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【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ11【東軍】

1 :人間七七四年:2007/04/11(水) 01:09:54 ID:H/ruUCBY
130年あまり続いた戦国時代晩期の合戦である「関ヶ原の戦い」。
東西両軍合わせて20万人もの動員を繰り出した、想像を超える大規模なものだったにも関わらず
わずか数時間の戦闘で勝敗が決したという希有な戦い。
全国津々浦々から名立たる武将・智将が一同に会した、戦国屈指のドラマ「関ヶ原」を
あらゆる角度から検証するスレ第十弾です。

過去ログ
関ヶ原の戦い総合スレ
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1106458926/
関ヶ原の戦い総合スレ2
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1108139654/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ3【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1124859382/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ4【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1127129116/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ5【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1129471584/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ6【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1135858991/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ6【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1142346577/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ8【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1145149465/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ9【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1149346897/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ10【東軍】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152870727/

2 :人間七七四年:2007/04/11(水) 01:53:52 ID:46nSS7uX
死ぬ前の最後の2get
そして人生最初の2get

3 :人間七七四年:2007/04/11(水) 05:47:47 ID:ihGR2+jb
恥の上塗り・毛利系統晒しスレ継続乙

4 :人間七七四年:2007/04/11(水) 20:26:38 ID:2F3qu3IP
水野忠重をぶっ殺した加賀井重望を討ち果したのに勘違いした水野家の家来たちに攻撃され塀を飛び越え逃げ出した
堀尾吉晴さんのその後を教えて下さい

5 :人間七七四年:2007/04/13(金) 01:50:48 ID:CC/XEYjx
石田三成が勝っていたら秀頼を意のままに操り、石田家は執権として居座っていたな

6 :人間七七四年:2007/04/13(金) 17:03:26 ID:DwKQp7/c
関が原といっても
東軍の徳川軍主力(秀忠軍)・東軍2位の前田軍・3位の伊達軍
西軍最強の上杉軍・毛利輝元軍・3位島津軍のほとんどがいないという
副主力軍同士の戦いだった
家康もここが西軍との戦いの天王山だと思わなかったんじゃないの
秀忠と合流後に最終決戦があり
関が原は序盤戦かと

7 :人間七七四年:2007/04/13(金) 17:07:06 ID:DwKQp7/c
関が原の戦い→大坂城攻防戦→上杉軍と北関東での決戦→毛利征伐
でやっと天下がてれる


8 :人間七七四年:2007/04/13(金) 18:45:02 ID:y5LyJX/3
これが中二病ってやつ?

9 :人間七七四年:2007/04/13(金) 23:27:05 ID:fw+q1YmZ
>>5
最大兵力で本戦を支えた宇喜多秀家には頭上がらないから

10 :人間七七四年:2007/04/13(金) 23:47:48 ID:NmkArads
西軍が勝ったとして、東軍の処置はどうするんだ?

11 :人間七七四年:2007/04/14(土) 17:05:59 ID:okWWd+7t
>>10
豊臣譜代の諸大名は領地を削って、中央の統制強化。
あとは伊達とか関東方面の中小大名潰して家康包囲網作るとか?

徳川家の直轄領削るのはなかなか難しいかと。
徳川、前田居ないと今度は西国大名の力が強くなりすぎるし。
…毛利と対立して再び追放される三成が見えます。

12 :人間七七四年:2007/04/15(日) 19:10:31 ID:coyHvxE9
教えて下さい
関ヶ原にいた七手組に福島らが攻めかかったとしたら主家の部隊に弓引いたことになるので
三成と武断波の私闘は成り立たなくなるのではないのでしょうか?

13 :人間七七四年:2007/04/15(日) 20:23:28 ID:Jk/8GOPz
>>12
七手組云々をいうなら、三成・長束は豊家の家老職なんだから、
東軍側に布陣した時点で主家に弓を引いた形になると思うが。

逆心奉行に一味した七手組を討つという理屈で問題ないだろ。


14 :人間七七四年:2007/04/16(月) 00:15:04 ID:uG93xOBd
豊臣本軍って、西軍側に何百位居たんだっけ


15 :人間七七四年:2007/04/16(月) 01:35:44 ID:NJ3iXBzm
1千くらい
織田信高や糟屋武則と同じ場所に布陣してる

16 :人間七七四年:2007/04/18(水) 22:44:56 ID:dj2/EopS
今NHK見た
伊勢湾で暴れまわったのって九鬼水軍だけじゃなかったんだね
ところで村上水軍が攻めた伊勢の城ってどこ?

17 :人間七七四年:2007/04/22(日) 17:50:59 ID:8FeJ3Vje
岩出城だよ

18 :人間七七四年:2007/04/23(月) 02:16:26 ID:D/RFXUmJ
島津の援軍の武将の名前を教えて下さい

19 :人間七七四年:2007/04/26(木) 19:25:30 ID:wPAhxYpM
09年の大河は「天地人」=NHK

NHKは26日、2009年の大河ドラマで「天地人」を放送すると発表した。
原作は、戦国時代を舞台にした火坂雅志さんの同名小説。
番組では、上杉景勝の家臣でありながら、豊臣秀吉がほれ込み
徳川家康が恐れたという「義」の人、直江兼続の生涯を描く。
配役は、今後人選を進める。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070426-00000129-jij-soci

2009年大河ドラマは「天地人」 主役は直江兼続
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1177580029/

20 :人間七七四年:2007/04/26(木) 20:40:28 ID:OU2yPaBe
08年は何でしたっけ?

21 :人間七七四年:2007/04/27(金) 02:06:31 ID:aztehOtR
つ へうげもの

22 :人間七七四年:2007/05/10(木) 12:50:12 ID:B2LvYw+D
四万の軍勢が約2000人しかいない伏見城を落とすのに十日もかかってる時点で負け決定だろ。

23 :人間七七四年:2007/05/17(木) 18:39:39 ID:8de2LoXh
>>22
伏見城は、大坂城に次ぐ規模だ。
それ考えないと、ダメじゃない?

24 :人間七七四年:2007/05/19(土) 01:11:18 ID:l381X85F
いくら伏見城でも2000足らずの軍勢で四万を防ぎきるのはいくらなんでも無理があるでしょ。それに落とそうと思えば10日以上もかかるはずがない。長文失礼

25 :人間七七四年:2007/05/19(土) 02:24:09 ID:j9z5z2Dk
しかも内側から崩れたんだっけ
身内を人質にされて鳥居を裏切ったんだよな

26 :人間七七四年:2007/05/19(土) 04:26:50 ID:l381X85F
城内にいる甲賀衆の家族を人質にとって裏切らせた。んでもって火をつけた

27 :人間七七四年:2007/05/19(土) 13:03:55 ID:VJFkMUvo
PHP新書 関ヶ原(武光誠) はじめに、より


『豊臣秀吉の政治は、苛政であった。秀吉は庶民から高率の租税を取り立てたり、無理な
朝鮮出兵を行ったりした。

農民も中下層の商工民も、将来に希望のもてない生活を強いられていた。これに対して秀吉らの
大名や一部の豪商は、人々がうらやむ、きらびやかな生活をしていた。

関ヶ原合戦で徳川家康が敗れていたら、支配層は豊臣政権の方針を継続し、庶民を踏みつけて贅沢を
むさぼり続けていたであろう。

しかし、江戸幕府の政治目標は、これと正反対のものであった。江戸時代の支配層は、庶民が
あれこれ工夫して豊かになる事を奨励した。国が富んできても、幕府は租税を安いままにしておいた。

戦いをなくして治安を護り、教育を普及させ、産業を育成、流通路としての街道や航路を整備する。
このような幕府の政策によって農民も商工民も、仕事に精を出して日常生活を楽しむようになっていった。

家康をはじめとする将軍や大名は、武士に倹約を命じた。江戸時代に士農工商と呼ばれる身分制はあったが、
それは職業の区別に過ぎない。

武士身分の者だけが贅沢な服を着て豪華な物を食べているそばで、ぼろをまとった農民や商工民が
食うや食わずの暮らしをしている−こういった風景は、近代以前のヨーロッパではありふれたものであったが、
江戸時代の日本には無い。江戸の町などの料理屋や屋台では、武士が町人の側で町人と同じものを
飲食していた』

28 :人間七七四年:2007/05/19(土) 17:29:29 ID:PiQ4WA20
古代史のおっさんが小遣い稼ぎに書いたものが評価に値するんだろうか。
むごい啓蒙書だ。

29 :人間七七四年:2007/05/25(金) 17:19:06 ID:UzeTAREl
伏見城に島津や小早川が入城してたら決戦場はまた山崎になってたんだろうな

30 :人間七七四年:2007/05/26(土) 07:09:40 ID:OeoSTuNR
明治時代、日本陸軍の参謀がドイツの将軍に関ヶ原に於ける両軍の布陣を見せた所
西軍の大勝と言ったそうです。それ程に完璧な布陣を布いていながらなぜ西軍は負
けたのか?それも半日で。東軍を囲む様に圧倒的有利な場所に陣を布いてはいたが
西軍の中でも大軍(約1万7千)を誇る小早川秀秋が寝返る事まで計算に入れて無か
った石田三成の甘さが西軍敗北の原因だ。家老の島左近や盟友の大谷吉継などは十
分に予測していただけに三成がきちんと対策を講じていれば西軍の勝利は疑うべく
もなかったのだ。ようするにこの大戦は戦う前から勝負は決まっていた。

31 :人間七七四年:2007/05/26(土) 12:55:56 ID:0heCNm25
対策は講じていたんだよ。
家康方に内通していた小早川家の家老に金品を送って、西軍に引きとどめようとしたり、
決戦前夜に勝てば関白にするなどと破格の条件を提示したり、いろいろ手は打っている。
だからこそ、当日東軍につくのをしばらくの間躊躇して、家康を慌てさせることになった。

まあ、結局は順当に東軍についたわけだが。

32 :人間七七四年:2007/05/26(土) 20:29:09 ID:X/R3Bv/c
そんな小早川を大谷が計算通りに予備兵で撃退してる所に
脇坂朽木赤座小川が突っ込んできたのが崩壊の始まりなんだがね。
小早川ではなく、この四将が歴史を動かした。

33 :人間七七四年:2007/05/26(土) 21:10:57 ID:0heCNm25
>>32
いくら一時的に押し返したからといって、
数百の兵で8千の小早川軍を押しとどめ続けるのは不可能。
既に三成の陣も危険的な状態になっていたし、
小早川軍が動いた時点で既に時間の問題だよ。

34 :人間七七四年:2007/05/26(土) 21:21:48 ID:M1HtmxTm
西軍 もうひと波乱を望む派
東軍 保身的

35 :人間七七四年:2007/05/27(日) 00:02:52 ID:b9UfUt/L
西軍は数では勝っているけど、実際戦っているのは東軍より少ないんだなこれが。最初西軍が押してる時に小早川が裏切ったら勝ってたかもね

36 :人間七七四年:2007/05/27(日) 00:24:18 ID:4JM9FQ2k
戦国時代ではありません。移動お願いします。

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1169902053/

37 :人間七七四年:2007/05/27(日) 00:35:51 ID:robEriSn
>>33
狭隘な場所での戦闘だから、数は関係ないよ。


38 :人間七七四年:2007/05/27(日) 08:19:04 ID:b9UfUt/L
なるほど、地形を考えてなかった、、orz
ところで関ヶ原て戦国時代ではないの?

39 :人間七七四年:2007/05/27(日) 09:32:56 ID:OajMhR+n
一般的な歴史区分では安土桃山時代だろうけど、
そこまで区別することが必要とは思えないなあ。

40 :人間七七四年:2007/05/30(水) 19:44:48 ID:oAZA1dNB
>>37
そこまで狭い地形じゃああるまいよ。
仮にそうだとしても大谷側は先頭の者達から戦っていって、500人も死傷すれば全滅だが、
小早川の側は倍の1000人死傷してもまだ7000人いる。
また、小早川側は無理に先頭から戦い続けなくとも、多少は時間がかかろうと、
後の部隊と交代すればよいが、大谷隊にはそのような予備兵力はもはやない。
正に時間の問題に過ぎない。

さらに奇跡的に大谷隊が長時間持ちこたえても、三成隊の不利は覆らない、
そちらの側も時間の問題で、どっちみち小早川が動いた時点でほぼ完全に勝負あり。

41 :人間七七四年:2007/05/31(木) 00:28:05 ID:FgvLvLbN
宇喜多も兵を振り向けて、大谷小早川方面支える必要有ったかな


42 :人間七七四年:2007/05/31(木) 01:10:28 ID:JY6uEbtK
>>40
無茶苦茶な理屈だな。そんなに必死にならなくても・・・

43 :人間七七四年:2007/05/31(木) 06:59:58 ID:7evbhScl
>>40
どこが無茶苦茶です?仮に狭隘な地形で一度に大軍を展開できなくても、
時間が経てば結局は交代の効く大軍を擁するほうが有利なのは当然。
そして三成隊がかなり押し込まれていたのも事実。
まあ、この程度のことを言うのに長文すぎとは言えるかもしれないが。

むしろ、狭隘な地形だから数が関係ないなんてなんて言う方が無茶苦茶かと。

44 :人間七七四年:2007/05/31(木) 18:17:00 ID:dJu8SipY
まあ、横崩れしなければもう少しうまく西軍も退却できたんじゃないの。

45 :人間七七四年:2007/05/31(木) 19:23:51 ID:3RuIGNEy
謎将 島 左近について語ろうぜ!

46 :人間七七四年:2007/05/31(木) 21:06:27 ID:EUzH+3O9
機械じゃないんだから、戦ってるうちに疲れるわな。
堅固な要塞に籠ってるならまだしも、(多少の防御構築物があっても)野戦で
10倍の敵とまともに戦っていつまでも持ちこたえられるって考える方が無理がある。


47 :人間七七四年:2007/05/31(木) 22:00:22 ID:4srrQ+nE
いや六百そこらだけで戦い続けるわけがないよ
平塚とかが率いる本隊または脇坂ら四将がくるまで時間稼ぎでしょ?
まあ結果は本隊が戻る途中に寝返り四将に脇腹突かれて壊滅。
残った奴らはしょうがないから小早川に特攻かけたって感じ?
だから四将が寝返らず機能してくれてたらって話だろ。藤堂京極とはそいつらナシでも拮抗してたし

48 :人間七七四年:2007/05/31(木) 22:28:46 ID:3RuIGNEy
時間稼ぎではないだろ。小早川と戦闘になった時には先鋒として戦っていたし

49 :人間七七四年:2007/05/31(木) 22:29:41 ID:3RuIGNEy
時間稼ぎではないだろ。平塚、戸田は小早川と戦闘になった時には先鋒として戦っていたし

50 :人間七七四年:2007/05/31(木) 22:31:25 ID:3RuIGNEy
連投失礼

51 :人間七七四年:2007/06/01(金) 21:04:28 ID:Xp3H5r5K
>>47
確かに四将が腹背から小早川軍をつくなら、良い勝負になったかもね。
その為の時間か稼ぎということなら意味はあるでしょう。

その場合、勝負の分かれ目は三成隊がどこまで頑張れるかか。

52 :人間七七四年:2007/06/01(金) 23:28:00 ID:7eYxk9kW
三成が日没まで持てば翌日には毛利勢1.5マソが到着するな。
となると吉川くんが堂動くか。

53 :人間七七四年:2007/06/02(土) 06:38:44 ID:e2MJgF7Y
日没までには小早川が裏切った後からでもまだ5・6時間あるから、
普通に考えれば持たないだろうとは思うけどね。
敵の数は約3倍島左近は既に退き、本陣近くまで攻め込まれていたわけだから。

54 :人間七七四年:2007/06/02(土) 11:10:38 ID:QUz8oJr3
吉川の内応て何ナノかなあ。
もし吉川が大津攻めで元康が関ヶ原に布陣してたら不戦の約束なんて果たせないよ。


55 :人間七七四年:2007/06/02(土) 20:24:48 ID:ZF/Z7CbR
>>53
そんな長い時間、合戦続けてると思うのは間違い。

56 :人間七七四年:2007/06/03(日) 07:29:38 ID:9p36JWCC
まあ、普通に考えればそんなに三成軍がもつはずないからね。

57 :人間七七四年:2007/06/05(火) 13:00:07 ID:MNx1A8aR
最近、こんな論文が出ている。

光成準治「関ヶ原前夜における権力闘争-毛利輝元の行動と思惑-」(『日本歴史』707号、2007年)


58 :人間七七四年:2007/06/05(火) 22:55:53 ID:LjhmHaYY
要約よろしく。

59 :人間七七四年:2007/06/12(火) 15:31:02 ID:lzyiCL99
毛利は自分の家を守ることしか考えてないだろ

60 :人間七七四年:2007/06/12(火) 20:34:05 ID:JDM3qDNT
実際元就もそういう風に言い残してなかったっけ?

61 :人間七七四年:2007/06/12(火) 22:47:42 ID:h0jKBfWz
>>59
でも無いようなので取り寄せて呼んでみる。

62 :人間七七四年:2007/06/14(木) 02:22:39 ID:Y8swh9+S
吉川の本当の考えは垂井あたりに西軍をおびき出して東軍に寝返り
袋小路にしてまうことだったと言われている
決戦場が関が原になってしまったために毛利家中で主戦論が高まり
東軍への加担は良くて日和見になってしまった。理由は毛利が徳川を討つ
には絶好の位置取りだったから
さらに仮に大垣城決戦が行われていれば日和見して戦況有利な方に
いつでも寝返ったものと思われる
それにしても西軍は惜しかった。関が原決戦は幻の垂井の戦いの次に下作で
戦術的敗北が政治的敗北に直接つながるほどの惨敗であった
仮に大谷らが小早川の軍勢をうまくふりきり佐和山そのたに撤退していたら
大垣、佐和山、大津に強固な防衛線がしかれしかも戦意あふれる毛利元康が
いるなら毛利は吉川がどうあれ西軍として最後まで戦っていただろう
長期戦の場合は政治工作の勝負となるが家康型有利といえども簡単には
西軍の戦線を消滅させることはできなかったはず

63 :人間七七四年:2007/06/14(木) 02:47:59 ID:l+NNtErp
東からは徳川主力3万8千が西進し、なお多数の予備兵力あり。
上杉は徳川を無視して最上相手に無駄な城攻め。
豊臣家は日和見、黒田如水は九州で西軍に反旗。

さらには東軍には前田100万石もあり。
西軍はもう問題外では・・・

64 :人間七七四年:2007/06/14(木) 02:56:58 ID:ytsg+hy1
つーか、西軍の中核であるべき三成の軍が既に、関ヶ原時点で資金と兵糧が底を尽いていたわけで。
長期戦になればなるほど西軍はどん詰まりだよ。

65 :人間七七四年:2007/06/14(木) 05:38:28 ID:4PGAJ+55
鬼の立花宗茂が何とかしてくれたよ

66 :人間七七四年:2007/06/14(木) 11:56:25 ID:w/ZpIbs+
長曾部は影うすいな〜〜
なんでだ?

67 :人間七七四年:2007/06/14(木) 11:58:16 ID:w/ZpIbs+
つ〜か薄すぎだろ。
もっと活躍できたはず、盛親殿。

68 :人間七七四年:2007/06/14(木) 12:03:36 ID:w/ZpIbs+
ろくに戦闘参加もせず土佐22万石没収は酷すぎるよな。

69 :人間七七四年:2007/06/14(木) 18:54:29 ID:skHppssD
誰と話してるんだ?

70 :人間七七四年:2007/06/14(木) 20:53:50 ID:Y8swh9+S
>>63
総兵力なら東西にそれほど差はない
西軍にも大津、田辺、大阪に相当数がおり、毛利輝元もそこそこ戦意があり
毛利元康はそれ以上だった。石田対徳川なら確かに不利だが毛利対徳川なら
十分に勝機はあった
まあ関が原に布陣した吉川だけでなく秀元の戦意も実は?で垂井の戦いに
なってりゃ南宮山全体が多分東軍に寝返った可能性も十分ある
そうなった場合は三成らだけが崩壊して毛利本家も安泰だったかも

71 :人間七七四年:2007/06/14(木) 21:47:36 ID:Lcq8FJai
秀元はそれなりに戦意はあったみたいだね。


72 :人間七七四年:2007/06/14(木) 22:22:35 ID:w/ZpIbs+
土佐の一領具足なめたらあかんぜよ。

73 :人間七七四年:2007/06/14(木) 22:25:55 ID:w/ZpIbs+
日和見な毛利などあてにならず・・・
毛利など戦意はあったかもしれんが、やるき無しの烏合の衆。

74 :人間七七四年:2007/06/14(木) 23:33:27 ID:skHppssD
>>67
長曽我部は後ろに毛利、吉川がいるから動けなかったんよ

75 :人間七七四年:2007/06/14(木) 23:39:53 ID:Y8swh9+S
>>73
最初から毛利に戦意が無ければ負けが決定している戦。
毛利、特に輝元が総大将にふさわしい力量を発揮してようやく
応仁の乱アゲインが実現する。西軍に永続的に天下を治める力量などない


76 :人間七七四年:2007/06/15(金) 11:01:56 ID:0YhZs8dL
最初から毛利に戦意がなければ総大将にはならない。
毛利家中総力をあげての出陣、まあ違う方向いてる椰子もいたけど。
戦費だけでも膨大なはずで、当時としては何らかの思惑があったはず。
輝元の能力不足と言えばそれまでだが、結果としてロクニ戦わずに大坂
退去して大減封なんで、やる気なしなんて言われてるだけ。

77 :人間七七四年:2007/06/15(金) 16:08:58 ID:j4P31xNU
輝元の大阪退去を止める家臣はいなかったのかね?
秀頼を手放すのがどれほど危険か分からないバカばかりだったのか毛利は

78 :人間七七四年:2007/06/15(金) 16:22:50 ID:wruZJ9vH
今更徳川に反発しても無駄だと思ったんじゃないの?

79 :人間七七四年:2007/06/15(金) 17:31:21 ID:R1hePXpV
つーか、西軍には無関係、を押し通そうとしていた大阪城の豊臣家側にすれは、一刻も早く毛利に出て行ってもらいたかっただろに。
大阪城に輝元が居座ろうとすればそれこそ豊臣家と毛利家との紛争になりかねん。

80 :人間七七四年:2007/06/15(金) 17:46:01 ID:j4P31xNU
豊臣の立場としては微妙だろうが…
家康が秀吉の遺命破りを繰り返してたのも見て見ぬフリを通すつもりだったのかな
それだったら豊臣が徳川の主になんて形式上でもなれない事を自ら認める事になるな

輝元にやる気があれば大阪にいる間は秀頼の名前で家康に対抗できると思うんだが

81 :人間七七四年:2007/06/15(金) 18:01:21 ID:j4P31xNU
形式上→表面上

82 :人間七七四年:2007/06/15(金) 19:12:16 ID:9JcDfCxb
そもそも豊臣の立場を代表できる人物がいない。
秀頼はもちろん、淀殿もこの頃はまだ専横するに至っていない。
強いてあげるなら片桐且元か?

まあ豊臣家の旗本の中にも徹底抗戦を考える者はいただろうが、
関ヶ原の敗戦によって縮こまらざるを得なかったんだろう。
で、片桐且元は親家康と。


83 :人間七七四年:2007/06/15(金) 19:57:32 ID:KEm8GOq5
>>82
関が原での惨敗が無ければ毛利ももう少しやる気を見せただろうし
豊臣全体の出方も変わったんじゃないかなと思う
西軍が関が原決戦を挑まざるを得なかったのは小早川の寝返りと毛利の日和見
を理解した上で小早川を取り込まれた時の大谷らの壊滅を恐れ、西軍の
有機的つながりを取り戻すためと言われているが吉継ならば上手に
撤退したのではないだろうか?

84 :人間七七四年:2007/06/15(金) 23:47:49 ID:YUlh4vbK
>>62
決戦場が関が原になってしまったために毛利家中で主戦論が高まり
東軍への加担は良くて日和見になってしまった。理由は毛利が徳川を討つ
には絶好の位置取りだったから >少し無理がある気がする。
関ヶ原への陣替えは石田・宇喜多等の主導で行われ南宮山勢はシラナカッタ
はず。毛利家中で主戦論ていうが、輝元は大坂、元康・秀包は大津で議論
できるはずもない。秀元と相談したというのも秀元が吉川の独断専行を怒っ
ていたことからありえない。新しい資料でもでましたか?
>>63
短期決戦なら秀忠、利長は戦力外。
長期戦なら秀忠は参戦するが西軍も大津、田辺攻めの軍勢が参加するのでそ
れほど有利でもない。
利長のやる気は伊達程度と見たほうが良いのでは、まともに戦せずに加賀へ
帰ろうとして丹羽に仕かけられただけだし、利政は領国へ帰って動かず。
仮に利長が近江に進攻しても西軍諸城の攻略に手間取る。11月になって雪が
降ればこれ幸いと帰国するのは間違いない。
また関東の予備兵力は佐竹、相馬等の向背が明らかでない以上動かせない。
また豊臣恩顧の大名の多くは西軍占領地に領国があり長期戦に耐えられない。
如水は誇大に評価されすぎ、大友の残党に激戦で勝利した以外は留守城を取
るのが関の山、小西や立花の留守城は堅固だし主力を温存し義久が健在の島
津に勝つなど無理。
>>82
概ね同意、豊臣家の態度が毛利の大坂退去の一因と思うよ。
>>83
毛利の日和見は見抜いてないんじゃないかな。
小早川の取り込みと南宮山の取り込みが主眼かなとも思う。
長文、駄文スマ疎。

85 :人間七七四年:2007/06/16(土) 20:57:21 ID:6BXqDFlr
この戦いで石田三成という人は決して事実上の総大将でも無ければ
参謀ですらない。事実上は豊臣政権下での徳川対毛利の覇権争奪戦である
ちょうど応仁の乱が足利政権下での細川対山名の覇権争奪戦であったように
家康も多分天下を完全に手中に収めようとしたのは関が原のあまりの圧勝が
あってからではないか?それまでの上杉討伐などの行動からは
豊臣政権下で執権のような立場になって覇権を争奪することが目的だったような
きがす

86 :人間七七四年:2007/06/16(土) 22:56:14 ID:9380PF00
そういう見方もあるよ、反家康の諸大名を下して徳川家の安泰を図る狙い。
家康自身が高齢なこともあるし。

87 :人間七七四年:2007/06/17(日) 01:16:47 ID:gyJ8LbKN
鍋島が長島城を抜いて清洲を攻めてたら西軍大勝利だったらしいね
西軍が負けたのは鍋島のせい

88 :人間七七四年:2007/06/17(日) 01:46:54 ID:SQT7jDWr
鍋島が長島城を抜いて清洲を攻める姿勢を見せればそれに対応して東軍の戦略も変わるだろ。
ゲームじゃあるまいし。

89 :人間七七四年:2007/06/17(日) 10:44:33 ID:s/5UHqBl
大谷吉継は小早川の動きが微妙だってことを察知し、内応されてもいいように陣形を組んでたと聞いた。
てことは、脇坂隊や朽木隊が呼応しなければ勝算あったわけ?

90 :人間七七四年:2007/06/17(日) 11:06:32 ID:2/FJ9Kp9
>>89
東軍としては最悪、あのまま膠着状態で戦闘が終了しても関ヶ原以東は東軍の支配下になるのだから
それで戦略的戦果は十分。

91 :人間七七四年:2007/06/17(日) 11:19:04 ID:Ms0im32y
伊勢早々に潰して(精々千位の兵が立てこもった4,5の小城)、
美濃を守れたら(岐阜城立てこもれば普通に守れるな)、

東軍は側面に手当てをしながら戦わないといけないわけで、
前線を尾張・美濃国境まで下げないといけなくなる事態になる。

秀忠の軍と家康の軍を寸断できるし、そのうち上杉に後方から襲い
かかられる可能性がある。

西軍全体で東海・関東に東軍主力を封じ込めて、包囲殲滅
をする戦略。

まあ、それが破綻したのは西軍のやる気の無さもあるけど、
東軍の豊家客将の腰の軽さなんだけどね。
家康の武将操縦術もなかなかのもんだし。

92 :人間七七四年:2007/06/17(日) 21:03:52 ID:fYphVWZy
>>89
勝算は十分あったと思う。脇坂朽木等が裏切ったせいで崩壊したからね。ただ、結果的には西軍の負けは変わらないかと

93 :人間七七四年:2007/06/18(月) 02:12:02 ID:IIwCG5+p
>>91
結果としてだがそもそも上杉が逆の方向に向かって攻め込んでいる訳だから
その作戦は機能しないのではないだろうか。
ただ西軍は時間を引き延ばして状況が好転する事を期待する事は可能だが。

美濃(岐阜・大垣)と伊勢(長島or桑名周辺)に主力を分散させてしまう事にもなる。
戦意の薄い連中が多い西軍としては厳しくなる可能性もある。

94 :人間七七四年:2007/06/18(月) 15:58:13 ID:qAjWI6Ej
関ヶ原の石田光成でプレーしてて合戦中に切腹を選んだら
止めてくれる人がいなくてゲームオーバーになったぜ

95 :人間七七四年:2007/06/20(水) 20:22:59 ID:0Gi2TggA
まあ朽木たちの裏切りがなければすぐに負けはしなかっただろうが、最終的に勝てるかというとそうでもない。

そんな感じですかね?

96 :人間七七四年:2007/06/20(水) 20:48:33 ID:buZYdJmo
そんな感じですね

97 :人間七七四年:2007/06/23(土) 10:31:21 ID:XI3ulFIj
仮に小早川を押さえ切れても他の戦線もあるからね。

98 :人間七七四年:2007/06/24(日) 00:41:50 ID:k+IPQF2D
確かにそうだね。
吉川その他の南宮山の諸隊はあてにできんだろうから、
余力の無い西軍は勝ち目無いよね。
小西辺りから崩れ始めるのかな?

99 :人間七七四年:2007/06/24(日) 07:56:28 ID:slndJlYm
>>98
「他の戦線」というのを南宮山と理解してしまう、お前のアホさ加減に萌える。

100 :人間七七四年:2007/06/24(日) 08:53:40 ID:m5xF+Vk4
『歴史読本』2007年8月号で、平野明夫氏が徳川家康の合戦について
述べていて、特に関ヶ原合戦について今までどのような書籍や論文が出ている
のか分かりやすく説明している。



101 :人間七七四年:2007/06/24(日) 09:04:43 ID:PTHnVDvW
やはり、こうなったか。
田舎は死ねということだな。
郵便局のネットワークは維持されると、言っていた奴いましたよね。
誰でしたっけw
コンビにとか銀行とか、代替があるところなら、ともかく、郵便局だけのところはどうするんだ。
小泉自民党に投票した奴、責任とれよ。
引越ししようとしても、田舎の土地なんて、売れないんだよ。

102 :人間七七四年:2007/06/24(日) 10:32:42 ID:4O/U1Gh+
誤爆乙

103 :人間七七四年:2007/06/26(火) 16:25:32 ID:1e+eacUp
俺は吉川広家が西軍敗走に追い込んだ張本人だと思う。
実際広家が南宮山の毛利秀元とその他の武将の進軍を阻んだのは事実。
秀元はやる気あったみたいだし、安国寺とかやる気満々じゃねーか!
もし南宮山の武将全員が家康の本陣めがけて突撃したら、東軍にかなり
のプレッシャーを与えれたはず!小早川もその他の裏切った武将も家康の首
を取ろうと動いたかもしれない!小早川より吉川の方がタチ悪い気がする。


104 :人間七七四年:2007/06/27(水) 22:24:49 ID:acTLLvO8
>>99
98のレスを読んで
「他の戦線」というのを南宮山と理解してしまう、
と理解するお前のアホさ加減に萌える。
国語の成績悪かっただろ?





105 :人間七七四年:2007/06/27(水) 23:46:49 ID:rmowutBf
>>103
家康の本陣なぞいいから後方の浅野、池田を攻撃すればいいよ、
袋のねずみになる恐怖から東軍は瓦解するはず。

106 :人間七七四年:2007/06/27(水) 23:52:08 ID:fYWg89zk
吉川の動きは読めてたのだろうか…

小早川は怪しいと思われてたそうだが

107 :人間七七四年:2007/06/28(木) 00:43:21 ID:Ro72wF/5
吉川は本気で毛利家の所領を安堵してもらえると思ってたのかな?
もし、思ってたとするとあほだな。

108 :人間七七四年:2007/06/28(木) 01:39:56 ID:Tdwr6tM3
関係ないが毛利氏の前の中国地方の大勢力大内氏も、室町初期は周防、長登、石見、豊前、和泉、紀伊の大領を
支配していたが、足利義満に攻められて、関ヶ原後の毛利とそっくり同じく防長二州に削られたりしてる。

109 :人間七七四年:2007/06/28(木) 07:31:33 ID:iy/YJHMR
毛利は、石田挙兵後一週間程度で大阪に兵入れているぞ。
つまり、挙兵前に動いていた。

加増されたのは戦前から家康と連絡取っていたか、
働きがあったとかの大名。

石田挙兵後に連絡して、その間もそれなりに西軍として
戦った毛利が、動かなかっただけで助かると思ったとしら、
よほどのアホとしか思えない。

110 :人間七七四年:2007/06/28(木) 09:24:20 ID:xcMcvf6m
広家はアホで桶。
毛利の積極関与は最近では主流になりつつあるんじゃないの、




111 :人間七七四年:2007/06/28(木) 20:35:15 ID:8d9YXLrO
よしこれだ!これで勝つしかない!

「吉川広家の暗殺」
こうすれば毛利も積極的に西軍に参加するしかあるまい。

112 :人間七七四年:2007/06/29(金) 22:11:52 ID:AJxZ8DFX
毛利は積極的に西軍に参加してたと思うが。

113 :人間七七四年:2007/06/30(土) 13:25:55 ID:r7ZqXFyb
>>112
広家が秀元を押さえつけたのではなくて?

114 :人間七七四年:2007/06/30(土) 20:59:19 ID:pn2KHkeq
西軍総帥を受諾するくらいだから積極的って言うより他無いでしょ。

115 :人間七七四年:2007/06/30(土) 22:05:45 ID:mDE2l7RG
というか、広家が広家という人がいるが、
毛利の軍事責任者のようなものだぞ?

動員した兵力から広家が認知していないはずが無い。
結局、途中で日和見したタイプだと思うけど。

つーか、動員全く感知していないならマジ、無能。


116 :人間七七四年:2007/07/01(日) 00:52:12 ID:ca3x1Tne
日本語でおk

117 :人間七七四年:2007/07/01(日) 23:18:20 ID:37NvtFmv
>>113
吉川も秀元も東軍に寝返ってるよ

118 :人間七七四年:2007/07/02(月) 00:33:34 ID:izJ19+HB
秀元くんの所が良く解らん。
一次資料解るなら教えて。

119 :人間七七四年:2007/07/02(月) 03:14:08 ID:i3GPeXQP
>>115
広家は秀吉の四国・九州討伐にも朝鮮成敗にも参加した歴戦の将だぞ。軍事的な意味で言えば無能な訳が無い。

120 :人間七七四年:2007/07/02(月) 09:21:53 ID:7t3PAq8g
>>119
少なくとも当初の毛利の軍事行動からは吉川は蚊帳の外だろう。
輝元、元康、ぇ系なんかが中心での挙兵、
輝元が計算違いだったのは吉川が自分の指示を無視して裏工作に走ったこと、
吉川がそこまでするとは思はなかったんだろうな。

121 :人間七七四年:2007/07/02(月) 11:10:17 ID:pGxPNvwB
>>118
戦国無双2じゃね

122 :人間七七四年:2007/07/02(月) 22:46:54 ID:oVJqZhiQ
もしもの話なんだけど。伊達が裏切り、上杉、佐竹と合力して家康の背後をついたら東軍は負けてたのかな?

123 :人間七七四年:2007/07/03(火) 04:53:42 ID:mEp5IC/C
>>122
何の義理で伊達が裏切らなきゃならないんだって話だけどな。

124 :人間七七四年:2007/07/03(火) 10:04:22 ID:jPVpEdJx
裏切りに義理なんか関係ないだろ。
家康が不利とみれば簡単に裏切るよ。

125 :人間七七四年:2007/07/04(水) 01:54:32 ID:bjZI2/V5
だから家康が天下を取ろうが失敗しようが、上杉を追い出して会津の奪還を目的としていた政宗は、家康と同盟していたほうが有利だっつーの。
仮に家康が失敗して戦国騒乱が復活しても、それこそ政宗の望むところだっただろうし。

126 :人間七七四年:2007/07/04(水) 13:16:22 ID:/lwJfbk3
上杉を追い出して会津の奪還を目的としていた政宗>ソースは

127 :人間七七四年:2007/07/04(水) 18:58:31 ID:seud+B+w
中央ばかりでなく伊勢や四国での地方選を検証してみては

128 :人間七七四年:2007/07/04(水) 20:31:01 ID:asB54VYn
仙台城は、上杉領を仕置きする前提で移されたものだ。
政宗は最低でも伊達・信夫地方をかっさらう予定でいたが、
後に家康が難色を示した。冷静に考えれば、伊達に百万石
を与えるのは、徳川家にとっていいことは一つもないと、
家康は気がついた。

129 :人間七七四年:2007/07/07(土) 00:28:24 ID:hfWZ9rGp
豊臣家が腹を決めて光成を全面支援してりゃ西軍の圧勝だったのにな。
日和見をして結局滅んだな。

130 :人間七七四年:2007/07/07(土) 01:08:07 ID:rkIYPmvq
三成の所領もなぁ・・・

もっとたくさんもらっとけば・・・

131 :人間七七四年:2007/07/07(土) 01:22:26 ID:ikXHk8au
本人も、関ヶ原決戦間近になって加増の辞退を後悔したって逸話もあるしな

132 :人間七七四年:2007/07/07(土) 03:09:25 ID:/quwE60v
豊臣家は直属軍である所謂「旗本」が、秀次成敗の時に実質的に崩壊している。
旗本の指揮官クラスが秀次に連座させられたからね。だから大名同士の権力闘争がおこっても
どっちかに見方なんて出来る状況じゃ無い。

133 :人間七七四年:2007/07/07(土) 10:04:42 ID:WzOHgr1Z
>>130
でも左遷になるしな
都に近いということは重要だし
遠くにいたら合戦なんてできなかっただろうな

134 :人間七七四年:2007/07/07(土) 17:11:15 ID:E9v3KRln
諸侯の恨みを買わないために、領地を多く望まなかったから仕方ない。
本多正信みたいなものさ

135 :人間七七四年:2007/07/07(土) 21:58:39 ID:fWuFS/Ut
この戦いは事実上の総大将も石田じゃなくて毛利輝元だったと考えればいいんじゃないん
まあ戦国時代だから一族の敵方への寝返りもよくあることだから
吉川もほんとに毛利大事で不戦かは疑問のところがある

136 :人間七七四年:2007/07/07(土) 22:17:17 ID:XTFx3aYb
広家は、安国寺憎しだからな
奴の邪魔をすればいいという考えだろ
輝元が総大将をうけたのも
どこまで本気なのかわからんと思うぞ
安国寺にうまくそそのかされた気がする

137 :人間七七四年:2007/07/07(土) 22:30:48 ID:fWuFS/Ut
長期戦に持ち込めば西軍にも結城秀康に働きかけて徳川本家の内部崩壊を
誘発する手がある

138 :人間七七四年:2007/07/07(土) 22:35:28 ID:OEFcP3EE
長期戦になったら西軍なんて真っ先に崩壊してしまうが?

139 :人間七七四年:2007/07/07(土) 22:40:15 ID:/quwE60v
西軍は慢性的に兵糧と資金が不足していたし、三成にいたってはもうスッカラカンだったしな。
むしろ決戦が関ヶ原になったおかげで、どうにか戦闘らしい戦闘が出来たと言っても良い。

西軍が関ヶ原の一戦だけで崩壊したのも、それ以上戦線を維持できるだけの資金のなかった事が大きい。

140 :人間七七四年:2007/07/08(日) 00:14:20 ID:kPOQCzpO
>>136
俗説ではそうだが、当初の輝元の迅速な手配りを見るとむしろ輝元の野心が見える。
>>139
西軍全般が苦しかったというのは初耳、kwsk。

141 :人間七七四年:2007/07/08(日) 00:53:24 ID:wrO/vsIJ
西軍には毛利にはまだまだ全然余力があったはず
まあ決戦場で毛利の奮戦全てを無効にした吉川こそ小早川以上の
真の寝返りものである

142 :人間七七四年:2007/07/08(日) 00:53:48 ID:HkG5WRsK
秀忠軍も兵糧が無くて、進軍遅れたけどな。

東軍は正則が太閤が与えた兵糧(・・・)と
鍋島の兵糧があったな。

143 :人間七七四年:2007/07/08(日) 01:03:14 ID:OZiAnjTm
鍋島って寝返ったんですか?
その割には関ヶ原本戦に参加してないようですが
どうしてたんですか?

144 :人間七七四年:2007/07/08(日) 09:13:39 ID:HkG5WRsK
>>143
鍋島息子は伊勢で城落として戦って、
鍋島父は兵糧を事前に東海道とかに
用意しておいた。

さすが葉隠れ。

145 :人間七七四年:2007/07/08(日) 14:50:54 ID:ZDQUpi6y
>>141
吉川広家の読みはハッキリ言って甘過ぎたな。
300年間肩身の狭い思いをしたのも納得な気が

大坂を押さえているし、毛利の本隊は殆ど無傷。
さらに小野木公郷ら田辺城攻撃の部隊や、立花宗茂ら
大津城攻撃隊もいたわけだし、正直かなり余力はあるはず。
秀頼を擁立できているのも大きいはずだが。

146 :人間七七四年:2007/07/08(日) 15:41:55 ID:wrO/vsIJ
実際関が原で吉川の裏切りが勝敗を決めた真の理由だ
毛利秀元に対し通るなら我々と戦って通れと言ったのと同じことだ
南宮山全体が浅野、池田らに襲い掛かっていたら当然松尾山も西軍だ
そうなれば東軍は崩壊して寝返りが続出していたはず
関が原で西軍の大敗が毛利輝元のやる気を奪ってしまった

147 :人間七七四年:2007/07/08(日) 17:19:26 ID:iV3bG7GJ
多くの大名が親子兄弟で分かれて二股賭けするのを見れば
お家大事主義の輝元が自分も二股賭けしたくなるのは当然だろう
しかし三成にばれたら大変なので信頼できる広家に秘密裏に内通を命令した
広家は輝元の命令に従っただけだが最終的に保身に失敗した輝元は広家に罪を着せた
ところが現代になっても広家の暴走と信じられているのは問題だろう
広家にそんな重大なことを独断でできるわけがないのに

148 :人間七七四年:2007/07/08(日) 17:28:32 ID:wrO/vsIJ
>>147
総大将自らが内通という形式だけでも家康に降伏していたのが事実なら
東軍の勝利はほぼ最初から決まっていたことになる
しかし、そういった証拠は現在のところ無いのではないか。だとすれば
西軍にも十分勝機があり江戸幕府が出来たのは偶然に過ぎないことになる

149 :人間七七四年:2007/07/08(日) 19:03:09 ID:Juvjj8+1
まあ、仮に毛利勢が東軍に襲い掛かってたとしたら
どのあたりの東軍の将が討ち取られただろ?

そのへんでも微妙に戦後処理が変わりそう


150 :人間七七四年:2007/07/08(日) 19:31:09 ID:I8PQsaKk
>>140
だから、安国寺にうまくいいくるめられたんだよ
毛利は元就の国人出の自分達が天下をねらってはろくなことにならない
というのを守ってたはず
元春と隆景が存命のときはね
輝元もそれをわかってたはずなのに安国寺の説得で色気が生まれたんだろと思う





151 :人間七七四年:2007/07/08(日) 21:55:28 ID:kPOQCzpO
>>150
安国寺にうまくいいくるめられたんだよ >この根拠が広家が榊原に宛てた手紙でしょ。
だとしたら何の根拠にもならないのよね。
逆に輝元が元康にあてた手紙で、安国寺が七将事件で失脚した三成と接触したことを連絡している。
つまり安国寺は輝元の意向で動いていた可能性が高い。
関ヶ原の敗戦で斬首になった安国寺は毛利一族でないから責任を被せられて処刑された可能性があると思う。
ここからは感想だが輝元の肖像画だが秀秋や秀頼のようなボンボンじゃないよね、野心に溢れた顔に見える、
二人の叔父に抑えられて育った輝元が始めて自分の意思で行動したんじゃないかな。




152 :人間七七四年:2007/07/08(日) 22:00:46 ID:Hx1kp2HN
>>148
んな事言ったら、本能寺が起きちゃったから、と言う、偶然以外の何者でもない理由で成立した豊臣政権は何なんだと。

153 :人間七七四年:2007/07/08(日) 22:10:05 ID:wPSGanAh
>>148
>西軍にも十分勝機があり

自分の血を流してでも家康を排除したいと考える連中はせいぜい石田一派の中核連中くらいしかない
それに比べて自分の血を流してでも三成を排除したい連中はごまんといる
この時点で勝負ありなんだよ西軍の日和見・不戦続出も必然の結果だ
極論を言えば家康の勝負は三成というババをどうやって敵側に置き続けるかというババ抜き勝負なのだから

154 :人間七七四年:2007/07/08(日) 22:25:27 ID:wrO/vsIJ
>>153
だから三成は中核連中じゃないんだって。総大将が輝元で天下の覇権を
執権のような立場で握る気があり、西軍の飾り物でなく事実上の総大将
でもあったという前提のもとでだよ。

155 :人間七七四年:2007/07/08(日) 23:55:58 ID:OJFzKWoB
輝元が関与してたかはたびたび言われてるけど
実際どうなんだろうな。
証拠は何もないけど
本当に知らなかったらそれはそれで
当主としてどうよって感じだしな。

156 :人間七七四年:2007/07/08(日) 23:59:34 ID:Hx1kp2HN
>>155
最初は「あわよくば」って感じだったんだろ。それがだんだん西軍の実態がわかってきて
「これはいかん」って方向転換。毛利家存続の為広家の徳川ルートとの交渉も探らせ、
どっちに転んでも毛利家は無事、って戦略に変わったんでしょ。

157 :人間七七四年:2007/07/09(月) 00:06:14 ID:25bvgWwm
でもそれだと吉川が黙ってないんじゃないか?
命令されたから実行したのに冷遇されたのであれば。

158 :人間七七四年:2007/07/09(月) 00:23:36 ID:wkFueev2
>>157
冷遇はされてないでしょ。防長二州に縮小されたにもかかわらず
別して岩国藩をたててる。これは論功行賞と言ってもいいでしょ。
冷遇と言うのは毛利家家臣団内部世論の結果そう言う態度だっただろうけど、毛利家としては
岩国藩の内政に介入はしていないんだから、少なくとも上層部の意思としては、表立っていえなくてもそれだけの
「評価」されていたと考えていいんじゃ無いかな?

159 :人間七七四年:2007/07/09(月) 00:27:03 ID:EeCFjddf
>>156
西軍の実態も何も毛利が仕組んだことだろが、
感想文もいいけど自説を主張するなら少しはソースださにゃ、

160 :人間七七四年:2007/07/09(月) 00:30:27 ID:fY+VgcRH
輝元が広家について知らなかったとしても前線と本陣に距離があるので
ある程度は仕方ないことだ。輝元としては田辺、大津も含め長期戦で
思案していたところ関が原の思わぬ惨敗があったってことじゃねーの

161 :人間七七四年:2007/07/09(月) 01:15:27 ID:2RW1TpDX
>>158
をいをい、吉川は毛利本家に領国わたそうとしたわけだが。
それに、幕府の介入で領国渡す事ならずとのことで、
恩賞は、吉川に対してのみという解釈じゃねーか?

そもそも、毛利は関係ありませんよという前提の
内通なんて吉川馬鹿じゃないか?

162 :人間七七四年:2007/07/09(月) 06:49:18 ID:mXlWeMw+
吉川家は三代続けて手がつけられないキャラが続いていたのだし、
広家に至っては毛利本家の統制など全くといっていい程、効いて
いなかったと考えるべきでは?

163 :人間七七四年:2007/07/09(月) 23:23:23 ID:EEsQaJTd
>>162
統制がとれてなかったのは、小早川の方
隆景が内政、外交を担当していたので
いがいと独断行動が多い
跡継ぎはただのバカ

吉川は、猛将タイプだが本家のことは以外に考えたりしてる



164 :人間七七四年:2007/07/09(月) 23:53:04 ID:EeCFjddf
以外に考えすぎて独断専行したってことか
それで狸親父に騙されただけじゃ単なるアホだな。

165 :人間七七四年:2007/07/10(火) 01:23:25 ID:q+XvOvOu
>>163
吉川のエピソードを調べてみなよ。

166 :人間七七四年:2007/07/10(火) 07:27:32 ID:d8gLXrri
小早川は関が原時点では名目的東軍と考えた方がいい
戦況が普通なら東軍で西軍有利なら西軍。本物の寝返りは吉川
毛利は吉川と福原以外は西軍で戦い続ける気が満々であったことが
現在では定説になりつつある

167 :人間七七四年:2007/07/10(火) 09:44:52 ID:SxYAWeFb
166>>だな、毛利が西軍の首謀者なのは資料からも明らか、当時の宣教師なぞもそう書いてる。
解らないのは小早川、
裏切りの風説はやはりあったようなのだが、松野の逸話などからすると
一部の重臣しかしらなかったように思える。

168 :人間七七四年:2007/07/10(火) 19:04:59 ID:e+C1Ycgf
本当にやる気があるなら城を枕に討ち死にする覚悟で戦えばいいだけだし
それくらいの覚悟がなければどのみち勝利することなどできない
所詮は口先だけの薄っぺらい覚悟しかない輝元の負けは確実なんだよ

169 :人間七七四年:2007/07/10(火) 20:08:02 ID:N0mfEgdW
そもそも、あの陣形に囲まれて、家康どんな心境だったんかね?内通してても
勝てる気したのか?

170 :人間七七四年:2007/07/10(火) 20:25:39 ID:l85CXxb4
内通してたからあの陣形とはいえ内心気が気じゃなかったのでは。
家康にとってもあの陣形はけっこう博打みたいなところが
あったんじゃないかなーと思う。
内通してるフリだったら終わりだもんね。

171 :人間七七四年:2007/07/10(火) 20:33:41 ID:rvTqks1s
>>170
短期決戦で終えれるチャンスだったからね
流動的な状況下で家康自身が来るというサプライズで主導権を得て、それを握ってる限りは、
傍観を決め込んでる連中は少なくとも敵にはならないと踏んでたんでしょう

172 :人間七七四年:2007/07/10(火) 20:43:38 ID:N0mfEgdW
逆に三成の心境は、どーでしょう?陣形は最強だし、してやったり?多少なりでも
あやしいと思ったかな

173 :人間七七四年:2007/07/10(火) 22:51:12 ID:ntJxNjJQ
関が原の総大将は宇喜多だよね?
兵力から官位からすべてにおいて西軍最高だろ

174 :人間七七四年:2007/07/10(火) 23:05:46 ID:zbrFtE/I
輝元ですが

175 :人間七七四年:2007/07/10(火) 23:29:18 ID:d8gLXrri
輝元も潜在的には優れた武将になる資質はあったと思う。月山冨田城攻防戦
での少年期の武勇は知られているし、朝鮮出兵でもよく戦っていると思う
唯、家康と比べると叔父二人が働きすぎて成熟する前に関が原を迎えてしまった
ということではないだろうか

176 :人間七七四年:2007/07/11(水) 00:04:34 ID:rS0p6uMK
島津、立花、宇喜多が、それぞれ一万五千率いてれば、西軍圧勝だな。

177 :人間七七四年:2007/07/11(水) 00:56:55 ID:dYV/FaYW
>>171>>172
家康はかなり焦ってたんじゃないの色々なエピソードからもそんな気がする。
三成は当初は「馬鹿が罠にかかったわ、これなら小早川も西軍に付く」て感じかな。
>>175
輝元は対家康は一族の主要メンバーと重臣連中に任せて自身は四国、九州を狙って
行動してたと思うよ。
>>176
立花は4千連れてきただけでも立派でしょ。

178 :人間七七四年:2007/07/11(水) 07:10:47 ID:YpFcuGmI
通説では大垣城の奴等は南宮山の戦意を疑っていたという話はあんまりないな
やっぱ南宮山ははっきりした西軍で大垣城とも頻繁に連絡は取り合っていた
と見たほうがいいのかな。その中で広家だけが単独停戦の秘密交渉をしていたと





179 :人間七七四年:2007/07/11(水) 07:45:38 ID:CUWubPo1
>>177
どうでしょう?
家康は元来の性格はかなりの激情家ですし

180 :人間七七四年:2007/07/11(水) 09:18:39 ID:efPpGWIa
>>178
南宮山にいた長宗我部、安国寺、長束、勝永等は白だな、グレーが秀元
確か三成は長束の陣に寄ってなかったっけ。

181 :人間七七四年:2007/07/11(水) 20:12:42 ID:YpFcuGmI
仮に長束、安国寺、長宗我部らが浅野、池田に突撃していたらどうなったかな
毛利秀元が吉川と戦ってでも山を下りれるかが焦点になるが、吉川も
一族とさすがに戦うわけにはいかないから西軍に加わらざるをえなかったかもな

182 :人間七七四年:2007/07/11(水) 20:43:14 ID:PzF/gThP
関が原の西軍に最盛期の山名一族がいて山名宗全(持豊)や宗詮(祐豊)が
大将だったら?
徳川勢は島津や大阪の陣の真田のように直線的に攻められるともろい面がある
山名勢は赤松討伐戦でみせたとおり、攻めだしたら直線的な猛攻が得意。
関が原では島津のわずか1000名ほどの軍勢に崩されそうになった徳川軍だが、
六分の一殿の山名であれば少なくとも1万5千、多ければ4〜6万ほどの軍勢が
家康の本陣に猛攻をかける。そうすればワンサイドで終わったかもしれない。
えっ、その前に家康は謀略を使うだろうって?・・・大丈夫!田舎者の山名勢には
謀略は通じない。
最盛期の山名勢は野戦では徳川勢に負けないと思う。

183 :人間七七四年:2007/07/11(水) 23:00:44 ID:dYV/FaYW
>>181
吉川は直前に東軍に対して南宮山の西軍を攻撃しないように要請している。
攻撃されれば保証はできないとの内容。
吉川は参戦を押し留めることは出来ると踏んだものの、南宮山諸軍は西軍である
ことに変わりはないから反撃が全面衝突になるとの警告で、つまりそうなれば自分
の内応も反故になるとの意味があると読める。

184 :人間七七四年:2007/07/11(水) 23:02:15 ID:9obG5ibF
時々、大学入試で「下記に示した大名を、西軍に与したものと東軍に与したものに分けなさい」みたいな問題が出る

185 :人間七七四年:2007/07/11(水) 23:09:59 ID:YpFcuGmI
つまり長束、安国寺、長曽我部らが勇気があれば戦況は変わっていた可能性
があるということだ。誰か一人でも討ち死に覚悟で突撃する覚悟がありゃあなあ
目の前で戦闘が起こっているのに弁当の言い訳をしている暇も秀元に
なくなったろうに

186 :人間七七四年:2007/07/11(水) 23:18:34 ID:9obG5ibF
島津って本気出したらどれくらい動員できたの?
義久は援軍を出さなかったらしいけど、本領安堵とはいえ消化不良で悔い残っただろ

187 :人間七七四年:2007/07/11(水) 23:39:33 ID:0ou7ymZ6
関ヶ原後に宗茂に1万の援軍を送ってるな

188 :人間七七四年:2007/07/12(木) 00:44:51 ID:DiUjhrF2
>>186
島津史上最大本国軍は20000かな、大友43000を文字通り潰滅させてる
たいてい、寡兵で勝ってるな

189 :人間七七四年:2007/07/12(木) 02:08:52 ID:IZOURdu8
>>182山名厨乙WW

190 :人間七七四年:2007/07/12(木) 08:25:09 ID:9IZ/RBXP
島津が兵をほとんど動員できないほど朝鮮でボロボロにさせたのは秀吉だがな

191 :人間七七四年:2007/07/12(木) 08:32:32 ID:qf6OxRwr
島津って伸びた追撃と本体の間を通ったら
追いかけられて壊滅しただけだろw

192 :人間七七四年:2007/07/12(木) 09:22:06 ID:GmHhXVLa
>>191
寡兵を追いかけて大将には逃げられ、
井伊は戦傷死、本多は落馬、忠吉も戦傷で恥をさらしたのは徳川。
あげくに薩摩に立て篭もりで免責。

193 :人間七七四年:2007/07/12(木) 09:39:09 ID:qf6OxRwr
>>192
>徳川勢は島津や大阪の陣の真田のように直線的に攻められるともろい面がある
ここからの流れな
そもそも逃げる奴・逃がされる奴って
戦場ではそう簡単には死なないと思うがw

194 :人間七七四年:2007/07/12(木) 15:43:26 ID:GmHhXVLa
>>178
南宮山勢は伊勢方面の東軍諸城を攻略して来ているから、伏見攻めの後ウロウロ
していた小早川と違って信頼されてたと思うよ。
実際、吉川が最終的に裏切りを決めたのも関ヶ原に来てからなはずだし。

195 :人間七七四年:2007/07/12(木) 16:45:02 ID:RcpWp+uH
まぁ島津義弘が一万五千人位率いてたら最初から東軍に参戦してるだろうな。
伊集院の件で石田三成とは良い関係になかったしそんな島津が大軍を率いていたら
徳川とて即座に根回しに動くだろう。寡兵のせいで放置されたんだろう。

196 :仙台藩百姓:2007/07/12(木) 17:13:07 ID:1PfXpd/+
つまり島津は数がいなけりゃ役立たずと言うわけかお( ^ω^)

197 :人間七七四年:2007/07/12(木) 20:47:30 ID:9tm0YX0f
>>196
別に何もおかしい事ではないと思うが?声高に言うことでもないな。


198 :人間七七四年:2007/07/12(木) 21:11:29 ID:JiUXWjnF
少なくとも関ヶ原合戦は両軍とも望みうる最高の状態ではなかった。
それが現実といえば当然だが、その中で最善の行動を取り勝利した家康は
大したものなのである。

199 :人間七七四年:2007/07/12(木) 21:19:14 ID:GHaSvsCp
島津が九州取ってたら関ヶ原は楽勝
立花紹運を攻めたとき島津軍5万いたらしいしな

200 :人間七七四年:2007/07/12(木) 21:20:26 ID:GHaSvsCp
高橋紹運だった

201 :人間七七四年:2007/07/12(木) 22:29:40 ID:NSF6V1YW
>>199
ただ寄せ集めで、まぁ武将の問題もあったが、そんなに強くなかったな。
1万ぐらいの薩摩兵がよかったんじゃね。例の朝鮮の役に行ってた奴らとか。
まぁ直前の伊集院の反乱が痛かったな。

202 :人間七七四年:2007/07/12(木) 23:03:53 ID:0xD3Qg0u
>>198
最善の行動とも思えないが決断力とカンの鋭さの勝利かな。

203 :人間七七四年:2007/07/12(木) 23:40:28 ID:ISC13xqK
>>201
急造国家で忠誠心低いワナ

204 :人間七七四年:2007/07/14(土) 21:01:50 ID:8/nw13XZ
島津って毛利、長宗我部、宇喜多と合わせて西国のビッグ4とか言われてたけど
関ヶ原での動員兵力考えたら島津なんか全く大した事の無い勢力だ罠。

205 :人間七七四年:2007/07/14(土) 21:12:30 ID:1R0QoUL5
>>204
ぷwその時の背景も知らない無知ぶりを披露してくれてありがとうw

206 :人間七七四年:2007/07/14(土) 21:17:59 ID:8/nw13XZ
よくビッグ4が付いた西軍が最初は有利だったっていうじゃん?
でも、事情は分かってるが、実際島津が付いたから特別有利になるわけではないよな?


207 :人間七七四年:2007/07/14(土) 23:28:06 ID:3MKbqNv5
西国のビッグ4って、何よ?

石高みても、官位みても、ビッグ4ではないけど。


208 :人間七七四年:2007/07/15(日) 00:51:05 ID:LJWbclJt
毛利 120万5000石
宇喜多 57万4000石
島津 56万石
長宗我部 22万2000石

これが>>204のいうビッグ4

石高だけなら…
毛利 120万5000石
宇喜多 57万4000石
島津 56万石
小早川 35万7000石
鍋島 31万石
加藤 25万石
長宗我部 22万2000石

小早川や鍋島の方が上小早川に至っては中納言でもある。

ま毛利は120万石の他にも、毛利秀包13万石、安国寺AK6万石や村上水軍まで居る訳だ

209 :人間七七四年:2007/07/15(日) 09:18:19 ID:1xUMtiD7
鼻息荒く書き込んだのに、今や顔を真っ赤にしている>>204>>206がいるスレはここですか?

210 :人間七七四年:2007/07/15(日) 14:14:07 ID:zULs8lGT
こういうこと聞くのもあれなんだが、石高がよくわからないんだけど誰か教えて

211 :人間七七四年:2007/07/15(日) 17:51:01 ID:sArD5sEB

      , イ)ィ -─ ──- 、ミヽ
      ノ /,.-‐'"´ `ヾj ii /  Λ
    ,イ// ^ヽj(二フ'"´ ̄`ヾ、ノイ{
   ノ/,/ミ三ニヲ´        ゙、ノi!
  {V /ミ三二,イ ,  /,   ,\  Yソ
  レ'/三二彡イ  .:ィこラ   ;:こラ  j{
  V;;;::. ;ヲヾ!V    ー '′ i ー ' ソ
   Vニミ( 入 、      r  j  ,′  <仲良くなってくれ
   ヾミ、`ゝ  ` ー--‐'ゞニ<‐-イ
     ヽ ヽ     -''ニニ‐  /
        |  `、     ⌒  ,/
       |    >┻━┻'r‐'´
      ヽ_         |
         ヽ _ _ 」    

  ググレカス [ Gugurecus ]  ( 没年不明 )
古代ローマの思想家。

帝政ローマの時代に現在のアルバニアあたりで生まれたといわれている。父は役人で、家の巨大な書斎には
あらゆる本が並べられていた。このため物心ついた頃から興味を持ったものは何でも検索する習慣がつき、
13歳頃からはほぼ一日中図書館で過ごすようになった。それ以来さまざまな発見をしては、それを地元の
図書館で検索するという日々を続けていた。

だが20代になると、故郷の図書館の蔵書はすべて制覇したのか、図書館通いに飽きてしまいローマに
移住する。ローマでも毎日多くの事柄を発見しては図書館で検索しており、その探究心と教養を買われて
役人として出世する。何でも知っていたググレカスは人々の注目を集めたが、やがて図書館で少し調べれば
わかるような事柄を質問されると即座に「ググれカス」という返答をすることが習慣となってしまった。
このため人々の反感を買い、ググレカスはローマで孤独に一生を終えた。

当時の人々からは憎まれたが、人が多様な物事に興味関心を持つことの自然さや、それらの物事について
検索する楽しみを見出した思想家として知られている。 なお、その祖父、モックーログ(mokuron 生没年未詳)
は、脳の構造に目録がにていることを発見し、それが意志を持つのではないかと警戒した。

212 :人間七七四年:2007/07/17(火) 15:19:18 ID:jUqJJr9/
でもさ、実際は義弘は戦う意思あったけど兵力少ないから、二番備えで合戦中も
三成と何度か評議してたけど、そのうち小早川が裏切って二番備えの出番が無い位
一番備えがばらばらと崩れて要ったから仕方なく離脱したってどっかで呼んだような。
もともと関ヶ原直前にも夜襲を提案したりしてるし。

詳しくは無いんだけど、当時の合戦って二番手とかはトドメ用の部隊で
先手の崩れたほうの負けなんじゃないの。大谷の方だって二番備えの脇坂、小川とか
は裏切るまでは戦闘に参加してないし。
他には賤ヶ岳の時も、柴田の本隊は戦ってなくて先手の佐久間が崩れたら、崩壊してるし。

213 :人間七七四年:2007/07/17(火) 17:53:04 ID:FixgPAnh
蒲生を暗殺して、上杉と伊達が江戸を攻めれば徳川家は終わってた

214 :山形義光:2007/07/17(火) 18:58:35 ID:g2DU45ZR
最上に勝ちきれない上杉じゃ無理

215 :人間七七四年:2007/07/17(火) 19:41:44 ID:rbZY7WDg
わざと上田でもたもたしてる軍神秀忠が信州大返しで
ぼこぼこにしてやんよ

216 :人間七七四年:2007/07/17(火) 21:30:24 ID:rIPzIbz1
>>212
島津がもっと積極的に動いて石田に主導権をとらせなければ夜襲が出来たかもな。
そうすれば関が原が数日遅れて毛利の別働隊が間に合ったかもしれない。

217 :人間七七四年:2007/07/17(火) 21:39:37 ID:hbA3S0gH
>>216
たかだか1500しか兵を連れてない時点で主導権なんて取れる訳無いだろ‥常識的に考えて

218 :人間七七四年:2007/07/17(火) 21:46:46 ID:28U8UbUO
関ヶ原まで遠いんだよっ!ヽ(`Д´)ノ

219 :人間七七四年:2007/07/17(火) 22:02:55 ID:rIPzIbz1
>>217
年齢、経験、石高から石田を抑えることは出来たんじゃないか?
西軍全軍で夜襲って事にはならないだろうし、最悪島津だけでも試みる価値はあったと思う。

220 :人間七七四年:2007/07/17(火) 23:26:40 ID:hbA3S0gH
>>219
逆に兵も碌に連れてないのに口煩型だと年齢だけに老害と思われる件。

221 :人間七七四年:2007/07/18(水) 00:12:44 ID:E24YamwL
夜襲の話は確かネタじゃなかったっけ、
石田にも援軍だしてたよ確か、
何にしろ兵が少なすぎたんだけど、義久義弘の関係も微妙だった見たい。

222 :人間七七四年:2007/07/18(水) 00:19:58 ID:99gIXD7o
でも大谷の手持ちの兵力も1500かそこらだろ。それでも首脳らしいことやってるぞ。

それに反して、小西はまったく影が薄いな。なんか引きずられてうやむやで出てきて
気づいたら本戦でボコられただけかよ。
秀吉在命時の頃の存在感はなんだったのやら。



223 :人間七七四年:2007/07/18(水) 00:32:30 ID:99gIXD7o
そういえば信長の息子が大谷隊のひとりとして戦って討ち死にしてるんだよな。
世が世なら天下人の一門として君臨してただろうに・・・

加えて秀信、信包、それに信雄以下信長の息子全員ことごとく改易されたんだな。
このうち、その後浪人して放浪したり、病死したりしたのもいるし。
織田家にとって関ヶ原は密かに鬼門だったな。
うまく立ち回ったのって有楽斎くらい?

224 :人間七七四年:2007/07/18(水) 00:45:16 ID:AFCmse09
>>222
大谷と島津って石高10倍違うよな‥動員比率で中枢に入れないでFAじゃね・

225 :人間七七四年:2007/07/18(水) 00:48:45 ID:TAOk5WC0
小西も宇喜多もほんの少し前まで朝鮮で戦ったベテランだし
島津も毛利も小早川もそうじゃね。

あの面子で石田が主導権握れたのが不思議。
あと、しばらく実戦を経験してない家康が恐れられてたのも不思議。

226 :人間七七四年:2007/07/18(水) 08:27:40 ID:BQCuSylK
>>225
あの頃で、信玄や謙信と同時代に生きたというだけで生ける伝説(しかも今なお現役)
おまけに天下人である秀吉を破った人物となれば

227 :人間七七四年:2007/07/18(水) 09:39:24 ID:/hF/yKmA
>>226
ブランドだよな、
利家なんかもそうだろうけど、彼等の世代は家康なんぞ恐れるに足りないと
思ってたんじゃない。


228 :人間七七四年:2007/07/18(水) 11:05:25 ID:iR5oabp5
>>227
確かにブランドだね。
信長、秀吉と渡り合ったって言うだけのね。
ただ、真田には何度かコテンパンにやられてるね(w
なので、同世代からは特に恐れられてはいないでしょうね。

229 :人間七七四年:2007/07/18(水) 12:35:56 ID:U9qg9Rv9
まあ家康自身は上田行ってないけどな
それに2次なんて誰が行っても相手にしたら負けの状況だから
ちょっかいだした奴の落ち度はあっても、真田が凄いわけでもないんだがな

230 :人間七七四年:2007/07/18(水) 13:02:17 ID:/hF/yKmA
それを言えば秀吉も家康に負けてないけどね。

231 :人間七七四年:2007/07/18(水) 16:01:39 ID:NNi6zcBD
家康に「戦国最強」みたいなブランドを持たせたのは
間違い無く秀吉でしょ?
小牧・長久手以降〜朝鮮出兵辺りの扱い方はまさに「誉め殺し」そのもの。

秀吉は信長の部下だった頃から家康をある程度知っている訳で、
仮に自分の死後彼の天下になるとしても、豊臣家を滅ぼすほど冷血な人物ではない、と読んでたんじゃないかな。

232 :人間七七四年:2007/07/18(水) 16:58:50 ID:NNi6zcBD
追記
「同世代や戦国生き残りの大名達からはそこまで怖れられてない」って意見には同意。
秀吉が家康に着せたブランドの光が一番まぶしかったのって、
実は秀吉子飼いの連中だったろうね。
三成辺りは外様なのに信頼されてる家康に激しく嫉妬してたりしてw

233 :人間七七四年:2007/07/18(水) 19:48:20 ID:k7jl5cns
逆も然りで
秀吉に対して天下の関白様よりも信長の下で成り上がった元百姓の姿の方が強く焼き付いている最後の武将こそ家康なんだよね
だから他の奴と違って豊臣を倒すことが天下人の家を倒すことではなく
成り上がりの百姓の家を倒すくらいの感覚しかないため思い切りよく倒せてしまう

234 :人間七七四年:2007/07/18(水) 21:21:01 ID:ji68aZhO
つーか、秀吉の子飼い以外に、秀吉や豊臣家、豊臣政権というものを「尊い」と思っていた人間なんて当時日本中に誰一人いなかっただろ。

235 :人間七七四年:2007/07/19(木) 00:52:01 ID:me6o83An
>>232
氏郷なぞは俺が会津にいるから家康は何も出来ないと豪語してたらしい、
氏郷や利家から見れば、家康なぞ屁たれの勝頼にすら勝てない超へたれ。
恒興が相手をなめて失敗したが普通に戦えば負ける訳がないと思ってたんだろうな。
彼等にすれば、
秀吉は百姓上がりとはいえ実力で神→信長に認められて軍団長にまでなった相手、
しかも織田家の内戦を勝ち抜いた実力を示している。
家康は信長の死に乗じて領土を拡大しただけで野戦の名人なんてふざけるな、
幼少の頃から信長に従って転戦してきた自分達の方が実力は上なはず、太閤は厚遇しすぎる。
てな感じかな。
>>234
そりゃ徳川だって一緒だろう、源氏なんて大嘘の乞食坊主だぞ。
織田も大したことないが徳川より数段上。


236 :人間七七四年:2007/07/19(木) 01:15:02 ID:tMgPm26n
>>235
そんなこと思ってたら福島や加藤は家康に付くわけ無いよね?

237 :人間七七四年:2007/07/19(木) 01:24:10 ID:uObTOKP7
利家こそ優遇されすぎだな
まさに家康を恐れてのカウンターバランス
家康の相手が利家程度しかいなかった時点で終わってる
人望も反家康が仕方なくなびいた流れだし

238 :人間七七四年:2007/07/19(木) 01:46:19 ID:gVMaqRgD
>>236
いや違うだろ?
ある程度自分たちの思い通りになると踏んだから
家康と思えるわけだが。

まあ、甘すぎる考えだな

>>237
家康は利家以下の人望だがな。

239 :人間七七四年:2007/07/19(木) 02:17:31 ID:7PfdZVrl
本来利家のポジションには蒲生あたりが来た気がする。
蒲生とか堀とか、頼りになりそうなのがコロコロ若死にしたせいで
前田がクローズアップされたような感がする

240 :人間七七四年:2007/07/19(木) 11:03:09 ID:QQbeF5cy
蒲生はどうかなあ、利家ほど秀吉に従順じゃないし付き合いもないからねえ。
でも彼が生きてたら家康の天下取りの大きな障害にはなったね。

241 :人間七七四年:2007/07/19(木) 21:28:42 ID:UufPV9/d
少し前の話だが、西軍敗北の原因は毛利一族の裏切りが最大だ。

242 :人間七七四年:2007/07/19(木) 21:47:46 ID:AqPzVlw2
毛利は戦わなきゃならない状況に追いやられた 三成によって
戦わなかったので大減封

243 :人間七七四年:2007/07/19(木) 22:49:58 ID:l0vPCUYQ
>三成によって 戦わなかったので大減封




244 :人間七七四年:2007/07/19(木) 22:58:53 ID:j1U1AVsS
でも蒲生はその性格から、関ヶ原みたいな状況でもあっさり家康にはつかない気がする。
蒲生って、秀吉が小姓たちに次の天下人を挙げてみよって逸話で名前が出てきた通り、
少なくともその力は当時かなり評価高かったはず。力がある奴には回りにつく奴らもでてくるわけで、
黒田の親父どころじゃない、家康にとっては迷惑な行為にでたと思う、結果はどうアレ。

245 :人間七七四年:2007/07/19(木) 23:08:22 ID:j1U1AVsS
> 家康の相手が利家程度しかいなかった時点で終わってる

秀長、堀、蒲生、丹羽、小早川ことごとく他界。器量的には蜂須賀も候補になれたかもしれんがこれも他界。
秀吉が自分に地盤も縁も無い身分から、天下人に一気に駆け上がったツケがでたな。
ま、だからこそ家康が好機と捕らえたんだろうし。

246 :人間七七四年:2007/07/19(木) 23:10:25 ID:IuNmT9p8
小早川隆景さえ生きていれば・・・・・・・

247 :人間七七四年:2007/07/19(木) 23:12:41 ID:4GxBPjcC
>>246
そこまで望まないから穂井田元清が生きていれば‥。

248 :人間七七四年:2007/07/19(木) 23:48:55 ID:zs/JtjSZ
利家程度っておまえ、利家が元気で大阪城にいたころは家康なんか完全に押さえ込まれてたんだぞ


249 :人間七七四年:2007/07/20(金) 00:07:03 ID:3FuQyGLG
利家の力量は不明だけれど、
秀頼が大坂城へ移った際の逸話などはカッコいいね。
太閤の遺言による秀頼の後見人という看板と親藩代表という二枚看板を持ってたのも強み。
伏見の時は利家もかなり病が進んでいて最終的に手打ちになってしまったのが痛い。
この時戦っていれば勝てた確立が高い、
細川や加藤なんかも二股膏薬だったし秀吉の子飼いや尾張系も割れただろう、
何と言っても利家の下で四大老が協力できていたし、西国で変事が起きれば
徳川の援軍は間に合わない。

250 :人間七七四年:2007/07/20(金) 00:22:51 ID:Ska7tuRD
まあ変なら勝てるだろうな
石田襲撃を取り成したような家康まで襲撃ってとことんぼろぼろ政権になって短命だろうが
役なら一枚岩の徳川の粘り勝ちだろう
秀吉存命中でも大阪呼ぶのに2年もかかったくらいの相手だし

251 :人間七七四年:2007/07/20(金) 00:37:49 ID:pe3B66vj
家康が太閤の遺言に反したときに、家康を倒そうとしなかったのがそもそも終わってる

252 :人間七七四年:2007/07/20(金) 00:42:46 ID:MKLfp9YI
そんときは家康が利家の言うこと聞いて婚約破棄したからな



253 :人間七七四年:2007/07/20(金) 08:24:11 ID:QPN7V1Vl
前々から気になっていたのですが安国寺や三成はともかく
なんでそれほど戦意も高くなかった小西は斬られたんですか?
めちゃくちゃ戦いまくった宇喜多は遠島なのに。
処分がよくわからない

254 :人間七七四年:2007/07/20(金) 10:18:30 ID:4d4vxAE+
>>243
大減封されるくらいなら戦うだろうと
予想した

255 :人間七七四年:2007/07/20(金) 11:02:12 ID:FXo8SNmn
>>253
朝鮮出兵の恨みだろ。
武断派諸将との今後の付き合いを考えると処刑しとくメリット方がはるかに大きい
秀家みたく助命嘆願してくれる大名もいなさそうだしな

朝鮮の件ではこいつと三成の二人だけがやたら憎まれてるイメージ強いね
増田や大谷はそうでも無い感じなのに…日頃の行いか?



256 :人間七七四年:2007/07/20(金) 14:45:49 ID:OUXmcbrP
>>255
そりゃあ秀吉生前、武断派の連中に冷や飯を食わせ続け、秀吉の周辺から排除した首魁がこの三成と小西だからなあ。
関ヶ原で武断派がこぞって家康についたのを三成のおかげとすれば、九州戦線で黒田や清正が東軍として頑張ったのは
ある意味小西のおかげだなw

257 :人間七七四年:2007/07/21(土) 11:53:15 ID:vsuR2NHc
>>256
黒田親父は大ハッスルした感があるが、加藤清正は実際は
ちょこちょこ小西が留守のところでやったくらいじゃないか?

258 :人間七七四年:2007/07/21(土) 17:55:43 ID:INUKsruH
清正って、東軍としての旗幟を明らかにしていなかったのでは?

259 :人間七七四年:2007/07/21(土) 18:58:03 ID:y9RLWtek
当初は西軍に付こうともしてたんじゃない、
最後の方で小西の留守城を囲んだくらいでやる気なし。
黒田の親父は義勇兵でガッバッテたけど。

260 :人間七七四年:2007/07/22(日) 00:32:57 ID:HkeGn5Ck
その割には大加増だよな。あの時点での家康って、福島に伊奈の首さしだしたり、
「家康必死だなwww」

261 :人間七七四年:2007/07/22(日) 01:03:56 ID:fl+tAdPz
>>259
>当初は西軍に付こうともしてたんじゃない
俺もそう思う
島津と清正は隣国だ
清正が東軍の旗幟を鮮明にしたら、島津義久と決戦になるがそうなってない



262 :人間七七四年:2007/07/22(日) 02:00:01 ID:4uZmJjtd
島津義久は西軍ではないぞ
義弘が勝手に行動して勝手に逃げ帰ってきただけだ

263 :人間七七四年:2007/07/22(日) 08:58:35 ID:Mj8CfyXW
>>262
宇土城の救援に向かった事実を、どう判断するのか述べよ。

264 :人間七七四年:2007/07/22(日) 09:34:57 ID:R1lbdTcI
>>260
豊臣恩顧にはあの時点では気を使ってるよな。
本戦で戦った福島や小早川はともかく、前田や加藤なぞろくに戦っていない。
まあ敵にならなかった護法日なんだろうけど。
家康にしても薄氷を踏む思いだったのが良く解る。

265 :人間七七四年:2007/07/22(日) 21:59:03 ID:DwHo8VF1
手なずけるまではアメ与え放題だな。
大名が完全にサラリーマン化した後は改易の嵐だったけど。

266 :人間七七四年:2007/07/24(火) 01:21:36 ID:NL5jtcF1
結局、
島津案の大垣城持久戦と石田案の関が原短期戦はどっちが良かったんだろうな・・・
家康に水攻めされるリスクも大きいが
時間を稼いでる間に毛利増援が間に合うのは心強い

伊達と講和段階に入ってた上杉が南下する時間も作れる

267 :人間七七四年:2007/07/24(火) 01:27:04 ID:p0w9gHDa
>>266
篭城も何も、大垣スルーしそうになったんで、
あわてて関が原に布陣したんじゃね?

持久が出来れば西軍が有利だったけど、
家康が前進することで決戦を強要した。
その代わり東軍は不利な関が原で戦う事になった
と思うんだけど。

268 :人間七七四年:2007/07/24(火) 06:04:22 ID:vrxrtu4T
>>266
維新の夜襲案というのは後世の捏造というのがデフォ。

>>267
東軍の佐和山(あるいは大阪)移動という説についても、
浅野隊の状況などから否定する論が多い。

269 :人間七七四年:2007/07/24(火) 10:27:51 ID:NL5jtcF1
じゃ、大垣城の方が正解か

270 :人間七七四年:2007/07/24(火) 12:00:59 ID:w31L9Bk8
>>266>267
そこら辺の話は一次資料には無いんじゃまいか。
関ヶ原への布陣は松尾山や大谷の動きや手際よく高地に布陣してるところを見ると、当初から予定されていた防衛線ポイ。
清洲、岐阜が破られれば関ヶ原当たりを多段的に想定してた木がする。

271 :人間七七四年:2007/07/24(火) 20:40:57 ID:QCpY3UvW
家康の行動は純粋兵理で見るなら自殺行為であるが、実際は主導権が自らの元にある
事を念頭に置いた行動である。
何せ、赤坂に着陣したその日の夜半に西軍が移動したという事はそれだけ家康到着の
精神的衝撃が大きかったという事であり、このまま戦闘を行えば日和見を決め込む奴
や裏切る奴が続出する事を踏んだ上での関ヶ原であろう。

家康って存外、戦術的なことに関しては結構な博打打ちだし

272 :人間七七四年:2007/07/24(火) 23:42:36 ID:M9gb1d+f
実際は主導権が自らの元にある >ていうか主導権を手鼻さないて感じ。
赤坂に着陣したその日の夜半に西軍が移動したという事>ていうか西軍は予定通り。
戦術的なことに関しては結構な博打打ちだし >かもね、かもね。


273 :人間七七四年:2007/07/25(水) 08:40:12 ID:jsAhIXo7
>>272
西軍も関ヶ原移陣は予定していた様だが、それを行う事になったのは家康が登場したから
予定された行動でも、気分的には家康の存在は相当、士気に影響したでしょう。

274 :人間七七四年:2007/07/25(水) 18:49:23 ID:vEaxfFhX
ここまで信長や秀吉そのたもろもろが死ぬまで待った家康が
関が原決戦を急いだのはそれ以外に最も勝率の高い方法はなかったんだろうな

相手は総大将なしで戦べたと評判の石田が指揮
かくゆうこちらは自分の登場でいやがおうにも上がる士気
これは案外攻めてもいけね?と踏んで関が原にはまったと

この一戦結果が逆なら戦べたの汚名返上で一気に体勢が変わっただろうに

275 :人間七七四年:2007/07/26(木) 00:03:18 ID:mGTVFPRj
>>274
関ヶ原の指揮官は大老の宇喜多だろ普通に。
家康が決戦を決意したのは小早川、吉川の寝返りを確信したからだと思うよ。
じゃなければあんな陣形はありえないよ、どちらか一方の裏切り約束だけでは
動かなかったかもな。

276 :人間七七四年:2007/07/26(木) 00:50:38 ID:u/DQMVVY
>>275
小早川は密使を追い散らしているし。
吉川は取り次ぎは黒田。

吉川はともかく、小早川は当てにしている様子は
ないじぇね?

さすがに、自分で追い返しておいて寝返ると
確信するのは無謬すぎるかと。

277 :人間七七四年:2007/07/26(木) 06:31:19 ID:oM4a2H1M
>>276
一度目の使者は追い返したが二度目のには会っている。
最初は突き放しておいて、それでもすがり付いてくるかどうかを確かめたのでしょう。
相手の真意を確かめる為の心理作戦みたいなものですよ。
そして小早川は伏見城落城後は一切の命令を拒否して西軍としての行動をしていないし、
決戦前日には西軍を追い払って松尾山に陣取るという敵対的な行動まで取った。
その上小早川の陣中には黒田家の目付けまで在陣している。

これだけ条件が揃っていれば、裏切りを確信しているどころか、
既に明白な味方と思っていたとしてもおかしくない。
だからこそ、家康も肝心の決戦当日になかなか動かない小早川を見て、
「謀られたか」という感想を持ったのでしょう。

278 :人間七七四年:2007/07/26(木) 06:48:32 ID:RKN8mJYG
>>277
瑣末なことだが、二度目の使者も追い返されている。

279 :人間七七四年:2007/07/26(木) 17:52:22 ID:rf3VFxPd
金吾の土下座外交乙。

280 :島左近:2007/07/26(木) 19:19:32 ID:K4gIk9/I
それがしの首が何処にも見当たらんのだが
そなた知らぬか

281 :人間七七四年:2007/07/26(木) 19:24:36 ID:IsnYhl3q
俺んちの冷蔵庫に入ってるよ。

282 :人間七七四年:2007/07/27(金) 09:48:24 ID:SgannZRj
>>278
追い返したというか、一回目の使者は完全に追い返しただけだが、
二回目のには会いはしなかったが返事は与えて返したという感じだったかと。

283 :人間七七四年:2007/07/27(金) 09:51:42 ID:uIHi2gyB
要するに当てにしてなかったわけだろ

284 :人間七七四年:2007/07/27(金) 09:56:54 ID:sV3wJ3G5
関白の座と、徳川末席の天秤でよく後者選んだもんだな
家臣達にしても三成から買収工作受けて微妙だったというのに


285 :人間七七四年:2007/07/27(金) 09:59:28 ID:SgannZRj
>>283
当てにしていなかったら、なかなか動かないというときに、
爪を噛んであせったりしないでしょう。

286 :人間七七四年:2007/07/27(金) 12:18:50 ID:msBZSi0E
爪を噛み破ったとも言われてるくらいだから、かなり焦ってたんじゃないの。
騙されたとしたら、背後の毛利もグルだとしたら一生の不覚、、(((;゚д゚)))アワワ…


287 :宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c :2007/07/27(金) 12:25:12 ID:dUmWdNlc
小早川隊は、稲葉正成平岡頼勝が8割。

288 :人間七七四年:2007/07/27(金) 12:31:45 ID:sV3wJ3G5
小早川勢で唯一裏切り拒否した松野重元が4割位押さえてたらね・・・

289 :人間七七四年:2007/07/27(金) 13:19:22 ID:TbrJDgP5
爪なんぞ噛んでいない、という話もある。
所詮伝聞資料。

290 :宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c :2007/07/27(金) 13:43:37 ID:dUmWdNlc
>>289
黒田家記とかか。

291 :人間七七四年:2007/07/27(金) 14:04:03 ID:fjaH1o8n
講談と変わらないレベル逸話にすぎないよなしょせん
例えば島左近のあまりの奮闘ぶりに、藤堂隊の兵士達は後々まで左近の声が耳にこびりついて離れなかったという
なんていう逸話があるが
実際には島左近は黒田隊の銃撃で早々に討ち死にしてる

東軍をもちあげる話があればすべて江戸時代にでっちあげられた話、と切って捨て
逆に西軍をもちあげる話があれば逸話・講談のたぐいまであたかも真実として実際にあったかのように嬉々としてとりあげられる

これでは公平じゃない

292 :人間七七四年:2007/07/27(金) 14:09:01 ID:sV3wJ3G5
こればかりは判官云々じゃなくて
西日本と東日本の問題じゃないか

逆に徳川史観に好意的な論者って東日本出身者が多いように思う

293 :人間七七四年:2007/07/27(金) 15:30:38 ID:iKyhn7us
まあ近畿中国は知らないが
九州は大陸・半島並に活躍を誇張する気質だな
あんま関が原に関係無いが

294 :宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c :2007/07/27(金) 16:03:48 ID:dUmWdNlc
>>291
左近の声が耳から離れなかったのは黒田隊じゃないか。

295 :人間七七四年:2007/07/27(金) 17:34:25 ID:jODnvrsx
桃配り山の本陣家康は影武者だった?
甲斐の六郎に開戦前に密かに暗殺され、床机に座る者は実は・・・・・

296 :人間七七四年:2007/07/27(金) 17:35:46 ID:N5lArZxN
津川雅彦

297 :人間七七四年:2007/07/27(金) 17:41:05 ID:jODnvrsx
>>296それだ!

298 :人間七七四年:2007/07/27(金) 19:49:50 ID:ps/TB30l
>>295
SAKON? まぁ、開戦前に家康が本陣で何かやらかしたってのは本で読んだことがあるけど、一体何だったろうな?

299 :人間七七四年:2007/07/27(金) 19:55:52 ID:yOrcRo1G
世良田二郎三郎乙

300 :人間七七四年:2007/07/27(金) 20:44:24 ID:SgannZRj
>>291
既出の通り左近の声が耳から離れないと言ったのは、
石田隊と激戦を繰り広げた黒田隊の兵士。
それに左近は黒田隊に撃たれた後も傷を押して再度出陣し奮戦している。
大体これらの話が信用できないというなら黒田隊に撃たれたという話も、
同じように信用できなくなると思うが。

>>289
仮にそういう逸話が事実でなくても、
あの状況で小早川が東軍として行動しなかった場合結構やばいのは間違いないでしょう。
それだけで敗北確定とまではいわないが史実よりつらくなるのは間違いない。

301 :人間七七四年:2007/07/27(金) 21:39:55 ID:dslgRebn
>>300
最悪で千十手と言う所かな
そうなれば、関ヶ原以東は家康の勢力下になるからそれだけでかなりの
名実共に戦果が上がったと言うことになる

302 :人間七七四年:2007/07/27(金) 23:41:05 ID:MKspw5sP
>>291
東軍をもちあげる話があればすべて江戸時代にでっちあげられた話、と切って捨て>
くだらんこと言わんでいいよ。
ネタならネタって言えばいいし資料を出せばさらにいい。


303 :人間七七四年:2007/07/28(土) 09:33:35 ID:8Xib56oO
>>301
ん?長期戦ってこと?
そしたら上杉が黙ってないだろ・・

304 :人間七七四年:2007/07/28(土) 09:42:08 ID:y0TSw3oO
>>303
その日の結果という意味で

305 :人間七七四年:2007/07/30(月) 00:42:05 ID:gMjZmtv4
僅か6時間

306 :人間七七四年:2007/07/30(月) 10:22:08 ID:50brrbW/
早朝開始
午後決着

307 :人間七七四年:2007/07/31(火) 00:15:46 ID:FdBWHU7U
誰かこんな関ヶ原の架空小説書いてくれないかなあ
---西軍・東軍の大名にあの名将の霊が降りた!!
・上杉景勝に謙信の霊が降りて関東出撃
・毛利輝元に元就の霊が降りて関ヶ原出撃
・蒲生定行に氏郷が…小早川秀秋にも隆景が…
・そして秀頼に秀吉が…
・信長・信玄の霊も…
アイデアとしては面白いのでは?
私へのアイデア料は完成作品を1冊くれればいい。誰か頼む!

308 :人間七七四年:2007/07/31(火) 00:27:44 ID:smmh870R
>>307
それはSFだな。しかもギャグ方面の。

309 :名無しさん@七周年:2007/07/31(火) 07:17:44 ID:YAM02r/s
似たアイデアで
家康大権現が乗り移った慶喜が
倒幕勢力を切り崩し、20世紀も幕府存続ってのは考えた

310 :人間七七四年:2007/07/31(火) 18:31:02 ID:/yxJeOED
長島ジャイアンツが関が原合戦にタイムスリップってあったような気がする

311 :人間七七四年:2007/07/31(火) 19:29:09 ID:smmh870R
>>310
アレは関ヶ原ではなく桶狭間だな

> 戦国の長嶋巨人軍 


>  長嶋監督の発案により、読売巨人軍は精神鍛錬の一環として自衛隊に体験入隊し、相馬原演習場で実弾射撃を
> ばりばり撃ちまくっていました。ところが突然の地殻変動によりなんと彼等は戦国時代、1560年桶狭間の戦いに
> タイムスリップしてしまいます。これだけでも充分頭がトリップしそうな内容です。
>
>  しかし「実戦向き」のトレーニングをやるために、自衛隊に体験入隊して銃を撃ちまくるとはさすがは長嶋監督ですね。
> その発想は常人には伺いしれません。しかも長嶋監督は戦車が気に入って投手の槙原と外野手の原を戦車兵として
> 90式戦車に搭乗してるし。個人的には落合の「実弾を使うなんて、税金の無駄遣いじゃないか」という台詞に
> 大賛成なのですが。
>
>  タイムスリップした後の読売巨人軍のお仕事は、90式戦車や64式小銃を用い織田信長の家臣として軍事行動を行うのは
> 当然なことですが、この時代の人々への野球の技術指導も極めて重要な仕事です。新しいものが好きな信長は
> 何か祭りがあるたびに野球の試合を行い、巨人軍VS織田家臣団や徳川家臣団との野球の試合が繰り広げられます。
>
>  さらに戦国時代の人達に、20世紀の文化を啓蒙することも長嶋監督をはじめとする巨人軍の面子は忘れません。
> 牛乳や卵などを付近の住民に売りさばいたり、桑田は軍鶏にはまったあげく、清洲城下に饅頭の店を作り「巨人軍饅頭」として
> 販売しますが、下請けに作らせた饅頭が粗悪だったため売り行きが不振になり、人件費等がかさんで借金を抱えてしまいます。
>
>  祭りの席でも「先着30名のお子さまに巨人軍選手のサイン入り色紙プレゼント」、「槙原が上半身裸になった川相のお腹に
> 『天才バカボン』の親父の絵を描いて、川相が裸踊りを踊る」、「織方が女装してステージの上に登ってジュリアナダンスを踊り、
> 大久保はパラパラを踊る」など文化啓蒙活動に余念がありません。さすがは読売巨人軍。
ttp://homepage2.nifty.com/muraji/esekakuu/nagasima.htm


もう桶狭間でも関ヶ原でもどうでも良いような気もするがw

312 :人間七七四年:2007/08/01(水) 17:36:22 ID:xQcIk1CX
作者が、志茂田景樹じゃ仕方ないね。

313 :人間七七四年:2007/08/05(日) 23:14:03 ID:xyKzxxX3
毛利輝元が大坂城に篭って戦場に出てこなかったのがいけない。
誰か一族の者にでも大坂城を任せて輝元が関ヶ原にいていれば、
小早川も動かなかっただろうし吉川も西軍として戦うしかないから、
西軍が負けるわけがなかった。

314 :人間七七四年:2007/08/05(日) 23:25:49 ID:DchA+ux7
なら東軍にも公平に。

輝元参陣/秀忠譜代三万到着
でフルに戦っていればどちらが勝ったろう

315 :人間七七四年:2007/08/05(日) 23:26:25 ID:J+p0wxOM
大阪城内が反徳川で固まっている訳じゃ無いんだから、ホイホイ出て行ったらそのとたん大阪城の城門を
閉められた可能性もある。そうなったら間抜けなんて物じゃ無いわな。

そう言う可能性があった以上輝元も、迂闊に城を明けられなかったんだろ。

316 :人間七七四年:2007/08/05(日) 23:30:20 ID:xyKzxxX3
まるっきり空にしないでも、誰か残しておけば良いだろう。
一族とか信用できるのを。

317 :人間七七四年:2007/08/05(日) 23:37:37 ID:J+p0wxOM
>>316
輝元が五大老の一角であり、大毛利の当主である、という格があったからこそ
きく押さえ、というものもあるんだぜ?

輝元以外のものを置こうとすれば、それに相当の軍兵をつけて、大阪城を「占領状態」にする必要があったと思うぞ。
そんなの戦争する視点からすれば、無駄に死に兵を作るだけだわな。
つまり輝元が最小限の人数で大阪城を抑えていられるという状況は、ものすごく合理的だったわけだ。

318 :人間七七四年:2007/08/05(日) 23:45:22 ID:xyKzxxX3
>>317
最小限とはどのくらいの兵力?
大坂にいた毛利兵は3万ほどだと聞いたことがあるが、
それが最小限といえるのか?

319 :人間七七四年:2007/08/06(月) 00:08:15 ID:0dcLJSpl
割り込んでスマンが、
輝元を大坂に残すと決めたのは三成だよ。(軍議の結果だが、恐らく最終決定者は三成だった筈)
もちろん理由は下手に毛利を活躍させると、仮に西軍が勝っても今度は輝元が第二の家康になるから。
三成が目指すのはあくまで自分とその同志達による豊臣政権再編だからね。
それと、最近出た研究によれば輝元は長期戦を見込んで西国平定を狙っていた節があるので
最初から大坂より東へは行きたがらなかったんじゃなかろうか?
…こう書くと「輝元の注意を引きつけた如水スゲエ」みたいな文章にも読めるが。

320 :人間七七四年:2007/08/06(月) 00:10:51 ID:65dTh5S+
>>319
三成は輝元には松尾山に布陣して欲しい、それが無理なら5千位で良いから、
佐和山に毛利軍を入れてくれと書状で懇願していたはずだが。

321 :人間七七四年:2007/08/06(月) 00:13:17 ID:jOSN5Fl1
宇喜多秀家が三成のバックに付いている以上、
西軍勝利後の輝元や景勝への懸念は無かったろう

322 :人間七七四年:2007/08/06(月) 00:20:06 ID:qGyk3xDf
>>318
3万と言うのは俺も初めて聞いたので、信憑性も含めてなんとも判断しかねるが
もしそれが本当なら、輝元ほどの格ですら、大阪城に3万の軍兵の中流を必要とした、
と考える事も出来るわな。そしてそれが毛利や西軍にとっての「合理的」な判断だったんだろ。

>>319
毛利や上杉は中央での権力よりも、それぞれの念願だった博多の接収や旧領越後の回復を目的としていたぽいね。

323 :人間七七四年:2007/08/06(月) 01:33:00 ID:g0gjpDi5
>>322
毛利は6万動員したとの記録からの逆算。

324 :人間七七四年:2007/08/06(月) 01:51:51 ID:WG083/p7
なにをいまさらw
知ってるかと思うが大阪城の輝元は家康が関が原に来た時点で出陣するのが
当初からの計画だったわけで。それが狂ったのは大阪城の内部に不穏の
噂(裏切り)があるからとかされてるが。個人的には吉川の進言もあったり
したと思うのだが。
で輝元が関が原にこないから末端の兵士までビビッて士気が上がらないって
三成だかが愚痴をこぼしてたらしいじゃないか。


325 :人間七七四年:2007/08/06(月) 02:18:28 ID:WG083/p7
それにしても前田が東軍についたってのが痛かった。
そもそも前田が大阪城の防衛にあたるってのが利家存命中の確定事項だった
はずなのだから。
戦国板なのでもしを語るけど
前田が西軍なら大谷らの北陸遠征はなく、京極の寝返りのなかったかもしれない。
なにより毛利が全力で東軍と対決できるってのが大きい。

家康がじゃまな前田から屈服させたってのがよく分かる。
そういう意味では上杉も家康が想定したよりヘタレだったって感じもする。

326 :人間七七四年:2007/08/10(金) 14:33:44 ID:k3LmhW+r
三成の行動が遅かったな。他の大老にも働きかけて
前田を撃つなら我らにも考えがある!くらい他の大老の総意で
言っていたら状況は全く違っただろう。前田だって人質なんて送りたくなかった
のは明白だし、家康相手とはいえ、他の全ての大老が味方となれば強気になれる。

327 :人間七七四年:2007/08/10(金) 20:32:34 ID:OK/0LQcl
>>326
妄想は置いといて、当時の歴史を勉強しろよ。

328 :人間七七四年:2007/08/10(金) 20:42:50 ID:vd8XtLhR
だいたい関ヶ原の決戦に及んですら、毛利、宇喜田、上杉の間で目的も行動もバラバラなのに
まだ戦も起きないうちに対徳川で他の4大老がまとまれる訳が無い。

329 :人間七七四年:2007/08/10(金) 21:42:38 ID:k3LmhW+r
前田老が死ぬまでは一致して糾弾してたが?
三中老と坊主が手紙持って行っただろう。

330 :人間七七四年:2007/08/10(金) 22:40:42 ID:vd8XtLhR
>>329
一致して糾弾って言っても、一致して対徳川戦争を行うほど一致してた訳じゃ無いだろ。
そうでないからこそ利家も結局家康に頭下げに行ったわけだし。

331 :人間七七四年:2007/08/11(土) 00:10:14 ID:zo6fJ8e3
>>330
あの状況で開戦していたら、家康に付く武将などいなかったと思われ。
吉継も高虎も、傍観するか伏見から撤退するしかなかっただろう。

332 :人間七七四年:2007/08/11(土) 00:27:54 ID:I/9XgASg
ただ、前田利家が生きてればというのはあったろうからな。
本当に死ぬタイミング悪過ぎ・・・

333 :人間七七四年:2007/08/11(土) 03:26:40 ID:ITbPtgaN
まあ、60近くなればいつ呆けても死んでもおかしくないからな。
タイミングが悪いとは言え早々何年も抑止力となるものでもないな

334 :人間七七四年:2007/08/11(土) 08:17:49 ID:+lAj//5b
利家がその時点で家康討伐を渋ったのが問題だな
輝元同然の腰抜けに思えてくる

335 :人間七七四年:2007/08/11(土) 08:54:52 ID:akiW4sBF
>>331
だからそれ以前に、あの段階で一致団結して家康に対して開戦するほど、
四大老の意思が一致していたわけじゃあないだろうって事を>>330は言いたいのだと思うが。

実際そこまで体制が固まっていたなら、利家はもっとずっと強く家康に当たっていたはず。

336 :人間七七四年:2007/08/11(土) 11:57:27 ID:QTL/oW0+
大きな合戦で誰が利家の旗の下で戦いたいと思うんだろうな・・・
家康だって小牧で2万とか3万だが
一応形としては数万の連合軍で多面的に秀吉に当たったことになるし、利家てw

337 :人間七七四年:2007/08/11(土) 15:41:52 ID:akiW4sBF
そういえば前田利家は独立した大名として自分の意思で戦ったことは当然ないし、
信長時代の方面軍司令官のような地位に立ったこともない。
要するに総司令官の経験がゼロだからなあ。

景勝は独立した大名として活動していた時期がかなりあるし、
輝元も叔父の強力な補佐があったとはいえ独立した大名だった。
しかし利家はそういう経験が全くない。

家康と対立した時は、態勢が整っていなかったから戦わなかったのではなく、
単に戦う自信が無かったから戦わなかった可能性もあるか。

338 :人間七七四年:2007/08/12(日) 02:01:59 ID:3OjO1tzM
>>334
へタレの前に老い先短いし保身に走るのは何の不思議もないな。
自分の家危うくしてまで秀吉に義理立てする必要もないよ。

339 :人間七七四年:2007/08/12(日) 09:51:12 ID:PBmYVzH/
利家も豊臣家を「主家」だとはカケラも思っていないだろうしな。「体制」としては居心地が良かったかもしれんが。

340 :人間七七四年:2007/08/12(日) 10:07:07 ID:+0Mz5ABa
家康を倒せば、前田家が大老筆頭になれるのだが。

毛利一派と上杉は外様。宇喜多は一門だけど石高と官位が低い。
五奉行は豊臣家家老だから、政治的には前田家が比類なき力を得られる。

341 :人間七七四年:2007/08/12(日) 11:38:58 ID:i4N19V4h
建前はそうなるだろうが、前田家の石高は毛利・上杉に負けているし、
家康を倒すには両者に協力してもらうのが不可欠だから、
さらに加増しなければならなくなる。
仮に上手いこと家康を倒して大老筆頭になっても、
毛利・上杉の2勢力の台頭でろくなことにならないと思うが。

それに既出の通り利家の総司令官としての能力は全く未知数、
経験に関しては完全にゼロだから、
仮に戦になったとしてどこまでリーダーシップを取れるか疑問が残る。

342 :人間七七四年:2007/08/12(日) 12:23:57 ID:lhB8itty
>>341
なんか、利家は堀や蒲生が早死にしたもんで急遽引き立てられた
感があるんだが・・・・実際どうなの?

343 :人間七七四年:2007/08/12(日) 12:42:31 ID:PBmYVzH/
>>342
その通りだろ。丹羽長秀が長生きしたらもっと圧倒的なナンバー2になってたと思うけど。

344 :人間七七四年:2007/08/12(日) 13:00:41 ID:i4N19V4h
>>342
もっと言えば、小早川隆景が生きているうちは、
家康対輝元・隆景の組み合わせでバランスを取っていたから、
家康の対抗者としては本当に急遽仕立て上げられた感じだと思う。


345 :人間七七四年:2007/08/13(月) 03:20:25 ID:OpgNIXAc
んー、婚姻政策と派閥関係で見かけ以上の実力はあると思うんだけどね。


平時という前提条件が付くけど。

346 :人間七七四年:2007/08/14(火) 00:03:58 ID:an45i2gr
>>345
まだ戦国が収束していない以上、それじゃあ意味が無い。
婚姻と派閥で実力、と言うのなら前時代の足利将軍家はもっとあった。

347 :人間七七四年:2007/08/14(火) 02:22:32 ID:HehtROvC
利家はやはり太閤とともに信長に仕えたことで尾張閥代表としての立場がある。
だから加藤や細川、浅野などにもある程度の抑えが効く。
また太閤の遺言により秀頼の後見であり豊臣家の意思として実行できる強みがある。
秀頼を膝に抱いて自分より大身の大名も平伏させられる権威があった。
伏見の時は毛利は兵を集めだしていたはずだし、大坂方の本気さに家康が折れたはず。
伏見で開戦すれば毛利や宇喜多、石田等は領国が近いが、関東は遠いわけで不利は明らか。
利家が元気なら開戦したかも知れない、自分でもそうだが病気では何かと気弱にもなる。

348 :人間七七四年:2007/08/14(火) 21:04:13 ID:an45i2gr
>>347
希望的観測とIFばかりだ。

349 :人間七七四年:2007/08/14(火) 23:45:55 ID:Gh7RJwzo
西軍厨の妄想は何時見ても素晴らしいものだなw

350 :人間七七四年:2007/08/15(水) 00:27:14 ID:CqOdxqQo
>>348
利家存命中は家康が無理しなかったのは事実じゃねえ?
大坂に移るときも家康と淀の反対を押し切ってるし。

351 :人間七七四年:2007/08/15(水) 19:23:46 ID:/LHbtEmR
実際には直ぐに死んでしまったから、どっちにしてもIFの話にはなるしね。
まあ、利家が死んだ当日に七将が三成を襲ったりしたらしいから、
利家が生きているうちはそれなりのにらみが利いていたのは事実だろう。
しかし、実績が少ない、特に総大将としての経験が全くないのも事実だから、
あまり過剰に期待することも出来ないでしょう。

352 :人間七七四年:2007/08/15(水) 19:28:23 ID:YPvEPJMN
流れ読まないで申し訳ないがどなたかご教授してください

今関ヶ原の戦いを調べてる(って言っても検索ぐらいしか出来ない)んだけど
島津豊久の最後がよくわからんのです
豊久側で調べて見るとその最後は記されているものでは
大抵本多忠勝隊が首を挙げたとあるんだけど
東軍側、っというかよく目にするのもでは井伊直政が豊久を討ち取った
との記述も確認できるのです

いったいどっちが正しいんですか?

353 :人間七七四年:2007/08/15(水) 20:51:31 ID:gcJL9os3
>>351
死んだその日に襲撃、って事は
襲撃にも兵の動員や計画、配置などたくさんの前準備がいるから
もう死ぬことを前提にかなりおおっぴらに襲撃計画進めてたんだろうね。
「利家の死が合図だ」って感じで。
そう考えると逆に、物凄い舐められていたようにも感じるな。

354 :人間七七四年:2007/08/15(水) 20:55:31 ID:gcJL9os3
>>352
潰走して混乱の真っ只中の島津の記録と、勝利者として組織としてもきちんと秩序立ってる
東軍の記録のどちらが信頼おけるかといえば、やっぱり後者じゃない?

355 :人間七七四年:2007/08/15(水) 21:11:32 ID:YPvEPJMN
>>354
そうですか
やっぱり正確にはわからないものなんですね
ありがとうございます
更に調べて見ます

356 :人間七七四年:2007/08/15(水) 21:42:30 ID:nMN2hkK/
>>353
問題は、七将が何時ではなくて何故三成を襲ったかなんだけどね。
実は、利家とは関係の無い朝鮮の件のごたごたがあり。
たまたま死に掛けていた利家の所に逃げ込んでいたという情け内
事情だったんだろうね。

いうまでもなく、七将の大半は利家派。
でも家康と利家の対立では、家康派か中立派を決め込んだ連中。

三成はあれだが、武断派はもっとあれだ。ぶっちゃけ豊臣家の癌だと
認識したのはこの事実に気が付いた時。

本は、対立していたとか、嫌われていたとかそういった言葉でごまかしているが、
関が原前後の流れをみると、文句なく武断派は汚い。

357 :人間七七四年:2007/08/16(木) 01:05:49 ID:bF4gwcac
>>353
戦じゃないんだから闇討ち程度だろ、
大っぴらにやらなくてもできるよ。
利家の力量なんて図れないけど奴が生きてる間には
とにかく事は起きなかった、
そこは評価すべきだろ。

358 :人間七七四年:2007/08/16(木) 02:41:32 ID:JO6fJCA7
まぁ、豊臣自体が碌でもない存在だったからな。
禿鼠の家系なんぞ絶たれて当然だわ。

359 :人間七七四年:2007/08/16(木) 09:10:00 ID:AgnihXdk
で喪前の家計はどうなのよ。

360 :人間七七四年:2007/08/16(木) 09:46:07 ID:Qa2me2cY
>>359
天下取ったやつの家系と一般庶民の家系を比べて悦にいられてもなあ。

361 :仙台藩百姓:2007/08/16(木) 11:01:28 ID:R8mT96dQ
家康の家系よりか秀吉の方が良いかもしれないお( ^ω^)
乞食坊主より百姓のほうがマシだお

362 :人間七七四年:2007/08/17(金) 00:06:00 ID:kDBA2rbF
相変わらず差別論を振り回す馬鹿がいるな。
立身出世を凄いと素直に評価できない、妬み根性しかない奴。
秀吉が嫌いだとかそういう問題じゃないな。

363 :人間七七四年:2007/08/17(金) 04:15:25 ID:y4De3Tcy
出世してもやる事が大量虐殺じゃあなぁ

364 :人間七七四年:2007/08/17(金) 09:18:23 ID:C9nKgKA0
まあ、世界的に見ても英雄なんて似たようなことはやってるよ。
でも猿は大量虐殺はしてないんじゃないかな、秀次事件も大量虐殺とはいえないし。
あちゃらの人かな。

365 :人間七七四年:2007/08/17(金) 16:51:02 ID:Dz5P2Irh
あちゃら懐かしいな
元々初心者向け雑誌だから大した内容が無かったけどあっさり廃刊になったな

366 :人間七七四年:2007/08/18(土) 11:58:10 ID:qxd6lbRu
徳川に逆らう者、皆打ち首い致し申し候事。

367 :人間七七四年:2007/08/20(月) 00:05:49 ID:TMCihpvR
すまん、流れと違うんだけど。西軍が勝つってなると・・・
・三成が権力に色気出す。
・秀家、秀秋が主張し出す。
・毛利もデカイ顔する。
で混沌とした時代がしばらく続きそう。

368 :人間七七四年:2007/08/20(月) 00:12:11 ID:pZM5UJFY
それこそが連立政権という物だろ
中でも秀家は筆頭大老になっていいほどの働きをしてるし
三成からの信頼は相当なものになる

369 :人間七七四年:2007/08/20(月) 00:31:20 ID:086HpFap
>>368
連立でも政権になればいいが、政権化する前にあっという間に空中分裂するだろうな。
誰一人として自分の権力を強制出来る手段を持っていないから。

370 :人間七七四年:2007/08/20(月) 03:15:07 ID:M8SVevi1
250万石の家康でも徳川が磐石になるのに家光の代までかかるのだから、
20万石の三成では厳しいのではないのかな。でも考えようによっては
三成・秀家・秀秋といった若手が国の舵取りをするってのもおもしろいのかも。
しかし増田のジジィはえげつないなぁ・・・、みんなそうだけどね。

371 :人間七七四年:2007/08/20(月) 09:31:23 ID:wyQA00F8
増田は二股がバレて失脚
小早川は内応がバレて改易
毛利は吉川の内応がバレて小幅加増、吉川は改易
て所だろう。

372 :人間七七四年:2007/08/20(月) 09:33:38 ID:086HpFap
>>371
誰がそれを差配するんだよ?
たとえば三成が毛利や小早川にそういう処分できるとでも?
あっという間に内戦が起こるよ。

373 :人間七七四年:2007/08/20(月) 21:22:13 ID:LehZO3mO
増田は息子が何故か豊臣入って親父さん切腹させられたけど、やっぱり豊臣に対する
忠誠は残ってたのかな?みんま忠誠心や義だけで生きれたら楽だろうな。
戦国は死と隣合わせで炙り出される人間臭さが好きだ

374 :人間七七四年:2007/08/21(火) 11:58:31 ID:R1LdPbaY
長盛自身はどうかは知らんが、増田盛次は尾張徳川だかに仕官出来ていたのをわざわざ蹴って豊臣方へ参陣してるからなあ。
息子の方にはかなり思い入れというか、そういう気持ちがあったかも。

375 :人間七七四年:2007/08/21(火) 12:03:43 ID:ufnAeErS
>>374
オヤジは豊臣家ってものにはけっこうドライなのにね。逆にオヤジがドライだから
息子はそれに反発したのかもな。

376 :人間七七四年:2007/08/21(火) 23:13:26 ID:s6nYlXpu
増田は人間の弱さがモロに出たなあ、そんなにドライでもナインじゃない。

377 :人間七七四年:2007/08/22(水) 00:17:19 ID:1zC0eixj
>>376
増田は豊臣家というよりも、権力機構の中枢と言う場所を愛した人間のように思う。

378 :人間七七四年:2007/08/22(水) 23:26:57 ID:h8LUAxrw
役立たずと決定されてる島津だが
石田の傍で徳川譜代親藩一手に引き付け防戦した功績は大きいだろ
あれが無ければもっと早く西軍本陣崩壊してた


379 :人間七七四年:2007/08/23(木) 00:28:24 ID:1noFv/+6
>>378
別に島津じゃなくても出来た事のようにも。

380 :人間七七四年:2007/08/23(木) 03:25:09 ID:oVTouIGZ
>>379
たしかにな。せいぜい1500人くらいしか、いなかったしな。



381 :人間七七四年:2007/08/23(木) 23:27:47 ID:0f94bxwP
>378
>石田の傍で徳川譜代親藩一手に引き付け防戦した功績は大きいだろ
そうなの?ほとんど戦って無かったんじゃないの?

382 :人間七七四年:2007/08/24(金) 00:23:02 ID:vr8kpHpu
>>381
攻めてくる奴らは追っ払った。ついでに、敗走する西軍が陣に入るのも。

383 :人間七七四年:2007/08/24(金) 00:50:30 ID:ZpX4gM9S
>>382
脇備えを攻めるか?

東軍が攻めたのは、小西隊が崩れた後なんじゃないかな。

384 :人間七七四年:2007/08/24(金) 01:34:21 ID:/qtIGiO5
井伊と本田は最後に島津と戦ったけど、
宇喜田とか小西と戦っていたんじゃなかったっけ?
動かないで守りに徹していてのを功績といわれても・・・。

ぶっちゃけ、普通に戦えよ。
敵陣中突破でごまかされているが、裏切った連中除けば
実は唯一の戦犯なんじゃ??

385 :人間七七四年:2007/08/24(金) 01:53:43 ID:84jODKWD
西軍は実際に戦った部隊(石田隊・小西隊・宇喜多隊・大谷隊等)も全部
自分のとこにきた東軍を迎え撃つという形での戦闘だろ
自分達から東軍の○○隊を攻撃しようと攻めかかったのは居ないんじゃないか
そもそも大垣を出て関ヶ原に布陣したのは
関ヶ原に陣地が構築してあったからそこで東軍の進軍を止めるという意図があったためだし

島津とて同じ
たまたま島津隊に対して攻めかかった東軍の部隊が居なかったというだけだろ

386 :人間七七四年:2007/08/24(金) 19:14:52 ID:PzYpBVGP
必死に助けを求めてきた三成を追い返したりしているけどね。

387 :人間七七四年:2007/08/24(金) 19:25:08 ID:c6Qrh92c
でも、前に実は島津勢は第二陣的な役割で、好機をうかがっている
うちに西軍が総崩れになり・・・というのを見た事があるんだけど

388 :人間七七四年:2007/08/24(金) 19:55:51 ID:PzYpBVGP
>>387
確かに島津が第二陣だと書いてある史料はあるそうだが、
その史料だと宇喜多は第三陣って事になっている。
第三陣が必死に戦っているのに、動かない第二陣ってのはどうかと思うが。

389 :人間七七四年:2007/08/24(金) 20:24:23 ID:84jODKWD
島津の夜襲案を蹴って関ヶ原に布陣しようと言い出したのが三成だろ
自分で支えきれないくせに言い出すなってことだ
ムシが良すぎる

390 :人間七七四年:2007/08/24(金) 20:56:46 ID:PzYpBVGP
夜襲案というが、家康が着陣したその日の夕刻に、
東軍が西へ向かうという情報が入って、西軍も動き出したわけだから、
夜襲をかけるタイミングなんて最初から存在しなかったわけだが。

391 :人間七七四年:2007/08/24(金) 21:33:13 ID:bR5pWBki
そもそも夜襲案自体あったのかどうかわからないしな

392 :人間七七四年:2007/08/24(金) 21:34:58 ID:alQBmH9u
島津があったと言ってるだけで、他の誰もそれについて証言していないからなあ>夜襲案

393 :人間七七四年:2007/08/24(金) 22:22:56 ID:KhB6hpUp
宇喜多も賛同してたって話があったような

394 :人間七七四年:2007/08/24(金) 23:51:26 ID:/qtIGiO5
>>393
賛同つーか、関が原前夜に石田隊と宇喜田隊が合同で夜襲していなかったっけ?

395 :人間七七四年:2007/08/25(土) 01:15:34 ID:j+1GjvTj
夜襲案自体、明治になって軍が編纂した資料に出てきて有名になった
話しだった気がするんだが・・・元ネタは何だったんだろうか

396 :人間七七四年:2007/08/25(土) 01:21:47 ID:/gR7sCPO
>>393
それは小説だよ。

397 :人間七七四年:2007/08/25(土) 10:10:14 ID:XH9H0yiJ
>>395
鹿児島に伝わっていた口伝だったような>元ネタ

398 :人間七七四年:2007/08/25(土) 13:54:40 ID:j+1GjvTj
旧軍の編纂した合戦の資料って、いいかげんなレベルの情報も
かなり入っていて、正直あまりアテに出来ないんだよな

399 :人間七七四年:2007/08/25(土) 22:36:16 ID:/coBHE/9
>>394
それが杭瀬川?

400 :人間七七四年:2007/08/26(日) 23:22:58 ID:ivJEn9no
杭瀬川は夜襲じゃなくない?

401 :人間七七四年:2007/08/27(月) 08:21:40 ID:XFX5xYv3
嶋図に関してはネタが多すぎるよ、あまり信用しない方がいい。
同様に小説に洗脳されてる椰子が多すぎるな。

402 :人間七七四年:2007/08/31(金) 01:13:06 ID:hJUBIfEa
信頼できる大谷宇喜多に西部指揮を任せて、
仮に石田自身が東部行ってたらどうなってたろ

安国寺や長宗我部と懸命に東軍背後を突くものの、
吉川から逆落とし食らってこっちも同じような事態になってたか

403 :人間七七四年:2007/08/31(金) 07:16:28 ID:0sKL5kA1
傍観するのと裏切りとは似て非なるものだから、それは無いだろう。

404 :人間七七四年:2007/08/31(金) 19:08:13 ID:3fOnMyCZ
>>402
その場合、三成は西軍の首謀的な人間だし、三成を個人的に憎んでいる者も多いから、
東軍の攻撃の主力が三成のいる方に向くことになると思われる。
だから、逆に大谷や宇喜多が背後から東軍を攻める形になるだろうが、
そのさらに後から小早川に攻撃されて壊滅、
結局は敗北ってことになるのではあるまいか。

405 :人間七七四年:2007/09/01(土) 23:21:46 ID:o23pehQ3
面白いけど、南宮山の西軍に中立を守らせないと徳川は意味無いから攻撃しないよね。
石田は秀元の出陣を督促するが、毛利は動かずに敗北。
石田は長宗我部なんかと配送じゃない。

406 :人間七七四年:2007/09/02(日) 08:56:10 ID:dxNodC7+
>>405
三成が南宮山にでも布陣したと仮定するならそうだろうが、
あそこは毛利の一族が占めていて三成が入り込める可能性はさらに低いかと。
長宗我部らの近くに布陣したなら、南宮山とはかなり距離があるので、
やはり東軍攻撃の主力はそちらに向かうことになるでしょう。

407 :人間七七四年:2007/09/02(日) 10:18:51 ID:VrYBL3pb
>>406
長宗我部らが攻撃を受けたら、さすがの秀元も無視できないでしょう。
そのために広家は事前に東軍から攻撃したら不戦は守れないと通知してますよ。


408 :人間七七四年:2007/09/02(日) 14:22:00 ID:dxNodC7+
>>407
別に同じところに布陣しているわけでもないし、
毛利が長宗我部らに義理だてする必要はないと思うが。

しかし考えて見れば安国寺も長宗我部のそばにいたし、
さすがにそっちは見捨てられないかもね。

409 :人間七七四年:2007/09/03(月) 00:42:50 ID:S+BBetd8
毛利が長宗我部らに義理だて>ていうか、広家が秀元の出陣を抑えてた理由て戦機が熟してないとかじゃないの、
下で数万の軍勢がドンパチやりだしたら秀元を止められないだろ。

410 :人間七七四年:2007/09/03(月) 20:10:29 ID:3jUHoQ42
 西軍が勝った場合
政権運営は大老筆頭・宇喜多秀家=奉行筆頭・石田三成の枢軸運営
になるだろう。

 けど関白に小早川秀秋が就任したとして、戦の前から懸念されていた
裏切り疑惑の観点から立場弱そうだし
 毛利の場合、徳川亡き後は自分たちが徳川のいた立場に立つから三成の
思惑とは敵対しそうだし
吉川広家という内応犯抱えてるし
内応の確信犯予定だった脇坂とかいるし
関が原で三成とギクシャクしそうな島津や増田いるし
・・

411 :人間七七四年:2007/09/03(月) 20:17:08 ID:3jUHoQ42
 多分政治には口出ししない名誉職に祭り上げられるのは確実であろう
関白小早川秀秋と諸侯筆頭毛利輝元に
島津や増田、脇坂とか東軍で残存できた大名衆が結集して

宇喜=石田の政権にたいして巨大な対抗軸野党みたいになるだろう。
そして西国に関しては安定はするが毛利の独壇場

一方東国の場合は毛利の影響は及びにくいが
徳川は秀康に家督継がせて残すしかないだろうし(徳川は巨大すぎるから全滅はむり)
上杉佐竹伊達真田は巨大化して暴れそうだしで
三国志ならぬ五国志の騒乱で安定せんだろうし

まかり間違えば日本は東と西で別の天下ができていくかもしれんね。



412 :人間七七四年:2007/09/03(月) 21:39:26 ID:S+BBetd8
足利幕府の様な脆弱政権だろうね。
地方は有力大名が実質牛耳って、豊臣の力が及ばない。
中央は毛利、宇喜多、上杉などが徒党を組んで勢力争いをするが、決定的な力が
ないから冷戦状態。

413 :人間七七四年:2007/09/03(月) 21:47:22 ID:PacSkPui
西軍って三成は中央集権したかったのかもしれないけど、その他は統一政権を息苦しく思っている
大名ばっかりだからな。同床異夢もいいところ。

414 :人間七七四年:2007/09/04(火) 09:28:46 ID:PYt+yl5A
まあ、家康を息苦しく思ってる大名も多かったてとこだな。

415 :人間七七四年:2007/09/05(水) 09:27:01 ID:PsTSrXTy
それは言える

416 :人間七七四年:2007/09/05(水) 13:11:53 ID:/uGvMCWe
東軍でも家康に天下を取らそうなんて確信犯は長政と高虎くらいだろう。

417 :人間七七四年:2007/09/05(水) 14:44:55 ID:0IZPMcYB
西軍潰せば実質家康の天下になる事は、よほどの馬鹿でもなければすぐ解る事だろ。

418 :人間七七四年:2007/09/05(水) 21:22:13 ID:eHyHQ70o
よほどの馬鹿>正則、秀秋、広家

419 :人間七七四年:2007/09/05(水) 21:33:40 ID:UOqAkJfe
西軍中央集権に黒田官兵衛は入れますか? 

420 :人間七七四年:2007/09/05(水) 22:04:43 ID:MgIuHaT2
吉川広家って、関ヶ原以後はどういう人生を送ったんだろうなー。

浅墓な忠誠心でやったことが主家に大迷惑かけて、馬鹿で間抜けで畜生
みたいなどうしようもない奴呼ばわりされて・・・。
実際のところどうだったのかな。


あと、おれは小早川が裏切り者だとはまったく思ってないんだが。
地理的に無理やり西軍に組み込まれただけであって、実際は何度も家康に
詫び状や味方につくことを申し入れてるし。
「秀秋非凡説」ってすでにある?

裏切りってことなら福島・加藤の方がよほど悪質だと思うんだけどな。
お家大事、秀頼様大事で家康を持ち上げてあのザマだから。真性の馬鹿。

421 :人間七七四年:2007/09/05(水) 22:29:37 ID:0IZPMcYB
> 裏切りってことなら福島・加藤
この二人も、あのままの豊臣政権を続けるなんて変な夢は見ていなかっただろ。
豊臣家の名誉を保ったまま政権交代を軟着陸させる、位の構想でやっていたのでは?
ただ、あの二人の想像を超えて淀君周辺が時世を見ていなかっただけで。

422 :砂岩か耳ね ◆oWrjcNwAas :2007/09/05(水) 23:24:55 ID:LrcM7jgT
>>420
福島加藤の件、似たようなスレがあったね…。
なぜ馬鹿が故意より悪質なのか、どう考えても分からん。

423 :人間七七四年:2007/09/05(水) 23:47:42 ID:kUdZUvGO
無自覚のほうがタチが悪いってことじゃないの?

424 :人間七七四年:2007/09/06(木) 00:31:11 ID:Ben61sqQ
>>420
広家は一門から爪弾きにされたみたいだよ、重鎮から嫌われ者に変身。
正式に許されるのは明治に入ってからじゃなかったかな。
特に関ヶ原で騙され続けていた秀元の怒りは治まらなかったようだね。
あと、秀秋だけど彼は豊臣のためにならないとは思わなかったんじゃないかな。
正則や家正なんかは長政や高虎ほどじゃないと思うけどね。


425 :砂岩か耳ね ◆oWrjcNwAas :2007/09/06(木) 01:22:16 ID:8UjD5D4B
>>423
それなら分かる。小さな言葉の違いだけどね。

426 :人間七七四年:2007/09/06(木) 06:33:25 ID:YXqebqI5
広家って悲惨だよな
西軍大将に担ぎ上げられた本家の為に動いて
吉川を捨てて何とか毛利を残したのに
馬鹿な毛利家から逆恨みされるなんて

427 :人間七七四年:2007/09/06(木) 08:07:11 ID:5AjO4CkJ
>>421
4大老・5奉行を無視してまで、そういった行動に出たわけだし、
そもそも、婚姻その他で家康ベッタリの行動なわけです。

そこまでして、心情は豊臣家っていうのはわけわからん。

どっちかっていうと、強大になりすぎた徳川家に対抗する
為に、豊臣家を持ち上げたという風に見えるけど。

少なくとも、豊臣家がある限り徳川家の圧力はこっちに
こないわけだから。

428 :人間七七四年:2007/09/06(木) 09:30:58 ID:XLBRIue+
広家って悲惨>主家を欺いて狸の本性を見抜けなかったお馬鹿の末路だから当然だろ。

429 :人間七七四年:2007/09/06(木) 13:25:24 ID:bfqBwiYC
ああそうか、福島、加藤両名は豊臣家に忠誠はあった、
でもバカだったから家康の思惑を見抜けなかった。
ということにしないと、あっさり裏切られる秀吉が哀れになるね。

430 :人間七七四年:2007/09/06(木) 18:43:35 ID:Zrp7NOTJ
唯一、福島が評判回復できたであろう行動は、大阪入城、だったろうね。

あのときに領地も投げ捨てて秀頼に味方すれば、例え敗れてもここまで
ボロクソにけなされることもなかっただろう。
っていうか、なんで行かなかったんだ? 所詮はその程度の人物だったって
ことなのかな。

挙句に配流、自害(らしい)、御家断絶だから弁護の余地なし。

431 :人間七七四年:2007/09/06(木) 18:48:10 ID:2F+hOR3h
>>430
大阪入城も何も、大阪の陣のときは江戸に留め置かれていたわけだしなあ。
それにこう言っちゃ何だが、正則は別にボロクソに言われてなんかいないと思うぞ、世間では。

432 :人間七七四年:2007/09/06(木) 20:40:35 ID:vlYmRpSu
>>420
秀秋は事前に家康に付いていたはずなのに、
最後の最後で行動を迷ってしまったからね。
間髪入れずに西軍を攻めていればまた評価も違っただろうが、
あの行動では優柔不断のそしりは免れ得ないよ。

433 :人間七七四年:2007/09/06(木) 21:00:10 ID:DqaX3vQW
秀吉が悪い

434 :人間七七四年:2007/09/06(木) 23:15:48 ID:yMJQv9ym
>>426
>>428
一方的に嫌ってる安国寺から説得された事で
反発を覚えたってのも当然有るだろうな。

この計画が成功でもすれば、
恵慶に毛利・豊家での覚えを良くされてしまうという個人的危惧。

435 :人間七七四年:2007/09/07(金) 00:08:05 ID:yM5XT0om
どっちにしろ、みんな時代の流れなんか分からないって事だな。
そんな中で、幸運と老練さがあった家康が勝ったと言う事。
誰を馬鹿にしたり責任を擦り付けりゃいいもんじゃない。

436 :人間七七四年:2007/09/07(金) 00:17:31 ID:bVSRXOts
家康は関ヶ原の戦い以上に、戦後の秩序回復のスピードと的確さが見事としか言いようが無い。
アレで西軍残党も何も出来なくなってしまった。

437 :人間七七四年:2007/09/07(金) 08:52:35 ID:Omp68rRR
時世の流れなんて結果が確定した後の時代になって初めて言えることであって、
リアルタイムに生きてる連中がそんなこと言い出すのは腑抜け以外の何者でもない

438 :人間七七四年:2007/09/07(金) 09:51:06 ID:rM0IY4zT
>>434
それはあるだろうね。
輝元ー恵慶ー三成ラインで自分は蚊帳の外に置かれてた訳だし、
憤懣やるかたない気持ちが判断を鈍らせたんじゃないかな。
歴史上でも良くある話。

439 :人間七七四年:2007/09/08(土) 13:58:19 ID:c7AT335f
家康についた武将は実利(世の流れ)をとった。
石田についた武将は、大義をとった。
そういう意味では、吉川広家の判断は正しかったと思うよ。
ただ交渉の詰めは、あまかったのかな。
もし、広家がいなかったら、
毛利は宇喜田のようになっていたんでないかな?


440 :人間七七四年:2007/09/08(土) 16:00:36 ID:nwqk/ASa
っていうか、広家がいなければ関ヶ原は西軍の勝ちだろ。

441 :人間七七四年:2007/09/08(土) 20:41:31 ID:cFDZU/BB
その通り
二正面作戦を取れなくなった時点で戦略的には三成の負け
大谷にしても小早川で崩れたのではなく、
それに呼応した配下四将の裏切りを予測できなかっただけの話

関が原を分けたのは小早川でなく、吉川だよ。

442 :人間七七四年:2007/09/08(土) 21:13:28 ID:yv/aQfwe
違うよ。敗因は結局西軍を一つにまとめられなかった三成の器量だよ。

443 :人間七七四年:2007/09/08(土) 23:33:21 ID:n2AgKOb3
まるで大谷が小早川に勝てたみたいな言い草だなしかしw

444 :人間七七四年 :2007/09/09(日) 00:27:19 ID:a9ciiE1e
まぁ、事実一時的に勝ってたしなw
小早川の方が押し込まれてた

つうか1万前後の大軍に対応できて
数千程度の味方の裏切りで崩れる刑部って何なんだろ




445 :人間七七四年:2007/09/09(日) 00:34:09 ID:wbJHhKwW
>>444
一時的に押し返した位のことを「勝った」とは言わない。

446 :人間七七四年:2007/09/09(日) 01:37:30 ID:lhQ4ElHv
家康側にも大義あったでしょ

447 :人間七七四年:2007/09/09(日) 03:40:28 ID:LqNM3Gfl
見かけ上の大義はあったかも、気持ちは簒奪者でも。

>>440
>>441
家康は、吉川の不戦と小早川の寝返りは、
ある程度は事前に確信できていたよね。
だからこそ、怯まずに関ヶ原に進出できたのもある。

もしそうでなければ(吉川がいないとか)、
史実の陣形にすら、なっていないかもよ。
西軍の勝ちは言い過ぎ。

結局は>>442が正しいんだろうね。

448 :人間七七四年:2007/09/09(日) 10:20:30 ID:vsUmCa16
毛利と小早川の一つが西軍でちゃんと戦えば西軍は勝てたかな?

449 :人間七七四年:2007/09/09(日) 12:26:19 ID:OQzldJ1t
つか毛利が総大将
それがちゃんと戦わないなんて もう始めから終わってる

450 :人間七七四年:2007/09/09(日) 12:28:21 ID:OQzldJ1t
というか意味ワカラン やっぱ吉川に批判くるわな

451 :人間七七四年:2007/09/09(日) 13:51:39 ID:RCbC9PxE
関ヶ原は、豊臣からみれば内部抗争。
結局は、勝った方が正しいとされる。
吉川は中途半端な結果に終わったから批判がくるだけ。
もし毛利が全面的に家康についていれば、批判されなかった。
そういう意味では、吉川も石田も、まとめる力が足らなかった。

452 :人間七七四年:2007/09/09(日) 14:02:51 ID:FKg8mLhl
問題は、吉川も小早川も三成が挙兵するまで
何もしなかったわけなんだが。

事が起こった後の対応もまずいし。

453 :人間七七四年:2007/09/09(日) 14:15:24 ID:wbJHhKwW
>>452
してるだろ。家の中に西軍派勢力がいてそっちに引っ張られているだけで。
毛利家としては吉川よりも、安国寺に西軍に引っ張りこまれた事の方が悔やんでも悔やみきれないミスだわな。

454 :人間七七四年:2007/09/09(日) 17:25:50 ID:sDoAa6OJ
>>453
違うだろ。
広家と福原が関ヶ原で山を下りていれば、輝元は関白だったんだから。


455 :人間七七四年:2007/09/09(日) 17:35:12 ID:wbJHhKwW
>>454
広家と福原が山を降りるような状況なら、東軍は関ヶ原で別の布陣を引くだろ、当然。

456 :人間七七四年:2007/09/09(日) 18:03:47 ID:+aUKF/Zo
〜たら、〜れば、〜だったら、〜していれば
を駆使して
しかも敵の側はそのままの条件で固定してなんら対策を取らない、もしくは考慮にも入れない

こうやって一方に有利な条件だけ足していけばそりゃ勝てただの勝ってただのいえるわな
信長の野望じゃあるまいしw
しかもチートだよこれじゃw

457 :人間七七四年:2007/09/09(日) 18:23:56 ID:DWaAi2yj
関ヶ原の戦いの総大将って結局石田三成になるのか? 毛利はやる気無かったようだし
武官 VS 文官
徳川 VS 毛利
正室 VS 側室
どういう戦いだよこれはwww

458 :人間七七四年:2007/09/09(日) 20:31:02 ID:a9ciiE1e
寧ろ関が原決戦を避けた方が西軍には良かったろ。
内府十八番の野戦・恩顧の士気がある内の短期決戦と、家康に美味過ぎる膳立てに
三成が乗せられてしまったとも言えるし。

大垣篭城なら毛利大谷小早川と分断されてたとか、
佐和山攻めをちらつかせて挑発する家康に
三成が堪えられる訳がないとかいう説は有るけど
いずれにせよ史実のようなあっけない全壊は避けられた。






459 :人間七七四年:2007/09/09(日) 20:52:32 ID:wbJHhKwW
>>458
史実よりひどい戦もしないで崩壊、と言う可能性も西軍には充分にあったわけだが。

460 :人間七七四年:2007/09/09(日) 23:43:15 ID:AuQfdPDc
>>457
関ヶ原の総大将は宇喜多秀家。
>>458
大垣篭城なら小早川は東軍に合流、大谷は全滅、動きも取れずに状況悪化。
佐和山攻めをちらつかせて挑発する家康>ネタ、だけれど京・大坂が危険。



461 :人間七七四年:2007/09/10(月) 00:14:07 ID:jDmbKrA4
最近西軍総大将は宇喜多秀家という書き込みをする人を見るけれど
新しい解釈?

462 :人間七七四年:2007/09/10(月) 00:27:17 ID:mJNlBdlN
>>461
「関ヶ原合戦の」西軍総大将は秀家。

463 :人間七七四年:2007/09/10(月) 00:30:58 ID:uYNzH22+
名目は毛利
首謀者は三成
実質は宇喜多

464 :人間七七四年:2007/09/10(月) 05:27:42 ID:ulFZr+NC
>>461
決戦当日関ヶ原にいた西軍の中で、石高・身分・兵力ともに最も高かったのが宇喜多なので、
「関ヶ原の戦い」全体はともかく、9月15日に関ヶ原で行われた戦闘については、
その総大将は実質的に宇喜多だろうって意見があるだけ。

実際には文献的に宇喜多が大将だったとされているものはないし、
他の各隊に作戦を指示したりした経緯もないから、建前も実質も総大将とはいえないと思う。
ただ西軍の中で兵力的に最も有力な部隊だったというだけで。

465 :人間七七四年:2007/09/10(月) 05:58:52 ID:LR0Ybwwx
宇喜多秀家も毛利秀元も地位と能力・人材的には大して変わらないのでは?

466 :人間七七四年:2007/09/10(月) 08:06:48 ID:lY8otU+p
江戸内大臣家康255万石
安芸中納言輝元120万5千石
会津中納言景勝120万石
加賀大納言利家83万5千石
大崎少将政宗58万石
備前中納言秀家57万石
薩摩少将忠恒55万5千石
常陸侍従義宣54万5千7百石
筑前中納言秀秋52万2千5百石
 ・
 ・
石田治部少輸三成19万4千石

確かに宇喜多秀家は別格で大将になれる人物だな

467 :人間七七四年:2007/09/10(月) 08:10:29 ID:dfw/s6sx
豊臣家に一番近くて、大老で、朝鮮の役で総大将でしたけど。

468 :人間七七四年:2007/09/10(月) 09:45:46 ID:8z+fprbl
>>463
西軍の総大将は毛利輝元
関ヶ原方面の総大将(司令官)は宇喜多秀家
首謀者の一人が石田
>>466
>>467
そういうこと、朝鮮の役で総大将を務めて中納言。
秀家は若年ながら豊臣の準身内として遇されてきたし、本人もそう振舞って
来た、石田なんかとは格が違う。



469 :人間七七四年:2007/09/10(月) 10:07:13 ID:j9pDpA+d
>>468
なるほど分かり易い

470 :人間七七四年:2007/09/10(月) 18:13:22 ID:ulFZr+NC
>>468
だから、宇喜多が関ヶ原の総大将なんてことを示す史料は何もない。
実際に他の部隊に対して指揮を取ろうとした形跡もないし、
そもそも関が原で戦うことになったのは前日のことだから、
「関ヶ原方面」なんてもの自体が事前には存在していない。

宇喜多が関ヶ原方面の総大将(司令官)だなんていうのは、
ただの後付の思いつきに過ぎないよ。

471 :人間七七四年:2007/09/10(月) 18:54:56 ID:0TrMm/Yl
宇喜多は、西軍では毛利輝元に次ぐ副大将座だったと聞くが。>>468


472 :人間七七四年:2007/09/10(月) 21:31:31 ID:v9JWsoCN
>>465
全然違うに決まってるだろ


473 :人間七七四年:2007/09/10(月) 23:18:38 ID:ulFZr+NC
能力だの人材だのは知らないが地位は全然違う、宇喜多は五大老だからね。
輝元についで副将格となるのも当然。
しかしそのことと、関ヶ原における指揮権が宇喜多にあったかどうかは、また別の話。

474 :人間七七四年:2007/09/10(月) 23:27:28 ID:1Hlcaa7i
西軍の軍議の結果をみる限り、秀家は美濃・尾張方面軍の大将だと思うが。

475 :人間七七四年:2007/09/10(月) 23:27:51 ID:lY8otU+p
それ以前に内紛で重臣が多数去った家を西軍の大将に掲げるのは
無理だろ。名声も戦実績も頼りない事この上ない。

476 :人間七七四年:2007/09/10(月) 23:32:33 ID:0TrMm/Yl
ただ、戦意も兵力も両方高いのが西軍中でこの男だけだからな。

477 :人間七七四年:2007/09/10(月) 23:39:29 ID:vdVyAAaz
本当の総大将は秀頼
秀頼成長まで戦禁止 西軍は城に篭れ!

478 :人間七七四年:2007/09/11(火) 00:04:51 ID:xZluj7Tw
>>474
当初伊勢方面を攻めていたのに?

479 :人間七七四年:2007/09/11(火) 06:20:23 ID:/2M95CJ9
>>478
軍議って、開戦前のやつだよ。
伊勢方面を攻めていたなんていうのは別次元の話。

480 :人間七七四年:2007/09/11(火) 07:55:12 ID:xZluj7Tw
>>479
別にその軍議でだって、
宇喜多が主導権をもっていた様子は見えないと思うが?

481 :人間七七四年:2007/09/11(火) 08:59:03 ID:kF5lroa9
宇喜多秀家
小早川秀秋
毛利秀元
って並んでいたら内府も突っ込んでこなかった?

482 :人間七七四年:2007/09/11(火) 09:36:22 ID:8JI95jjl
>>470
で、何を言いたいの?
三成が総大将なんて厨房はやめてくれよ、
豊臣の親族格で大老の地位、官位、兵力から言えば当たり前じゃないの。
状況証拠を否定する一次資料があるならそれを示して欲しいし、
無いなら屁理屈でもいいから指揮を執ったのは誰か示しなよ。




483 :人間七七四年:2007/09/11(火) 09:40:45 ID:yfjLcOJW
少なくとも「関ヶ原」での指揮官は石田三成だよ。総司令官は最前線では戦わない。
そしてその石田隊が崩れた時点で勝敗が決まった

484 :人間七七四年:2007/09/11(火) 09:54:07 ID:rp03cmSN
今で言えばねじれ軍隊だろ。
一応指令出してるのは三成
大兵力で西軍全体を実質支えているのが秀家

桃配山のワンマンと違って
どちらか片方潰れても継戦できる双頭蛇だが、
黒田長政と小早川に各個崩されて敗戦


485 :人間七七四年:2007/09/11(火) 10:06:59 ID:yfjLcOJW
宇喜多はどう考えてもただのコマだろ。首謀者は悉く斬首されたのに対して
流刑で済んでるし。毛利と同じ扱い。

486 :人間七七四年:2007/09/11(火) 11:47:38 ID:rp03cmSN
家康としては斬首の予定だったが、
東軍の前田・福島や和解後の島津が助命嘆願した事で
自分が豊家の敵でない寛大な人間である事を示す必要が生まれたのが大きいだろ。

ここの所が自ら敵を作り過ぎた三成との違い


487 :人間七七四年:2007/09/11(火) 12:42:57 ID:lmsROtVB
戦後すぐに捕まった三成と1年以上経過して捕まった宇喜多じゃ
べつに敵がどうとか関係なくないか?

488 :人間七七四年:2007/09/11(火) 13:17:32 ID:8JI95jjl
「関ヶ原」での指揮官は石田三成だよ。>根拠、ソースは、
総司令官は最前線では戦わない。>細川、黒田と激闘だが、
石田隊が崩れた時点で勝敗が決まった >小早川の攻撃で横崩れ、
一番遠い石田が最後まで残ったに過ぎないし、勝敗はとっくに着いてる。
もう少しもっともらしいこと書きなよ。

489 :人間七七四年:2007/09/11(火) 14:13:21 ID:yfjLcOJW
くだらない揚げ足とりとは会話するきしない。

490 :人間七七四年:2007/09/11(火) 20:14:49 ID:uG9vcCAd
関が原における西軍に総司令官はいなかったと思うが。バラバラに戦ってただけだろ。
強いてあげるなら、毛利へ督戦の狼煙を上げ、島津に参戦依頼を行った石田三成。
しかしこれらは「依頼」であって「命令」ではないから、彼が総司令官ということはできない。

逆に宇喜多が石田や大谷、毛利に対して何らかの命令を出した実績ってあるの?

491 :人間七七四年:2007/09/11(火) 20:33:16 ID:aVzAiW2I
行動をもって義を示した

492 :人間七七四年:2007/09/11(火) 22:32:09 ID:xZluj7Tw
>>482
いや、逆に宇喜多が総大将である状況証拠こそ何もないわけだが。
既出のように三成は結果上手くはいかなかったが、指揮を取ろうと試みてはいる、
しかし、宇喜多にはそのようなことを試みたことすらない。
無論三成があの場にいた全軍の指揮を取ることなど無理だったから、
結局当時の西軍には総大将といえる様な中心的な指揮官はいなかったというのが正解。

西軍はもともと烏合の衆で、しかも合戦当時は状況の急変によって、
急遽美濃方面軍・伊勢方面軍・近江駐留の部隊が合流し、
さらにそこに加えて、以前から命令無視中の小早川軍が混在している状態で、
とても統一的な指揮など取れなかった。その意味でも現場の総大将は不在だったと言える。

493 :人間七七四年:2007/09/11(火) 23:00:21 ID:d6gk4P7W
>毛利へ督戦の狼煙を上げ
良く狼煙を三成が上げたって話があるけどどうなのかなあ、
家康の松尾山への銃撃と同じで怪しいんじゃないかな、
当日は濃霧で良く見えなかったんじゃなかったっけ。
あと関ヶ原の指揮官はだれかって議論だけど、南宮山は秀元で言い訳でしょ、
大垣に布陣してた時は秀家が当然上座と考えて良いよね、
ただ三成が軍議の主導権を取るってのはあってもおかしくない気もするし、
最終的に多数決なんてありえないから、秀家が承認したんじゃないのかな、
関ヶ原での本戦が始まってからに限って言えば東軍も余り組織的に動けて
ないきがするし、西軍も持ち場持ち場で戦ってたって感じじゃない。
どちらにしろ資料は無いから推測な訳なんだよね。


494 :人間七七四年:2007/09/11(火) 23:27:22 ID:xZluj7Tw
>>493
濃霧だったのは朝方の話で、霧が薄れた頃から戦闘が本格化しています。
とりあえず、狼煙の話の疑う理由は特にはない。

また仮に三成も特に指示を出していないとするなら、
それでは西軍には指示を出そうとする者すら、誰もいなかったということになり、
西軍の総指揮官不在という事態をよりはっきりとさせるだけのこと。

495 :人間七七四年:2007/09/11(火) 23:39:14 ID:d6gk4P7W
レス、thks、
教えて君で悪いけど狼煙の話の出典てなんなのかなあ、
昔読んだ漫画なんかにもそう書いてあったけどね。

496 :人間七七四年:2007/09/12(水) 00:21:22 ID:nzG83vLb
知ったか虫大杉

497 :人間七七四年:2007/09/12(水) 00:28:11 ID:UCKQwCCY
島津の中馬大蔵の話は泣けるね

498 :人間七七四年:2007/09/12(水) 00:30:28 ID:pDYZzWUD
にせどんな、関ヶ原っち、関ヶ原っち……(涙)

499 :人間七七四年:2007/09/12(水) 07:24:42 ID:IAH2JWoy
島津の撤退戦の奮闘なんて意味が全くない
それなら最初から戦えよとしか思えんわ

500 :人間七七四年:2007/09/12(水) 08:13:04 ID:erPr+hoa
ワロスw

501 :人間七七四年:2007/09/12(水) 09:33:30 ID:K/XbJFkn
>>496
マンガ本や司馬小説ネタを妄信して喚く椰子が多いのは確かだな、ワロスw


502 :人間七七四年:2007/09/12(水) 09:57:18 ID:UCKQwCCY
具体的にどれのこと?

503 :人間七七四年:2007/09/12(水) 22:30:41 ID:yndRG5Ao
統制のとれた撤退戦を完遂するのがどれだけ難しいか考えればわかるだろ。そういう意味で、さすがは島津というのが俺の意見。

504 :人間七七四年:2007/09/12(水) 22:32:06 ID:oo+fVtXp
>>495
正直言えば、私も自分で史料にあたっているわけではないので、
実のところ市販の一般書籍で得た知識に過ぎないが、例えば、中公新書の二木謙一著「関ヶ原合戦」
講談社の池上裕子著「日本の歴史15」秋田書店桑田忠親著「新編日本合戦全集」
とか関ヶ原の戦いを扱ったものの多くに狼煙の話はのっている。

参考文献としては「関ヶ原記」「関ヶ原軍記」「当代記」「徳川実記」等々があがっているので、
それぞれの著者がこれらを参考にして、自分の著書に三成が狼煙を上げた話を記載したということ。
本当はこれらの史料のどこに記述があるとはっきり言えれば良いのだが、申し訳ない。
まあ、とりあえずその漫画もこれらを参考にしていたのだと思うよ。

505 :人間七七四年:2007/09/12(水) 22:43:46 ID:UCKQwCCY
武田スレなどに常駐のソースキチガイは江戸期の文献を見もせずに
批判する傾向にあるから無駄無駄。

506 :人間七七四年:2007/09/12(水) 23:00:32 ID:y2rIPJvx
>>503
統制も何も軍隊としては崩壊しておるわな。京を過ぎたあたりで既に山賊相手にも負けるかも、ってレベルだぞ。
少なくとも「撤退戦」なんてレベルの逃げ方では絶対にない。「算を乱して逃げたらどうにか逃げ切った」が正しい>島津

507 :砂岩か耳ね ◆oWrjcNwAas :2007/09/12(水) 23:35:08 ID:muS+8LSw
結果的に大将を逃がしたから立派なもんさ。
「算を乱した」といっているが、部隊としてはまとまって動けた結果、戦場離脱できたんだろうし、井伊勢にも痛手をあたることができたんだろうし。
そのあとは、まあ、確かにぼろぼろなんだろうけど。

でもって、関ヶ原合戦中に動かないのは、結果を知っているだけに本当にいらいらするけれど。

508 :人間七七四年:2007/09/12(水) 23:59:24 ID:ssxM8Bzt
秀秋を担ぎ上げて関が原総大将にしたらどう?
朝鮮での経験もあることだし
血筋・石高的に問題ないと思うが・・・
そうすれば関が原はどうなった?
まさか総大将寝返りってないよね?

509 :人間七七四年:2007/09/13(木) 00:06:27 ID:WapPGA0x
>>508
もともと家康と内通しているって見られてたから西軍首脳部から警戒されてた訳だが>秀秋

510 :人間七七四年:2007/09/13(木) 01:07:08 ID:zn1b4V9z
>>504
うーん、確かにハッキリしないね。
狼煙の話はテレビを始めとして当たり前のように書かれてるけど。
少し疑問なのは、関ヶ原への布陣は南宮山の毛利は知らなかったんだよねえ、
だとすると、狼煙の合図なんていつ打ち合わせたのかな。
504さんあんがとです、こちらの漫画は集英社だったかなあ。
でも今では否定されてるネタも多かったから、俗説の集大成て感じの内容でした。



511 :人間七七四年:2007/09/13(木) 01:39:30 ID:hAWuSyIG
張本人の石田とか宇喜多たちも前夜に関ヶ原移動を決定して早速その深夜に移動したわけだから
伊勢攻略の軍勢(毛利・安国寺・長宗我部あたり)と打ち合わせるのは無理だし彼らが知る由もないな

できるとすれば使者を夜中に飛ばしてその決定を知らせた上で、合図に狼煙をあげるからそれ見たら動いてくれと伝えるくらいか
事後承諾の形だがこれをやったのかな

512 :人間七七四年:2007/09/13(木) 09:27:44 ID:xM2XdxEo
ソースキチガイなんて文句言う八津もいるけど、狼煙の件が確認できれば
事前に打ち合わせてたってことだろうな。
だとすると、関ヶ原に東軍を誘引するというのはかなり前から練られ
てたんだろうな。

513 :人間七七四年:2007/09/13(木) 11:34:41 ID:MFFmT3PC
関ヶ原の史料なんざ、どんどん講談化してるから読み物としては面白いけどな
卜斎記や旧記雑録、関ヶ原始末記を参考にするといいけど、関ヶ原軍記大成とかは史料的価値低いよ

つか>>505は相手にされてないアホだろ?

毛利の史料の「関ヶ原陣輯録」には狼煙の件どころか合戦の経緯は書かれてないが、
三成らの大垣退去を「治少(三成の事)大垣南宮をすて候て、山中え引取り候時は、前日の議定相違候て、
さほ山(左和山の事か?)え打入るべき調議露顕仕り候」
とあるので、関ヶ原での合戦はあくまで、場当たり的な状況によるもんで、狼煙のような決め事があったとは考えにくいが・・・


それと、三成らが関ヶ原前日に秀秋に出した四ヶ条の連署、あれ、現物あるの?
関ヶ原始末記にあるけど、めっちゃ胡散臭いんだけど

514 :人間七七四年:2007/09/13(木) 15:04:37 ID:kjyvFGgg
資料価値が低いという根拠は?

515 :人間七七四年:2007/09/13(木) 18:52:31 ID:L3eG6iUd
>>513
多くの連合軍で戦う以上、むしろ場当たり的な状況だからこそ、
せめて総攻撃の合図くらい決めておかないと、最低限の連携すら出来ないでしょう。
話し合って合意するのは時間的に無理でも、一方的に連絡くらいはするものと思われる。

で、毛利の側から見れば事前の協議もなく、一方的な連絡だけで三成らが動けば、
「大垣南宮をすて候て」という感じるだろうし。

516 :人間七七四年:2007/09/13(木) 19:38:02 ID:Yd/rj9Pu
少なくとも、いきなり「狼煙撃ったら、攻撃してね」と言われても
斥候でもいいから実際に目で状況を確認しない限り、出戦するとは思えん

517 :人間七七四年:2007/09/13(木) 22:07:17 ID:DSId2eni
水曜日の深夜2時に関ヶ原に行ってきたよw
関ヶ原へは過去4回行ったが深夜の出陣は初めてでドキドキでした(*´∀`)
笹尾山に登り、山頂から暗闇の関ヶ原盆地を見下ろしながら三成の心境を妄想したり、大谷吉継のお墓参りしたり、個人的に好きな武将である天満山の宇喜多秀家の陣に行ったり♪深夜に靡く武将の旗が雰囲気満点だったよ(゚∀゚)
松尾山は登山だし夜中はいろんな意味で怖くて行きませんでした↓↓
話ぶった切りすんません。。。

518 :人間七七四年:2007/09/14(金) 00:37:54 ID:0SYXA66o
夜中によく、大谷の墓行ったね。
あそこも、相当こわいと思うが。
地元の人間なら、道知ってて怖くないんだろうか。

519 :人間七七四年:2007/09/14(金) 01:08:53 ID:ejy9qBx0
病気が伝染るからな

520 :人間七七四年:2007/09/14(金) 01:12:48 ID:leE2I6La
そこをあえて行く事で生涯の友情(自縛霊)

521 :人間七七四年:2007/09/14(金) 01:49:00 ID:tjsGddAO
>>515
南宮山の秀元陣所跡からは三成の陣所は見えない。
山麓に布陣していた毛利勢からも当然見えない。
従って狼煙の話はムリ。
>>514
常識

522 :人間七七四年:2007/09/14(金) 01:57:03 ID:nob748YS
つまり、明治の有名な陸軍の関が原の研究は?
まあ、概ね狼煙の件上げているけど。

そもそも、ずいぶん前に狼煙云々の前に偵察部隊出して、
情勢にそって全身するんで見えなくても問題ないって
流れもあったんだが。

523 :人間七七四年:2007/09/14(金) 03:05:03 ID:G635Ef4d
>>521
常識ってつまり自分じゃ説明できない誰かの受け売りなのか?

524 :人間七七四年:2007/09/14(金) 07:46:21 ID:Is+V/iXx
>>521
いや、陣所が直接見えないのだからこそ、狼煙を上げるのだと思うが?

525 :人間七七四年:2007/09/14(金) 08:21:37 ID:jXtZzNHb
陣所が見えれば、旗を振る合図みたいなので可能な訳だから、狼煙ってのは妥当だろ。

526 :人間七七四年:2007/09/14(金) 09:24:37 ID:X6R69qEq
馬鹿か、誰があげた狼煙か判断できないだろが。

527 :人間七七四年:2007/09/14(金) 12:10:53 ID:ro+q7pDQ
>>521
狼煙は見えるだろうけど、西軍の、しかも総大将格の毛利相手に「狼煙あげたら総攻撃」という一方的な指示を、
三成が出せるわけもなく、また西軍は基本的に協議した上でしか決められないので、狼煙の件は創作っぽい
始末記にもなかった希ガス

参謀本部編纂のは役に立たんよ>>522
虚実混同の結果、辻褄が合わなくなってる事多々あるから
ただし、史料・文献からの引用が多いので、調べるには楽

>>523
読めば普通に、史料なのか軍記物の講談なのかわかるから
あえて根拠は?と聞くのは、読んだ事も無い低レベルなので、説明しようがないだろw

>>525
旗を振る合図って、距離的に無理だよ



528 :人間七七四年:2007/09/14(金) 18:19:29 ID:jXtZzNHb
>>526
お前こそ馬鹿だろ
西軍の本陣方面からの狼煙かどうか位は判断できるだろ。

>>527
いやだから陣所が見えさえすれば旗でもなんでも相互でやりとりできるだろ。
旗って武者が背中に背負うようなものを想像してないか?
「旗振り山」で検索すりゃ平時でも旗等による情報伝達は行われてたんだぞ。

529 :人間七七四年:2007/09/14(金) 18:59:33 ID:G635Ef4d
>>527
>読めば普通に、史料なのか軍記物の講談なのかわかるから

具体的に教えてくれといっている。何を根拠に講談だとした?

530 :人間七七四年:2007/09/14(金) 20:13:19 ID:ro+q7pDQ
>>528
陣所は見えない場所なんだけど・・・

>>529
何を根拠にって、まんまなんだけど・・・軍記大成なんて講談だよ?

読んだことないなら図書館にでも行きなさい
始末記も軍記物だけど、成立年代からまだ史料として扱えるが、軍記大成なんてもう史料としては無理
成立過程なんかも自分で調べるといいぞ、クレクレ厨じゃないんだから最低限の知識ぐらい身につけて聞いてくれ

ちなみに関ヶ原軍記大成や軍記大全は関ヶ原始末記を元ネタにして、
地方の雑記等から伝承話などを盛り込んで作られた「講談物」ですんで
だから文中にも「此説」「異本」「別説」「別本」と様々な話を盛り込み、「何れが正説なるにや覺束なし」とか書いてある

はぁ・・・疲れるなぁ

531 :人間七七四年:2007/09/14(金) 20:20:13 ID:G635Ef4d
だから具体的に言えよ。

532 :人間七七四年:2007/09/14(金) 20:21:37 ID:ro+q7pDQ
具体的に書いてるんだが・・・

つか何が言いたいの?講談ではないと言いたいのか?

533 :人間七七四年:2007/09/14(金) 20:26:14 ID:leE2I6La
>>531
講談ではないと反論したいなら、自分で先ず読んでからしろよ。何がやりたいんだお前は?

534 :人間七七四年:2007/09/14(金) 20:29:40 ID:G635Ef4d
いや俺は関ヶ原軍記大成の記述を既に読んでる。細川忠興や前田利家や有馬豊氏の妻の話など。
ID:ro+q7pDQこいつは読みもせずに批判してるんじゃないか?と疑ってるんだが。




535 :人間七七四年:2007/09/14(金) 20:32:42 ID:ro+q7pDQ
読んでるなら>>530の中の一文は関ヶ原軍記大成の中の巻之二十四「秀家正則合戦」の一文だとわかるもんだけどね〜

536 :人間七七四年:2007/09/14(金) 20:39:42 ID:G635Ef4d
ID:ro+q7pDQこいつの底が見えたw 文系って馬鹿ばかりだな。

537 :人間七七四年:2007/09/14(金) 20:58:14 ID:leE2I6La
>>534
批判じゃなくて評価だろ。その位わかれ。

538 :人間七七四年:2007/09/15(土) 00:00:56 ID:tjsGddAO
西軍の本陣方面からの狼煙かどうか位は判断できるだろ。>そんないい加減なんで
戦が出来るかボケ。

539 :人間七七四年:2007/09/15(土) 02:10:48 ID:TES7kOss
>>538
馬鹿はお前。
狼煙自体に色や間隔を空けた出し方なんてものがあるし。
狼煙だけですべての行動を判断するわけじゃなく、どこの陣でだって
斥候位はだしてるし。

てか、炊煙や火事、小火での煙と狼煙ってのは区別できるようになってるのは
知ってるよな?

「狼煙を上げてる現場が見えないと信号、伝達手段として使えない」

って珍説は過去の歴史からみても明らかにおかしいと思うだろ。




540 :人間七七四年:2007/09/15(土) 08:49:23 ID:IZU/qSZZ
>>530
だから、狼煙を上げての連絡になるのでしょう。

というか、既出だが狼煙を上げている場所が見えなければ、
狼煙を伝達手段として使えないっていうのは、
狼煙というものの存在を実質全否定するものなわけだが。

541 :人間七七四年:2007/09/15(土) 10:17:37 ID:gU11sCvp
>>538
馬鹿、ボケが
そんな詳細な打ち合わせいつやるひまがあるんだ。
一言伝言でいいとか、ハタふりゃいいとか、
次々に妄想並べてんじゃねえよ。
南宮山でも逝ってこいや。

542 :人間七七四年:2007/09/15(土) 10:25:25 ID:EBVsb+Eb
ところで、関が原に・・・つまり、毛利の目の前に東軍くると伝令もしなかったと。
最低限の作戦の打ち合わせもしなかった。
別働隊に狼煙を上げるのが普通で、そういった記述があってそれは講談の
レベルの話だ、毛利は独自の判断で関が原にいた。

という、東軍厨がいるのはこのスレですか?

個人的には、それを補強するネタが一軒もないのが気になるのですけど。
本能寺の変が秀吉の陰謀だというのと同じくらいのネタにしか思えないのですが?


543 :人間七七四年:2007/09/15(土) 12:47:35 ID:bjoahIFn
>>542
> 個人的には、それを補強するネタが一軒もないのが気になるのですけど。
それを否定するネタも一つもないわな。

つーか東軍厨なんて言葉を使っている時点で、ねえ…。

544 :人間七七四年:2007/09/15(土) 13:37:06 ID:EBVsb+Eb
>>543
一般的な説ではない“新説”のたまう時にネタの一つも披露していない。
そもそも、狼煙上げるのは、とうにのは常識といっても良いレベルでそれ自体が
否定するネタなわけだが。

自分の妄想を他人に納得させるにはそれなりのプロセスをふまにゃならん。
それゆえ叩かれている状態というのも理解できないのなら東軍外して、単なる厨認定だな。

545 :人間七七四年:2007/09/15(土) 16:13:24 ID:NvXXd7mO
>>540
えと、まず狼煙の件については、自分は「見えない」とは思ってないよ
「見えない」としたのは旗を振る件ね

ただ、自分の考え方としては
・比較的信頼のおける史料からは狼煙の件が書かれてない
・大垣退去から関ヶ原合戦までの経緯で、狼煙による決め事を決める時間が無い
・三成は伝達で一方的に指示出来るような立場でもなく、西軍自体そのような組織でもなかった

これらから、狼煙を上げたという行為自体否定的なのね

最初のは、
徳川のは「卜斎記」、毛利側のは「関ヶ原陣輯録」ね
「関ヶ原始末記」は軍記なんであんまり取り扱いたくないけど、一応入れておく
「関ヶ原軍記」にも確か描かれてなかったはず(これはうろ覚え・・・)
なんで、脚色された話ではないのかと思ってる

次に
大垣退去から関ヶ原に至る経緯でいえば、大垣の後詰の彼ら南宮山勢は見捨てられた状態で
関ヶ原合戦に及んだのであり、また関ヶ原で「総攻撃」という激突自体、想定外であったのも踏まえ、
そのような曖昧な決め事を決める時間的余裕は無いよ
大垣退去中の三成らは東軍の動きも知らない、明確になったのは決戦前、いつ狼煙の件を指示出来たのか?となる
東軍の動き・配置を知らずに「総攻撃」というのを出せるのか?

本来なら、東軍は南宮山付近の西軍と大垣に残した軍勢の存在で、関ヶ原まで簡単に出て来れないはずだったんだよ
南宮山の毛利勢などは東軍との最前線に放置された形になったのに、その彼らに「総攻撃」の狼煙なんて
おかしい指示だとは思わない?それとも史実のような形になった後から使者送って狼煙の件を伝えたとでも?
それは時間的にかなり無理があるよ

最後のは言うまでも無く、立場ね
名実ともなうトップがいない西軍は協議によってでしか決められないのに、
総攻撃などという曖昧な指示を一方的な通知で決められるほど、立場が上ではないから

>>543
こいつはどうも絡むだけのヤツ臭いんで放置でいいかと
昨日のアホと同じ文体だしね

546 :人間七七四年:2007/09/15(土) 16:25:44 ID:Yvm80SOi
アホはお前だろ・・ 関ヶ原軍記大成を全否定してる視野の狭い奴はお前ぐらいだぞ。
しかも関ヶ原始末記も講談扱いw よくそんなレベルで語れるな。

547 :人間七七四年:2007/09/15(土) 16:46:33 ID:NvXXd7mO
なら軍記大成を鵜呑みにして語ればいいよ
まぁ相手にもならんがw


548 :人間七七四年:2007/09/15(土) 16:51:07 ID:Yvm80SOi
そこがお前の頭悪いところ。信用できる記述・できない記述を分ける事をしない。
「軍記物を認めたら武田は兵卒すべて騎馬に跨っていた事になるw」とか言ってた奴と同レベルの知能だな。

549 :人間七七四年:2007/09/15(土) 17:08:22 ID:NvXXd7mO
信用できる記述・できない記述を分けるにはまず多数の史料の読み比べをする
そして成立年代・著者編者等の背景をも考慮する
その結果、軍記大成は信用できない、これ、別に俺だけの考えでないからw


こんな説明もしないとわからない頭の悪いやつの相手は疲れるなw
サーセンwww

550 :人間七七四年:2007/09/15(土) 17:15:18 ID:Yvm80SOi
>>549

なら「信用できる記述・できない記述を分ける事をしない」ってのはその通りだろ・・
文献名だけで却下してる学者なんていない。

551 :人間七七四年:2007/09/15(土) 17:19:01 ID:NvXXd7mO
>>550
学者含めて、一々そんな事書かないから

信長公記は信頼できるってのを、信憑性の高い記述が多く、それによって一級史料として認められる
だから信頼できると一々書かない

アホですか?

552 :人間七七四年:2007/09/15(土) 17:23:36 ID:Yvm80SOi
信長公記の桶狭間今川四万五千をそのまま用いる糞学者は居ない。
おまえが文献名で判断して中身を見ない糞なのは間違いない

553 :人間七七四年:2007/09/15(土) 18:36:03 ID:EBVsb+Eb
>大垣退去から関ヶ原に至る経緯でいえば、大垣の後詰の彼ら南宮山勢は見捨てられた状態で
>関ヶ原合戦に及んだのであり、また関ヶ原で「総攻撃」という激突自体、想定外であったのも踏まえ、
>そのような曖昧な決め事を決める時間的余裕は無いよ

東軍と西軍がどっちが先に関ヶ原に布陣したか考えれば明らかだろ?
そもそも、大谷隊が街道封鎖していたわけで、そこを突破されれば、
美濃が東軍の手に落ちる。

>本来なら、東軍は南宮山付近の西軍と大垣に残した軍勢の存在で、関ヶ原まで簡単に出て来れないはずだったんだよ
>南宮山の毛利勢などは東軍との最前線に放置された形になったのに、その彼らに「総攻撃」の狼煙なんて
>おかしい指示だとは思わない?それとも史実のような形になった後から使者送って狼煙の件を伝えたとでも?
>それは時間的にかなり無理があるよ

以前から思っていたんだが、南宮山の軍勢はそんなにすぐに動けないだろと、東軍を見逃した!東軍よりの証拠だ!
・・・矛盾していることに気が付かないのかね?上りに4時間かかる山の中に4万近い大軍がいて、夜間に東軍の西進
を邪魔できる素晴らしい軍隊がこの世にいるのかい?

そもそも、山の中に4万近い大軍がいるわけで、それで最前線に放置という解釈になるのはおかしい。
千位で川向こうに取り残された島津と一緒にするなよ(w。

東軍の美濃で行える可能戦略から言えば、大垣攻めか、関ヶ原方面に突破して伊勢、近江に
進出しかないわけだが、だから大垣城と関ヶ原に兵が2分していた。兵がいたから戦になったんじゃなくて、
美濃の地勢と状況からそうなった。
兵がいるのは、そこが戦場になる可能性が高いから、それでも兵法の打ち合わせしていなかったというのは
おかしなものだ。

前から思ってたんだが、全然この手の新説出す奴って根本となる部分全然見えていないな。
まず、珍奇な自分の考えがあってそれから解釈をする。

554 :人間七七四年:2007/09/15(土) 19:08:46 ID:IZU/qSZZ
>>545
確かに南宮山の毛利らと事前に協議する時間もなかったし、
三成が一方的に決定を通知できる立場にもなかったのは事実だろうが、
だからと言って協議できないから東軍の西進を見逃し、手をこまねいているわけには行かない。
また、毛利軍にも協力してもらわないと勝利はおぼつかないのだから、
最低限総攻撃の合図くらいは伝えないとならないでしょう。

その段階で自分には一方的に通知する権限なんてない、
だから逆に何も伝えませんなんてありえないし、協議する時間がかかったからこそ、
やむを得ず一方的な通知を行うしかなかったとみた方が妥当だと思うが。

555 :人間七七四年:2007/09/15(土) 21:05:17 ID:EBVsb+Eb
>>554
>確かに南宮山の毛利らと事前に協議する時間もなかったし、

夜7時から次の日の5時位まで、時間はたっぷりあるが、
しかし、別働隊の足元を夜間突破するのときに
のんびり協議するという考えが浮かぶ事自体が不思議だ。

>三成が一方的に決定を通知できる立場にもなかったのは事実だろうが、
敵が突破する。こっちは迎撃する。そっちは支援してくれと”要請”はできる。

ところで、毛利は断る理由はあるの?

吉川を除いて、別に東軍の横っ腹を突くのは、毛利にしてみれば、
軍事的、政治的にも問題ないわけだが。

勝手に動いて、勝手に命令を伝えてきた。
付き合う義理は毛利に無いとでも言いたいのかもしれないが。
伊勢でそれなりに順々に命令に従っているわけだ。

関ヶ原でちゃぶ台返しする理由はなんだ?


556 :人間七七四年:2007/09/15(土) 21:37:07 ID:mfIAZSz6
>>555
山に登った状態で、降りて、陣を整えようとしても東軍の別働隊が腰を据えているから、
出戦するのは実際問題としては無理でしょう

557 :人間七七四年:2007/09/15(土) 21:45:05 ID:V3u0/kmQ
無謀な行動に出て歩調を合わせろと一方的に言われてもな
だから負けたんだろうな

天下を二分した戦いも石田三成みたいな独善者が一人相撲を取るとこうもあっけなく破綻するってことだな
たぶん>>555みたいなタイプだったんだろう三成は

自分の脳内の妄想、よく言って机上の空論を基に勝てると勝手に判断して
実際にボロ負けを喫した後も
自分は決して間違ってなかった、結果が伴わなかったのは自分の発案のせいじゃない
作戦は完璧だったのに、自分の重い通りに動かなかった他人のせいって感じの思考回路
実際居るんだよねえ
他人が自分以外の他者であるという極当たり前のことにも気付かない
他人を動かすということがどういうことかわかってない
自分の思い通りに動いて当然の駒であるという思い込み

おそらく現実の三成も
「なぜ動いてくれない!ちゃぶ台返しする理由は何だ!」と思いながら戦ったんだろうなぁ

558 :人間七七四年:2007/09/15(土) 21:55:34 ID:EBVsb+Eb
>>556
山岳戦ならそうだけど、
ほら南宮山は標高500mはないし。

>>557
あんたの言うとおり、漏れの発言は
机上の空論なレベルだ。

必死こいて資料読んで仮説たてたのが、
こっちが軽く妄想述べ立てるだけでトーンダウン
してくれるのが楽しくてたまらないのだ。

資料必死こいて、こっちの机上の空論以下!

あんたのその、テンプレが、漏れを激しく
ビューティフォーにしてくれるぜ!
サンクス。


あ、無駄な長文乙。

559 :人間七七四年:2007/09/15(土) 22:14:34 ID:mfIAZSz6
>>558
いや、山としては十分高いよ
それに細い山道降りなきゃいけないから、どうしてもある程度の戦闘正面を
必要とする足軽隊を展開させるのに時間が懸かって、その時点で大損害。

第一、本戦で西軍があれほど健闘したのも、守る西軍に東軍が攻めかかった
からなのだから、それ以上の悪条件が重なった毛利がそれを行うとは・・・

さらにいうとその矢面に立つのが吉川。
「ふざけるな!」ぐらいは考えとるでしょうな

560 :人間七七四年:2007/09/15(土) 22:37:31 ID:EBVsb+Eb
>>559
狭い山道に大軍ひしめくように配置するという前提ですか?

普通は、麓に警戒部隊、稜線沿いに主力をおいて、
山頂に指揮官・予備隊をおくというのが当たり前なんですが。

麓に南宮神社っていう格好の拠点があるわけだし。
そもそもお隣に、長宗我部がいるし。

しっかりしろよ。なんの為に東軍が夜間に進軍したと思う?
昼間、毛利がのこのこ出てきたら問題あるからだろ。
山道塞ぐ位でどうにかなるなら東軍苦労しないって。

あ、ついでに矢面に立つの吉川と安国寺だから(w。

561 :人間七七四年:2007/09/15(土) 23:14:08 ID:mfIAZSz6
>>560
ころころとレスに反応させてもらうけど
でもなぁ、安全な拠点にいるからこそ出る気にはなりにくいと思うよ
後余談で吉川と長宗我部じゃますますでんわな

余談ついで
そういや麓に部隊がいるなら、松尾山もそうだろうから家康の鉄砲に
気付くかな?

562 :人間七七四年:2007/09/15(土) 23:15:38 ID:TES7kOss
鉄砲で威嚇なんて小学生でも虚構だとわかるネタをいつまでやるんだ?

563 :人間七七四年:2007/09/15(土) 23:26:13 ID:mfIAZSz6
>>562
是が非でも解る子を教えてください

564 :人間七七四年:2007/09/15(土) 23:34:01 ID:EBVsb+Eb
>>561
兵力、1/5以下の後陣のドン尻を攻めるのに
臆病になる理由はわかりません。
常識的に、攻めるだけで、敵は後退するはずですから。

ところで、戦術に出れないという話から、心理的に出れないという話に変わりましたね。
まあ、律儀に返答すると、私もそれに関してはイエスですがね。

余談1:
でも心理的陥穽があったのはそういった西軍諸将だけじゃなくて
家康もそうだと思うんですがね。

やる気なかろうが、毛利が逃げ口防げる位置にあるわけで、
家康は本来なら桃配山付近じゃなくてもうちょっと後方に
いるほうがよいんですがね。

家康がなんで、関ヶ原方面にのこのこいったかというのは
東軍諸将の裏切りを警戒して督戦で桃配山に陣を進めたの
ではと思います。

余談2:
小早川と吉川は東軍よりだという考えの人間が多いのでしょうが、
小早川と吉川は個人的理由で東軍に近いだけです。
一族はもろ西軍よりです。

よって、利ではつらずに一族の上の方、ねねや輝元が手紙や
督戦するだけで西軍に復帰すると思われです。

言われる前にいいますが、心理的な状態からの予測です。ぶっちゃけ妄想。

565 :人間七七四年:2007/09/16(日) 00:36:51 ID:N2X9/CY1
最近出た「敗者から見た関ヶ原」って新書がなかなか面白かったよ

ちょっと三成びいきがすぎる気もするが、三成が「戦に暗い文官」では
なかったという説を唱えている。
関ヶ原で戦ったのも最初からの予定ではなかった、と。現地を踏んでの
調査とかもしてるし、おすすめの一冊

566 :人間七七四年:2007/09/16(日) 00:38:28 ID:ZebyYYpF
東軍は大垣の抑えにそこそこ割いてるし
毛利は決戦場へ到着するまでにかなり時間かかりそうなんだよな
下手すりゃそれこそ大して戦ってなかった徳川本軍と
大垣隊に挟撃されそうなほど

567 :人間七七四年:2007/09/16(日) 00:39:43 ID:N2X9/CY1
小早川鉄砲威嚇説はだいぶ怪しいそうだよ。

そもそも、下から撃ったのではとても小早川の陣から分からないそうです。
ましてやそんなことをしようものなら、十中八九、小早川は東軍を攻撃する。
そうでなくてもぐらぐらしてたんだから。

あまりにも西軍有利だったので戦場に参加する機会が遅れた、ただそれだけ。

あと、秀秋は凡庸でもなんでもなかったらしいな。

568 :人間七七四年:2007/09/16(日) 01:24:30 ID:QqFs1FOw
>>567
というか、すでに松尾山で築陣していた西軍側の将を追い出して築陣した時点で
これはもう東軍せめて中立と判断すべきじゃないんだろうか?

569 :人間七七四年:2007/09/16(日) 07:53:34 ID:i6WOdyg1
120万石の上杉を完全に封じ込めて、縛りをかけた上で関ヶ原に乗り込んできた家康の
政略と余裕に、改めて凄さを感じるな。

570 :人間七七四年:2007/09/16(日) 09:51:47 ID:B7QoEEN4
>>552
おまえが読んでないのが丸わかり
文体変えたほうが良いぞw

つか文献名で判断wwww
バカだコイツ

>>553
どっちが先とか、そんな話してないんだけど
東軍は大垣包囲、南宮山の軍勢は大垣の後詰
大垣の三成らは、家康着陣の急報などがあり、南宮山の毛利勢に何ら一切の連絡なく大垣退去して移動
すると南宮山周辺の軍勢は東軍の最前線に置いてけぼり
これは卜斎記にも記述がある、秀秋の謀反で大垣退去したとね
そして南宮山の軍勢に、それが知らされてないとも

毛利は三成らが事前協議と話が違うと>>513で書いてる

>そもそも、山の中に4万近い大軍がいるわけで、それで最前線に放置という解釈になるのはおかしい。
おかしくはない、三成らの布陣した位置と南宮山の距離を考えたらいい
東軍と南宮山周辺の軍勢が戦うとしたら、宇喜多勢などはどう参戦するんだ?
だから南宮山に陣どってるのは、あくまで「大垣包囲の後詰」に過ぎず、関ヶ原で戦う事を想定していての事ではない

>そもそも、大谷隊が街道封鎖していたわけで、そこを突破されれば、美濃が東軍の手に落ちる。
大谷勢が封鎖?していたという中山道突破と、美濃陥落を詳しく説明してくれ
意味ワカラン

>兵がいるのは、そこが戦場になる可能性が高いから、それでも兵法の打ち合わせしていなかったというのは
>おかしなものだ。
三成の九月十二日付けで増田長盛に出したの有名な書状知ってる?
それと三成の笹尾山、秀家・行長の天満山、島津勢の小関に陣城の遺構はないんだよ?
関ヶ原を戦場と打ち合わせし想定してたなら、何故、遺構が見当たらないんだ?
納得のいく説明あるんだろうな?

これは中井均氏が関ヶ原の遺構を調べての事なんだが

それと毛利は吉川広家を除いてと勘違いしてる無知なのがいるが、知らないのは秀元だけ
福原などの輝元に付けられた重臣は、徳川への内通を知ってる
だから毛利は不動だったんだよ

ちなみに毛利勢が陣所構えてた南宮山中腹には、砦というより城郭に近い形の遺構が残ってる
つかID:EBVsb+Ebは何も知らないんだな、アホだ

571 :人間七七四年:2007/09/16(日) 09:55:56 ID:d+9VS6uh
>>557
三成がというよりも、
西軍には現場での総指揮官に当たるような人物がいなかったのだからどうしようもない。

東軍が西進するという情報が入ったから、それに先んじて関ヶ原に動くことにした、
当然南宮山と協議している時間はないので、総攻撃の合図くらいしか伝えられなかった。
結果内通していたわけだから当然だか、動いてもらえず敗北した。
現場で総指揮官不在という状況で、事態が急変すればこのような結果になるのも至極当然かと。

572 :人間七七四年:2007/09/16(日) 10:47:26 ID:6MPhiZ21
>>>552
>おまえが読んでないのが丸わかり
>文体変えたほうが良いぞw


意味分からんが

573 :人間七七四年:2007/09/16(日) 11:16:15 ID:+P8Rae7x
>>570
知ったかぶりをしているが、所々に事実誤認の強弁が混ざっていて
香ばしい奴だな。

頑張れ、応援してるぞ。w

574 :人間七七四年:2007/09/16(日) 11:57:36 ID:B7QoEEN4
ここはホント、脳内妄想で相手を決め付ける雑魚が必死だなw
史料の記述を抜粋して書いてやっても「中身読んでない」と言い出し、>>573のような具体性のない、煽りしか出来ないのとかな

涙目で必死なのが哀れ

575 :人間七七四年:2007/09/16(日) 12:05:12 ID:6MPhiZ21
文体変えたほうがいいってのは何のこと?

576 :人間七七四年:2007/09/16(日) 14:45:23 ID:+P8Rae7x
>>574
引き続き、お前を応援している。
ガンガレ!


577 :人間七七四年:2007/09/16(日) 15:10:25 ID:+P8Rae7x
とりあえず>>570の疑問点を挙げておく。
ROMってる面々も同様の疑問を持っていると思うから、何点か答えて
もらえると議論が進むと思うので、是非ともお願いしたい。

1.西軍主力の関ヶ原移動の理由を慶長記だけに求める理由は何?

2.毛利が関ヶ原移動を知らされていなかった根拠を、慶長記と毛利側資料だけに
  置いているけど、資料の性質から客観的合理性に欠けると思うが如何か?
  (そもそも、安国寺は毛利側の首脳ではないのだろうか?)

3.関ヶ原の西軍布陣に於いて、南宮山勢の脅威を過小評価し過ぎと思うが如何か?
  (南宮山部隊の布陣を脅威に感じない東軍武将がいるとは思えない)

4.大谷勢の中山道封鎖というのはフィールドワーク関ヶ原以降は有名な説だと思うし、
  これを否定する意見は見当たらないのだが、考察に加えない理由は?

5.西軍が関ヶ原を予定戦場としていないという根拠は何?
  (敗者から見た関ヶ原合戦の考察は主観的ではあるが、合理性のあるものだと思うが)

6.中井均の遺構調査結果というのは寡聞にして知らんので、要旨を教えてくれると
  ありがたいのだが。

7.毛利の東軍西軍論争は、東軍派一辺倒ではなく真っ二つに割れていたはず。
  輝元につけられた重臣(それ以外の重臣というのが存在するとは思えない)が
  吉川・福原の徳川内通を知っていたと断言する根拠は何?


578 :人間七七四年:2007/09/16(日) 18:24:23 ID:B7QoEEN4
>>577
人に答えろという前に、>>573でお前が言う「事実誤認」を証明してみせろ

それとお前の質問の「思うが」「〜はず」とはなんだ?
人には根拠は?と問うのに、お前の「思う」「〜はず」の根拠が何一つ提示されてない
それでは話にならないので提示するように

そしたら、こちらも史料からによって答える用意がある

579 :人間七七四年:2007/09/16(日) 18:44:11 ID:n/XPZZ7v
質問を質問で返すのもあれだから、まず回答してからの方が良いのでは?

580 :人間七七四年:2007/09/16(日) 18:53:26 ID:B7QoEEN4
>>579
まともな相手だったら、質問に答えるけど、相手がまともでないからね

こういうのは、こちらが答えても>>577のように「〜はず」「思う」「思えない」と根拠提示無く、自らの意見は断定、
又は当然のように答えるが、他人の意見には根拠だ何だ言い出すからね

人に求める時には、まず自分からそれを実践するのを覚えさせた方が良いしね

581 :人間七七四年:2007/09/16(日) 18:58:43 ID:n/XPZZ7v
それじゃ応えられないのを逃げてるだけに見えるよ。

582 :人間七七四年:2007/09/16(日) 19:06:01 ID:B7QoEEN4
>>581
あのさ、逃げてるようにって、最初に人のレスを否定してケチつけたのは>>573なんだがね
それを証左せずに、人には根拠だ何だと聞くほうが間違ってる

まず「事実誤認」というなら、どう事実誤認なのかを>>573なりに論拠を持って証左し、
それからそれとの差異を質問するのが当たり前

まぁ外野から単発IDで現れて「逃げてるとしか見えない」と言うのもどーかとおもうがなw

583 :人間七七四年:2007/09/16(日) 22:17:13 ID:EfYwbfI+
>>564
五分の一という兵力差は何処から出したのですか?
実際は拮抗しています。

584 :人間七七四年:2007/09/16(日) 22:29:03 ID:wEmNXHPf
>五分の一という兵力差は何処から出したのですか?
>実際は拮抗しています。

5/1というのは法螺にしても、拮抗というのも同じくらい
におかしい。具体的にどうぞ。

585 :人間七七四年:2007/09/16(日) 22:50:35 ID:+P8Rae7x
>>578
えーと、とりあえず1・2・4・6は答えられるでしょ?
(6はどうでもいいけど)

3は解釈の問題だから、水かけ論だね。
5はおそらく読んでいないだろうから、答えは期待できないか・・・
7も答えられると思うけど、根拠らしいものは無いだろうからパスで結構。

1・2・4・6は「お前の」「根拠が」「提示されていない」と難癖つける性質の
質問ではないと思うから、暇だったら答えてよ。
でないと、あなたの脳内理論の域を出ないから議論にならない。

586 :人間七七四年:2007/09/16(日) 22:52:24 ID:EfYwbfI+
>>584
池田・浅野・山内・有馬で一万三千七百
岡山の堀尾・中村、曾根の水野・西尾、長松の一柳を加えて二万六千

毛利・吉川一万六千、長曾我部六千六百六十、長束千五百、安国寺千八百
大垣城四千八百併せて三万八百

587 :人間七七四年:2007/09/16(日) 23:02:55 ID:wEmNXHPf
>>583
関ヶ原合戦の当日に大垣城に水野とかが攻めているんですが。
普通に別物に考えるのが妥当じゃないんですか?

そもそも、南宮山の麓で戦いがあったとしての話拮抗できると
思ったのですが、そうじゃないんですか?


588 :人間七七四年:2007/09/16(日) 23:03:58 ID:B7QoEEN4
>>585
だから、まずお前の「事実誤認」を書け
人を煽るわ、罵倒するわして、無条件で答えろとは、おこがましいのに程がある



589 :人間七七四年:2007/09/16(日) 23:06:30 ID:B7QoEEN4
つか、フィールドワーク関ヶ原や敗者から見た関ヶ原を鵜呑みにしたアホの言葉にしか見えんぞ

590 :人間七七四年:2007/09/16(日) 23:12:49 ID:wEmNXHPf
wEmNXHPfの意見は簡潔に言えば、

1:信頼できる資料によれば、狼煙を上げた形跡はない

2:そもそも三成は毛利に命令をする権限もないし、毛利が話しを受ける謂れはない。

3:つーか、吉川以下東軍よりだし、話し合いする時間もない。

という感じに受け取ってるだけど、おk?

591 :人間七七四年:2007/09/16(日) 23:15:05 ID:wEmNXHPf
すまん。自分のID書いてどうするんだ。
B7QoEEN4だ。

592 :人間七七四年:2007/09/16(日) 23:17:30 ID:EfYwbfI+
>>587
長曾我部、長束、安国寺も南宮山の南方ですから、これも勘定から外す必要がありますね
それがいやなら大垣城攻めには参加していない堀尾五千百も入れないといけませんね


593 :人間七七四年:2007/09/16(日) 23:17:31 ID:vrNB6leu
敗者から見た関ヶ原って、典型的な結論ありきの研究だな、ってのが感想だったなあ。
全ての資料を自分の結論にあわせて継ぎはぎをあわせてる。同じ資料を使っても真反対の結論だって出せるぞ。

あとフィールドワークって言っても、当時と今とじゃ同じ土地でも、地形も変化するし、山道、道路も変わってしまっている、植物の植生だって
変わっているのだから、おのずから限界もあるよな。少なくとも鵜呑みにできるものじゃ無い。

594 :人間七七四年:2007/09/16(日) 23:19:00 ID:B7QoEEN4
>>590
それでおk
狼煙の件は、前日までの豪雨や関ヶ原直前までの濃霧等の理由があるけどね
まぁでも狼煙上げたか上げなかったなんて、正直どーでもいいんだよね
これはあくまで、自分の考え出しね


595 :人間七七四年:2007/09/16(日) 23:43:20 ID:wEmNXHPf
>>592
堀尾忠氏は長曾我部の押さえですから逆にないとおかしいでしょう。
とすると、
一万8千と2万5千ですね。

この兵力差では毛利は、撃滅でも撃退はできないですね。拮抗ですね。

まあ、ぶっちゃけ、毛利は任務上、対陣している池田と浅野抑えて中仙道に
兵をだすだけで良いのですけどね、それで家康は退却の命令ださなきゃならないですし。

>>594
つまり、あなたの弁論をまとめる考えるに、
三成・宇喜田は毛利は別系統の軍隊。友軍じゃなくて同盟軍みたいなもの
だということが導き出される。というわけですね。


596 :人間七七四年:2007/09/16(日) 23:53:11 ID:B7QoEEN4
>>595
ちょっと日本語が片言なのが気になるなー

結論言えば、東西両軍とも同盟軍に過ぎないよ
ただ東軍は名実ともにトップ足る家康という存在がいたけど、西軍にはそれがなかった
東軍は勝利後は思惑の差があれど、家康が政権の中枢で運営する形を望んだ集団であり、
西軍は反家康や乗り遅れで構成された集団で、各大名はこの内乱後の処理や政権闘争を睨んだ動きをしていた

本来ならば、応仁の乱のように泥沼化する恐れもあった内乱であったのを考慮したらいいよ


597 :人間七七四年:2007/09/17(月) 00:03:33 ID:Nziakw/g
そういえば関ヶ原に連なる話なのだが、幕末戊辰戦争で、上杉家が幕府側に付いたのは、
混乱に乗じて領土の拡大、あわよくば越後の回復を狙っての事だったと言う節があるらしいな。

300年たっても同じ愚を繰り返す、ってのも凄い話だと思ったw

598 :人間七七四年:2007/09/17(月) 00:13:49 ID:60T5zeS/
>>595
出すのも無理ですね
と言うより出してどうする?

599 :人間七七四年:2007/09/17(月) 08:20:15 ID:NEqkv/0E
徳川の上杉征伐が実行されていたら、景勝と直江は切腹の上、上杉家は
滅亡しただろう。三成の蜂起が上杉を救った。

600 :人間七七四年:2007/09/17(月) 10:06:48 ID:r8ABN7Bl
もし石田が挙兵しなかったらってIFはかなりのIFだな。

601 :人間七七四年:2007/09/17(月) 21:06:19 ID:7GX+WEtR
関が原の合戦では島、宇喜多、大谷は善戦したのに、小西行長だけは活躍しなかった、むしろおされっぱなしだったみたいだけど、
彼は陸戦は苦手だったのか?

602 :人間七七四年:2007/09/17(月) 21:37:34 ID:aZrJMMVo
宇喜多はおそらく実働部隊の中では最多の軍勢を率いていただろうに
数で半分にも満たない福島隊相手じゃ善戦とは言いがたい
島左近も序盤に鉄砲で撃たれて消えてる
そのおかげで死体が見つからなかったんだろう
大谷が一番善戦したな

603 :人間七七四年:2007/09/17(月) 21:52:30 ID:GQmyGlVk
流れ読まずに質問になるが忠勝の落馬時期が小早川の寝返りの前か後か本(史料じゃないやつね)によって違うんだが
どっちの話が信憑性有りそうなんだ?

関係ないが、島津好きが直政の負傷と一緒によく後者を引き合いに出すけどなんか誇張してる感が・・・
酷い人になると直政と忠吉を討ち取ったとか言うし

604 :人間七七四年:2007/09/17(月) 23:10:43 ID:eXB54uoD
>>602
島は一度鉄砲で撃たれて引き下がった後、
怪我を押して再度出陣、乱戦の中で消息不明になったと思ったが。

605 :人間七七四年:2007/09/18(火) 00:05:26 ID:g0jEfWpL
>>601-602
宇喜多が相手していたのは福島だけではない
そもそも西軍は高台に陣取り地理的優位を保ちつつ戦い、東軍が攻め西軍が守る図式
東西両軍とも相応の健闘してる
地理的優位性があったとはいえ、一番の健闘は石田勢ではないだろうか?

大谷が小早川を押し返した等の話の信憑性は置いておいて、関ヶ原合戦は終始、東軍に攻められてるんだよ

606 :人間七七四年:2007/09/18(火) 00:13:01 ID:JH7U0cog
撃たれた後の島は諸説あるよね。
602の説も有れば604の説を取っているものもある。
史料価値はわからないが戸川記に、三成の陣所に敵がなだれ込んだ時
突撃に出てきた三成側の侍大将は左近とされていて、左近のものとされる兜が
残っているんだって(昔は鎧もあった)

個人的には島はもちろん石田全体が頑張っていたと思う。

607 :人間七七四年:2007/09/18(火) 00:18:27 ID:Sjc0f5Ig
狼煙既知外が消えてまともになったな。

608 :人間七七四年:2007/09/18(火) 00:29:40 ID:EtOfB002
まあ西軍は小西が押されて、東軍は福島が押されてという感じかな?
全般的に東軍が攻めているが効果的な攻撃はできなかった感じだ、

609 :人間七七四年:2007/09/18(火) 09:27:55 ID:2yCwKMtl
福島って序盤でほぼ戦力外じゃなかった。

610 :人間七七四年:2007/09/21(金) 21:51:02 ID:HNI8wDOo
一部を除いて西軍の将の死に様が凄まじい…

611 :人間七七四年:2007/09/21(金) 22:14:05 ID:rX0peta/
大垣城に籠もってた西軍と抑えの東軍にいた大名って誰?

612 :人間七七四年:2007/09/21(金) 23:31:05 ID:5yPiIhWO
>>611
西軍
福原長尭600人、高橋元種1500人、秋月種長900人、垣見一直600人、相良頼房540人
熊谷直盛450人、木村勝正・豊統300人
以上大垣城

東軍
堀尾忠氏五千百、中村一栄四千三百五十人、以上岡山
水野勝成九百人、西尾光教六百人、以上曾根
一柳直盛千五十人、長松
その他、松下重綱三百人

但し、堀尾忠氏は長曾我部の牽制が主



613 :人間七七四年:2007/09/21(金) 23:48:30 ID:ErHyoiyv
それにしても、毛利が戦闘状態に入ったと仮定しても、
大事無いという意見の奴がいてびっくりした。

退路で優勢な敵が戦闘状態に入ったら、まともな
指揮官だったら退却準備すると思ってたんだけど。

そーでもないの?

614 :人間七七四年:2007/09/22(土) 01:16:37 ID:KbGIzMPU
押さえが崩れればな。防衛戦突破されなきゃ大事無い。

615 :人間七七四年:2007/09/22(土) 01:22:09 ID:a4fJx9t3
毛利は毛利の抑えが時間稼いでるうちに
家康本隊と大垣に挟まれてふるぼっこ

616 :人間七七四年:2007/09/22(土) 01:25:13 ID:quT0Ca9W
毛利が戦闘参加する事無いと踏んだから、あの形になったんだろ
なんでそー都合のいい仮定したがるのが絶えないんだろ?

617 :人間七七四年:2007/09/22(土) 01:27:01 ID:KbGIzMPU
そう言う風にしか西軍の勝ち方を想定出来ないからだろ。

618 :人間七七四年:2007/09/22(土) 02:01:58 ID:qi6A9zQH
>>614
数が多くて、高地に位置相手にたいして、
稜線沿いに薄く布陣しているわけだが。

突破してくれといわんばかりの状態なわけだが。。

>>615
大垣城攻めてあっさり撃退されたわけだが、
いつでも城から離れられるなんて思っているのかい?

>>616
家康の最初の布陣がが桃配り山で中途半端なのは、
毛利信じ切れなかったからだろう。

ちなみに、陣場野の移動したのは狼煙が
あがった後、ぶっちゃけ毛利が動かない事を
完全に確信したわけだな。

>>617
話が、逆。


619 :人間七七四年:2007/09/22(土) 09:08:51 ID:/OEpbeXq
>>618
押さえの兵力も置いてあるし、戦闘未参加の家康隊は毛利隊を超える数。
つまり別に「優勢な敵」ではないので、必ずしも致命的なことにはならないのですよ。
まあ、気にしなくても良いというほどの小事ではないとも思うけどね。

620 :人間七七四年:2007/09/22(土) 09:12:45 ID:gQC/bhyi
>>618
高地じゃない山だ山
木がたくさん生えてるぞー

後ね、参謀本部編集の配陣図は隊形が不明な為、
仮に一駒数千で縦隊と仮定して配置だから鵜呑みは危険

因みに毛利・吉川併せて1万6千、池田・浅野・山内・有馬
併せて1万5千弱と同数なのだが・・・

621 :人間七七四年:2007/09/22(土) 09:26:15 ID:/OEpbeXq
そこはさすがに長宗我部・長束・安国寺も加えるべきだと思うが、
どっちにしてもそう簡単に蹴散らされる兵力差ではないわな。
大垣攻めの東軍も守備側の倍くらいの兵力はあるから、
当然兵も動かせるだろうし。

622 :人間七七四年:2007/09/22(土) 09:57:46 ID:gQC/bhyi
>>621
長曾我部・長束・安国寺併せて八千九百
つまり本戦以外の東軍・西軍は

東軍
二万六千
西軍
三万千

双方とも打って出る気にはならないし、そういう事を念頭に置いて家康も
配陣してるね




623 :人間七七四年:2007/09/22(土) 11:26:43 ID:t0o2ZnTE
>>619
前方が閉塞してる状態で後方で戦が始まれば士気なんぞすぐに萎えるぞ。
家康の本隊が何万いようが関係ない、戦場の心理は理屈じゃない。
仮に毛利を撃退するために家康が後方に移動したりすれば、
家康が逃亡すると見えて、東軍の指揮は喪失する。
家康が桃山への布陣は前方と後方への両睨みのため。
本陣を前進させたのは毛利を信じたんじゃなくて、
毛利が変な気を起こす前に決着を付けるという意思と、
不退転の決意を全軍に示して、士気を鼓舞するためだろう。



624 :人間七七四年:2007/09/22(土) 12:08:41 ID:/OEpbeXq
>>623
全く予想していなかった者が敵に回って急遽配置を変えたなら、
確かに予備兵力があろうとかなり動揺するだろうが、
毛利については動く可能性も考慮し、だからこそ押さえの兵力も置いている。

予め敵として動く可能性も考慮していた者が、
実際に動いただけで士気喪失というのはあまりにも脆弱すぎる。
戦場の心理は理屈ではないという理由で、
一方的に東軍不利に推測するのは公平ではないでしょう。

625 :人間七七四年:2007/09/22(土) 12:26:55 ID:qi6A9zQH
>>624
後方に回られた時点で士気喪失しないのもおかしなものだけど。

626 :人間七七四年:2007/09/22(土) 16:58:37 ID:t0o2ZnTE
>>624
包囲される可能性が出てきた段階で普通は瓦解するよ。
押さえが頑張ってる間は大丈夫なんてのは脳内思考、
押さえが負けたら袋のねずみだよ、ヤバクなる前に撤退するのが当たり前。
数では大丈夫なんてのはゲーム。前後に敵を迎えれば死だよ。
別に西軍に有利な状況をムリに作ってる訳じゃなくて、
挟み撃ちされて勝った例なんかないだろ。
折れが言いたいのは後段の部分、そういう不利な状況をつくらさないという
家康の凄さだよ。




627 :人間七七四年:2007/09/22(土) 21:50:03 ID:qi6A9zQH
有馬とか、家康本隊と池田とかの間の
稜線沿いの狭い山間に布陣しているのって、

毛利が家康本隊に攻撃させないためでしょ?

ぶっちゃけ、あのへんの部隊は動かないし、
家康本隊も対毛利のためにうごかないと
思うんだが。

628 :人間七七四年:2007/09/23(日) 00:02:31 ID:lopvahcS
兵力に関しては西軍の方が多いとか東軍の方が多いとか互角だったとか色々言われているけど…
要するに多すぎてわからなかったってことでおk?

629 :人間七七四年:2007/09/23(日) 00:12:48 ID:jJ4QMbNK
大名ごとの動員だから、記録の無くなった大名も多い以上はっきりとした数字はわからない。
関ヶ原の兵力に関して出てくる数字は、ほとんど後世の推測だと考えたほうがいい。

630 :人間七七四年:2007/09/23(日) 01:28:53 ID:RMfJqOQt
>>627
626が言うのは、そういう理屈じゃなくてさ、
単純に後方を襲われる恐怖じゃないの。

631 :人間七七四年:2007/09/23(日) 09:30:14 ID:wbCbO/Ug
>>629
たしかに百石当たり三人は参謀本部が仮に決めた数です
でも個記録と照らし合わせるとそれ程には外れてない気はしますが
でも。家康本隊3万は間違いですが(実際は一万五千〜二万程度)
>>630
だからそれなりの抑えを置いたのですが

632 :人間七七四年:2007/09/23(日) 15:03:52 ID:HZSGtsx/
>>630、631
いや、だから、そういった事も考えておいたのだろうけど、
ぶっちゃけ、毛利の出方によってはどうしようもなくなると
言いたいわけだが、

この時代の軍隊って命令系統はしっかりしていないので、
毛利が吉川隊に池田・浅野隊に対抗できる兵力つけて前進
したらその時点で池田・浅野隊は撃退・後退するまで戦術的
自由度はなくなる。

完全に抜けなくなった時点で、残りの兵力が東軍本隊後方に
進入しようとしたらどうするのか?

有馬とかはそのための最後の予備兵力だろ?

予備隊の基本的な使い方なんだが・・・。

まあ、実は東軍本隊の後ろで合戦始まった時点で
撤退が出来ないので十分なんだが。

なぜかって?関ヶ原の合戦は一日で終わったから勘違い
されるが、これほどの会戦だと当然何日にも分けられて戦う。

勝敗が決まらなくても双方退却しなくちゃならん。

毛利が昼ごろ合戦始めるだけで、東軍は撤退の準備しなくちゃならん。


毛利の位置が致命的だってわかってないのか?

633 :人間七七四年:2007/09/23(日) 15:10:16 ID:jJ4QMbNK
>>632
> なぜかって?関ヶ原の合戦は一日で終わったから勘違い
> されるが、これほどの会戦だと当然何日にも分けられて戦う。

関ヶ原が実際に一日で終わった以上ただの机上の空論だな。

634 :人間七七四年:2007/09/23(日) 15:43:13 ID:podOcYYm
そうだな
何でこうも必死になって〜だったら、〜ならとか史実とは逆の結果をもつパラレルワールド世界を想像したがるんだか
小説家やシナリオライターが読者に受ける望ましいストーリーを考えるってんならわかるんだが
これは歴史だぜ
自分の好きなようなストーリー展開を望むんなら歴史になど興味持たないことだ

635 :人間七七四年:2007/09/23(日) 16:39:10 ID:dw/5/UsW
>>631
>個記録と照らし合わせるとそれ程には外れてない気はしますが
>家康本隊3万は間違いですが(実際は一万五千〜二万程度)

すまんが、個記録とは?
あと、家康の軍勢が実際は15000〜20000というのは???
三成の書状で小早川秀秋の軍勢が8000というのは残ってるのは知ってるけどね

>>632
毛利の出方次第?
毛利は動かないと想定してたんだよ、想定していても無防備という訳にはいかないから抑えは置くだろ
家康が抑え置いたから毛利が動かない保障ないという言い方は本末転倒もいいとこだぞ
毛利の位置が致命的なのは、東軍はとっくに承知してたんだよ

毛利は動かないの、動く可能性あるとすれば東軍が敗勢になってから
東軍が敗勢になるには毛利の合戦参加が必須なんで、毛利の参加はない
だから家康も毛利の抑えの軍勢を前線に投入してたんだよ
起こった事象で考えろ、「タラレバ」の空想なんてチラ裏でやってくれ

関ヶ原が一日で終わらない可能性があったのは事実
どちらが不利かは、前線を下げて兵糧にも事欠いて、意思の統一がされてなかった西軍の方


636 :人間七七四年:2007/09/23(日) 16:49:48 ID:81tEe/Xm
関が原の戦闘はモロ決戦だったと思うが・・・
全体としての戦役なら長期戦になる可能性が高かったろうが
始まった時点でそこまで長引かないような気がする

637 :人間七七四年:2007/09/23(日) 16:53:11 ID:C7aNC+yy
>>636
西軍の陣地戦と考えれば、長期線になる可能性も高いのでは?
(長期線になれば東軍に勝ち目は無くなるけど)

638 :人間七七四年:2007/09/23(日) 18:23:34 ID:jJ4QMbNK
>>637
じゃあ長期戦にすら持ち込めなかった西軍の無能さは歴史的だなw

639 :人間七七四年:2007/09/23(日) 20:39:42 ID:HZSGtsx/
>>635
西軍の迎撃が規定じゃないって意見どこに行ったの?
西軍が関ヶ原で迎撃するという場合のみそれが成り立つ。

そうじゃない場合は、単純に進軍の順序で毛利の押さえが少なかった。
という解釈の方が強いわけだが。

640 :人間七七四年:2007/09/23(日) 22:02:32 ID:wbCbO/Ug
>>635
古記録の間違い。軍書や軍記にも記録があるが、本によってばらばらではあるが
そこそこ信用できそうな値を取り出すと結構、参謀本部の算出兵力に近づく

家康勢については江戸出陣時戦力として三万二千七百があげられるが、東海道の
各城に置いた押さえの兵や松平忠吉の分を除くと一万五千その位になると言う話

641 :人間七七四年:2007/09/23(日) 22:04:38 ID:wbCbO/Ug
>>639
毛利勢への押さえの数が少ない根拠を教えて下さい

642 :人間七七四年:2007/09/23(日) 22:33:05 ID:dw/5/UsW
>>639
>西軍の迎撃が規定じゃないって意見どこに行ったの?
そんな事書いた覚えないんですが?

西軍自体が関ヶ原で迎撃することが予定外ならわかるけど

それより
西軍の迎撃が想定外→そうじゃない場合は、単純に進軍の順序で毛利の押さえが少なかった。
この図式が意味わからない

>>640
えっと、その「そこそこ信用できそうな値」というのは何?そこが肝心なんでお願いします
何をもってそこそこ信用できるのか、参謀本部算出の兵力に近づくのか?
ここの説明、論拠からの立証を解説して欲しい

そして、家康の江戸出陣兵力といい、各城に置いた抑えの事など、説明してくれないだろうか?

643 :人間七七四年:2007/09/23(日) 22:37:36 ID:dw/5/UsW
>>637の「西軍の陣地戦」もわかんないなぁ
西軍で陣地構築していたのは、南宮山の毛利と秀秋が乗っ取った松尾山城と、
その西側の大谷勢だけなはずなんだけどね

長期戦は西軍のが不利、それどころか西軍は長期戦にするには難問抱えていたんだが・・・

644 :人間七七四年:2007/09/23(日) 22:42:18 ID:wbCbO/Ug
>>642
その辺につきましては
学研M文庫 桐野作人著 真説・関ヶ原合戦
を参照してますのでそちらを御覧になって頂けませんでしょうか?
これなら直ぐに手に入ると思いますので(著作権もあれですし)

645 :人間七七四年:2007/09/23(日) 22:45:09 ID:dw/5/UsW
>>644
あ、なるほど、了解しました


646 :人間七七四年:2007/09/23(日) 22:49:57 ID:C7aNC+yy
>>643
北国街道と中山道が封鎖されていたというのは雑説扱いですか?

647 :人間七七四年:2007/09/23(日) 23:01:17 ID:dw/5/UsW
>>646
大谷勢が抑制できたのは中山道だけど、どうやって北国街道を封鎖していたのかな?

648 :人間七七四年:2007/09/24(月) 11:47:44 ID:Y7edfXnk
>>625-626
当時の状況は「後方に回られた」とか、後から「包囲される可能性が出てきた」
わけではなく、そんな事は最初から承知の上で、ちゃんと押さえの兵を置き、
さらに毛利隊の後方にも東軍が存在するという状況で、自ら進軍してあの位置に布陣しています。

予想できなかった状況で、後方に回り込まれ包囲される可能性が出てきたなら、
確かにそれだけで士気崩壊ともなりえるだろうが、
予め予想していたのにそれだけで士気崩壊なんてのは、幾らなんでも東軍を弱く見積もりすぎ。

それに、簡単に東軍を包囲したと言うが、当時情報伝達方法や西軍の指揮系統の欠如、
そして南宮山の位置を考えれば、むしろ南宮山は西軍主力から分断されたと見た方が妥当。

649 :人間七七四年:2007/09/24(月) 13:38:09 ID:P9fL2CI9
>>647
天満山と笹尾山の間に土塁線。
中山道も同様。

650 :人間七七四年:2007/09/24(月) 13:42:37 ID:P9fL2CI9
>>648
毛利勢が動き出して、「浅野隊裏切り」と誰かが叫べば総崩れだろ。

東軍が一糸乱れず、家康の下知に従っていたというのであれば別だが、
所詮は呉越同舟の寄り合い部隊であったのは西軍と同様だよ。

651 :人間七七四年:2007/09/24(月) 13:54:44 ID:u/VxWg3E
戦国の世に義とか役に立たん 実力ある家康につくよ

652 :人間七七四年:2007/09/24(月) 14:02:56 ID:7fdQ/igN
徳川についた福島・小早川・毛利らは名を落とし、義をかかげた石田や上杉は後世に名を残しましたとさ

653 :人間七七四年:2007/09/24(月) 14:04:31 ID:Y7edfXnk
>>650
そんな簡単なことで総崩れになるようなら、
西軍のどれかが退却したと誰かが叫んだだけで毛利隊の方が総崩れになるよ。
ただでさえ、毛利家の資料では三成が南宮山を見捨てたとあるように、
毛利軍の軍の主観としては、いきなり主力が後方に下がり前線に取り残された思いだったのだし。

そうでなくても、山際に分散して布陣していた西軍に比べて、
平地部に比較的まとまって布陣していた東軍の方が、伝達や事実の確認もし易いし、
同じ寄り合い所帯でも総大将不在の西軍より明白な総大将がいた東軍の方がまだましだし。

654 :人間七七四年:2007/09/24(月) 15:28:39 ID:OwC7rjQm
>>652
それは石田たちが後世に名を残したと思い込んでる人たちのみのドリームだよ。
石田や上杉なんて世間一般じゃ「無茶で無謀なことをした馬鹿」扱い。

だった負けたんだもん。しかも歴史的大敗。



655 :人間七七四年:2007/09/24(月) 15:32:56 ID:7fdQ/igN
馬鹿扱いならTOPは毛利でしょ。次点で小早川。

656 :人間七七四年:2007/09/24(月) 15:46:33 ID:OwC7rjQm
小早川は裏切り者扱いでアレだが、福島も毛利も別に名を落としていないだろ。
それぞれ現代にまで人気あるし。
毛利にいたってはちゃんと幕末まで大藩として残って明治維新も主導した。
吉田松陰、高杉晋作、桂小五郎、伊藤博文、山県有朋などを輩出もした。勝ち組もいいところ。


657 :人間七七四年:2007/09/24(月) 15:58:30 ID:7fdQ/igN
話を「世間一般じゃ「無茶で無謀なことをした馬鹿」扱い」これに合わせたら間違ってないだろ?
関ヶ原の輝元の動きは家康にくらべて凡人もいいところ。福島の凋落振りは言うまでも無いな。

658 :人間七七四年:2007/09/24(月) 16:06:53 ID:OwC7rjQm
>>657
毛利はその範疇に(関ヶ原にかぎっては)入るかもしれないが、福島は違うでしょ。
後に改易されるにせよ、世間でのイメージは「単純で粗暴だが愛すべき忠誠心厚い豪傑」だよ。
最終的に改易されたことも含めても、マイナスイメージになっているとはとても思えない。
そりゃ熱心な三成ファンから見たらアレなんだろうがw

659 :人間七七四年:2007/09/24(月) 18:49:53 ID:lnFzjFeS
>>649-650
おいおい、土塁線が存在するだけで封鎖してた事になるのか?
フィールドワーク関ヶ原の鵜呑みなのはいいが、あの本にはあの土塁を西軍が構築したとは一言も書いてないぞ
あの土塁はそれ以前から存在するもんで、あれを以って「西軍が関ヶ原を合戦場と想定していた」や
「封鎖」していたとは言えないんだよ

あそこは元々不破の関、土塁群はあるんだよ
問題は、その土塁が大垣方面を向いているかどうか、それで西軍が関ヶ原を戦場として想定していたのかが推察出来る
そして結論は、そういう遺構は大谷勢の本陣跡・南宮山周辺陣地・松尾山城以外には存在しない

>毛利勢が動き出して、「浅野隊裏切り」と誰かが叫べば総崩れだろ。
へー、実際に小早川秀秋はや小川等は裏切り、攻撃までした西軍は一瞬で総崩れになったかな?
というか、それで崩れると妄想で断言するとは・・・

660 :人間七七四年:2007/09/25(火) 01:48:19 ID:4AAvFAv2
>>659
多分同一人物みたいだから聞くけど、
あなたは、毛利の押さえの兵力は十分だっていう前提みたい
だけど、その根拠は?

別に鎧袖一触とは言わないが、普通に毛利が優勢に戦えると
思うんだけど、あなたはそうではないのか?

661 :人間七七四年:2007/09/25(火) 02:56:08 ID:QT+Wy42y
>>660
根拠も何も、実際に毛利は攻め込んでこなかった以上、東軍はあの状況下で必要充分な押さえをおいていた、と
言うより他無いだろ。現実以上のどんな根拠が欲しいんだ?空想に空想を重ねたって意味が無いぞ。

662 :人間七七四年:2007/09/25(火) 03:34:25 ID:Zxm9X7u7
事実じゃなくて「仮定」の話だろ。関ヶ原が毛利次第でどうにでもなったのは事実。

663 :人間七七四年:2007/09/25(火) 03:55:19 ID:QT+Wy42y
>>662
仮定も何も、もし毛利が戦闘意欲満々なのなら東軍もまったく別の陣立てをするっての。馬鹿じゃ無いんだから。
仮定するのならそこまで仮定しないと意味が無い。なんで西軍だけ状況が変わって東軍は全く変わらない、と言う
片方に都合のいい仮定をするんだか。

664 :人間七七四年:2007/09/25(火) 04:07:33 ID:Zxm9X7u7
都合の良い仮定ができない訳じゃないでしょ。吉川が抑えられないかったというケースも考えられなくはない。
初めから吉川に期待できないなら、東軍の配陣が変わったのは当たり前。

665 :人間七七四年:2007/09/25(火) 09:33:03 ID:HC42D3Kp
ある程度吉川に期待、だから関ヶ原に進出。
だけど、全幅の信頼なんてありえないから抑えを置いた。
てことだろ、普通に。
吉川も前日に100%保証じゃないと東軍に連絡してる。
家康も順当なら秀忠を待てばいいのになんで戦うことを決意したかを考えるべき。
豊臣恩顧東軍の士気の高さ。
小早川の内応の確率、毛利の不戦の確率。
西軍の足並みの乱れ。
そこら辺を考えると今が勝機で時間をかけるのは得策でないと判断したんだろう。
逆に言えば豊臣恩顧や裏切り組なんて、情勢次第で信頼できないと見ていたんだろう、
単純に長期戦は東軍有利なんて考えていなかった証拠。


666 :人間七七四年:2007/09/25(火) 11:59:05 ID:QT+Wy42y
んだからさー。東軍は毛利が「吉川を押しのけてまで参戦しても勝算を得られない」くらいの押さえを
置いていたって事だろ。やたら西軍側の視点に立った人たちが言っているように「吉川振り切ってでも
毛利が戦闘に入れば楽勝」みたいな状況なら、毛利だって動いているさ。馬鹿じゃ無いんだから。
実戦を潜り抜けてきた連中だぞ。そのくらい判断できるし、戦えば楽勝って状況なら吉川だって毛利と一緒に
攻め込むさ。

秀元たち毛利軍首脳も現場判断として

毛利軍−吉川部隊≦東軍押さえ

と、したから動かなかったんだよ。

667 :人間七七四年:2007/09/25(火) 13:03:09 ID:jxw7KN0M
毛利が参戦してれば小早川が西軍のまま戦う可能性もある。
裏切りがなければ石田にとって必勝の陣だからな。あの状況で毛利・長曽我部らが参戦しても東軍有利なんて無理があるよ。

668 :人間七七四年:2007/09/25(火) 13:19:04 ID:QT+Wy42y
> 裏切りがなければ石田にとって必勝の陣だからな。

先ずそこを疑えよ。裏切りの無い状況でも西軍は東軍に押されてたのに。

669 :人間七七四年:2007/09/25(火) 13:21:46 ID:jxw7KN0M
こと関ヶ原については数でも西軍有利のはずだが

670 :人間七七四年:2007/09/25(火) 13:30:58 ID:5xqhSjps
↑ゲームのはなしですか?

671 :人間七七四年:2007/09/25(火) 15:03:24 ID:HC42D3Kp
当時の文書では西軍の方が多いと書かれているものしかない。

672 :人間七七四年:2007/09/25(火) 18:13:27 ID:YsbHH1P3
実際どっちが多いかはわからんだろ
多すぎて数えられない

673 :人間七七四年:2007/09/25(火) 18:14:42 ID:4AAvFAv2
>>666
>んだからさー。東軍は毛利が「吉川を押しのけてまで参戦しても勝算を得られない」くらいの押さえを
吉川は参謀格だけど、あくまで一武将で、主将の秀元に命令に逆らうの?
まあいいや、

そもそも、勝算が無いってどういう判定するの?

殲滅するとか、圧倒的に、優勢に戦いを進めるとまで言わない。
「午後はじめに山間の狭い場所の退却口で毛利が戦闘始めたら、東軍正面の武将は真面目に退却考えるだろう」
ってそんなにおかしい事か?
毛利の主な役目ってこれくらいだよ。

東軍諸将が午後一杯使って、西軍正面をつぶせば良いやって考えるのは、都合よすぎるけど。
まだこの時点では、西軍は脱落者いないし、失敗したら、西軍に囲まれて野営だよ。

674 :人間七七四年:2007/09/25(火) 18:28:27 ID:QT+Wy42y
>>673
何で君は現実にそうならなかった自分の脳内だけのシミュレーションを、あたかも
「現実はこうあるべきだった」みたいに執着するの?君は仮想戦記でも書いて神経を落ち着けるといい。

だいたい秀元が無理をせず出陣しなかったって判断をなんだと思っているんだ。それこそ秀元だけが
判断したんじゃなく、毛利軍首脳部が「下山しない」と判断したからああなったんだ。
後世の目から見ての批評はどうとでもできるが、これは実戦経験も豊富な指揮官達の現場判断だった訳だ。
この重さを、どう考える?

675 :人間七七四年:2007/09/25(火) 18:54:29 ID:4AAvFAv2
そーゆう、判断下したっていう文献おしえて。
ほら、空弁当っていう話に惑わされて真実しらないからさ。

676 :人間七七四年:2007/09/25(火) 19:20:26 ID:BP2vNhoR
>>660
誰と誰を同一人物と思っているか知らないですが、
私が押さえの兵力が十分だと思う根拠は単純に兵力。
桃配山より東方に展開した兵力は東軍約2万6千、西軍約3万1千。
簡単に西軍が勝てる兵力差ではない上に、家康本隊という予備兵力もある。

それから、西軍は優勢に戦える程度では不十分、
石田隊等不利な情勢で戦っている西軍主力が崩れる前に家康本隊を崩さなければならないから、
その実現はきわめて難しい。

>>673
「午後はじめに山間の狭い場所の退却口で毛利が戦闘始めたら、
東軍正面の武将は真面目に退却考えるだろう」 というのは、おかしいでしょうね。
繰り返しになるが、毛利隊が東軍の後方になるように布陣したのは、東軍自身の行軍の結果。
自分達で進んでその場所に布陣し、さらに予め押さえの兵力も置いているのに、
毛利軍が戦闘を始めただけで退却なんてのはほとんどありえない。
毛利軍が戦う可能性も予め予想していたからこそ、押さえの為の兵力も置いているわけだから。

そういう場合は、押さえの兵力が踏ん張っている間に、
前方の西軍を潰そうと必死に戦うのがむしろ当然。
大体その時点で退却などしたら前方の西軍に追撃されて壊滅するのは明らかなのだから、
勝つためには正面を潰すしかないでしょう。しかも石田隊相手には情勢は優勢だったのだし。

677 :人間七七四年:2007/09/25(火) 19:29:50 ID:uIIb6DX+
カンナエの再現狙い

678 :人間七七四年:2007/09/25(火) 19:37:14 ID:zt9rOJmq
659だけど、「毛利の押さえの兵力は十分」と主張している人とは別人なんだが
でも一定規模の兵力置いてるので、万が一の備えにはなってると思うが?

つかID:4AAvFAv2は、敗者から見た関ヶ原を鵜呑みにして、自分で史料漁りした事もないヤツだろ
以前から何度も人に根拠は何だ聞くくsrに、自分が突っ込まれたら答えず日付変わってID変えて再質問のヤツ
文体変えろよいい加減

それと、やけに「毛利が動く」のを前提にして西軍が優位だ何だ言ってるがが、そんなのは家康だって承知だろ
承知の上でのあの形になったんだから、その事実から考えてくれよ

広家が抑えられなかったらとか、何を根拠にしてるか聞きたいぐらいだよ
岐阜陥落して大垣・南宮で一戦しようとしてた西軍が、家康着陣で大垣放棄して南宮山勢見捨てて退却したと
主張し、そして関ヶ原前日までには人質まで出して和議を成立させてる南宮山の毛利が、状況もわからないのに
西軍に参戦するって有り得ないだろ

どーして無理やりにでも、自分のなって欲しい妄想をこじつけようとするのかねぇ?


679 :人間七七四年:2007/09/25(火) 19:52:50 ID:Zxm9X7u7
三成が松尾山の小早川と天満山の毛利に出撃の合図をしたとされてる時点では
西軍は島が負傷、宇喜多善戦、小西後退、島津不戦を表明、大谷善戦って感じか。

ここで毛利不戦を確信して徳川が戦闘開始、宇喜多・小西が壊走だっけ。
もし毛利・長束・安国寺が戦闘に参加して、戦が伸びていたら長宗我部も当然参戦できたはず。
長宗我部とぶつかった面々も参戦するだろけど。


680 :人間七七四年:2007/09/25(火) 19:53:41 ID:BP2vNhoR
そもそも当日の布陣を、東軍を包囲しているから西軍有利と考えるのが少々短絡的。
見方を変えれば西軍は東軍によって分断されているとも取れる。
何しろ関ヶ原の西軍と南宮山の西軍は、互いに相手を直接は確認できない距離で戦うわけだから。
そういう場合はお互いをある程度信頼していないと全力で戦うことは出来ないので、
必ずしも西軍が有利だったわけではない。

まして東軍は全体で軍議を開いて関ヶ原への進むことを決めたのに対して、
西軍では関ヶ原への移動は毛利らが参加しない軍議で決まってしまっているから、
毛利軍の主観としてはいきなり前線に取り残された形になっている。
おそらく精神的な不安などについては、東軍よりもむしろ毛利軍のほうが大きかったでしょう。

681 :人間七七四年:2007/09/25(火) 19:58:34 ID:BP2vNhoR
>>679
徳川は陣を進めただけでまだ戦闘には参加していないはず。
その後間もなくして小早川が裏切り、四将の裏切りも続いて大谷隊から壊滅、
なし崩し的に他の部隊も崩れたって流れでしょう。

682 :人間七七四年:2007/09/25(火) 20:01:28 ID:OKDacz8r
http://mh-town.com/town/town_maker.cgi

683 :人間七七四年:2007/09/25(火) 20:07:28 ID:zt9rOJmq
頼むから経緯や史実無視した「タラレバ」持ち込むなら、それなりの理由をつけてくれ
毛利をあの状況で参戦させたいなら、参戦させるだけの理由付けを頼むよ

これは資料的根拠もない話だが、輝元は吉川広家等の東軍との和議を黙認していた、
というより知っていたんじゃないかと思う
三成が輝元への出馬要請していたのを増田長盛の内通を理由に拒否してるし、
毛利は合戦の長期化や西軍敗退を見越して、あえて戦力の消耗を避けた不戦をしていたのではないかと俺は思う

684 :人間七七四年:2007/09/25(火) 20:17:01 ID:Zxm9X7u7
毛利秀元・長束・安国寺は主戦派で、吉川が道をふさいで押し込めたってのが通説じゃないの?
秀元は大阪城に帰還してからも徹底抗戦を主張したと聞くが。

毛利参戦がそんなに無理のある話かな。

>>681
本多忠勝はその時点で参戦してるはず。家康本隊とは分けて考えた方が良いのかな。

685 :人間七七四年:2007/09/25(火) 20:24:48 ID:3E0xn8Lq
>>679
宇喜多壊走は大谷が壊走したあと、横撃が入ってから。
西軍では一番強かったんじゃない?数も多いし。
お家騒動がなければ・・・と妄想しちゃうな。

あと、毛利は別にしても小早川を西軍と見るのはどうだろ。
伏見の鳥居との一件もそうだし

松尾山の新城にいり、その城主伊藤長門守某を追い払ふ(寛政譜)

と、西軍方の松尾山城守将を追い出してるしな。




686 :人間七七四年:2007/09/25(火) 20:33:06 ID:BP2vNhoR
>>684
本多隊は家康本隊とは分けるて考えていた。
井伊や忠吉と同等くらいの裁量権はあっただろうから、分けて考えて良いと思う。
家康直卒部隊もさらに後方に控えているわけだし。

687 :人間七七四年:2007/09/25(火) 20:33:12 ID:Zxm9X7u7
小早川は鉄砲を撃ちかけた逸話や、勝敗が決まっても家康が使者を出すまで
顔を出さなかったとか、伏見攻めを謝罪したり佐和山攻めの先鋒を申し出たり。

初めから東軍だったと言うには卑屈な態度が気になる。

688 :人間七七四年:2007/09/25(火) 20:33:12 ID:3E0xn8Lq
>>683
広家の密通を黙認ってのはどうかな?
家康への弾劾状への署名捺印、四国九州への出兵に加え
猛将てか血気盛んな秀元を名代にしてるし。(これは広家が抑えられたけど)

万が一の保険って考えだったかもしれないけど、家康と通じたいという意思があったとしたら
輝元の行動はいくらなんでも浅はか過ぎるような。

689 :人間七七四年:2007/09/25(火) 20:35:12 ID:3E0xn8Lq
>>687
鉄砲なんて後世の創作

690 :人間七七四年:2007/09/25(火) 20:39:47 ID:zt9rOJmq
>>684
秀元が主戦派というのはない、あくまで彼は合戦だから戦うみたいな感じ
反徳川とか西軍加担だからとか、関ヶ原合戦中に無理してでも合戦するというのはない
ついでに秀元が大坂帰還後に籠城主張もない

これは毛利の記録だけどね

空弁当の話や(有名な話とは全く違うけど)、合戦後に島津義弘が大坂籠城を主張した使者を輝元に送った話はあるけどね

691 :人間七七四年:2007/09/25(火) 20:41:04 ID:BP2vNhoR
>>687
伏見攻めの後から前日までの小早川の動きをみれば、
東軍として動いていたと見たほうが妥当だろうが、
肝心の決戦当日には即座に東軍としては動かなかった。
つまり、最後の最後で日和見に走ってしまったといったところかと。

鉄砲を打ち込んだ話の真偽はともあれ、
直ぐには動かず、家康もかなり慌てたらしいし、
戦後の卑屈な態度も日和見の後ろめたさがあったからだと思う。

692 :人間七七四年:2007/09/25(火) 20:44:48 ID:zt9rOJmq
>>688
浅はかだったとはあくまで結果論であって(それと秀元が血気盛んだったというのもね)、
長期化・泥沼化を視野に入れれば、どっちにも通じ、どう転んでも良い様にしとくというのはアリといえばアリ

家康と通じたいというより、東西両軍にも良い顔しとけ的なもんだと思うよ

豊臣家が明確にどっちにも加担しなかったように、多くの家が東西両軍に分かれたように、先行き不透明なんだからね

693 :人間七七四年:2007/09/25(火) 20:57:22 ID:3E0xn8Lq
>>690
>秀元が大坂帰還後に籠城主張もない
立花宗茂と一緒に主張したってのが通説だと思ってた。
毛利家文書かぁ。

>>692
まぁねぇ。
親子で東西に分かれてるってのは別に珍しくもないし
真田や久喜、前田なんか。
毛利は中途半端に西に寄ってるよねぇ。総大将やっちゃってたし。

694 :人間七七四年:2007/09/25(火) 20:58:46 ID:3E0xn8Lq
とはいえ、秀元と広家の不仲は時代を超えて藩同士にまで及んでたくらいだからなぁ
秀元としてはどうしても一太刀浴びせたい位の感情なのかと思ってた。

実際どうなんだろう?

695 :人間七七四年:2007/09/25(火) 21:02:15 ID:3E0xn8Lq
×久喜
○九鬼


696 :人間七七四年:2007/09/25(火) 21:25:11 ID:zt9rOJmq
>>694
その辺ははっきりとわからないけど、合戦後に徳川の使者が秀元に挨拶に来いよと来たのに対して、
天野元政が替わりに答えたんだけど

秀元申さるゝ様
「今度の御扱ひ前後存ぜず候 御扱ひの手筋存じ候者を留め置かれ候へ 某は大坂へ罷り下り 
輝元罷り出づべきの通り申すに於ては 明日にも罷り出でらすべく候」
と申し切られ候

とあるので、和議の経緯で蚊帳の外に置かれた事などで、使者に直接会わないなど、合戦後は不機嫌っぽい


ただ毛利にも主戦派?と言えるかはわからないが、

山上の人数に 一戦の儀成り兼ね申し候躰 兼々も各覚悟に 一戦申付けらるべしとの儀定これ無く候
何の条も其時はづ仕り 仕られがたく見へ申し候

と合戦したがってたのが居たのは確か

697 :人間七七四年:2007/09/25(火) 21:30:16 ID:3E0xn8Lq
詳しい解説thx

698 :人間七七四年:2007/09/26(水) 12:02:28 ID:5mrJ1rWY
毛利家中

親三成=輝元、元康、秀包、安国寺
親家康=秀元、広家

挙兵推進=輝元、元康、秀包、安国寺、輝元側近
挙兵反対=広家、重臣
秀元の態度は不明だが西ノ丸の徳川留守居を駆逐するなど、
輝元の指示には従って動いている。
秀元の後の態度から考えれば裏切りにはシロだし、
少なくとも広家に欺かれたと考えるほうが素直と思う。
輝元は現存する資料からは、秀吉没後は一貫して反家康で動いてる。
三成失脚後も連絡を取りあっており、挙兵後の書状からも消極的な
証拠は何もない。
輝元は無関係で欺かれただけとの主張は広家の弁明にあるだけで、
趣旨からも信憑性は薄い。
実際に輝元の大坂での活発な行動を理由に改易されそうになっている。

699 :人間七七四年:2007/09/27(木) 00:49:06 ID:pnnBE9n6
>>698
>親三成=輝元、元康、秀包、安国寺
>親家康=秀元、広家

>挙兵推進=輝元、元康、秀包、安国寺、輝元側近
>挙兵反対=広家、重臣

これはどういう史料見て判断したのかな?
特に、挙兵推進というのを詳しく

>三成失脚後も連絡を取りあっており、挙兵後の書状からも消極的な
>証拠は何もない。
挙兵後の書状で積極的・消極的と判断できるのとは?日付と誰宛かを頼む
そしたらこちらで確認取れるから

>秀元の態度は不明だが西ノ丸の徳川留守居を駆逐するなど、
>輝元の指示には従って動いている。
これも、秀元が駆逐した日付と裏付ける根拠求む

700 :人間七七四年:2007/09/27(木) 00:52:19 ID:7uNYg4az
だいたい輝元も、最初は積極的だったかもしれないが西軍の実態がわかるにつれ
消極的になっていってるだろ。

701 :人間七七四年:2007/09/27(木) 01:38:14 ID:zitGFwdX
>>699
宍戸あたりはやる気あったんじゃねーの。
毛利の問題は、重臣達が、どれ位広家の東軍内通知っていたかじゃないの。
福原はガチだけど、他の重臣は知っていたのかな?

702 :人間七七四年:2007/09/27(木) 02:19:48 ID:pnnBE9n6
>>701
東軍内通知っていたも何も、熊谷元直・益田元祥・宍戸元続の三人の連署を7月13日付で榊原や本多佐渡宛に送ってる
輝元は担がれた何だとね
これは吉川広家が榊原宛に送った最初の書状より1日早い

これとは別に、木津に集まった毛利家臣(上記四名の他に毛利秀元・福原広俊・堅田元慶)は、全員この件に驚き、
又、知らないと騒ぎ、大坂からの使者に対し、相談の上返答するとしてる

そして7月15日に熊谷・益田・宍戸・広家の四名の連署による誓紙書いてる

これらから、吉川広家の東軍への内通は広家個人の独走による物とは言い難い
関ヶ原前日から当日の交渉は秀元など知らない事から、一部の重臣によるものだと思われるが、
東軍との交渉は、毛利家として行っていたと思われる

だから>>698に聞いたんだけどね
どういう根拠で、ああいう括りにしたのか是非興味あるから

703 :人間七七四年:2007/09/27(木) 02:22:49 ID:pnnBE9n6
>>702の「これとは別に〜」の下りはわかり辛いね
「全員この件に驚き〜」の「この件」とは西軍決起と輝元の西軍総大将就任の件ね

704 :人間七七四年:2007/09/27(木) 02:55:13 ID:GIvRuTP8
吉川だけではなく毛利も関ヶ原東軍内通に加担していたとすれば、なぜ秀元が知らないのかと言う
疑問は誰もわかないのかな。

現場総大将にだけ秘密にする理由が分からない。

705 :人間七七四年:2007/09/27(木) 02:58:55 ID:zitGFwdX
>>702
返書の内容とか重臣らと図ったんだっけ?

706 :人間七七四年:2007/09/27(木) 03:06:17 ID:7uNYg4az
>>704
まあ、秀元は最初から積極派だったんでしょ。
単純に変にもめて家内の分裂を引き起こすことを恐れたんじゃないかな?
毛利家と言うのは豪族連合だった頃の体質をこの頃も引きずってるから、急な方針転換で
家臣団が二派に分かれて統率が取れなくなる恐れは十二分にあったと思うよ。

707 :人間七七四年:2007/09/27(木) 03:23:34 ID:GIvRuTP8
毛利家の詳細は知らないけど、軍令違反にはならないの?

708 :人間七七四年:2007/09/27(木) 03:27:00 ID:pnnBE9n6
>>705
返書と言うのはどれの事?

>>704
元々、吉川広家と毛利秀元とは仲がいいとは言えない
これは毛利の内政問題、安国寺の中央集権派と吉川等の毛利支族派との対立、
そして黒田父子と三成・増田長盛の奉行衆の対立問題にまで関わる事なんだよ

そして秀元は名目上の総大将で、指揮権などが一任されていたわけでなく、毛利自体が奉行による談合政治だったので、
秀元は外されていたと思われる
まぁ若いから若輩として軽んじられてたのもあるかもね

709 :人間七七四年:2007/09/27(木) 03:36:54 ID:7uNYg4az
しかし毛利秀元も、関が原の後はあっさり親徳川派になったり、輝元の息子の秀就の後見になったくせに
秀就とものすごい仲悪かったり、それでよりにもよって広家の吉川家とかと一緒になって毛利家からの独立を
策謀したり、なんとも厄介なタイプの人間ではありますな。

710 :人間七七四年:2007/09/27(木) 03:41:08 ID:GIvRuTP8
吉川に対する指揮力が弱かったのは理解できるが、毛利本軍に対する指揮権まで
無かったと?
そして東軍内通という最重要情報すら伝えられなかったと?

未だ輝元は大阪にいるし、見方によっては西軍のみならず毛利本家に対する背反じゃないそれ

711 :人間七七四年:2007/09/27(木) 03:54:58 ID:GIvRuTP8
もっと言えば何故吉川に徳川(本多ら)との交渉を全てを任せたのか?
という疑問もわいてくる。

712 :人間七七四年:2007/09/27(木) 03:55:35 ID:pnnBE9n6
>>710
ん?毛利本軍に対する指揮権???

本家に対する背反とか軍令違反とか、君の言うことが理解出来ないんだけど
吉川に対する指揮権とかも毛利本軍の指揮権とか・・・
総大将=指揮権ありではないんだよ?

ゲームじゃないんだから・・・

713 :人間七七四年:2007/09/27(木) 04:00:33 ID:GIvRuTP8
>>総大将=指揮権ありではないんだよ?
>>
>>ゲームじゃないんだから・・・


大阪の陣の秀頼のようなお飾り総大将とはケースが違うと思ったから書いた。

714 :人間七七四年:2007/09/27(木) 04:02:12 ID:7uNYg4az
いや、関ヶ原の時の秀元はお飾り総大将そのものでしょ。

715 :人間七七四年:2007/09/27(木) 04:13:44 ID:pnnBE9n6
>>713
思ったのはいいが、どうしてそう思ったのか書いてくれないとただの教えて君になるよ
秀元は秀頼ほどではないにしろ、お飾りと言ってもいいね、決定権に自身の意思を反映させられない立場


>>711に関しては、豊臣政権の「取次」を調べたらいい
そして毛利家に対する豊臣政権の介、それに家康がどう関わったかを
津野倫明氏や戸谷穂高氏の論文等読むといいよ

716 :人間七七四年:2007/09/27(木) 04:56:19 ID:GIvRuTP8
>>思ったのはいいが、どうしてそう思ったのか書いてくれないとただの教えて君になるよ

同世代の人間の小早川秀秋19歳や徳川秀忠22歳は自らの指揮(当然補佐つき)で動いている。
逆にいえば、決定権が無いに等しく参謀に加わらない野戦総大将の例を、豊臣秀頼以外に知らない。
そして秀元は秀頼とは違い初陣ではなく、慶長の役も大将として参加してる。


>>そして毛利家に対する豊臣政権の介、それに家康がどう関わったかを
>>津野倫明氏や戸谷穂高氏の論文等読むといいよ

それを今調べるのはきついから論点をずばり頼む。
毛利宗家は徳川と交渉をしないのか?

717 :人間七七四年:2007/09/27(木) 05:24:00 ID:pnnBE9n6
>>716
小早川秀秋は小早川家の当主、秀元と同列に扱うのはおかしい
秀忠は徳川家の嫡男、しかも関ヶ原当時は指揮権を完全に把握していたとは言い難い
榊原を始め多くの補佐がいる

毛利秀元はあくまで、輝元の代理としての大将であり、君のいう補佐というのが安国寺や吉川や福原などの重臣たち
慶長役の秀元にも勿論補佐いたよ

>それを今調べるのはきついから論点をずばり頼む。
>毛利宗家は徳川と交渉をしないのか?
今調べなくてもいいんじゃね?君の疑問なんだから
君が資料的根拠などをもって別意見があり、それとの相違を問うならわかるが、君が知らないだけだし
普通の図書館でなく、大学図書館に行けばあると思うから、自分で調べてみなさい

なぜこんな事書くかというと「毛利宗家は徳川と交渉をしないのか?」と言うからだよ
吉川広家は毛利家として交渉してるんだよ
徳川が榊原や井伊などが交渉してるのに、「徳川宗家が・・・」とは言わないのと一緒
君はもう少し自身で調べて勉強した方がいい

718 :人間七七四年:2007/09/27(木) 06:17:56 ID:GIvRuTP8
>>毛利秀元はあくまで、輝元の代理としての大将であり、君のいう補佐というのが安国寺や吉川や福原などの重臣たち
>>慶長役の秀元にも勿論補佐いたよ

輝元の代理であり補佐が居たのは分かっているが、それをもって秀元はお飾り大将であるとはいえない。
「高麗物語」に秀元が下知を出してる逸話も見た事ある。


>>吉川広家は毛利家として交渉してるんだよ
>>徳川が榊原や井伊などが交渉してるのに、「徳川宗家が・・・」とは言わないのと一緒

吉川が毛利家の為に動いていたのは理解できるが、毛利宗家輝元・秀元の範疇外で動いている(ように見える)と指摘したかった。
宗家の輝元・秀元と連絡を取らずに交渉を進めていたのでは、宗家とは別の独立大名と見てもおかしくないだろう。

秀吉が独断で宇喜多の本領安堵をして大目玉くらったのと似てる。宗家の意思ではない。
戦後、吉川広家のみ加増されて毛利は改易されかかった事にも繋がる。もっともこの辺りが広家の責められる所なのかもしれないが・・


>>君はもう少し自身で調べて勉強した方がいい

言いたい事は分かるが上から物を言うのは止めてくれ。

719 :人間七七四年:2007/09/27(木) 06:35:39 ID:pnnBE9n6
>>718
>「高麗物語」に秀元が下知を出してる逸話も見た事ある。
えーっとね、掛かれやら下知するのは大将でしょ
その下知の判断を単独で決めれるのかどうかの話なんだよ、わかる?

>毛利宗家輝元・秀元の範疇外で動いている(ように見える)と指摘したかった。
>宗家の輝元・秀元と連絡を取らずに交渉を進めていたのでは、宗家とは別の独立大名と見てもおかしくないだろう。
君は宗家宗家と書いてるが、何故分けるの?その根拠を示してないんだが
範疇外で動いて見えるというのも、どういう史料見てそう判断したかが書かれてない
それがない以上、調べるべき史料提示するから自分で調べて勉強したら?としか言えないんだよ
それを上から物言うなと言うなら、せめて対等に会話できるように、論拠をもって疑問呈するなりしてくれ

>秀吉が独断で宇喜多の本領安堵をして大目玉くらったのと似てる。
これも同じ、織田家のそれと毛利のそれを同列にしてる
似てると言うなら、織田家の構造と毛利家の構造の類似点を挙げて言うべきなのに、一言「似てる」
知ってる側から見れば、何をもって似てると言うのかさっぱり謎

吉川広家を宗家とは別の独立大名と見るのは勝手、でも何も根拠なく調べもせずにそう見えると指摘するなと言ってんの
せめて教えてあげた人の論文ぐらい目を通してね

720 :人間七七四年:2007/09/27(木) 06:50:18 ID:GIvRuTP8
>>えーっとね、掛かれやら下知するのは大将でしょ
>>その下知の判断を単独で決めれるのかどうかの話なんだよ、わかる?

悪いがその指摘は高麗物語の下知の逸話とあっていない。君の言葉を借りれば図書館でも行って調べた方が君の為だ。


>>それがない以上、調べるべき史料提示するから自分で調べて勉強したら?としか言えないんだよ
>>それを上から物言うなと言うなら、せめて対等に会話できるように、論拠をもって疑問呈するなりしてくれ

もともとの論点に戻らせてもらうと、毛利内通を毛利宗家は知っていたのか?それとも吉川の独断か?である。
それによって、毛利は吉川を押しのけて関ヶ原に参戦できた可能性はあるか?ないか?に移る。

自分が指摘しているのは、毛利宗家も内通を周知していたとするなら、何故秀元は知らなかったのか?
そして、ただのお飾り大将だったというには秀元はふさわしくない人物だと。
これは吉川の独断であった、そして毛利宗家としては不戦は本意とはいえないと言いたい。


>>似てると言うなら、織田家の構造と毛利家の構造の類似点を挙げて言うべきなのに、一言「似てる」

他に上手い事例が無かったので挙げた例。分かりやすいと思ったのだがこれは余計だったか。


>>吉川広家を宗家とは別の独立大名と見るのは勝手、でも何も根拠なく調べもせずにそう見えると指摘するなと言ってんの
>>せめて教えてあげた人の論文ぐらい目を通してね

根拠は、単独で加増された事、宗家を介さない単独で動いていた事を挙げたつもり。
論文は見たいと思うが、本の題名や何についての論文なのか教えてくれると助かる。

721 :人間七七四年:2007/09/27(木) 07:07:58 ID:pnnBE9n6
>>720
>君の言葉を借りれば図書館でも行って調べた方が君の為だ。
はぁ・・・話にならんね・・・
では、その逸話ってのを説明したら?

>毛利内通を毛利宗家は知っていたのか?それとも吉川の独断か?である。
これも最初に書いた、東軍への、徳川家の交渉自体、伏見攻撃以前からやってる
合戦前日の広家の交渉自体を秀元は知らなかっただけ、君の言う「内通」とは、どの時点のどの動きからを指すのか謎

つか君は何一つ根拠がない
毛利の不戦が本意ではないと言うなら、それを推察出来る史料なりの根拠出せばいいだけ
それが出来ないなら、こちらとは会話が成立しないんで、これ以上やっても無駄

>論文は見たいと思うが、本の題名や何についての論文なのか教えてくれると助かる。
>>715に名前出してる、論文名追加するなら
津野倫明氏の「安国寺恵瓊の虚像と実像」「豊臣〜徳川移行期における取次」
戸谷穂高氏の「豊臣政権の取次 〜天正年間対西国政策を対象として〜」

これは論文のタイトル、掲載紙は戦国史研究とか色々あるんで忘れた
確か大学図書館でコピー取り寄せてもらった記憶あるので、是非どうぞ
この取次というのは関ヶ原での対立構造にも多大な影響及ぼしているから、凄い為になるよ

722 :人間七七四年:2007/09/27(木) 07:21:13 ID:GIvRuTP8
>>はぁ・・・話にならんね・・・
>>では、その逸話ってのを説明したら?

人には要求して自分は調べろってあんまりじゃないか?
俺は君の言う論文を見てみようとしてるのだから君も調べなさいよ。


>>これも最初に書いた、東軍への、徳川家の交渉自体、伏見攻撃以前からやってる
>>合戦前日の広家の交渉自体を秀元は知らなかっただけ、君の言う「内通」とは、どの時点のどの動きからを指すのか謎

自分が言いたいのは、その徳川への交渉が毛利宗家として(輝元・秀元の了解の上)での事なのか、
それとも吉川独断なのか、という事。最終的なものでもどの段階でも良い。


>>毛利の不戦が本意ではないと言うなら、それを推察出来る史料なりの根拠出せばいいだけ

そんな資料があったとしても徳川政権下で残るとは思えないな。だから資料によるものではなく、
大阪城をすぐに撤退しなかった事など客観的な意見にすぎない。


論文の件は詳しくありがとう。



723 :人間七七四年:2007/09/27(木) 07:33:40 ID:pnnBE9n6
>>722
あのさー、君が他人の否定として挙げた例なのに、君自身が説明出来ず調べろと言うのと、
俺の論文の紹介は全然違うじゃないか・・・ほんと話にならんなぁ

>自分が言いたいのは、その徳川への交渉が毛利宗家として(輝元・秀元の了解の上)での事なのか、
>それとも吉川独断なのか、という事。最終的なものでもどの段階でも良い。
だから最初に書いてるんだけどさ、読んでないの?

>そんな資料があったとしても徳川政権下で残るとは思えないな。だから資料によるものではなく、
>大阪城をすぐに撤退しなかった事など客観的な意見にすぎない。
客観的とは言わない、君の主観的かつ懇意的な意見

大坂をすぐに撤退しなかったという「すぐ」とは、どういう時間的なものですぐではなかったと言えるのか、
これらの論拠ある説明がない以上、君の懇意的な意見に過ぎないので、話にならない

違うと言うなら、毛利勢の撤収時期、関ヶ原後の処理等色々ある中で、「すぐ」とはどの日数・早さを言うのか具体的にどうぞ


724 :人間七七四年:2007/09/27(木) 07:49:48 ID:GIvRuTP8
>>あのさー、君が他人の否定として挙げた例なのに、君自身が説明出来ず調べろと言うのと、
>>俺の論文の紹介は全然違うじゃないか・・・ほんと話にならんなぁ

説明できないとは言ってない。ただ内容が違う指摘をされたので、知らないなら見てみなさい
と言ったまで。君の秀元観も少しは変わるだろう。ちなみに関ヶ原ではなく朝鮮の易の話ね。
なにより自分は原文のまま挙げる事はできないので、直接見た方が良いという意味もある。


>>だから最初に書いてるんだけどさ、読んでないの?

輝元・秀元の指示で吉川が動いたとは何処にもなかった。君のレスには吉川が徳川と交渉したとだけある。
それは俺でも知っている事。


>>大坂をすぐに撤退しなかったという「すぐ」とは、どういう時間的なものですぐではなかったと言えるのか、
>>これらの論拠ある説明がない以上、君の懇意的な意見に過ぎないので、話にならない

初めから東軍だったというなら、9月17日に家康の意で自主退去の手紙をだした事はどういう事だろう。
9月17日付けの手紙も「奉行共逆心」の結果とし、吉川・福原が毛利分国と引き換えに協力したこと、
毛利に対して何の敵意も持っていない、との内容だとか。

これの意味は毛利宗家は東軍加担にそれほど関与していなかったと見てもおかしくないだろう。
9月24日まで大阪退去が伸びた理由は、内部で話し合い等あったからだろう。

725 :人間七七四年:2007/09/27(木) 08:10:47 ID:zitGFwdX
>>705
8月19日の黒田長政からの返書。



726 :人間七七四年:2007/09/27(木) 08:16:26 ID:pnnBE9n6
>>724
「高麗物語」は俺知らない、「高麗日記」の稷山の話なら知ってる、つか読んだことある
原文のままという言い方も謎

>君のレスには吉川が徳川と交渉したとだけある。
>それは俺でも知っている事。
知ってるなら、具体的どうぞ
俺は日付挙げてるし、内容も今すぐに書けるけど、君が知ってるなら、それを君から説明した方がいいだろう

>初めから東軍だったというなら、9月17日に家康の意で自主退去の手紙をだした事はどういう事だろう。
>9月17日付けの手紙も「奉行共逆心」の結果とし、吉川・福原が毛利分国と引き換えに協力したこと、
>毛利に対して何の敵意も持っていない、との内容だとか。
だからさ、君は西軍か東軍かの両極端しかない訳?
それに大坂退去の交渉ぐらいするのが当たり前、戦後に何の確約もなく、大坂城出る訳ないだろ
毛利に敵意ないと書いてるから、毛利は西軍だったとか、そんな単純な話じゃない

それ以前の徳川との交渉は、輝元は知ってるはずだよ
木津の毛利屋敷にいた頃から送ってるんだし、だから両天秤にかけてると言う事
東軍か西軍かなんて白黒はっきりじゃないの

つか関ヶ原での不動は現場にいた吉川・福原らの判断だよ、そう書いてるだろ
そりゃ急激に動いたんだから、大坂の輝元まで伺う時間的猶予はない

>毛利宗家は東軍加担にそれほど関与していなかったと見てもおかしくないだろう。
だから、宗家とはなんぞ???
毛利は東軍加担ではなく、東西両軍を天秤に掛けただけ、だから「動かなかった」

>9月24日まで大阪退去が伸びた理由は、内部で話し合い等あったからだろう。
これの根拠plz、秀元や広家などが大坂に帰還したのはいつでしょう?

727 :人間七七四年:2007/09/27(木) 08:40:18 ID:GIvRuTP8
>「高麗物語」は俺知らない、「高麗日記」の稷山の話なら知ってる、つか読んだことある
>原文のままという言い方も謎

蔚山赴援の話。「高麗日記」の稷山の話は俺は知らない。
俺が読んだのは確か現代語訳されていた。


>知ってるなら、具体的どうぞ
>俺は日付挙げてるし、内容も今すぐに書けるけど、君が知ってるなら、それを君から説明した方がいいだろう

吉川が独自で徳川と交渉に当たったというのは知っているが、
輝元・秀元の指示で動いていた、という記録は知らないと言っている。
君は輝元・秀元つまり毛利宗家の指示で動いていたと証明できるのか?


>それに大坂退去の交渉ぐらいするのが当たり前、戦後に何の確約もなく、大坂城出る訳ないだろ
>毛利に敵意ないと書いてるから、毛利は西軍だったとか、そんな単純な話じゃない

名目上、大阪城に入って西軍の総大将になっていたと認識しているが違うのか?


>それ以前の徳川との交渉は、輝元は知ってるはずだよ
>木津の毛利屋敷にいた頃から送ってるんだし、だから両天秤にかけてると言う事
>東軍か西軍かなんて白黒はっきりじゃないの
>つか関ヶ原での不動は現場にいた吉川・福原らの判断だよ、そう書いてるだろ
>そりゃ急激に動いたんだから、大坂の輝元まで伺う時間的猶予はない

俺が言いたいのはそういう事。「白黒はっきりじゃない」から、関ヶ原で毛利本軍が吉川を
押しのけて参戦する可能性だって0じゃない。輝元・秀元の指示ではなく、吉川の独断で
あったと。


>これの根拠plz、秀元や広家などが大坂に帰還したのはいつでしょう?

根拠は逸話として秀元が交渉を有利にするため篭城を主張した、とするもの。
ただしソースが見つからない。

728 :人間七七四年:2007/09/27(木) 08:47:56 ID:7uNYg4az
> 根拠は逸話として秀元が交渉を有利にするため篭城を主張した、とするもの。
> ただしソースが見つからない。

…(゚Д゚)

729 :人間七七四年:2007/09/27(木) 09:08:02 ID:pnnBE9n6
>>727
すまんが「高麗物語」とはなんぞ?まずそれから答えてくれ
現代語訳されてるなら、それ書けばいいじゃん・・・意味わかんないなー

>吉川が独自で徳川と交渉に当たったというのは知っているが、
>輝元・秀元の指示で動いていた。という記録は知らないと言っている。
まず君は秀元を持ち上げるの止めよう、毛利家中では彼より広家の方が発言権も立場も上

輝元が指示出してた具体的なのはないが、知ってたと言う証拠

中納言殿御上着候付 此文言偽候間 飛脚差留め申し候 私の儀は甲州累年懇切候間 
一旦申遣はさず候段曲無く存じ 此儀中納言御存じ無く候
安国計を以て此の如く成し下し候通り申遣はし候 其返書到来候 即ち福式えみせ候事

残念でした

>名目上、大阪城に入って西軍の総大将になっていたと認識しているが違うのか?
だから?

>「白黒はっきりじゃない」から、関ヶ原で毛利本軍が吉川を押しのけて参戦する可能性だって0じゃない。
だからない、何度も不動と書いたよ、可能性あるとすれば、東軍が敗勢になった場合だけ
白黒はっきりしない立場だから、関ヶ原でどちらにも加担せずに「動かなかった」んだよ

>根拠は逸話として秀元が交渉を有利にするため篭城を主張した、とするもの。
>ただしソースが見つからない。
で、秀元はいつ大坂へ帰ってきたのでしょう?その逸話はいつあった話になってるでしょうか?
立花宗茂と籠城主張したというのはいつなんでしょうね?
ソースはないわ、質問には答えられないわじゃ、話になんないよ

730 :人間七七四年:2007/09/27(木) 09:30:31 ID:GIvRuTP8
>>すまんが「高麗物語」とはなんぞ?まずそれから答えてくれ
>>現代語訳されてるなら、それ書けばいいじゃん・・・意味わかんないなー

文献名に間違いは無いと思うが、そこまでマイナーな本だったとは知らなかったよ。
ここに書くには長すぎる。梁山に城を構え、黒田甲州をおこうとして手勢に普請させた云々の話。


>>残念でした

知っていた、という事を話したいのではなく、毛利宗家の指示で動いていたのか?って事なんだけどね。


>>だから?

だから、自主退去の手紙は西軍の総大将へ出された手紙だろう。
既に徳川へ下った相手へ出した手紙ではない。


>>だからない、何度も不動と書いたよ、可能性あるとすれば、東軍が敗勢になった場合だけ
>>白黒はっきりしない立場だから、関ヶ原でどちらにも加担せずに「動かなかった」んだよだからない、何度も不動と書いたよ、可能性あるとすれば、東軍が敗勢になった場合だけ

不動は吉川の意思だろう。毛利本軍の意思ではない。
少なくとも秀元・安国寺・長束は主戦派というのが通説だろう。


>>で、秀元はいつ大坂へ帰ってきたのでしょう?その逸話はいつあった話になってるでしょうか?
>>立花宗茂と籠城主張したというのはいつなんでしょうね?
>>ソースはないわ、質問には答えられないわじゃ、話になんないよ

帰還は17〜24日の間だろう。ただし何時かは確証が得られない。
立花宗茂と一緒にってのは自分の説じゃない。話にならないのは君のその態度だよ。

731 :人間七七四年:2007/09/27(木) 09:40:52 ID:7uNYg4az
ID:GIvRuTP8は「態度」とか論拠不明の「通説」とか、どんどんあやふやな言葉を使って
議論から逃げ出してるな。悔しいのは解るが現在の知識不足を認めて勉強しなおしてくる、と言うのが
真摯な学問的態度だと思うよ?
今の君の書き込みは正直見ていて痛々しい。

732 :人間七七四年:2007/09/27(木) 09:45:13 ID:pnnBE9n6
>>730
>文献名に間違いは無いと思うが、そこまでマイナーな本だったとは知らなかったよ。
現代語訳でてるなら、その本紹介して

>毛利宗家の指示で動いていたのか?って事なんだけどね。
何度も言うが、毛利宗家という言い方どーにかならんのかね?
黒田長政と交渉するようにと「指示」出してる内容なんだけどね、読めなかったかな?
そして福原広俊に返書を見せてることも書いてるんだけど、これで知らなかった、指示は一切だしてないとは言えない

>だから、自主退去の手紙は西軍の総大将へ出された手紙だろう。
>既に徳川へ下った相手へ出した手紙ではない。
君は輝元が知らなかった事を前提にしてるんだよ?関ヶ原前日の取り決めは輝元は知らなかった、
黒田長政を窓口としてた為、徳川家との表立っての直接交渉はしていない、だから確約得る為交渉した
それだけ

>不動は吉川の意思だろう。毛利本軍の意思ではない。
>少なくとも秀元・安国寺・長束は主戦派というのが通説だろう。
断言するなら根拠提示ヨロシクね、君には今まで一つも根拠が無いからさ

ちなみに秀元が主戦派というのを証明するものは無い

>帰還は17〜24日の間だろう。ただし何時かは確証が得られない。
>立花宗茂と一緒にってのは自分の説じゃない。話にならないのは君のその態度だよ。
ソースもない、秀元がいつ大坂帰ったかも知らない、で宗茂との話でもない
そりゃこっちも態度変わらざるを得ないよ

なにせ、全くソースらしきものがないのに、断言しながら他人の史料付の話を否定するんだから

733 :人間七七四年:2007/09/27(木) 10:52:44 ID:GIvRuTP8
>>現代語訳でてるなら、その本紹介して

高麗物語で探してくれ。


>>何度も言うが、毛利宗家という言い方どーにかならんのかね?
>>黒田長政と交渉するようにと「指示」出してる内容なんだけどね、読めなかったかな?
>>そして福原広俊に返書を見せてることも書いてるんだけど、これで知らなかった、指示は一切だしてないとは言えない

つまりどっちつかずの状態にしていたという証拠でしかない。
繰り返しになるが、関ヶ原は吉川らの独断で進んだと言いたいだけ。


>>黒田長政を窓口としてた為、徳川家との表立っての直接交渉はしていない、だから確約得る為交渉した
>>それだけ

その解釈では手紙の内容に沿わない。手紙を出したのは東軍。
そして手紙の内容は自主退去の勧めだろ。


>>断言するなら根拠提示ヨロシクね、君には今まで一つも根拠が無いからさ
>>ちなみに秀元が主戦派というのを証明するものは無い

安国寺・長束に関しては「奉行共」に入ってるから問題ないな。
秀元に関しては通説を用いたまでで、根拠を示すソースはない。
また、毛利の立場上そういった資料はあっても乏しいと思われる。


>>なにせ、全くソースらしきものがないのに、断言しながら他人の史料付の話を否定するんだから

そんなつもりは全くないよ。ただ示してほしい資料は挙がってないだけ。

734 :人間七七四年:2007/09/27(木) 11:55:10 ID:pnnBE9n6
>>733
>高麗物語で探してくれ。
ふざけるな

>つまりどっちつかずの状態にしていたという証拠でしかない。
そう主張してますが何か?で、君は相変わらず、ひたすら何も根拠無く叫んでるだけ
せめて史料漁りしてから出直しておいで

>その解釈では手紙の内容に沿わない。手紙を出したのは東軍。
どう「手紙の内容「沿わない」のかね?書状の内容とを書いて、理論的に説明してね
自主退去の勧めだからとか、君の最初の主張はドコ行ったのかね?

手紙出したの東軍とか、相変わらず摩訶不思議な事書くし

>秀元に関しては通説を用いたまでで、根拠を示すソースはない。
>また、毛利の立場上そういった資料はあっても乏しいと思われる。
君の「通説」とは何を読んでの通説なのか??
ソース提示出来ないのを根拠として使い、反論するなんて話にならんよ

それに、毛利の立場上そういった資料は乏しいと思われるとか、せめて資料を自分で調べていう事だね
資料さえ知らない、目を通したことないのに、乏しいと思われるとは失笑モノだよ
せめて根拠調べて出直しておいで

>そんなつもりは全くないよ。ただ示してほしい資料は挙がってないだけ。
どんなつもりか知らないが、根拠・論拠の提示が一切ないのに思い込みで語ってるのは事実だから


735 :人間七七四年:2007/09/27(木) 14:25:43 ID:QLMOzMcc
ID:GIvRuTP8を見ていると
こんな掲示板でさえ、自分の間違いや勉強不足を認められないのだから
学者が自説をなかなか曲げないのもわかるなあと感じた
つまらない意地というか、痛々しいというか・・・

736 :人間七七四年:2007/09/28(金) 00:06:07 ID:y3/ad9kT
>>699
698じゃなくて、そこら辺の話は受け売りで悪いんだけど、
下に書いてみたわ、699は資料に詳しそうだからよろしく。
挙兵から
7/15付毛利輝元書状写し
毛利家文書「叢書」四十九
7/18付「義演准后日記 」←秀元の話し
7/19付「義演准后日記 」
7/29付「佐波広忠宛て書状」

四国、九州での軍事行動
7/29付「阿波の管理に関する定め」
8/18付「毛利元康・堅田元慶書状」
8/27付「村上武吉・元吉宛毛利輝元書状」
9/5付「桂元武宛毛利輝元書状」
9/18付「村上景房宛佐世元嘉書状写し」
8/28付「松井文書」
9/7付「黒田如水宛大友吉統書状」




737 :人間七七四年:2007/09/28(金) 09:12:44 ID:MFCjAQKp
>>736
「義演准后日記」によると7/18日に秀元が西の丸占拠、7/19日に輝元が大坂到着となっている。
輝元到着前に秀元が動いてる、ここら辺が興味深いよね。
>>729
中納言殿御・・・・の手紙だけど、日付と誰の手紙か教えてくれるとありがたい。 



738 :人間七七四年:2007/09/28(金) 13:20:10 ID:g29fm7XY
>>736
日付・史料名付ありがと
これはわかりやすく調べやすく助かります

>>737
「関ヶ原陣輯録」の中にある益田家證文で書状ではないよ
全文挙げたら状況わかりやすくていいんだけど、日付などはないが、内容は輝元が広島を発ってる最中の
大坂での騒動から、輝元が木津屋敷に着くまでの間の木津屋敷内の事が簡潔に書かれてる

>「義演准后日記 」
これ、完全に忘れてたw
関ヶ原を調べる上で、京や公家の動きを伺うに貴重な史料なのにね・・・orz

で、秀元の西の丸占拠の件ですが、秀元がというより、毛利家として行ったと思われるんだよね
これも「関ヶ原陣輯録」の中の「佐々部一斎留書」の一文なんだけど、

・・・傍以て安国思慮此時段再三申す 然と雖も大坂西丸御留守衆申し理り 此方人数入れ置くべきの通り達て申し候
中納言様御意承り届け候迄は 我等式掠了に及ばざるの由返答仕り候
長老申さるゝ様は 此儀に於いては しかと中納言殿内證得申し候 去春福式 堅兵 木津に残し置かれ候も
此儀に就ての事候由申され候て 一圓同心無く候 宰相殿 完戸殿もか様の儀存じ無きの由候
此時は長老も如何に申され候ても 御意承るすべ候はでは聊尓の働き相成らず候段申し候処に 其申し分
其時は曲無き次第候間 緩せ仕るべきの由候て 以て外違乱仕り候・・・

と、このように安国寺恵瓊の「輝元の命だから」というゴリ押しでやってる
読めばわかるが、重臣には伝えてある、知らないのは(実行する為にこの場にいる)秀元や宍戸だけだと諭してる
要は恵瓊の策ですね、
輝元は事前に指示だしてはいなかったんだけどね

739 :人間七七四年:2007/09/28(金) 15:34:32 ID:Lx9EwIFe
>>738
つまり恵瓊は、はねっ返りの官僚がよくやる、、現場には「上司の許可を取ったので動いて下さい!」
上司には「現場はもう動いているので承認して下さい!」ってのをやったわけね。天下分け目の決戦で。
そりゃあセコイw つーか満州事変かよ。

740 :人間七七四年:2007/09/28(金) 23:54:39 ID:y3/ad9kT
>>738
「関ヶ原陣輯録」は確か江戸期の作ですよね、必要以上に恵瓊に責任転嫁している可能性もありますね。
「一斎留書」が嘘とは言わないまでも実際に輝元の指示があったのではと邪推してしまいます。
吉川広家が大坂に到着したのが13日で、榊原康正に恵瓊の独断とする書状を送ったのが14日、
この時点で広家は恵瓊の独断と断じてる訳ですから、17日の軍事行動を何故黙認したのかが謎です。
私見ですが恵瓊は輝元あっての恵瓊であって、単独では広家を押し切るのは不可能ではないかと
思うのですが如何でしょう。
また、三奉行が輝元に上坂を要請した書状を発したのが12日、輝元が大坂に入ったのが19日とすると
手紙が安芸に到着して、内容を検討、軍船の手配、大坂までの航海を考えると異様に早すぎると言わ
ざるをえず、輝元の積極関与があったと考えています。
推測の域を出ませんが、ご意見あればと思います。



741 :人間七七四年:2007/09/29(土) 00:08:40 ID:BlngCGXh
この時点で東軍に密書を送ったというのはちょっと違和感あるんだけど、

まだ西軍が形を作っていないわけで、
わけのわからんので、手紙を家康(東軍)に送るのは、
さほど、おかしい事じゃないと思うわけなのですが、

他の大名も似たようなもんですし。

問題はその後の、毛利が東軍に通じた行動を、誰が
どの段階まで承知していたという事。

一番最初に返事が来たのって、8月19日の黒田長政の密書
なわけですが、受け取ったのって広家でしたっけ?
その後の対応はどーなったんでしょうか?

742 :人間七七四年:2007/09/29(土) 01:35:35 ID:0i//VCBY
>>740
>「関ヶ原陣輯録」は確か江戸期の作ですよね
普通なら江戸中期なんで差し控えるべき史料と考えるのだろうけど、陣輯録は萩藩が藩中から集めた史料集だから
一度目を通してもらえればわかるよ
「佐々部一斎留書」も他の毛利家の史料との整合性が取れており、信憑性は高い

>17日の軍事行動を何故黙認したのかが謎です。
黙認してないよ、反対してるよ
>>738の「一圓同心無く候」は広家に同心無く、つまり広家が西の丸占拠を反対したが、他の重臣は同意しなかった
これは輝元の命だったというのが大きい

>輝元が大坂に入ったのが19日とすると手紙が安芸に到着して、
>内容を検討、軍船の手配、大坂までの航海を考えると異様に早すぎる
奥羽出兵の先発隊として吉川広家と安国寺恵瓊が出てる、その後に秀元等が出立し、最後に輝元なので、
別段不思議ではないと思われるがどうだろうか?

そもそも、三成らの上坂要請によって広島を出立したのかがわかってないからね
一応広島を出たのが17日辺りで、天野元政が大坂より輝元へ「御上国」の催促(恵瓊・三成らの指示)に向かったが、
入れ違いで輝元は広島を舟で出たとなってる

時系列でいくと
大坂に先発の恵瓊が到着(この時、広家は到着していない、大坂着は14日)→恵瓊単独で出立→佐和山謀議→
(輝元に呼び戻されたとして)恵瓊、大坂帰還→他の重臣は恵瓊の書状を播磨で受け取り、木津屋敷に(13日)→
>>702に書いた熊谷・益田・宍戸の連署で榊原・本多正信・永井に輝元はこの件を知らなかったと書状→
14日に広家が榊原に書状→その際、恵瓊は「輝元の意思」と言っていたと思われ、熊谷・益田・宍戸・広家の四名は、
主命無視を犯した理由を誓紙に4名の連署(後に輝元へ提出か?)→秀元・広家・宍戸が大坂に、後は木津屋敷?
→恵瓊が輝元から意向受けてると西の丸占拠を要請→19日に輝元着(仔細報告あったと思われる)、
徳川家と直接交渉しようとする重臣を差し止め、黒田長政と交渉するように指示→榊原に送った書状の返書が、
家康の名前で、長政の書状と共に来る>>729

こういう流れかと

>>741の人も書いてるけど、とりあえずクーデターなんで重臣はとりあえず家康へ毛利家は関係ないよと、
保険を掛けたものと思われる、状況がつかめてないのだからね

>私見ですが恵瓊は輝元あっての恵瓊であって、単独では広家を押し切るのは不可能ではないかと
普通ならそうなんでしょうが、恵瓊が輝元の名前使って、これほど大胆な事をする訳がないという認識だったのではないだろうか?
恵瓊の立場が輝元のブレーンである以上、知らない重臣は輝元の意思であると思わざるを得ない状態だったと考えてます

しかし、この恵瓊の独走は輝元の木津屋敷到着後に、咎められたか何かあったらしく、
毛利家の意思決定の会議から恵瓊は外されてる
輝元は、広家を「弓箭巧者」と評し、并林海隣・渡辺飛騨守・児玉若狭守・宍戸元続の5人を「談合人」として、
諸事右の五人申さるる様に御評判これ有るに於ては可也、としてる

>>741
>一番最初に返事が来たのって、8月19日の黒田長政の密書
一応、8月10日付のが最初だね、これは広家に来た返書だけど、>>729にもある通り、輝元も見て、
これ以降、毛利は立場上、徳川との直接交渉をやめ、黒田長政を介して交渉する事になる

他に残ってるのは8月25日付の長政の広家宛の書状で、家康が駿府を出馬したと書かれ、
御返事に委しく仰せ越さるべく候、とあるので、そこまで頻繁にやり取りはしていなかったと思われる

743 :人間七七四年:2007/09/29(土) 04:13:33 ID:e3+TRYlP
江戸時代だから信用できないといってもなぁ
関ヶ原は江戸時代の直前なわけで
それなら明治の史料ならいいとでもいうのか

744 :人間七七四年:2007/09/29(土) 05:48:23 ID:tYkOxG/b
徳川の関わった戦で尚且つ、西軍の中で数少ない江戸期にも存続できた家の資料は
事実が都合の良いように曲げられている可能性は多いにあるって話でしょ。

言わば鼻毛伸ばしていたという前田利長のような苦労だな。

745 :人間七七四年:2007/09/29(土) 05:49:10 ID:tYkOxG/b
鼻毛は利常か

746 :人間七七四年:2007/09/29(土) 05:55:43 ID:DJWWycKa
可能性で語られてもなあ。徳川家に公開する文章でも無い限り、確実な捏造部分が発見されないのなら、当然資料性は高いだろ。

747 :人間七七四年:2007/09/29(土) 05:59:37 ID:tYkOxG/b
んー資料の価値とか信頼性はまた別の話で、例えば話題の毛利で安国寺のみを
戦犯にするのは事実かどうか?というような話でしょ。

748 :人間七七四年:2007/09/29(土) 06:15:54 ID:DJWWycKa
いやいや、もろに資料の価値とか信頼性の話だろw

749 :人間七七四年:2007/09/29(土) 06:46:24 ID:tYkOxG/b
俺はそこは分けて考えたい。例えばもろ江戸期にリリースされた武功雑記や坂板卜斎覚書や関原始末記の
石田・安国寺・小西捕縛後の逸話など、疑ってもしょうがないものまで貶める必要はない。

逆に名将言行録に載ってる毛利秀元&輝元の逸話はどうだろう。

750 :人間七七四年:2007/09/29(土) 09:08:24 ID:0i//VCBY
「関ヶ原陣輯録」はね、益田家文書も吉川家文書も記載されてる「史料集」だから
「佐々部一斎留書」は原本が紛失してないものの、一応明暦元年正月吉日佐々部一斎老八十一歳にて印也とある

関ヶ原史料集とかあるでしょ?関ヶ原関連の史料を集めたヤツ、あれと考えてくれたらいい
編纂したのが江戸中期であって、書かれたのが江戸中期という訳ではないよ

>話題の毛利で安国寺のみを戦犯にするのは事実かどうか?
ID:tYkOxG/bは、こんな事言い出す前に、とりあえず目を通してからだね

つか輝元が恵瓊に指示したとか言い出すなら、西軍首謀者は輝元になるんだけどね
三成の挙兵以前に恵瓊に指示出して大坂に行かせた事になるんだがw


751 :人間七七四年:2007/09/29(土) 10:39:02 ID:Y3cMHDCi
750>>
西軍首謀者は輝元>この可能性も大きいかと思うけど、
750の意見を聞きたいな。


752 :人間七七四年:2007/09/29(土) 11:07:11 ID:Y3cMHDCi
三成らの上坂要請によって広島を出立したのかがわかってないからね >
輝元って上杉征伐に出陣予定があったの、広家達だけだと思ってた。

753 :人間七七四年:2007/09/29(土) 13:03:11 ID:0i//VCBY
>>751-752
>西軍首謀者は輝元>この可能性も大きいかと思うけど、
>輝元って上杉征伐に出陣予定があったの、広家達だけだと思ってた。
ただ思うけどと書かれても困るんですが・・・

754 :人間七七四年:2007/09/29(土) 13:21:33 ID:RU2KTCBl
史料オタクのみなさん
素人の俺等にも分かりやすく原文載せるときは平易な現代語訳もしてもらえると助かります

755 :人間七七四年:2007/09/29(土) 14:18:48 ID:gcNuhPVv
そういや
家康は野戦の達人?2
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1176337389/
で、
史料ソースも無しに妄想家康厨が偉そうに語ってたなぁ。

756 :人間七七四年:2007/09/29(土) 15:36:27 ID:n7ukQh5x
毛利も長曽我部や島津と同様一枚岩じゃなかったのでしょ
まだ有力家臣は半独立状態だったのだし
確かに毛利には前田、上杉とやられたら次は自分ところだという危機感
は首脳陣にあったと思う

757 :人間七七四年:2007/09/29(土) 19:38:05 ID:BlngCGXh
輝元が内通知っていたとかいってますけど。

前にわけのわからんので密書をだしました。
その返答がきましたよという報告書なんじゃないの?

もし、内通を進めているという前提なら、
末尾に、重臣と図るとも、和睦を進めますといった事書くわけで。

そもそも、その返答を元に、毛利なりにの行動方針を決めたのか?
伊勢で毛利があきらかに西軍として行動をしているわけで、
もし東軍に寝返るとしたら、それなりの手続きをとりゃないかん。

そういった行動は、美濃に移動してからの関ヶ原直前になってからばかりな気が・・・、
安国寺じゃないが、この手紙だけじゃ広家は輝元とか重臣との了解を得たのか疑問なんですけど。

758 :人間七七四年:2007/09/29(土) 20:55:56 ID:0i//VCBY
>>729をどう読み下して、>>757となったのか気になる・・・
まさか読めてないのに、そんな事書くわけでもないしなぁ・・・

内通を進めてるとか、なんで絡んでくる人は東軍か西軍かの両極端な見方しか出来ないんだろ????
それなりの手続きとか、長政書状など読んだ事あるんかいな?


759 :人間七七四年:2007/09/29(土) 22:06:18 ID:BlngCGXh
>>758
つーか、おまえこっちに色気出しながら伊勢のこっちの城攻略してんじゃねーよ。

だろ?



760 :人間七七四年:2007/09/29(土) 23:10:21 ID:0i//VCBY
は??
何が「だろ?」なんだ?

761 :人間七七四年:2007/09/30(日) 01:08:08 ID:E9cy7O2C
それだけで輝元が内通してた証拠って言ってんだろうか、
大尼じゃないか。


762 :人間七七四年:2007/09/30(日) 01:24:59 ID:ZmbCxapO
>>761
では甘くない緻密な反論をどうぞ?

763 :人間七七四年:2007/09/30(日) 01:43:51 ID:kVFK/p3f
>>761みたいなのしかいないのかいな、マジで・・・
意地になって、自分の望む結論ありきで史料も糞もないのばっか

つか史料挙げても読めずに変な解釈するのなら、もう挙げても意味無いなー

764 :人間七七四年:2007/09/30(日) 02:12:25 ID:+GCAd2kw
名将言行録に載ってる秀元の話って、関ヶ原以前は秀頼を利用しろだの思い直せだの輝元
を諌めるが聞き入られず。

西軍敗北後は吉川・福原らの和平の話を浅墓なる分別として、木津の毛利邸で死を給わる
よりは岡山城へ押し入って内府の奥意を知り果て給わり、後代の嘲りは遁れ給う云々・・
これも却下。

名将言行録の中の輝元は関ヶ原以前はバリバリの開戦派で、関ヶ原後は従順になって大人しく降伏。
秀元はその逆。面白いね。

765 :人間七七四年:2007/09/30(日) 02:28:39 ID:ZmbCxapO
>>764
実際の所秀元は大阪の陣で毛利の主将になって、大喜びで豊臣軍を攻めてるし
江戸が大好きで晩年は領地に帰らず江戸住まい。将軍家光の御咄衆にもなってせっせと江戸城に詰めてたり
するけどね。徳川の旗本かお前は、って言うくらいw

766 :人間七七四年:2007/10/01(月) 00:14:10 ID:cD7m0TvS
>>742
以前にも取り次ぎの話などをされていた方と思いますが、違って居たらすみません。
整理して頂けたので解り易いです。
「佐々部一斎留書」は多くの研究家が引用しているので比較的信頼出切る資料と思います。
そもそも、三成らの上坂要請によって広島を出立したのかがわかってないからね>
「一斎留書」には重臣の林や渡辺が反対、佐世・二ノ宮が賛成し議論になったが、
恵瓊の書状に秀頼への反逆と見なされるため、やむを得ず上坂を輝元が承認したとあります。
議論になったということは上坂すること事態が家康に対する敵対的行動であるとの認識はあったのでしょうか。
ちなみに佐世自身は自分は反対であったと記していますので真実はどうなのでしょう。
そもそも「佐々部一斎留書」を記した佐々部一斎が毛利家でどのような立場にあったのか私は良く知りません、
輝元や重臣の会議に列していたのか、家中の風聞をもとに記したのかによっても大部違うんでしょう。
やむを得ず了承したはずの輝元ですが、「夜昼御急ぎにて広嶋より二日に木津御着候」というスピードで上坂しています。
夜間など不眠不休での航海は危険を伴いますし、当時の航海の常識からすると少し異常です。
ここら辺から考察すると恵瓊の単独犯とは言い切れない面を感じます。
輝元という人は大坂の陣のときにも変なことをしていますから、計り知れないところがあるかと。
輝元・恵瓊・広家の関係や関ヶ原での毛利家の対応については、いろいろな論文や本が出ていますが
決定版というものは寡聞にして聞きません、お暇が出来たら一度論文でも書いて出されると嬉しいです。


767 :人間七七四年:2007/10/01(月) 18:56:42 ID:Oz3wc0z8
>>766
まず佐々部一斎について
自分は詳しくないのでなんですが、佐々部氏は安芸の国人で毛利家の直臣に名前は無いものの、
宍戸氏や福原氏に名前が見られる程度

佐々部一斎がどういう人物なのかは詳細は不明だが、留書を読むに、宍戸氏揮下の佐々部氏ではないかと思われる
理由として、宍戸元続を宍戸殿と表記するのが数箇所見受けられ(他は「公」か捨て)、また「関ヶ原陣輯録」には、
宍戸氏関連の史料が多く、これは宍戸氏とその家臣からの提出ではなかったのだろうかと考えております

また留書は宍戸元続周辺の話が多いので、佐々部一斎なる人物は、宍戸元続に付き従っていたのではないかと思われます

>議論になったということは上坂すること事態が家康に対する敵対的行動であるとの認識はあったのでしょうか。
まず家康に対して敵対行動だからというより、三成らに加担するのを躊躇ったと自分は考えています
輝元は(というより他の大老全員は)、家康と少なからず対立に近い形を取っていたのですが、
三成らの取った行動は、あくまで彼らの独走によるもので、彼らの動きを危ういと考えていたのかもしれません

その結果、安芸から容易に動かず、三成らから上坂の催促の使者を送られるまで粘ったという事だと思います

また緊急で上坂したのは、大坂での目まぐるしい変化と以前にも書きましたが、
恵瓊の暴走(輝元の名を使ってたと考えられる)に歯止めを効かす為ではないでしょうか?

佐世元嘉については、佐世自身は「反対した」と書いてますが、内容を読むと自分一人だけ反対し、
福原などは挙って賛成したと書いています
しかし、益田家書文などや佐々部一斎留書では、全く違う事が書かれ、熊谷なども榊原康政へ書状を送っていますので、
佐世元嘉が後世の批難を浴びないよう書いたと思われます


最後に、毛利氏は西軍総大将になってはいるものの、黒田長政とのパイプを作っているあたり、
東西両軍を天秤にかけ、三成らともまた違った考えを持って、関ヶ原に臨んでいたのではないかと自分は考えます


768 :人間七七四年:2007/10/01(月) 23:00:58 ID:cD7m0TvS
宍戸氏揮下の佐々部氏>成る程細かく読まれてます、言われればそうかも知れません。
三成らに加担するのを躊躇ったと>私もそう思います、広家を始めとした重臣が反対したのは恵瓊、
三成等の企てに危うさを感じていたのでしょう。
ただ輝元はかなりグレーではないかと思います。
三成らともまた違った考えを持って、>輝元が何を考えていたかと言うのは状況証拠的にならざるを得ないのですが、
四国の調略などにかなり関与している書状が残っていますから、
輝元は東では戦線の停滞状況を作り出しておいて、
その間に西国での領土拡大を目論んでいたのではと考えています。
そういう意味では恵瓊や広家は被害者なのかも知れません。
たまには覗きに来ますので、
また何か面白い話があれば披露して頂けると嬉しいです。






769 :人間七七四年:2007/10/02(火) 09:19:07 ID:s1KIcRyG
家康の独裁確率に危機感を持った輝元が、
反家康派の三成らを恵瓊を使って焚きつけて挙兵させて、
家康とは決戦を避けて長期化に持ち込む。
その間に西国での覇権を確立し、
東は徳川、西は毛利の形を家康に認めさせての和睦狙い。
しかし恵瓊や広家をコントロール出来ずに暴走。
あぼーんて感じなら解るな。




770 :人間七七四年:2007/10/02(火) 12:48:32 ID:vscEDjHX
>>769
毛利は天下獲りよりも、大内になりたかったんだよ。
西日本の実質的支配と対中国貿易の特権の獲得。

771 :人間七七四年:2007/10/02(火) 18:45:57 ID:NTy6L2IU
ということは五大老の戦略を見てみると

前田は芳春院を家康に人質として徳川に屈したものの
中立色強し。北陸七カ国切り取り自由のお墨付きを背景に
北陸を制覇し徳川に対しえる勢力を望んだ。

上杉は西軍との共謀がささやかれているが本音は
旧領越後と腹背の最上を併合独立した勢力圏を確立していく。
上方の長期化を視野において出羽平定、伊達政宗の屈服による
全奥羽支配をはかり関東の徳川と対抗
おそらく天下ではなく東国における武力による覇権確立

宇喜多は徳川に代わって豊臣の後見の座を獲得し政権の主導権を握る。

毛利は東は徳川に任せてもいい(上杉でも混戦でも可)西の覇権確立
そして対中国貿易の特権の獲得

というところでしょうか・・

772 :人間七七四年:2007/10/02(火) 18:50:50 ID:vscEDjHX
>>771
それぞれ室町期大諸侯の復活ですなw

前田=山名
上杉=管領家上杉
宇喜田=細川
毛利=大内

こんな感じか。

773 :人間七七四年:2007/10/02(火) 20:24:50 ID:NTy6L2IU
>>773
うん。そんなとこ。だって僕らは歴史を知ってるから
統一というと徳川豊臣のような集権的なのをイメージするが
室町期的秩序が、知られていた一番身近な秩序なのだから
似たような構図にイメージされても不思議はないと思ってww

その図式でいくと徳川は関が原前までは執権北条氏
関が原での東軍大敗後は関東公方ってとこかな
秀忠系と秀康系と二つに分裂する要素もある品



774 :人間七七四年:2007/10/02(火) 23:16:09 ID:qd6fOEQk
家康が西上せずに関東に留まっていれば、そんな状況になったかもね。
小山の会議の時、豊臣恩顧連中が勝手に刷ればって漢字で帰国したら、
家康も帰国して応仁の乱状態の悪寒。
輝元は秀頼を擁して正義は我にありて感じだろうな。

775 :人間七七四年:2007/10/03(水) 00:51:03 ID:PhYWO/sU
そうさせない為の根回しじゃなかろうか

776 :人間七七四年:2007/10/03(水) 20:00:49 ID:6o9m3Ts2
>>768
輝元はグレーというより、黒でしょう
ただし、三成らが画策した武力蜂起による家康打倒という形ではなく、あくまで豊臣政権内の政争によって、
家康を追い落とす形を目指していたかと思います
光成準治氏が「日本歴史」で発表した論文「関ヶ原前夜における権力闘争」で三成襲撃事件の事を挙げてましたが、
その中でも特筆すべきは、輝元が三成らの出陣要請を断っている事です
あくまで政治決着を目指していた様が伺えます

また「佐々部一斎留書」の輝元の木津到着の項で、
・・・色の白き能き男など 武編を仕る間敷くと申され候 元直など三人にて 小弓箭取りたるには違ひ候と申さるゝ時分・・・
とある事から、輝元含め、彼らは合戦に自信がなかったと思われます

家康の実戦経験・徳川家の総石高・政治的権力&権威等から、軍事解決では難しいと輝元は考えていたと思われ、
それらから、三成らの蜂起への事前加担はなかったと考えてます

また四国等への派兵は、早くとも8月中旬から行われており、これは西軍蜂起の後の行動であり、
一度情勢が動いた以上、最大限の活用をする為の軍事行動だと思っております

輝元が東西両軍が美濃辺りで膠着するとよう目論んでいたかは、自分では判断しかねますが、
伊予・阿波への派兵は、瀬戸内の制海権の掌握であったと考えます

>また何か面白い話があれば披露して頂けると嬉しいです。
今は関ヶ原当時の大坂城内の状況を調べてますが、あまりに史料が乏しいのが現状です
そちらが此れはと思う史料ありましたら、紹介していただけると幸いです
今は関ヶ原

777 :人間七七四年:2007/10/03(水) 22:12:10 ID:vFPN8fiD
>>775
根回しがうまくいくとは限らない。
なにより家康が関東にこもってしまうと
上方での家康の影響力は激減すると思われなので
大阪に近い毛利が立場を有利に運んで
輝元は秀頼を擁してという構図もあるかと思う。

>>770のいうように天下を望まず地盤である
西日本の実質的支配と対中国貿易の特権の獲得
ならば
徳川が関東でいる以上
家中が分裂するとも考えにくい。


778 :人間七七四年:2007/10/04(木) 12:54:29 ID:6ob+x6HX
藤堂勢って大谷隊と戦ったの?
福島が壊滅したのを助けに来たとかも聞くが

779 :人間七七四年:2007/10/05(金) 09:22:02 ID:vOBbJdZq
恵瓊の暴走に歯止め>のために急いで上坂して総大将就任じゃおかしくないか。
恵瓊の暴走をとめるためなら使者で十分だし、恵瓊からの文書を検討して反対意見を
押し切っての上坂が恵瓊暴走に歯止めのための上坂て破綻してるよ。
あと輝元が家康を恐れてたってのもないんじゃない。
両川がいたとはいえ既に西国の大大名だった毛利の時代に家康は大したこと無かったのを
知ってるし、実戦から離れてるうえ肥大化の徳川より毛利の方が強そう、
利家と同じで家康なんぞだろ。

780 :人間七七四年:2007/10/05(金) 13:33:01 ID:2DUJ7wLT
というより毛利は徳川討伐に立つのが当たり前であって当初の行動は輝元の意志と捉えでもって良いのでは。

781 :人間七七四年:2007/10/05(金) 14:05:45 ID:33udAhgL
ちょっとまてたしか輝元上坂は家康不在の大阪城での留守居役代行就任のため
で家康の上杉征伐への従軍は秀元と広家が向かうという
話だったはずだが・。


782 :人間七七四年:2007/10/05(金) 18:27:05 ID:CtsTMOEk
>>779
>恵瓊からの文書を検討して反対意見を押し切っての上坂が恵瓊暴走に歯止めのための上坂
反対意見を押し切って上坂したという根拠は何かな?

>恵瓊の暴走をとめるためなら使者で十分だし
使者で十分というのは、君がそう思ってるだけにしか見えないが、そう推察出来る史料とかあるのかいな?

>あと輝元が家康を恐れてたってのもないんじゃない。 以下略
これも上記と同じくお話にならない

強そうとか大したことなかったのを知ってるとか、どうも君の主張はまず結論ありきの批判の為の批判に終始してるようにしか読めないぞ


輝元が家康と軍事衝突を避けていたのは書いた
他にも理由挙げるなら、三成らの挙兵に対して賛同者が少ないと思われたのもある
これは三成(増田長盛も狙われたようだが)襲撃事件の際に、輝元・景勝らが調停に失敗し、
それを上手く家康にまとめられたのも大きい

これは家康の豊臣政権内での支持の多さや、三成らへの反感の多さがある
これを目の当たりにすれば、会津征伐で多くの軍勢を抱える家康に軍事衝突に控えるのは当然の答えだと思うが?

君の両川云々は、はっきり言って単なる願望

783 :人間七七四年:2007/10/05(金) 18:56:14 ID:3/R/sBPG
>これは三成(増田長盛も狙われたようだが)襲撃事件の際に、輝元・景勝らが調停に失敗し、
>それを上手く家康にまとめられたのも大きい

輝元調停したの?景勝は調停どころか三成に肩入れしていないか?



784 :人間七七四年:2007/10/05(金) 19:06:42 ID:33udAhgL
>>782
あなたの言葉に疑問があるんですが?

>>家康の豊臣政権内での支持の多さや
はっきりいってこれは家康の持つ石高武力やキャリアなどからいって
妥当なように思えるが、はっきりいって家康が天下の政務を預かっている
ことからくる政権運営上の
現政権支持という意味合いでの支持がほとんどで、
家康個人を支持しているわけではないかと思いますが?
家康が現政権を代表していることが
政権と家康の切り離しを狙う西軍の策動をもたらしたわけで・・

>>三成らへの反感の多さがある
これもはっきりいって三成への反感ということにすれば免罪符になる
という戦後の諸侯の思惑が肥大化した産物ではないという
保証は内科と思いますが?
 三成がどれだけ反感を受けていたか実証の置ける資料が
いかほどあるのでしょうか?(この辺は詳しくないのですが)

 貴殿は家康が、個人として政権内での支持を受けていたかのごとく書かれていますが
私からすれば、家康は秀吉から天下政務の代行者として、前田利家亡き後は
大阪城の綱紀粛正を名文に豊臣の後見ともなった立場であり
そんな立場の人間には体裁上は支持して当然のことであり
とりたてて支持多しと書くほどのこと?と、思うのですが?
 三成らへの反感の多さがある
これはどうかと思いますが?反感を抱いていたのは主体として
豊臣武断諸侯の面々というのが妥当ですが、外様諸侯とかでは三成らへの
反感が高かった形跡は見受けられないんですが?
一部をあげつらって三成は天下の嫌われ者のように描くのは
どうでしょうか?

785 :人間七七四年:2007/10/05(金) 19:30:39 ID:CtsTMOEk
>>783
>>776で挙げた論文に輝元書状の事が書かれてる
それには三成襲撃の際に伏見へ逃げた三成が、輝元へ派兵要請したのだけど、
輝元はそれを断って、上杉景勝と図って事態の収拾に乗り出したんだけど失敗したのが書かれてる
今手元に無いので、その内容を詳しく書けないけど、概要はこんなトコ
その他にも片桐且元らの豊臣家の直臣らが家康寄りなので、どーしようもないと愚痴ってたのもあった

>>784
>家康が現政権を代表していることが
>政権と家康の切り離しを狙う西軍の策動をもたらしたわけで・・
切り離しではなく、三成ら失脚した奉行がクーデターを起こしただけ

それに現政権支持でも家康個人を支持でもどっちでもいい、そこは重要ではない
要は現政権又は家康支持が多かいと見受けられていたというだけ

>三成がどれだけ反感を受けていたか実証の置ける資料
三成襲撃事件なんて実証の置けるものそのものだと思うが?

>個人として政権内での支持を受けていたかのごとく書かれていますが
個人で支持されていたのもあり、政権代行者として支持されていたのもあるでしょう
それに君が勝手に個人だと解釈しただけであって、自分は一度も家康個人としてなんて限定して書いた覚えは無い

>一部をあげつらって三成は天下の嫌われ者のように描くのは
一部を論うとは?
支持されなかった、反発あったと書いたら嫌われ者としか読めない君の解釈がおかしいと思うが?
そもそも嫌われ者のように描いたら何なの?

歴史の人物の好き嫌い談義なんて自分は興味ないんで


786 :人間七七四年:2007/10/05(金) 19:36:05 ID:VUpSw6xe
その論文がなんでこのスレの基準になってるのかが分からない。

787 :人間七七四年:2007/10/05(金) 19:42:50 ID:CtsTMOEk
>>786
スレの基準?
紹介した論文は、三成襲撃事件の際の輝元の書状が書かれてるから挙げたのであって、
基準でも何でもないんだが?

単発IDは相変わらず意味不可解


788 :人間七七四年:2007/10/05(金) 19:58:27 ID:33udAhgL
>>785
だからいってることが矛盾してると
私は「反感を抱いていたのは主体として
豊臣武断諸侯の面々というのが妥当ですが、外様諸侯とかでは三成らへの
反感が高かった形跡は見受けられないんですが?」
とかいてます。

>>三成襲撃事件なんて実証の置けるものそのものだと思うが?
そのものですね・・ほかには・・?
豊臣武断諸侯の面々以外でといったつもりなんですがね?よく読んでもないのに
脊髄反射されたんですか?

>>切り離しではなく、三成ら失脚した奉行がクーデターを起こしただけ
それを家康と政権との切り離しというのだといったつもりなのですが???
よく読んでもないのに
脊髄反射されたんですか?

はっきりいって貴殿の資料の理解力に疑問が出てきましたが??


789 :人間七七四年:2007/10/05(金) 20:04:04 ID:33udAhgL
おっと・・失言
最後の「はっきりいって貴殿の資料の理解力に疑問が出てきましたが?? 」
は貴殿が、>>785
自分の都合にいい部分だけ書き出して反論したかのように書いてるので
ちょっと暴言しました。陳謝します。

790 :人間七七四年:2007/10/05(金) 20:21:05 ID:CtsTMOEk
>>788
矛盾してるというが、具体的に書いてくれよ
君は抽象的表現で揚げ足とろうと必死なようにしか見えんぞ
三成らの反感だけを強調してるが、どういう反感かでも変わって来るんだが・・・
つか俺が三成が反感もたれまくってたっていうレスはどこにあんの?
まず其れを教えて、俺には覚えないんで

それと家康と豊臣政権の切り離しというのが全く持って意味不明
詳細に説明も富む

あ、君に史料の理解力云々言われてもねぇw
史料のシの字もない君にねぇw



791 :人間七七四年:2007/10/05(金) 20:22:14 ID:CtsTMOEk
>>789
謝らないでいいよ、程度が知れるし、俺もそれなりの対応するだけだし


792 :人間七七四年:2007/10/05(金) 20:39:04 ID:33udAhgL
というか・・自分の都合の悪い部分の返答もなしに
そんな言い方されてもねー(苦笑

私は「反感を抱いていたのは主体として
豊臣武断諸侯の面々というのが妥当ですが、外様諸侯とかでは三成らへの
反感が高かった形跡は見受けられないんですが?」
とかいてます。

>>三成襲撃事件なんて実証の置けるものそのものだと思うが?
そのものですね・・ほかには・・?
豊臣武断諸侯の面々以外でといったつもりなんですがね?

 この部分に適切な資料がないので反論できないのならそういってください。
別に揚げ足鳥ではないと思いますが?
豊臣武断諸侯の面々以外に関して、資料はないのですか?
それなら天下の声はすべて豊臣武断諸侯が代弁しているというような
書き方はいかがでしょうか?

>>程度が知れるし、
どうも申し訳ありませんでした。私は貴殿ほどのできのいい人間ではありませんもので
私も改めて反省しますが
ご自分の程度を自分の書き込みで自省されることもお勧めます。
>>786や私への今日の書き込みとかほかを見下す言い方を自分で普通と思ってられるのでしたが別ですが

793 :人間七七四年:2007/10/05(金) 20:45:44 ID:33udAhgL
あと自分の屁理屈は棚上げですか?

「あ、君に史料の理解力云々言われてもねぇw
史料のシの字もない君にねぇw 」
この発言をされる方が
>>程度が知れるし、俺もそれなりの対応するだけだし

といってますが(苦笑
私もあなたも所詮2ちゃんで書き込みしてるだけのレベルでは?と僕は思うのですが???
自分はねらーじゃないとでも?




794 :人間七七四年:2007/10/05(金) 20:50:26 ID:CtsTMOEk
>>792
>私は「反感を抱いていたのは主体として
>豊臣武断諸侯の面々というのが妥当ですが、外様諸侯とかでは三成らへの
>反感が高かった形跡は見受けられないんですが?」
>とかいてます。

だから、こう書くからには、外様で三成らへの反感が高かったと俺が書いてると君が思わなきゃ書かないことだよな?
其れに対して一切答えないのはどういうこと?

あ、これが「自分の都合の悪い部分の返答もなしにそんな言い方されてもねー(苦笑」という事ですか?わかりませんw

三成襲撃事件を挙げたのは、三成らのへの反感・反発に対するもんで出した例であって、
きちんとそれ以前にも家康への支持の多さやと書いている
そこを君は都合よく抜き出して、揚げ足取ろうと必死なだけ

理解できたかな〜?

見下されてると思うのは、そういう捉え方しか出来ない君自身だよw

795 :人間七七四年:2007/10/05(金) 20:54:53 ID:CtsTMOEk
>>793
へー、屁理屈とは何?具体的に書いてね

史料のシの字もない君と書いたのと、程度が知れるとがどーしたの?
つか2ちゃんでレスしたらレベルが関わるとは知らなかったよw
ねらーだったらレベル(レベルっつーのも意味不明だけど、肩書き重視なんかねw)が何なのだろうか?

ま、煽りたいなら煽ればいいよ
関ヶ原の話に関係ないし、そっちに話しそらすのに必死なのは構わんけどね

796 :人間七七四年:2007/10/05(金) 21:05:09 ID:HLwchx+B
くだらない喧嘩は他いってやってもらえる?いい加減うざい

797 :人間七七四年:2007/10/05(金) 21:08:44 ID:33udAhgL
>>795

では三成の支持が少ないというのならばなぜ天下を二分した合戦を
起こせたのでしょうか?
三成の抱える勇猛な武将たちはいずれも三成への忠節扱ったといいます。
関が原の後東軍に属した浅野ですら
「三成が生きていたときはこうではなかった」と感嘆したといいます。
外様でいえば島津佐竹など新参者の政権との取次ぎへも
公平な立場を見せたからこそ、少なくとも外様諸侯で三成
を助けるものもいたのでしょう?

そもそも三成襲撃事件はメンバーが資料によって名前が変動する
あいまいなもの7人という人数だけはなぜか一致してるがww・・
それを>>782で提示したから
私も???と思って論戦を吹っかけたのですが?
三成襲撃は
私ではなくあなたが書いている。しかも最後に
>>これは家康の豊臣政権内での支持の多さや、三成らへの反感の多さがある

これは貴殿が 三成襲撃事件を事実と思っているように受け止めたのですが??



798 :人間七七四年:2007/10/05(金) 21:12:26 ID:33udAhgL
>>796
すまん。



799 :人間七七四年:2007/10/05(金) 21:16:04 ID:VcD1vkFk
三成が罷免されて起こしたクーデターだとしたら
西軍はえらく人数集めたな。
豊臣政権の代行者たる家康の信望が少なかったって事の裏返しじゃない?
利家存命中は圧倒的に負けてたし。

800 :人間七七四年:2007/10/05(金) 21:21:50 ID:CtsTMOEk
>>797
おーい、「では」の前に、自分の書いた「家康と政権との切り離し」という説明と、屁理屈っつー説明してくれ
君は自分で他者を論うのに、
>というか・・自分の都合の悪い部分の返答もなしにそんな言い方されてもねー(苦笑
と書いたんだから、責任もって説明しろよ

あと、ねらーが云々も説明してくれ、ねらーだったら、何のレベルが何なのかをね

ちなみに>>797で書いたネタ元提示よろしく、話はそれから
つか三成の家臣を引き合いに出したり、浅野が感嘆したとか支持受けてたのと関係ないだろ・・・
特に取次へ公平な立場を見せてたを詳しく頼むよ、ちょうど、島津関連の取次調べてたから聞きがいがあるw

俺は三成襲撃事件を事実と思ってるよ、なかったと思うなら、その説を君が書いたらいいだけ
俺は逃亡先は家康の屋敷ではなく、(三成の屋敷だと思われる)伏見と書いてるけどね


801 :人間七七四年:2007/10/05(金) 21:26:28 ID:33udAhgL
あと・・さらに疑問が生じたのですが??
>>三成襲撃事件を挙げたのは、三成らのへの反感・反発に対するもんで出した例であって、

なんで起こったかどうか疑問まである三成襲撃事件の一件だけ(まさにこの件だけ)出して
で三成らのへの反感・反発などという話に結びけようとしたんですか?
 三成への反感・反発が朝鮮出兵での不公平な行動に由来する私的怨恨として
存在しているのまで否定はしないですけど・・
出してる資料が悪かったとしかいいようがないんですが・・



802 :人間七七四年:2007/10/05(金) 21:33:53 ID:33udAhgL
>>800
「家康と政権との切り離し」という説明と、
これは・・あなたが自分で述べてたじゃないですか。
西軍の一部は(毛利は)政治的な失脚
三成はそれを軍事的に強行しようとしたと
>>776でね
つうか自分のコメントに自分でけんか売ってるような・・
ゆえに矛盾と書いたんです。


803 :人間七七四年:2007/10/05(金) 21:34:07 ID:CtsTMOEk
>>801
起こったかどうか疑問あるなら、それを説明しろと(ry

だしてる史料っつーか、この襲撃事件の件は、厚狭毛利家文書にある輝元書状の事なんだが、
これは出してる史料が悪いのか・・・なるほど

ならこれを上回る史料提示あると期待して待っとくからよろしくね

804 :人間七七四年:2007/10/05(金) 21:40:24 ID:CtsTMOEk
>>802
はい?俺が書いてるのは、輝元は家康の失脚を図っていた
三成は軍事クーデターを起こした
なんだけど


君が書いてるのは
「家康と政権の切り離し」
おれはこんな言葉使ってないし、君がどういう意図でこんな言葉使ってるのか理解出来ないから、
この言葉の説明求めてるのだが?そしてそれで何がどう矛盾してるのかの説明もね

君は全く答えず抽象表現に終始してるがね


805 :人間七七四年:2007/10/05(金) 21:43:18 ID:CvEQUe+R
だからもう止めろ。いい加減どっちもウザい。

806 :人間七七四年:2007/10/05(金) 21:48:29 ID:VcD1vkFk
俺が2人の意見をまとめると

人望ランキング
利家>家康>三成

はい終了

807 :人間七七四年:2007/10/05(金) 21:56:10 ID:33udAhgL
>>805
すまん。(二度目・・当然か。苦笑)
二度もウザがられちゃった・・_| ̄|○
ほんとにコメントもう止める。

あと>>804
_| ̄|○(土下座してお詫び)
なんかほんとにアラシになってしまったが。貴殿の博識には
(嫌味ではなく)参考になってます。
僕のほうが引っ込みつかずに暴言と中途半端な反論した件では
お詫びしておきます。
_| ̄|○(もう一度、土下座してお詫び)
ご気分を害されたことはお詫びしておきます。
もう、コメントしない名無しに戻りますので
僕の書き込み忘れちゃってください。


808 :人間七七四年:2007/10/05(金) 22:17:22 ID:CtsTMOEk
>>807
だから掲示板なんだから、そんな謝罪とかいいんだよ
遊びなんだし

それより
・三成襲撃事件の存在そのものを疑わせる説
・島津へ三成が公平に取次をした

この件を詳しく知りたいんだけど・・・
これは論破目的とかじゃなくて、ある程度論拠あるだろうし、そういう他者の意見を聞かないと、
自分の主観だけの判断になっちゃうからなんだけどね

809 :人間七七四年:2007/10/05(金) 22:24:43 ID:hC3n1ptM
何で輝元は大阪城出ちゃったの?

810 :人間七七四年:2007/10/05(金) 22:43:07 ID:M52/vzLG
>>807
可愛い〜

811 :人間七七四年:2007/10/05(金) 22:53:15 ID:HLwchx+B
>>807
なんかイイ!

812 :人間七七四年:2007/10/05(金) 22:55:54 ID:33udAhgL
>>808
すまんです。
・島津へ三成が公平に取次をした
これなのですがむしろえこひいきの感が・・
傍説では島津の困窮に三成が複式簿記を教え
感謝されたという俗説があるくらいですが
 確かこのときの感謝状が島津義弘から三成に送られたのが
残っていたはず・・
これはさておき・・

有名なのは
島津義弘の戦功に5万石を与えるよう働いた。
(実際のとこ島津家ないの蔵入地を島津に返しただけですがww)
伊集院幸侃を手打ちにした忠恒の件を不問にし
幸侃の子忠真の挙兵した庄内の乱では鎮圧に手を焼く島津に協力して
講和を斡旋している。
 (島津義弘と同時期に細川忠興、堀尾吉晴、森忠政にも
数万石を加増してたはずなのですが・・こっちは役に立っていないのか?)

で黒田長政、蜂須賀家政とは、福原、熊谷、垣見の一件で
無茶したりww
清正の豊臣姓私称を訴えたりと
思いっきり不公平な待遇をしております。

813 :人間七七四年:2007/10/05(金) 23:02:01 ID:33udAhgL
・三成襲撃事件の存在そのものを疑わせる説
これなのですがうろ覚えで申し訳ないのですが
資料によって藤堂高虎が入っておらず別人の場合があるのです。
七人という人数は固定なのですが、その名前が
はっきりしないせいか、
 襲撃は未遂で
三成は家康を詰問(もしくは事態について相談すべく)
家康の下に自ら向かったとする学説を聞いたことがあります。
実際本屋でも三成襲撃事件の疑問点を述べた本は
あったのですが・・_| ̄|○ 高額すぎて手を出すこともできず


814 :人間七七四年:2007/10/05(金) 23:10:23 ID:33udAhgL
あと家臣団についてですが三成は蒲生氏郷の家臣団を
何人も召抱えています。
しかもかれらは関が原で最も激しき戦ぶりであったとか・・
 こういう家臣団の反応を見ても
三成がどういう人柄かわかるかなーと思うのです。

あと清正は関が原で西軍参加を承諾したという俗説があり
(これは毛利へ西軍協力の書状の返答に
参加するが承諾の代償に肥後一国を所望して
小西からクレームついたとかww)
この件からも
・三成襲撃事件の存在そのものを疑わせる説
というか実際のとこ襲撃されたのか?
という問題は誰がやったのか?
ということに・・
三成襲撃までやらかすのならば、西軍に参加してもいいとか
いうはずはないかと。


815 :人間七七四年:2007/10/05(金) 23:14:32 ID:VRpAD5ga
三成の人柄ww

816 :人間七七四年:2007/10/05(金) 23:30:29 ID:vnVwaUzu
もしも1万7千の大軍を率いるのが小早川秀秋ではなく、
○○○○だったらとか、考えてしまうよな


817 :人間七七四年:2007/10/05(金) 23:30:35 ID:zA5XsFYd
三成の態度がでかくて大変気を使う by島津
他人を不快にさせる人物だったのは間違いない

818 :人間七七四年:2007/10/05(金) 23:33:04 ID:33udAhgL
>>815
実際のととこわからないけど水戸黄門様ですら忠臣としてるし・・ww
その点は評価すべきかと・・

おっと最後に
「感謝状が島津義弘から三成に送られた」
「清正が西軍参加で毛利に返書」
は事実資料は明確にはわからないんですよ。
知ってる人が複数以上いることから虚偽ではないと思うのですがね。

あともうひとつなぞの書状があったな・・ww
関が原の件でですが
関原軍記大成五巻で「直江状」が送られたのは記述があるのですが
直江の主君景勝が家康の使者伊奈図書に11か条の書状を送ったとあり
主君の家康への返書があったのに、なぜ「直江状」だけ??
とかいう疑問もあったりします。
内容に興味がある。



819 :人間七七四年:2007/10/05(金) 23:35:56 ID:33udAhgL
>>817
それも否定できんですねww
毛利輝元の季節外れの大桃の件とか
斬首前の干し柿の件とか・・エピソードからして
>>他人を不快にさせる人物だったのは間違いない
否定できん。

820 :人間七七四年:2007/10/05(金) 23:47:31 ID:VUpSw6xe
島津の言葉は通訳が必要なほど訛っていたそうじゃない。

821 :人間七七四年:2007/10/05(金) 23:54:22 ID:CtsTMOEk
>>812-813
答えてくれてありがと

まず島津について
これは島津の家督問題の話と関連するのだけれど(ここはあまり詳しくないので、
島津関連に詳しい人が居てくれたら助かるんだけど)、九州征伐で義久に薩摩、義弘に大隈、
久保に日向諸県を宛がわれて、秀吉は表面的には島津氏を分割する形を取ったんだよね

で島津氏の取次は三成になったのだけれど、豊臣政権に協力的だった義弘とに対して、義久は非協力的だった
それに対して秀吉、義久を隠居させ、久保に島津家を相続させようとする動きがあったらしい
しかし義久・義弘の抵抗と、久保死去でこれが失敗したのだけれど、秀吉から島津氏へ配置換を命じられるんだよ
これは義久の所領を大隈、義弘の所領を薩摩とするというもので、実質的に豊臣政権は義弘を島津家の代表とした

これが関ヶ原の時に義久の西軍への非協力に繋がる訳で、三成に対し(間違いなく秀吉の意向があったとはいえ)、
島津家がどういう感情であったかを推し量れるものだと思う

君が書いてる通り、義弘や島津家中で義弘を支持する家臣は、三成に対して好意的であったと思われるが、
島津氏全体とすれば家中分断を図った一人として捉えていたのではないかと思うのね

ここで感心させられるのが、義弘の兄義久へ尋常じゃないほど気を使ってたことかな

家督相続するはずだった久保に対して、
善き事にも悪しき事にも 竜伯様之御意次第と連連覚悟肝要に候
と言い聞かせてたり・・・
島津が結束固かったのは義弘の義久に対する多大な配慮が大きいと思う

だから関ヶ原後に、島津家を不問にし本領安堵した理由として義弘の独断という言い訳が使え、
家康も義弘ではなく、忠恒に本領安堵するという形が取られたのではないかと思う

なので島津に公平だったというより、協力的な義弘へ好意的であったと考えるわけですよ

>で黒田長政、蜂須賀家政とは、福原、熊谷、垣見の一件で無茶したりww
黒田と蜂須賀とは、取次・奉行衆として対立してたんでしょうがないかとw
黒田は毛利・中国地方の取次だったけど、朝鮮役で失脚して、取って代わったのが三成、
蜂須賀は四国の取次ぎだったけど、またこれも失脚して増田長盛に取って代わられ・・・
これも関ヶ原の対立構図の要因の一つですね


822 :人間七七四年:2007/10/06(土) 00:05:40 ID:04fO1qBs
 島津の両頭体制ですね。

豊臣家自体が蔵入地を各地に作って諸侯に委託したり
陪臣に豊臣シンパを作って諸侯の分国体制に介入していく
手法でしたからね・・確かに分断してるといえますね・。
 豊臣の直参不足を地方諸侯を中央政権に適度にコミットさせ
るやり方は仕方ないことではあったようですが
結局徳川に壟断され蹉跌するわけですが・・

 

823 :人間七七四年:2007/10/06(土) 00:09:22 ID:d3RHyJfF
襲撃事件の件は面白いです、興味沸いてきた、調べてみようw
確かに襲撃した諸侯が一定しないですね

ただ輝元書状によれば、
・石田三成と増田長盛が襲われ、彼らは伏見へ逃亡
・小西行長が輝元を訪ね(三成の意を汲んでと思われる)、輝元へ派兵要請するも輝元は拒否
・景勝と連携し仲裁を図るも失敗し、輝元と家康の協議の結果、家康が裁定する事になり三成隠居
・輝元は、片桐且元など豊臣直臣が家康支持して仲裁も上手くいかないと愚痴る
などなど・・・

ただこれは、論文中の紹介だったんで、後日、この書状を調べてみようかと思ってます

後一つ、勘違いしてると思いますが、三成が支持されなかったと書いたからと言って、
人間性どうこうのつもりではないです
家康も、支持されたと書いたんですが、権力と権威、強大な軍事力を保持していたから支持があったと思ってます
まぁ国連でのアメリカみたいなもんですかねw
支持あるなしで、嫌われていた等言うつもりはないですが、三成は「取次」や朝鮮奉行等、
損な役回りが多かったのは確かかと

824 :人間七七四年:2007/10/06(土) 00:13:55 ID:tutKldRn
よく言われるんだけど、三成は本当に好き嫌いが別れる人だったんだと思うよ。
島左近や大谷刑部のエピソード等、人間的な魅力も多分にあったんだと思う。
ただ、関が原であれだけの人数を集めたんだから人望あるはず、っていうのには同意できないな。
あれは三成が豊臣家の看板を利用して集めた軍勢であって、三成の名の下に集まった軍勢ではないだろう。


825 :人間七七四年:2007/10/06(土) 00:23:42 ID:04fO1qBs
 石田三成には担ぐべき主君がいなかったということでしょうね。
家康死後の本多正純のように、やはり主君亡き腹心は没落する定め
なのでしょうか。

826 :人間七七四年:2007/10/06(土) 00:37:37 ID:zL3sehg8
>>822
伊集院をほとんど主筋と同格に取り立てちゃったおかげで肝心なところで
島津ガタガタになっちゃったけどな〜。



827 :人間七七四年:2007/10/06(土) 00:38:46 ID:OC2H2jHI
>>824
家康だって豊臣家の看板を利用してるんですが

828 :人間七七四年:2007/10/06(土) 01:21:25 ID:K0WtmCDz
>>825
石田三成が宇喜多秀家あたりに担がれたっぽい気がしないでもないな。
三成のやる気のなさ、準備不足には違和感を得感じざるをえない。
もし彼がはじめから家康討伐にやる気満々だったら、関が原あたりには
大砲をしきつめるなど大要塞化して、家康を撃つ準備を着々と整えて
いただろう。そしたら第二の長篠になってたかもしれん。


829 :人間七七四年:2007/10/06(土) 01:22:59 ID:CzvSKeti
仮に要塞化したとして東軍が関ヶ原に拘る理由は何だ

830 :人間七七四年:2007/10/06(土) 01:33:11 ID:X4Flsls5
三成のやる気がなかったとか言う人生まれてきて始めて見た

831 :人間七七四年:2007/10/06(土) 01:54:28 ID:zL3sehg8
家中がgdgdな宇喜多が無茶苦茶やる気なのが凄いww
恩がどうたら言うなら家康に宇喜多騒動を調停してもらったのに酷い恩知らずだww

832 :人間七七四年:2007/10/06(土) 11:27:54 ID:VH4XaEv+
>>827
824は三成の人望についてのみ述べたのであって、
三成と家康を比較して書いたのではないよ。三成をけなす意図はまったくない。
「家康」の文字だって一文字も書いてないし。
それを勝手に誤読するのは、あなたがバイアスがかった目で
歴史を見ていることの証拠だわな。

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>>729にもある通り、輝元も見て、
これ以降、毛利は立場上、徳川との直接交渉をやめ、黒田長政を介して交渉する事になる

他に残ってるのは8月25日付の長政の広家宛の書状で、家康が駿府を出馬したと書かれ、
御返事に委しく仰せ越さるべく候、とあるので、そこまで頻繁にやり取りはしていなかったと思われる ;::└'::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::   f!;i洲;l:::::::::
      :::::::: ̄::::::: ̄::::::: ̄::::: ̄:: ̄:::::::::::::: ̄::::::: ̄::::::: ̄::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::  |!;j洲:|
:_:_/_::::::::::::::::::ノ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
| コロl,,,,,,,,,,,,,,,,iニコ,_,,,,,,,,|コ




br> そもそも晒してない時点で何を恐れるんだよww
もう本当に本物の池沼神だなwww

これが嘘吐きのすっとボケ男の毎度のスットボケ擦り付けです。 。 aer21 <br> 閲覧数 : <><>ntchba073209.chba.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp<>61.121.40.209<>
名無しさん@恐縮です<><>04/03/14 22:12 OekhjPrC<>おお!日本人に同情してくれる韓<><>ntchba073209.chba.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp<>61.121.40.209<>
名無しさん@恐縮です<><>04/03/14 22:13 OekhjPrC<>次からは「負けちゃった試合」で<><>ntchba073209.chba.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp<>61.121.40.2@顏/test/read.cgi/sengoku/1176221394/">★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

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