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劉表と劉表配下について語るスレ

1 :無名武将@お腹せっぷく:2007/02/08(木) 00:07:54
荊州という豊かな土地を治めながらもどことなく地味な感じのする
劉表と劉表配下について語るスレを創設しました。
三国志ファンの皆さん劉表自身のこと、劉表配下のこと、また荊州のこと
でもOKです!みんなで語り合いましょう。

2 :無名武将@お腹せっぷく:2007/02/08(木) 00:21:05
誘導
中国英雄
http://hobby9.2ch.net/chinahero/

3 :無名武将@お腹せっぷく:2007/02/08(木) 00:32:51
長い間気になってたことがあるんだけど
劉表の142年生まれ説の出所ってどこからでしょうか?いきなり質問でごめん。

4 :無名武将@お腹せっぷく:2007/02/08(木) 01:13:07
>>3
私自身、三国志にはかなり興味はあるのですがその説の出所はわかりません。
ただ参考までにコーエーの三国志シリーズにおいては三国志Uから142年生まれ説
を採用している。初代三国志では189年の時点で38歳となっている。(151年生まれ?)
私も昔初代三国志をプレイした後に三国志Uをプレイした時に同じ189年なのになぜ
年が違っているのかと疑問に感じたことがある。
ちなみに、三国志大戦(カードゲーム)での劉表の生年は不明となっている。

5 :無名武将@お腹せっぷく:2007/02/08(木) 01:26:44
黄忠、魏延、カイエツ、上手くすれば馬家に諸葛亮、ホウトウ
天下取れたな、

6 :無名武将@お腹せっぷく:2007/02/08(木) 01:27:36
>>4
有難うございます。
ちなみに手持ちの書籍では『三国志全人名事典』(徳間出版)だけが
劉表(142〜208)となってました。
王暢が南陽太守の時に劉表は17歳だったように記憶してますが、この辺りからなんでしょうかね…。

7 :無名武将@お腹せっぷく:2007/02/08(木) 09:41:37
>>5
確かに荊州の優秀な人材をもっと活用し、劉表自身にもう少し積極性が
あれば歴史は変わっていたかもしれない。


8 :無名武将@お腹せっぷく:2007/02/08(木) 11:44:50
どうだろう?
豪族連合の上に成り立っていた不安定な地位だったから、
積極的に動こうとしても内部分裂を起こしてしまったかもね。
専守防衛が基本ラインだったからこそ、
豪族も現状維持に満足し、文化人も集まってきたんだろうしね。

9 :無名武将@お腹せっぷく:2007/02/08(木) 11:47:53
文聘って劉表の代の記述が無いよね
後に江夏太守といえばこの人と言えるくらいにまでなるのにな

10 :無名武将@お腹せっぷく:2007/02/08(木) 15:29:43
劉表の版図ってかなり広いよな。
荊州:襄陽郡、南陽郡、南郡、江夏郡、長沙郡、桂陽郡、零陵郡
上庸・西城方面はよくわからん?
宜都や新城もしかとはわからん。
武陵郡はなんか違う感じ。
交州:蒼梧郡

11 :無名武将@お腹せっぷく:2007/02/08(木) 16:25:26
劉表に積極性があっても、蔡瑁がそれを認めないことには動けないぞ。

12 :sleepknot ◆r4HwcKQwNE :2007/02/08(木) 17:01:32
イマイチ一枚岩じゃないようなところは孫呉っぽい気もする。

でも乱世には向かなかったんだろうね……。

13 :無名武将@お腹せっぷく:2007/02/08(木) 17:06:03
>>12
何をもって一枚岩じゃないと感じたのかなあ?
そもそもある程度の規模を持った組織が一枚岩なんてことがありうるのだろうか?

14 :無名武将@お腹せっぷく:2007/02/08(木) 19:19:42
>>8
蜀とにたような風土か

15 :無名武将@お腹せっぷく:2007/02/08(木) 19:28:43
長沙張氏について

16 :無名武将@お腹せっぷく:2007/02/08(木) 20:11:11
誰も天下を狙おうという気概がなかったということかな
たとえば黄祖は孫氏と組んで兵を引き入れれば、簡単に長江流域を征服できたんじゃないか

17 :無名武将@お腹せっぷく:2007/02/08(木) 20:57:09
>>16
確かに。
荊州豪族たちの中にそういう気概のある人が多数いたならば、劉表死後
あっさり曹操に降伏しなかったと思う。



18 :無名武将@お腹せっぷく:2007/02/08(木) 21:34:26
>>17
孫権とこだって周瑜と魯粛がいなけりゃあっさり降伏だろ。
孫権の決断とかも大きかったけど。
荊州も曹操南下が劉表死後すぐじゃなかったらわからん。
南下前に自分から降伏した可能性も大きそうだがw

19 :無名武将@お腹せっぷく:2007/02/08(木) 21:43:12
荊州は降伏派が権力握ってたが反対者も多かったでしょ
みんな劉備を支持してる

20 :無名武将@お腹せっぷく:2007/02/08(木) 21:56:18
初期劉表はめっちゃ拡大意欲あるんだけどな
荊州支配したら満足しちゃったのかな

21 :無名武将@お腹せっぷく:2007/02/08(木) 23:44:26
>>20
劉表自身が満足したというよりは蔡瑁たち荊州有力豪族が満足したという感じだね。
大体、蔡瑁たちが一番望んでいたのは荊州の安泰と繁栄。荊州を支配したらあとは荊州の
安泰と繁栄に努めたかったのではないだろうか。

22 :sleepknot ◆r4HwcKQwNE :2007/02/09(金) 00:21:42
>>13
蔡瑁や黄祖のイメージが強いからか、どうも君主の権力が弱い気がして。
いや全くのイメージで行ったんで大した根拠はないんだけども。


そこに劉備が来た訳で、揺れるのも無理はないよなぁと思った。

23 :無名武将@お腹せっぷく:2007/02/09(金) 00:46:45
三國志劉表伝の構成の問題だが、
官渡の頃は実は張羨の乱平定に全力を傾けてた
劉備が来てからは曹操の方から攻めてきてた
曹操が烏丸征伐した頃は孫権が江夏を攻めていた

劉表は打って出たくても出にくい状況だった

24 :無名武将@お腹せっぷく:2007/02/09(金) 00:47:30
蔡瑁たちを押さえれない所が劉表の弱さだな
まぁ〜蔡瑁いなけりや荊州とれなかったろうがな

25 :無名武将@お腹せっぷく:2007/02/09(金) 01:09:31
でも、よく考えたら荊州って三国時代のみならず、
何時の時代でも戦乱の地だよな。
三国時代にしても、結局ある意味では、この地で決着が付いた。

そのような要衝の地は勢力を伸ばす時に必要な踏み台であるが、
そこから天下を狙うには、それはそれでなかなか難しいではないか。
戦国時代の魏国のように、各国の真ん中に位置するから、なかなか強くなれない。

26 :無名武将@お腹せっぷく:2007/02/09(金) 01:14:01
劉備は曹操が赤壁の大敗で弱体化した隙を突いて益州に進出したわけだしね

俺が言いたいのは、劉表たちは攻める気がなかったんじゃなく出来ない状況だったということ

27 :無名武将@お腹せっぷく:2007/02/09(金) 01:34:31
北に機があると南から攻撃され
南に機があると北から攻撃される、

28 :無名武将@お腹せっぷく:2007/02/09(金) 06:16:45
さ〜盛り上がってまいりました


29 :無名武将@お腹せっぷく:2007/02/09(金) 12:35:50
劉表にせよ、曹操に評価され魏の高官となった後継ぎの劉jにせよ、
地方行政官としての能力は優秀だったんだろうね。

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