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【武田】2万5千で上洛【信玄】その49

1 :人間七七四年:2007/03/29(木) 13:10:55 ID:egIINNny
【武田】2万5千で上洛【信玄】その48
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1173592695/

ここでは「武田は上洛できたのか?」から始まって。現在では
「どうすれば武田は上洛できたのか」
「どうして武田は上洛できなかったのか」
など、武田と織田を中心にした戦国時代の話が扱われています。
ネタによっては場所は東北から九州まで、時間は室町から江戸まで
幅広くカバーしております。

テンプレ
>>2-30ぐらい?

2 :人間七七四年:2007/03/29(木) 13:33:34 ID:nruq5C5T
3 名前:人間七七四年 投稿日:2007/03/11(日) 15:45:56 ID:8gfIiuQO
上洛の可能性 ↓以下で上洛可能
・信玄が健康で長命
・足利浅井朝倉松永本願寺三好残党六角残党らも包囲網一致協力
・三方ヶ原の戦い後、徳川家を早期に攻略乃至は降伏
・武田軍が甲斐に帰らず1年以上遠征可能
・上杉が空になった信濃、上野を 襲うことは決してない
・北条も軍艦の記載のように援軍を出す
・三河尾張国境の 水野家が離反する
・織田との決戦で勝利する

3 :人間七七四年:2007/03/29(木) 13:33:57 ID:b+5707KL
各国の石高及び動員兵力(石高は太閤検地のもの)
ちなみに、万石あたり250人は比較的低い動員率、
無理すればもっと動員できるだろうがそういう兵力は基本的な守りに残すと解釈。

関東
上野:49万6千石/12400

甲信・中部
甲斐:22万8千石/5700
信濃:40万8千石/10200
飛騨:3万8千石/950
美濃:54万石/13500
近江:77万5千石/19375

東海
駿河:15万石/3750
遠江:25万5千石/6375
三河:29万石/7275
尾張:57万2千石/14300
伊勢:56万7千石/14175
志摩:1万8千石/450

北陸
越後:39万1千石/9775
越中:38万3千石/9500
越前:49万9千石/12500(慶長検地では68万石)
若狭:8万5千石/2125

畿内
山城:22万5千石/5625
大和:44万9千石/11225
摂津:35万6千石/8900
河内:24万2千石/6050
和泉:14万1千石/3550
伊賀:10万石/2500

四国
讃岐:12万6千石/3150
阿波:18万4千石/4570
淡路:6万2千石/1550

各国の石高及び動員兵力(石高は太閤検地のもの)は以下参照
ttp://homepage3.nifty.com/ksatake/

4 :人間七七四年:2007/03/29(木) 13:34:39 ID:nruq5C5T
各国の石高及び動員兵力(石高は太閤検地のもの)
ちなみに、万石あたり250人は比較的低い動員率、
無理すればもっと動員できるだろうがそういう兵力は基本的な守りに残すと解釈。

関東
上野:49万6千石/12400

甲信・中部
甲斐:22万8千石/5700
信濃:40万8千石/10200
飛騨:3万8千石/950
美濃:54万石/13500
近江:77万5千石/19375

東海
駿河:15万石/3750
遠江:25万5千石/6375
三河:29万石/7275
尾張:57万2千石/14300
伊勢:56万7千石/14175
志摩:1万8千石/450

北陸
越後:39万1千石/9775
越中:38万3千石/9500
越前:49万9千石/12500(慶長検地では68万石)
若狭:8万5千石/2125

畿内
山城:22万5千石/5625
大和:44万9千石/11225
摂津:35万6千石/8900
河内:24万2千石/6050
和泉:14万1千石/3550
伊賀:10万石/2500

四国
讃岐:12万6千石/3150
阿波:18万4千石/4570
淡路:6万2千石/1550

各国の石高及び動員兵力(石高は太閤検地のもの)は以下参照
ttp://homepage3.nifty.com/ksatake/


5 :人間七七四年:2007/03/29(木) 13:35:05 ID:b+5707KL
>>2
テンプレ貼ってくれる?
任せるよ

6 :人間七七四年:2007/03/29(木) 13:35:33 ID:nruq5C5T
うはw
テンプレ貼り被った済まない(´・ω・`)
こっちは止めるね

7 :人間七七四年:2007/03/29(木) 13:51:35 ID:722Ebcoy
1572年(元亀三年)十月三日(信玄、古府中を出立)の各勢力の状況

●武田
・甲斐…100%(5700)
・信濃…95%(9690)
*飯山周辺は残す。
・上野…36〜43%(4450〜5375)
*倉賀野、松井田、箕輪など領地は広げているが、ほとんど北西山間部なのがネック。
 面積で言えば4割だが、石高では三分の一程度とする意見あり(上野の平野部は南東)。
 14郡中武田は吾妻郡 碓氷郡 甘楽郡 群馬郡の半分 故に石高的に3分の一 の説。
 利根川以西を領土とすると、これに録野、片岡、多胡郡が加わる。(約四割)
・駿河…100%(3750)
・飛騨…10%(95)
*72年7〜8月に飛騨諏訪城を落としている。これ以前の直接の軍事行動はなし。
 もともと飛騨の豪族は越中の対一向一揆で上杉と仲がいい。諏訪城主江間氏も逃亡
 して上杉氏を頼る。
・越中…?
*68年に松倉(富山)城主椎名氏が武田に降っているが、71年には謙信に落とされている。謙信は73年
 には加賀まで攻め寄せているから、その頃までに越中の武田勢はなくなっていたとみるべきか?
 松倉(富山)城主椎名氏を降すのは『北陸の中世城郭第15号』より1573年1月の可能性が高い
・遠江…7.8%(500)
*遠征前に陥したのは71年に国境の榛原郡小山城(この時高天神や掛川も攻めるが落せず)と犬居の天野氏のみ 天方等はこの時点では未攻略 。
 武田が本格的に東に出てくるのは、氏康が死んで同盟復活する71年後半(正式な復活は71年12月)。
 遠征後は20%ほどに増大
・三河…12%(850)
*足助城を落とし、賀茂郡一部・設楽郡ほぼすべて・八名郡一部を支配。ただし全て山地なのがネック。
・美濃…ほぼ0〜5%(0〜675)
*秋山信友が岩村城を落すのが72年11月。 それ以前に落していた恵那郡の小城を、どの程度に見積もるか?
 18(21?)郡中これだけでは最大5%もないとする意見。

総計25035〜26635
後北条と同盟。義昭や顕如ら畿内の反織田勢力と連絡を取り合う。背後に上杉と上野方面を巡って火種。
ただし、もともと高税率のうえ、69年以降は戦もそれまでの二倍以上。領国の疲弊はすでに始まっていた
とする説あり、ただしソースは少ない。継戦能力にも疑問。

8 :人間七七四年:2007/03/29(木) 13:52:13 ID:722Ebcoy
●織田
・尾張…100%(14300)
・美濃…90%(12150)
*21(18郡?)郡中武田は恵那郡岩村周辺のみ 郡上郡遠藤氏は武田織田を秤にかけて日和見。
・志摩…100%(450)
*ただし、戦力としては水軍衆がほとんどと思われる。
・近江…70%(13563)
*浅井・六角は追い詰め中。他には甲賀郡の土豪と野洲郡のいつ蜂起するか判らない一揆衆。
・伊勢70%(9923)
*桑名・三重郡の一揆衆。配下からも寝返られ、本城も明け渡され乗っ取り進行中の北畠氏を除く。
・三河…10%(728)
*水野氏など、桶狭間以前から織田についていた豪族。

総計51114
この他、畿内各地に協力勢力と敵対勢力あり。義昭とは抜き差しなら無いところまで。堺などの都市も抑える。
若狭の豪族たち(逸見・粟屋・内藤)、大和の筒井他、摂津河内和泉の細川畠山荒木などが味方勢力として存在。
池田和田淡路の安宅などはテンプレ時は旗幟をはっきりさせていない。

●徳川
・三河…78%(5675)
・遠江…92.2%(5875)
*両国とも、武田にどの程度侵略されているか。また調略如何によっては動員はさらに下がるかも。

総計11550
三方ヶ原の戦力を考えれば妥当か。ただし武田軍撤退後、特に遠江では支配率は グンと下がっているだろう。上杉と同盟。

9 :人間七七四年:2007/03/29(木) 13:56:49 ID:722Ebcoy
城址巡りの旅 其の弐
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1172321875/

10 :人間七七四年:2007/03/29(木) 13:57:20 ID:722Ebcoy
■三方ヶ原の戦い後の情勢。

1572年
十二月 二十二日 三方ヶ原の戦い

1573年
一月  三日 武田軍野田城を囲む
北山城や摂津河内の国衆から義昭に付く者が続出する。信長は村井、島田、朝山日乗を講和の使者に出すが義昭は一蹴。
近江志賀郡の石山、今堅田に兵を入れる。
二月 十五日 武田軍野田城を落とす。
二十四日 柴田、丹羽、明智、蜂屋の軍が近江を攻撃。石山、今堅田も数日で開城。

三月 二十五日 信長、岐阜を出陣。
   二十九日 細川藤孝、荒木村重が逢坂に信長を出迎えて忠誠を誓う。

四月 三日〜四日 上京焼き討ち。二条御所を包囲。
   七日 調停の仲介により信長と義昭との和睦なる。
   八日 信長、京より岐阜へたつ。
十二日 武田信玄死去
柴田、佐久間らは六角氏が立て篭もっていた近江愛知郡の鯰江城を攻略。さらに百済寺も焼き討ち。

七月 足利義昭京より逃れる。

八月 朝倉・浅井両家滅亡。

11 :人間七七四年:2007/03/29(木) 13:57:51 ID:722Ebcoy
■この情勢をもとにした推測。

織田は
近江に浅井・朝倉への抑えとして木下、磯野で合計七千ほど、
江南の抑えと京へのにらみに八千ほど、
北伊勢への抑えと尾張の守備に五千ほど、
美濃では岩村への抑えに三千ほど抑えに置くとすれば、
(基本的な任務は守備、現状維持)
計算上は2万8千ほどを対武田に向けられるのでは?

武田は
北信および上野へ対上杉に五千ほど、
美濃岩村の秋山隊が三千ほど、
北条の援軍が二千〜三千で、
合計ニ万〜二万五千ほど?

武田は
北信および上野へ対上杉に五千ほど、石高的には10万石3000ほど
美濃岩村の秋山隊が三千ほど、石高的には6万石1500ほど
北条の援軍が二千〜三千で、
遠征軍合計実数二万五千ほど
信玄率いる遠征軍は石高的には84万石〜90万石で21000〜22500ほど+北条の援軍2000〜3000
+美濃へ入ってくる秋山隊が3000ほど

12 :人間七七四年:2007/03/29(木) 13:58:29 ID:722Ebcoy
その他の勢力 東国

●長尾上杉
・越後…100%(9775)
*ただし、揚北衆特に本庄氏の扱いは微妙。
・上野…10%(1240)
*沼田・厩橋近辺と考えるとこれぐらいか? 武田・北条におされ気味。
・越中…20〜25%(1900〜2375)
*神通川以東(新川郡)松倉・富山は1573年正月まで攻撃中。72年〜73年にかけての遠征によって、越中の大部分を支配下に収める。
この時は越中から加賀にまで攻め込み、顕如から信玄へ援軍要請が行われた。
松倉(富山)城主椎名氏を降すのは『北陸の中世城郭第15号』より1573年1月の可能性が高い
・飛騨…三木氏や江間氏とは友好的。1572年の富山攻めでは江間氏が援軍派遣してる
・信濃…5%?(510)
*飯山城とその周辺は保っていた模様。最大見積もってもこの程度。

総計13425〜13900
・遠征能力○
遠征能力は高いが、北陸へ出陣中。仮に北信・上野に出陣するとしてもメリットは薄い? ただし史実
ではこれ以前も以後も関東への出兵を繰り返している。武田・北条・加賀を敵に回して織田・徳川と同盟。
関東の諸将(佐竹ら)とは疎遠になった。

●後北条
・遠征能力○
武田・上杉と並ぶ大国だが、武田とは同盟中。今回の武田西上でも援軍(二千~三千?)も出している。
数年前まで戦っていたとはいえ、手切れをしてまで武田を攻める事は無いだろう。北関東には他に敵
もいる。

●朝倉
・越前…100%(12500)
*寺社領については、明確な根拠を示さない限り否定されます。
・若狭…?
*守護武田氏は抑えているが意味なし。有力国人である逸見氏・粟屋氏などはこぞって織田について抗争中。
 朝倉軍の一部は粟屋氏の居城を攻撃していた模様。(武藤氏が反織田に回ったが、この時期の動向は不明)

総計12500+?
・遠征能力○
遠征は10000程度は可能か? 現在、越前にフラフラ様子み。70年の講和以降、浅井への援軍以外に
出兵なし。経済疲弊。一部軍役拒否の状態。若狭の支配圏は低下中、むしろ抑えるための兵力派遣
が必要。

●浅井
・近江…9.5〜14.5%(1850〜2825)
*伊香郡、高島郡の半分、浅井郡の小谷、山本山城しか残っていない。
高島郡はもう少し高いとみる説あり。これも考慮に入れた。

総計1850〜2825
・遠征能力△(朝倉が来れば助力可)
単独での侵攻は辛い。木下隊に苦戦。小谷城の眼前に虎御前山砦を築かれて押し込められる。

●六角
・近江…?
*愛智郡鯰江城で逼塞状態。甲賀の土豪がどれほと力になるか?

●松永・筒井(反松永)
・大和(11225、ただし双方合わせて)
*寺社勢力は心情的にも筒井派。土豪も多くが筒井につく。
・遠征能力×(両派とも)
大和で両派が泥沼の抗争中。お互い支援を求めて織田や三好と手を組むことに。
元亀三年の時点では織田の支援を受けた筒井側に有利。松永は押されっぱなし。

13 :人間七七四年:2007/03/29(木) 13:58:59 ID:722Ebcoy
●長島一向宗+国人
計20000?
遠征しないが尾張は目と鼻の先。ただし動きは鈍い。守備力は高い。

●石山本願寺+雑賀衆?
計23000?
遠征準備は謎だが、近江まで歩いて1日。 ただし動きは鈍い。守備力は鬼。本願寺自身は織田と直接
軍事衝突は行っていない(するのは後年)。信長との外交ルートあり。
※もともと本願寺と一揆は別ものであり、絶対的な命令権があるわけではない。各地の一揆はそれぞれ
の権益を守るために支配者に抵抗した。また、兵力には老幼婦女が多数含まれていると考えられる。

●北畠
・伊勢…30%(4253)
*大湊など、伊勢湾の海上交易に大きな影響力をもつ。かつては南伊勢五郡を有したが、織田へ離脱
 するものが出る。
計?
・遠征能力×
織田による内部からの乗っ取り進行中。そのため勢力としては身動きとれない。隠居させられた北畠
具教は面従腹背。武田と接触をとっているが(根拠は不明)、実質どれほど動かせるかは不明(後年、
具教が討たれたときに北畠残党が挙兵するが、一族などの一部に留まる)。
ほとんど織田の一部とみなしてもいいとする意見あり(ただし、信雄が正式に跡目を継いで北畠軍が
織田の一環として行動するのは74年以降)。

●伊賀
六角に協力したり北畠についたり。基本的には中立。

14 :人間七七四年:2007/03/29(木) 13:59:42 ID:722Ebcoy
その他の勢力 三好

三好一族の主だった頭(各国の支配率は不明、動員数は100%の場合)

 畿内
・本家:三好義継 三人衆との関係から信長に従っていたが、義昭と共に敵対する
・三人衆:三好長逸、三好政康、石成友通 これも一枚岩ではない。義継や久秀と
抗争の為に行動をともにしていただけ。特に石成は一人信長についた時期もある。
・三好笑岩 基本的に、四国三好家にちかい。信長以前は本家と戦い続ける。
・三好政勝 管領細川家の家臣。長慶を親の仇と長年争い続ける。

・摂津(8900)
・河内(6050)
・和泉(3550)
*ただし、この全てを三好一族が抑えていたわけではなく、細川、畠山、池田、和田、荒木、伊丹、など
 その他在地勢力が根を張り、反三好から織田につくものも多数いた。他に足利家につくものも多数いた。

総計18500-敵対勢力
・遠征能力×
反織田という形で立場は同じになったが、指揮が統一されたわけでもなく分裂状態のまま。
統一行動は難しいか。


四国
・阿波三好家:三好長治-篠原長房 基本的に、主筋になる細川家と争ったり講和したり。 畿内には
あまり関わらず。播磨方面で抗争があった模様?
・讃岐十河家:十河在保 阿波三好家と行動を共にす。
・淡路安宅家:安宅信康 四国三好家についていたが、1572年には義昭信長につく。

・阿波(4570)
・讃岐(3150)
・淡路(1550)
*安宅信康が織田についてしまったので、これは三好には加えられない。
  離反は確実であるが織田に付いたとも言い切れない。

総計9270-安宅氏の勢力
・遠征能力×
お互いに争ったり結んだり。このころには篠原長房との確執が表面化しだす。73年4〜5月に長房が
討たれた後は抑えられていた豪族たちが反旗を翻すことになる。
四国の三好家関連は、後にほとんど信長に属することになる

 おまけ
●足利将軍家
・山城…?
*北山城の国人が義昭に呼応し、明智の配下から離脱者が出たとの記録あり。また細川藤孝や石成友通
などの勢力もあり。細川・明智は織田勢力とみなしてもいい。和田池田伊丹などは義昭勢力。

総計不明
・遠征能力×(史実でも城に篭った)

15 :人間七七四年:2007/03/29(木) 14:00:34 ID:722Ebcoy
48スレまとめ
>1-11 テンプレ

>12-19兵農分離
>21-106上洛できるか包囲網の実情武田の採るべき行動
>110-151信玄の戦歴信長の戦術能力
>152-214上洛できるか

>215-216善光寺の利権
 >248-252織田武田毛利各包囲網
 >251-266義信事件

>267-426上洛できるか宗教勢力
 >282-286甲越和与
 >307>314古今消息集市川十郎右衛門宛書状

>427-457松姫遠山領
 >449寛政重修諸家譜

>458-500上洛できるか・煽り
 >488-498上洛作戦時の駿河の兵力
>501-598 72年の武田織田の状況、両者の戦力質の差・両者の戦歴の差・上洛できるか
 >539(永禄十二年信玄信長宛書状
>599-650 1570年に織田と開戦したらIF 川中島の戦い

>605-682美濃を制するものは天下を制するか
 >651-666中仙道と美濃攻め
>659-684塩止め
 >668葛山氏元の命令書

>672-685越後攻めと越後の状況
>693-712港金山など石高以外の収入

>713-729信虎と大名権限・義信問題
>730-798上洛できるか
>799-863桶狭間の今川家への影響 山地の産業
>864-908上洛できるか 信玄の死の影響
>909-910江戸時代の武田織田家

16 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2007/03/29(木) 14:10:47 ID:/7EsixjR
48スレまとめの続き
秋山虎繁(信友)の最期1575年11月21日
 >>913「兼見卿記」1575年11月27日
 >>914「信長公記」1575年11月21日

17 :人間七七四年:2007/03/29(木) 14:38:45 ID:wCT1CkNI
※参考資料

武田信玄と上杉謙信は、織田信長に「ヒ素」で毒殺された?
ttp://kirinmen.blog58.fc2.com/blog-entry-1110.html

杉山光男氏の見解によれば、信玄と謙信が「毒殺」されなかったら
信長は二度の包囲網で滅ぼされていたという。いわく「実際の信長は戦に弱かった」
番組スタッフが調べたという「毒を盛った」信玄と謙信の側近(のちに裏切った?)
が誰なのかは不明。


18 :人間七七四年:2007/03/29(木) 14:44:17 ID:CvRIovJj
>>17
高校の日本史教師でもこんなトンデモ説は唱えない

19 :人間七七四年:2007/03/29(木) 14:47:06 ID:nruq5C5T
信玄や謙信毒殺できるぐらいなら、朝倉義景か本願寺顕如をやってるよなぁ
二度の包囲網より、志賀の陣のほうが明らかに苦しいもん

20 :人間七七四年:2007/03/29(木) 15:53:19 ID:vHW0zbz4
信玄は神仏、とくに不動明王を篤く信じていたらしいがその生涯は仏道に背きつづけるものだった

志半ばで駒場で没する
信玄「神仏よ、これが父追放・子殺しの報いなのですか!」
明王「まだた!」

信長を裏切ったために和睦も許されず天目山で御家滅亡
信玄「神仏よ、これが父追放・子殺し・『信玄焼き』の報いなのですか!」
明王「まだだ!」

後世、将軍様マンセー張りの虚像が横行し史実の信玄を直視する者はほとんど無し
信玄「神仏よ、この羞恥プレイが父追放(以下略)の報いなのですか!」
明王「そうだ!」

21 :人間七七四年:2007/03/29(木) 18:11:56 ID:/ORGQMLR
織田厨は武田が織田に兵力で負けてたって言うけど
そんなに差があったのかよ?
この時期の武田は総兵力五万はあったろ
で、織田は六万ぐらいだろ
大して変わらないだろ

22 :人間七七四年:2007/03/29(木) 18:28:47 ID:FJErBN+S
>>20
実像を超えた虚像が横行してるのは信長も同じだけどな。
勢力も崩壊し、嫡流は絶えて分家が一、二万石で江戸時代中細々と続いて他は大抵改易。
複数の分家が高家や旗本になった武田とトータルでみるとあんまり変わらん。
これも仏道に背きまくった報いかね?

23 :人間七七四年:2007/03/29(木) 19:09:59 ID:TVB56Ni+
五万てww

24 :人間七七四年:2007/03/29(木) 19:20:36 ID:0nOPvXOW
>>21
武田は500人役を採用してるんですか?w

25 :人間七七四年:2007/03/29(木) 19:47:25 ID:/ORGQMLR
じゃあ武田と織田の正確な兵力言えよ

26 :人間七七四年:2007/03/29(木) 19:58:21 ID:0nOPvXOW
>>25
テンプレ見ろよww


27 :人間七七四年:2007/03/29(木) 20:00:41 ID:AnyHlaSI
ひょっとして豚か?
豚フィルターは相変わらずすげぃや
実際の兵力を武田側だけ2倍化っていくらなんでも妄想がすぎるぞwwwwww

28 :人間七七四年:2007/03/29(木) 20:07:30 ID:U1PpfC3d
まあ、ここでほざいてる素人どもが何をほざいても、歴史家の間では
信玄が生きてたら信長は負けていたという意見が大多数をしめるんだがなw

29 :人間七七四年:2007/03/29(木) 20:12:10 ID:0nOPvXOW
なんて負け惜しみwwwこれは酷いww

30 :人間七七四年:2007/03/29(木) 20:25:56 ID:FMspKwuw
武田信玄が死なせた武将

武田義信、飯富虎昌、原昌栄、日向昌成、横田高松、浅利信種、板垣信方、板垣信憲、甘利虎泰、甘利昌忠、才間信綱、
初鹿野忠次、初鹿野伝右衛門、大戸民部右衛門尉、小幡信高、小幡信尚、小山田信有、栗原昌清、諏訪頼継、曾根周防
常田俊綱、長坂源五郎、諸角虎定、油川彦三郎、室住昌清、三枝新十郎、山本勘助


武田勝頼が死なせた武将

秋山信友、秋山光継、秋山親久、秋山昌成、秋山万可斎、朝比奈信直、朝比奈信良、安倍勝宝、安部宗貞、跡部勝資、
跡部勝忠、跡部重政、安中景繁、甘利信康、甘利晴吉、雨宮家次、飯尾助友、有賀勝慶、依田信守、依田春賢、市河昌衡
一条信竜、一条信就、今福昌和、今福丹後守、海野信親、浦野重次、浦野重秀、江間右馬丞、江間輝盛、大熊友秀、大嶋長利、
小原忠継、小原 広勝、小原下総守、小幡昌盛、小幡憲重、小山田昌行、小山田信茂、小山田大学、小山田行村、小山田弥助
鎌原之綱、加藤信景、金丸定光、川窪信実、笠井満秀、小宮山友晴、栗田鶴寿、高坂昌澄、高坂昌元、小菅忠元、五味高重、
座光寺貞房、三枝守友、真田信綱、真田昌輝、諏方頼豊、菅沼定吉、菅沼定忠、曾根河内守、曾根掃部助、曾根上野入道、
常田春清、多田常昌、武田信堯、武田信友、武田信綱、武田信勝、武田信実、武田信貞、武田信豊、長坂光堅、土屋昌恒、
土屋昌続、土屋貞綱、内藤昌豊、名和宗安、馬場信春、馬場少輔、原昌胤、孕石元泰、伴野又一郎、日向是吉、日向虎頭、
日向次郎三郎、室賀信俊、望月義勝、望月重氏、望月信永、望月信雅、三浦兵部助、向井伊賀、横田康景、米倉重継、
湯本善太夫、湯本九右衛門、祢津是広、仁科盛信、山県昌景、山県昌満、和田業繁、


信玄が上手くいっても勝頼じゃな・・・・・

31 :人間七七四年:2007/03/29(木) 20:29:34 ID:TVB56Ni+
>武田信玄が死なせた武将

武田義信


ここが根本だろがww

32 :人間七七四年:2007/03/29(木) 20:30:08 ID:sRpyc6kZ
武田の上洛条件で

・信玄が健康で長命
・足利浅井朝倉松永本願寺三好残党六角残党らも包囲網一致協力
・三方ヶ原の戦い後、徳川家を早期に攻略乃至は降伏
・武田軍が甲斐に帰らず1年以上遠征可能
・上杉が空になった信濃、上野を襲うことは決してない
・織田との決戦で勝利する
これらは必須だろうが

・北条も軍艦の記載のように援軍を出す
・三河尾張国境の 水野家が離反する
このへんはどうなんだろう?
これらが成立すれば武田に有利にはたらくけど、なくてもなんとかならないか?

33 :人間七七四年:2007/03/29(木) 20:33:02 ID:TVB56Ni+
そもそも
>・足利浅井朝倉松永本願寺三好残党六角残党らも包囲網一致協力

が成り立っていれば武田は必要無いと思うがな。

ついでに、水野って結構でかいぞ。

34 :人間七七四年:2007/03/29(木) 20:46:30 ID:FJErBN+S
>>30
山本勘介入れるのかい。

35 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2007/03/29(木) 21:05:49 ID:/7EsixjR
水野離反はありえんだろうさ

36 :人間七七四年:2007/03/29(木) 21:12:59 ID:FMspKwuw
>>34
ん?入れて当たり前じゃないの?長く信じられていた架空説は最近じゃ覆ってるし

37 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2007/03/29(木) 21:18:53 ID:/7EsixjR
・・・やばいな。スレの質がやばいくらい落ちてる!!!!!

38 :人間七七四年:2007/03/29(木) 21:19:11 ID:hn7KLeuw
なにを今更w

39 :人間七七四年:2007/03/29(木) 22:04:25 ID:3JVvnPyI
>>30
武田信繁

40 :人間七七四年:2007/03/29(木) 22:31:35 ID:Rzx8xpv3
>>36
いたのは山本菅助って伝令だろ?

41 :人間七七四年:2007/03/29(木) 22:37:59 ID:hn7KLeuw
使い番ってのは相当のエリートなんだよ。

42 :32:2007/03/29(木) 22:45:18 ID:1Ly9Jg11
>>33
>そもそも
>>・足利浅井朝倉松永本願寺三好残党六角残党らも包囲網一致協力
>が成り立っていれば武田は必要無いと思うがな。

工工エエエエ(´Д`)エエエエ工工スレ否定かYO。
ここは武田はどうやったら上洛できるか考えるスレなのに。
まあ彼らが連携できてれば武田はかなり楽になるだろうけどさ。
テンプレ見る限り水野家って三河の10%ほどの勢力みたいだが、徳川に比べればずっと小さい。
徳川がすでに離反していれば水野家の寝返りってあればいいなくらいのものでは?


43 :人間七七四年:2007/03/29(木) 22:57:34 ID:xv7YNrQt
>>41
問題は、そのエリートが他の史料には全くでてこないこと。

44 :人間七七四年:2007/03/30(金) 00:05:36 ID:UPqiEfrz
>>41
エリートだろうけど、使い番って若手将校がやるもんだよね
勘助がやるにはち年がいきすぎなんじゃないかと思う

45 :人間七七四年:2007/03/30(金) 00:24:07 ID:Sd5mQYC/
テンプレの武田の総兵力二万五千ておかしい
武田の上洛軍が二万五千なんだよ
これだと武田は本国の守りを捨て
全兵力を上洛に集中させたことになる
ありえない

46 :人間七七四年:2007/03/30(金) 00:31:07 ID:2UZV326S
48スレまとめ
>1-11 テンプレ

>12-19兵農分離
>21-106上洛できるか包囲網の実情武田の採るべき行動
>110-151信玄の戦歴信長の戦術能力
>152-214上洛できるか

>215-216善光寺の利権
 >248-252織田武田毛利各包囲網
 >251-266義信事件

>267-426上洛できるか宗教勢力
 >282-286甲越和与
 >307>314古今消息集市川十郎右衛門宛書状

>427-457松姫遠山領
 >449寛政重修諸家譜

>458-500上洛できるか・煽り
 >488-498上洛作戦時の駿河の兵力
>501-598 72年の武田織田の状況、両者の戦力質の差・両者の戦歴の差・上洛できるか
 >539(永禄十二年信玄信長宛書状
>599-650 1570年に織田と開戦したらIF 川中島の戦い

>605-682美濃を制するものは天下を制するか
 >651-666中仙道と美濃攻め
>659-684塩止め
 >668葛山氏元の命令書

>672-685越後攻めと越後の状況
>693-712港金山など石高以外の収入

>713-729信虎と大名権限・義信問題
>730-798上洛できるか
>799-863桶狭間の今川家への影響 山地の産業
>864-909上洛できるか 信玄の死の影響
>909-910江戸時代の武田織田家

>913-925秋山虎繁(信友)の最期
 >913「兼見卿記」1575年11月27日
 >914「信長公記」1575年11月21日
>917-928当主の死の影響
>929-999織田包囲網の実情 現在のメディアの歴史知識・信頼性

47 :人間七七四年:2007/03/30(金) 00:31:54 ID:7JWmlivP
NHKそのとき歴史が動いた・第283回
「謙信 恐るべし」
放送日 平成19年4月4日 (水) 22:00〜22:43 NHK総合

番 組 内 容

越後の龍・上杉謙信。生涯70回以上の合戦でほとんど負けたことがない戦の天才である。
しかし、謙信の戦は決して私欲からではなかった。彼は、戦国乱世の秩序回復を本気で志し、
助けを求められば労を惜しまず駆けつけた。その一方で、争いをなくすために国を豊かにしようと
特産品の開発に力を注ぎ、越後を経済大国に押し上げた。
この謙信を恐れたのが織田信長だった。
信長が謙信に贈った「洛中洛外図屏風」。近年の研究で、
この中に足利将軍邸に向かう謙信の姿が描かれていることが判明した。
そこには、必死に謙信に媚びを売る信長の心が透けて見える。
しかし信長の勢力が大きくなるにつれて、両者の関係は崩れていく。
謙信は信長と対立する足利義昭や毛利氏から「反織田同盟」の盟主となる。
そして加賀・手取川で最初で最後の頂上決戦を繰り広げる。
謙信は、この戦いで信長自慢の鉄砲隊を完全に封じ込め、
織田軍の精鋭部隊を完膚無きまでに打ち破り、信長を窮地に追いつめた。
ところが謙信は その直後に死去。歴史は再び信長を中心に回り始める。
信長が恐れた武将、上杉謙信の知られざる実像に迫る。


48 :人間七七四年:2007/03/30(金) 00:32:33 ID:2UZV326S
>>45
>>4にあるように
万石あたり250人は比較的低い動員率、
無理すればもっと動員できるだろうがそういう兵力は基本的な守りに残すと解釈。

49 :人間七七四年:2007/03/30(金) 00:35:47 ID:UPqiEfrz
>>45
テンプレをよく読めば理解できるはずだ


50 :人間七七四年:2007/03/30(金) 08:23:01 ID:Gur5gyya
>>50
武将といいつつ粛清された家督もついで無い長坂源五郎がいたり、上杉家介入前に武田領最北の守りを任されたが村上勢の反撃で討死した於曽源八郎のようなれっきとした城主クラスが抜けていたり
かなりいい加減だな

51 :50:2007/03/30(金) 08:24:03 ID:Gur5gyya
自己レスしてどうするorz
>>30の間違い

52 :人間七七四年:2007/03/30(金) 08:24:35 ID:xZJmLXHe
>>45
テンプレができたときから散々言われてきたことだが、あれはあくまで目安。
武田が万石500人動員すれば五万人動員できるとすれば、
同じ条件下では織田は十万人動員できる、という感じ。

53 :人間七七四年:2007/03/30(金) 08:49:00 ID:Gur5gyya
武田領は上杉や後北条といった強敵や先年までの敵に囲まれてるからな
北信濃あたりには守備兵力を残さないといけないだろうし、上野や飛騨も加減を要する
地理的に西進兵力としてもっとも適当と思われる駿河からの目立った動員がほとんどないのは反乱を警戒してかな?

54 :人間七七四年:2007/03/30(金) 09:19:07 ID:xl7TwOcr
【☆無敵☆】武田家の輝かしい戦歴【☆騎馬軍団☆】

1541年5月 信玄、信虎、村上義清に従い海野棟綱を攻める。とっとと帰りオヤジに怒られる。
   6月 オヤジ狩り開始。武田信虎追放。
   7月 諏訪頼重との同盟を一方的に破棄、名門諏訪家を攻め滅ぼす。
      12歳の幼女である姪の諏訪御料人を愛人に迎える。2年後出産。

1547年7月 志賀城大虐殺 笠原清繁の篭る志賀城を攻める。野戦で討ち取った雑兵三千の首を槍に刺し
      棚に並べ降伏を迫る。逆らう者を皆殺しにし、城内にいた者は全て奴隷として二貫文から十貫文で売却。
      男は黒川金山へ送り死ぬまで働かせ、女は女郎として売りさばく。

1548年2月 上田原の大敗 村上5000を上回る7000もの大軍で戦に挑むも先陣を包囲され殲滅。
      副将板垣、速攻で討ち死に。さらに怯んだ所を中央突破を受け、重臣甘利、才間、
      初鹿野伝右衛門を討ち取らる。さらに信玄自身も本陣に乗り込んできた敵勢に切り付けられ重傷を負う。
      将兵700も討ち取られる大敗。対する村上の被害は300程度。
      この戦によって反武田勢力が力を盛り返し窮地に陥る。
      平定に二年も費やし無駄に時間と軍費を費やす。逆らう者を皆殺しにしたため反感を買う。
      後の長篠大敗の後の信濃大離反の火種を作成。

1550年10月 戸石崩れの大敗 原虎胤のみならず信玄自身も偵察に赴き、万全の体勢を築き上げ、
      かつ、村上義清が高梨と交戦中の絶好の留守の機会に奇襲をする。しかし、つい先程まで高梨軍と
      死闘を繰り広げ疲弊していた村上軍が急遽来襲。圧倒的に有利でありながらまたも大敗。
      将兵1000を失い、信玄がその才能に期待していた未来の有望株であった横田高松が討ち死に。
      信玄は後年まで酒を飲むとこの者を失った悲しみを周りの者に語った。

1551年10月 小岩岳城大虐殺 小岩岳城に奇襲をかけるも失敗。後年、その恨みか落城の際には降伏さえ許さず城兵500を
      皆殺しにし、かつ、老人、女、子供に至るまでを奴隷として売りさばく(妙法寺記より抜粋)
      そのため現在でも落城の日である8月12日には慰霊祭が行われている。
      
1552年3月 村上義清との信州常田合戦で小山田 信有、小山田 昌辰、栗原昌清、討死


55 :人間七七四年:2007/03/30(金) 09:19:55 ID:xl7TwOcr
1553年4月 第1回川中島の戦い(布施の対陣) 更級郡八幡で戦うも長尾軍の猛攻により一時撤退。
      高坂、奇襲をかけるも村上義清にボロボロにやられる。
      後に甲陽軍艦において見事なまでの捏造で挽回をする。
   8月 軍を建て直し川中島で戦うも越軍の連夜の夜襲に悩まされる。
   9月 謙信に敗れ、筑摩、埴科郡に侵入され、荒砥城を落とされる。
      信玄塩田城に怯えて篭る。謙信暴れるだけ暴れて帰還。
      そのまま兵2000もの大軍を率い信玄が果たせなかった京へと上洛。

1554年7月 伊奈郡神之峰城主 知久頼元、座光寺氏が謀反。国内が乱れる。

1555年7月 第二回川中島の戦い(大塚の対陣) 再び越軍の夜襲に毎夜被害を出す。
      信玄対抗して1000の別働隊を善光寺方面より向かわせ夜襲をかける。
      が、見破られ手痛い被害を出す。ウサ晴らしに善光寺より本尊を強盗。
      兵糧が底を尽き始める。今川に救援物資を頼む。が、それも底をつく。
      必死に今川に頼み込んで旭山城を撤去する事でなんとか和睦。
      後年、この恩を忘れ今川家を滅ぼす信玄であった

1557年1月 第三回川中島の戦い 村上義清の守る飯山城を攻略。失敗
      謙信まで出陣してくる事となり上田西方坂城、岩鼻付近の武田軍を撃破される。
      信玄出陣するも決着付かず。

1558年4月 信玄自ら武田軍二万を率い上州に侵攻。業政が吾妻に出陣している留守を狙うも、
      業政は間道を使って直ちに帰還。業政に蹴散らされ、翌日には食糧を焼かれ弾薬を爆発され
      軍を維持できなくなり即座に撤退。
      
1559年9月 飯富虎昌に安中城を攻撃させ、信玄は和田城の攻略に当たる。業政は援軍として駆けつけ
      奇襲を行い信玄の陣を混乱に陥れる。反撃とばかりに雉郷城を取り囲むも空城。
      長野業政は鷹留城の部下に策を与えて箕輪城に帰還。信玄は追撃しようと鷹留城を攻めるも
      反撃を受け撤退。撤退中に伏兵を受け惨敗。兵五百を失う甚大な被害を出し撤退

1560年1月 再度箕輪城を取り囲んだが、飢えと寒さに苦しむ中、さらに安中忠政に
      糧道を断たれ、長野業政の総攻撃を受け、たまらず撤退。
   11月 武田一門の勝沼信元謀反。処刑。


56 :人間七七四年:2007/03/30(金) 09:20:34 ID:xl7TwOcr
1561年5月 海野、香坂、仁科が上杉に内通。全て殺害し息子や家臣に跡を継がせる。
9月 第4回川中島の戦い 上杉12000、武田23000、上杉は数ヶ月前まで関東に遠征をし、
      疲弊をしている圧倒的優位な戦。
      啄木鳥戦法にて奇襲を行うも簡単に奇襲を読まれ、信繁、諸角、油川彦三郎、
      室住昌清、三枝新十郎、初鹿野忠次、山本勘助討ち死に。
      信玄自身も本陣にまで切り込んできた荒川に切りつけられる。
      死者では上杉の1,5倍、負傷者では二倍近い損害を出す。
      
1565年9月 義信、飯富虎昌、謀反を起こそうとしたため処刑。国を傾けた大いなる要因となる。

1568年7月 謙信と同盟を結んでいた本庄と共謀し、大軍を率いて越後を攻める。
      が、しかし越後以前の北信濃、村上義清の守る少数の小城である飯山城でさえ落とせず。
      仕方なく撤退。駿河に侵攻。

1569年4月 合戦に敗れたため、駿河を放棄して帰還

1571年1月  駿河興国寺に奇襲をかけるが見破られ敗退。深沢城攻略も失敗。全軍撤退

1573年3月 信玄、2万5千もの大軍を率いて高天神城を攻める。が、失敗
4月 信玄没。死後娘婿の二人に裏切られる。奥平信昌、長篠城ごと徳川に寝返る
   8月 武田信廉、山県昌景、穴山信君、北遠江へ侵攻。徳川の伏兵にあい敗北

1575年5月 長篠の戦い
      死者7000、山県昌景、内藤昌秀、馬場信春、甘利信康、五味高重、安中景繁
      真田信綱、昌輝、原昌胤、望月義勝、香坂昌澄、土屋昌続、川窪信実、和田業繁、
      三枝守友、名和宗安、横田綱松、祢津是広、武田信実、討ち死に
   11月 秋山信友、大嶋長利、座光寺貞房、討ち死に

57 :人間七七四年:2007/03/30(金) 09:21:27 ID:xl7TwOcr
1579年9月 武田勝頼、武田信豊3000の兵を沼津に置き、徳川氏との対決のために出陣。
北条氏牽制のため富士川付近で陣を取る。が、大雨により1万2000人が溺死(武徳編年集成より)
徳川軍、駿河の持舟城を落とす。三浦兵部助、向井正重討ち死に。

1581年2月 勝頼、1万6000もの大軍を率いて高天神城の救援に伊豆に入る。三島において北条氏政の妨害にあい、
甲府に引き上げる。3月、高天神城の岡部長教ら688名の城兵全て討ち死に。

1582年1月 木曽義昌、武田に謀反、織田に寝返る。 
   2月 武田勝頼二万の兵を率いて出陣。木曽義昌に鳥居峠で大敗。曾根覚雲斎謀反。武田信豊死亡
      17日、松尾城の小笠原信嶺が反旗を翻し平谷陥落。
      18日、保科正直、飯田城を捨て逃走。信廉、戦わずして大島城を捨て逃走。20日、田中城落城

   3月 難攻不落の名城、高遠城1日で陥落。仁科盛信、小山田昌行、今福昌和、原貞胤、武田竜宝、
      武田信綱、武田信堯、一条信就、山県昌満、朝比奈信直、諏方頼豊、一条信竜、討ち死に。
      武田勝頼、盛信、信勝、信貞、信友、海野信親、跡部勝資、土屋昌恒、安部宗貞、小宮山友晴、
      滝川一益に討ち取られる。
      武田信豊、小山田信茂、長坂光堅、一条信就処刑
   4月 織田軍による武田残党狩り開始。武田信玄の六男、葛山信貞、織田信長によって善光寺で殺害
      武田残党は恵林寺ごと焼き殺され皆殺しにされる。 

      武田家唯一の生き残り武田信清、武田家滅亡時にその縁故を頼り、上杉氏に仕える。
      江戸時代まで代々、上杉家の下層家臣として飼われる。

58 :人間七七四年:2007/03/30(金) 09:21:59 ID:xl7TwOcr

・長篠の戦い

武田軍戦死武将 

甘利信康 安中景繁 小幡憲重 川窪詮秋 川窪信実 鎌原之綱 五味高重 高坂昌澄 三枝守友
土屋昌次 土屋直規 武田信実 真田信綱 真田昌輝 禰津是広 常田春清 室賀信俊 原昌胤
馬場信春 望月信雅 望月義勝 望月重氏 望月信永 名和宗安 内藤昌豊 山県昌景 横田康景
横田綱松 米倉重継 和田業繁

 
織田、徳川軍戦死武将 

鳥居強右衛門 松平伊忠




(´,_ゝ`)プ


59 :人間七七四年:2007/03/30(金) 09:26:43 ID:Gur5gyya
だからなんで同心頭に過ぎない米倉丹後守や、足軽に過ぎない鳥居が武将扱いなんだってばw
そりゃ鳥居の子孫は家老に出世しているけども

60 :人間七七四年:2007/03/30(金) 09:27:27 ID:n5FXdvuH
メガトンはバイトでも行ったか
居なくなればなったでスレが沈静化するのよね

61 :人間七七四年:2007/03/30(金) 11:20:53 ID:+FHESrsY
兵士の数が合わないよな・・・上の長文年表

62 :人間七七四年:2007/03/30(金) 11:25:39 ID:vQODjHa9
>>22
大名と旗本が同レベルってw
なんで無理矢理信玄=信長としたいわけ?
煽り相手に必死になってるってことは矢張り武田厨にとっては信玄の不孝と子供殺しはかなりのトラウマなんでつねw

63 :人間七七四年:2007/03/30(金) 12:01:35 ID:akxJ4WZv
親父を追放したものの、その親父と変わらないと民から嘆かれ。
縁戚筋を裏切りまくり、最後は息子や親類衆まで粛清せざるを得なくなる。
一方で謙信の居留守を狙ったのに負けて逃げ、盟約破りをきっかけに包囲を喰らう。
そして泣きついたところを助けてくれた信長の恩義をやっぱりあっさり裏切ったせいで一族壊滅に追い込まれる。
戦国時代の過酷さをある意味体現した人生。
まぁ、幼女を無理矢理側室にとか好き勝手もやってるけどW

64 :人間七七四年:2007/03/30(金) 13:56:49 ID:Er5hpMSY
織田厨が必死に自演を繰り返し歴史の改ざんをしてマスw


65 :人間七七四年:2007/03/30(金) 14:01:42 ID:7JWmlivP
これでも観てろ。

※参考資料

武田信玄と上杉謙信は、織田信長に「ヒ素」で毒殺された?
http://kirinmen.blog58.fc2.com/blog-entry-1110.html

杉山光男氏の見解によれば、信玄と謙信が「毒殺」されなかったら
信長は二度の包囲網で滅ぼされていたという。いわく「実際の信長は戦に弱かった」
番組スタッフが調べたという「毒を盛った」信玄と謙信の側近(のちに裏切った?)
が誰なのかは不明。


66 :人間七七四年:2007/03/30(金) 18:05:58 ID:r2b5ueMe
歴史の改竄は徳川幕府と明治政府の十八番だと聞いてますが。
他にもあるがこれ以上発言すると削除されかねんwwww

67 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:16:45 ID:H4VngCHj
当時の人間達には石高や経済力、
ひいては各勢力の軍事力がどの程度か理解できないから
風聞や情報収拾他者からの書状から判断するのだろうけど
情報収拾しても相手の石高なんて支配してる大名にだって把握できていないのだから

1572年当時
織田は尾張美濃・伊勢半国・近江半国・山城半国の3.5国
武田は甲斐信濃駿河・西上野の3.5国

これだけ考えるなら大した差なんて無いと考えたのでは?
直接戦いさえすればある程度相手の軍事力も掴めるだろうけど
織田武田は1565年に戦ったきり
尾張美濃だけで武田の全領土を上回っていると言うのは想像し難かったのでは

と考えてみたがどうだろう

68 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:32:06 ID:WHzwDyXk
>>67
検地を行っていないから正確な石高はわからんでも、
おおよそは推測できたんじゃないか?
それに信長が領国としていた国ははどれも富国だという事は
はるか昔から知られていたことだと思うしね

美濃+尾張>>甲斐+信濃+駿河
↑当時の人もこれくらいは判断できたと思うよ

69 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:34:16 ID:hdD2n0DD
>>67
畿内や近江、伊勢が特に豊かな国であるのは当時でも常識。
正確な数値は把握できないだろうが同じ3,5国なら織田が圧倒的に有利、
というくらいは農民にでも分かること。

70 :人間七七四年:2007/03/31(土) 01:35:09 ID:WHzwDyXk
そもそも石高以外に人口・経済でもかなり開きがあるとかは
間者の報告で分かることだし

71 :人間七七四年:2007/03/31(土) 02:12:25 ID:H4VngCHj
>>68
はるか昔だと一応信濃上野のほうが尾張美濃より豊か
甲斐とかも尾張美濃どうようの各付けだったと思う

>>69
畿内が豊かなのは分かるだろうけど
浅井六角公方松永本願寺からの書状だと
その豊かな畿内や近江は反織田の影響が強いことになっていて
織田はそれほど豊かじゃないと武田は思うんじゃ
1572年の朝倉の出兵も浅井に伊勢で織田が壊滅したと言う書状を受け取ったからという
話しもあるし

>>70
本当に間者の報告でそんなことまで分かるのだろうか
都市が豊かとかならともかく人口や石高は多くの村村歩いて総合的に判断しない
推定は難しいと思うが

それに豊かと思われていた駿河も石高では15万石しかなかったし

72 :人間七七四年:2007/03/31(土) 02:17:18 ID:H4VngCHj
ちなみにそれほど本気で考えているわけでもないんで
ただ経済力の差や包囲網の実情を知ってる後世の人間と違って
武田は包囲網勢力の甘い言葉と
国ごとの石高の差があまり分からないから
そこらへんにも武田が織田との開戦という間違った判断を下した
原因があるんじゃないかと思っただけです

73 :人間七七四年:2007/03/31(土) 10:00:55 ID:/eZWe8hy
>>72
もしそうなら、信玄の評価はがた落ちだな
敵情も知らずに喧嘩ふっかけるなんて、戦略的にあるまじき行為だ

74 :人間七七四年:2007/03/31(土) 10:14:24 ID:PZ1pt2ky
用兵の妙を知る信玄にとって国力からくる動員兵力とかは関係ないけどな。上杉や北条どころか佐竹や里見だって相手が大軍だろうと気にしないで立ち向かうし。
織田厨が必死に貶してるようだが畿内弱小大名と強豪関東大名との差を早く認識しろよ。

75 :人間七七四年:2007/03/31(土) 10:21:54 ID:Swc2fPbv
全くだ
そもそも口臭兵は尾張の弱兵の三倍から五倍は強いといわれてるし


76 :人間七七四年:2007/03/31(土) 10:34:09 ID:q0K/hpkG
信玄が後数年生きていれば、とかいうけど
信玄は信長より十数年早く生まれてるんだよね。しかもより恵まれた環境で大名になった
要するに器量の差
信玄はその生涯のほとんどを多方面作戦に費やした。信濃侵略中から、半国の勢力も持たない相手に苦戦したのもそれが原因
父祖の代からの敵である松平氏と早々に同盟して主攻を美濃一本に固定した若年の信長に既に戦略能力で追い越されている
もし信長仲介なくして実現しなかった甲越和睦をもっと早く自力でできていたら話はまた変っただろうけど、それこそ武田厨が妄想する用兵の妙だの兵の強さだのと同レベルの希望的観測w

77 :人間七七四年:2007/03/31(土) 10:45:36 ID:CGwOqtLx
信濃や甲斐には金山がたくさんあるしな。
穴堀り衆は城攻めでもいつどこから侵入されるか、水の手を切られる脅威の心配をさせたり相手を精神的に圧迫を加えられ有利になるしな。
まっ山城とちがって浜松城や岡崎城なんて平山城だからマジで攻めたらそんなに苦戦しないよ。
だいたい大軍で籠城したら食料や水など徳川はどこまで持つのかね。

78 :人間七七四年:2007/03/31(土) 10:52:33 ID:uRmBSLdI
>>74
>用兵の妙を知る信玄にとって国力からくる動員兵力とかは関係ないけどな。
そうそう!津本陽も言ってます!
>上杉や北条どころか佐竹や里見だって相手が大軍だろうと気にしないで立ち向かうし。
そうです!信長だって今川に立ち向かってます。74さんの言う通りです!
>畿内弱小大名と強豪関東大名との差を早く認識しろよ。
そうです!日の本の中央と東国の僻地では全然違います。
無意味な戦いを終生やってりゃ良いんです。気ずいた時には
小田原評定です!西上なんて無茶せず館で寝てれば良かったんです!

79 :人間七七四年:2007/03/31(土) 10:56:40 ID:q0K/hpkG
>>77
信玄が六回攻めて六回とも撃退された箕輪城は平山城なんだけども(;^ω^)

80 :人間七七四年:2007/03/31(土) 11:04:19 ID:PZ1pt2ky
>>79
関東のレベルの高さがよくわかる事例だな

81 :人間七七四年:2007/03/31(土) 11:06:12 ID:WHzwDyXk
穴掘り衆って城攻めでそこまで有効的に使えるの?
城攻めの天才秀吉が穴掘り衆を活用してたって聞いたことがないし
誰かおしえてくり

82 :人間七七四年:2007/03/31(土) 11:06:45 ID:q0K/hpkG
>>80
はぁ?どこをどうしたらそんなギャグになるんですか?w

83 :人間七七四年:2007/03/31(土) 11:21:11 ID:PZ1pt2ky
おまえ碓氷峠を超えたあとも難所つづきでその果てに榛名山の裾に築かれた城だろが。そういうのを要害城ってんだ。

84 :人間七七四年:2007/03/31(土) 11:27:22 ID:PZ1pt2ky
>>81
秀吉が穴掘り衆を連れて運ぶわけないだろ。金山開発してないんだから。

85 :人間七七四年:2007/03/31(土) 11:32:24 ID:q0K/hpkG
>>84
秀吉は有名な佐渡はじめとして全国の金山を直轄地にして開発したじゃないか
貴重な技術者である金山堀を戦場に投入するような真似をしなくても済んだだけ

86 :人間七七四年:2007/03/31(土) 11:40:48 ID:WHzwDyXk
>>84
野田城攻め以外で金山掘りを投入してたことあったっけ?
そんなに有効的なら、野田城以前にも投入してるだろ
俺が知らんだけかもしれんが…


87 :人間七七四年:2007/03/31(土) 11:42:38 ID:dQ28mWyT
>>83
それを言ったら、浜松城は当時としては珍しい石垣城なんですが・・・

88 :人間七七四年:2007/03/31(土) 11:54:22 ID:dT1iUFFY
浜松城を落とせないと踏んだから攻撃しなかったんでしょ
野田城なら落とせると思ったんだろうけど結局長引いたし、城攻めの準備はあまりしてなかったんじゃないの?

89 :人間七七四年:2007/03/31(土) 12:02:34 ID:PZ1pt2ky
>>85
それはずっと後年のこと。
>>88
野田に進出したのは浜松城・吉田城・岡崎城のどれを攻めるか家康を惑わす為。

90 :人間七七四年:2007/03/31(土) 12:02:59 ID:l/jk1XMG
いや、信玄公ならいつでも穴を掘れる。準備など必要ない

91 :人間七七四年:2007/03/31(土) 12:12:21 ID:dT1iUFFY
>>89
それは憶測でしょ。根拠史料でもあるの?>惑わす為
だいたいそんな真似しなくても徳川家康本人のいる城を落として捕えるなり殺害するなりすれば、徳川領は壊乱する
野戦兵力が散逸した浜松城さえ避けざるを得ない程度が、少なくとも武田の自己に対する判断だったってことでしょ
戦役自体を止めたわけじゃないんだから徳川打倒自体を諦めたはずないのに、もっとも美味しい敵本城は除けたんだから

92 :人間七七四年:2007/03/31(土) 12:13:41 ID:vs7w4SGW
>>90
もうそんな書き込み出尽くしたから信玄の石高は100万石程度のものでしかない

93 :人間七七四年:2007/03/31(土) 12:20:23 ID:Et3aS2dH
つまり、三方原で叩いてもなお徳川は組織的戦闘力を維持したままだったので、武田軍としては浜松城を攻略する目途がたたなかったということやな

94 :人間七七四年:2007/03/31(土) 12:32:27 ID:2Hhlg/On
>>90
そうだな。
高坂の穴掘りまくってたしな。

95 :人間七七四年:2007/03/31(土) 12:32:45 ID:ETVuqWS8
>>92多分それネタにマジレス。

96 :人間七七四年:2007/03/31(土) 20:15:09 ID:s9USCrTB
信玄は「喪を秘せ」と遺言したという(出典が怪しいものばかりで本当かどうかは不明だが)
だけどこれってかなり身勝手じゃないの
信玄西進を真に受けた足利義昭は蜂起したが、孤立無援であっさり撃破された
味方に正確な情報を伝えなかったばかりに、畿内の織田への足絡みが無くなって武田家自体が滅亡する破目に

97 :人間七七四年:2007/03/31(土) 20:54:52 ID:Et3aS2dH
武田領は高い税金でいっぱいいっぱい
それでも勝頼時代は、軍資金不足であっぷあっぷだったというくらいだからな
やむを得ない面もある


98 :人間七七四年:2007/03/31(土) 20:59:00 ID:6uMQeJpg
信玄はなんで織田ともめるような事をしたんだろうな。
とりあえず4つほど理由を考えたが

1.徳川潰してその後織田と和睦するつもりだった。
2.畿内の正確な情報をもってなかった。
3.びっくりどっきり大作戦があった。
4.人生も終わりだし夢がみたかった。

どれなんだろう。

99 :人間七七四年:2007/03/31(土) 21:01:22 ID:s9USCrTB
>>98
自分より若年の信長の大成功に嫉妬したからじゃないの?

100 :人間七七四年:2007/03/31(土) 21:05:46 ID:323m4ooz
個人的には1に2の要素がプラスされると思う
今川を潰した後に北条と和睦できた成功体験がベースにあったのではないか
織田が大規模に援軍を出せない内に徳川を潰し
畿内の対応に忙殺されている織田と再度同盟

101 :人間七七四年:2007/03/31(土) 21:44:18 ID:hdD2n0DD
織田が徳川を見捨てると思ったんじゃね?
織田の同盟相手は武田と徳川両方。
普通に考えれば徳川より武田を選ぶだろう、と。


手一杯の織田はこれ以上敵を増やしたくないはず

今俺が徳川攻撃しても織田は黙殺するだろう
(実際それに近い対応になった)

むしろ織田は武田と結んで徳川を滅ぼそうとするだろう。
織田も徳川領欲しいだろうし、少なくとも俺ならそうするんだぜ。

あれ?信長が徳川を裏切らないな。ちょっとつついてやろう。秋山、岩村攻略してこい。

予想に反して信長激怒

そんな流れを妄想してみた。

102 :人間七七四年:2007/03/31(土) 21:59:44 ID:ETVuqWS8
どうせなら最期にでかい花火を
死後↓
あ、あれ?

103 :人間七七四年:2007/03/31(土) 22:04:38 ID:WHzwDyXk
>>101
信長が激怒

あわわ、どうしよう…

よし、わしは死んだことにする

勝頼、後は任せたぞ!!

こうして信玄は甲斐の秘湯で余生を過ごしました

おしまい



104 :人間七七四年:2007/03/31(土) 22:13:05 ID:uRmBSLdI
>>99
同意!謙信に先を越され信長も上洛して勢力を拡大しつつあるのを
流石に我慢出来なくなった。野球で言えば秋になり首位と10ゲーム
差位あるのに残り全勝して優勝してやると監督が妄想こいてるような
感じだね。

105 :人間七七四年:2007/03/31(土) 22:17:32 ID:NyWdlwro
あの時代、死期ってどんくらい把握できるんだろ?
毛利元就、北条氏康などは後継問題をしっかりしてたけど
信玄は余り力入れてないよね。
今川・北条にあれだけ時間かかったのに勢力比は2倍はありそうな
徳川・織田相手に自分で決着つける気だったのかな。
3はスゲー興味あるけど時間がないしなぁ…

106 :人間七七四年:2007/03/31(土) 22:45:20 ID:PfbfxSvk
>>103
三年間喪を秘したのではなく
三年間死んだふりして余生を過ごしたってわけかw

107 :人間七七四年:2007/03/31(土) 22:49:43 ID:hdD2n0DD
>>106
誰ウマッ

108 :人間七七四年:2007/03/31(土) 23:09:52 ID:l/jk1XMG
>>98
5.本多君が欲しかった
6.蘭ちゃん激LOVE強奪作戦
7.「べ、別に謙ちゃんが相手してくれないから上洛するんじゃないからね!カアアアアア」
8.とりあえず人殺したかった
10.あと50年生きるつもりだった

109 :人間七七四年:2007/03/31(土) 23:15:28 ID:2Hhlg/On
>>108
9はどこへ行ったwwwww
代わりに書いておこう。

9.カッとなってやった。今も後悔していない。

110 :人間七七四年:2007/03/31(土) 23:26:08 ID:WHzwDyXk
そろそろ家臣達の慰安旅行の季節だな

2万5千人の超大型団体旅行を企画

行き先は今流行の京にしよう

ルートは東海道を選択

わくわく

「殿ー!!織田殿、徳川殿が何を勘違いしたか、我らを敵と思うておりまするぞ!!」
「げげげー!!ただの慰安旅行なのに…」

「至急使者を送り、事情を説明しましょう」
「おのれ我らの旅行を邪魔しおるのか!!」
「と、殿…?」
「こうなったら意地でも京まで行ってやるもんね!!このまま進軍じゃー!!」
「ちょ…殿ー!!!」

こうして武田家の慰安旅行は地獄の淵まで続くのであった…

111 :人間七七四年:2007/03/31(土) 23:44:18 ID:Swc2fPbv
ツマンネ

112 :人間七七四年:2007/04/01(日) 00:22:16 ID:EQArcqbU
>>98
後にも先にも
織田が一番やばかったのがこの時期
で織田を潰せなかったのではなく包囲網の大名も
遠隔で繋がり薄く、敵の敵は味方な関係で力を貸すまでもなかった。
織田を攻める大義名分ていうより、真の目的の徳川を攻める口実ができた
しかも、北条の力も借りれて都合がよかったのでね


113 :人間七七四年:2007/04/01(日) 00:38:58 ID:B07YuBsS
>>112
いや、この時期より
この直前、志賀の対陣あたりの方が織田にとって抜き差しならない
そのころ、北条の駿河介入と徳川の意地を軽視したために
自ら抜き差しならない状況に陥っていた信玄は間が悪いとしか・・・

114 :人間七七四年:2007/04/01(日) 00:54:46 ID:sZG00rUd
志賀の対陣と桶狭間、第一次包囲網、第二次包囲網
信長にとっての危機はこの4つだとどうランクできる?

115 :人間七七四年:2007/04/01(日) 01:12:30 ID:dskWh2eo
危険度で挙げれば
桶狭間>志賀の対陣>第一次包囲網(武田出陣前後)>第二次包囲網(毛利、上杉参戦)

・桶狭間は存亡の危機
・志賀の陣は、領国とも切り離され孤立無援
・武田に対しては、畿内の全てを捨てることができれば対処は可能
・当時は本願寺は篭城モード。上杉、毛利には畿内にまで攻め込んでくる力はない

116 :人間七七四年:2007/04/01(日) 01:16:08 ID:bs87hsCQ
>>115
同意。
でも難易度だと志賀の頃が一番な気がする。
単に桶狭間のような戦術的勝利だけじゃなく、
戦略、外交、統治など総合的な能力が求められるという意味で。

117 :人間七七四年:2007/04/01(日) 01:21:09 ID:s8euHlHs
織田家と敵対戦力比は
桶狭間>志賀の陣>第一次包囲網>第二次包囲網かな
状況は桶狭間が絶望的だけど
志賀の陣以降、単独で織田家と同じ戦力を持つ敵対勢力はいないし

118 :人間七七四年:2007/04/01(日) 01:23:28 ID:s8euHlHs
リロってなくて被った…

119 :人間七七四年:2007/04/01(日) 01:29:53 ID:7A9TKemt
武田幕府
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1159965965

120 :98:2007/04/01(日) 01:58:15 ID:6YnFgkp8
>>112
98は志賀の陣の時うごけなかったのに何故いまさらうごいたのかってことす。



121 :人間七七四年:2007/04/01(日) 02:25:34 ID:s8euHlHs
武田の事だよね
その頃、武田は北条と駿河、徳川と遠江をめぐり争ってた時期
一時は北条・上杉・徳川と敵対し窮地に陥ってるし
その後は>>112 >>101の流れでいいんじゃない

122 :人間七七四年:2007/04/01(日) 09:56:08 ID:Su/cZsnD
武田は織田、上杉と違ってガンガンに関所作りまくりで税金取りまくりだから
情報の流入量は限られているから織田の状況分からなかったんでないの。
上杉は何考えてんのか流入と同時に流失もしていたナイスなお家。流石天然

123 :人間七七四年:2007/04/01(日) 10:24:23 ID:sZG00rUd
>>122
織田は流失してなかったの?
おしえてください

124 :人間七七四年:2007/04/01(日) 10:58:31 ID:BNgeKVJx
なにこのキモヲタの巣窟スレw
織田信長は日本最高の過大評価スレがあるだけあってもの凄い過大評価っぷりでキモイな…ただ運が良かっただけの男をよくそんなにマンセーできるのかとw

125 :人間七七四年:2007/04/01(日) 11:07:20 ID:Su/cZsnD
>>123
姉川とか長篠とか上洛した!とかの喧伝に使っている。

126 :人間七七四年:2007/04/01(日) 11:44:00 ID:2VZKNzQi
信長は最悪な大量殺戮者で戦略もクソもない。
こういう人間の末路は家臣の裏切りと家の乗っ取りってのはお約束。
不必要なまでのジェノサイドを肯定する織田厨は心の病にかかりすぎ。

127 :人間七七四年:2007/04/01(日) 11:45:12 ID:UgQDV+kF
>>126
アホ

128 :人間七七四年:2007/04/01(日) 12:20:45 ID:sZG00rUd
>>124
どう思おうが個人の自由だが、
それをわざわざ書き込むお前みたいな奴が一番きもいんじゃないか?
と釣られてみたww

129 :人間七七四年:2007/04/01(日) 15:04:43 ID:pQCyijja
最近豚が出現しないと思ってたら単にスレ見つけられなかっただけなんだな。
ジェノサイドは否定しつつ奴隷売買は肯定するお花畑な頭に乾杯。

130 :人間七七四年:2007/04/01(日) 15:21:38 ID:s8euHlHs
>>126
なんか嫌な事でもあったのか?いつか分かり合えるダチに会えるよ。
あんま捻くれてると周りから孤立すんぞ

131 :人間七七四年:2007/04/01(日) 17:02:15 ID:1k4cq9Ue
>>126
釣り行為を楽しいと思っているのか?
釣り行為が楽しいなんて性根が腐っていると自分で思わないのか?
まさか、たまたま気晴らしに釣りをしているだけで、
自分が内面的に優れているとか思ってないよな?

132 :人間七七四年:2007/04/01(日) 22:08:29 ID:SaUAZYYr
メガトン級大爆笑!!アハハハハハハハハハハ

へタレ信長って自力で包囲網を脱出したことあるんですか?
信玄が死に、謙信が死ぬなどしたおかげだというのは誰しも認識してる事ですね。
信玄は、駿河攻略以降の包囲網を見事に外交戦略を駆使して自力で解決したんだ
よねえアハハハ。
その後、家康を抑え浜松城を孤立させて織田徳川の挟み撃ち作戦を粉砕し、三河
の一揆や信長の家臣団などと内通し、織田徳川領を侵食しつつ包囲網の巨大な勢力
として信長をどんどん苦しめていく、歴戦の戦上手である信玄相手に、信長では勝てない
というのは誰しも認識してること。
どこをどう見ても信玄があのまま生きてたら信長は滅ぼされてましたね

133 :人間七七四年:2007/04/01(日) 22:18:37 ID:v/TRLR35
お前の論破されきった事を未だに上げる図太さにワロタw

134 :人間七七四年:2007/04/01(日) 22:19:12 ID:UgQDV+kF
もはやかける言葉が見つからん

あ、1つだけあった 精神病院へ行ってきなさい え?俺は正常だって? 異常な人はみんなそういうんです

135 :人間七七四年:2007/04/01(日) 22:34:23 ID:Su/cZsnD
>>132
3000の援軍を破った程度で織田を破ったと言うなら、徳川に蹴散らされた武田信廉、
つまり武田軍は家康相手に油断をして結果大敗をした雑魚って事でFAでつね。

136 :人間七七四年:2007/04/01(日) 22:58:10 ID:EQArcqbU
てか武田は第四次川中島合戦での損害で天下どころか
上洛すら無理だね。
武田方の戦死者が三千超えたから
実質、大負け戦
魏の曹操が赤壁で負けたぐらいの大打撃だわな。


137 :人間七七四年:2007/04/01(日) 23:11:35 ID:SaUAZYYr
いつまでたっても、信玄に勝つ方法が考えられない信長厨の惨めさに大笑い^▽^
川中島の戦いも引き分けどころか武田の勝ちと評価してる人間の方が多いという
ことすら知らないと見えるwww
まあ信長厨は引きこもりだから、世間の情報というものに全くうとい連中なんだろうねえ

138 :赤壁といえば:2007/04/01(日) 23:23:28 ID:bs87hsCQ
衝撃!

長篠の合戦の虚実 〜無敵の武田軍を殲滅した疫病

実は武田軍の陣中で疫病が流行しており、
長篠の時点で半数以上の兵士が動けなくなっていた。
勝負は合戦の前からついていたのである。
さすがの武田勢も疫病には勝てなかったというわけだ。

徳川方の小城の攻略に時間がかかったのも疫病のせい。
信玄自信この疫病が原因で死んでしまったのだから納得。

ちなみに疫病の発生は
三方ヶ原で家康が撒き散らした糞尿が原因と思われる。

139 :赤壁といえば:2007/04/01(日) 23:24:20 ID:bs87hsCQ
ごめんageちまった。吊ってくる。

140 :人間七七四年:2007/04/01(日) 23:50:23 ID:v/TRLR35
>>137
つ鏡
妄想ならチラシの裏にでも書いてようなww

141 :人間七七四年:2007/04/02(月) 02:58:12 ID:mzftNL2x
>>137
あなたの言う世間には二人以上いますか?

142 :人間七七四年:2007/04/02(月) 04:03:51 ID:YK6l18UY
これはひどい。

>>137
おまいさんのその賢い頭を借りたいんだがいいか。
まったく同じ力量を持つ人が55人いる。
その人を25:30に分けてみる。
両方ともまとまり、連携の具合も同じとして、それぞれに一人ずつ命令を出す人を一人ずつ付ける。
命令を出す人も力量が同じだったとする。
そして、30人の方に狭い公園を防衛してもらうとする。
25人はその公園を占領しようとしてもらうとする。
勝利条件は防衛側が1日防衛をしきるか、攻撃側が防衛側全てを追い出すのを条件とする。
どっちが勝つか答えを教えてほしい。

143 :人間七七四年:2007/04/02(月) 06:30:36 ID:IJpONR9a
>>136
海野、香坂、仁科を内通で処刑して、信繁、油川彦三郎、室住昌清、三枝新十郎、初鹿野忠次、山本勘助が討ち取られているしな。
ボロボロだわな。

144 :人間七七四年:2007/04/02(月) 12:05:55 ID:u50aZ9OS
信長に頼ったのを自力解決……
「貴方しか味方いません、粗略にされたら信玄は滅亡です」と泣きついたのに自力解決……
仲介してもらった喜びのあまり「例え日本の半分を支配するほどの身分になったとしてもあなたを大事に扱いますよ」とした信玄が自力……
しかもそこまで言っておいてあっさり裏切ったんだから二重の恥知らずでしかないよなぁ、普通に見れば

145 :人間七七四年:2007/04/02(月) 13:59:33 ID:2nQQBP8U
川中島は武田の勝ちだよ。戦略目標である川中島一帯の制圧に成功しているんだから
よって、徳川打倒すら成し遂げられなかった信玄の南下西進作戦は武田の敗北
同一基準で見ればそうなる

146 :退屈@親父:2007/04/02(月) 14:16:17 ID:+7f6TVp6


山本勘助




147 :人間七七四年:2007/04/02(月) 16:04:30 ID:BE728ZtB
戦術的敗北と戦略的勝利は両立するからね>川中島

148 :人間七七四年:2007/04/02(月) 17:37:55 ID:2na6zzjv
川中島の人間からすると武田の勝ちと思ってる人は自分を含めほとんどいないだろう。旧武田領とも思っていない。

149 :人間七七四年:2007/04/02(月) 17:58:50 ID:slZGVo7b
すると誰の勝ちなのだろうか。
あおりでもなく聞きたい。川中島の人たちってそんなに上杉に愛着あったっけ?

150 :人間七七四年:2007/04/02(月) 18:24:00 ID:IJpONR9a
そもそもどうでもいい。重要なのは善光寺だ

151 :人間七七四年:2007/04/02(月) 18:39:28 ID:MRu403EB
信玄生前で確実に言えそうなのは
塩崎海津より南は武田領飯山以北は上杉領
その中間はどちらともいえない
千曲川西岸は上杉の影響が強く
千曲川東岸は武田の影響が強い
こんなところでは

152 :人間七七四年:2007/04/02(月) 19:20:59 ID:X7LJq/Ue
>>136>>137も暴論
永禄四年の戦いの資料はなぜかほとんど無い。
だから真実はわからない。
武田系の甲陽軍艦も上杉系の川中島五度合戦次第も当然信憑性は疑問視される。
もちろんそれをベースにした書物も?第一山本勘助が戦死したなんてどっからひっぱってきたんだよ。
なんせ謙信も関白近衛前久に晴信に対し八千余り討ち取ったと手紙を書いているし。
ニ万のうち八千ってありまへんがな。
だから>>150のいう通り大切なのは善光寺の本尊なんじゃよ。

153 :人間七七四年:2007/04/02(月) 21:21:20 ID:zbV7RIL4
>>145 家康は孤立状態になるまで追い込まれておきながら何を言う
んですか?信玄があのまま生きてれば一週間で滅亡されるか降伏して
ましたね家康は。
同一基準とか言ってるからアンチ武田は馬鹿なんだよねえ。

154 :人間七七四年:2007/04/02(月) 21:24:05 ID:zbV7RIL4
織田信長は下手糞な外交戦略のせいで、自力で包囲網を突破出来なかった
のは事実ですよ、子供みたいにワーワー言ってもダーメ^^

武田信玄は外交戦略を旨く展開しながら、包囲網を自力で突破しましたよ
ねえ、この差なんですよ。

155 :人間七七四年:2007/04/02(月) 21:28:53 ID:bbPm0ck9
謙信にとっては北信濃の攻略失敗
信玄にとっては防衛成功
単純に見れば戦術的には信玄の消極的勝利だな

しかしお互いに領土拡張が殆ど見込めないため部下の加増も見込めない
結局はお互い無駄に国力を消耗しただけの戦略的敗北だ・・・

無駄な国境紛争で失った10年で出世レースに致命的に出遅れた

156 :人間七七四年:2007/04/02(月) 21:36:35 ID:zbV7RIL4
>>155  アハハハハまーだ川中島が天下取りに出遅れたとか
言ってるの?
そもそも信玄が最初から天下への野心を持って戦略を展開してたか
なんてのに明確な証拠はないんだよ、全て単細胞なアンチ武田が勝手に
妄想を抱いてるだけだね、信濃攻略という名目においては信玄に大きな
不手際はないね

で?信長は一向宗に対してどういう戦略を取ったの?10年天下取りに
遅れたといわれ、結局天下が取れなかった最大の理由である本願寺に対して
どれほど惨めな思いしたのかな?

157 :人間七七四年:2007/04/02(月) 21:39:34 ID:MRu403EB
川中島の戦いを北信濃での15年ほどに及ぶ戦争として見るなら
武田の勝利だろうけど
個々に見るならそうでもない

>>145の言うように川中島を武田の勝ちとするなら
徳川との戦いも武田の負けになる

158 :人間七七四年:2007/04/02(月) 21:41:21 ID:zbV7RIL4
まあアンチが、川中島の戦いを持ち出してワーワー言ってる時点で
最強の大将同士の駆け引きの戦いに嫉妬してるとしか思えないね。
永遠の語り草として両雄の戦いは語り継がれていくんですよ、そし
て信長は事実をさらけ出される程更にただの虐殺者と言われるんで
すねえ、まあちゃんと信玄みたいに本願寺と同盟を組んで戦略を展開
していくなりすれば良かったんだけど、独裁的な信長には無理か(笑)
せっかく将軍を擁しておきながら何をやってんだか

159 :人間七七四年:2007/04/02(月) 21:41:52 ID:c2QC/0fO
実際、善光寺争奪戦が川中島合戦の本旨だとすると、
第四回合戦ってなんの意味があったの?

ほんとにデモだけのアジ合戦のつもりが霧でうっかり
鉢合わせのアクシデントだったわけ?

160 :人間七七四年:2007/04/02(月) 21:43:59 ID:zbV7RIL4
>>157 もうやめとけ頭の悪い学生のアンチ武田よ

信玄の西上戦で信玄は戦に負けて死んだの?違うでしょ、家康が自力で
信玄の脅威を突破出来たの?違うでしょ

161 :人間七七四年:2007/04/02(月) 21:45:22 ID:eL/7cTHO
>>160
小学生がwwww
お前は脳内ストーリー楽しんでおけよ
結論ありきの武田厨がよ

162 :人間七七四年:2007/04/02(月) 21:51:19 ID:zbV7RIL4
↑ ↑  敗北宣言ねwwwまたアンチが論破されました

163 :人間七七四年:2007/04/02(月) 21:57:22 ID:km3qlrDD
>>162
まともに議論する気無いなら消えろよww
誰もお前が勝利した判断してね〜だろw敗北野郎ww

164 :人間七七四年:2007/04/02(月) 22:00:26 ID:BE728ZtB
荒らしは徹底無視でお願いします

165 :人間七七四年:2007/04/02(月) 23:02:34 ID:eL/7cTHO
>>164
そんなことしたらまた過疎スレに逆戻り

166 :退屈@親父:2007/04/02(月) 23:04:34 ID:+7f6TVp6




age







167 :人間七七四年:2007/04/02(月) 23:22:04 ID:X7LJq/Ue
>>159
だから「大合戦」といわれている永禄四年(1561)の第四回合戦の資料はほとんどないそうな。
で、永禄四年の第四回合戦といっているのは甲陽軍艦で上杉系の川中島五度合戦次第
ではなぜか天文二十三年(1554)が一番の激戦と書いてあるようだ。
というようにどちらも都合のいいように書いてあるので真実は当人同士しかわからない。
それで善光寺を奪えば実質川中島を支配することになるわけだが信玄が本尊と僧侶や門前住人たちを
甲府に移住させたために川中島の善光寺は抜け殻でどうでもいい存在(ちょっと極端かもしれんが)
となった。

168 :人間七七四年:2007/04/02(月) 23:28:29 ID:zbV7RIL4
川中島の戦いがどうして今尚後世に伝説として伝えられてるのかというのは
信玄も謙信もその後の戦いで負けなしのまま、関東甲信越〜東海地域で猛威
を振るい生涯を終えた最強同士が唯一戦ったからというわけだよ。

で、それに嫉妬してるのが信長厨や元就厨というわけ

169 :人間七七四年:2007/04/02(月) 23:36:30 ID:eL/7cTHO
>>168
はいはい小説小説 講談講談

170 :人間七七四年:2007/04/02(月) 23:42:32 ID:7GE4JEfN
伝説度なら関ヶ原がぶっちぎりでトップ
大阪の陣の真田信繁がこれに続く

川中島はこの次くらい

桶狭間・長篠は完勝すぎて逆に講談のネタにならないな
大勝利の代名詞みたいにはなってるけど

171 :人間七七四年:2007/04/02(月) 23:58:04 ID:YK6l18UY
世界の戦略家が仰天した日本の合戦は関ヶ原。
川中島とか何ですか?ってレベルだな。

172 :人間七七四年:2007/04/03(火) 00:09:50 ID:SCCdlwxv
まぁ講談のネタとしては川中島>桶狭間、長篠だけど
知名度としては高校の教科書の8・9割に載っている桶狭間、長篠>1割も載っていない川中島かな

桶狭間・長篠は中卒や不登校児でもなければまず知るけど、川中島は講談に興味ないと知らない可能性があるしね

173 :人間七七四年:2007/04/03(火) 00:10:06 ID:eajFRUwK
川中島の戦いが有名なのは
甲陽軍鑑に始まる創作のおかげでしょ。

一騎打ちだとか啄木鳥戦法だとか。

174 :人間七七四年:2007/04/03(火) 00:16:25 ID:dx2wbvPm
講談??創作???まさしく桶狭間こそがそれに当てはまりますね
寡兵で今川軍を破ったなんてのは明らかな創作ものなんですよ、知らなかった
んですか?
長篠における鉄砲戦術なども創作ですね、史実ではビクビク怯えて馬防柵など
をつくり(しかも3倍もの兵力を揃えておきながら)やとおのことで勝つ始末

それにしても都合が悪くなればすぐに講談講談創作創作と喚く姿はまさしく幼稚
な単細胞学生2ちゃんねらーですね、川中島で最強同士が戦ったのは事実なんで
すよお馬鹿さん、だから現代でも有名なわけ

175 :人間七七四年:2007/04/03(火) 00:17:19 ID:dx2wbvPm
>>174  訂正 やっとのことで勝つ始末

176 :人間七七四年:2007/04/03(火) 00:20:43 ID:dx2wbvPm
信長の行動を高評価してる信憑性がある資料なんてあるの?
悪大名として後世に伝えられる程、史実もそれ程の馬鹿な大名だってこと
逆に信玄のように英雄的に伝えられる程、史実もそういう大名だったのでしょうね

177 :人間七七四年:2007/04/03(火) 00:26:47 ID:h4qk18b1
楽しいの?

178 :人間七七四年:2007/04/03(火) 00:32:19 ID:dx2wbvPm
あなた方みたいな人良くいるんですよねえ、織田信長を強引に「美化」したいが為、戦国最強といわれた
武田信玄と一々ことあるごとに比較する馬鹿な連中。
戦国の世は中世なんだから、信玄が中世の大名にふさわしい戦略を展開してても何の問題もないのですよ、
実際最後に天下を治めたのも家康の中世らしい統治の仕方でしたしね、その家康は信玄のことを学んで天下
を取ったのです。
織田信長を高評価したいからといって、他の大名を貶めるかのような発言はどうかと思われます。
ちなみに信玄があのまま病死せずに信長を倒して戦略を続行していけば・・・・っていう考えは
あなた方にはないのでしょうか?
信玄が西上途中で志半ばで死んだからといって、それまでの戦略の過程が遅すぎたと一方的に妄想
してるだけとしか思えませんね。
信長を倒し、濃尾〜東海道を本格的に攻略していけば、その所領は莫大なものとなり、畿内の諸将を
更に圧倒出来ますね信玄は、また本願寺と同盟を組み、将軍家と友好関係であることからも考えても
京には楽に攻め上られたことでしょうね、一向宗というのは巨大な力で戦わずして圧迫させるのが一番
の対策法ですね、信長のように下手な戦略から皆殺し作戦にいたるようなことする必要もないわけですしね。

179 :人間七七四年:2007/04/03(火) 00:33:40 ID:dx2wbvPm
アンチ武田というのは、こういうスレで暴れてばかりいて楽しいの?
信長のことを高評価したいのであれば、まず態度を改めないとね

180 :人間七七四年:2007/04/03(火) 00:33:59 ID:PE1tNE6o
つ鏡

181 :人間七七四年:2007/04/03(火) 01:00:43 ID:uZIBcx2o
武田信者が誰もフォローしてくれない現状見て物言おうなw豚ww

182 :人間七七四年:2007/04/03(火) 01:05:14 ID:T89jhu1+
長篠は完勝すぎてってのはどうかな?
勝頼の惨敗はたしかだが兵力に3倍の差があって徹底的な防御策をして
正確な数は忘れたが織田側も雑兵とはいえ6000ぐらい死者をだしてるんじゃなかったか?
これで大勝利の代名詞となっているのは宣伝の結果。
自分が大将ならこんなに損害をだしたら大勝利なんて恥ずかしくていえないな。


183 :人間七七四年:2007/04/03(火) 01:06:33 ID:XoQ0ZG9X
>>178
あなた方みたいな人良くいるんですよねえ、武田信玄を強引に「美化」したいが為、戦国最強といわれた
織田信長と一々ことあるごとに比較する馬鹿な連中。
戦国の世は中世なんだから、信玄が中世の大名にふさわしい戦略を展開してても何の問題もないのですよ、
実際最後に天下を治めたのも家康の近世らしい統治の仕方でしたしね、その家康は信長のことを学んで天下
を取ったのです。
武田信玄を高評価したいからといって、他の大名を貶めるかのような発言はどうかと思われます。
ちなみに信玄があのまま病死せずに信長を倒して戦略を続行していっても・・・・っていう考えは
あなた方にはないのでしょうか?
信長が統一途中で志半ばで死んだからといって、今までの残酷に統治しすぎたと一方的に妄想
してるだけとしか思えませんね。
信長を倒そうとし、濃尾〜東海道を本格的に攻略できると妄想すれば、その所領は莫大なものとなり、畿内の諸将は
勝手に心服出来ます信玄と妄想し、また本願寺と同盟を組み続けれ、将軍家と友好関係であることを続けれると妄想することからも考えても
京には楽に攻め上られたことでしょうね、一向宗というのは巨大な力で戦わずして圧迫させるのが一番
の対策法ですね、信長のように下手な戦略から皆殺し作戦にいたるようなことすると妄想する必要もないわけですしね。

184 :人間七七四年:2007/04/03(火) 01:08:02 ID:SCCdlwxv
>>182
6000・・・さぞかし多くの重臣が死んでるんでしょうね。
具体的に名前を教えてもらえませんか?

185 :人間七七四年:2007/04/03(火) 01:09:17 ID:XoQ0ZG9X
改編する時に激しい悪文で気持ち悪くなったとか、こいつ本当に頭悪いんじゃねだとか
そんなチャチなことは断じてなく、もっとあほ臭い香具師の片鱗を味わった。

186 :人間七七四年:2007/04/03(火) 01:32:16 ID:SCCdlwxv
武田側の被害一万は信長公記の記述

武田側の死者は
山県昌景、真田信綱、馬場信春、内藤昌秀、高坂昌澄、土屋昌次、原昌胤、小幡信貞
和気善兵衛、真田昌輝、杉原日向、甘利藤蔵、根津甚平、油川宮内、浪合胤成
高森恵光寺、川窪備後、下曽根源六、奥津、岡部、竹雲、恵光寺、土屋備前守、和気善兵衛、名和無理介etc…

ああ、武田もクズみたいなのしか死んでいないか。たいしたことない戦だったね。

187 :人間七七四年:2007/04/03(火) 01:55:43 ID:Qf9gF+Rp
良貨が悪貨に駆逐されたのか?
まともな武田信者と言ったら失礼だが
もういないの?

188 :人間七七四年:2007/04/03(火) 02:01:49 ID:xGJLSkvc
てゆうかさあ、織田信長のどこに魅力があるんですか?
将軍家の権威を旨く利用できず、浅井朝倉や一向宗などを旨く抑えられない
戦略下手の織田信長、畿内の雑魚敵との戦いばかりに明け暮れ結局天下を取れず
に生涯を終えた織田信長。
信玄のように同等の力をもった周囲の列強を圧倒したような戦略を打ち立ててま
せんからねえ信長は。

189 :人間七七四年:2007/04/03(火) 02:07:06 ID:uZIBcx2o
>>188
圧倒して来た列強と言うのは諏訪とか小笠原などの豪族ですか?
村上や長野は圧倒してませんよね?ww
豚はあほ過ぎるww自ら信玄を貶めるなよww


190 :人間七七四年:2007/04/03(火) 02:09:20 ID:XCmCC/xx
元々ここは信長、信玄への幻想が消えて
包囲網当時の状況を詳しくしりたい人が集うとこだったからな。
武田より、織田よりはともかく熱心な信者は元々あんまいないような。

191 :人間七七四年:2007/04/03(火) 02:17:17 ID:uZIBcx2o
小笠原は守護大名だった‥無知でスマンorz

192 :人間七七四年:2007/04/03(火) 02:23:18 ID:xGJLSkvc
>>189  上杉 北条 今川 へタレ 徳川と、大国ばかりですね、信玄が
圧倒してきたのは、ちなみに村上は完全に武田が滅ぼしたんですよ、義清
にも野戦で勝ちました、長野業正戦?信玄自身は一度も負けてませんよ(笑)

へタレといえば、本願寺や浅井 朝倉 波多野 斉藤 とまさしく雑魚
連中(一国か半国領有)ばかりに圧倒されてましたよねえ

193 :人間七七四年:2007/04/03(火) 02:27:04 ID:SCCdlwxv
武田とか、まさしくどうでもいい弱小だったしね

194 :人間七七四年:2007/04/03(火) 02:27:37 ID:XoQ0ZG9X
序盤はそうでもないような気はしたが、結局は武田上洛無理サーセンだったからな。
一番動いてほしい時期に武田は駿河に釘付け。
ようやく動いた時には浅井も瀕死状態で朝倉は相当疲弊してた。
時期が悪すぎるとしかいいようがないな。

195 :人間七七四年:2007/04/03(火) 02:42:36 ID:uZIBcx2o
>>192
信玄負けてないキタ〜wwwコレは酷いww
それに北条、上杉は圧倒していない件。
滅ぼしたら圧倒かとだったらお前の挙げた信長の周りの大名も信長は圧倒したじゃねえかww

196 :人間七七四年:2007/04/03(火) 02:57:31 ID:AiCQhVim
織田の苦戦具合を基準にすると

本願寺>>毛利>>斉藤>朝倉=浅井≧武田=今川=三好>上杉≧六角くらいかな

毛利普通に強い
武田意外とあっさり

197 :人間七七四年:2007/04/03(火) 03:03:52 ID:gCJBxgDA
桶狭間の真実 
1、「信長公記」は桶狭間合戦を天文21年(1552)のこととしている。永禄
  3年の8年前。
2、天文21年段階の信長は亡父の跡を継いで間も無く、自在に使える兵力
  2000程度のもであった。
一方で
1、実際の桶狭間合戦は永禄3年(1560)である。
2、この前年に信長は尾張統一を果たしており、この時点での信長の動員
 力ははるかに大きくなっており、1万7千人程度あった可能性もある。
そして
1「信長公記」は信長の桶狭間での動員兵力をあくまでも天文21年時点
 のもとして書いている。
2、「信長公記」の内容は、一方では信長の兵を2000人足らずとして、当方の
  兵力が少ないという表現を何ヶ所かでしているにもかかわらず、信長の
  言動は、信長の兵力がそこそこあったことを示している。

まとめ
1、牛一が、「桶狭間合戦」を天文21年の事としたのは単なる記憶違いでは
  なく意図的なものであった。
2、この合戦が天文21年に行われたことにすると、桶狭間での信長軍の2000
  余という数字は、まさにその当時のもので矛盾がなくなる。
3、「信長公記」の巻首の年号には混乱が見られるが、それらは、現実に
  は永禄3年であった桶狭間合戦を、天文21年に押し込んでしまった為に、
  生じたものである可能性が高い。
4、永禄3年での信長の動員兵力は2000余などという少ないものではなく
実際の桶狭間合戦の様相については再検討の必要がある。

198 :人間七七四年:2007/04/03(火) 03:27:41 ID:euPuKMIW
永禄3年当時は南尾張の半分、尾張の4分の1しか制圧しておらず、
斎藤らへの牽制にも兵を割く必要があったのはわかってるよね。

199 :人間七七四年:2007/04/03(火) 08:10:24 ID:82/Hny9I
だいたいその列強ってどういう基準で?
謙信は信玄と敵対した当時、一ヶ国程度すら完全領有しておらず(上越地方は芦名)
後北条だって相模・伊豆二ヶ国をしばしば攻撃されて一進一退が続いていた
甲斐一国を父から奪い信濃の過半を制圧した信玄よりはるかに状況が悪い(特に後北条氏は背後に敵を抱えている。実際、信玄も佐竹氏や里見氏と通じて足絡みにしようとしている)
しかし信玄は勝つどころか、まとまった領土を奪うこともできていない
桶狭間合戦後弱体化が続いた今川すら単独では滅ぼせず徳川と組んでいる
どこが圧倒したの?

200 :人間七七四年:2007/04/03(火) 09:26:32 ID:wFggdXGE
要するに中規模の豪族程度に苦戦し、大名クラスとはいえ武田より劣る・あるいは不利な相手に勝てなかった言い訳として
「関東は列強ばかりだった」ということにしたいわけだね。根拠は一つも示せてないけど

201 :退屈@親父:2007/04/03(火) 10:45:41 ID:V4Wqev64



age






202 :人間七七四年:2007/04/03(火) 11:18:54 ID:M7s037P6
>謙信は信玄と敵対した当時、一ヶ国程度すら完全領有しておらず(上越地方は芦名)

上越(越後府内・春日山・直江津)が芦名領とは初耳だな。
芦名(出羽米沢以東)と上杉(越後完全支配)は友好関係だし


203 :人間七七四年:2007/04/03(火) 11:32:40 ID:M7s037P6
>実際、善光寺争奪戦が川中島合戦の本旨だとすると、
>第四回合戦ってなんの意味があったの?
>ほんとにデモだけのアジ合戦のつもりが霧でうっかり
>鉢合わせのアクシデントだったわけ?

善光寺の争奪戦は第二次川中島(今川氏仲裁)だな。謙信は越後に浜善光寺を、
信玄は甲斐善光寺を建立して、善光寺の住民を本国に移住させてる。
ただし、本尊は信玄が持ち帰り、のちに織田氏の岐阜城下、豊臣氏の大坂城下に。
信濃善光寺に本尊が戻ったのは江戸時代。それほど人気のある寺院だったんだろ、今もだけど。

第四次の大きな原因は謙信が二度目の上洛・関東管領に就任して信濃国人(根津・仁科・香坂・西牧)
が謙信に内応しようとしたこと。信玄の従兄の勝沼五郎信元がこれも謙信に通じて
秩父の藤田氏を甲斐に引き入れようとしたこと(謀反は事前に鎮圧)。
いっぽう、謙信のほうも関東遠征中に越後国境を侵されたことから、それまでより
多くの軍勢を派遣した決戦となった。じゃね? 偶然遭遇説とか、史料の裏づけゼロだかんなww


204 :人間七七四年:2007/04/03(火) 11:40:50 ID:GUKRT8sz
現在と戦国時代では価値観が違う
かならずしも後世で理解できる合理的目的に沿って戦ったとは限らない
川中島合戦は意地のぶつかり合いで、お互いを非難する願文出して感情剥き出しで憎しみあった結果
そして多数の将兵を死なせながら、双方にたいした利益はもたらさなかった

205 :人間七七四年:2007/04/03(火) 12:58:57 ID:dWY528We
芦名を唆し、反謙信勢力を扇動した上で謙信の留守を狙って自身が主力を率いて越後を攻撃したのに
留守番部隊程度にあっさり撃退された信玄……
これは越後勢(あるいは北信濃勢)を誉めるべきなのか?それとも……

206 :人間七七四年:2007/04/03(火) 18:30:10 ID:dbtMiuoR
>>203
出兵動機としてのそれぞれの理由とそれに基づく大軍勢動員と、戦術として戦場での
偶然遭遇戦説は別に背反するものでもないが。

207 :人間七七四年:2007/04/03(火) 20:08:35 ID:T89jhu1+
>>184
お前、日本人か?それとも漢字が読めない馬鹿なのか?
雑兵(ぞうひょう)って読むんだぞ。意味はググれよ。ひとつ漢字覚えてよかったな。


208 :人間七七四年:2007/04/03(火) 20:15:55 ID:mYIuKfuL
>>205
信玄は5倍の兵じゃないと城を落とせない攻城戦下手だから

209 :人間七七四年:2007/04/03(火) 20:16:21 ID:T89jhu1+
>>184
とりあえずWikipediaはっとくわ。漢字も飛ばさずよく読めよ。文盲くん。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E7%AF%A0%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84


210 :人間七七四年:2007/04/03(火) 20:32:50 ID:u4BSwd2q
Wikipediawwwwww

本読めよwwwww

211 :人間七七四年:2007/04/03(火) 20:42:03 ID:nLKvis/P
ID:T89jhu1+はちょっと痛い子

212 :人間七七四年:2007/04/03(火) 20:42:07 ID:hg7znVMy
184は実際の6千の被害を疑ってるのかな?
長篠後の織田家の行動と周りの対応みると大戦果を挙げてる様に見えるが
このスレは煽りっぽいなぁと思いつつエスパーしてみた


213 :人間七七四年:2007/04/03(火) 20:46:31 ID:hg7znVMy
さげ忘れ…ゴメン

214 :人間七七四年:2007/04/03(火) 21:16:41 ID:xGJLSkvc
ハハハハハハハハ!結局これが世間一般永遠に伝えられる認識
なんですねえ、信玄は一番優秀であり、へタレ信長は4番手、ちっこい
元就に至っては11番手ですね↓ ↓

http://www.coara.or.jp/~dost/r-busyo1.htm

215 :人間七七四年:2007/04/03(火) 21:56:12 ID:6xX7+lbt
とりあえず、信玄が自力で包囲網を脱したとかいう妄想はどうなったの?
それが一番気になるよ

216 :人間七七四年:2007/04/03(火) 22:40:41 ID:rl6KAICw
別に信長の和議一回だけで危機を切り抜けたわけじゃないし
反上杉や反北条を煽って動きをからめとりつつ兵を動かして
数年の戦いの後に駿河を取り北条との同盟も復活させたのだから
自力といってもいいと思うが。


217 :人間七七四年:2007/04/03(火) 22:41:43 ID:92KFIXHQ
>>215
フォビョる事しか出来ないんだから結論なんかあるわけないだろww
豚が建設的な答えを出した事なんてないじゃんw

218 :人間七七四年:2007/04/03(火) 23:37:50 ID:xGJLSkvc
「敵の敵は味方」という兵法を知らないアンチさんは今日も笑いを見せてくれますね

今川 北条 上杉などに四方を囲まれれば、逆にその敵の敵である
上杉領内の一揆や越中に内通し、里見や徳川に内通し、自らの包囲網
を軽減させ突破してきた武田信玄の器量のなせる業である。
まあへタレ信長には到底真似の出来ないことだろうけどね、叡山焼き討ち
などという馬鹿なことしたせいで信玄に信長討伐の大儀を持たせ同盟を破棄
され、その後信玄の死によって包囲網を突破出来ただけの大馬鹿者wwww

何で叡山焼き討ちなんてしたの?連中が浅井勢に味方してるから?何で浅井に
同盟破棄されたの?へタレ自身が盟約を破って朝倉討伐したから?何でへタレ
は朝倉討伐したの?将軍義昭の工作を見抜けなかったから?
一体信長はわざわざ将軍を擁して何がやりたかったの?(笑)

219 :人間七七四年:2007/04/03(火) 23:41:36 ID:cKJOjukr
きちがい、妄想男がまだいるよW

220 :人間七七四年:2007/04/03(火) 23:44:54 ID:cKJOjukr
218は信玄以外の日本史は知らないみたいだね。

もうちょっと勉強しろよ。

221 :人間七七四年:2007/04/03(火) 23:45:38 ID:9d68Vwfp
信長こそ本当の宗教家だったのかも知れないよ
叡山の僧の堕落が我慢できなかったのかもよ
女は連れ込む政治には口をだす手をだす浅井はかくまう

222 :人間七七四年:2007/04/04(水) 00:20:25 ID:TcjK8PIA
>>218
嘲笑されてるのが自分だと言う事に気づいてないのか?w

223 :人間七七四年:2007/04/04(水) 01:32:38 ID:+tiBleZ4
今日もわかりやすいなw

224 :人間七七四年:2007/04/04(水) 01:41:52 ID:jGZfm+6m
信長厨は早く自らが愚かだということに気が付かなきゃね

http://www.thunder-r.net/kamininaru/archives/2004/08/post_10.html

225 :人間七七四年:2007/04/04(水) 02:06:30 ID:TcjK8PIA
>>224
先生信玄が偉大なのと信長が愚かという事には関連性がありません。
あなたが自らが愚かだと気づいた方が良いとおもいますwww
つうか、市ねww

226 :人間七七四年:2007/04/04(水) 02:29:14 ID:DdNwtUOg
なんで一人でここまでがんばるんだ?
ヒマなのか?

227 :人間七七四年:2007/04/04(水) 05:23:17 ID:jxnOmZV8
>>214のサイトは講談スキーかゲーム脳
>>224のサイトは典型的武田厨
参考にならん


228 :人間七七四年:2007/04/04(水) 05:43:42 ID:jGZfm+6m
ハハハハハハハ、世間では今も昔も信玄が戦国一の有能で最強の大名で
あるということは誰しも認識してることなのにそんな常識も知らなかったわけ?
まあ引きこもりのアンチは人と会話するようなこと無いんだろうけどね。
>>214は一般の認識とほぼ変わりないね、てゆうか信玄がそんなに悔しいの?
>>224のサイトに反論してる以上、物事を冷静に見ることが出来ないと見えるね
これだから信長厨は

229 :人間七七四年:2007/04/04(水) 06:15:17 ID:g9Fv98Fn
あいかわらずメガ豚は、客観性の高い一次史料等によって
信玄の有能さを語ることは全くできないな。

で、苦し紛れに出してくるのが「一般の認識」(笑

230 :人間七七四年:2007/04/04(水) 07:31:10 ID:9CFT7/3B
>>209
・長篠の戦い

武田軍戦死武将 

甘利信康 安中景繁 小幡憲重 川窪詮秋 川窪信実 鎌原之綱 五味高重 高坂昌澄 三枝守友
土屋昌次 土屋直規 武田信実 真田信綱 真田昌輝 禰津是広 常田春清 室賀信俊 原昌胤
馬場信春 望月信雅 望月義勝 望月重氏 望月信永 名和宗安 内藤昌豊 山県昌景 横田康景
横田綱松 米倉重継 和田業繁

 
織田、徳川軍戦死武将 

鳥居強右衛門 松平伊忠


うん。そうだね!
一人3000人率いてたとすれば織田軍6000人死亡もありえるね!
でもそうなると武田は9万人死んだ事に・・・・・・・

231 :人間七七四年:2007/04/04(水) 07:49:44 ID:MYj1Vkwt
川窪信実と武田信実、横田康景と横田綱松は同一人物
それから長篠の武田側の死者は千数百という所だといっておく。
(それでも大損害だが。将も多く死んでしまったし。)

232 :人間七七四年:2007/04/04(水) 08:15:26 ID:up0kcHGk
多聞院日記だと「甲斐国衆千余討死」
国衆、というから名のある武士クラスってことだろう
軍役に応じる家の長クラスが戦死して、外様衆だと信玄の粛清などで親武田だから当主につけた層が打撃を蒙った可能性もある
武田軍がその後徳川に対してすら頭数は相変わらず勝っているのに戦術的優位を失ってしまい謀略に弱くなったのもこの辺りの影響かと

233 :人間七七四年:2007/04/04(水) 08:32:33 ID:jxnOmZV8
一般的認識
→武田信玄?誰それ?そういやNHKの大河ドラマでそのような名前あったかな

ちょっとゲームやったり歴史小説(≠歴史の事実)を読んで歴史通となった気になってる香具師
→武田信玄最強。織田信長?そんな雑魚好きになるなんて中二病だろ?

もっと現実見ろよ豚はwwwwwwwww

234 :人間七七四年:2007/04/04(水) 09:23:11 ID:FzBcAMD9
>>207 >>209
亀レスだが、>>184は6000の死者っていう説は嘘だと言ってるんだろ
普通6000も死者出せば名だたる武将も数人死んでなきゃ辻褄が合わないだろ…
てかネタで言ってるんだよね?

235 :人間七七四年:2007/04/04(水) 09:29:40 ID:273fiJ0U
織田の損害六千、というのは長篠日記という野史に拠るものだろう
だけど、これを信じるのなら信長が三段撃ちをしたって話も信じないといけなくなっちゃうんだよね
「敵、馬ヲ入来バ、一町迄モ打ベカラズ。間近ク引請テ、千挺宛放懸、一段宛立替打ツベシ」
(長篠日記)

236 :人間七七四年:2007/04/04(水) 10:27:11 ID:hyZkIUAL
NHK その時歴史が動いた 第283回
謙信 恐るべし
放送日 平成19年4月4日 (水) 22:00〜22:43 総合

番 組 内 容

越後の龍・上杉謙信。生涯70回以上の合戦でほとんど負けたことがない戦の天才である。
しかし、謙信の戦は決して私欲からではなかった。彼は、戦国乱世の秩序回復を本気で志し、
助けを求められば労を惜しまず駆けつけた。その一方で、争いをなくすために国を豊かにしようと
特産品の開発に力を注ぎ、越後を経済大国に押し上げた。この謙信を恐れたのが織田信長だった。

信長が謙信に贈った「洛中洛外図屏風」。近年の研究で、この中に足利将軍邸に向かう謙信の姿が描かれていることが判明した。
そこには、必死に謙信に媚びを売る信長の心が透けて見える。
しかし信長の勢力が大きくなるにつれて、両者の関係は崩れていく。
謙信は信長と対立する足利義昭や毛利氏から「反織田同盟」の盟主となる。
そして加賀・手取川で最初で最後の頂上決戦を繰り広げる。
謙信は、この戦いで信長自慢の鉄砲隊を完全に封じ込め、
織田軍の精鋭部隊を完膚無きまでに打ち破り、信長を窮地に追いつめた。
ところが謙信は その直後に死去。歴史は再び信長を中心に回り始める。
信長が恐れた武将、上杉謙信の知られざる実像に迫る。


237 :人間七七四年:2007/04/04(水) 11:28:07 ID:8WQI29u4
一般認識というが日テレがやってる日本人が好きな100人の偉人とかで、信長はいつもベスト5とかに来るけど、信玄はベスト30とかにも入らないよな?
一般認識いうなら、歴史なんて特に詳しくない人も加えてのあの番組が表してるんじゃないの?

あと豚ってよく、信長は外交戦略が下手で周辺諸国を敵に回して包囲網を組まれた、信玄は周辺諸国に強国が集う中で勢力拡大して凄いって言うよな?
周辺諸国を敵に回して包囲網?・・・あれ?マンセーしてる人物も同じ事されてるよな?あれ?
しかも周辺諸国は強国ばかりなのに敵に回した?何か信長よりもひどい気がするのは勘違いか?あれれ・・・?

238 :人間七七四年:2007/04/04(水) 11:28:58 ID:WLibA1nn
三段撃ちはともかく、長篠合戦で鉄砲が活躍したのは史実だろう
端的にそれを表すのが、武田側の軍役体制の変更
それまでは槍が主流だったのが鉄砲の役が増し、さらに鉄砲訓練の怠りが処罰対象になった
持ち回りでの火薬奉行も設置されるなど、武田軍は火力重視に戦備を切り替えている
鉄砲の威力を実感していなければ、ここまで信玄以前と軍役を変動させる理由が無い

239 :人間七七四年:2007/04/04(水) 11:43:45 ID:FzBcAMD9
戦死者、負傷者への手当てってどのくらい支給してたんだろう?
知ってる人教えてちょーだい

240 :人間七七四年 :2007/04/04(水) 11:59:17 ID:PySRqebl
>>237
>一般認識というが日テレがやってる日本人が好きな100人の偉人とかで、信長はいつもベスト5とかに来るけど

この手のアンケートはいい加減な感じがする。
そもそも一般的な人は好きな偉人ていないと思うんだよ。
で、この手の調査やアンケートに答えなければならない状況になった場合はとりあえず知っている偉人の名を挙げとこうといった感じじゃなかろうか。
現に好きな偉人のトップ10常連の幕末の偉人のドラマをやると思ったほど視聴率は取れない。
他で例えるなら女に聞いた「彼氏に乗って欲しい車トップ10」とかでベンツやフェラーリが常連で入ってくるだろ?
その癖、「車種は?」と聞いたら全然知らないわけだ。
だから「好きな偉人100人」ではなく「知っている偉人100人」にすべきだと思う。


241 :人間七七四年:2007/04/04(水) 12:08:46 ID:zSCN33eV
>>240
歴史オタ 特に戦国オタだととんでもない武将を出してくる奴がいる お前はそれを普通だと思っているだけ
こっちのほうがおかしいんだよ、「俺はこんなマイナー武将も知ってるんだぜー凄いだろー」とバカぬかしてるだけ
何故戦国が好きになったか その出発点はやっぱ織田信長や武田信玄なわけ となればあの結果は普通
坂本竜馬でぐぐってみたらわかるけど信長に比べて圧倒的にヒット数が違う 秀吉や家康でも勝ってることは勝ってる(だが、戦国オタでの勢力争いで信長やらに票が割れるのに対し幕末オタ=坂本竜馬)
歴史オタが間違ってると思えば全て納得できる

242 :人間七七四年:2007/04/04(水) 13:49:11 ID:aoidIENQ
てか信玄は人気じゃないだろ。
テレビ局とかがやる歴史人物の人気調査だと、戦国中では大抵信長がぶっちぎりでトップで秀吉がその次
あとは幸村とか伊達政宗とか
信長と秀吉は天下人なおかげで、教科書とかで確実に教えられるのもあるだろうが。

天下人中では家康の人気が不自然に低いな。

243 :人間七七四年:2007/04/04(水) 14:16:33 ID:FzBcAMD9
そもそも歴史に興味ある人自体少ない
歴史に興味ない人が
歴史上の人物で誰が好きか?という質問をされると
強いて言うなら信長かなぁという人が多くても
信玄という人はそうそういない。
俺の周りだと信玄は知らない人はいないが知ってるのは名前だけで、
戦国最強だとか思ってる人もいない。
名前はまあ知られているくらい。
世間一般(歴史に興味ない人)じゃあそんな認識なんじゃないか?




244 :人間七七四年:2007/04/04(水) 14:22:22 ID:zSCN33eV
>>242
家康は歴史オタからの人気すらないからな・・

>>243
そう、だからあの結果は自然


つまり、あの結果に不満をもっている奴がおかしい

245 :人間七七四年:2007/04/04(水) 14:25:58 ID:3Gk2cwjx
家康のイメージが悪いのは明治維新以後の影響
徳川を倒した新政府にとっては家康が人気だと都合が悪い

246 :人間七七四年:2007/04/04(水) 14:32:25 ID:zSCN33eV
>>245
だがあの狸親父は気に入られなくて当然
秀吉が人気あるほうが気にくわんけどな

今まで人気では
信長>秀吉=家康>信玄>光秀>謙信 ぐらいだったのが
信長>>>>>>秀吉≧光秀>家康>信玄>謙信 となったぐらいか

247 :人間七七四年:2007/04/04(水) 14:49:31 ID:FzBcAMD9
>>246
なんか光秀の人気が高いような気がするが…
歴史好きの中での人気?
だとしても、さすがにこのメンツじゃ信玄・謙信の方が人気上なんじゃないか?

248 :人間七七四年:2007/04/04(水) 15:57:42 ID:jxnOmZV8
>>247
信長、秀吉、家康の知名度と人気は文句ないと思う。
光秀もやはり歴史が中学で必須である以上学ぶ人は多いし、知ってる人も多い。
そして、信長は戦オタの分布に多いように熱狂的な信者も多ければ、凄いアンチが多いのは一般人も一緒。
信長のアンチは光秀スキーが結構多いわけよ。
だから光秀の人気が高いってわけ。
だと思う・・・

249 :人間七七四年:2007/04/04(水) 16:41:37 ID:zSCN33eV
>>247
前の日テレの番組ではいいとこ行ってたと思う

250 :人間七七四年:2007/04/04(水) 18:47:46 ID:8MJqYbUn
>>238
>武田側の軍役体制の変更
>それまでは槍が主流だったのが鉄砲の役が増し、さらに鉄砲訓練の怠りが処罰対象になった
>持ち回りでの火薬奉行も設置されるなど、武田軍は火力重視に戦備を切り替えている
>鉄砲の威力を実感していなければ、ここまで信玄以前と軍役を変動させる理由が無い

長篠の戦いの時も武田家は鉄砲を多く使ってたよ。
家康の実見で「長篠城は鉄砲で穴だらけだった」って話もあるし。
それに俺の読んだ本じゃ武田家は信玄の頃から鉄砲は重視していたって書いてあるんだが。

251 :人間七七四年:2007/04/04(水) 18:57:16 ID:EvBG0E/9
>>250
第二次川中島の時の旭山城篭城の鉄砲隊三百のことだろうな

252 :人間七七四年:2007/04/04(水) 19:37:16 ID:9CFT7/3B
>>251
妙法寺記の記述の事だろ。別段重視でも何もないんだが武田脳だと違うらしい

253 :人間七七四年:2007/04/04(水) 20:05:48 ID:8MJqYbUn
>>252
エエー長篠以降鉄砲を武田家は重視し始めたみたいなことが書いてあったから
長篠のときも多く使われたって反論しただけなのに。
それに信玄の頃から重視していたと自分が読んだ本には書いてあったて書いて
るだけで、武田脳とか武田厨認定されるのか・・・orz


254 :人間七七四年:2007/04/04(水) 20:07:21 ID:90F2eyh3
>>234
もちっと普通に考えろよ。
織田側は馬防柵だけでなく土塁や豪を何重にして防御しているんだぜ。
そして前線にいるのは雑兵、主だった武将はそのまた後だったろうさ。
家康や信長が先頭になんかたつものか。
この時代だから数は当然不正確だろうが激戦になった場合、武田側は
織田・徳川の武将までの距離は長かったろうさ。
武田の惨敗はたしかだが一般にいわれるような一方的な勝利ではない。
>>184は漢字の読めないただの馬鹿。

255 :人間七七四年:2007/04/04(水) 20:25:27 ID:aoidIENQ
>>254
その雑兵は誰のもので誰が指揮してるのよ・・・。
まさか主だった将が誰もいないのに、兵だけいるとか厨な事言いたいわけじゃないだろうな
その場合、武田は名のあるものが誰もいない烏合の衆にやられた雑魚になるわけだが。

256 :人間七七四年:2007/04/04(水) 20:44:59 ID:aoidIENQ
また、信長公記での記述では織田・徳川の被害はほぼない。
三段撃ちも含めて、長篠日記の説が正しいといえるだけの状況証拠が乏しすぎると思われるわけです。

257 :人間七七四年:2007/04/04(水) 21:35:35 ID:+HnimxsS
>>228
あんた山梨の人か?
武田信玄は上洛を目指し志半ばで生涯を閉じた
名将であった これぐらいで十分だろ
戦国最強とか1番優秀とか書くのは止めとけ
サイトや日記帳に書くぶんには良いが読んでると
武田を貶めてるように思えてくる

258 :人間七七四年:2007/04/04(水) 21:37:28 ID:ek3Ny9M/
長篠日記の信憑性ってどうなの?三段撃ちとか。

259 :人間七七四年:2007/04/04(水) 22:10:17 ID:XtMy1QO+
またループか

260 :人間七七四年:2007/04/04(水) 22:20:41 ID:EvBG0E/9
>>258
高くは無い
成立は同時代に近いと思ったが
現存している写本はもっと後世のもので
三段打ちや長坂が軍議に参加していたりする

文章にも明らかに軍鑑や信長記の影響などが見られる個所があると言われる

261 :人間七七四年:2007/04/04(水) 23:13:00 ID:9CFT7/3B
>>258
三段打ちが当時別段特殊だったわけじゃないけどね。補助として弓と組ませたり普通にしてる。
弾幕張るにゃこっちのがいいんだけど


262 :人間七七四年:2007/04/04(水) 23:25:05 ID:j0hgip9D
普通に入れ替わって撃ちそうなものだけど、鉄砲
雑賀みたいに鉄砲を入れ替えて撃つのもありじゃないの?

263 :人間七七四年:2007/04/04(水) 23:29:25 ID:7uPCwy4c
鉄砲があれば無尽蔵に
打ち続けられる訳ではないんだけど
玉と火薬を用意する負担が物凄く大きい
からこそ三百丁持っていても、たいして
効果的に使うことができなかったわけだが。

264 :人間七七四年:2007/04/04(水) 23:36:47 ID:j0hgip9D
遊撃隊である酒井ですら五百丁持っていったらしいから
信長の三千丁も嘘ではないだろう
話の通り三段撃ちなら一度に千丁の鉄砲が火を噴くんだから
堪らんぞ

265 :人間七七四年:2007/04/05(木) 00:17:05 ID:v2QoplX/
鼓膜もたまらんだろうな。

266 :人間七七四年:2007/04/05(木) 07:59:50 ID:PzZmAnJ+
>>264
千丁の鉄砲が火を噴いても当時の鉄砲でどれ程命中したかな。日露戦争でさえも一斉射撃での鉄砲の命中率は5%程度だよ。


267 :人間七七四年:2007/04/05(木) 10:59:02 ID:020H19Yw
ロシア軍は剣や槍を持って接近してきたのか?

268 :人間七七四年:2007/04/05(木) 11:06:48 ID:iAcjBKKH
日露戦争の勝因は兵の質とか秋山の戦法とかあるが
下瀬火薬と村田銃にもあるのじゃないの?
奉天会戦では銃の命中精度にかなりのひらきがあったみたいだぞ
そうじゃなきゃ少数で多数は撃破できないだろう?

269 :人間七七四年:2007/04/05(木) 12:43:36 ID:KX39WcY5
日露戦争では、例えば奉天会戦では日本軍のほうが機関銃だけは多かった
だから戦国期のそれとは比べられないんじゃ?
長篠合戦以降、武田家の鉄砲重視シフトが起こったのは史実で(それ以前の軍役比重変更とかの書類は見つかっていないはず)
やはり鉄砲が武田に衝撃を与えたことは確かだろう
長篠戦では武田鉄砲隊も勿論出ているが、弾切れを起こして最後は白兵突撃して撃破されるという悲しいレベル
火薬の備蓄やそもそもの数量に圧倒的開きがあったと思われる

270 :人間七七四年:2007/04/05(木) 12:59:01 ID:78gElzK2
確かに堺の火薬が織田以外に流通するのを禁じていなかったとはいえ、
堺を押さえているのといないのでは火薬の備蓄の差はかなりのもんだろうな
火薬の価格差はどんなもんだったんだろう?

271 :人間七七四年:2007/04/05(木) 13:15:22 ID:iAcjBKKH
奉天でのロシア兵の突撃の間隔は日本より疎らで
5メートルくらいの幅で突撃してきたらしい
それを一斉射撃で撃退したらしいが、村田銃のニ三百メートルでの
射撃精度は当時の世界一、だから日本の左翼はクロパトキンが
右翼からのスイングで日本に倍する兵力をつぎ込んでも負けたらしい

272 :人間七七四年:2007/04/05(木) 13:29:40 ID:KX39WcY5
>>270
地域価格差がどれほどだったかはよくわからないな
ただ、1580年になって勝頼が大量の銃弾火薬(およそ十万発分)購入を指示している
史料が軍鑑だからアレだが、武田家滅亡時の遺産は全部でおよそ五千両
通説どおりに上杉景勝との和睦の際に多額の金銭を受け取ったり、重税をかけたりした割にその残量は少ない
鉄砲戦に対処するためにかなりの負担があったと推定はできるんじゃ?

273 :人間七七四年:2007/04/05(木) 15:41:15 ID:oGssiTO3
織田軍が長篠戦で出したのは3万程度
公記等の記述を信じるのなら、他方面へ出した兵数より少なめ
しかし多聞院日記等によると、この時期の軍役対象ではないはずの筒井氏からも鉄砲衆だけは動員させている
鳶ノ巣山奇襲で信長馬廻から抽出された鉄砲だけで500
新戦法が合ったかどうかはともかくとして、信長が火力を重視し戦後武田の軍制を変更させる程度には猛威を振るったんだろう

274 :人間七七四年:2007/04/05(木) 16:37:52 ID:rmo64oUF
織田以外の家が畿内で鉄砲、火薬を購入すれば信長のサイフも温まるわけで
その収入で更に他家よりも安値で鉄砲、火薬を購入出来たんだろうね?
しかも鉄砲に関しては小勢力を除けば、織田家ほど実践経験がある軍勢を所有してる
家も無かった訳で・・・。

スレ違いだけど毛利家なんかは同時期に鉄砲に苦しんだ って話を聞かないけど
九州経由とかで独自ルートがあって結構保有してたのかな?
織田本隊とは正面衝突まではしてないから話に出てないだけ?

275 :人間七七四年:2007/04/05(木) 17:40:35 ID:kIBf89yu
信長信者が暴れてるから助けて(>_<。)
ttp://game11.2ch.net/test/read.cgi/gamehis/1162691028/l50

276 :人間七七四年:2007/04/05(木) 17:44:29 ID:ZrFyZz/m
>>275
やあやあ向こうのスレの者だがね

319 名前:名無し曰く、[] 投稿日:2007/04/05(木) 12:12:26 ID:1UFFJllW
つ―か信長ほとんど働いてね―じゃね―か
戦はほとんど家臣に任せてたし
唯一桶狭間くらいか?

322 名前:319[] 投稿日:2007/04/05(木) 12:40:13 ID:1UFFJllW
>>321
信長信者必死だな(^Д^)
信長なんて武田が怖くて贈り物ばかりやってたんだぜ?
小谷城落としたのも秀吉、鉄砲三段発明したのも光秀、他にも腐るほどある
信長はお山の大将きどりでただキレてただけ
現在でもいるよな、こういう輩
政治はかなり良かったんだろうが、これも家臣の説ってのがある

そんなに信長の戦闘値が凄いなら家臣じゃなくて他に信長が出陣した戦や攻略した城の話をしてみろよ

324 名前:名無し曰く、[] 投稿日:2007/04/05(木) 13:02:18 ID:1UFFJllW
釣れてよかったぁ〜\(^0^)/

328 名前:名無し曰く、[] 投稿日:2007/04/05(木) 14:14:33 ID:1UFFJllW
テOフOPOPPPPPPPPPPPPPPPPフyyテzXテyyフOOOOOフフフフフyyyyyyyy

329 名前:名無し曰く、[] 投稿日:2007/04/05(木) 14:17:45 ID:1UFFJllW
ここは良く釣れる釣り堀ですねyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPy
PyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyPyP

330 名前:名無し曰く、[sage] 投稿日:2007/04/05(木) 14:20:18 ID:1UFFJllW
信玄が死んでなかったら、織田なんか踏み潰されてたんだよ、このミジンコ野郎共が^^^^^^^^^^^^

331 名前:名無し曰く、[sage] 投稿日:2007/04/05(木) 15:03:38 ID:MEBCHZOg
なんだよ携帯厨か‥

332 名前:名無し曰く、[sage] 投稿日:2007/04/05(木) 15:18:38 ID:3WNu1yPE
武田厨涙目wwwwww
完全敗北だな 無条件降伏したといっていい

333 名前:名無し曰く、[] 投稿日:2007/04/05(木) 15:42:45 ID:1UFFJllW
(>_<)う、うるさいやい!

334 名前:名無し曰く、[] 投稿日:2007/04/05(木) 15:43:58 ID:1UFFJllW
テテテテテテテテテテテテテテテテテテ

335 名前:名無し曰く、[] 投稿日:2007/04/05(木) 15:46:30 ID:1UFFJllW
織田なんてのはなぁ、家康・秀吉軍団・光秀・勝家・利家がいなかったらチンカス野郎なんだよ屑共が

336 名前:名無し曰く、[] 投稿日:2007/04/05(木) 15:47:27 ID:1UFFJllW
これだからゆとりは困る(-.-)y-~ヤレヤレダゼ

こういう典型的武田厨がいるから遊んでやってくれ

277 :人間七七四年:2007/04/05(木) 19:16:56 ID:lcTAZj23
>>255
そんじゃ逆に名のある武将が先頭に立って雑兵が後でたむろしているのか?
そうではあるまいに。
完全に防御態勢をしいているから指揮官は後から采配するもんだろ。
武田は逆である程度被害がでた時点で退却戦になるから指揮官は前線に残って
指揮をとるしかない。
織田・徳川からみれば追撃戦になるからその時点で激戦になって雑兵に被害が
出た可能性は当然あるな。穴山や信豊のようにさっさと逃げなかった
武田は武将は雑兵に伐たれても仕方あるまい。
まあ、これは一つの可能性であって貴方に考えを押しつけるつもりはないから
突っ込まないでね。


278 :人間七七四年:2007/04/05(木) 19:41:58 ID:PzZmAnJ+
>>274
瀬戸内海とか中国地方じゃ、100年も前から火吹き矢とか呼ばれ普通に海戦で使われていたから慣れてたんじゃないの。
腰で撃つ鉄砲で命中率はえらい低かったそうだけど


279 :人間七七四年:2007/04/05(木) 20:06:36 ID:RJrEemwe
火薬に関しては、「日本国内の鉄砲の数とそれに使用される消費量を考えれば、
とても貿易で賄えるものじゃない」という意見があり、国内の硝石生産も行わ
れていたのではないかと予想もされているけどね。
日本にくる南蛮船、日本から海外にでた交易船が全て硝石だけを仕入れてきた
というのならともかく。

280 :人間七七四年:2007/04/05(木) 21:35:46 ID:PzZmAnJ+
>>279
民間伝承しかないからなんとも言えないけどね。どうしても希望的観測になりがち。
特に豚信者は『本願寺と組んでいたから越中五箇山から硝石を大量に手に入れてましたwwww』とか寝言ホザくし(苦笑)
硝化菌は1890年、ウイノグラドスキーによって立証されたけど江戸時代に既に日本じゃ生産されてたんだよね。
戦国時代は個々の忍びで秘伝とされていたから市場には出てなかったと思うよ。
パトロンには提供ってとこだと思う。

281 :人間七七四年:2007/04/05(木) 22:00:42 ID:RJrEemwe
>>280
はい、日本では少なくとも文献資料で確認できるのは江戸時代からです。
ヨーロッパでは、13〜14世紀には広まって火薬の値段がそれまでの輸入頼み
の頃からは五分の一以下にまで下がったとか。

282 :人間七七四年:2007/04/05(木) 23:00:51 ID:qEfeWMGf
>>277
何でそんな両極端に考えるんだ
指揮官だって前線にいるものもいれば後方にいるものもいるだろ
信長指揮下の雑兵より佐久間なんかの諸将はより前線に近い位置にいるだろ
そして佐久間の陣もいくつかの備えに雑兵が配備されて先備えの指揮官は
多くの雑兵よりも前にいる

織田信長信忠信雄・徳川家康信康らは後方で、それらの部隊はそれほど戦っていない
前線にいるのは織田系だと佐久間滝川丹羽前田佐々ら
徳川系だと石川大久保ら
これらの武将の総兵力がどの程度かは分からないけど
その中で6000も雑兵が死んでいて、それなのに名のある武士が死んでいない
としたらおかしいってことでしょ

283 :人間七七四年:2007/04/06(金) 00:56:34 ID:vxycmA4D
信長公記の織田徳川はほぼ無傷という記述と食い違ってるしな
長篠日記はネタでいい気がするが

284 :人間七七四年:2007/04/06(金) 01:26:48 ID:q7qZ8jgZ
3万のうち6000死んだら壊滅状態だよな。
普通に考えて。

285 :人間七七四年:2007/04/06(金) 04:00:05 ID:hr+FVHOh
負傷者含めたら15000くらいはいるだろうな‥明らかに捏造だろ

286 :人間七七四年:2007/04/06(金) 09:18:19 ID:aF8vdGOj
千余討死、でも大敗とされるのに(信玄でいえば戸石崩れとか)
六千なんて数字はちょっと有り得ないよね
講談での川中島合戦の損害を見て「もっと派手に」とか改竄してそうだ

287 :人間七七四年:2007/04/06(金) 09:28:18 ID:V9S2Ug7F
そういえば、アンチ武田というのは未だに川中島が創作されたものとか
言ってるんだよねえ、有力大名同士が直接対決した唯一の戦い(しかも
二人とも後に最強となる)は事実、お分かり?
最強同士の戦いなんて決着つかなくて当たり前

288 :人間七七四年:2007/04/06(金) 09:41:09 ID:aF8vdGOj
>>287
いや、どこから突っ込んでいいのやら……
創作されたっていうのは経緯が創作されたって話じゃないの?
だって通説の川中島合戦は信玄自身の書状と反する内容だよ?

289 :人間七七四年:2007/04/06(金) 10:58:35 ID:v17QfOYW
武田勝頼って軍鑑とかの酷い創作部分で貶められた反動か、評価する人が多いようだけど
やっぱり信長には勝てないよ
鉄砲重視策一つにしたって、信長は敵に大敗する前からやってたんだもの(道三との会見時に既に三百丁)
確かに信玄の時代からの重税とかを押し付けられたのは可哀想だけど、たいした将器が合ったとは思えない

290 :人間七七四年:2007/04/06(金) 11:32:13 ID:kHlImuag
鉄砲をたくさん持ってっても一発しか打てなければ意味がないんだよ?
百万石クラスのの大名は永禄年間にも千丁位鉄砲を用意することは出来たはず。


291 :人間七七四年:2007/04/06(金) 11:45:06 ID:5iz3Zv73
>>290
誰が、千丁の鉄砲を持っていたよ?

292 :人間七七四年:2007/04/06(金) 11:52:20 ID:v17QfOYW
んー…史料から千丁とはっきり装備していたことがわかるのは、雑賀衆らと織田軍ぐらいじゃないの?

293 :人間七七四年:2007/04/06(金) 11:59:50 ID:hr+FVHOh
永禄年間の100万石クラスって上杉、武田、北条、毛利、大友‥この辺?


294 :人間七七四年:2007/04/06(金) 12:00:05 ID:kHlImuag
だから玉と火薬を用意できなければ意味がないから
どこも持ってなかったてこと。


295 :人間七七四年:2007/04/06(金) 18:18:23 ID:U8vf9Ciy
>>293
大友はそれなりにもってそうだが。

296 :人間七七四年:2007/04/06(金) 18:44:37 ID:6CFlfevh
千丁ぐらいならどの大名も持ってるよ。ただし防衛用にな。

297 :人間七七四年:2007/04/06(金) 23:26:50 ID:Rkfiw1pd
いまタモリの番組見てるけど
信玄てなんか面白い裏話ないん?

298 :人間七七四年:2007/04/06(金) 23:29:58 ID:SUxuzNdk
>>297
実は包茎

299 :人間七七四年:2007/04/06(金) 23:43:07 ID:O8fV6pG3
見たのか?

300 :人間七七四年:2007/04/06(金) 23:59:54 ID:nBRWAQse
やっぱあれだろ、ムカデ怖い。
で、馬場が嫌がらせしたんだっけ?

301 :人間七七四年:2007/04/07(土) 00:12:23 ID:qZo1Jnpb
信長包囲網の頃、信玄も包囲網に苦しめられていた。

三国同盟を破り、今川を攻めたため北条と決裂。
さらに欲張って同盟者の徳川にちょっかいを出したために徳川とも敵対。
さらに上杉が北条と徳川と同盟したために
周りが敵だらけになってしまった。

信長包囲網と違って、自国が突出してるわけではなく
周りが自国と同規模の大国だからかなり苦しい状況だったはず。
上杉が北条の要請を無視したりするから、結局グダグダになって崩壊したけど。

302 :人間七七四年:2007/04/07(土) 08:07:38 ID:T/GVmoTV
通説では信長が信玄を恐れていた、ってことになるけど
当時の史料を見ると信玄も信長に媚びたどころか保護を求めていた、とか?
散々ガイシュツだが信長しか味方いません、とか貴方を粗略にしたら私滅亡とか。例え日本半分の国持ちになるほどの幸運があってもあなたを蔑ろにしませんとか。
結構情けない文言連ねてるw

303 :人間七七四年:2007/04/07(土) 08:59:16 ID:23cx5wlY
信玄包囲網の時にちょっと動いてあげたのに、信長がピンチになると
ここぞとばかりに大軍動かしてきたのではらわたが煮えくり返る思いだっただろう。
武田の残党狩りはその時の怒りをぶつけるかのごとく熾烈。

304 :人間七七四年:2007/04/07(土) 09:55:12 ID:E6zUjIWA
>>297
あんないい加減な番組で取り上げられても嬉しくないだろ
歴史好きなら誰しもが知ってる事ばかりだし
昨日の信長の派遣の品格とやらで信長が謙信に贈ったビロードのマントが信長が使っていたマントと紹介されてんだぜ
もうアホか、と

305 :人間七七四年:2007/04/07(土) 10:17:59 ID:MHb6Q7tL
>>301>>302←こういうアホな解釈しか出来ないからアンチはますます
馬鹿にされ、逆に信玄の高評価につながると考えないから笑えるね。
外交によって他国を利用して戦略にあたるのは兵法上当然のことだ。
信玄が自らに対する包囲網を軽減する為にも一時的に信長を利用したがる
のは当然のこと、てゆうかへタレ信長を恐れてたんなら西上なんかするわけ
ないだろ(笑)
むしろへタレの方が貢物やら婚姻やらで信玄に対して恐れを抱いていた。

306 :人間七七四年:2007/04/07(土) 10:22:04 ID:Fn4CdYJE
アンチというか客観的な事実を述べただけじゃね?

307 :人間七七四年:2007/04/07(土) 10:32:18 ID:T/GVmoTV
武田狂信者が信玄の場合だけ都合よく解釈するのはそいつの勝手
史実は変らないからなぁw

308 :人間七七四年:2007/04/07(土) 11:26:37 ID:H9jCNDL8
信長も信玄も外交文書ではへりくだってても
腹の底では「時期が来たら滅ぼしてやる」と思ってたんじゃないかな。
特に信長はそう考えてたと思う。

309 :人間七七四年:2007/04/07(土) 11:29:32 ID:HkQs/m9o
縁戚や長年の同盟相手を容赦なく自分から裏切ってきた経歴からすると、信玄のほうが狙ってやってた可能性が濃い気がする。
実際、同盟破りは信玄からだし。

310 :人間七七四年:2007/04/07(土) 11:34:40 ID:8pSucOHU
浅井の件のように信長は案外抜けているから
本気で同盟結んだ積りだったかもね

311 :人間七七四年:2007/04/07(土) 11:39:03 ID:0HLd1C/d
ま、信長の助力が無かったらあの時点で信玄はお陀仏だったわな。
まさに織田仏。

そんな信長をもあっさり裏切ったのは、助けられたことで信長に対して
かえって屈折した劣等感や屈辱感を感じてしまったのだろうね、信玄は。
どこかの半島の人たちのように。

信長が信玄を恐れたというのは能力、国力の問題ではなく、
道義や倫理の通じないチンピラ、基地外を恐れたという意味だろうな。

312 :人間七七四年:2007/04/07(土) 11:46:42 ID:HkQs/m9o
背後を同盟者に裏切られて突かれたら、普通に嫌だ罠

313 :人間七七四年:2007/04/07(土) 12:22:13 ID:VXdILSQq
>>織田仏
うまいww座布団3枚だなww

314 :人間七七四年:2007/04/07(土) 12:27:09 ID:RHyH8umA
戦国の世で道義や倫理を唱える人間は愚か者。


315 :人間七七四年:2007/04/07(土) 12:53:33 ID:VXdILSQq
>>314
今の道義や倫理を当時に当てはめるのは間違いだと思うが、
当時も当時なりの道義や倫理はあったんじゃあないか?

316 :人間七七四年:2007/04/07(土) 14:02:50 ID:o8x1kjUF
というか、いまだに長篠で武田軍は鉄砲にやられたとか、
その後慌てて鉄砲中心に編成替えした、なんていう
戦前の読み本みたいな話を信じてる人が実在するの??

勝頼が最後にはカラッケツになってたなんていう至極
当たり前の話を「鉄砲買うのに金を使ったから」って…
「信玄謙信は砒素で毒殺された」なみのバカな発想だ。
釣りにしてもアフォからしか出てこないだろ、こんな考え。

317 :人間七七四年:2007/04/07(土) 14:30:50 ID:QmTkmTMF
>>311
とりあえず信長の和議一回だけで信玄包囲網が機能しなくなったわけじゃないよ。
本庄や一向一揆といった反上杉勢力、反北条勢力を動かしてそれぞれの動きを
からめとって兵を動かした結果なわけで。
ちなみにあんまり知られていないけど信長は本願寺との対立で信玄の仲介で和議をしたこともある。
屈折した劣等感うんぬんはかなり無理があると思うぞ。

318 :人間七七四年:2007/04/07(土) 14:38:05 ID:+1Pxu6pM
月曜になればココも静かになるな。
いや、1人年中休みなのがいたな羨ましい。

319 :人間七七四年:2007/04/07(土) 14:47:47 ID:MHb6Q7tL
@家柄

武田信玄:平安時代から続く清和源氏の名門。源平合戦や承久の乱で活躍し、「平家物語」にも先祖が登場する由緒ある家系。

織田信長:現在の福井県の織田神社の神主の子孫。神社の神主になる前はどこで何をしていたかもわからない馬の骨の家系。

A少年時代

武田信玄:子どものころから賢く、難しい中国の古典などを好んで読む文学青年だった。

織田信長:いまでいう暴走族のようなことをしていた。毎日、子分を連れて、町中を異様なかっこうで歩き、町人にからんだり、店の商品を勝手に食ったりして暴れまくっていたので、「尾張のうつけ(愛知県一のバカ)」と呼ばれていた。

B指揮官としての能力

武田信玄:15歳で初めて戦場を経験し、その人生最初の戦いで敵の油断を突いて城を攻め落とすという天才ぶりを発揮した。生涯戦績は72戦49勝3敗20分で、負け率はたったの4.2%

織田信長:生涯戦績は156戦113勝29敗14分で、当時最新の兵器・鉄砲を多く保有していたにもかかわらず、負け率は18.6%(←弱っ)。鉄砲隊の使い方も下手だった。指揮官としての能力は高いとはいえない。

C人望

武田信玄:家臣と民を大事にしたので、死後も慕われつづけた。飢饉の年に戦争を繰り返して人々を苦しめる父親を止めるため、父親を追放した。

織田信長:家臣に厳しく、容赦なくこき使い、必要がなくなった家臣はすぐに処分したので、家臣からは恐れられても信頼はされていなかった。家臣を大事にしなかったので、信長の死後、織田家を守ろうとする家臣はほとんどいなかった。




320 :人間七七四年:2007/04/07(土) 14:53:56 ID:TJ6DZNad
>>319
>負け率はたったの4.2%
>負け率は18.6%
そう書くと信玄スゲーと思うが、こう書いてみるとどうだろう

信玄の勝率:68.1%(白星:49)
信長の勝率:72.4%(白星:113)

あんまり変わらないね

321 :人間七七四年:2007/04/07(土) 15:02:19 ID:5/wl4wYu
>>317
>信長は本願寺との対立で信玄の仲介で和議をしたこともある
知りませんでした。何年にどのような状況で結ばれた講和の時のことなのか、
具体的に信玄がどう仲介をしたのか、教えてもらえませんか?挙げられるの
なら史料名つきで。

322 :人間七七四年:2007/04/07(土) 15:04:40 ID:MHb6Q7tL
>>320  そうなのです、結局無駄な無駄な戦が多かったのがへタレ信長
の信長たる所以なのです、ちなみにこんなエピソードは信長には見られませんよね

http://www.hm.h555.net/~hajinoue/jinbutu/takedasingeen.htm

323 :人間七七四年:2007/04/07(土) 15:08:30 ID:0bxDWpZC
>>319
取りあえず4の人望にだけ突っ込もう。父親追放した後、結局信玄自身が戦のために税を重くしてる件。

324 :人間七七四年:2007/04/07(土) 15:23:56 ID:QmTkmTMF
>>321
1572年に行われた和議の事です。
伊勢長島と戦って失敗した信長は家臣に一向宗禁止令などを出して
緊迫した状況になりましたが信玄の仲介という形で和議をしました。
信玄は本願寺と関係が深いですし、その時は信玄も信長とは同盟関係にあったので
両者の仲介には適していたようです。
随分前に本でみたものなので史料名はちょっと挙げられませんが
多分ウィキぺディアにものっていたと思います。

325 :人間七七四年:2007/04/07(土) 15:34:18 ID:D8nFuxhC
>>322
そのサイトを見たら、のっけからして
>本日も、武田家の兵法書として知られる「甲陽軍艦」の内容に即しながら、
>何点か、指導者の在り方について確認しておきたい。
とあって萎えた。

講談を、真実の歴史のごとく語って何が楽しいんだ?メガブタよ。

326 :人間七七四年:2007/04/07(土) 15:45:05 ID:OMeW0g6L
ウィキぺディアかぁ…
講義で漫画「武田信玄」、「織田信長」って凄いねと
雑談ネタにする程度だから根拠に挙げるは
君の為にならないよ。

327 :人間七七四年:2007/04/07(土) 16:07:16 ID:tIcYEAFX
なんかgdgdだしとりあえず別の切り口を考えようと思った。
当時の農業生産力の比較とかできんかな?
信濃方面は知らんけど、濃尾平野は江戸時代飢饉が無かった程の豊穣な土地だったっぽいことは確かみたいだが。

328 :人間七七四年:2007/04/07(土) 18:54:14 ID:5/wl4wYu
>>324
>信長は家臣に一向宗禁止令などを出して
これも知りませんでした。
信長が宗派の禁止令を出したなんて聞いたことありません。実際に荒木謀反に一向宗の家来達の
動向があったという説や、また妙向尼(森可成正室、長可・乱丸の母。一向宗に出家)の伝説など
否定する状況はいくらでもあります。「令」として家中に出したというのなら、当然の秀吉の切支丹
禁止令などのようにはっきりと書状が残っているのですよね?そんな書状が存在するなどと聞いた
こともなければ見たこともありません。論文で言及されているのを見たこともないです。

また、講和についても「信玄の仲介で」というのなら書状なりなんなりが残っていると思いますが聞いた
ことありません。そもそも「72年の講和」というのが初耳です。ついでに言うと、信玄は72年1月には信長
に交誼を求める書状を送っていますが、3月には比叡山と正式に結びつき、信長に対する敵意も表明して
います。そもそもこの年10月には最後の西上作戦に出陣していますし(予定ではもっと早かった)。
第一次長島が71年5月(比叡山焼き討ちが9月)、第二次が73年9〜10月。72年のいつ、講和があったの
ですか?

正直、どこかの小説の類のヨタ話としか思えません。

329 :人間七七四年:2007/04/07(土) 18:57:41 ID:9N98p9wS
>>324
逸話としては知っているけど
ソースは聞いたこと無いな
前に遺文武田氏編を流し読みした時にも見た記憶がない

1572年7月に一向宗禁止令を出したということだけど
信長からすれば何でこの時期にそんなことをって気がするけど
あと森家とか一向宗の家のはずだけど・・・

まあGWにでも目を通してみるかな

>>327
農業生産力こそ石高じゃないのか?

330 :人間七七四年:2007/04/07(土) 19:03:13 ID:9N98p9wS
内容がかぶった
しかも328氏のほうが丁寧に詳しく書いてる

>>328
1572年3月に本願寺から万里江山の一軸と白天目の茶碗を贈られているな
でもこの時期に和睦したかは知らない

331 :人間七七四年:2007/04/07(土) 19:32:32 ID:5/wl4wYu
>>330
>1572年3月に本願寺から万里江山の一軸と白天目の茶碗を贈られているな
そういえばこんなエピソードありましたね。忘れてましたすまん。
ただ、これをもって両者に和睦が結ばれたとする話は知りません。この後も両者
争ってますし。仮にこの時点で一時的にせよ和睦が結ばれたのだとしたら、その
メリットは信長にしかない。この時期はまだ朝倉浅井も三好も松永も信長と戦い
続けている。なのに本願寺だけが一人信長と和睦して戦線離脱?裏切り行為じゃ
ないですかね?
そもそもこれだと、「本願寺が」「信長にプレゼントして」「和議を結んだ」となってしまう。
信玄が介入する余地がない。

332 :人間七七四年:2007/04/08(日) 11:27:53 ID:QivyTKhO
メリットはあるでしょ
本願寺が各国寺院に回した文書には「寸志に励め」と兵より物資を要求する内容に変化している
浅井朝倉にも言えることだが、消耗戦状態に突入した対織田戦で一息つけるのは大変なメリット
……ただ、本願寺は信玄の西進中に「北陸の一揆が謙信相手にしてるから、信濃に出兵して助けてやってください」と明らかに信玄の戦略と反したお願いしてるから、やっぱりバラバラだっただけかも

333 :人間七七四年:2007/04/08(日) 12:19:41 ID:DkX6bHVi
そもそも信玄が信長を裏切った理由がわからない
東美濃の遠山氏ら中立的国人を緩衝地帯として、お互い背中を守りあう関係
遠山氏の娘を信長の養女として婚姻が行われ、後には信玄の娘が信長の嫡子に嫁ぐ話も纏まっている
信長は畿内近江方面に、信玄は越後や関東方面にそれぞれ主敵を抱えていて対決するメリットよりデメリットのほうがはるかに大きかったのは後年でも変わらない条件
信玄は信長の仲介で三方の大国から包囲される危機を脱したりとむしろ信玄のほうが得をしている
(浜松城御在記によると、そもそも徳川・武田の同盟による今川攻めも信長の仲介によるもの)
こうしてみると、信玄は上杉という大敵を抱えたままメリットだらけの同盟を何重にも裏切ってそして家を滅ぼす原因を作ったとしか

334 :人間七七四年:2007/04/08(日) 13:07:43 ID:lQ8mJVlh
まあ、
義昭におだてられて舞い上がったてことだろう

335 :人間七七四年:2007/04/08(日) 16:30:33 ID:wBw1kUT/
信玄は、信長が浅井・朝倉を滅ぼし畿内も平定したら、
その後は同盟国の武田も攻略対象のひとつにするって
予想したんじゃないの。
信玄自身、同盟を破って駿河へ侵攻した前歴があるから。
信長も3カ国以上を領有する武田をそのままにしておくかな。

信長が浅井・朝倉を倒してしまった後では
織田と武田の国力に圧倒的な差が開いて、
信玄はもう太刀打ちできなくなってしまうので、
遅まきながら包囲網に加わったと。

336 :人間七七四年:2007/04/08(日) 16:52:33 ID:G/b+arrP
自分が同盟破りするから、相手もするに違いない、か
ありえるかも。人間、自分の尺度で他人を測るもの

337 :人間七七四年:2007/04/08(日) 18:44:12 ID:4b3EjfP0
まぁその時点でも遅すぎたんだがな。
動くなら志賀の陣以前だったんだろうが、信玄も他戦線で釘付け。
信玄は運もなかったと言わざるをえんだろうね。

338 :人間七七四年:2007/04/08(日) 20:21:16 ID:p/gxTKmn
なんかほんと基本的な戦国期の常識を知らない厨が
一生懸命妄想力を駆使して単純な話を複雑にしてるね、
 
 バ カ 織 田 厨 は

「功名が辻」でも見て感心してろよ、もちろんドラマの。
まあアレは原作も古いせいで今では子供だましだが…

339 :人間七七四年:2007/04/08(日) 20:40:50 ID:DneY4PaK
豚がsageを覚えたww

340 :人間七七四年:2007/04/08(日) 21:22:38 ID:4b3EjfP0
>>338
>なんかほんと基本的な戦国期の常識を知らない厨が

勝手に言葉を略したり変化させたりするな。
「なんかほんと基本的な戦国時代小説や講談の常識を知らない厨が」
なら納得行くがね。
まぁ事実がどうであるにせよ、叩くことしかできん香具師は2chでは叩かれる対象にしかならんと無駄に言っておいてやろう。

341 :人間七七四年:2007/04/08(日) 21:53:22 ID:Mjdh65KH
つうかマジで信長はどうやって信玄に勝つつもりだったの?
無理やり兵力だけ揃えても信玄には太刀打ち出来ないよ、野戦の天才信玄にはね。

へタレ信長って29敗もしてて馬鹿じゃね?

342 :人間七七四年:2007/04/08(日) 21:54:08 ID:CSan9VMt
>>337
その辺、信長が上手く信玄を唆して駿河に目を向けさせたのかもね。

343 :人間七七四年:2007/04/08(日) 22:05:59 ID:Mjdh65KH
>>337 ほんといつまでたっても無知で幼稚な見解しか出来ない
んだねアンチはwww
遅すぎたなんてのは、途中で信玄が死んだからという理由から、屁理屈
から無理やりそう評価してるとしか思えないね。
信玄の戦略には何も落ち度はないね、まあ最強同士の戦いが決着つかずだったのは
やむを得ないでしょう。
あのまま信長を更に苦しめて(あるいは倒して)勢力を拡大していけば、様々な方向から
信玄の天下取りが見えてくるのは明白なこと。

>>342 悔し紛れとみてOK?(笑)
そんな工作が信長如きには出来ません


344 :人間七七四年:2007/04/08(日) 22:14:44 ID:rucQSP3c
>>342
死んだと言うのが一番大事だろww
結局は死に際で馬鹿なことして時代に負債残しただけじゃんww
お前の見解が一番苦し紛れwww

345 :人間七七四年:2007/04/08(日) 22:44:09 ID:uA7aPtVo
>>342
信玄が駿河に手を出したのは68年終り
この時期の織田は浅井とも将軍とも本願寺とも上手くやっているので
信長がそんなことする必要は無いと思う

>>337
信長が包囲網にあうより先に武田が北条上杉徳川との包囲網にあっている
武田が動けなくなっているから織田も東を気にせず多少の無茶が出来たのかもしれない
信玄が他戦線で釘付けで無ければ志賀の陣も起きていなかったかも

346 :人間七七四年:2007/04/08(日) 23:29:55 ID:Uw8cIbq6
>>345
>信玄が駿河に手を出したのは68年終り
>この時期の織田は浅井とも将軍とも本願寺とも上手くやっているので
>信長がそんなことする必要は無いと思う
浅井や将軍や本願寺と上手く行っていようが他にも敵はいるし、
さしあたって信長にとって敵にするには面倒な上に旨みの無い甲斐の武田なんて、
他方面に眼が向いている事に越した事は無いだろう。

347 :人間七七四年:2007/04/09(月) 12:41:06 ID:A5SP6fA7
後世から見れば、武田が織田を裏切ったのは当然、と思えるけど
当時のそれぞれの主観からすればそんなことは予測はしてても確信はしてないでしょう
普通に東の同盟者二者の徳川・武田の間を喧嘩しないように取り持った結果じゃないの?>今川攻撃の仲介
まさかここで信玄が駿河制圧完遂もしないうちに裏切り行為を働くと予測できるほうがどうかしている
衝突を危惧するとしても、駿河遠江制圧と分割が成った後でしょ。普通は

348 :人間七七四年:2007/04/09(月) 13:24:42 ID:oP+vV2Ve
信玄上洛ばなしはどうなったんだ



349 :人間七七四年:2007/04/09(月) 14:17:35 ID:OWvAGQiA
>>348
絶対無理ってことで決着付いた

350 :人間七七四年:2007/04/09(月) 15:36:28 ID:pxvz9qnM
三方ヶ原合戦はおびき出しでは無い、という立場を武田贔屓の軍鑑すら取っているという話が前にあったけど
実はこれには合戦前の信玄の言葉が載っている
「水野が援軍に来る、敵地で大軍を相手にするのは大変だから移動しよう」
というもの。松平記にも似たような信玄の言説が載っている(そちらは織田の援軍のほうを明言しているが)
後世だと織田の援軍は三千で、水野勢の動静は消極的だったとわかってるけど信玄の主観だとどれだけ敵軍が増大するかわからなかったというのが正しいようだ
迂闊に浜松他固い拠点を攻めて、大軍の援軍に背後を突かれたらたまらない、だから寸土を切り取っていこう。こんなところが実情だったと推測される

351 :人間七七四年:2007/04/09(月) 17:01:02 ID:13s8S/8x
>>「水野が援軍に来る、敵地で大軍を相手にするのは大変だから移動しよう
この発言が本当なら信玄の目的は西進ではなく
徳川領の切り取りということになりそうだな
西進するなら常に敵地でこれまで相手にしたことない数の大軍を相手にするわけだしな…

352 :人間七七四年:2007/04/09(月) 17:39:51 ID:3sRhe2bB
武田の京上洛は無理。兵数の説は2万とか3万とか諸説があるようですが

経路上に軍事行動を共にするような同盟国が無いし
織田包囲網の武田家同盟国(北畠、朝倉、浅井、本願寺、毛利)の頼り無さ、というか何と言うか団結性の無さ

353 :人間七七四年:2007/04/09(月) 17:47:00 ID:3sRhe2bB
で、信玄公が
織田が雇った「雑賀衆」「根来衆」の鉄砲手に暗殺させた?未遂?耳をかすめた?

これ本当なら、やっぱりダメね

『武田法性院信玄大僧正』が一番好きな武将なんだが

354 :人間七七四年:2007/04/09(月) 18:40:55 ID:hQZvPsJu
徳栄軒じゃないのか?法性院って戒名じゃないの?

355 :人間七七四年:2007/04/09(月) 18:41:57 ID:i3kLSNqq
上洛無理は無理として、飛躍して考えて、もし上洛できたら
信玄はどんな支配、統治を行ったんだろうね
副将軍に推任されて満足して、将軍の下に甘んじたかな?
駿河攻めの稚拙な裏切り行為などを見ると、信長なんかよりも
ずっとヘタなやり方で将軍家を裏切りそう
もちろん本願寺だろうが朝倉だろうが

甲斐を中心とした地域ナショナリズムの権化だし、
京をはじめとした各所で略奪しまくり、搾取しまくりで
大反感を買って自滅するんじゃないかな
結局、世の中を混乱させただけで劣化信長として終わるのでは

良くも悪くも典型的な戦国大名であって
戦国を終わらせるタイプでも、平和な世で君臨するタイプでもなく
戦国の中で活きるタイプではなかろうか
甲斐(+信濃)という一地方以外の繁栄や平和など、考えていたとは
思えないのだけれど

356 :人間七七四年:2007/04/09(月) 21:45:24 ID:F97JyqzA
信長も最初は尾張美濃の繁栄が目的だった筈だよ
天下の中心(畿内)に比較的安定した大勢力が存在すると自然と治安も良くなるし
経済も安定するからね。
信玄に要素が有ったかは分からないけども、小勢力同士が混在するよりは、大勢力同士の敵対の方が
農民や商人なんかは暮らし易いだろうから、信玄の価値も十分にあったと思う。
畿内の小勢力同士の争いなんて醜かったらしいから
田畑は焼かれる、両方の勢力から年貢取られる、収穫直前に敵に勝手に刈り取られる など


357 :人間七七四年:2007/04/09(月) 23:05:57 ID:AWZR+rZ+
まぁ信長はそういう意味であらゆるチャンスは最大限に生かしてきたんじゃないかね。
信玄はなんかチャンスをフイにしたイメージが強すぎるんだよなぁ、いろんな面において。

358 :人間七七四年:2007/04/09(月) 23:27:11 ID:IXQ7/iEV
ちょいと全体的に天下という概念から物を見すぎじゃないか?
信玄は貧しい甲斐の利益を図る事を期待されて国主になった。
当然その行動はその実現を図る事が中心となる。
そして信玄が行った治水事業、度量衡統一、法度その他いろいろの国内整備は
甲斐にとってはまさに望まれていたものだったろう。
信玄がいまだに甲斐では崇められるのはここら辺に理由があるんだろう。
他国侵略や勢力拡大による国内の平穏は民にとってもありがたかったろうし、
そういった天下統一以前に地方大名達が整えた秩序の価値を軽視することは
あまり公平な見方ではないと思う。

359 :人間七七四年:2007/04/09(月) 23:42:09 ID:CMmngiPy
>>358
基本的にアンチ(特に信長厨)は信玄に嫉妬するあまり、信玄を貶める
為だけに生きてるようなものだからな
まさしく幼稚な精神してるんだと思う

360 :人間七七四年:2007/04/09(月) 23:59:03 ID:ypiZAovH
そういう豚は信玄以外の人物に対して
まっとうな評価を与えたことがあるのかよ

361 :人間七七四年:2007/04/10(火) 00:37:22 ID:UbPuLFAs
>>355
まあ善光寺の本尊を甲斐に移転したこと考えるとね

>>357
そんなことは無いと思う
分裂して争っていた諏訪家に侵攻したり
小笠原長棟が死んで分裂していた小笠原家を滅ぼしたり
河越で敗戦して上杉が弱体化した隙をついて佐久に侵攻したり
村上が高梨と争っている隙をついて砥石城攻めたのは失敗したけど
長尾家に対しては川中島では争いを避ける一方
謙信が隠遁した隙をついたり、雪降って北信濃へ援軍が出せない隙に
調略したり、関東遠征している隙に海津城などを築いたり

他にも桶狭間松平の独立で弱体化した今川を攻めたり
北条氏康が死んだのを機に北条と再同盟したり
チャンスはいかしている

362 :人間七七四年:2007/04/10(火) 00:42:58 ID:UbPuLFAs
>>358
>信玄がいまだに甲斐では崇められるのはここら辺に理由があるんだろう。
どっちかというと徳川史観と軍鑑講談、山梨観光協会が主要因だと思う
当時の記録などを考えると民には・・・
中間搾取を認めるような支配体制であるなら支配者中間搾取層には受けがいいかもしれないが

363 :人間七七四年:2007/04/10(火) 07:05:26 ID:SXSINQR/
>>361
チャンスと言うより基本戦略なしにただ侵略と略奪を繰り返してるだけじゃん。

364 :人間七七四年:2007/04/10(火) 08:17:22 ID:3W3UQsXK
軍鑑で重税や商人重用(江戸期の成立の影響か、当時では当然だったこれが何故か悪行にされている)といった甲斐の人間に総スカン喰らったとされる勝頼の政策は本来信玄のものだし
細川氏がマンセーしたせいで加藤清正がやってもいない治水まで清正公のお陰、となったように信玄がやってもいない政策まで信玄公云々〜となってるし
まぁ、過大評価された挙句悪名が全て息子にいった点を本人が幸せと思っているかどうかはしらないがw

365 :人間七七四年:2007/04/10(火) 13:00:02 ID:f/ulD1jY
>>364
商人重用って甲斐ではなく諏訪の商人を重用したのが問題だったんじゃないの?


366 :人間七七四年:2007/04/10(火) 14:44:02 ID:SAdwQ3L+
『甲陽軍鑑』は信頼できるのか
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1160645748/

367 :人間七七四年:2007/04/10(火) 17:18:56 ID:H1/3Mp+c
>>362 貧しい甲斐の国を育ませる為には、的確な侵略戦争と領国経営
をしなくてはいけない、信虎がこれとは逆だった凡将であった為、甲斐の民
には何の利益にもならなかったのは明白。
信玄は神格化されて当然の大名です、つうかいつまで講談とか言ってるの?
あそこまで勢力を拡大したのは事実なんだよ、お分かり?

368 :人間七七四年:2007/04/10(火) 19:52:11 ID:SXSINQR/
>>367
大河ドラマがヒットするまで長野での評価は・・・・・だったんだけど

369 :人間七七四年:2007/04/10(火) 20:26:38 ID:+r8spjNS
信玄は長尾家を最初の川中島の戦いで潰していれば上洛もできただろうに。
なんであのとき決戦をしかけなかったのだろう。
ここで長尾軍を破って長尾景虎を殺していれば、越後は混乱して分裂状態になり、
信濃の侵略も余裕でできて、あわよくば越後も侵略の視野にできたのに。

370 :人間七七四年:2007/04/10(火) 20:52:40 ID:4vYPq8U3
結果論

371 :人間七七四年:2007/04/10(火) 20:56:37 ID:SXSINQR/
>>369
川中島について詳しく調べれば分かるけど、半数の敵相手にボコボコにされまくってるよ?信玄。
謙信が跡を継ぐ前に越後に侵攻できたら、だよ。

372 :人間七七四年:2007/04/10(火) 21:22:09 ID:l2y9D9li
川中島って上杉の資料で言うところの「第四回合戦」のこと?

ほとんど何の資料も現存してないのに良く知ってるな、オマエ。
ぜひ「川中島の戦い」スレかどこかで君の知ってる川中島の
真実というやつを語ってくれ。

373 :人間七七四年:2007/04/10(火) 21:44:58 ID:oQpuHrsB
>>368
長野県県歌・信濃の国では信玄の5男仁科盛信が偉人として歌われているんだが。
それとこっちはうろ覚えだが信玄の評判は北信・中信・南信ではかなり異なると
聞いたな。

374 :人間七七四年:2007/04/10(火) 22:12:50 ID:1OF4bDcC
別スレの話しだが
>>373
それを言うなら今川と上杉の同盟だって武田に直接的な害は無い
あなたの言っていることはそういうこと

375 :人間七七四年:2007/04/10(火) 22:37:21 ID:oQpuHrsB
別スレの話だが
>>374
織田・武田同盟では今川を挟めないよ。三河に徳川がいるんだから。
その徳川に対しては武田から今川に三河攻めを持ちかけている。
そして上杉・今川、これに北条が加われば完全に武田を地続きで挟みこめる
じゃないか。これでも直接的な害がないとはいえないだろう。

376 :人間七七四年:2007/04/10(火) 23:03:58 ID:1OF4bDcC
>>375
徳川の背後に織田がいることぐらい今川だって分かっているだろう
そして史実でも実際徳川武田で今川を挟みこんだ
今川は武田が上杉攻めても動けなかったが
武田徳川は今川滅ぼしている、明らかに直接的な害があるが

>それなのに今川のほうから妹返せ、って言ってきてそれを受け入れる代わりに
>裏切るな、と誓詞を取って送り返した
これが史実ならこの時点で既に異常
妹返せてと言って断るってどういうこと?
夫が死んで子もいない場合普通は実家が引き取るもんじゃ
徳川信康室とか松平忠輝室とか
義信が死んだから義信室を人質として利用しようとしたが
今川が北条の仲介で取り返したと言った所じゃないのか?

377 :人間七七四年:2007/04/10(火) 23:06:42 ID:1OF4bDcC
駿河攻めの話整理するために年表
間違いがあれば誰か訂正及びソースの記述を

1562年 駿府の武田信虎による今川氏真追放未遂(松平記w)

1565年
9月 武田織田同盟交渉
10月 義信派の謀反が露見し義信は幽閉され飯富・曽根・長坂ら粛清(甲陽軍鑑には依らないw)
11月13日 信長の養女苗木氏が勝頼に輿入れ

1567年
6月25日 今川氏真、甲斐への塩荷輸送者を討ち取った大藤氏に感状
8月17日 今川氏真の家臣葛山氏元甲斐への塩留め
10月19日 義信東光寺で自害
11月 勝頼夫人信勝を生んだ後に死去
11月 五女松姫と織田信忠の婚約
11月 今川氏真、義信室(氏真妹)の返還を求める
12月 義信妻の今川氏真妹を駿府に送還
12月21日 今川氏真、上杉輝虎と好を通じる

1568年
2月 信玄、徳川家康と同盟し、駿河・遠江の分割協定を取り交わす(武徳編年集成)
4月 上杉今川同盟締結(歴代古案、上杉家文書)
5月 信玄、今川氏真に三河の分割協定を申し込む(甲陽軍鑑)
11月3日 甲駿の街道が未整備のため山中平野の農民に道作りを命じる
12月6日 駿河を攻略のため甲府を出陣

378 :人間七七四年:2007/04/10(火) 23:21:17 ID:CWyE23j1
>>377
何故1568年5月になって敵対しているであろう氏真相手に対徳川戦をさせようとしたのかが謎すぎる

379 :人間七七四年:2007/04/10(火) 23:35:12 ID:1OF4bDcC
>>378
甲陽軍鑑の記述だしね
軍鑑は他にも飯富・曽根・長坂らの密談が1564年で
粛清1565年正月とかになっていたりするし

380 :人間七七四年:2007/04/10(火) 23:45:35 ID:1OF4bDcC
>>375
>三河の共同攻めを持ちかけたのに断って手ひどくののしった
ののしったって何?
お前も半分は仇だと言うやつのことか?

>釈明や話し合いを拒絶し、同盟解消に動いていた時点で
実際には記録に無いだけで何かしていたかもしれないが
釈明すべきはまず武田じゃないか?
今川からすれば主たる敵である徳川の同盟者である織田と同盟を結び
自分の妹が嫁いだ嫡男は廃嫡されかけているのだから

381 :人間七七四年:2007/04/10(火) 23:57:19 ID:SXSINQR/
>>373
偉人じゃなく対比で勝頼を馬鹿にしてるだけなんだがな。
仁科盛信は1日で城落とされ皆殺しにされた武将でしかないが

382 :人間七七四年:2007/04/11(水) 00:58:02 ID:VgMpp1ln
これだけ見ただけだと何なんだが、凄い信憑性のない史料にしか見えんな、甲陽軍艦は・・・
しかも当時に書かれた文章じゃないんだっけ?

383 :人間七七四年:2007/04/11(水) 08:20:17 ID:PeUQCeLi
軍鑑は必ず「跡部殿、長坂殿へ」と彼らに意見する形式で文章が区切られているけど
そもそも跡部長坂とも他の史料をみると奸臣とはとても言い難いからな
江戸期初期の武功派の嘆き、という点では三河物語と一致するあたり面白いけど
やっぱり史料としては微妙なんじゃない?
全てが間違ってるというわけでもないだろうけど

384 :人間七七四年:2007/04/11(水) 10:35:25 ID:AQyD1fzb
仁科盛信って最後の高遠城攻防戦以外で武功ないよね
唯一抵抗らしい抵抗したから同情票が集まったんじゃないの?
対峙した信忠のほうがどっちかといえば無茶苦茶だけどな
老臣の慎重論は無視するわ、部下に任せても勝てる兵力差なのに自分も戦闘に参加するわ……

385 :人間七七四年:2007/04/11(水) 11:48:32 ID:vXeNmefU
>>376
まずいっておくともともと織田・武田同盟は
美濃における武田と織田の勢力衝突を契機としておこったもの。
結んだ時点では織田の同盟者である徳川と結んで今川を圧迫するものではなかった。
武田・徳川同盟の挟撃とて史実で信玄の内応策がきまってしまったから
あっさり滅んでしまったが今川は信玄との対決で2万の兵力を動員していることからも
わかるようにそれ相応の実力はあった。
義信が死ぬ前から塩止めをしている事からもわかるように氏真の行動は
一方的な弱者のものではない。
上杉が動けなかったのも信玄が本庄や一向一揆を動かしたからだし
なにも手をうたなければ十分すぎるほどの害があっただろう。
しかも北条までついてくるのだし。

あといっておくと義信と義信室の間には女子がいる。「武田源氏一流系図」や
「甲斐国志」によって一人か二人かの違いはあるが。
それで塩止めとかはじめている相手が妹を返せ、とかいってきたらこれは本格的な
敵対行動に移る気だとは誰でもわかるだろう。だから誓詞をとって同盟に念をおしたのに
返した途端にひっくり返した。これのどこが弱者?

386 :人間七七四年:2007/04/11(水) 11:57:08 ID:vXeNmefU
>>378
甲陽軍艦はもともと武田旧家臣達の口伝えをもとにしていることから
年代には多少のブレがあるといわれる。信長公記でさえ桶狭間の年代を間違えて
いることもあるように。だから三河攻めの提案ももう少し前だった可能性もある。
だけどとりあえず1568年5月としてみるのなら
これは敵対関係になっていく武田今川同盟を修復する為の最後の交渉だったのでは?
実際この後から信玄は駿河攻めの準備にとりかかるし。
その最後の交渉で半分敵だのいわれてつっぱねられたらそりゃ諦めるしかないだろう。

387 :人間七七四年:2007/04/11(水) 11:57:22 ID:O3I3w0XX
既に同盟している相手の当主殺した相手と同盟結んだら疑われて当然だ罠

388 :人間七七四年:2007/04/11(水) 12:08:20 ID:vXeNmefU
>>380
協定を持ちかけている相手に半分敵だの、お前と一緒にやったら三河全部とられるとか
いうのは事実上の交渉拒絶に近いだろう。
ここまで言い切った以上敵対に移ったからといって相手にばかり責任を問うことはできまい。
決断をしたのは氏真本人なのだから。

釈明や交渉は無論武田からされるべきだろうが、今川とて詰問はすべきだろうし
釈明ももとめるべきだろう。本当に武田との同盟を望んでいたというのなら。
記録に残ってないだけでなんかあったのかもしれんが。そういった修復の動きなしで
同盟解消と敵対行動にうつっていたなら今川の行動はどうみても弱者のものじゃない。

389 :人間七七四年:2007/04/11(水) 12:13:57 ID:O3I3w0XX
あれか、いじめっ子がいじめられっこのなけなしの反撃を理由にさらにイチャモンつけて虐める悪循環みたいなもんか>今川と武田

390 :人間七七四年:2007/04/11(水) 12:21:40 ID:vXeNmefU
>>381
長野県歌信濃の国では盛信と一緒に木曾義仲、佐久間象山も歌われているよ。
これでなぜに勝頼を皮肉っていると思うのかな。素直に称えていると
思っていいんじゃない?

それから盛信がお嫌いのようだが彼の相手の兵力は5万を超え、自身は3千程度。
兵力差17倍だよ。あの慎重な孫子でさえ10倍あれば城を力攻めしていいと
いっているんだから圧倒的な差だろう。その状況で信忠がなりふり構わぬ消耗戦と
力攻めに打って出てきたのに対して盛信は戦い抜き、その様は信長公記にも
「比類なき働き」と称えられている。あまり貶めるのは織田方も貶める事に
なると思うのだが。

391 :人間七七四年:2007/04/11(水) 12:27:18 ID:vXeNmefU
>>389
だから今川の行動はいじめられっこのなけなしの反撃という
範疇をはるかに超えているんだってば。
君がいうところのいじめられっこは相手の生活物資を遮断して
三方向から袋叩きにしようとするのか?
しかも相手からの共同のもちかけを拒絶し、さらには約束やぶって着々と
ふくろだたきの準備を進めるわけか。
たいしたいじめられっこだな。

392 :人間七七四年:2007/04/11(水) 12:28:32 ID:O3I3w0XX
>>390
その比類なき、というのは諏訪勝右衛門の女房のことでしょ
女ながらに斬りこんできたってことで
盛信の部下は誉めても本人誉めた記述は公記にはないよ
むしろ「思いのほか早く落ちてしまった」ために勝頼の防戦プランが崩れたようにかかれている

393 :人間七七四年:2007/04/11(水) 12:32:58 ID:O3I3w0XX
だいたい織田軍五万ってどこから出てきた話なんだろう
美濃衆と尾張衆を総動員したとしてもそこまでいくか?
信長が率いてきた後詰や、徳川北条の軍勢もどんぶりにしてない?

394 :人間七七四年:2007/04/11(水) 12:44:24 ID:O3I3w0XX
盛信は同情されたから郷土のヒーローになれたんじゃないの?
それも周りがヒドすぎたために
「勝頼だと収入が全部取られるが、盛信だとオレ達の手元に」みたいな歌があるけど、もし本当だとしたら信玄以来の重税政策を一人の裁量でひっくり返したわけで支配が一門衆中でかなり異質だったことになるな

395 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2007/04/11(水) 13:05:12 ID:sxOp3GpL
つまり結論としては軍鑑で読めるのは石清水物語のみということでおk?

396 :人間七七四年:2007/04/11(水) 13:20:34 ID:vXeNmefU
>>393
まず美濃と尾張でだいたい120万石くらい。これで3万くらいか。
さらに伊勢を所領とする滝川一益が副将としてついているから
その指揮下の軍勢もはいってたんじゃないの?
越前に所領を持つ金森長近も参戦しているし。

そこに徳川・北条・信長直属含めたら5万どころじゃないと思うが。
それはさすがに入ってないだろう。

勝頼の時代に税が上がったのは事実だよ。
棟別銭の新家が倍になっている。
さらには信長公記にも勝頼が課役や関所を増やしていた事はあるし、
勝頼時代が信玄時代よりも苦しかったのは事実なんじゃない?


397 :人間七七四年:2007/04/11(水) 13:24:25 ID:vXeNmefU
>>392
確かにそれは諏訪勝右衛門の女房だったか。スマソ
でも「敵味方とも火花を散らして戦い、おのおの負傷し、討死も算を乱すがごとくに累々として後を絶たなかった。
」とあるように奮戦ぶりはうかがえると思う。

398 :人間七七四年:2007/04/11(水) 14:34:21 ID:3WVnTa0G
疾きこと風の如く 静かなること林の如く 侵略すること火の如く 動かざること山の如し
風林火山 武田の軍勢天下に示す!!

399 :人間七七四年:2007/04/11(水) 18:37:10 ID:MY4NHuBZ
>>385
なんだかな〜
>結んだ時点では織田の同盟者である徳川と結んで今川を圧迫するものではなかった。
そりゃ武田はそう考えたかも知れないが
今川の方はそうは思わないだろ
今川と上杉が同盟結んだが、それだって武田が駿河に攻めこめば謙信が信濃に攻め入ると
言う専守防衛のためのものであって武田を圧迫するものではないと強弁できる

>今川は信玄との対決で2万の兵力を動員していることからも
恐らく誇張だろう、石高的にかなり無茶な数字
更にその大半があっさり寝返ったように
松平独立遠州錯乱などからも弱者ぶりが伺える

>なにも手をうたなければ十分すぎるほどの害があっただろう。
そういう状況にしたのは信玄でしょ

>「武田源氏一流系図」や「甲斐国志」によって一人か二人かの違いはあるが。
また江戸時代の編纂物かと言う気もするが、前述の徳姫にも娘はいる

>それで塩止めとかはじめている相手が妹を返せ、とかいってきたらこれは本格的な
>敵対行動に移る気だとは誰でもわかるだろう。だから誓詞をとって同盟に念をおしたのに
>返した途端にひっくり返した。これのどこが弱者?
そういう行動しかとれないから弱者。
弱者で無いなら攻められる前に攻めることが可能

400 :人間七七四年:2007/04/11(水) 18:48:09 ID:MY4NHuBZ
>>386
今川からすれば当然のことだとだと思うけど
実際にもし東三河を譲ったら今川の従属化はほぼ決定だと思う
義信が生きていたら
過去に諏訪のだまし討ちがなければもう少し信用されたかもしれないが

『武徳編年集成』を信じるなら1568年2月には今川攻めの準備をはじめている事になるが
個人的にはもっと前から敵対関係になっていたのではと思うが

>>389
まあ彼の主張を聞いているとそんな感じはするな
弱者は強者の言うこと聞けみたいな
身を守ることすら許してくれないらしい

>>391
仕方が無いと思うけどね
武田が今川をふくろだたきする準備を進めるているわけだから
何もせずに滅びろという方が無茶
まあ武田に従うという選択肢は残ってはいるが

401 :人間七七四年:2007/04/11(水) 19:24:24 ID:MY4NHuBZ
>>393
>>396
高遠攻めに関してなら
高遠攻めに参加したのは信忠 森長可 団平八 毛利秀頼 河尻秀隆 滝川
に加えて小笠原信嶺
濃尾衆のうち織田長益 織田孫十郎 稲葉貞通 水野 簗田 丹羽勘介などに
金森長近らは鳥居峠に向っているため高遠攻めには参加していないから
実際に攻めた兵数としてなら5万は過大だと思う

>>396
>勝頼の時代に税が上がったのは事実だよ。
>棟別銭の新家が倍になっている。
信玄晩年からそんな感じだと思う

>さらには信長公記にも勝頼が課役や関所を増やしていた事はあるし、
武田側の文書からはあまり変わらないように思うけど

402 :人間七七四年:2007/04/11(水) 20:58:01 ID:vXeNmefU
>>399
>>そりゃ武田はそう考えたかも知れないが
今川の方はそうは思わないだろ
今川と上杉が同盟結んだが、それだって武田が駿河に攻めこめば謙信が信濃に攻め入ると
言う専守防衛のためのものであって武田を圧迫するものではないと強弁できる

既に塩止めはじめてさらに誓詞破っておいてそれは無理だろう。

>>恐らく誇張だろう、石高的にかなり無茶な数字
更にその大半があっさり寝返ったように
松平独立遠州錯乱などからも弱者ぶりが伺える

そんな事いったら桶狭間の今川の兵力2万5千だってありえないことになるぞ。
今川は経済力が豊かだったのは有名だし石高だけで測れないものもあったんじゃないかね。
今川は確か信長よりも先に楽市をやったはずだし。大半が寝返ったのは信玄の内応策が決まったからでしょ。

>そういう状況にしたのは信玄でしょ

その答えは意味不明だぞ。
君がもともと今川上杉同盟は直接的な害は無かったみたいに書いたから害があることを説明したのに。
今川上杉同盟には害があったことは認めてくれるのかな?

>>そういう行動しかとれないから弱者。
弱者で無いなら攻められる前に攻めることが可能

なんか最終的に武田のほうから攻め込んだ事をもってそう断じてないか?
上杉北条今川で完全に包囲網が完成してしまえば信玄は苦境に陥る。
そうならない為には本庄や一向一揆で謙信を封じた隙に今川を破るしかないわけで。
信玄だって可能なら攻めたくはなかっただろう。北条もついている事だし。
実際それで数年間苦労した。それなら今川と組んで家康攻めるほうがまだやりやすい。


403 :人間七七四年:2007/04/11(水) 20:59:58 ID:vXeNmefU
>>400
>実際にもし東三河を譲ったら今川の従属化はほぼ決定だと思う
なぜそう思うかできれば詳しく。

>過去に諏訪のだまし討ちがなければもう少し信用されたかもしれないが
諏訪についてだが最近では武田の一方的な裏切りによる侵略という見方は疑問視されている。
諏訪頼重は同盟者であった武田・村上を差し置いて上杉憲政と佐久郡における領土分割の協定を結んだ。
これは重大な盟約違反だ。もともと佐久は諏訪・武田・村上で攻めて分割したもの。
勝手に領土分割協定まで結んで所領を拡大させたのはやりすぎた。
諏訪方の神使御頭之日記でさえ「甲州の人数も村上殿も身をぬかるる分に候」としている。

>>まあ彼の主張を聞いているとそんな感じはするな
弱者は強者の言うこと聞けみたいな
身を守ることすら許してくれないらしい

随分な言い方だね。下でも述べているが明らかに今川の行動は無力ないじめられっこの範疇を超えたものだったと思うがね。

>>仕方が無いと思うけどね
武田が今川をふくろだたきする準備を進めるているわけだから
何もせずに滅びろという方が無茶
まあ武田に従うという選択肢は残ってはいるが

ふくろだたきというが武田が準備に取り掛かったのは
武徳編年集成や甲陽軍艦を信用するなら1568年代に入ってからだろう。
今川の行動はそれよりもはるかに早いじゃないか。



404 :人間七七四年:2007/04/11(水) 21:01:13 ID:vXeNmefU
>>401
>信玄晩年からそんな感じだと思う

新家の棟別銭50文から百文への倍額は天正4年(1576年)7月の
「甲斐国黒沢郷棟別改之日記」が初見じゃなかったっけ。


405 :人間七七四年:2007/04/11(水) 21:12:04 ID:sgPSS7B6
>>401
でしょうね。五万という数字は、武田攻めに参加した織田全軍とすると過少、
高遠攻撃に参加した信忠直率軍とすれば過大というところか。森、団、毛利、
川尻らは濃尾衆であり信忠指揮下だしねえ。最大見積もっても三万は越えない
くらいと推測するがどうか?

406 :人間七七四年:2007/04/11(水) 21:27:45 ID:MY4NHuBZ
>>302
講談か何かの誇張かと思ったら
本当に書いてあるな
書状写 1572年1月28日 夕庵 武家事紀33

>>321
みつけた
堅紙 1571年8月13日 下間上野法眼御坊 本願寺文書
切紙 1571年8月13日 宛名不明 津金寺文書

407 :人間七七四年:2007/04/11(水) 21:44:46 ID:MY4NHuBZ
>>377
つけたしで
1567年3月13日 
勝頼書状で西上野に出兵するから駿河との境目の本栖河内に
『御用心等、不可有油断之由申遣候』
又尾張三河遠江の様子も『承届為可致言上』、下伊那にも『飛脚差越候』
『一両日之内可罷帰候間、急度注進可申候、此等之旨宜預御披露候』
意味は何となく分かるけど自身が無いので誰か訳お願い

>>404
過去ログであったと思う

>>405
そんな所だと思う

408 :人間七七四年:2007/04/11(水) 22:33:37 ID:MY4NHuBZ
>>377
あと
1567年8月7日8月8日信玄の家臣からの起請文
1568年3月29日寿桂尼が死んだことを知らせる  勝頼書状

>11月3日 甲駿の街道が未整備のため山中平野の農民に道作りを命じる
武田家朱印状

1568年11月27日穴山信君過所写 中山之郷への出入りの荷物がどうのと
何かしているみたいだけど訳せねwついでにここに書き写すのも面倒くさい

>>406
>堅紙 1571年8月13日 下間上野法眼御坊 本願寺文書
>切紙 1571年8月13日 宛名不明 津金寺文書
書き忘れたが両方とも信玄書状

409 :人間七七四年:2007/04/11(水) 22:48:59 ID:MY4NHuBZ
>>403
>なぜそう思うかできれば詳しく。
国力差と今川家の混乱
あと今川は武田北条に囲まれるためこれ以上の成長が望めない
武田北条が劣勢になるならまた別だが

諏訪頼重降伏後の話し
命の保証をしておきながら妹婿でも殺すこと
まあ和睦の内容は軍鑑による部分だからどこまで信用できるか分からないが

>ふくろだたきというが武田が準備に取り掛かったのは
それは武田の一方的な言い分でしかない
今川から見れば1565年の時点で武田が今川を袋叩きにする準備をしているように見える

410 :人間七七四年:2007/04/12(木) 00:28:22 ID:kK1GLBc7
>>321
1571年9月26日にも
本願寺と織田の和睦のことがある

あと甲越和与に関しては
1569年3月10日 武田信玄条目
1569年3月23日 武田信玄書状写 あとこれに信長以外味方がいない武田は滅んでしまうとか書かれている
1569年4月7日 家康あて 条目
1569年5月9日 信玄書状
1569年5月23日 信玄書状 信長に家康に対して過去のことは忘れて武田に敵対し無いようにしてくれと頼んでいるみたいだな
1569年11月晦日 信玄書状
1569年12月10日 信玄書状 謙信を刺激し無いように家臣は上野攻めろといってるけど自分は反対押し切って駿河に攻め入る
12月19日 12月23日謙信が沼田にいるため疑心を抱いているという書状

あと北条に寝返ったような者として
1569年6月10日 信玄書状 小幡信尚が謀反したから駿河にいけそうに無い

あといちいち書き上げるのも面倒なほど乱暴狼藉を禁止する高札がいくつもあるから
武田だって上洛したら織田とそれほど変わらないだろうな
違反したら即座に処罰すると書かれているし

411 :人間七七四年:2007/04/12(木) 12:45:42 ID:UqyW6fHP
略奪禁止する代わりに礼銭とか物資貰うのは当時の大名の常套手段だからね
略奪は成果が不透明だし、反撃食らったりする恐れもあるから普通に考えれば高札と引き換えに金銭貰ったほうが良い

412 :人間七七四年:2007/04/12(木) 15:17:19 ID:BCNVuWT+
仁科盛信は高橋紹雲か鳥居元忠並に粘っていれば、地元贔屓とかいわれなかったのにな

413 :人間七七四年:2007/04/12(木) 16:58:32 ID:/nGQ057e
三千で篭って一日で堕とされるのはだめすぎだよな。
信忠が凄すぎたのか盛信が駄目すぎたのか高遠が想像以上のボロ城だったのか。

414 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2007/04/12(木) 20:30:17 ID:QvCw7TVh
>『御用心等、不可有油断之由申遣候』
用心など油断することないようことづてました。
>『承届為可致言上』
申し上げるため届ます。
>『飛脚差越候』
飛脚を向かわせました。
『一両日之内可罷帰候間、急度注進可申候、此等之旨宜預御披露候』
二三日中に帰るので必ず注進します。この事よくよく披露に預かるように。

415 :人間七七四年:2007/04/12(木) 20:40:22 ID:jFodY9cA
>>413
1日は流石にないよな。夜襲とか内通での搦め手からの奇襲とかならともかく。
力攻めでだもんな。

416 :人間七七四年:2007/04/12(木) 20:59:21 ID:OCxv6DyY
高遠に行けばある程度わかるがあれは要害堅固っていうほどじゃないね。
規模も小さいしね。あれは、高遠城に行くまでが難儀ではあるが城まできたらもう実質終わりだよ。
実際3000人もいなかったと思う。攻め口を分けて波状攻撃による消耗戦を強いられたらとても守り切れない。
七尾や春日山、備中松山城レベルの山城なら1ヶ月以上は余裕だが

417 :人間七七四年:2007/04/12(木) 21:26:38 ID:7rAZUAio
>>415
信玄が攻めた時も一日で落ちたと思った
そのころとはいろいろ違うだろうけど

>>416
大改修した山本勘助wと秋山に謝れ(ry

あと勝頼信廉盛信と城主で伊那支配の要
対織田の最終防衛地点でもあったのに
それに規模だって丹波篠山城みたいな城もあるし
岐阜城だって規模の割にあっさり落ちている

3000人はな〜
織田の記録だと討ち取り首400だし

418 :人間七七四年:2007/04/12(木) 21:26:54 ID:WC/pYFHW
>>409
甲陽軍鑑で言われる武田との協定内容が正しい西三河は今川のものだったはず。
それなら今川にも発展の可能性はまだ残されている。
信玄のいう東三河というのが海にいたるまでの完全な今川領の分断をもくろんでいたのかはわからない。
船による交通も可能だしね。

棟別銭新家百文への倍額についてはどこの過去ログなのかおおまかでいいので教えてもらえると
ありがたい。何分このスレは多すぎる。

諏訪頼重の謀殺についてだがこの時代では謀殺は多い。
縁戚の吉川家・小早川家を乗っ取り前当主を殺した毛利元就
叔母を違約の果てに磔にし、浅井と朝倉の関係を無視し浅井をそむかせた信長。
彼らはその後の外交的信頼まで失ったのだろうか?
今川義元も織田方から寝返り手柄も立てた山口親子を謀殺しているしな。

1565年の段階から、か。結局はお互いのすれ違いからという事になるか。
ただ今まで書いてきたが信玄も結局のところそんなにのりのりで今川と戦おうとしていたとは考えにくい。
今川には北条もついている事だし。可能な限り楽な家康攻めを行いたかったはずだ。
甲陽軍鑑や武徳編年集成を信じるなら信玄はぎりぎりまで今川と共同する方向を
模索していたことになる。これは情実ではなくそうする事が有効だからだ。
それを拒絶し包囲網をつくり塩止めをし誓詞を踏みにじったという点で
今川にも責任の一端は存在したと思う。信玄にしてみれば完全に包囲網が完成する前に
今川を破らねばならなかった。ここからは人の価値基準によるだろうから強制はしない。
議論が出来てよかった。ありがとう。


419 :人間七七四年:2007/04/12(木) 21:37:30 ID:WC/pYFHW
高遠城についてだが
3000人いたかは俺も疑問に思っていた。
織田方では討ち取り首400だし。さすがに400で全部とは思えないが。
午前中の戦いで打って出てかなり討ち取られている。
でも保科正直のように戦意を明らかになくしているのもいたし(彼はこの後も逃げのびている。)
鳥居や高橋が奮戦できたのも相手が混成軍で消耗を嫌っていた事もあげられる。
搦手・大手から消耗を構わず押し切られたらかなり厳しいだろう。
その状況ではかなり盛信は頑張ったと思う。
「敵味方とも火花を散らして戦い、おのおの負傷し、
討死も算を乱すがごとくに累々として後を絶たなかった。」と信長公記にもあるし。


420 :人間七七四年:2007/04/12(木) 21:46:34 ID:GPwGPi/O
既に終わってる議論に口を突っ込むのも無粋だけども、
誓詞を踏みにじったっても妹が帰ってきたら
その妹から義信が廃嫡された詳しい経緯や事情が氏真の耳に入っただろうし、
「今川攻める為に長男を廃嫡したけど、妹返すから俺を攻めるなよw」
みたいな感じの誓詞自体、踏みにじられて当然な気もするが・・・。

これは妄想だが俺はむしろ信玄は誓詞を破ってもらいたくて、誓詞を書かせた気がする。
本来ならば長男を廃嫡して三国同盟に亀裂を入れたのは信に非があるけれども、
自分が一方的に同盟を破ったという形にしないために今川の制止破りを期待した、と。
実際今川が約束を破ったのは守るのよりも得だったと思う、それとも考えすぎか?

421 :人間七七四年:2007/04/12(木) 22:01:06 ID:7rAZUAio
>>418
>甲陽軍鑑で言われる武田との協定内容が正しい西三河は今川のものだったはず。
>それなら今川にも発展の可能性はまだ残されている。
飛び地、若しくはそれに近い状態というのは維持が難しいと思う
もしその分断が上手くいったら西三河の今川は武田織田に囲まれることになる
武田が裏切れば維持はほとんど不可能
この協定案自体夢物語じゃないかと思う

>棟別銭新家百文への倍額についてはどこの過去ログなのかおおまかでいいので教えてもらえると
時間があればその内

>諏訪頼重の謀殺についてだがこの時代では謀殺は多い。
それは知ってる
だけど元就の例でいえば尼子をちゃんと保護したし、
北条も古河を傀儡にするに留めている
まあそれ以前に可能性の話しだけどね

>彼らはその後の外交的信頼まで失ったのだろうか?
信長に関していえば信頼を失ったような気もする

422 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2007/04/12(木) 22:03:03 ID:QvCw7TVh
3/1 信忠は飯島より出兵、天竜川を越えて貝沼原に人を立て、松尾城主小笠原信嶺を案内役に
河尻秀勝・毛利秀頼、団平八、森長可・足軽を先鋒として派遣する
信忠は母衣衆十人ばかり召し連れ、仁科盛信の籠もる高遠城を川から山に駆け上がり
敵城を偵察してその日は貝沼原に布陣した
高遠城は三方が険しい山城で、うしろは尾根に続いている。西から北へ富士川が隆々と流れ
城の縄張りは特に頑強である。
「信長公記 巻十五 天正十年壬午」
「信州高遠の城、中将信忠卿攻めらるゝの事(1)」

423 :人間七七四年:2007/04/12(木) 22:14:27 ID:7rAZUAio
>>418
>1565年の段階から
例えば河東一乱は
武田と今川が婚姻を結んだことによって発生
武田が北条の敵である上杉家と婚姻関係にあったから
それが理由で今川北条間で実際戦争になっている。
織田と武田の婚姻同盟も今川に戦力があれば戦争になってもおかしくないほどの
三国同盟に対する違反行為だったのでは

武田と今川が和睦した時は問題にならなかったから
武田も織田と和睦程度にしておけばよかったのかも

>ただ今まで書いてきたが信玄も結局のところそんなにのりのりで今川と戦おうとしていたとは考えにくい。
それはそうだろうな、
武田としては今川を攻めてもいいかもしれないけど
当面は織田との同盟を大事にして上野攻め、越後攻めを優先する程度だったのかも
本気で今川と関係を修復する気ならいくらでも方法はあっただろうし

>可能な限り楽な家康攻めを行いたかったはずだ。
それはそれで織田と問題になりそうな気がする

424 :人間七七四年:2007/04/12(木) 22:22:15 ID:7rAZUAio
>>420
1568年春の段階じゃ
越中葦名本庄と連絡取り合っているから結構本気で越後攻めたかったような気もするから
一時的な時間稼ぎの積りだった可能性もあるな

>>422
そういえば一人ずつでしか攻めれないような地形とかも書かれていたな

425 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2007/04/12(木) 22:24:50 ID:QvCw7TVh
ふもとの村落への入り口三町ばかりの間、下は大河、上は山のそばに伝って
一騎打ちに頃合いの道である。また川下に浅瀬があるが小笠原信嶺が案内して
夜のうちに森、団、河尻、毛利らが川を渡り城の大手門の川向いに取り詰めた。
星名正直は飯田城主であるが(城を引き払った後は高遠城へ籠もった)
ここで城中に火を掛け、武田家への忠節を施したことを小笠原へ伝えにきたが
(小笠原は織田方に寝返っていたので)伝える事ができなかった
「信長公記 巻十五 天正十年壬午」
「信州高遠の城、中将信忠卿攻めらるゝの事(2)」

426 :九條殿@前関白 ◆1Ixlm5F0XU :2007/04/12(木) 22:43:33 ID:QvCw7TVh
高遠城で取られた武田方の首一覧(敬称略・あいうえお順)

飯島小太郎
飯島民部丞
今福筑前守
今福又左衛門
小幡稲葉守
小幡五郎兵衛
小幡清左衛門
小山田備中守(副大将)
小山田大学
春日河内守
上林十兵衛
諏訪勝右衛門
仁科五郎(大将)
波多野源左衛門
原隼人
飛志越後守
渡邊金大夫

など四百人のみなさん

427 :人間七七四年:2007/04/12(木) 23:09:34 ID:7rAZUAio
前に揉めていた60年代の東美濃1564年だが

武田信玄書状

今度万可指越候処、尾州金山江其方入魂之由候、誠令安堵候、
仍越後衆信州へ出張之由候間、至于実儀者、乗向可遂一戦候、
為虚説者、以次越府江可及行候、旁々不図出馬候、約束之鉄砲衆五十人、
急速ニ加勢憑入候、万可如申者、苗左可有出陣様ニ支度之由候、
於志者不浅次第候、雖然候自井口金山へ揺之由聞及候条、
必苗左出陣延行尤候、恐々謹言、
 永禄7年 6月13日 信玄花押
 遠山左衛門尉殿
 同左近助殿

428 :人間七七四年:2007/04/12(木) 23:48:05 ID:7rAZUAio
1564年6月17日10月4日に長井道利と書状を交わしている
斎藤家とは一応誼を通じる仲だったのかな

あと駿河関連で
1566?年5月1日 信玄書状 駿河の信虎を気遣う書状が
信虎はこの時期までは駿河に居る事が可能だったのか?
九鬼を志摩から追い出したのはいつだろう

>>427
尾州=織田
井口=斉藤
越府=上杉
苗左=苗木
とのこと

429 :人間七七四年:2007/04/12(木) 23:52:25 ID:jFodY9cA
>>416
春日山は越後国内からだと案外落ちやすい。簡単に落とされてる。
強いのは越後の外に対して

430 :人間七七四年:2007/04/13(金) 00:28:14 ID:xlsrrx0V
春日山城が落とされたのって御館で景勝が景虎追い出したこと?
それとも為景以前の話し?
だとしたら1560年の普請1573年の大拡張後とではかなり異なるんじゃ

431 :人間七七四年:2007/04/13(金) 00:39:47 ID:ZBm3l/kJ

篭城は、後詰、援軍のあてがあって、初めて意味を成すものだ。
仁科も篭ってるわけではなく、打って出ているだろ。
城の「女まで」打って出てきた、と織田の記録にもあるはずだ。
城を守備しても無駄なのよな。いかに討ち死にするか、しか見せ場の無い
戦いだったわけだからな。


432 :人間七七四年:2007/04/13(金) 01:53:44 ID:wrc7b/U9
あの時点なら弧軍ではなく勝頼の援軍の可能性だってまだ残されてるが…天険に拠って勝てないけど負けない戦いで持久する一方でゲリラ化すればまだわからない。たとえ織田軍に点を支配されても面を支配されないよう泥沼化し時勢の変化を待つ。
関東戦国初期の長尾景春のような戦術も可能だった。

433 :人間七七四年:2007/04/13(金) 04:39:15 ID:+Zo2vZjE
>>430
春日山城は落城してない。かなり堅固な城だったから、あれだけ謙信が遠征できたとも言われてる。

434 :人間七七四年:2007/04/13(金) 08:22:55 ID:XNI1WcUl
>>430
為景時代に宇佐美に落とされたり為景が落としたり2度落とされている。

>>433
妄想乙

435 :人間七七四年:2007/04/13(金) 17:39:41 ID:e90yPgoD
>>432
穴山が高遠包囲の前日だったか、徳川に降伏している。
勝頼は新府城で兵士でもない、荷物もちの人手を集めることさえ
できない状態だった。
あの時点では高遠で玉砕か、勝頼と自害かのどちらかしか方法が無いだろう。

ゲームだと徴兵コマンドで人が集まるが、
現実では、崩壊している組織の命令など誰も聞かない。
もう武田には、人望のある将が残っていなかったわけだし。
ごく一部の義人だけが運命を共にするだけだ。

436 :人間七七四年:2007/04/13(金) 20:59:15 ID:ZP1YQeBi
>>435
高遠に篭った人間を「義人」とするのはどうかと。

437 :人間七七四年:2007/04/13(金) 21:17:14 ID:wrc7b/U9
勝頼もその悲惨な実態を高遠には気付かれまいとしただろう。

438 :人間七七四年:2007/04/13(金) 21:31:12 ID:E4VwujN0
なあ、今さらだが改めて聞きたい
結局信玄はあの大西上戦で何をしたかったんだ?


1:上洛

→徳川・織田をぶっ潰して進むなんて効率悪すぎ

2:徳川潰し

→三方ヶ原で徳川勢を潰走させるも、
 壊滅させることもなく、大きな戦果もないまま西に向かう理由がわからん

3:織田潰し

→徳川潰してから進むより、
 中山道経由で直接美濃に殴りこむほうが早いのではないか、と

439 :人間七七四年:2007/04/13(金) 21:34:14 ID:W4uvO2xQ
篭城って城の規模や城主の資質もあるが、強力な援軍が来る可能性があるのかが、最も重要な気がする。
孤立無援だと、地元の末端の兵は逃亡するよ
そういった人たちは、主君が武田から織田に代わるだけだからね。
備中高松や松山の場合は、毛利本隊は無傷で残ってたわけで身内すら逃亡、寝返りの武田とは違う

440 :人間七七四年:2007/04/13(金) 21:54:57 ID:9t9q9Mo4
>>438
長篠の戦と同じく、織田徳川連合軍を誘い出しての殲滅
そうして西の勢力と合同で潰そうとしたのじゃないのかな?
単体での上洛は信玄もつらかろう

441 :人間七七四年:2007/04/13(金) 22:03:42 ID:E4VwujN0
>>440
誘い出すにしても信長は包囲網敷かれてまともに動けないしなあ
むしろそのように仕組んで信玄が動いたという考え方が通説っぽいし

442 :人間七七四年:2007/04/13(金) 22:12:40 ID:9t9q9Mo4
野田城を攻めたりして誘っているじゃん

443 :人間七七四年:2007/04/13(金) 22:21:09 ID:E4VwujN0
>>442
徳川攻めという観点で見たらそれは間違いではないけれど、
そうなると三方ヶ原の合戦というのは、
武田方にしたら徳川を討つのに失敗した、
戦いに勝って戦果は何もなし、と言うようなものになるぞ

大体とく側攻めるつもりなら三方ヶ原のあと、
そのまま浜松に侵攻しても良かったろうに
弱体化してろくに反撃も出来ないんだろうからさ

444 :人間七七四年:2007/04/13(金) 22:27:20 ID:9t9q9Mo4
三方が原は信玄にしてみれば、あれで目的は達したんじゃないの?
信長も誘い出して撃つつもりなんだから、深追いせずに兵を温存
目論み通り徳川も織田も破ったら西の方で反織田が勢力を盛り返すだろう

445 :人間七七四年:2007/04/13(金) 22:30:41 ID:E4VwujN0
>>444
だから信長は包囲網敷かれてて武田の迎撃に来られる状態じゃなかろうが
実際そういう状況に仕組んだのが信玄で、だからこそ彼は動き出したとされるし

446 :人間七七四年:2007/04/13(金) 22:31:58 ID:IQRbbVvV
>>438
4:上洛とプロパガンダをしておいて行けるところまで行く作戦
に一票。
あの時点で織田の援軍は少なく信長自身も出張ってこれなかったのだから時期的には
いいんじゃないの。
で、信玄の健康状態が悪くなったのと朝倉が再出陣するまでは遠江・三河制圧作戦
に切り替えたんじゃないかと勝手に想像してみる。

447 :人間七七四年:2007/04/13(金) 22:37:09 ID:E4VwujN0
>>446
三河・遠江侵攻が目的ならあれは一番自然な形
包囲網敷かれた織田は援軍を出せる状況じゃないし、
徳川は単独で武田を迎撃できるだけの兵も物資もそろっていない

けどそれだと詰めが甘いんだよな
三方ヶ原で徳川方総大将の家康と決戦になり、
三河・遠江一挙獲得の大チャンスに恵まれるも、
現実は家康を取り逃がしこれを深追いする事もなく、
構成はゆるやかになっていく

この三方ヶ原後の行動が謎
このあたりから既に本格的に体調を悪くしていたのか

織田を攻めるつもりなら、
さっさと中山道から進めばいいと思うんだがな

448 :人間七七四年:2007/04/13(金) 22:42:12 ID:9t9q9Mo4
現実に信玄は三方が原の前も後も浜松方面へ行ってないのに
織田が目的ではないと結論づけるの?
実際に尾張方面へ軍を向けているし野田城を攻めているんだぜ?

449 :人間七七四年:2007/04/13(金) 22:43:47 ID:6FAyYaji
ただ単に
死期が近いのを悟って
後々のために大暴れして武田健在をアピールしたかっただけだろ
大河ドラマみて思ったっけど
結局、北条上杉と争ってきて
中央が荒れてるからこいつら置いて
上洛するなんて無粋なまねはしないわな

450 :人間七七四年:2007/04/13(金) 22:45:26 ID:E4VwujN0
>>448
誰も結論付けてなんかない
真意がわからんと言ってる

信長をおびき寄せて決戦したいと言うなら、
信長の動きを封じてしまうあの包囲網は不要
逆に織田領に攻め込むなら、
東海道経由じゃなく、中山道経由で直接美濃に侵攻を開始する方が、
はるかに効率的、という話

451 :人間七七四年:2007/04/13(金) 22:46:51 ID:hcJYypUA
包囲網は機能していなくて西は追いこまれてるがな
西の勢力に対する支援=織田への牽制と徳川領を削る程度。
その後調略→侵攻の繰り返し。

徳川単体にしたってそう短期に滅ぼせるわけないでしょ。

452 :人間七七四年:2007/04/13(金) 22:47:01 ID:E4VwujN0
>>449
自分の死期が近い
だから、自分の死後武田家への脅威となりうる、
織田・徳川連合を何とかしないといけない、というのは、
動機としては十分理解できる

問題はその行動
何がしたかったのやら

中野区大先生はまだか?

453 :人間七七四年:2007/04/13(金) 22:51:34 ID:9t9q9Mo4
中仙道は整備されていたのだろうか?
中津川を過ぎても待ち伏せされてゲリラ戦をされたら厄介だぜ?
一方の三方が原への道はだんだらの下りで楽チンだぞ?

454 :人間七七四年:2007/04/13(金) 22:57:23 ID:E4VwujN0
>>451
義景様の素晴らしき御決断があったからなw<包囲網瓦解

けど確かに義昭ら西への支援として、
織田への牽制と徳川領侵攻だった、というのもありうるね

けどそれが目的だとすればあまりにも大規模な侵攻じゃない?

455 :人間七七四年:2007/04/13(金) 22:59:48 ID:E4VwujN0
>>453
けど秋山信友は現実にそこから攻め込んでるからねえ
でお姫様のツンデレ城主を我が物にしてしまったw

仮に東海道経由しか道はなかったとしても、
一気に徳川を蹴散らし織田へ侵攻すると言うのは、
博打過ぎないか?

徳川に敗北する可能性も無きにしも非ずだし
現実二俣攻めは大幅に時間かかってるし

456 :人間七七四年:2007/04/13(金) 23:06:29 ID:9t9q9Mo4
岩村城へ登ったことがあるが、大変だぞ?
落城には裏があるんじゃないの?

457 :人間七七四年:2007/04/13(金) 23:08:28 ID:E4VwujN0
>>456
落城の事情は知らんが、直接美濃へ侵攻できたという事はれっきとした事実

458 :人間七七四年:2007/04/13(金) 23:17:09 ID:9t9q9Mo4
だから直接美濃を攻めれば家康が逆に飯田を攻めるだろうし

459 :人間七七四年:2007/04/13(金) 23:19:53 ID:E4VwujN0
>>458
秋山を美濃に遣わしたように誰かに徳川領へ侵攻させ、
徳川に備えさせればいい

460 :人間七七四年:2007/04/13(金) 23:20:11 ID:UuBXPRUz
織田と戦うと言う事は徳川とも戦うと言う事。
武田が美濃へ主力を向けている時に徳川が駿河にちょっかいをかけたら、
武田は引き返さざるえなくなる。
駿河に大軍を置いたら信濃を攻められる。
駿河信濃に大軍を置いたら織田と戦うどころではない。

美濃から信濃への入り口を押さえて、大軍で徳川を打ちに行くのは当然の戦略。

461 :人間七七四年:2007/04/13(金) 23:23:05 ID:ttAcKei2
>>454
朝倉はもう瓦解寸前で危険、戻らなければいけない状況だった。
決断も何も、選択の余地がなかったってのが正解。

正直信玄は火事場泥に行っただけだと思ってる。

462 :人間七七四年:2007/04/13(金) 23:23:11 ID:UuBXPRUz
>>459
単独で1万を動員できる徳川にどれくらいの兵数で攻めるつもり?
岩村みたいに5千?

463 :人間七七四年:2007/04/13(金) 23:24:06 ID:W4uvO2xQ
秋山だけなら何千かの軍勢だけでしょ? 2万3万の兵を通して配備できるスペースがあったのかな?
美濃は完全な織田領内だし今川義元2世になる可能性もある。
織美濃に手引きする勢力も無いのに大軍で押し通れたのか?

464 :人間七七四年:2007/04/13(金) 23:27:15 ID:E4VwujN0
こうして聞いてみると、中山道経由美濃攻めは以下の理由で困難ということでオケーイ?

1:道路が整備されておらず大軍で侵攻する事は不可能

2:美濃へ主力を向けていたら、
 東海道の徳川が主力を駿河など武田領へと向ける可能性があり、
 これへの備えを考えると美濃へ主力を向ける事は得策ではない



465 :人間七七四年:2007/04/13(金) 23:28:29 ID:E4VwujN0
>>462
そう言われると苦しいのだが、
仮に徳川へ織田から援軍を求められたらどうする?
武田領への総攻撃は容易に出来なくない?

466 :人間七七四年:2007/04/13(金) 23:32:31 ID:W4uvO2xQ
>>465
側面を突ける部隊を正面に移動させる意味が無い

てか、東美濃の何処で万単位の合戦するのよ 無理

467 :人間七七四年:2007/04/13(金) 23:33:11 ID:IQRbbVvV
>>455
博打とまではいかないだろう。
現に信長は出張って来られなかったんだから。いないうちに荒らしておいて
信長が大群引き連れてきたら引けばよろし。
それでまた浅井・朝倉・本願寺などに暴れてもらうと。
ま、包囲網が機能していれることが前提だから朝倉に再出陣を要請していたのだろうけど。

468 :人間七七四年:2007/04/13(金) 23:33:54 ID:E4VwujN0
>>466
言われてみりゃそうだな
美濃へ直接乗り込んでできることとなると、
国境の城を落としていく事が主になるか

469 :人間七七四年:2007/04/13(金) 23:35:23 ID:6FAyYaji
本気で織田と戦う気なら
徳川なんて攻めないで美濃をせめるでしょ
逆に本気で織田と戦う気なら
徳川に攻められた方が短時間で殲滅して打撃を与えることができるわな
要するに動かした敵の方がフェイクだ

470 :人間七七四年:2007/04/13(金) 23:36:44 ID:E4VwujN0
>>467
けどそれって信玄らしくなくないか?

まず第一に包囲網がいつまで機能するかわからない
(これは現実に朝倉の離反で崩壊)
第二に侵攻作戦がスムーズに進むとは限らない
(現実に二俣でてこずってる)

そういう要素を考えると、
「徳川家散らして織田とも決戦して勝利じゃい」
とは不確定要素に頼りすぎな気が…

センゴクって漫画じゃ全て信玄の計算どおりとなってたが、
現実にそれはありえんでしょw

471 :人間七七四年:2007/04/13(金) 23:41:29 ID:UhTLE6Ix
信玄って土地が欲しくてしょうがないんだな。
時間をかけ、周りを全て敵に回してでも旧今川領全部ぶんどり>>>>>>>謀反人の三河を取って甲駿磐石
滅亡の危機と同居しながら獲る東美濃と三遠>>>>>>>>>>天下人の東の盾としての安寧

そういう馬鹿なところが魅力。

472 :人間七七四年:2007/04/13(金) 23:43:14 ID:9t9q9Mo4
三方が原の信玄は強いぞ、信長だって野戦をしたら負けるだろう
だから黒澤映画「影武者」では、夜毎、妙なる笛の音で
信玄をおびき出して鉄砲で狙撃して殺してる、w

473 :人間七七四年:2007/04/13(金) 23:45:03 ID:E4VwujN0
>>471
結果的にそうなんだよな
信濃攻めからしてそうだし

諏訪までは良かったけど、
小笠原達の討伐には失敗して上杉との泥沼招いてるし

474 :人間七七四年:2007/04/13(金) 23:48:52 ID:E4VwujN0
>>472
三方ヶ原って信玄にとってそれほど誉められた戦かね?
鮮やかに勝利したのは事実だが、戦果を考えると、褒められすぎな気がする

1:徳川を決戦に誘い出そうとしたらしいが、
 その結果現実に徳川が出てきたのは夕方

2:そのせいで夜陰にまぎれて家康や重臣らをほとんど逃がしてしまい、
 戦には勝ったが、のちの設楽が原合戦のような大打撃を与えられなかった

信玄がこの合戦をどのように捉えていたかによって評価は変わるだろうけど、
仮に三河・遠江制圧が目的だったとすると、
家康をわざわざ誘い出しながら逃がしてしまったのは、
信玄にとって失点だったと思う

475 :人間七七四年:2007/04/13(金) 23:49:19 ID:UuBXPRUz
しかし朝倉が撤退したのを非難してるし、
このスレでも馬鹿な行為扱いだが実際仕方が無いんじゃないか?

後に秀吉と勝家が争った時に、勝家は雪が積もってて援軍に迎えず
我慢しきれずに雪を掻き分けて来たというし、
越前が雪に閉ざされたら補給もままならない。
って言うか本国と分断される。
謙信が関東に出兵した時のように自軍の兵数が敵を上回っているならともかく、
敵より少ない兵力で本国と分断されたらたまらんだろう。

476 :人間七七四年:2007/04/13(金) 23:51:56 ID:E4VwujN0
>>475
だとすればそんな状況を計算せずに包囲網を敷いた信玄は馬鹿だよね

477 :人間七七四年:2007/04/13(金) 23:53:10 ID:ocQZ+mhy
>>471
三河攻めにはかなり信玄は固執していたぞ。拒否したのは今川だし。

天下人としての東の盾としての安寧というが、大きすぎる武田領土を信長が安堵してくれるとは
考えにくいのではないか?
織田が強大になりすぎたら武田がつぶされると考えても不思議は無い。
それなら包囲網があるうちに、と思ったのかも。

478 :人間七七四年:2007/04/13(金) 23:54:38 ID:W4uvO2xQ
多分、三河で徳川本隊を叩けば三河遠江の豪族達が武田になびくと思ってたんじゃない?
でも結果は一枚岩で粘られて時間オーバー
単に領土増やすために出てきただけ

479 :人間七七四年:2007/04/13(金) 23:57:02 ID:E4VwujN0
>>478
結局大きな戦果がないよな
しかも武田撤退直後長篠を瀕死の徳川に奪い取られ、
これをとうとう奪取できないまま終わった

480 :人間七七四年:2007/04/13(金) 23:58:01 ID:e90yPgoD
ところで、
高遠で最後まで戦った武将には小山田昌行親子も居る。
彼らも戦死しており、小山田がみな裏切ったわけではない。
最後まで戦った小山田も居るということだ。
だから、小山田という名でも最後まで戦い玉砕した武将もいるので
小山田さんだからといってすぐ叩くのはやめよう。

481 :人間七七四年:2007/04/13(金) 23:59:33 ID:ocQZ+mhy
小山田昌行は郡内の小山田とは別系統じゃなかったっけ?

482 :人間七七四年:2007/04/13(金) 23:59:44 ID:9t9q9Mo4
こう考えると織田・徳川同盟は素晴らしいな

483 :人間七七四年:2007/04/14(土) 00:05:00 ID:qAQMwCs6
>>479
三河では野田城・足助城・田峰城・作手城・古宮城などを落としているし、
ここで吉田・二連木を落とせば徳川領は完全に分断されるのでは。
そうしておいて家康を料理するか、家康を封じたまま西に向かうか、という
戦略もあったんじゃないのかな?

484 :人間七七四年:2007/04/14(土) 00:09:39 ID:hv8+YPxH
吉田を取って分断じゃなくて
反対から見れば挟撃になるぞ?

485 :人間七七四年:2007/04/14(土) 00:16:26 ID:qAQMwCs6
あの状態の徳川に挟撃できるかなあ?

486 :人間七七四年:2007/04/14(土) 00:22:13 ID:hv8+YPxH
戦死千人と言われているのに、重臣の戦死はひとりも
ただの一人もいないぞ? すこしは疑れよ、家康の戦略をよ

487 :人間七七四年:2007/04/14(土) 00:25:01 ID:qAQMwCs6
その家康の戦略とは?
まさかあれだけやられたのがわざととかいったらそれはそれで奇妙に思える。

488 :人間七七四年:2007/04/14(土) 00:29:55 ID:hv8+YPxH
わざとだと言いたい

489 :人間七七四年:2007/04/14(土) 00:34:18 ID:LGHx2Pdz
>>488
またお前か

「家康は本当に野戦の達人?」スレで、
「三河一向一揆も三方ヶ原も全て家康の陰謀。家康は天才」
とのたまわってた馬鹿だろ?

490 :人間七七四年:2007/04/14(土) 00:34:31 ID:qAQMwCs6
織田方の援軍の平手さん死んじゃったし、
夏目や鈴木を始めとした譜代の臣が結構死んでいたように思うしなあ・・・。
あれをわざととすると家康かなりひどすぎというかなんというか。

491 :人間七七四年:2007/04/14(土) 00:36:40 ID:LGHx2Pdz
>>483
それは三方ヶ原後のことでしょ

三方ヶ原の時点では信玄にとって言うほど大きな戦果はないよ
わざわざ誘い出しておきながら総大将から重臣まで逃がしてしまってるんだから

492 :人間七七四年:2007/04/14(土) 00:39:11 ID:A6R9qOSt
信玄はわざと家康を逃したんだよ
信長とガチでやるより
徳川を挟んだほうが都合がいいでしょ


493 :人間七七四年:2007/04/14(土) 00:41:00 ID:LGHx2Pdz
>>492
だったら三方ヶ原に誘い出す意味ないね

494 :人間七七四年:2007/04/14(土) 00:45:44 ID:hv8+YPxH
だから二万五千の信玄に、一万少しの家康が
マジでタイマン張るのか? つうことだよ

495 :人間七七四年:2007/04/14(土) 00:46:14 ID:qAQMwCs6
三河後風土記ではかなり武将が死んでいるように見えるのだが。
三方ヶ原で一回叩いておけばその後の戦いは有利になると踏んだのでは。
実際かなりのダメージを与えたし。

496 :人間七七四年:2007/04/14(土) 00:47:00 ID:LGHx2Pdz
>>494
お前黙ってろ
ややこしくするだけだ
あれだろ、お前の説じゃ桶狭間も家康の陰謀だったっんだよな、確か

497 :人間七七四年:2007/04/14(土) 00:48:44 ID:LGHx2Pdz
>>495
ダメージを与えたのは疑い様がないが、壊滅状態にまで追い込んでない
実際三方ヶ原後も何とか兵を出そうとしてるし、
その後に長篠城を落とすのにも成功してるし

少なくとも設楽が原で受けた武田方ほどのダメージはなかったっぽいよ

498 :人間七七四年:2007/04/14(土) 01:07:39 ID:qAQMwCs6
>>497
まあ、長篠は武田が撤兵した後だしなあ。
とりあえずある程度のダメージを与えてその行動を鈍らせるぐらいで
十分だったのでは。
もともと圧倒的な戦力差がさらに広がって家康は行動の選択肢が減る。
そうしておいて徳川領土を分断しそのまま家康を料理にかかるか
それとも西に向かうか。岡崎を狙われたら家康は打って出ざるを得ないのでは。
三方ヶ原で戦力を減らした徳川が打って出たら今度こそ壊滅するのでは。
まあ、織田が来るまでにどれだけの時間があるかだな。
信玄が朝倉に怒ったのもそこらへんが理由とか。

499 :人間七七四年:2007/04/14(土) 01:19:27 ID:LGHx2Pdz
>>498
とりあえず信玄の目的がなんであるかわからないから、
三方ヶ原が信玄にとって成功だったか失敗だったかって判断のしようがないんだよな

まああの状態でもう一度決戦したら信玄の勝利は疑い様がないが、
ただ家康を攻めるつもりならさっさと浜松かこめばよかったと思うんだがね
ろくに反攻も出来ないだろうし、ここを落とせば三河・遠江は全て我が物となるんだから

500 :人間七七四年:2007/04/14(土) 01:26:56 ID:TFfoO4SW
>>438
普通に徳川領削りたかっただけだと思う。
信玄が畿内の勢力と連絡とって美濃を攻めるというのは
それまでの信玄の行動から考えて包囲網に動いてもらうための嘘だと思う。

>>447-448
三方ヶ原後の行動ってそんなに変かな、
徳川に一撃与えて牽制してから
刑部井伊谷など北遠江を制圧し、
野田城など、既に抑えていた奥三河の隣接地域を制圧、
信玄らしい安全で確実な攻めかたをしていると思うが。

管沼記には野田城攻めは山家三方衆などの人質を取り戻すため
人質交換に使う徳川からの人質を手に入れるためとかなってはいるが。

501 :人間七七四年:2007/04/14(土) 01:28:18 ID:qAQMwCs6
>>499
>>497であなたがいったようにダメージはあるが壊滅ではない、という状態
だったからでは?一気に片をつけるには微妙だったとか。
それで西に向かい分断とさらなるおびき出しをはかったとか。
分断が成功すれば家康の行動も狭まり、各地の徳川に従っていた豪族達も動揺する。
完全に分断される前に吉田か二連木で、もしくは岡崎を狙われたときに
出てこざるを得ない家康を今度こそ確実に叩き潰す、なんて考えてみた。

502 :人間七七四年:2007/04/14(土) 01:34:41 ID:hv8+YPxH
またぞろ桶狭間、家康陰謀説を大河ドラマスレで唱えてみたんだが
いいところまでは逝くのに、最後でポシャった、w

503 :人間七七四年:2007/04/14(土) 01:35:07 ID:LGHx2Pdz
>>500-501
三方が原の勝利で武田勢に流れが来てる状況だからね
その勢いに乗じて浜松を包囲、
ろくに動けないであろう家康に降伏勧告、
従わないようなら総攻め

三方ヶ原が浜松から離れての決戦ならともかく、
浜松を目の前にした行動としてみると少し疑問なんだよな

504 :人間七七四年:2007/04/14(土) 01:36:11 ID:TFfoO4SW
>中山道経由美濃攻め
1574年に織田武田が万単位で対陣するぐらいだから問題は無いと思う

>>477
>三河攻めにはかなり信玄は固執していたぞ。拒否したのは今川だし。
それ軍鑑以外にあるの?
伊勢経由上洛と同じで実現の可能性は低いと思うが

>>483
同感
北からじわじわと制圧していって既に遠江三河国境の連座宇利など
浜名湖以北の交通路は押えているから
もっとも吉田より先に東遠江を先に攻める可能性も高いと思うが
吉田城は尾張に近いから信長の援軍の危険性が増す

>>491
それは戦争に結果を求めすぎだと思う。
戦場で死んだ大名なんてそうはいない。

505 :人間七七四年:2007/04/14(土) 01:40:29 ID:LGHx2Pdz
>>504
野戦での信玄の勝利を否定するつもりはないが、
しかしその戦果はというと一般に評価されるほどに素晴らしいのかどうか、
と疑問なだけだよ

506 :人間七七四年:2007/04/14(土) 01:42:33 ID:TFfoO4SW
>>497
酒井の東三河衆はうまく離脱したらしいし
石川(数正ではないほう)などの東遠江衆や岡崎の信康などは参加していないしね

>>501
岡崎狙うのは逆に危険だろうけど
朝倉が撤退していなかったなら吉田等を攻めることも可能だったと思う

>出てこざるを得ない家康を今度こそ確実に叩き潰す、なんて考えてみた。
長篠までの家康の行動を考えるともう出てきても戦いはしないと思う。

507 :人間七七四年:2007/04/14(土) 01:46:22 ID:TFfoO4SW
>>503
攻めても落とすのは難しいと思う
浜松城は石垣が使われていて堅い城というのもあるし
総攻めするには兵力差がちょっと・・・
織田という不安要素が無ければじっくり攻めることも可能かもしれないが

508 :人間七七四年:2007/04/14(土) 01:48:42 ID:hv8+YPxH
三方が原で夜になったから取り逃がした、つうのはどうだろう
相手の逃げる方向は判っているのだし
その気があったのなら追撃はするだろうし討ち取れるのじゃないの?
その気がなかったか追撃が無駄だと思ったのかが真相じゃないのか?
個人的には戦いの序盤にもう家康は逃げていたのじゃないかと思ってるが

509 :人間七七四年:2007/04/14(土) 01:51:26 ID:wUsviTLR
>>486
うんこ漏らして命からがら逃げたのも家康の戦略かね?
単に浜松城を囲まなかったのは簡単に堕とせる城ではないと読んだからではないの?
兵糧攻めでは長期になって信玄の健康状態もあるし信長の援軍が出てきて挟撃されかねない。
長篠程ではないけども蹴散らしたのは事実で二度と野戦には出てこないだろうとふんだのでは。
実際にその後家康は単独では武田と決戦していないよね。

510 :人間七七四年:2007/04/14(土) 01:51:54 ID:LGHx2Pdz
>>506
「偉大なる信玄公が素晴らしい戦果を上げた輝かしき戦」というようなものじゃないよね

>>507
いや、どうだろう
浜松を攻めるには絶好の好機が到来したと思うが
相手を追い詰めてて、事実上詰みかけの状態なんだから

511 :人間七七四年:2007/04/14(土) 01:53:30 ID:LGHx2Pdz
>>509
長篠攻めなど三河・遠江での武田との拠点争いが始まるけどな
城取りゲームの始まり

512 :人間七七四年:2007/04/14(土) 01:54:06 ID:LGHx2Pdz
>>509
>>486に言わせれば全て家康の謀略であり宣伝というとんでもない話になるから相手しないのが吉

513 :人間七七四年:2007/04/14(土) 01:56:46 ID:hv8+YPxH
信玄が浜松城を囲めば信長も出てこざるを得ないだろうに
なぜ浜松へ詰めなかったのかな
実際は言われているような勝ち戦じゃなかったのかな
そう勘繰られてもしょうがないよな・・・

514 :人間七七四年:2007/04/14(土) 01:59:49 ID:hv8+YPxH
>>512
だから負け戦を宣伝する大名が家康の他にいるのかよ
しかも絵にして残しているんだぞ? 小便ちびったのなら解るが
ウンコちびったって宣伝してるんだぞ?

515 :人間七七四年:2007/04/14(土) 02:04:51 ID:TFfoO4SW
>>510
>事実上詰みかけの状態なんだから
それは無い
この程度で詰みになるなら浅井はとっくに詰んでいる
塩尻後の小笠原とか国府台後の里見とか
優勢にはなっただろうが滅ぼす降伏させるにはまだ時間がかかると思う。

516 :人間七七四年:2007/04/14(土) 02:08:32 ID:LGHx2Pdz
>>515
そうなのかね
ということはなおさら三方ヶ原で信玄は素晴らしい成果をあげたとはいいがたいのかもね

517 :人間七七四年:2007/04/14(土) 02:08:54 ID:FCPdz7Fh
ID:hv8+YPxH
は全て家康の掌中にあったと主張する痛い神君厨なので無視でお願いします

518 :人間七七四年:2007/04/14(土) 02:11:24 ID:LGHx2Pdz
>>517
同じ家康好きとして情けないわ
ある意味仙台藩百姓以下だ

519 :人間七七四年:2007/04/14(土) 02:17:07 ID:qAQMwCs6
>>516
おびき出しとして見事な戦いだったのと
相手にかなりのダメージを与えた事で評価されているんだろう。
なんだかんだいって一割戦死させたのは見事だ。
徳川からしても戦闘の定義からいっても普通に大敗といっていいんじゃない?
あなたのすばらしい成果というのがどれくらいなのかはわからないが。

520 :人間七七四年:2007/04/14(土) 02:19:08 ID:LGHx2Pdz
>>519
信玄の戦いの勝利そのものを否定してないよ
ただ、この三方が原ってよく、
「偉大なる信玄公は家康を打ち破り、徳川家を滅ぼす直前まで追い込みました」
みたいに語られるけれども、
それは違うんじゃない、と疑問なだけ

521 :人間七七四年:2007/04/14(土) 02:23:02 ID:qAQMwCs6
>>520
まあ、一回の戦の結果で滅亡寸前まで行く事はあまりないからなあ。
大敗してその後追い詰められて滅亡というケースがほとんどだし。
家康も敗戦後は行動力が落ちているし信玄に各地の城を落とされて
ジリ貧状態だった。家康にとって危機であったのは事実だと思う。

522 :人間七七四年:2007/04/14(土) 02:26:48 ID:TFfoO4SW
>>516
大勝と言って良いほどの十分な成果ではあるけど
致命傷とするには満たない戦ぐらいだと思う。
例えば厳島合戦ほどの大勝であっても大内が滅亡するのはその2年後だしね

>>520
それに関しては違うと思う。

523 :人間七七四年:2007/04/14(土) 02:27:12 ID:LGHx2Pdz
>>521
うむ。そのとおり。
それを三方ヶ原の勝利だけをみてすべてを語ろうとするのが変なんだよ。
あれは過程の一つであって、あそこで結論が導き出されたわけじゃないんだよね。

524 :人間七七四年:2007/04/14(土) 02:29:57 ID:LGHx2Pdz
>>522
だよね。
三方ヶ原って遠江・三河侵攻戦のひとつの過程にすぎないんだよね。
ここの信玄の勝利だけを見て、
この侵攻作戦のすべてを判断しようというのは少し無理がある。


525 :人間七七四年:2007/04/14(土) 02:32:20 ID:TFfoO4SW
刀根坂の戦い賤ヶ岳の戦い摺上原の戦い関ヶ原の戦い
そのまま滅亡に繋がる戦はあるにはあるけど
どれも三方ヶ原とは状況が異なるしな

526 :人間七七四年:2007/04/14(土) 02:36:56 ID:LGHx2Pdz
「センゴク」って漫画なんかでもそうでねえ。

「織田家を潰す為に信玄はあらゆる手を打って、三河・遠江侵攻作戦を開始しました。
そして信玄は、戦が始まる前に勝利を決めるべくあらゆる手を打ち、
すべては信玄の考える棋譜どおりに動いたのです」
って話で、これはフィクションだし物語として面白いから別にいいんだけど、
問題はこれを史実として語るような人がいなくもないって事でね。

527 :人間七七四年:2007/04/14(土) 02:56:30 ID:TFfoO4SW
>>526
NHKでさえ物語を史実のように扱うからな

528 :人間七七四年:2007/04/14(土) 06:40:56 ID:VhMbhZ0J
神君厨の語る家康ってクラウザーさんみたいだな。


529 :人間七七四年:2007/04/14(土) 09:32:11 ID:vsTQzqeH
>>520
話を戻すようだが、
だからこそあなたが>>510で挙げたような、
一気に浜松城を囲めばよいというような状況ではない。
つまり史実の信玄の行動のほうが妥当だったということ。

530 :人間七七四年:2007/04/14(土) 16:35:45 ID:aSPQjH2a ?2BP(113)
>>513
いつ終るかも分からない攻城戦をして、いたずらに兵力を削ぎたくなかったから
家康に背を向けるふりをして魚鱗の陣で打ち破ったんだろ

531 :人間七七四年:2007/04/14(土) 16:48:08 ID:vsTQzqeH
そもそも勝ち戦だというだけで、敵の居城すぐに落せるかのように思うのが短絡的すぎ。
なかにはそういう戦もあるが必ずそうなるわけじゃあない。

532 :人間七七四年:2007/04/14(土) 21:38:35 ID:QW45RF4G
さて織田厨が毎日のように各スレで信玄や謙信の力を弱めようと工作を進めてます。
学者を含めた世間一般論を覆す為に勝者である織田〜徳川史観のみを正しいと主張するアホは不利になると自作自演で多数派を装ったり深夜にまで常駐するので注意が必要です。
まぁ弱小へっぽこ大名ばかりの濃尾以西と鎌倉公方や両上杉の対立時代から混乱を極め強豪ひしめく関東甲信越とはレベルが違い過ぎるんだがな。


533 :人間七七四年:2007/04/14(土) 21:42:48 ID:dgbpj3vS
徳川史観のおかげで信玄最強伝説が生まれたんじゃない?

534 :人間七七四年:2007/04/14(土) 22:00:58 ID:hv8+YPxH
そら信玄は強いわな、最強かもしれないが
今川、北条との三竦みでどちらも滅ぼせず
北の謙信には勝つどころか負けそうになるし
そんならと織田徳川へとコマを進めようとしても
どちらか一方を、つう訳には逝かず
挙句の果てにゃあ死んじまって…
俺は最強なんだ、って必死に叫んだ、ってだけだったな orz

535 :人間七七四年:2007/04/14(土) 22:01:44 ID:A6R9qOSt
勝てば官軍
天下を取った家康が最強で
家康を追い詰めた信玄も最強で
その信玄とガチでやりあった謙信氏康も高評価

536 :仙台藩百姓:2007/04/14(土) 22:04:09 ID:AlHCHSr8
確かに見るべきものはあるお
でも、実績からいくと微妙だおね
戦国最強なんて言葉がどこから出てくるのか謎だお
早い時期に徳川家中に取り込まれて勢力を持った事と
家康を破った事が
武田の名声を上げる要因の大半を占めているのは間違いないお
実態はただの田舎大名だお( ´ω`)

537 :人間七七四年:2007/04/14(土) 22:10:16 ID:+wf+0L1g
>>533
秀吉の小田原攻めを知らん奴だから無視しなきゃ駄目
奴の脳内では1573年で停止してるから

538 :人間七七四年:2007/04/14(土) 22:11:54 ID:dgbpj3vS
百姓にききたいが煽り抜きで
三方が原の時点で信玄には糞もらしはともかく大きな戦果があったと思う?
マジレスで頼む

539 :人間七七四年:2007/04/14(土) 22:13:26 ID:qAQMwCs6
>>536
奥州って都会なんですか?

540 :人間七七四年:2007/04/14(土) 22:18:48 ID:hv8+YPxH
奥州は平安までは外国だべ?

541 :人間七七四年:2007/04/14(土) 22:19:54 ID:0VcNo0D4
え? 栃木群馬新潟から上ってロシアの領土じゃなかったっけ?

542 :人間七七四年:2007/04/14(土) 22:26:36 ID:hv8+YPxH
ロシア皇帝・伊達政宗か…  つおい!

543 :人間七七四年:2007/04/14(土) 23:43:54 ID:9WGiUHf3
>>541
某ゲームの北日本人民共和国ですか?w

544 :仙台藩百姓:2007/04/15(日) 00:02:50 ID:mVZ17zOD
>>538
甲信の平定後は関東東海に少し進出して終わりだおね
対織田徳川戦だって信玄の構想ではなく
義昭の構想の一部に過ぎないお
しかしながら三方ヶ原一連の戦いがなかったら
武田の評価はかなり微妙になるお
結局のところ信玄の評価は
義昭の片棒担いだと言う事に集約されるお
そして遺臣達の再仕官先が運よく将軍家になった為
幕府の力を背景に武田軍団が誇張されて流布された
それだけの話しだお( ´ω`)

>>539
奥州が田舎であっても伊達家は田舎大名ではない
という意味だお( ^ω^)
拠点が京の近くでも田舎っぺ大将は多いお(≧ω≦)

545 :人間七七四年:2007/04/15(日) 00:06:36 ID:fF3m7SPu
データが消えてにくちゃんねるも使えなくなって
35以前が読めない
誰かDATかlogを下さい。

前にあった郡別石高見たいのでその部分だけコピペでもしてもらえたら嬉しいです。

546 :人間七七四年:2007/04/15(日) 00:15:04 ID:mbhXag6Q
>>544
三方ヶ原がなかったら武田の評価は微妙というのは同意だねえ
高天神城は落ちないわ、二俣城落とすのに手間取るわ、
あげく朝倉は勝手に帰るわ、で、
「信玄さえ死ななかったら完璧成功」というほど立派に進行してるわけじゃないよね

大体三方ヶ原の勝利自体が、徳川を追い散らす事には成功するも、
後の武田崩れに見られるような、
徳川の領国支配体制を完全に瓦解させるまでには追い詰めていないからね

少なくともあの見方が原の勝利自体には「設楽が原」ほどの戦果はない

三方ヶ原での戦果なき鮮やかな勝利が、
信玄信者の家康や幕府によって大きく宣伝されてそこばかり注目されてるが、
あくまで侵攻作戦の一つが成功しただけで、
それをもってすべてが成功とみなすのはおかしいわな

まあけど百姓タソにとっては、
「家康は糞漏らし」という素晴らしいネタが投下されたから、
それが一番の収穫かw

547 :人間七七四年:2007/04/15(日) 00:15:10 ID:RybQiCis
奥州って、九州と並んで最も田舎の大名なんだが…

548 :人間七七四年:2007/04/15(日) 00:21:33 ID:mbhXag6Q
ただここが難しいところだが、
「信玄は三方ヶ原で勝利するも徳川の支配体制は崩れていない」
からと言ってじゃあ徳川が無傷だったか、というとこれまた別で、
徳川体制崩壊寸前の危機的状況にまで追い詰められてたのも事実なんだよね

だから信玄死後速攻で長篠を奪還してるけど、
ああいう行動を徳川は無理してでもとらないと、
領内の主に武田との国境にある国人衆が一斉に武田に流れる危険があったわけで

要は、
「信玄は三方ヶ原で鮮やかに勝って徳川を追い詰めたのは事実
しかし設楽が原ほどの大きな戦果を上げるには至らなかった」

というのが妥当なんだろうね

549 :人間七七四年:2007/04/15(日) 00:22:35 ID:mbhXag6Q
>>547
百姓タソの煽りの部分は無視をするように
そういうの相手してると百姓タソはもっと喜んで煽りまくってくるぞw

550 :人間七七四年:2007/04/15(日) 00:23:48 ID:fF3m7SPu
奥州は田舎でも政宗はトップクラスの教養人

ふと思ったこの時代欧州は田舎だろうかとw

551 :人間七七四年:2007/04/15(日) 00:30:36 ID:RybQiCis
少なくとも琴欧州はいなかっぺ

552 :人間七七四年:2007/04/15(日) 00:33:27 ID:fF3m7SPu
>>548
>徳川体制崩壊寸前の危機的状況にまで追い詰められてたのも事実なんだよね
この危機というのがどの程度なのか?
あと数回の侵攻で終わる程度なのか
数年で終わる程度なのか
まだ何年もかかる程度なのか

信長がいなければ数年で終わることはほぼ確実だと思うが

553 :人間七七四年:2007/04/15(日) 00:39:49 ID:RybQiCis
だからもう全く信玄の側に立って見ているからしょうがないよ
徳川の終焉は織田の終焉だぞ? でも両方一挙には滅ぼせない
いや、狙ったんだよ、信玄も勝頼も
長篠の戦は勝頼にしてみれば織田・徳川連合軍を一挙に潰す機会だった
それも誘い出しの作戦が成功したんだよ、だから突撃したんだよ

554 :人間七七四年:2007/04/15(日) 00:48:21 ID:mbhXag6Q
>>552
>あと数回の侵攻で終わる程度なのか

この直後の徳川って確かまともに後詰を出すことすら出来てないはずだよ
設楽が原で被った武田のダメージに比べたら、
そこまでの深傷ではないにしろ、もしこのまま信玄が生き続けて、
まともに後詰も出来ない中、野田やら吉田など周辺の諸城を落とされつづけたら、
徳川に従おうという空気は吹き飛び、
三河・遠江での徳川の支配体制は崩れてしまったと思うよ

だからこそ長篠城を奪い返して、支配者としての存在をアピールし、
そのあとも落とされた二俣城を奪おうと、
二俣の周りに砦築いたり、天方城を落としたりして攻勢に出てるんだから

で、これに対して勝頼が大軍で高天神城を落として、
一気に攻勢に出てきたのは有名な話だよね

しかし長篠を奪還し様とした際に、
それこそ体制を揺るがしかねない大敗北して失敗しちゃったわけだ

555 :人間七七四年:2007/04/15(日) 00:51:00 ID:mbhXag6Q
>>553
ああ、お前三方ヶ原スレで設楽が原も、
実は勝頼が織田徳川を壊滅させようとした作戦、
とわめいてた香具師かw

けどその話の通りだとすれば、
勝頼が高天神を攻めた時に援軍にやってくる信長を待ってれば良かったじゃん

556 :人間七七四年:2007/04/15(日) 00:51:46 ID:RybQiCis
>>554
一度、長野から浜松なり三河なりへ降りてくるといい
だんだら下りながら見える平野の豊かなこと
どちらにつくのが得なのか一目瞭然だわな
そら信玄が恐いから寝返りもしようが…w

557 :人間七七四年:2007/04/15(日) 00:54:22 ID:RybQiCis
>>555
じゃあ何故、勝頼は突撃したんだ? 言ってみろよ

558 :人間七七四年:2007/04/15(日) 00:57:37 ID:mPM8FNWy
>>徳川の終焉は織田の終焉だぞ?
果たしてそうなのだろうか?
徳川の終焉は織田の終焉になるのか議論しようぜ


559 :人間七七四年:2007/04/15(日) 00:57:49 ID:fF3m7SPu
>>554
>この直後の徳川って確かまともに後詰を出すことすら出来てないはずだよ
戦術的には武田が待ち構えている所に小兵力で突っ込んでも
政治的失点が増すだけだから
武田本隊との戦いを避けたのは当然なんじゃないか?

この時期の徳川より不利な状況の姉川後の浅井でさえ数年持ちこたえたのだから
暫くは持ちそうな気もするけど、
武田が兵を退くたびに徳川は反撃しているし

そして吉田は落とせるのか?

560 :人間七七四年:2007/04/15(日) 00:58:13 ID:mbhXag6Q
>>556
あのね、基本的に自分の土地を守ってくれる大名がこの当時はいい大名なの
三河・遠江については徳川がその大名の役割を果たしていたけれど、
それを大きく武田が揺るがしてきたわけだ

「みろ徳川は弱いぞ、強い俺たちが替わって守ってやるぞ」と

まあ武田の場合半端じゃなく金を取られるが、
しかし徳川の後詰めが期待できない状況ならば、
滅ぼされるのを待つまでもなく、武田に従うほうが得、
という判断になっちまうわな

そういう徳川にとっての危機的状況を武田は作り出したの

561 :人間七七四年:2007/04/15(日) 00:59:31 ID:yUoIv1Lb
>>556
吉田城まで落ちようものなら、
その豊かな平野の一部も立派に武田領になってしまうわけだが。
そうなるまで家康が手出しできず、かつもし信長の援軍もこなかったとするなら、
近隣の豪族が雪崩をうって武田になびいても全くおかしくはない。

実際信玄があのタイミングで死ななかったら徳川の運命は風前の灯でしょう、
まあ、信長がこなければの話だけど。

562 :人間七七四年:2007/04/15(日) 01:00:21 ID:mbhXag6Q
>>559
けど野田とかに救援出そうとしてここでも失敗してなかったっけ?

まあとにかく徳川に痛手を与えたのは事実だが、
けれどトドメをさすほどにまではいたってない、
というのがこの信玄西上作戦の戦果だったわけで、
これが信玄にとって満足だったかどうか、というと微妙だわな

563 :人間七七四年:2007/04/15(日) 01:00:47 ID:fF3m7SPu
>>558
織田が援軍を出さず徳川が数年で滅んだとしたら
そのころには織田は畿内でそれなりに勢力広げて
徳川併呑した武田より強いから滅びない

564 :人間七七四年:2007/04/15(日) 01:02:19 ID:mbhXag6Q
>>557
だからそのつもりなら設楽原で突撃する前に、
高天神で信長を待ってそこで総攻撃すればいいじゃん
先にその疑問について答えろよw

何で高天神ふっとばして設楽が原でそれをしないといけなかったんだ?

565 :人間七七四年:2007/04/15(日) 01:03:05 ID:yUoIv1Lb
>>557
あそこまで接近されてしまったら、
そのまま逃げても追撃で壊滅的な打撃を被ると判断したからでしょう。

566 :人間七七四年:2007/04/15(日) 01:04:10 ID:RybQiCis
だから信玄が織田を滅ぼそうとして尾張を攻めれば
徳川が信濃を攻めて牽制するし、逆もそうするさ
従って織田、徳川に一挙にダメージを与えない限り
信玄に勝ち目はないのさ
それくらい信玄も勝頼も解っていたさ

567 :人間七七四年:2007/04/15(日) 01:04:19 ID:fF3m7SPu
>>561
問題は吉田城を落とせるかだが
吉田城は東三河の中心でそれなりの兵力がいるだろうし
ここが襲われるとしたら流石に信長も兵を出しそう
そもそも既に半年経過していてそれ以上の軍事行動で財政や兵の士気は持つのかどうか
そして出陣直後程度の戦闘力を発揮出来るのか

>>562
>けど野田とかに救援出そうとしてここでも失敗してなかったっけ?
特に無いと思うけど
のこのこ出ていっても余計被害が大きくなるだけだろうし

568 :人間七七四年:2007/04/15(日) 01:04:58 ID:mbhXag6Q
>>561
なぜ有利な状況下で信玄は徳川に最後のトドメをささなかったのかがわからんよね

569 :人間七七四年:2007/04/15(日) 01:06:27 ID:RybQiCis
信玄がその気なら一挙に吉田、岡崎を攻めるだろう?
山際の足助や野田を攻めているのは、信長を誘っているだけだろう?

570 :人間七七四年:2007/04/15(日) 01:06:51 ID:mbhXag6Q
>>567
>ここが襲われるとしたら流石に信長も兵を出しそう
けど浜松の危機にろくに兵を出そうとしなかった(出来なかった)信長だからなあ
吉田攻めに際してどうしていただろう

>特に無いと思うけど
>のこのこ出ていっても余計被害が大きくなるだけだろうし
そうだったっけ?
俺の勘違いか

571 :人間七七四年:2007/04/15(日) 01:07:28 ID:yUoIv1Lb
>>564
決戦がしたいなら明智城でも高天神城でも良かったわけだからね。
しかし両城の戦いでは信長の援軍が来る前に城を落して、野戦決戦を避けている。
長篠城の場合も同様にするつもりが、思いのほか頑強に抵抗されて城が落ちず、
そうこうするうちに織田軍に至近にまで接近され簡単には逃げるに逃げられなくなった。
と考えたほうがはるかに合理的。

572 :人間七七四年:2007/04/15(日) 01:08:22 ID:RybQiCis
けれども勝頼は違う、吉田にちょっかいを出している
つまり織田、徳川を挑発している、よほど自信があったのだろう

573 :人間七七四年:2007/04/15(日) 01:09:41 ID:RybQiCis
>>571
逃げるって? おまえ勝頼も武田も馬鹿にしてるだろう

574 :人間七七四年:2007/04/15(日) 01:09:49 ID:mbhXag6Q
>>566
またお前は電波なことを言い出す
あのね、信玄在世中は信長が自身が包囲網に囲まれてることもあって、
信玄との戦争を極端に嫌がっていて、
信玄が動き出した際にはあの義昭に仲介を依頼しているほどなの

基本的に信長は信玄との戦争を避けたがってた状況なんだよ
それを無視してるとそう言うトンデモな議論になってくる

575 :人間七七四年:2007/04/15(日) 01:10:32 ID:mbhXag6Q
>>571
高天神なんて慌てて落としてるよな
野戦決戦するつもりならば長篠同様待てばいいじゃん

576 :人間七七四年:2007/04/15(日) 01:11:34 ID:mbhXag6Q
>そもそも既に半年経過していてそれ以上の軍事行動で財政や兵の士気は持つのかどうか
>そして出陣直後程度の戦闘力を発揮出来るのか

こういう部分も「信玄神話」で隠れて見えなくなってくる部分だわな、確かに
これってかなりの長期出兵なんだよな

577 :人間七七四年:2007/04/15(日) 01:12:36 ID:yUoIv1Lb
>>568
そりゃあ単純に信玄の体調不良で思うように行動できなかったのでしょう。
そうでなければ吉田城くらいには兵を進めたと思いますよ。

無論、それで落せるかどうか、
信長の援軍はこないのかはなんとも言えないが。

個人的には落せないうちにさすがに信長の援軍が来るのではないかと思う。
もし仮に確実に来ないならいずれは落せると思うが、
それでも今回の遠征中に可能かどうかは微妙、次の遠征ではどうにか、
くらいではあるまいか。

578 :人間七七四年:2007/04/15(日) 01:14:47 ID:mbhXag6Q
>>577
体調崩して出兵の時期を遅らせてるくらいだからなあ
けど自身の体調のことを考慮せずあの大遠征を行い、
これが原因で病を悪化させて死んだとすれば、信玄にとっては最悪だよな

579 :人間七七四年:2007/04/15(日) 01:15:13 ID:yUoIv1Lb
>>573
敵の援軍が来る前に城を落すなんて立派な戦略なわけだが。
まあ、それを馬鹿にしているとうけとるならそれもかまわないが、
そうであるなら、なぜもっと早くに決戦を挑まなかったのかを説明してもらわないとね。

580 :人間七七四年:2007/04/15(日) 01:15:25 ID:fF3m7SPu
>>569
信濃に近いところから徐々に支配範囲を広げてるようにしか見えないが

>>570
>けど浜松の危機にろくに兵を出そうとしなかった(出来なかった)信長だからなあ
篭城するには十分過ぎると思うけど
あとは対朝倉戦を終えて兵を休めていたのか7月からの出陣だし
あとは冬なので凍死者が出るような出兵は避けたかったのか。
史実だと信長は冬の出兵はあまりないし。

>そうだったっけ?
>俺の勘違いか
武田系の記録には特に無いみたい

581 :人間七七四年:2007/04/15(日) 01:16:10 ID:RybQiCis
吉田や岡崎は、足助や野田とは違うぞ? 解ってる?

582 :人間七七四年:2007/04/15(日) 01:18:40 ID:RybQiCis
>>579
信長にしてみれば勝頼なんてどうでもいいんだよ
出てこなければ家康に任せておいて別の事をするさ
出てきたからしょうがなしに相手をしたんだよ

583 :人間七七四年:2007/04/15(日) 01:20:23 ID:fF3m7SPu
>>572
1574年の時であれば
その時期は信長は京都に居る岐阜に戻るのは5月28日
ちなみに4月3日に本願寺が再度織田と敵対して信長はそちらの対処中

勝頼が高天神を攻めたのは6月5日だから
信長が岐阜に帰るのを待っていたのか
出陣準備にある程度の時間、甲府出発から高天神まで一週間ほどだから
信長が京都にいると思って高天神を攻める積りで出陣したのか

584 :人間七七四年:2007/04/15(日) 01:21:57 ID:mbhXag6Q
>>580
>あとは冬なので凍死者が出るような出兵は避けたかったのか。
>史実だと信長は冬の出兵はあまりないし。
言われてみればそうだね

585 :人間七七四年:2007/04/15(日) 01:27:44 ID:fF3m7SPu
>>574
信長はそれ以前にも何度か義昭に頼っているからそれはちょっとな・・・
武田の戦力と戦うのは面倒だと思ってはいるだろうけど
実際に勝てる勝てないは別だろうし

>>576
一応第二次川中島という前例もあるけど
あれは甲斐との距離は近いし一応領土内
それでもあの時は最終的に士気が乱れるし、空手形乱発

>>577
個人的には吉田城を攻めれば織田の援軍が来るけど武田の戦力では心許ない
しかし朝倉が再出兵すれば信長の援軍は小規模か来ないだろうということを期待して、
ぎりぎりまで待っていたのでは無いかと思う。

586 :人間七七四年:2007/04/15(日) 01:31:09 ID:mbhXag6Q
>>585
>信長はそれ以前にも何度か義昭に頼っているからそれはちょっとな・・・
またも電波飛ばしてたか。スマソ

>一応第二次川中島という前例もあるけど
これに比べりゃはるかに行軍距離も長い大遠征だからな
それ考えるとなおさら信玄にとって結果論ではあるが、
戦果は少なかったんじゃなかろうか

少なくとも三方ヶ原の勝利で「してやったり」と満足はしてなさそうね

587 :人間七七四年:2007/04/15(日) 01:39:12 ID:fF3m7SPu
>>586
その辺は利用できるものは何でもってことなんだと思う
信玄も1570年に織田に対して浅井や朝倉に勝っておめでとうとかいう一方で
朝倉に手紙出したりしたり、
織田を介して徳川上杉と和睦しようとしたり
それでいて対北条のため関東の里見佐竹太田に古河公方とも連絡取り合い
その一方で葦名や一向宗とも連絡を

588 :人間七七四年:2007/04/15(日) 01:39:34 ID:RybQiCis
三方が原から野田までは、浜名湖を越えてかなりあるぞ?
まあ、天竜川沿いからひとつ尾根を越えて、
それでも飯田へ抜ける道だがな
どう考えても徳川殲滅に信玄が出張ったのじゃないだろう?


589 :人間七七四年:2007/04/15(日) 01:42:35 ID:mbhXag6Q
>>587
双方抜け目ないよね
そういうところが面白い

590 :人間七七四年:2007/04/15(日) 01:42:59 ID:yUoIv1Lb
>>586
信玄の戦略目標を最小のもの、例えばこの遠征では無理でも、
少なくとも数年後には徳川を滅ぼせるように、その地ならしをする。
程度のものだと仮定しても、
三方ヶ原の戦いだけではその目標を完遂したとはいえないだろうからね。

591 :人間七七四年:2007/04/15(日) 01:51:57 ID:fF3m7SPu
東から順に信濃との隣接地域の山間部を攻めることで
前年に手に入れた奥三河と犬井など北遠江との間・周辺の城を取ることで
両者を連結させ戦線を整理して、徳川領を侵食することが基本戦略だと思う

信玄のことだから徳川は滅ぼしたら織田と再同盟は普通にありそう
織田と徳川は姻戚だから西三河は徳川に残すかもしれないが
これによって徳川は独立保てなくなり織田の家臣化

織田も特に損はしてないし、半独立だった徳川家臣化できてラッキーと思うかも
その後は織田は西に武田は上杉を狙うか、いずれまた敵対するか

592 :人間七七四年:2007/04/15(日) 02:03:06 ID:RybQiCis
信玄軍二万五千、一挙に吉田を落として徳川領を分断して殲滅した方が良くないかい?
そんなまわりくどいやり方で、果たして戦略と言えるのか?

593 :人間七七四年:2007/04/15(日) 02:08:22 ID:yUoIv1Lb
>>592
あのまま一気に吉田を落せるか微妙かと。既出だが既に結構な長期遠征だし。
それがどのくらいか分からないが、信玄の体調不良によるタイムロスが全くないと仮定しても、
果たしていかがなものか。

594 :人間七七四年:2007/04/15(日) 02:15:39 ID:fF3m7SPu
>>592
そんなハイリスクハイリターンは信玄はとらないと思う
諏訪攻めと最初の駿河攻めは別として
残りは回りからじわじわと攻めていっていると思う。

595 :人間七七四年:2007/04/15(日) 04:34:40 ID:rtY7BdQW
そもそもあの遠征だけで一気に徳川滅ぼそうなんて考えてないだろう。
チクチクやってチャンスを伺うためのものなんじゃまいか。

596 :人間七七四年:2007/04/15(日) 11:04:35 ID:IPuxwsde
吉田を攻撃しなかっただろうよ
信玄は重要拠点をスルーして、小城にもかなりの時間をかけて攻撃している
寸土をなるべくダメージを受けずに切り取るのが目的だったんでしょ
軍鑑や松平記によると、徳川方の援軍をかなり警戒していたようだし

597 :人間七七四年:2007/04/15(日) 11:15:13 ID:RybQiCis
寸土を切り取るのに二万五千のフル動員を掛けるか?
家康相手でも二万五千を用意しないだろう? 城攻めなら別だが…

この二万五千をもって動いたのが、対戦相手に信長を想定していたつう
証拠にはならないかい?

598 :人間七七四年:2007/04/15(日) 11:37:40 ID:IPuxwsde
>>597
相手は二ヶ国弱持ちの徳川。武田に比べれば劣勢とはいえ、1万程度は動員してくる
また、援軍がどれだけ来るか武田方からは予測不能
優勢を維持しようとすれば、それぐらいの動員かけないと領土切り取りの効率が悪くなりすぎる

599 :人間七七四年:2007/04/15(日) 11:50:35 ID:LBbtH+H+
家康が遠江を領国化しないうちに大軍を率いて信玄自ら赴けば
今川攻めの時の様に内応者が続出し楽に攻略できると考えてたかも。
北条に邪魔さえた事を踏まえ、織田に別働隊で牽制させる。
実際は徳川側から内応者は出ず、信長も軍勢を集めるも陽動に乗らないし
下手に動けなくなってしまい行動が鈍った感じがするんだけど。

600 :人間七七四年:2007/04/15(日) 11:53:15 ID:GQAsGiFK
そのわりに城を随分制圧しているが。

601 :人間七七四年:2007/04/15(日) 11:59:43 ID:IPuxwsde
多いのはやはり自落や降伏だね
信玄も例えば遠江で抵抗姿勢を見せた久能城をスルーしたように、力攻めはあまりやりたくなかった気配がある
勢力圏を塗り替えていけばそのうち降伏する、と思ってたんだろう
二股や野田は、徳川譜代が守ってたり援軍に入ったりしてたから長期化したんだろう。地理的にも交通の要所としてスルーしにくい地勢だったろうし

602 :人間七七四年:2007/04/15(日) 12:01:12 ID:yUoIv1Lb
>>599
明らかに健康状態が悪化していた野田城攻め以外は、
それほど行動が鈍ったってこともないと思うが。

603 :人間七七四年:2007/04/15(日) 12:45:53 ID:RybQiCis
主力二万五千のフル稼働で小さな城を落とすのが目的だったって言われても
納得できないぞ、戦費がどんだけ無駄になるかと…

604 :人間七七四年:2007/04/15(日) 12:47:32 ID:Z++uMndj
君は自説に都合の良い材料が知りたいだけでしょ

605 :人間七七四年:2007/04/15(日) 12:55:45 ID:RybQiCis
論理を言っている、二万五千のフル稼働で二股、野田の城?
山沿いの領地の切り取り? 赤字だろう?
俺だったらそんな領主にゃ従えないなあ、おまえは従うのか?
どんな手柄が立てられるつうのかよ、乱捕りでもするのか? w

606 :人間七七四年:2007/04/15(日) 13:03:11 ID:PjzBOrS7
>>605
百姓以下のお前は黙ってろ

607 :人間七七四年:2007/04/15(日) 13:11:08 ID:GQAsGiFK
>>605さんが誰かは知らないが
>>606さんみたいに頭ごなしに否定するのはどうかと。

608 :人間七七四年:2007/04/15(日) 13:17:26 ID:RybQiCis
フル稼働の二万五千の軍勢を用意したからには
それに見合った作戦があったのだろう? この考え方のどこがおかしいの?
一気に上洛つう説にも納得できないが、山沿いの領地の切り取りもおかしいぞ
だから徳川、織田に一撃を加えるつうのが俺の主張なんだが
なんか矛盾があるかい?

609 :人間七七四年:2007/04/15(日) 13:26:56 ID:LBbtH+H+
>>602
信玄の病状悪化は出陣前からだし
先発隊の戦果や勢いに比べると、合流後城攻めに梃子摺ってるよね。

別動隊は織田軍の信濃侵攻への時間稼ぎが主な任務で、
信長と決戦するつもりなら牽制は必要ないと思えるけど、どうだろ?
もし信長本軍が援軍にくると、ただでさえ敵地で不利な上、
動員兵力で劣るのに分散してしまう事になる。
信長が対武田に動いた時点で撤退するのが無難だと思うんだけどなぁ。
長篠の様な迎撃用の砦とか作ってないよね。

610 :人間七七四年:2007/04/15(日) 13:28:32 ID:j+cTLrbC
>>601
武田短期間に落とした城は徳川がどう取り戻したかその後拠点として
使うことがあったのかどうかさえ分からないような城ばかりだから
価値は低かったのかもね

>>608
徳川が1万は動員できるのだからそれと戦うために倍する兵力を用意するのは当然
義元だって数千の織田に対して2万5千を用意したがその目的は
上洛ではなくまずは大高鳴海の開放、知多郡の制圧程度でしかない

611 :人間七七四年:2007/04/15(日) 13:33:38 ID:yUoIv1Lb
>>609
別に決戦するつもりだとは思わないけど。
信長が来る前に出来る限り徳川領を削る、
あわゆくば徳川そのものも降せれば位は考えていたかもしれないが、
それもまだ時期尚早だったように思う。

612 :人間七七四年:2007/04/15(日) 13:34:33 ID:j+cTLrbC
>>418
>棟別銭新家百文への倍額についてはどこの過去ログなのかおおまかでいいので教えてもらえると
>ありがたい。何分このスレは多すぎる。
38スレ まとめ
>120-222武田の軍役衆の増加とそれに伴う収入減支出増・財政悪化?があるかについて
 >120両棟別共御赦免の書状 >182棟別改
1571年4月朔日
以利倍之勘定可収納者也 棟別改日記

613 :人間七七四年:2007/04/15(日) 13:41:47 ID:yUoIv1Lb
>>610
1万の動員力のある相手に、じゃあこっちは1万5千程度の動員で良いか、
なんていうような判断を下すのはどう考えても下策ですからね。
可能なら2万5千くらい動員するのは当たり前。
要するに徳川から領土を分捕るのに2万5千の動員をかけるのは全く妥当な戦略で、
過剰な戦力ってわけではない。

614 :人間七七四年:2007/04/15(日) 14:21:51 ID:5SIXtFD8
ゴミ大名武田の輝かしい戦歴
・戦で大敗をし部下の多くを虐殺されるという前代未聞な成果を残す(甲陽軍艦では勝ちw
・アホのように越後に侵攻し、信濃の味方は裏切り三昧。しかも土地取れず
・2万の兵でも飯山城を落とせずw憂さ晴らしに強姦略奪本尊強奪三昧
・長野業政の城を4度攻めたが、一度たりとも落とせず。逆に無様な大敗を重ねるw
・気に入らない家臣を殺し嫁を強姦。
・結局上野の大半を北条に奪われる。面目丸つぶれにさせる
・降伏を了承、武装解除した志賀城の城兵1000人を嬲り殺しにする。さらに民間人は全員奴隷に
・敵の支配地域に踊りこみ城攻め。結局抜けなくて惨めにトボトボ逃げ帰る。憂さ晴らしに強姦略奪を繰り返す
・無用にも家臣の嫁を奪って、離反される。
・小笠原、高坂ら信濃の雑魚豪族に苦戦
・政治を顧みず、反乱を起こされまくり。鎮圧と虐殺にモタついてる間に他大名に勢力を伸ばされる
・和平中の織田の城を汚く落とし戦果を捏造
・今川を裏切って領土を攻め略奪の限りを尽くす。北条に同盟破棄されるみじめっぷり
・醜い跡取り争いで衰退自滅。娘婿二人に裏切られ領地の全てを失うw
・家臣に反乱起こされまくり
・徳川の足軽に撃たれ昇天
・家臣の大半を織田、徳川連合軍に討ち取られる弱小ぶり
・二万の大軍で1500の木曾に大敗する最弱ぶり(後世で勝ったとお得意の捏造)
・己の愚かさか長篠の戦いを引き起こしてしまい、おまけに武田滅亡へ
・上杉の家臣として細々と生きる

615 :人間七七四年:2007/04/15(日) 15:22:46 ID:mPM8FNWy
>>614
唐突に煽りをするお前さんが一番ゴミですねww
いい加減お互いにこういう意味のない書き込みやめれよな

616 :人間七七四年:2007/04/15(日) 17:29:14 ID:GUsQPbet
織田と決戦する気なら、対上杉用の守備兵力もギリギリまで削減するくらいの気合は入れてただろう
実際問題として、側面を脅かす徳川氏を屈服させないと危険すぎて織田との決戦なんてできない
信玄が上洛を真面目に考えていたとしても、その前提が徳川屈服
それが過半もいかないで終わったのが現実
せめて徳川を半身不随ぐらいにしておけば、勝頼の代でもう少しやりようがあったはず

617 :人間七七四年:2007/04/15(日) 18:39:50 ID:F5G1hQpM
信玄にとって家康は人質だった訳だな
家康ボコって「信長! 家康の命が欲しければ○○埠頭の倉庫まで来い」
信長が見捨てたら長年の盟友を切り捨てたと、特に織田家外様衆への印象が悪くなる。

武田にとっては上洛はあくまでも宣伝であって、織田の本隊と戦う為の軍事行動って事でOKでしょ
織田本隊を叩けば自然と畿内の勢力は反織田勢力になびくんだから

618 :人間七七四年:2007/04/15(日) 18:57:36 ID:00Z1y+DS
切り取る先が無くなってきたということで徳川にちょっかいかけ始めただけじゃないのか?
上洛なんて考えてないような気はする。
東美濃取った理由は徳川同盟国の織田の軍勢監視+妨害だと思ってるんだが。

619 :人間七七四年:2007/04/15(日) 19:32:11 ID:sAEQ0Zkx
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620 :人間七七四年:2007/04/15(日) 19:36:47 ID:mPM8FNWy
>>619
君も見てるって事だよねww

621 :人間七七四年:2007/04/15(日) 23:17:15 ID:j+cTLrbC
>>618
東美濃はもともと武田領かそれに準じる地域であって
それを織田から取り戻しただけかもよ

622 :人間七七四年:2007/04/15(日) 23:26:41 ID:JNQfGCW3
ワロスww

623 :人間七七四年:2007/04/16(月) 03:09:25 ID:+5TO3SSi
>>617
信玄に織田本隊と戦う気なんぞさらさらないだろ。
下手したら倍近い敵に挟みうちにされるおそれだってある。


624 :人間七七四年:2007/04/16(月) 04:49:32 ID:htO0U4KI
徳川領を制圧し、東美濃と尾張を制圧すればやがては
さらに2万の兵力を動員できるようになる。



625 :人間七七四年:2007/04/16(月) 12:52:49 ID:6fwLQmDH
>>624
徳川を制圧できて、東美濃と尾張を制圧できれば、、な
どっちも不可能なんだが(笑


626 :人間七七四年:2007/04/16(月) 13:10:03 ID:qX179a72
そもそも信玄の戦略は、畿内方面の反織田勢力がとりあえず信長の足止めをしてくれるだろう、という前提に立った他力本願の見本のようなもの
徳川を屈服させられても、その間に織田が後方を安定させ朝倉あたりを併呑してたら勢力比は殆ど変動せず戦略状況としては悪化する
それ以前の問題として当主の健康問題、後継者問題という爆弾を抱えたままだしこの意味でも時間の経過は武田の敵
晩年近くになってこんな無理をしてればそりゃ次代が潰れる罠

627 :人間七七四年:2007/04/16(月) 17:19:47 ID:mHVxZBZ7
仮に信長と同盟していても武田が生き延びられたかは微妙だと思うが。
武田の領国は大きすぎる。長宗我部みたいに程よい所で切り捨てられるのが
落ちじゃないかね。戦国時代だしな。
信玄も織田を見過ごしておくわけにはいかなかったんだろう。
それで健康の事がありながらも同盟勢力と組んで勝負にでたんじゃないかね。

628 :人間七七四年:2007/04/17(火) 00:20:08 ID:yhGiop1q
織田に通じた三好家を半ば攻撃し続けていた長宗我部と違い
義理とは言え勝頼の嫡男は信長の孫で
信忠正室には松姫
次世代になれば徳川以上に重く用いられる可能性も十分あるけどね

629 :人間七七四年:2007/04/17(火) 00:50:24 ID:W6FMkF3m
武田領、徳川切り取り自由じゃないの?

630 :人間七七四年:2007/04/17(火) 02:13:14 ID:koc9rN/S
切り取り次第ってのは、ありえないんじゃないの?
柴田や羽柴とかが切り取った土地には直臣を入れて
それを与力としてつけてたと思うけど?
長篠以降はある程度信長の指図で徳川も行動してた気がするが。

631 :人間七七四年:2007/04/17(火) 09:47:38 ID:tcU6NybF
織田と武田は、武田が緩衝地帯と仲介役を務めていた遠山氏を強いて攻撃しなければ当面の利害対立の気配は無かったからなぁ
東方への壁として武田が機能している以上、信長から同盟破るメリットは無い(まして畿内で騒乱が続いていた時期は尚更)
徳川のように実質傘下に組み込まれるほど勢力が圧倒的に小さいわけでもないし
明らかに徳川より上の扱いは期待できるよな

632 :人間七七四年:2007/04/17(火) 10:11:11 ID:zy0QUJJm
織田天下で信忠と松姫の子を送りこまれて家を分割されるとかはありそうかな

633 :人間七七四年:2007/04/17(火) 10:27:57 ID:i1IfNYWo
というか最初は長宗我部の行動を認めておいて
時期がきたら三好が自分についたから征伐とかどうよ。
単純に領土が欲しくなったと思うのが普通だと思うが。
信長はあの当時は大した危機もないしな。
武田だって時期がきたら普通に切り捨てられる可能性もあるだろう。


634 :人間七七四年:2007/04/17(火) 10:44:09 ID:75oeI4of
>>633
認めてもなにも、同盟締結時は三好という共通の敵がいたから成立しただけ。
そして三好が信長に降服した以上、三好を攻撃することは織田を攻撃すること。
そんなこと信長が認めたら、以後織田に降服する大名なんかいなくなる。

それと誤解があるんだが、信長は長宗我部に対して「占領地を放棄しろ」と言った
のではない。「これ以上の攻撃はやめろ」と言ったのだ。その上で、領土の一部を
出せば、それに見合う分の土地を他から渡すとも言っている。それを拒否った
のが長宗我部。
よく「信長は阿波讃岐の二カ国を譲渡するよう要求した。これじゃあ長宗我部が
抵抗するのは当然だ」という論旨を見受けられますが、それは長宗我部の過大で、
当時の長宗我部は土佐一国に阿波讃岐のそれぞれ一〜二郡程度を支配しただけに
過ぎない。

また見方を変えれば、これは長宗我部vs三好において、信長を自陣営に引き込んだ
三好の外交の勝利、言い換えれば長宗我部の敗北とも言える。同盟とはお互いが政治
的利益をもたらすために結ばれる。徳川は、同盟を維持するために犠牲と貢献を果した。
長宗我部が、同盟を維持するために何か織田に対して外交努力を払ったとか、貢献
したという話はあまり聞かない。これでは「やたらと反抗的、敵対的な長宗我部を切って、
従順な三好を取り立てるか」と考えだすのは信長個人の性格の問題ではないでしょう。

635 :人間七七四年:2007/04/17(火) 10:49:00 ID:tcU6NybF
武田にとって、織田を裏切ったのは予防戦争だから当然、ということ?

636 :635:2007/04/17(火) 10:50:06 ID:tcU6NybF
(切れた)
でも長宗我部との一件は信玄死去十年ぐらい経った後のこと
時系列からいって信玄の判断材料になるとは思えないんだが

637 :人間七七四年:2007/04/17(火) 13:36:27 ID:RtV8lFpm
むしろ浅井や武田・上杉に誠意を尽くしても手ひどく裏切られた信長に予防戦争的発想が生まれたような

638 :人間七七四年:2007/04/17(火) 19:25:58 ID:8yzQ52A8
>>635
全然主旨が違うと思う。
信長が長宗我部を攻撃したのは単純に領土が欲しくなったからとばかりは言い切れない、
攻撃されるだけの理由を長宗我部が作ったからだ、
だから>>633のようなことは必ずしも言えない。
ってことだと思うが。

639 :人間七七四年:2007/04/17(火) 19:37:28 ID:i1IfNYWo
>>636
十年先の長宗我部の事を信玄が判断材料にしたとはいってないw
別に信長とて完全無欠の道徳家ではなく浅井と朝倉の累代の関係を無視して侵攻し、浅井を裏切りに踏み切らせたり
北畠を乗っ取ったり虐殺をやったり、やる事はやっている戦国大名だという事を言いたかった。
ただでさえ戦国時代で並みの理屈は通用しない。外交関係は力によってたやすく変質する。
もし織田家を放置して武田と織田の間に決定的な力関係がつけば武田と織田の同盟関係も
従属関係になる事は予想がつくだろう。
そして圧倒的な力の差がある戦国大名に命綱を握られればどうなるかなんてわかるまい。
だからこそ病身を押してでも反信長勢力がつぶれない内に勝負にでたんじゃないか?


640 :人間七七四年:2007/04/17(火) 19:56:34 ID:i1IfNYWo
>>634
しかし1582年当時の長宗我部の勢力ってそんなに小さかったっけ?
讃岐の香川、羽床氏は下しているし、阿波東部の牛岐城まで攻略していなかったっけ?
阿波北部では岩倉城まで制圧しているし、結構とっていると思うのだが。
実際1582年から2年で四国をほぼ制圧しているし、1582年の時点でかなり制圧して
いると思うのだが。確か伊予も一部制圧してあったはず。
それから織田は長宗我部にどこの土地を与えるといったのかな?
知らなかったので教えて欲しい。

641 :人間七七四年:2007/04/17(火) 21:12:59 ID:4O1/xh68
>>640
自分は長宗我部にはあまり詳しくないが
それでもその認識は結構間違っていると思う

642 :人間七七四年:2007/04/17(火) 21:48:52 ID:i1IfNYWo
そうだったかな?
今手元に史料がないのでネットで調べてみたのだが牛岐城主新開道善は
天正8年1580年に長宗我部に下ったらしい。
讃岐の香川氏が下ったのは1579年。元親の次男親和が養子に入っている。
羽床が下ったのも1579年。
伊予東宇和郡三滝城主北之川親安が滅んだのは1580年らしい。
三好存保を破り、阿波重清城を奪ったのは1579年らしい。
他にもいくつか阿波の城を海部をはじめとして攻略しているみたいだし
1582年までにある程度は四国を抑えていたといえるのでは。

643 :人間七七四年:2007/04/17(火) 22:31:12 ID:4O1/xh68
>>642
簡単に書くと
1576年か1577年には香川氏などは織田に服属
それを攻めちゃ拙いでしょってこと
三好氏十河氏も1581年には確実に織田に服属
1575年ぐらいから織田に通じているという話しもある

阿波に関して言えば
>阿波東部の牛岐城まで攻略していなかったっけ?
>阿波北部では岩倉城まで制圧している
>三好存保を破り、阿波重清城を奪ったのは1579年らしい。
>他にもいくつか阿波の城を海部をはじめとして攻略しているみたいだ
これ合わせても海部那賀三好美馬ぐらいだと思う
三好式部少輔が織田に帰属したのであれば
これで阿波半国貰えるなら阿波に関しては好条件

644 :人間七七四年:2007/04/17(火) 22:44:21 ID:i1IfNYWo
>>643
しかし現実に近場で敵対している相手だしなあ。そう簡単にはいかないのでは。
そもそも織田とは同盟者であって家臣ではないのだし命令されるいわれはないだろう。
そんで代わりにどこをもらえるはずだったの?
阿波や讃岐の代わりとなると伊予かな?
それで信長のあとの秀吉も四国征伐をやっているけど十河や三好はえらく小さな領土
しか返してもらってない。結局信長も四国を攻め取ったらその土地は自分の家臣に
分け与えたと思うのだが。となると三好支援は名目で征伐は領土も目的に入っていたのでは。


645 :人間七七四年:2007/04/17(火) 22:46:46 ID:4O1/xh68
>>632
それよりまず木曽や小山田・真田などを独立させそう

>>634
阿波も讃岐も半国には満たないにしても
それなりに制していると思う
ただ反三好親織田ということで長宗我部に属しやすかったというのもあったかもしれないが

>>639
>浅井と朝倉の累代の関係を無視して侵攻し
史実かはまだ争いがある部分だと思うが
また織田には一応朝倉討伐の名分があるのに、
そして浅井に対しては特に何もしていないのに
高島郡統治に便宜を計ったとか織田が京極氏を再興しようとしたという話しもあるが
勝手に裏切ったのは浅井
また北畠に関しては降伏後それなりに怪しい動きをとったこともある

646 :人間七七四年:2007/04/17(火) 22:58:26 ID:i1IfNYWo
>>645
それでも浅井と朝倉が亮政の代から縁があったのは事実だろう。
いささか極論だが朝倉と浅井はそもそも対等同盟ではなかったという説さえ
ある。それをいきなり断りもなしに攻めて勝手に裏切ったとかいうのは無理ないか?

647 :人間七七四年:2007/04/17(火) 23:02:18 ID:4O1/xh68
>>644
>しかし現実に近場で敵対している相手だしなあ。そう簡単にはいかないのでは。
これが何を指しているのかよく分からん

>そもそも織田とは同盟者であって家臣ではないのだし命令されるいわれはないだろう。
命令される謂れは無いかもしれないが、同盟者に属した勢力を攻撃したのでは
敵対関係になるのは当然

>そんで代わりにどこをもらえるはずだったの?
軍記物が入るが
切り取り自由→土佐・阿波半国→土佐阿波2郡+伊予は働き次第と変化していったらしい

>それで信長のあとの秀吉も四国征伐をやっているけど十河や三好はえらく小さな領土
>しか返してもらってない。
一度国を失ったからじゃないか?
それでも十河は讃岐一国貰ったと思うが
三好の方は康長の跡取が養子にいってwこの場合はどう表現すればいいのか分からんが

>結局信長も四国を攻め取ったらその土地は自分の家臣に
>分け与えたと思うのだが。となると三好支援は名目で征伐は領土も目的に入っていたのでは。
領土が目的で無い大名なんているわけないと思うが
四国を取ったら讃岐阿波半国は一応三好の物wになる予定だったと聞く

元々は長宗我部に非があったから織田に攻撃されることになったという話じゃないのか?

648 :人間七七四年:2007/04/17(火) 23:06:18 ID:4O1/xh68
>>646
まあ浅井にもそれなりに言い分はあるだろうな

649 :人間七七四年:2007/04/17(火) 23:14:44 ID:75oeI4of
>>648
でしょうね。そして同じくらい信長にも言い分がある。
そもそも、今回の議論の主旨にそって言えば、信長は浅井を敵に追い込んで
滅ぼすために朝倉を攻撃したわけではない。
信長は信長の思惑と判断で、浅井も徳川も認められる限りは尊重していた。
もちろん長宗我部もね。浅井や長宗我部の思惑が信長の利害と衝突するよう
になったとして、そのために信長の側が必ずしも引かなければならない理由
はない。

650 :人間七七四年:2007/04/17(火) 23:15:30 ID:i1IfNYWo
>>647
現実に近場で敵対している相手というのは
長宗我部と三好その他との事。昨日まで戦っていたのに
織田が一声上げればそれで停戦というわけにはいかないだろう。
自分が優位に戦闘を進めていたのならなおさら。
そもそも三好という敵を挟んで織田と同盟したのにいきなり
三好と組んだから織田が戦闘止めろ、というのはどうだろう。
長宗我部にしてみればこれこそ織田の裏切りに見えただろう。
しかもその条件がもしも本当だとしたらふざけているとしか思えん。
苦労して攻めていた土地を返還させられるばかりか、その代わりに
伊予の切り取り自由ってなにさ。結局攻めるのは元親じゃないか。
それまでの苦労が水の泡になりまた一から土佐+阿波2郡で伊予を攻めなおすのか?
元親にしてみれば逆上ものだと思うが。
信長にしてみれば三好支援は四国制圧を狙った口実だったと思えるのだが。

651 :人間七七四年:2007/04/17(火) 23:24:21 ID:i1IfNYWo
>>649
結局の所信長の同盟者に対するスタンスというのは自己の利害を第一とするものだ。
それは戦国時代としては当然だ。
しかし相手にしてみればそんなものに身を託して自分の利害をすり減らす気持ちにはなれない。
そもそも信玄が攻めなかったら武田はおいしい目を見れたかという話だったが
もし信長の絶対的優位が確立し、信長の利害判断が一度武田を滅ぼす方向で動いたら
武田とて信長の滅ぼす対象になる。それならば反信長勢力があるうちにそれと組んで
戦いを挑んだ信玄の判断もありだったと思うが。

652 :人間七七四年:2007/04/17(火) 23:39:19 ID:4O1/xh68
ちなみに河野も織田に支援求めていたりするな

>>650
>そもそも三好という敵を挟んで織田と同盟したのにいきなり
>三好と組んだから織田が戦闘止めろ、というのはどうだろう。
三好が織田に降伏し織田領となったのたから戦闘を止めろだろ
別におかしくも何とも無い

三好がいつ織田に服属したかは正確には分からないが
当初は長宗我部と敵対していなかった香川氏などの織田家服属
その香川氏を長宗我部が攻撃
それから織田から長宗我部に条件が出される
長宗我部無視して織田勢力に攻撃
条件がきつくなるが長宗我部無視
そして四国討伐

と言う流れ、織田家の勢力範囲に攻撃を加えているのだから
織田と対等でない以上条件が不利になってしまうのは仕方が無い
豊臣政権における島津伊達北条らの結末と同じ

>それまでの苦労が水の泡になりまた一から土佐+阿波2郡で伊予を攻めなおすのか?
>元親にしてみれば逆上ものだと思うが。
それだけのことをしたってことでしょ
信長にしても味方を見捨てるわけにはいかないし
敵対するものを討たなければ他に示しがつかない

653 :人間七七四年:2007/04/17(火) 23:49:56 ID:4O1/xh68
>>650
>信長にしてみれば三好支援は四国制圧を狙った口実だったと思えるのだが。
そういう面もそりゃあるだろ
そこまでは否定しない、多分自分以外の人間も
だがそうなったのは長宗我部にも非があったから

>武田とて信長の滅ぼす対象になる。それならば反信長勢力があるうちにそれと組んで
>戦いを挑んだ信玄の判断もありだったと思うが。
まあそういう考え方もあるが
家康以上に従順にしていれば家康以上の待遇を得られた可能性も十分にある
特に信長死後なら

654 :人間七七四年:2007/04/18(水) 00:11:23 ID:wnPHBm3F
>>652
いや、だからそもそも三好を共通の敵として同盟したのに
織田は三好と同盟するに当たって長宗我部に何の相談もしなかったのか、という事。
いきなり断りもなしに同盟結んだといって領土の返還を求めてきたらそれは
長宗我部にしてみれば裏切り以外に見えんよ。


655 :人間七七四年:2007/04/18(水) 00:15:40 ID:wnPHBm3F
>>653
未来が見えるわけでもないし、信長死んで織田家崩壊なんていうのはわからないし
そもそも武田をほろぼさなければ本能寺自体が起きるかどうか。
そんな「きっとそのうち信長が適当に死んで織田家が崩壊していい目がみれるはず」
なんていうつもりで動くわけにはいかんと思うのだが。

656 :人間七七四年:2007/04/18(水) 00:18:33 ID:hateS2Zd
武田さんちの話しようぜ

657 :人間七七四年:2007/04/18(水) 00:25:57 ID:mme2qGl5
織田家は石山本願寺問題が決着し、動員していた兵力を
あえて回さなければ破綻する戦線もないし大義名分として十分だった。
長宗我部家の言い分はわかるけど、情況判断と立ち回り方には問題ありそう。

武田さんちは、せっかく北条さんとこと和解したのに
わざわざ織田さんに喧嘩吹っかけなくても良さそうなのに。
もう年なんだから…

658 :人間七七四年:2007/04/18(水) 00:31:29 ID:dO0pnLdc
>>654
だから三好は織田に降伏したようなもの
降伏許さず滅ぼさないと駄目なのか?

というかそれ以前にちゃんと読んでいるのか?
香川氏など織田に属した勢力を討ったのは長宗我部
はっきりいって最初に裏切ったのは長宗我部なんだよ

>>655
誰がそんな話ししているんだ?
順当に信長信玄勝頼などが死んでいったら
織田家は信忠が武田家は信勝が
更に松姫が子を産めばと言う話しなんだが

659 :人間七七四年:2007/04/18(水) 00:38:55 ID:XC/sIESB
>>654
同盟じゃあないよ。服属。
三好の降服を受け入れて従属させるのに、なんだって長宗我部の許可が必要なんだ?

何度も指摘されているが、先に織田勢力を攻撃したのは長宗我部の方。しかも時期を
考えると、信長が本願寺や毛利に気を取られて四国に直接介入が出来ない状況をみて、
親織田勢力を攻撃している。

660 :人間七七四年:2007/04/18(水) 00:50:35 ID:wnPHBm3F
>>658
まあ、三好に関しては降伏許さずほろぼさなくてもいいけど
同盟結ぶのであればやはり長宗我部に一報入れて協議しておけば
こじれる事もなかったのではとも思うが。

しかし信玄に比べて信長はまだまだ若い。普通大勢力同士の同盟が数十年続くとは
考えにくいし、死期をある程度読んでいたであろう信玄にしてみれば
自分なきあとで信長にしてやられると思ったのでは。

661 :人間七七四年:2007/04/18(水) 00:57:36 ID:wnPHBm3F
>>659
まあ、確かに長宗我部にも問題はあったか。
でも服属とはいえ直接戦っている当事者を完全にほっぽりだすのはどうかと
思うた。服属の申し入れがあった時点で協議をもちかけるべきだったと思った。

662 :人間七七四年:2007/04/18(水) 01:18:19 ID:dO0pnLdc
>>657
長宗我部が積極的に動いていた時期はまだ
本願寺が健在で荒木別所も頑張っていたからね

>>660
服属がいつなのかは分からないが
康長が四国に渡った1581年には何度か話し合いがされている
でもその時には長宗我部は織田に対していろいろしちゃった後なので・・・

>死期をある程度読んでいたであろう信玄にしてみれば
>自分なきあとで信長にしてやられると思ったのでは。
まあ織田に属するという選択肢を選ばないならね

>服属の申し入れがあった時点で協議をもちかけるべきだったと思った。
協議が必要かは分からないが、宇喜多の毛利への降伏に三村が反発した例もあるから
一応その可能性はあるかな
ただ信長にすればそこまで面倒見きれないだろうな

663 :人間七七四年:2007/04/18(水) 01:36:59 ID:wnPHBm3F
>>662
織田に属するというのが完全服従か同盟かはわからないが
同盟なら大勢力同士の同盟がそんな何十年も続いて安泰とは考えにくい。
完全服従なら百万石を超える大領国を織田が放置してくれるかという問題になる。
いづれにしても信長の絶対的優位が出来てしまえば極端な話信長の機嫌一つで
武田の存亡が決まるわけで。それは戦国大名としては恐ろしく、また望ましくない状況で
あるだろう。

664 :人間七七四年:2007/04/18(水) 01:52:02 ID:ERwbksLV
安土城には天皇の部屋を用意しており、自らを神になぞらえる石もあったらしい
つまり信長は中央集権国家を志向しており、大名など潰されてしまう運命だった

などと妄想しているのだが? 
信玄、謙信のみならず、家康だって危なかっただろう…と

665 :人間七七四年:2007/04/18(水) 04:57:41 ID:ndj4cHsx
>>664
歴史群像系の小説か・・・・

666 :人間七七四年:2007/04/18(水) 08:05:21 ID:F9sbeXpW
同盟が駄目なら一体化すれば良い
織田政権の信忠を支える大老・武田義信とかw

667 :人間七七四年:2007/04/18(水) 10:22:17 ID:2ItPoCQA
同盟を結んだ時点では、織田と武田はそれぞれ三ヶ国程度を領有する同格の大名だった(まぁ、この時点で信玄が信長に追いつかれたんだが)
しかし信長の上洛作戦成功で力関係は一変する
織田の勢力圏は(かならずしも領国化とは言えないとはいえ)摂津にまで及び、朝廷から直接綸旨や天下御静謐の勅命を受けるなど格式の点でも信玄を圧倒した
信玄が信長に泣き付く一幕もあったように、関係は上下に近いものへと変質していく
名門の当主を自任する信玄としては、これは耐えられないことだったに違いない
晩年、無謀に無謀を重ねたのは実に人間的感情からだったんだろう
それは「嫉妬」

668 :人間七七四年:2007/04/18(水) 12:49:30 ID:wnPHBm3F
>>406でも上げられているが信玄も信長と本願寺の和議をとりもった事が
あったみたいだぞ。
正直なしてそこまで嫉妬に結びつけたがるのかよくわからん。

669 :人間七七四年:2007/04/18(水) 13:10:16 ID:r0nbzIe0
しかし合理的理由では晩年近くになって、しかも相変わらず東国や身内に火種抱えたまま織田と同盟を切るような真似したことが理解しがたいのも事実
志賀の陣辺りならともかく、織田が劣勢から脱したタイミングでだからなぁ
単に当時の通信技術から情勢の把握が遅れただけかもしれんが

670 :人間七七四年:2007/04/18(水) 13:40:34 ID:gzQ5YSaQ
情勢の把握が遅れたのと早期に徳川つぶせれば
織田と戦える勢力になると考えたのかしら。
しかしあまりにも楽観的すぎて信玄らしくないし。

671 :人間七七四年:2007/04/18(水) 15:45:28 ID:mme2qGl5
義信事件後、信玄の家臣掌握など権限強化したと聞くけど実際はどうなんだろ?
健康状態が優れず延期して、時期を逸っしての陣中で病没してるし
将来的に織田家との間に禍根を残すのは武田家のためにならないし
家督問題を棚上げしてまで徳川領侵攻の指揮を執る必要があったのかな。
名目上でも勝頼に権限を移譲できず、病身でも出陣したのは
織田、北条と違い有力家臣や国人などの権限が強く
彼らの意向も関係したんじゃないかな。

672 :人間七七四年:2007/04/18(水) 21:31:22 ID:ERwbksLV
二股は勝頼に攻めさせたのじゃないのか?

673 :人間七七四年:2007/04/18(水) 22:34:09 ID:2Gmo37lL
同盟って言葉はゲーム臭くて嫌いなんだけど
共通の利益があれば友好関係にもなるし、無ければ敵対する。
武田にとって織田がこれ以上大きくなるのは将来に向けて不利益だった。
織田は畿内が片付くまでは友好関係に利益があった。
俺らでも分かる位だから当人だって当たり前だが分かってる。
交戦関係になるのは必然、武田が攻めなくても織田から攻めるのは時間の問題

674 :人間七七四年:2007/04/18(水) 23:41:29 ID:e4rVqp0Y
勝てるならな

>交戦関係になるのは必然、武田が攻めなくても織田から攻めるのは時間の問題
武田が従属すればその可能性は低いだろう、
秀吉だって家康だって自分に従う大名を無理に滅ぼそうとはしていない。

675 :人間七七四年:2007/04/18(水) 23:52:10 ID:ERwbksLV
武田が従属って、バカじゃない?

676 :人間七七四年:2007/04/18(水) 23:55:32 ID:wnPHBm3F
>>674
従う、というのがどの程度かにもよるな。
領地減、領地移転まで込みにするなら大抵の大大名は嫌がると思うが。
逆らっても無駄という状態でもない限り。
島津にしろ長宗我部にしろ国力差がありつつも領土をけずられるわけにはいかんので
抗戦したし。
むしろ有力な地方大大名としては可能な限り自分達に絶対的な影響力を持ちうる存在が
できるのを防止しようとするのは自然な事では?
家康だって秀吉と戦った時は秀吉のほうが圧倒的に国力差があったけど
周囲の地方大名や反秀吉勢力と組んで戦いを挑んだし。
最終的に降ったのも相当渋って安全が確保されてからだし。

677 :人間七七四年:2007/04/19(木) 00:19:10 ID:8yGllMgm
秀吉は家康に恩義があるからな、命の恩人だろうし…

678 :人間七七四年:2007/04/19(木) 00:40:18 ID:vajQIykW
>>663
当面は同盟でもいずれは従属から完全服従になるかもしれないし
織田徳川と戦わず北条と同盟して上杉への戦いを続ければ
あるいは小牧長久手後の家康の立場になる可能性もある
でもこれはIFにIFを重ねるようなものだからあまり考えてもね
豊臣政権における家康の例もあるからしっかり服従し隙を見せなければ
織田政権で最大の勢力を持てる可能性もある。

百万石を超える大領国というのも本能寺前の各軍団の影響力は100万石クラス
姻戚関係という二重の繋がりがある武田より
もし柴田がその場合でも史実のように北陸まかされていれば
柴田の方が危ない気がする。
羽柴は潰される可能性はかなり低いだろうけど。

>>667
上下という関係でもないと無いと思うが
両者ともにへりくだっているし

>>669
情勢の把握が遅れたんだと思う。
信玄だって景気のいいことを言って包囲網を煽っているし

>>671
>義信事件後、信玄の家臣掌握など権限強化したと聞くけど実際はどうなんだろ?
いろいろと処罰したけど、御家の取り潰しは無いし、山県になったりとかあるが
あとは起請文を皆から集めたぐらい?
よく分からない

679 :人間七七四年:2007/04/19(木) 00:53:21 ID:vajQIykW
>>676
>領地減、領地移転まで込みにするなら大抵の大大名は嫌がると思うが。
大名個人がそれを許容しても家臣が納得しない可能性もあるしね

>むしろ有力な地方大大名としては可能な限り自分達に絶対的な影響力を持ちうる存在が
>できるのを防止しようとするのは自然な事では?
それだけだと本能寺後のとか賤ヶ岳後の徳川毛利上杉などの行動が説明つかなくなるけどね。
将来を考えるのであれば大勢力にいち早く従うも良策だと思う。
ただ1570年の段階でそこまで先を考えるのは非現実的だろうと思うが。

>>677
金ヶ崎退陣に関しては家康が関与した可能性は低いんじゃ

680 :人間七七四年:2007/04/19(木) 01:08:21 ID:8yGllMgm
>>679
尾張の弱兵だけじゃ無理だろう?

681 :人間七七四年:2007/04/19(木) 01:36:16 ID:86ixEjb1
尾張の弱兵なんて言葉を使う香具師がまだこのスレにいるとは驚き。
家康が金ヶ崎で活躍うんぬんはフィクションの話だろ。
池田勝正と木下秀吉がメインじゃなかったか。


682 :人間七七四年:2007/04/19(木) 01:39:41 ID:8yGllMgm
信長の命で家康と明智が助けているのじゃないの?

683 :人間七七四年:2007/04/19(木) 03:46:00 ID:OpMi2ja9
講談なら参陣する家康はともかく、明智なんて初めて聞いたが
元ネタは何?

684 :人間七七四年:2007/04/19(木) 05:13:22 ID:AsqnP0XC
>>682
ほとんどデマだね。
家康の金ヶ崎や姉川での活躍や尾張の弱兵の信憑性は限りなく低いよ。

>>672
勝頼が総大将として軍を率いる事だけでも認められるのなら
出陣延期や重体の信玄出陣は回避できたんじゃないかな。

>>678
俗に甲州法度などで武田家は先進的なイメージが強いけど
信虎の件もあるし大名権限などは旧体制のまま脆弱だったんじゃないかな?
信玄末期の行動に疑問がでるのは状況判断の難しさなどに加えて
武田家の体制も要因してそう。

685 :人間七七四年:2007/04/19(木) 05:21:05 ID:AsqnP0XC
>>683
漫画センゴクで登場してたね。
武家雲箋や言継卿記に記述があるみたい。

686 :人間七七四年:2007/04/19(木) 13:53:37 ID:iqwGvUAc
勝頼は信玄死去後も、信玄の名で手紙を出している
花押も信玄のものをそのまま使っている
陣代説の真偽はともかく、かなり当主権力が後退したのは確かだろうね

687 :人間七七四年:2007/04/19(木) 19:51:58 ID:vARCYjgM
>>679
>>それだけだと本能寺後のとか賤ヶ岳後の徳川毛利上杉などの行動が説明つかなくなるけどね。
毛利と上杉は織田と戦って半殺しにあったから賤ヶ岳後でいまさら織田を引きついだ秀吉と事を
構える気にはなれなかっただろう。家康に関しては機を見て信雄その他と組んでしっかり敵対してる。


688 :人間七七四年:2007/04/19(木) 22:00:08 ID:UuSS3G++
>>683
>>685のいうように武家雲箋の一色藤長書状
木下明智池田の3名が殿とあるらしい

>>684
脆弱というか普通の大名程度だったのかも

甲州法度が先進的かは分からないけど
今川仮名目録と比較すると古い、大名権限弱いという印象を受ける
今川氏が先進的なだけかもしれないけど・・・

>>687
>毛利と上杉は織田と戦って半殺しにあったから賤ヶ岳後でいまさら織田を引きついだ秀吉と事を
>構える気にはなれなかっただろう。
なんか印象論みたいでこのような話しは好きでは無いけど
それなら長宗我部や上野とられた北条はたいしてやられていないから秀吉と争ったの?
負けたことが重要なら長篠後の武田は何故降伏しなかったのか
また家康に関して言えば賤ヶ岳の前の方が秀吉により対抗することが可能であったのに
何故賤ヶ岳の前に秀吉と戦わなかったの?


他に関ヶ原時
>有力な地方大大名としては可能な限り自分達に絶対的な影響力を持ちうる存在が
>できるのを防止しようとするのは自然な事
なら、何故前田は家康につき、毛利は積極的に戦わなかったのか?

689 :人間七七四年:2007/04/19(木) 22:01:29 ID:/J7ZxNvb
従属って簡単に言ってる人がいてるけど戦いもせずに従属するの?
領地が減るって事は家臣の知行も減るんだよ
へたすりゃ家臣達に先祖伝来の土地から他所へ移れ って言わなければいけないんだよ
戦国時代の論理を根本から勘違いしてると思う。

690 :人間七七四年:2007/04/19(木) 22:29:38 ID:HIwSLVIb
>>689
豪族レベルの場合、そのまま新たな支配者に臣従するだけ。
そちらこそ、戦国時代を近代以降の国民国家な忠誠ではかって根本から勘違いしてない?

さらにいえば、戦った結果負けて従属するのと、最初から恭順の意を示す場合では削減される
領地の度合いも変わる。

691 :人間七七四年:2007/04/19(木) 22:36:11 ID:OBSOYJDd
というか戦う前に恭順を示すってのは本領安堵が前提みたいなのもあるからな。

領地削られるくらいなら戦うけど、領地に手を出さないならあなたの言う事聞きますみたいな。

692 :人間七七四年:2007/04/19(木) 22:40:38 ID:/J7ZxNvb
>>690
それって武田に当てはめた場合、甲斐信濃が丸々安堵された場合だよね?
信濃系の家臣を手放すのもOKって話なら何も言う事は無いが
戦いもせずに恭順するって、弱みを見せてるだけであって印象が良いとは全く違うよ


693 :人間七七四年:2007/04/19(木) 22:41:06 ID:vARCYjgM
>>688
毛利も上杉も本能寺前にはあわや滅亡寸前までいっている。
これでもう一回戦いたいとは思わないだろう。特に領土削るともいってないし、
力の差を体で知っている分家臣たちも納得しやすい。
長宗我部にしてみれば領土削られるとか我慢できなかっただろう。
さらに北条だがあれは名胡桃城奪取事件をきっかけに秀吉の征伐軍がおきた。
それまでは北条も上洛を行う方向で動こうとしていた。
長篠で負けたからといってすぐさま降伏とかありえないだろう。長篠は確かに将領が
多数死んだが兵力的には取り返せない被害ではなかった。(千数百程度)
賤ヶ岳の前に家康がなにをしてたか知ってるの?天正壬午の乱で北条と
対峙してたんだよ?講和がすんだのが1582年の10月のおわり。
領国が一気に倍に増えて領国編成とかいろいろやる事が山積みで
1583年の賤ヶ岳の前に秀吉と戦えるわけないだろう。

関ヶ原のときは一度天下が統一され、ある程度の領国の固定が決まったあとの戦いだ。
前田も、そして毛利も次なる天下人の家康につく事によってさらなる領土の拡大・もしくは保全を狙った。
状況は中立を許さなかったしな。それなら勝ち目のあるほうに味方しようとするだろう。
毛利のほうは大失敗だったけどな。

694 :人間七七四年:2007/04/19(木) 23:24:34 ID:UuSS3G++
>>689
織田武田の場合なら
当面は同盟関係なんじゃないか
それと他の人も書いているが基本は領土安堵
また従属後に何の非も無くあまりに無理難題押しつければ
他の従属者への示しがつかなくなる

>>692
>戦いもせずに恭順するって、弱みを見せてるだけであって印象が良いとは全く違うよ
そんな例あるのか?
小牧後の家康の場合はまだ四方に敵がいるから削られることが無かっただけじゃないか?

>>693
毛利は削られたが
上杉も一時は新発田領を失いかけたし、遭えて言うなら真田領を失っている
北条にしても名胡桃城奪取事件後も従属する機会はあったと思うが
長篠がたいした被害じゃないんじゃ・・・

>賤ヶ岳の前に家康がなにをしてたか知ってるの?天正壬午の乱で北条と
>対峙してたんだよ?講和がすんだのが1582年の10月のおわり。
>領国が一気に倍に増えて領国編成とかいろいろやる事が山積みで
>1583年の賤ヶ岳の前に秀吉と戦えるわけないだろう。
上洛戦の前に信玄がなにをしてたか知ってるの?北条と
対峙してたんだよ?講和がすんだのが1571年の・・・いつだっけw
領国がある程度増えて領国編成とかいろいろやる事が山積みで
1573年の織田のいろんな戦いの前に信長と戦えるわけが無いだろう。

北条と対峙の部分は1572年に上野で謙信と対峙でもいいが

タイムスケジュールは徳川の方がきついが信玄の最後の行動は要するに
そういうことになるんじゃないか?

695 :人間七七四年:2007/04/19(木) 23:40:02 ID:/J7ZxNvb
織田が武田領を安堵って 話にならん
無理難題を押し付けない ってのはもはや・・・。
両家共々平和過ぎる。

それなりの友好関係(上下)から無理難題押し付けて合戦 なんて常套手段でしょ
信玄はそこまでバカでは無いよ

696 :人間七七四年:2007/04/19(木) 23:40:54 ID:UuSS3G++
レスが抜けていましたスミマセン

>>402
>既に塩止めはじめてさらに誓詞破っておいてそれは無理だろう。
つまり1567年には今川から見ればほぼ敵とみなされていたと言うことだろう

>そんな事いったら桶狭間の今川の兵力2万5千だってありえないことになるぞ。
桶狭間時は石高70万石-水野+尾張の一部
後方は北条武田と同盟
更に前年から借財をしていたのだから多少多めに動員すれば十分ありえる数字
武田の駿河攻めの時は駿河遠江40万石で、遠州錯乱などの混乱が起きた後
また三河30万石の徳川にも備えなければならない
武田に向けられるのは1万超えるか怪しいぐらいが妥当だと思うが

>君がもともと今川上杉同盟は直接的な害は無かったみたいに書いたから害があることを説明したのに。
>今川上杉同盟には害があったことは認めてくれるのかな?
自分は最初から害があったと思っているが、あなたが挙げた論理は
織田武田同盟にも害があったということになると思うが

>上杉北条今川で完全に包囲網が完成してしまえば信玄は苦境に陥る。
うんその通りだね、同様に今川からすれば
武田徳川北条で包囲網が完成すれば今川は苦境に陥る、
対上杉に関して言えば武田北条は協力している
弱肉強食の世の中で北条が裏切らない可能性は無い
駿河分割などで武田北条が共闘する可能性もある
そうならないためには今川は(ry
>信玄だって可能なら攻めたくはなかっただろう。
それなら信玄は何とかして今川と再同盟すべきだった

ようするに武田からの見方だけでなく今川からの視点で少しは考えてみたら

>>414
ありがとうございます

697 :人間七七四年:2007/04/20(金) 01:13:50 ID:14wX/szT
>>694
人のレスをパクってなにをいいだすのかと思えば・・・。
駿河は氏康死亡し、講和がすむまでに信玄があらかた制圧してある。
しかも駿河自体が15万石で当時の武田領国からみると5分の一以下だ。
家康の場合は1582年の段階で三河遠江約60万石からその駿河15万石を
手に入れ、さらに甲斐信濃60万石以上を手に入れ、合計で75万石の領地が
一年以内に手にはいったことになる。倍以上の領国だ。
しかも北条との講和が1582年の10月の終わり。
これで一体どうやったら信玄と同じ状況だと思えるのか理解できないのだが。
タイムスケジュール自体がきついのに加えて領国の拡大した比率も範囲も
信玄とは比べ物にならない。
相手のレスを返す事にかかずらかって論理が強引になっていると思うのだが。

長篠が大した被害じゃないとはいってない。一会戦としては十分すぎるほどの打撃だろう。
しかしそれで勢力が崩壊するほどの打撃ではなかったし武田自体がその後7年も
存在している。だいたい一回の会戦の敗北で大勢力が降伏することなんてまずないと思うが。
長篠はそこまでのものではなかっただろう。通常の会戦としては大敗だしその影響が武田崩壊の
遠因にはなったと思うが。
上杉に関してはもともと真田は外様であちこち行き歩いていた勢力。
少なくともそれの為に存亡を賭して戦う義理もつもりもないだろう。
第一真田にとっても悪い話ではないのだし。
北条に関しては国替えとかの話しがでていた気がするが。

698 :人間七七四年:2007/04/20(金) 01:37:34 ID:/PQwTNop
長篠の戦で敗れたあとで七年生き長らえたつうけれど
もう防衛戦のみの戦略しかないので希望はないよ
甲府に総構えの城でもつくっとけばよかったんだよ

699 :人間七七四年:2007/04/20(金) 05:19:00 ID:XgN40q+Q
>>686 >>688
そーなんだよ。
武田本家より甲斐閥みたいのが発言権が強い印象がある。
一貫性のない外交政策はこの辺りも関係してそうなんだよね。

個人的には織田家との融和政策は悪くないと思うよ。
姻戚関係では武田家は浅井家、徳川家よりかなり強い関係を構築し
勢力比が開いても従属関係にならない様に信玄は外交をしている。
後継問題が曖昧なまま織田家との敵対行為をとるには
当主の容体などを含めて時期が悪いから疑問が持たれるんじゃないかな?

あと内乱時に投降者を粗末にしない事は、盟約を守る事と並び重要な事。
以降の投降を促す事にもなる。幾ら戦国時代とは言え好き勝手やれば
周囲にいらぬ警戒を持たれ、妨害にあい勢力の伸張を損なう恐れもある。

700 :人間七七四年:2007/04/20(金) 09:30:12 ID:875jPj/1
信玄は家臣に推戴された大名だからな
ある意味で加賀一揆で大名を追った一揆衆がとりあえず名目上の守護を立てたようなもの
政治力関係からいって気を使わないといけないだろう
武田の両職、といえば聞こえはいいが要するに国人の代表権者が二名いて最高の地位として当主を牽制していると見ることができる

701 :人間七七四年:2007/04/20(金) 12:27:27 ID:1CscIKFy
>>701

もともとよそ者の原虎胤ですら、一時的にではあるが
板垣と甘利が死んだ後、最高官位の「職」に就いている。

国人の代表権者の小山田や穴山がいつ職の座に就いたんだ?


702 :人間七七四年:2007/04/20(金) 12:41:09 ID:Rdbg9NDO
>>701
小山田や穴山は一門衆・親類衆扱いだからだろう
信玄に取り立てられたはずの馬場信房すらしばしば命令違反をやっているように、譜代即信玄側とは見られない
むしろ奉行衆クラスが当主と密着してたのかもね
殆ど無視されているが、信虎追放時にそれに抗議して職を辞した者のはそのクラスから出た

703 :702:2007/04/20(金) 12:45:09 ID:Rdbg9NDO
ごめん。勘違いで書き込んだ。無視ってorz

704 :人間七七四年:2007/04/20(金) 13:07:17 ID:f/Bb/gZg
武田家の最高職は識ではない。
親族衆・郡内小山田氏は別格的地位として分国主だった。
彼らは郡主(あるいは郡守護)と書状にもはっきり書いており、配下に奉行衆を独自に持つなど武田本家のそれとにた下部家臣団を持っていた。
これらの領域には晩年の信玄の権力すら限定的にしか及んでいなかった。
彼らは親族衆と言われながらその独立性は国人層以上であり、武田家が敵手や庶流を取り込むことで甲斐を纏め上げた経歴を反映している。

705 :人間七七四年:2007/04/20(金) 13:21:37 ID:f/Bb/gZg
一般に最高職とされる両職だが、これも実態があったかは不明。
何しろ他の家老衆との具体的違いがわからないのだから。
もし奉者が職なら、信玄が朱印状発給をはじめて奉者が入るのは1560年代のこと。
特別な書状ないし署名を発給していたということも見られないはず。

706 :人間七七四年:2007/04/20(金) 13:39:28 ID:DfGCctX3
板垣と甘利が何に就こうが、原虎胤が何に就こうが
大した意味は無いと思うけどな。

権力がある奴がその地位に就けば権力を発揮するし、
親方子飼いの奴がその地位に就けば、親方に対しては大した権力は無い。

将軍や公家の地位が有名無実化するのと同じようなものだ。

707 :人間七七四年:2007/04/20(金) 13:45:55 ID:f/Bb/gZg
>>706
まぁそれが正解だろうけどねw
武田家が豪族体質と言われる所以は、本来宗家と近いはずの親類衆ほど独立傾向が強い点があるんだろう。
実際のところ、他の同時期の大名とどっこいどっこいじゃないのかな?
織豊政権下の強い権力を確立した大名のイメージのほうが強いから旧来型に見えるだけで。

708 :人間七七四年:2007/04/20(金) 14:15:49 ID:5M1pufNA
>>699
>>姻戚関係では武田家は浅井家、徳川家よりかなり強い関係を構築し
徳川とは嫡男信康に徳姫(長女)、浅井とは当主長政に市(妹)
武田とは嫡男候補?四郎勝頼に雪姫(養女、姪だっけ?)
    一応織田家嫡男信忠と松姫婚約中
信忠と松姫の婚姻が成立しない限り特段武田が他家よりも強い関係と言えないのでは?
婚姻関係なら↓
徳川(長女)>>浅井(可愛がってた?妹)>武田(養女)の様な気がするのだが
そして婚姻関係から3家の将来を勝手に妄想
浅井家 北陸あたりに国替えだが大国に栄転、3家の中で一番優遇しそうな気がする
    信長は長政に好印象持ってた様な気がするがどうだったんだろう?

徳川家 遠国に転封、中には改易だという人もいるが…
    意外と三遠駿の3国を維持しつづけそう

武田家 信長が中央政権目指してたんなら信忠の息子(松姫との間の2男あたり?)を
    強引に派遣しそうだな…それで一応甲斐は保持
    勝頼の家系が諏訪周辺で別家設立など細分化する気が…



709 :人間七七四年:2007/04/20(金) 14:45:46 ID:CadR0nlC
それどんなIF設定?

710 :708:2007/04/20(金) 15:31:12 ID:5M1pufNA
>>709
浅井・武田が織田を裏切らなかった時の3家に対する扱い

711 :人間七七四年:2007/04/20(金) 15:43:05 ID:m6OgnGJV
中央集権を確立しきれなかった旧世代の戦国大名にIFは有り得ないでしょ・・・

712 :708:2007/04/20(金) 15:52:46 ID:5M1pufNA
IFいうか3家に対する織田家の待遇からの延長上の想像なんだけど…
あくまで>>708のメインは織田家と武田家が徳川・浅井よりも強い婚姻関係だと
いう>>609に対する返答であって、3家に対する待遇の妄想はあくまでおまけだよ
おまけに対してのみ反応せんでくれ…


713 :人間七七四年:2007/04/20(金) 16:19:20 ID:CadR0nlC
その設定なら信忠と松姫の婚姻が成立するから
武田家の方が強い婚姻関係になる

実際に嫁ぐまでの数年は徳川浅井の方が関係は強いかもしれないけど

714 :人間七七四年:2007/04/20(金) 16:23:15 ID:m6OgnGJV
婚姻(人質)のよる安全保障なんて政治家の公約並みにしか当てにならないからな


715 :人間七七四年:2007/04/20(金) 17:43:42 ID:U4M9kNKq
婚姻自体よりも武田家が徳川家並に織田家に尽くせるか が問題かもね。

でも、その後の北条家、上杉家などの織田家への対応の仕方によっては、無理難題押し付けて武田は潰される可能性はある。
北条が織田に付けば武田の存在意義は薄れるので信濃駿河の国替え位は普通にあるかも

716 :人間七七四年:2007/04/20(金) 23:26:42 ID:dAhQXGim
>>697
>人のレスをパクってなにをいいだすのかと思えば・・・。
皮肉だよ
一年以内ということなら本能寺後の羽柴秀吉も一緒
まああなたの場合はそれはもともと織田領だったからとか言いそうだが
ついでに家康が手にしたのは信濃の約半分
また本気で秀吉の台頭を恐れたなら三河遠江の兵の一部をむかわすでも良いし

強引に話しを戻すが
史実じゃ家康は手堅く甲斐信濃を手に入れ織田家の争いから一歩引く形で
勢力を伸ばし、後に秀吉に従うにしても簡単には滅ぼされない勢力を築いたが
何で元亀の信玄はそういった戦略を取らなかったのか?
姻戚関係もあるのだし、畿内の争いからは一歩ひいて、上杉若しくは北条を攻めて
勢力圏を増やす方が確実だったのでは?
織田の石高は200万石強なのだからそれまでの天下人である
大内細川三好を上回る程度でしかない、
それまでの天下人を考えるなら将来どうなるかはまだわからない
だったら織田武田は敵対もしていないのだから
当面は様子見で自分の勢力を広げるべきだったのでは?

信長の台頭を恐れたあまりのやや博打的な行為とするなら
当時の織田家はそんなにまで強かったのか?
大名としてそのような行為に出るのは正しいのか?となるし
勝てると考えていたのなら健康面含めて情勢判断誤ったのでは?となるし

まあ信玄の失敗を見ていたからこそ家康はまず自分の勢力を広げることを優先して
賤ヶ岳では様子見をしていたのかもしれないが

>北条に関しては国替えとかの話しがでていた気がするが。
詳しく

717 :人間七七四年:2007/04/20(金) 23:42:57 ID:dAhQXGim
>>699
軍鑑じゃ
信玄死後上杉と戦うか徳川と戦うかで家臣団が割れたらしいしね

>>707
同感
比較対象が織田徳川今川北条だからであって
それ以外の大名と比べて特別に武田家が劣っているとは思えない
むしろ豪族体質の割に離反反乱が少ないのは凄いと思う
信虎が頑張ったおかげってのもあるだろうけど

>>708
>>699のいうように織田武田の融和が続くなら信忠と松姫の婚姻は成立するんじゃ
浅井は確かに国替えされそう北近江は近すぎる

>>714
利害が一致しなくなればね
>>715の言うように織田に対してどう利益を提供し続けることが出来るか
害とならない存在でいられるかということになる

718 :人間七七四年:2007/04/20(金) 23:56:04 ID:dAhQXGim
今思ったが
武田が織田に対してというか徳川に対して敵対したのは
1571年3月ぐらいから
この時点では織田はまだ危険な状況だったから
織田と敵対することにしたのだろうか?

ところが1572年のいざ出陣して織田徳川と本気で戦おうと思った時には
包囲網側は既に虫の息
でも織田への敵対をやめようと思っても、一度武田が徳川と敵対した時に
わざわざ織田に仲介してもらってそれを踏みにじっておいて
包囲網勢力と連絡を取り合うなど、敵対行為をした後では
今和睦してももう信用されず、後に織田が優位になった時
織田に裏切られて滅ぼされるかもしれない
上の方に人は自分の行為で人の行為をさしはかるみたいなことがあったが
信玄自身ならそうするだろうと考えてまだ多少可能性がある今ならと思って敵対したのかも

719 :人間七七四年:2007/04/21(土) 01:01:18 ID:hMoPEjPp
予想以上に信長の勢力回復が早かったということか・・・

720 :人間七七四年:2007/04/21(土) 02:23:29 ID:aFVCjoVG
>>708
婚姻関係は女性は地位より生まれてくる子供の地位が重要なんじゃない。
両家が敵対しなければ信忠との婚約解消しないだろうし
西国が片付かないうちは関係を悪化させる事はしないと思うよ。

主な功が対武田家の徳川家があれだけの待遇を受けたんだから
武田家と友好関係は、それ以上に織田家には利益をもたらし
徳川家以上の厚遇になるのは普通じゃないかな。

武田家が一般的というには少し違和感を感じるんだよね。
家督を譲り2元政治を行う事もしてないし、出生や養子入りなどあっても
正統な後継者に指名できないのは武田家にとって致命的だし。
謀反は義信、信元は規模が多きかったと思うよ。

721 :人間七七四年:2007/04/21(土) 16:20:27 ID:e6W/dFcI
>718
織田包囲網を敷いたは良いがみんな率先して攻撃をしなかったからね
同盟っといってもライバルだから疑心暗鬼になってお互い戦力の出し惜しみを
しちゃっているからダメだ・・・

結局、運命共同体じゃないと本気で同盟など組めないってこった

722 :人間七七四年:2007/04/22(日) 01:01:53 ID:Pz81MyCO
>>716
上杉、もしくは北条を攻めて、というが北条とは同盟を結んだばかり、上杉も
今更攻めてもという気持ちはあっただろう。
大内、細川、三好と比べて織田は明らかに違っていただろう。地盤が遠かったり
結局畿内での狭い範囲での争いに終始したそれらの政権と違って織田は美濃尾張を始めとする
強固な地盤を持ち、周囲の大名勢力を次と撃破していった。包囲網でさえもこの時期には
浅井・朝倉が押し込められつつあった。将来はどうなるかわからない、といっても
このまま浅井・朝倉を始めとする包囲網勢力が撃破されれば織田家との差は圧倒的なものとなる。
そのときに織田が一度武田家を滅ぼす方向で動いたらもうどうしようもない。
仮に勢力拡大を目指すとしても北条・上杉という強豪相手ではそんな順調に勢力を拡大できるかわからない。
それに手こずっている間に織田が包囲網勢力を滅ぼせばそれこそ力の差がついてしまう。
あなたのいう領土拡大に絞ってみても簡単に領土拡大できそうな対象であり、
織田の勢力をそぎ落とせるという両得で考えるなら徳川を狙うのはそれほど
不自然ではないだろうし。
まあ確かに肝心の実行面で健康面での不備があったのは致命的だったが
前から病を患っていたといわれる信玄にしてみれば、死期もさっしていただろうし、
このまま死んだ後の事を考えるとやるしかなかったのでは?結局タイムアップだったが。

北条のことは前に読んだのをうろ覚えだったが、ネットで調べてみたらどうやら惑説の類だったみたいだ。

後、織田と武田は1572年の正月には信玄から武井夕庵を通して友好の意思を伝える書簡が
送られてなかったか?こっちは歴史群像で確認できたが。

723 :人間七七四年:2007/04/22(日) 03:53:34 ID:Klw0IGo+
>>716
勢力比で見れば、滅ぼされ難さじゃ武田と徳川はそう変わらんだろうし、
家康の戦略は結果的にはベストになったが、秀吉の気分次第じゃどう転ぶかも分からない上に、
豊臣政権下でも仮に秀吉が家康より長生きすれば大領を持つ徳川家がどうなるかも分からない危険性もあった。
だから自分より大勢力の存在を許すってのはそれはそれで危険性がある、
そういう他者と偶然に依存する戦略よりは、bP勢力を叩いて自分が勢力を伸ばす戦略を取るってのも
選択肢としては有りじゃないかと、まあ結果は信玄病死で頓挫して武田家は滅亡した訳だけども、
未来が分からん以上はどちらが正解とも言えない選択だと思うよ。

724 :人間七七四年:2007/04/22(日) 09:28:47 ID:Tb/skeHS
当時に大勢力の有力な同盟者となって生き延びるなんていう発想は無いだろう。
徳川だって信長が生きていれば家臣に組み入れられていた。
秀吉がああいう形の政権を作ったのは、急ごしらえで体制を整える必要があったからだ。

725 :人間七七四年:2007/04/22(日) 10:13:55 ID:cITYL4u1
やっぱり北進・東進が完全に手詰まりだったからかね?
後北条・武田・上杉は完全な三すくみ。一つが攻撃すれば残り二つが固まる
そういう構図に信玄が助けられたことはあるけど、やっぱり攻勢に廻った時は到底やりきれない
織田が消極的で実質対徳川のみなら、国力や地勢(武田領からは簡単に東海道沿いに分布した徳川の拠点を分断できる)から考えて負けることはまずありえない
信長の介入をどこまで抑えられるか、を見誤った事も重大なミスだろう

726 :人間七七四年:2007/04/22(日) 21:51:03 ID:NbMY4+U9
>>722
>上杉、もしくは北条を攻めて、というが北条とは同盟を結んだばかり
70年からの話し
北条と再同盟せず上杉と組んで北条攻めるという選択肢もあったわけで
一応上杉にもそのような動きがあったらしい

>大内、細川、三好と比べて織田は明らかに違っていただろう。
大内はともかく三好は摂津河内和泉山城大和阿波讃岐淡路丹波に
伊予播磨の一部、備前丹後若狭に影響力及ぼす大勢力だったと思うが
国人の力が強くてその支配力は怪しいが

>このまま浅井・朝倉を始めとする包囲網勢力が撃破されれば織田家との差は圧倒的なものとなる。(ry
滅ぼされるかは分からない、血縁や情勢を考えるとそこまで差し迫っているとも思えない
将来滅ぼされるかもしれないからって最大勢力に喧嘩を売るのは本末転倒
上杉や北条相手では勢力伸ばせそうに無いからって、現時点で敵対していない
そして将来的には勝ち目の薄い織田を敵に回しても・・・

>このまま死んだ後の事を考えるとやるしかなかったのでは?結局タイムアップだったが。
勝てるならね、でも実際には寿命が尽きなくても勝つのは難しそう、
病気という不安要素を抱えてそのような博打的な行為に出るのは国主としてどうかと思う
自分の死後のことを考えるなら、無謀な行動に出るべきじゃなかった
だからこそ信玄は滅亡の布石をうったとか言われるのではないか

>織田と武田は1572年の正月には信玄から武井夕庵を通して友好の意思を伝える書簡が
前年に徳川攻めたことの言い訳なんじゃないか

727 :人間七七四年:2007/04/22(日) 21:59:18 ID:NbMY4+U9
>>723
選択肢としては当然ありだろね
ただ自分より大勢力の存在を許すより自分より大勢力と敵対するの方が危険なわけで
史実の信玄は情勢判断を間違えたんじゃないかと思う

>>724
>当時に大勢力の有力な同盟者となって生き延びるなんていう発想は無いだろう。
室町から大勢力の有力な同盟者や大勢力に従属して自分の権利を
守るというのは一般的だと思うが。

728 :人間七七四年:2007/04/22(日) 22:22:58 ID:Tb/skeHS
>>727
>室町から大勢力の有力な同盟者や大勢力に従属して自分の権利を
>守るというのは一般的だと思うが。
室町時代には一般的でも、戦国時代には一般的で無いだろう。

729 :人間七七四年:2007/04/22(日) 23:02:05 ID:QajKW930
>>728
むしろ、戦国時代になってさらに一般化したと思うが。
全ての武士が独立した勢力となりたいなんて考えていたと言うのですかね?

730 :人間七七四年:2007/04/22(日) 23:02:28 ID:NbMY4+U9
>>728
一般的だと思うが・・・
大友に従う竜造寺秋月など
竜造寺に従う秋月筑紫など
大内に従う毛利竜造寺など
毛利に従う宇喜多浦上三村など
三好に従う別所波多野池田など
六角に従う浅井
朝倉に従う浅井武田
織田に従う徳川
豊臣に従う(ry
徳川に従う(ry
今川に従う松平
武田に従う穴山小山田木曽
北条に従う里見千葉など

731 :人間七七四年:2007/04/22(日) 23:13:03 ID:Tb/skeHS
れっきとした国持ち大名の話をしているんだが。
豪族の話をしているのか?

ちなみに豊臣やその後の徳川のは戦国時代じゃないよ。

732 :人間七七四年:2007/04/22(日) 23:16:59 ID:NbMY4+U9
国持ち大名も豪族も両方いると思うが?

733 :人間七七四年:2007/04/22(日) 23:36:22 ID:Tb/skeHS
従った後に国持ち大名になった奴らだろ?

734 :人間七七四年:2007/04/22(日) 23:42:46 ID:NbMY4+U9
>>733
浦上里見は国持ち織田に従った時の宇喜多も国持ち
浅井も近江1/3ほどとするなら国持ち大名に匹敵する
島津に一時従った竜造寺も国持ちに近い

同盟であるなら国持ちはもっと増えると思うが

735 :人間七七四年:2007/04/22(日) 23:48:12 ID:TDXKxmZs
やはり徳川攻撃しかなかった。仮に朝倉義景が撤退しなければ
徳川への援軍も限られる。織田徳川合わせて3万強なら
武田が勝つ可能性が高い。

736 :人間七七四年:2007/04/23(月) 00:11:10 ID:eXiiEfIS
>>734
>浦上里見は国持ち
戦に負けて従ったんだろ。
>織田に従った時の宇喜多も国持ち
元々豪族程度の時代から毛利に従ってたのを鞍替えしただけだ。
>浅井も近江1/3ほどとするなら国持ち大名に匹敵する
勝手に匹敵させて含めるなよ。
>島津に一時従った竜造寺も国持ちに近い
勝手に近いのを含めるなよ。

>同盟であるなら国持ちはもっと増えると思うが
だれが国持ちは同盟しないと言ったよ。

737 :人間七七四年:2007/04/23(月) 00:47:09 ID:qEPSh3kP
年齢層が高い程、信玄最強と認知してる人は多いね、逆に
歴史に興味のない20代の連中はひたすら歴史に対して無知をさらけ出してる
のは丸分かりで笑えるよ

738 :人間七七四年:2007/04/23(月) 00:48:23 ID:qEPSh3kP
マヌケな織田厨のみなさん、どうやったら信玄を倒せるというのですか?


@家柄

武田信玄:平安時代から続く清和源氏の名門。源平合戦や承久の乱で活躍し、「平家物語」にも先祖が登場する由緒ある家系。

織田信長:現在の福井県の織田神社の神主の子孫。神社の神主になる前はどこで何をしていたかもわからない馬の骨の家系。

A少年時代

武田信玄:子どものころから賢く、難しい中国の古典などを好んで読む文学青年だった。

織田信長:いまでいう暴走族のようなことをしていた。毎日、子分を連れて、町中を異様なかっこうで歩き、町人にからんだり、店の商品を勝手に食ったりして暴れまくっていたので、「尾張のうつけ(愛知県一のバカ)」と呼ばれていた。

B指揮官としての能力

武田信玄:15歳で初めて戦場を経験し、その人生最初の戦いで敵の油断を突いて城を攻め落とすという天才ぶりを発揮した。生涯戦績は72戦49勝3敗20分で、負け率はたったの4.2%

織田信長:生涯戦績は156戦113勝29敗14分で、当時最新の兵器・鉄砲を多く保有していたにもかかわらず、負け率は18.6%(←弱っ)。鉄砲隊の使い方も下手だった。指揮官としての能力は高いとはいえない。

C人望

武田信玄:家臣と民を大事にしたので、死後も慕われつづけた。飢饉の年に戦争を繰り返して人々を苦しめる父親を止めるため、父親を追放した。

織田信長:家臣に厳しく、容赦なくこき使い、必要がなくなった家臣はすぐに処分したので、家臣からは恐れられても信頼はされていなかった。家臣を大事にしなかったので、信長の死後、織田家を守ろうとする家臣はほとんどいなかった。



739 :人間七七四年:2007/04/23(月) 01:24:10 ID:NX+lxYr2
>738
信玄の息子の勝頼は家臣団に次々と見放されて無念の最後を遂げたんでは?

740 :人間七七四年:2007/04/23(月) 01:58:15 ID:qEPSh3kP
不二家問題で、浮き彫りになったのは、過剰な生産ラインの問題である。
フランチャイズ店舗が縮小していく中で、生産能力だけが取り残されていく。
販買力が落ちていく中で、生産が過剰となり、経営を圧迫し、工場の食品衛生の不備につながった。
構図は、こうである。
市場と生産ラインが連動していない。
過剰な生産ラインが、いかに危ないか。
不二家問題は、示している。
販売力が落ちれば、生産ラインは縮小しなければならない。
当然である。
これができないメーカーは、たちどころに転落する。
攻めるときでも、常に、退くことを考えておく。
八分の勝利を以って良しとした武田信玄の戦略に学ぶべきものがある。
需要の変動の耐えうる生産ラインこそ、現代の製造業に求められている。



741 :人間七七四年:2007/04/23(月) 02:00:16 ID:FjBPcDaa
前から思ってたんだが、
信玄が西上する際、仮に信長の打倒が目的だったのなら、
どうして徳川を味方に引き込まなかったのかね?
そうすれば徳川と余計な戦をせずに済むし、
むしろ信玄なら、そういう堅実策をとりそうな気がするんだけど

742 :人間七七四年:2007/04/23(月) 02:07:11 ID:9b3CYwgW
>741
確かに徳川との同盟が成立すれば
武田→美濃 徳川→尾張と侵攻
織田滅亡だったと思います。
ただし徳川が織田と同盟していればですが・・・

743 :人間七七四年:2007/04/23(月) 02:16:38 ID:FjBPcDaa
>>742
織田を潰すなら徳川とつまらない小競り合いするより、
ここで手を結ぶ方がはるかに得だよな
何でそれをせず超強攻策に終始したのかがわからない

744 :人間七七四年:2007/04/23(月) 06:05:03 ID:UV46ZmwE
徳川が武田と結ばないでしょ
武田より織田と組んでた方が得でしょ
いくら回りを敵に囲まれてるとはいえ、京都押さえてるんだし
織田包囲網だって実際は絵に描いた餅じゃん
家康としては武田よりも織田に将来託す方が自然だと思うけど

745 :人間七七四年:2007/04/23(月) 06:40:11 ID:atHo8byu
>>735
朝倉は疲弊してる。第一なんで他の大名の為に犠牲にならねばならんのかっていうのが朝倉の主張だし、それはごもっともなこと。
武田がやったことは織田の隙を窺ったハイエナ行為みたいなもんだし、朝倉がまともに相手してやる義理もない。
更に雪が降ってたはずだし、兵を引くのは至極当然。

>>738
太平洋戦争における状況で、織田=アメリカと武田=日本と考えれば簡単に予測はつくか?
それで徳川=中国、朝倉=ドイツ、上杉=ソ連と置くとばっちり説明がつくと思う。
これで日本は太平洋戦争勝つことができるか論じるのと武田が上洛可能なのかと考えるのは同レベル。
それほどの経済力の差があった。

746 :人間七七四年:2007/04/23(月) 10:15:00 ID:OZIoHUip
>744
武田は同盟組んでもすぐに裏切って攻撃仕掛けるからね・・・
とりあえずの時間稼ぎはできるが長期的には信用できない

747 :人間七七四年:2007/04/23(月) 10:32:39 ID:ArRmFX5F
今川領分割の際に盟約破りかけてきた武田と織田じゃ外交信用が違いすぎるからな
徳川と同盟したいなら盟約破りなんかするべきではなかった
朝倉にしても、信玄自身が中山道から織田領に直接攻撃かけてるならまだしも徳川にちょっかいかけてるにすぎないのに
何が悲しくて武田のために冬に単独で織田と戦わねばならないんだよ

748 :人間七七四年:2007/04/23(月) 11:45:13 ID:4CURDTlR
当時の通信能力で、遠隔地の大名同士が緊密な連携を取るなんていうのは絵に書いた餅も良い所だからな
朝倉と本願寺一揆衆からして累代の敵同士だったのが、信長の出現で慌てて野合しただけ
朝倉と浅井の緊密な関係というのも後付けっぽいし
武田と朝倉に到っては信長出現以前は直接的な交渉すら持ってなかったんじゃ?
そもそも織田と朝倉が敵対した時点では武田は織田のもっとも有力な同盟者だったわけだしね
結局のところ裏切りをやった武田をとことん信じろというほうが無理

749 :人間七七四年:2007/04/23(月) 14:48:03 ID:fbLHhDOz
いつも思うんだけど信玄の生涯二敗のみとか三敗のみとか平気で書き込む奴って本当に信玄のこと知ってるの?
対長野戦だけで六度も敗北しているし、対村上だって上田原・戸石崩れ以外でも敗北している
(信濃四郡時代どころか、上杉に頼る寸前の村上氏にすら撃破されて一度占領した葛尾城を奪還されている)
かなりインチキ臭い計算だよね
信長の勝率にしても、どっかのアホ計算をそのまま信じてて信玄のそれと同じ基準で計算したものじゃないんでしょw

750 :人間七七四年:2007/04/23(月) 23:03:03 ID:uTacXe7U
西上作戦をする際家臣団はどう思ってたんだろうか
皆賛成してたのか?

751 :人間七七四年:2007/04/23(月) 23:40:14 ID:1NED1gYg
もう一度、長篠の戦で同じような行動をしているから
家臣団も一致していたのじゃないだろうか?

752 :人間七七四年:2007/04/24(火) 00:43:10 ID:WeRrvTi4
>>750
反対派は義信謀反事件であらかた片付けられましたから。

753 :人間七七四年:2007/04/24(火) 08:24:40 ID:5j3pN6OV
反対したら実の息子ですら殺す暴君だもん。内心はともかく命が惜しいから従ってたんでしょ。

754 :人間七七四年:2007/04/24(火) 14:54:31 ID:r1ncUq5W
>>749
その数え方でいけば
信長は桶狭間で1勝した後、斎藤家に2敗。
その後、斎藤家が稲葉山に篭城したため1敗。
斎藤龍興にまで3敗、斎藤家との戦だけでトータル6敗という計算になるのだが

755 :人間七七四年:2007/04/24(火) 16:53:32 ID:dwsWENpJ
それほど負けは気にしなくていいんでないの?
個人の評価はどれだけ実績を残し、
当代後世に影響を与えたかが重要な気がする。と釣られてみた

>>750
馬場なんか信玄より強行派な感じがする
勝頼の代も末期まで軍行拒否なかったし意外と乗り気だったかも


756 :人間七七四年:2007/04/24(火) 17:21:58 ID:0d86DJN+
まぁ戦争に勝ったからといって領土増やせるわけでもないしな・・
局地戦で勝っても仕方が無い 相手の国人や家臣をどれだけこちらの味方につけるか それが勝負
もし戦争で領土を増やそうというなら相手の大名あるいは重臣を殺すしかない(桶狭間、河越城、厳島のように)
信玄謙信は結局それができてないから実際あいつらが勝った戦の意味は・・

757 :人間七七四年:2007/04/24(火) 17:39:56 ID:QpRefL/i
戦国に存在した大名のほとんど全ての戦の意味がなくなりそうだな。
その定義だと。戦争に勝って敵の抵抗能力を奪い、城を攻略していけば
普通に領土を増やせるだろう。
実際信長だって戦闘のたびに相手の大名や重臣を殺していたわけじゃないし。

758 :人間七七四年:2007/04/24(火) 18:28:07 ID:F89aAZkH
>756
謙信&信玄はお家争いと国境紛争の勝者レベルだ・・・

信長クラスの派手な戦略には足元にも及ばないよな

759 :人間七七四年:2007/04/24(火) 19:42:26 ID:0d86DJN+
信長の戦の何が凄いって完全勝利してることなんだよな
桶狭間一乗谷では大名を殺している
武田も上杉も戦争で大名は1人も殺せていない(上杉は味方の大名を何人も殺したことはあるかもしれないが)

大名を殺す>>>>重臣を何人も殺す>>>>重臣を殺す>>>>>>>>>相手の兵をたくさん殺す


>>757
そりゃそうだが殆ど意味が無かったことには変わりない
相手の雑兵を殺しても仕方が無いからな
川中島だってそうじゃないか、上杉は武田の重臣を殺したが領土は奪えてない 逆に武田に取られたぐらいだ
勝つなら意味のある勝ちを狙わないと

760 :人間七七四年:2007/04/24(火) 22:26:04 ID:QpRefL/i
>>759
だから、ちゃんと勝って領土を増やしているだろうに。
信長だって戦場で大名殺したなんて珍しいだろうに。
一乗谷なんて文字通り相手にとどめをさした状態だろうに。jそこまでには
君のいわく無意味な敵軍の雑兵を数多く殺した戦いが何度もあったわけで。
第一それをいったら信玄だって箕輪城を制圧して長野一族を滅ぼしているが
これもそれまでに相手を追い詰めた結果だよ。

761 :人間七七四年:2007/04/24(火) 22:31:03 ID:QpRefL/i
それから川中島は武田の重臣が死んではいるが
武田の兵士の戦死者は武田を再起不能にするものではなかった。
さらには武田がもう信濃に基盤を固めていたこともあって
結局信濃を制圧された。つまり上杉は戦略的に負けていたわけで
それを一戦でひっくり返すのは非常に難しい。

762 :人間七七四年:2007/04/24(火) 22:35:48 ID:0d86DJN+
だから戦況を戦でそう簡単には覆せないんだって
相手の国人や家臣に手回しせにゃいかんし、相手に揺さぶりもかけなきゃいけない
戦況を1回で覆すには相手の大名 あるいは重臣をぶっ殺すしかない
そんなことをやった大名がどれだけいるか 殆どいないだろう

だから信長は凄い 勝ち方がえげつない もし本当に信玄が2敗しかしてなくて勝率が7割越えていても結局信玄はあれだけ勝って領土を5倍にしかできなかった
これも”戦術”の差では無いか

763 :人間七七四年:2007/04/24(火) 22:39:35 ID:QpRefL/i
だから信長が戦場で大名を殺したことなんてほとんどないんだってば。
戦況を一回で覆したことなんてそれこそ桶狭間以外にあるの?って感じだし。

764 :人間七七四年:2007/04/24(火) 23:05:09 ID:8MV0rfcg
>>738
家柄なんて関係ない 太政大臣の秀吉や征夷大将軍の家康はどうなるんだ。
72戦49勝3敗20分のわりには上洛すら出来てねえじゃん。
それに信玄の後は全然駄目じゃん。信長がコケたって秀吉が出てきたし、
前田、池田とか大藩として残ってるだろ。馬場や山県とかは何処逝ったの?

765 :人間七七四年:2007/04/24(火) 23:10:43 ID:QpRefL/i
>>764
秀吉は織田を乗っ取ったわけで織田の継承者ではない。
織田家自身は衰退して嫡流は後に断絶。
前田も池田もむしろ織田を見捨てて徳川や秀吉に従うことで大藩として
残ったわけで、武田との比較には意味がない。

766 :人間七七四年:2007/04/24(火) 23:19:43 ID:/IYX4DoU
>>761
それから三方原は徳川の足軽が死んではいるが
徳川の兵士の戦死者は徳川を再起不能にするものではなかった。
さらには徳川がもう遠江に基盤を固めていたこともあって
結局遠江を制圧された。つまり武田は戦略的に負けていたわけで
それを一戦でひっくり返すのは非常に難しい。

767 :人間七七四年:2007/04/24(火) 23:20:33 ID:nTm/FNoq
いかに短期間で相手を屈服させるかを考える信長と
負けない事を最重要視している信玄とでは、戦に対する思想が違う。

信長にとっても勝つに越した事は無いが、負けてももう一度攻めるだけの事。
負け戦の少なさを誇るなんて阿呆かと思うだけだろう。

768 :人間七七四年:2007/04/24(火) 23:25:58 ID:QpRefL/i
>>766
普通に三方ヶ原以降に城を制圧しまくっているのだが・・・。
国力的にも防衛体制の強固さでいっても基盤でいっても
川中島の上杉に対する武田と、武田に対する徳川を比べるのは無理だろう。

769 :人間七七四年:2007/04/24(火) 23:37:41 ID:5/fNY5sy
>>768
家康に長篠を奪われ、天方城を落とされる中、
高天神を勝頼が強硬に奪還するも、
長篠奪還に失敗って感じだね

770 :人間七七四年:2007/04/24(火) 23:39:58 ID:8MV0rfcg
>>765
そもそも>>738の比較こそ意味が無い

771 :人間七七四年:2007/04/24(火) 23:46:58 ID:QpRefL/i
まあ、長篠では織田も出てきたしなあ。
それでもそれまでは高天神城の他に足助城を攻略したり豊川流域を荒らしたり
結構押しているんだけどね。

ちなみに信玄のときは長篠・柿本・伊平小屋・二股・只来・飯田・天方・各輪・匂坂・野田城を
攻略している。信玄が死んで長篠と天方を取り返されたが。

772 :人間七七四年:2007/04/24(火) 23:47:35 ID:QpRefL/i
>>771>>769にあてたもの。

773 :人間七七四年:2007/04/24(火) 23:52:06 ID:5/fNY5sy
>>771
武田の大軍には徳川に単独で迎撃する力がないから、
織田との連合軍で望もうとしてたからね

けど信玄死後の武田の遠江侵攻作戦というのは、
徳川領壊滅を目指すというよりも拠点争いがメインになってた感じ

実際浜松を一度包囲したくらいで、
決定的といえるくらいに徳川の支配体制が揺るがなかったからな

774 :人間七七四年:2007/04/24(火) 23:52:51 ID:PwJxslnE
>771
苦労して奪った割には戦略的、経済的に価値の無い場所ばかりだからな
補給線を無駄に延ばして国力の浪費にしかなって無いのがダメポイントだ

775 :人間七七四年:2007/04/24(火) 23:58:14 ID:5/fNY5sy
>>774
天方が徳川に取り返された事で、
武田方になっていた二俣が補給線を絶たれて孤立し、落ちる危険がでてきたんだよな

これに対して勝頼が高天神を落とす事で猛攻勢に出て、
今度は長篠も奪おうとしたんだが、
逆に追い詰められた徳川方が織田に援軍要請して、
連合軍で武田方に勝って、こっから勢いが徳川方になっちゃった、と

776 :人間七七四年:2007/04/24(火) 23:58:54 ID:5/fNY5sy
>>774
>補給線を無駄に延ばして国力の浪費にしかなって無いのがダメポイントだ
国力の浪費にしかならない、というのは、
これは信玄の西上作戦からしてそうじゃないか?

777 :人間七七四年:2007/04/24(火) 23:59:10 ID:QpRefL/i
それは疑問に思っていた。
信玄死後の武田家はなんか行動力が落ちているような気がする。
長篠以後はともかく、それまでの信玄死去から長篠までの2年間における
武田の遠江における活動は信玄の時と比べて足取りが重たい。
まあ、当主がまだ成り立てだし、美濃も攻めていたから仕方ないのかもしれんが。

778 :人間七七四年:2007/04/24(火) 23:59:46 ID:QpRefL/i
>>777>>773にあてたもの

779 :人間七七四年:2007/04/25(水) 00:02:11 ID:Hhpswt9w
>>777
信玄死後の体制が混乱していたであろう事が一つと、
あとは西上作戦のような超強攻策ではなく、
手堅く遠江領内で拠点を確保しながら、
徳川方を追い詰める算段を立てていたのかも知れないね

780 :人間七七四年:2007/04/25(水) 00:08:49 ID:/8LruqZA
>>774
別に無駄というわけじゃないだろう。
ちょうど徳川領土を分断するような形だし
吉田か二連木が攻略されれば徳川領土は分断される。
土地の価値もそれなりにあるだろうし、特に二俣城は要衝だ。
>>776
上にも書いたが、結構徳川領土を制圧しているし、国力の浪費だけではないだろう。
>>779
なるほど。確かにそんな感じはするなあ。なんか戦い方が局地的になったというか。


781 :人間七七四年:2007/04/25(水) 00:13:10 ID:Hhpswt9w
>>780
そりゃあの西上作戦で成果があったのは確かだけど、
けどあれだけの信玄にとって命がけの大出兵をしたにもかかわらず、
徳川を浜松から追放する事も出来ず、
遠江を完全に掌握する事も出来なかったわけで、
武田にとって「してやったり」と喜べるほどの成果ではない、と思うよ

結局これは結果論になるが、
ここから武田と織田・徳川連合との泥沼の抗争に突入するわけで、
さらに出費がかさむなど、
そんな手放しで褒められるほどの戦果があった、とは思えないんだよな

最終目標の中途の段階でとうとう終わってしまった感じだ

782 :人間七七四年:2007/04/25(水) 00:14:11 ID:2SYzjrsi
信玄の時とは違い
織田や上杉の動向により気をつかわなければならなくなったことや
財政が厳しくなっていたのかも
ただ城攻めこそ減ったものの行軍距離や出陣回数は徳川領の荒らし方は
減ったってほどではないと思う

ほとんどが数ヶ月単位の軍事行動ではあるけど

783 :人間七七四年:2007/04/25(水) 00:20:24 ID:Hhpswt9w
>>782
結局ね、これは勝頼が悲運だったと思うんだよな<周りの動向に気をつける

あの御館の乱でどちらに組するべきか、と選択を迫られた際、
どっちについても結局周囲は敵だらけになってた可能性が高いわけじゃん

仮に北条の推す景虎に味方して彼が勝利したとしても、
彼は武田領の一部返還を求めてるから、
今度は武田家中でこれに不満を持つものが現れて、
体制内で混乱が起こる可能性があったわけで

あんな究極の選択迫られた時点でかなり不利だなあ、と思う

784 :人間七七四年:2007/04/25(水) 02:22:21 ID:TdKxiToq
しかしあの状況で北条を敵に回すのは最悪だろう。
駿河を挟撃される上、甲斐や上野南部にも兵を割かなければならなくなる。
上杉景勝は援軍出す余裕はないし、完全に詰む。

785 :人間七七四年:2007/04/25(水) 02:34:33 ID:w1VaDjEV
>>784
仮に親北条閥の景虎を擁護し、これの上杉家当主擁立に成功したとしても、
今度は北と南から北条勢に囲まれる危険もあった

786 :人間七七四年:2007/04/25(水) 02:39:17 ID:B+ktDVNc
御館の乱の時点ではすでに詰んでるのでどっち選んでも同じ。
織田が武田征伐始めれば北条は織田に寝返るだろうしな。

787 :人間七七四年:2007/04/25(水) 02:43:44 ID:PjxdEBzT
御館における勝頼の判断(景勝派と景虎派の間を持って講和させる)は間違ってはいない。
北条に肩入れすれば力関係は決定的になってしまい、従属する立場になるし、
景勝に肩入れすれば史実通りの結末。

でも講和のはずが景勝が景虎を追い詰めてしまい、その結果北条は当然勝頼を責める。
ただ間が悪かった。
しかしその間を掴む運が欠けていたのは、当主としては致命的な欠点と言わざるをえない。

788 :人間七七四年:2007/04/25(水) 08:09:57 ID:C5hmZ3OU
>>754
でも武田厨御用達の数え方だと、それらの信長の敗戦はせいぜい引き分け扱いだぜ
何しろ城攻め失敗→敗退でも一千余の討死出した戸石戦以外は誤魔化してるんだもん
一度占領した城を再奪還されて城将討死の葛尾城攻防戦だって敗北じゃないんだから(もしかして戦役全体を一つ扱いして一勝一負だから引き分けだ、とかしてるんだろうか…)

789 :人間七七四年:2007/04/25(水) 10:42:51 ID:znx6OlrE
>>788
>>もしかして戦役全体を一つ扱いして一勝一負だから引き分け
それなら一敗を相殺するんだから当然一勝も消えるはずだが、
きっと奴らは一勝は消さずにちゃっかり残してるんだろうなww

790 :人間七七四年:2007/04/25(水) 16:54:34 ID:sf+RRlkS
武田や上杉が織田豊臣徳川に勝っている点は家柄のみ


あれ?これ朝倉と一緒じゃんwwwwww

791 :人間七七四年:2007/04/25(水) 17:16:27 ID:Md9DhVkI
ぶっちゃけやったことは上杉も武田も朝倉も同レベルのB級大名。
織田徳川とはレベルが違う

792 :人間七七四年:2007/04/25(水) 23:26:12 ID:FXemxBxu
いまだに山梨、米沢じゃ川中島合戦ごっこを再現して観光客呼ぼう
としてんだから頭が下がるよ。野球で言えば日本シリーズが始まろう
としてる頃、雨で流れた横浜×広島戦やってるようなもんだろ

793 :人間七七四年:2007/04/26(木) 00:15:17 ID:noU5mMcF
>>791
朝倉・今川・大内と武田・上杉を同一視しないでいただきたい
前者は軍事面でも文化面でも功ある花も実も備えた大名、後者は自転車操業の戦闘国家

794 :人間七七四年:2007/04/26(木) 10:30:05 ID:XoRwzlej
信玄上洛で喜ぶのは、既得権益を奪われた寺社とか、信長の力のお陰で逃亡生活から脱出できたのに権力も欲しがる足利義昭とかそういった連中だけでしょ
信長治世下の減税や規制緩和傾向で利益を得ていた大多数が、今更信玄の重税路線に耐えられるとは思えん

795 :人間七七四年:2007/04/26(木) 11:23:25 ID:Ij+KWv+B
>>794
ゲーム脳・講談脳の武田厨も喜ぶぜ。

>>790
今川:足利家断絶の際には室町幕府の将軍の継承権がある特別な家柄(足利>吉良>今川ね)
    源義国の子孫。同族は足利、新田、山名、里見、吉良、細川、畠山、一色、世良田、桃井、石塔、徳川、松平
    最盛期は義元(桶狭間で戦死)。
武田:源義光の子孫。同族は佐竹、小笠原、南部。
    最盛期は信玄(病死だが暗殺説もあり)。
大内:どうやら豪族出身。家柄的には上二つに劣る。室町時代は守護大名の一族。
    最盛期は義隆(陶氏の反乱により横死)
上杉:藤原氏北家の子孫。
    血縁的には山内上杉で断絶。養子に長尾家の当主を受け入れる。
長尾:桓武平氏の一族鎌倉氏の末裔。
    最盛期は謙信(脳溢血で病死とされている)。
朝倉:文献上は孝徳天皇の子孫。
    斯波氏の家臣の一族。家系としては織田と同等。
    最盛期は宗淳孝景(病死)か義景(一門景鏡による横死)。
織田:文献上は平資盛の子孫。一般的には忌部氏(越前の神社の神官)の子孫と言われている。
    斯波氏の家臣の一族。
    最盛期は信長(光秀による横死)。

どう見ても朝倉と織田は同格の家柄です。

796 :人間七七四年:2007/04/26(木) 11:54:24 ID:cuR/eqHb
今川に幕府継承権が有るのって講談の話じゃないの?

797 :人間七七四年:2007/04/26(木) 12:07:29 ID:b4UMPDz0
今川に継承権が講談かどうか知らんが、もしあっても正直微妙じゃね?
足利断絶言うても関東の足利家もあるからなかなか断絶しないんじゃないか?
仮に足利家が駄目でも次が吉良家だろ?
これじゃあ今川家まで継承権が回ってくる可能性は…
仮に継承権があったとして、歴代の今川家当主は平均して継承権第何位くらいだったんだろう?

798 :人間七七四年:2007/04/26(木) 12:48:05 ID:eLHNEiV0
>>792
横浜×広島戦より客が入らないイベントを日本シリーズ(←もう
存在してないぞ)と言い張っている田舎モノ乙。

人に認めてもらえないのを自分だけのプライドで言い訳するのは
大変だね。屁理屈はいいから協調性やプレゼン能力を磨けよ

799 :人間七七四年:2007/04/26(木) 14:20:06 ID:Ucc9yOvc
>>792の中に
>人に認めてもらえないのを自分だけのプライドで言い訳するのは
>大変だね。屁理屈はいいから協調性やプレゼン能力を磨けよ
と何の関係があるのか疑問


今川が上洛して足利家から将軍職を譲渡されない限り
継承権が何位であったとしても今川家に回ってくることはまず無いのでは

800 :人間七七四年:2007/04/26(木) 14:44:50 ID:Se4Xa6Yn
地域振興なら何でもやるのさ
伊賀市と甲賀市の忍者合戦みたいなもんと思えば微笑ましい>川中島イベント

801 :人間七七四年:2007/04/26(木) 14:46:04 ID:6mm47/2a
秀吉でさえ関白になれた。
仮にも継承権がある家柄ってだけでめちゃくちゃ有利。

802 :人間七七四年:2007/04/26(木) 14:56:11 ID:Se4Xa6Yn
でも今川家自体が「幕府・守護なんぞ無力」と明文で言い切ってるわけだからなぁ(仮名目録追加二十条)
そんなに旨味があると思われてなかったんじゃないの?

803 :人間七七四年:2007/04/26(木) 15:04:49 ID:b4UMPDz0
戦国の時代だと名門でもメリット・デメリット両方あるしなあ
名門だといろいろ大義名分を発動できるが、
その反面、さまざまなしがらみの中で家を運営しなけりゃいけないしね

仮に将軍家継承できても将軍家の分家(吉良)のそのまた分家だからなあ…
かなり反発あるんだろうな


804 :人間七七四年:2007/04/26(木) 18:05:58 ID:1PCo0XEb
>>798
日本シリーズは今年もやるぞ。
クライマックスシリーズの後に。

805 :人間七七四年:2007/04/26(木) 18:13:27 ID:2BNTB33y
>>798
タラバガニを蟹といったら意気揚々とレスしてきそうなやつだな

806 :人間七七四年:2007/04/26(木) 21:02:53 ID:jNhByZKo
>>798
悪いが意味が解からん。昼にレスしてくれるのは良いが
多分君よりは協調性あると思う。

807 :人間七七四年:2007/04/26(木) 23:01:11 ID:+KFYhsXd
家康??確か三河遠江を侵食されて、一玄坂や三方原などで大敗し、信玄の
西上に怯えながらいた大名のこと?
残念だけどあのまま信玄が生きてれば、信長を打とうとしなくても徳川領は
全面的に侵略されていたのは明白だよ、当時の家康に信玄を押し返せる能力があったとは
到底思えないし

808 :人間七七四年:2007/04/26(木) 23:12:31 ID:YkQVfXNC
武田信玄の2万5千倍はアホだな

809 :人間七七四年:2007/04/27(金) 00:38:35 ID:xCN9FPTK
信長が信玄に勝つには75000の兵を集めなくちゃいけないし生きてれば
余裕で信長なんて潰されてたね。

810 :人間七七四年:2007/04/27(金) 01:05:58 ID:zak2gBz7
たかが2万5千で、尾張へ侵攻なんかできるわけがない。

811 :人間七七四年:2007/04/27(金) 01:19:59 ID:CalN956u
信玄様が必死こいても徳川領の半分切り取るのがせいぜいだからなぁ

812 :人間七七四年:2007/04/27(金) 05:30:00 ID:Etakd1TP
徳川がいよいよ危なくなったら織田も本腰入れてくるだろ
そのリスクを犯してまで徳川潰そうとはできないだろ

813 :人間七七四年:2007/04/27(金) 06:59:01 ID:oyqST/pA
そうなったら風の如く甲斐へ引き上げるさ
そのつもりがカゴに入り戻る事になるとは
名将信玄様も想定外だった

814 :人間七七四年:2007/04/27(金) 08:01:08 ID:4vEGPnBg
そもそも最晩年まで西進できなかった信玄の自業自得
時間ロスは本人の力量のせい
十数年かけても完遂できなかった信濃侵攻や、「信長殿に見捨てられたら信玄は滅亡です」という土下座外交も使ってようやく打開した駿河攻略戦の時間ロスは誰のせいでもない
生きていたら、というイフ自体が贔屓の産物

815 :人間七七四年:2007/04/27(金) 09:58:43 ID:5ez1ZG69
弱小の癖に周囲の国と事有るごとに戦争してりゃ国力を無駄に浪費するよな・・・

816 :人間七七四年:2007/04/27(金) 19:29:41 ID:/tUbzU1Z
詳しい人がここにはたくさんいるのを承知で念のために書き添えておくと、
「甲陽軍鑑」の評価が変わりつつある、というのは、神聖視されていた
ものが疑わしくなってきた、という意味じゃなくその逆。
今まで以上に評価され見直されて権威になりつつあるということ。

「軍鑑なんて平和になった江戸時代に作られたフィクションだらけの
娯楽読み物だ!史料としての価値などない!だから山本勘助なんて
存在しないし、川中島の戦いも存在しない!」という風潮が戦前から
戦後しばらくの時代まかり通っていた。今思えばその根拠も「書かれて
いる事件が前後している」「年号が違う」といったつまらんものも
多かったのだが、圧倒的権威だった時代の東大教授が声高に宣言した
ものだから、以後しばらく甲陽軍鑑を評価出来ない空気が定着していた。
なにせフィクション小説であるはずの「天と地と」「武田信玄」でさえ
「甲陽軍鑑は信用できない」と本文でいちいち断り書きを入れなければ
ならない時代だったので、それを支持するのは相当勇気のいる事だった。




817 :人間七七四年:2007/04/27(金) 19:30:37 ID:/tUbzU1Z
ところがその「天と地と」のテレビ放映をキッカケに、学術論文なんか
関心を持たなかった市民から勘助の実在を証明する一級史料が世に
出されて、いきなり東大のセンセイの論拠が覆る。権威の方々が次々
逝去されて若い人たちが自由にものが言える空気が醸成され、バブルの
頃からそれまで手が付かずにいた現実的な人間の生活を実証的に検証・
推察する歴史学が盛んになって、明治以来の固定された史観が次々と
ひっくり返り、昭和の史書は使い物にならない状態に今なっている。

武田信玄や源頼朝の肖像にしても、「信長は兵農分離を完成させて、
近代的な政府や軍隊をつくり、世界で始めて鉄砲隊を駆使して武田を
滅ぼした」という俗説にしても、今見るとなんでこんなデタラメをいい大人が
真面目に論じていたんだ?と思えるくらい根拠薄弱な妄言であったという
部分が論証されていて、どうもドラマなどで見慣れていたことが完全否定
され、簡単には元に戻せる性質のものではない歴史的転換点を迎えている
ようなのですね、我々は。

その中で甲陽軍鑑は「老人の思い出話であるということを考慮すれば
年号などの間違いは当然ありうることで、むしろ当時の人間しか知りえな
かった生々しい事実が多く、一級史料以上に注目すべき部分が多い」と
再評価というより「新しい視点で再発見された」という状態になっている
くらいなのです。



818 :人間七七四年:2007/04/27(金) 20:04:04 ID:JFgvLFkG
信長が尾張を統一するのにだいたい9年
美濃攻略に7年ほど
信玄は信長が二ヶ国を支配する時間をかけてようやく信濃の大部分を抑えた程度
信濃攻略戦時の信玄の動きは、佐久や小県・安曇や筑摩に機会的に侵攻する効率の悪い物
小笠原氏撃破後にようやく主攻軸を一本化できたと思ったら今度は北信濃・越後方面と西上野二つを攻撃
多方面作戦やりすぎだよ
甲斐一国と諏訪を持った時点で相対的には敵対勢力の豪族らとは力の差は隔絶しているんだから、一方に攻撃を集中すればタイムロスは少なくなっただろうに

819 :人間七七四年:2007/04/27(金) 20:33:37 ID:ulg6NEWq
軍鑑の書式(跡部、長坂への文句)からして眉唾だから怪しいと思われるのは仕方無い
この二人は信玄時代から当主側近(竜朱印状奉者)や郡代を務める重臣で譜代
奸臣どころか、勝頼を最後まで裏切らず討死したことは信長公記のような敵方史料にも明記されている忠臣
むしろ香坂とともに武田の凋落を食い止めようと支えてきた層なわけで

820 :人間七七四年:2007/04/27(金) 21:10:56 ID:x+R7CZYg
軍鑑をあまり貶めすぎるのも確かに問題だな。
政治的配慮で一部の人間に不利な役回りをさせたり、居ない戦場に出したり
数を誇張したり
ということは確かにあるだろうが、
100%捏造でできている、ということはない。

誇張や自慢等のフィルターは、誰の書いた文章でも当然にあるわけで、
それは外した上で考えればいい。

しかも、当時の武将の価値観を知る上では、極めて重要な資料だろうね。

821 :人間七七四年:2007/04/27(金) 21:46:22 ID:pzCibJfq
そもそも本当に当時の文書を元にしたという保証は全くないわけだがな>軍鑑
山本勘介の件だって、軍鑑の主張する足軽大将に抜擢されたという地位は市川文書では却って否定されている内容だし

822 :人間七七四年:2007/04/27(金) 21:51:37 ID:OuJHf62S
実在したのは使い番の山本菅助だろ。

823 :人間七七四年:2007/04/27(金) 21:53:41 ID:pzCibJfq
当時の史料だと、信玄は名将どころか「信虎と変らない」(正真正銘の一級史料・妙法寺記)という具合だしなぁ

824 :人間七七四年:2007/04/27(金) 22:50:59 ID:oh9BJKPM
山本勘助の実像を解説
県考古学協会が講演会

 県考古学協会(谷口一夫会長)は十八日、山梨学院大の五十周年記念館クリスタルタワーで
「山本勘助と武田の城−勘助は実在したのか」と題した記念講演会を開いた。

 信州大の笹本正治教授が、資料が少なく架空説もあるなど謎の多い勘助の実像を解説。
勘助の活躍を描く唯一の資料「甲陽軍鑑」を検証すると、特に勘助に関する記述に史実と
合致しない点や脚色が多いと指摘した。

 さらに信玄の書状に「山本菅助」の名が記されていることが、勘助実在の証拠とされているが、
「甲陽軍鑑に描かれた『勘助』と実在の『菅助』を結びつけられる証拠は何もない」と話した。
 会場には約百八十人が詰め掛けた。

ttp://www.sannichi.co.jp/local/news/2007/02/19/10.html (リンク切れ)

今年2月の時点では否定的だな

825 :人間七七四年:2007/04/28(土) 01:21:56 ID:XnzXcV4E
どちらにせよ年号、事実関係の間違いが多いのは事実なのだから、他資料との
検証作業なしに史料に使うことは難がある。ぶっちゃけて言えば、「軍鑑」単独
での史料価値はいまだに低いというか利用価値が薄い。
簡単に言えば、他資料で見受けられない、軍鑑のみに記述があるような事柄は
信憑性を確立できない。

826 :人間七七四年:2007/04/28(土) 04:41:39 ID:Jf5DIz6R
まぁ一級史料ですら単独使用価値が低いというのは当然の考えだからな。
一級史料ですらない軍鑑単独の記載ではなおさら信憑性はなくなるさ。
軍鑑はあくまで確認用の史料として用いるのが正しいと思ってるよ。

827 :人間七七四年:2007/04/28(土) 11:43:16 ID:Fsh+Q1qk
軍鑑のせいで子孫にまで奸臣だったと信じられた跡部勝資って可哀想過ぎるな
実際には賄賂貰うどころか、上杉からの「武田はまた同盟を破るんじゃないの?」という信玄時代からの外交的信頼性の無さから来る詰問に必死で弁明したりしているのに

828 :人間七七四年:2007/04/28(土) 13:32:53 ID:JxrvsVY5
しかし、あの状態で上杉と同盟して北条を敵に回したのは失敗だったのだから、首脳陣は責任重大

829 :人間七七四年:2007/04/28(土) 15:40:26 ID:levVVh4P
>>818  ほらまたこれだ、アホな信長厨はすぐに勢力図の違う地域と
比較したがるから始末に終えないね。
攻略が難しければ、相手も中々の名将と考えるのが普通だろタコ助が(笑

それと信濃攻略の大半は上杉との最強同士による戦いによるもの、豪族はとっくに
抑えてる。
時間をかけ過ぎとか言ってるが、信玄が信長みたいに最初から天下への野心があった
なんて証拠はどこにもないんだよ、信濃はじっくり攻略してきたとも解釈出来る。

830 :人間七七四年:2007/04/28(土) 15:43:22 ID:levVVh4P
まあ甲陽軍艦なんかより、信長に対する現 代 の 過 大 評 価 の方が
よーーーーほーーーーど重大ですね、史実ではただの虐殺者なのですから信長は

で?いつまでこのスレで喚いてるの?信長厨は(笑 ここは信玄スレですよ

831 :人間七七四年:2007/04/28(土) 16:23:21 ID:4/DwUg4b
>>829
信長が最初から天下に野心あったなんて初耳だがww
じっくり時間をかけて美濃を攻略してるじゃねえかww
信長も初期は天下というよりも自勢力拡大に向けて美濃をじっくり攻略
したと考えるのが普通なんじゃないか?

信長が信玄よりも速いスピードで美濃を攻略した要因が
「信長は最初から天下への野心があった」なわけないだろうが…
天下に野心があったから7年という短期間で攻略だなんて…
信長も信玄同様にあくまで自勢力拡大の為に美濃攻めにじっくり時間をかけてる。

共にじっくり時間をかけて隣国の同等勢力(信玄は同等勢力といえるかどうか?)
を攻略し結果は…


832 :人間七七四年:2007/04/28(土) 16:35:32 ID:4/DwUg4b
>>830
信長を過大評価しすぎなのも…だが、
同様(それ以上?)に信玄も過大評価…だろ
ここのスレは信長の過大評価を極力排除して議論してると思うが、俺の気のせいか?

>>史実ではただの虐殺者なのですから信長は
それを言ったら
武田は戦国一の奴隷狩り〜となって、また不毛な罵り合いになるだけだろうが…

>>ここは信玄スレですよ
信玄の上洛が可能か議論するスレであって、マンセーするスレではない
最大の敵信長(織田家)の議論をするのも当たり前のことだろうが…
敵の事も分析・議論せず、ただ武田家の事だけ論じて上洛なんてできるわけない

833 :人間七七四年:2007/04/28(土) 16:59:43 ID:esZSiKhZ
いいかげんageで連投するやつはスルーしよう
そいつは、なに言っても聞かないから

834 :人間七七四年:2007/04/28(土) 19:06:06 ID:fLqbrTLF
またメガブタか・・

835 :人間七七四年:2007/04/29(日) 03:52:48 ID:UWZQuTMI
メガなんとかは大学ノートに信玄への愛を書き殴っといてくれ。

836 :人間七七四年:2007/04/29(日) 10:05:54 ID:0iwvDQ+3
信長が旧今川領併呑に固執していたら、武田北条と直接対峙することになって上洛は史実より遅れまくった(あるいは不可能になるかも)だろうね
そこで東方をスパっと見切って徳川に一任したのが慧眼
東方さえ安定化すれば、西は統一的支配者を持たず豪族や一揆が乱立する伊勢のみで北に全戦力を集中できる
対して信玄はごく晩年まで多方面に敵を作るということを続けていた。だから中小豪族を屈服させるだけで十数年もかけてしまった
この差が露骨なほど獲得領土に現れている(信玄が生涯百万石に対して信長八百万石)

837 :人間七七四年:2007/04/29(日) 10:10:40 ID:GJrsdriA
ちげーよバァカ
今川当主が死んだと言えどもまだまだ今川は侮りがたい大勢力で美濃方面も情勢次第で
どう動くかわからん戦国の世。どうせならどこまで持つかわからん家康を防波堤にして
当主の仇討ちにいきり立つ今川のお礼参りの盾にしようとしただけ。

838 :人間七七四年:2007/04/29(日) 10:59:24 ID:Q2clhAVN
信玄は、豪族連合に推戴されて武田家を継いだ。
だから彼らに過度の負担をかける長期戦は無理で、短期的に撃破できそうな弱敵を求めるのが基本になっていた。
しかしそれは中長期的にはむしろ敵を増やし、軍役負担は却って増大する。
それを糊塗するためにまた出陣を繰り返し……という悪循環。
武田家当主の朱印状発給が信虎追放時から長期間消滅していたのは、大名権力の低下を端的に表していたんだろう。
そしてそう言う事態に乗っからなければ大名信玄は存在しなかった。

839 :人間七七四年:2007/04/29(日) 12:45:23 ID:IQ4iIeF/
>>837
義龍が死んだ直後の美濃斉藤家も結構なあなどれない大勢力だよな。
しかし信長は東をすぱっと切って、美濃へ全力をかけた。

840 :人間七七四年:2007/04/29(日) 13:12:00 ID:xfGXApIr
今川の方が遠いからじゃね?

841 :人間七七四年:2007/04/29(日) 14:31:10 ID:LPuwuK8G
織田家は信秀のときから、朝廷に金をやってるし、
信長は尾張を統一した直後、上洛して将軍義輝に拝謁している。
美濃を併呑して、そこから将軍の要請を受けて京都を制圧することが、
この頃の信長の目標だった。
東の三河とは同盟して和平にすることが得策。

842 :人間七七四年:2007/04/29(日) 20:31:56 ID:c0yCmHz0
武田信虎の戦略は、南を今川家との修交で安定させ、西は諏訪家を婚姻で同盟して取り込むというもの
これによって北の狭い正面に戦力を集中することに成功し、その結果が僅か数日で三十余の城を落とし佐久・小県の大部分を短期間で勢力下に入れた大戦果
しかも直接接触していない村上氏らを外交で味方につけておくという念の入れ様
一般に暴君とされる信虎だが、少なくとも戦争に限っては執拗なまでに堅実
恐らく若年の頃から多方面に敵を迎える状態が続いたことからの反省による戦略だろう
信玄が信虎を追放したのはともかく、こういう手堅さを継承しておけばタイムロスは少なくなったと思うが

843 :人間七七四年:2007/04/29(日) 20:51:09 ID:vLSFIGoO
>842
手堅くやっても天下には届かないだろう・・・
他の大名の追撃を振る切るには時に大博打も必要だよ

844 :人間七七四年:2007/04/29(日) 21:48:41 ID:iIkZsBsu
まぁ、信玄の博打じゃ100回やっても100回負けるだろうけど

845 :人間七七四年:2007/04/29(日) 22:39:35 ID:tAfGpQI6
まぁ、信玄は博打をやりすぎて子供がお金に苦労したんだけど

846 :人間七七四年:2007/04/29(日) 23:43:54 ID:pESYVfBj
>>824
笹本氏は「甲陽軍鑑」により信玄研究において英雄像が語られ、考察者
の思い入れが大きすぎた。この本が作り出した虚構が、現在に至るまで
信玄研究を束縛している。英雄信玄を強調するあまり、信玄が時代を
超越した極めて特殊で偉大な人物になっている。氏は棒道、信玄堤に
関しても疑問視されている。

柴辻氏は甲陽軍鑑に関しては、従来より指摘されてきた欠陥もあるが
有力な文献の1つとされている。勘助については甲陽軍鑑に描かれて
いるような、信玄の軍師としての容認までにはまだ相当の距離がある
と語っている。また棒道、信玄堤に関しては笹本氏とは反対な事を
書かれているのも面白い。

847 :人間七七四年:2007/04/30(月) 08:42:09 ID:Q/TrYUZ/
信玄が甲斐を支配した時点では、今川はまだ三河を支配できていなかった。
石高なら2倍程度。

尾張兵の3倍の強さと言う甲斐兵なら、尾張兵よりさらに弱いと思われる駿河兵など
敵ではないはず。
なぜ今川と戦わなかったのか?

848 :人間七七四年:2007/04/30(月) 09:49:04 ID:u7QHJqFS
答:三河を支配できていなかった頃の今川家でも当時としては戦国屈指の実力を持ち
結局弱い者いじめしかできなかった信玄公(笑)では到底倒すことができなかったから

まぁ当時は太原雪斎も朝比奈もいたしな、信長でも勝てたかどうかは怪しいもんだ

849 :人間七七四年:2007/04/30(月) 09:53:32 ID:xrmCDqy4
闘うどころか、信玄自らが兵を率いて義元の加勢にいかなきゃならないのが当時の力関係
父親追放で協力してもらった借りもあるし
もし関係がこじれたら今川が再び信虎を甲斐に送り込んでくるという事態もありえる
不可能

850 :人間七七四年:2007/04/30(月) 10:19:58 ID:SmRa/5tv
甲州兵が尾張兵の3倍の強さとかってまだ言ってる人いるんだ。

851 :人間七七四年:2007/04/30(月) 10:25:39 ID:KY3L2uyB
>>842
そのやり方が行き詰まりの限界を露呈した。
南は今川、西は諏訪で婚姻同盟
東は関東管領上杉
北は村上と手を組んでの侵攻で当然村上も領土を広げた。
この先は村上と衝突する他に道がないのなら佐久地方は村上を味方にする事なく独力で侵攻すべきだった。
事実、力を付けさせた村上は晴信時代に強豪に成長してしまってた。
晴信はまず諏訪と手切れする他に選択肢がなくなっていた。
三国同盟は共に背後を疲れる心配がない良い同盟だが、晴信の進出地はことごとく好敵手謙信が道を塞ぐ不幸があった。
信長とは違い、互いに認め合う実力伯仲の好敵手に出会えたのは幸か不幸か戦国史を輝かせたが上洛への道を遠くしてしまった。
へっぽこ大名ばかりの畿内に唯一信長の好敵手になり得た人物は明智光秀だったのかも知れない。
そして東国大名は上洛自体を晩年まで考えていなかったと言える。凌ぎを削る関東強豪達に西を見る暇はなかった。
なぜなら東国は鎌倉以来の一つの独立した文化圏として成立してたからだ。
東国からすれば京洛は今の感覚でもやはり遠い地方。
東海道新幹線で行くにしてもね。

852 :人間七七四年:2007/04/30(月) 11:04:29 ID:uc+AdMXz
えっと。つまりたかが2千の村上勢に5千もの武田勢がボロ負けしたのは信虎のせいだ!と言いたいの?
だったら信玄ってどれだけ弱いんだよw
せめて5千対1千ぐらいじゃないと勝てないって想定してるのか?
どこが最強?w

853 :人間七七四年:2007/04/30(月) 11:28:35 ID:nfZPIaXq
>>852
地の利って理解できないの?
村上領内はほとんど謎に包まれた奥域だよ。
濃尾や畿内なんてほとんど謎の地域なんてないんだよ。
信濃や上野、越後領内は山々険しく渓谷ありで伏兵のこもれる場所ばっかり
ロクな地図さえ持ってないんだよ。

854 :人間七七四年:2007/04/30(月) 11:34:18 ID:uc+AdMXz
>>853
つまり、ろくに情報も集めず地の利のある相手に無謀な決戦挑んでボロ負けしたといいたいの?w
どっちにしてもやっぱり弱いねー

855 :人間七七四年:2007/04/30(月) 11:39:25 ID:oPKq4KK8
村上と謙信があまりにも強すぎた気がする

856 :人間七七四年:2007/04/30(月) 11:42:53 ID:nfZPIaXq
兵法を知らないの?地の利の有利さは兵数の劣勢をひっくり返すんだよ。
情報を手に入れても実際に体験に基づかない情報と実地に言ってみたら
事情が異なるのはよくあること。
現場指揮官で現地を熟知してる者と事前に充分な情報を持ってる者では
前者が有利なのは明白。だいたい信長にしても一朝にして斉藤氏を屈服させたわけではない。
何度も重複侵攻を繰り返し相手を弱体化させてから調略をかけるだろう。
負けというよりも相手の力を減退させるのも作戦で、その後に調略にこそ意味がある。
戦って勝つが領土や家臣が離反するってのはやはり村上氏の負けでしょう。

857 :人間七七四年:2007/04/30(月) 11:45:56 ID:uc+AdMXz
>>856
じゃあ素直に信玄は現場でのトラブルを処理できず大敗する程度の強さでした
でもほかで盛り返したからいいでしょ?と言うべきだろう
何が最強なのさ?
そういう意味を含んで、ならそれこそ信長あたりにかなう奴はいないってことになるぞ

858 :人間七七四年:2007/04/30(月) 11:49:17 ID:u7QHJqFS
>>856
長篠とか一乗谷とか自分の領土じゃないところでも地形を生かした凄い戦をしている信長神すぎ ってことか?
お前がいってるのはそういうことだ


859 :人間七七四年:2007/04/30(月) 11:59:41 ID:sGZm0URn
村上領がほとんど謎に包まれたって…どんな未開の地なんだよ。
信濃の人たちカワイソス(´・ω・`)

860 :人間七七四年:2007/04/30(月) 12:22:56 ID:KY3L2uyB
長篠って家康が熟知してるだろ。
一乗谷に侵攻なんて、朝倉自体がすでに劣勢以下じゃねぇか。朝倉一族から裏切り出てるし
織田厨相変わらず必死だなプ
甲信越は険しい山々が入りくみ囲まれた不案内な土地柄だからね。侵攻には常に危険が伴うだろうね。

後年に木曽や穴山が道案内しなけりゃとても武田侵攻は成功しなかったろう。

861 :人間七七四年:2007/04/30(月) 12:27:42 ID:ePpVy2aF
>>859
まぁむしろ軍事上、謎に包まれてるようにするのが上策だろう。
要害の規模や伏兵配置や備えの位置。
山岳渓谷地域の特性を生かすとはこういうやり方だろう。


862 :人間七七四年:2007/04/30(月) 13:11:27 ID:u7QHJqFS
武田脳ってのは凄いな >>860みたいなのを平気で言う

863 :人間七七四年:2007/04/30(月) 13:37:06 ID:KY3L2uyB
>>862
論破されたら理由も提出せずに平気でこんな事を言うのが織田厨の低脳さ加減。

864 :人間七七四年:2007/04/30(月) 21:37:52 ID:wnM6nrkj
信濃という国をなんだと思っているんだ?
そりゃあたしかに人跡未踏の地など秘境はあるだろうが、そんなところ人間も
おらず人間の活動もないので当然支配もない
村上氏が支配しているのは、山国信濃でも人間が活動している場所のみです。
そして人間がいて外部と交流しているのなら、情報を集めるのは不可能ではない。
これは村上氏や信濃国に限った話ではないがね。

そもそも村上氏の支配圏となる北信濃は善光寺を抱えた人口密集地。経済活動も
活発な開けた土地のはずだが。

865 :人間七七四年:2007/04/30(月) 23:48:16 ID:plgYzrPm
信玄厨は自論に有利な発言なら嘘でも妄想でも吐きまくるからな。
まさに半島人

866 :人間七七四年:2007/05/01(火) 00:07:44 ID:Yp/7BrTb
>>865
何を思うが自由だがそれを書き込むなよな
また不毛な貶し合いが始まるのか…

867 :人間七七四年:2007/05/01(火) 02:16:17 ID:Gr0xM1nV
村上領は野人の住処かよ。

868 :人間七七四年:2007/05/01(火) 02:22:48 ID:rGwxaQ/x
>>864
自分の土地の情報、とりわけ軍事情報を出さないようにするのは、軍事的には常識だったはずだけど。
近代でも、自国の地図は外部に出さないように規制していた重要機密だったし
現代でも衛星による偵察には警戒している。
戦国時代であれば、地図そのものがろくに正確なものが無い。
平野に比べて入り組んでいることは間違いないし、
太閤検地もまだだから、不入の権利もまだ生きていて
しっかりした大名でさえ、隠し田1つ発見できないこともある。
本当にその土地を熟知した人間でなければ、到底正確な地図情報など得られようがない。

この状態で、平野と山地では攻め辛さが違ってくる事は間違いないと思うんだが。
それこそ、山そのものが大きな城や要塞のようなもので、
どこに砦があってどういう守り方をしているかなどは攻め手にはわからない。
地元の人間の道案内があればやりやすくなるが、その為にはまず寝返らせなければならない。
現代でも市街戦のような入り組んだ土地の戦いは、防御側に絶対的に有利だ。

869 :人間七七四年:2007/05/01(火) 02:44:14 ID:2+vpoBSj
人の口まで防げるとでも考えてんだろうか。

870 :人間七七四年:2007/05/01(火) 03:39:44 ID:0+DMjNru
>本当にその土地を熟知した人間でなければ、到底正確な地図情報など得られようがない。
領地の境から軍を全然進められないならともかく、相手の領内に入ればその地域の住民など簡単に生け捕れると思うが。
って言うか、奥信濃はそんなに探索が不可能な広大な地域なのか?
住民以外立ち入りも住民の出入りもできないのか?
なんの妨害もなければ2・3日で踏破でき行き来も可能な地域の情報が
入らないわけ無いだろう。


871 :人間七七四年:2007/05/01(火) 09:02:38 ID:nXUixe8N
あのな、戦前ですら地図に書かれない島や軍事区画が存在してたんだぞ。
軍港などは完全に外部から遮断されて近づく事もできないくらい。
だいたい不入の権が生きてる時代だから隷属化してても村上氏にさえ立ち入れない不明瞭な土地さえあるわけ。
しかも狼煙によって侵入者の位置や進軍スピードさえバレバレなわけ。
盆地に入るまで山岳が天然の要害で内部情報を隠匿するのに役立つし、軍が盆地に入れば今度は退路が絶たれる危険が出てくるのが甲信越での慎重を要する戦いなわけ。
相手を生け捕るったって足軽風情や領民が軍事的な備えを知ってるわけないし、それを詳しく知ってたら領主として失格。
そもそも先祖代々の領民は領土に固執してて、外敵を排除するのに協力するし村に火をかけ強奪するのも知ってるから普通は侵攻軍に協力しない。


872 :人間七七四年:2007/05/01(火) 09:18:03 ID:q4W9LEbr
メモを取るにも紙は貴重だったし気球も双眼鏡もカメラもない時代でしかも外部の人間に対して排他的な時代に山岳渓谷の地でできる情報収集なんてタカが知れてるのに織田厨必死すぎ。
晴信が村上領に詳しく恨み骨髄の真田を起用して離反を招き弱体化させたのは当然の戦略。
山岳戦闘は立体的な戦術を要するので平野での戦いより遥かに難しい。

873 :人間七七四年:2007/05/01(火) 09:40:40 ID:nXUixe8N
外部と経済活動してると内部の土地がわかるとか小学生かw
戦前にアメリカ人は日本と経済交流あったが地図に書かれてないガス施設などの軍事施設は知らなかったぞ。軍港どころか造船所すらよくわからなかったんだよ。
商売すれば領内奥深く侵入できるとか思ってる?

874 :人間七七四年:2007/05/01(火) 09:57:58 ID:VIoOciIU
>地図に書かれてないガス施設などの軍事施設は知らなかったぞ

まず、「海」。
日本の広大さ。

875 :武田アンチ ◆PZGoP0V9Oo :2007/05/01(火) 09:59:20 ID:VIoOciIU
>山岳戦闘は立体的な戦術を要するので平野での戦いより遥かに難しい。


それなら、その難しさを利用して勝てばいいんじゃないの?
難易度は一緒だから結局イーブンだな。


876 :人間七七四年:2007/05/01(火) 10:21:43 ID:ytKlRBxJ
上田原および砥石城の戦いは、
村上が信濃特有の山岳地形を利用して勝利した戦いなのか?

877 :人間七七四年:2007/05/01(火) 10:32:01 ID:Faa8uVcD
信玄の負けを素直に認めたくないからってヘンな理屈こねくりますのは真の武田ファンではない
本物は敗戦にすら萌えるものだ!

878 :武田アンチ ◆PZGoP0V9Oo :2007/05/01(火) 10:50:10 ID:VIoOciIU
武田信玄ってあの、山梨県とかいう過去の偶像でしか食っていけない
馬鹿県が崇めたたえてる雑魚の事。
産業があればそんなのに頼らなくていいのに(w
愛知最強じゃん。三英傑出した。



879 :人間七七四年:2007/05/01(火) 11:10:55 ID:u/Dbkrta
普通戦は重要な拠点をめぐって街道沿いで行うもの。
そんな山奥を通る羽目になるのは潰走時くらいで、それこそ
その地を知り尽くしたやつらは落ち武者狩りをするんじゃないの?

880 :人間七七四年:2007/05/01(火) 11:47:07 ID:FHkl9iYF
普通に上田原の盆地で戦ったのに山岳とか関係無いだろ
戸石の方は間道を利用して追撃されたといわれているが

881 :人間七七四年:2007/05/01(火) 12:07:03 ID:4GjwvhoK
>>871
あのな、軍事活動の一環として軍隊が直接調査するのと、平時にスパイを放っての
情報操作を同一視していないか?

もう一つ、この時代の城というものには一般庶民が入り込める。もちろん最奥などの
機密はそうそう伺いしれないが、それでも構造をある程度庶民から聞き出すことは可能。
なぜなら、この時代庶民の権利の一つとして、戦時には城や砦に避難することが出来た
から。領主サイドもそれが支配者の義務の一つとなっているので、拒否することは出来ない。
もちろん避難してきた庶民はそのまま篭城中の様々な労働力になるわけだが。当然、
防戦にも関わるので、城の防御構造は自然と知りうることになる。

これは日本全国で変わりません。あなたが自説を主張したいのでしたら、まず信濃という
国がこれに当てはまらない特殊な国だったという証明をしてください。山国だからなんて
理由では通りませんよ。同じ山国はいくらでもありますから。

もう一つ指摘すると、あなたの主張では信玄は事前の情報収集もロクに成果を挙げること
なく、そのまま情報不足で戦ったということになり、「慎重で堅実な信玄」というイメージ
すら覆しています。これでは信玄に対する貶しになると思うのだがな。

882 :人間七七四年:2007/05/01(火) 13:14:08 ID:OeSp+VxL
信濃は山国だから、統治するのが難しい。
侵略するにも、統治するにも時間がかかる。
城に常時多くの兵をおいて置くわけにもいかない。
平地の方が、侵略も簡単だし、統治も簡単。
効率が良く、侵略や統治が出来る。
信玄と信長の差が、そこにある。

883 :人間七七四年:2007/05/01(火) 13:17:29 ID:0+DMjNru
>>882
だからそれは敵対している勢力にはお互い様なの。
信長の敵は信長の領地を攻めやすいし。
信玄の敵は信玄の領地を攻めにくいの。
結局プラスマイナス0なの。

884 :人間七七四年:2007/05/01(火) 13:39:35 ID:OeSp+VxL
>>833
50億円で、松本にスーパーを出した場合と
都心に出した場合のリターンを考えればわかるだろう。
リターンの違い。
田舎のスーパー(信玄)が全国規模のスーパーになるのか?

885 :人間七七四年:2007/05/01(火) 13:48:47 ID:OeSp+VxL
信濃は山国だから、統治するのが難しい。
侵略するにも、統治するにも時間がかかる。
だから、当時の信濃は統一されていない。
弱い相手に、信玄が攻めていった。

886 :人間七七四年:2007/05/01(火) 13:48:49 ID:4GjwvhoK
山国だから侵略しにくいというのなら、まだうなずけなくもないがなあ。
なんだよ統治しにくいって。
それと、信長の侵略対象地に山間地がなかったというのだろうか?

887 :人間七七四年:2007/05/01(火) 13:54:09 ID:dn6OgWfL
信玄は統一のされていない弱い相手に領土を広げただけ。

888 :人間七七四年:2007/05/01(火) 13:56:58 ID:OeSp+VxL
尾張:57万2千石/14300
を統一して
美濃:54万石/13500
近江:77万5千石/19375
伊勢:56万7千石/14175
を取った時点でゲーム終了だな。

信長でなくても、京都に近い
日本の主要な所を取った奴が天下を取れる。


889 :人間七七四年:2007/05/01(火) 14:01:10 ID:OeSp+VxL
山国で城や砦がいっぱいあれば、統治しにくいだろう。
反乱が起きれば、鎮圧に時間がかかる。
その間に他国から、侵入されれば大変なことになる。

890 :人間七七四年:2007/05/01(火) 14:38:11 ID:0+DMjNru
>>884
山岳地帯と平地との有利性の話をしてたんだろ?
論点をすり替えるなよ。

891 :人間七七四年:2007/05/01(火) 17:53:03 ID:KwK2UAKs
えらい攻められ様だな。少しカワイソ…(´・ω・`)
状況的には信長もこんな感じだったのかね

892 :人間七七四年:2007/05/01(火) 18:09:52 ID:DWcGH2Rb
>>888
そんだけとったら軽く200万石を超えるわけで、
自力で200万石を超えた大名なんて信長以外には
北条しかいないわな。
そこまで行くのが信長にしかできなかったんだろ。
10万石弱から200万石なんてそう簡単にできることじゃない。

893 :人間七七四年:2007/05/01(火) 18:42:03 ID:fDgafgga
>884
50億円ぽっちじゃ都心にまともな物件は建てられないんだが

894 :人間七七四年:2007/05/01(火) 18:44:16 ID:lpKL4Pmx
秀吉や光秀がもし信玄の立場で生まれたら領土を広げれたのか広げれなかったのか
その辺を考えるのも面白そう
三国同盟さえ結べればあっという間に信濃ぐらいなら統一できそうではあるが・・

895 :人間七七四年:2007/05/01(火) 18:53:43 ID:q0zbWiUa
>だからそれは敵対している勢力にはお互い様なの。
敵対している場合は弱い相手を攻めるだろう、自分より強い相手を攻めるのかw
信玄が義元を攻めるのか?

>信長の敵は信長の領地を攻めやすいし。
>信玄の敵は信玄の領地を攻めにくいの。
よほどのことが無い限り、戦う前に勝負は決まっていますが。

896 :人間七七四年:2007/05/01(火) 18:56:01 ID:q0zbWiUa
斎藤道三がまともな血筋だったら、
織田信秀の時に織田家は消滅していたかもしれないな。

897 :人間七七四年:2007/05/01(火) 18:57:31 ID:Yp/7BrTb
>>896
なぜそう思うんだ?

898 :人間七七四年:2007/05/01(火) 18:59:53 ID:q0zbWiUa
斎藤道三は流れ者だろう。
斎藤道三が土岐源氏の一族に生まれていたら、
織田信秀の時に織田家は消滅していたかもしれないな。

899 :人間七七四年:2007/05/01(火) 19:13:47 ID:+jG/lrrE
>>895
信玄のダメなところは、そのよっぽどじゃないと負けない戦に、何度も負けることだな。

900 :人間七七四年:2007/05/01(火) 19:21:55 ID:q0zbWiUa
>>899
詳しく

901 :人間七七四年:2007/05/01(火) 19:35:58 ID:r28b49mZ
>>899 相変わらずアンチ武田は、武田厨と織田厨を装ってこんな
スレで喚いてるの?謙信や元就なんてただの戦馬鹿と謀略馬鹿でしょうに

信玄が負けた戦??上田原以外に何かあるの?上田原でも信玄本陣は無傷で
撤退はしなかったんだしね。
砥石城での戦いは賛否両論だが、長野業正が立てこもっていた城を攻めた時は
本気で落とすこと考えなかったんじゃないかなあ信玄は。
何せ本来攻略するような地域じゃないしね。

902 :人間七七四年:2007/05/01(火) 19:39:31 ID:r28b49mZ
ちなみに兵力劣勢で信玄は戦ったことないとか抜かしてる無知な連中へ

・初陣の海ノ口城攻めでは寡兵で落城させる
・信虎追放後、甲斐へ攻め込まれた時の信玄の兵力は上州信州勢よりも劣っていた
・信玄と長野業正との直接の戦いであった野戦でも敵の兵力の方が上である。


903 :人間七七四年:2007/05/01(火) 20:10:54 ID:jpQ+ScNj
>>882
そんな不利な土地にいたのに尾張を統一したから信長は凄いということか?

>>885
山国だから統治しやすく攻めやすいと前の方のスレで言われていたと思うが

>>888
信玄も越後や関東の武蔵下総上総上野などを取っていればゲーム終了だな。

>>889
山国が本当に攻め難いなら他国からの侵入なんてそれほどの脅威じゃないんじゃ?

>>895
河越の戦いの前の北条が今川足利を敵に回している時に
北条を攻めるという選択肢もあったかもね
信虎の二の舞になりそうだが。

>>898
土岐家だって16世紀前半にはどれほどの力があったことか
むしろ斎藤家で生まれていた方が凄いことになっていたんじゃ。

904 :人間七七四年:2007/05/01(火) 20:11:38 ID:jpQ+ScNj
>>899
戦略と戦術どちらの面で語っているか分からないが
戦術的に野戦で完全に負けたのは上田原ぐらいじゃないか?
城攻めの失敗を含むのはおかしいし
撤退戦で追撃食らったとかも、戦術目的が撤退である以上負けとするのは妙だし。
葛尾城陥落後に川中島近辺で村上に再度負けた時も信玄はかなり後方にいたから
その戦闘の戦術責任を負わせるのもどうかと思うし。

>>901
上田原じゃ信玄の馬周りどころか信玄自身手傷を負ったと言われているが。

>>902
>・初陣の海ノ口城攻めでは寡兵で落城させる
軍鑑にのみある記述、虎繁のその時期の書状から無かったものと推定されている。

>・信虎追放後、甲斐へ攻め込まれた時の信玄の兵力は上州信州勢よりも劣っていた
軍鑑にのみある記述、他の史料・文書に全く無いことから捏造と言われている。

>・信玄と長野業正との直接の戦いであった野戦でも敵の兵力の方が上である。
そもそも信玄が長野に苦戦して何度か負けたりというのは関八州古禄が初出のはず、
長野が何度も武田勢を大破したというのは捏造の可能性が高い、
多少の善戦はあっただろうけど。

905 :人間七七四年:2007/05/01(火) 20:29:56 ID:d3/zUVXX
>>901
メガトン張りの馬鹿さ加減に吹いたww


906 :人間七七四年:2007/05/01(火) 20:33:08 ID:q0zbWiUa
>そんな不利な土地にいたのに尾張を統一したから信長は凄いということか?
信長がいなくても誰かが統一していただろう。
信長は教養がないから、本能寺で殺された。

>山国だから統治しやすく攻めやすいと前の方のスレで言われていたと思うが
統治しやすいのは地元の国人だろう、占領者側じゃないだろう

>信玄も越後や関東の武蔵下総上総上野などを取っていればゲーム終了だな。
京に近く穀倉地帯の尾張、美濃は昔から重要な地だろう。
関東という辺境の地を取っても、政治的な意味はあまりない。

>山国が本当に攻め難いなら他国からの侵入なんてそれほどの脅威じゃないんじゃ?
勢力比の問題だろう、1対3位なら十分戦えるが、1対10じゃ無理だろう

>土岐家だって16世紀前半にはどれほどの力があったことか
>むしろ斎藤家で生まれていた方が凄いことになっていたんじゃ。
斎藤道三の生い立ちを調べてみろ、歴史を知らなさすぎ。
馬鹿馬鹿しいレスはやめてくれ、時間の無駄だから。
面白い場合はレスするが、どうでもいいことはレスしないからな。

907 :人間七七四年:2007/05/01(火) 20:54:25 ID:DWcGH2Rb
>>906
信長の教養と本能寺の関係が意味不明。

関東はそれほど辺境ではない。
関東から天下をとった勢力はそれなりにあるしな。
関東+甲信駿をとった勢力ならば
上洛はそれほど難しいことじゃないだろ。

908 :人間七七四年:2007/05/01(火) 20:57:05 ID:Yp/7BrTb
>>信長は教養がないから、本能寺で殺された
本能寺の原因が信長が教養ないからというのは初めて聞いた
そんな説あるのか?


909 :人間七七四年:2007/05/01(火) 21:03:09 ID:2+vpoBSj
ティロリロリーン先生並の新説が来るか?ww

910 :人間七七四年:2007/05/01(火) 21:59:13 ID:q0zbWiUa
信長は教養がないから、本能寺で殺された。
馬鹿には、難しいと思うよ。
利口な人なら、わかるだろう。


911 :人間七七四年:2007/05/01(火) 22:09:48 ID:WqOl4fPI
馬鹿ですみませんw
誰か利口な人解説求む


912 :人間七七四年:2007/05/01(火) 22:11:06 ID:g7c+hWhY
王様は立派な服を着ている。
馬鹿には、見えないと思うよ。
利口な人なら、見えると思う。

913 :人間七七四年:2007/05/01(火) 22:12:42 ID:Nbfr8QcB
おれも馬鹿だw
q0zbWiUa先生の解説が聞きたい

914 :人間七七四年:2007/05/01(火) 22:27:51 ID:Yp/7BrTb
もちろん俺も馬鹿ですw
利口なq0zbWiUa先生の解説お願いします
先に言っとくが、馬鹿には理解できないから無理とか言って逃げんなよww
利口な人だったら解説もうまいはずだからww

915 :人間七七四年:2007/05/01(火) 22:30:31 ID:Yp/7BrTb
ホントに利口な人なら
現時点で本能寺のどの説が正しいか断定しないだろうけどねww

↑は馬鹿な俺の意見だから恥ずかしがらずに利口な解説ヨロシクね

916 :人間七七四年:2007/05/01(火) 23:05:39 ID:dM07X0Lw
ていうかさ、上洛なんて無理だろ。
だって史実でしてないじゃん、してないってことはできないからしなかったんだろ。
仮にも戦国大名の一雄である信玄がしなかったんだから歴史学者でもない俺たちが
いくら議論しても正しい方法なんてわかるわけがない。
だいたいどう贔屓目に見ても信玄じゃ天下の器じゃないだろ、無理無理、次スレ立てるなよ

917 :人間七七四年:2007/05/01(火) 23:21:15 ID:A6VH8PWi
天下の器というのがどういうのかは知らないが、
別に天下を取らなくても一時的に上洛して覇権を握った勢力は大内とか
複数いる。
それにこのスレは信玄上洛のほかにも武田と織田についてのさまざまな話題を
総合的に取り扱っているのであってもいいと思うが。

918 :人間七七四年:2007/05/01(火) 23:34:06 ID:q0zbWiUa
信長は教養がないから、本能寺で殺された。

ヒント 安土城

919 :人間七七四年:2007/05/01(火) 23:42:56 ID:2+vpoBSj
本能寺の変と安土城と教養の関係がまったく繋がりませんがww

920 :人間七七四年:2007/05/01(火) 23:53:00 ID:Nbfr8QcB
>>918
さっぱりわからん
q0zbWiUa先生の解説は難しすぎだぜ
本能寺から安土城まで飛躍しすぎw

921 :人間七七四年:2007/05/01(火) 23:57:03 ID:Yp/7BrTb
>>918
安土の天主が天皇行幸の際のための屋敷を見下ろしている形となっている
=信長が天皇・朝廷を軽視している=教養がない=勤皇の志士が本能寺…

>>918は言いたいわけか?
テレビに影響されたんだろうなww
確かそんな内容の番組俺も2回ほど見たことあるわww




922 :人間七七四年:2007/05/02(水) 00:01:12 ID:Yp/7BrTb
q0zbWiUa先生よヒントだなんてまどろっころしい真似は止めて、
ちゃんとした解説(先生の自説?)しろよなww

まさか終始小出しに適当なヒントを出し続け、
最後に「これでも分からんのか馬鹿どもはww」とか言ってうやむやにして
逃げるのはなしだぜww

923 :人間七七四年:2007/05/02(水) 00:24:18 ID:fDP4tCKd
>>921
ばか者。
先生がそんな今時中学生でも信じないような
トンデモ説を偉そうに語るはずがなかろう。




924 :921:2007/05/02(水) 00:36:25 ID:RN1exCMy
>>923
すんません、一時でも先生を疑ってしまった自分が恥ずかしいです。
でわ先生の解説を静かに待つとしましょう。

925 :人間七七四年:2007/05/02(水) 01:40:27 ID:yMITHMcl
ところで、安土は政治的な意味合いで建てた城で、詰めの城は観音寺城の方だよね?
信長の屋敷は観音寺のふもとにあったわけだし。

926 :人間七七四年:2007/05/02(水) 03:14:38 ID:cJ7b4OHu
光栄も戦国時代のゲームはもういいから、室町時代や鎌倉時代とかでゲーム作って欲しいな

927 :人間七七四年:2007/05/02(水) 07:00:43 ID:dvOoEKb1
>>907
関東なんか未開の蛮地だろ
中央である畿内の信長は文明人、信玄は縄文と
変わらないレベルの地域の酋長

信長>>>>>>>>>>>>信玄
西国>>>>>>>>>>>>東国
おれ>>>>>>>>>>>>東京の田舎者

928 :人間七七四年:2007/05/02(水) 07:22:17 ID:n11v8kgn
>>927とりあえず一番下はねーよww

929 :人間七七四年:2007/05/02(水) 09:02:54 ID:abKJU1vW
織田厨毎日深夜帯まで必死だな。屁理屈の限りを尽くして不利な事は黙殺し自演連打で多数派工作して織田厨レスの津波後に話をそらすw


930 :人間七七四年:2007/05/02(水) 11:17:28 ID:Q6utwsOH
q0zbWiUa先生=abKJU1vW先生ですか?

いえいえ話をそれしているのではなく、
先生が説明してくれないので、みんなは別の話題になってしまっただけです。
先生からご説明頂けるなら喜んで話を戻しますよ。
さあ、信長の教養と本能寺の変の関連のご説明をお願い致します。

931 :人間七七四年:2007/05/02(水) 14:36:09 ID:RN1exCMy
結局q0zbWiUa先生は俺が>>921で書いたトンデモ説の信者に過ぎなかったのか…
で、>>929がq0zbWiUaなら>>922で書いたとおりの展開で逃げる事になるんだなww



932 :人間七七四年:2007/05/02(水) 14:44:17 ID:ohS8vFgA
ヒント 信長の出自

933 :人間七七四年:2007/05/02(水) 14:50:18 ID:n11v8kgn
>>932越前の神官だったか。

934 :人間七七四年:2007/05/02(水) 18:45:32 ID:a6fkAnb8
神官だと教養が無いのかw

935 :人間七七四年:2007/05/02(水) 19:27:24 ID:Qt7YVRfv
こんな珍説はこっちが震撼するわ

936 :人間七七四年:2007/05/02(水) 19:50:44 ID:5G/yeC4h
神官出自無教養説は新しいよ。
先生、是非詳しく解説してくださいw

937 :人間七七四年:2007/05/02(水) 21:30:12 ID:UsJJj/Lt
49スレまとめ

>1-16 テンプレ

>17-66コピペや山本勘介についてなど
>67-73信玄の情勢判断
>74-97信玄の城攻め野田城攻めの目的
>98-125信玄が織田と戦ったのは何故か・信長の生涯での危機的状況はいつか

>143-167川中島の勝敗とその目的
>182-212長篠の戦いの戦死者・川中島の戦い・武田の戦った大名
 >230戦死者一欄
>212-296長篠の戦いの戦死者・鉄砲の運用
 >232多聞院日記記述 >235長篠日記
>236-249世間の戦国大名認識

>301-347信玄の信長への外交 信長の信玄への外交
 >317-332織田本願寺1571年の和睦
 >333-347何故信玄は信長との同盟を破ったか
>350-351三方ヶ原合戦はおびき出しでは無い
>352-367上洛したら信玄はどんな政治を行ったか・信玄の政治

>373-428三国同盟破棄の理由・甲尾同盟の影響
 >377駿河攻め年表
>373-439仁科盛信の能力・武田攻め・高遠城
 >406信玄信長への低姿勢の書状ソース・1571年織田本願寺和睦ソース
 >407駿河攻め年表ソース・1571年織田本願寺和睦ソース
 >408駿河攻め年表ソース
 >410甲越和与年表ソース・1571年織田本願寺和睦ソース・小幡信尚謀反ソース
 >414訳
 >422>425「信長公記 巻十五 天正十年壬午」「信州高遠の城、中将信忠卿攻めらるゝの事(1)」訳
 >426高遠城で取られた武田方の首一覧
 >427遠山氏は武田に属しているソース
 >428駿河攻め年表ソース・武田斉藤間書状ソース

>429-434春日山城
>438-452西上戦目的
>450-468中山道経由
>472-531 >544-554三方ヶ原の戦果 
>554-625徳川を滅ぼすのにどれだけかかるか・吉田城を落とせるか

>626-720織田と同盟を続けた場合の長所短所
 >627-662織田長宗我部の関係
 >657-716織田に従属するとどうなるか
 >671-707家中権限
 >677-688金ヶ崎退陣
 >708-720織田の姻戚関係

>716-736武田は何故織田を裏切ったか
>741-748徳川取りこみの可能性
>749-789勝率・戦争の意義と効果・遠江侵攻
>790-803大名の家柄
 >802仮名目録追加二十条

>816-846甲陽軍鑑
>831-904信玄の能力と敗戦・山地と平地の有利不利

938 :人間七七四年:2007/05/03(木) 03:41:39 ID:OH4uUGlZ
先生はまだかなあ。

939 :人間七七四年:2007/05/03(木) 11:47:08 ID:bR82ebic
先生来ないね
困ったね
話題を変えると「都合が悪くなると織田厨が話題をそらして・・・」
とか言われちゃうし
コピペ荒らしも使わずに一つのスレを潰すなんてなかなか出来ない技ですよ、先生

940 :人間七七四年:2007/05/03(木) 15:26:23 ID:s+qv7Ukw
先生マダー

941 :人間七七四年:2007/05/03(木) 20:58:22 ID:ZvpTXbrj
7月26日はPS3にとっての川中島
http://ex22.2ch.net/test/read.cgi/ghard/1178188654/16

16 名前:名無しさん必死だな[] 投稿日:2007/05/03(木) 20:05:49 ID:43JEnSAb0
川中島って5回も合戦して勝負がついてないんだが、1はどういう意味で立てたんだ?

天王山なら話はわかるんだが

やっぱりゲハは歴史に疎い低学歴ばっかだからそんなことにすら気がつかないのか






大爆笑wwww

942 :人間七七四年:2007/05/04(金) 09:09:48 ID:vMXTjyPX
×箱とPS3がショボイ泥仕合をしている間にwiiが巨大勢力を築いてしまう。
そんなとこじゃね?もっとも天下を取るのは秀吉(DS)だろうけど

943 :人間七七四年:2007/05/04(金) 13:24:27 ID:Be0iGjCW
先生の解説マダー?話が進まないんだけど

944 :人間七七四年:2007/05/04(金) 16:52:43 ID:XA2RQa6d
先生は敗走しました。
これからもこのスレで戦国の世を楽しんでください。

945 :人間七七四年:2007/05/04(金) 16:59:14 ID:t/XasG1B
織田信長は・・・

946 :人間七七四年:2007/05/04(金) 17:31:47 ID:Ct9dvBb1
とりあえず先生の論をまとめると、


・先祖が越前の神官出身である信長は教養が無い。(※編者注・神官出身=無教養についての関連は詳しくは不明)
これは安土城を建設した事で明白である。(※この事例についても同様である)


・関東は辺境の地であり支配しても政治的に無意味(※関東諸大名否定じゃ・・・)

50億で松本にスーパーを出した信玄と都心に出した信長は違う(※信玄が50億スーパーなら信長って個人商店レベルじゃ・・・)

・平地の方が侵略も統治も簡単であり、山地は侵略も統治も難しく、それを侵略し、統治した信玄が上である。(※すぐ後に書いてある反論にまともに返されたらどうですか・・)

・斎藤道三が土岐家に生まれていれば織田信秀の代で潰えていただろう(※あの〜、そんなバカ仮定すると先生の為になりませんよ・・)

・私の説が理解出来ない者は全員が馬鹿であり、私の説こそが歴史の真実である(※おお、もう・・・)


以上でおk?

947 :人間七七四年:2007/05/04(金) 17:48:39 ID:g8d40jl4
ここで普通に「なら最初から信玄が平地目指せばよい事ジャン」と思ったオレはメガ豚遊びはできないなw

948 :人間七七四年:2007/05/04(金) 17:55:26 ID:t/XasG1B
信長は教養がないから、本能寺で殺された。

信玄は守護大名の嫡男として生まれたので、英才教育(帝王学)を学んで育った。
しかし信長は守護代の家老の家の出身。
英才教育を受けることなく育ったので、日本の権力構造を理解していなかった。
よって暗殺によって殺された。
日本の権力構造を理解していないから、暗殺される可能性は非常に高かった。

949 :人間七七四年:2007/05/04(金) 18:12:10 ID:MWKfHt+T
>>948
先生か?

950 :人間七七四年:2007/05/04(金) 18:15:19 ID:l6iIikRN
>>948
守護代の家老よりも低い家柄出身の秀吉と家康が暗殺されなかったのは何故?

伊達輝宗(守護大名とするには難あり?)、今川氏輝(疑惑)、大友義鑑、大内義隆
などは守護大名家の嫡男ですがその死に様は如何?

951 :人間七七四年:2007/05/04(金) 18:16:03 ID:ClY0Jn8y
信長は暗殺されてないしW

952 :人間七七四年:2007/05/04(金) 18:19:14 ID:t/XasG1B
壬申の乱の時でも美濃は重要な場所。
尾張や美濃を制した者が、国家統一を成功させる可能性が高い。
それが、信長でなくても。
信長マンセーは無意味だと思うが。

953 :人間七七四年:2007/05/04(金) 18:21:50 ID:t/XasG1B
秀吉と家康は、信長が殺されたことによって
日本の権力構造を学んだと思うよ。
徳川幕府が良い例。

954 :人間七七四年:2007/05/04(金) 18:41:40 ID:Ct9dvBb1
>>952土岐や斎藤の立場は・・・
というか権力構造権力構造連呼してる本人が一番わかって無いように思える。

955 :人間七七四年:2007/05/04(金) 21:12:34 ID:Dvbz4BSs
>信長が旧今川領併呑に固執していたら、武田北条と直接対峙することになって上洛は史実より遅れまくった(あるいは不可能になるかも)だろうね
 そこで東方をスパっと見切って徳川に一任したのが慧眼
 東方さえ安定化すれば、西は統一的支配者を持たず豪族や一揆が乱立する伊勢のみで北に全戦力を集中できる
 対して信玄はごく晩年まで多方面に敵を作るということを続けていた。だから中小豪族を屈服させるだけで十数年もかけてしまった
 この差が露骨なほど獲得領土に現れている(信玄が生涯百万石に対して信長八百万石)


大爆笑!!↑↑こういうマヌケな解釈してるから世間から信長厨は馬鹿にされるんだよねえ。
あさはかな解釈をすればする程逆に信長の評価を落とすということに全然気が付かないアホさ加減
はマジで笑えるwww
信玄は家督を継いだ時から周囲は強敵揃いであり、婚姻同盟を駿河と結んでたから必然と当時は信濃
だけが攻略地域であるということが何故理解出来ないんだろうか?
へタレの信長が石高を信玄より多く増やせたのは地理的な要因(甲斐よりも遥かに京に近い)と周囲が
雑魚敵ばかりということだけだね。
そもそも今川方面なんて東に戦略打ち立ててもそもそも意味が無い、攻めにくいはずの美濃を攻略してるあたり
最初から天下への野心があったからの行動であることは明白、もしくは経済的に美濃の方が三河方面より優れていた
と理由などね、おまけに道三死後斉藤家とは同盟関係破棄になってるしね


956 :人間七七四年:2007/05/04(金) 21:17:44 ID:Ct9dvBb1
同盟結んじゃ破り結んじゃ破りを繰り返し嫡男ぶち頃し、さんざん好き勝手に暴れ、
「じゃ、後は頑張って〜wwワシ好き勝手に暴れたからもういいわwwあ、できれば瀬田に旗立ててくれww」

勝頼「ちょ、おまwwww」

957 :人間七七四年:2007/05/04(金) 21:18:17 ID:Dvbz4BSs
信長厨は信長にしか興味が無いあまり、他の大名のことに関して全く無知であることはみんな
認識してるんだよ、みーーーんなね(笑
対して他の大名(ここで言えば武田好き)の人間は、普段から信長や秀吉家康などに対する一定
の知識を抱えながら、武田に関しても理解してるわけである。
ちゃんと両方の認識がある側の人間の発言の方がよほど信憑性があり、説得力があるわけだね。

958 :人間七七四年:2007/05/04(金) 21:21:05 ID:fVZokc1J
>>955
婚姻同名結んでいた諏訪に、一番最初に襲い掛かったことも知らないのか?(笑

959 :人間七七四年:2007/05/04(金) 21:23:06 ID:Dvbz4BSs
へ タ レ の 織 田 信 長 と い え ば ^▽^

アホのように信玄に貢物を送り続け、へタレの方から信玄に媚びてきたくせに
信玄が一方的に同盟を破棄したからどうだっての?
まあ比叡山焼き討ちなんて馬鹿なことをするからああいう目に会うんだよへタレはね。


960 :人間七七四年:2007/05/04(金) 21:26:44 ID:Dvbz4BSs
>>958 だーかーらー、力が違うだろ今川と諏訪とでは(笑
ほんとに頭が大丈夫か?信長厨っていうのは。
当時今川は北条とも同盟関係にあったりしてるから、信玄が南や東に
戦略を打ち立てるわけないだろ

961 :人間七七四年:2007/05/04(金) 21:32:57 ID:U+M12NPn
筋トレでもやってろよ

962 :人間七七四年:2007/05/04(金) 21:38:44 ID:Ct9dvBb1
>信長厨は信長にしか興味が無いあまり、他の大名のことに関して全く無知であることはみんな
認識してるんだよ、みーーーんなね(笑
対して他の大名(ここで言えば武田好き)の人間は、普段から信長や秀吉家康などに対する一定
の知識を抱えながら、武田に関しても理解してるわけである。
ちゃんと両方の認識がある側の人間の発言の方がよほど信憑性があり、説得力があるわけだね。


お前が言うなよww厚顔無恥って言葉を知らないのかww


>当時今川は北条とも同盟関係にあったりしてるから、信玄が南や東に
戦略を打ち立てるわけないだろ



同盟関係だった今川を攻めたのはどこの誰でしたかねwwしかも嫡男まで殺しちゃってさww

963 :人間七七四年:2007/05/04(金) 21:51:42 ID:Dvbz4BSs
>>962  まさしくアホ、キャハハハハハハハハ

義元死後の今川をどうしろっての?凡将の氏真を支持して援助して何が
やりたかったの?義信は、父信玄に逆らってクーデターを起こしてその後
何がやりたかったの?義信は
あのまま今川を野放しにしておけば、どこかに攻め取られる前に先にと信玄
が考えるのは当然だと思いますね、そもそも先に信玄は義元の正室を今川に
送り返してるが、アホの氏真は塩止めなんていう、残忍かつ成功しようのない
方法で信玄に敵対してましたね

964 :人間七七四年:2007/05/04(金) 22:04:05 ID:Dvbz4BSs
>>963

訂正、義元の正室じゃなく義信の正室

965 :人間七七四年:2007/05/04(金) 22:06:50 ID:QuT6PKwe
信長の死因は暗殺じゃないのに、
暗殺と言う事についての説明は?

966 :人間七七四年:2007/05/04(金) 22:11:18 ID:nn0W2Jq5
信玄の神の戦略を理解できないなんて信長厨の無知ぶりに笑えるね〜ww
無知ぶりが知れるからここにレスしない方が良いと思うぞwwww

967 :人間七七四年:2007/05/04(金) 22:47:07 ID:9ZnoFo1g
神の戦略を持ってしてあんだけか?他がかなり劣ってたんだなwww

968 :人間七七四年:2007/05/04(金) 22:54:11 ID:Ct9dvBb1
>>966疫病神か貧乏神の間違いだろ・・・

969 :人間七七四年:2007/05/04(金) 23:01:36 ID:QuT6PKwe
結局「本能寺の変は信長の無教養が原因説」は
本能寺の変は暗殺だったと言う先生の妄想が生んだ
トンデモ説だったと言う事でOKなのですかね?


970 :人間七七四年:2007/05/04(金) 23:04:16 ID:vH4H6JVe
封建専制君主信長指揮下の常備軍
支持母体が豪族国人衆連合の信玄の下になる農民兵

自分自身の命を賭けるならどっちにする?

971 :人間七七四年:2007/05/04(金) 23:09:46 ID:Dvbz4BSs
生涯70戦の信玄は、本来であれば簡単に織田徳川を滅ぼせたが、不運にも病死にあいました。
一方へタレの信長ちゃん^▽^は、無駄に150戦も費やし天下を取れず家臣に謀殺されるという
マヌケぶり

972 :人間七七四年:2007/05/04(金) 23:13:19 ID:QuT6PKwe
先生、信玄公も70戦して天下を取れていません。
信玄は70戦だからマシなのでしょうか?
50歩100歩ならぬ、70戦150戦でしょうか?


973 :人間七七四年:2007/05/04(金) 23:27:52 ID:nn0W2Jq5
>>972
信玄が運悪く病死した体バーーーカw
半年寿命が長ければ余裕で天下を取ってましたよwww

974 :人間七七四年:2007/05/04(金) 23:32:30 ID:QuT6PKwe
>信玄が運悪く病死した体バーーーカw
先生、日本語でお願いします。


975 :人間七七四年:2007/05/04(金) 23:53:27 ID:l6iIikRN
運悪くもなにも、信玄は若いころから病弱で何度も病臥したことが記録に残されている。
最後の遠征ですら、当初はもっと早く発つ予定だったのが、信玄本人が倒れて延期。
病み上がりでそのまま越冬遠征をいう無理を重ねた結末があの病死。
流行病で倒れたというのなら運不運も言えるが、この有様では当然の結果というか、むしろ
54歳というのは長生きした方とみるべきで。

よく「信玄があと○○年寿命があれば〜」というが、寿命を延ばせる可能性はあった。
それは戦争に出ないこと。あの最後の無理さえなければ、半年や一年くらいは長生き
したと思うよ。跡目を譲って隠居、後見として政務からも遠ざかればさらに可能性アップ。
勝頼の家督権力も確立されて武田家にとってははるかに有益だったろう。

976 :人間七七四年:2007/05/05(土) 05:01:23 ID:CMsBpd/Q
またメガブタが大暴れか

977 :人間七七四年:2007/05/05(土) 06:51:45 ID:45IrPgcK
>>970
>封建専制君主信長指揮下の常備軍
これ、釣りだよね…???

978 :人間七七四年:2007/05/05(土) 10:46:18 ID:C2zhTz5f
豚はコテハンもトリップも付けて無くても判るのが凄いw

979 :人間七七四年:2007/05/05(土) 11:31:38 ID:rxsRwk8N
わざと「みんなが嫌う信玄厨」の典型を演じているんだろうw
こんな塵になっちゃいけません!という使命感のある人なんだよ

980 :人間七七四年:2007/05/05(土) 12:54:46 ID:P/MEQjum
>>962
信玄厨こそが全くの無知であるよな、武田についてさえ。
メガみたいな荒し紛いは勿論、
それ以外の人間もソースがwikiだったり、人の話しを聞かない人間だったり・・・

981 :人間七七四年:2007/05/05(土) 14:24:44 ID:vmnJPugR
下手糞な外交戦略から招いた様々なマヌケな行動ばかり行ってる信長を神格化している信長厨が無知だと
いうのは世界的な認識です。
無駄に150戦も戦に明け暮れるわ、一向宗と無駄な争いばかりするわ







負け戦が29もあるんだって?^▽^

982 :人間七七四年:2007/05/05(土) 14:37:20 ID:7GPku/tL
親子三代一向衆と戦い続けた長尾さんちがお怒りです。

983 :人間七七四年:2007/05/05(土) 15:21:06 ID:9Zz25ZZS
一向宗に媚売って、ただでさえ少ない直轄領を寺社に寄進した信玄の苦労を察してやろうよ
勝てない相手とは戦わない。それが孫子の真髄の一つ

984 :人間七七四年:2007/05/05(土) 16:26:15 ID:W7Oh3A19
>>980
そっくり織田厨にもあてはまるがな。

985 :人間七七四年:2007/05/05(土) 16:33:12 ID:P1sBpqpa
下手糞な外交戦略から招いた様々なマヌケな行動ばかり行ってる信玄を神格化している信玄厨が無知だと
いうのは世界的な認識です。
無駄に70戦も戦に明け暮れるわ、謙信と無駄な争いばかりするわ


986 :人間七七四年:2007/05/05(土) 16:38:15 ID:W7Oh3A19
>>985
信玄厨というのは世界的に認知されていたんだな、はじめて知ったよ。
百万石以上に領土広げても無駄に70戦なのか、戦国大名の大半の戦は無駄だな。
謙信との戦いもちゃんと信濃はとってるのになにをもって無駄というのか。
下手糞な外交戦略とか間抜けな行動ばかりって?
包囲網しかれてひいひい言う羽目になった信長のこと皮肉ってるの?
君は信玄を無駄に貶めすぎだと思うがね。

987 :人間七七四年:2007/05/05(土) 16:45:39 ID:iV25H/jZ
>>969
本能寺の変の原因は何ですか?

988 :人間七七四年:2007/05/05(土) 16:45:57 ID:P1sBpqpa
四百万石以上に領土広げても無駄に150戦なのか、戦国大名の大半の戦は無駄だな。
一向宗との戦いもちゃんと勝ってるのになにをもって無駄というのか。
下手糞な外交戦略とか間抜けな行動ばかりって?
包囲網しかれてひいひい言う羽目になった信玄のこと皮肉ってるの?
君は信長を無駄に貶めすぎだと思うがね。

989 :人間七七四年:2007/05/05(土) 16:48:10 ID:7GPku/tL
謙信との戦いもちゃんと信濃とってる

包囲網との戦いもちゃんと浅井朝倉本願寺三好足利らを打ち破っている
という事になるんだけどなあ・・・・

990 :人間七七四年:2007/05/05(土) 16:48:41 ID:W7Oh3A19
さっき書き込んだばかりなのによく俺が
>>信長を無駄に貶めすぎだと思うがね
なんて思えるな。
俺が無駄に150戦なんて一言もいってないんだが。
的外れなオウム返しは結局自論を展開できないことを認めているようなものだぞ。
もともと君のレスに答えたものだろうに。

991 :人間七七四年:2007/05/05(土) 16:50:00 ID:7GPku/tL
>>987朝廷黒幕説から羽柴黒幕説、羽柴明智徳川共謀説から果ては信長自殺説や宣教師黒幕説までありますがね。

992 :人間七七四年:2007/05/05(土) 16:50:35 ID:W7Oh3A19
>>989
そう思うなら謙信との戦いを否定するのはおかしいといっている。
どちらも成果を挙げているのに
信長の戦いは無駄でなく、信玄の戦いは無駄なんてのは贔屓にすぎない。

993 :人間七七四年:2007/05/05(土) 16:54:26 ID:P1sBpqpa
>>992
>信長の戦いは無駄でなく、信玄の戦いは無駄なんてのは贔屓にすぎない。
私は、>>981の内容に対して信長の150戦が無駄だと言うなら信玄の70戦も無駄でしょ?
という皮肉で書いているのを、横入りするからややっしくなるんでしょうが。

どちらかだけ無駄なんて思ってないよ。

994 :人間七七四年:2007/05/05(土) 16:55:51 ID:7GPku/tL
>>992別に俺は否定はしないけどなー。他の奴は知らんが。まあ、>>971>>963>>960>>959>>957>>955
とかのような釣りにしても人としてどうかと思えるような奴にも言ってやってくれ。

995 :人間七七四年:2007/05/05(土) 16:56:48 ID:W7Oh3A19
悪い、スレの最後だけ見てた。失礼。

996 :人間七七四年:2007/05/05(土) 17:08:21 ID:Eo3NqRGh
次スレよろ

997 :人間七七四年:2007/05/05(土) 17:10:57 ID:a8ysoIfL
教養無いから死んだ信長についての解説は?

998 :人間七七四年:2007/05/05(土) 17:14:48 ID:iV25H/jZ
>>969
本能寺の変の原因が朝廷黒幕説であれば、
信長の無教養が原因でいいのでは。

999 :人間七七四年:2007/05/05(土) 17:18:05 ID:W7Oh3A19
悪い、立てられなかった、別の人お願い。

1000 :人間七七四年:2007/05/05(土) 17:27:01 ID:qps+ElPs
釣り氏を相手するバカのおかげでクソスレとして終了

1001 :1001:Over 1000 Thread
      /    `ヽ、
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      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
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.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
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