで野戦の達人ってwww


773 :仙台藩百姓:2007/04/09(月) 12:51:38 ID:22iO/CLH
質素倹約や健康管理してたやつがブクブク太るわけないお( ^ω^)
ろくなもの食ってない時代に肥満になるんだから余程食ってたんだお( ´ω`)
憎まれっ子世に憚ると言う奴だお
欲ボケ爺は長生きするものだお( ^ω^)

774 :人間七七四年:2007/04/09(月) 13:19:21 ID:bI0Ist4x
>>770 周知が知るごとく→周知のごとく
    の間違いだ

775 :人間七七四年:2007/04/09(月) 13:24:12 ID:A5SP6fA7
野戦の達人といえるほどの戦歴は信長クラスじゃないとなぁ
稲生合戦(七百対千七百)
桶狭間合戦(二千対二万五千)
森部合戦(千六百対六千)
天王寺包囲突破合戦(三千対一万五千)

776 :人間七七四年:2007/04/09(月) 18:25:35 ID:N5AcmUxG
秀吉も中国大返しのような驚異の機動戦を見せてる
戦国時代で野戦の達人ってコトは、日本史通じて他の時代の達人と比べて遜色ない人物であるべきで
家康を義経や尊氏と並べると見劣りしてしまう

777 :人間七七四年:2007/04/09(月) 19:37:25 ID:BzW0VxoD
>>773
この時代に痩せている=健康って観念はないでしょ。
貧乏で食えない人間は骨と皮しかないぐらいに痩せて早死にしていったんだろうね。

778 :人間七七四年:2007/04/09(月) 21:52:10 ID:wpGyoMYq
>>775
少数で多数を打ち破るのは確かにすごいが、
ではそこで具体的に信長がどういう指揮を行ったのかをみないと、
達人かどうか判断できかねるんじゃない?
今のままだと結果だけで判断してることになるよ

779 :人間七七四年:2007/04/09(月) 22:24:10 ID:j2ssF1t+
むしろ不安定な野戦で、結果以外判断で何を判断するのかを聞きたい。
三國志見たいな戦闘なんかほとんど無いんだし

もう、宗滴あたり達人でよいよ

780 :人間七七四年:2007/04/09(月) 22:29:30 ID:L26I4RuF
>>775
桶狭間以外(実際にはあれもそう簡単な話ではない)は、別に後世に大きな影響は与えていない。
むしろ、信長の軽率な面が浮き彫りになってるかと

781 :人間七七四年:2007/04/09(月) 22:34:15 ID:okFDbfwc
>>779
結果だけで判断すれば、戦国最大級の戦闘である関ヶ原に大勝した家康が最強という議論に逆戻り

782 :人間七七四年:2007/04/09(月) 22:53:33 ID:BzW0VxoD
結果がすべてでしょ。
どんなに戦術が優れていても目的が達成されていなければただの虐殺。

783 :人間七七四年:2007/04/09(月) 23:11:17 ID:DctR8bwZ
つか大名にとって戦争は政治の一つであり、
その成果をどう生かすかがもっとも大事なんだがね
その意味では家康は間違いなく優秀だが、
野戦指揮の才能そのものは達人というようなレベルじゃないということでしょ

784 :人間七七四年:2007/04/09(月) 23:14:44 ID:+rRze7BB
長島、王など超一流がいなくなったあとで4番を打てるようになった原辰則のようなものか。

785 :人間七七四年:2007/04/09(月) 23:20:56 ID:DctR8bwZ
この場合一人の選手で判断するのはダメだと思うよ

野球で言うなら、水原、三原といった名将のあとで監督となって、
チームの黄金期を築いた川上が妥当じゃないのかね

786 :人間七七四年:2007/04/09(月) 23:21:58 ID:DctR8bwZ
>>785追記

上で言う一人の選手というのは現役選手の事
大名を野球で例えて判断するなら監督の方が妥当じゃないか、と思ったので

787 :人間七七四年:2007/04/09(月) 23:47:06 ID:a6hlDnwO
まあそうなんだよね。監督が現役選手としても最優秀である必要はないわけで
家康を監督に例えれば、最優秀な部類だろうけども
野戦指揮官というごくごく狭い部門に限って評価をすれば
無能でないし、優秀といえると思うがね。最優秀かと言われれば疑問符がつくけども。
>>776
中国大返しは、機動力よりも、信長の死を知った速度、反転を決定した判断力などが
驚異的なんじゃないの?まあ義経がとか書いてるし釣りだと思うけど、、、


788 :人間七七四年:2007/04/10(火) 00:02:57 ID:C6FTW+jr
>どんなに戦術が優れていても目的が達成されていなければただの虐殺。
>どんなに戦術が優れていても目的が達成されていなければただの虐殺。
>どんなに戦術が優れていても目的が達成されていなければただの虐殺。
>どんなに戦術が優れていても目的が達成されていなければただの虐殺。
>どんなに戦術が優れていても目的が達成されていなければただの虐殺。


789 :人間七七四年:2007/04/10(火) 00:14:21 ID:Hc08C7Ml
>>788
一面の真実ではあるだろ。
100人殺して領土を得ないより、1人も殺さないで領土を得るほうが評価できるわけで
ただ、あくまでもこのスレの趣旨に従えばスレ違いだけど

790 :人間七七四年:2007/04/10(火) 00:55:59 ID:LFA2nPTl
野戦が下手だったという議論に無理矢理もっていっても、
もっと総合的な手腕で評価しなければならなくなるから、
結局、アンチにとってはあまり意味無いような気がする

791 :人間七七四年:2007/04/10(火) 01:02:28 ID:C6FTW+jr
虐殺っていうのは敗者側が勝者に対して使う言葉なんですが?

792 :人間七七四年:2007/04/10(火) 01:05:40 ID:Hc08C7Ml
というか、野戦下手が総大将やって勝てるほど、家康が経験してる戦は甘くないよ
少なくとも水準以上の野戦能力はあったとみるのが自然だと思うけどね


793 :人間七七四年:2007/04/10(火) 01:08:18 ID:Hc08C7Ml
>>791
レス乞食の方ですか?

794 :人間七七四年:2007/04/10(火) 01:14:05 ID:C6FTW+jr
すまない。文章からどのレスを指してるかぐらいは日本人なら普通は判ると思ったんだが
どうやら日本人じゃないか、義務教育前の子だったようだね、ID:Hc08C7Ml

795 :人間七七四年:2007/04/10(火) 01:23:42 ID:Hc08C7Ml
>>794
戦争というのは、目的があってやるものなわけだ(当然すぎるけど)
拠点防衛・占拠・敵の撃退等
戦術的に優れていても、目的が達成されなければ
それは虐殺にしかならないよ。ってのが>>782だと自分は解釈した。
で、それは一面の真実であるというのが自分の意見。わかった?
そもそも虐殺って、敗者が勝者に使う言葉じゃないだろう


796 :人間七七四年:2007/04/10(火) 01:29:58 ID:C6FTW+jr
>>782だと自分は解釈した。


自分が>>782なのに何を……w

大体、>>775の合戦で信長は目的達成してるし
虐殺という言葉は大体が非戦闘員や降伏兵に対して行うから虐殺な訳で
武器持ってやり合ってるのに虐殺ってwじゃあ戦争って何?

797 :人間七七四年:2007/04/10(火) 01:37:24 ID:Hc08C7Ml
自分が>>782なら、一面の真実であるなんて書かないよ
つうか、誰も>>775の信長の戦歴が戦術上の目的が達成されてない
なんて書いてないだろ?
自分は、>>782をみて、さすがに表現が極端すぎると思ったが
それでも、そういう一面があるのは否定できないと思った。
目的が達成されない戦い程、人的資源の浪費はないからね


798 :人間七七四年:2007/04/10(火) 01:49:44 ID:C6FTW+jr
虐殺⊂目的が達成されない戦争

アホか
虐殺の意味も知らんのか

799 :人間七七四年:2007/04/10(火) 01:52:50 ID:Hc08C7Ml
だから、一面の真実はある。極端な表現だって言ってるでしょ?
もう俺が>>782と同一人物でいいから、好きに解釈してくれ
どの道スレ違いの話題だし

800 :人間七七四年:2007/04/10(火) 01:57:05 ID:pQ9VazXg
信長の比叡山焼き討ちだって虐殺ではないと思うがな
そら女子供まで殺したかもしれないが無抵抗だった訳じゃないと思う
根来だって雑賀だって本願寺だって、女子供まで戦闘員だったと思うぞ
イラクのシーア派みたいなもんだろう

801 :人間七七四年:2007/04/10(火) 01:57:11 ID:C6FTW+jr
一面の真実もねーよ
不良同士が双方同意の上で喧嘩して引き分けたのに
だれがソレを弱い者虐めといいますか?いいません
極小の例でいえばそういうことだ

802 :人間七七四年:2007/04/10(火) 03:47:06 ID:5dQwiVGb
日本語苦手なの?

803 :人間七七四年:2007/04/10(火) 05:04:57 ID:Y8QlU5sJ
そも、虐殺なんてここ一、二世紀に定義された言葉だし。
戦争目的が虐殺とか、そういうのは普通はないし、
戦闘とは断続しない次元で起こるから虐殺たる所以なんだが。
双方被害が出てるから虐殺じゃないは、まさに一面の真実。
信長の根来や雑賀に対するのは武装集団への勧告の後に行なわれてるし、軍隊と軍隊の衝突は戦争と言えるだろう。
武器を持った側が持ってない側を殺すたぐいでも(諸説あるが南京とか)
宗教的な理由があるわけでも(十字軍とか)、人種的な理由があるわけでも(クルド人とか)ない
政治的圧政の結果(文革とか)でも、戦争後の違約(長平の戦い)でもない。
逆にこういう類が後世虐殺と呼ばれる行為に該当するのであって、
まして戦争での死亡者が虐殺の被害者というのは極端な表現でも成り立たない。

804 :人間七七四年:2007/04/10(火) 05:44:52 ID:Y8QlU5sJ
断続ってのは変か。
でも明確な達成目標と政治的延長にある戦争と
終着点がなく、突発的に起こりえる虐殺は
似て否なるものだね。


>>782の言だと、目的が達成されない戦争で、兵力差が圧倒的だった信玄と家康の対決三方ヶ原が
信玄による家康への虐殺の面があるというのは変極まりない。俺は支持できない。

805 :人間七七四年:2007/04/10(火) 07:08:06 ID:hjqRFXjT
虐殺じゃなくて騙し討ちって言うんだけど

806 :人間七七四年:2007/04/10(火) 08:17:34 ID:lIth17UZ
辞書引きました

1. ぎゃく‐さつ【虐殺】別ウィンドウで表示
[名](スル)むごたらしい方法で殺すこと。「捕虜を―する」

すげー虐殺に対してこだわりをもっているのはわかるけど、残念ながらこれだけです。

807 :人間七七四年:2007/04/10(火) 08:24:39 ID:3W3UQsXK
野戦の達人と一口にいっても色々あるよね
その場のアドリブでピンチを突破する天才タイプ
綿密な計算で敵を陥れるタイプ
自身の勇猛さで状況を逆転させるタイプ
暗黙のルール破りに走るタイプ
部下との団結力で勝負するタイプ

808 :人間七七四年:2007/04/10(火) 09:07:53 ID:Hc08C7Ml
>>804>>782の言葉を「全て」理解できない。一部を理解できる人もいる。それだけの事だろ?
虐殺って単語の意味にこれ以上こだわるなら、よそでやってくれ
議論に勝ちにこだわってるようにしか見えない
>>807
家康は、どのタイプでしょうかね


809 :人間七七四年:2007/04/10(火) 09:25:40 ID:9uACqf7H
>>808
無駄に論議になる前に辞書引けばいいのにね。

家康は綿密な計算で敵を陥れるタイプと部下との団結力で勝負するタイプかな。

810 :人間七七四年:2007/04/10(火) 10:18:14 ID:Bx8RKlij
そういえば、達人の定義とか達人と思わせる戦って肯定派から余り出ていないね。
まあ、定義自体無茶な感じがするが、戦の進退の判断が入ると個人的に思ってる。
戦に関しては小牧長久手が絶頂で以降は野戦という定義ではあまり評価できないな。

811 :人間七七四年:2007/04/10(火) 10:24:27 ID:3W3UQsXK
天正壬午の乱(本能寺の変後の織田遺領の北条氏との奪い合い)では優勢な北条軍相手に優位な結果を出してるけど
野戦築城も野戦のうちなんだから、これは得点にならない?

812 :人間七七四年:2007/04/10(火) 10:31:15 ID:pQ9VazXg
辞書を引いてみた

達人−豊富な経験と長年の鍛練により、その道の真髄を体得した人。
さらに
達人は大観す−達人は一部分にとらわれず全体を見通すので判断を誤らない。

まさに家康に相応しい解説じゃないの?

813 :人間七七四年:2007/04/10(火) 10:34:23 ID:3W3UQsXK
具体的にどこが?

814 :仙台藩百姓:2007/04/10(火) 10:40:05 ID:xW/i4pr3
北条のクズぶりは周知の事実
北関東のショボイ小大名相手でも野戦じゃろくな戦果あげてないお
あんなのに引き分けても何の自慢にもならないお(≧ω≦)

815 :人間七七四年:2007/04/10(火) 11:41:30 ID:pQ9VazXg
だから達人と言われるためには長生きしないとな
これだけでもう家康のライバルはいないぞ
戦国時代でも人生五十年で達人なんておこがましいわな

816 :人間七七四年:2007/04/10(火) 11:46:43 ID:rfGEl6F/
家康はセコいタヌキじじいの上に
ウンコ漏らしだら英雄とは言えない。

817 :人間七七四年:2007/04/10(火) 11:50:47 ID:jSg3zOLt
下らない言葉遊びは止めろよ

818 :人間七七四年:2007/04/10(火) 12:53:14 ID:LajxocDm
野球監督のたとえ良かったな。わかりやすい。
年間100試合くらい戦争しててくれると判断しやすいのだがw

819 :人間七七四年:2007/04/10(火) 13:08:26 ID:Y8QlU5sJ
家康がベストかベターかで揉めてるようなもんだし。
この場合ベストは家康オンリーワン派。

820 :人間七七四年:2007/04/10(火) 14:15:08 ID:p0Gel2bV
>>817
戦死するのが怖くてクソ垂れる英雄がいるわけないだろww

821 :仙台藩百姓:2007/04/10(火) 14:49:11 ID:xW/i4pr3
スカトロ大将軍は日本の恥

822 :人間七七四年:2007/04/10(火) 14:59:31 ID:9uACqf7H
>>820-821
悪いがそれが日本の歴史だから。
いくら罵っても事実は変わらない。

823 :人間七七四年:2007/04/10(火) 15:20:07 ID:Cr7KL1FB
家康=スカトロ大将軍 は、日本の歴史だから事実は変わらない。

824 :人間七七四年:2007/04/10(火) 15:56:45 ID:w4Mvc+nS
神業
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=199927
試合
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=199935

825 :仙台藩百姓:2007/04/10(火) 18:04:47 ID:xW/i4pr3
家康=スカトロ大将軍=日本の恥部=暗黒歴史 は
事実だから変わらないのね…(´・ω・`)

826 :人間七七四年:2007/04/10(火) 18:41:52 ID:0bZext+f
どう罵ってもその家康に日本中の大名が平伏した事実は消えないわけだが

827 :人間七七四年:2007/04/10(火) 18:42:02 ID:9uACqf7H
そう、変わらない。
戦国時代はそのうんこで終結したからまとめてうんこ戦争とも呼ぶ。
納得したらならこのスレとは関係ない話だから潔く出て行ってね♪

828 :人間七七四年:2007/04/10(火) 18:48:29 ID:HsI7WN3w
>>825

829 :人間七七四年:2007/04/10(火) 18:53:07 ID:p0Gel2bV
>>826
信長、秀吉は英雄だな
家康は違うけど

830 :仙台藩百姓:2007/04/10(火) 19:25:50 ID:xW/i4pr3
家康が信長や秀吉より評価されないのはやはり武を示せなかったからだおね( ^ω^)
信長は秀吉はまさに武でもって全国を斬り従えたけど(信長は途中まで
家康は他人の褌で相撲を取っただけだお
そして、なし崩し的に政権を築いた
だから諸侯も民衆もいまひとつ家康の天下には納得しきれないものを残したお
それが低評価に繋がっているお

831 :人間七七四年:2007/04/10(火) 19:49:26 ID:cjIH5gPk
生き方に美しさがない
生に執着が強すぎて、戦死怖さにウンチ漏らしちゃうとか
戦がやたら弱いとか
英雄でない権力者はただ醜いだけ
死んだ後に醜いタヌキじじいだったな。で終わってしまうのが家康
自民党の議員みたいなもの
感動がない

832 :人間七七四年:2007/04/10(火) 19:54:45 ID:AAZwPcO8
単に家康的な懐の深さに感応できない人が多いということだろ
信長なんかは馬鹿だが、ある意味わかりやすいから人気がある

833 :人間七七四年:2007/04/10(火) 20:16:18 ID:p0Gel2bV
信長:今川、斎藤、六角、三好、浅井、朝倉、本願寺、武田
秀吉:宇喜多、明智、柴田、毛利、家康、長宗我部、島津、北条、伊達
家康:一向一揆、三成、秀頼

戦歴を見れば誰が英雄なんか明らかだろ
まぁ、家康は戦国かぶれの企業経営者の「英雄」ではあるかもなw

834 :人間七七四年:2007/04/10(火) 20:49:41 ID:ZCezasgH
>>833
家康:一向一揆・今川・武田・羽柴・北条・石田・豊臣

が正解

835 :人間七七四年:2007/04/10(火) 21:28:03 ID:Uqn1pgsh
「英雄」なんちゅうものは悲劇的な最後とか死後、築いたものは無に帰した
という人物が「英雄」であって
やることみんなやって死んだ挙句、彼の築いたものは250年に渡り続いた
家康は英雄以上ですな

836 :人間七七四年:2007/04/10(火) 21:31:13 ID:p0Gel2bV
>>834
アホかwただの戦歴じゃねーよ
滅ぼしたり従属させた諸勢力だよ
見てわかんねーのかよw

837 :人間七七四年:2007/04/10(火) 21:33:02 ID:Uqn1pgsh
>>836
全国の大名を従属させてますね

838 :人間七七四年:2007/04/10(火) 21:33:45 ID:ZCezasgH
>>836
少なくとも今川・武田・豊臣は間違いなく従属させることに成功していますが何か?

839 :人間七七四年:2007/04/10(火) 21:41:08 ID:9uACqf7H
じゃ、>>834は全部該当してるから問題なしだな
その他、追加でたくさんの大名がいるけどw

840 :仙台藩百姓:2007/04/10(火) 21:58:47 ID:xW/i4pr3
そういや戦国時代に徳川が自力で潰した大名って一個もないね(≧ω≦)プッ

841 :人間七七四年:2007/04/10(火) 21:58:48 ID:hjqRFXjT
秀吉の小田原征伐>>>越えられない時空の壁>>>家康の再統一

842 :人間七七四年:2007/04/10(火) 22:15:24 ID:jSg3zOLt
今川も武田も信玄や信長と共同で滅ぼしたっつうかそのオマケじゃないの>家康
そんなこと自慢してどうするよ

843 :人間七七四年:2007/04/10(火) 22:17:39 ID:ZCezasgH
逆に言えば信玄は今川を滅ぼすのに家康の力を借りたわけだし、
武田を滅ぼすのに信長は家康の力を借りた、とも言える

ただその事業に携わった、ということ
別に自慢などしてない

844 :人間七七四年:2007/04/10(火) 22:21:59 ID:Uqn1pgsh
また、過程のみを見て、結果から目を背ける。
勘弁してくださいよ。何回、同じ事繰り返される気ですか?

845 :人間七七四年:2007/04/10(火) 22:51:32 ID:1OF4bDcC
>>807
暗黙のルール破りに走るタイプ
松永久秀
まあ久秀が大仏燃やしたわけじゃないが

846 :人間七七四年:2007/04/10(火) 23:19:01 ID:p0Gel2bV
>>837
撃破&従属させた戦歴って言ってるだろ
家康がいつ全国の諸大名を戦で破って従属させたのよw
>>839
主戦力を率いての例しか入れてない
そうじゃなきゃ秀吉には信長のリスト足さなきゃならんわな

847 :人間七七四年:2007/04/10(火) 23:29:45 ID:OKQ91nUR
家康が武田を滅ぼしたとかいってるけど、

信長に武田領支配の許可貰えないと領土獲得できなかったじゃん

848 :人間七七四年:2007/04/10(火) 23:30:15 ID:OKQ91nUR
明らかに対等の同盟じゃなくて従属してるよなこれって

849 :人間七七四年:2007/04/10(火) 23:47:07 ID:p0Gel2bV
酔いつつ適当に思いついたの書いたので伊達は戦場で撃破したわけじゃないな
長宗我部は秀長だと言えるし、信長の北畠とかも忘れてるのでそこら辺は勘弁
で、家康:一向一揆、三成、秀頼これは間違いないよね?
まぁ、お情けで今川も入れてもいいかも

850 :人間七七四年:2007/04/10(火) 23:47:24 ID:pQ9VazXg
家康は嫡男を切腹させているんだぜ?
なにをいまさら…あほかいな

851 :人間七七四年:2007/04/10(火) 23:50:43 ID:4N/FOpDT
>>849
あと武田も当てはまるね
武田との戦争で先陣張って戦ってたのは信長じゃなく家康だから
信長が武田攻めで協力したのは三方ヶ原のわずかな援軍と、
長篠、そして最後の武田崩れの時だけ


852 :人間七七四年:2007/04/10(火) 23:51:51 ID:1OF4bDcC
>撃破&従属させた戦歴って言ってるだろ
でもこれだと多くの大名が情けない結果になりそう

853 :人間七七四年:2007/04/10(火) 23:52:22 ID:jSg3zOLt
家康も一人の戦国大名としてはかなりの戦歴なんだが、
「前任者」である信長・秀吉が日本全国を駆け回って覇道を成し遂げたから比較されて
棚ボタ扱いされるんだよな

854 :人間七七四年:2007/04/10(火) 23:52:49 ID:4N/FOpDT
ああけど武田との戦争は信長も美濃方面では戦ってるか
もっとも武田の主力は徳川に向けられてたが

855 :人間七七四年:2007/04/10(火) 23:56:32 ID:4N/FOpDT
>>852
武田信玄の場合だと諏訪・小笠原・村上といった信濃の諸勢力と、
あと義元亡き後の今川、これくらいか

上野の長野とかには勝つ事は出来なかったし、
晩年の大遠征で三河・遠江に進出し、
家康と野戦に及び勝利するも家康を取り逃がし、
結局徳川も織田も滅ぼすことなく死んだな

856 :人間七七四年:2007/04/10(火) 23:58:21 ID:OKQ91nUR
ID:4N/FOpDTはもうちょっと勉強しろ

857 :人間七七四年:2007/04/10(火) 23:59:33 ID:C6FTW+jr
あの遠征は何がしたかったんだろう?
目算ではもっと生きれるつもりだったのかな>信玄

858 :人間七七四年:2007/04/10(火) 23:59:40 ID:4N/FOpDT
>>856
お前のような低脳に言われる筋合いはない

859 :人間七七四年:2007/04/11(水) 00:02:21 ID:4N/FOpDT
>>857
さあ

本気で上洛できると思ったのか、
それとも自分の死期を悟り少しでもあとの憂いを取り除こうと、
織田徳川を滅ぼそうとしたのか、
その真意は信玄本人以外にはわからんね
あの三方ヶ原の勝利も中途半端なものだったし

860 :人間七七四年:2007/04/11(水) 00:03:10 ID:0yNxSA8J
>>810
家康を「野戦の達人」とまで肯定してるのは元々極少数
無能ではなく、水準以上といえるが、達人とは言えないってのが
肯定派の大体の結論じゃないかな
>>849
ネームバリューも大事だけど、戦争の規模も大事じゃないの?
>>850
家康主導で切腹させた話が最近でてきたような?
つうか、戦争の結果従属させたのを評価するのって信長の野望やりすぎだろ

861 :人間七七四年:2007/04/11(水) 00:03:18 ID:cBPbq5is
三方ヶ原はむしろ家康が死ななかったということがラッキー

862 :人間七七四年:2007/04/11(水) 00:03:23 ID:S32JlIqV
>>851
>信長が武田攻めで協力したのは三方ヶ原のわずかな援軍と、
>長篠、そして最後の武田崩れの時だけ
>>854
>ああけど武田との戦争は信長も美濃方面では戦ってるか
>もっとも武田の主力は徳川に向けられてたが

こんな認識で織田徳川連合軍の武田攻めを語るなよ。

863 :人間七七四年:2007/04/11(水) 00:05:52 ID:vhd/HN3Y
>>862
ではその素晴らしい認識を聞かせてもらおうか

864 :人間七七四年:2007/04/11(水) 00:06:09 ID:ySaRg24V
三方が原は単純じゃないだろう
千人も死んだつうのに重臣は死んでない
家康は負け戦を宣伝している、おかしいだろう?
おまいら、そんなに単純でいいのか?

865 :人間七七四年:2007/04/11(水) 00:06:18 ID:0yNxSA8J
>>853
棚ぼたってだけで、250年続く幕府は作れないんだけどね
秀吉にしても家康にしても異数の幸運に恵まれてるけど
それを逃さなかったから天下をとれたわけだし
逃した大名のが圧倒的多数なわけだしね


866 :人間七七四年:2007/04/11(水) 00:06:55 ID:cBPbq5is
まあ家康の野戦能力は水準以上だったが戦国時代に限定しても最高だとは言えない、
で大体の結論は出てるな
後は家康を不当に貶めようとするアンチとか過剰に持ち上げる信者が雑談してるだけ

867 :人間七七四年:2007/04/11(水) 00:07:04 ID:S32JlIqV
信忠率いる五万は何してたんだろね

868 :人間七七四年:2007/04/11(水) 00:07:07 ID:vhd/HN3Y
>>864
またお前か
おまえ来るとややこしくなるだけだから消えろ

869 :人間七七四年:2007/04/11(水) 00:08:57 ID:ySaRg24V
だから負け戦を宣伝している武将がいるのか? つう話だよ
死ぬほど負けたと言っているのだから、その目的があるだろう?
つう話だよ

870 :人間七七四年:2007/04/11(水) 00:09:51 ID:vhd/HN3Y
>>866
後は政治能力が高いとかそういう方向で流れてたっぽい

アンチは「運がよかっただけ」「弱いものいじめが得意」などを書き、
逆に信者は「すべて家康の計算通り。家康は天才だった」とわけわからんこと書いてる

871 :人間七七四年:2007/04/11(水) 00:11:19 ID:vhd/HN3Y
>>869
単純な話家康が信玄を尊敬していた事と、
江戸時代の偉大なる東照大神君が明らかに負けた戦がこの三方が原なので、
「勇ましい家康は果敢に軍神武田信玄に挑んだ」
と敗戦を美化しただけ

872 :人間七七四年:2007/04/11(水) 00:11:53 ID:S32JlIqV
ID:vhd/HN3Yも武田征伐はすべて徳川の功績って言ってる時点で信者だと思うが


ちなみに俺は家康も秀吉も信長も好き。
誰が嫌いとかってのはこの三人にはないが。

873 :人間七七四年:2007/04/11(水) 00:13:05 ID:0yNxSA8J
>>866
そんなとこだね。実際には動員できる兵力等がからむから
後年家康が最強だったとは言えるとおもうけど
同数の兵力を率いさせたうえで、戦わせたら家康より上は何人もいるでしょう

過剰にもちあげてるのは、例の東海地方に住んでる方かなw

874 :人間七七四年:2007/04/11(水) 00:17:11 ID:vhd/HN3Y
>>872
全てが全て徳川の功績などとは言ってないが?

ただし三河・遠江領内での拠点の奪い合いはほとんどが徳川単独で行っており、
長篠の戦いにしたところで、織田が主導的に武田に戦いを挑んだのではなく、
徳川の依頼で後詰に出てきたのが真相

もっとも書き方に不満があると言うなら、
武田との抗争を抱えていた織田の庇護下で、
先陣として戦っていたのが徳川、こう書けば納得が行くか?

875 :人間七七四年:2007/04/11(水) 00:19:34 ID:ySaRg24V
>>871
そんな単純な話じゃないだろう
織田の援軍三千に目立った損害はない
信長に対するいい訳を作ったのが正解じゃないの?
信玄の相手は徳川ではなく織田なんだと…

876 :人間七七四年:2007/04/11(水) 00:22:08 ID:HXDtv/UC
>>875
平手は・・・

そういえば織田と武田を戦わせるためという説も確かにあったな

877 :人間七七四年:2007/04/11(水) 00:22:22 ID:ySaRg24V
そう考えないと負け戦を大々的に宣伝する意味がないだろう?
一方でクソをしてしまう負け戦の途中で粥を食べたり
小豆餅を食い逃げしたりしている、んなばかな話はないぞ
必死で逃げているのに餅や粥なんぞを食べるかよ、近い距離なのに

878 :人間七七四年:2007/04/11(水) 00:23:09 ID:cBPbq5is
いや、それは粥食ったり餅食い逃げしてるという逸話が創作なんだろw

879 :人間七七四年:2007/04/11(水) 00:23:13 ID:0yNxSA8J
>>877
きみ同じ話が好きね

880 :人間七七四年:2007/04/11(水) 00:25:32 ID:ySaRg24V
>>878
実際に粥と言う苗字の人がいる、知っている。

881 :人間七七四年:2007/04/11(水) 00:29:12 ID:ySaRg24V
まあ、だから、家康つう人は、何つうか奥が深い
悪人なんだと思うよ、全て自分から仕掛けている

882 :人間七七四年:2007/04/11(水) 00:38:21 ID:0yNxSA8J
戦国時代で、家康が特に悪人だとは思わない
全て仕掛けてるとは、もっと思わない

883 :人間七七四年:2007/04/11(水) 00:40:51 ID:ySaRg24V
関が原も冬の陣も仕掛けてるだろう?
だったら一向一揆も三方が原も仕掛けていると疑るのが筋じゃない?

884 :人間七七四年:2007/04/11(水) 00:45:07 ID:9YM1zQYB
>>803
>全て仕掛けている
の具体例が大坂夏冬だけか?
筋とはなんの筋だ?
レスがアホすぎるな。
レスがアホだからはっきりわかるが、腐女子は板違いだな。
無理してブス顔突っ込まなくてもいいのにw

885 :人間七七四年:2007/04/11(水) 00:54:26 ID:ySaRg24V
例えば、家康は頼朝にリスペクトつう説があるが
安宅の関で義経を逃したのは頼朝の罠じゃないかと考えるんだ
奥州へやれば平家のついでに藤原も滅ぼす口実ができるから
こんなことを考える奴が悪人でなくて何なんだ
そいつをリスペクトする奴も悪人だわな

886 :人間七七四年:2007/04/11(水) 00:58:24 ID:0yNxSA8J
家康は弱いものいじめって奴がでたり
こんな電波が定期でわいたり、家康も草葉の陰で泣いてるぞ

887 :人間七七四年:2007/04/11(水) 01:03:05 ID:9YM1zQYB
>>885
発言の論旨がお前だけ明確でないな
なんの筋なのか、説明すべきだと思う
もしくは、腐女子板にご帰還願おうか

888 :人間七七四年:2007/04/11(水) 01:07:14 ID:xAovDLax
>>887
あ、こいつ腐女子なの?

889 :人間七七四年:2007/04/11(水) 01:07:37 ID:ySaRg24V
ほんとに面白くない奴らだな、固定観念の塊りだな
負け戦でウンコ漏らすほどビビって
信長様、助けてくだちゃい、そんな事を言いつつ
上目ずかいで舌を出しているかも知れないんだぜ?
面白くないか?

890 :人間七七四年:2007/04/11(水) 01:10:03 ID:9YM1zQYB
>>889
お前のレスが一番おもしろくないwお前が言うなやw
ホラホラ、腐女子特有の不自由な日本語指摘されて逃げるんじゃないよ。
なんの筋だというの?サッパリ意味不明だぞ?

891 :人間七七四年:2007/04/11(水) 01:15:53 ID:CJi6Y7Ew
>>889
自分の頭の中で勝手に想像して楽しむのは良いが
それを他人に理解してもらおうとは思わないほうが良いぞ
君の脳内妄想でしかないのだからな

892 :人間七七四年:2007/04/11(水) 01:29:26 ID:H4ochxpB
野戦の達人"とは少数で大群を破る、とかのことではなく、単純に、数多くの野戦をしてその(殆ど)全てに勝っている武将のことをいうのではないかな?だから三方が原で大敗した家康が達人というのは疑問だ。

893 :人間七七四年:2007/04/11(水) 01:37:36 ID:0yNxSA8J
そんなんいったら、関ヶ原という戦国最大規模の戦争に
1日で勝利してるから達人と言える。なんてのも成り立ってしまうでしょ


894 :人間七七四年:2007/04/11(水) 01:39:16 ID:ySaRg24V
だから辞書を引くと達人とは経験を積んで抽んでることらしいのだ
長生きをして比較する相手のいない家康が、経験不足でもないだろう?
負けない武蔵も死んでいたのなら達人じゃあない
負けた小次郎でも、もし生き残っていたのなら達人なり得ただろう?
戦国の世を生き延びて天下を取った家康が・・・w
と、こうやって遊んで何が悪いのか

895 :人間七七四年:2007/04/11(水) 01:41:42 ID:0yNxSA8J
>>894
だから自分の脳内で一人で遊んでおけってw


896 :人間七七四年:2007/04/11(水) 01:47:20 ID:dpyJm5F8
どっちもどっちだな・・・

897 :仙台藩百姓:2007/04/11(水) 01:50:13 ID:6Cv6zLx5
家康の力量では武田を滅ぼすどころか勝頼に滅ぼされた可能性すら否定できないお( ^ω^)
信玄亡き後の戦いでも武田を押し込めるほど有利な戦いを展開していたとは言い難いお
戦局が有利に進むのは結局織田が本格的に乗り出すまで待たねばならないお
謀略にしてもあくまで織田の武威によって成立したものだお
信玄に蹴散らされて糞漏らして逃げ回った経歴しかない家康に
糞もらさせた側である武田家中の者が内応してくることなどありえないお(≧ω≦)
徳川だけの誘いでは
何言ってんだこの馬鹿と一笑されて終わりだお
織田の同盟国、織田の支配領域に加われる、と言う事実があって初めて徳川家に価値が生じるのだお
家康は金魚の糞でしかないという事だお
なんとか信長に切り捨てられないように
正室と嫡男殺してでも自分の可愛らしさをアピールして
できればオコボレに与れればよいなと言う程度のものだお
だから後に織田時代の三河衆活躍伝説を必死に捏造したりしたんだお( ´ω`)

898 :人間七七四年:2007/04/11(水) 02:24:41 ID:HXDtv/UC
>>897
奥平は武田家中じゃないということか

899 :人間七七四年:2007/04/11(水) 02:29:53 ID:H4ochxpB
>>893
でもあれだけ派手に負けてるのに達人っていうのも変じゃない?誇張されてるだろうが、生涯無敗だったといわれている武将もいる訳だし。まぁそれが野戦だったかどうかは知らんけど。

900 :人間七七四年:2007/04/11(水) 02:44:45 ID:x35CtCy2
実際当時家康の野戦の評価高かったんだろ
戦った相手の格とか戦いっぷりからそう見られたんだろうな

901 :人間七七四年:2007/04/11(水) 03:41:25 ID:CcqJD0he
はっきり言って嘘です。
城攻めが下手に対して野戦は上手と後世で勝手に言われているだけです。
野戦が上手というのは長久手でもともと成功率の低い中入れ軍を急襲したにすぎず
それを家康を崇めるために過大評価しているにすぎません。当然せねばならない対策を採ったというだけで
評価にすらあげるものでもありません。家康程度の戦歴の武将など掃いて捨てるほどいますし
もっと上の武将もゴロゴロいます。
逆に家康が城攻めが下手だったということも別段ありません。
籠城されると困るので野戦に引きずり出して一気に決着をつけたいと手当したことが
いつの間にかそんなことが言われるようになっただけです。

902 :人間七七四年:2007/04/11(水) 05:53:15 ID:zG5IJCe7
達人とは最強最高の称号って認識もおかしくない?
経験を積んでその道に置いて抜きんでた存在位の認識なんだが
特に家康を持ち上げる気はないが
若い頃に血気に任せてボロ負けして以来
まずまずの実績あげてるし野戦に置いては達人と思える評価はしてるがな
まあ上には上がいるのも
城攻めは目もあてられない同意だが

903 :人間七七四年:2007/04/11(水) 06:02:43 ID:YH80ducA
戦に弱いだけではない。
家康は家柄も最低。
1488年に初めて歴史に出てきた馬の骨血筋。信長以下。
おまけにクソ漏らし。道理で下品なはず。

904 :人間七七四年:2007/04/11(水) 08:26:13 ID:2An3gOtn
醜い争いだな
家柄とかクソ漏らしとか腐女子とか野戦に関係ないだろ。
同じこと繰り返してばっかりだしマジでつまらないから他所池。
書くなら論だけで勝負しろよ。

905 :人間七七四年:2007/04/11(水) 08:30:22 ID:fTXZWA2C
しかし、家康が「馬の骨家系」であるのは事実じゃのう
家柄の悪い信長でさえ、守護代家の一族で同家家老職の家柄だしのう

906 :仙台藩百姓:2007/04/11(水) 08:48:50 ID:6Cv6zLx5
だから家康にどんな実績があると言うのだお(#^ω^)ピキピキ
むしろこんなに実績のない戦国大名は珍しいぐらいだお

907 :人間七七四年:2007/04/11(水) 08:59:12 ID:PeUQCeLi
どのタイミングで勝利したか、それをどう利用したかとかも絡んでるだろうな
家康は小牧長久手での豊臣別働隊に対する勝利をテコに、秀吉と唯一対等に近い条件で講和した大名という別格的地位を入手
それが後の天下取りに繋がった
軍事は政治の延長である、という観点からすれば(事後も含めて)達人

908 :人間七七四年:2007/04/11(水) 09:04:03 ID:fTXZWA2C
>>907
家康のヲタは達人とか名人とかはっきりしない語彙を使うのう。サッパリじゃw

909 :人間七七四年:2007/04/11(水) 09:21:49 ID:JJQz4oBo
小牧長久手は秀吉の天下統一に向けた四国伊勢他西国
の平定を最優先したから家康と講和したわけで
講和した秀吉は確実に統一事業が加速したが
家康の所領は増えてもいないじゃないか

講和して一番得をしたのは秀吉

910 :人間七七四年:2007/04/11(水) 09:39:06 ID:0yNxSA8J
>>899
つまり生涯不敗・派手な負けがあると、達人じゃないというわけ?
世の中の(野戦に限らず)達人と呼ばれる人は
失敗を糧にして、達人に成長する例もあるよね?
少なくとも、>>893の書き方では、家康が達人ではないという論の説得力をもたない

>>905
とうとう家柄まで持ち出すのか
秀吉の家柄を、自分は秀吉の評価を落とす要素とは微塵も感じないがね
>>907
いや、政治・軍事については達人だけど、ここで話になるには
野戦の一指揮官として達人かどうか?って話だから


911 :人間七七四年:2007/04/11(水) 09:42:55 ID:0yNxSA8J
っと>>899あての文章が滅茶苦茶だな
派手な負けがあったり・生涯不敗でないと、達人じゃないというわけ?だな
あとアンカーは、>>893でなく>>892


912 :人間七七四年:2007/04/11(水) 09:54:38 ID:YUHLeeQk
>>910
達人という語彙がはっきりしないが、あんまり負けが多いと達人とは言わないのう。
例えば失敗から学ぶといっても8回負けて7勝8敗の横綱を大横綱とは言わないからのう。
膝も両手も土がついて泥だらけの横綱は全く格好良くないからのう。
失敗しすぎで。

913 :人間七七四年:2007/04/11(水) 09:56:51 ID:YUHLeeQk
>>911
腐女子がファビョって間違い連発、日本語不自由。
ヲタはヲタで泥だらけでカッコワルイのうw

914 :人間七七四年:2007/04/11(水) 10:04:22 ID:2An3gOtn
>>913
その痛い煽りは余計ですから

915 :人間七七四年:2007/04/11(水) 10:09:26 ID:YUHLeeQk
>>914
間違うとツラいのうw痛いのはお前じゃwww

916 :仙台藩百姓:2007/04/11(水) 10:12:16 ID:6Cv6zLx5
細かい事言うなら関ヶ原は戦国時代じゃないおね( ´ω`)
天下統一事業は秀吉によって完遂されて戦国時代は終了しているお
関ヶ原は豊臣政権内の争いに過ぎないお
源頼朝、足利尊氏と同等の位置にくるのは秀吉であって家康ではないお
武力ではなくペテンで幕府開いた家康は別物だおね(≧ω≦)

917 :人間七七四年:2007/04/11(水) 10:14:52 ID:AQyD1fzb
信玄の生涯二敗説のように、城攻め失敗や自主退却、一千ほどの損害がでた戦以外は負けにしなければ達人

918 :917:2007/04/11(水) 10:15:30 ID:AQyD1fzb
×城攻め失敗や自主退却
○城攻め失敗や自主退却は敗北とせず

919 :仙台藩百姓:2007/04/11(水) 10:37:20 ID:6Cv6zLx5
結局は
「城攻めよりは野戦の方が得意」
が三河衆の妄想と見栄から
「野戦上手」
にすり替えられたんだおうね
あとは、秀吉が城攻めが得意だから
それに対して野戦が得意と言う事をでっちあげたんだおうね
つまり
「戦上手で全国を斬り従えた秀吉に負けなかった」

「秀吉(天下人)と互角?」

「むしろ局地戦で勝ったんだから秀吉以上?」

「神君つええええええwww」

「そして最強伝説へ」
と言う妄想伝説が生まれたんだお
武家の棟梁たる将軍が武力の面で実績らしい実績がなくてはマズイおね
だから捏造もやむを得ないのだおうけど( ´ω`)カナシイオ
オマケに妄想が広がり
織田時代も大活躍!三河衆精強伝説
が作られたお
実際は明らかに尾張衆の方が精強だお
三河衆が一体何したと言うのだお( ´ω`)

920 :人間七七四年:2007/04/11(水) 10:58:44 ID:gH1t0+oH
>>917
お前日本語不自由すぎてID変えた意味がないのうw
腐女子で子供頃から国語もデキなかったのだろうのうw
知能が低いわw

921 :人間七七四年:2007/04/11(水) 11:08:29 ID:2An3gOtn
>>920
それ、詰まんないから。


922 :人間七七四年:2007/04/11(水) 11:11:25 ID:UxzXPt3q
野戦ではなく畳の上の戦が巧かった、だったら揉めないのに。

923 :人間七七四年:2007/04/11(水) 11:11:33 ID:APu6D7JT
なんか、読んでいくと、野戦の達人というメインテーマに
対して、アンチも信者もいい感じに話題逸らししている気がするんだが。

つーか、とっくの昔に水準以上の腕前かもしんないが、達人じゃないでFA?

924 :人間七七四年:2007/04/11(水) 11:33:02 ID:a/JMEERu
まあ一定以上の戦術的評価が達人でもよいならば、達人だろうけど、一番では無いし、
野戦ばかりやった訳でも無いし、妥当なあたりでは名人か戦上手程度かな。
どっちにしろ政治の達人では有るので家康の評価が下がる訳じゃ無いし
このスレは家康アンチが釣れまくって笑えたw

925 :人間七七四年:2007/04/11(水) 11:35:05 ID:O3I3w0XX
強い奴が勝つのではない、勝った奴が強いのだw

926 :人間七七四年:2007/04/11(水) 11:37:58 ID:U84bqFdO
戦国時代は参加兵力しかわからない合戦も多い
情報が少なすぎて、比較評価しにくいんだから
あまりムキにならずいきましょうや
戦国末期まで残ったような大名家は概して戦上手ですよ

927 :人間七七四年:2007/04/11(水) 11:40:28 ID:O3I3w0XX
名将と評価されながら、個別戦闘で見ると二倍以上の優勢なのに大敗した信玄とかいるしな

928 :人間七七四年:2007/04/11(水) 11:46:44 ID:U84bqFdO
信玄の場合は戦術的には負けた場合でも、その後も攻勢を維持して
最終的には領土を奪い取ってますからね
多少効率は悪いですが、十分誉められる戦績ですよ
負け数を少なくカウントしようと強引な評価をするから
無理か生じてるだけですよねw

929 :人間七七四年:2007/04/11(水) 11:55:25 ID:ea2/i+Yc
>>921
そうかの?おぬしが立て続けにしくじるもので、腹を抱えて笑ったがの?

930 :人間七七四年:2007/04/11(水) 11:59:18 ID:O3I3w0XX
>>929
IDわざわざ変えるほどの煽りか?w
ああ、わかった君の自演なんだ。乙です!

931 :仙台藩百姓:2007/04/11(水) 12:04:03 ID:6Cv6zLx5
家康は並か並以下と言う結論ですお( ^ω^)
勝頼、氏政と比較しても勝ってるとは言い難いお
氏真で微妙なライン
所詮織田のオマケですお
オマケ大名

932 :人間七七四年:2007/04/11(水) 12:25:04 ID:ea2/i+Yc
>>930
もがいてますね。並以下家康の並以下ヲタさんw

933 :人間七七四年:2007/04/11(水) 13:00:19 ID:0yNxSA8J
>>928
だから、戦術で領土が取れるのは、信長の野望での話だっての
だいたい領土を奪い取った観点じゃ、天下人3人が一番だろ
自分の書き込み内容が、不当に信玄を貶めてることに気づかないか?


934 :人間七七四年:2007/04/11(水) 13:22:41 ID:FFOr4Hlb
>>933
いや、家康は信長のヲマケですから。信長、秀吉と同列に語るのはいかがなものかと。

935 :人間七七四年:2007/04/11(水) 14:16:29 ID:JJQz4oBo
はたして家康が信長や秀吉の立場だったらあそこまで他家を制圧屈服できたか

と考えると明らかに無理がある
政権算奪という唯一無二の方法しかなく、それがたまたま
主家の後継者問題やら内部での権力争いに乗じて成功しただけ

家康の寿命がたまたま大坂の陣まで持ったからよかったものの
一つ間違えればただの大名で終わってた
ただ運がよかっただけのこと

936 :人間七七四年:2007/04/11(水) 14:30:16 ID:WHohrJLi
また鈴木信者か
運がいいのは信長も秀吉も一緒

937 :人間七七四年:2007/04/11(水) 14:42:50 ID:J3ZfGG6b
家康は運がいいのではなく、運が良すぎるのだよ。

938 :人間七七四年:2007/04/11(水) 14:49:56 ID:WHohrJLi
信長も秀吉も十分運が良すぎると思うが

939 :人間七七四年:2007/04/11(水) 14:50:38 ID:JJQz4oBo
いつ死んでもおかしくない頃になっても利家が死ぬまで動かなかった

関ヶ原以降になってやっと後継者を指名したが
関ヶ原前に急死でもしてたら親豊臣派の秀康が徳川家を
継ぐ可能性が高いし一大名で終わる可能性が高かった

当時の医療技術や平均寿命を考えると
あくまで時期が来るまで動かなかった家康が天下を盗れたのは
まさに寿命が持った幸運に依るもの

940 :人間七七四年:2007/04/11(水) 14:54:01 ID:WHohrJLi
それはあなたの思い込みです

941 :人間七七四年:2007/04/11(水) 14:57:21 ID:WHohrJLi
あと利家が生存中から家康は動いてるから

942 :人間七七四年:2007/04/11(水) 14:57:55 ID:W6QajX3K
>>919
禿同!

943 :人間七七四年:2007/04/11(水) 15:07:54 ID:JJQz4oBo
少なくとも利家が死ななかったら家康は天下取れませんから

944 :人間七七四年:2007/04/11(水) 15:09:44 ID:WHohrJLi
それはあなたの思い込みです

945 :人間七七四年:2007/04/11(水) 15:19:18 ID:5HV0M/sk
そんな事ないですよー

946 :人間七七四年:2007/04/11(水) 15:20:08 ID:J3ZfGG6b
それはあなたの思い込みです
と、こればっか

947 :人間七七四年:2007/04/11(水) 15:23:31 ID:WHohrJLi
仮定からの推測にすぎないものを「こうだ」断言しちゃってるから思い込みと言ってる
一つの推論としては間違いではないが、
起こってもいないことを断言するのはおかしい

948 :人間七七四年:2007/04/11(水) 15:24:52 ID:Q2o+2ue5
過大評価

利家>家康

949 :人間七七四年:2007/04/11(水) 15:27:02 ID:nrxq6LO4
>>946
まぁ、事実だから仕方がない

950 :人間七七四年:2007/04/11(水) 15:37:52 ID:JJQz4oBo
実際
内府違いの詰問状の時に
利家派として大坂城に入城した諸大名は
家康派の諸大名より多かったし

秀吉死後は秀頼の後見として大坂城謁見の間の上座にて秀頼を膝に抱き、
諸大名より参賀の礼を受けたりと人望、権勢において唯一家康と戦える人物であり、
利家生存中に家康が豊臣打倒の兵を挙げて勝てる可能性は限りなく低い


利家個人の能力の話じゃなく
利家を家康の次の官位にしたり後見人として指名した秀吉の思惑通りだったと思うが

951 :人間七七四年:2007/04/11(水) 15:58:44 ID:H4ochxpB
>>910
確かに、負けがある=達人でない、というのは強引な言い方だったな。
でも、家康が後世に残るほどの名采配をした戦ってあるの?

952 :人間七七四年:2007/04/11(水) 16:01:03 ID:baROVEOC
関ヶ原と小牧・長久手だお

953 :人間七七四年:2007/04/11(水) 16:07:06 ID:WHohrJLi
いいね
問題は利家派の結束と利家を含めどれだけ本気で
家康と戦う気があるかだね

954 :人間七七四年:2007/04/11(水) 16:22:52 ID:a/JMEERu
利家なんぞせいぜい100万石だ、家康が政略を止めて豊臣家も無視して
動き始めたら誰も止められないのが秀吉死後の状況だろ。
それを恐れていたから、無理に関ヶ原を起こした三成の行動も説得力がでるのだし
そもそも豊臣家=天下ではfzx以下略。

955 :人間七七四年:2007/04/11(水) 16:56:12 ID:JJQz4oBo
だから言ってるじゃん

利家の個人的な人望ってよりも豊臣家後見人としての人望は
反家康派の大名を多数纏めた時点で証明されてる

利家を恐れてないなら、寿命というリスクを負ってまでも利家の死後に
積極的に他家を挑発し、謀反の嫌疑をかけたりしだした説明がつかん

無論利家死後に武断派と三成との対立を押さえる人間がいなくなったのも大きな理由だが

956 :人間七七四年:2007/04/11(水) 17:06:34 ID:JJQz4oBo
簡単に言えば
豊臣の威を借りた利家に
反豊臣として家康が立ち上がっても勝ち目は薄いって事

太閤秀吉が自ら秀頼の後見人として指名した利家の権勢は石高とかはあまり関係ないよ

957 :人間七七四年:2007/04/11(水) 17:08:13 ID:APu6D7JT
実は、上杉討伐の時の軍議の時もあまり大名来なかったりする。
七将以外は大大名クラスは露骨にこなかったし。

そういった意味合いで関ヶ原の合戦での山内と福島の功績が
群を抜いていると思う。彼らのおかげで家康は統率という点で
苦労しなかったからな。ちょうど西軍と正反対だな。

958 :人間七七四年:2007/04/11(水) 17:50:03 ID:0yNxSA8J
>>951
いや、達人でないという例としては不適格というだけ
名采配というのを、一指揮官としていうのか
総大将としていうのかで、かわってくると思うがね
総大将というのは、戦略を決め、指揮官を選択する等に優れていればいいわけで
家康の戦略家としての能力は疑う余地はないでしょう。紛れもなく名将
一指揮官としての能力だけとれば、水準以上であるが、家康より優秀な指揮官は
結構いる.島津義弘とかね。
そもそも家康の役割は総大将だから、一指揮官として最優秀である必要はないけども
このスレは、あくまで家康の一指揮官としての能力を問うものだし
上で監督に例えてる人がいるが、大監督が大選手でないからといって
監督としての評価は落ちることはないでしょ



959 :人間七七四年:2007/04/11(水) 18:01:44 ID:0yNxSA8J
>>IDJJQz4oBo
不公平すぎるね。家康の立場で信長・秀吉が250年の政権を作れるかといえば
信長はともかく秀吉は存命中の実績をみれば、不可能と断言できる
だからといって、秀吉の評価を落とすことにはならないだろ?
秀吉の天下取りには、本能寺の変という異数の幸運が外せない要素だが
その幸運を逃さなかったのが、秀吉の凄さである
信長にしても、何度も幸運に恵まれている。
というか、ほぼ全ての大勢力になった日本に限らず世界中の人物は
幸運に恵まれてるんだよ
きみ、このスレのはじめから、家康は運がいいだけとか
家康が弱いものいじめとか、馬鹿みたいなこと言い続けてる奴だろ
とくに>943の発言なんて馬鹿そのものの発言だ



960 :人間七七四年:2007/04/11(水) 18:10:04 ID:nrxq6LO4
こんなスレ立てて、もうねアホ杉w
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1176214092/l50

961 :人間七七四年:2007/04/11(水) 18:12:20 ID:H4ochxpB
>>958
なるほどなぁ。確かに総大将には戦術家よりも戦略家としての資質が大事だよな。ただ三方ヶ原のイメージがでかいから、つい戦術家としては凡庸だと思ってしまうんだよね。…と家康嫌いなので悪あがきをしてみる。

962 :人間七七四年:2007/04/11(水) 18:18:18 ID:0yNxSA8J
>>961
戦術家として、家康が嫌いであれば凡庸という表現にもなるでしょう
自分は特に家康好きじゃないけど(信長が好き)
家康は戦術家としては、優秀であるけど、最優秀では勿論ないはず
まあ、人によって、ある程度の評価の幅があるのは当然だよね
三方ヶ原は、戦略家としても大失敗だからね。それを糧に成長したと思うけど


963 :人間七七四年:2007/04/11(水) 18:22:58 ID:0yNxSA8J
>>959に補足
本能寺の変を秀吉に幸運と書き込んだけど
実際には、幸運化したというのが正しいと訂正
少しでも判断ミスや決断が遅ければ、滝川が北条にされたように
毛利に勢いに乗られ、中国地方から追い返される可能性も十分考えられるしな


964 :人間七七四年:2007/04/11(水) 19:04:20 ID:JJQz4oBo
利家が死んだ事で
豊臣家を纏める器量を持つ大名はいなくなり
内部での派閥争いが表面化ひたのは事実だし

それに乗じる形で天下を奪ったのは事実


何を持って利家の生死が家康の天下盗りに影響しないというのか説明してくれ

965 :人間七七四年:2007/04/11(水) 19:07:09 ID:W6QajX3K
ヒント:神君史観

966 :人間七七四年:2007/04/11(水) 19:07:46 ID:H4ochxpB
>>962
結局、野戦の達人といういい方には色々なとらえ方ができるから、(達人の定義とか戦術、戦略のこととか)結論は962の言う通り、ひとそれぞれ"ということかな(笑)
でもまぁ、総合的に見て、徳川軍は強かったんだろうな。井伊の赤備え"とか名前からして強そうだもの(笑)

967 :人間七七四年:2007/04/11(水) 19:11:04 ID:APu6D7JT
>>966
とはいえ、まず戦場のおける采配と見るべきだし、
最低限事前の準備位と捉えるべきだと思うけどね。

戦略レベルまで含めるのかは微妙なラインだし。
ましてや、政略的なことまでいってしまうと・・・。

968 :人間七七四年:2007/04/11(水) 19:13:54 ID:S32JlIqV
>>959
>不公平すぎるね。家康の立場で信長・秀吉が250年の政権を作れるかといえば
>信長はともかく秀吉は存命中の実績をみれば、不可能と断言できる

不公平すぎるね
家康が補佐して秀頼が政権を担当すれば名君だった可能性だってあるし
秀頼以降に、江戸時代に名君と呼ばれた将軍やら官僚が出てくれば
江戸時代とはまた変わった、繁栄を迎えられたかもしれん。

予知能力も無いのに豊臣政権が存続した場合長く続かないと断言してる基地外は頭おかしいだろ。

969 :人間七七四年:2007/04/11(水) 19:22:14 ID:nrxq6LO4
>>968
既に歴史が証明しているわけだからそんな仮定無意味でしょ。

970 :人間七七四年:2007/04/11(水) 19:22:31 ID:PiGgdgCM
>>966
井伊の赤備えも家康が三方ヶ原の武田軍でもっとも印象に残った山県勢のマネだからな。
武田の遺臣を多く抱えたことからも家康は信玄を尊敬していたのだと思う。
晩年の戦い方なんかそうじゃない?じっくり構えて勝てない算段の戦はしないってあたりとか。

971 :人間七七四年:2007/04/11(水) 19:23:55 ID:S32JlIqV
>>968
>家康の立場で信長・秀吉が250年の政権を作れるかといえば

という仮定に基づいた話なのに歴史が証明してるとはこれいかに

972 :人間七七四年:2007/04/11(水) 19:24:25 ID:0o9RUSeu
秀頼がマザコンの愚君であることは証明されている
足利義政といい勝負で誰が補佐したところで無駄

973 :人間七七四年:2007/04/11(水) 19:25:41 ID:S32JlIqV


974 :人間七七四年:2007/04/11(水) 19:30:09 ID:nrxq6LO4
>>968
あぁ、そもそもの出発点が仮定の話だったのね。
失敬。

975 :人間七七四年:2007/04/11(水) 19:30:20 ID:JJQz4oBo
秀頼が暗愚?
政権運営もしたことが無いのにわかるんだ

976 :人間七七四年:2007/04/11(水) 19:45:14 ID:0o9RUSeu
したことがないじゃなくてする実力がないの間違いだろ
臣従を拒否したと思ったら命乞いしたりアホでなければ精神分裂病だよ

977 :人間七七四年:2007/04/11(水) 19:46:09 ID:WHohrJLi
利家の死が家康に有利に働いたのは疑い様がないが、
利家が生きていたら家康の天下取りはなかったというのは疑問
少なくとも秀吉死後家康は公然と遺法を破って自分の派閥の強化に乗り出し、
利家らがこれを詰問し、合戦間近になるも、
最後には利家が病気の身を押して伏見に出向き、家康と和解してしまった

利家が家康の大きなライバルだったのは確かだが、
利家にどれほど徳川との対決姿勢があったか生前の行動をみるかぎり少し疑問が残る
遺言ではかなり対決を意識してるっぽいが、本人の行動が…

978 :人間七七四年:2007/04/11(水) 19:46:55 ID:H4ochxpB
>>967
最低限の事前の準備っていうとまた曖昧になってしまわない?関ヶ原で事前工作をあれだけやっても、結果的にみれば最低限だったとも言えなくもないでしょ。あれがなければ負けてもおかしくなかった訳だから。事前工作と合戦は一連のものだから、境界がむずいよな。

979 :仙台藩百姓:2007/04/11(水) 19:48:37 ID:6Cv6zLx5
家康は独力で勝頼から一国切り取るのも出来なかったどころか
遠江から武田勢力を駆逐する事すらできなかったお
国力に差があると言えども周囲は織田に固められていて
武田のみに専念すればいいという恵まれた環境でもその程度だお
同時代の群雄達より遥かに劣るお( ´ω`)

980 :人間七七四年:2007/04/11(水) 19:50:31 ID:5HV0M/sk
同感です

981 :人間七七四年:2007/04/11(水) 19:55:29 ID:S32JlIqV
>>977
大幅に同意だが、俺は三成ら官僚と正則ら武断派の分裂を抑えられる
唯一の存在として利家は重要だったと思う。

三成、正則らがお互い反目し合いながらも豊臣政権存続に協力しあってたら
家康の付け入る隙が無かったとは思う。

250万石といえども、単独もしくは少々の大名が味方しても政権打倒は容易じゃないわけだし。

982 :人間七七四年:2007/04/11(水) 20:07:06 ID:APu6D7JT
>>978
オレとしは純粋に戦場の采配だけで十分だと思うんだが、
このスレ的にはなんかイヤッポイのでああ書いた。

でも、そーなると、
戦術的に評価できず(どっちかっていうと下手?)、
ただ、作戦機動が際立っているという評価でFA。
わざわざ議論するまでもない。

まあ、これはこれで野戦の達人の条件ではあるかな。

983 :人間七七四年:2007/04/11(水) 20:12:25 ID:ps48aekl
まあ、所詮家康は信長のオマケですからw

984 :人間七七四年:2007/04/11(水) 20:16:34 ID:H+QzwAbL
金魚の糞ですからwww

985 :人間七七四年:2007/04/11(水) 20:22:19 ID:ULYn3DEF
その糞は漏らした糞味噌だと行って食べた

986 :人間七七四年:2007/04/11(水) 20:33:49 ID:JJQz4oBo
利家と戦う気が無かったのは家康もだけどね

じゃなきゃ利家が生きてる時点で利長に謀反の嫌疑をかけてもいいわけだ

明らかに利家の存命中と死後で家康の動き方が違う

987 :人間七七四年:2007/04/11(水) 21:02:24 ID:PV3T+t3K
家康は人材登用ミスってある?

988 :人間七七四年:2007/04/11(水) 21:07:12 ID:MY4NHuBZ
>>987
大賀(大須賀)ぐらいかと
沼田を北条に譲ることで真田の離反を招いたこととか
石川数正の出奔は登用とはまた違うし

989 :人間七七四年:2007/04/11(水) 21:19:30 ID:WHohrJLi
利家と家康が合戦間近になったとき名分といい勢力といい有利だったのは利家
家康は事前工作を行ってる時期でしょうが
もっとも利家が生存してたらあそこまで短期に強引な言い掛かりは付けなかったろうがね

990 :人間七七四年:2007/04/11(水) 21:21:00 ID:cBPbq5is
家康信者は利家を過小評価するから嫌いだ
色んなスレで論破されてもその度に沸いてくるから性質が悪い

991 :人間七七四年:2007/04/11(水) 21:25:57 ID:WHohrJLi
利家信者か
俺がいつ利家を過小評価したのやら
家康との対決姿勢が疑問と言ってるだけだ

992 :人間七七四年:2007/04/11(水) 21:27:32 ID:S32JlIqV
>>990は別に>>989の事を言ってるんじゃなくて>>954あたりの事を言ってるんじゃないか?

993 :人間七七四年:2007/04/11(水) 21:31:04 ID:WHohrJLi
そういうことか
誤解なら悪かった

994 :人間七七四年:2007/04/11(水) 21:33:18 ID:jelcPH86
>>986
詰問状から一月足らずの間で利家は死んじまってる以上、それは判断できない。
家康が躊躇した証拠も無い。

もう少し生きてたら普通に利家にけしかけた可能性も充分ある。
利家はそれこそ大将としての実績大してないんだから
西軍総大将をまとめきれる器とは到底思えないし、彼自身そこまでして動く理由は薄い。
あくまで家康が豊臣政権の大老を名乗る以上せいぜい詰問状の程度が精一杯。

むしろ彼の場合、経歴で言えば土壇場で家康に擦り寄って自家を保つ方が余程ありうる。
他でも無い秀吉が自分でそれをさせた癖に自分の時は守ってもらえるなんて思ってること自体妙な話。
さらに利長が家康にけしかけられた時の豊臣の対応見る限り、利家だったからといって
どこまで変わるというのだろうか。

995 :人間七七四年:2007/04/11(水) 21:36:51 ID:S32JlIqV
>>994
家康と一触即発の事態になったときに、利家(豊臣)派として大坂城に入城した
大名がどれくらいいたかわかりますか?

996 :人間七七四年:2007/04/11(水) 21:39:03 ID:cBPbq5is
>>993
いや、むしろ自分の方が全然悪い
気分を悪くさせたならすまない

>>994
次スレ立ってもスレ違いの利家話したい?
一応反論の準備は有るが

997 :人間七七四年:2007/04/11(水) 21:41:17 ID:WHohrJLi
ただその内訳に家康との和解推進派が少なからず存在したんだがな

998 :人間七七四年:2007/04/11(水) 21:43:56 ID:WHohrJLi
次はもういいだろ
延々ループするだけだ

999 :人間七七四年:2007/04/11(水) 21:51:13 ID:S32JlIqV
続きはwebで

1000 :人間七七四年:2007/04/11(水) 21:52:54 ID:WHohrJLi
終了

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