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織田信長は日本最高の過大評価2

1 :人間七七四年:2007/07/18(水) 22:19:50 ID:FRWMJoIe
織田信長の異常なまでの過大評価に、うんざりしている人が集うスレです。

信長を評価しないという訳ではありませんが、どうも神格化され過ぎている。
49歳という、いいところで死に過ぎた。
もっと長生きしていれば、今ほど人気は無かったでしょう。

異常なスピードで性急に勢力を拡大したのはいいが、
慎重さを欠いて最後には殺されたワンマン指導者以上の存在でしかない。

前スレ
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156136876/

2 :人間七七四年:2007/07/18(水) 22:20:38 ID:FRWMJoIe
政教分離:やってない
中央集権体制:やってない
楽市楽座:六角をパクっただけ
能力主義:似た様な事はどこでもやってる
鉄砲戦術:特別な事はしていない
鉄甲船:捏造
騎兵奇襲:捏造

3 :人間七七四年:2007/07/18(水) 22:23:54 ID:tOg36T7b
信長を英雄視する日本人はキチガイだと以前から僕は考えているけど、
同じ日本人を血祭りにあげるだけで日本の国家領域を増やす訳でもなかった
信長なんて英雄として落第点でしょ。

世界史上の英雄って結局、自国の勢力を拡大した、
或いは敵国民を叩いた連中をあげる傾向があるよな?
アレクサンドロス、チンギスハン、ナポレオン、提督ネルソンにしても。
チンギスハンとかは同族で争ったみたいだけど、
大帝国の礎を築いたのだからきっちりと仮は返しているし。

信長なんて日本人を血祭りにあげたキチガイだし、
あの時代に領域を拡大しておけばイギリス人みたいに同語圏とか持てたものの、
自国民を弾圧するばかりで何ら功績が無い。

スペイン・ポルトガル人との接触があったくせに
目の前の敵を征服する事ばかり考えてしかもできなかった秀吉も英雄からは程遠いが、
大航海時代に導く訳でもなかったしその実、英雄ですらない。

世界史上の英雄とは、自国の勢力を拡大させた人物を言う。
アレクサンドロスもマケドニアの勢力を拡張したからこそ英雄なのだ。

自国の勢力を拡張する所か織田家の勢力拡大しか眼中に無く
それ所か織田家の勢力を拡張できなかった信長なんて
真の英雄からは程遠い

4 :人間七七四年:2007/07/18(水) 22:56:31 ID:6/3IxeEK
楽市楽座とか鉄砲の活用とか、信長の採った政策の代表に挙げられるものは、
実際は他者の政策を真似た場合が多い。

それ自体は、優れた政策を選択して採用しているわけだから、
信長はバランス感覚に優れた秀才であり、
有能であったことは、結果としてあれだけの勢力を築いたことからも明らか。
戦国時代でもトップクラスの武将の一人であったことは間違いない。

ただ、何でもかんでも信長が考え出したように言われたり、
時代を超えた革命児、天才とかなんて言われちゃったり、
単なる奇行の部分を強引に天才性の証左として解釈したりとか、
されている面においては過大評価と言わざるを得ない。

虐殺をしたこと自体は古今東西よくあることなので特に責めるには当たらない。

5 :人間七七四年:2007/07/18(水) 23:26:14 ID:8JPpki1L
破天荒な革命児みたいな印象で語られるわりに、
実際にやっていることは手堅いものが多いし。

6 :宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c :2007/07/18(水) 23:34:51 ID:0Ws0Kkbw
前スレの最後はすごい争いだったな。

7 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2007/07/18(水) 23:50:02 ID:L8ioARae
信長はパクリだというが、パクリの手法で結果を出したのは立派。

信長、秀吉、家康を戦国時代終焉のプロセスと考えれば、
先駆者として信長は評価されるべき。

8 :人間七七四年:2007/07/19(木) 00:40:32 ID:KxmNU/f2
         ',ヽ、
          i  \__| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l
         l   ヽ/        !
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  /  ./     ./      ィ   ,l  .!
/   /     /,..     r'`ニニヽ,  .l'、    < 信長軍は、、案外弱い(笑)
.   , '      / l;;;ヽ  ,イ;;f'゙---ヾゝ;/‐t、
.  ,.'      /. ヾ;;;;`‐、';:;:;:;`;;;;';;;';";;/  l ヽ、_
、. f.-、     /ヽ  `':、;;:;:;:;:;;;;;;;;;;;;;;;ン  |  | ト、
. ヽ,i'" `'i:、  .∧ ヽ    `''''ーァ'7"   l   l |  \
     | ` '  ヽ ヽ     , ' ,:'    /   | |


9 :人間七七四年:2007/07/19(木) 01:32:05 ID:OicfXy7g
>>7
世界史板とかでの信長の評価を見ると、やっぱり結果を残せなかったのが痛い。
まがりなりにも全国統一を達成した秀吉、長期政権を創業した家康に比べるとね。

例えば、よく言われるように信長にすごい天才的な国家構想があったとする。
仮にそれが事実であったとしても、天下統一を成し遂げて構想を実現したわけでもなく、
書物にその構想について具体的に記して遺したわけでもない。
つまりはっきりした証拠がない以上は、可能性の域を出ず、推測でしかない。

もちろん後の二人の天下人誕生への礎を築いた先駆者として評価されるべきだし、
極めて有能な武将であっただろうけど、本能寺で倒れてしまった以上は、
秀吉、家康 >>> 信長 の評価をされてしまうのは仕方ない面がある。

ま、本能寺で倒れたからこそ、最強のヒーロー願望を託す相手として、
格好の対象にもなるわけだけど。

10 :人間七七四年:2007/07/19(木) 03:14:57 ID:YabmRasN
秀吉、家康 >>> 信長 はどうかと

この理屈でいくと、家康から天下を引き継いだ徳川秀忠や徳川家光も
秀吉、家康、秀忠、家光 >>> 信長 となる


信長は天下統一事業を始め、半ば達成させた。
秀吉は信長が手がけた事業を引き継ぎ完成させた。
家康はそれを譲り受けたというか奪い取った。
秀忠、家光はその後を引き継いだ。


各人が存命中になにを為したかということで人々は信長を高く評価している。


11 :人間七七四年:2007/07/19(木) 03:34:27 ID:YabmRasN
三国志の物語でも、乱世において魏を作り上げた曹操に対し
家康に到ってはその魏を奪い取った司馬一族のようなもの。

むしろ、もっとも過大評価されているのは家康。
江戸時代の間、幕府を開いた家康が英雄として祭り上げられただけだろう。


12 :人間七七四年:2007/07/19(木) 09:39:35 ID:zSuW814d
むしろ家康は、あれだけの長期政権の基礎を築いたのに、
政治家としての評価は低めな気もするな。
信長、秀吉ほど破天荒なことをした印象が無いからか?

13 :人間七七四年:2007/07/19(木) 10:06:08 ID:OicfXy7g
>>10
だから、天下統一事業を、“半ば”達成じゃ駄目なんだよ。
ちゃんとやり遂げないと。

本能寺は運が悪かった面もあるし、
多分あれがなければ8割方以上の確率で全国平定を成し遂げていたとは思うけど、
現実には天下統一はできなかったわけだし。

大業を成し遂げるのにいい線まで行ったけど、志半ばで倒れ……
なんて例は古今東西たくさんあるわけだし。


14 :人間七七四年:2007/07/19(木) 11:19:34 ID:TBNyCKNp
そういう完璧主義こそ少数人の価値観に過ぎないってことじゃないの?
日本で人気のある歴史人物定番っていうと
信長・義経・竜馬だけど
この三人が三人、志半ばで非業の死を遂げている
逆にそこが人々の心を擽るんだろうな

15 :人間七七四年:2007/07/19(木) 11:48:24 ID:YabmRasN
>>13
信長より上とする家康は、半ばどころかなにもしてないじゃないか。
他人の成果を横取りしただけだし。

16 :人間七七四年:2007/07/19(木) 12:59:33 ID:zSuW814d
信長と龍馬はその革新的なイメージで人気、
義経は判官贔屓で人気って感じか。

まぁ、悪く言えば、
三人とも若くして死んだので老醜を出さなくて済んだという所もある。
信長だってあのまま長生きしていたら、
秀吉以上に狂っていたかもしれんし。

信長過大評価といえば、
朝鮮出兵も信長なら成功した、って言う人いるな。
秀吉ならダメで、信長なら出来たっていうことも無いと思うが……

17 :人間七七四年:2007/07/19(木) 13:31:22 ID:sEM7Jx9T
楽市楽座が真似って言ってる奴が多いけど、
楽市楽座の意味分かってんのかね?
従来の寺社領は勝手に商売をしていた。
もちろん大名に対して税金も払っていなければ、許可も得ていない。
六角や今川が行った楽市というのは、そこに踏み込み大名が許可を与える事で
寺社領であっても大名の領土という事を示した。
ただ、従来通り税金は取ってない。
それに対して信長が安土で行ったのは、寺社領であっても最低限の税金は取るという事。
今まで当然のように無税だった所に対して、
「その他の税金は特別に免除してやるから住民税は払えよ」って感じで。
信長が革新的で特別な事をしたというのは明らかに間違いだと思うけど、
真似をしたってのも違うだろ。

18 :人間七七四年:2007/07/19(木) 15:47:52 ID:ryOx3Yw4
義経しかり竜馬しかり
日本人には志半ばで死んだヤツが人気が高い傾向があるね。
家康の過大評価についてはある程度は仕方ない。
戦国時代を収めた徳川幕府はその時の歴史を自分の好きなように
改ざんできる権利があるしね。
事実、姉川の偽造などあるしね。

19 :人間七七四年:2007/07/19(木) 20:51:40 ID:69FBWIfC
戦争面では過小評価されてる気がしないでもない
実際には信玄でも謙信でも負けることはまず無いのだがな

まぁ武田信玄を長篠で打ち破ったと勘違いしてる奴とか桶狭間で勝ってて信長すげーと思ってるレベルの奴が結構いるから世間のレベルに合わせるとそうでもないか・・
しかし信長も秀吉ほどじゃない 秀吉も最近は酷い言われようだがつい最近までは異常にいい扱いだったからな
世間レベルだと秀吉はいい人 と思ってるのも結構いるし そう考えれば秀吉こそが日本最高の過大評価かもしれない

20 :人間七七四年:2007/07/19(木) 22:41:01 ID:zSuW814d
晩年までキッチリしている秀吉なんか面白くない。
天下統一した後、ボケてしまうから面白い。
同時代に生きた人間はたまったもんじゃなかっただろうけど。
若いときと年食ってからが別人のようだから、
秀吉も家康も本性がどうなのか解らんのだよな。


21 :人間七七四年:2007/07/19(木) 23:45:53 ID:+JZEgF/d
秀吉は晩年の失政で叩かれることが多いわけだけど、
天下を平定して戦乱を終息させ、それまでの軍事力が宙に浮いてしまうという、
未曾有の状況に直面し、ある程度やむを得ない面があったと思う。

朝鮮への出兵、秀次事件、重税など、結果的に失敗となったとは言え、
それを行うに当たっての判断は、秀吉なりに理に基づいていたように見える。

とても及第点は与えられないけど、
晩年の秀吉がボケていたとか、狂っていたとは思えない。
ただ、秀吉なりに考えて実行したことが、結果として失敗となったわけで。

22 :人間七七四年:2007/07/20(金) 00:32:18 ID:4ZIjUKBm
携帯電話で国盗り合戦 武田信玄や織田信長になれる
http://news.ameba.jp/2007/07/5904.php

23 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2007/07/20(金) 07:28:31 ID:BaHUGXgu
>>9
信長がいなければ、秀吉、家康は天下統一できたか?、
と考えれば、信長≒秀吉≒家康と考えてよいかも。

24 :人間七七四年:2007/07/20(金) 07:37:48 ID:TtYsCOkJ
>>2は無知な糞野郎の分際で、ケチをつけることだけは一丁前の小者のカス
自分の論拠さえ説明できないくせに偉人を貶すな
ゴミ野郎がっ


25 :人間七七四年:2007/07/20(金) 09:03:04 ID:BA+C6VbA
大陸への出兵だけど、途中で秀吉が死んでなければ
半島くらいは領土にできてただろうし、それほど失政でもないんじゃない。
半島はいらないけどw

26 :人間七七四年:2007/07/20(金) 11:37:28 ID:LqSwiPXS
領土にできたとしても、
結局は秀吉の死と共に内乱でも起きて、
最後はまた朝鮮に戻りそうな気もする。
史実通り家康が天下を取れば多分そうなるんじゃないか。



27 :人間七七四年:2007/07/20(金) 18:20:38 ID:vTsl7ciW
光秀が家康を接待した時の、「鯛が腐ってる」事件ってあれどういうこと?
その日のうちにとれた鯛で、しかも光秀も味見したんでしょ?
家康もその場にいて庇わなかった?ってことはほんとに腐ってたのかな?
それとも単なる所領を取り上げるための言いがかり?


28 :人間七七四年:2007/07/20(金) 19:50:48 ID:YbvSTNJo
>>27
普通に考えれば単なるウソ話ってわかるだろ

29 :人間七七四年:2007/07/20(金) 20:29:03 ID:vTsl7ciW
いやいや、歴史ってのは権力者が都合よく書き換えるものだよね。
それならば、家康の立場からすれば、信長=いいやつ、秀吉=悪いやつ
ってするのが当然の流れだと思うんだ。
それなのにこういう信長の人間性を否定するようなこういう逸話が残ってるってことは、
あながち嘘でもないと思うんだが。
誰か詳しい人いたら教えてもらえませんか

30 :人間七七四年:2007/07/20(金) 22:51:45 ID:zkHlZNLu
>>29
徳川幕府の歴史偽造は有名だからね
でも、信長=いいやつ、秀吉=悪いやつ
っていうのはむしろ当時は逆の考えだったんじゃないかな?
なぜかというと身一つで成り上がり実力で天下統一を成し遂げようとした信長と、
それを棚ボタで受け継いだ秀吉
という構図があるからね。
だからこそ徳川幕府は、弱い信長を家康が助けた(姉川の偽造などが有名)
という風に歴史を改ざんする必要があった。


31 :島津ヲタ:2007/07/21(土) 08:11:55 ID:1fKegrjl
つーか3人ともクソってことでいいじゃん。

32 :人間七七四年:2007/07/21(土) 08:35:06 ID:jQYINXhV
もっとも、あんまり信長、秀吉をダメにすると、
じゃあそれに従っていた徳川は何なんだ、
てことになるからなぁ。

そういや、柴田勝家から丹羽長秀に宛てた書状には、
「徳川は織田の分国大名としてよくやっている」
とか書いてあったな。
同盟がいつからか従属的になったのか、
当初から従属的だったのか。

33 :人間七七四年:2007/07/21(土) 09:11:33 ID:opOrwiQO
つうか信長てそんなに過大な評価されてる?

34 :人間七七四年:2007/07/21(土) 10:15:37 ID:n57LxDMS
>>33
基本的に信長が有能だったのは間違いない。
ただ、>>4の言うように、
何でもかんでも信長が新しく創造したかのように言ったり、
奇行な部分を無理やり信長の天才性の証左と解釈したり、
過剰なまでに信長を持ち上げる人が、この板にも世間にも少なからずいるのは事実。
>>1の言うようにまさに神格化。

過大評価だと指摘するのは、決して信長を評価しないわけではない。
ただ、評価するにしてもやりすぎだろ、という話。

35 :人間七七四年:2007/07/21(土) 11:56:32 ID:9cltiiXf
でも信長にしても義経にしても
時代を新しく作った人って結構「卑怯者」が多い気がする。
信長なら条約破りはあたりまえだし、義経は非戦闘員の虐殺など。
義を重んじる武士にはきついだろうなぁ

36 :人間七七四年:2007/07/21(土) 12:04:53 ID:oB3EVMKF
曹操、足利義満に比べたら信長は落ちるよね
文化教養で時代を変えてないからな
大内義隆のがうえかもね

37 :人間七七四年:2007/07/21(土) 12:21:24 ID:kfUdSi2Q
>>35のように信長の人間性を過小評価する奴は多い っていうか日本国民殆どがそうだが
こういうのに限って信玄厨の可能性が高いが・・ 条約破り当たり前なのは信玄
信長は自分から同盟を切ったのより相手に同盟を切られたほうが圧倒的に多い

つか、義経は別に時代を新しく作った人でもなんでもないし

38 :人間七七四年:2007/07/21(土) 12:32:56 ID:0FYQJQ9N
>>32
最初から従属。それを、神君を持ち上げるために「対等な同盟」と捏造した。
小牧の役で徳川は敗北したが、局地戦の一つにすぎない長久手の一戦をやたらと
強調して家康は秀吉に実質勝った!だから徳川は豊臣に形だけは従属したが
ホントは違う!だから後に徳川は豊臣から天下を奪ったのは道義的に批難される
ことではない!
とか強弁してるのと同じこと。

39 :人間七七四年:2007/07/21(土) 12:36:35 ID:9cltiiXf
>>37
俺は信玄坊じゃないから信玄あまりよく知らんけど
信玄って条約破り多かったん?

>信長は自分から同盟を切ったのより相手に同盟を切られたほうが圧倒的に多い
まさかとは思うが浅井長政のこと言ってるんじゃないよね?
元々浅井は朝倉と同盟というより従属関係に近いものだし
浅井と織田の同盟の時に
朝倉は攻めない
もし攻めても必ず浅井側に連絡すること
っていう条件あったのぐらいは知ってるよな?

それとも他に何かあったのか?

40 :人間七七四年:2007/07/21(土) 12:38:58 ID:kfUdSi2Q
まぁでも小牧長久手の一件のせいで豊臣は大変だったんだから・・
徳川はかなり豊臣家中での地位を高めたし 豊臣家滅亡の原因の1つにもなった

>>39
だから武田が織田との同盟切ってるがな 武田は凄いぞ 今川、北条、徳川、織田 ひたすら一方的に勝手な俺ルールで同盟を切り続けた
もしかして浅井の裏切りが実際には浅井の一部の家臣団の暴走ってこと知らんの?
そうなったらもう浅井も後には引けんしな

41 :人間七七四年:2007/07/21(土) 12:45:24 ID:9cltiiXf
>>40
>武田は凄いぞ 今川、北条、徳川、織田 ひたすら一方的に勝手な俺ルールで同盟を切り続けた
すげーwメチャクチャじゃん信玄ってw
ありがとう勉強になった、ってひょっとして常識なんかな?

>浅井の裏切りが実際には浅井の一部の家臣団の暴走ってこと知らんの
それは知らない
元々、長政は家臣団に説得されて朝倉についたんだし。
磯野の裏切りなんかは裏切りというより降伏に近いし
長政の決断の悪さによるものだし(援軍要請無視)



42 :人間七七四年:2007/07/21(土) 12:51:41 ID:KJCgM6fr
能力的にもそれなりに有能だったとは思うが、
もっとも秀でているのは先進性と現実主義だということかな。

ゲーム的にいうと能力値はそれほどでもないがAIは優秀みたいな感じ?

43 :人間七七四年:2007/07/21(土) 12:57:21 ID:kfUdSi2Q
>>42
能力値的にも信長はやばい
天王寺の戦いではたった3000で15000に勝ってるし(少数の兵を動かすのが上手かったといわれている謙信でも5倍の兵力差は無理)
稲生の戦いでは700対1700で勝ってる しかも勝った理由が相手の総大将格を自らの手でぶっ殺したという無茶苦茶なもの
できる奴はなんでもできる

44 :人間七七四年:2007/07/21(土) 16:31:14 ID:Ft3HBMaX
このスレまだやってたんだ・・・

45 :人間七七四年:2007/07/21(土) 17:23:29 ID:XdOuL66T
>>43
その代わり伊勢長島とか負け戦や失敗も結構あるけどな。

46 :人間七七四年:2007/07/21(土) 20:14:16 ID:0FYQJQ9N
>>39
>浅井と織田の同盟の時に
>朝倉は攻めない
>もし攻めても必ず浅井側に連絡すること
>っていう条件あったのぐらいは知ってるよな?
知らない。江戸以降の講談の類にはあるが、一次・二次資料レベルでこのような
同盟条件が交わされていたかどうか確認されていないから。
これは「どうして浅井は裏切ったのか」という疑問にたいして後世の後付という
説があるね。光秀の謀反理由として後からいろいろと捏造されたのと同じ。

47 :人間七七四年:2007/07/22(日) 06:47:34 ID:SwVx41mT
>>1
>もっと長生きしていれば、今ほど人気は無かったでしょう

その通りかもしれんし、そうじゃないかもしれない。
結論が出る論点じゃない。


>慎重さを欠いて最後には殺された

欠いてない。
畿内は完全に織田の勢力圏で安全そのもの。
自宅で睡眠中、家族に寝込みを襲われて殺されたようなもの。
防ぎようがない。


>>2
>政教分離:やってない → 大ぼら
 中央集権体制:やってない → 上に同じく
 楽市楽座:六角をパクっただけ → 規模が違う
 能力主義:似た様な事はどこでもやってる → 大ぼら。やってない。
 鉄砲戦術:特別な事はしていない → 特別な鉄砲戦術って何?
 鉄甲船:捏造 → それはアンタ
 騎兵奇襲:捏造 → 上に同じ


>>3
戦国の世の実態が理解できてない愚か者。


>>13
>大業を成し遂げるのにいい線まで行ったけど、志半ばで倒れ……
 なんて例は古今東西たくさんあるわけだし

そんなに沢山あるか?


48 :人間七七四年:2007/07/22(日) 10:16:59 ID:ZaKFO/6L

       /     NY\
      /_____,,=─-.`、__
     / /      \ ̄ヽ `‐、
     | /iilllllii.   oillllliiヽ | ̄〜
     |y ■■■■■■ ∨、   
   r-r'    i   i    | i   
   { / ; ∵; ,|. : : 人; ∵; | {   一本のバット、一つのグラブは、いろいろな人の苦労によって出来上がっている。
   しi| `''" `ー- '   ー  | _) 去年僕が使ったバットは、久保田名人がいいメープルの
    |i〈 、_____, 〉 |r   原木を探しにカナダの山に登ってくれたと聞いています。
     ! ヽ\+┼┼+/   /   そんなバットを投げつけるなんて、絶対にできないじゃないですか。
     ヽ   `ー‐‐'´  /    
      \       /   
       `ー----‐'´     
http://www.hokuriku.chunichi.co.jp/matsui/ism/2004/14.html


最悪でも犠牲フライを打っておきたい場面で注文通りに打ち取られた松井は、
悔しさからか思わずバットを地面に叩きつけた。
http://www.major.jp/news/wrapup-2004091803.html


いかに、糞イボが口先だけの外面偽善者かよく分かるな。
しかも、インタビューと同じ年だし(笑)

49 :人間七七四年:2007/07/22(日) 10:18:41 ID:vPaGw4xk
 能力主義は胡散臭い
利家蘭丸堀はアァー!武将だし
秀吉は中村の超有力豪農な倅でめちゃめちゃ経済力資金力の持主
豪商と言ってよい

50 :人間七七四年:2007/07/22(日) 11:15:35 ID:ld5JnHxz
>>49

> 秀吉は中村の超有力豪農な倅でめちゃめちゃ経済力資金力の持主
> 豪商と言ってよい

そんなもん、どの史料に載ってるんだよ。

51 :人間七七四年:2007/07/22(日) 11:19:01 ID:UXZ2aPiw
>>45
そりゃ信玄に上田原、謙信にも臼井・元就の忍原の大敗があるようなもんだろ
戦歴長いと負けが増えるのは確率からいって当然

52 :人間七七四年:2007/07/22(日) 14:02:37 ID:qcS0XvID
秀吉が超有力豪農な息子だったなんて、はじめて聞いた。

53 :人間七七四年:2007/07/22(日) 21:52:20 ID:zXjLkylD
足軽とか下級武士とか農民とか漂流の民とか。
まぁ秀吉の出自ってのは諸説あるが、
豪農とか豪商ってのは初めてだな。
足軽兼農民(この時代はこういうの多いけど)
の息子ってのが一番現実的な気がするが。

54 :人間七七四年:2007/07/23(月) 10:22:21 ID:IABg4WH7
信長は、大名クラスの生まれなのに自分の身を何度も敵刃や敵弾に晒した勇猛さがウケるんじゃないの?
稲生合戦や桶狭間じゃ自分で槍を振るってるし
刀禰坂合戦前ではぐずぐずする部下を置いて馬廻だけ率いて朝倉を追撃しているし
天王寺でも足を撃たれながら先鋒を自ら指揮して本願寺を撃破している

55 :人間七七四年:2007/07/23(月) 21:55:28 ID:9AwqlV46
明石の、二人の天魔王、よんでみ。
目からほっぺたが落ちるぞい。

56 :人間七七四年:2007/07/23(月) 22:20:33 ID:OZ+6VC6F
>>55
ああ、あの根拠も示さず自分の妄想垂れ流しなシロモノ?
読んだ感想は、この時代の最低限の基本史料と学会での最新論文くらいは読んどけよ、
というものだったな。

57 :人間七七四年:2007/07/23(月) 22:26:13 ID:9AwqlV46
>>56
へ〜、あの兄弟皆殺しとかもやっぱり根拠なし妄想なの〜?

あと義昭に出した意見書も、義昭が信長に出した、なんてのはどうなの〜?

58 :人間七七四年:2007/07/24(火) 10:35:34 ID:EQs3LIfT
信長は世界史上の英雄(ナポレオン、チンギスハーン、光武帝)と比べられるレベルにある人物なのか?
所詮島国のローカルな英雄ではないのか?

低い身分から統一までのし上がった秀吉や
世界史上類を見ない長期政権を築いた家康の方が遥かに評価できるよ

59 :人間七七四年:2007/07/24(火) 11:59:06 ID:Ok1SqAyW
創作によくありがちなんだけど、なんで信長は、
天下統一したあとは世界制服に乗り出すって設定が多いんだろう。
秀吉が朝鮮出兵したからか?

人間50年ってあるけど、
信長も本能寺時点で49歳。
そろそろ全部信忠に任せて自分は引退しようとか思ったりは、
してなかったのかな。朝廷から薦められた三職だって、
「自分はいいから信忠をしてやって」とか言ってたし。
武田は滅び上杉毛利も服従寸前。
もうわしがおらんでも織田と天下は大丈夫だろう、
みたいに思っていた可能性は?

60 :人間七七四年:2007/07/24(火) 12:21:27 ID:3rRdFD4+
>>59
ルイス・フロイスが言ってる。

61 :人間七七四年:2007/07/24(火) 13:03:12 ID:mdXDtTfl
フロイスって誇張が多いって同僚に言われてたんでしょ?
第六天魔王って載ってるのもフロイスの本だけらしいし

62 :人間七七四年:2007/07/24(火) 13:23:29 ID:3rRdFD4+
>>61
だからと言って「日本史」を否定する事は出来ない。
そう書いてあったのだから、そう考えていた可能性があると考えるのが筋。
そうでないと言うならそれを否定する史料が必要。

63 :人間七七四年:2007/07/24(火) 14:52:01 ID:uL1tussM
>>62
できるよ。たとえばフロイスの記録の、信長が自分を神だとまつって盛大な
まつりをおこなったというのも、現在は否定ぎみ。

64 :人間七七四年:2007/07/24(火) 16:40:10 ID:g9+stS11
妄想で悪いが、初代織田王国国王みたいになってたイメージがある。
もちろん天皇制は廃止して。
だもんで保守反動ちゅうか乱が起きた、というのは自然な流れのように感じる。
秀吉は信長を真似すると並んでそういう反面教師にもとってたような。
家康はま、すごいと思うのだけどね、あの時にもはや300年持つようなシステムの基礎を考えていたのだから。

65 :人間七七四年:2007/07/24(火) 21:42:41 ID:uL1tussM
>>64
江戸幕府の基礎をつくったのは秀忠・家光とそのブレーンたちですが。

66 :人間七七四年:2007/07/24(火) 22:28:59 ID:/m7pYzL+
>>65
基礎ってのが難しいけど、武家諸法度とかそういう職制はいつできたの?
ほんで外様大名なんかを遠くに配置して参勤交代でその力を弱めたりとかは?
あまり江戸時代って知らないんだ、教えてくんで悪いが。

67 :人間七七四年:2007/07/24(火) 23:49:14 ID:3rRdFD4+
>>63
それだけのイベントがあったのに日本側の史料が一切無いのはおかしい、と考える人も居るね。
ただ、だからといって現在それが確定的な解釈となっている訳ではないし、
否定しようとする一応の根拠がある。

信長の影響を強く受けたであろう秀吉が明を征服しようとしていた事からも
同じように信長が考えていたというのは道理に合う訳で、
それを否定しようとするには、それなりの根拠が必要だよ。

68 :人間七七四年:2007/07/25(水) 07:26:12 ID:Yjco0Fv2
>>58
>信長は世界史上の英雄(ナポレオン、チンギスハーン、光武帝)と比べられるレベルにある人物なのか?
 所詮島国のローカルな英雄ではないのか?

地続きのヨーロッパ・アジア大陸の統治者と島国のそれを同一視してる時点でもう駄目。
そもそも上記の人物達と比較する必要もない。

>低い身分から統一までのし上がった秀吉や
 世界史上類を見ない長期政権を築いた家康の方が遥かに評価できるよ

極めて皮相な考えだな。
では、もっと早く信長が死んでいたらどうだったのか。
例えば永禄、元亀や天正の初期に信長が急逝したとしたら、秀吉は勿論家康も天下人になるのは不可能。
石山本願寺や他の難敵を全て平らげ、地滑り的に天下統一ができるところまで信長が仕上げてくれたからこそ秀吉は天下をとれたのであり、
家康では秀吉のように全国を縦横に駆け巡って諸侯を制圧する力量はない。
秀吉が信長死後台頭して全国統一してくれなかったら、家康は多少領土を拡張しても所詮地方の有力大名止まり。





69 :人間七七四年:2007/07/25(水) 07:34:45 ID:I2VswWK4
信長に天下統一はムリだと思うよ。

信長の行動、口述などから、
高い知能をもつが社交性がない(思いやりがない)アスペルガー症候群であった可能性ある。
少年期にうつけ扱いされのも、
アスペクトの病状によるコミュニケーション障害や関心対象の限定が原因でないだろうか。

歴史上の偉人でもアスペルガー症候群も多くいるが、
多くは学者や芸術家かベンチャー経営者などの新しい価値観を生み出すが、
周囲の人間と友好な関係作り出すのは下手な人が多い。
(ニュートン、アインシュタイン、ビルゲイツなど)

天下統一のプロセスを作り出した革命家としては評価されるかもしれんが、
平和な世を形成する気配りの政治家にはムリな人だと思う。

70 :人間七七四年:2007/07/25(水) 07:42:07 ID:Yjco0Fv2
>>69
>平和な世を形成する気配りの政治家にはムリな人だと思う

織田の勢力圏は極めて治安が良かった。
何せ本能寺の変の直前、あの家康がわずかの供回りだけを引き連れて、安土から堺まで徒歩で移動できたほどなんだから。
まさに平和な世そのもの。

71 :人間七七四年:2007/07/25(水) 07:57:27 ID:hTIcBiU+
>>70
信長の治世において、
信長の所領における尾張、美濃、その他が平和だったのは認めるが、、

気にしているは、「気配り、調整の政治家、経営者」が出来るかどうか。
組織の成長期において、バリューチェーンの新規構築、
拡大推進を行うのは最適な人物だと思うが、
円熟期における維持調整は苦手な人だと思う。

上杉謙信が死亡した段階で、
ある程度趨勢がきまった国内統一事業は信忠にまかせ、
信長は別の事業(海外との貿易拡大、その他趣味など)に費やすべきだった。

72 :人間七七四年:2007/07/25(水) 08:17:58 ID:nBnT2KcR
とりあえず謀反・離反経験者を有能だからってだけでほいほい重職につけるのは危ないなぁ
実際、松永謀反のために謙信の西進に有効反撃できないわ、村重離反で秀吉軍が中国地方で孤立しかけるわ、光秀の謀反は致命傷になるわだし

73 :人間七七四年:2007/07/25(水) 08:30:11 ID:Yjco0Fv2
>>71
>拡大推進を行うのは最適な人物だと思うが、
 円熟期における維持調整は苦手な人だと思う

それは秀吉じゃないの。
外様大名に大判振る舞いして大大名を乱立させ、秀長死後は無謀な明国征服計画を実行するも、
入り口にすぎない朝鮮で四苦八苦して挫折した無様な失態はどうしようもない。

>上杉謙信が死亡した段階で、
 ある程度趨勢がきまった国内統一事業は信忠にまかせ

信忠には、まだそこまでの力量はないでしょう。


74 :人間七七四年:2007/07/25(水) 09:17:35 ID:TSv6c73i
>>68
>もっと早く信長が死んでいたらどうだったのか

どこかのスレで「武田信玄が10年早く死んでいたら」
ってのがあったけど、もし信長が1572年に死んでいたら、
本当、どうなっていたんだろうな。
信玄はまだ死亡1年前、上杉謙信も健在。
織田家は信忠が継ぐだろうけど、
せめて信玄が死ぬまで持ちこたえられるか。
家康はどうだろう。本能寺直後とはまるで状況が違うし、
秀吉や光秀は、まだ国持ちじゃないから、
影響少ないかもしれんけど……。


75 :人間七七四年:2007/07/25(水) 09:48:25 ID:26H/DcPx
>>71
同じ近江でも安土から少し離れるだけでスラムのような貧困に喘ぐ村が点在していた
城下町の治安が良いだけで、国力第一で民はついてこない格差が顕著にでていた統治。
家督を譲っても実権を握っていた事から、秀吉と同じく、次代で衰退するタイプ。
秀吉が信長を真似したのかは分からないけどね。

76 :人間七七四年:2007/07/25(水) 10:22:59 ID:9i+ez6x5
また格差厨君か、いい加減ソースだしたら?

77 :人間七七四年:2007/07/25(水) 11:43:12 ID:dxDzbwYH
織田領内では、本年貢以外の税金・通行税は軽減ないし撤廃されたのが史実だからなぁ(指示する国掟が残っている)
フロイスの日本史でも「織田領内では戸締りをせずに眠ることができ、女が一人旅をできた」と織田領内の治安の良さを記録している
これが安土限定、という根拠も……

78 :人間七七四年:2007/07/25(水) 13:16:26 ID:XgX1K6bD
へ、信長がいなかったら今頃、義元が麻呂麻呂・室町軟弱幕府を再興させて
、100年は時代の革新が遅れて、諸外国の奴隷になってたわい!!

秀吉?あんな田舎モン義元が相手にするかいw桶狭間で敗れた雑兵なんぞ
落ち武者狩りで亜ぼーんだったろうな。

家康?人質生活から抜け出せず、織田・徳川同盟も存在せず…だな。

光秀?元々朝廷の信が厚かった朝倉の臣だっただけに、今川とも充分に
共存出来たはずで、本能寺の変もありえなかっただろうな。

…と、仮定したいが、ま、タラレバの域を出ない事は賢明な諸氏なら
おわかりだろう。

79 :人間七七四年:2007/07/25(水) 18:20:31 ID:TSv6c73i
……ま、信長、秀吉、家康、
誰が一人欠けたって、いまの日本は無いわけで。

80 :にゃんこ:2007/07/25(水) 20:16:03 ID:IMTZR2Gv
そもそも、「英雄がアイデアを実行して世を変えた」なんて世界観自体が小説的。
実際は、「生き残っていくためにした事が、結果的に世を変えた。」が現実に近い。

例証「兵農分離」

×「信長・秀吉が戦争に勝つために兵農分離のアイデアを実行した。」
○「すでに、農村では、好戦的で大名の家臣として出世したがる軍役衆 と 
  農業一筋・農村の自治を求める百姓衆 との分離が進んでいた。自治を
  達成するためには、大名の手先の軍役衆を村から追い出す必要があった。
  軍役衆が城下町へと集住していき、農村の自治を認める事の引き替えに、
  村で責任を持って年貢を納める事になった。兵農分離は、太閤検地が大きな
  画期とはなったが、以前から、上記のように徐々に実質的には兵農分離が
  進んできていたのである。兵農分離は、信長や秀吉の画期的アイデアという
  よりは、自治を求める百姓衆の陳情に答える政策なのである。」

 信長や秀吉がいなくても、濃尾平野や近江盆地の支配者は、先進的な政策で
 農村からの要求に応えなければ、政権が成り立たないから、結果的には
 世は進むのである。現に、保守的と見られる家康の晩年の農政は、信長よりも
 ずっと先進的である。


81 :人間七七四年:2007/07/25(水) 20:31:34 ID:Au0NNwCY
信長に関してはそうかもしれないが、秀吉の太閤検地は実際に奉行が竿入れして陰田摘発、
更に有力農民による中間搾取を極力排除(一地一作人制への移行)しようとした点で
当時としてもかなり急進的だったと思うな
実際に秀吉のこれらの政策に配下も反対意見を述べてたし、
各地では検地に反対する一揆が続発してその鎮圧に秀吉もかなり手を焼いてる
自分には太閤検地が「農村からの要求に応え」るために仕方なく採られた政策だとは思えない

82 :にゃんこ:2007/07/25(水) 21:16:42 ID:IMTZR2Gv
80には「検地」という言葉は書いていない。百姓衆が検地を願った、などとも
書いていない。

我々が、「増税無き、福祉向上」を願うように、当時の村も「検地無き、自治獲得」
を願った。まあ、しかし、増税無くして福祉向上が不可能なように、検地無くして
自治獲得(兵農分離)などできなかった。そゆことだ。



83 :人間七七四年:2007/07/25(水) 21:18:56 ID:ZAzLMCdd
急進的な政策は、やはり多くの無理を強いらなければならないから、
大きな反発を巻き起こして、当の政策を実行した政権を直撃、崩壊へ追い込むものの、
その急進的な政策の恩恵を、次の政権が享受することはよくある。

中国では秦の始皇帝が全国統一を、隋の煬帝が大運河の建設を行い、
それぞれの政権は短期間で崩壊したけど、
続いて建った政権、漢と唐はその恩恵を享受して長期の繁栄を実現した。

84 :にゃんこ:2007/07/25(水) 21:21:18 ID:IMTZR2Gv
80に訂正。「太閤検地」って書いてあるなあ。ご免。

85 :人間七七四年:2007/07/25(水) 21:24:08 ID:26H/DcPx
>>77
ソースというか俺は滋賀に住んでるから
安土とその周辺とでは貧富の差があったと伝わっている。
観光にでもきてバスガイドの話でも何でも、生の声を聞いてみたら?
信長祭りは終わったけどね・・

ルイスフロイスって武田信玄が西に侵略を開始したときに
その三方ヶ原の結果をみて、母国に手紙で
織田は武田に滅ぼされるだろう、なんて手紙を送った人だし。
必ずしも正確とは言えない。

86 :人間七七四年:2007/07/25(水) 21:54:06 ID:WFBouQ6j
そんなのがソースになるとは驚きだ

87 :人間七七四年:2007/07/25(水) 22:28:12 ID:9i+ez6x5
>>85
そんなの豊臣秀頼が鹿児島や琉球なんかに逃れた、みたいな根拠のない昔話じゃん。

88 :人間七七四年:2007/07/25(水) 22:50:25 ID:M2rkCyBz
>>67
安土の信長御神体イベントは、フロイスの記述だけでは信憑性に疑問が生じる、という
例示として出しました。
同じく、信長が大陸進出を考えていたというのがフロイスの記録しかないというのなら、
それはやはり疑問を持つべきでしょう。もちろんフロイスの記述全てを疑えというのでは
ありませんが、信長が本気で考えていたのなら、どうして日本人には全く話さずに外国人
には明かしたのか、二人が余人を交えずに語り合ったとは考えられないとするなら、信長
の傍には常に側近や祐筆やらもいるのにその人たちの記録(ぶっちゃけ信長公記)に何故記述
がないのか。疑問はいくらでも生じます。

89 :人間七七四年:2007/07/25(水) 23:03:23 ID:sNMMJqna
>>79
秀吉ぐらい欠けていても・・
この3人の中ならいなくてもギリギリ大丈夫そうだ
こういっては身も蓋も無いが光秀が秀吉の代わりをやってやれんことはないだろう
代わりに誰か他の奴が謀反を起こして
あるいは信忠が急死するとか あるいは若年性アルツハイマーにかかるか

90 :人間七七四年:2007/07/25(水) 23:10:26 ID:27+3l7IS
戦国時代板のwikiです。
ご自由に利用してください。
http://www37.atwiki.jp/sengokuita/pages/17.html

91 :人間七七四年:2007/07/25(水) 23:25:03 ID:Au0NNwCY
秀吉一人居たら中世から近世への転換に信長も家康も要らない、
と思うくらい秀吉の戦略・政策能力は同時代でも隔絶してると思うんだが
最近晩年の狂態にスポットが当たるようになったおかげで
秀吉の業績自体を過小評価する向きが有るがそれは誤りでしょ
まあ信長公の抜擢が無ければ尾張の地侍で終わった可能性が高いから、
天下取るならある程度の勢力を持った戦国大名の嫡男に産まれる必要が有るけど>秀吉

92 :人間七七四年:2007/07/25(水) 23:30:55 ID:ibesb6GU
>>88
大きなイベントであった筈なのに他の史料に見られないという事と
信長の語った彼の考えが他の史料に見られないという事とでは全く意味が違うでしょ。

93 :人間七七四年:2007/07/26(木) 00:17:30 ID:u+KWVn1W
知識や能力には育った環境も影響するから何とも言えんが、
例えば25歳ぐらいの秀吉に、
「今日から尾張全部やるから好き勝手にしていいよ」
と任せたら、史実の信長クラスの活躍はできそうな気もする。

今川独立後の家康に尾張を与えても、
信長ほど早急に美濃を取って上洛はできない気がする。
結局史実と大して変わらん行動しそうな感じも。

結局タラレバだけどな。

94 :人間七七四年:2007/07/26(木) 00:35:02 ID:BkuosReu
秀吉の外交戦略の上手さや、大規模な軍事行動での見事な兵站等は信長以上だと言えるけど、
戦国時代稀に見る軍事行動の素早さや堺の掌握といった事は信長の模倣とも言える。
小牧・長久手の外交戦で秀吉に全く敵わなかった家康が見せた関が原での見事な外交戦略。
人は周囲の環境によって学習していく訳で、信長が居なかった秀吉や家康を想像するのは不可能でしょ。

95 :人間七七四年:2007/07/26(木) 00:44:42 ID:0+bGe5bA
>>94
確かにその通りだが、そういう事情を考えずに
三傑の中で殊更秀吉のことを低く評価する人が最近多い気がするな

96 :人間七七四年:2007/07/26(木) 00:58:13 ID:mpUg6rV6
暗殺された人物に人気者は多い 坂本竜馬 大久保利通 伊藤博文 
源義経
だって暗殺されたようなものだしね

97 :人間七七四年:2007/07/26(木) 02:06:11 ID:bR3FGQul
>>91
同意

98 :人間七七四年:2007/07/26(木) 07:03:38 ID:rhcE4HY5
秀吉>家康>>>>[超えられない天下人の壁]>>>>信長

秀吉も家康も好きじゃないのに、信長を天下人と同列にすることは
逆に信長の走りぬけた人生を否定するようで気に入らない。
桶狭間で九死に一生を得て、最期は謀反で死ぬなんて信長らしい・・
・・・と感じない信長ファンは、史実を曲解するただの妄信的な信者。

暗殺された人物は腐るほどいる。
知略に欠けた者、油断する者。
戦乱の時代では、やはりどこか甘く見積もり警戒心が欠けていた事になる
三村家親とか、暗殺されても名前すら挙がらないし。

99 :人間七七四年:2007/07/26(木) 10:23:28 ID:RNAIm8Gv
>>98
世界史板とか中国英雄板とかの連中は、
ある程度外側から客観的に見れると思うんだけど、
そこでよく指摘されるのが、その天下人の壁だね。

100 :にゃんこ:2007/07/26(木) 10:59:59 ID:2DhuyUGS
源頼朝・北条氏(あるいは平将門)以来の、武士の利権獲得のための政治の流れの
中に信長・秀吉・家康があるので、あって、決して、突然変異種ではない。
生産力向上を背景に、それに応じた政権を作らねば、政権を維持できない。
×「信長だから革命的にこうした。」
○「新興農村と新興市場の多い濃尾平野の有能な支配者は、信長のようにしなければ
  政権を維持できない。」
別に信長が夭折したって、有能な人物が濃尾平野を握って、信長のような政策を行うよ。
少なくとも経済政策と政治体制はな。



101 :人間七七四年:2007/07/26(木) 11:06:48 ID:TG1YhrOI
>>100
「誰でもやった」という予測は、証明できない話だからなぁ
「現実にやった」人間がごく少数だったから評価が他と隔絶する話
その「有能な人物」のレベルに達していたのが信長らだけだった、という仮定にもなっちゃうわけで

102 :にゃんこ:2007/07/26(木) 11:53:55 ID:2DhuyUGS
戦国時代は、東海以西の平野部の開拓時期。つまり、濃尾平野こそ、最大の新興
産業地域。
1,「信玄や氏康よりも、ずっと有能な信長が偶然、濃尾平野南部の支配者の家に生まれた。」
2,「濃尾平野南部の支配者一族の有能な人物なら、史実の信長のようにする。」

1より2の方が、ずっと数学的な確率が高いよね。信長だって、他の武将のように
大きなミスもしてきたし。




103 :人間七七四年:2007/07/26(木) 12:54:50 ID:qGnMBg+3
信長は地の利
生まれた時
生まれた家柄
が最強に恵まれている

信玄は
家柄はよいが家臣の板垣の方のが上とかで担がれ主君
家督を継いだ?時点でも甲斐の勢力は小山田のが上
信濃北部の有力支配者が支配強で強敵

104 :人間七七四年:2007/07/26(木) 12:56:05 ID:quhL5HLV
>>102
数学的、と言う割には抽象的過ぎる。
第一そうだとしても、現実にやった人間の評価とは関係あるまいに。

105 :宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c :2007/07/26(木) 13:09:46 ID:HLedr3Z4
つまり、生産力の低い飛騨を統一した、
姉小路頼綱こそ偉大である、と。
まあ他国への侵略がないが・・・

106 :にゃんこ:2007/07/26(木) 14:51:17 ID:2DhuyUGS
103が正解。

信長・秀吉・家康・武田信玄・北条氏康・毛利元就・・・・・・
政策の違いは、時代や地域や家や生産力等々の環境の差が大きい。
「有能」とは、必要な事を悟って実行できる事だ。したいことを押しつける事では
ない。




107 :人間七七四年:2007/07/26(木) 15:15:51 ID:R2wsZnUP
信長は極めて有能、ただし他を圧倒的に引き離した天才と言うほどではない、

ってことやね。

108 :人間七七四年:2007/07/26(木) 15:28:53 ID:RmLoEeno
信長が有能なのは歴史が証明している。
ただ、作家や政治に持ち上げられすぎた感があるかと。
狂信的な信長好きになると、本能寺がなければ、今の日本はもっと素晴らしい国に成っていたとか言いだすから話にならない。

109 :人間七七四年:2007/07/26(木) 15:47:34 ID:SFPncV9B
「歴史は必然であり、人物はその流れの中にいるに過ぎない」という論はあるけど
はっきりいえば他の人間でもできたっていうのは妄想以外何者でもない
だって本当にそうだったかなんて証明不可能だもん
そんなもの、何の意味もない

110 :にゃんこ:2007/07/26(木) 18:17:04 ID:2DhuyUGS
「信長しかできない。」も妄想だよ。

1,最高条件の濃尾平野に最高有能者が支配者として現れた。

2,ある程度有能な者に最高条件を与えたなら、トップに立てる。

1と2のどちらが、妄想確率が高いか? 言うまでも無い。



111 :人間七七四年:2007/07/26(木) 18:22:39 ID:txUxfTqO
信長が長生きしても本能寺で死んでも結果は同じ。
最後は徳川が天下をとる

112 :人間七七四年:2007/07/26(木) 18:22:51 ID:GuFss0Pj
            ,.,.,.,.,.,.,.,.,__
           i::::::::/'" ̄ ̄ヾi
           |:::::::| ,,,,,_  ,,,,,,| 
           |r-==( 。);( 。)   
           ( ヽ  :::__)..:: }
        ,____/ヽ  ー== ; ほほう それでそれで?
     r'"ヽ   t、   \___ !
    / 、、i    ヽ__,,/
    / ヽノ  j ,   j |ヽ 
    |⌒`'、__ / /   /r  |
    {     ̄''ー-、,,_,ヘ^ |
    ゝ-,,,_____)--、j
    /  \__       /
    |      "'ー‐‐---''



113 :人間七七四年:2007/07/26(木) 18:39:03 ID:bR3FGQul
>>111

114 :人間七七四年:2007/07/26(木) 18:45:53 ID:PwR0eaWs
家康が作った都市 東京
秀吉が作った都市 大坂

信長が作った・・ 岐阜・・

115 :人間七七四年:2007/07/26(木) 19:08:28 ID:n4fEXU0i
家督を継いだ頃の信長をどう見れば最高条件なんていえるんだ?
松平広忠や竹千代のように不利不遇だったとまでは言わないが、それでも最高なんて
形容がつくほど有利な状況からは程遠い。

116 :人間七七四年:2007/07/26(木) 19:28:34 ID:eev39L8o
信長が凄いと感じるのは、弟を一時許して柴田勝家を自陣に完全に引き入れさせて、粛正時にも裏切らせなかった点だね。
本当かどうかは知らないけど、下馬評でウツケにされてた信長を柴田勝家が嫌ってたって話まであるのにさ。
気が付いたら忠臣状態ですよ。
勝家、ツンデレにも程がある。

どんだけ信長に感じるものがあったんだろうか。

117 :人間七七四年:2007/07/26(木) 20:29:02 ID:ak3Ggr65
秀吉を貶めるわけじゃないけど、検地、刀狩、というのは信長の基本アイデアを踏襲した、という気がする。
自分の死後に一族をどうするか、豊臣政権延命のアイデアがあまりに無さすぎると思うのだよね。
もちろん、出世という意味では日本で最高の武将と認めた上でね。

118 :信長嫌い:2007/07/26(木) 21:34:43 ID:OBGg9vtB
信長は確かに突如日本史に現れた天才児に間違いない。歴史がそれを証明している。ただ周囲の常識が彼に追い付けなかった。結果として天が、歴史が彼を受け入れなかった。それが天下を獲れなかった理由だ。

119 :にゃんこ:2007/07/26(木) 22:09:24 ID:2DhuyUGS
115>

総合的な最高条件じゃなくて、質的なね。もちろん、これはこちらの説明不足だ。
ワリい。尾張は西国的な豊かさと先進性と、東国的な縦社会(権門体制の緩い)を
合わせ持っていただろう。
総合的には、家を継いだ時点では今川義元や毛利輝元とかの方が上なんだ。斉藤を倒して
濃尾平野のほとんどを手中に収めるまでは、総合的な最高条件ではないわな。


120 :にゃんこ:2007/07/26(木) 22:12:20 ID:2DhuyUGS
118>

信長の政策は、他に先駆者のいるモノがほとんどであり、「突如、現れた」なんて
のは、小説的装飾なんだ。真に受けない方が良い。有能なのは確かだがな。


121 :人間七七四年:2007/07/26(木) 22:35:46 ID:QrY3XayG
>>119 >>120

115>
118>
こういうアンカーは歴史板ではアリなの?


122 :信長嫌い:2007/07/26(木) 22:50:58 ID:OBGg9vtB
>>120 それをあの時代に大々的に実行出来た事が信長の異常な所だ。時代の常識を壊した先駆者だということ。大嫌いだがな。

123 :人間七七四年:2007/07/26(木) 23:20:22 ID:ak3Ggr65
歴史ってのは不思議なもんでそういうポイントではちゃんと時代の要請にあったような改革者があらわれるのだよね。
ただ信長は突出してた感はある。
田楽狭間でやられてたら秀吉、家康あたりはどうなっていたか。
面白いテーマではあるんだが。

124 :人間七七四年:2007/07/26(木) 23:27:29 ID:OBGg9vtB
>>123 そう。漢の高祖然り、明の太祖然り、豊太閤然り、皆時代に押し上げられた感じ。勿論突出した人間力を備えてたからだが。

125 :人間七七四年:2007/07/26(木) 23:33:01 ID:ZZPJk7JA
>>73
秀吉は人たらしと呼ばれるぐらい、
人心の把握と調整におけるコーチングの達人。
晩年のボケがなければ立派な政治家になったと思う。


信忠に全てを任せるのはムリだが、
信長が大御所的な立場で後見するのは可能では。
アスペルガー系の政治家、経営者は混乱期、成長期では最適なリーダーだが、
巨大組織の維持調整には向いていない。
(おそらく信長が天下統一したら、始皇帝のように各地で反乱がおきただろう。)

高い知能と行動力をもつが、空気が読めない、気配りができないリーダーは、
ゲイツがバルマーに、小泉純一郎が安部晋太郎に禅譲したように、
ある程度組織が成長したら次代に譲るべき。

家康が秀忠、家光を平和な時代の政治家として育てたように、
信長は信忠を巨大組織の政治家として育成すべきだった。

126 :人間七七四年:2007/07/26(木) 23:37:20 ID:QOIP5Zje
中国英雄は、誰一人として信長に及ばない
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1179742923/

127 :人間七七四年:2007/07/26(木) 23:48:07 ID:OBGg9vtB
>>126 中華の統一者と日本史の統一者ではそれこそ規模もスケールも違うだろ。信長など話にもならない。

128 :人間七七四年:2007/07/27(金) 00:00:08 ID:J254fZoE
補足すれば日本の規模なら有能な家臣の力より一人の英雄の力が過大評価される。それだけスケールが小さいと言うこと。劉邦にしても劉備にしても英雄はまったく目立たない。逆に建国の功臣達が人気、評価共に高い。国民性もあるが日本とはそおいう国だ。

129 :人間七七四年:2007/07/27(金) 00:48:09 ID:L1mYofcK
そりゃ劉邦や劉備がそういう君主だったからだろ

130 :人間七七四年:2007/07/27(金) 01:00:11 ID:fLmftWB+
曹操とか項羽とか目立ちまくってるよな

131 :人間七七四年:2007/07/27(金) 02:07:27 ID:JXg3Pgy8
信長は家康や秀吉より寡兵で戦うのうまいよ、ほとんど勝利してるし
秀吉は他の有力武家には戦わずして順応させる
みたいなやり方だったけど信長だけ徹底武力交戦してますが
家康なんて信長秀吉に引っ付いて天下貰ったみたいなもんだし

132 :人間七七四年:2007/07/27(金) 02:42:39 ID:JXg3Pgy8
戦国武将らしい武将は信長
独裁者らしい権力者は秀吉

133 :人間七七四年:2007/07/27(金) 05:20:29 ID:97FYNjJm
信長は、寡兵で戦をしなければならない状況に陥ることが多かっただけだよ
少数で大勢に挑む時点で下策なわけ。
大軍を率いて、勝ちもあれば負けもある。
取り立てて見るほど信長の戦っぷりは優秀ではない。

信長のみるべき所は、決断力というか行動力というか
戦うのも退くのも動きが速い点だ。まあこれも講談の後付だろうがね・・・

134 :人間七七四年:2007/07/27(金) 07:07:47 ID:kX0yd3F3
桶狭間以後は相手より少数で戦う戦いはなかったはずだぞ。
それに今川みたいな国力が数段上の奴が侵略して来たら少数で戦うしかないはな。
第一負けた数を殊更言うが、それは単に信長が戦った回数が異様に多いだけで(だいたい200戦くらい)、勝率で見ると信玄と大差ない。
信長が取り立てて戦いに優秀出なければ(天王寺合戦や桶狭間の戦い等はかなり優秀な部類)秀吉、家康クラスを除くほとんどの戦国大名、武将は取り立てて優秀じゃないな。

135 :人間七七四年:2007/07/27(金) 07:09:19 ID:J254fZoE
>>129>>130
そういう意味ではなく中国では無力な君主を忠臣が補佐して盛り上げるというストーリーを国民性が好む訳だ。日本は違う。一人の英雄がもてはやされる。馬鹿な奴らだ。

136 :人間七七四年:2007/07/27(金) 07:19:25 ID:kX0yd3F3
>>134
訂正、一番最後の取り立てて優秀じゃないは、優秀じゃないに訂正

137 :人間七七四年:2007/07/27(金) 08:22:06 ID:whRNx9wy
>>91
>秀吉一人居たら中世から近世への転換に信長も家康も要らない

信長の存在と絶好の時期での消滅こそが、秀吉が天下人になれた奇跡の源泉。
信長に見出されなかったら、秀吉は頭角を表す事さえできなかった。

>秀吉一人居たら中世から近世への転換に信長も家康も要らない、
 と思うくらい秀吉の戦略・政策能力は同時代でも隔絶してる

秀吉の才能は拡大・成長のみに特化して、守りと組織強化の才は欠落していた。
天正十八年までの統一戦争までは順調だったが、
天下統一が成った直後、豊臣家の軍事と家中統制・調整を一手に担っていた実弟秀長が死去してからは、失政の連続。
卑賤の生まれの悲しさか、明確な国家ビジョンもなく、
膨張した軍事力を持て余して、その捌け口を無茶な外征に求めて豊家滅亡の萌芽をつくってしまった。
配下の大名達に新たな領地を与え続けないと、離反されるかもしれない恐れを感じていたからだ。
つまり拡大成長戦略から脱却できなかった事が秀吉の限界といえる。


>>125
>信長が天下統一したら、始皇帝のように各地で反乱がおきただろう

誰が反乱起こすの?
民百姓?それは有り得んでしょう。
信長は民衆に対して、一向一揆の除き過酷な仕打ちなど一切行っていない。
という事は、織田の諸将の中の誰かが謀反を起こす選択肢しかないわけだが、
信長による全国統一が成った暁には、日本の中央部は織田家の直轄領になった筈だから、
遠方に転封されられる配下の武将達とは、国力において雲泥の差がつくことになる。
松永久秀や荒木村重の反乱の失敗の二の舞を繰り返すにすぎない。
というより、成功する見込みのない反乱など誰も起こそうとは思わんでしょう。
本能寺の変は、信長が少人数で京に誘い出されて狙い撃ちされた稀なケース。

138 :人間七七四年:2007/07/27(金) 08:23:28 ID:iadI5Hsl
>>135は馬鹿じゃない人

139 :人間七七四年:2007/07/27(金) 09:11:49 ID:S32XppzQ
信長の領内では本年貢以外の税・賦役・通行税は軽減ないし撤廃される方向性だったからな
信仰なんかで積極的に逆らう理由を持った奴らならともかく、一般民衆全体が反乱するかな?
フロイスなんかも
「信長はあらゆる賦課、関銭や通行税を廃止し、おおいなる寛大さで、すべてに自由を与えた。
この好意は民衆の支持を得て、一般の人々はますます彼に心をひかれ、彼を主君にもつことを喜んだ。」
と書き残しているし

140 :人間七七四年:2007/07/27(金) 09:31:20 ID:E3IXgTNk
同意。
信長と言えば、急速な領土拡大と講談などを元にした逸話で語られがちだ
ドラマチックな生涯が英雄視される原因であり、
それらによって真実に目を向けられにくい人物となってしまった

141 :人間七七四年:2007/07/27(金) 09:57:12 ID:JXg3Pgy8
家康なんて織田豊臣家臣時代にせこせこ領土伸ばしてただけだろ
凄い優秀な面あるの?

142 :人間七七四年:2007/07/27(金) 10:31:58 ID:2a9r5/Kg
そのセコセコぶりがある意味では凄い。
並の人間ならば、中央に関わったり、
中央の領土を欲しがったりしている。
本人の座右の銘が「身の程を知れ」なので、
身の程をよく知っていたとも言える。

こういう地味なところがウケるといえばウケるし、
信長、秀吉ファンからは地味すぎて嫌われたりもする。


143 :人間七七四年:2007/07/27(金) 10:40:45 ID:JXg3Pgy8
家康なんか天下取りって言うより天下を貰ったって感じで
魅力感じない ロマンがない
頼朝とアナル共有してればいい
義経にはなれないタイプだ

144 :人間七七四年:2007/07/27(金) 10:53:51 ID:i6OyCVzp
秀吉は応用、修正派だから機を見てはどの武将の下にいてものしあがったと思うよ。
信長が統一ビジョンみたいなの持ってたからそれにのってあそこまで行っちゃったのはすごいけど。
ほんで、家康は天下を取ったのもすごいけど、その後300年続く幕府の礎を築いた、というのがすごい。

3英傑はそれぞれが最高最大最強の特徴を遺憾なく発揮して戦国を終結させたんだな。
天とか時代とか抽象的なものではなく、まさに国家、人民の求めていたものと合一したからではあるだろうけど。

145 :人間七七四年:2007/07/27(金) 11:09:34 ID:3+EFS1xc
>>142
なるほどな。
俺は今川攻めや、天正壬午なんかでのセコさなんかが好きじゃなかったが、
好機にのみ地道に領土を増やすってのに魅力を感じる人も居るんだよな。
好機を逃さないってのは信長と似ているけど、
自ら積極的に好機を作り、少ない手勢で危険を冒して突撃する信長に対して、
決定的な好機になるまで待ってそれを逃さない家康。
どちらも魅力的だとも言えるね。

146 :人間七七四年:2007/07/27(金) 11:11:06 ID:iHK2nXdk
信長だって、基本的には応用、修正派だと思うよ。
優れた政策を選んで、より大規模に実施したわけで。
と言うか、すぐれた人物ってのは、たいがい応用、修正派じゃないかな。

>>137
秀吉は主に晩年の失政によって叩かれるわけだけど、
じゃー、他者、例えば信長だったら、もっと上手くできたかと言えば、その保証はないわけで。
信長はすごい国家ビジョンを持っていたというようなことを言う人がよくいるけど、
実際は本能寺で倒れてそれを実現する機会はなかったし、
別に書物に記して残してくれていたわけでもないのでその証拠はなく、あくまで推測でしかない。

それと信長統一後に反乱を起こすのは、潰された大名の残党じゃないかな。
秀吉の統一の時だってかなりの一揆が起きているんだし、
信長の場合は、潰される大名はもっと多いだろうから、
その分、既得権益を奪われた豪族層などが反乱を起こす可能性が高いと思う。

147 :人間七七四年:2007/07/27(金) 11:20:48 ID:i6OyCVzp
>>146
う〜ん、信長は過去の政策の真似ばかりだ、というのが前提なんだろうけど、決してそうではないと思うよ。
結果的に同じに見えても、その時代の持つ意味が違ってるから、意味内容は全然違うかもしれない。
ましてやネットの無い時代の信長が過去の政経をどこまで知ってたかもわからない。
優れた政策を選んで、というのはあまりに結果論で少し誤解にも近くなって無いかな。

ほんで信長のビジョンは彼の人生たどればかなり異質で独自なのが判断できると思う。
彼オリジナルというかそういうものがあったからこそ、あそこまで行けたわけだし。

148 :人間七七四年:2007/07/27(金) 11:34:05 ID:i6OyCVzp
ついでなんだけど、光秀が出てこないね。
彼もまた前半生は不明というぐらいで、秀吉より出自は良かったろうけどかなりの成り上がり、つまり実力派武将だと思うのだよね。

ほんで秀吉とどっちが先に信長殺してその業績横取りするか、みたいなとこまで行ってたと思う。
秀吉が高松城に信長の応援要請するけど、もし出かけてったらそこで殺されてたのじゃないかな。
だもんでその前に光秀が千載一遇のチャンスを狙った、というか。

毛利の密使が秀吉陣内で捕まってそれで変を知った、とかあの、大どんでんがえし、とかは秀吉が変をいつも考慮していた、と考えると案外謎とかでもなくなる。
もちろん推測だし、光秀と秀吉がつるんでいた、とまでは言わないけど、秀吉の用意周到さ、目端の効き、そういうのから言ってもあの下克上の時代、かなりの確率で秀吉は可能性を大幅に探っていたのじゃないかな。

149 :人間七七四年:2007/07/27(金) 11:56:26 ID:JTJDncUh
信長が呈示した天下統一の概念
信長以前にこの概念を実行に移した大名はなく、
信長だからこそ他を圧する一大勢力を
迅速に築き上げることができた

秀吉が実行した迅速なる統一
信長死後、旧織田勢力と諸大名を
8年で統一できる武将は他にいない

家康が青写真を描いた統一国家の形
先例の鎌倉室町とは大きく異なる
新たな政治体制の整備をできたのが家康の長所

もうこんなの語り尽されてしまったがな
3人それぞれ取り柄が違うんだから違った魅力がある


150 :人間七七四年:2007/07/27(金) 12:25:27 ID:J254fZoE
>>144 天とか時代がまさに国家、人民の意思って事だろ。お前馬鹿だろ?

151 :人間七七四年:2007/07/27(金) 12:28:15 ID:i6OyCVzp
>>149
今はゲームとか擬似モノから入る人が多いから、そういう基本が案外忘れ去られてる部分も多いかもね。
単語にはやったら強いのだけど解釈が出来ないというか、いかにも日本の歴史知識、という気がするのだよね。

152 :人間七七四年:2007/07/27(金) 12:36:21 ID:i6OyCVzp
>>150
天とか言うと運命論とか結果論、人間の営みとか希望とかそういう生々しい生活の実態とはかけはなれてしまうでしょう。
そうではなくて、支配階級の意思、国体の矛盾、そこから来る具体的な不合理、そういうのがいつの世にもあるわけで、それは何に由来するのか、人々は何を求めていたのか、そういうのの探求こそ歴史解釈の基本だと思うのだよね。

天の意思、神に選ばれた、なんてのは結果を知った上での小説的表現であって、その時代の実態の無視、軽視につながってしまう。そういう意味なんですよ。

153 :人間七七四年:2007/07/27(金) 13:37:35 ID:whRNx9wy
>>146
>信長はすごい国家ビジョンを持っていたというようなことを言う人がよくいるけど、
 実際は本能寺で倒れてそれを実現する機会はなかったし、
 別に書物に記して残してくれていたわけでもないのでその証拠はなく、あくまで推測でしかない

秀吉のように安易な吸収合併型の全国統一を目指さず、わざわざ手間のかかる完全制圧型の手法を徹底させ、
秀吉のように朝廷の官職体系の中に入り込み、その権威を背景にして統一事業を進めようとしなかった事で、
信長の頭の中に明確な国家ビジョンがあった事は疑うべくもない。
書物に明記されてなくても、信長の行動を考察すればある程度は推測できる。
勿論完全という事は有り得ないが、頭が空っぽでは戦争に勝利する事も、
大半の民衆に受け入れられる政策を打ち出し実行する事も、対朝廷工作を推進する事も不可能。
それも、その延長線上に信長が目指す国体があればこそだ。

>信長統一後に反乱を起こすのは、潰された大名の残党じゃないかな。
 信長の場合は、潰される大名はもっと多いだろうから、
 その分、既得権益を奪われた豪族層などが反乱を起こす可能性が高い

領土拡張の際、主家は取り潰すが配下の諸将は取り込んでいる。
でないと人材不足で、新たに加わった領国を統治できないし、軍勢の数も増殖させられないからだ。
信長在世中、新領国で時々勃発した反信長の動きは、背後で石山本願寺が扇動していたからであり、
信長の天下が確立してしまえば、不安定要因など完全に霧散している。
既得権益を奪われた勢力など、織田の強大な軍事力に比べれば屁みたいなものだし、
信長の政策によって恩恵を受けるその他大多数から見れば、取るに足らない少数派にすぎない。
政権を揺るがす脅威には成り得ない。

>秀吉の統一の時だってかなりの一揆が起きている

かなりなんて起きてない。
佐々成政の新領国の肥後で、検地に反抗する国人が起こした一揆と、
伊達政宗が陰で扇動した葛西大崎一揆くらいなもの。
こんな単発的な局地的一揆など全国的な統一政権の下では屁みたいなもの。
鎮圧できなければ、成政のように切腹させた後代わりをあてがえば済む話。

154 :人間七七四年:2007/07/27(金) 13:48:42 ID:2cEOaGy+
>ID:whRNx9wy
典型的な信長信者だな・・・
信長主役の小説ばかり読んでないでたまにはまともな本読んで勉強すれば?
脇田修の「近世封建制成立史論」とかいいぞ
信長がやった本当に革新的なこと、そうでないことがはっきりわかる

155 :人間七七四年:2007/07/27(金) 13:51:22 ID:luqojiW0
信長がやった最も革新的なことは「武力によって天下統一して自分が王になる!」だろ
まぁ天皇は別格としてな そんなことを考えて、実行したのは信長以外誰一人としていなかった
後は信長の二番煎じ三番煎じ

156 :人間七七四年:2007/07/27(金) 13:54:15 ID:i6OyCVzp
>>153
信長の目指した国体についてお聞きしたいものだね。
天皇制にまで手をつけたと思うけど。
刀狩みたいな武装解除はもちろんのこと、試験での登用制や相当な近代国家を作り上げてたと思う。

ま、夏の夜のひつまぶしなんだが。

157 :人間七七四年:2007/07/27(金) 13:58:10 ID:whRNx9wy
>>154
各論を無視して曖昧に総論を批判しても無意味。
 
>脇田修の「近世封建制成立史論」とかいいぞ
 信長がやった本当に革新的なこと、そうでないことがはっきりわかる

それのどこが>>153の反証になるのか、意味不明。





158 :人間七七四年:2007/07/27(金) 14:03:26 ID:4eaA6m3B
ま、まさか…この者は前スレの「奴」なのか…?

159 :人間七七四年:2007/07/27(金) 14:04:26 ID:whRNx9wy
>>156
>信長の目指した国体についてお聞きしたいものだね

論点は、後世の我々が信長の念頭にあった国体を解明したという事でなく、
信長自身が目指す国家構想を明確に認識していたという事。
論点がずれている。

160 :人間七七四年:2007/07/27(金) 14:08:20 ID:4eaA6m3B
いや、そりゃ国家構想は信長なりにあっただろうけどさ
それが斬新なものであったかはわかんないんじゃねーの?

161 :人間七七四年:2007/07/27(金) 14:12:11 ID:i6OyCVzp
>>159
わかるよ。
なので159さんは、その信長の念頭にあったもの、国家構想はなんだったと思うか、お詳しそうだから聞いてみたくてね。

例えばキリスト教容認したり地球儀や世界地図に興味を示した、これからも当時としては異質な思考形態持ってたことがわかるし、相当具体的な構想を持っていたことは間違いない。
結果的に家康が元に戻しちゃったかもしれないけど、かなり踏み込んだのだろうなってね。

162 :人間七七四年:2007/07/27(金) 14:15:18 ID:i6OyCVzp
>>160
秀吉が、中国制圧したら天皇をそこに送る、見たいな事言ってるでしょう。
あれは信長のウケウリだったと思うんだ。
ということは信長は・・

163 :人間七七四年:2007/07/27(金) 14:21:40 ID:2cEOaGy+
とりあえず>>137で書いてたような
「秀吉の才能は拡大・成長のみに特化して、守りと組織強化の才は欠落していた」
「卑賤の生まれの悲しさか、明確な国家ビジョンもなく」
なんて低俗な秀吉評が完全な間違いであることはわかるよ
秀吉が信長の後継者の地位を確立して文禄の役の最中に亡くなるまで10年ちょっとの間でしかないが、
秀吉はその短い期間に日本の武力統一と大陸への出兵といった軍事行動と並行して、
兵農分離(太閤検地と刀狩)の完遂、流通革命(京の関所撤廃、楽市楽座を更に一歩進めた「破座」)、
戸口調査による農村人口の把握(人掃令と御前張の徴収)、海外貿易の振興(海の平和令と朱印船貿易)、
貫高制から石高制への移行&統一、司法権の確立(惣無事令、村の平和令)
日本全国の金山銀山の開発と貨幣の鋳造(天正大判)、
朝廷の官位を家臣統制に用いる(武家関白制)というシステムを構築したわけ
徳川幕府は最後の武家関白制のみは受け継がなかったが、
その基本方針はほぼ全部豊臣政権からの模倣、もしくは改良に過ぎない
これだけ短期間に高度に洗練されたシステムを構築した秀吉に国家ビジョンが無いというなら、
信長はよほど素晴らしい国体思想を持ってたんですな
信長を頂点とした絶対王政を布くつもりだったとか主張するんじゃないだろうねw


164 :人間七七四年:2007/07/27(金) 14:43:49 ID:NsSMl/OR
>>163
それはさすがにちょっと褒めすぎな部分もあるだろうけど、
>>95が言うように、ことさら秀吉を貶めようとする人が多いね、特にこの板は。
単純に全国統一の一点だけ取り上げても、他の何ものよりも優る偉業だと思う。
個人的に秀吉はあまり好きじゃないけど、この板にいると擁護したくなるよ。





165 :人間七七四年:2007/07/27(金) 14:46:24 ID:2cEOaGy+
いやいや、誉めすぎじゃなくて実際に秀吉が成し遂げた政策が>>163だから
(上に禁教令を追加、ついでに文禄の役→慶長の役の間違いね)
何かよくわかんないけど信長の頭の中には凄い構想が詰まってたに違いないよ、なんつうのとは違う

166 :人間七七四年:2007/07/27(金) 14:50:19 ID:i6OyCVzp
>>163
反論じゃないけど、秀吉のそういう構築システムは経済改革って面が大きいよね。
いかにも彼らしいアイデアと実行力に満ちていて素晴らしいとは思うのだけど、それは国内を治めていくシステムであって、国家自体をどのように考えていたか、という点では案外保守的で、まさに修正派の域を出ないと思うのだよね。

その点信長はまさに絶対王政、ちゅうかさらにその上、日本の歴史をそこで分断させてしまうようなことまで踏み込んでたのじゃないかな。

167 :人間七七四年:2007/07/27(金) 14:53:58 ID:4eaA6m3B
ううむ。その根拠がどうも具体性に欠け、推測の域を出ないのが残念に思う。

168 :人間七七四年:2007/07/27(金) 14:55:56 ID:i6OyCVzp
>>167
どれへのレス?162と166なら答えるけど。

169 :人間七七四年:2007/07/27(金) 14:56:40 ID:NsSMl/OR
>>166
>その点信長はまさに絶対王政、ちゅうかさらにその上、
>日本の歴史をそこで分断させてしまうようなことまで踏み込んでたのじゃないかな。

うーん
信長が政権公約でも作って、それについて詳細に書き残しておいてくれればねえw

170 :人間七七四年:2007/07/27(金) 15:04:32 ID:i6OyCVzp
それと、前政権の模倣、みたいな言い方をみんなしてるけど、今の我々だから結果的にその政策が優秀なのを知ってるだけであって、秀吉の政策を家康が模倣した、ということはその優秀さをその時点で家康が見抜き、認め、たわけでしょう。
じゃなくて、な〜んも考えずに継続させただけ、とは言わないよね。
だから電話も何も無い時代にその政策が優れていたことを見抜いたこと自体もすごいし、簡単に、模倣、という言葉は使うべきじゃないと思うのだよね。

信長に対しても同じで、過去にあった改革を真似した、ということ自体のすごさをまず評論しないとそこから先には進まないと思うな。

171 :人間七七四年:2007/07/27(金) 15:07:46 ID:+4N8G0Y+
20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/25(月) 22:44:31 ID:XKpKLUL30
創作の英雄でもいいと思うよ。
創作されたものだからこそ、史実より面白く、歴史上も人気を集めてきたんだから。
三国志にしたって、演義がなければあんなに人気がでるはずもないんだし。

だから別に神格化された天才信長もあっていいんだよ。
ただ、同時に無敵の武田信玄の騎馬軍団や、不敗の聖将上杉謙信も受け入れる、
度量が欲しいねえ。


172 :人間七七四年:2007/07/27(金) 15:20:33 ID:2cEOaGy+
家康の凄みはそこだね>前政権の優秀な面はそのまま引継ぎ、失敗した部分は切り捨てる
東国に朝廷の影響力を極力排除した武家政権を創る、ってのは頼朝の模倣といえるかもしれないが、
禁中並公家諸法度みたいな右翼から見たら噴飯モノの法律を作って朝廷統制は万全、
前政権が外征に失敗したのを見て国内振興に力を入れて好景気を維持、
国内統治では概ね豊臣政権の路線を引き継ぎながらそれを発展展開
(慶長金銀の鋳造、切支丹弾圧の強化、朱印船貿易の更なる振興)、
メリットよりデメリットの大きかった武家関白制こそ引き継がなかったものの、
「武家官位」なんてものを創設してちゃっかりおいしいとこ取りしてる
改革者としては他に優れた人物は居ただろうが、調整・維持・発展をやらせれば日本史上家康に匹敵する政治家は居ないと思う
「秀吉は信長の猿真似、家康はさらにそのパクリ」なんて安易な史観では見えてこない

173 :人間七七四年:2007/07/27(金) 15:33:30 ID:whRNx9wy
>>163
>高度に洗練されたシステムを構築した秀吉

では何故秀吉死後、家康のやりたい放題の無法がまかり通り、
文治派と武断派が修復不可能なまで敵対して、豊臣家中は真っ二つに分裂し、
そこを家康に付け込まれ内乱が勃発したのでしょうか。
豊臣政権は秀吉一人の権威と実力のみに支えられ、組織的統治システムは全く機能していなかったからでしょう。

>兵農分離(太閤検地と刀狩)の完遂、流通革命(京の関所撤廃、楽市楽座を更に一歩進めた「破座」)、
 戸口調査による農村人口の把握(人掃令と御前張の徴収)、海外貿易の振興(海の平和令と朱印船貿易)、
 貫高制から石高制への移行&統一、司法権の確立(惣無事令、村の平和令)
 日本全国の金山銀山の開発と貨幣の鋳造(天正大判)、
 朝廷の官位を家臣統制に用いる(武家関白制)というシステムを構築

これらは統治側による非統治側への支配強化には寄与したが、それも秀吉の存命中という期間限定。
豊臣政権の組織力強化やその永続性に繋がっていない。
政権に求心力を付ける為大大名を乱立させた結果、豊臣家の身代は諸大名と比べても相対的に大きくなく、
特に徳川だけを別格に巨大にしたのが致命的。
加えて後継者は幼児ただ一人という基盤の脆弱さが、秀吉死後一気に顕在化してしまった。
秀吉は全国統一後、諸大名との相対的な優位性向上には全く手を付けず、
実現不可能な外征にのめり込み、政権を弱体化させただけ。

174 :人間七七四年:2007/07/27(金) 15:34:04 ID:2a9r5/Kg
改革したり、真似したり、取捨選択したり、
そんな英雄が3人、狙ったように、
順番どおりに出現しては消えた。
すごいことだよ

175 :人間七七四年:2007/07/27(金) 15:46:49 ID:2cEOaGy+
>>173
自分で大体答え述べてると思うけど敢えて回答が必要か?
秀吉死後の豊臣政権があれほどまでにあっけなく崩れ去った原因の最大の理由は
「後継者は幼児ただ一人という基盤の脆弱さ」これに尽きる
家康の簒奪に好都合だったことは、
跡継ぎである秀頼が幼かったため秀吉に秀頼が成人するまでの政権執行内閣を構築する必要が有り、
その内閣の首相(所謂五大老筆頭)に選ばれたということ
家康が五大老筆頭でなくただの関八州の太守(200万石の大大名にただの、つうのも変な言い方だが)なら
例え豊臣政権に反乱起こしても後北条氏みたいによってたかって潰されるのが落ち
もし秀吉に成人した正当な嫡男(勿論ある程度優秀であることが条件だが)が居れば
唐入りの失敗で政権ががたついてても多少は延命しただろう
まあ江戸幕府みたいな強固な政治体制で何百年も続くということは有り得なかったろうけどね
豊臣政権自体は以上のような理由で速攻で家康に簒奪される結果に終わるが、
その国内統治政策の先進性・完成度の高さは次の支配者である幕府がほぼそのまま継承したという事実から明らかだと思うが

176 :人間七七四年:2007/07/27(金) 15:56:11 ID:whRNx9wy
>>175
>豊臣政権に反乱起こしても後北条氏みたいによってたかって潰されるのが落ち

偽善者の家康は、自らが賊軍となる愚行は犯しません。

>江戸幕府みたいな強固な政治体制で何百年も続くということは有り得なかったろうけどね

それは天下統一後諸大名の粛清を断行したから。
愚劣な外征に没頭しただけで死んでいった秀吉との違いは、まさにそこ。

177 :人間七七四年:2007/07/27(金) 16:05:53 ID:2cEOaGy+
天下統一後の諸大名の改易・減封を秀吉がやらなかったとでも?
ちょっと思いつくだけで木村・大友・宇都宮の改易、丹羽・蒲生・小早川の減封と
諸大名の力を削ることにかなり意を注いだことはわかる
つうか天下統一してから政権を安定させるのは基本的には二代目以降の仕事でしょ
家康だって大坂の陣で豊臣家を葬って一年経たないうちに亡くなるわけだが、
その時点で幕府の直轄領は200万石ちょっとと全盛期豊臣家の直轄領(所謂太閤蔵入地)と大して変わらない
そこから潜在的敵国である有力外様大名&獅子身中の虫である不平分子の親藩大名(忠輝・忠直・忠長)を
バンバン改易して四代将軍家綱の代に天領400万石に持っていったのは秀忠・家光の頑張りが有ってこそなんだが

178 :人間七七四年:2007/07/27(金) 16:19:13 ID:U3/H4JKg
秀吉信者が知恵遅れなのはここで「どういう理由でどういう結果を出した」のと
「どういう行為」を混同している。

例示では「武家関白制等というほぼ秀吉生前から無視されている劣悪な結果」を
「武家関白をしたので家康に引き継がれている」という行為のみをとりあげ
「結果」や「引き継がれた理由」を書いておらず捏造している

つまり知恵遅れにもわかりやすく書くと「やっている」と「どれだけやった」はぜんぜん違う上に

そして「都合の良い一部だけを抜き出すことによるミスリード」を行うことにより
「心情」と「結果」をまったく混同している。

つまり「秀吉が好きで秀吉に好意的な事情のみをとりあえげることで秀吉を正当化し結果を無視してるといわざる終えない」

これは頭が悪い宗教的観点からの知恵遅れのみがするレスであるために宗教者以外は無視するのが正しい。

179 :人間七七四年:2007/07/27(金) 16:21:35 ID:whRNx9wy
>>177
>天下統一後の諸大名の改易・減封を秀吉がやらなかったとでも?
 ちょっと思いつくだけで木村・大友・宇都宮の改易、丹羽・蒲生・小早川の減封

こんな中量級・軽量級の大名の所領を多少いじってみたところで、意味はなし。
それは歴史が証明している。

>家康だって大坂の陣で豊臣家を葬って一年経たないうちに亡くなるわけだが、
 その時点で幕府の直轄領は200万石ちょっとと全盛期豊臣家の直轄領(所謂太閤蔵入地)と大して変わらない

秀吉の晩年、徳川の所領は250万石はあった。
関が原の役で勝利して、一気に400万石超まで増えている。
御三家の所領を除外してるって事?





180 :人間七七四年:2007/07/27(金) 16:28:52 ID:4eaA6m3B
>>178
横からだけどさ、秀吉の業績をあげている人は
武家関白制が家康に引き継がれたなんて書いてないよ。
むしろ武家関白制以外が家康に引き継がれた、と書いてるじゃないか。


181 :人間七七四年:2007/07/27(金) 16:29:48 ID:fLmftWB+
知恵遅れがどうこうなんて言う人間の相手するだけ無駄かと

182 :人間七七四年:2007/07/27(金) 17:47:09 ID:A1jx62Y1
>>179
おいおい、豊臣政権における徳川250万石ってのは
井伊・本多・榊原・大久保みたいな徳川家家臣(豊臣からみたら陪臣)を含めた所領でしょ
徳川本家の直轄領はそのうちの半分足らずで100万石程度しか無かったわけ
ちなみに徳川250万石というのも注意が必要で、この250万という数字は慶長検地における
関東周辺の総石高おおよそ300万石から佐竹氏の領した50万石を機械的に引いただけに過ぎないので、
実際の徳川家の所領は200万石程度しかなかったとも言われている
(関東には佐竹以外に蒲生や多賀谷、里見などの非徳川大名が点在する)
まあそれでも豊臣政権内において徳川が破格の扱いだったのは間違い無いけどね
これは家康という男が戦国生き残りの当代屈指の名将であり、
なおかつ旭姫を通じて秀吉の義弟(更に言えば浅井三姉妹を通して縁戚でもある)だということ、
更に家康個人の人格が温厚篤実な「律義者」と高く評価されていたからだろう
秀吉にしたって家康を完全に信じ込んだわけではなかろうが、
幼い跡継ぎである秀頼の補佐役として家康を信頼するしか道が無かったということ
そんな家康の所領を碌に過失も無いのに秀吉が削れるわけがない(削るメリットもない)
後世の我々は家康の本性を知ってるから秀吉の決断を「甘っちょろいボケ老人」などとなじることができるが、
それは当時の秀吉が置かれた境遇に対する理解が足りないとしか言い様が無い

183 :人間七七四年:2007/07/27(金) 19:00:02 ID:whRNx9wy
>>182
>豊臣政権における徳川250万石ってのは
 井伊・本多・榊原・大久保みたいな徳川家家臣(豊臣からみたら陪臣)を含めた所領でしょ
 徳川本家の直轄領はそのうちの半分足らずで100万石程度しか無かったわけ

徳川の所領を、家康と家臣団とに分けて考えても何の意味もない。
要は、石高に比例して家康が動かせる軍勢の数だけが問題なのである。

>関東周辺の総石高おおよそ300万石から佐竹氏の領した50万石を機械的に引いただけに過ぎないので、
 実際の徳川家の所領は200万石程度しかなかったとも言われている

何故300-50=200万石になるのか理解不能。
200万石とは、いつの頃の石高の事なのか?
家康は関東へ転封後、腰を据えて国力増強に精力を傾注している。
秀吉の晩年、徳川の国力が200万石しかなかったなど有り得ない。
旧後北条氏領の石高を算出するのに、いちいち佐竹の石高を計算に入れる必要もない。

>家康の所領を碌に過失も無いのに秀吉が削れるわけがない(削るメリットもない)

そもそも後北条氏の旧領をそっくり与える事自体、秀吉のやり過ぎといえる。
肥後に移した佐々成政のように、関東への移封後一揆が起きて、それを口実に取り潰そうとしたらしいが、見事に当てが外れたわけだ。
秀吉死後、徳川の突出した国力が傲慢で独善的な振る舞いを許した事を考えると、
削るメリットもない、というのは理解不能。

>幼い跡継ぎである秀頼の補佐役として家康を信頼するしか道が無かった

だったら関白秀次と融和するよう努力しておけばよかっただけの話。
隘路に陥ったのは秀吉自身の不徳。

>後世の我々は家康の本性を知ってるから秀吉の決断を「甘っちょろいボケ老人」などとなじることができる

後世どころか、三成は秀吉が病の床についた時から家康の野心を看過していた。
無意味な誓詞を何枚も取り交わして悦に入ってる秀吉は「甘っちょろいボケ老人」以外の何者でもない。

184 :人間七七四年:2007/07/27(金) 19:12:51 ID:8Q9a7AJN
だったら豊臣家は秀吉の号令で日本中の大名が動くんだから豊臣領は1800万石か?
秀吉や家康みたいなカリスマが居なくなった後政権の安定度の指標となるのは直轄領の石高だろ
徳川末期の石高が200万石しかなかったなんて有り得ないって何逝ってるんだ
慶長三年(1598年)の太閤検地で明らかになった各国の石高表で
徳川家の総石高の表高を計算した場合それくらいになるんだが
馬鹿言ってないで少しは勉強しろ

185 :人間七七四年:2007/07/27(金) 19:13:20 ID:L/CNb3qA
フィギュアスケート】飲酒運転で検挙された織田信成、涙を流し謝罪「自分が情けない」[07/27]
1 :杏仁φ ★:2007/07/27(金) 18:35:01 ID:???0 ?2BP(561)
・フィギュアの織田信成、涙流し謝罪 「自分が情けない」 (SANSP.COM)

 道交法違反(酒気帯び運転)の疑いで摘発された男子フィギュアスケートの
織田信成選手(20)が27日、関西大千里山キャンパスで記者会見。
「酒気帯び運転と分かっていたのに乗ってしまった自分が情けない」と涙を流しながら謝罪した。

 当分は自宅謹慎し、10月下旬からのグランプリシリーズへの出場は、
日本スケート連盟の判断に従うという。

 会見で織田選手は芝井敬司副学長、酒席に同席したアイススケート部顧問の
奥和義学生センター所長に続いて謝罪。

 「応援してくださっているたくさんの人の…」と切り出したが、
涙を抑えきれずに言葉に詰まり、「…申し訳ございません」と頭を下げた。
さらに「安易な気持ちで乗ってしまった」「自分を戒めたい」と
泣きながら反省の言葉を繰り返した。

 芝井副学長は「(その場にいた教職員に)十分な配慮があったとは言えない面もあった」、
奥所長は「織田選手がミニバイクで帰宅することは全く知らなかった。
目配りも必要だったのではないかと深く反省している」と話した。

http://www.sanspo.com/sokuho/070727/sokuho051.html
画像:飲酒運転で検挙された織田信成は会見で、目頭をおさえる
http://www.nikkansports.com/sports/f-sp-070727-8801-ns.jpg
http://www.sanspo.com/sokuho/070727/image/sokuho051_1.jpg

※関連スレ
【フィギュアスケート】織田信成、酒気帯び運転で検挙される 「学校の応援会で飲んでいた」★3
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1185500107/
【フィギュアスケート】織田選手の処分検討へ 日本スケート連盟
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1185506741/


186 :人間七七四年:2007/07/27(金) 19:57:35 ID:whRNx9wy
>>184
>豊臣家は秀吉の号令で日本中の大名が動くんだから豊臣領は1800万石か?

封建制の基本を分からないのだろうか。
主従の間で、領土を保障してもらう代償として軍役を提供するのが、封建制だ。
秀吉在世時の豊臣家は、日本全土の大名を動員する事ができた。
だからといって、日本全土が豊臣家の所領ではない。
豊臣家中だけで日本全土を統治するのは不可能だ。
だから諸大名に分割統治させる。
だが諸大名の生殺与奪の権限は有していた。
徳川の場合も同様。
徳川傘下の諸将は、家康から扶持を戴いている。
よって家康のために労をとるのだ。
広大な関東平野を家臣達に分割統治させずに、効率良く治める事ができる筈もない。
豊臣家の直領と配下の大名が統治する所領を混同する思考回路が理解できない。

>徳川末期の石高が200万石

はあ?徳川末期って幕末の事?意味不明。
秀吉の晩年、徳川の国力が200万石しかなかったなど有り得ない、との主張のどこが問題なのか、理解不能。

>慶長三年(1598年)の太閤検地で明らかになった各国の石高表で
 徳川家の総石高の表高を計算した場合それくらいになるんだが

ならない。
後北条氏の旧領は、およそ240万石あった。
家康が本拠を小田原から未開の地の江戸に移転させたので、開墾に多大な努力を有したが、
秀吉の晩年にはかなり開発が進んでいたので、200万石まで落ち込んでいるなど有り得ない。



187 :人間七七四年:2007/07/27(金) 19:58:53 ID:U3/H4JKg
豊臣信者は馬鹿しかいない

>だったら豊臣家は秀吉の号令で日本中の大名が動くんだから豊臣領は1800万石か?
豊臣家や徳川家が「直轄領」だけで200万石はありえない。
細かい8万いる旗本や武家を入れていくとも直轄領はなくなってしまうだろう。
だから「家臣」は抜かすべきなんだよな。
「外様」や「他家」は会社で例えるなら「子会社」であり家臣は「部下」である。
なので家臣は入れるべき存在である。
家臣は入れないなんてトンでもな換算方を入れるならば大名家に土地は無くなる。
まさか入れたんですか?
旗本や山ほどいる武家が所有している土地を直轄領から差し引く行為を。
してないなら基準があいまいすぎますね。

>秀吉や家康みたいなカリスマが居なくなった後政権の安定度の指標となるのは直轄領の石高だろ
直轄領ではなく政治体制であり天皇制は続いていることからもそれは違うとしか言いようが無い。

>徳川末期の石高が200万石しかなかったなんて有り得ないって何逝ってるんだ
あと徳川直轄領が関東しかないというのは馬鹿発想である。
なぜなら徳川天領は「関東だけじゃない」からだ。

>慶長三年(1598年)の太閤検地で明らかになった各国の石高表で
太閤検地なんてめちゃくちゃな数値しか出てこないような
馬鹿な表を使うなら慶長検地を使うべきである。

188 :人間七七四年:2007/07/27(金) 20:16:24 ID:+1RxNnZ5
>>133
講談でなく、少数で多数を破った戦が一度でない信長が「優秀ではない」か。
もう一つ付け加えると、秀吉に関しては信長配下時点での戦績を調べてから言いましょう。

はっきりいって、あなたが無知であることを晒す以外の読み取る情報がないレスですな。

189 :人間七七四年:2007/07/27(金) 20:35:39 ID:4eaA6m3B
>>133には秀吉の事は特に書いてないように思うんだが。
講談云々じゃなくて、>>133の人は少数で大軍に当たるのが下策だといっとる
よ。そんで信長がそうしたのはそうせざるを得なかったからだと書いてるぞ。
もうちょい相手の文章見たらどうかな。

190 :人間七七四年:2007/07/27(金) 20:38:37 ID:ABs//H3d
何だか色々騒いでるが家康晩年時の徳川家の直轄領が200万石ちょっとだったというのは事実だぞ
ttp://www.e-obs.com/heo/heodata/n507.htm

191 :人間七七四年:2007/07/27(金) 20:52:18 ID:MCv5HRB+
なんか話がずれてるな。
直轄領とか家臣の分も入れるとか、そういうのは些細な問題だからさ、180ぐらいまで話戻したほうがいいような。

秀吉の晩年のボケはしゃあないとして、それまでに豊臣家の存続を確固たるものとして構築できなかったのは事実。
ただ、信長の後うまく統一したのだからその功績と実力は認めるべきじゃないのかな。

ほんで、その後の家康がちとバケモノすぎるだけで。秀忠、家光に助けられた一面もあるだろうけど。
ちなみに、秀忠、家光、ってさ、一字抜くと、光秀になるんだよね。
歴史っておもろいな〜。

192 :人間七七四年:2007/07/27(金) 21:22:08 ID:4eaA6m3B
>>191
おぬし、さては時空警察を見たな!

193 :人間七七四年:2007/07/27(金) 21:30:46 ID:MCv5HRB+
>>192
悪いけど、ずっと前からね。
天海僧正の位牌の上下に、光、と秀がある、というのもあったな。

194 :人間七七四年:2007/07/27(金) 21:44:56 ID:/6O+6+o1
>>185
何やってんだよ!
信成にはじっくり反省してもらいたい。
自分の置かれた立場をまるでわかってない。
先祖の面汚しだ。
信長の子孫って・・なんでこうも・・



195 :人間七七四年:2007/07/27(金) 21:56:09 ID:MCv5HRB+
子孫といえば、このスレにも出てきてる織田家家臣のさる武将直系の子孫とバイトしたことがある。
名前出せないのだけど、年に何度も家系図見に大学教授が来てる、とか、すげぇお屋敷、とか、傍系じゃなく直系とか言ってた。
当時は親が第十0代だったからたぶんそいつが跡ついでるのじゃないかな。

お互い就職に苦労してて仲良かったんだ。

196 :人間七七四年:2007/07/27(金) 23:43:02 ID:NlLJUAuc
>>179
秀吉は家康の旧領への転封を嫌がった織田信雄潰してるな。
尾張・伊勢・美濃の一部で100万石有ったらしい。
家康を潰さなかったのは単純に家康に隙がなかったからだろう。

197 :人間七七四年:2007/07/27(金) 23:43:54 ID:fLmftWB+
戦国一の律儀者だからな

198 :人間七七四年:2007/07/27(金) 23:49:11 ID:MCv5HRB+
言い過ぎかもしれんが、秀吉が最後まで家康を信用してたのも、信長の影響がないかな。
あいつは信用できる、みたいな事を聞いてたかもしれない。
もちろんそれを判断したのは秀吉の自己責任だが、歴史的にみると信長、秀吉の慧眼をあらわす傍証にもなってないかな。

199 :人間七七四年:2007/07/27(金) 23:59:35 ID:NlLJUAuc
信長が家康をどう評価してたかは知らんが、世人が家康を律義者だと評するようになったのは
家康が信長の言うこと聞いて東奔西走してたのを見てたからだろうね。
そういう意味では信長の影響かもしれん。

200 :人間七七四年:2007/07/28(土) 00:45:35 ID:ZlyioXUr
信長、家康が幼少の頃あったことがあるかないかも、面白いとこだとね。
小説なんかでは絶好のテーマだろうな。

201 :人間七七四年:2007/07/28(土) 01:20:05 ID:6ORWIUQK
創作ではたいがい会っていて義兄弟みたいになってるなw


202 :人間七七四年:2007/07/28(土) 01:26:46 ID:BE7QlhTf
まあ会ったことは普通にあるんじゃないか
10年も経てば精神的に疎遠になる気もするが

203 :人間七七四年:2007/07/28(土) 06:01:36 ID:JhlVcuIa
信成をみていると、信長がいかに過大だったかがわかる

・・・特に顔。

204 :項龍 ◆Sw15bzOP8. :2007/07/28(土) 08:28:04 ID:O5Cd1TZ1
>>203
宣教師が書いたといわれる絵
http://image.blog.livedoor.jp/dqnplus/imgs/1/c/1c0d313e.jpg

205 :人間七七四年:2007/07/28(土) 08:54:23 ID:i8Ou6yWC
本人の好みは意外と地味だったようだな
酒は殆どのまず、甘い菓子は喜んだとか

206 :人間七七四年:2007/07/28(土) 09:39:24 ID:6ORWIUQK
三傑で酒好きって誰かいるか?
秀吉も家康も、酒はそれほど飲まないという印象あるな。
秀吉は確か寿司が好き(今の寿司じゃなくて、鮒寿司みたいなの)、
家康は……味噌だっけ?

207 :人間七七四年:2007/07/28(土) 16:23:58 ID:57B5WK0Z
家康はテンプラにあたった、なんて説もあったな。
ちなみに日本で最初にラーメン食べたのは黄門さま。

208 :のむなりー:2007/07/28(土) 16:27:08 ID:kmfezp+C
織田信長って相当なブサイクマンだった事が子孫によって証明されてしまったなー!お気の毒です。

209 :人間七七四年:2007/07/28(土) 18:50:35 ID:6ORWIUQK
今と当時じゃ美醜の感覚違うからなぁ。
というか400年以上離れた血縁関係って、
もうほぼ他人だよな。

210 :人間七七四年:2007/07/28(土) 19:21:43 ID:BE7QlhTf
血筋的には信雄の子孫だからなぁ

211 :人間七七四年:2007/07/28(土) 23:37:45 ID:RTI32UFy
中国人の知り合いが言うには「家臣に殺されるのも実力のうち。全国統一の
途中で死んだら群雄でしかない。中国人の価値観では、全国を平定し
その後の治世を安定させてこそ英雄。徳川家康が一番偉大に決まっている」
らしい


212 :人間七七四年:2007/07/28(土) 23:41:47 ID:SWD/yM0y
まー、傍から見れば信長は実際には天下人になれていないからね。

>>211
中国人の念頭にあるのは、李世民とか朱元璋とかだろう。
あるいは趙匡胤。

中国で信長に相当するような柴栄は、そんなに人気ないしね。

213 :人間七七四年:2007/07/29(日) 00:22:38 ID:SBmA3qZe
群雄割拠の時代ってのが日本にはあの時代にしか無いから目立つんでね

214 :人間七七四年:2007/07/29(日) 00:39:47 ID:SFlZm/fC
中国人の日本の歴史上人物人気アンケートでは秀吉や信玄が上位で家康の名前は見えなかったが・・・
そいつの好みってだけじゃね

215 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 00:43:12 ID:WywGp+Fa
おいおい、中国史はやめようぜ。

あの1600ぐらいの信長は確かにすごいぞ。
並行して世界史の話はまたちがうでしょう。

こんな小さい島国の祖が1600にあるなら、それはまた今の君たちが誇るべき。

やってほしいのだけどね。

216 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 01:46:58 ID:UCf4t2aY
たまに、中国史と日本史を比べて日本の武将を卑下したがる馬鹿がいるけど、
環境も歴史も全く違った物を比べる事自体が間抜け。

217 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 02:01:42 ID:WywGp+Fa
うん、話戻してあの1600前の信長はバケモノと思うがな。
あの時点でよくあそこまで発想できたもんだ。
そりゃ、反動も歴史のうちだけどね。

かの3英傑はすごいと思うぞ。

スレチで悪いが竜馬、隆盛、海舟よりもびっくらと思う。
とりあえずみんな、畳の上では死ねなかったのだよね。

細かいとこ、つっこむなよ。

218 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 02:42:54 ID:QQh+CuOh
            ,.,.,.,.,.,.,.,.,__
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           |:::::::| ,,,,,_  ,,,,,,| 
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        ,____/ヽ  ー== ; ほほう それでそれで?
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    ゝ-,,,_____)--、j
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    |      "'ー‐‐---''


219 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 06:05:11 ID:Bxv1iJ7E
信長を退け者にして「秀吉家康さえいれば天下は取れた」みたいな事を言う馬鹿がいるが
が秀吉や家康が天下取れたのも全て信長さんのおかげなんです、
信長がいなければ武田や浅井や朝倉はどうやって倒すのですかぁ?
勝頼や浅井長政は決して弱い武将ではないんだけど、
何故信長がいなくていいの?わけわからん馬鹿馬鹿しい言い分だね

220 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 06:16:14 ID:2Va007lC
そりゃ先駆者としての信長は大事だよ。
つーか、信長なんていなくていいとか極端なこと言ってる人はそんなにいないだろう。

ただ、信長死後に秀吉が覇業を受け継ぐことなく、
織田家が分裂したまま乱世に逆戻りなんかしていた場合、
信長自体が三好長慶のような扱いを受けていたかも知れない。

要は、三人の天下人はみんなそれぞれにすごかったってこと。

221 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 09:24:31 ID:cQI4TOmL
秀吉・家康がいたから、信長は潰されずに済んだのだがw
徳川家がいなけりゃ、信長はここまで勢力を保てなかった。

まあ秀吉が天下を取ってくれて信長は感謝だな。
秀吉も家康も、明智を大逆人にすることで正当性を主張した。
明智が勝っていれば信長は講談ですら美化されず、あるがままの評価を受けただろうw

222 :◆nzdGjBH722 :2007/07/29(日) 10:11:03 ID:PTJZ/XTg
>>221
徳川家がいなけりゃ、信長はここまで勢力を保てなかった。

江戸時代の徳川家史観に拠った講談でしか戦国時代を語らん奴は逝っtry


223 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 10:59:39 ID:xTGHeNtB
まあ、東の防波堤として頑張ってくれたのは事実だよな。徳川。

224 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 11:27:09 ID:cUsgyw1k
その利点は大きい。信秀の頃から桶狭間に至るまで、織田家にとって東方は死活問題

225 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 12:01:36 ID:Lmcin5GX
織田が徳川と同盟できなかったとしたら、
信長はどうしていたかな。武田と仲良くして、
今川を牽制するくらいはしただろう。
史実でも武田は今川攻めてるし。
ただ、桶狭間後くらいの武田は上杉とやりあってるからなー

226 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 12:31:14 ID:3JbQBD4k
今川っていっても当主氏真だぞ・・

227 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 12:50:43 ID:PghbdNP/
家康居なかったら今川は大した脅威でないとしても、
武田に今川旧領の三遠駿全部を取り込まれたら困っただろうな
絶対必要だったかといわれたら答えに困るが、徳川が織田の天下獲りに大きく貢献したのは間違いない

228 :人間七七四年:2007/07/29(日) 15:30:10 ID:RzBHlFR6
家康がダメでも酒井あたりが従属に名乗りでるだろ。


229 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 15:50:44 ID:1Xe2Xwwt
家康いなくても、氏真は脅威ではないし、武田だったら、駿河をとるのは晩年のこと

家康がいなくても、上杉や、今川の同盟者である北条がいるかぎり、
簡単には駿河に手出しできない(実際、桶狭間から駿河攻略までめちゃくちゃ期間あいてる)。

三遠まで取り込もうとすると、尾張美濃に進出するのはほんとぎりぎりだし、
そもそも武田の主力は農民兵で、供出を豪族に頼ってたから、

一度に畿内制圧できるような長期戦争を遂行できない運命にあった
せいぜい、尾張と美濃で局地戦がおこなわれるくらいで終わった可能性が強い。

経済文化の枢要部を押さえていて、かつ中央集権的組織をもっていた
織田にとっては、難敵ではあれ、致命的な敗北をこうむることはないと思われる。


230 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 15:53:09 ID:GeLVFg+q
>>219
信長は必要には同意だけど
浅井が弱い武将ではないってのには疑問だな
江戸時代に、徳川幕府によって歴史が改ざんされたのは有名な事実だが、
実は一番改ざんされてるのは、家康や信玄よりも長政なんだよな。
2台将軍秀忠に長政の娘於江が嫁いでることから、
徳川家には浅井の血が少なからず入ってるわけ、
でも史実では戦闘中に家臣武功一番の磯野に裏切られるとか
ダメダメっぷりを発揮してるし、
朝倉滅亡のきっかけを作った刀根坂の敗戦も浅井家の裏切りによる敗戦だったり
ダメダメ武将だぞw
姉川での織田の陣を10何段も破ったとかも偽造だよ。

231 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 16:11:02 ID:bzAGl+ed
>>230
基本的に同意なんですが、ただ一点。
>刀根坂の敗戦も浅井家の裏切りによる敗戦だったり
初耳です。詳しく教えてください。

232 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 16:15:27 ID:rg9tcj2U
>>231
うぜーな 教えて君は
ほんとどっかいってほしい

おまえ社会のごみためだろ

233 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 16:16:11 ID:rg9tcj2U
>>230
妄想乙。そろそろおひきとりください。

234 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 16:29:34 ID:xTGHeNtB
>>229
農民兵って…。長期戦出来ないって…。

235 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 16:39:31 ID:xMZahJbp
>>234
だれかこのバカに説明してやって

俺じゃそこまで忍耐力ないわ
社会のゴミためのような奴の質問ほんとウザイ

236 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 16:44:34 ID:GeLVFg+q
>>231
一般的には刀根坂合戦の際、朝倉家臣前波ら部将達の内応が続々と発覚したのでたまらず陣を退いたところ追撃された、という風にされているが、
実際には刀根坂は合戦ではなくて織田軍の追撃戦、朝倉軍の撤退戦 になっていた。
(すでに刀根坂では負けが決定していた)
でなぜ追撃戦になったかというと
それも暴風雨の中、信長の奇襲が成功しで朝倉軍の砦を落としたとされているが、
事実は大獄・丁野両砦を浅井家家臣浅見・阿閉・月ケ瀬の裏切りにより
失うことにより完全に孤立化してしまった。
これにより撤退を決意した。

ついでに
姉川については現地に行って地形を見ると
完全に嘘だと言うことがわかる
家康が岡山(勝山)に本陣を置き、
景健は三田村城(館)に本陣を置いたとされているが
お互いの陣が見える位置なんだな
だから榊原隊が迂回して横槍を入れたなんてことは
絶対に不可能なんだな。
そもそも負け戦ならその後の義景出陣の時
景健が先鋒を務めるはずが無い。

徳川幕府の血縁である浅井家がまさか朝倉滅亡のきっかけを作った
(しかも援軍を頼んでおいて、その援軍を裏切った)
なんていくらなんでも語り継ぎたくないだろう




237 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 16:45:48 ID:xTGHeNtB
一々相手を社会のごみためとそしるしか出来ない、というのは
反論できないといってるようなもんだろ。

238 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 16:47:49 ID:xTGHeNtB
>>237>>235に当てたもの。

239 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 16:47:56 ID:xMZahJbp
>>237
荒らしてるだけだからべつにいいだろ?

240 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 16:50:19 ID:xTGHeNtB
>>239
わざわざ荒らしにくるなんて閑な人なんだな、あんた。

241 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 16:54:06 ID:I5eWbShT
PCを閉じてここから抜け出せないだけだ

242 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 17:04:31 ID:tG5lpwy1
それは浅いが裏切った、じゃなくて家臣が浅井を裏切った連鎖反応では?

243 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 17:56:22 ID:SBmA3qZe
信長を裏切ったのは語り継いでるのに朝倉を裏切ったのはなんで語り継いじゃダメなのよ

244 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 18:18:12 ID:GeLVFg+q
信長を裏切ったのはなんとかなるじゃん
別にそれで織田家が滅亡したわけでもないし。
それでも信長を裏切ったことも、やってもいない織田軍13段構えの11段まで撃破とか
しっかり偽造されてるし。
朝倉家への裏切りは致命的だろ?(>>242の言う通り長政の裏切りではないが)
今までさんざん助けてもらっていたのをあっさり裏切る。
しかも敗戦中とか敗戦濃厚での裏切りならまだわかるが、
合戦中の裏切りだからなぁ・・・
さらに磯野の裏切り(降伏)にしたって
さんざん援軍要請無視した挙句に、磯野の母親殺してしまうんじゃー
話にもなんねーw


245 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 18:28:42 ID:tUy1yr1F
選挙いけ!まだ間に合う!選挙いけ!
頼む、行ってくれm(._.)m

246 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 20:16:20 ID:KWWY108R
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247 :人間七七四年:2007/07/29(日) 21:03:03 ID:7GQnz83u
ID:whRNx9wy

248 :人間七七四年:2007/07/29(日) 21:06:29 ID:nfsyyxMV
>>247
粘着野郎はスルーで行こうぜw

249 :人間七七四年:2007/07/30(月) 12:39:34 ID:O6BOZJ5g
>>225
ちょっとお待ちを。
今川亡き後、織田は徳川と上下の同盟関係を結んでいますが
後に織田信長は武田信玄と同盟を結ぶため、貢物と姫を送り
武田はそれを承諾することで同盟に至っております。

信長から同盟を要求しているため、信長が信玄を恐れていたとよく言われますが
それは不明です。
ただ信長は信玄の勢力を警戒し、信玄も信長と争う余力はなく
お互いに同盟は必要だったことは確かです。

そして、織田と武田は勢力が拮抗していたため、
武田が美濃に侵攻するまで織田と武田は同盟関係にありました。

織田信長が日本最高の過大評価かどうかは分かりませんが
天下人が秀吉であり、その秀吉を取り立てたという事実からして
過小評価になることだけは、ありえません。

信長は過大評価になっても仕方がないでしょうし
これ以上の高い評価がなされることもないでしょう。

250 :人間七七四年:2007/07/30(月) 15:39:04 ID:KemATViS
今の信長は戦国時代だけじゃなく日本史全体で頂点の扱いか
信長が日本史上最高の人物であれば妥当 それ以下なら過大

信長に対抗できる日本史の人物を探すほうが先だろアンチ諸君

251 :人間七七四年:2007/07/30(月) 15:51:30 ID:oAnpuJrt
日本史板でいったら笑われそうな台詞ではあるな。

252 :人間七七四年:2007/07/30(月) 18:07:28 ID:L3mw1x+J
過大評価、と言っても映画演劇のイメージや、もし生きてたら、の架空の話が多すぎるような。
これに関しては確かに美化しすぎ。

ただ、その実績を冷静に考えるとまだまだ評価されてない部分すら多いとも思う。
例えば、地名を変える、なんてのもあったかな。

語るには面白い人物ではあるけどな。

253 :人間七七四年:2007/07/30(月) 22:30:42 ID:pVzAhadr
>>250
お前お得意のKOEIのおかげだろヴォケ!

お前のような粘着ヤローは、どうせない知恵絞ってもスレに貢献できそうもないから
一人でKOEIのゲームでもやって悦に入ってろっての

お前の書き込み見てると、お前の低級さがもろバレだし、正直腹立ってくるから、
お前見たいなバカは二度と来るな!


254 :人間七七四年:2007/07/30(月) 23:15:22 ID:un4Hp6za
>>252
「岐阜」とかそうだっけ?

255 :人間七七四年:2007/07/30(月) 23:19:30 ID:w4LA1fIR
>>254
そう、もちろん安土もね。

過去に地名改変をした日本人はいないのじゃないか、もしかしたら天皇にのみ許された暗黙の特権じゃなかったか、というとそれを実行した信長はマジで信長王国の建国を目指していた、その傍証にはならないか、と妄想が膨らむ。

もちろん文献には書いて無いから相手にされないけど、そこを推論するのがおもろいはな。

256 :人間七七四年:2007/07/30(月) 23:58:39 ID:flWiRMcq
信長だけじゃなく信長配下の武将である秀吉も「今浜」を「長浜」と改称してるから
別に地名の変更って大したものじゃなかったんじゃないの

257 :人間七七四年:2007/07/31(火) 00:02:53 ID:Gk9JzSw4
いやまさにそこであって、信長以前にあったか、という問題らしい。
つまりある天才が始めて常識化してしまうと、後の世にはあまりに常識でその価値がわからなくなってる、という典型ね。

258 :人間七七四年:2007/07/31(火) 00:08:36 ID:BSa6MqEx
>>255
お前真性のバカだなw

博多を福岡に変えた黒田は?wwwwww
曳馬野を浜松に変えた徳川は?wwwwww

お前の書き込みみてるとKOEI臭がプンプンしてくんのな
真性ゲームオタは歴史なんて語らなくていいから、
ゲームのボタンでもピコピコならしてろよ

ほんとスレのレベルが下がるからお前のような低級厨は
まじウザイしそろそろ退出してもらえないか?


259 :人間七七四年:2007/07/31(火) 00:10:39 ID:BSa6MqEx
>>255
妄想は自分のなかだけでやってください
正直キモイですし、スレの住民があなたの妄想に付き合うほどバカではありません


260 :人間七七四年:2007/07/31(火) 00:14:54 ID:Gk9JzSw4
>>258
だから、信長以前の例を教えて、と言ってます。

ちなみにゲームは一度もやったことないお爺ちゃんです。

>>259
あれ、元ネタからつっこまれるかと思ったけど。地名改変について教えてほしいだけなんですけどね。

261 :人間七七四年:2007/07/31(火) 00:24:31 ID:AeJtCN7t
ヒント: 隣国の厨が勝手に任那日本府を釜山に改変した件

262 :人間七七四年:2007/07/31(火) 00:28:03 ID:B6iSsGkE
ヒント: 伊勢新九郎 → 北条早雲

263 :人間七七四年:2007/07/31(火) 00:46:07 ID:zPG4Ju+L
井沢が逆説の日本史でそんなことを述べてたな
ただ岐阜も安土も信長登場以前からそういう別名が既に存在しており、
信長が好みでより響きの良い地名を採用しただけという意見もある
権力者が新しく城や寺を建てて、その周辺の土地がそれに由来した呼ばれ方をする、つう例なら普通にあるわけだし
結局この分野で誰かしっかりした研究をしないとよくわからんね

264 :人間七七四年:2007/07/31(火) 00:51:03 ID:PX93mE/E
荘園の名前とかが地名に転化する際には結果的にそういえるんじゃないか?

ただ城とかの名前は新規にできると思うが、山の名前とかだったりで、正式には地名とは言わないだろうな(月山富田とか白旗とか)。


265 :人間七七四年:2007/07/31(火) 00:53:26 ID:PX93mE/E
ごめん何かいているかわからなくなってしまった。

要は、名字見たく朝廷が承認した正式の地名と、通り名のような非公式の地名があって、
結局、「地名」をどう定義するかを確定されないと議論にならないんじゃないかってこと

266 :人間七七四年:2007/07/31(火) 02:33:00 ID:RyhtKvSU
信長と秀吉の根本的な違いは、
信長は戦国乱世終結後の日本の有り様を見据えた上で全国統一事業を進めたが、
秀吉は理念無しに全国平定事業を完成させただけ。
国内統一が完了すると、引き続き領土拡張を海外に求めて見事に失敗してしまった。

秀吉の最も愚かな点は、
国内での統一事業の名分が、異国でも通用すると勘違いしていた事だ。
朝鮮の人民からすれば、豊臣軍は単なる異国の侵略者にすぎず、
国内の平和を乱す賊軍でしかない。
秀吉は最後までその事に気付かなかった。
民衆の反感を買う事は領土拡張事業には有害であると、信長の家臣だったのだから気付いても良さそうなもんだが、
位人臣を極めて贅沢に溺れ、誰一人諌める人が存在しない環境下で傲慢になり、知能が劣化してしまったのだろう。
結局朝鮮での戦局は泥沼に陥り、本来の目的である明国討ち入りは、その端緒さえ開く事ができなかった。
明国征服という馬鹿げた妄想が実現可能だと本気で考えていた時点で、秀吉は半ば狂っていたともいえる。

といっても秀吉を責めるのは酷だ。
信長の家臣時代の秀吉は、信長の立案した戦略に沿って領地を切り取る事だけに専念していればよく、
大局的な国家構想を考える必要など全くなかったからだ。
信長死後、卓越した智謀で敵対勢力を滅ぼし、あるいは懐柔して全国統一を成し遂げた偉業は賞賛に値するが、
秀吉の歴史的存在意義は、そこで終わったと言っても過言ではない。
文禄・慶長の役は、民と諸大名を窮乏させ、豊臣政権の寿命を縮めただけ。

信長によって全国平定が完成した織田政権下でなら、こんな馬鹿げた所業など絶対に有り得ないだろう。
秀吉のような無謀な海外軍事侵攻などはせず、国際協調的な貿易立国を目指したと思われる。




267 :人間七七四年:2007/07/31(火) 02:43:42 ID:Ty6ZCfZa
こんな時間にこれだけ内容が無い長文を書くとは、見事なキチガイっぷりだな。

268 :人間七七四年:2007/07/31(火) 02:57:54 ID:PX93mE/E
>>267
同意。まったくもってすばらしい自己完結的な独り言だ。
スレ読んで何か自分もそれらしいことを言えるもんだと勘違いしちゃった系だな。


269 :人間七七四年:2007/07/31(火) 03:10:35 ID:Vl7BH3t7
>>266
バカ丸出しだな・・・

270 :人間七七四年:2007/07/31(火) 03:13:33 ID:vybl1guw
なんでこんなに>>266が叩かれているの?

271 :人間七七四年:2007/07/31(火) 03:27:21 ID:1XSgA2wu
>>270
夏休みの読書感想文そのままはりつけてどーすんだっての
添削してもらおうとでも思ったか?


272 :人間七七四年:2007/07/31(火) 07:02:14 ID:pktgJ2Ap
コピペ荒らしが言っても

273 :人間七七四年:2007/07/31(火) 07:26:31 ID:aSO2c/NB
コピペで荒らすよりは読書感想文のがマシ

274 :人間七七四年:2007/07/31(火) 07:59:48 ID:dT2+4EjW
最後の2行がなんとも・・・。これも夏休みだからかな。

275 :人間七七四年:2007/07/31(火) 09:14:22 ID:uon+AmJQ
アンチスレにわざわざ擁護が沸く時点でアレだがw

小説やら漫画やらで、残虐行為の美化や神聖化が酷い織田信長。
人間を辞めた超人扱いされていて、過大評価としか言えんw

信長信者は、織田信長以上に過大評価されている日本史上の人物を提示しろ
まずはそこからじゃねえと、話しにならんだろ・・・

276 :人間七七四年:2007/07/31(火) 09:31:04 ID:/xoaALAi
>>263
そうだね、単に歴史の専門家だと、採用しただけ、みたいな一見合理的で実はその意味性を理解して無いかえっておかしな答え方をするものだものね。
ほんで、由来した呼ばれ方、じゃなくてもっとはっきりとした改変の意図、こういうのが信長の場合は認められるから、過去の例とは違うとは思うのだよね。
つまりもう少し正確にいうと、権力者が意図を持って知名改変した例、というのかな。

>>264
なんんだけど、上のように、以後ここをこう呼べ、みたいな定義をしたのは信長以前にあったか、ということなんだよね。

地名の由来ってのはそれでそれで面白そうだけどね、

277 :人間七七四年:2007/07/31(火) 10:00:44 ID:27OguB1r
信長ファンもこの板の中でオナっているうちは別にいいんだけど、
わざわざ世界史板や中国英雄板にスレを立てに行く奴がいるからな。

しかも、比較対象が曹操、チンギスハーン、カエサルなど、かなり限定された者しかいないし。

おかげであちらの板じゃ、信長ファンと聞けば馬鹿の代名詞だとまで考えている奴もいるし。

278 :人間七七四年:2007/07/31(火) 11:32:13 ID:MFZ0AvK3
他板に殴り込みかけるような奴ってネタじゃないの、さすがにw

279 :人間七七四年:2007/07/31(火) 14:05:08 ID:SRRTyVQ0
だって>>266って例の粘着だろ
叩かれて当然じゃん

280 :人間七七四年:2007/07/31(火) 14:44:59 ID:A5zya+uz
信長に少なくとも幕末連中は勝てんだろ
過大評価っぷりなら日本史最強の坂本竜馬様がおられるが…

281 :人間七七四年:2007/07/31(火) 14:57:53 ID:5FGYMsgp
幕末のほうは史料が残っている分、
戦国より妄想の入る余地が少ないと言える。


282 :人間七七四年:2007/07/31(火) 15:05:16 ID:A5zya+uz
――の割には坂本竜馬様は信玄謙信もびっくりな過大評価っぷりをされてる

283 :人間七七四年:2007/07/31(火) 15:08:04 ID:gx8KERf0
司馬遼太郎をそのまま信じちゃう人が多いから

284 :人間七七四年:2007/07/31(火) 16:01:31 ID:Uxl9fVfI
幕末なんだが、新選組なんて妄想越えて異次元の世界だもんな。

285 :人間七七四年:2007/07/31(火) 16:24:15 ID:5FGYMsgp
燃えよ剣は、あれはあれで面白いと思うが、
腐女子がバイブルみたいにしているのが嫌だ。

司馬の小説で信長が出ているのは、
「国盗り物語」「新史太閤記」「功名が辻」
「夏草の賦」「覇王の家」
……これくらいか。



286 :人間七七四年:2007/07/31(火) 16:30:51 ID:00IPdiWx
小説なんだから面白おかしく書くのは当然なんじゃないの

287 :人間七七四年:2007/07/31(火) 16:52:26 ID:BcRzB8Ui
大学の先生は、信長は楽市楽座でも京や堺の商人の既得権を認めて既存の勢力を利用したりと
必ずしも旧勢力を破壊したわけではないとか言ってた。破壊してしまうと流通や経済を逆に混乱させるだけ
でマイナスだったとか。それをしてたら日本の「スターリン」「レーニン」と信長は言われてた
だろうなと

288 :人間七七四年:2007/07/31(火) 17:26:34 ID:Uxl9fVfI
旧勢力と旧権力の違いだろうね。
商人を活用したところは竜馬にも通ずるな。

289 :人間七七四年:2007/07/31(火) 17:35:49 ID:A5zya+uz
信長は神格化されてる部分を除いても大した奴だと思うけど
戦術戦略政治 どれも最高レベル
革新的なところは過大も多いが過小評価されてる部分もある 例えば天下統一
当時どの大名も武力で天下統一してやろう なんて思ってなかった 武田信玄も今川義元も領土の拡大だけを狙っていた
三好長慶のように将軍を裏から操って―― というのでもなかった、こんなバカこと考えついて実行してしかも成功したとんでもない奴は信長ただ1人

290 :人間七七四年:2007/07/31(火) 17:38:21 ID:Uxl9fVfI
スレチだが、竜馬は案外評価低いのだね。
薩長同盟の裏書したあたりはまさに歴史の黒幕みたいなものだったと思うのだけど。
一介の浪人のくせにね。

291 :人間七七四年:2007/07/31(火) 17:53:12 ID:5FGYMsgp
黒幕とはいかんでも桂に信頼されていたのは確かだろう。

司馬の小説やその他メディアで神の如く持ち上げられたので、
その反動からか、最近は「龍馬ボンクラ説」が出てきている。
龍馬は薩摩やグラバーの操り人形だった、とかね。

実際は当時でも1級の人物だったと思うがな。
西郷、勝、大久保一翁などに「一流」と認められているし。




292 :人間七七四年:2007/07/31(火) 18:05:35 ID:00IPdiWx
カミソリ凄い人だったと評価したのが一番大きかったと思う
まあどうでもいい奴が暗殺なんてされんわな

293 :人間七七四年:2007/07/31(火) 18:10:15 ID:Uxl9fVfI
>>291
政治家というより、ビジネスマンとしての優秀さ、って感じはあるな。
そこが幕臣とか旧世代には、賛否両論、評価が分かれるとこなんだろうけど。

>>292
日本史で優秀なのはみんな暗殺されてる、みたいな逆説はあるわな。
暗殺されずに生き残ったのは小物、みたいな。
安房守は別格ってとこか。

294 :人間七七四年:2007/07/31(火) 18:24:14 ID:rx437HrO
んな阿呆な。暗殺されずに偉業をなした連中だって日本史にはいくらでもいるぞ。

295 :人間七七四年:2007/07/31(火) 18:29:07 ID:00IPdiWx
維新三傑とかね

296 :人間七七四年:2007/07/31(火) 18:44:40 ID:SRRTyVQ0
明治維新の際は回天が成る前に優秀な人間は殆ど死んでしまった、
ということを司馬が言ってたが、戦国時代は別にそうじゃないな

297 :人間七七四年:2007/07/31(火) 18:47:24 ID:rx437HrO
べつにほとんど死んでしまったというわけじゃないと思うんだけどな。
その後の日本の発展を見る限り人材は十分いたはず。
ただ明治維新までの幕末の激動がドラマチックだからその中で死んだ連中が
ついつい大きく見えてしまうということでは。

298 :人間七七四年:2007/07/31(火) 19:42:42 ID:SMJgrg1g
>>294
時代の差もあるけど、そういうのは安房守なみの別格というとこで。
普通畳の上では死ねないもんなんだよね。

>>295
それこそ小物・・・

>>296
イシンは暗殺の時代だったからね、イイナオスケなんか生きてたらノブナガ並だったかもしれん。
とお題をひとつ。

299 :人間七七四年:2007/07/31(火) 22:00:36 ID:cqNqTzBc
>>291

商家出身だからその商人のネットワークを通じて各地の情報を得られたりしたのが
黒幕であることができたミソだな。中国でも遊説家は身分が低くても王様に謁見できたという
から

300 :人間七七四年:2007/07/31(火) 22:09:44 ID:SMJgrg1g
>>299
あれ、商家出身ではあるけど脱藩してからはほとんど関係ないのじゃないの?
特に武器商人としてのネットワークなんかは実家とはあまり関係ような。

301 :人間七七四年:2007/07/31(火) 22:15:43 ID:cqNqTzBc
>>300

商家出身だから商家の情報網や考え方は知ってるはず。だから白石家を宿にしたり
盛んに多用したんでないの?それに実家は土佐でも結構な豪商であったところをみても当然
他藩等の外部の商人と何かしらの関係やツテがあったと考えるべきだろう。

302 :人間七七四年:2007/07/31(火) 22:18:02 ID:SRRTyVQ0
同じ過大評価仲間でもいい加減龍馬はスレ違いでしょ

303 :人間七七四年:2007/07/31(火) 22:21:30 ID:cqNqTzBc
>>288

といっても信長は結構、旧権力にも低姿勢だったぞ。比叡山にしても本願寺にしても当初は下手に
出たりしてる。過激だったのは信長を「欺いた」「嘘をついた」という場合にかなり限定される。


304 :人間七七四年:2007/07/31(火) 22:21:35 ID:5FGYMsgp
龍馬の商人としての考え方は、船中八策にも出ているな。

・金銀物価、よろしく外国と平均の法を設くべき事。

為替レートを安定させることにより、
貿易が円滑化し、物価も安定する。
特に物価の上昇が幕末の攘夷運動に繋がった事を考えれば、
物価安定は国内の治安維持にもつながるわけだ。

305 :人間七七四年:2007/07/31(火) 22:29:14 ID:cqNqTzBc
>>304

>特に物価の上昇が幕末の攘夷運動に繋がった事を考えれば、

江戸はその逆だったと聞くけど。参勤交代が廃止されたので人口の半分くらいいた
各藩の武士が帰国。結果、供給が需要を上回り物価は下落その関連産業と雇用が減り江戸経済は衰退
し庶民の不満が幕府に向かったと。むしろ武士や志士が集まって人口が一時的に急増した
京都のほうが物価騰貴したと。それで天皇の食事にも影響が出たので幕府の誰かが私費で天皇の
食費を補ったとかいう話もあるとか

306 :人間七七四年:2007/07/31(火) 22:44:11 ID:SMJgrg1g
>>301
面白い話だがスレ違いだもんね、また調べておくよ。
竜馬のビジネスマンのルーツを実家におく、というのは、ボンクラ説の論拠としたらちと疑問だもんでね。

307 :人間七七四年:2007/07/31(火) 22:48:50 ID:SMJgrg1g
維新の原因の1つに、インフレ、を上げる人もいるぐらいだからね。
竜馬の商人としての考え方は、旧江戸の考え方ではなくて、海外貿易を前提とした国際的なもので、これは彼自身があの時代によく消化し理解し実行できたものだと思うんだ。
おっと、スレチ。

308 :人間七七四年:2007/07/31(火) 23:55:53 ID:KxJgreGD
早急な日本統一は朝鮮出兵という莫大な国の損失を
生じさせただけだからね。
あの拡張主義が良いはずがない。
大体、朝鮮だけならまだしも元を征服しようとした時点で×

信長の思考が秀吉に乗り移ったから言ってるだけ

309 :人間七七四年:2007/08/01(水) 00:23:46 ID:Yh2NEJn/
>>270
社会の落ちこぼれのカスどもが、反論する術が無い自分の知恵遅れを棚に上げ、腹いせに幼稚な中傷を書き込んで溜飲を下げてるだけだ。こういう知恵遅れのカスどもは2ちゃんねるで他人を中傷することでしか低俗な鬱憤をはらすことができねーんだから、ま、大目に見てやれや。
>>279
なんでや。落ちこぼれの童貞ニート君。バカだからその理由も説明できねーか。死ねば。お前みたいなカスが生きてても、食い物が減ってウンコが溜まるだけ。家族全員殺してからお前も死ね。
>>283
テメーは司馬小説の歴史考証を否定するだけの見識があるのかよ。どうしようもねーな、虫けらのカスはよ
>>286
プロなんだからそんなの当たり前じゃねーか。分かりきったことをしたり顔きどりでホザくな。雑魚が

310 :人間七七四年:2007/08/01(水) 00:39:03 ID:8dmQpVi5
キタ━━━━━(((゚∀゚)))━━━━━!!!!

311 :人間七七四年:2007/08/01(水) 01:19:10 ID:Y3f2QVwf
信長が若いころ、弟の信勝と織田家の跡目で争ったのは、
周知の事実だが、そのときの織田家はどんな風に別れたのか?

信長派:佐久間信盛、佐久間大学、平手政秀、内藤勝介、
丹羽長秀、前田利家、森可成、佐々成政、河尻秀隆

信勝派:林秀貞、林美作、柴田勝家

こんな感じ?
重臣の林と柴田が信勝派とはいえ、
信長のほうがかなり支持が多い気がするが、
えろい人いろいろ教えて。


312 :人間七七四年:2007/08/01(水) 01:24:07 ID:WkJwHk3G
森坂井はまだ道三の配下
佐々は反信長
川尻は信友派
前田丹羽は若造
以上、小説とゲーム等からの認識

313 :人間七七四年:2007/08/01(水) 01:45:16 ID:H3ITMeii
>>308
元を征服しようとした?

314 :人間七七四年:2007/08/01(水) 01:54:53 ID:BGwOwS5Y
まあ、「元」という書き損じか勘違いには目をつむってやるとしても
中国にとって朝鮮は属国という扱いなのだから、中国には朝鮮を守るという義務があり
見殺しにすると国家の安定的な維持に激しく影響する
だから朝鮮を攻めるという事は中国を敵に廻すという意味も含まれる
なので「朝鮮だけならまだしも」という考え方はおかしい

民に国力がある時代だったら、朝鮮を攻めたら日本は滅ぼされたかも知れない

315 :人間七七四年:2007/08/01(水) 02:22:24 ID:rMW88q4A
まあ、「民」という書き損じか勘違いには目をつむってやるとしても・・・
って、揚げ足取りはともかく、永楽帝治世の時代は日本は義満。
史実では、勘合貿易でお互い儲かってるんで、戦にはならんかった。

あと、国力と戦闘力は別。日本の武士をなめたらそれこそ、元の二の舞。
鄭和の艦隊は明の国力を誇示したけど、戦争に行ったわけではない。

316 :人間七七四年:2007/08/01(水) 03:30:20 ID:34Zj8FZg
>>309のあまりに予想通りな行動に激しくわろたww

317 :人間七七四年:2007/08/01(水) 18:17:41 ID:g4s4Ufdr
粘着キメェwwwwwww

318 :人間七七四年:2007/08/02(木) 00:23:24 ID:xduqzZad
織田氏の弾正忠家ってつまり織田氏の警備員のことかなぁ
信長 弾正って警察って意味があるしな


319 :人間七七四年:2007/08/02(木) 00:37:12 ID:7vFWojNU


320 :人間七七四年:2007/08/02(木) 00:50:05 ID:jGGK1ru9
>>318
じゃあ何か?武田信玄は給食のおじさんか?

321 :人間七七四年:2007/08/02(木) 03:29:36 ID:xduqzZad
元々清洲織田氏に仕える警備隊のような家柄だったんだろ?弾正忠家って
織田氏自体複雑すぎてよく把握できないんだけどね
一応織田氏の弾正忠家って初代織田なんとかの血引いてるみたいだけど

322 :人間七七四年:2007/08/02(木) 04:43:49 ID:7vFWojNU
不正の監視→弾正台
警備隊→衛門府

323 :人間七七四年:2007/08/02(木) 14:50:57 ID:5sRI+sBZ
武士の官位なんてマジ飾りだからなー

324 :人間七七四年:2007/08/02(木) 15:09:05 ID:jGGK1ru9
何で守護である斯波氏の家臣の大和守家を警護するんだよw

325 :人間七七四年:2007/08/02(木) 17:18:41 ID:Hro3y8kr
拙者は五郎左で十分でござる

326 :人間七七四年:2007/08/02(木) 19:03:24 ID:SkkHOJ9d
>>325
米乙。

327 :人間七七四年:2007/08/03(金) 07:46:20 ID:7jm1VZ8b
日本最高の過大評価かは謎だが
本能寺で討たれた大失態にフタをする評価はいただけないね
明智の反逆で単純に敗死したのか、それとも明智の裏に誰かいたのか

信長の最期は、誰かに出し抜かれているのですよ・・・

328 :人間七七四年:2007/08/03(金) 08:55:42 ID:NMNeDCBO
悲劇的な死はむしろ英雄のステータス、ということじゃないの?
藤原氏に裏切られた源義経が人気、の例もあるし

329 :人間七七四年:2007/08/03(金) 11:39:54 ID:JKQvC/F8
信長自身と、信長のもつ情報網をかいくぐり、
明智光秀と共謀、もしくは光秀を操れるような人物、組織。
……本能寺の時点で、いるかな?
光秀単独の、用意無き謀反というのが、
一番しっくりくる気もするが。昔っからある説だがね。

謀反の用意や根回しをして、信長にばれたら、
それこそ荒木村重、松永久秀の二の舞か。

330 :人間七七四年:2007/08/03(金) 11:47:10 ID:i1pdrbOV
誰かの示唆があったにせよ、実行し得る位置と力を持っていたのは光秀
だから主犯光秀以外にはありえないでしょ

331 :人間七七四年:2007/08/03(金) 23:03:12 ID:A5tkWm5P
事前の計画や根回しなどといったことがない突発的な行動だったからこそ、
成功したんだろうとは思うよ。

332 :人間七七四年:2007/08/04(土) 01:05:59 ID:KrEyTG7w
通り魔犯罪のほうが成功するらしいものな。現在でも。

333 :人間七七四年:2007/08/04(土) 05:37:05 ID:vjGNo5b1
光秀に出し抜かれたのか
光秀の裏に誰かいたのか

どちらでも信長の死と結果は同じだが、気になる点ではある

334 :人間七七四年:2007/08/04(土) 05:41:46 ID:vjGNo5b1
秀吉や家康が裏にいたもしくは読まれていたと言われているが
公家の誰某が裏にいたという説なら聞いたことがある

まあ信長は過大評価には違いない。
講談や昨今のゲームをみれば、信長はまるで神か魔王のような妖怪になっているw

335 :人間七七四年:2007/08/04(土) 12:19:13 ID:KrEyTG7w
信長の野望とかすごいもんな。
どうでもいいが最近の信長の、ゲームでの顔が、
バタ臭くていやだ。


336 :人間七七四年:2007/08/04(土) 15:35:49 ID:olROU2kE
まあゲームでも漫画でも小説でも
主人公かラスボス格だからな
そりゃ魔王のように描かれるのは当然だろう

337 :人間七七四年:2007/08/04(土) 17:00:26 ID:KrEyTG7w
伊忍道……

338 :人間七七四年:2007/08/05(日) 01:07:44 ID:64jRqwTo
>>327
同意

339 :人間七七四年:2007/08/05(日) 10:32:43 ID:1ZzGHt6E
天下を征したのは秀吉
あたかも天下人のように扱われる時点で、信長は過大評価としか言えん

信長は49で死亡。謙信も信玄も47前後や52歳前後で死んでいる
生きていれば天下を取れていたと過程する行為も、無意味極まりない
なぜなら、自分の家臣に殺されているので、もしもはありえない上
長命が条件になる。

340 :人間七七四年:2007/08/05(日) 12:09:39 ID:LBgXYqIp
まぁ、源氏でもないのに武家の最高位である右近衛大将を任官した時点で名目上は武士のトップだけどね
実質的権限というと落ち目の室町幕府よりはマシといった程度じゃ?
島津・大友の和睦を仲介するぐらいの影響力は全国でもっていたが

341 :◆nzdGjBH722 :2007/08/05(日) 12:29:29 ID:Yk6HQe6r
>>335
信長の野望とかすごいもんな

全然凄くないぞwむしろこれで過大評価なのは上杉武田真田とかあのあたりじゃねえかw
魔王とかは過大にしても、信ヤボとか過小だぞ。


342 :人間七七四年:2007/08/05(日) 13:54:12 ID:A+TpNK0D
ノブヤボの信長は全然強くない。
上杉謙信なんてあっと言う間に全国統一出来る。

343 :人間七七四年:2007/08/05(日) 13:57:46 ID:UttReUjh
鉄砲使わせると最強になるようにマスクデータがついてなかったっけ。信長は。

344 :人間七七四年:2007/08/05(日) 13:59:46 ID:eD54RFKP
ないよ。謙信のプラス補正と勘違いしてない?

345 :人間七七四年:2007/08/05(日) 14:05:07 ID:jT+QeREK
鉄砲隊を率いた時に三連射するとかそういう特殊技能を持ったシリーズは有る>信長の野望

346 :人間七七四年:2007/08/05(日) 14:23:52 ID:LRz2Ld77
>>340
右近衛大将が武家の最高位?
鎌倉、室町、江戸、どの幕府でもよいが、歴代で将軍宣下以前に
右近衛大将に任官した例があるなら、教えてもらいたい。

「源氏でもないのに」って、この令外の官に実質が伴った平安期
は、藤原氏も平氏も任官してるぞ。
源氏もいるが、後年、武家の代名詞になる清和源氏はおらんな。

あと、信長が弾正忠から一気に参議に昇任したのは、義昭を京から
追放してから。近衛大将はさらにそのあと。
よって「落ち目の室町幕府よりマシ」ではなく、幕府を実質滅ぼし、
将軍家に成り代わって、武家の頂点に立ったから官位が急上昇した。
と、見るのが自然。

347 :人間七七四年:2007/08/05(日) 17:22:54 ID:12UZM5hv
とにかく日本最高の過大評価というのは絶対に間違い ただ単に過大評価かどうかはともかくとして
日本最高の過大評価は絶対神 坂 本 竜 馬 で決まってるから こいつ以上の過大評価は日本のどこを探してもおらず、唯一対抗できるのが諸葛孔明(日本人視点)しかいないから

竜馬以上の過大評価人物など存在するか?

348 :人間七七四年:2007/08/06(月) 00:28:46 ID:UMEJg5Kc
だから蒸し返すなよ。
龍馬の話題は龍馬スレでお願いしますぜ旦那。

349 :人間七七四年:2007/08/06(月) 06:17:53 ID:LTUxvir9
のぶやぼの信長は過大の極み。
なんつったって長島の一向一揆に何万の兵を導入したにも関わらず
2度の大敗北を喫した織田信長の采配が90台とかありえんw
つーことは、この一揆勢を統率していた農民の采配は120かwwwwwwwwww

350 :人間七七四年:2007/08/06(月) 10:19:11 ID:P0qhOWq6
じゃあ日本で二番目の過大評価ってことでよろしく>信長

351 :人間七七四年:2007/08/06(月) 11:30:15 ID:tIWwUx7f
スレタイは【織田信長は日本第二位の過大評価】ということで

>>349
豪族に2回も負けた武田信玄よりマシ
毛利元就でも上杉謙信でも北条氏康でも どんな凄い名将でも負けてる
そんなくだらんことで信長の素晴らしい実績
・稲生 700-1700
・桶狭間 5000-25000
・天王寺 3000-15000
その他森部、長篠、一乗谷等
は全く揺るがない

352 :人間七七四年:2007/08/06(月) 12:12:08 ID:XGM0880h
河野島で普通に斉藤勢に大敗してもいるけどな、信長。

353 :人間七七四年:2007/08/06(月) 12:47:36 ID:H+oejppY
最近は、鎌倉幕府成立を征夷大将軍任官時ではなく、右近衛大将任官時に変えようって説が有力になってきているからな
その流れか

>>351
もう一つ、対斎藤氏の森部合戦
織田軍1600対斎藤軍6000で信長完勝

354 :人間七七四年:2007/08/06(月) 12:48:08 ID:UMEJg5Kc
完全無敗の武将って誰かいるのかね。

355 :人間七七四年:2007/08/06(月) 12:56:14 ID:H+oejppY
>>354
難しいんじゃないの?
例えば生涯初めての戦で勝利、その直後に病死とかのケースでもない限り

356 :人間七七四年:2007/08/06(月) 21:51:16 ID:knNJxt4B
>>351
そういう数はどこまで信憑性ありますかね。
桶狭間にしても25000もいたとは思えないけどな。
その前年に信長のほうから今川を攻めたりしてるくらいだから、実質人数はあまり差がなくて、地の利がある分信長有利なぐらいだったかもしれない。

なんか公記ではやったら奇跡の大勝利になってるし、奇襲、なんてのもありそうでなかなかありえない話。
他でもそういう水増し例はあるんじゃないかな。

357 :人間七七四年:2007/08/06(月) 21:57:20 ID:tIWwUx7f
>>356
だ・か・ら 2000-45000というのが嘘っぱちで 5000-25000が妥当な数字
実際織田の兵力は4000ともいわれてる 今川も20000ぐらいだといわれている 5倍で変わらん

尾張の一部が今川領と化していて、織田は砦に兵を割いていたし桶狭間の時動いたのは精鋭部隊
4000でも5000でも信憑性が高い

358 :人間七七四年:2007/08/06(月) 22:13:07 ID:UMEJg5Kc
織田が少数であればあるほど、今川が多数であればあるほど、
英雄談としては面白いわな。
秀吉の出自が卑しいほど出世が凄く見えるように。

北条の河越夜戦のほうがなんだかすごく見えるのは俺だけ?

359 :人間七七四年:2007/08/06(月) 22:16:26 ID:tIWwUx7f
>>358
河越野戦の方が怪しい
桶狭間はまぐれ説はあれど兵数に関する論議は殆ど無い

360 :人間七七四年:2007/08/07(火) 11:02:31 ID:w2cIc8em
>>354
義教がそうじゃない?最後はやられちゃったが。

>>357
いやさ、その5倍、ってのが疑問だったもんでね。
ほんで兵数がいいかげんなのは当時だし脚色あるのは仕方ないとして、桶狭間でどうして勝てたか、というと兵数とかとは全く違う考え方あるよね。
奇襲とか雨とか本陣に直接つっこんだから兵数差関係なし、とかそういう話じゃなくて。

361 :人間七七四年:2007/08/07(火) 18:42:53 ID:8VfpsvQQ
旧本能寺より焼け瓦出土。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070807-00000505-yom-soci

362 :人間七七四年:2007/08/07(火) 20:16:05 ID:IoCIGfJ7
まず日本史最高の過大評価は坂本竜馬 これは確定 絶対揺るがない
この時点で既に信長は日本最高の過大評価ではない

次に戦国時代で最高の過大評価か否かだが秀吉の人格とか他にも過大評価されているものは多い
武田、上杉といった強豪もいるから五分 KOEIでは過小

ということで信長は日本で10番目ぐらいに過大評価されている にスレタイを変えたほうがいいと思う

363 :人間七七四年:2007/08/07(火) 23:02:55 ID:vwzSYwr9
359
寡兵で戦う以上運の要素も大きい
それは置いといて本能寺がなければ毛利や島津や盛親はどうなっていたんだろう?
信長が生きていれば後の長州 土佐 薩摩は無かったかも 大久保も西郷も竜馬もいなかったかも?
こう考えたら神様が「この男を生かしておいたら後の国家を担う人材は
生まれない なんとかして葬ろう」と考えたのだ 
すいません くだらない説創ってwwwwwwwww
信長が生きてたら毛利も盛親もただじゃすまないと思うんだよね
戦の被害による大ダメージを受けていたとは思うんだが
幕末の英雄ってほとんど西日本の人たちだよね

364 :人間七七四年:2007/08/08(水) 00:01:49 ID:4Sb/yzY6
信長も、相手を完全滅亡まではやらず、
降参してきた敵は許したりもしているから何とも言えない。

本能寺起きなかったとしたら、信長がいつまで生きるか?
家康ほど長生きはせんと思うが……これはポイントだろう。
信長存命時は秀吉も家康も天下を取ろうとは考えないだろうし、
織田政権の下では秀吉も無茶な女漁りをやらず、
2,3年くらいは寿命が伸びたかも知れない。
後継者の信忠もどうなるか?
青年後継者がいれば秀吉も無茶はできないだろうが、
そこは秀吉、どういう手を打つか解らない。
……タラレバ言い出せばキリないけどね。

365 :人間七七四年:2007/08/08(水) 00:24:17 ID:+18vGCqB
>>364
1行目は、信長の甘さ、特に家康との違いという人もいるね。
5行目は結構重要で、存命時からすでに天下取りをみんな狙ってたと思うよ。
それが光秀の乱だし。

だから、生きてたら、というのは案外つまらない仮定であって、どうやってもあの時代、最後には徳川が幕府開いてた可能性は高い。
年下で最後まで生きてたものの勝ちだわな〜。

366 :人間七七四年:2007/08/08(水) 11:41:42 ID:4Sb/yzY6
最後は徳川、てのは寿命的にそうだよなぁ。
信長が仮に60歳まで生きたとする。
史実から見て、その間に丹羽と滝川は死亡、
柴田と明智も寿命的に考えてその頃には死亡、
信長死亡時に生き残っている重臣は羽柴一人。
その時には代わりの重臣がいるかもしれんが。

信忠は凡庸ではないが、秀吉がその時、天下取りに動いたら、
果たして止められるだろうか。
そうこうしているうちに秀吉も寿命で死亡、
秀吉との争いで衰えた織田を家康がのっとろうとして、
史実でいうところの石田三成みたいなのが現れて、
関が原、みたいな……。
流れはさほど変わらん気がする。


367 :人間七七四年:2007/08/08(水) 12:42:16 ID:HAWShxLx
織田政権下で家康が長生きしても江戸幕府の伊達政宗みたいに東国で腐ってるのがオチ
戦国生き残りの大名として織田の跡継ぎに昔話して暇を潰してる姿が目に浮かぶ

368 :人間七七四年:2007/08/08(水) 12:49:41 ID:Ec5K7vV7
結局信長のタラレバは家康からの逆算になってしまってて、過大評価というのも理解できるのだよね。
信長が60まで生きてても死んだとこで秀吉が乗っ取るだろうし、それをまた家康がのっとる、と。

どうせタラレバなら家康が早死にしてたら、のほうが面白いのだよね。
もう少し戦国が続いてやっぱり英雄が出てきてたかな。

369 :人間七七四年:2007/08/08(水) 19:10:39 ID:4Sb/yzY6
家康が早死にするとして、いつ死ぬかだな。
例えば本能寺のときに伊賀越えできず死んでしまった家康。
その後の徳川家は……。後を継ぐのは次男の秀康か?


370 :人間七七四年:2007/08/09(木) 00:22:33 ID:SRZUCowj
家康が早死にしたらどの時点でかは関係なく続かなかったと思う。
その後の優秀な人材にかかってくるというか。

で、義昭が生きてるのだから足利幕府が復活してたりして。

371 :人間七七四年:2007/08/09(木) 09:22:25 ID:fn9B+1HT
>>370
トリューニヒト義昭の誕生か!

372 :人間七七四年:2007/08/09(木) 10:25:42 ID:C0vREBsd
家康で不思議なのは、あそこまで辛抱して粘ったのは、自分が長命って自信あったのかな。
関が原の前あたりに体調崩してたら日本史はどうなっていたことか。

373 :人間七七四年:2007/08/09(木) 12:10:56 ID:btE2HZwL
信長の戦の勝率って7割程度だろ
弱すぎw
謙信も思ったほど強くなかったって言ってるしw

374 :人間七七四年:2007/08/09(木) 13:28:55 ID:c4iKrsg2
ま、信玄よりはマシだ。
村上や長野に何度も負け、義元が死ぬまで今川にビビっていたようなヘタレだしな。
おまけに政治もドヘタで、武田の財政はいつも火の車。
謙信の方が、まだ経済には明るい。
信玄こそ過大評価の極み。

375 :人間七七四年:2007/08/09(木) 13:51:46 ID:LZFM53fo
信長の勝率七割論は、信玄謙信マンセー番組の捏造だろ
信玄は生涯二敗しかしていない(つまり戸石崩れと上田原以外の敗戦は露骨に無視)という特殊計算の産物
同じような贔屓計算(千余以上の損害出した敗戦以外はスルー)したら、信長でも九割超えるぞ勝率

376 :人間七七四年:2007/08/09(木) 14:05:02 ID:ZNVgOM/h
謙信の手紙の文言は、身内への宣伝でしょ
ってか本気だったらヤバいよ
松永謀反のお陰で大多数が引き上げた織田軍の雑兵を蹴散らした程度でいい気になってたら
桶狭間直前、「オレの矛先には鬼神もかなわないね」と思い上がった挙句討たれた義元の二の舞に
どうせ病死するんだけどな

377 :人間七七四年:2007/08/09(木) 15:29:41 ID:uJxrUuF0
戸石崩れよ上田原以外の信玄の敗戦って何?
箕輪軍記の捏造真に受けてるのかな

378 :人間七七四年:2007/08/09(木) 16:22:53 ID:9Iwmx5tQ
>>377
tp://shingen3.hp.infoseek.co.jp/
是非は兎も角、こやつの計算では物凄い勝率となってて、その二つの戦以外にもひとつ敗戦としてるのがあるな
城攻め加えるならもっと敗戦が増えるし、基準についても各自おもうところがあるだろうが

379 :人間七七四年:2007/08/09(木) 17:18:58 ID:Oo5A9srq
信長は勝ち方がえげつないからな
戦で大名を2人(義景と義元)ぶち殺して、敵の重臣も何人殺したかわからん

信玄や謙信が大名殺したなんてあったっけ?

380 :人間七七四年:2007/08/09(木) 17:28:19 ID:C0vREBsd
武田の財政が火の車?
信長がえげつない?

381 :人間七七四年:2007/08/09(木) 18:06:17 ID:iVmNsx1R
信長の合戦の勝率が信玄などと比較して意外と低いのは
信長には初期に弱小国だった事があるが信玄にはないのと
戦闘回数がケタ違いに多いので自然と勝率が下がる

それに武田などの古い勢力は1回の合戦の勝ち負けが重要だが
信長はそれよりも何度もしつこく攻撃して
最終的に勝つ事を重要視しているように見える


382 :人間七七四年:2007/08/09(木) 18:48:35 ID:C0vREBsd
歴史を語るのに勝率、なんてのは驚くばかりだ。


383 :人間七七四年:2007/08/09(木) 19:28:35 ID:LHfW/Kf4
えげつなくない殺し合いとかあるのかよ
スポーツじゃあるまいし。

384 :人間七七四年:2007/08/09(木) 19:49:34 ID:Cw9ySdmw
>>379
滅ぼした敵勢力の首魁を豪族と大名で線引きするのも妙な話だと思うが。
第一朝倉のはあれ、戦場っていうのか?裏切られて追い詰められて自害だろうに。

385 :人間七七四年:2007/08/09(木) 21:12:44 ID:23EFa80F
>>383
武士同士の戦いなら
普通の合戦は敵の大将を討ち取ったら終了、兵士の命は助かる
敵が降伏しても終了、大将が切腹すれば兵士の命は助かる
というルールがあったわけだ

信長の場合は一揆や僧兵との戦いで皆殺しにしたり、
降伏した敵(一時的なポーズ)を許したとみせかけて皆殺しにしたりと
えげつない殺戮をしているわけで
信長が公家に宛てた手紙によると、
元亀2年だけで原爆の被害者に匹敵するほどの一揆勢を殺してる

386 :人間七七四年:2007/08/09(木) 22:10:52 ID:C0vREBsd
>>385
宗教勢力との戦いは、事前に通告したにもかかわらず相手が女子供まで戦闘員としてきたわけで、顕如とか相手側にも問題と責任がある。
ほんで、既得権益との闘争は殲滅戦になるのは当然であって、信長自身の人間性とかそういうところに原因を求めるのは認識方法に疑問がある。
本願寺が現在でも存続するように、信長の戦というのは、勝ちきらない、にえきらない、そういう特徴のほうがかえって彼の性向を表してると言える。

387 :人間七七四年:2007/08/09(木) 22:22:01 ID:Rmb7A1B1
坊主が石山からとっとと出て来れば済んだ話や阿呆らし。

388 :人間七七四年:2007/08/09(木) 22:26:39 ID:OjbZP0Ew
>>387
そりゃ莫大な利権をおいそれとは放棄出来ないだろ。

389 :人間七七四年:2007/08/09(木) 23:03:38 ID:C0vREBsd
そう、今で言うと自民党と山口組に農協がくっついたようなもの。
って、まんまやん・・

390 :人間七七四年:2007/08/09(木) 23:06:24 ID:ib/c+ibu
一向一揆で女子供が戦闘に参加したつうソースは有るの?
信長の支配を嫌がって一揆方の城に逃げ込んだ村人を虐殺しただけでしょ

391 :人間七七四年:2007/08/09(木) 23:19:27 ID:Oo5A9srq
>>390
それはいくらなんでも徳川史観すぎる

392 :人間七七四年:2007/08/09(木) 23:32:12 ID:ib/c+ibu
徳川史観という批判が良くわからんが・・・
この時代他国に攻められた地域の農民が庇護を求めて領主の城に逃げ込むっつうのは良くあること
謙信の関東出兵の際の後北条、秀吉の中国征伐の際の毛利など、
領民が略奪暴行を恐れて近くの城に家族ごと逃げ込んだという記録は多い
つうかそれが普段年貢や夫役で農村を搾取してる領主としての当然の義務なわけで>領民の保護
信長に一揆衆の巻き添えで殺された人たちのどれだけが熱心な一向宗徒だったか疑問
比叡山の時なんか宗門と関係ない人々も皆殺しにしてるし

393 :人間七七四年:2007/08/09(木) 23:47:54 ID:Oo5A9srq
だから信長は残虐で極悪非道 というのが徳川史観 豊臣史観でもいい
姉川の戦いだって実際には小規模なもんで、織田が苦戦したことも徳川が奮戦したことも浅井朝倉に打撃を与えたことも実際には全部ウソなんだから
乱暴な話だが、信長のネガティブな話は話半分のほうがいい 徳川豊臣のネガティブな話は倍くらいで

394 :人間七七四年:2007/08/10(金) 00:32:18 ID:G+ALuOey
家康のネガティブ話は多いからな……
倍にするとえらいことに。



395 :人間七七四年:2007/08/10(金) 00:50:17 ID:sYzxw+pK
>>390
本願寺史、に顕如がゲキをとばしたのがのってる。
一種のゲリラ戦の覚悟だったわけで、当然女子供も仏様のために戦ったはず。
顕如はちといやらしいゲキをとばしらわけだ、まさか、既得権のために戦え、とは言えないから。

ほんであまり知られてないけど、最初に仕掛けたのは本願寺のほう。
信長が残虐とか言われてるけど、その当時は寺社側のほうだって相当なもんだ。

さらに、信長の支配を嫌がった、というけど、農民たちは案外そうでもない。とりあえず地元893に庇護を求めただけで、そんなのは信長側からすると、893と同類。
ましてや宗教ががってたらいつ敵になるかもしれない。
まったく無辜の女子供、という解釈が少し誤認と思う。



396 :人間七七四年:2007/08/10(金) 00:56:15 ID:KSZXjAaC
>>394
それがあるんだよ 信康事件とか

397 :人間七七四年:2007/08/10(金) 01:00:32 ID:sV2f9Cc7
いや、それ何のソースにもなってないから


398 :人間七七四年:2007/08/10(金) 01:04:36 ID:sV2f9Cc7
つうか井沢の逆説の日本史のネタ真に受けすぎだろ
一向一揆を非戦闘民も参加したゲリラ戦つう定義自体どうかね
ベトナム戦争のベトコンみたいなのとは全然違うわけで

399 :人間七七四年:2007/08/10(金) 01:05:23 ID:sYzxw+pK
大体戦国時代に現代の、残虐非道、という発想を持ち込むのが歴史解釈としては危険で誤認のもと。
あの時代の評価としては、いかに農民、住民のニーズに応えたか、がいいと思う。
京に上洛した信長は部下の略奪を固く禁じたでしょう。
あれなんか、信長のすごさを表した好例で、京のひとは信長に拍手喝さい、みな大名としてファンになったんだよね。
そんなの当たり前、というのは現代感覚で、何万という部下をそこまで統率していた能力も見逃してはならない。

400 :人間七七四年:2007/08/10(金) 01:11:18 ID:sYzxw+pK
>>398
もちろん写真もビデオもないから証明できないけど、宗教団体というのはそういうものでしょう。
ゲリラ戦、というのは、何でもありで戦闘に参加する、という意味ね。

実際、女子供のほうが純粋に信仰に殉じて戦に参加したかもしれないしね。
今でも自爆テロ、というのはそういう純粋な人がやってしまうんだ。

401 :人間七七四年:2007/08/10(金) 01:38:46 ID:Vyd1MKqG
>>398
井沢元彦以前から定説になってるんだけど

402 :人間七七四年:2007/08/10(金) 02:51:56 ID:OqK6nzxx
>>393
またデタラメな嘘をでっち上げる屑が湧いて出る
オメーの妄想なんて誰も相手にしてない

403 :人間七七四年:2007/08/10(金) 08:35:18 ID:qmUZq6nE
姉川の地形から、江戸期以降に発生した軍談のような合戦展開は不可能って研究はあるな
織田本陣と姉川の間は至近で、13段も陣を敷く余地はないとか
徳川軍が横槍を入れたところは昔から二メートルほどの段差があって物理的に不可能だとか
一番の根拠は、江戸期以前の史料で織田苦戦、徳川活躍とかいうものが無いことw

404 :人間七七四年:2007/08/10(金) 09:12:13 ID:OqK6nzxx
病的な虚言癖で頭が病んでいる精神異常者か・・・

405 :人間七七四年:2007/08/10(金) 10:12:19 ID:KSZXjAaC
>>402,404
姉川の戦いが織田苦戦、徳川奮戦、浅井奮戦、朝倉苦戦で浅井朝倉が1700もの損害を受け、浅井朝倉の勢力が激減した
なんてことは一つも無いわけだが 浅井朝倉が崩れたのは姉川のだいぶ後だ 織田を何度も追い詰めたりしている
姉川の戦いで浅井朝倉が大打撃を受けたのならこんなことは不可能だからなww

406 :人間七七四年:2007/08/10(金) 10:38:57 ID:8FlbiCd5
>>403
そうなんだよね、徳川実記あたりはどこまで信用できるのだろう。
ただ崩れた浅井朝倉軍を信長が追撃しなかったのは事実だから、その時も織田軍はかなり被害を被っていただろうし、その後3年ぐらい浅井朝倉が生き残った、というのも信長が、勝ちきらないにえきらない、戦いが多かったという傍証になってる。

江戸期になると姉川は、信長にあらず徳川の合戦、とまで言い切ってるものね。

407 :人間七七四年:2007/08/10(金) 10:42:18 ID:qmUZq6nE
信長公記だと、討死がずらずらならんでいるけど
城持ちクラスの損害は殆どないからな
中小クラスの武士が個人武勇を競った乱戦模様って感じだ
徳川軍で大活躍したと伝わるのは本多忠勝や榊原康政・本多三弥だが彼らは当時は家康直属の旗本衆
どういう状況で、主君をほっぽって横槍を入れる状況に入れるのか?という疑問もある
一方織田家側も、このときは信長の警護隊(馬廻)だった池田隊なんかが13段のなぜか先陣のほうに配置されているなど、通説とされるものはかなーりおかしな点がある
普通なら最後まで戦闘に参加しないはずの馬廻がこぞって戦ったのなら、やっぱり乱戦説が一番確実だろう

408 :人間七七四年:2007/08/10(金) 10:52:07 ID:YL6C2e38
>>403
同意

409 :人間七七四年:2007/08/10(金) 11:08:32 ID:8FlbiCd5
>>407
なるほど、となると徳川実記あたりの描写は結構正確だったかもしれないね。
楽なはずの浅井に崩された織田軍を、家康が気づいて本田に救援に行かせた、とか。
馬回りが戦闘に参加したというのも織田軍はかなり危機だったことを証明してるわけか。

確か直前になって主戦を信長が変更したのだったかな、それなら徳川はたまったものでもないし、乱戦にもなるものね。
公記と実記が一致するならかなり史実には近いわけで、実記も2割引で信用できるわけね、納得。

410 :人間七七四年:2007/08/10(金) 11:15:31 ID:qmUZq6nE
>>409
これは確か歴史群像にのった分析だと思ったけど
・織田、徳川軍は朝倉浅井軍の動きを撤退と誤認していた
・織田軍の十三段は、最初からの陣形じゃなくて信長本陣を救うために横山城包囲から救援に駆けつけたり防備に出た順。だから陣形が整わずに苦戦
・徳川軍の横槍は、多数の敵に包囲されるのを防ぐための予備隊による防御機動(見方によっては横槍ともいえる)
みたいな結論を読んだ覚えがある
それなりに説得力があると思う

411 :人間七七四年:2007/08/10(金) 11:17:49 ID:OqK6nzxx
自作自演の小細工

412 :人間七七四年:2007/08/10(金) 11:24:47 ID:KSZXjAaC
>>411
だから姉川の戦いが本当に大規模な戦いだったと思ってる厨房はお前くらいだっつーの

413 :人間七七四年:2007/08/10(金) 11:50:14 ID:OqK6nzxx
底抜けのアホウ
姉川の戦いが本当に小規模な戦いだったと思ってる厨房はお前くらいだっつーの


414 :人間七七四年:2007/08/10(金) 11:53:12 ID:qmUZq6nE
大規模だった、というのなら証拠を出せばいいだけじゃないか
なんで浅井朝倉は大打撃を受けたはずなのにその影響を感じさせずに志賀の陣に持ち込めたのか、とかの疑問に答えてさ

415 :人間七七四年:2007/08/10(金) 11:53:27 ID:KSZXjAaC
アンチ信長厨が小説講談大好きなのは知っているがこれほどとはなww
まぁ確かに小説講談が無くなると幕末も信玄も謙信も一気にショボくなるからな

416 :人間七七四年:2007/08/10(金) 11:54:52 ID:OqK6nzxx
本読め
うすらバカ

417 :人間七七四年:2007/08/10(金) 11:57:31 ID:qmUZq6nE
>>416
だからどの本よ?w
君のレスぶりから推測するに、漫画日本の歴史かい?

418 :人間七七四年:2007/08/10(金) 11:59:38 ID:OqK6nzxx
底なしのバカ
テメーで考えろ

419 :人間七七四年:2007/08/10(金) 12:04:50 ID:8FlbiCd5
>>410
へ〜、そこまで推測してるわけか。
ま、大規模かどうかじゃなくて、主戦はどちらか、のほうに興味があるな。


420 :人間七七四年:2007/08/10(金) 12:05:30 ID:KdoXv1k6
徳川家が活躍したことにしないと都合悪いじゃん。
何しろ信長横死の混乱に乗じて織田家を裏切って領土略取したって意味じゃ徳川も立派な裏切り者だからな。
それまでの信長の躍進は徳川のお陰、としておくのが御用学者の仕事。

421 :人間七七四年:2007/08/10(金) 12:08:18 ID:OqK6nzxx
時代錯誤のバカ

422 :人間七七四年:2007/08/10(金) 12:12:26 ID:KdoXv1k6
朝倉軍は、当主が出張ったわけでもない1万いかない軍勢。
浅井勢は地元だけど勢力が弱いから8千程度。
徳川軍は三河一国を治めたばかりだし遠征だから3千程度が通説。
片方を織田軍が受け持ったとしても、少なく見積もっても徳川軍は二分の一以下の兵力で相手とやりあったことになる。
大負けしなかっただけで上等。

423 :人間七七四年:2007/08/10(金) 12:27:15 ID:8FlbiCd5
>>422
そうなんだ、だから姉川は徳川3大決戦の1つ、という主張もあながち徳川御用学者の強弁、でもないような気がするんだよな。
ほんでそこで織田軍が追撃してたら浅井朝倉はもっと早く滅亡してただろうし、家康からみたら、信長ってにえきらんやっちゃな〜、ってとこだったかもしれない。

424 :人間七七四年:2007/08/10(金) 12:34:36 ID:KdoXv1k6
>>423
いや、小谷城下まで織田徳川軍は追撃をかけているよ。
でも、疲弊した兵力で小谷城を攻めるのは自殺行為。
このあと横山城包囲に戻ってそれを陥落させたのは適確な判断。
お陰で志賀の陣で浅井朝倉軍が暴れまわっても、西近江回りの攻撃は完全にシャットダウンされて岐阜との連絡は保持された。

425 :人間七七四年:2007/08/10(金) 12:35:12 ID:KdoXv1k6
西じゃなくて東近江回り、だな

426 :人間七七四年:2007/08/10(金) 12:36:49 ID:8FlbiCd5
>>420
そういう見方もあるけど、織徳同盟は生前はきっちり守られていたわけでしょう。
これはあの時代に鑑みてたいしたもんだと思う。
だもんで幼少の頃に二人が出会っていた、なんて小説では格好のネタではあるんだけどね。

ちなみに家康は秀吉が死ぬまでやっぱり待ってた。
これは案外タヌキの中にも忠義があったんじゃないかな。
もちろんそれがいやらしいと感じる人もいるだろうけど。

さらに進んで秀吉、家康が織田を支えた、というのも後世の作り話ですませるには惜しいぐらいのテーマだと思うのだよね。
横取りしたのはまさに光秀ってわけだ。

427 :人間七七四年:2007/08/10(金) 12:41:01 ID:8FlbiCd5
>>424
そうか、結果的に的確になった、なんてのは信長に失礼か。

428 :人間七七四年:2007/08/10(金) 14:08:51 ID:fKL7makr
>>415
言っておくがID:OqK6nzxxは前スレからいる司馬史観丸呑みの信長信者の粘着だぞ。
むしろ前スレではアンチ信長がこいつの為にいちいち資料を使って説明してた。
こいつは一度も論拠を出さなかったけどな。


429 :人間七七四年:2007/08/10(金) 14:12:10 ID:0009IyuM
桶狭間の玉砕戦法による偶然の勝利が・・・・信長の策略扱いに
比叡山焼き討ちの残虐性が・・・・・・仕方なかったことに
長島一向一揆の大敗が・・・・・・存在すら無かったことに
本能寺で家臣に討ち取られた最大の汚点・・・・・美化され、潔さの象徴に。

冷静に考えて改めて見直すと、違和感が酷い。
信長の最期や敗戦を見る限り、どこか抜けているが有能ではある人間という印象。

超人扱いされている信長像をみれば、やはり相当な過大評価がされている。
日本最高かどうかわからんが、日本史屈指の過大評価ではある

430 :人間七七四年:2007/08/10(金) 14:59:04 ID:KSZXjAaC
>>428
逆だろう
信長にとって不利になる姉川についてこれだけぎゃーぎゃー騒いでるんだからこいつはアンチ信長

431 :人間七七四年:2007/08/10(金) 15:06:38 ID:KSZXjAaC
>>429
んなこと言い出したら秀吉とかどうなるんだ
実際には貧乏な百姓じゃなくて富豪の家の子、実は信長並に残虐で、主家を乗っ取り…
世間のイメージとどれだけかけ離れているかわからんぞ

では、世間で知られていない信長の凄さを1つ
天王寺の戦い 3000対15000 5倍の軍勢を相手に勝利
他にも森部やら稲生やら凄い戦は山ほどあるのだが、上杉より下だとか武田より下だとかあまりに酷い
武田の上洛は100%成功しないし、上杉ごとき織田家にしてみれば歯牙にもかけない程度の相手
鉄砲の使い方とか鉄鋼船とかそういう”発想”での勝利が多いと思われているが実際には普通に強い 騎馬の使い方も上手い
それを差し引くと信長はどこまで過大評価だか… 実際には武力で天下統一!ってのも信長が最初だしな

432 :人間七七四年:2007/08/10(金) 15:10:17 ID:TrhqitNq
秀吉が富豪の家の子って・・・
未だに議論が続いてる秀吉の出自の説の一つをまるで歴史的事実みたいに語るのは勘弁して欲しい

433 :人間七七四年:2007/08/10(金) 15:25:32 ID:OqK6nzxx
→428
また見え透いた自作自演か
どうしようもない気違いだな
そのアンチ信長とはテメー自身
あたかも他人のように装う見苦しさ
唐突に意味無く司馬小説を卑下し始める最低のクズ
その何が問題なのか何も説明できないデタラメぶり
流石社会の落ちこぼれの下流野郎


434 :人間七七四年:2007/08/10(金) 15:31:01 ID:OqK6nzxx
貧乏な百姓じゃなくて富豪の家の子、か
こいつの虚言癖はもはやビョーキ


435 :人間七七四年:2007/08/10(金) 15:42:52 ID:OqK6nzxx
信長にとって不利になる姉川についてぎゃーぎゃー騒いでる、のは393、403、405〜410、414、415、420、422〜424

事実を誤魔化し白を黒とすり替えるインチキ野郎

駄スレにはどうしようもないクズどもがハエのように集まる


436 :人間七七四年:2007/08/10(金) 15:48:56 ID:KSZXjAaC
>>432
んなこといったら桶狭間だってまだわからんだろう
昔のことはいい加減にしか書かれてない信長公記の記述だぞ

437 :人間七七四年:2007/08/10(金) 15:50:43 ID:KSZXjAaC
ID:OqK6nzxxはageてるし、単なる夏厨か

438 :人間七七四年:2007/08/10(金) 15:54:58 ID:OqK6nzxx
図星だから、意味のない便所の落書きでお茶を濁すしかないか・・・
頭悪すぎ

439 :人間七七四年:2007/08/10(金) 15:57:39 ID:fKL7makr
>>430
>>433>>435を見てもまだそう思うか?
ちなみにこいつは自分とあわない論調の相手がすべて同一人物に見えるという
精神障害も持ち合わせている。前スレでこいつに何人が同一人物認定されたかわからん。

440 :人間七七四年:2007/08/10(金) 16:01:46 ID:0jspegQc
>>431
主家のっとりくらい、あの時代なら、珍しくもなんともないだろ。
つか、主家のっとりしてないのって、最初から守護大名だったところだけだろ。

それに富農だとしても、凄いもんだが。

441 :人間七七四年:2007/08/10(金) 16:05:26 ID:TrhqitNq
>>436
そうだよ
桶狭間は奇襲戦だとか遭遇戦だったとか色々意見は出てるが、学者先生の間では未だに定見を見ない
新たな史料的・考古学的な発見が無いと永久に結論は出ないだろう
それを推論とか考察とかじゃなくて「実際は○○だったんだぜ」みたいなこと逝っちゃう奴は駄目駄目
マジで論外

442 :人間七七四年:2007/08/10(金) 16:06:51 ID:OqK6nzxx
ハイハイ、一生言ってろ
ちなみに、前スレで何人が同一人物認定されたんだ
そうやって何度も幼稚な嘘を繰り返すから、テメーは病的な虚言癖の精神異常者だとバカにされる



443 :人間七七四年:2007/08/10(金) 16:07:59 ID:KSZXjAaC
>>442
つーかこいつ見たことあるぞ
最強スレにいた謙信玄厨だ

444 :人間七七四年:2007/08/10(金) 16:10:23 ID:OqK6nzxx
あ、そう
だから・・・

445 :人間七七四年:2007/08/10(金) 16:13:57 ID:IjVY146c
信長が有能だったのは間違いないと思うけど
現代の評価と当時のそれとの差はどれ位あるんだろうね。
秀吉も天下が定まってからは信長の供養やめちゃったし
周りからそれに対して反対とか不満も出てない。
結局、絶頂期に頓死したから、後世の人間にとっては
いろいろ期待させる余地があるってことかな。

446 :人間七七四年:2007/08/10(金) 16:24:44 ID:fKL7makr
>>443
そうか?明らかにあの最強スレのはネタっぽくやってた感じじゃないか?
こいつは真性のような気が。しかも対象が謙信でも信玄でもなく信長だし。

447 :人間七七四年:2007/08/10(金) 16:29:11 ID:OqK6nzxx
だから・・・
何の意味も無い感想を述べるのは無能野郎の常套文句

448 :人間七七四年:2007/08/10(金) 16:34:12 ID:fKL7makr
>>447
姉川が大規模とかいう資料だせるか?参考にした本の名前挙げられるか?
どうせ出せないだろうけど。
そんなんだから皆お前を相手にしなくなってるんだよ。
つーかただの釣りの荒らしなんだろうが。

449 :人間七七四年:2007/08/10(金) 16:35:56 ID:KSZXjAaC
>>446
アンチ信長なのは代わらんし
最後以外は真面目に馬鹿がいたからな この支離滅裂な言動とかまさしくあの謙信玄厨

450 :人間七七四年:2007/08/10(金) 16:42:06 ID:fKL7makr
>>449
いや、本当にこいつ信長信者だぞ。スレを最初から見返してみるとわかる。
>>47とか>>153とかからの議論見てみな。

451 :人間七七四年:2007/08/10(金) 16:46:24 ID:OqK6nzxx
→448
ネットで検索してみーや、ボケ

テメーの姉川の役が小規模だという説がそんなに有力なら、
当然アップされてるはずだよな

そのURLもしくは該当する箇所を貼り付けてみろや

他人に、参考にした本の名前挙げられるか?と尋ねる前にテメー自身が本読め、バーカ






452 :人間七七四年:2007/08/10(金) 16:48:48 ID:fKL7makr
>>452
結局前スレと同じ流れだな。そうやって立証責任果たさずに相手に押し付けて
逃げ回って相手があきれてレスをやめたときに勝利宣言なんて事やってるから
誰もお前を相手にしなくなるんだよ。阿呆らし。

453 :人間七七四年:2007/08/10(金) 16:48:59 ID:Io/g8rA5
>>441
一番有力な説とおもうものを事実として扱うのは当然だし、それに異議があるならそれについて話せばいい
お前みたいに学者の間ではまだ確定してないだの言うだけで、中身について全く話しない奴のほうが論外だ

454 :人間七七四年:2007/08/10(金) 16:49:37 ID:OqK6nzxx
→450
信長信者だとしたら、どーだってんだ
何か文句あんのか
オメー雑魚丸出しじゃねーか

455 :人間七七四年:2007/08/10(金) 16:50:03 ID:fKL7makr
レスを間違えたなw>>452>>451あてだw

456 :人間七七四年:2007/08/10(金) 16:52:04 ID:fKL7makr
>>454
はいはい。釣りならよそでやってくれや。人に話を聞いて欲しかったらまず
資料だしなね。坊や。

457 :人間七七四年:2007/08/10(金) 16:54:55 ID:OqK6nzxx
→452、455
だから姉川の役についてネットで検索しろや、クズ野郎
テメーのデタラメの虚偽史観など、どこにもアップされてねーだろ
立証責任果たさずに相手に押し付けてトンズラするのはテメーの常套手段


458 :人間七七四年:2007/08/10(金) 16:57:38 ID:fKL7makr
>>457
立証責任っていうのはな、あると主張してるほうが出してくるのが筋なんだよ。
主張してるお前が出せない時点でお前の負けなの。第一そのネットのホームページでも
なんでも参考にされてる資料とかあげられてなかったら話にならんぞ。
相手に押し付けて逃げてるな。出さないならレス返さんぞ。

459 :人間七七四年:2007/08/10(金) 16:58:44 ID:OqK6nzxx
→456
結局言い逃れできず無様な醜態
だからテメーは末期の虚言癖で脳みそ腐ってる落ちこぼれクズ野郎

460 :人間七七四年:2007/08/10(金) 17:01:39 ID:fKL7makr
>>459
そうやって一度も立証できずただ逃げ回り罵倒し続けるだけか。
まじで荒らし以外の何物でもないな、お前。
とりあえず釣りならよそでやってくれ。相手にするのも時間の無駄だ。

461 :人間七七四年:2007/08/10(金) 17:02:32 ID:OqK6nzxx
→458
つまりテメーの愚説は、どこにも存在しないってことか
例によって、意味の無い姑息な誤魔化しの嘘を繰り返すだけか

姉川の戦いについてネットで検索しろや
テメーの嘘が白日の下に晒されるぞ、アホボケゴミカス

462 :人間七七四年:2007/08/10(金) 17:04:45 ID:fKL7makr
>>461
だからな、お前が論拠を出してこれない時点でお前の不戦敗なの。
しかもネットなんて資料あげられてなきゃなんの意味もないといってるだろ。
誰でも好きにかけるんだから。資料ださんともうレスは返してやらん。時間の無駄だ。

463 :人間七七四年:2007/08/10(金) 17:05:51 ID:OqK6nzxx
→460
そんな幼稚な悪あがきするから、オメーは社会から落ちこぼれる下流のクズ野郎

甘えてんじゃねーぞ、ボケ

テメー自身で検索して、テメーの愚かさを自覚しろや

464 :人間七七四年:2007/08/10(金) 17:09:40 ID:OqK6nzxx
→462
もういい。
テメーが病的な虚言癖のクズだというのは、もう明白
そういう恥の上塗りを性懲りも無く繰り返すから、
テメーはいつまでたってもチンカス溜めてる包茎の童貞野郎

465 :人間七七四年:2007/08/10(金) 17:55:11 ID:2g+DWtan
現代人には誰も真実が分からない事で何を揉めているんだか・・・・
信長が無能か有能かなんて誰にも永久に分からない事だよ。
答えは自分がその当事に生きていて、信長と同じことをやれるか?って所にあるんだろうな。


466 :人間七七四年:2007/08/10(金) 18:42:24 ID:0JuYoOmL
>>465
上洛する京に上る最大の利点は
情報操作ができるわけよ。歴史の改ざんすら可能になる
自分に有利な情報を他国に電波することができるわけね
どの大名もやったことでしょ
今川が上洛したときの動員4万とか虚偽の情報ばらまいて
相手を威嚇するとかね。長篠とかも織田が最強の武田軍を破ったって
いう宣伝効果で織田飛躍で武田は情報に踊らされて弱体
実際の信長なんて、自ら流した虚像の情報が歴史になり
神化してるだけ



467 :人間七七四年:2007/08/10(金) 18:51:41 ID:2g+DWtan
>>466
君の結論はそうなんだね
人それぞれ考え方は違うから間違ってるとも思わないよ。
だって俺には真実は分からないから

468 :人間七七四年:2007/08/10(金) 18:59:27 ID:KSZXjAaC
信長は過大評価されてるところと過小評価されてるところがあるから結局信長自身の評価というのは変わらんだろう
日本史最高の過大評価人物とされている坂本竜馬には過小評価されている部分など存在しないからな 武田も上杉も過小評価されている部分が1つとしてない
戦術戦略政治人格…全てが過大評価だ 信長より戦術が上? 勘違いも甚だしい!

469 :人間七七四年:2007/08/10(金) 19:17:07 ID:HLdzgW2C
>>466
虚像だけであそこまでいけたなら逆に凄いな

470 :人間七七四年:2007/08/10(金) 19:25:29 ID:fKL7makr
>>465
特に誰も信長を無能とまでは言ってないだろうよ。
ただ過大評価されすぎということで。
自分が戦国時代にいって同じことができるかどうか、ということで
決めるというならほぼすべての戦国大名がやれたことを現代の一般人が
できるとは思えないよ。ちょいと乱暴な言い方じゃないかな。

471 :人間七七四年:2007/08/10(金) 19:27:26 ID:fKL7makr
>>468
いや、過小評価されてるといえなくもない部分はそりゃ信長にもあるが
それ以上にやはり虚像は大きい。そういう部分を廃すれば評価はやっぱり変わると思うが。

472 :人間七七四年:2007/08/10(金) 19:53:25 ID:KSZXjAaC
>>471
というか世間の人が信長をどう見ているかはイマイチわからんしな…
長篠で武田信玄を破ったと思ってる人もいるし、実際のところどの程度過大評価されてるかわからんぞ

473 :人間七七四年:2007/08/10(金) 19:55:18 ID:KSZXjAaC
信長過大ポイント

・長篠三段鉄砲
・楽市楽座
・兵農分離
他にもあったっけ? 桶狭間は今でも微妙だし、信長はとにかく最強であるという意見は概ね当たっている

474 ::2007/08/10(金) 19:57:13 ID:J9P70DiP
つかお前らノブ長語るくらいの器ないのに何いきがっちゃってんの?
ノブ長は英雄。
それだけ。

475 :人間七七四年:2007/08/10(金) 19:58:26 ID:Io/g8rA5
>>473
楽市と兵農分離の何が過大なんだ?

476 :人間七七四年:2007/08/10(金) 19:58:42 ID:fKL7makr
鉄鋼船についてもそう。当時の宣教師の記録では「大きい」とか「大砲を積んでる」とか
西洋の船に似てるとかいう記述はあっても鉄張りとは書いてない。


477 :人間七七四年:2007/08/10(金) 20:01:29 ID:KSZXjAaC
>>475
楽市楽座はパクリで
兵農分離は実際のところ怪しい

でも信長の過大どころって実際こういう超微妙なもんだと思うぞ
鉄鋼船は… 鉄張りかどうかは問題じゃない 村上水軍を倒したかどうかだろ

478 :人間七七四年:2007/08/10(金) 20:24:05 ID:Io/g8rA5
>>477
パクリだから過大評価?
ますます意味が分からん
実際のところ怪しい?
何が怪しいんだ?

鉄鋼船では本質を問題にして楽市、兵農では実行について問題に話してる
おかしいと感じないのか?

479 :人間七七四年:2007/08/10(金) 20:25:28 ID:fKL7makr
>>477
信長が有能だと言うことを否定する人はいないと思う。
でも楽市楽座とか兵農分離とかが世間ではとかく信長の革新性・特殊性の
証として取り上げられ、鉄鋼船とかもその文脈で語られることが多い。
その結果、世間のイメージとしては信長が一人、戦国時代の革命児として
とらえられがちなところが問題なのでは。

480 :人間七七四年:2007/08/10(金) 20:37:24 ID:BsnFRnwj
堺屋太一とかが信長を評価してるのは
情報と兵站を重視してる所ぐらいだな
桶狭間は情報戦で優位に立って勝ってるし
本願寺には兵站で勝ってるようなもんだ

481 :人間七七四年:2007/08/10(金) 20:40:31 ID:KSZXjAaC
実際信長が戦国の革命児なのは間違いないだろ
誰も「天下統一」なんて馬鹿なこと考えなかったんだから

482 :人間七七四年:2007/08/10(金) 20:42:09 ID:nnYNlifl
そうだな。 有能なのは認めるが、要は斎藤義龍死後・雑魚ばっかだったという
のがホントのとこだろうね。 もちろん信玄や謙信に媚びまくった外交姿勢は評価に
値するけど。 楽市楽座はパクリ・兵農分離も実際機能してたか微妙ってことで
信長の革新性は疑われる。 もちろん鉄砲戦術なんてのも信長の専売特許ではないし、
鉄砲があれば誰にでも勝てるというもんでもない。
ということになると、義龍死亡・朝倉雑魚・北畠雑魚・信玄死亡・謙信死亡
と運が良かったラッキー武将と言えるかもね。 

483 :人間七七四年:2007/08/10(金) 20:51:02 ID:KSZXjAaC
>>482





信長の相手が雑魚ばっかというそれ自体が徳川史観だからwwww
全くアンチ信長厨は徳川史観が大好きだな

484 :人間七七四年:2007/08/10(金) 20:58:45 ID:0JuYoOmL
>>478
楽市楽座とか
兵農分離が実際のところ、ちゃんと機能してたかどうかでしょ。
たぶん、どの歴史本も「信長が〜をやったからすごい」としか述べてないわな
やったじゃなくて、その効果をはっきり示してたら問題にはならない。
信憑性があるものとして石高データを照らしたら
尾張美濃を抑えるだけで、大大名で京からの位置も絶妙に恵まれてたってこと。

485 ::2007/08/10(金) 21:20:57 ID:Z9VLFDGQ
トクガワか・・・あぁあの史上最低の粘着幕府を作った男の事か? 

486 :人間七七四年:2007/08/10(金) 22:37:00 ID:q1OGdMpI
>>453
何時秀吉が豪農の出身だということが一番有力な学説になったんですかあ?
ばーか

487 :人間七七四年:2007/08/10(金) 22:41:00 ID:NbmJykw+
>>484
完全に兵農分離が出来ていたかは分からんが、
信玄上洛時の信長の動員兵力は約10万でしょ。

石高から換算した動員兵力を超えていたわけだから、
全てとはいわんが、戦争専門の兵を抱えていたのは事実では?


488 :人間七七四年:2007/08/10(金) 23:13:05 ID:fKL7makr
>>487
10万ってどこから聞いたの?

489 :人間七七四年:2007/08/11(土) 03:21:52 ID:0NEFGgS/
>>487
石高から換算された兵力を超えているなら、農兵比重を増やしたことになるんだよw
兵農分離の意味分かってるか?

490 :人間七七四年:2007/08/11(土) 04:47:20 ID:HzfCkK91
つうか兵農分離と動員兵数って実際あんまり関係ないだろ

491 :人間七七四年:2007/08/11(土) 06:43:04 ID:oB2/546c
とりあえず、高校生は名乗ってくれ。
知識は評価するがそっからの、発想がわからん。

わしら爺は明治どころか江戸の話をばぁさんから聞いてる。
名古屋大空襲の話とかすごいぞ。

人が移動するのに、ご飯、寝るとこ、そういうのをわかってるのかな。
田楽の基本もそこだよ。

簡単に1万とか3万とか、公記でいうけど、それ自体がすごい。
夏休みに家族連れて5人で移動したって大変。

歴史解釈はそっからなんだけどね。

492 :人間七七四年:2007/08/11(土) 11:30:09 ID:7h1OQ/WM
信玄とか謙信とか、先代から基盤を受け継ぎその地方随一とされる大名さえ、一ヶ国以上の大勢力を滅ぼしたことは稀でかつ生涯稼いだ石高は百万石前後
信長はざっと見積もって800万石切り取り、滅ぼした国持ち勢力は斎藤を皮切りに幾つもある
これだけで十分強烈

493 :人間七七四年:2007/08/11(土) 13:06:04 ID:5uSsaWWZ
朝倉スレのコピペ

姉川については現地に行って地形を見ると
完全に嘘だと言うことがわかる
家康が岡山(勝山)に本陣を置き、
景健は三田村城(館)に本陣を置いたとされているが
お互いの陣が見える位置なんだな
だから榊原隊が迂回して横槍を入れたなんてことは
絶対に不可能なんだな。
そもそも負け戦ならその後の義景出陣の時
景健が先鋒を務めるはずが無い。

姉川は完全に偽造ですw

494 :人間七七四年:2007/08/11(土) 13:48:07 ID:6ZtpvqWH
>>492
尾張美濃で優に百万超えるわけよ
この時点で天下統一戦線で一歩リードしてるし
京からの位置も一番いい枠をもらってるわけね
おまけに、京周辺 近畿は混乱しきっていた。
評価できるのは桶狭間で今川を退けたことかな
今川さえ抑えてたら、後は京を目指すだけ。
何気に信玄が頑張りすぎたおかげ信長が成長したっぽいな



495 :人間七七四年:2007/08/11(土) 14:35:46 ID:6PLqvp9Q
>>492
知名度は低いが、
浅井朝倉が70万石、斉藤氏が50万
六角氏でさえ30万石勢力だからなあ。

信玄と謙信が生涯を掛けて取り合った川中島なんて5万石・・・・

496 :人間七七四年:2007/08/11(土) 14:47:18 ID:eDYGf/fJ
>>489
だから、兵農分離が出来たかは知らん。
ただ、兵の専門職があったのではないか?ということ。

>>490
常備軍を抱えていたなら、
動員スピード×動員兵力×動員期間は他を圧倒したはず。



497 :人間七七四年:2007/08/11(土) 15:01:07 ID:FM9HTPBp
>>496
お前の思う兵農分離を定義してくれ

498 :人間七七四年:2007/08/11(土) 15:14:59 ID:7VyzCA/x
これらのノブナガ信者の評価をみて
どれほど日本で織田信長が過大評価かわかるな・・・

・・・おまいら、自分の好きな武将である信長のこと「しか」知らんだろw

499 :人間七七四年:2007/08/11(土) 15:20:44 ID:iWMMF7S1
>>495の偏向的な考え方に驚愕した。

500 :人間七七四年:2007/08/11(土) 16:24:12 ID:Dyjew0LU
>>494
おいおい、不利な状況から弾正忠家を掌握し、他織田家を駆逐し尾張を統一したのも
美濃三人衆を調略し、好機と見るや一気に美濃を手に入れたのも無視ですか、そうですか。

501 :人間七七四年:2007/08/11(土) 16:30:26 ID:uMzBake+
他はいいけど弟に家督奪われそうになったのは自業自得じゃん

502 :人間七七四年:2007/08/11(土) 16:39:11 ID:Dyjew0LU
>>501
理由が本当に馬鹿そうだったからなのか、単純な派閥争いだったのか正確な事は分からんが、
家督相続争いという事はどこでも起こり得る。
重要なのは不利な状況から勝利し、あまつさえ敵方の重臣を自らの忠臣としたという結果。

503 :人間七七四年:2007/08/11(土) 17:35:46 ID:XNW6xvNT
仮に信長が美濃奪取時点で死んでいたとしても

信長>>>>>>>信玄 だからな
領土拡大スピードが半端じゃない
一時期700人で戦ってた男が100万石にまでなったんだぞ
10万石として、領土を10倍にするのに費やした時間が僅か20年
早すぎる 信玄なんて5倍にするのに倍の40年かかったのに 領土拡大スピードが信玄と信長じゃ4倍〜8倍は違うんだよ

504 :人間七七四年:2007/08/11(土) 17:41:07 ID:iWMMF7S1
信玄は家督継いでから30年くらいしか生きてないんだが・・・。

505 :人間七七四年:2007/08/11(土) 17:52:16 ID:Dyjew0LU
信長は、その類稀なる行動力と判断力で天下にあと一歩という所まで上り詰めた。
秀吉は、のぶなが譲りの行動力とこれまた類稀なる外交力によって見事天下を統一した。
一方、家康は長生きした。

506 :人間七七四年:2007/08/11(土) 20:11:04 ID:0NEFGgS/
>>503
まわりが雑魚ばっかだからだよ。
信玄は甲斐・信濃を制圧の段階で謙信が存在したことが全て。
信長は浅井・朝倉なんで助かった。
これが反対なら、拡大スピードは逆転する。ただそれだけのこと。


507 :人間七七四年:2007/08/11(土) 20:30:06 ID:icu4edUQ
一般社会におい信長が過大評価されているのは間違いないが
この板の信長過小評価もひどいなw
最もメジャーな信長をこき下ろして通ぶってる奴らばかりw
>>506とかいい例だなw

508 :人間七七四年:2007/08/11(土) 20:36:34 ID:0NEFGgS/
相手関係が変われば侵攻スピードは変化すると言ってるだけだよ。
誰も信長を雑魚扱いしてるわけじゃない。信長の相手が雑魚だった、よって関東近辺で
強大な均衡のできてる3強あたりよりラッキーだったと言ってるわけさ。

ちゃんと内容読んでからコキおろせよ。ただの煽り馬鹿が。

509 :人間七七四年:2007/08/11(土) 20:50:24 ID:icu4edUQ
>>508
煽り馬鹿なのは俺もお前もお互い様だろw
信長の相手がラッキーだったのは当然だが、
北条・武田・今川・上杉たちが常にお互い争っていたとでも?
彼らもメインの相手は格下だろ?
雑魚相手にしてるのに大して侵攻スピード速くないぞw

510 :人間七七四年:2007/08/11(土) 21:42:29 ID:1PIYdJm/
つか、信長の周りが雑魚だったという理由は。

武田、上杉が強く見えるのは、
徳川史観によって徳川が相対的に強く見えるだけでは。

511 :人間七七四年:2007/08/11(土) 21:44:28 ID:XNW6xvNT
ホントに武田厨は徳川史観が好きだな
信長の敵が雑魚ばっかで、武田上杉強いってのはまさしく徳川史観

512 :人間七七四年:2007/08/11(土) 21:49:22 ID:0NEFGgS/
三方が原で連合軍惨敗してるじゃん。
手取川では後詰め失敗して、能登から加賀まで制圧されてるじゃん。
北条もそれらの軍とやりあってたわけだし、この辺がほんとに朝倉とかと変わらなく
見えるのか? 徳川史観うんぬん関係なく自分で考えて。
斎藤道三の頃は強いし、実際信長も同盟した。運が良かったと言えば義龍が死んでくれた
こと。伊勢から攻め取ったとしても、美濃を攻略できないなら何時までも喉元押さえられる
ことになるからな。拡大スピードは半減するだろう。このように、相手関係の運・不運は
大きい要素なんだよ。

513 :人間七七四年:2007/08/11(土) 21:59:01 ID:XNW6xvNT
お前はどんだけ講談小説が好きなんだ…
一応言っておくが朝倉は信長を何度も追い詰めたんだぞ 武田や上杉が1度でも織田をギリギリまで追い詰めたことがあるかよ
信長包囲網の時も仲良く手を取り合って信長の壁となってたじゃねーかww

龍興は講談小説ではあんなんだが実際にはなかなかの人物だぞ
美濃50万石をあれだけ早く削れたのは丹羽の力もあるが… やはり信長の力が凄まじかった

514 :人間七七四年:2007/08/11(土) 22:04:30 ID:0NEFGgS/
そうなんだw 織田信者の発想では朝倉は武田・上杉より上なんだw

あと、仲良く壁ってのはなんのことだ?



515 :人間七七四年:2007/08/11(土) 23:04:28 ID:XNW6xvNT
要するに見方次第でどうにでもなるってこと
必ずしも上杉・武田>朝倉とは限らない

第一次信長包囲網
浅井・朝倉・本願寺・三好らで信長を攻撃
その時上杉武田は争っていた 織田家を攻めてはいない
これが織田家を滅ぼせる唯一にして最大のチャンスだったわけだが… ま、自国のほうが大事だわな

516 :人間七七四年:2007/08/11(土) 23:08:17 ID:FM9HTPBp
>>513
力というか根回しというか、過去に織田の将軍を擁しての上洛を妨害したってのがひびいたというか


517 :人間七七四年:2007/08/11(土) 23:17:50 ID:76+LfPDH
斎藤龍興や朝倉義景の優秀さを伝える史料ってなんか有ったか
この両人信長公記でも微妙なんだが
もしかして「センゴク」か?

518 :人間七七四年:2007/08/11(土) 23:19:20 ID:XNW6xvNT
逆に○○は優秀って書かれた史料のほうが怪しいぞ…
一応信長の義景への「もはや天下は朝倉様の物です へへぇーっ」という心が全くこもってない口先だけの手紙ならあるけど

519 :人間七七四年:2007/08/11(土) 23:21:03 ID:76+LfPDH
それ三河物語の記述だろ>天下は朝倉様に
信長ファンが一番嫌う書物じゃん
もしかしてその信長の書状って現存してるの?

520 :人間七七四年:2007/08/11(土) 23:23:53 ID:XNW6xvNT
だから○○は優秀 なんていう史料は怪しいのばっかだと

521 :人間七七四年:2007/08/12(日) 01:14:10 ID:IZPTXSZq
>>517
龍興は知らんが、朝倉については数多く残ってるぞ
(義景個人っていうより義景の時の朝倉家ってのが多いけど)
あわび話なんかも有名だし、
「静かにて治まる国」とか義景が無能なら、そんなこと言われないだろうし。
まだ見てない(すべて公開されていない)が、一乗録が気になる、
今までとは違うことがいろいろ書かれてるらしい

>>519
書状は残っていないが
講和自体は朝倉陣営の壺笠山城で行われていることからも
信長のほうから義昭を通じて講和を申し入れたのは明白だろう。
(一度朝倉は講和を断ってはいるが)
当然信長のほうが先に陣を解いている



522 :人間七七四年:2007/08/12(日) 01:20:03 ID:wn7MutNK
朝倉は前代が優秀だったんじゃない?

523 :人間七七四年:2007/08/12(日) 02:36:22 ID:y0kXXdwu
天皇から簒奪しえたのは信長だけ

524 :人間七七四年:2007/08/12(日) 03:05:45 ID:D4uclco1
つ足利義満

525 :人間七七四年:2007/08/12(日) 05:07:03 ID:hKEDg9Fi
そういえば
加賀一向一揆に対抗するため朝倉と上杉が組んで攻めたことがあったが
朝倉は加賀半分奪って追い詰めたのに対し、
上杉は苦戦したことから
朝倉>上杉か?

526 :人間七七四年:2007/08/12(日) 10:14:46 ID:SiFXU0E5
今から見ると信長が勝ち残ったの知ってるから、浅井や朝倉や武田はこうして置けばよかった、なんていえるわけで、当時はちと調子づいた田舎の変人、ぐらいの認識だったわけでしょう。
実際に信長がどのあたりから天下統一の意思持ってたかに興味あるね。
天下フブ印を根拠にする人も多いけど、あれはかなり初期から使ってて、当時はせいぜい尾張美濃ぐらいを天下と思ってたかもしれない。

美濃を平定したあたりからスケベ心が出てきたのか、もっと前から上洛の意思があったのか、このあたりは面白いとこだ。

527 :人間七七四年:2007/08/12(日) 10:49:21 ID:upjaj0Ge
>>526
あくまで結果からの逆算に過ぎないけど・・・

永禄元年、尾張統一。
永禄二年二月上洛、将軍義輝拝謁。
永禄三年五月桶狭間、義元討滅。

どれだけ早くても、永禄年間以降じゃないかな?
現代で言えば「世界征服」に近い、労多くして益少なし、
はっきり言えば妄想に近い天下統一事業、尾張が田舎とは
思わんが、変人には違いないね w

528 :人間七七四年:2007/08/12(日) 11:01:31 ID:VBsGk44O
>>517
「SENGOKU」の朝倉義景のどこが有能なんだよw

529 :人間七七四年:2007/08/12(日) 11:07:00 ID:2anp77fD
遅まきながら池上遼一の信長みたけどなんだかね〜。コレ。

530 :人間七七四年:2007/08/12(日) 11:24:16 ID:VBsGk44O
花の慶次に出てくる信長が激しくかっこいいよね
ソリマチは多分これのモノマネをしてたんだろうね

531 :人間七七四年:2007/08/12(日) 12:42:34 ID:LBSXY+GK
しかし信長を見てると引き際って大事だな と思う
引き際を見誤った今の総理といえば…ww

532 :人間七七四年:2007/08/12(日) 14:46:51 ID:XPP7XiLC
>>531
薩摩の芋を切り捨てた長州の大久保は大宰相となり、
薩摩の芋を庇った長州の安倍は選挙に負けた。

533 :名無的発言者:2007/08/12(日) 16:06:18 ID:jAGBxnh1

信長のすごいところは時代を中世から近世に変えたところだ。こう言うと『中世
』と近世ってどう違うの?』と疑問が出そうだが実は大違いでありこれが出来た

おかげで明治以後の近代化が急速に進んだといっても過言ではない。では中世と
近世はどう違うかというと、まず中世は人口の90%以上が農民であとは武士、

公家、僧侶しかいない、そして農民は何でもやった。家も作った城も作った薬も
作った、商売もした、戦争もしたそしてもちろん農業もした。なんでそんななん

でもしなければいけなかったのかというと呉服屋も大工も瀬戸物屋も豆腐屋もい
なかったからだ。だから何でも自分たちで作った。そして市場で売った。商人が

いないから物を運び売って買ってもって返ってくるまでやっぱり農民が自分でや
った、『でも戦争は武士がやるだろ』と思うのは間違い、兵隊の90%は農民兵

534 :名無的発言者:2007/08/12(日) 16:27:46 ID:jAGBxnh1
>>533 より追加

だった。それを信長が変えた。楽市楽座と関所の撤廃によって商売がしやすいよ
うにし、また城下町に商人街工人街を作って商工業を育成した。また傭兵集団を

作って農民兵を撤廃した。このため農民は農業に専念して生産が上がった。織物
も大工も農民の片手間ではなく専門の工人が作るようになって生産性と性能が一

気に上がった。商売も農民が市場に持ち込んでするのではなく、商人団が大型船
に商品を積んで遠く中国やベトナム、フィリピン、タイまで出かけていって交易

し利益は格段に上がった。そして戦争は専門の戦士団がやった。この戦争専門集
団の特徴は一年中戦えるということだ。農民兵は田植え稲刈りの時期には村に返

さなくてはいけないだから、農繁期には戦争ができない。この戦争が出来ない時
期がある軍隊に一年中戦える軍隊をぶつけるのだ。だから信長軍は長期戦には圧

倒的に有利だった。敵の城を囲んで何年でも待ち兵糧攻めにするという作戦も実
は信長軍にしか出来なかった。こうして信長は日本を中世から近世に変えた。も

しこれが無くて専門の商人も工人もいないまま明治をむかえたら近代化は出来な
かった。少なくてもあれほどの急激な発展はなかった。農民が片手間でやる商工

業では近代工業や貿易は出来なかったからだ。

535 :人間七七四年:2007/08/12(日) 17:20:48 ID:337f7ZrU
三河物語なんて、松平清康があと十年生きてたら天下取ったとか、まさに徳川マンセーバイブルだからなぁ
僅かな年数で三河をほぼ統一した清康は確かに逸材だろうけど、いくらなんでも無理

536 :人間七七四年:2007/08/12(日) 18:01:14 ID:Xsrsv0/c
信長が農民兵を撤廃したなんて初耳なんだけど

537 :人間七七四年:2007/08/12(日) 18:01:53 ID:upjaj0Ge
>>533
話の筋としては別に文句はないけどね、工人、商人の専門家の
萌芽は鎌倉中期以降には既に始まってるよ。
あと、その何でもかんでも信長のおかげ、っつーのが過大評価
だっていうのがスレの主旨なんだけど。
商工業先進地の京都では、座も保護したし関所も撤廃してない、
なんてことはもう誰でも知ってる常識なんだけど。

538 :人間七七四年:2007/08/12(日) 18:27:54 ID:NA7kY+EY
>>533
なんかで読んだなw
まーこれが信長の過大評価のいい例なわけだがw

539 :名無的発言者:2007/08/12(日) 19:21:43 ID:5TIJap61
>>537

>商工業先進地の京都では、座も保護したし関所も撤廃していない

そうなのか? 知らなかった。 勉強不足を反省

まあ、全て信長がやったと言うのは過大評価だと思うが信長の政策が中世と近世
の分岐点なのはたしかだと思う。商工業の萌芽が鎌倉時代なのは認めるけど、あ
くまで萌芽でありやはり士・農・工・商・分業社会が【完成】したのは信長の政
策だと思う。

540 :人間七七四年:2007/08/12(日) 19:27:36 ID:uPhjDrCa
>>539
>信長の政策が中世と近世の分岐点なのはたしかだと思う。
>士・農・工・商・分業社会が【完成】したのは信長の政策だと思う。
もっと勉強不足を反省して下さい。

541 :人間七七四年:2007/08/12(日) 19:32:14 ID:D4uclco1
>>534
>>敵の城を囲んで何年でも待ち兵糧攻めにするという作戦も実
は信長軍にしか出来なかった。

元就さんの嘆きの声が聞こえるようです。

542 :人間七七四年:2007/08/12(日) 19:40:19 ID:IyvhsrP8
>信長のすごいところは時代を中世から近世に変えたところだ。

この一言に「無教養な人間が信じ込んでいた信長の過大評価」が
凝縮しているw

543 :人間七七四年:2007/08/12(日) 19:50:17 ID:N71Ix7ug
六角や今川なんかがやった楽市ってのは既存のものを大名の名の元に認めるというだけのもの。
システム自体は既に成り立っていて、主に寺社領で行われていた。
それを大名が認める事で寺社領であっても大名の支配下にあると宣言した。
信長も安土以外では同じようなものだけど、安土では寺社領であっても最低限の税金は搾取した。
信長が宗教勢力と争ったのも、彼らが牛耳っていた既得権益を奪うための物で、
それを手に入れた信長は他の大名など問題にならない経済力を手に入れた。

桶狭間や美濃攻め、刀根坂、天王寺などでも好機と見るや何時だろうと、
準備が出来ていなかろうと直ぐに行動に移る。

実際に上司や同僚に居たら鬱陶しい事この上ないが、
こういう人物でなければ、あれ程の勢力拡張は出来ないだろう。
革新的とまでは言わないが、他の大名達とは明らかに違った事は確かだろうね。


544 :人間七七四年:2007/08/12(日) 20:14:06 ID:4rcpu5BZ
まぁ、信玄とか謙信とかがいなくても別に歴史に影響はないが
信長がいなければ、かなり違ったものになっていた
そういう重要度があるからだろうな
元就のように、子孫の家臣が歴史を動かしましたってハナシもないわけじゃないが
当時を俯瞰するとそうなる

545 :人間七七四年:2007/08/12(日) 20:53:54 ID:wnF9xlqX
信玄いなかったら謙信や義元や氏康などの信玄に深く関わった人の人生は変わってただろう。
そうなればそいつらに関わった信長、その信長に関わった秀吉や家康の人生も変わってきて歴史に影響与えてたと思うが。

546 :人間七七四年:2007/08/12(日) 21:00:37 ID:Usr4q7wF
何を根拠に信玄や謙信居なくても歴史に影響なくて信長は影響大とか言い切ってるんだろうな
信長厨が居ても居なくても歴史に影響ないっつう話ならわかるが

547 :人間七七四年:2007/08/12(日) 22:36:33 ID:LLmts+Z3
>>534
>敵の城を囲んで何年でも待ち兵糧攻めにするという作戦も実
>は信長軍にしか出来なかった。

「月山富田城」で検索してごらん

548 :人間七七四年:2007/08/13(月) 07:50:30 ID:kXBZyTu+
まあ農民が90%なんてマオリズムの理想だから、信長がそっちへ行かなくて感謝しなくてはね。
ポルポトとの類似を語る学者もどきならいそうだが。

549 :人間七七四年:2007/08/13(月) 11:57:23 ID:C6ECyNCn
長篠合戦では、信長は直臣から鉄砲奉行を出して各家の鉄砲衆を集中統制した
それまでの鉄砲隊は、軍役を担う家ごとの備に分散配置されていたから実はこれこそが画期的
旧来、領主の手にあった決戦兵力を大名が直接統制するようになった
当時の軍隊動員体制からすれば、講談の三段撃ちなんぞより、はるかに凄いことなんだが

550 :人間七七四年:2007/08/13(月) 12:28:32 ID:mxsyH78J
>>549
長篠の戦況は実際、長期戦で兵士は休養のため
に国へ帰ったりもしている。
激戦で武田が不利だと判断して
退却する時に、大崩れして大損害したわけでしょ
織田徳川方も相当な被害が出てる。
実際、鉄砲なんて活躍してません

551 :人間七七四年:2007/08/13(月) 12:33:11 ID:nBm1LSMG
日本語は読めても文章は読めてない類の馬鹿だな

552 :人間七七四年:2007/08/13(月) 20:13:58 ID:KwgfP26d
つか、信長の兵農分離、楽市楽座は、

1.ある程度の規模に成長したら、常備軍が必要

2.常備軍は金で雇う必要がある。

3.金の経済を握っている寺社をあぼん。

なわけで、
信長以外の大名が巨大化したら、同じ道をたどった可能性があり。


553 :人間七七四年:2007/08/13(月) 20:18:12 ID:j7qPEvjW
織田徳川にも甚大な被害が出た説は、長篠日記という信憑性の低いやつにしか出てこない話
実際、織田徳川の名のある武士に被害は殆どなく、一手の将にいたっては奇襲部隊の一人が戦死したぐらい
そして戦後、他ならぬ武田家の体制が鉄砲を異常に重視するようになっている
(鉄砲が軍役の第一に来て、輪番制の鉄砲玉薬奉行設置、鉄砲訓練の懈怠が罰則対象に)
通説ほど強烈だったかはともかくとして、敵からみても鉄砲隊を手強しと見たのは史実だろう

554 :人間七七四年:2007/08/13(月) 20:22:21 ID:EY1Uk/Rq
>>552
その、寺社をあぼん、が出来ないんだ。
信玄は自分が僧だし、中小大名は寺社に押さえられて巨大化できない。
信長以外、と簡単に仮定するけど、それが出来た、そしてその必要性を理解していた、のは信長だけだったんだろうね。

555 :人間七七四年:2007/08/13(月) 20:32:20 ID:KwgfP26d
>>554
信玄は寺社勢力を味方につける為に出家したわけで、
敵対関係になったらあっさり還俗するんじゃない。

>信長以外、と簡単に仮定するけど、それが出来た、そしてその必要性を理解していた、のは信長だけだったんだろうね。
そうだろうか、殆ど大名は米本意経済?に限界を感じていた筈だし、
米以外の産業の開発に注力していた。
商工業を寺社が管理しているは当時に人間なら誰でも分かるはずだし、
遠征軍を起こす規模の大名になったら常備軍、金の必要性は考慮するはず。
金が必要になったら寺社との対決は考えるんじゃない?

556 :人間七七四年:2007/08/13(月) 20:35:29 ID:j7qPEvjW
コロンブスの卵、と言う奴だな
誰かがやってみせれば「ああ、こんなことが〜」と簡単に考えるが
実際にやってみせる人間は稀である
歴史は往々にしてその稀である人間を英雄と呼ぶ

557 :人間七七四年:2007/08/13(月) 20:49:19 ID:EY1Uk/Rq
>>>555
だもんで、信玄は、寺社を味方につける、というところがいかにも旧世代の発想であって、敵対関係にはなりようがないでしょう。
持ちつ持たれつを選択したのだから。
ほんで、そのままでも信玄国は十分まとまっていたわけで、何も無理して寺社とと争ったり上洛する必要はないわけだ。

殆どの大名は、って言うけどそれが大きな誤解、ってやつなんだよね、556さんも言ってるけど。
遠征軍を起こす規模、というのが少し誤認識というか。
信玄で言うなら金山持ってるから寺社と争う必要も無い、なのに兵農分離しなかった、つまり常設軍や上洛天下取り、という発想の無かったことの論拠にもなってる。

話戻して、あの時代、兵農分離、なんて実現させたのは信長だけだったし、誰でも考え付いた、というのは結果から歴史を判断してるだけなんだな。

558 :人間七七四年:2007/08/13(月) 21:14:01 ID:KwgfP26d
うーん、鶏卵の話になってきた。

>信玄で言うなら金山持ってるから寺社と争う必要も無い、なのに兵農分離しなかった、つまり常設軍や上洛天下取り、という発想の無かったことの論拠にもなってる。
甲斐の金山が枯渇したら、駿河の安部金山を狙ったという説があるよね。
仮に駿河に金山がなく、京や堺や博多なみの商工業地帯があったら、
商工業を管理する寺社との対決も考えるんじゃない。

同時代に博多を抑えた大内、大友が交易で反映していたわけだし、
商工業を管理して貨幣による税収を拡大するのはコロンブスの卵ではないと思う。

559 :人間七七四年:2007/08/13(月) 21:16:25 ID:j7qPEvjW
日本の封建時代の特色は、転封のように家臣団含めて丸ごと土地を移転するシステムが成立したこと
農民を徴用して兵士に仕立てる制度は、幕藩体制下でも(戦争が無かったために)殆ど発動されなかったとはいえシステムとしては維持されてきたから
兵農分離という呼称が正しいのかどうかは疑問だが
要するに、家臣団を地縁から切り離す努力だろうね
独立した領主達が推戴する者→大名から、大名の家臣団そのものへと移行させる流れ

560 :人間七七四年:2007/08/13(月) 21:57:16 ID:EY1Uk/Rq
>>558
ちとズレて悪いが、寺社が商工業を管理、というのの認識が違うね。
寺社は警察と893がつるんだようなもので、管理じゃなくて用心棒になってやるから金払え、みたいな農町民から見たらあまりうれしい存在ではなかった、というのが根本認識なんだ。
信玄みたいな立場から見るとこれは治安維持に役立つし利用する価値はある。

でも信玄んとこみたいに年貢安い国ならともかく、他国でこんな悪徳警察が、市開くなら金払え、寺の前通るなら金払え、みたいなことやってたらそりゃ住民はいやでしょう。
それを率先して無くしにかかったのが尾張国で、信長が農民たちから支持受けた理由なんだよね。

話戻して、商工業を管理、じゃなくて自由主義経済を取り入れた、みたいに考えると、信玄たちには出来ないことであろうし、やっぱり信長の卓越したセンスを感じる。
藤吉郎なんかも下っ端の出だから、何が部下の支持を受けるか、農民が喜ぶか、そういうのをよく理解してたのだと思う。

で、尾張国は治安が良かった、つまり武士、部下に対する統制は日本一良かった。
だもんで893や悪徳警官はいらなかったわけね。
これは上洛した時の記録なんかにもよくあらわれてるし。




561 :人間七七四年:2007/08/13(月) 22:58:04 ID:qe5wD12H
>>560
一つ、あなたの認識間違いを指摘しておきましょう。
中世までの日本は、別に武士による一元支配はなされていません。
武士の支配地の外には、公家や寺社が支配する領域が普通にあって、それが
当然の世界だったのです。
武士が(主に)農村を支配し保護するのが当然と思われたように、流通や商売は
主に寺社の管轄だったのです。

そんな中世社会が解体され、武家支配に再編成されていったのが戦国期。織豊
政権が最終的に纏め上げ、江戸幕府が完成させた。

ところで、「信玄んとこみたいに年貢安い国」ってこれなんて冗談?

562 :人間七七四年:2007/08/13(月) 23:01:31 ID:nBm1LSMG
>>561
兵農分離がおだの専売特許とか、それが常設軍につながるとか、このあたりから釣りとわからんか?

563 :人間七七四年:2007/08/13(月) 23:04:05 ID:ESpC9OaN
信玄時代の甲斐は一応四公六民
ただ棟別銭や段銭、有徳税みたいな臨時税を常態化させただけw

564 :人間七七四年:2007/08/13(月) 23:21:03 ID:EY1Uk/Rq
>>561
ふ〜む、なるほどね〜、というとよく美濃とか尾張みたいな言い方するけど、その中に公家の土地、寺社の土地、そういうのがあるということでいいの?
とすると公家の土地を守護するのはどの勢力になるの?
そういう意味で寺社はやっぱり商業を管轄してても、それに携わる人たちからみたらあまり良い支配層には思われてなかったと思うのだけど。

ほんで、信玄とこみたいに金山持ってるとこは地租が安くて、それが今でも先祖の威徳、という形で現れてる、って氷川清話かなんかで読んだものでそう思ってた。
もちろん堤作ったり農業開拓に力を入れた、という意味もあるだろうけど、基本は暮らしやすい国、を作ったと思ってたんだ。このへん、教えて。

さらに、兵農分離は織田の専売特許じゃなくて、一番最初にそれを確立した、という意味なんだけど、違うの?
ほんでそれが常設軍につながって戦国時代において一歩リードした、と言う風に思ってたけど。

細かい点はともかくおおまかな点、教えて。

565 :人間七七四年:2007/08/13(月) 23:30:45 ID:KwgfP26d
つうか、室町以前の日本歴史では、
武士や公家の統一政権は寺社と権益を巡って争っている。

ある程度勢力を拡大したら寺社と勢力争いをするのは、
この国の歴史の伝統じゃね。

566 :人間七七四年:2007/08/13(月) 23:33:16 ID:Yahmp0nd
>>554
浅井六角細川三好なんかは寺社を焼き討ち
北陸では朝倉と上杉が一向宗と血みどろの争い
北条領では一向宗禁止
今川領では寺社領の検地、仮名目録28・29条でやや介入
武田は法華宗の規制、善光寺から仏像強奪

織田以外にもいろいろある


567 :人間七七四年:2007/08/13(月) 23:45:51 ID:EY1Uk/Rq
テス

568 :人間七七四年:2007/08/13(月) 23:53:21 ID:Yahmp0nd
>>564
>よく美濃とか尾張みたいな言い方するけど、その中に公家の土地、寺社の土地、
>そういうのがあるということでいいの?
それで大体あってる、寺社領とか御料所などで調べてみ

>ほんで、信玄とこみたいに金山持ってるとこは地租が安くて
>>563が書いているようにいろんな税金があるため税は高くて暮らしにくいんじゃないかと思う
基本的には武田は農民から収奪して絞りつくようなシステムなんじゃないかと思う
【武田】2万5千で上洛【信玄】その50
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1178360250/243-331
あたりが詳しいかとID:k1rHU62Nみたいな変なのもいるが

兵農分離は何処もやっているけど
一大勢力として一歩リードした結果、
織田家が他大名よりも兵農分離をより進める余裕が出てきたと考える方が自然なんじゃないかと
兵農分離すれば兵数は減るから

569 :人間七七四年:2007/08/13(月) 23:55:59 ID:EY1Uk/Rq
>>568
さんきゅ、いっぱい書いたがアクキンになってしまふ・・

570 :人間七七四年:2007/08/13(月) 23:58:20 ID:EY1Uk/Rq
ほんで、566さんの答えにもなるんだけど、信長ってのは、兵農分離とか寺社の既得権益に挑戦、
ってのを明らかに意図してやってるのが、信玄たちとは違う、ってことなんだ。

571 :人間七七四年:2007/08/14(火) 00:41:45 ID:x4TG4d8p
>>559
侍が農業を営む事と、農民から徴兵する事は全く違う事なんだが。
農民から徴兵したら当然反発が予想され、簡単に離反される事も考えられるから
そりゃ中々出来ないだろうよ。

572 :人間七七四年:2007/08/14(火) 00:50:40 ID:Fv9o68co
>>570
信長が寺社と対立せざるを得なかったのは畿内を一円支配する
ためだよ。畿内を基盤とする戦国大名という意味じゃ、先輩格
の三好も苦労してる。天台、法華、浄土(一向宗)は言うに及
ばず、南都(興福寺)なんて大和一国の守護だし、根来みたく
鉄砲傭兵集団抱えてるところもある。
こんな連中相手に、まともに武士階級による独裁を目指したら
(天下布武しようとしたら)全面衝突せざるを得ないよな。

為政者の政策は要・不要、武田の酷税にしたって、(当時の)
甲斐や信濃じゃ農業収穫に大きな期待ができないから、棟別銭
や関銭で、家単位、個人単位で搾り取らざる得なかったんだし。
信玄が天台座主になり本願寺と姻戚関係を結んだのは、当面の
領国支配にデメリットが無く、仏法の守護者を気取れるから。

573 :人間七七四年:2007/08/14(火) 00:50:58 ID:rwW5lPE5
信長の兵農分離は、土地に依存している豪族とは別に、
土地に依存しない浮浪層(浪人、流民)を自軍に組み込んだことじゃないの?

明智とか滝川とか木下は代表されるけど、
軍の末端層でも浮浪層を雇っていたのでは。

574 :人間七七四年:2007/08/14(火) 01:18:51 ID:Mg73bTQk
だよね、地侍、って言い方なんだろうけど、そういうのが勝手に関所みたいなの作って中間搾取してた、そういうのを全部自軍に組み込んだのでしょう。

>>572
畿内にとどまらず天下統一というより自分の好きな国家にしようと思ったら当然寺社が邪魔。
これは殲滅戦だね。
ところで信長は根来とか鉄砲傭兵を雇ったりしてるのだけど、彼らはなんで寺社じゃなくて信長についたのだろう。
単に金かな。

575 :人間七七四年:2007/08/14(火) 01:38:04 ID:7mEt1IEZ
>>574
根来衆も雑賀衆も一枚岩ではないが
根来衆は真言宗で浄土真宗の本願寺とは別宗派
根来衆は元々畠山氏との繋がりが強いので三好氏とは対立に近い関係
石山戦争の折、根来衆は河内の一向宗寺院を破壊して回っているという風聞が流れたぐらい

本願寺と三好氏に対抗するため信長に付いた、
若しくは本願寺三好と一線を画していたため織田に付くことに抵抗が無かった
と言った所だと思う

雑賀衆は主流派は本願寺に付いたが三組とか言われる一派は主流派に対抗するため
織田に付いたとも言える

576 :人間七七四年:2007/08/14(火) 10:07:23 ID:0nA1X8Sr
>>575
根来寺と言っても分かれたのは古いし、僧兵という意味合いも弱くなってたのだろうね。納得した。

577 :人間七七四年:2007/08/14(火) 12:55:13 ID:iWd45aft
【ホモ】ayumi hamasaki part.48【限定】
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1186704201/l50

性病持ちの性悪ホモ達がオネエ言葉で浜崎あゆみを熱く語っています。
メイクが悪い
衣装が悪い
曲が悪い
全てが悪い
ボイトレしろ

この夏ホモ達はより強く輝きを増す
みなさんもこの議論に参加しましょう!

578 :にゃんこ:2007/08/14(火) 14:09:09 ID:R6yx0HUs
 農村に、軍役衆(大名の手先として出世を目指す好戦的な分子)と、
百姓衆(大名から距離を置き、自治を目指す非好戦的な多数派)の溝が
あった。つまり、農村の中ですでに兵農分離は進行していた。
 この軍役衆を城下町へ移住させて、百姓衆による村の自治が進展することの
引き替えに、百姓衆は年貢の村請けの責任を負った。これが、兵農分離。
 決して、信長や秀吉が自分のアイデアを押しつけたのではなくて、農村の
実態に応じた政策を採用したのである。只、地域の先進性と後進性や、実施の
具体策において、この政策に適合しない場合もある。さらに、兵農分離に伴う
丈量検地(個々の農民に対する実測の検地、増税につながる)に対して、反乱が
起こりやすい。

 武田家や北条家が四公六民 ってなのは、おかしい。年貢率なんてのは、
自作農が主流にならなければ、公定できない。武田家や北条家の領土に、
どれだけ、自作農がいたのか?豊臣政権ですら、年貢率ははっきりしてなかった。
(2/3と推定する説がある。)
四公六民ってのは、江戸時代の創作だろ。

579 :人間七七四年:2007/08/14(火) 19:00:19 ID:0seFqZ5o
明智や滝川は「兵士」ではないので兵農分離とは関係ないな

580 :人間七七四年:2007/08/14(火) 20:33:31 ID:QoDo1cet
天下人レースの半ばで家臣の明智光秀に殺害された織田信長。
革命家のように扱われる点も過大だが、それ以上に
秀吉が天下を取った事で、まるで信長も天下人のように扱われる点。
そこは誰がどう見ても、冷静に評価をすれば極めて過大である

どのような想定をしても、部下による確実な反逆で殺害された人物にIFは存在しない
天下を枕に野垂れ死にでなくとも、せめて病死だったならIFもありえたのだが・・・

581 :人間七七四年:2007/08/14(火) 20:39:20 ID:hdnAeVDT
そうなんだよな、秀吉、家康が天下人だからそれに先行した、もし、はこれほど魅力的なものはないんだよな。

なんだけど、もし、なしでも信長の評価は十分可能でしょう。
わしが思うのは日本国内の近代化じゃなくて、世界にまで進出したら世界史にすら影響を及ぼしたのじゃないか、という点ね。

その後そういう日本人は現れてないのじゃないか、という意味も含めて。

582 :人間七七四年:2007/08/14(火) 21:25:29 ID:Qzv+85DQ
信長が世界史に影響を及ぼすにはかなり長生きが前提になる。
死んだときでさえ49歳でまだまだ敵も残っている以上天下統一に
数年は要するだろう。さらに体勢づくり、その他も無視できない。
人生50年の時代に果たして信長はどれほどのことができたかな。
まあ、秀吉の轍を踏む可能性もあるわけだが。

583 :人間七七四年:2007/08/14(火) 21:47:53 ID:rqST1sEv
>>582
信長が死んであと
家臣達がまったく織田家を担ごうとしなかったでしょ
明智もそうだが、信長は神輿にすぎなくて忠誠心なんて皆無ね。
徳川幕府もおなじ将軍は神輿にすぎない
じゃ真に世の中を動かし、力を持っていたのは、商人と寺社勢力ね。
ここを弄ろうとすると、裏の圧力が結集して権力者に
拒否反応を起こし始める。
結局、信長は歴史のタブーに触れまくり自滅しただけ
明智がやらなくても他がやった。信長には先はないよ。
信玄とか家康はそのことよく理解してたから
争うことなく平行線を保とうとした。





584 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2007/08/14(火) 22:24:37 ID:uOJwUte8
所詮歴史なんて憶測にすぎない・・・なんて事を言ったら身も蓋もなくなってしまうのだが
大河ドラマのように全体の流れはともかく、詳細の部分に至ってはどこまでが事実かなんて
誰もわかりはしない。
もちろん残された資料や発掘調査などから精度は高くはなっているものの、それでもやはり
想像の域を出ないことには間違いないだろう。
例えばテレビ・ラジオ・ネットなど、情報収集の手段は今までにないほど充実した現代でさえ
我々は自身が生きている現在の世の中で起きている出来事をどれだけ正確に把握できてるだろうか?
それを考えると、信憑性の高い資料が皆無に近い歴史は想像の産物と言っても過言ではないだろう。
それゆえ、誰がどのような見解をしてもまた許されるともいえる。

585 :人間七七四年:2007/08/14(火) 22:30:18 ID:hdnAeVDT
>>582
細かい、もし、だが秀吉が天下取るのに本能寺のあと9年、信長なら3〜4年だったでしょう。
そこで53〜4歳。同時に船も作っていれば中国だけじゃなくフィリピンの方にも進出できる。
信長軍は強力だったからね。
そう考えると60までにかなりの進出ができる。
ま、すべては夢のまた夢だが。

>>583
信長死んだ後、清洲会議とかちゃんと織田家を支えようとしたよ、権六とかは。
秀吉があまりに汚いというか卑怯と言うかさすがというか、乗っ取りに成功したから織田家臣の評価が過小なだけでね。



586 :人間七七四年:2007/08/14(火) 22:36:19 ID:VAqPRPcH
>>578
武田家は知らんけど、北条家の場合、伊豆の早雲の時代から積極的に検地を進めた上で制定した
小田原所領役帳が現存してるだけに、創作とか言い切るのは狭量だと思われる。
また北条家はその中で、自治を基本的に許さず、その代わり地方国人の特権も認めず、
中間搾取を極力取り除いていたので、そこから算定される一般民衆の税率が低かったとしても
決して不思議では無い裏づけがある。
その代わり国人層からすれば、権力を奪われる事に他ならず反発するのは当然だが。

豊臣政権ですらというけど、比較にするべき対象を間違ってる、
思想も経済も違う国々が分裂してた時代が100年以上続いてたのに
たった数年のあいだで急激にまとめあげられたんだから
むしろ豊臣政権が税率を決め切れなかったのなんて当然、検地一つとっても何年もかかってしまう。



587 :人間七七四年:2007/08/14(火) 22:48:44 ID:hdnAeVDT
んだな、秀吉以前の税率、なんて正確には算出しようがない気がする。
中間搾取なんて記録には残りようが無いし、掠め取ってた寺社あたりが一大勢力だったこと考えると、そういう負担がかなりだったとも予想される。
これは税金ではないけど、取られるほうからみたら同じだものね。

スレチだが、郵政とか抵抗勢力の既得権に挑戦したコイズミは信長みたいに思えたもんだよ。
参院選前の社保とか大臣不祥事なんてみんな官僚のリークでしょう。
結局日本は役人天国が続くわけで、よく内乱とか起きないものだと思う。
中世〜近世の農民あたりと同じなんだな、今の我らは。

今のままで満足か、信長の登場を期待するのか、はてさて。

588 :人間七七四年:2007/08/14(火) 23:46:19 ID:vrgiCeh6
勝家が織田家の忠臣ってどんだけw
清洲会議で織田家の後継者に決まった三法師秀信に対して、
近江坂田一郡しか与えなかった織田家の宿老連中を何でそうまで評価できるのかわからん
結果的に秀吉が簒奪に成功しただけで、
他の連中も信長死後の織田家に忠誠心なんて毛頭感じてなかった可能性が高い

589 :人間七七四年:2007/08/14(火) 23:57:43 ID:Qzv+85DQ
確かにそうだな。柴田も結局の所3男である信孝を抱きこんで
自分の権力拡大をはかったに過ぎないかもしれん。
秀吉が敗れていればむしろ秀吉が正当な幼君を守ろうとした忠臣と
されていた可能性は高い。

590 :人間七七四年:2007/08/15(水) 00:03:57 ID:Sw/wxdfu
いや、そんな高い評価ってわけじゃなくて、主家に対する普通の忠義心はあったでしょ、という話。
なんだけど、その後のプラン、洞察力、そういうのが無かったから、特に権六はそういうタイプじゃなし、秀吉の前にけちらされてしまった、ということね。
特に我々は結果を知ってるから余計に旧家臣団の情けなさが目に付くしね。

591 :人間七七四年:2007/08/15(水) 00:13:26 ID:5QDqLirc
>>590
だがね、権六は他ならぬ信長自身に対して反逆した事もある男だ。
秀吉にはそりゃ劣っただろうがその手の能力や野心が皆無といえたかな?
秀吉の狙いは確かに幼君を傀儡とすることだったが理屈で言えば非の打ち所が
無いものだった。三法師は正当な嫡流だしな。
これに対していきなり3男を担ぎだし自分の軍勢を率いて敵対することは
周囲の織田家臣からしてもいぶかしく思えたのでは?

592 :人間七七四年:2007/08/15(水) 00:24:24 ID:Sw/wxdfu
無理にこじつけるなら、正当といえども下賤の出の秀吉に主導権握られるよりかは、旧家臣でまとめたかった、という言い方もできるかな。

それより変の後の秀吉の行動は、織田家簒奪としては大層幸運にも恵まれて大成功だったんだけど、いつの時点で、これはいける、と思ったのだろうね。
どうも、変の前からあったような気がしてならないんだ。
秀吉はずっと信長の家臣でいるつもりだったのかな。


593 :人間七七四年:2007/08/15(水) 00:43:40 ID:PTnHE6p1
秀吉の跡取は秀勝(信長四男)だから
周りから見れば秀吉が野心を抱いても
信長の子供の主導権争い程度に見られるかもしれん

594 :人間七七四年:2007/08/15(水) 00:51:32 ID:h47KoimS
>>591
三法師は正嫡とはいえない子だが

595 :人間七七四年:2007/08/15(水) 00:59:03 ID:y7DCBcdO
>>592
旧家臣でまとめるも何も、丹羽を秀吉から引き離すでなし、
滝川や池田を取り込むでなし。勝家についたのは、もともと
組下に配置されていた連中だけだろ。
筋論でいえば、「神戸」信孝にも「北畠」信雄にも織田家を
継げるはずがないんだよ、嫡孫が生存してる状況で。

織田家の将来像に何ら定見無く、自己の利益を最大限に追求
しただけだよ、勝家は。あと、そんなに秀吉のことが語りた
ければ、その手のスレに行ってくれ。

596 :人間七七四年:2007/08/15(水) 01:40:35 ID:qbF7MLgy
信長は武田を滅ぼす前後ぐらいの時期には
朝廷などからはすでに天下人として扱われてたからな
日本全土が織田の傘下になってなくてもすでに武家の頂点には立ってるわな

597 :人間七七四年:2007/08/15(水) 04:25:52 ID:IZrhhp/W
織田家の権力を簒奪して自らが天下の覇者に、
つう野望を抱いたのは本能寺の変で信長が横死してからだろうけど
(荒唐無稽な本能寺の変秀吉黒幕説はここでは考えない)、
松寿丸殺害の命令を拒否して匿ったり、宇喜多の降服を認めたりと
信長生前から結構面従腹背の姿勢を取ってるからな>秀吉
内心信長に「これはもう付いていけないわ」みたいな考えは有っただろうな

598 :人間七七四年:2007/08/15(水) 12:01:18 ID:JvyIL+gJ
秀吉は北陸方面軍の柴田の与力として付けられていた時に
柴田ともめて独断で撤退し、長浜の自宅で遊びほうけたっていうのが凄いよね
信長も普通なら切腹や追放にするところを逆に西国方面軍の司令官にした所が物凄い
この2人は常人の思考能力では理解出来ない所が多すぎる

599 :人間七七四年:2007/08/15(水) 12:38:38 ID:dgkjzdiE
信長は義昭上洛成功の功績で、管領か副将軍かという織田の家格からすれば破格の地位を提示されたが
どっちも蹴る
代わりに求めたのは大津・堺に代官を置くこと
このあたりからしてもう普通じゃない

600 :人間七七四年:2007/08/15(水) 12:51:50 ID:ecwbTSZk
有名無実の幕府に取り込まれることを嫌ったんだろう?
別に、当然のことではないかと思うが。

601 :人間七七四年:2007/08/15(水) 12:54:56 ID:dgkjzdiE
>>600
当然のこと、というのは信長がそうやって成功したからできたコンセンサス
例えば上杉謙信なんかは関東管領の地位にこだわったし
毛利氏は、信長に追放された義昭から副将軍の地位をちらつかされて対織田に外交政策を転じた
形骸化したとはいえ、それぐらいの力があった
それを拒否したのは信長であるからこそ

602 :人間七七四年:2007/08/15(水) 13:28:56 ID:uP0Jg71G
>>599
天下統一目指してたんだから
最大の敵は幕府、だから蹴るの当然で
普通に考えて、どの大名も上洛する目的は
堺・大津を抑えること
鉄砲よか超貴重品の火薬を入手経路を確保でき
しかも、他国への物資流通も管理できる
最大の利点は堺を起点に全国へ向けて情報操作できることだよ
北斗拳のラオウみたいに恐怖で人民を掌握するのと同じ
偽、大袈裟な情報を流し織田家の権威を知らしめる
武田が長篠で大打撃を食らったのは、戦後の情報操作なわけね
最強の武田に勝った、武田は大損害(本来は織田も結構被害)の
情報で利益を得る。鉄砲の三段とか対騎馬への着色にすぎないわけね




603 :人間七七四年:2007/08/15(水) 13:51:22 ID:yPc15KuZ
原題の常人が短絡的に「蹴るのは当然」と言えてしまえるのは
信長が蹴って後に成功したという事実があるから言えるわけだし
当時の大名だったら副将軍になってとりあえず自分の地位を上げておく事を考えるはず
しかもそっちのほうがもっと早く成功した可能性もない事もない
実際に秀吉は自分の地位を上げておいて成功したしな

それに堺を自分の領地にする事を副将軍職が等価と考えている辺りが
当時の大名としては物凄いわけだ

604 :人間七七四年:2007/08/15(水) 15:40:09 ID:FK23FDFV
まあ織田信長は過大評価だわ
どこで野垂れ死んでいてもおかしくない。
敗戦がかなり多い大名が織田信長で、そのぶん撤退も進撃も
決断というか行動が早い。それが魅力なのだが・・・
妙に不用意な人で、和議をしても反故にしたりされたりすることが多い。
結局最期は光秀に討たれている、らしいといえばらしい最期。
人間味のある大名に思っているのだが

なぜか信長ビイキの過剰反応は、革新的な発想とか常勝軍団と思い込んでいて困る
小説やらゲームで、美化した知識や敗戦を知らないだけじゃないかと言いたい・・

てか、信長が天下人ってw どれだけ過大評価すれば・・・
きつい言い方をすれば、信長も含めて織田家は秀吉に利用されただけ。
本当に秀吉さんは巧くやってるわ。

605 :人間七七四年:2007/08/15(水) 15:51:34 ID:+KWV8PeE
朝倉攻めに失敗した時が一番危なかったと思うなぁ。でも撤退の決断は早かった。
確かこのとき殿が秀吉だったよね?

606 :人間七七四年:2007/08/15(水) 17:29:49 ID:QuBf+fuN
三河のこせがれと光秀と秀吉と池田勝正です。

607 :人間七七四年:2007/08/15(水) 19:16:07 ID:V27PCu99
>>604
あえてレスして盛り上げるが、革新的発想、ってのがすごいのでしょう。
その上のカキコの将軍からのいろんな要請を蹴る、ってのもどこから想定していたか、なんだよね。
武士だったら足利には逆らえない、朝廷に逆らうにも同義になるから、なので美濃を平定したあたりからそれを考えていたとしたら、これはまさに日本史の反逆者の発想で、異端、なんだよね。

602さんが、上洛の目的を、堺、大津をおさえる、と言うけど、それは信長が考えたことであって、しかも戦術のひとつでしかない、のだよね。
だから、当時の信長の発想はかなり異常で不気味。

そこから三職推任に行くのだけど、公家さんたちから見たら相当不気味でいやだったろうな〜。
キリスト教国では異端とかそういうのはよくあるのだけど、日本史上そういうのは義満以来でしょう。
だもんで、金閣寺と安土の類似とか研究が進んで物質面から、異端、の証明が出来るようになったことは喜ばしいことだ。

義満と信長のあぼ〜んのされ方の類似、というのもどっかにないのかな。

608 :人間七七四年:2007/08/15(水) 20:12:53 ID:t0CsobdD
信長がやって他の大名がやらなかったことはいくつかあるけど
地名の改定っていうのもその一つらしい
岐阜とか安土とかね
日本史上、権力者が地名を変えた例は実は少ないらしい
数少ない地名変更例は天皇がやったことぐらい
これも信長がやった後他の大名もよくやるようになった
信長が中世の常識にあまり頓着しない人物だったのは確実だろうね

609 :人間七七四年:2007/08/15(水) 20:34:54 ID:V27PCu99
>>608
もう少し正確に言うと、信長以前は天皇以外なかった、ということかな。
なので、今の我々にはわからないだけで、この地名改変問題一つとっても信長が天皇をどう考えていたか、民衆が信長をどう捉えたか、その判断の論拠になるわけだな。



610 :人間七七四年:2007/08/15(水) 21:37:24 ID:y7DCBcdO
>>607
応仁・文明の乱以後、日本国中が将軍の下知に従わず禁裏領、
公家屋寺社の荘園を侵しまくったことは、尋尊の証言にある
とおりだし、そいつらの勝ち残りが各地の戦国大名でしょ。
あんたのいう異端者の定義がよくわからんが、道鏡、将門、
頼朝なんかはどう? 天智、天武、桓武、後醍醐の各帝すら
当時の体制への挑戦者という見方もできるんじゃないの?

現存する都市のかなりの部分は、各戦国大名が商人・職人を
集住させた城下町だったり、昔からの港湾都市をさらに発展
させたものじゃないの?

信長は世の中の変わり目に現れる数多く現れた英雄の一人で、
彼の時代には都市の経営に意を注ぐことは特別なことじゃない、
何で信長だけを特別視しなくちゃならんのか、よく解らんのよ。

611 :人間七七四年:2007/08/15(水) 21:42:09 ID:y7DCBcdO
最後から三行目、変な日本語になって申し訳ない。

612 :人間七七四年:2007/08/15(水) 22:33:21 ID:V27PCu99
>>610
応仁以降は将軍の権威が落ちたからね。足利将軍だって殺されたのもいる。
なんだけど逆にその権威を利用することは出来たわけで、信長なんかはそこをうまく利用したわけだよね。
異端者、ってのは体制への反抗、挑戦、というより、中国的な易姓革命に近いようなものを想定していたのじゃないか、という意味。
つまり、天皇制への問題で。

義満、将門は簒奪、並立、って感じだけど信長はもう少し危険なところへと踏み出そうしてしていたふしがある。
逆に言うと、秀吉、家康、あたりはどうして天皇制を廃止しなかったか、という疑問になるわけなんだけど。
これはかなり根本的な問題だし、信長特別視、への解答にもなるかもしれないね。

都市の問題は、また別にしようか。
堺を押さえるのは硝石の独占、とかそういう話になるからね。



613 :人間七七四年:2007/08/15(水) 22:57:54 ID:MiRwqtth
>>612
落ちた権威を利用するって意味無いじゃん
権威が落ちたから将軍が都落ちしたりしたと考えてるんだろう?
そんな自分の住居も満足に支配できない程度にまで凋落したという権威を利用したとて、どんな利点があるんだ?
信長が天皇制廃止を目指したなんて何を根拠に言ってるんだ?

614 :人間七七四年:2007/08/15(水) 23:31:06 ID:V27PCu99
>>613
腐っても鯛、とはよく言ったもので、その将軍の権威は皇室に認められたものだから、ある種の威光はあるのですよ。
強大になった信長でさえ義昭を追放はしたけど殺しはしなかったでしょう。
逆賊、とかになってしまうのですよね。
ここのところはよく理解してほしい。
義昭は何の実力も兵もないのに紙切れ一枚で信長と最後まで戦ったでしょう。
彼こそ過小評価だし、信玄があんな風にさえならなかったらね。
運もなかったんだよな、義昭は。

根拠はいくつかあるでしょう。
明に送る、とか安土城の研究とか、三職推任とか、地名改変とか、そこらから導かれる結論はかなり正確で真実に近いと思うけど。

615 :人間七七四年:2007/08/16(木) 00:00:15 ID:uyXDsnAC
地名改変ってそんな重要?
南部がこずかたを盛岡に変えたり
伊達がどっかを岩出山に変えたりとかあったと思うけど

616 :人間七七四年:2007/08/16(木) 00:08:01 ID:XaD8qmSM
>>614
権威はともかく、信長が天皇を廃止しようとしていたと言うのはかなり眉唾なんだが。

将軍には敵対してても天皇は尊重していたと言うのは別に珍しくない。

617 :人間七七四年:2007/08/16(木) 00:10:19 ID:eGVJEQXl
つまり日本では地名改変は天皇に与えられた特権ではなかったか、ということね。
だもんで、そのタブーを破った信長が天皇を尊重してたか、という風に話は進む。

618 :人間七七四年:2007/08/16(木) 00:27:40 ID:YsQkl8ec
その「地名改変が天皇のみに許された特権」っつうのがまず眉唾なんじゃ?
それに岐阜も安土も元からある地名の一つで、
信長は行政上の都合から数多い異称を統一しただけ、つう見方も出来るわけで

619 :人間七七四年:2007/08/16(木) 00:36:46 ID:eGVJEQXl
>>618
信長以前にそういう例があったらいいのだけどね。天皇以外でそうした例はあるのかな。

ほんで、元からあるのを取っただけ、なんてのは信長の性格を考慮してないというか、いかにも平凡でなんですなあ。

620 :人間七七四年:2007/08/16(木) 00:40:52 ID:bgynoC2A
>>614
>>617
将軍殺したら逆賊ですか w 嘉吉の変は? 義輝の最後は?
赤松氏は再興してるし、松永久秀が朝敵になった事実もないけど。

あと将軍の権威を利用と言って反論されると朝廷を持ち出し、
信長も逆賊呼ばわりをおそれて義昭を追放にとどめたと言いながら、
尊皇じゃなくて天皇制廃止をもくろんでいたとにおわせる。

どうも井沢あたりの影響が強そうだけど、あんたの言ってることは
論理的にむちゃくちゃだよ。

621 :人間七七四年:2007/08/16(木) 00:59:49 ID:YsQkl8ec
そもそも天皇が積極的に地名変更したという事実を自分は知らない
古事記とか日本書紀の神話ならあるけどね
信長に関しては実際に角川の「岐阜県の地名辞典」や「滋賀県の地名辞典」ではそういう立場を採ってるから
地名の専門家である彼らが殊更に特別視して無い以上、ぶっちゃけ大したことないんでしょ


622 :人間七七四年:2007/08/16(木) 01:06:34 ID:ZdZcqv1A
>>621
「積極的に」という話は誰がしているの?
君の書き込みで初めて見たけど

623 :人間七七四年:2007/08/16(木) 01:08:46 ID:eGVJEQXl
>>620
逆賊ってのはちと誤解をうむ言い方だったかな。
ま、義昭を追放に留めた、ということでよろしく。

ほんで、段階とか過程があるでしょう。
上洛するまでは将軍の威光を利用、邪魔になったら追放、次は朝廷対策で官位をもらう、そして国内統一を堅固にする、統一しちゃったらもう朝廷もいらない、ってのは別に普通の順序でしょ。
時系列にすると論理的にもあうよね。

ほんで我々は結果論でみるけど、信長がそういう計画をたててたとしたら、しかもかなり初期から、これはすごいことでね。

イザワとは根本的に違う点があるんだけど、そこまで話が行ってない。

624 :人間七七四年:2007/08/16(木) 01:16:05 ID:eGVJEQXl
>>621
地名変更、というか、遷都の権利、というか、今は未知になってしまったそういう天皇の特権みたいなのはあってもおかしくなくてね。
とりあえずノブナガ以降は普通に誰でもするようになった、という点にも注目かな。

ほんでまさにイザワのウケウリだから恥ずかしいけど、地名の専門家、じゃなくて、歴史の話なんですよね。
サッカーは点が入らないからつまらないスポーツだ、ってカケフあたりが言うようなもんかな〜。

625 :人間七七四年:2007/08/16(木) 01:20:25 ID:YsQkl8ec
そもそも井沢自身歴史の専門家じゃないわけでw
角川地名大辞典編纂委員会には竹内理三みたいな歴史学者も多数参加してる
つうか地名の由来探るのに文献探索みたいな歴史学的な手法はそもそも必須では?

626 :人間七七四年:2007/08/16(木) 01:34:22 ID:eGVJEQXl
>>625
ま、学者さんが、安土、の解釈をどうしてるかは別問題ですけどね。
イザワも我々も専門家じゃないので、いろんな事実をいろんな視点から解釈してなにが一番合理的か、ってのがおもろい。
安土に信長の思いがこめられていたかどうか、それも自分の居城だぜ、そういうのをスルーして、単にそこにあるのを取っただけ、なんてねぇ・・

内藤さんのテレビとかみてもなんとも思わないのなら仕方ないけど。

627 :人間七七四年:2007/08/16(木) 01:38:49 ID:ZdZcqv1A
でも通説とされている
「京都に対抗する意味で平安京の名前の元ネタである平安楽土から取った」
というのが正しいなら
「安土」ではなく「楽土」と命名するよな、と前から思ってるのだが

628 :人間七七四年:2007/08/16(木) 01:44:44 ID:bgynoC2A
>>623
良いよ、今週いっぱいは盆休みだし、とことんつきあいましょう w

信長の事績同様、議論にも段階、課程があるね。
ここまでの議論で、あんたに立証責任のあるissueから片付けようよ。

堺を押さえることが硝石の独占になるのかどうか。
中世の主な港だけでも、堺、大坂以外に
十三湊、秋田、酒田、直江津、三国湊、敦賀、小浜、美保関、江津、
赤間関、博多、長崎、内の津、佐伯、尾道、多度津、兵庫、大湊、
桑名、江尻、沼津、六浦、品川などありますね。
永禄十一年十月以降天正十年五月まで、硝石の輸入量の記録あるん
ですか? 独占と言うからには全量、堺に入ってるんですよね?

もうひとつ、
>ま、義昭を追放にとどめた、ということでよろしく。
って、何がよろしくなの? 日本語として体をなしてないですね。
補足説明を求めます。

629 :人間七七四年:2007/08/16(木) 01:59:03 ID:XaD8qmSM
>>623
若い頃から既に管領斯波氏を利用して追放したりしてるし
義昭にしたって本来なら正統な将軍とは言いがたい存在を担ぎ上げただけ。
もともと将軍家は軽視していて利用以外の価値は考えていなかったとしか思えない。

それに比べて朝廷に対しては秀吉のように積極的に利用する様子でもなければ
家康のように抑え込む様子も無い、その割に先代信秀の頃から多額の援助をしていたり、
京に対する手厚い処遇も、どうも実利だけでは割り切れない部分が多々ある。

この将軍家と天皇家を安易にイコールでつなぐ考え方には大きな違和感を感じる。

630 :人間七七四年:2007/08/16(木) 01:59:48 ID:eGVJEQXl
>>628
ん〜、独占、を100%って解釈しないでほしいな〜、例えば根来や雑賀や鉄砲傭兵を雇うと同時に堺を押さえれば当時はかなり良かったのじゃないの?
それだけのことであって、そんな記録とかあるわけないでしょ、今ここに。

追放に留めた、ということはそこに何らかの意味があるわけでしょう。その意味を理解してくださいな、ということですよ。
その次にカキコした、時系列での信長の作戦、その中のひとつとして何らかの意味があったということね。

ほんで、論理的にめちゃくちゃ、ってのはどうですか?
部分的にカキコしてるから、そこを抽出するとそりゃはちゃめちゃだけど、並べてみるとちゃんと筋道通ってると思うけど。
あまり細かいとこにこだわらず、大筋での他の戦国大名と信長の違いを話したいのだけどね。

でないと、そっから先に進まない。
面白いのはこっからなのに。

631 :人間七七四年:2007/08/16(木) 02:10:24 ID:eGVJEQXl
>>629
いや、説明の都合順番にカキコしただけで、イコールじゃないよ。
もちろん対処の仕方は全然違う。

でさ、本題なんだけど、信長って統一の過程でかなり人格と言うか性格というか、そっからくる作戦というか、変化してませんかね。
それが629のカキコの解答にもなると思うけど、イザワは、初期からグランドプラン持ってそれに最短でつっぱしった、というでしょ。
わしには、まさにそれが、結果を知ったものの論理、に思えるのだよね。

運なく追放されちゃったけど、義昭は紙切れ1枚で信長をふりまわし、日本中の大名をひっかきまわしたわけでしょう。
もちろん他にもそういう人はいるけど、あのまさに激動の中をよく生き残ったものだなってね。
興福寺だったっけ、そこから出たのが結構な年じゃなかったかな、それまで平凡に暮らしてたいわば都会のお坊ちゃまがよく、戦い抜いたものだ、と思うのだよね。

イザワはそういう点にはふれていたっけかな。

632 :人間七七四年:2007/08/16(木) 02:19:01 ID:bgynoC2A
>>630
だから、あんたなりに時系列に信長の事績を追って論理を組み立てて
いることは認めて、一つ一つ議論を進めようと言ってるんですけど。

で、都市の経営は天文年間以降生き残ってる戦国大名ならおしなべて
意を注いだって私が言ったら、あんたが「堺を押さえることは硝石の
独占」と言って、特別なことなように言ったんだよ。

細かいことは抜きにしてって、これ、あんたの「信長は特別だ」って
いう論旨の重要な論拠じゃないの? 
歴史のような文系学問でも、ひとつひとつ事実を確定(確定できない
までも蓋然性を提示)していかないと議論なんかできないよ。
単なる思いつきで「私は信長は特別、易姓革命を目指した。」なんて
言ってるわけ?

633 :人間七七四年:2007/08/16(木) 02:35:25 ID:bgynoC2A
>>631
義昭は四歳から二十九歳まで興福寺一条院にいたよ。
イメージでモノを語る前に、少しぐらい歴史事実調べてから書き込めば?
「平凡に暮らしていた都会のお坊ちゃま」って何?
母親が恋しい年頃から寺に出されて、仏法修行三昧に青春を過ごした。
その心情は不明。それ以外、蓋然性のある推定はできませんよ。


634 :人間七七四年:2007/08/16(木) 02:37:01 ID:Hg8t7hlu
出家してたんだから、まさしくお坊ちゃま

635 :人間七七四年:2007/08/16(木) 02:38:56 ID:eGVJEQXl
>>632
よくわかる。
だからさ、あまり細かい点に入りこむと議論がとまるでしょう。

例えばあの時代に地球儀やら世界地図を理解した、というのもすごいというか、信長は特別、の論拠なんだけど、その地図はどの国の何年製作の何図法の、なんてことは抜きにしたいわけですよ。
黒人を洗わせたりかわいいとこあるくせに、ちゃんと理解し受け入れようとしてるでしょう。
決して、殺してしまえ、じゃないのだよね。

易姓革命に行くと、安土城の構造、あれなんか論拠にならないかな。
秀吉の唐入りも信長のウケウリ、とすると十分論拠になりそうな。

まずはそこに行く前に片付けておきたいけど、よくさ、叡山攻めを残虐、とか言われるでしょう。
そうじゃなくて、尾張を統一する過程で信長は弟やら叔父やらみんな殺してるよね。喜六朗すら信長が殺させたのじゃないかな。
あのあたりがまず一番エキセントリックで若いし、ひどかったのじゃないか、と思うのだよね。
ほんで尾張を統一したとこでなんか急に人の良いあんちゃん、ストレス張れてひきこもりがなおった、みたいに変わったように思うんだ。
このあたりはどう?
こっからさらに信長は何度も変容していく気がしてるもんで。

636 :人間七七四年:2007/08/16(木) 02:46:14 ID:eGVJEQXl
>>633
くりかえしで悪いけど、ググったり本見たりしてないものでね。
間違ってたらどんどん指摘してね。

で、634さんがうまいこと言ったけど、「平凡に〜」というのはまさにそうじゃない?
そりゃ会ったこと無いけど、そんなこと言ったら先に進まない。
不明のはずの心情が、この後の信長との戦いに現れてきてるように思う。
妄想は聞きたくない、のならやめておくけど、興福寺時代の義秋が不自由なく青春どころか今で言う壮年ぐらいまではくらしてきたおとはオケだよね。

637 :人間七七四年:2007/08/16(木) 02:48:58 ID:XaD8qmSM
>>631
朝廷に対しては死ぬまで特に変化があったようには見受けられない。
三職推任の話は謎が多すぎて言及できないし、そもそも返答して無いだけだし。

>>もちろん対処の仕方は全然違う。

対処の方法が違うからなんだというのか
要は目的の為の道具としか思ってないという根本はイコールでしか見れてない。
俺が何に違和感を感じてるかぐらい読み取って欲しい。

638 :人間七七四年:2007/08/16(木) 02:55:13 ID:eGVJEQXl
>>637
確かに死んじゃったもんな〜、ま、義昭追放した後ぐらいに東大寺切り取ったり、このあたりから朝廷軽視がはじまったのかな。

目的のための道具、と思ってた、ごめん、違和感感じとれなかった。

639 :人間七七四年:2007/08/16(木) 03:21:50 ID:XaD8qmSM
>>638
一言で言えば「朝廷と将軍家は違う」ってだけのこと。
理解してるつもりかもしれないけど、理解できてないんじゃないかと。

640 :人間七七四年:2007/08/16(木) 03:22:44 ID:bgynoC2A
>>635
硝石独占は証明不能なのね。以後、論拠から外しますよ。

当時の一条院での修行がどのようなものであったのか、具体的には
不明ながら、娑婆で暮らすほどの自由があったら修行じゃないこと
だけは明白なので、「不自由なく暮らした。」という点には疑問が
残りますね。それで、霊陽院殿義昭公が覚慶と名乗った時代と信長
と対立した時代の心情を対比して、信長が特別という論旨にどう結
びつくんですか? 
今のところ、全く解りませんので説明をお願いしますね。

イエズス会の宣教師が地球儀を提示した当時の日本人は信長以外に
記録がないでしょ。ほかの人間に理解できなかったかどうか、立証
できませんね。よって、信長が特別の論拠とするには論理的に無理
がありませんか?

安土城の構造の何が論拠になるんですか?
信長が生前、唐入りの構想を持っていたという記録はありません。
よって、文禄・慶長の役が信長の受け売りと証明できますか?

尾張統一過程で肉親を殺したことは事実ですが、統一後、「急に
人の良いあんちゃん」になったとあんたが思う根拠は何?
あんたが「俺はこう思う」のは勝手だけど、他人に同意を求める
なら、それなりの根拠を提示してくださいね。

今日はもう寝る。
はっきり言って、疲れます。思いつきだけで論を張る人の相手はw

641 :人間七七四年:2007/08/16(木) 03:25:53 ID:KMzRgUnK
信長の外征構想は確か宣教師の記録にソースが有ったような?
例の秀吉が「私に九州を任せてくれればその兵で中国を切り取ってまいります」なんてヨイショしたのと同じ話
まあ探してみます

642 :人間七七四年:2007/08/16(木) 03:33:31 ID:XaD8qmSM
イエズス会年報だろ〜探すまでも無いよ。

643 :人間七七四年:2007/08/16(木) 04:22:31 ID:Tb/o7cKk
信長は案外人のいいあんちゃんだぞ、家督継いだ頃から死ぬまでな
苛烈なエピソードばかり語られるが、裏切り者に寛大な面も多々ある

644 :人間七七四年:2007/08/16(木) 04:33:48 ID:WxO7+Eya
公家や他国の大名だけでなく
家臣やその嫁さんにまでよく手紙を送ったそうだね
秀吉とねねのケンカに仲裁に入ってねねのほうの方を持ったりしてる

645 :人間七七四年:2007/08/16(木) 07:47:52 ID:HnWfDXlw
>>614
つまり将軍の権威の源泉はもう朝廷によるものしかないと
そして将軍をその程度にしか扱えなかったにもかかわらず、その権威の源泉である朝廷を廃止に追い込むといってるわけだな?
そして都落ちした将軍ですら紙切れ一枚で信長と戦ったととしているのに、朝廷の権威すらも否定すると思ってるわけだな?
矛盾してないか?
将軍程度でアレだけ苦労したとおそらく織田信長も認識してるだろう、それの権威の源泉である朝廷と戦えば当然将軍の場合の比ではないぐらいに苦労するのは目に見えてる
それでも戦うと?
正気の沙汰とは思えんがね
地名改変は他で指摘されてるし、明に何を送ったのかわからんが国際外交だろ、安土の研究が何を示してるのか明確でないし、三職推任も明確に返答する前に死んでるだろ
嫡子信忠の為に官位を求めたり、禁裏に対する扱いから格別特別な思考をしてたとは思えんがね

>>629
将軍を軽視がなにを指してのもかわからんからなんともいえんが
禁裏に対する献金を親父がしたことと、信長がしたことは別だろ?
信長個人が禁裏をどう扱おうかと思ってたかを推し量るなら、当人の行動を例に話さないと意味が無い
で、禁裏に対する処遇が他の京を支配した大名と比較してどう違うのかわからんが、保護事態は当たり前じゃないのか?
献金は各地の大名から官位の代わりとはいえ貰ってるわけだし、それの延長線上、つまり官位を貰うための行動とすれば特別なことでもない


646 :人間七七四年:2007/08/16(木) 08:18:45 ID:CxGAevuS
信長と天皇の関係なんて信長が本能寺で死ななければ、また動いていたと思うよ。

信長自身、本能寺で死ぬとは夢にも思ってなかったからね。

死ぬまでの朝廷との関係なんて、信長のビジョンの一過程に過ぎない。

天皇をどうするのか、この国をどうするのかは、あの世で信長に聞くしか誰もわからないよ。

でも俺個人としては、古い朝廷など壊して、今だかってない新しい世界を目指して欲しいね!

秀吉や家康は半端なんだょね。

確かに天下はとったけど、本当に大事なのは天下をとった後のビジョンなんだ。



647 :人間七七四年:2007/08/16(木) 08:35:09 ID:cjYzhDaE
それって単なる願望じゃん。

648 :人間七七四年:2007/08/16(木) 10:49:12 ID:TVx1evxY
親王を猶子にしているから
その親王が天皇になれば、信長は天皇の仮とはいえ父
一方で官位は返上して、息子信忠をもっと引き立ててくれと朝廷にお願いしている
次代に期待をかけていたんじゃないの?
信長は理想主義者と見えて実は政治にかけては戦国屈指のリアリスト
天皇に取って代わる、なんてリスクの大きなことやるとは思えん

649 :人間七七四年:2007/08/16(木) 11:07:44 ID:rO5i1lrO
>>640
昨日はありがとね。

さてここで少し話し変えるけど、わしはパソの部品の説明してるのではなくて、生身の血の通った人間を語ろうとしてるわけです。
その時代に何を考えどう生きたか。それには根拠というより人を理解しようとする心が必要と思うわけですよ。

例えば信長について、10台の頃に暴走族で暴れまわったトップが奥さんと子供が出来たら急にマジメなパパになっちゃった、こういうのは現代でもよくあるのだろうけど、そういうイメージを持つとわかりやすいと思うのですよね。
で、学者さんたちにはそんな田舎暴走族の心境の変化なんか理解できないであろうし、それならば640さんも同じで、これからノブナガ像を語っていく上で、そちらは面白く無いと思いますよ。
全部妄想、あんた見たんかい、はぁ、になっちゃうから。

とは言ってもせっかくなので、少しお返事させてもらうと、640の一条院の話。
不自由なくに疑問、というけど、当時は食事と安全が何よりも大事でしょう、今でもだけど。
そういう意味でなんですよ。だから興福寺内でほぼそれが保障された生活、これを不自由ないお坊ちゃん、と表現してるわけです。
にもかかわらず640さんが、疑問、とおっしゃるのはきっとその、不自由、の解釈が違うからであろうし、母と別れた、修行が厳しい、旅行もできない、女と遊べない、こういうのはわしは、不自由とは思わないわけです。
どうでしょう、このあたりからまず、ご理解いただけませんかね。

信長が10代で人を殺しまくってた頃、お寺の中で修行、これだけでもこの二人の対比が興味津々ですよね。
つまり対決するにははっきりカクケイが不利なんですよ、暴走族のトップVSお坊ちゃんが戦国時代に戦うのですから。
こう考えてくると歴史もまた血の通った人の物語としてとても面白いと思うのですよね。

金閣寺の上には鳳凰があるでしょう。これと同じでイザワ説だけど、安土の構造が自らを特別視していた、の論拠にはなると思ってました。
逆説の10巻だけど、もしこの推論が違うのなら教えてほしいです。よろしくです。

「人の良いあんちゃんになった」というのはそのあたりで市を浅井に嫁に出して、浅井を信用して、尾張内でももう内紛とか起きませんよね。
太田もオゼも、うつけ、と評しなくなったし、丸くなってたと思いますよ、田舎の片隅でね。




650 :人間七七四年:2007/08/16(木) 11:33:31 ID:aaNC3Dph
>>649
先ずは、改行を覚えろ。
文を短く纏めろ。
他の人の書き込みと違う事を自分がしている事に気付かないから
そういう曖昧な発想が主体の意見になる。

651 :人間七七四年:2007/08/16(木) 12:28:23 ID:S67QR1Q5
信長は、朝廷に米を貸し付けさせて、その利子で活動できるように措置した
いわば朝廷金融だな
ちょっとした政策でも信長はアイデアマンだぜ

652 :人間七七四年:2007/08/16(木) 12:29:51 ID:bgynoC2A
>>649
その時代毎に、生きた人々の心情をはからずに歴史が構築できるはず
もなく、学者の方々は当時の史料から根拠を見いだして、それぞれの
論を世に問うておられるんですよ。一般向けの戦国期概説書の中では
山室恭子氏なんかお勧めします。限られた史料からでも、十分、人間
の体温が伝わる議論が可能なことが解りますよ。

あんたの論は単なる「こう思う、こう思う。」の連続で、いくら問う
ても具体的な論拠が示されない。

で、今回のレスで具体的論拠は鹿苑寺の構造ですか。井沢とは根本的
に違うとか大見得を切った割には、具体的なことになると、彼に頼る
のね。まぁそれは良いけだど、あんたの側に立証責任があるんだよ、
論拠に関しては。あんたなりに鹿苑寺の構造がどうで安土城の構造と
こういう点に類似性と相違点があり、それがあんたの信長の独自性論
(義満とは違うんでしょ?)の根拠になるのか、説明すべき責を負う
のはあんた。
「もしこの推論が違うなら教えてほしいです。よろしくです。」って
あんたの側が何も具体的に述べてないのに、私に何をどうしろと言う
のか? まぁ、今日一日ゆっくり考えてレスしてください。


653 :人間七七四年:2007/08/16(木) 12:46:39 ID:k23dJ0i7
信長は勢力を急成長させたって
単に細川三好にとって代わっただけ
戦は単に地主の反乱戦みたいなもんだろ
あと、天下布武を実行するなら
朝廷や宗教関係にメスを入れるより
文化面の発展のほうが急務
大内義隆のがその点すぐれてたな

654 :人間七七四年:2007/08/16(木) 12:49:58 ID:3c9p6FPs
>>653
宿題やれ

655 :人間七七四年:2007/08/16(木) 13:25:17 ID:DiTzUXEb
テス


656 :人間七七四年:2007/08/16(木) 13:35:46 ID:DiTzUXEb
ごめん、突如アクキンだった。
で652さん、なんか誤解が多くて悲しい。

立証責任があるから、逆説読んでほしい、と言った訳で、信長が特別、の論拠としてはあの鹿苑寺なんかは好例と思ったんだ。
そこに関してはイザワ=内藤説は評価してる。
義満と信長は、天皇を尊重しなかった点、までは一緒だよ、ほんでその後や推定される手法が異なると考えるわけで。

642さんはあの10巻の該当部分を読まれてどう思いましたか?
失礼だけど、2ちゃん特有の、自分の意見を述べず相手のカキコに反応するだけ、では少し悲しいのですよね。

話戻るけど、信長が良いあんちゃんになった、の論拠は、道三が死んだ後稲葉山滅ぼすまで10年以上かかってる、というのも傍証になると思うけど。
642さんはどう思われますか、この桶狭間も含む信長の10年。
信長が何を考え何を欲していたか、どう思われますか?


657 :人間七七四年:2007/08/16(木) 13:39:33 ID:aaNC3Dph
>>656
だから、改行しろよ。
学習出来ないのか?
他の人の文章と自分の文章が違う事に何故気付かないのか。

658 :人間七七四年:2007/08/16(木) 13:50:09 ID:DiTzUXEb
あ、カキコできた。

わしはテレビの国取り物語を見て親と信長について話してたから、一応35年以上はたってる。
決して、思いつき、ではないけど、652さんは、思いつき、とお決めなさる。
その根拠は?
いかにも、アホくさい妄想っぽいから?
だとしたらこの後もっとすごいネタがあるのだけど、早くそこへ行きたい。

信長が特別、というのは偉大、という意味とは違いますよ。
族上がりの田舎ヤンキーがあそこまで変容することが、特別、あの時代にしては異質、不思議、そういう意味であって、盲目的に崇拝、とは全然違いますからね、ここも誤解なきよう。

イチローやハブはすごいけど、王長島や大山はすごくない、というようなカキコが夏休みになって本当に増えたのだけど、ここもそうなら残念ですね。
そういえば、イチローは高校生の時、自分が米でこんなに活躍するとは思ってただろうか、違うと思う。
日本で活躍してある時、気づいた、のだと思う。
信長も同じで田舎ヤンキーの頃はまさか自分があんなに成りあがれるとは夢にも思わなかったと思うのだよね。
思う、の連発で悪いがそんなとこでしょう。

このあたりはイザワとは違うよね。


659 :人間七七四年:2007/08/16(木) 13:59:13 ID:DiTzUXEb
夜から出かけなきゃいけない、ので652さんに質問。

5か条の覚書、ってありますよね、信長が義昭につきつけた。
これは専門家でも、様式を無視した内容、と言ってたわけなんだけど、
信長の印ははあっても署名がない、のはどうして?
さらに、あて先が光秀たちになってるのはどうして?
つまりこれ、信長が義昭につきつけた恫喝状じゃない、って説があって
このあたりから、信長の変容、を説明すると面白いのだけど。



660 :人間七七四年:2007/08/16(木) 14:16:11 ID:DiTzUXEb
ちと反省して、特別、を異質、に言い換えますね。
つまり地球儀の例じゃないけど、信長はあの時代にしては、異質、な行動を多く取ってる。
それに関してはどうですか、別に普通、よくある、又は誰かがやったであろうこと、ばかりでしょうかね。

イチローで例えるけど、たまたま振り子打法がはまっただけ、
いつかは誰かが米でも活躍する、そんな風に100年後は言われるかもしれない。
でもこれは、あまりに結果論であり、イチローの独創性、ひいては人間の持つ可能性や
努力のあとをみとめない考え方だと思う。
「法隆寺を作ったのは?」「大工さん」「人民の希求と努力」なんて旧マルクス史観の答え方は
に近い気すらする。

将門や義満とはまた違った異質さ、そういうのを感じるのですけどね。




661 :人間七七四年:2007/08/16(木) 14:18:41 ID:bgynoC2A
>>656
論拠を井沢の逆説に丸投げしないで、あなたなりに具体的に提示して
くださいと言ってるんですが、日本語わかります?
天皇を尊重しなかったのは一緒とか言われても、その論拠を示さず、
>その後や推定される手法が異なると考えるわけで
なんて、さらにその先の話されても議論にならないんですが。

私は、信長を歴史上の英雄の一人と認めた上で、あんたの独りよがり
空論に巻き込まれないよう、具体的な論を展開したいと考えてるだけ
です。これまでのレスでそれぐらい解りませんか?

言うにこと欠いて、
>2ちゃん特有の、自分の意見を述べず相手のカキコに反応するだけ
ですか。あんたの具体性を欠く書き込みを質すことに終始している
せいでしょうが。鹿苑寺の話を何ら具体化せず、別の話題であんた
の思いこみばっかり長々と書かれても、こっちはどうしようもない。

>>658
自分で読み返してみてください。思う、思うの連発。前にも言った
けど、あんたが「思う」こと自体に他人はとやかく言えんのです。
議論にはならんと言ってるんです。いい加減にしてね。

662 :人間七七四年:2007/08/16(木) 14:29:38 ID:HnWfDXlw
>>660
ひとつだけ自分で「例えを用いたレスをしない」という縛りをいれてレスしてみ
たぶん具体的に話をせざるをえなくなるから多少お前の印象がましになる

663 :人間七七四年:2007/08/16(木) 14:47:35 ID:bgynoC2A
>>659
稲葉山城奪取に手こずったのは、義龍存命中は調略も効かず
戦闘でも勝てず。凡将と言われる龍興に代替わりして以降も
正面攻撃では退けられ、墨俣の付け城と調略でようやく・・・
要は、信長の必死の努力にかかわらず実力が伴わなかった、
ということでしょ。何の傍証だと言いたいのか、わたしには
全く推測もできませんね。

信長の発給文書は永禄十二年初め以降、書状をのぞいて全て
印版状です。貴人宛の文書ですよ。当然の礼儀として取次ぎ
役宛に発給するんじゃないですか?

664 :人間七七四年:2007/08/16(木) 15:06:32 ID:MwiRns1X
>>663はLV5夏厨

665 :人間七七四年:2007/08/16(木) 15:20:25 ID:aaNC3Dph
そもそも、どこの国でも国境付近で一進一退の小競り合いを繰り返してる。
尾張と美濃も同様。
好機と見るや美濃三人衆を調略し、一気に一国を奪い取る事に成功した事を
評価こそすれ、「実力が伴わなかった」だなどと言うのはあまりに幼稚なゲーム脳。

666 :人間七七四年:2007/08/16(木) 16:28:04 ID:8Okeimte
>>661
う〜ん、もうご存知と思うので繰り返さなかったのだけど、鳳凰ってのは天主とか神、聖人が現れた時にそれを祝福して現れる、のでしょう。
なので、それが飾ってある鹿苑寺はまさに、義満が自分をそうなぞらえていた、という論拠と解します。
安土も同じです。
なのでこれは義満や信長が天皇をどう考えていたか、の論拠にもつながると思うのですが、661さんは鹿苑寺の鳳凰をどのように解釈されますか?
地名改変と同じように、義満以前に寺またはそれに類する建物に鳳凰を飾り立てた例があるのでしたら教えてほしくもあります。

とこう質問すればよろしかったですかね。

繰り返しですが、信長の取った様々な前例なき、または稀なる行動、これにわしは異質さを感じますが661さんはどう解釈されてますか、ぜひお聞きしたいのですよ。
 
で、イザワの丸投げで申し訳ないけど、これはまさに最新の解釈でわしも賛成ですので。



667 :人間七七四年:2007/08/16(木) 16:43:26 ID:HnWfDXlw
>>666
ttp://www.surugaya.co.jp/ujikanko/tanbou/byodoin/byodoin.html
装飾として用いただけだ
地名は他の人間が指摘してるだろ
他に前例がないことがあるのか?

668 :人間七七四年:2007/08/16(木) 16:50:10 ID:8Okeimte
>>663
信長が、よいあんちゃんになってた、の傍証ですよ。

取次ぎ宛、というか、これでは5か条を義昭ではなく光秀に誓ったような形式になってしまませんか。
そして間違ってたら申し訳ないが、この頃日乗上人と光秀は信長の家臣にもなってませんか。
そして、朱印を押してあるかどうかは別にしてどうして署名がないのでしょうか。

つまりこれは信長が義昭に出した書状ではないのではないか、これが推論です。
では誰が誰に、これを先に言うとそれこそ妄想とされるので、まず5か条の様式の破格さ、異例さ、から確認したくて。
定説では、その異例さは認めた上で、信長の独自性、なんて解釈されてたようですけど、
このあたり、この五カ条は今はどうなのでしょう。
様式的に異例ではないのでしょうか。

外出します。

669 :人間七七四年:2007/08/16(木) 17:28:22 ID:uSgwqpAN
何かっつうと正義だの義だの始まる謙信クラスにはまだ遠い

670 :人間七七四年:2007/08/16(木) 18:13:34 ID:bgynoC2A
>>666
鳳凰の飾ってある建物ってたとえば平等院鳳凰堂なんか、日本中の人が
知ってると思ってましたけど。おっしゃるように中華(と言って語弊が
あるなら漢字)文明圏では最高の瑞兆ですね、鳳凰。

で、義満に関しては後円融上皇から知天の君としての権能をことごとく
奪い(たとえば後小松帝の即位礼実施を上皇に一切はからず取り決め)、
明に対しては日本国王として振る舞ったことも定説です。

鳳凰の解釈ですが、例に挙げた平等院と比較しますか。
藤原氏は平等院に極楽浄土を現出したかった → 現世からの逃避願望
義満は北山第を朝廷に代わる政庁として建設 → 俗世権力の頂点顕示
モニュメントとしての意味は正反対のような気がしますが、義満の方は
鳳凰を「天皇をしのぐ聖王がここにいるぞ」という象徴として飾った。
と言いたいわけでしょ、井沢は。その解釈もありうると思いますよ。
父親の政策をことごとく否定して北山台を破却した義持が、なぜそんな
物騒なモニュメントだけ残したのか? さらに朝廷もほったらかしって
のが疑問ですが。明治帝なら一言でしょ、そんな失礼な建物つぶすの。

>>667さんのおっしゃるように、単なる飾りと考えた方が穏当な気が
しますけどね。

で、あんたは
>信長の取った様々な前例なき、または稀なる行動、
と、断言する。つまり、安土城の鳳凰には金閣とは違う象徴がある、と
考えてるんですよね。その根拠を何度もたずねているのに、全く見えて
こないんで、私に意見を求める前にあなたの方から開示するのが先だと
言ってるんです。いい加減、解ってくれませんか?


671 :人間七七四年:2007/08/16(木) 18:35:31 ID:bgynoC2A
>>668
戦国大名がブレーンとして学識のある僧と親交を結んだり、寺領を寄進した例は
たくさんありますが、家臣にした例ってあるんですか?
光秀が将軍家と織田家に併属の形だと、取次ぎ役として不都合あるんですか?

印版状というのは花押を書かず判だけ押してあるから印版状、繰り返しますが、
永禄12年の早い段階から信長発給文書は全て印版状。花押や署名のあるのは書状
だけ。様式が異様と言っても、他の戦国大名だって印版だけの発給文書は山ほど
ありますよ。特に北条やら武田やらの東国の大名には。
あんたが読んだ専門書の先生は、将軍に対して判子だけというのは尊大、という
印象があるので形式が異様と言いたいのかも知れないけど、そもそも問責目的の
発給文書でしょ。

取次ぎ役宛の体裁を採るのは、貴人に対する当時の形式として異様ですか?
何度も言いますけど、ちょっとは自分で調べませんか?

672 :人間七七四年:2007/08/17(金) 00:06:00 ID:0BhE3zO8
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673 :人間七七四年:2007/08/17(金) 03:30:58 ID:cpKYS2RI
ただいま。

FXがサプライズで気を失ってました・・

鋭い反論感謝します。
670と、671には聞きたいこといっぱい。
例えばイザワのウケウリで悪いけど、安土の鳳凰は金閣と違うどころか模倣そのもの、さらに越えた部分がある、てなとこですね。
それこそが重要であり、信長の異質性を表してると思います。

671は、かなり重要な論拠ですね。
そもそも問責責任、すら疑ってます。
つまり、怒らないでね、これは義昭が信長に出した、うひ、自分をイクスキューズした文書、ってことなんですよ。
信長から詰問された二人は、これは自分が書かした文書だ、てなとこで。
だもんで、信長は判だけ押した、そして義昭も、ラッキって思ったって。

これ、ウケウリで悪いけど、案外正解なきがして。
話戻るけど、義昭と信長の図式って「都会の育ちの天才的おぼっちゃま詐欺師」VS「ケンカは強いが改心した元族のヤンキ」
、こう考えるとうまくいくような気がして・・

わし、正史とか先生は知らなくて、自分で考えただけでして・・

だもんで、地名改変は、そこにあったの取っただけ、鳳凰は、単なる飾り、ってそうやって言われると、ちと悲しくてね。
余りに日本史上の英雄を軽んじてる、気がして。

足利の職制と徳川のそれの対比も結構重要な気がするのだけど、これはまた違う話かな。
信長は何も想定してなかった、ってね。
これが信長の、異質、って今言うと怒られるか。



674 :人間七七四年:2007/08/17(金) 04:05:06 ID:8Z7oHGOk
>>673
なぁ、あんた本当に頭おかしいの?
自分の書き込みが他の人の書き込みと違うのが分からない?
ここはあんたの日記帳じゃないんだよ。
今後書き込む場合は、以下の事に気を付ける様に。
・適当な所で改行しろ。
他の人のレスは読みやすいだろ?
どうせIEとかだろうから、IDを少し超えた辺りで改行だ。
・レス番は>>の後に半角数字だ。
・あんたが今日してた事なんて誰も知りたくないから一々報告するな。
・あんたのは史料からの考察じゃなく、ただの妄想。
頭の悪そうな例え話なんてどうでも良いから、
論理的考察のみ簡潔に書くよう心掛けろ。
・「、」が多すぎる。
自分の書いた文章は、もう一度自分で読み直せ。

675 :人間七七四年:2007/08/17(金) 04:45:34 ID:x0hKkoi3
>>673
基本的な歴史の知識も足りないみたいだが
それ以上に

小学生なのか?
もう少し日本語を勉強してくれ

676 :人間七七四年:2007/08/17(金) 05:46:43 ID:cpKYS2RI
うん、今日からはみんな仕事か・・
いろいろ聞きたいことあったけど、みんなには感謝してる。

677 :人間七七四年:2007/08/17(金) 10:38:07 ID:fuHNljyM
どうも過大評価そのまんま組と同じような比率で
過大評価されている! っていう感情論から過小評価気味のレスがあるな
どっちも実像を見ていないって時点で同じ地平だと気付けよ
「そこらにあった地名を持ってきただけ」だったとしても「それまで天皇以外やらなかった地名改定」という事実自体は全く動いてないじゃん
稲葉山、を岐阜と変えたのは事実。理由についての他の地名云々は推論に過ぎん

678 :人間七七四年:2007/08/17(金) 16:29:26 ID:RoDpVS88
>>677
同意。どうも極論にすぎるな、どちらも。
信長について天才、ってのもどうかと思う。
商業政策、朝廷対策、幕府権威の利用、などについては「他の大名が考え付きもしなかった」
なんてのはあまりにも荒唐無稽。
かといって信長じゃなくても同じことができたってのも極論。
地名変更にも現れているが、俺は信長のすごさというか特徴は
「日本人のメンタリティの枠を逸脱している」
ところだと思う。
一向一揆の値切りにしても合理的ではあるが、それまでもそれ以後も
日本人のメンタリティでできることではない。

民族特有の心理的タブーを持ってない人間、つまりルール破りを平然と
やってのけられる人間は強い。
そういう人物がいたから統一の動きが数十年単位で縮まった、ということは
認めていいと思う。

679 :◆nzdGjBH722 :2007/08/17(金) 19:55:39 ID:o1kKv4zY
>>677
過大評価されている! っていう感情論から過小評価気味のレスがあるな

それは多分謙信の軍神扱いの揺り戻しに近い形で過小評価されてるんだろうな。
当時としては全く新しいことをしたわけでもなければ、他大名と全く同じことをしたわけでもない。
「当時の先進的な政策(六角の楽市楽座とか)を模倣した上でさらに発展させた」ってのが正しいんじゃないかな。
まあ、軍事面の長篠とかは驚嘆に値するけどね。


680 :人間七七四年:2007/08/17(金) 20:10:20 ID:3A4KuxeA
>>678
信長が他の大名と違ったのは
非常識だったってとこかな
だから、これだけのことができたってことか。




681 :人間七七四年:2007/08/17(金) 22:42:42 ID:Dbp9YZpv
やっぱり行動力と実行力でしょ。
信長の真骨頂は。
大きな損害を被る可能性のある軍事行動を好機と見るや即座に行ってる。
普通は準備万端整ってからするのにね。
それが必ずしもうまくいくとは思えないけど、
小勢力を短期間で大勢力にするには必要な事。
あとは、宗教勢力の既得権益を奪うという当時のタブーを平気で犯す傲慢さ。
この時代、こういう人間でなければ
結局は数代に亘って少しづつ勢力を拡大する事しか出来ない。

682 :人間七七四年:2007/08/17(金) 22:45:08 ID:G8SeBKHw
叡山焼き討ちの前に、タタリがあるのか、なんて聞いたり案外常識的でもある。
日本人のメンタリティを逸脱してしまったのは確かに驚異で、その合理的な発想とか、どうしてそうなりえたか、というのも面白いテーマであるといえよう。

683 :人間七七四年:2007/08/18(土) 10:32:14 ID:YpP6Xr7p
天皇や将軍でも殆どやらなかった蘭麝待(字、あってるかな?)切り取りとかもあるしね

684 :人間七七四年:2007/08/18(土) 11:47:34 ID:2aviDKJT
ランジャタイ(字は合ってますよ)は、あの義政も含めて足利将軍が
三人も切り取ってるし、明治帝もご所望されたようだし、
>それまでもそれ以後も日本人のメンタリティでできることではない。
と言うにはあたらないでしょう。

欺してまで武装解除の上、万の単位で女子供まで虐殺は、確かに信長
の「根切り」ぐらいしか日本史では見あたりませんね。
他に大量の偶像を建設資材に転用した例も、例のない事績でしょうね。

偶像軽視を合理的思考とするに抵抗はないんですが、虐殺の方は民族
的禁忌を犯した例としては納得できても、どうして「合理的」という
評価になるのか、>>678>>682両氏にはお聞きしたいですね。

685 :人間七七四年:2007/08/18(土) 13:31:29 ID:XqpfcnNp
ランジャタイ切り取りは、義満、義教を意識したものでしょうね。
義政はその二人を模倣したのでしょうが、信長の場合はより義教を意識したのでしょうか。
当時の朝廷とのやりとり見ても信長にあせりが感じられる、前年だったかに義昭追放してこのあたりで天下人への意識が強く芽生えたのかな
翌年から朝廷との接触が異常に増えます、これはまた後の話でしょうが。

ランジャタイは、たくさんの人が切り取ってる、という意見もあるようですが、逆に言うと
これだけの人しか実行できていない。朝廷はうまく断ってしまうわけですし、信長すらも丁寧なお断りをされている。
結果的に日本史に名を残す人ばかりなわけで、信長の時点では天下人を越えるような勢力を誇った義満、
そして義教を強く意識自分もそういう存在だぞ、と朝廷、部下、にアピールしたものでしょうか。

あ、これは日本人のメンタルティの問題ではなく、ランジャタイ切り取りは信長の意思の表明、という話で
信長を語る上では結構な意味を持つものかもしれない、という話です。

「虐殺を合理的」、これはアブナい意見なのでこっそりしたいのですけど、中世から近世の移行において
時代の変化、要請からくる一般庶民からの不満、不具合がたまってきている。
その強力な旧権力の1つ、既得権層、つまり寺社勢力、これを何とかすることが信長の課題のひとつだった。

「日本人のメンタルティ」を「和を以って尊しとなす」とすると、信長と寺社が話し合って解決するのが一番
でも、あの時点でもうそういう段階に無く、もはや生死をかけた殲滅戦、しかない、そうなってたと仮定すると、
信長がやった虐殺は、近世への移行、旧既得権益の解体、そういう意味で、歴史の要請的な合理性
つまり必然性を感じるわけで、決して信長個人の残虐性、異常性に結びつけるものではない、こう考えています。

「根切り」した後その信仰まで禁止したかというと、今まで存続しているようにそうでもない
つまり信長は、既得権の放棄、強大な勢力の解体、さえすればそれ以上の感情的しこりを
残していない、それどころか自分に従うなら信仰自体はいいよ、みたいな態度も取っている。
これからも、信長が天下平定への道筋をかなり近代的な意味で通ってきている。
それを「合理的」というように解釈したわけです。

逆にお聞きしたいのですけど、最初に書いた、より義教を意識、これは義教も叡山攻めをしていることまで
遡ります。
義満と違い義教は武力で持って、九州平定、叡山攻撃、南朝支配、関東平定、に成功したのかな
これを信長は強く意識していたのではないでしょうか。
信長の義教への意識、さらに言うなら憧れ、模倣(ランジャタイ切り取り)などをどう思われますか?

これ、義昭と信長の関連を語る上でも結構重要と思うのですよね。どうかご教授を。

686 :人間七七四年:2007/08/18(土) 14:02:29 ID:sNp5H1GZ
極端な長文を我慢して読んでもまともな文章だった試しは一度も無い。

687 :人間七七四年:2007/08/18(土) 14:58:43 ID:2aviDKJT
>>685
どえらい長文のレスをいただきましたが・・・
1)
まとめるとランジャタイの話は、民族の禁忌や合理性の話とは別と言うことですね。
OKですよ。私の書き込みもそういう主旨ですし。

2)
まとめると信仰は否定しないけど俺の言うことは聞けってことですね。ようは政教
分離のために合理的手段として虐殺が必然、結果的に中世から近世へ移行を促した。
と、いうことですね。そういった話ならさんざん聞いてますけど、肝心の石山は、
天皇の叡慮に従い赦免という形で武装解除、接収。つまり最終的には交渉事でカタ
をつけたでしょ。無駄な血を流さずコトを済ましたってことで、こっちを合理的と
評価するなら解るんですが。
さらにこの間、門跡や公家のための徳政令を発して借金をチャラにしてあげたり、
従三位権大納言・右近衛大将に叙されたりと、「旧既得権益の解体」に逆行するが
ごとき事績が見受けられるんですが? 虐殺って意味があったんでしょうか?

伊勢長島の件は、さんざん苦しめられた意趣返しだったと見る方が自然な気がして
ならんのですけど? 付言しますが、残虐だとか倫理的に避難はしてませんよ。

3)
私が何も言及していない義教がらみの話、何をご教授したらいいのかさっぱり解り
ませんがw 井沢あたりが言いそうなことだなぁ、とは思いますけどねw

あと、義満の治世では美濃(土岐)の乱、明徳(山名)の乱、応永(大内)の乱が
勃発してます。燻革の腹巻き(不忠の臣下を懲らしめる際の武具)して、朝廷の手
を一切煩わすことなく、陣頭指揮で鎮圧してますけど。
義教や信長が、朝廷におすがりして治罰の綸旨出してもらったり叡慮の形で和議を
斡旋してもらったりしたコトもしばしばだったのに比べ、義満は雄々しいでしょw

688 :人間七七四年:2007/08/18(土) 16:23:30 ID:H2o8mbxA
>>687
暑い中どうも。

2)に関して、虐殺の意味、となると顕如が発した檄文、あれへの対抗としか言えません。
あれによって女子供信徒全員参加の殲滅戦になってしまったわけですから。
最後は天皇が間に入りますが、その前の徳政令やら
これは1574のランジャタイ以降の朝廷対策の一環、ではないでしょうか。

ランジャタイ切り取りにって、参議、従三位に任じられた信長はその後も近衛、二条あたりと接触を続け
そこらで、「あれみんな従順だな、オレ、偉くて強いのかな」と気づいたのではないのでしょうかね。
つまり最後の旧権力朝廷を利用してたのが、宗教界対策とかで、自分はこれを越えられるぞ、と。

1579の誠仁親王の子供を猶子にした、これがその結論でしょう。
よく信長が朝廷を解体やら追放しようとした、というと証拠は?と聞かれますが
まさにこのあたりから旧権力解体の仕上げにかかったと考えます。
1581にオーギマチさんから左大臣に任じられますが
「誠仁親王への譲位後に」なんて恐ろしい答え方をします。

少し先走りました。
3)ですが、井沢あたりに言及してほしかったのにスルーされて悲しかったですね。

義満が陣頭指揮をしてたあたりは知識がなくて申し訳ない。
どうも晩年の傲慢な姿しか・・
ちなみに、義教は天皇を崇拝していて、おすがり、よりかは最後にお名前お貸しください、という
臣下としての形式を守った、という風に考えます。

689 :人間七七四年:2007/08/18(土) 16:43:06 ID:H2o8mbxA
>>683
ランジャタイ切り取りについてですが
信長の場合は1573に義昭追放して天下人への意思が明確になる
しかし、正四位下、弾正忠では格がした過ぎる、なので細川あたりが
「東大寺切り取りを許可されれば朝廷側から位をくれるにちがいない、そして
こっちから頭をさげたことにもならない」とか作戦を考えたのでしょう、、まさにグッジョブでした。

秀吉、家康は当然ですね、それ以降の徳川将軍がやらなかったのは気を遣ったのでしょう。
明治天皇は・・ピーー

ちなみに信長が切り取った東大寺、オーギマチさんにプレゼントしてそっから毛利にわたって
そっからどうなったのでしたっけ?
犬山かどっかのお寺にあるのだったかな、さがせないものですかねー。

690 :人間七七四年:2007/08/18(土) 17:28:04 ID:2aviDKJT
>>688
あの〜、何故虐殺行為が合理的と評価できるのか、を問うてるんですが?

既得権益の解体とかの話はどうなったんですか?
虐殺は顕如の徹底抗戦路線への対抗で、この時点では朝廷の力を借りなきゃ
ならんかったとか、その後の朝廷対策の話を長々書いていただいてますけど、
そもそものこちらの疑問に答えてもらった内容とは思えないんですけど?

井沢がらみというか義教がらみの話にしても、
>最後にお名前お貸しください、という臣下としての形式を守った、
って、ずいぶん殊勝な義教像を想定されてますが、こんな既得権益(朝廷)
に従順な義教に
>信長の義教への意識、さらに言うなら憧れ
ていたんですか、総見院殿正一位信長公はw
あんたの、「合理的な信長が近世を切り開いた」的な御主張とかなり矛盾し
てませんか? もうちょっと、論理的にお願いしますね。

細川がランジャタイ切り取りを進言した云々は、史料的根拠ゼロなうえ、
>「東大寺切り取りを許可されれば朝廷側から位をくれるにちがいない、
>そしてこっちから頭をさげたことにもならない」
って、全く理解できないんですが? わたしの頭が悪いのなら指摘してねw

691 :人間七七四年:2007/08/18(土) 17:44:38 ID:2aviDKJT
あっ、>>687はちょっと誤解を生む書き方だったので訂正しときますね。

文字通りの意味で陣頭指揮したのは明徳の乱だけ(のはず)。
それと、美濃の乱では朝廷に戦勝祈願ぐらいはお願いしたかもw
あと、応永の乱は義持に将軍職譲ってからですよ。晩年とまでは言えませんが。


692 :人間七七四年:2007/08/19(日) 01:38:34 ID:8mcSIbo7
>690
虐殺行為、の合理的ですよね、この時点では、顕如の檄文対策、ではいけませんかね。
一歩間違ったらこっちがやられる、なので殲滅戦にした、というのではいけませんか。
朝廷対策、はまた違う話でもいいのですけど。

次、義教の、像、はなんら矛盾してません。
そこまでは憧れたのですよ、国内統一までは。
そこからが時系列で書いてますよね、1579以降は。
これは信長が、変容、したのですよ、義教をこえる千載一遇のチャンス、と。

少し戻りますが、参勤交代、さらに言うなら、奉行衆、までも徳川の職制、の原型は義教に
見られます。つまり、信長は正一位、になるはるか前から当時の天下人を目指す人なら意識していたはず。
なんですよ、義教を。

怒らないでね、「論理的にお願いします」「理解できないんですか」
これはレスの前に言うのはちと失礼ないでしょうか。
ま、置いといて。

細川の進言、もちろん根拠はありません、では1573の義昭追放のあと、突如起こったランジャタイのはなし、
この、別の解釈お願いします。
実際位もらってますよね、貴君の頭は悪いとは思いませんが、だから聞いてます、
ここで、意思を表明したのですよ、信長は。
次はオレだ、ってね。

ここまで言い切るにも勇気が要りますが、信長は案外わかりやすいのですよ、
記録に残ってて。
「御父」「遍頼入」この1568から1573までの信長と、その後ははっきり違います。
690のレスにはこれだけでも、十分傍証になると解釈します。

部分的に話すと誤解うむので、信長の10代からやりますか?
彼の、異質性、はここに論拠があり、これが最後まで続きます。
これが、彼の不思議さ、の論拠なんですけど。
そこを、部分的に解釈すると、貴君のように、こっちが矛盾だらけ、かもしれません。

じゃ、質問、「たわけ」と「うつけ」の違いお願いします。
これ、公記にもはっきり出てますけど、信長は「うつけ」であって
「たわけ」じゃない。
この解釈お願いします。
こんなのは、ウケウリで、江戸期の人までは誰もが知ってた、常識、なんですよね、たぶん。
なのに、今の専門家は案外知らない、のが不思議で。

試すわけじゃないですよ、怒らないでね、これが尾張乗っ取り、の論拠なんです。
そして信長、変容、の最初の論拠になると信じます。

そして、これは秀吉、家康にも、めっちゃ関連します、つまり足利から続く
武士政権の基本中の基本、であると信じます。

どうか、冷静なレスを、お待ちしてます。



693 :人間七七四年:2007/08/19(日) 01:41:44 ID:pp+oQBr8
冷静も何も妄想としか思えない

694 :人間七七四年:2007/08/19(日) 02:13:08 ID:8mcSIbo7
>>693
そうやって言われて20年はたってるな。
せっかく2ちゃんがあるのだから、具体的にバカにして。

参勤交代の原型が義教にある、ってこれ、そんなにおかしいかな。
お市の娘がどうしてあんなに出世したか、にも関連するのだけど。
あの時点で、武家の棟梁、足利家、を越える、血筋、が出た、にも関連するのだけどね。

豊臣家の抹殺、これはね、下賤だから家康は偉いのだけど、その家康がお市の血、を欲しがった
これ、重要だと思うのだけど。

今だに続くもんね、血、の話は。

695 :人間七七四年:2007/08/19(日) 02:13:48 ID:Vt9+VJFH
信長が過大評価なら秀吉も家康も過大評価


696 :人間七七四年:2007/08/19(日) 02:29:14 ID:8mcSIbo7
あ、もう一回だけいい?

「虐殺は合理的」、って今の価値観ならだめですよ、虐殺どころか一人も傷つけたらだめ。
でも、ここは歴史の話ですよね、その時点の話ですよね、これだけはどうかご理解を。

あの時点での殲滅戦の是非、顕如が先頭にたったならともかく、そうじゃないのですもの。
わしは決してサヨクでも、虐殺肯定でもないですよ。
くどいけど、顕如がみんなに命じたから、なんですよ。

そうういうのをトータルで評しているわけです。

697 :人間七七四年:2007/08/19(日) 02:44:09 ID:Oc2J6y9F
>>696
ねぇ、以前から指摘されてる事を何で正そうとしないの?
具体的に指摘されてるにも拘らず、自分の妄想をぶちまけてるだけなんて、
荒らしと同じだよ。

698 :人間七七四年:2007/08/19(日) 02:55:56 ID:IQxny2Tp
>>692
武装解除に応じ戦意をなくした相手を殺し尽くすことを合理的と評価する理由として、
1)あんたが最初に提示したのは
>信長がやった虐殺は、近世への移行、旧既得権益の解体、そういう意味で、歴史の要請的な合理性
2)ところが、最後のツメは虐殺じゃなくて交渉で相手を本拠地から退去させたでしょと突っ込むと
>一歩間違ったらこっちがやられる、なので殲滅戦にした
1)と2)がどうつながるのか論理的に、頭の悪い私に解るように説明してね。

高校の歴史授業みたいなコトをわざわざ書くハメになるとは思わなかったけど、
・徳川幕府の職制は、東照大権現神君家康公の遺命により「三河のままのごとく」が基本。
 全国統治のため、秀忠、家光ら代々が必要に応じて種々の役を新設した。
・室町幕府の職制は執権を管領とするなど、多少違う点もあるが、基本は鎌倉幕府のまま。
・(織田氏の)職制の見るべきものもなく、当時諸家においてある役人と大差なかった(後略)
 (出典;新訂 官職要解 和田英松 著  所功 校訂)

>参勤交代、さらに言うなら、奉行衆、までも徳川の職制、の原型は義教に見られます。
って、こんな珍説、平気で書くから>>674さんや>>693さんみたく、「妄想」という人が現れる。
正直、私もあんたにつきあうのが嫌になってる。
>>628で今週はとことんつきあうなんて、言わなきゃ良かったと後悔してる。

信長の正一位は、死後、秀吉が朝廷に頼んで(と言うか命じて)追贈。生前は正三位が最高。

「うつけ」と「たわけ」の違いがどうかなんて、あんたにとっては重要な命題か知らんけど、私には
どうでも良いこと。信長の変容なんて証明不能なことにつきあってくれる人がいるかどうか知らんが、
私には(!)、あんたの頭の中で勝手に組み立てた歴史や人物像を押しつけるのはやめてください。

699 :人間七七四年:2007/08/19(日) 03:02:59 ID:pp+oQBr8
>>698
>あんたの頭の中で勝手に組み立てた歴史や人物像を押しつけるのはやめてください。
凄い同感

700 :人間七七四年:2007/08/19(日) 03:04:27 ID:8mcSIbo7
>>697
悪いねぇ。
教科書やウキとはちがうこと書いてるのだけど、そんなにおかしい?
だったら、具体的に言って下さいまし。
こちらは具体的な質問してるはずですけど。

せっかくだから言うけど、教科書に書いてあること丸暗記全部正解
これが、日本史のオケなんですかね。受験じゃないですよね、2ちゃんは。
「1568〜1573の義昭と信長について語れ」
こうやって理解を深めるべきだと思いますが
ま、院とかに入るとかえってセンセとちがうことは言えない

でも、わしはずっと疑問があってこうやってお聞きしてるのだから
良かったらお返事いただきたい。
正史だって、解釈がいっぱいなんでしょう、馬そろえとか、三職推任、とか。

だったら、もっと自由に語ってもいけませんかね。
逆にオーギマチさん退位問題みたいに解釈が分かれてる問題について聞きたいけど
「今の解釈はこうである」って個人の意見がでてこない。
証拠が無い、答えようが無い、ってね。

じゃなくて、今の平成を生きるみんなの解釈を聞きたいのだけど。
テストじゃないからね、こっちは正直に信長の一生を通して
日本史を語りたいのだけど。
そして、明治維新ぐらいまでの通史として。

長くてごめん。

701 :人間七七四年:2007/08/19(日) 03:05:50 ID:n3tq55NV
正親町天皇に関して、天皇にとって譲位して上皇になることはむしろ権力の上昇を意味するのであって、
正親町天皇からすればむしろ喜ばしい事に他ならない、むしろ在位のまま崩御する事は不吉であるとされるが、
戦国時代の天皇はほとんどその経済的な事情から存命中に譲位することが出来ず崩御してしまっている。
だからこそ信長と言う譲位を可能にする経済力を持った存在が現れた事で1570年代から正親町天皇は譲位を
望んでいた。天皇家の譲位とそこらの家督相続を一緒くたに考えてはいけない。

ならば何故実現しなかったのか?それはやはり経済的な理由であって状勢的な理由になる、
信長からすれば畿内がもう少し落ち着いてから行う必要があったのだろう。

もしも信長が天皇制を軽視していて、利用するだけの気であるのであれば
実力で上記の事など一切気にせずとっとと誠仁親王に譲らせてしまえば良い。

また息子の信忠に至っては本能寺の際に自分が殺されるにもかかわらず身を挺して誠仁親王を逃がしている。
信長が天皇制を解体する気なのであれば、その後継者である信忠が体張ってまで守る必要性など無い。

702 :人間七七四年:2007/08/19(日) 03:22:27 ID:pp+oQBr8
>>700
何処が具体的なのかさっぱり分からん

703 :人間七七四年:2007/08/19(日) 03:44:04 ID:Oc2J6y9F
>>700
お前、本当に知的障害者か何か?
・文章を短くまとめろ。
余計な部分が多すぎて、強烈に読み辛い。
頑張って読んでみると主観ばっかりで中身が無い。
・句読点くらいまともに使え。
「、」の部分で少し間を空けて自分の文章を読んでみろ。

改行とレス番の付け方はやっと直したようだから、
それは良し。

ところでウキって何?
サル?


704 :人間七七四年:2007/08/19(日) 03:45:44 ID:8mcSIbo7
>>698
レス、どうも。
最初に関しては、戦意をなくした相手、の解釈が違いますね。
相手は、宗教団体ですよね、交渉で上手く言っても下々ではどうだったでしょうか、これは
家康の、豊臣直系家皆殺し、と同じで、退去させようとしても抵抗はあったと思いますよ。
もう1つ、武装解除に応じても、生き残ったのがテロみたいにやってくる可能性はありますよね。
なので、どうしてもある程度は、しょうがない(キュウマ)と解釈します。

次の珍説について。
ちと文献ひきました。
永亭4年、山名トキヒロが幕府に出仕しないのを咎めます。そして
九州平定の功労者大内に対しても、京都へ参勤を怠った、といって所領をとりあげてます。
これを誹謗した大名にも同じ罰をします。
これを、参勤交代の原型と呼びました。
あくまで統治の原型ですよ。

「奉公衆」については、三管、四色、その他有力大名が交代で60人ぐらいを差し出し編成した、
これは優秀な人ばかりでいざの時ははるかに増えます
「奉行衆」もその当時にすでに原型がみえます。

足利の職制は、「古事類苑」の官位部で確認願います、てもとになくて恐縮。
将軍から相伴衆までめちゃくちゃありませんか。
信長はその10分の1で、和田さんと一緒。

そしてこれを発展、完璧に仕上げたのが徳川300年の基礎となったものでしょう。
義教が、関東、九州、南都、宗教界をまとめあげた、には反論ありませんか。
と同時にこういう職制を考えていた、そのように解釈します。

もう1つ、征夷大将軍に朝廷から任じられる時は、名前、を宣下されます、よね。
なのに、自分の意思でそれを変更したのは義教だけと記憶します。
しかも当日です。これは、天皇を崇拝すると同時に、口出しは許さない、という政教分離の基本では
ないでしょうか、言いすぎか・・

このくらいでどうでしょう、高校の教科書にはのってないので申し訳ないけど
根拠はあると思いますが。

ちまみに、「うつけ」と「たわけ」の違い
どうでも良いと言う前にお答えくださいな、貴君は教科書通りの信長像
こちらは異見、を言ってます。

教科書にのってない、から珍説、妄想、と言うならお答えくださらないと少し悲しい。
せっかくの機会なのでね。
これこそまさに有益な議論と思います。







705 :人間七七四年:2007/08/19(日) 04:02:20 ID:pp+oQBr8
>最初に関しては、ry
意味分からないそれが698への答えになるのか

出仕しない
つまり軍役拒否が所領没収となるのは
御恩と奉公の鎌倉時代から当然のことでは

奉公衆は義教以前から
義教がそれを更に強化したのは事実だけど
で反感買ったた

名前はシラネ

706 :人間七七四年:2007/08/19(日) 04:02:21 ID:8mcSIbo7
>>701
レスありがとう。
オーギマチさん譲位に関しては全く違う解釈ありますよね。
わしが思うのは、おっしゃる通り1570から譲位を考えていたのはそうでしょう。
で、1579の猶子問題、これがおきて情勢は一変する、なんですよ。

これもおっしゃる通り、信長は誠仁親王に譲位させたかったのに、オーギマチさんが譲らなかった、と解します。
そして二条城の新居に誠仁親王をうつしたのは、信長の側の作戦ではなかったでしょうか。
翌年、親王は幹部と談合を持ちます、兼見卿記ですけど、違いましたっけ、これらの1579〜
は朝廷側の抵抗でしょう。

信忠が親王を逃がしますよね、これは推測ですけど、まだ聞いてなかったのではないでしょうか。
ここまで来ると推測で申し訳ないけど、正式な譲位があるまではやっぱり誠仁親王が一番大事。
猶子は親王の子ですし。
どっちにしても守る必要があったのではないでしょうか。



707 :人間七七四年:2007/08/19(日) 04:04:14 ID:Oc2J6y9F
>>704
長文と脱線を止めないのなら他所でやってよ。
迷惑なんだけど。本当に。

708 :人間七七四年:2007/08/19(日) 04:23:56 ID:8mcSIbo7
>>705
細かい訂正さんきゅ。

軍役ではなく普通の幕府への出仕、つまり、サボリ、だったみたい。
そして義教が没収したのではなく、親が、サボった長男を廃嫡にして息子につがせた、のかな。

もちろん当然といえばそうだけど、強力な将軍がいたからこその出来事で、
御恩と奉公というより、将軍家と地方の大名の緊張感あふれる出来事、に近くないかな。

ま、あくまで強力な将軍が制定した職制、という意味で家康に近いと解する。
この場合のキーワードは、宗教界制圧、かな。

709 :人間七七四年:2007/08/19(日) 04:26:59 ID:n3tq55NV
>>706
>>これもおっしゃる通り、信長は誠仁親王に譲位させたかったのに、オーギマチさんが譲らなかった、と解します。

レスの本筋を理解していないようなのでもう一度言う、
天皇にとって譲位して上皇になることは権力の上昇を意味するのであって、
正親町天皇が譲らない理由など無い。

実現できなかったのは信長側の理由であって、何も抵抗などない。
逆に信長が権力の剥奪を意図していたのであれば、わざわざ遠回しにする意味もまた無い。

710 :人間七七四年:2007/08/19(日) 04:27:46 ID:Oc2J6y9F
>>705
>>698は「既得権益の解体の為の殲滅戦」と言った事と
「やらなければやられるという、必要性から生まれた殲滅戦」
と言った事の繋がりを問い質しているのに、
>>704では(意味不明な文章なので予測だけど)
「相手が武装解除に応じたと言っても、
危険分子を抱える事は問題なので、仕方なく殲滅戦を行った。」

と、質問とは関係無い、新たな理由を言い出してるんだと思う。

711 :人間七七四年:2007/08/19(日) 04:28:32 ID:y3qC+Jl2
信長が一揆勢を虐殺した理由は
「一揆勢は降伏してもそれは一時停戦の意味しかなく、
 降伏した後にすぐまだ攻撃をしかけてきてキリがないので
 虐殺する事で一揆を根絶するしか手段がなかった」
が正解。

ちなみに各地の一揆勢は本願寺と主従関係でも何でもない無関係な組織であり
一向一揆も長島一揆も本願寺とは全然関係がないのだが、本願寺が頭だと誤解している人が多い。
この辺はNHKの「その時歴史が動いた」などでも間違って放送されてる。

712 :人間七七四年:2007/08/19(日) 04:40:31 ID:IQxny2Tp
>>704
もう今日は寝るから、解釈の違いなど入る余地のない部分だけ手短に。
以下に文句があるなら、私に言わずに文部科学省に言ってねw

室町幕府の守護大名は在京し、幕府内で相応の地位にいることで領国統治の正当性を補完。
つまり実力では足らん部分を幕府の権威に頼っていたので、応仁の乱以後、守護代・国人の
台頭を許して没落するものが多かった。あんたがどう思おうが、これが日本の歩んだ歴史。
もちろん、在京にメリットを感じない大名もいた。制度として在京が半ば義務化されても、
遠隔地の大名で在国を黙認されていた大名はいる。島津家なんかは、歴代将軍が何度も促し
たが、一度も上洛したことがない。

義教は上洛命令に従わず、在国し続けた大名に謀反の疑いを(ほとんど事実無根としても)
持ったから罰したのであって、江戸期の参勤交代とは何の関係もない。
奉公衆は、将軍直属の軍事力として編成されたもの。徳川幕府と比較するなら、旗本・御家
人に比すべきもの。鎌倉幕府の奉行人は評定衆、引付衆から専門化した幕府の用務を勤める
役職。本部業、合わせ奉行を合計すれば、あんたの言うように30以上はあるだろうね。
御物奉行(将軍の着替えを手伝うだけ)みたいなものすら奉行だからね、鎌倉幕府ではw

繰り返すけど、家康自身は「三河のごとく」としか言ってない。老中やら若年寄やらと言う、
徳川家の家宰としての序列が幕閣の序列になっただけ。生前に京都所司代を置いたりしたが、
それこそ信長や秀吉のまね。基本的に、何とか奉行みたいな職制は徐々に拡充されていった。


713 :人間七七四年:2007/08/19(日) 04:49:11 ID:8mcSIbo7
>>710
さんきゅ。
頭悪いもんでごめん、最初の虐殺と最後のほうの虐殺はやっぱり長いことやってたら
今ここでをその理由を言うには難儀なもんだ。
でも、トータルで見て宗教勢力との戦いはそういうものじゃないかな。
ましてや顕如の檄文、こればかりで悪いが、「合理性」が問題なら
「その時々での必要に迫られた」ではどうでしょう。

687でお答え頂いたように、倫理の問題ではないのなら
これ以上は些少に過ぎるような・・ごめん・・


714 :人間七七四年:2007/08/19(日) 04:51:13 ID:8mcSIbo7
おやすみ、ありがとう、良い週末を。

715 :人間七七四年:2007/08/19(日) 08:12:40 ID:v6ab+g5V
所詮歴史なんて憶測にすぎない・・・なんて事を言ったら身も蓋もなくなってしまうのだが
大河ドラマのように全体の流れはともかく、詳細の部分に至ってはどこまでが事実かなんて
誰もわかりはしない。
もちろん残された資料や発掘調査などから精度は高くはなっているものの、それでもやはり
想像の域を出ないことには間違いないだろう。
例えばテレビ・ラジオ・ネットなど、情報収集の手段は今までにないほど充実した現代でさえ
我々は自身が生きている現在の世の中で起きている出来事をどれだけ正確に把握できてるだろうか?
それを考えると、信憑性の高い資料が皆無に近い歴史は想像の産物と言っても過言ではないだろう。
それゆえ、誰がどのような見解をしてもまた許されるともいえる。


716 :人間七七四年:2007/08/19(日) 10:50:43 ID:YIGrFtvc
伊勢一揆殲滅は、むしろ単純な目には目を歯には歯をだったんじゃないかな?
元亀2年の長島攻撃は、退却中に柴田勝家負傷・氏家ト全討死という大敗を喫したことで知られているが
実は6月の撤退直前の5月に、幕府家臣の大館氏と家康に対して「一揆が詫びてきたので赦免することにした」と書状を出している
武田家の例もあるとおり、信長はこの手の違約が大嫌い(まぁ好きな奴はまずいないだろうがw)
そこで違約に違約で答えようとしたが、何しろ双方規模が大きい
必然的に凄まじい乱戦、殲滅戦になった(一方的虐殺、というには織田方の幹部クラスにまで被害が及んでいるし違和感がある)

717 :人間七七四年:2007/08/19(日) 14:29:40 ID:yEcjC2p+
>>716
一揆側からの和睦の申し入れには「その場しのぎの一時停戦」以外の意味がなく
和睦後に兵糧を入れたり戦闘員を増やしたりして、また攻撃できる体制を整えて攻撃してくる
だから一揆との和睦は信長からすれば無意味というか、相手のためにしかならないので
和睦は許さない、全員殺す、という流れになるしかない

718 :人間七七四年:2007/08/19(日) 14:48:38 ID:IQxny2Tp
>>704
信長スレで延々足利六代将軍のことを引っ張るのも、あんたの「物語」に
つきあうのもこれが最後ね。今後、一切この件ではレスしません。

永享の山門争乱と永享の乱、探題の存在を無視同然の九州、同じく幕府の
膝元でその存在を無視同然の大和、これらに断固とした態度で臨み、一応
の勝利を得たことは認めます。徳川幕府のような職制を考えていた、など
というのは何の根拠も認められませんので否定します。

>征夷大将軍に朝廷から任じられる時は、名前、を宣下されます
天皇が武家の名前に口出しすること自体、例外的事例なのでは? 高氏が
後醍醐の諱から尊の字をもらったのは有名ですが。たとえば堀越公方政知
第二子で十一代将軍清晃は、義遠(遐)、義高、義澄と三度も名を変えて
ますよ。もし、将軍宣下に伴い天皇から賜った諱なら勝手に変えることは
できんでしょう? 尊氏が後醍醐と敵対しても名前を変えなかったように。
この件ははっきり言ってよく解りません。いつも言ってますが、あんたが
思うのは勝手なんでどうぞご自由に解釈してください。ただ、これを根拠
にあんたのような推定をすることは、「将軍宣下と同時に名を授ける」と
いう事例を多数示していただかない限り、否定します。

「うつけ」と「たわけ」の違い、繰り返しますが、私には何の意味も見い
だせません。考えたこともないことを答えようがありません。


>教科書にのってない、から珍説、妄想、と言うならお答えくださらない
>と少し悲しい。 せっかくの機会なのでね。
>これこそまさに有益な議論と思います。
他の人も含めて、教科書に載ってないから妄想と言ってるのではないよ。
いい加減解ってね、お願いだから。

あと島津氏の上洛に関して、>>712を訂正しておきます。
応永十七年、義持の代に元久が一度上洛してます。失礼しました。

719 :人間七七四年:2007/08/19(日) 15:15:15 ID:Oc2J6y9F
まぁ、「うつけ」は変わり者で「たわけ」が愚か者とかって事だろうけど、
それをしつこく聞いてくる事に何の意味があるのか分からん。

720 :人間七七四年:2007/08/19(日) 20:59:45 ID:/DdY0AxU
愚公山を動かす
おばかさんのほうが、しがらみや常識を突破してデカいことを為すことがある

721 :人間七七四年:2007/08/19(日) 22:58:10 ID:n8v7LNtq
政治は家康並に凄く
戦争は謙信以上に上手く
知力もかなり優れていた
魅力に溢れ(最後に光秀にやられたのは…)
野望は文句無し

やっぱこいつだけは別格だと思う
戦争面だけ見ても日本史最強だろコイツ 日本史上の戦いで5倍の兵力差を破った戦いが何度あるか

722 :人間七七四年:2007/08/20(月) 02:37:41 ID:K1ymsYoa
>>721
とりあえず5倍以上の兵力差を覆した戦いなら戦国時代だけでも何個もある。
少なくとも元就がいる以上信長は戦国最強でもない。
南北朝の時代なら楠正成がすごいことやってるよ。
魅力も疑問。裏切られた回数は結構ある。

723 :人間七七四年:2007/08/20(月) 10:18:43 ID:KYNmG0Ax
>>721は釣りだろ
まぁ戦国板は、天下人を過小評価して群雄を評価し、
大大名を過小評価して小大名を評価する傾向が強いけどな

724 :人間七七四年:2007/08/20(月) 10:56:15 ID:LMJFKRlt
>>723
戦国板にかぎらず2chはどこもそうじゃね?
人気のあるもの=悪
東大以外は低学歴
年収1000万クラスでも低収入
グラビアレベルでもブサイク扱い

しかしなぜか貧乏人とブサイクには優しいw


725 :人間七七四年:2007/08/20(月) 11:08:59 ID:HHMVu7+l
>>722
そうだな。その元就も少数で大軍打ち破ったわりに軍神とか野戦に強いとか
言われてないよな。 信玄に為すすべなくやられた家康が野戦上手とか
言われるくらいだからな。 奇襲とかの類はさほど評価されんのかな。


726 :人間七七四年:2007/08/20(月) 13:40:29 ID:zzq8B88M
厳島の戦いの後世の評価が低いということなら、元就自身、
この戦に関しては一枚の感状すら発給してないし、仕方ない
面もある。実際に活躍したのは援軍の村上(来島)水軍だけ
だった、という解釈もできるけど。
信玄や謙信が戦のたびに大げさに戦果を喧伝したり、江戸期
の甲州流と上杉流軍学の宣伝合戦が今の過大評価を招いたの
とは反対だね。

風林火山とか毘沙門天とか、こけおどしのイメージに頼らず
とも領地拡大、無駄に家臣に褒賞を与えずとも求心力を維持、
する自信があったんでしょ、元就は。あぁ、言っときますが、
元就厨じゃないよw 好き・嫌いで言えば嫌いな方だし。

727 :人間七七四年:2007/08/20(月) 17:00:29 ID:KYNmG0Ax
厳島の手腕は十分高く評価されているだろう

728 :人間七七四年:2007/08/20(月) 20:10:02 ID:3LkFeeQk
元就は軍神というより、謀略の天才ってイメージがあるからなぁ。
関ヶ原の頃の家康のイメージに近いか。

729 :人間七七四年:2007/08/20(月) 21:09:25 ID:zzq8B88M
能も芸も慰みも 道だても本路だても 何もかもいらず候
ひとえにひとえに武略、計略、調略かたのことまでに候

信長ももう少し「言葉」を残してくれてりゃ、小説家も楽だろうに。
「であるか」と「是非もなし」だけじゃ、妄想ふくらますしかないw

730 :人間七七四年:2007/08/20(月) 21:33:11 ID:ENBdzhql
元就の実績が全て本当かどうかは…

>>729
残った言葉なんて大抵作り話
信長は行動でみんなを惹きつけてるからいいんだよ

731 :人間七七四年:2007/08/20(月) 23:17:28 ID:zzq8B88M
>>730
いや、作り話も多いのは確かだけどね、>>729
毛利家文書として残ってるよ。元就の人となりを
示す、めっちゃくちゃ有名な一節なんだけど。

732 :人間七七四年:2007/08/20(月) 23:50:09 ID:3LkFeeQk
元就でめっちゃくちゃ有名なエピソードといえば、一般知名度では例の「三本の矢」が断トツでしょう。

めっちゃくちゃ真偽は怪しいが。

733 :人間七七四年:2007/08/21(火) 00:09:30 ID:wQ7hX30b
>>732
怒られそうなんでこれを最後にするけど・・・

矢を折るエピは元文四年(1739)成立の常山紀談が初出で、
99%作り事でしょう。ちなみに上記では「大勢の子供」
(元就は九人も息子がいたからね)を諭す話になってる。
隆元、元春、隆景を相手に三本の矢を折る話になったの
がいつかは不明ながら、明治の小学修身訓にはこの形で
登場、現在、J1サンフレッチェ広島の愛称にもなるw



734 :人間七七四年:2007/08/21(火) 00:37:27 ID:scz0MvNC
大河ドラマで毛利やった時は、エピが「三本の矢」しかないので
それを前中後編でやらないか心配してた。

その点信長なんかはわかりやすくていいよな。



735 :人間七七四年:2007/08/21(火) 08:51:26 ID:++cWCtHV
織田達勝に信長の祖父も秀吉の祖父も仕えていたらいしい

736 :人間七七四年:2007/08/21(火) 20:35:44 ID:AM8uVPOG
秀吉の祖父なんて確定してるのか。
秀吉の生年月日も今は確定になってるのかな。

737 :人間七七四年:2007/08/21(火) 23:40:52 ID:wQ7hX30b
信長でさえ、史料的に確実なのは>>735の信定とその父親、良信まで。
ちなみに良信以下、四代全員、官名は弾正忠(僭称)。
秀吉は晩年、「やんごとなきお方の御落胤」なんて自分で言いふらし
(当然、誰も信じてないけどw)てるぐらいなんで、言わずもがな。

738 :人間七七四年:2007/08/21(火) 23:53:08 ID:AM8uVPOG
この前テレビのクイズで、秀吉の年は、みたいなのがあって
少し驚いたんだ。
そういう資料もあるからそれによったのだろうけど
今はそういうものなのかなってね。

739 :人間七七四年:2007/08/22(水) 00:33:26 ID:5HBdvkdZ
日付まではともかく、天文六年生まれってのは
定説じゃないの? > 豊国大明神

740 :人間七七四年:2007/08/22(水) 00:53:22 ID:fQsGnFVp
なるほどね、覚えとこ。
五年説とると天海と同じになるんだな。

741 :人間七七四年:2007/08/23(木) 07:40:04 ID:p06zTW0Y
信長って弟がすげーいるよな
妹は市と犬って奴だけだよな

742 :人間七七四年:2007/08/24(金) 02:09:34 ID:5d/jwipp
いつまでも茶飲み話ではスレの存在価値がないんで、
過去の蒸し返しかも知れないけど、問題提起します。

1)天下布武(武力統一)は1467年から1568年まで、
 誰もが端緒さえつけかね、先駆者が必要だった?
2)東山文化(わび・さび)から安土桃山文化(豪壮)
 を経たからこそ、江戸期の多様な文化が成立し得た?
3)広域宗教一揆の武装解除が政教分離につながった?

問題提起ということで疑問文の形を取ってますが、史実
としては信長の事績に帰すべきように思われます。もし、
民族的統一、豊かな文化、宗教的自由という近代国家の
枠組みを準備した人となると、信長本人はそこまで意識
してない(orしてる筈がない)としても、かなりの評価
をせざるを得ない。好悪の感情で言えば、信長嫌いの私。
どなたか、上記を論破できる方、いらっしゃいます?

743 :人間七七四年:2007/08/24(金) 02:24:42 ID:W5rfP7Ex
>>742
その3つを大規模広範囲にやれたことによって信長の事績は高く評価すべきだけど
規模を問わなければ多くの大名がやろうとしていたことじゃないかと思う

744 :人間七七四年:2007/08/24(金) 11:30:28 ID:5Caq+3PN
思う、だけじゃどうしようもない
例えば武田なんかは宗教勢力への懐柔路線で、一揆をむしろ奨励して敵にけしかけた
多くの大名がやろうとしたという証拠が出てない以上はなぁ……

745 :人間七七四年:2007/08/24(金) 11:48:18 ID:T8xtXVt8
>>741
信行がすげーイケメンに描写されてて、季孝なんかもそうでしょう。
に対する信長は、うつけ。
これなんかから、信行と信長は異母ではないかとも推察される。
実際に信行は正室と暮らしてるけど、信長はそうじゃない。
おまけに後年信長を討とうとしてるし。
信広は別腹で、有名な信秀葬儀の部分にも登場していない。

これらから妄想結論として、信長摘統を疑うことが出来る。
牛一のこれも有名な筑紫の客僧が「あれこそ国を持ちたる〜」
なんてのは後から入れた創作っぽいけど、いかにも信長嫡統を
それらしく匂わせるため、とも思える。

首級をどこまで信用するかは別の議論だけど。

ちなみに信長の同腹としては、市、がそうだろう。信長の妹で
有名どころに嫁いだのは市だけ。またその娘3人のすげえ出世もきっと
信長の同腹というのも当時の人は知っていて、その価値を知っていたのだろう。

で、妹って二人じゃなくてもっといっぱいいなかったっけ?

746 :人間七七四年:2007/08/24(金) 12:04:36 ID:T8xtXVt8
>>744
最近信長の事績を、他の大名もやろうとしていた、やった、文献にある、という
のをよく見かけるが、単純に同一視していいのかどうかは難しいところ。
またそこから、中世から近世への移行は必然であって信長の突出した才能を
評価しない、という論もあるようだが、いかにもマルクス史観っぽくてどうか。

結果を知っている我々はいろいろ言えるが、当時としてどうであったか、
これはその評価を下す上で重要な判断の1つになる。

例えば鉄砲を信長は最重要視した、けど信玄は「鳥おどし」なんて理解しかない。
全く新しい文化文明道具思想、これらを柔軟に受け入れ理解しさらには発展
させようとした信長は中世末期に現れた鬼っ子、特異な存在であったことは間違いない。


747 :人間七七四年:2007/08/24(金) 12:18:13 ID:NYmNTY0S
>>746
チョイ待ち。信玄が鉄砲を軽視してたなんて事はないんだけど。
第2次川中島の段階ですでに3000の援軍の中で弓800に対し300の鉄砲を添え
組織的にに活用してるよ。信長も鉄砲を最重要視とまではいえたかどうか。

748 :人間七七四年:2007/08/24(金) 12:25:28 ID:5Caq+3PN
信長が道三との会見に持ち込んだ鉄砲数より少ない
鉄砲の生産普及率から見ると、信玄期の主な鉄砲は大陸(中国製)の鉄砲だという説もあったな

749 :人間七七四年:2007/08/24(金) 12:26:00 ID:NYmNTY0S
>>744
上杉、徳川、朝倉といった一向宗に対抗した大名達は?
北条も途中までは一向宗禁止の方向だったな。

750 :人間七七四年:2007/08/24(金) 12:29:02 ID:5Caq+3PN
>>749
上杉も朝倉も北条も最後は一向宗と妥協・容認
徳川は講和後に寺院つぶしした
信長のように武力組織は潰すが、教義そのものにはまず手を出さないというスタンスはあきらかに異質

751 :人間七七四年:2007/08/24(金) 12:32:25 ID:NYmNTY0S
>>748
あくまでも信玄は援軍用として鉄砲を派遣したわけでそれがすべてというわけでも
あるまい。商業も発展していて生産地と距離的にも近い尾張と甲斐では鉄砲の
入手しやすさも違うだろうしね。信長と斉藤の会見では弓、鉄砲500もたせられと
信長公記ではあるけど、これって弓と鉄砲をそれぞれ500という意味なのか
それとも弓と鉄砲を合わせて500という意味なのかどっちなのかね。

752 :人間七七四年:2007/08/24(金) 12:40:03 ID:NYmNTY0S
>>750
あくまでもそういった連中は情勢の関係で容認した、という感じだけどな。
徳川も完全に一向宗を根絶できてない。武田が進撃したときには
三河一向宗の寺院などに呼びかけがされてる。
信長のスタンスは果たして特異といえるかどうか。普通にその必要がなかったから
教義に手を出さなかっただけだの事と思うけど。

753 :人間七七四年:2007/08/24(金) 13:46:56 ID:5d/jwipp
また鉄砲の話? 永禄から天正年間、信長公記をのぞいた史料から
うかがえる鉄砲衆の存在を一覧します(宇田川武久氏による)
また、鉄砲衆としての運用が確認できずとも、島津氏などが戦闘で
鉄砲を使用したことは明らかでしょう。

永禄八年七月三日   下総 千葉胤富ー井田平三郎  井田氏家蔵文書
永禄十二年五月三日  相模 北条氏政ー清水新七郎  清水一岳氏所蔵文書
永禄十二年六月六日  陸奥 南慶儀 ー(八戸政栄) 南部家文書
元亀三年八月十一日  甲斐 武田信玄ー葛山衆    歴代古案
元亀四年二月十四日  常陸 佐竹義重        佐竹文書
天正二年一月二一日  安芸 吉川元春ー井上元教   萩藩閥閲録
天正五年五月十九日  相模 北条氏繁        戦国遺文
天正五年十月十一日  摂津 下間頼康ー雑賀御房   真宗諸寺文書
天正六年六月二七日  摂津 下間頼康ー了順御房   念誓寺文書
天正七年七月十二日  越後 上杉景勝ー登坂・深沢  微古存墨
天正七年八月五日   三河 徳川家康        家忠日記
天正十年四月九日   越後 中条与次ーおはりこ   吉江文書
天正十三年八月二七日 出羽 伊達政宗ー山形殿    佐藤文右衛門氏所蔵文書
天正十三年九月十日  相模 北条氏ー神宮武兵衛   後閑文書
天正十四年十二月十五日豊後 大友宗滴ー長宗我部元臣 土佐蠧簡集
天正十六年五月十三日 常陸 佐竹義重ー赤坂左馬助  秋田藩家蔵文書

以上、年月日や鉄砲衆所有者が未詳の者は除いてます。
さらに伊達政宗は天正十七年において三件、文献上で確認
されますが省略しました。結論として、織田系大名以外は
鉄砲を軽視したとは言い難い、とする方が蓋然性が高い。

754 :人間七七四年:2007/08/24(金) 15:52:40 ID:JmvAdKrd
>>745信行同母とウィキに書いてあるぞ

755 :人間七七四年:2007/08/24(金) 18:31:04 ID:LF6Os7M/
あくまで信長と同時期に種子島系鉄砲を見た当時の大名が
それをどう考えたか、という話なので、道三会見の時の500は確かに
信長もすべてではないだろうから多い。
で、信玄が川中島で使ったのはどういう鉄砲だったのだろう。
大した戦果もあげてないし、使い方熟知した鉄砲衆を従えたとは
思ってなかったけど、絵とかは残ってないのかな。

川中島みたいな膠着戦を打開するには、援軍用ではなく
鉄砲自体を主戦にすればもう少しなんとかなったろうに
そうならなかったとこはやっぱり信玄は鉄砲の実戦的威力を
軽視していたのではなかったか、そういうとこです。
信長以降の天正年間はもうその威力が知れ渡ったでしょうから
他の大名が軽視しなかったのはそうでしょうね。

>>751
朱やり500、弓鉄砲挺500、ですよね、挺だしそれぞれとだと思ってたけど
それだと人数多すぎるからあわせてでしょうかね。
他の例をひく、というのが正規の手法だろうけど、このあたりの牛一の
表現は少々誇張気味なのであまり深く考えないほうがいいですかね。

>>754
ウィキが出来る遥か古からの説ですってば。


756 :人間七七四年:2007/08/24(金) 19:32:14 ID:vB1+KCV8
>>750
信長だって最後は妥協容認している
寺社の焼き討ちというなら細川三好六角浅井などもある

>>755
甲斐じゃそこまで鉄砲そろえるのは無理ってことでしょ
1560年代大友や島津は戦場で鉄砲を有効活用している
単純に地理の問題じゃね

>実際に信行は正室と暮らしてるけど、信長はそうじゃない。
良くある話しじゃないか
長男は乳母に育てて、自分は下の子と一緒にいるというのは

757 :人間七七四年:2007/08/24(金) 19:57:26 ID:5d/jwipp
>>755
>信長以降の天正年間はもうその威力が知れ渡ったでしょうから
>他の大名が軽視しなかったのはそうでしょうね。

このあたりはまさにおっしゃるとおりで、>>753 にしても天正
五年以降、残存史料が急に増えています。同十三年の伊達政宗
→山形衆の記事なんて、「鉄炮八千丁ばかり相懸」すという、
簡単に信じて良いものか疑うほどの数量です。
「鉄炮は大量に集中運用してこその兵器」という共通認識形成に
長篠合戦が影響したのでは? と、容易に想像できます。
実際には、織田勢としては対本願寺戦でこれより先に大量の鉄砲
を撃ち合う戦があったと思われますが、「あの武田が大敗した?」
という衝撃が全国を貫いたのでしょう。

同様に、天正年間に入って統一へ向けた最終局面となりますが、
>>742の要点のひとつですが)応仁の乱勃発以後、天下布武印
が世に現れるまでの100年間、誰も統一という概念を打ち出せず
にいた。信玄や謙信も天下を目指したのかも知れないが、それは
アンチ信長、カウンター勢力としてであり、「先駆者」は信長と
せざるを得ないのか?と、問題提起させていただきました。

758 :人間七七四年:2007/08/24(金) 20:12:08 ID:vB1+KCV8
>>742
2に関しては信長の影響はあまり関係ない
西洋との貿易による新たな文化の流入
堺や博多の商人の活躍があってのもの

茶の湯なども堺代官であった松永が熱心だったように(ついでに天守郭の創始者)
西洋文化にしても軍事技術を手に入れるため宗麟など九州の大名が傾倒したように
信長がいてもいなくてもあまり関係ないと思う

759 :人間七七四年:2007/08/24(金) 20:48:12 ID:5d/jwipp
信長がいなくても
1)南蛮貿易の恩恵が九州周辺にとどまらず、
2)堺・博多の商人は三好や大内や少弐や竜蔵寺の庇護で発展し、
3)一国を授かるより名物茶器ひとつをありがたがる武将など現れず、
4)戦乱に明け暮れる西日本を嫌って、安全に布教できる地域を提供
  できる大名が現れたはず。
と言うことですか?

立証できます?

760 :人間七七四年:2007/08/24(金) 20:58:23 ID:5d/jwipp
4)項、短くしようとして無理がありました。以下、訂正します。

戦乱に明け暮れる西日本を嫌って安全に布教できる地域を求める
宣教師達に、仏教勢力からの保護すら含めた安全保障できる大名

が、信長がいなくとも現れたんですか?
よろしく回答お待ちします。

761 :人間七七四年:2007/08/24(金) 21:06:37 ID:6dIj52L7
>>756
?? 長男と暮らさないか、普通、戦国時代における一番
大切な嫡長男でしょう。
しかも母親、勝家、林までが信行をかついで信長に戦い起こしてる。
これなんか、本家筋が庶子信長に戦いを挑んだ、って図式のほうが明解でしょ。
で、数年たって信行をだまし討ち、ひどいよね、信長って。
同腹の弟に「病気になったから、見舞いにきてくれ」ってだましうちだぜ。

数年たって、というのがミソで、前年信忠が生まれてるんだ。
これが嫡統信行殺害の理由、もうこわいものなしになったんだよね。

ちなみに、この数年後信長は歴史に残る「だまし討ち」を決行する。
信長って決行同じパターンを繰り返すのだよね。
それはもちろん「桶狭間合戦」。

762 :人間七七四年:2007/08/24(金) 21:26:03 ID:6dIj52L7
>>757
基本的には同意ですが、少し細かい話。
天下布武印はかなり初期から使われてますよね、美濃平定前じゃなかったかな。
なので、この時点で天下統一を目指して最短で突っ走った、みたいに言われますが
どうでしょう。
案外、天下、というのは尾張美濃ぐらいに思ってたのではないのでしょうか。
その後の戦見ても案外ヘタッピで危ないところばっかり。つまり統一へのプランみたいな
ものは今言われるほどなかったのではないのでしょうか。

義昭に実際に講和頼んだ時点では信長はかなり危なかったでしょう。
あの時信玄が・・歴史のもし、というのはまさにここで言うべきではないかと思います。

こう考えると1〜4の解答もまた違う視点からになってきますよね。
文化、宗教への信長の影響は、もちろん多大ではあるが本人が意識
したものかどうかは熟慮の必要がある。
統一同様「先駆者」か「単に変人だったか」、少なくとも美濃平定
の頃は自分が京に上洛できるとまでは考えてなかったのでは
ないでしょうかね。

763 :人間七七四年:2007/08/24(金) 21:36:49 ID:JXGOSzGU
>>762
>案外、天下、というのは尾張美濃ぐらいに思ってたのではないのでしょうか
これはさすがに証明を求める。
ちなみに、もっとも古く確認される天下布武の印は美濃征服後。
付け加えると、信長には美濃征服以前から京将軍朝廷と連絡をとり、上洛を
計画したりしている。
戦に関しても、信長はへたっぴどころかものすごく強い。そもそもへたっぴ
な武将が、尾張美濃をどうやって征服できるんだ?

>762の主張は、すでに否定されているかつての信長像で語っているようにしか
見えない。

>>761
信秀には、土田氏以前に別に正室がいた記録がある。

764 :人間七七四年:2007/08/24(金) 21:49:42 ID:vB1+KCV8
>>759
1は畿内周辺にも恩恵がある
2は博多は大内大友の保護、堺は細川三好の保護を受けて発展した
3は滝川のは史実なのかとは思うが、信長以前でも茶器などが贈答品献上品となって
武士の間でも一定の価値がある
4三好大内大友島津などは歓迎もし保護もしている
>>743ではないが規模を問わなければ例はいくつかある

>>761
まず信秀みたいに居城を変える例が少ないので難しいが
嫡男の方が正室のもとで暮らさないという例は家光とか政宗とかある
母ではないが元就も城を出て父と暮らしていたような
他にも武田信恵とか

765 :人間七七四年:2007/08/24(金) 21:58:48 ID:5d/jwipp
>>762
天下布武印由来については、岐阜移転後に僧沢彦に
「我天下をも治めん時は朱印入候 兼て御朱印の字
 被為頼に候との鈞命」を下したという政秀寺古記
の記事しか知りません。
美濃平定前から使用されていた物証があるんですか?

「戦下手と統一意志の有無」の相関関係が解りません。

繰り返しますが、>>742 に記したとおり、大層な国家
構想を持っていた信長、なんて妄想は持ってません w
文化面への直接貢献度も、東山に対する義政ほどのもの
ではないでしょう。狩野派の障壁画や東照宮のケバケバ
しさより、水墨画と枯山水の方が好きな京都人です w

766 :人間七七四年:2007/08/24(金) 22:11:41 ID:5d/jwipp
>>764
ご理解いただいていると思いますが、信長嫌いの私があえて
彼の事績を肯定的に捉える立場で書いています。
長文を書くのはご面倒でしょうが、ある、した、と断定する
のではなく、少しぐらいは例証なり論拠を示していただける
とありがたいです。
フランシスコ・ザビエルの時代は信長の事績とは無関係です
が、島津領内で仏教徒に迫害されたり、大内領内が物騒にな
って都へ出たけど、もっと物騒だったり wしてますよね。
後の宣教師は(少なくとも永禄から元亀年間は)、ずいぶんと
信長びいきに思いますが?

767 :人間七七四年:2007/08/24(金) 22:19:15 ID:6dIj52L7
>>763
美濃平定後でしたか、とするとますますそこらあたりの認識も
出来ますね。
征服以前から朝廷と連絡取ったり上洛の計画は知りませんでした。
具体的に義昭と知り合う前にどういう形だったのか知りたいな、なんか良い資料
ありませんか。

戦の話はゆっくりしたいけど。
尾張はだまし討ちと陰謀で、戦、というには少し・・
美濃は道三が死んで10年もかかってる。
もちろんその時は兵士も少ないし稲葉山城は堅固だったけど、あまりに時間
かかりすぎてるような。
ちなみに道三救出に行こうとして後方の自城攻められて、救出どころか自分が
危なかった、後に似たようなのもう1回ありますよね、浅井の裏切りの時。

一向一揆も失敗してるし、姉川は家康に助けてもらってるし、このあたりどうでしょう
信長の戦は勝ちきらない、にえきらない、そういう風にもみえます。

で、すでに否定されてるかっての信長像、というのに興味津々。
どうしてもみてみたいのだけど、どうかアドバイスよろしく。
ここ10年以上本とか知らなくて、まさに昔の信長像で語ってるので
少々恥ずかしい・・

>>764
ま、母と暮らしてない、というのは例の一つなんだけど、信長非嫡男説も
かって否定された、のかな、うぅ・・
同腹のイケメン弟だまし討ちなんて、ひどい奴、でいいのか。


768 :人間七七四年:2007/08/24(金) 22:31:19 ID:6dIj52L7
>>765
自信ないけど、信長は自分の戦下手に気づいたのじゃないかと思ってね、
尾張美濃あたりで。
だから尾張美濃あたりで十分、天下取ったぞ〜、なんて喜んでたのではないかと。
当時戦下手にはさすがに統一は無理でしょうから、このあたりが相関関係かと。

義昭と知り合った以降はちょっと舞い上がってる感さえあります。
気がついたら義昭に包囲網作られてるし。
もちろん斉藤のアホ息子、武田のドラ息子よりかは強いのでしょうが
秀吉、家康あたりとは比べ物にならない、という評価です。

769 :人間七七四年:2007/08/24(金) 22:44:26 ID:vB1+KCV8
>>766
南蛮系はフロイスの日本史など
堺博多の保護はそれぞれの発給文書と誰かの日記
茶器に関しても誰かの日記だった

史料は日本史以外は思文閣出版などの本から
日本史は実際に読んだ

あと例証でいいならwikiとかで調べるでも十分見つかると思うが

>後の宣教師は(少なくとも永禄から元亀年間は)、ずいぶんと
>信長びいきに思いますが?
信長が保護していて且つ力があったからだろうけど
日本史の記述じゃ他のキリシタンを保護する大名と大差があるようには思えないけど

>>767
別にいいんじゃないか
戦国時代じゃ一般的とは言わないけどありふれたようなことだし

>>768
信長の戦の強さは戦国時代でもトップクラスだと思うけど
実績で信長を上回る奴なんて、ミスが信長より少ないと言うことで元就義弘家久宗茂ぐらいじゃ

770 :人間七七四年:2007/08/24(金) 22:47:50 ID:5d/jwipp
>>768
ちょっとはマシになったのかと思ったら、全く進歩の
ない人だね、あんた。

>天下布武印はかなり初期から使われてますよね、
>美濃平定前じゃなかったかな。
何の根拠も持たずこんなこと書いて、これを基に仮説を
組み立てる。根拠なしの仮説は妄想というの、普通。

こっちは政秀寺古記という史料で天下布武印が岐阜平定
以前に存在し得ないことを指摘すると、完全スルー。
あんたには、他人と議論するための基本的姿勢というか
知性が備わってない。いい加減にしろ!

771 :人間七七四年:2007/08/24(金) 23:27:20 ID:6dIj52L7
>>770
手元に資料がなかっただけで、美濃平定前後、でもこちらの解釈
には変化ないですよ。
どうもご存知ではないみたいだけど、思いつきの仮説ではなくて
昔からある普通の説。

議論というのならその、嘲笑、蔑視、挑発するような口調は
やめませんか。
「あんたが悪い」と言われると2ちゃん的議論ではありますが。

資料で思い出したけど、記には「清秀」、なんだけどお寺は「政秀」
になってる。さらに言うなら公記では「平手清秀」って書いてありましたっけ?
このあたりどうなんでしょうね。

>>769
戦国ではトップクラスですか。
では、信長、秀吉、家康、光秀、信玄、謙信、元就、とビッグの中ではどうですか。
こういう解釈的な話が好きでね、どうせ答えがでないのだから。


772 :人間七七四年:2007/08/24(金) 23:30:26 ID:vB1+KCV8
>>771
その中じゃ
元就がトップとして
信長は秀吉と並んでその次あたりじゃないか?

で家康光秀と来て謙信信玄ってとこじゃ
ただその手の話しをするならもっと別のスレの方が話しを聞けると思う

773 :人間七七四年:2007/08/24(金) 23:34:19 ID:5d/jwipp
>>771
>美濃平定前後
じゃない、平定後。

>昔からある普通の説
だから、「美濃平定以前に天下布武印が使われた」
物証なり根拠を示してと言っている。
普通の説なら、いくらでもあるんだろ?

あんたが軽蔑に値するレスしかできないから軽蔑
している。撤回してほしければ、そういう対応を
しろ。誠実に議論に望むだけの話だ。
それができれば、いくらでも謝罪してやる。

774 :人間七七四年:2007/08/24(金) 23:38:05 ID:6dIj52L7
>>772
ありがとう。
別スレだと、勝率で語ったりゲーム感覚だったりあまり・・・でして。

で、信長の戦国大名としての力量を語るのはこのスレでも
十分適当かな、ってね。

そうそう、1家康、2秀吉、3元就、4謙信、信玄、5光秀
なんて言うとまずいですかね。
直接対決もあるし、その寿命と言うか死に方、からだと
こんな感じになってしまう。


775 :人間七七四年:2007/08/24(金) 23:43:04 ID:vB1+KCV8
>>774
信長家康元就秀吉あたりは戦における何を重視するかによって
変わるだろうからそれでもいいんじゃない?

776 :人間七七四年:2007/08/24(金) 23:47:18 ID:6dIj52L7
>>773
平定後、でも同じです。

誰も「平定以前に使われた」なんて言ってませんよ。
「じゃなかったかな」と書いてますでしょう。そしたら違うと教えて頂いたので
でしたか、と認めてますよ。
どうもこういうのが多い。

昔からある説、というのはずっと書いている妄想仮説についてです。
どうもこういう細かい誤認が最初から続きますね。
もう少し落ち着いて読んで頂けたらよろしいと思いますのに。

それで、信長非嫡男説、とかにもご意見頂きたいのですけど。
妄想、で片付けられてしまいますか。



777 :人間七七四年:2007/08/24(金) 23:52:08 ID:6dIj52L7
>>775
ども。
つまり結果として相手をいかに上手く屈服させるか、抹殺するか、という点
なんですけどね。
信長の過大評価というのもやっぱり、秀吉、家康の主君だった、というのが
基本中の基本で、この二人は強かったですものね。
あ、家康は信玄に負けそうになってたか・・

778 :人間七七四年:2007/08/24(金) 23:57:26 ID:5d/jwipp
>>769
すみません、レスが遅れました。

1)〜4)の設問自体、具体的論証がかなり面倒なのは
認めますので、ここではこれまでにしたいと思います。
ただ「誰かの日記」と言われても、こっちが追証でき
ないので、後日にでも史料名を教示ください。現在は
津田宗及「茶湯日記」、言継卿記しか手元にない w

>日本史の記述じゃ他のキリシタンを保護する大名と
>大差があるようには思えないけど
「かれは神や仏にいっぺんの信心すら持ち合わせてい
ない」と宣教師としては教化すべき対象であることを
認識しながらも、人格、事績(自ら神になろうとした
ことを除いて)はベタ褒めと言う印象を持ってます。

779 :人間七七四年:2007/08/25(土) 00:10:58 ID:ZKzBGB3h
>>776
>「じゃなかったかな」と書いてますでしょう。
>そしたら違うと教えて頂いたので  でしたか、と認めてますよ。
だから、こういう根拠のない仮定で仮説を組み立てても妄想なの。
しかも>>767は私宛のレスではない。その上、これ以後も延々と

>昔からある説、というのはずっと書いている妄想仮説についてです。
と、他人が検証できない自分だけの妄想について語っているという。

もうけっこう。お相手してくださる方もいるようだから、私は退散。




780 :人間七七四年:2007/08/25(土) 00:13:56 ID:+Cl5Ihbm
フロイスの日本史は、博物史的に日本人をとらえるというか
冷静ではあるが純粋に好意的と言えるかどうか。
宣教師的発想が入るのは当然として、信長もやはり
権力を持った個人としてその重要性を認識はしているが、それ以外の
なにものでもなく、他の大名とかわりない、さらに言うなら
異民族に対する蔑視のようなものすら根底に感ずる。

フロイスにベタ褒めされた信長・・我らが三英傑の一人として・・
素直に喜んでいいのかどうか。

781 :人間七七四年:2007/08/25(土) 00:39:06 ID:ZKzBGB3h
>>780
あなたと「日本史」の読後感という主観に基づかざるを
得ない議論をする気はありません。蔑視を感じるとか、
素直に喜べないとか言われても、あぁそうですかと・・

印象などと持ち出したこちらの方が軽率だったと、謝罪
します。「誰かの日記」、具体的史料名の提示を重ねて
お願いしておきます。

782 :人間七七四年:2007/08/25(土) 01:32:12 ID:YEllQWK6
>>776
「根拠」を提示した上で、それに基づいて推論した結果「自分はこう思う」というのならともかく、
あなたがやっていることは「自分はこうだと思う」だから「結論、信長はこれこれなんだ」という
わけのわからないシロモノ。
そんな妄想は自分のサイトでならいくらでも垂れ流そうとこちらの知ったことではない
ですが、掲示板という場所に書き込むのなら、最低限他者と議論することを考えてもら
いたい。

783 :人間七七四年:2007/08/25(土) 01:48:41 ID:9pr3nJiQ
尾張統一が騙し討ちと陰謀だとか
美濃一国を取るのに時間が掛かり過ぎてるだとか
一向一揆も失敗してるとか
姉川が家康に助けてもらってるとか

言ってる人に何言っても・・・。

784 :人間七七四年:2007/08/25(土) 02:44:20 ID:quGUfSZN
>>781
「誰かの日記」のレスは自分ではありません。

>>782
推論が突拍子も無いものであることは認めます。
で、資料的に批判されることを望みますが、「妄想」と
言われると・・それなりに根拠となる例をあげているつもりですが、
努力が足りないようですので、反省します。

>>783
繰り返しですが、前からある説です。
信行殺害は「病気と言って呼び出した」ですよね。
その他叔父、弟の連続死も公記では死因、原因に触れていないものも多いです。
これに関しては一つ一つ検証したほうがいいかもしれません。
先に結論を言ったことは誤解のもとですね、反省。

美濃に関しては解釈問題ですね。
ただ、平定前から朝廷に連絡とっていた、は勉強不足で知りませんでした。
これも反省。

一向一揆はちと省略。

姉川は徳川実記だとかなり織田に厳しく書いてありますよね。
書くほうの立場によっ論述が異なってくるのは仕方ありませんが
かなり詳しく、本田や旗本隊が側面からつっこんだ、みたいに書いてあるのは
信用おけるのではないかと。
そして織田軍が結構危なかったというのはある程度史実である、と解してました。



785 :人間七七四年:2007/08/25(土) 03:17:35 ID:quGUfSZN
せっかくなのでひとりごと。
公記は超特級資料ですが、首巻には誇張的表現、創作的表現を
感じます。こういうのもやはり独りよがりの妄想でしょうか。
具体的には前述した「筑紫の客僧、あれこそ国をもちたる〜」がそうですし
喜六郎を表現して「御肌は白粉の如く・・くちひる柔和・・容顔美麗人・・」
これなど信長のうつけ表現と対比させると・・

牛一もさすがに書けないことはあったでしょうし、書いてあることにも
ある程度の感情や意味を持たせたことが・・こういうと妄想と叱られてしまいますが
やはり少しはあったと考えるのはそれほどおかしいでしょうか。

首巻に年代の間違いがありますよね。
これなども、単に間違えただけ、なのでしょうか。
牛一も「老眼の通い路〜」と言ってはいますが、
もしそうなら首巻全体に対するイメージもまた、正確無比な描写、とは
言えないようにも感じます。






786 :人間七七四年:2007/08/25(土) 03:28:05 ID:ZKzBGB3h
>>784
こっちも、あんたなんかにレスした覚えはないんだが w
もう相手になるつもりはないが、このスレ参加者全員
に対して「妄想ばっかりで申し訳ございませんでした」
と謝罪しろ。できないなら、今後、一切書き込むな。

>努力が足りないようですので、反省します。
これ以上、努力して「妄想」書かれちゃ迷惑なんだよ。

>資料的に批判されることを望みますが
政秀寺古記が史料だ。何度も言わせるな。

>それなりに根拠となる例
笑わせるな。根拠を問い詰め、やっと返ってきた答えが
「昔からある説、というのはずっと書いている妄想仮説」
おまえはいったい、どんな社会生活を送ってるんだ?
自分で妄想としか言えないモノが、他人との議論で根拠
となり得ると本気で思っているのか? 


>>782さん、割り込んで誠に申し訳ない。
頭にきて眠れません w

787 :人間七七四年:2007/08/25(土) 17:40:38 ID:1ap8aC8W
信長がやった当時としては特異な政策を、信長以外でもきっとやったよ、という意見があるけども
それって二重の意味で無意味だよね
まずそれ自体が妄想の産物でしかない。歴史的に他者がやらなかった以上根拠が無いからね
また仮に他の者でもやった、としてもやれる状況下まで持っていった信長の評価が変動するわけでもない。「殆ど唯一の実施者」という事実には変わりないわけで

788 :人間七七四年:2007/08/25(土) 17:58:37 ID:l64oBGMD
煽りだと思うけど、信長のやったことに当時として特異なものってあんまりないよ。
信長以外でもきっとやったよ、じゃなくて現に他の大名がやってる例がいくつも見られる。

789 :人間七七四年:2007/08/25(土) 18:17:22 ID:lzmHumHL
鉄船、琵琶湖での輸送専門艦整備、軍役で出させた兵士の直臣による直接指揮
地名変更、関所関税全廃、一揆ぶっ潰しても改宗強制等は無しetc……
これらをやった大名って、他に具体的に誰を指しているわけ?
そりゃ信長以降なら何人もいるけどさw

790 :人間七七四年:2007/08/25(土) 18:26:33 ID:cPCSR0g8
[〜〜なら信長以外もやってるよ」「〜〜は〜〜氏が先に実行」とか言ってるやつは
「信長の持ち味は独創性」などと言ってるような奴等と同じ穴の狢
信長の諸政策など他大名家で先例・類型が見られるものがほとんどだが
信長のようにまとめて実行に移せた大名家などいない

791 :人間七七四年:2007/08/25(土) 19:25:25 ID:/SovXTTy
信長は、独創的なアイディアマンでは決してないと思う。
そういう才能は、秀吉とかなら分かるが、アイディアを生み出す基礎が必要だからね。
南蛮渡来の考えも含め、信長のやったことは、何等かの先例があると思われる。

ただ、信長は言ってみれば、世の中に不満を持っている不良がそのまま大人になったようなところがあって、従来の因循姑息なやり方をしている部分をぶち壊すための方法を、実際に実行に移したのだろう。
いわば、戦国大名としての力と立場を持ったガキ大将。しかし、こういう存在は、罪のない一般人に対しては思いやりみたいなものはある。
一般人でも気に食わない事をやっていては、虐殺されるだろうが。

時代が生んだんだろうね。

792 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2007/08/25(土) 19:41:56 ID:TiNCaPrg
楽市楽座も、もともとは斉藤道三が始めたと聞いたことがあるよ。
原型は道三で信長がそれを発展させたとも考えられるね。

793 :人間七七四年:2007/08/25(土) 19:57:37 ID:I2q5EalL
裏で堺の商人とかの知識人が、信長を操ったかもね
利休あたりがw
信長がこれらの政策を勉強してちゃんと理解してやったとは思えん
結局、運良く権力を手に入れた信長に集った連中が、
信長を通じてやったことでしょう
で言うことを訊かなくなった信長を・・・w
現代人で難解なモノを
信長個人がすべて理解してやったなんてねw




794 :人間七七四年:2007/08/25(土) 20:27:43 ID:9pr3nJiQ
>>792
武家としての初出は六角氏だが、
そもそも寺社領では行われていた事。
武家の行った楽市というのは経済政策というより
大名の支配権の確立が主な目的で、
信長の場合(安土)はその他の大名のものより
もっと踏み込んで行っている。

795 :人間七七四年:2007/08/25(土) 20:31:29 ID:vDZGskN5
成功するのは人が考えたものを真似た人間から真似た人間

796 :人間七七四年:2007/08/25(土) 20:47:14 ID:l64oBGMD
>>789
鉄鋼船というのはとりあえず中を見た宣教師の記録には鉄張りとか書いてないよ。
軍役で出させた兵士を信頼できる家臣に指揮させるのは他の大名もやってるでしょ。
相備衆とかね。関所も関税も全撤廃したわけではなかったはずでは。
一揆ぶっ潰しても改宗云々はとりあえず先に家康がやってる。
というか信長自体がそもそもする必要がなかったというかこじれるのが嫌で改宗とかにまで
踏み込まなかったように見えるのは気のせいか?
琵琶湖での輸送艦云々はその土地の事情としかいえないね。そんな事いったら
日本経済史に珍しい独自の貨幣を作った信玄、日本海貿易を盛んにしたほか、様々な経済政策を
行って財力を得た謙信、大規模な海外貿易を行った大友宗麟、関東王国構想を作った北条氏康とか
信長がやってない優れた政策をやった大名も結構いるんだが。


797 :人間七七四年:2007/08/25(土) 23:41:40 ID:/SovXTTy
ユニークなものを実施したものなら、いくつもあると思う。我々が知らないものも多いかも知れないね。
でも、一番結果的に伸びたものがあった場合(マネでも何でも)、その成功に肖りたかったり、自分も成功に与したかったりする人が大勢そこに集まってくる。
そうすると、その路線マンセーもいるし、自分の創意工夫をその路線で生かして欲しい人もどんどん現れる。
成果が拡大生産される展開。

そして、評価も同様に拡大再生産されていく。

どちらを、後の我々がどう評価するかだね。
拡大再生産されるような結果を出したことを評価するのか。
オリジナルの発想そのものを評価の対象にするのか。
そのことは、現在を生きる私たち自身への評価基準にもなるはず。


798 :人間七七四年:2007/08/26(日) 00:46:29 ID:8KKEMTYn
前例は赤松満祐だけの将軍暗殺、平重衡以来の東大寺焼き討ち、
多聞櫓と天守閣という以後の城郭の標準を確立、「長慶と義輝を
臣下のごとくに扱(ルイス=デ=アルメイダ)」った弾正久秀は
歴史的には梟雄止まりの評価で、自分も異議なし。

オリジナリティやフォロワーの多寡だけではない評価軸を潜在的
に持っているはずなのに、それが何なのか、明示できない自分が
もどかしい。誰か私の蒙を啓いてください。

799 :◆nzdGjBH722 :2007/08/26(日) 00:50:29 ID:rVPH6WM2
>>792
楽市楽座は最初は六角定頼じゃなかったか?


800 :人間七七四年:2007/08/26(日) 01:16:03 ID:hF25rwrc
>>799
初出は六角式目。
最強スレでは汚してすまんね。

801 :人間七七四年:2007/08/26(日) 16:34:33 ID:HMrty4j3
何度も指摘されているが
信長が過大評価されているっていう感情論のための理屈が多すぎるね
家康は講和後に寺社をぶっ潰し家臣を改宗させているのに、それを信長が本願寺の降伏後「惣赦免」して寺社を潰さず家中の信仰に到っては交戦中すら干渉していない件を同一視したりとか
感情論じゃなければ、こんな無理矢理をやる理由が思いつかない
先祖は信長に全滅させられたどっかの家中とか?w

802 :人間七七四年:2007/08/26(日) 21:29:26 ID:xUdE0DMl
煽りの方がまた来たか。
だから家康は一向宗をぶっ潰せてないの。
信玄進撃のときに三河や遠江の一向宗に蜂起が呼びかけられてるの。
家中の信仰については家康は実際家臣が信仰を重視してはむかってきたからやる必要があり、
信長は特にそういう問題なかったからする必要がなかっただけのこと。
特別な思想でも理念でもない。持ち上げる理由がわからん。

803 :人間七七四年:2007/08/27(月) 00:56:39 ID:3eoDRzQB
>>801
むしろ、あなた達(と言っていいのかな?)の方が、
「信長は他とは違うんだ」と、いろいろ持ち出しては
ことごとく論破されて、「信長って過大評価なんだ」
と、感情論に走る人を増やしているんじゃないの?

論破している人達も今のところ、>>742に対して冷静
に議論が固まるのを待っておられるように思いますが?

あなたお得意の宗教に対する信長の特異性を言うなら、
「中世の人間にしては異様なほど無信心」って事だけ。
これは宣教師の証言と今年実際に出土した大量の石仏
が証明してます。一方で、家臣や民衆を迷信を信じる
愚か者として扱ったことは史料的に認められないので、
「宗教に関しては現代人に近いバランス感覚を持って
いた」と見ても良いのでは? とは、思いますけど。

804 :人間七七四年:2007/08/27(月) 01:05:07 ID:tISv8+W5
戦国板ってどんなところ?

1:天下人よりも一地方の群雄を評価する               ←今ここ★
2:地方の覇者よりも国主レベルの大名を評価する
3:国主レベルの大名よりも国人や豪族を評価する
4:戦国板のif話とは、自分が贔屓にしている大名や武将が活躍する架空戦記のことである
5:特に「〜〜公」と武将を呼ぶ者は痛い信者であり、都合のよい架空戦記をよくでっち上げる
6:戦の勝敗で優劣を決める (例)アンチ武田厨
7:政策の初出をもって優劣を決める (例)アンチ信長厨      ←今ここ★
8:智謀の逸話の多寡をもって優劣を決める (例)毛利厨

805 :人間七七四年:2007/08/27(月) 08:05:57 ID:a2x+r4Hh
政策の初出をもって優劣を決める、じゃなくて
信長信者がまるで信長の政策を持って信長を特殊みたいにいうから
そりゃ違うよ、と他の大名の事例を出して皆言ってるんだよ。
有能なことは誰も否定しとりはせん。

806 :人間七七四年:2007/08/27(月) 11:00:40 ID:ajvJCNY6
わかんねぇな
宗教政策なんかだと、他の大名(家康)という例とやらさえかなり違っているというのに
それで同じだ、特異じゃないとかいわれてもねぇ
まるで「空を飛ぶ鷹も飛べないペンギンも羽があるから兎に角一緒だ」といっているようなもの

807 :人間七七四年:2007/08/27(月) 11:38:18 ID:a2x+r4Hh
信長の宗教政策に特に特異な面は無いってことだろ。
ぶっちゃけた話やる必要がなかったからやらなかった改宗を
特異といって持ち上げる姿がとても不可解。

808 :人間七七四年:2007/08/27(月) 11:48:02 ID:jQCLRspd
論旨がグダグダ。
他の大名も似たようなことをやっているから別に信長は異質じゃない、と言いながら。
その差異を指摘されると今度はこういう状況だから当然、とか状況のせいにする。
前者は明らかな間違いだし、後者は地名変更の件と同じく「恣意的に理由付けしようとしているだけで、事実として違うことは動かない」クチ。
これで感情論じゃなきゃなんなんだ?w

809 :人間七七四年:2007/08/27(月) 12:00:55 ID:CBZTUhZP
俗称鉄甲船についても本当に鉄張りだったかはともかくとして
火矢も鉄砲も通じずその数隻が加わっただけで毛利・雑賀水軍を撃破する威力をもった新造船であったことは確かだしな
信長は凄い

810 :人間七七四年:2007/08/27(月) 12:14:18 ID:CBZTUhZP
あと鉄甲船では装甲のことばかりが重視されるけど
宣教師オルガンティーノの書簡だと
「大砲を3門載せているが、こんな大きな大砲をどこから持って北のかわからない。豊後の王(大友氏)が作った小さな砲数門以外は日本にはないことは我々は良く知っているのに」
と艦載兵器についても不思議がっている
これも信長の指示で新たに作られたものだとすると日本で初めて重砲を作ったのも信長ということになる

811 :人間七七四年:2007/08/27(月) 12:27:00 ID:a2x+r4Hh
>>808
もともと信長の宗教政策に異質さはないというかもともとやる必要もなかったから
やらなかったと書いてるが?グダグダなのはお前。
それで家康が結局のところ一向宗をつぶしてもいないのも述べたとおり。
無理に信長を特異にしたがるお前が異常。

812 :人間七七四年:2007/08/27(月) 12:31:46 ID:JQibWN4w
詭弁すら崩壊してアンチ信長涙目。逆説的に信長はやっぱり特殊だったと証明しているようなもんだなー

813 :人間七七四年:2007/08/27(月) 12:42:55 ID:a2x+r4Hh
>>809
信長公記にもとりあえず鉄張りとは書いてない。大船と書いてある。
信長がすごい事は誰も否定しとりはせん。ただ巨大な財力、近畿にあった優れた製造技術
などをフル活用すれば作れたものであったのも事実。信長を特異というよりは
誰かの言っていた「レールの上の先頭」といった方が正しい。
もともと海戦では大船以外にも多くの小船が共に参戦していたからな。大船だけの力ではない。
まあ、小船主体だった敵に対し大船・大鉄砲で攻撃するのは大きな有利だったろうが。

814 :人間七七四年:2007/08/27(月) 12:43:52 ID:a2x+r4Hh
>>812
反論なしか?あおりも大変だな。

815 :人間七七四年:2007/08/27(月) 12:45:52 ID:3eoDRzQB
>>808
「一向一揆と対立したから禁教令を出すはずだ、
出さないのは普通じゃない。」という前提自体、
信長を全知全能の存在と見たがる、あなた方の
恣意的解釈があるんじゃないの?
「禁教にまで踏む込む必要を認めなかったから
ほっといたんじゃないの?」という論のどこが
論旨がぐだぐだなんですか?

>>810
日本で初めて大砲を海上打撃力として使用した
のは信長、は事実でしょう。何度も言うけど、
偶像を建設資材に転用するなんて事も、今後も
あるかどうかという事績。こういう解釈の違い
の入り込む余地がない事績まで、ヒステリック
に否定すれば、感情論といわれても仕方ないと
思いますよ。

信長の政策について思想にまで言及し得る史料
は「天下布武」と「越前国掟九ヶ条」だけと、
考えていますが、対案があればご教示ください。

816 :人間七七四年:2007/08/27(月) 13:09:43 ID:MQt49mj0
他の大名が禁教令を出しているような状況より激しく対立したのに、信長はそれと無縁だった
これは厳然とした歴史的事実
越前一向一揆再蜂起では信長が赦免した旧朝倉家臣団や信者も敵に回っているのに、再度占領時にすら禁教を出さなかった
理由をつけるのは結構だが、だからといってそれが否定材料になるの?
思い込みだけでいいのなら、それこそ講談を信じた思い込み評価を否定しちゃいけなくなるじゃないか

817 :人間七七四年:2007/08/27(月) 13:21:47 ID:MQt49mj0
>>815
越前国掟より新しい、甲・信州国掟は?
「一、元来、欲のままに治めれば諸人は不満を覚えるものである。所領の引き継ぎに当たっては多くの者に知行を与えて支配せしめ、広く人数を抱えさせるべきこと。」
と、直轄地をケチって人を抱えないような真似を戒めている(佐久間信盛追放理由にも、同じように知行をケチったのに駄目出しした部分がある)

818 :人間七七四年:2007/08/27(月) 13:24:46 ID:D0j6FwVn
宗教政策ってよりも、従来から宗教勢力が持っていた利権を
横取りして独り占めした大名なんて他に居るの?

819 :人間七七四年:2007/08/27(月) 13:37:41 ID:K0lxrjJn
歴史的事実を根拠も無い思い込みで否定できると思っている人間って自分をそれこそ神だとか思っているのかね?

820 :人間七七四年:2007/08/27(月) 15:05:21 ID:3eoDRzQB
>>816
禁教令を出さなかったという歴史的事実にあれこれと
「信長だけ」と解釈をひっつけてるのはあなた方。
天文元年の天文(一向)一揆、同五年の法華の乱収束
後の天文十六年法華還京時、六角定頼は妙伝寺の破却
は求めましたが、禁教なんかしてませんよ。あなた方
は、これにどういう解釈がつけるのですか?

たとえば、最後に石山を武力制圧せずに天皇の叡慮を
受けた講和という形を取ったのはを、他大名と同様の
妥協と見ますが、あなた方の見解は?

たとえば、信長は美濃平定後に衰微していた同国三宮、
正一位伊奈波神社の祭祀を復活させてます。
これは旧来宗教を積極的に保護した事例のひとつです。
他大名同様、「人心収攬に必要と認めたから保護した」
と見ますが、あなた方の見解は?

他例が認められない事績を基に信長の特殊性を考察する
ならともかく、同種の事例が存在する事績から特殊性を
導くのは論理的に無理がありませんか?
信長の宗教政策に関し、やらなかった事績ばかりを強調
せずに、やったことも含めて考察しませんか?

>>817
ご提案、ありがとう。それも対象になると思います。

821 :人間七七四年:2007/08/27(月) 19:10:52 ID:Yru7EdZx
>>810
日本で初めて=信長の革新性 信長=別格の発想を持つ天才。

ってのは違うと思う。日本で初めてなだけで、全部外国から借りてきたもんだと思うよ。
布教目的で外人もたくさんいたしね。
鉄甲船なんかは、当時の欧州の軍船の様子を聞きかじれば信長くらいの金持ちなら
普通に取り組めるだろう。当時のイギリスの軍船なんかは、既に船の横舷に大砲並べてる
ようなレベルだし。
長篠なんかも、俺は鉄砲の連続打ちはあったと思うけど、スペインじゃ60年前に
スペイン方陣っていう、鉄砲と槍兵並べて連続射撃できるような軍隊ができてる
くらいだから、おそらく信長なんか聞きかじって試したんだと思うよ。

822 :人間七七四年:2007/08/27(月) 19:35:40 ID:3Vbg7ynQ
世の中やったもん勝ちだからな
仮に信長と同じ立場に信玄や元就がいたとして、鉄砲ガンガン使ったり船に大砲載せたりするとは思えない
信長の凄いところは、自分にとってプラスになることはどんなことでもするということ 楽市楽座もパクリだが、それなら武田とか毛利とかはなんで楽市楽座しなかったの?って話になる

823 :人間七七四年:2007/08/27(月) 19:41:01 ID:Yru7EdZx
まあだからあれだ。 独創ではないということだ。
信長が凄いことなんか分かってるyo皆。


824 :人間七七四年:2007/08/27(月) 19:59:51 ID:3Vbg7ynQ
信長は独創的だよ
「天下統一」なんて誰も考えなかったわけだから
義元のも単なる尾張制圧戦だし、三好も将軍を裏から操って好き勝手やろうとしただけ
みんな自分の領土を広げることしか考えて無い

825 :人間七七四年:2007/08/27(月) 20:03:35 ID:Yru7EdZx
天下統一なんて源頼朝でもできるよ。


826 :人間七七四年:2007/08/27(月) 20:46:54 ID:3eoDRzQB
釣りってやつですか?
天下草創と天下布武は全く違いますよ。

827 :人間七七四年:2007/08/27(月) 21:00:45 ID:Yru7EdZx
「信長と十字架」より@
立花京子著「信長と十字架」から
信長における「天下布武」のスローガンを詳しく考証している。
「天下布武」が信長の行動原理として確立していった時期は思ったより早いようだ。
筆者は美濃攻め盛んなりし頃、永禄九年、墨俣に橋頭堡を築く前だと言う。
足利義秋はこの段階ですでに信長に上洛供奉を依頼している。

信長に決意を促していたのは細川藤孝。そしてこの細川籐孝こそが、
信長に「天下布武」の理念を植え付けたという。天下布武は天下静謐をめざすもので、
「『七徳の武』の軍事力によって乱を平定し、つづいて、乱を未然に防止して、
平穏かつ豊かな社会創造する」ことであった。これは源頼朝の「天下草創」と同一の理念で、
頼朝から信長へとこの理念を受け渡しのは清原家であったという。
儒学の大家として自他共に認められた貴族であり、細川籐孝はこの縁者であった。
彼の教養の基礎はこの清原家で培われたと言う。

美濃を奪取して井の口を岐阜と改名した頃、天下布武の印を使い出したというのが一般的な理解である。
しかし美濃を得て、天下をめざす野望が芽生えたと言うのだろうか。
岐阜攻略以降の信長を知る我々は、初めから天下人をめざしていた稀有の天才、
革命児という印象を持ってしまいがちだ。しかしそれはあまりにも買いかぶりすぎというか、
信長初期の実像を歪曲している。筆者も「そもそも『天下布武』は、
ドロドロした一族抗争の歴史を母胎としていたのだ」と言っている。
尾張統一までの信長を取り巻いた情勢は、そんな奇麗事では済まないものであった。
しかしドロドロが「天下布武」の理念を培ったとはどういうことなのか。
これが描かれなければならない。


828 :人間七七四年:2007/08/27(月) 21:10:30 ID:a2x+r4Hh
>>822
信玄は早い段階から鉄砲集めてる。遠い山国で大変だったけどね。
楽市楽座をするには商人が大量に集まり、流通に適した地域でやらないと
意味がない。信長だって条件が整わないところではむしろ座を保護してた。
つまりはそういうこと。

829 :人間七七四年:2007/08/27(月) 21:16:13 ID:3Vbg7ynQ
>>828
だから信長と同じ立場に(ry
君主としての力をロクに持てず、重臣に操られていた信玄がそんなことをできるなんてちょっと思えないな
信玄は「これは篭城でしか使えん」という判断を下している そしてこれは正しい これを野戦で無理矢理使った信長が異常なだけ
ここにやはり決定的な差がある

830 :人間七七四年:2007/08/27(月) 21:21:52 ID:a2x+r4Hh
>>829
とりあえず言っておくと長篠での鉄砲活用法はいわゆる野戦築城による
篭城に近いんだけど。
君主としての力をもたず重臣に操られって何を根拠にいってるの?
信玄は年を追うごとに権力をちゃんと拡大していったんだけど。

831 :人間七七四年:2007/08/27(月) 21:23:13 ID:Yru7EdZx
>>830
そいつ相当一知半解な感じするから、相手にせんほうがええんでは?

832 :人間七七四年:2007/08/27(月) 21:23:38 ID:3eoDRzQB
頼朝と個人的・人格的主従関係を結んだ者の権益を
保護するための組織と法体系=鎌倉幕府(天下草創)
と、思っていましたが・・・

>『七徳の武』の軍事力によって乱を平定し、つづ
>いて、乱を未然に防止して、 平穏かつ豊かな社会
>創造する
頼朝が天下草創の理念として、こんなことを考えて
いたとは知りませんでした。>>827では、その論拠が
示されていませんので、よろしく教示ください。

833 :人間七七四年:2007/08/27(月) 21:56:48 ID:Yru7EdZx
小一郎の生まれた尾張でも、守護であった斯波氏は零落し、一族の者がわずかな捨扶持を信長から与えられ、
家名の存続だけは許されているものの、守護としては完全に滅び去っている。

「乱世というのは、実力ある者だけが生き残り、実力のない者は滅んでいかざるを得ぬ時代ですから、力の伴わぬ権威というのは成り立ちえないのです。
権威に力があるのではなく、力が権威を作るということですね」

 半兵衛はいちいち実例を挙げて話してくれるから、教養のない小一郎などにも非常に解りやすい。

「たとえば遠い昔――鎌倉の右大将殿(源頼朝)は、律令の世を壊し、武家の世を拓かれるにあたり、
さかんに『天下草創』という言葉を使われたと聞きます。世に新しき秩序を敷く、
というような意味でしょうが、岐阜さまが目指されておるのも、まさにそういうことであるのだと思うのです。
力をもって、乱世に新しき権威と秩序を打ち立てる――と。ですから、室町風の古い権威や慣習などには、岐阜さまは頓着なさらないのですよ」

 なるほどその通りだ、と小一郎は思った。
 信長は、すべてのルールを自分の思うままに定めていかねば気の済まないような男で、
古い慣習やしきたり、形骸化した決まり事などには毛ほどの執着も見せない。

 乱世に新しき権威と秩序を打ち立てる――『天下草創』。
 信長はそれを、『天下布武』というスローガンで呼んでいる。
 まさに、信長のルールを天下のルールにするということではないか。

「兄者は、そういうことをすべて解っておるっちゅうことですか!

だから、あのように傍若無人に振舞えると・・・」

「それも、理由の1つではあると思います。古くからの慣習や秩序、権威などを好み、
それに親炙するような者では、岐阜さまの代官は務まりませんでしょうからね」

 半兵衛は微笑した。



834 :人間七七四年:2007/08/27(月) 22:06:57 ID:3eoDRzQB
>>833
ああそういうことですかw
よ〜く解りました。ご苦労様。

835 :人間七七四年:2007/08/27(月) 22:21:42 ID:Yru7EdZx
天下布武
武勇天下第一

織田信長が、美濃井ノ口を岐阜と改めたとき、すでに僧沢彦は、
周の文王が岐山より興った故事をもって信長の前途を予祝していた。
その沢彦はまた、信長のために「天下布武」の印象をえらんで与えていた。
こんにち知られるかぎり、この印文の楕円形の朱印は、永禄十年(1567)
十一月から用いられはじめた。
家臣兼松又四郎に知行を充行ったときで、まさに岐阜に移って二ヶ月をへたばかりである。
そしてこの印の形状は、元亀元年(1570)十一月に馬蹄形のものに変わったけれども、
その印文は生涯を通じて用いられた。

なお三男信孝も、沢彦の撰文によって、「弐剣平天下」の印文をもっていた。
ほとんど同様の意味である。そこには信長の武将らしい理想が示されているといってよかろう。
かればかりではない。天下布武により一統は、まことにながい 源頼朝以来の武家社会の憧憬であったのだ。
足利義昭と信長の関係も、実は「天下」をめぐってしだいに複雑さをくわえてきたのだった。




836 :人間七七四年:2007/08/27(月) 22:43:16 ID:Yru7EdZx
結局、天下の意識なんてのはどの領主にもあったことで、それを初期段階から持っていた
ように言われるのは、信長が天下を最初に制したからすぎない。
後に言われるような絶対王政的スタイルも、やはり西洋の模倣にすぎないことであって、
独創を見出すことはどこにもできないのである。




837 :人間七七四年:2007/08/27(月) 22:50:13 ID:3eoDRzQB
>>835
いや、だから天下草創と天下布武はもう解りましたから。
頼朝と信長が目指した天下統一は同じ理念だったとお考え
の人も、世間にはいらっしゃるんですね。>>826が失礼な
物言いだったことは認めます。申し訳ございませんでした。

博識でらっしゃるようなんで、浅学な私にもう一つご教授
ください。天下布武印は>>762にも書きましたが、信長が
沢彦に命じて印章(文)を選定させた史料しか知りません。
>>835では沢彦の方から、既に用意していたモノを与えた
ように書いてありますが、これの典拠は何ですか?

長々と概説書や小説を写していただく必要はありません。
政秀寺古記の記事を否定する論拠でもけっこうですよ。


838 :人間七七四年:2007/08/27(月) 22:52:52 ID:Yru7EdZx
>>837
ごめん。100も200も張り付いてるプロだとは知らなかった・・・
まあ遊びだから流して。

839 :人間七七四年:2007/08/27(月) 22:59:15 ID:3eoDRzQB
>>838

いえ、ド素人です。張り付いてるのは、
お盆休み頃からです。あと政秀寺古記の
アンカーは>>762ではなく>>765でした。
失礼しました。

840 :人間七七四年:2007/08/28(火) 00:06:39 ID:f+eBPxx3
>>820
信長の宗教方面における特殊性だったら、やはり政教分離でしょ。
宗教は政治に関わるな、自分と政治的に敵対しなければ(従うのなら)保護する。
比叡山、安土宗論、小さいことだが千秋家家督相続などに現われている。

841 :人間七七四年:2007/08/28(火) 06:18:51 ID:7XLP9d4j
安土宗論は政教分離とは一切関係ない

842 :人間七七四年:2007/08/28(火) 06:25:36 ID:+7VEwSix
『天下布武』は「武力で天下を統一する」て意味じゃないんでしょ?

843 :人間七七四年:2007/08/28(火) 07:17:04 ID:EPpb7twc
比叡山の焼き討ちは信長よりはるか以前に足利義教も細川政元もやってる。

844 :人間七七四年:2007/08/28(火) 07:32:36 ID:sruPgZZ0
周辺の集落から焼き討ちしたのは信長
焼き出されて比叡山へ逃げた民衆をなで斬り
非難民、女、子供、まじめな高僧や名僧まで余すところなく惨殺する徹底ぶり
周辺地域でも欄丸に関わる地域は焼き討ち免除の曖昧さ

845 :人間七七四年:2007/08/28(火) 12:05:45 ID:sWsdy9gp
>>840
ちょっとばかばかしくなったのでこれを最後とさせていただきたく。

宗教勢力を支配下に置くことを政教分離とおっしゃるなら、某作家に
「既得権益層と結託した(信長に対する)抵抗勢力」呼ばわりされた
甲斐の名家だって頑張りましたよw 以下、史料は信濃史料による。

善光寺別当粟田家を通じ、同寺寺僧の職制に介入、組織掌握。さらに、
(永禄十一年四月三日 定書)
中世寺社のアジール性を否定し、国法に従わぬ者は厳罰に処すと宣言。
(天正九年七月四日 定書)

善光寺は、信玄が甲斐に引っ張ってきたという特殊事情がありますが、
状況さえ許せば、武田家でさえ、寺社を膝下に組み敷こうと努力した。
>>742に記したように、政教分離に先鞭をつけたのは信長だと思って
いますが、彼ができたのは武装解除まで。国政の枠組みの中で武家に
管理される対象というところまではいってない、と考えます。

846 :人間七七四年:2007/08/28(火) 12:08:02 ID:qAXC1uIz
信長は発明家ではないのだから、そりゃ無から有を生み出した類の政策をやったわけではない
が、琵琶湖を支配した勢力は幾つもあったのに、輸送専門軍用船を用意したのは信長だけ
僅か数隻で制海権をひっくり返すような大船と砲を建造させ運用に成功したのも信長だけ
これらの船等を作ったのはそりゃ大工さんwだろうが、信長の指示が無ければ生まれなかったモノ
明らかに特殊だよ、信長の思考と実行力は
他にも信長以前に何人かやっている政策があるから特殊じゃない、という意見もあるようだが
逆に見れば信長他数名しかやらなかった、一般の認識とは乖離した政策という事でもある
完全創作でなければ独特ではない、という意見はちと乱暴だな

847 :人間七七四年:2007/08/28(火) 12:52:48 ID:qAXC1uIz
>>845
それって「政治が宗教に介入している」から政教一致では?
信長の独特のところ、とされているのは「激しく逆らった連中に対してさえ、教団内の事柄に介入した例が殆どゼロ」ということだから

848 :人間七七四年:2007/08/28(火) 14:28:59 ID:sWsdy9gp
>>847
最後と申しましたはずですが、>>840とは違う方?

政教分離の言葉の定義は存じませんが、教義や布教活動は自由、
ただし国が定める犯罪行為(暴力行使など)および加担は禁ず。
ぐらいのことに思ってますが? 違う見解をお持ちですか?

>>845の勝頼の出した定書はまさにこれ。ただし、信玄が組織
を掌握するほど、大名権力の管理下に置いていなければ実効性
のある定書になりえたとは、とうてい考えられませんが?

敵対しなければほったらかしで良いなら、>>820に戻りますが、
細川晴元は法華宗を禁教しましたか? 六角定頼は?
いったいあなた方は「政教分離」という言葉を、どういう意味
で使っているのか、スレ参加者に明示するべきでは?
私はもう退散させていただきますが、ご健闘をお祈りします。

849 :人間七七四年:2007/08/28(火) 14:42:22 ID:sWsdy9gp
ちょっと言葉足らずだったようです。

>>848の「国が定める犯罪・・・」の国とは、当時
において主権者たらんとした戦国大名=武家です。

850 :人間七七四年:2007/08/28(火) 15:41:04 ID:CEjRZY0A
>>845のは明らかに政教分離じゃないが、
政教分離が信長の特殊性ってのには無理があるな。
宗教政策なら、宗教勢力から既得権益を横取りするって
事の方が信長独特じゃない?
石山戦争にしたって、あれ程の危険を冒しても
堺の利権を手に入れたかったって事でしょ?
あと、安土みたいな特定の税のみ免除するといった
楽市令も他に知らない。

851 :人間七七四年:2007/08/28(火) 16:36:53 ID:utQvJGix
江戸期の新井白石によると「坊主の害毒が無くなったのは信長のお陰」
義政らの焼き討ちじゃあ僧兵らの強訴はなくならなかった
大まかにいえば比叡山焼き討ちは新規ではないが、与えた影響を見れば独自としか言い様がないんじゃないかね

>>850
石山戦争は、本願寺の先制攻撃からはじまったわけだが
堺とは関係無いし、大坂の土地を要求した説も本願寺側の「一揆よ立て文書」でしか見受けられない

852 :人間七七四年:2007/08/28(火) 17:07:23 ID:EPpb7twc
>>846
琵琶湖の江北と江南を支配した勢力って戦国時代にいくつもいた?
江北は浅井、江南は六角等で分裂していたはずでは。
この状況で琵琶湖一帯を活用した輸送専門軍船なんてつくれっていうのは無理では。
鉄鋼船、というより大船についても信長のほかににそれをつくる条件を持ったものがいなかった
というのもある。
状況にあった政策を活用したのであって優れた事は認めるがやらなかった優秀な大名は
それが自分の状況にあわなかったからやらなかったのであってそれを一方的な特殊性と
していいのかは疑問。
それをいったら金山を保有していた大名はいくらもいたのに日本経済史に珍しい独自の貨幣製造に
までいたったのは武田だけ、とかも言えてしまう。
そうすると似たような感じで戦国時代に特殊な連中が大量発生すると思うのだけど。

853 :人間七七四年:2007/08/28(火) 18:01:29 ID:25naa+cC
貨幣鋳造って家康や秀吉もしてるよね。
武田家のは規模が小さいし実態もやや不明瞭で
例として挙げるなら彼らのじゃないの?

854 :人間七七四年:2007/08/28(火) 18:36:07 ID:EPpb7twc
それでも戦国時代に一勢力でありながら独自のしかも計数貨幣である甲州金を
作った武田の特殊性が薄れることはない。
しかも江戸時代の貨幣制度にちゃんと甲州金の制度は影響を与えている。
十分に例として挙げうると思うよ。
これを信長とかが同じ条件にいたら同じことをしなかったかどうかもね。

855 :人間七七四年:2007/08/28(火) 23:48:24 ID:6KTyer/e
とっととソース出せよコラ

856 :人間七七四年:2007/08/29(水) 01:33:19 ID:7bZyJupe
>>841
安土宗論は信長の陰謀とかいう説が強いが、あれはガチで浄土宗が勝ったと思う。

857 :人間七七四年:2007/08/29(水) 10:29:32 ID:0sbEpblf
>>854
信長の政策の独自性を、状況がそうだったからと否定するくせに
信玄については「それは金山を豊富に抱えていた状況だから」とはいわないんだな
アンチ信長の一番の悪いところはダブスタ。再三指摘されているけどねー

858 :人間七七四年:2007/08/29(水) 15:18:23 ID:Q+QrTAxu
状況、状況というが全ての政策は状況に対処するためのもの
独自性を状況だったから、の一言で切り捨てたらあらゆる政策にそういうものが無い、と断じることになるが
否定している人ってそこまで極端な思考なんだな
ちなみに貨幣鋳造は毛利氏もやっている。銀山抑えたから銀貨だけどね

859 :人間七七四年:2007/08/29(水) 18:29:50 ID:y1s9st3F
貨幣鋳造も
「状況がそうだったから」
で相違ないと思う。
金山や銀山を持てば、その価値を保障する為に
貨幣を作ろうとするのは当たり前のことだし
天下を統一すれば、統一通貨を作るのは、古来からある歴史的必然。

>武田の特殊性が薄れることはない。
あまりにも唐突なこんな表現からして、釣りかアンチの偽装だと思うよ。

860 :人間七七四年:2007/08/29(水) 18:57:01 ID:SiMxCPaM
信長に独創性があった云々の類を持ち出す擁護はもちろん論外だが、
信長擁護派は「他国の先進性を取り入れた」ことを
主に上げるのに対して、信長否定派は
「信長のやったことは他国が先にやっていたこと」と反論することも多い
話が根本的に噛み合っていないように思う


861 :人間七七四年:2007/08/29(水) 19:06:52 ID:FTTaQXPS
>>859
ちょっといくら何でも・・・

貨幣発行が鉱山価値維持にどうつながるのか、説明してね。
金でも銀でも銅でも、貨幣になりうる鉱山を領地内に持った戦国
大名が貨幣発行した例は希少。今川や尼子が貨幣発行したっけ?
皇朝十二銭のあと慶長大判が出るまで、およそ600年全国通貨は
発行されてない。室町期に貨幣需要が増大しても、宋銭や明銭を
使っていたのはどこの国?

あんたの日本史って、パラレルワールドの話か?

862 :◆nzdGjBH722 :2007/08/29(水) 19:22:19 ID:8j5BfK3L
>>861
理論はあたってるけど、慶長大判じゃなくて天正大判だな、揚げ足取りスマン


863 :人間七七四年:2007/08/29(水) 19:30:43 ID:FTTaQXPS
>>862
ご指摘どうもw
ほんと言うと、「通貨」という概念に「大判」が当てはまるかどうか
ちょっと自信ないんだけど。慶長通宝や寛永通宝の方が、いいかもね。

864 :人間七七四年:2007/08/29(水) 20:23:59 ID:78Vf/5do
>>854
甲州金の制度が当時の経済政策で突出してたとは思えないんだ。
その資金で軍備や軍事行動が他より特別優れてた訳でもなく
外交や公共事業など明確な資料や具体例もないし。
鉄甲船が毛利水軍を破った一因とされてるのに対して
比較対象には向かないんじゃないかな。
仮定の経済政策や運用の比較はもっと難しそうだよ。

865 :人間七七四年:2007/08/31(金) 01:11:34 ID:ZNCZmS1F
>>860
全然噛み合ってないなw

866 :人間七七四年:2007/08/31(金) 01:50:02 ID:+rC6pzJP
今のゆとりって知らないんだろうな
本当は今川義元は、武田信玄すらも凌ぐ(信玄は義元を手本にして軍略を勉強していた)天才政治家&軍略家で、
しかも織田信長の奇襲もなんなく看破していたんだけど、窮鼠猫を噛むでたまたま殺られたにすぎなくて、常に京を見据えた戦略を考えていたGackt似の漢なのに。

義元御大は、たまさか織田の田舎っぺにやられたくらいで過小評価されガチだけど、それ以前の戦はガチ圧勝だしな。

そういう意味では織田信長っていう――実は才能ありそうにみえてそうでもなかった――糞雑魚は歴史上、かなり空気読めなかったことをするやつで、
この空気の読めなさは朝鮮の――併合反対だったくせに併合に対して反対派であった伊藤博文を暗殺した――馬鹿テロリスト安重根とタメを張ると思う。

義元=Gackt
信長=オレンジレンジ

http://blog.livedoor.jp/ottorihouagkubu/archives/51048789.html#comments

867 :人間七七四年:2007/08/31(金) 02:12:50 ID:nIqCs0VE
ガクトみたいなカッコして外歩くよりはレンジのがオシャレだろ常考

868 :人間七七四年:2007/08/31(金) 03:15:18 ID:h9FGGGFf
信長の鉄甲船なんぞよりも甲州金の方が余程日本史では重要だわなw
あと皆知ってると思うけど天正大判は大名への儀礼上の贈答へ使われてたことはわかってるが、
世間で流通してた可能性は非常に低い
つうか現在でいうなら1億円札みたいなもので、普通の民衆は使うどころか見ることも出来なかったはず
そういう点できっちり市場で流通してたことが確認できる武田の甲州金は日本経済史の一大事件
大蔵省の日本の貨幣の歴史を解説したHPで特別に取り上げられてるのにも理由がある

869 :人間七七四年:2007/08/31(金) 03:16:46 ID:h9FGGGFf
失礼、大蔵省じゃなくて日本銀行金融研究所の特設ページね

870 :人間七七四年:2007/08/31(金) 03:18:24 ID:EkqkxydW
多くの大名が作った金貨銀貨とかは
貨幣というよりも現在のインゴットみたいなものだしな

871 :人間七七四年:2007/08/31(金) 04:44:06 ID:Ue69whbO
一人史料厨がいるけど、868さんは鋭いな。

あれ、触ったことあるけど、流通と価値は違いますもんね。

866さんの意見は、同意、なんだけど、その織田のイナカッペ、が、あそこまで巨大化
するとはどう評価するのか。

1568まで戻らない?
井沢が言うように、プラン、はあったのかな。
織徳同盟の意味、これは稀有な例と思うけど、これこそ信長の基礎と思える。

桶狭間の後、信長は、プラン、を持ってたのかな、これが基礎に思えるのだけど。

872 :人間七七四年:2007/08/31(金) 09:23:24 ID:4IQSUPbM
貨幣制度自体は、武田がやらなくても自然発生的に近い内に出来たのは間違いないだろうし、
それほど凄いとも思わないな。だからと言って信玄の優秀さが否定されるわけではないが、
別段特殊でもない。さすがに信玄がいなかったら貨幣制度の確立が50年遅れてたなんて
言う人はいないでしょう。

873 :人間七七四年:2007/08/31(金) 13:45:07 ID:mbQqyruN
ってか甲州金の制度って江戸時代も地方通貨扱いだから
本当に徳川の制度の互換性があるのか? という疑問が
本当に元なら、どちらかがメインになるにせよ一本化されているでしょ

874 :人間七七四年:2007/08/31(金) 20:24:31 ID:MrZ+SzjO
武田の貨幣制度って金と何かの物々交換でしかないんだけど

875 :人間七七四年:2007/08/31(金) 22:23:58 ID:3o/9jcg2
鐚銭・銅貨・金貨・銀貨と流通してて
鐚銭を駆逐できない当時で一元化は難しいよ。
甲州金が三貨制度の枠組みにある以上
日本経済史の一大事件は幾らなんでも言い過ぎでしょ。

876 :人間七七四年:2007/08/31(金) 23:39:46 ID:zTiXcc1b
テスト

877 :人間七七四年:2007/09/01(土) 08:43:44 ID:r6iHCXFv
でもそれをいったら当時は銀貨だって贈答品扱いぐらいだぜ
貨幣経済メインは輸入品の銅銭

878 :人間七七四年:2007/09/04(火) 03:20:14 ID:XwJSaBVb
信長よく考えればおいしい死に様じゃん
世界一の有名人キリストも
イスカリオテのユダに裏切られて磔刑にされた
よく家臣に裏切られた馬鹿みたいなレスを聞くけどとんでもない
非常に名誉な死に様でしょう

879 :人間七七四年:2007/09/04(火) 11:55:35 ID:S6w9w2Ry
んな阿呆な。イエスは裏切られる事がわかっていてあえてそれを受けたんだぞ。
最近じゃユダはイエスの指示で動いたっていう説さえあるくらいだぞ。

880 :人間七七四年:2007/09/04(火) 21:47:58 ID:K44Ze+4l
>最近じゃユダはイエスの指示で動いたっていう説さえあるくらいだぞ。
ユダヤ人の名誉回復工作でしょ

881 :人間七七四年:2007/09/05(水) 19:54:31 ID:KVJJ2MNc
イスカリオテのユダが近年善人として高評価されてることは
怪しいな
20世紀以上前の出来事が最近になって明らかになるなんて
おかしい


882 :人間七七四年:2007/09/05(水) 22:14:10 ID:KVJJ2MNc
義経も惨めな最期だよなぁ

883 :人間七七四年:2007/09/06(木) 00:13:50 ID:+OrwX9dd
存在自体は大昔から知られてた>ユダの福音書
近年古文書の炭素測定法(?)かなんかでユダの福音書がキリスト教誕生前後に成立した外典であることが判明、
カソリックによって異端だと抹殺された初期キリスト教の教義を知ることが出来るかも、と注目を集めてる
つうか正典でもイエスはユダが裏切ると知ってて敢えてユダを奔らせた、つうことになってるし、
事実かどうかはともかく本能寺の変で不意打ち喰らった信長とは事例が違う
週刊少年マガジンでやってた信長の漫画では光秀が裏切るとわかってて裏切らせた、みたいな解釈になってたけど

884 :人間七七四年:2007/09/06(木) 18:04:43 ID:F4jotSE4
>>883
>>週刊少年マガジンでやってた信長の漫画では光秀が裏切るとわかってて裏切らせた、みたいな解釈になってたけど
その珍解釈をkwsk

885 :人間七七四年:2007/09/06(木) 18:18:05 ID:o8t32LmE
かのジョンレノンも自分が暗殺されることを曖昧に予感していた


886 :人間七七四年:2007/09/06(木) 18:20:11 ID:o8t32LmE
ちょうどキリスト教が日本に流入してきた時期だから
光秀はユダに自分を重ね合わせたかもしれない

887 :人間七七四年:2007/09/06(木) 18:39:45 ID:Aj41JdMM
>>886
光秀がユダの事を知ってるわけが無いと思うんだが

888 :人間七七四年:2007/09/07(金) 01:54:21 ID:811r7/+n
流入してきたと言うより、順調に布教が進んだ時期だよ、天正年間は。
キリスト教に関して、全く情報をシャットアウトしていればともかく、
イスカリオテのユダの裏切り→十字架上の死と復活は信仰の核を成す
プロットなので、光秀がユダのことを知っていてもおかしくはない。

ただ、>>886説は光秀辞世の句から考えて成立しがたい、と思います。

889 :人間七七四年:2007/09/07(金) 06:17:25 ID:yIX6ZvZy
天下を治めたから
秀吉、家康>>>信長
なんて誰も言ってないw


あと、
「信長は天下を半ば統一した」
ってのも酷いレトリックだと思う。
そんな人間歴史上結構いるわけだし、ほとんどが最後は失敗してるよね。
信者は無条件に、本能寺が無けりゃ信長は天下を治めてた、って言うんだけど。

890 :人間七七四年:2007/09/07(金) 11:13:44 ID:G9Ic8p/W
秀吉や家康は信長が切り拓いた道に整地をし種を植えた例え通り。
信長がいなければ、秀吉は足軽大将クラス。家康は地方の土豪程度で今川か武田に併合されたでしょう。

信長抜きで彼らが天下とれたと思うかい!?
確かに二人は優秀だけど必要不可欠ではないょ、二人がいなくても少し遅れるかもしれないが、信長は信長になれる。

別に俺は信長信者ではないけどさ。

そう思うだけ。

891 :人間七七四年:2007/09/07(金) 12:20:03 ID:f1OTLLS7
>>890
秀吉についてはいなくても、といっては悪いがそう思うけれど家康がいなかったら
信長はかなりやばくなると思うのだけど。

892 :人間七七四年:2007/09/07(金) 12:53:55 ID:Ed3C+sxO
まあとにかくアレだ、たまたま信長の隣りに居た家康は、ケチな地主ってレベルだろ!

893 :人間七七四年:2007/09/07(金) 13:16:49 ID:7yFcgqoR
>>891
家康がいなくて三河が空白地帯又は今川領だったとかなら
きびしいだろうけど。
家康の変わりに他の人物が三河にいれば、
別に信長にとってやばくなるようなことはないのでは?


894 :人間七七四年:2007/09/07(金) 13:24:07 ID:t89/NYcA
水野が徳川の代わりになる。

895 :人間七七四年:2007/09/07(金) 13:40:13 ID:f1OTLLS7
>>893
すみません、言葉が足りなかった。今川領だったらやばいのではということです

896 :人間七七四年:2007/09/07(金) 14:28:35 ID:Ol9f0yTb
貨幣価値維持の為の甲州金っていうのは、

単に、金の品質保証が何も無いより、
地方の一大名の承認があった方が
貨幣価値を落としにくい、という意味で使ったんだが。

偽者や混ぜ者が多い時代に、自国領内で取れた金に、
その領主が金の品質を保証することは、大切なことであるはずだが。

なぜ、徳川時代の統一通貨や、
明銭などの信用通貨
と比較されなけれればならないのか、理解できない。

897 :人間七七四年:2007/09/07(金) 15:17:08 ID:YcXwOX8L
信長は流通機構を整備しただけなんじゃないか
中内や堤と同レベルだよ。そのための障害を取り除いただけ。

898 :人間七七四年:2007/09/07(金) 16:09:05 ID:KJkajJtj
「だけ」ってのがまた電波飛びまくってるw

899 :人間七七四年:2007/09/07(金) 17:43:20 ID:brr/xrYx
信長は過大評価される傾向にあるのは同意だが、
だからといって元就や義元などと大して変わらんと言うのは暴論

900 :人間七七四年:2007/09/07(金) 17:44:04 ID:jPZuEdNJ
つーか信長ってショウセキの産地を押さえたから強くなったんだろ?

901 :人間七七四年:2007/09/07(金) 19:44:32 ID:F8/H6LzH
濃尾平野、京や堺に近い所にいたっている好条件があったにしろ、
そこからあれだけの勢力を築いたんだからかなり優秀だわな。
あと政策がオリジナルじゃないとかの批判もあるけど、
あの規模でいろいろな政策を行った事実は否定できないと思う。

902 :人間七七四年:2007/09/07(金) 20:13:14 ID:mt8sNZJ5
信長が優秀なんて事は誰も否定してないだろう。
ただ過大評価されているというだけの話。

903 :人間七七四年:2007/09/07(金) 20:22:14 ID:r57PzUUN
>>900
硝石(?)の産地ってどこ?w

904 :人間七七四年:2007/09/07(金) 20:42:04 ID:qGP7ryOo
>>889
>そんな人間歴史上結構いるわけだし
日本で、そんな人いるか? 信長以外で。
越後は滅亡寸前、北条は平身低頭、毛利も播磨から備中まで大幅後退で自慢の水軍は大敗。
天下統一目前だと思うけど。

905 :人間七七四年:2007/09/07(金) 21:21:34 ID:uK5UpTWr
九州は?

906 :人間七七四年:2007/09/07(金) 21:49:47 ID:HupJe0pH
圧倒的兵力で踏みつぶすだけ。

907 :人間七七四年:2007/09/07(金) 23:10:26 ID:5AbujEjp
世界史最高の過大 諸葛孔明
日本史最高の過大 坂本竜馬
―――超えられない壁―――
S 武田信玄、上杉謙信、源義経、新撰組
A 長宗我部元親、伊達政宗、真田幸村(笑)、黒田官兵衛、竹中半兵衛
B 豊臣秀吉(羽柴以前除く)
C 福島、加藤とか

信長を入れるとすればD以下だな
アンチとしてはSに入れたいだろうがなww 残念ながら工作一切無しで3000で15000に勝てる戦国武将とかいない

908 :人間七七四年:2007/09/08(土) 10:41:01 ID:LWDgU3Qz
確かに戦術家としては、ハンニバルやカエサル以上かも。
少なくとも、戦国最高の戦術家であることは間違いない。

909 :人間七七四年:2007/09/08(土) 13:19:27 ID:CltkSPt5
>>907
その1万5000は装備不十分で女子供混じった一向一揆相手だろうが。
朝倉の宗滴じいさんの活躍くらい調べてから書き込め。
1万5千の一揆程度でいきがってるのがあほらしくなるぜ。

>>908
カエサル以上と思う根拠を詳しく。カエサルは逆包囲された状態で
6倍以上の敵を破って見せたのだが。ハンニバルの相手も当時陸戦最強のローマ。
戦国最高は元就だよ。元就の戦歴のほうが信長よりすごい。

910 :人間七七四年:2007/09/08(土) 13:42:28 ID:kWn4lD85
元就の戦績は特に抜きん出てるわけではない
もちろん元就の謀才は戦国武将中でも一流ではあるだろうが

911 :人間七七四年:2007/09/08(土) 14:13:48 ID:CltkSPt5
>>910
…本気でいってるのか?有田中井手、折敷畑、銀山城、郡山攻防戦の各局地戦闘お呼び決戦
そして厳島。いづれも寡兵で大軍を破った戦いなんだが。
これで駄目なら信長なんかもっと下だぞ。

912 :人間七七四年:2007/09/08(土) 17:23:18 ID:5EooLJOu
>>909
あの軍勢には雑賀衆もいただろうが
お前宗滴の実績(というか敵勢10万とか30万とか)が本当だと思ってるのかバカ
普通に考えたら誇張だってわかるだろ 10万とかいくらなんでも多すぎる 「10万に感じるぐらい大勢だった」と考えるのが普通だろ
そして元就のあの戦歴が全て事実だと思ってるのか…

913 :人間七七四年:2007/09/08(土) 17:31:52 ID:bhdoGaL+
堺の利権を掌握していた本願寺の莫大な資金力と鉄砲。
それを生かすに十分な雑賀衆の技量。
装備不十分で女子供混じった一向一揆ってw
馬鹿すぎ。

914 :人間七七四年:2007/09/08(土) 17:54:48 ID:5EooLJOu
テレビの歴史上の人物の人気ランキングって大抵

1位織田信長
2位坂本竜馬
3位〜10位
聖徳太子
平清盛
源頼朝
源義経
豊臣秀吉
徳川家康

こういう感じだよな
この中なら流石に信長1位だろ
過大っぷりなら1位竜馬、2位義経は揺るがんしな

915 :人間七七四年:2007/09/08(土) 18:09:21 ID:kWn4lD85
>>911
お前の方が信長の戦歴を甘くみていないか?
信長が寡兵で戦いを繰り広げた時期が限られているのは、
その生涯を見れば当然のことだが、
稲生原、桶狭間、森部、六条本国寺、天王寺など十分にあるよ

916 :人間七七四年:2007/09/08(土) 19:20:39 ID:LWDgU3Qz
>909
信長の凄いところは、寡兵での勝利を何度もやっていること。
一度や二度ならまぐれもあるだろうが、複数となるとそれではすまされない。
ハンニバルやカエサルでも、これほどの戦歴は残していない。

917 :人間七七四年:2007/09/08(土) 21:26:58 ID:5kZH+xuC
>>896
武田だけ貨幣製造を行い江戸時代に影響を与えた
甲州金は日本経済史の一大事件と言ってた人?
ここまで言って徳川幕府などと比較されるか理解できないって…

918 :人間七七四年:2007/09/08(土) 21:35:57 ID:YjWJnSUn
戦国戦術家ランキング

 1.織田信長
 2.毛利元就
 3.島津義弘
 4.立花宗茂
 5.朝倉宗滴
 6.上杉謙信
 7.浅井長政
 8.島津家久
 9.豊臣秀長
 10.徳川家康

こんなところかな。
信玄?村上に負けた雑魚だろ。

919 :人間七七四年:2007/09/08(土) 21:38:41 ID:V9Pz+P5Q
>>908
負けたら奴隷が確定するヨーロッパの民族間戦争と、
帰農すれば誤魔化せたりする日本の戦とでは戦術的にガチ度が違うから比較にならんと思うが。

まぁさすがのカエサルも、「死んだら天国に行ける」と信じて挑んでくる狂集団と戦ったことはなかろうがw

920 :人間七七四年:2007/09/08(土) 22:36:54 ID:CltkSPt5
>>916
カエサルの戦歴知ってるのか?本気で。生涯の多くの戦いで寡兵で勝ってるぞ。
ハンニバルもそう。なんでこれだけの戦歴残してないなんていえるんだ?

921 :人間七七四年:2007/09/08(土) 22:38:13 ID:CltkSPt5
>>912
仮に10万以下だったとしても信長よりも多いけどな。その比率は。

922 :人間七七四年:2007/09/08(土) 22:39:32 ID:CltkSPt5
>>915
別に甘くみちゃいないが?普通に寡兵で戦って勝ちまくってなおかつ敗戦も
ほとんどない元就のほうが上だといってるだけだが?

923 :人間七七四年:2007/09/08(土) 22:41:12 ID:CltkSPt5
>>913
その雑賀衆が全てじゃないが?主力はごった煮だが?バカすぎ。

924 :人間七七四年:2007/09/08(土) 22:42:36 ID:CltkSPt5
>>918
信長は斉藤に河野島で負けて伊勢永島にも負けてるから一位はないな。

925 :人間七七四年:2007/09/08(土) 22:56:01 ID:ZDoaazF6
>>911
毛利の折敷畑は捏造の可能性大だよ

926 :人間七七四年:2007/09/08(土) 23:03:26 ID:CltkSPt5
>>925
少なくとも折敷畑のふもとの明石で戦いがあったことは感状から知れるはずだが。

927 :人間七七四年:2007/09/08(土) 23:09:04 ID:ZDoaazF6
>>926
明石口合戦に関する感状それしかないから
通説の折敷畑は捏造の可能性が高い
折敷畑に関する感状も複数あるけど、それらのすべてが偽造文書の可能性が高い
宮川甲斐守が戦死したことは確実だろうけど通説の折敷畑の戦いは創作だろう

928 :人間七七四年:2007/09/08(土) 23:12:50 ID:CltkSPt5
>>927
大勢力である陶方の派遣軍の大将を立派に討ち取ってる事は評価されるべきだろ。

929 :人間七七四年:2007/09/08(土) 23:17:31 ID:ZDoaazF6
>>928
大将を討ち取ったことは確かだが
寡兵で大軍を破った戦いであるかは怪しい

930 :人間七七四年:2007/09/08(土) 23:19:55 ID:CltkSPt5
>>929
その逆も然り、かと。大勢力である陶方からすれば大目の兵力を送り込むのが
自然ではあると思うがまあ確定はできんか。

931 :人間七七四年:2007/09/08(土) 23:23:58 ID:ZDoaazF6
>>930
史料も無いのにその逆も然りと考えるんじゃ他の武将に関してもいくらでも妄想出来ると思うが

932 :人間七七四年:2007/09/08(土) 23:28:07 ID:CltkSPt5
>>931
まあ待ち。
@兵力がわからない
A大軍であったかも小勢であったかも同数であったかもわからない。
B陶は大勢力で大目の兵力を派遣すると考えるのが自然では。

この程度の軽い感想だよ。確定とは言ってない。
逆に陶方が毛利と同数だったか寡兵だったかも確定は出来ないのだから。

933 :人間七七四年:2007/09/08(土) 23:29:55 ID:kXNluyG4
元就は信長に比べれば史料及び研究の量・質がかなり劣る上に、
その成果は一般的ではない。
だからその功績に付随する伝説的記述や脚色は放置されるがまま、
対して信長はその功績を一々検証されて、功績の脚色部分や伝説的記述は
省かれる傾向があり、その内容も広く知れ渡っている。
そういう部分を考えれば元就はある意味で信長以上の過大評価を受けてるんじゃねーのかと思うよ、
実際にはよく分からない部分や、元就の謀略かどうか疑問な部分まで元就の功績とされてる。

まあこれは元就だけに言える問題じゃないけどね、
織田家及びその関係者への史料批判が断然多いから、それ以外はどうしても脚色が混じる。

934 :人間七七四年:2007/09/08(土) 23:48:43 ID:5EooLJOu
ID:CltkSPt5必死すぎwww

935 :人間七七四年:2007/09/09(日) 01:19:16 ID:elWl963X
いや、元就の評価は過大と思う。
国を守る、と、統一とは全然違う。

933に聞きたいけど、織田関係資料に批判って多い?
わしは一人で批判してるけど、ここ数十年、全然主流じゃないぞ。
公記を批判したら、このスレでもボコボコだがや。
やっとれんでかんわ。

936 :人間七七四年:2007/09/09(日) 02:20:49 ID:qt7SEhxU
ID:CltkSPt5のスケールが段々小さくなっていく感じがとても面白かったですw

まぁ、信長の場合、敗戦のリスクを負ってこそ45歳で畿内統一という早業が出来たわけだしな。
元就の、70歳で中国統一とは戦に対するスタンスが異なる。

敗戦のある50年を選ぶか、敗戦のない70年を選ぶか。

937 :人間七七四年:2007/09/09(日) 02:28:49 ID:yPp9YvFc
>>935
多いだろ
『信長記』とか『武功夜話』とかさ
でも毛利の場合はそれぐらいの信憑性の『陰徳太平記』とか『吉田物語』が
一般的には史実として出まわっているから問題で

>>936
元就の方は軍記物に依拠しているせいか
知略で勝つといった感じで三国志演技の諸葛亮みたいだけど
信長はまともな史料だと力づくで勝つって感じで呂布みたい

938 :人間七七四年:2007/09/09(日) 04:45:47 ID:elWl963X
なるほどね、ま、ブコウヤワ、は勘弁してね。

1つお題を出すけど、今の我々だから936みたいなことがいえるけど、当時の
本人たちは自分がいつまで生きるかわからないわけでしょう。

これは家康においても最大の謎であって、敗戦があるかどうか、自分が秀吉より長生き
できるかどうか、なんてその頃はわからなかったわけでしょう。

鳴くまでまとう、なんて明らかに結果論であるでしょう。
これを考慮せずに、本人たちの事績を評価するのはかなり、違和感、がある。

同じように、信長だって、まさか本能寺の変が起きるとは思ってなかったわけですよね。
なので、それ以前と以後、同じように秀吉においてもこれが最大の不思議、なんですよね。

あの、どんでん返し、こそ、ミステリー、なんだけど。
密書をもったのが、偶然秀吉陣内で捕まった、なんてね。
もう少しうまい脚色したほうがいいのに、それも出来ないほどのサプライズだったわけでしょう、
すべての当時の関係者において。

史料に書いてあるから事実、という人は、ま、どっかの学会に行ってほしいけどさ。

ちなみに、当時馬に乗って、ここ〜あそこ、まで何日で踏破できたか、とかね。
そりゃ事前にわかってたらできますよ。
でも、サプライズでどうだったか。
雨が降るかもしれない、台風かもしれない、そういうのは、その時、にはわからないでしょう。

結果知ってるからこそいえる論証、が多すぎる気がする。
ついでに言うと、信長公記、すらもそう思える。
もちろん事実は認めるけど、「あれこそは国持つ人ヨ」なんてね。

長くなった、ごめん。

939 :人間七七四年:2007/09/09(日) 05:23:06 ID:RVIlLOQQ
>>938
また来たのかよ、お前。
いい加減にしろよ。
不自由な日本語と意味の無い主観だけの長文で荒らすな。

940 :人間七七四年:2007/09/09(日) 06:38:56 ID:uxJGyLQv
こんなに内容の無い長文も珍しいな。

941 :人間七七四年:2007/09/09(日) 07:35:18 ID:n0g/Mipn
ID:CltkSPt5
ID:elWl963X

たった1日で厨が2人もw

942 :人間七七四年:2007/09/09(日) 09:43:47 ID:99BPKAn/
>>941
それで?他に反論はないわけ?まさかカエサルやハンニバルの戦歴も
ろくに知らないで信長のが上とかいってたわけじゃないよね?

943 :人間七七四年:2007/09/09(日) 09:50:05 ID:99BPKAn/
>>936
それで?仮に10万以下だったとしても朝倉のほうが信長厨大好きな天王寺より
兵力比率では上なんだけど?あんまり天王寺で持ち上げないほうがいいよ。
第一兵力が疑わしいというなら天王寺の1万5000だってどうだか。
あくまでも信長側からの発表なんだしな。
正確に測ったわけではないし勝った側が多くいうことはありうるしな。
長篠だって実際はその兵力は通説の半分ほどだったことから十分可能性はあるだろ。

944 :人間七七四年:2007/09/09(日) 10:00:12 ID:uxJGyLQv
>>942
信長の兵力議論は大いに結構だけど
カエサルやらハンニバルやらとの比較はそろそろ他所でやってくれないか?

他板行って神武天皇なり義経なりを混ぜて好きなようにバトルロイヤルしてりゃいい。

945 :人間七七四年:2007/09/09(日) 10:02:31 ID:99BPKAn/
>>944
もともとカエサルやハンニバルより上とか抜かした信長厨がいたから
反論したまでなんだがね。なにをもっていったのやら。

946 :人間七七四年:2007/09/09(日) 10:27:36 ID:EVPgd3Ky
>>945
お前こそ何をムキになってんの?

947 :人間七七四年:2007/09/09(日) 10:28:33 ID:nSAhg+sv
ガリア戦記のカエサルは信憑性無いと思うけど

948 :人間七七四年:2007/09/09(日) 10:30:22 ID:99BPKAn/
>>946
ムキになってんのはお互い様だろ。あんたがそうだとはいわんけど
信長厨の過大評価もそこまでいくと正直信者乙としかいえんのよ。

949 :人間七七四年:2007/09/09(日) 10:47:09 ID:nSAhg+sv
>>943
朝倉宗滴は九頭竜川の戦いぐらいしか寡兵で相手を破ったと言えそうなのが
無いから若干落ちるんじゃ
その九頭竜川の戦いも内容は怪しいし
加賀と越前の一揆でどれだけの兵が募れるか
1ヶ月ほど対陣しているがその間の兵糧は?
国内防衛ならともかく隣国への出兵だしさ

10万だってかなり怪しい

天王寺の1万5000は十分有り得ると思う
大坂本願寺のすぐそばで、当初の兵で向おうとしたら兵が足りない家臣反対
荒木は先鋒断る
更に言うなら本願寺勢は原田を破っているので、そかなりの兵力がいてもおかしくない

950 :人間七七四年:2007/09/09(日) 10:55:48 ID:99BPKAn/
>>949
本当にそうだと言い切れる?
信長公記は桶狭間を2万5千だすのがせいぜいと思われる今川を
4万5千と書いてる資料だぞ。天王寺に誇張があったっておかしくない。
第一信長公記の特徴としては、信長が寡兵で大軍を破ったという戦いには
やたらと具体的な兵力を書くのにその逆と思われる戦いには兵力を書いてない
事が多い。桶狭間のように誇張が入ってる可能性は十分あるだろう。
信長が天王寺で寡兵で一揆勢を破ったのは事実だろう。だが5倍だったかは
疑問だ。

951 :人間七七四年:2007/09/09(日) 12:35:55 ID:n0g/Mipn
>>942
そんなこと言ってるのは俺のじゃねーよ馬鹿
信長は元就よりずっと下とか言ってるのに反論しただけだ

952 :人間七七四年:2007/09/09(日) 12:44:48 ID:99BPKAn/
>>951
ああ、そうかい。悪かったな。でも厨呼ばわりはやめてくれ。

953 :人間七七四年:2007/09/09(日) 12:47:46 ID:S3l0AqrG
>>917
いや、武田だけ特別だなんて煽りに違いない
って言っていた人。

954 :人間七七四年:2007/09/09(日) 12:49:49 ID:S3l0AqrG
861にアンカー付けようとして忘れたっぽい。

955 :人間七七四年:2007/09/09(日) 13:00:22 ID:RVIlLOQQ
これだけキチガイ連投しといて厨“呼ばわり”とはこれいかに。

956 :人間七七四年:2007/09/09(日) 13:00:54 ID:4DueC1VO
ところで
誰も>>918の7浅井長政にはつっこまないのかな?
それともスルーしてるだけか?

957 :人間七七四年:2007/09/09(日) 13:07:11 ID:99BPKAn/
>>955
キチガイ?ほう。信長に都合の悪いこといえばキチガイになるわけか?
厨とされにゃならんわけか?はっきりいって朝倉方の兵力主張にはケチつけて
信長方の兵力主張は妄信してマンセーしてる様はそれこそ厨としか思えんがな。


958 :人間七七四年:2007/09/09(日) 13:11:46 ID:vnVFvvdl
まあ信長信者は井沢みたいな馬鹿ばっかりだからなw

959 :人間七七四年:2007/09/09(日) 13:16:10 ID:RVIlLOQQ
>>957
いきなり5連投もする奴がどれだけいるんだよw
キチガイは自分がキチガイだとわからんのだなw

960 :人間七七四年:2007/09/09(日) 13:18:24 ID:99BPKAn/
>>959
おやおや。レスがついたのに対して反論しただけだがね。
結局お前さんが俺に対してキチガイ呼ばわりする根拠はそういった事な
わけだ。阿呆くさ。

961 :人間七七四年:2007/09/09(日) 13:20:01 ID:RVIlLOQQ
>>960
最初からそう言ってるんだが、日本語読めないの?

962 :人間七七四年:2007/09/09(日) 13:22:48 ID:99BPKAn/
>>961
人をキチガイ呼ばわりするからにはもうちょっとマシな根拠だと思ったんでね。
お前さんに過大な期待したみたいだな。悪かったよ。

963 :人間七七四年:2007/09/09(日) 13:26:49 ID:RVIlLOQQ
>>962
過大な期待も何も“キチガイ連投”=厨
って言ってるんだよ。
本当に日本語分からないんだな。

964 :人間七七四年:2007/09/09(日) 13:27:11 ID:DWaAi2yj
>>958
小説講談を信じてる武田厨よりマシ
あいつらに武田が強い理由聞いても騎馬軍団だから とかそんなわけわからん答えしか返ってこない
信長には強いという根拠があるからな

965 :人間七七四年:2007/09/09(日) 13:28:34 ID:99BPKAn/
>>963
だから受けたレスに答えただけだっていってんだろ?
そっちこそ日本語わからんみたいだな。

966 :人間七七四年:2007/09/09(日) 13:30:11 ID:vnVFvvdl
いやー、井沢みたいな馬鹿は研究者クラスにはいないよ。
あいつは電波すぎる。

967 :人間七七四年:2007/09/09(日) 13:30:22 ID:99BPKAn/
>>964
正直な話、騎馬軍団なんて信じてる奴2chにさえいるのか?
少なくとも戦国板じゃ見たことないんだが。
歴史系の板じゃないところの住人だろ?そこでは織田の3段打ちが元気だから
どっちもどっちだろ。

968 :人間七七四年:2007/09/09(日) 13:30:49 ID:RVIlLOQQ
>>965
だから、その受け取り方が違うんだろ、馬鹿w

969 :人間七七四年:2007/09/09(日) 13:32:19 ID:99BPKAn/
>>968
いい加減つまらんな。お前さん。

970 :人間七七四年:2007/09/09(日) 13:47:37 ID:J8pfazQm
>>920
ハンニバルはともかく、カエサルは勝利の大半が
統制も取れないガリアの蛮族相手の勝利だからなあ。
西洋の軍事史でもヘレニズム戦術の継承者であり包囲戦術の完成者ハンニバルと比べ、
数段落ちる扱いしか受けてない。
といっても信長よりはすごいか。

971 :人間七七四年:2007/09/09(日) 13:52:39 ID:vnVFvvdl
信長厨は本気で、ハンニバルより上とか思ってるのが痛いよなw
ハンニバルより上ってw

972 :人間七七四年:2007/09/09(日) 13:54:16 ID:99BPKAn/
>>970
カエサルの戦歴ではウェルキンゲトリクス率いる軍団は強敵といってよかったかと。
それで圧倒的不利を覆して勝利。
さらにファルサロスでも軍事の天才といわれたポンペイウスに圧倒的不利な兵力差で
騎兵の大軍の突撃を少数の歩兵で封じ込めるという離れ業をやって勝利。
ハンニバルには及ばずとも大したもんだとは思う。まあこれ以上はスレ違いだな。

973 :人間七七四年:2007/09/09(日) 13:55:22 ID:vnVFvvdl
別に信長との戦術比較だから、スレ違いではないよ。もっとやりなよ。

974 :人間七七四年:2007/09/09(日) 13:57:30 ID:RVIlLOQQ
>>969
つまらんとかそういう問題じゃ無いっつーのw

まぁ、いいや。
そもそも数千挺の鉄砲で装備した原田直政率いる織田軍を蹴散らし、
佐久間・明智らを包囲した軍勢を「装備不十分で女子供混じった」
と言い、更には15000(原田隊との決戦時点では10000な)
の兵数でさえ「誇張」だと言う。

一向衆どんだけ強いんだって話だよ。

975 :人間七七四年:2007/09/09(日) 13:58:23 ID:99BPKAn/
>>973
まあ、>>944みたいに言う人もいるわけで。ここは戦国板だしな。

976 :人間七七四年:2007/09/09(日) 14:06:27 ID:99BPKAn/
>>974
だからそもそも一万の敵が来たからといってそれが一万と断定できるのかよ、
という話だ。朝倉方の兵力主張を疑問に思う論理なら理解できるよな?
上にも書いたが信長公記ではやたらと信長不利な状況では具体的な兵力が
出てくる。しかもそのうちの一つである桶狭間は明らかに誇張が入ってる。
天王寺がそうじゃないとどうして思うんだ?
天王寺で織田方より一揆勢が多かったのは事実だろうよ。でもそれが5倍とかいう
兵力差だったかは別問題だ。家臣が信長を止めたのだって極端な話2倍の兵力差だって
家臣は止めるだろうさ。

977 :人間七七四年:2007/09/09(日) 14:12:06 ID:99BPKAn/
>>974
あとついでに書いておくと包囲ができるかは数の問題。
一揆勢が数が多かったことまでは否定してない。雑賀衆もいたしな。

978 :人間七七四年:2007/09/09(日) 14:16:03 ID:RVIlLOQQ
>>976
あのなぁ、「断定」だなんて言ったら、どんな場合でも出来ないだろうが。
信長公記の記述を丸呑みするんではなく、
織田軍の兵力に対して、10000や15000というのは妥当だという話だ。
それに対して、10万だの30万だのという話は明らかに信憑性が無い。
それくらいの事が理解できないか?

ちなみに長篠でも、織田30000・武田15000って言ってるがな。

979 :人間七七四年:2007/09/09(日) 14:20:45 ID:99BPKAn/
>>978
だ・か・ら。妥当とかいうのは誰が決めたんだ?
大田牛一は神様か?その割には桶狭間でしっかり兵力大幅水増ししてるがな。
一揆勢が兵力多かった事は事実だろうがそれが5倍の差だったかは疑問だといってるんだよ。
天王寺が信長にとって危地だった事は事実だろう。それを切り抜けた信長に
対する誇張表現が入ってないと思うわけか?実際それを桶狭間でやってるだろ。

その長篠の兵力は最近ではおよそ半分くらいしか入れるスペースが戦場には
ないことが判明したがな。

980 :人間七七四年:2007/09/09(日) 14:37:01 ID:RVIlLOQQ
>>979
あのね、「妥当」という表現は織田軍の兵力から考えて、
本願寺勢がそれくらいの兵力であった事に対して何ら疑問は無い、という事。
それに対して10万だの30万だのって話はあまりにオーバーって事な。
分かる?

長篠に関してはお前の「信長が不利な状況では〜」って内容に対して
不利な状況じゃなくても具体的な兵数を書いてるだろ、って事な。

こんな事一々説明させんなよ。

981 :人間七七四年:2007/09/09(日) 14:42:58 ID:99BPKAn/
>>980
だからね。桶狭間でしっかり兵力大幅水増ししてる男の記録を
勝手に妥当だと言って決め付けるわけで?
信長厨のよりどころたる5倍の兵力差撃破というのを妄信したいのは
わかるが、あまりに固定観念すぎだろ。

そのたまにだした長篠でさえしっかり兵力間違えてるといってんだよ。
大幅に。それで上で挙げたように武田軍自体がそもそも兵力がいない関係で
信長公記の1万討ち取りというのもありえなくなるわけだ。
そもそもその後で普通に兵を武田が何度も動かしてる時点でそんな事はありえん
話だがな。多門院日記の1000余り討ち取りが「妥当」だろうよ。
かくして牛一の誇張表現がまた一つ、というわけだ。
いい加減盲従はやめれ。

982 :人間七七四年:2007/09/09(日) 14:53:56 ID:RVIlLOQQ
>>981
>>980をもう一度読め。
それでもそういった理解しか出来ないなら完全に話にならん。
本当に頭おかしいよ。

983 :人間七七四年:2007/09/09(日) 15:03:52 ID:lhQ4ElHv
>>981
>>978
>信長公記の記述を丸呑みするんではなく、
と書いてるよ

984 :人間七七四年:2007/09/09(日) 15:04:01 ID:99BPKAn/
>>982
具体的に話してもらえる?逃げないでね。頭大丈夫?
1万5千いたっておかしくないだろ、と1万5千いるかは別問題だといってるんだが?
兵力大幅水増ししてる男が書いた誇張表現のある書物でもって
一揆勢は1万5千いて信長は5倍の敵を破ったんだー、なんてマンセーされてもね。
俺は最初からあの戦いでは一揆勢のほうが兵力多かったろうことは認めてるが?
ただ明らかに信長公記には信長の危機や功績を誇張するところがあり、そこを疑うのは
おかしくないといってるだけだが?

985 :人間七七四年:2007/09/09(日) 15:04:19 ID:qt7SEhxU
ID:99BPKAn/へ
信長公記は、首巻部分とその後では仕官前と仕官後という立場上、信憑性に差があると言われてるんだよ。
桶狭間の数字が正確になってないのは誇張のためとかじゃなくて、情報が正確に伝達されなかっただけ。
「信長の棺」では、付近の古老に、「あれは信長の騙し打ちだった」なんて示唆されて顔真っ青にしてたけどw、
まぁ「4万五千が攻めてきたんだぜ」って聞いたからそう書いたんだろ。

986 :人間七七四年:2007/09/09(日) 15:06:36 ID:99BPKAn/
>>983
だったらその兵力に水増しがあるかどうかも疑ってしかるべきだろ。
実際桶狭間でそれをやっているし、信長が寡兵で大軍を破ったときには
やたらと具体的な数字がでてくる事や、ありえないくらい戦果が誇張されてる
所が信長公記にはあるのは事実なんだから。

987 :人間七七四年:2007/09/09(日) 15:08:09 ID:99BPKAn/
>>985
首巻以後の長篠でもありえないくらい敵味方の兵力間違えて
戦果もものすごい事になってるだろ。妄信できるもんじゃない。

988 :人間七七四年:2007/09/09(日) 16:20:15 ID:qt7SEhxU
>>987
>首巻以後の長篠でもありえないくらい敵味方の兵力間違えて戦果もものすごい事になってるだろ。
さすがに30万には及ばないっすよw
1万、ではないかもしれんが武田方の武将の死にっぷりみてたら1千もありえんだろ。
負けた後、武田が兵を動かせたからそれほどの数ではなかったんじゃないか、という説もあるけど、
大敗の後、「普通に」兵を動かしてしまったが為に、つまり軍役を厳しく課したために、
民心が離れて武田はあっちゅう間に滅んだ、とも言われているよね。

話戻すが、つまり、「5倍ではなかったかもしれんが、兵力には差があった」
というのがこの議論の落としどころか?
ID:99BPKAn/だって別に宗滴の評価上げたいわけでもないだろうし。

989 :人間七七四年:2007/09/09(日) 17:58:27 ID:i3QfowNK
ID:99BPKAn/が別の意味で信長公記を盲信しているということは理解できた

他の人は前後の状況国力などから一揆勢の兵力を推定しているのに対して
ID:99BPKAn/は信長公記だから信用できないことを理由に
信長公記の兵力より少ないとして兵力を推定しているということが

990 :人間七七四年:2007/09/09(日) 18:08:34 ID:DWaAi2yj
信長公記はある程度より前はすげー適当だぞ
人から話を聞いてるだけだからな リアルタイムで書き始めたあたりから正確になるが

本願寺討伐軍を破ったということから15000ぐらいいてもおかしくないだろ
明智・原田・荒木の軍勢も大体それくらいだからな 一応妥当な数字
朝倉と戦った10万人の一揆軍は明らかにおかしい

991 :人間七七四年:2007/09/09(日) 18:49:10 ID:99BPKAn/
>>988
その落としどころで賛成。俺も別に宗滴の評価を上げようとか思ってない。
ただ多くの資料に誇張性はある。それは朝倉方の一揆勢30万にも無論な。
だがそれと同様に明らかに信長公記にも誇張はある。
そこらへんを見ないで信長公記をの兵力を当てにして信長を持ち上げ、
他の武将の戦果は誇張で済ますのが気に食わないわけ。
あんたがそうだとはいわんけどさ。
>>989
その前後の状況とやらも信長公記に準拠している以上信長公記の信憑性が
問題になるのは仕方ないはずだがな。
>>990
上にも書いたが、いてもおかしくない、といたかは別問題だろうよ。
信長公記ではやたらと信長が寡兵で大軍を破るときは兵力が具体的になる。
長篠でも盛大に兵力と戦果を間違えている以上、天王寺の兵力比が正確とは
信じがたい。状況からの主張でいいなら毛利の折敷畑も陶方大軍で
なんらおかしくはないことになる。まあ、天王寺で一揆勢が多数であったのは
事実だろうがな。

992 :人間七七四年:2007/09/09(日) 18:50:30 ID:qt7SEhxU
>>990
天王寺は、どちらかというと味方の数の方が怪しいよね。
滝川、羽柴、丹羽、美濃三人集が集まって3千というのはいかにも少な過ぎる。

993 :人間七七四年:2007/09/09(日) 19:16:47 ID:i3QfowNK
>>991
横から見てるとあなたのほうが
>他の武将の戦果は誇張で済ますのが気に食わないわけ。
しているように見えるけど
本人気づいていないかもしれないが

桶狭間に関してはこのスレで今川の兵力45000とってる人なんていないだろ
武田北条の史料や石高状況などから考えて25000と考えていて
これを状況的にありえにくそうな兵力45000で信長を評価する人がいるなら
>信長公記をの兵力を当てにして信長を持ち上げ
にあてはまるけどさ

で天王寺の方は状況からもそれぐらいの兵力は妥当だろ
一揆側は織田の根来衆・和泉衆・大和衆・山城衆を包囲する兵力で
仮にも砦を囲めるぐらいだし
信長側は兵が集まらず武将ばかりしかいない状況で戦ったというぐらいだから
兵力3000というのもありうる話しだ

それなのに信長公記の他の部分で誇張があったからここも誇張に違いないと
決めつけるのはあまりにおかしい
否定するならそれなりの論拠を示して欲しい


ただこの天王寺の戦いは砦に篭っている佐久間信栄・明智光秀らのことを
みんな無視していないか?

>その前後の状況とやらも信長公記に準拠している以上
国力とか当時の外交関係とかは信長公記に依拠しなくても分かるだろ
というか何でそんな信長公記を絶対視しているわけ?

994 :人間七七四年:2007/09/09(日) 19:25:39 ID:99BPKAn/
>>993
>>で天王寺の方は状況からもそれぐらいの兵力は妥当だろ
一揆側は織田の根来衆・和泉衆・大和衆・山城衆を包囲する兵力で
仮にも砦を囲めるぐらいだし
信長側は兵が集まらず武将ばかりしかいない状況で戦ったというぐらいだから
兵力3000というのもありうる話しだ

それで?としかいえんよ。正直な話。結局のところ折敷畑を書状とかないから大軍かどうか
わからないとかいわれてるのにこれは何?天王寺において具体的な兵力をうかがわせる書状
でも残ってるわけ?だったら出してもらえる?結局のところ信長公記に準拠しながら信長に
好意的に論を組み立ててるだけだろ。本人は気づいてないかもしれんが。

>>国力とか当時の外交関係とかは信長公記に依拠しなくても分かるだろ
そりゃわかるさ。でもそれがこの天王寺という瞬間においてちゃんと投入されていた事を示す
書状とか資料でもあるわけ?信長公記とか漫才みたいなこといわないでね。
状況的に多数でおかしくない、というなら毛利の折敷畑で陶方大軍でもオッケーになるんだよ。

995 :人間七七四年:2007/09/09(日) 19:57:54 ID:hTsR8h5H
一揆勢が30万とか得意気に言ってる馬鹿が、信長公記の長篠に難癖つけてるのには笑った
小田原の時の秀吉でさえ約20万なのに、一揆勢がそれ以上集められるかよw
一揆勢って凄いお金持ちのあつまりだったんだねーw

996 :人間七七四年:2007/09/09(日) 20:03:22 ID:99BPKAn/
>>995
誇張性を排するかどうかの問題だな。
信長公記の誇張性を認め、それを排してくれるなら
一揆30万なんざすぐに否定してやるさ。
それもしないで信長公記の兵力を当てにして
天王寺マンセーしてやがるから朝倉だしたんだろうが。
誇張性を排しないでいいなら最強は30万の一揆勢を破った朝倉宗滴じいさんで
決まりだろ。

997 :人間七七四年:2007/09/09(日) 20:05:57 ID:DWaAi2yj
>>996
いや、だからさ 天王寺の兵力差はありえる話だろ
だが30万とか10万とかそんな馬鹿げた数字は絶対にありえないだろ
普通に考えろよ

998 :人間七七四年:2007/09/09(日) 20:27:10 ID:i3QfowNK
>>994
折敷畑は兵数とかより
存在そのものが怪しい、その折敷畑と天王寺を同格に扱うって正気?
上で誰かが言っていたのを変な風に解釈したのか分からないが
大軍がどうというレベルじゃないんだが

折敷畑は感状がすべて偽書だとしたら
安芸物語が初出?そんな18世紀の軍記物で大軍と書かれているのがそんなに信用できるのか?
それだったらまだ、信玄の海ノ口や韮崎の方が信憑性高い

999 :人間七七四年:2007/09/09(日) 20:27:30 ID:99BPKAn/
>>997
あのね。ありえるからってあってるとは限らないっていってんだろ。
長篠を見てみろよ。武田譜代に加え、親類衆まで含めた豪華メンバーで
押し寄せて1万5千の兵力は多いどころか少なくさえ思える。
だが実際はその半分程度しかいなかったんだよ。
状況からの類推なんざこんな簡単に覆るんだよ。
まして信長を好意的に見て信長公記に依拠して論を組みたてりゃなおさら
信長に都合のいい理屈しかできあがらん。

1000 :人間七七四年:2007/09/09(日) 20:29:17 ID:99BPKAn/
>>998
一応しっかり大将と一緒に死んだ事を賞した感状があることから
存在自体はあるだろ。
それでも気に入らなきゃ>>999でもよめ。
あんたのいう状況からの類推なんざこの程度のものだ。

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